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柿崎一郎 著『タイ鉄道と日本軍――鉄道の戦時動員の実像1941~1945年』京都大学学術出版会 2018年 ix+595頁

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柿崎一郎 著

『タイ鉄道と日本軍

――鉄道の戦時動員の実像

1941∼1945年

京都大学学術出版会 2018年 ix +595頁

KAKIZAKI Ichiro, Thai Railways and the Japanese Army: The Real Image of Railway Mobilization during

World War II, Kyoto: Kyoto University Press, 2018.

加納 寛

 本書は,タイの交通史について着実かつ広範な研究を展開しておられる著者による, 第二次世界大戦中のタイにおける日本軍の鉄道輸送の全体像を描き出した労作であ る。日本側とタイ側の史料を大量に渉猟し,それらの内容を突き合せて全体像を追求 した内容は文字通りの圧巻であり,総頁数は600頁を超える。本学会の研究大会や学 会誌での既発表論文をもとにした章も含まれることを思えば,本学会も本書の成立に 貢献したことになる。  著者が本書で描き出したような輸送を含む兵站についての情報や分析は,膨大な 物量を必要とする近代戦や,それを取り巻く歴史的状況を研究する際に不可欠である。 しかし,軍事史研究者クレフェルトが「戦史家の怠慢」と嘆息するように[クレフェ ルト 2006: 10-14],歴史的研究において具体的な数字と計算に基づく兵站についての 分析は稀であった。この点で,膨大な一次史料に基づいてタイにおける日本軍の鉄道 利用による具体的な輸送の実態を描き出した本書は,きわめて独自性を有する,しか も重要な基礎的論点を扱ったものであるといえよう。  まず,序章では,「鉄道の戦時動員研究の意義」について,第二次世界大戦中の鉄 道による日本軍の軍事輸送が大東亜共栄圏内における民需輸送に影響を与えたことは 先行研究において指摘されてきたが,日本軍と鉄道事業者との軋轢等を含む軍事輸 送の具体的諸側面の全体像については研究がほとんど進んでいないことが示され,包 括的な全体像を解明することが当時の日タイ関係を見直すために意味をもつと主張し ている。そうした問題意識から,著者は,( 1 )日本軍による鉄道の戦時動員の全体 像の構築,( 2 )タイ国内の日本軍の動向の解明,( 3 )タイの対応と一般輸送への影 響の解明という 3 つの課題を設定し,タイ国立公文書館所蔵の軍最高司令部文書に 書評・新刊書紹介 113

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主に依拠し,日本側史料と丹念に突き合わせながら,分析を進めている。  第 1 章「日本軍による鉄道の動員:軍用列車の運行状況」と第 2 章「日本軍の軍 事輸送:何をどの程度運んでいたのか」では,タイにおける日本軍の鉄道輸送の実際 が,軍用列車の運行予定表(第 1 章)や物資輸送報告に見られる輸送品目の推移等 (第 2 章)から,具体的に描き出されていく。  第 3 章「日本軍のタイ国内での展開 1 :通過地から駐屯地へ」と第 4 章「日本軍 のタイ国内での展開 2 :後方から前線へ」では,これまで実は十分に明らかにされて はこなかった日本軍のタイ国内における通過と駐屯の状況が,日タイ両国の公文書の 詳細な検討を通して, 4 期に分けて解明される。  第 5 章「タイ側の対応:鉄道の奪還と維持」と第 6 章「一般輸送への影響:鉄道 輸送の変容」では,タイ側の日本軍の軍事輸送への対応と,一般輸送への影響につ いて,タイ国立公文書館所蔵国軍最高司令部文書に見られる日タイ間の交渉記録や, 『タイ統計年鑑』等を用いて分析が進められていく。  総括の役割を負う第 7 章「日本軍による鉄道の戦時動員とタイ」では,日本軍にと ってのタイ鉄道の位置付けを通して日タイ関係の変化が考察され,さらに日タイ間の 鉄道輸送をめぐる軋轢の経過とその結末が明らかにされる。タイ側は自らが鉄道を運 行するという「名」を最後まで維持した一方で,日本側はタイ鉄道の輸送力の大半を 軍事輸送に向けることに成功し「実」をとったという。  さらに終章「鉄道の戦時動員の実像と今後の課題」では,日タイ間の「鉄道争奪 戦」の経緯から第二次世界大戦中の日タイ関係を見直すとともに,今後の課題 3 点を 指摘している。課題として挙げられているのは,タイ鉄道による日本軍向け以外の軍 事輸送(タイ軍向けと終戦後の連合軍による軍事輸送),タイ国内の日本兵の動向の 解明,他国における日本軍による鉄道の戦時動員との比較である。ここからは,本書 の研究が,さらに大きな像を描き出していく可能性を着実に感じることができる。  以上のような内容の本書は,示唆にあふれ,刺激に満ちたものであるが,とくに次 のような特徴をもつように思われる。  第一には,著者による研究の常であるが,膨大な史料の集中的かつ丁寧な利活用 と丹念な情報整理が挙げられる。これによって,第二次世界大戦期における日タイ関 係が着実な成果として具体的に描き出されていく。たとえば,これまで大雑把にしか 判明していなかった,タイ国内における日本軍各部隊の通過や配置の状況とその変化 についても,本書では細部にまでわたって明らかにされており,当時の日タイ関係を 考える上でも,タイの地方史を考える上でも,基盤となる重要な情報を提供している。 そのような意味で,本書は,鉄道史や軍事史の枠にとどまらず,今後のタイ研究にお ける貴重なプラットフォームになる業績であるといえよう。 114 東南アジア ─ 歴史と文化 ─ № 48, 2019

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 第二に,本書は,タイ国立公文書館所蔵の軍最高司令部文書の本格的活用をはじ めた研究としても評価できる。この研究によって,第二次世界大戦期タイ史研究は, 新たな史料群の森に踏み入ったともいえよう。軍最高司令部文書には,「同盟国連絡 局」文書等,タイにおける日本軍の動向や日本側とタイ側との交渉や調整を物語る史 料が膨大に含まれており,輸送・交通史に限定されない新しい局面への展開が期待 される。日本側の同時代史料の多くが敗戦時の混乱の中で失われたことを考えれば, タイ側に現存するこれらの史料は宝の山であり,今後,日タイ両方の事情に通じた日 本人研究者がその腕を極限まで活用できる可能性を示してくれている。  第三に,史料上の情報不足を,膨大な史料的背景を基礎に推測を交えながら補い, 必要な情報を読み取っていく過程が,時に推理小説を味わうような知的興奮を誘うも のであることが挙げられる。たとえば,空缶の輸送を追うことによって,石油の流れ を推測しているところ等(138-141頁),知的にワクワクする楽しさを覚える。鉄道 「争奪戦」における日タイ間のギリギリの交渉や行き違いも,淡々と描写されながら, 手に汗を握るような臨場感を感じさせる。  その一方で,無い物ねだりになってしまうが,いくつかの疑問を提示しておきたい。  まず,鉄道史に疎い読者としては,タイにおける日本軍と鉄道との関係を考える以 前に,当時の日本国内における日本軍と鉄道との関係について,もう少し丁寧な説明 が欲しかったように思う。軍にとっては,日本国内であろうと国外であろうと,重要 な輸送力として部外(civilian)の鉄道機関を利用せざるを得ず,日本国内における 軍と部外鉄道機関との関係も,著者が描き出したタイにおける状況と近いところもあ ったのではないかと想像する。もしそうであれば,日本軍は自国での部外鉄道機関と の調整や輸送,経費処理等の方式を,タイでも適用しようとしただけなのかもしれな い。そのあたりを紹介いただければ,より正確にタイと日本軍との関係を位置付ける ことができたのではないだろうか。  また,タイやその近辺における日本軍の兵站の全体像を考える上で,まず,当時の 日本軍における各部隊の補給所要は,どの程度と見積もられるのかが,本書を読み解 くための基礎情報として知りたいところであった。自己完結性を追求する軍の特性を 考えると,実態として「軍需」と「民需」とは輸送品目によっては分類できないもの であり,軍事輸送の内容が「極めて多岐にわたる」(166頁)ことも当然である。クレ フェルトによれば,同時期における連合国軍の一個師団の一日当たり消費量は650トン, ドイツ軍がリビアに送った機械化部隊一個師団の一日当たり消費量は350トンであっ たという[クレフェルト 2006: 308, 357]。タイ国内駐屯部隊はもちろん,タイからの 補給を必要としたマラヤやビルマを含むタイ周辺における日本軍各部隊の補給所要や, 作戦各期の補給品等の要取得量がどの程度であったのかについては,部隊の頻繁な 書評・新刊書紹介 115

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移動やドラスティックな戦況の変化等を考えると算出は非常な無理難題であるとはい え,本書に描かれた鉄道輸送の位置付けを判断するために知っておきたかった。  さらに,これらの補給所要を継続的に充足する上で,道路輸送や船舶輸送といった 鉄道以外の輸送や,あるいは現地調達には,どの程度依存していたのかについても, より総括的な情報が欲しかった。船舶輸送については,第 6 章等において示されて おり,とくにシンガポールからの石油輸送等における船舶輸送の破綻によって「鉄道 が最後の望み」となり(472頁),「日本軍の鉄道による国際軍事輸送への依存度」が 高まったことは示されている(500頁)。また,道路輸送についてはタイの道路整備の 遅れから,それほどの輸送量は期待できなかったことが推測されている。しかし,タ イにおける日本軍の鉄道動員を,日本軍の動き全体の中に位置付けるには,鉄道輸 送・船舶輸送・道路輸送の全体像や,物資の現地調達に関する情報が,より総括的 に欲しかったところである。  ただし,以上にいくつか述べた点は,史料的制約を無視した読者側の都合による無 い物ねだりにすぎない。本書が,より大きな全体像を立体的に構成するための,具体 的な数字や根拠に基づいた信頼できる確固たる拠点・布石であることは間違いのない 事実である。日本軍の国際軍事輸送ルートが,現在において「経済回廊」として再現 されているとする指摘も(501頁),歴史的現象と現在や未来との繋がりを考える上で 非常に興味深い。そうした意味で,本書は,将来の研究の進展の可能性を示唆する 刺激的な一冊であるといえる。タイ研究や鉄道史研究,第二次世界大戦期の研究に 携わる研究者のみならず,東南アジアと日本との関係に関心をもつ方には,是非ご一 読の上,刺激を感じていただきたい。 参考文献 クレフェルト,マーチン・ファン . 2006. 『補給戦――何が勝敗を決定するのか』, 佐藤佐三郎 訳 . 中央公論新社 . (かのう ひろし 連絡先:[email protected]) 116 東南アジア ─ 歴史と文化 ─ № 48, 2019

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