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基調講演「ガバナンスにおけるデジタル公共文書の意義」

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Academic year: 2021

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 本記事は東京大学大学院情報学環 DNP 学術電子コ ンテンツ研究寄付講座が 2021 年 1 月 12 日に開催した ラウンドテーブル「デジタル公共文書を考える−公文 書・団体文書を真に公共財にするために−」の基調講 演を文字起こししたものである。(デジタルアーカイ ブ学会誌編集部)

1.

トランプ政治と安倍政治

御厨です。本日は 30 分、基調講演ということで、私 が経験してきたことを含めてお話をしたいと思います。 最初は、一つ表題に掲げるならば、トランプ政治と 安倍政治ということで入口のお話をします。 トランプ政治とは何か。今や終わろうとしているの ですが、私、これから大変だろうなと思っています。 何が大変かといいますと、大統領は一般に辞めた後、 その期間にいろいろなことをやったその書類とか、当 然そこに公共の文書が入るわけですが、そういうもの をきちんと整理をして、大統領図書館を作ることに なっています。時間はかかるのですが。トランプさん の場合、一体この大統領図書館というものが本当にで きるのでしょうか。まだまだ彼はこれから第 2 回目、 つまり、もう一度大統領選に出るという話もしていま す。そもそもトランプ政治というのはフェイクの政治 であった、つまり、いろいろなことを言っているので すがどうも嘘が多い、という中で、では嘘の公文書を どれだけ残していくのか。本当の公文書というのは一 体何か。そこで嘘と本当というのを分けることができ るのか。いや、フェイクなのだけどしかし実際にやっ たことなのだから、これはそのまま文書になりますよ ね、ということで入っていくのか。その辺の整理が、

基調講演「ガバナンスにおける

デジタル公共文書の意義」

The Significance of Digital Public Documents in

Governance

恐らく大変だろうなと思います。特にツイッターの問 題があります。彼はずいぶん多くのツイートを流して いますので、このツイッターをどのように残していく のか。何が残すに値するのかということが、かなり問 題になるのではないかと考えられるわけです。 そして、このトランプ政治と対になるものとして、 安倍政治というものがあります。この安倍政権も、一 応去年(2020 年)の秋に終わったわけですが、そう すると安倍さんの 7 年 8 か月、そして安倍さんはその 前もやっていますから合わせて 8 年 8 か月の政権の やったことをどうやって残していくのだろうか。普通 に考えれば、公文書館がありますから、公文書館に順 次その時の資料が入っていくと考えられるわけです が、安倍政権の場合は、いわゆる公文書の偽造の問題 というのが、政権の後半、ずっと問題になったわけで す。前半に関しても、どれほどの公文書が残っている のか甚だ不安である、非常に問題であろうと思うわけ です。ですからトランプ政治と安倍政治は、いずれも 公文書自体の問題、そして公文書と私の文書をどのよ うに分けるのかという難しい問題があり、それを含め てどういうふうに残していくのか。特に、最近の国立 公文書館は、紙類のみならず、電子資料的なものも残 そうとしていますし、さらに、私が推進しております オーラル・ヒストリーというのもできれば残したいと いうことで、国立公文書館は首相のオーラルヒスト リーを現実にやろうとかなり準備を進めて参りまし た。いろいろな事情で今ちょっと止まっていますが、 この後どうなっていくか。その時に一番問題になるの は、対象になる総理大臣は誰だろうということです。 当初は中曽根さんあたりから順次やっていくという話

御厨 貴

MIKURIYA Takashi

東京大学名誉教授

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になっていたのですが、中曽根さんはすでにお亡くな りになっていますし、その後の短命政権の総理大臣を やっていくのか、あるいは平成になってからの長期の 総理大臣というのは小泉さん 5 年 5 か月と安倍さんの 8 年 8 か月しかないわけです。この 2 人に関してどう やってオーラル・ヒストリーをやるのか。オーラル・ ヒストリーの記録と、公文書を残していくということ はほぼイコールですから、これをどのようにやってい くかというのは、実は大変な問題になるわけです。特 に公文書の問題で、モリカケ・桜の問題等々で、まだ 解決していない要素を残していた安倍さんに、この オーラルをどのようにやってもらうのか、あるいは文 書を残してもらうのか、ということが、恐らくかなり 大きな問題になっていくと考えられるわけです。 本来ならば、日本でも首相図書館みたいなものが残 ればいいと私は思っています。たとえば、私設ではあ りますが、中曽根さんの場合は中曽根平和研究所とい うのがあって、ここに中曽根さんのものは収まってい ます。それ以前でも、大平さんのものは大平さんの個 人的な図書館に残っていますし、このように首相図書 館的なものがないわけではありません。しかし、大平 さんの場合は、実はもう中身がかなり失われつつあり ます。もちろん大平財団というのができて、大きな伝 記ができたりして十分にカバーはしていますが、それ 以外のものをやはり私設でやっていますとなくなって しまうケースが多いものですから、これをどう考えて いくのかというのがかなり問題だろうと思います。 さて、安倍さんについて一言だけ言っておきますと、 かつて安倍さんはツイッターをやっているということ で有名になりました。このツイッターを、本当に公文 書として残していくことができるのかどうかという問 題がもう一つございます。ツイッターを使っているこ とに私が気が付いたのが、公明党の山口代表と話をし たときです。山口さんが、今はそうではありませんが、 安倍内閣ができた当時は、あまり安倍さんとの関係が よろしくありませんでした。あまり相互に会ってない ということを聞いていて、いざというときにどうされ ますかと山口さんに聞いたことがあります。そうした ら、山口さんは手に持っていた携帯を見せてくれて、 「いや、これですよ」「なにがこれですか」「ツイッター ですよ」というわけです。「何か急用があった時には ツイッターでやっていますから」と。つまり本人がお 互いに顔を合わせなくてもこれで大丈夫ですと。「し かしツイッターは文字が限られていますよね。こんな に少ない文字数で本当に大事なことについてのやり取 りができるのですか」と僕が聞いたら、「いやいや、 大体のことはわかっていますから」と言われました。 その後も山口さんがツイッターで本当に大事な用件を 話しているのか、それは公共性のあるものとして残し ていくに値するものなのかどうかということを含め て、これはなかなか謎の多い問題だと思いました。

2.

「災後」の時代

そこで、二番目、いよいよ本論に入ります。その本 論に入るところで、やはり最初に申し上げておきたい のは、東日本大震災があってからちょうど 10 年です が、私は震災後の時代を震災の「災」をとりまして、 「災後」、つまり震災の後の時代はどうなるのかという ことをずいぶん論じました。この「災後」の政治過程 について少しお話をしたいと思います。それはなぜか と言いますと、私は東日本大震災の復興構想会議の議 長代理になったのですが、この東日本大震災の復興の 最初の手掛かりとして我々が考えたのは、もちろん具 体的な復興政策もその提言に入れましたが、やはり最 初に「復興(構想)7 原則」を作ることでした。10 年 前の 5 月の段階で、記憶とそれから記録、これをアー カイブ化しなければいけない。つまり、何よりも今一 番大事なのはアーカイブであると考えました。地震の 記憶と、それから復興への記録というのをとにかく 取っていかないと、必ずなくなると思ったからです。 今までの経緯からいっても、これは残らない。だから これをまず考えなければいけないということで挙げま した。これを第一に挙げた時に私が印象的だったのは、 当時の事務局の官僚たちはそれに賛成をしてくれたこ とです。これが一番大事です。画期的なことだと思い ました。ですから、その後 10 年の間にいろいろな問 題がありましたが、このアーカイブ化するということ は、常に東日本大震災の「災後」の中では、皆の頭の 中にあったということは一つ特筆されていいことだろ うと思うわけです。その時にやはりわかりやすいもの を残さなくてはいけない。特に津波の問題がすごかっ たですから、これをどのように残していくのかという のはかなり問題でした。動画にしてどうやって残すの か。その場合、その動画が見られるようなものを形の 上で残すのかということを含めて、ずいぶんいろいろ な議論が出ました。私たちが一番驚いたのは、実は江 戸時代、常に大地震がたくさんありましたから、津波 の情報も十分に江戸時代に入っていて、それが津波の 詩碑・碑文として神社みたいなところに残っているわ けです。しかし問題は、それから何百年も経ってし まったものですから、その漢語で書かれた碑文がもう 誰も読めないという状態になっていることです。ここ まで津波が来ましたよということについて、後世に訴 えようというので、当時の人たちはこれをアーカイブ しようと思って碑文にしたのですが、その碑文が、東 北に当時私が行った時には、もうゴロゴロとそのまま

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ひっくり返って道のわきにそのままになっているとい う状況がたくさんありました。ですから、やはり現代 に通ずる、あるいはツールというものが変わっていっ たときに、きちんと残しておかないと、こういうもの もだめになってしまう。ゴロゴロ転がっているのでは 何の役にも立ちませんから、アーカイブというのは常 に活性化していかなくてはいけないということです。 そうすると、デジタルという今の時代に、デジタルで こういうものを残していくというのは、どれほど現場 で今後も役に立つのかという、これからの課題なので はないかと思います。特に津波の時の、皆が避難する、 あるいは津波の被害を受けている様子を、民間の人た ちが撮った膨大な動画というものをどうやって残して いくのか。残したもの、をどうやって今度は索引にか けて皆が利用できるようにするのかというのは、あの 当時大きな問題でした。だいぶその問題は解決を見た ような気がしますが、一体今どうなっているのか。こ れも、非常に興味深い問題の一つです。 それからもう一つ、震災勃発直後、実は官邸にいた 人たちの会議をいろいろやったのですが、そういう会 議の資料がほとんど残っていないことがあの当時話題 になりました。字は同じですが現政権とは違う、あの 時は菅(かん)政権だったわけです。菅(かん)民主 党政権は比較的記録を残そうという立場でありました から、たちどころにこれを問題にしました。当時、私 は公文書管理委員会の初代の委員長でしたから、初代 委員長として、いろいろな会議がありましたが、公共 文書としてそれをきちんと残しているのかどうかとい うことを実際に検討したことがあります。その時のこ とを一つ思い出したので申し上げたいと思います。こ の震災直後、官邸の地下に集められた人たちが、各省 からやって来て、一種の会議体を設けたというのは事 実でありました。ところが、記録がほとんど残ってい ませんでした。これが問題化したわけです。会議を やっているのに、一番大事な最初のところの記録がな いのはどうしたことだと。そこでいろいろ聞いてみま したら、当時は携帯がつながらない状況にあったり、 あるいは電気関係がショートして中が真っ暗であった り、そういう状況でありました。そういう状況の中で 各省から来た連中は、一応机らしきものはあったけれ ども椅子もそんなにそろっていないところで、それぞ れ各省別々にどうするべきかという会議を始めたと。 ところが会議なんてものではない。つまり、本省に行 くのに携帯がつながりませんから、屈強の若い連中が 常に走って行っては戻ってきてということをやってい ると。そうするとほとんど皆が立った状態で、情報交 換は確かにやったが、会議なんていうものになってい ると自分たちは思わなかった。ですから、メモだけで も残っていますかと聞いたら、メモもほとんどない。 自分の頭の中にあることだけでワーッとやっていて、 要するに何も、ほとんど残っていませんでした。後か らいろいろとその当時配られた文書のようなものが断 片的には出てきましたが、到底議事録のようなものは そこにないということがはっきりしました。いざとい う時に結局なかなか文書としては残らない。ところが、 それから少し経つと必要性が出てくるのです。つまり 彼ら自身も何かそういうものがないと困るという状況 になったので、それからは簡単な文書を残した人たち がいました。これは立派なもので、一枚紙に日付と、 今日やるべきことと、やったことが書いてあるという 極めて単純な紙なのですが、それがずっと毎日残って いく。それを見ることによって、その時に何をやった かということが大体わかります。そういうことをやっ たところもあるのですが、やらない部署もありました。 やったところは、本当に A4 一枚です。A4 一枚に書き 込んでいくという仕組みになっていて、それを全員集 まった時に見ます。昨日まではこういうのをやったね、 じゃあ今日はこれからこれをやるのだねということが わかって、現実に使われていったということです。そ ういうことがあって、やはり危機の政治状況の中では いろいろなことを考えてやらなくてはいけないのだな と私は思いました。 その後も電子化あるいはアーカイブ化というのは進 んでいったと思いますが、東日本大震災でやって、そ ういうものを残していくということを各省でやり、そ れが検索をかければ中央で見られるような仕組みにも なりました。東日本大震災が起こって実施したアーカ イブ化というのは、次の熊本の震災、これが起きた時 に実に参考になりました。ですから、熊本の震災の時 のアーカイブ化の方が東日本よりはそんなに時間をと らない、あっという間に追いつく形になっています。 こうやって「災後」の時代というのは、公文書みたい なものの残り方というのも一つ形が決まっているのだ なと思った次第です。

3.

集中の政治過程

さて、三つ目にお話を移します。次は、集中の政治 過程です。 この集中というのは、官邸集中、官房に集中すると いう、現在一番問題になっている問題です。それを少 し歴史的に見てみたいと思います。 最初に申し上げたいのは、阪神・淡路復興委員会、 これが下河辺淳のもとでできた時に、私は彼に頼んで 同時進行のオーラル・ヒストリーをかけました。どう せ議事録が残るでしょうという話はあったのですが、 私は信用しませんでした。それまで、いかに官邸で

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やったものが捨てられてきているかというのを知って いましたから。これもやはり 10 年経たないうちにな くなる、あるいは内閣が変わればなくなる。ですから 絶対にその前に下河辺さんらからその状況を聞いてお かないとなくなるだろうと思ったのです。案の定、議 事録自体はほとんどありません。ですから今私たちが やったオーラルが一番残っているという結果になりま した。同時オーラルで保管できたものが多いわけで、 特に下河辺さんは晩年それをよくやってくれましたの で、この後の沖縄問題、今問題になっていますが、こ の橋本内閣での沖縄問題で橋本龍太郎さんと大田昌秀 さん(元沖縄県知事)をつないだところのさまざまな 文書、それから彼自身のオーラルが残っているので、 そこをつなぐことができるということです。とにかく、 官邸というのはものが残らないことをずっと私は見て 参りました。ですから、石原信雄さんが官房副長官の 時のオーラルもやりましたし、古川貞二郎さんのオー ラルもやりました。比較的この 2 人は 7 年 8 年と長い 期間、官房副長官をやってくれましたので、文書自体 も彼らは持っていましたし、もちろんその文書を我々 が譲り受けたわけではありませんが、かなりきちんと した形で彼らが官邸の文書の一部、官房副長官として のものは整理されているなと、この 2 人に関しては感 じることができたわけです。したがって、オーラル・ ヒストリーと公共文書もデジタル化して、組み合わせ て残していくという方法があると感じたわけです。 四番目に今度は、各省について少し申し上げたいと 思います。各省についても、私は各省のオーラルを多 少手掛けたことがあります。各省のオーラルをやると 何が見えてくるかというと、官僚の個人個人のしゃべ りの癖ということのみならず、実は各省の組織文化、 あるいは決定様式のあり方というものがそこから見え てくるのです。今はファイルの仕方から指導していま して、こういう形に残しなさいとやっていますが、か つて公文書を残すときには、それがありません。つま り公文書の管理法がない時代の公文書の残し方という のは各省によってそれぞれまちまちです。大蔵省はこ ういう形で残すのか、あるいは経済産業省、当時は通 産省ですが、こう残すのか、あるいは国土交通省はこ うかというのがそれぞれの省によって本当に違う形で 残っています。それを見ることによって決定の仕方が 見えてきます。ファイリングの仕方によって各省の文 化がわかってしまうようなところがあったわけです。 今やファイルの一元化、デジタル化というのが進んで いますから、そういう点では無個性化しています。か つてはファイリングの仕方で、各省のものの残し方と いうのが見えてくるのですが、今は恐らくそういうこ とはあまりない。つまり、各省の持っている組織文化 やものの決め方の文化の匂い、香りというものが、電 子化していくとどうも見えてこなくなる、匂わなくな るのです。どれも同じような形で残り、同じような形 で残らないというのがその後起こっている事態なので はないでしょうか。これはこれからの課題としていい ことだと思います。 先ごろ、ファイルの問題といえば、モリカケの問題 でも、それからその後の問題でもいろいろ話題になり ましたが、こちらの側が公文書を出せという要求をし ても、なるべく中身がわからないように、ファイルの 名前を付けるというのが今、霞が関ではよくやられて いることです。ですから、ファイル名を見ただけでは 中に何が入っているかはまったくわかりません。全然 違うファイルの名前になっていて、なるべく請求され ないようなファイルの名前を付けていく。そうすると 一体何のために公文書というのはあるのだろうかとい う根本的な問題にまで実は戻ってきてしまうのです。 ファイルをなるべく残さないという点では各省皆一緒 です。前は残すも残さないも各省別々にバーッと作っ たものを公文書館に流していたので、その時の方がま だよかったのかもしれません。つまり、電子化するこ とによって個性がなくなって、しかもなくなった分、 なるべくわからない名前で行こうという話になれば、 一体これはどういうことになるのか。これも一つデジ タル化していく時の、匂いがない、こんなこというと 古い人間だと思われますけども、その問題は一体どの ように解決してくのかというのは、恐らく今後重要な 問題の一つになるのかもしれません。 それから、それとかなり似た問題ですけれども、公 文書、残っているもので電子化される前のものを私が 見た時に、やはりいろいろ問題だなと思うのは、たと えば新全総(新全国総合開発計画)、なんていうとず いぶん古いですが、これはまさに下河辺淳がやったこ とですけれども、その新全総のまだ創設のところを見 てみると、箇所づけのあり方についても多少書いてあ るのですが、これが日本語としては何を言っているか わからないのです。何を言っているかわからないよう に、官僚たちのジャーゴンで書いています。ですから歴 史研究者でぽっと出で行ってみると、本当に文章の「て にをは」がそろっていないのです。ですが彼らはそれを 見ればわかるという、そういう問題が一つあります。 それから東日本大震災のあの提言、復興税のあり方 のところは、実は 30 時間近く、財務省と国土交通省 などでやりあった結果、こういう文書にしましたとい うのを無理矢理はめました。ですから、何を言ってい るのかわからないのです、しかしこれも彼らが読むと わかるのです。彼らが読むと、この苦闘の跡が出てい るからこうだと。数行で出ているこれは、まさに公文

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書、公開されたものですが、日本語としてはなってい ないというものが出てきてしまったりするというのが、 大きな問題になるのではないでしょうか。これは今後 とも恐らく問題として残っていく話だろうと思います。

4. SNS

と公文書

さて、最後です。 今後 SNS の問題、ツイッターとか LINE、今はとに かく LINE が多用されています。それからメール、 メッセンジャー等が多用されている時代で、これらを 公文書だと言われて残さなければいけないということ になっているわけで、段々電子化されたものを残して いくようになります。ところが、これを具体的に、た とえばツイッターでもいいですが、先ほども山口さん と安倍さんがツイッターでやっていたと言いましたけ れども、これを残していったときに、前に紙類で残し たのとどう違うか。私はやはり違いがあるような気が します。どう違うのかというと、そのまま残せば感情 面、情緒面がやや多くなります。私は先ほど個性がな くなるという話をしましたが、それは文書化したもの として残す場合であって、そうではなくてやり取りと してそれが残っていく場合をみると、どうしてもやは り感情の面や情緒の面が、前に皆さんが残していた公 文書に比べれば、多く出てくるのではないでしょうか。 ですから、公文書としての価値を本当に今までと同じ ような形で残せるのか。私文書的な匂いの方が強いの ではないか。官僚に言わせれば、あれは電話と一緒だ と言いますから。電話と一緒だったら、もっと感情的 なものが入ってきます。そもそも公的な対象を議論す る場合に、公文書・公共文書とそれから私文書という ものをどこまで分けることができるのか。前は、そこ は大いに分けました。個人的なメモであるとか、ある いは日記なんていうのは公文書ではないというので私 文書にしたのですが、果たして本当にそうかどうかと いう問題も実は出て参ります。 今、一つだけ言っておきますと、細川護熙さんの日 記が出ています。細川さんの日記とか、あるいは竹中 平蔵さんの日記というのは、相当詳しく書いてありま す。これは全部もちろんご本人たちが、その時代から その日記に、パソコンによって打ち込んでいる日記で すから、当然そうなるわけですが、パソコンによって 打ち込んだ日記というのは、どこがどう改ざん、本人 が変えるわけですから改ざんと言ってはいけません が、本人がどこをどう、最初に書いた時のものと違え て書いたのかというのがわかりません。かつての佐藤 栄作日記のように筆や墨で書いた日記であれば、そこ を消したり継ぎ足したりしているとそれがわかるので すが、パソコンではそれがわからない。文書の問題も 同じです。公共の文書でも電子で全部やれるように なってしまうと、一体どこをどう直したのかわからな い。一緒に順番に直してくれているものが残っている ならいいのですが、そうでないならそこはどうするの だろうという問題があるということを申し上げておき たいと思います。 最後に菅(すが)官邸の問題を申します。菅(すが) 官邸がなぜあれだけ早く対応できたのか。菅(すが) さんが前の政権の官房長官になって割合早いころに官 邸におけるものの処理の仕方というのを私は実際に見 学したことがあります。すごいですよ。雑踏のように 人がたくさん来ていて、その人たちが 2、3 人ずつグ ルーピングされていて、各省からきた連中はある課題 についてやるのですね。それをほとんどわめくような 形で進行状況を説明していて、そこに菅(すが)さん がいて、菅(すが)さんももう半立ちです。皆立って いる。先ほど申し上げた震災の時の最初の状況と同じ でした。会議をやっているのか、情報交換をしている のかわからないのですが、そういう状況の中で、こと がどんどん決められていく。その後役人は各省に皆戻 りますから、戻った後は恐らくそれは全部ツイッター とかあるいはメールの交換、あるいは LINE でやって、 そうでない時はまたあそこに来て話をしているので しょう。そのような中で、どれほどのものが公文書と してその後も残っていっただろうか、というのは非常 に気になるところなのです。その後も同じことをやっ ているとは思いません。ずいぶんやり方に慣れてきま したから、各省がそのやり方に慣れてくると、官邸に 逆コントロールが効くような形でやっているかもしれ ません。ともかく、いわゆる文書の形で、つまり白い 紙の形で残っていた時代と違って、そういうものが 入ってきた時に、総体としての公文書・公共の文書と いうのは一体何なのだろう、どこまでが形にきちんと なるのだろうか、というのがこれからの大きな課題の 一つになるのではないかと思いました。 以上が、私からの問題提起ということです。 ご清聴ありがとうございました。

この記事の著作権は著者に属します。この記事はCreative Commons 4.0に基づきライセンスされます(http://creativecommons.org/licenses/ by/4.0/)。出典を表示することを主な条件とし、複製、改変はもちろん、営利目的での二次利用も許可されています。

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