Title
世界システムの中の台湾経済−周辺から中核へ−
Author(s)
狩俣, 真彦
Citation
沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 16(1): 13-64
Issue Date
1991-09-30
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6801
世界システムの中の台湾経済
-周辺から中核へ- 狩俣真彦 一早一旱 次12 第第 目 イントロダクション 台湾の地勢学的地位 1世界システムと覇権・植民地サイクル 2.冷戦終焉後の台湾経済 台湾経済の発展と成熟 1.輸出志向型工業化の意義 2.台湾経済の発展と成熟 ニーズから中核へ 1.イノベインョン推進段階への転換 2.悲情城市からシンボリック・アイランドへ 第3章 第4章 1.イントロダクション 第2次大戦後、台湾経済は歴史的偶然によって、台湾史上はじめて自律的発展 の道を歩みだすことになった。周知のように、大戦終了までの50年間、台湾 は日本の植民地支配下におかれていた。後発工業国としての日本の後発的植民 地政策は、16世紀のスペイン・ポルトガルの略奪的モデル、19世紀イギリ スの貿易を通しての搾取モデルにくらべて、開発主義的(ディベロップメンタ リスト)な搾取モデルと描くことができる。 日本による台湾植民地下の初期には開発の中心が、もっぱら米、砂糖におか れたので、米糖モノカルチャーと呼ばれることがあった。しかし1930年までに は資本の蓄積も進み、糖業資本は食品工業やアルコール、パルプ、ゴム、化学 分野等に多角的に発展拡大を遂げることになった。 またこの時代の台湾工業の開発はめざましく、日月潭発電所の竣工に続いて、 製紙、化学肥料、アルミ、製鉄、造船、機械、電気産業、セメントや、その他 -13-のほとんどの雑工業が導入ざれ育成されるようになっていた。 光復後の台湾においては2.28事件を経て資本の再編成が強行された。日籍企 業のすべてをふくむ日本資産が接収された。これらの資産は整理統合を経て国 民党官営企業に発展した。 他方で、2.28事件を経て政治参加(ボイス)からの退出(エクシット)を余 儀なくされたエリートを含む多くの人々が、民間経済にエネルギーをそそぐこ
とになった。注’
結果的に、戦後台湾経済は官民企業の混合体制となり、官営企業は鉄道、電 力、通信、製鉄、石油精製、糖業、金融などの基幹とインフラ部門を抑えている。注2民間は中小企業が主になって輸出部門のほとんどを占める。輸出志向
工業というのは、この部分を指していろ、と考えてよい。 工業生産に占める官営と民営の比率は1952年、官営約6割、民営約4割であ った。1990年現在、この比率は官営約2割、民営約8割と逆転した。官営企業 は国内市場を支配することによって成立っていろ。民営企業は輸出志向工業に よって世界経済を市場として発展して来た。 この逆転は国家と社会の相克のサイクルにおいて社会に有利に働くので、台 湾の政治は民主化に向けて一層の発展を遂げていくことになろう。 次に世界経済と台湾経済の連関を考えてみよう。ここでは1980年代に限定し て考えることにする。1970年代末のスタグフレを克服すべ〈、レーガン政権が 登場した。レーガノミックスは米国内のスタグフレ克服には成功したが、国際 収支の大幅な赤字を残した。アメリカの赤字は台湾の輸出を促進し輸出志向工 業化を一層すすめる慈雨となった。 1985年にプラザ合意が成立し、アメリカの赤字解消のために急速な円高が進 んだ。円高は台湾の輸出を促進し、日本の台湾への投資を増やしたので、台湾 の輸出志向工業化に大きなプラスとなった。 1980年代末になると発展をとげた台湾の貿易黒字がふくらみ、米台摩擦を経 て、台湾元が切り上げられた。台湾元の切り上げは、ドル表示の台湾のGNP を大きくする。中国やアセアン諸国の通貨価値が低下しているので、相対的に 台湾経済のプレゼンスは一層めだつようになってきていろ。次の数字は、それ を示していろ。 -14-(獺)(合昊燗焉ら静
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台湾のGDPは華南経済の6割を占めろ。台湾のGDPは、インドネシアの 1.7倍、タイの2倍、フィリピンの3.5倍にあたる。 台湾経済は、かつて近代資本主義世界システムの東漸のルート上にあって多く の苦難に遭遇した。第2次大戦後の冷戦下では輸出志向型工業によって高度成 長を達成した。今後も成長を続けることができれば、台湾経済は世界システム の周辺地域から脱出し、世界システムの中核に位置することになろう。現在の 台湾経済は、その転換に直面していろ、ということができる。本稿では、台湾 経済が冷戦体制下の輸出志向工業国から、冷戦終焉後の局地経済圏の中核の一 員になるであろう、ということに焦点をあてて考えてみた。 若林正丈著『台湾海峡の政治』 隅谷三喜男・劉進慶・凉照彦著 p、45 12 注注 田畑書店pl98 『台湾の経済』東京大学出版会 -15-第2章台湾の地勢学的地位 台湾は地政学的にみて戦略的に重要な位置に立地していろ、ということがで きる。華南沿岸と台湾の間に台湾海峡があり、両岸が適当な距離で隔てられ いろ。大陸沿岸の海南島が地理的に制御しやすいため歴代流刑地として使用さ れたのに対して、台湾は大陸に対抗する政権の亡命地となってきた。また南北 に眺めると、台湾は西太平洋の中で北東アジアと東南アジアを分岐する地点に 位置していろ。かつて日本が、台湾を東南アジア進出の拠点として重視したの は周知の通りである。 本章では最初に16世紀のヨーロッパで形成された近代資本主義世界経済が 19世紀と20世紀の200年にわたって英米の覇権の時代を作ったことを説明 する。その背景において、冷戦下に発展した台湾経済が、冷戦後の日米欧の三 極体制下においても、アジアの局地経済圏の中で中核的役割を担うであろう、 という見通しを示すことにする。 l世界システムと覇権・植民地サイクル 近代質本主義世界システムは「長い16世紀」に西ヨーロッパで誕生した。当 時、地球上には他にいくつもの世界システムが存在した。コロンブス以前のア メリカにはアステカ帝国、インカ帝国が存在したし、東アジアには明王朝の中 華帝国、インドにムガル帝国、中東から地中海にかけてペルシャ帝国、オスマン帝国、ロ シアにはモスクワ公国、等が存在していた。第2-1図はそれぞれの帝国を示したもの
である。それぞれの帝国についてポール・ケネディは次のように述べていろ。注1
「当時の世界にいくつかあった文明の中心は、いづれもほぼ同じ発達段階に あり、それぞれがよそより進んでいるところもあれば、遅れているところもあ るという状態だったといえろ。技術的に、ということは当然軍事的にも、オス マン帝国と中国の明王朝、少しあとのムガル帝国、それにヨーロッパ諸国とモ スクワ公国は、その他のアフリカ、アメリカ、オセアニアの社会よりもはるか にまさっていた。つまり1560年のヨーロッパは重要な文化的勢力圏の一つの中 心ではあったが、ヨーロッパがいつの日1こかトップに上りつめるかどうかは定 かではなかったのだ。」 -16-第2-1図16世紀における世界の勢力分布 0 プェテカ帝国 、
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ワ  ̄ ポール。ケネディ大国の興亡(上巻)p29 しかしこのヨーロッパ世界システムは、その後地理的拡大をとげて、他の世 界システムを吸収しつつ、19世紀末には、ほぼ地球の全面に拡大をとげること になった.15世紀にはヴェニスを中心とする北イタリア地域が政治.経済の中 心にあった。16世紀には中心地域が西ヨーロッパに移り、地中海ヨーロッパ、 南西ドイツ、スペインが準周辺となり、東欧とラテン.アメリカが周辺化され ることになった。17世紀には地中海ヨーロッパと南西ドイツは周辺化し、スエーデン・ロシア、ニュイングランドが準周辺となった。(第2-2図)注2
しかし、ヨーロッパ世界システムと中華システムやその他の世界との優越を 決定的にしたのは18世紀末にはじまる産業革命であった。第2-1表と第2- 2表はベイロックの計算にもとづくものである。第2-1表にもとづけば、 1800年の世界生産にしめる中国のシェアーは33%であった。これに対してヨー ロッパ全体のシェアーは28%であった。しかし1860年の中国のシェアーは20% -17-第2-2図近代世界システムの地理的拡大
田中明彦著『近代世界ンステム』pl29
に落ち、ヨーロッパのシェアーは53%に上がっていろ。1900年でみろと中国の
シェアーは6%で、ヨーロッパのシェア-62%の10分の1に転落してしまっていろ。第2-2表は1900のイギリスを100として、各国の1人当りの工業生産の水
準を歴史的に比較したものである。1750年、すなわち産業革命前においては各
国の1人当り工業生産の水準に、特に目立つ程の優劣は認められない。しかし'900年になると、イギリス100に対する各国の水準は、フランス39、ドイツ連
邦52、アメリカ69、日本12、中国3、インド/パキスタンlとなっていろ。産
業革命によってヨーロッパ世界システムの優越が確定し、中国をはじめとする アジアおよびアフリカをふくむその他の地域は周辺化され、ヨーロッパにはじ まる資本主義世界システムの地球化が完成することになった、と考えられろ。 -18-I
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19世紀初め ……ノ 処 。.;U…jl〈
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15世紀なかば 6世紀なかば ← ̄フ
17世紀なかば第2-1表世界の生産嵐に占める相対的なシェア1750~1900年 】だOJ80Oz8301860z880I90o、 ヨーロッパ全体23.228.134.253.261.362.O イギリス(連合王国)1.94.39.519.922.918.5 ハプスプルク帝国2.93.23.24.24.44.7 フランス4.04.25.27.97.86B ドイツ諸邦2.93.53.54.98.513.2 イタリア諸国2.42.52.32.52.52.5 ロシア5.05.65.67.07.68.8 アメリカ0.10.82.47.214.723.6 日本3.83.52.82.62.42.4 第三世界73.067.760.536.620.911.0 中国32.833.329.8.19.7.12.56.2 インド/パキスタン24.519.717.6862.81.7 第2-2表人ロと対比させた工業化の水準1750~1900年 (1900年のイギリスを100とする) 1万OI800I830I8601880I900 ヨーロッパ全体8811162435 イキリス(連合王国)1016256487100 ハプスブルク帝国778111523 フランス9912202839 ドイツ諸邦889152552 イタリア諸国888101217 ロシア66781015 アメリカ4914213869 日本7777912 第三世界766432 中国866443 インド/パキスタン766321 ポール.ケネディ『大国の興亡』(上巻)p231 -19-
完成した世界経済は景気の上下の循環をくりかえしながら発展した。ロシア の経済学者コンドラチエフは資本主義の50年の長期サイクルに気づいた。すな わち成長期(A)と停滞期(B)がくり返されているのである。これまで次の ような4つのサイクルが確認されていろ。
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電気、ⅣAは航空機と電子産業に主導されて始まった。 ウォーラステインは、大国の覇権のサイクルをコンドラチエフの波動とむす びつけて説明している。すなわち’00年間にまたがる覇権のサイクルが、2つ のコンドラチエフ・サイクルによって構成されるものとして、次のように説明する。注3
A,ヘゲモニーヘの躍進一継承者を争う対抗国間の熾烈な対立。 B,ヘゲモニーの獲得一「新」大国が衰退しつつある「旧」大国を凌駕 する。 A2へゲモニーの成熟--真のヘゲモニー。 Bワヘゲモニーの衰退ヨ日大国対継承国の熾烈な対立。 以上の説明をグラフ化したのが第2-3図である。 いま、第2-3図のヘケモニー大国’にイギリスを割り当て、大国Ⅱにアメ リカを割り当て、第2-3表にもとづいてこの図を読みとると、次のような説 明ができる。 イギリスの覇権の成熟期(A2)は1850年から1873年である。いわゆる自由貿易の時代である。1873-97年はイギリス覇権の衰退期にあたる。その後、第
2次大戦が終る1945年までは、アメリカの覇権がいまだ確立せず(A1、B’
局面)、大空位時代が続いた。戦後はアメリカの覇権の成熟期に当り、ブレト -20-第2-3図核心の中の対抗 国の強さ
ご圭傳
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づ,ニニャーl=
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BI A2 B2 AI局面 BI A2 B2 AI ウオーラステイン『長期波動』藤原書店p31 第2-3表コンドラチエフ波動の組合せとヘゲモニー/対抗 Ⅱ:オランダ (連合ヅⅡ) H1:イギリス 1V:アメリカ Al (ヘゲモニーヘの躍進) (LWの不足) B’ (ヘゲモニー獲得). (均衡) A2 (ヘゲモニー成熟) (HW生産の相対的増加) B2 (ヘゲモニーからの下落) (HW市場の不足) 1798-1815 1897-1913 /20 1450- 1575-1590 1913/20-1945 1815-1850 1590-1620 1850-1873 1945-1967 1620-1650 -1559 1967-? 1873-1897 1559-1575 1650-1672 Ⅲ。: A。1672-l700 B31700-1733/50 A01733/50-l770 B41770-1798 ウォーラステイン前掲書p33 -21-ン・ウッズ体制下で資本主義世界では経済と貿易が高度成長をとげることにな った。ニーズが工業化を展開することができたのは、アメリカの覇権の成熟期 においてであった。 今日、冷戦は終焉したけれども、新しい世界秩序を描くことがむつかしいの
は、冷戦の終焉が同時にアメリカの衰退期(B2)と重なってる故であろう。
すなわちヘゲモニーの不在が、不安定要因となっているのである。 次に覇権サイクルと植民地サイクルを関連づけて眺めることにする。第2- 4図は7つのグラフで植民地国家が示されている。スペイン、ポルトガル、オ ランダ(フランス、イギリスの主要植民地活動は、それぞれ単独のグラフで示されていろ。 11 8030 後発園 パルト海賭国 □国 イギリス ■■ フランス オランダ ポルトガル スペイン  ̄I5DOI550I600I650I700I7501800I8251850187519001925 ,-----~---’ABABA AB 4図1500年から1925年までの帝国主義諸国による植民地の設画Zテイラー「世界システムの政治地理』(上)pl45
第2 -22-パルト海諸国は、スエーデン、デンマーク、プランデンブロク・プロシアであ り、後発国はベルギー、ドイツ、イタリア、日本、アメリカである。 第2-4図は、次のように読みとることができる。ロジステックのA期の植 民地国家はスペイン、ポルトガルのみである。ロジステックのB期には主要植 民地国家が植民地獲得を競っていろ。19世紀にはイギリスの覇権が確立し、イ ギリス、フランスのみが植民地を拡げた。19世紀末から20世紀初頭にかけてイ ギリスの覇権の低下により、大空位時代が発生し、イギリス、フランスに加え て前述の後発植民地国家の植民地獲得が行なわれるようになった。いうまでも なく、日本の台湾植民地支配は、この時期に相当する。 第2-5図は、前述の植民地獲得の時代別の区分けに対応して、地域別の植 民地の動きを示したものである。(a)図はロジステックのAおよびB期を示 していろ。A期の植民地国家はスペイン、ポルトガルに限られ、また地域も事 実上カリブ地域に集中した無競争の時期である。 第2-5図植民地設立の場
;11菫議
( ■北アメリカ Wアフリカの沼 Vインドの港 W京インド I500I550I600I650I700I7501800I825I850I875I900I925  ̄--. ̄~--~.ABABAAB 植民地の設立:第一の鏡争時代における場 -23-(b) インド洋のあ々 Ⅷオーストラリアと付近の■々 鱸 ■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■ Xインドシナ I500I5501600I650I700I750I800I8251850I875I900I925 L------L--・● ABABA AB 植民地の設立:第二の無競争時代における場 (c ) Ⅲ中国の港 Ⅶアラビア l500I550I600I650I700I750I800I825IB50I875I9001925 b---- ̄----夕 ABABA AB 植民地の設立:第二の競争時代における場 テイラー前掲書pl47-8 ロジステックのB期が第1の植民地獲得競争の時期にあたり、地域的にもカ リブ、北アメリカ、アフリカの港、インドの港、東インド地域に拡大展開され た。(b)図においては、19世紀のイギリスの覇権と自由貿易の下で、植民地 獲得競争も限られたものになっていろ。地域的には、インド洋の島々、オース トラリアとその付近の島々、インド内陸部、インドシナ半島である。(c)図 の第2の植民地獲得競争時期はイギリスの覇権の低下による大空位時代であり、 地域的には地中海、太平洋の島々、中国の港、アラビアがアリーナとなっていろ。 -24-
2.冷戦終焉後の台湾経済 以上で説明してきた通り、第2次大戦の終焉の時期は同時にアメリカの覇権 の成熟期(A2)にあたる。アメリカは戦後の秩序の創設と維持についての 十分なパワーを備えていた。戦争直後、アメリカのGNPは世界の50%に達し ていたからである。このような背景の下に創設された多角的・無差別な自由貿 易秩序は、ブレトン・ウッズ体制とよばれていろ。 第2次大戦後のブレトン・ウッズ体制は、第2次大戦前の覇権の大空位時代
(イギリスのB2期、続くアメリカのA1、B1期)に起きた数々の不幸な事
件を「歴史の教訓」にして構築されるようになった。ここでは、不幸な事件の 1つである30年代の大恐慌を取り上げることにする。戦後の自由貿易体制の意 義を強調するために。 世界恐慌は、1929年10月24日(暗黒の木曜)、ニューヨークの株式市場の暴 落にはじまって、世界大に拡がり、1932年を谷として、その後遺症は第2次大 戦のぼっ発まで続いた、とされていろ。第2-6図は、キャンドルバーガーに よって描かれた世界貿易の収縮を示した有名なグラフである。 アメリカは農産物価格を維持するために、1930年、スムート・ホーレ法を成 立させた。これによりアメリカの有税品に対する関税は59%に達した。1932年、 イギリスもオタワ協定にもとづいて帝国内特恵関税を設置し、スターリング・ ブロックを形成することになった。ドイツのマルク・ブロック形成、フランス の金ブロック形成と続き、覇権の空白下における大恐慌は自由貿易制度の崩壊、 世界経済のブロック化、そして最後に第2次大戦へと転落することになった。 第2-7図は当時の指標を図示したものである。 このような「歴史の教訓」に対する考慮がはたらいて、1944年、ブレトン・ ウッズ協定が成立した。その理念にもとづいたガットが、現在貿易に関する国 際秩序維持の役割を担って活動を続け、自由貿易の拡大を推進しているのであ る。ところで、ガットのスタート当時における貿易は主としてモノの取引きを 中心とする内容のものが大部分を占めた。しかし、その後の相互依存の進展は めざましく、多国籍企業の直接投資が増加し、それにともなって金融や情報等 の企業戦略を支えるサービス貿易が増えるようになった。サービスの取引きは、 -25-第2-6図1929年1月~33年3月における世界貿易の螺旋状の収縮 (75カ国の総輸入,月額,100万I日米金ドル) 4月 7月 1月 (出所)「大不況下の世界1929-1939」OPキンドルパーガ一署, 石崎昭彦・木村一朗訳(東大出版会)。 第2-7図 (%)①夫黛卒 1925~34年の世界経済とスムート・ホーレー法 (10.000M丁)④世界貿易(正且ベース)  ̄ ̄■ 25.4
麹麺獅麺麺“、四叩仰0
628406 22111 (1929=】00)②アメリカのiW目者物価指数105可一一一 蛎鴎浦一一mm卯帥沁印 91I (1929=】00)③製造藁自由世界江エ藁生産 25262728293031323334(年) ↑11 大恐慌Xムートホーレー法相互通商法 (備考)1.失業率はげ米,仏,独,オランダの加重 平均。 2.世界貿易は,米,仏,独,日の重丘ペー スの合計。 (資料)アメリカ歴史統計,マクミラソ歴史統計等 通商白書(平成4年)p220 -26-モノの取弓|のように水際措置で調整することができないので国内措置を含めた 制度のハーモニーゼインョンを必要とする。第2-8図は、商品貿易、サーピ ス貿易、直接投資の今日の姿を示したものである。 第2-8図拡大する世界のサービス貿易、直接投資 (%) U9.4庁、 UB億 6860 5623 ■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■ ■■■■■■■■ ■■■■■■■■ 4222
ilEiiilll
3822 2BBB 貿易 1822 曰8384858687888990年
通商白書(平成4年)p230 現在進行中のウルグアイラウンドにおいては、このような相互依存の深まり に対応して交渉グループを拡げていろ。その中のサービス貿易、知的財産、投資に関する分野が新しい重要分野と考えられるので、説明を加えることにする芹4
サービス貿易の分野においては、従来、外国企業に対して参入規制されるこ -27-とが多かった金融、運輸、電気通信等の分野で互いに最恵国待遇を与え合うと ともに、各種規制における市場アクセスの制限を引き下げることと内国民待遇 の適用程度を引き上げる交渉をすすめている。 知的所有権の貿易関連側面については、経済。貿易のソフト化、ハイテク化 に対応して貿易に関連する知的財産の適切な保護に関する国際ルール策定をす すめていろ。 貿易関連投資については、ローカル・コンテント要求、輸出入均衡要求、国 内販売要求及び為替規制を通じた輸入制限をガット違反の貿易制限的な投資措 置として、その禁止を明示していく。 以上のように、ガットを中心にした戦後の貿易秩序の維持、発展がはかられ ているにもかかわらず、他方ではガットの多角・無差別原則に反する二国間調 整がふえているのも、みのがしえない事実である。その背景にはアメリカ経済 の衰退によって生じたアメリカの対外債務や貿易赤字を二国間交渉で是正しよ うとするアメリカの政策がはたらいている場合が多い。 しかし貿易ルールが多元化するより大きな理由は、冷戦の終焉とアメリカの
覇権の衰退(B2局面)が重なって起きたことにあると考えることができる。
そのためにアメリカが世界を一元的にまとめるパワーを、もはや失ってしまっ たのである。冷戦後の世界はしばらく覇権を欠いた大空位時代が続くと考え ねばならない。より具体的には、世界が日米欧を中核とする三極地域に別れ、 それぞれの内部では一層のむすびつきを進め、三極間では貿易の管理、あるい は相互主義を維持することによって、大空位時代を生きのびることになろう。 第2-4表は二極経済圏の未来の規模を示したものである。 2010年における人口は、アメリカ、ヨーロッパがそれぞれ9億人、アジアが 23億人となる。GDPは1990年価格でアメリカ11兆ドル、アジア12兆ドル、ヨ ーロッパ15兆ドルとなる。それぞれの地域内で、中核国家が占めるGDPの比 重はアメリカ79%、EC66%、日本56%である。したがって地域内における安 定は容易に確保されることになる、とみてよい。 アジア経済圏の特質は、圏内の各圏あるいは各地域が経済的な発展段階を異 にしながらも、発展志向的(ディベロップメンタリスト)であるという共通点 を有することである。こうした発展段階の異なる地域が局地経済圏を形成し、 -28-第2-4表2010年の世界三大経済圏 (1000人、1000km10億ドル) 面棺 135,740 23,478 3,712 2,371 1,340 1,167 780 13,826 3,993 28,597 378 257 3,053 1,426 8,050 9,597 1,567 4,269 39,688 19,349 9.976 9,373 21,307 20,339 2,623 17,717 実質GDP 42,235 15,267 11,397 10,136 1,254 873 294 2,448 255 11,815 6,609 1,925 955 115 576 1,131 10 494 11,229 9.831 935 8,896 10292 1,399 719 680 人口 7,204,343 949,015 381,595 348,450 32,766 133,698 75,281 192,135 166,306 2,323,241 131,035 108,818 435,915 176,340 33,582 1,395.328 3,606 38,617 927,239 311,068 30,149 280,919 436,234 616,171 203,791 412,380 世界全体 ヨーロッパ経済圏 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一・ ̄ ̄ 西I攻諸国 EC12力国 EFTA6力国 東欧、諾国 トルコ 1日ソ連西部 北アブリカ アジア経済圏 日本 新NIES ASEAN インドシナ半島 ォセアニア 中国 モン。゛ル 東部ロシア アメリカ経滴圏 北アメリカ カナダ アメリ力 (NAFTA) ラテンアメリノカ 中央アメリカ 南アメリカ 金森久雄「揺るぎなき日本経済』日経センターp68 国境を越えた結びつきを通じて発展を追求することになろう。第2-9図は、 アジアの局地経済圏のスケッチである。 西太平洋地域における局地経済圏の発展は戦略的にも重要性をもつと考えら れろ。アジア地域からみた場合、日本の軍事大国化を防ぐことは戦略的意義が 高い。他方、日本からみれば対米外交において日本の自主性を増すことは戦略 的意義をもつ。局地経済圏に日本が組みこまれることは、アジア各国にとって 日本の脅威を減ずることになる。日本にとってはアジアと協調することによっ て、対米自主性を増すことができる。 -29-
第2-9図西太平洋地域における局地経済圏
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Ⅱ■■■□■●□■■■■ R、 3D 、 クク 、 世界経済白書(平成3年)p308 -30-このことは、ヨーロッパにおける「ドイツ問題」の解決と比較したときに、 よりよく理解することができる。ヨーロッパにおいて西独は共同体の一員とな ることによって、自からの経済活動を共通ルールに沿って限定することができ た。またEC内の貿易によって、過度の対米貿易依存を減ずることができた。 安全保障についてもNATOに加盟することによって、自からのヨーロッパ各 国への脅威をなくし、同時にアメリカへの自主性を確保することができたので ある。アジアにおける局地経済圏の発展は、、西ドイツにとってのECやNAT Oのような役割を、日本にとってはたすことになる、と考えられろ。
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麟iil1Ll1i署111
第2-5表は、台湾がその中核を占める華南経済の規模を示したものである。 GDPで比較した華南経済の規模は、アセアンとほぼ同じであり、また中国の 4分の3を越える。また日本経済の約10分の1に当る。 華南経済の中核である台湾のGDPは華南経済の59%に当る。ついでに言え ば、台湾のGNPはnインドネシアの17倍、タイの2倍、フィリッピンの3. 5倍に当る。西太平洋における台湾のプレゼンスは大きい。第2次大戦後の台 湾経済は日米のバイゲモニー(アメリカの市場開放、日本の資本財移転)に支 えられて発展した。今後の台湾経済は華南経済とアセアンに、資本財を供給し、 -31-同時に自からを華南経済とアセアンの製品市場として開放する中核経済の役割 をになうことになるvであろう。 123 注注注 ポール・ケネディ『大国の興亡(上)』草思社P
田中明彦『世界システム』東京大学出版会pl29
PJテイラー『世界システムの政治地理(上)』 p27 高木彰彦訳 大明堂pl7他に多くの図も引用していろ。 注4通産省 『通商白書(平成4年)』 p231 -32-第3章台湾経済の発展と成熟 欧米以外の地域で工業化を達成するのは、酪駝が針の穴を通るよりむつかし いことだ、と久しく考えられてきた。また、プロテスタンテイズムの倫理を欠 いたアジアの工業化は無理だ、ともいわれてきた。事実、欧米以外で工業化を 達成したのは日本だけであり、それは内外の研究の対象とされてきた。 第2次大戦後、韓国、香港、台湾、シンガポールのアジア・ニーズ(新興工 業経済群)が、冷戦体制の下でこのタブーを破ることに成功した。ニーズの発 展の方式は輸出志向型工業化とよばれており、日本を含めた外国から資本を導 入し、国内の豊富な労働力を動員して工業化をすすめ、できあがった製品をア メリカを中心とした世界市場に輸出する、という三つのコンポーネントによっ て成り立つ。したがって輸出志向型工業化は「太平洋三角形」と別名されるこ ともある。 本章では第1節で台湾を含めたニーズ全般に通ずろ輸出志向型工業化について考 えろ。そして第2節で台湾経済の発展と成熟について検討することにしたい。 1.輸出志向型工業化の意義 第3-1図は今日のアジア経済のレベルを理解するために、1988年のアジア 各国の1人当りGDPを、戦後日本の1人当りGNPの推移を示す線上にプロ ットしたものである。1988年の各国の1人当りGDPは、日本約2万4千ドル、 香港9千6百ドル、シンガポール9千3百ドル、台湾6千1百ドル、韓国4千 4百ドルであった。またグラフを水平に読むと、各国が何年の間隔で日本の1 人当りGDPを追跡しているかが示されろ。例えば台湾は約15年の間隔で日本 を追跡しており、韓国と日本の間には約20年の間隔がある、ことが示されてい る。 したがって、ニーズ諸国の工業化はかなり急速であり、ヨーロッパが200年、 日本が100年かかった工業化の過程を、第2次大戦後の50年で圧縮して展開し てきた、ということになる。第3-2図は軽工業部門の付加価値の重化学工業
部門の付加価値に対する比率を示した図である。注’工業化が進展するにつれて、
軽工業部門の付加価値の比率は年々下降する。韓国や台湾の軽工業の比重も急 -33-第3-1図 日本の-人当りGNPの推移とアジア地域の-人当りGNP (USS) ID0.0,0 00.000 000000 100000 00.000 50.000 40.000 30.000 200000 -11111- 0000000 0000000 ■ 080765 。.00 2.00 00000000 0 09016543 2 100 1955196019651970197519801985(年)
経済企画庁『2010年への選択」p76
速に低下し、ほぼ欧米や日本の水準に接近していることが示されていろ。しか も軽工業の低下の過程、逆に言えば重化学工業化に要した年数が極めて圧縮さ れていることがわかる。 韓国と台湾は1960年代に輸入代替工業化から輸出志向工業化に転換したと言 われるが、現実には労働集約的製造業(軽工業)で輸出志向工業化を強め、そ の結果派生する中間財や資本財の需要についても部分的に国内で供給する輸入 代替工業化を推進してきた。つまり競争力のある低位の産業については輸出志 -34- 日本 ノ > シンガポール ------枩争=三壬空 〃 r"-,蛍.  ̄  ̄□で / ノ 脚囲 タイ 夕//、
10年のAS8AN4平均.. マレーシア P ● 夕 づ ▲グ ■■ ̄●。 ̄ ̄■■勺守一■●--- ク タ タ 夕●  ̄ づ 〆 タ ケーー■■ フィリピンー インドネシア 夕 つ り .. ̄中国第3-2図ホフマン比率の国際比較 B本 50 イギリス 韓台 4.0 3.0 アメリカ ドイツ 20 1.0 資料)W.G.HoIIman,moGIpwUuoノリndbJs〃ねlECcF回TMeS,OceanlaPubl唾tlm3Iに, 1958;UN・meGVpwUholWbmdlし四k畑DybNewYo『k,その他。 0 1840506070809019001020304050607080(年) 渡辺利夫・足立文彦著『図説アジア経済』p43 向工業化、高位の産業については保護育成して輸入代替化する「複線型成長」 戦略をとり、工業の高度化を常にはかってきた。 第3-3図は1980年代以降の世界経済の変化と、変化にダイナミックに対応 するニーズの姿を3段階にわけて描いている。1980年代の初頭にレーガン大統 領が登場し、レーガノミックスが実施された。その結果、アメリカ経済は急速 に拡大しスタグフレから立ち直ることができた。他方でレーガノミックスはド ル高と製造業のコスト・アップをもたらしたため、アメリカの輸入増加と資本 の海外移転を促進することになった。図①はこれに対応するものである。アメ リカの貿易赤字の増大と産業の空洞化は、ニーズの輸出志向工業化の進展とア メリカへの輸出増加をもたらす慈雨となった。 1985年、アメリカの貿易赤字の拡大を是正するため、円高を促進するプラザ 合意が取りきめられた。円高によってニーズの工業製品の競争力があがり、日 本に対する製品輸出が急増した。また円高によって日本国内における製造業の コストが上がるため、日本の製造業のニーズへの移転が増加することになった。 図②は、この段階に対応し、ニーズの国際競争力が円高でさらに強化され、輸 出市場がアメリカのみでなく、日本とヨーロッパに拡大強化されていることを 示していろ。 -35-
1980年代末になって、ニーズの為替相場もドルに対して切り上げられた。図 ③はこの段階に対応する変化を示していろ。ニーズの輸出増加が抑えられたが、 耐久消費財に対する内需が拡大することによって国内投資も活発である。また 資本財、耐久財を中心に輸入が拡大している。他方、アセアンヘの投資がすす み両地域の分業体制が整備されつつある。以上のような世界経済の変化に対応 した、産業構造と貿易構造のダイナミックな変化が総括されて輸出志向型工業 化とよばれてきた、と理解することができる。 第3-3図アジア地域の分業構造の変化 ①85年以前
丘五画弓蒜=>E皿
雑製品 }戴澗 資本財 ②86圧~88年 F【~、回E壽二>…
資本財 E. □ ③89年~90年 「ラーヌマフーヲ71 [回 庁ヲラ而了目~ヨ 技術 資本財 通商白書(平成4年)pl30 -36-次にアジア・ニーズにおける輸出志向型工業化のはたした役割と意義につい て考えてみよう。アジアモンスーン地帯の伝統的農業においては、稲作が大き な比重を占めてきた。伝統的稲作は、モンスーンの雨期に合わせて生産を集中 し完了しないといけないので、集中的に多くの労働を動員することが必要にな る。そのため人口の増加は好ましいこととされろ。しかし乾期には人手はいら なくなりアイドル化する。その結果、年間を通じてみれば一人当りの生産性はか なり小さく、貧困にあえいでいろ。貧困は高い出生率につながっているので、 貧困の定常均衡が続いてきた。 工業は農業に多くのインパクトを与え、農業の改善に貢献する。工業化は化 学肥料の生産を容易にする、トラクターや農業機械を提供する、ダム建設を容 易にし水利の調整を可能にする、研究開発によって高収量品種を生みだす、ア ンド・ゾウ・オン、アド・インフィナイタム。要するに工業化は同時に農業に おける「緑の革命」を可能にするのである。第3-1表は、アジア諸国でlヘ クタール当り何kgの米が収獲されたか、という米についての土地生産性を示し たものである。韓国、台湾では1970年代から「緑の革命」が進行していること が示されていろ。中国でも80年代に入って急速な変化が起っていろ。 工業化が農業に与える第2の影響は、農業生産性の上昇によってもたらされ る余剰労働を、人口増加によってもたらされる新規の労働と共に吸収すること 第3-1表米の土地生産性(kg/ha) 1975年808788 バングラデシュ ミャンマー 中国 インド パキスタン スリランカ インドネシア フィリピン タイ マレーシア 韓国 台湾 1853 1816 3518 1858 2296 1933 2630 1731 1825 2661 5324 4135 044040339587 273029930403 071045229638 224222321344 235223421265 404241069660 141073348456 428672955990 235222422264 204569270768 808988348460 646033357276 渡辺・足立前掲書p31 -37-
である。第3-2表の(a)は、農業部門の労働増加率(減少率の場合はマイ ナス)から全部門労働増加率を引いた差を農業・非農業部門間労働移動指標と して示している。また(b)表は、農業部門から流出した労働力が、工業とサ ービス部門に配分される割合を示していろ。 台湾における農業・非農業間労働移動は1974年から87年の間、年率5%を越 え、韓国の6%と並んで非常に高い。また(b)表によると農業から流出した 73%が工業部門に吸収され、残りの27%がサービス部門に吸収されたことにな ろ。 表3-2 a農業・非農業労働移動指桐 期間(年)G(L・)G(L)G(L・)-G(L) ビルマ1974-861.84 インド1974-861.88 パキスタン1974-861.98 インドネシア1976-862.6o フィリピン1974-851.52 夕イ1974-863g2 マレーシア1974-87-0.09 韓国1974-87-3.22 台湾1974-87-247 405565101 320784280 000●●●●●● 223323323 一一一一一一一一 001110365 530134314 027547028 bアジア諸国における農業部門流出 労働力の部門別配分(%) 工業剖門へサービス甑門 の流入比率への流入比率 韓国 台湾 フィリピン インドネシア (1963~87) (1960~87) (1960~85) (1971~86) 68.1 727 3.3 294 31.9 273 967 70.6 渡辺.足立前掲書p34/70 -38-
以上、工業化の農業に与える影響を考えてきたが、次に工業化と人口転換の 関係をとりあげたい。人口増加率は出生率から死亡率を引いた差と考えられろ。 出生率は豊かな社会では小さくなる。死亡率も衛生が普及すれば低下する。し たがって工業化がすすめば、人口増加はおさえられ、やがて低位で安定するよ うになるであろう。 第3-4図は、1988年における一人当りGNPとと粗出生率と組死亡率の関 係をプロットしたものである。日本とニーズの粗出生率が、かなり低位にある ことがはっきり示されていろ。粗死亡率も同様である。したがってニーズの人 口増加は、工業化の結果、かなり減少した、といってよい。 第3-4図1人当たりGNPと粗出生率、粗死亡率〔1988年〕 畑0 -5 ◎粗出生率;R島0.6991 ●粗死亡率:R染0.6943 パキスタン 。 40 30 20 10
9
002005001000200050001000020000(ドル) 渡辺・足立前掲書pl7 -39-それではニーズにおける工業化戦略のメリットは確認されたことにして、最
後に輸出志向型工業化のメリットを検討したい。第3-3表は輸出志向工業化
と輸入代替工業化を比較したものである。第1の市場競争条件については、輸出志向工業化においては海外との競争に勝たないと輸出できないので競争を前
提とする。輸入代替工業は国内生産を保護育成する。第2の製品の決定については輸出志向工業化の場合、比較優位をもつ労働集約財に決まるが、輸入代替
工業化の下では輸入実績のある財を口内で代替するので資本集約財になること
が多い。第3の為替レートの決定については、輸出志向工業化の場合、競争力を高め
る為自国通貨を低めにするレートが望ましい。輸入代替工業化の場合、輸入財
を安く購入するため、自国通貨を高くするレートを採用する。 第4の技術選択については、輸出志向工業化戦略においては、労働集約技術 が選ばれるのに対し、輸入代替工業化の場合は資本集約的技術が選ばれろ。第 5、第6については説明を省くことにする。 第3-3表輸出志向工業化戦略と輸入代替工業化戦略の比較 輸出志向工業化 輸入代替工業化 ①市場競争条件 ②工業製品, ③貿易・為替政策 ④技術選択 ⑤金融・財政政策 ⑥外資導入政策 競争的 比較優位をもつ労働集約財 輸出促進的.低い実効為替レート 要素賦存に適合した労働集約的技術 市場金利による貯蓄促進・輸出補助金 要素費用と労働生産性が誘因 非競争的 輸入実絹のある消費財・耐久消費財 保護的.高い実効為替レート 輸入依存型の資本集約的技術 低金利融資・高関税による保護 高関税に保護された国内市場が誘因 出所)ソフトノミックス・フォローアップ研魔会紐告■「ソフト化艇済とH易」大■宙印■周、1984年。 渡辺・足立前掲書p41 第3-5図はアジア各国の生産、雇用、輸出の工業化を示したグラフである。 台湾についてみろと、1960年から85年の間に、生産工業化率は17%から38%に 雇用工業化率は15%から35%に上昇していろ。また輸出工業化率は100%に限 -40-りなく近づいていろ。 第3-5図生産・雇用・輸出の工業化〔1960-85〕 D4U DC '1 J 〕080604C 注)生竃工藁化率:GDPに占める凹遭嚢の比率、疽用工黛化串:随■用に占める製造纂就纂者比率、輸出エ桀化率:総輸出に占める エ段■品伯出比率
質料)舳脇llIR蛾1W蝋N::iWh::SiIlH;A鯛PkolL.…値…G●、.v…|圏、。…bpm・nIB.nkJ《.'…。、,
渡辺・足立前掲書p41 2.台湾経済の発展と成熟 これまでアジア・ニーズの輸出志向工業化の意義を考えてきたが、ここで第 2次大戦後の台湾経済の諸指標について具体的に考えていきたい。第3-4表 は、人口、GNP、元ドル・レート、ドル表示1人当りGNPの戦後の変化を示したものである。注2
人口約2千万人、1人当りGNP約8千ドル、GNP約1千6百億ドル、と いうのが1990年の台湾経済のレベルである。就業者の産業別構成は第3-5 表に示されていろ。1960年代の初頭に工業生産の比率が農業生産の比率を上ま わる工業転換が起っていろ。1980年代の半ばに、工業生産比率が減少に転じ、 工業生産比率の増大により減少していたサービス生産の比率が増加に転ずるサ -41- 10080604020010203040 (%)輸出工粟化率雇用工業化率 (%)50 生産工業化 インドネシア ・50(%) ・40 ・3 ・2 -1 インドネシア 台湾 88第3-4表人口と国民総生産(GNP)の推移(1952-90年) 人 (1,000人) (100万元)GNP 1人当りGNP(元) 対米ドルレート(元) りGNP(ドル)ドル換算1人当 .196 203 154 217 389 964 2,344 2,653 2,823 3,167 3,297 3,993.' 5,275 6,333 7,512 7,997 7803373918923455 4783905867477974 2944339224079294 09,?099‘,,979690 7922668938558589 1261288906128864 1254813592593 099DBDP999 1122223334 2505050234567890 5566778888888889 9 1 8,128 90078 10,792 12,628 14,676 16,150 17,805 18,458 18,733 19,012 19,258 19,455 19,673 19,904 20,107 20,259 2,019 3,162 5,601 8,697 15,544 36,642 84,398 103,803 113,103 125,496 131,430 151,148 168,114 181,185 198,398 215,038 * 075550117750.5773 6100000924855111 ●●●●●●●●●●●●●●●● 5300086909958867 1244433343332222
隅谷三喜男・劉進慶・1余照彦著『台湾の経済』資料Ip3
第3-5表 産業別雇用構成(1952-90年) (%) 就業者 (1000人) 第2次産業 第3次産業ImLlil
第1次 産業 合計 電気ガ ス水道 通信交通 小計 鉱業 製造業 建設業 小計 商業蕊
23334566677778888 P?▼99999999リワ09p99147555680347012220767247170232058 98336172108832883 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 16257458986503799 ●●●●●●●●●●●■●●●●● 63066098887775322 55543311111111111 90530942213457629 ●●●●●●●●●●●●●●●●● 68028422112112220 11222344444444444隅谷。劉。涼著前掲書資料IP6
-42-一ビス転換が起っている。80年代半ばに台湾の産業構造は成熟段階に入った、 と考えてよいであろう。 第3-6図には、輸出志向型の工業化を始めたと考えられる60年代以降の、 GNP、工業生産、輸出、外資導入の推移が示されている。輸出志向工業化に おいては外資の導入によって工業化の速度をはやめ、工業製品の輸出を通して 所得が上がっていく。図に示されている通り、4つの指標はほとんどパラレル な動きを示しており、モデルの成功を示していろと考えることができる。 GNP,工業生産,輸出および外資 導入の推移(1960-89年) (片対数目盛) 第3-6図 (他ドル) 2, 1, 】【] 捌汕皿汕 卯別Ⅷ 隅谷。劉・徐著前掲書p40 -43-
外国資本の進出状況を国別にみろと、その62%が日米資本によって占められ ており、日米のバイゲモニーが確認できろ。特に1973年の第1次石油危機前の 世界経済の成長期においては、アメリカ資本が圧倒的な比重を占めており、日 本資本がこれを補完する形になっていろ。 アメリカ資本は、当初から現地の低賃金を利用して、プロダクト・サイクル に合わせたスタンダードな製品を作り、製品をアメリカへ逆輸入する、という 多国籍企業の行動に沿った企業進出であった。したがって進出件数は日本より 相対的に少なく、逆に1件当りの資本の規模は日本より大きくなる。日本の進
出が件数で大きくなっているのは、大企業のみでなく、多数の中小企業が進出
して現地資本と提携して活動しているからである。台湾の工業化へのインパク トでみると、台湾が中小企業王国であることを考慮すれば、日本の資本は深く広範囲にわたって浸透したと考えるべきであろう。〔第3-6表(a)、(b)〕
第3-6表 a時期別外国資本進出の推移(1952-90年) (100万ドル,%) 外国人涜本の内訳#
計 952-63 64-73 74-85 86-90 1986 87 88 89 90 45 (100.0) 770 (100.0) 3,170 (100.0) 7,313 (100.0) 7 (15.6) 147 (19.1) 977 (30.8) 2,552 (34.9) 37 (82.2) 353 (45.9) 1,331 (42.0) 1,571 (21.5) 0.1 (o) 159 (20.6) 391 (12.3) 1,460 (20.0) 189 1,746 1,536 2,302 73 1,024 4,062 8,092 114 988 645 441 日)0笠9』Qリ ワ】FDq》句I ワ』、ロ旬I 75 758 891 1,861 37 484 379 919 33 186 287 305 1988 378 2 4 49 149 350 706 (100.0) 1,223 (100.0) 1,061 (100.0) 2,241 (100.0) 2,082 (100.0) 254 (36.0) 399 (32.6) 432 (40.7) 641 (28.6) 8271 (39.7) 犯副皿引弱、網引仙別 1943123555 13112 11-1- 犯町弘刈叱りⅢ、梱、 192295336 1 121 1 111 286 480 527 548 461 770 1,419 1,183 2,418 2,302 07905 81878 1 65 196 121 177 220 206 363 438 478 376 88 207 212 233 179 64041 57656 2378648556 34907 84260 1 -44-b主要国別技術提携件数の推移(1952-90年) (件) 西トイツ イキリス フランス アメリカ オランダ そ の 他 783 計 1952-79 1980-90 1980 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 25333342434 36992913124 43324445775 64917313118 1 1 11111 14334354320 1 10113490754 1 11542249821 34418725820 42446999720 11111112222 8578910850045839855495 111111 隅谷・劉・除著前掲書p115,117 つぎに、台湾の貿易をみることにする。第3-7表の(a)は輸出入の商品 別構成の推移を示したものである。輸出についてみると、1960年の輸出の7割 が農業品、および農産加工品で、3割が工業製品であった。1960年代末から、 工業製品の輸出が増え、1988年現在では、工業製品の輸出が95%を占めるに至 った。輸入については、一貫して消費財輸入の比率が低く、資本財・農工原燃 料の比率が9Mを越えていろ。加工貿易型の政策が続けられた、ということに なる。 国別の輸出入の推移を示したものが(b)表である。台湾の輸出相手国の第 1位はアメリカで、台湾の輸出の多いときで5割、現在でも3割以上をアメリ カが占めていろ。逆に輸入では日本からの輸入が台湾の輸入全体の4-3割を 占めていろ。台湾はアメリカに対して輸出超過、日本に対して輸入超過が続い てきた。日本が資本財を提供し、それによって台湾が工業化し、工業化の製品 をアメリカが吸収するという連関が、「太平洋三角形」と呼ばれることは、前 述した通りである。そして台湾が工業化を達成し、またアメリカ経済が衰退し た今回、「太平洋三角形」が米台摩擦の根源に転化してきたのである。貿易摩 -45-
第3-7表 a輸出入商品櫛成の推移(1960-85年) (9。 出 輸入 農産加工品 工業製品 農工原瀦料 消費財 一 8.1 5.1 4.9 6.8 5.8 8.5 7.6 7488671 ●●●●●●● 5020544 5311 32.3 46.0 78.6 83.6 90.8 93.8 94.5 0666654 ●●●●●●● 2385311 12 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 9336480 ●●●●●●● 7920338 2233222 0686874 ●●●●●●● 4522074 6666766 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 0505058 6677888 9 1 b輸出と輸入の推移')(1955-90年) (100万ドル,%) 西ドイツ アメリカ その他 出弱印閖扣祀卵開閉加 入雨印開扣布帥開閉卯 輸 輸 37(29.7) 59(36.2) 158(35.3) 494(33.3) 2,113(39.2) 8,251(41.7) 9,147(29.7) 23,610(35.6) 25,391(37.8) 73(59.5) 62(37.7) 138(30.6) 216(14.6) 694(13.1) 2,173(11.0) 3,461(11.3) 9,065(13.7) 8,338(12.4) 7(5.5) 21(12.6) 28(6.2) 136(9.2) 363(6.8) 1,551(7.8) 2,540(8.3) 7,042(10.6) 8,556(12.7) l(0.9) 3(2.0) 30(6.6) 71(4.8) 316(6.0) 1,076(5.4) 805(2.6) 2,551(3.8) 3,183(4.7) 123(100.0) 164(100.0) 450(100.0) 1,481(100.0) 5,309(100.0) 19,811(100.0) 30,726(100.0) 66,304(100.0) 67,214(100.0) 5(4.4) 19(11.5) 96(21.3) 564(38.1) 1,823(34.3) 6,760(34.1) 14,773(48.1) 24,036(36.3) 21,746(32.4) 36(18) 63(21.2) 136(24.4) 418(27.4) 2,042(34.1) 8,736(44.2) 8,641(44.2) 19,498(37.3) 21,992(40.2) 201(100.0) 297(100.0) 556(100.0) 1,524(100.0) 5,952(100.0〉 19,733(100.0) 20,102(100.0) 52,265(100.0) 54,716(100.0) 96(47.5) 113(38.1) 17且(31.7) 364(23.9) 1,652(27.8) 4,673(23.7) 4,746(22.4) 12,003(22.9) 12,612(23.0) 61(30.5) 105(35.3) 221(39.8) 653(42.8) 1,812(30.6) 5,353(27.1) 5,549(27.6) 16,031(30.7) 15,998(29.2) 5(2.5) 11(3.8) 17(3.1) 62(4.1) 371(6.2) 722(3.7) 846(4.2) 2,528(4.8) 2,668(4.9) 3(1.5) 5(1.6) 6(1.0) 27(1.8) 75(1.3) 250(1.3) 320(1.6) 2,205(4.2) 1,446(2.6) 隅谷・劉・凉著前掲書p44資料Ip6 -46-
擦、あるいはそれに伴う台湾経済の転換については更に終章で考えることにす る。戦後初期の日本に対する台湾の輸出比率が大きいのは、砂糖の輸出による ところが大きい。 つぎに台湾経済の特徴である官営企業と民営企業について考えてみよう。第 3-8表は鉱業生産、製造業、電気ガス水道、建設業における、官業と民業の 比率を示したものである。電気ガス水道は官営が100%、建設においては逆に 民営が100%である。製造業においては1952年では、民営44%、官営56%であ った。今日その比率は民営89%、官営11%と大きく逆転していろ。全体の合計 でみても、1990年の民営は81%、官営は19%になっていろ。 日本の植民地時代、台湾においては米・砂糖を中心にした農業の開発が強力 にすすめられた。急速な発展をとげた糖業資本は1930年代になると、食品工業、 アルコール、パルプ、化学、ゴム等に投資を多角化するようになった。1934年 には日月潭発電所が竣工し、続いて合金、アルミ、製紙、化学肥料、等の工業 も起った。1937年には製鉄、機械、造船、石油化学、油脂などの工場が新設さ れた。繊維、セメントやラジオ受信機の育成が進められた。 第3-8表産業別生産の宮民営別構成(1952-90年) (96) 隅谷・劉・除著前掲書資料Ip5 -47-
第3-9表は資本金20万円以上の会社について、曰籍と台湾籍について比率 を示していろ。全体でみろと91%が日籍、8%が台湾籍になっている。その中 で500万円以上の株式会社では97%が日籍、3%が台籍となっている。
第3-9表株式会社払込永安本の規模別・日台籍別榊造(1941年)
(1,000円,%) 0 資本規漠 その他 3,450 (0.6) 2,164 (1.8) 1,286 (0.3) 20五ElLl上 20-500万円 500万円以上 隅谷・劉・除著前掲書p24 さて'945年の日本の敗戦処理において、すべての日本人所有財産は国民党政 権に引きつがれ、これが再統合されて官営企業となった。その中で4大官営企 業(セメント、製紙、農林、工鉱)の株券が農地改革の際、地主に対する地価 補償の一部として民間に払い下げられた。その他のほとんどの日籍企業が官営 企業として残ることになった。 すでにみたように、台湾経済は官営と民営の分業体制をとり、大企業が官営、 中小企業が民営として出発することになった。その後、台湾省出身者は政治参 加(ボイス)よりの退出(エクンット)を強いられることになったが、これが 民営企業(中小企業)への人材配分に有利に働き、民営企業の主導による輸出志向工業化の成功につながったと考えられろ。注3第3-7図は、輸出市場にお
ける占有構造を示しており、年代の後れ(1986年)はあるが、参考になると考 えられろ。 最後に台湾の対外投資の増加を検討することにしたい。ミクロに考えれば、 対外投資の増加は台湾の政治的地位の不安定とか、環境規制の厳しさとか、賃 金率の上昇等によって説明づけることは可能であろう。マクロ経済学的に説明 -48-第3-7図台湾の輸出市場における占有構造(1986年) (「八七調査)による) (A)資本系別構成(A)規模別餌成 外資系 29.2% 6.1%華I母系、 本国系 64.7% 隅谷・劉・除著前掲書p290 すれば国内における貯蓄超過額は対外債権(貿易黒字・対外投資)増加額と等 しくなる。1990年の数字で言えば、4兆2千430億元のGDPに対して、民間 と政府を合わせた消費支出が71.8%、資本形成が22.2%、したがってその合 計の94%が国内支出となる。国内で生じた6%の貯蓄超過が対外債権の増加に 対応する。、 この状況は、一方で、台湾の輸出志向工業化の到達点を示しており、台湾モ デルの成功を示していろ。他方で、台湾の対外黒字は台米黒字が大きいので米 台摩擦につながる。この問題のマクロの解決については次章にゆずり、ここで は現実に起こった台湾元レートのアップと、それに伴う対外投資の増加につい て説明する。第3-8図はアジア通貨の対米ドル・レートの変化を示したもの である。台湾元レートについては第3〒4表で、くわしく示されているので参 照していただきたい。 台湾元のレートは1980年を100として、1990年には134に上っていろ。他方 では、同10年間に中国通貨のレートは31に下っていろ。台湾と中国のレートを 相対的にくらべろと中国元の価値は台湾元に対し4分の1に低下したことにな る。中国資産の価値が4分の1に低下したことが、台湾の中国投資をひきつけ ていろと理解してよいであろう。アセアン諸国の通貨価値も、フィリッピン31、 -49-
第3-8図アジア通貨の対米ドル・レートの変化(1980→1990年) (指数:1980年=100) 100150 50 バングラデシュ インド 中国 パキスタン スリランカ インドネシア フィリピン タイ マレーシア 韓国 台湾 香港 シンガポール 日本 妬二媚 46 41 34 - 5Tl 即二別 86 '34 64 118 157 (注)各臓1通1Wの単位当たI)usドルを、1980年を100とした桁数で.1990年の値を算M1したもの。● 経済セミナー7月号(1992年)plll インドネシア34、タイ、マレーシア80と低下しているので、台湾からの投資が 増加することになる。第3-9図は台湾の対外投資の増加を示したものである。 台湾経済がアセアンと華南経済に資本と資本財を供給することになった、と いうことは、台湾が日米の資本財と市場の提供を受けて低位の工業製品の製造 に特化するニーズ(新興工業国)段階から、資本と経営能力と技術を提供する 中核工業国に転換を始めることを意味していろ。新興工業国として成功した台 湾は、先進工業国に転換することができるだろうか。そして、先進工業国とし て成功をおさめることができるだろうか。 MITのレスター・サローが今年はじめに『ヘッド・トウ・ヘッド』(頭脳競争) -50-
第3-9図台湾の対外直接投資 (%) 価”旧応M、池86420 ”I の他 米 セアン 858687888990年 世界経済白書(平成3年)p302
という本を書いた。注4その中でサローは21世紀が頭脳競争、すなわちイノベイ
ンョンの時代になると明言していろ。19世紀のイギリス、20世紀のアメリカは プロダクト.イノベインョンすなわち新製品を生み出すことで世界をリード したが、分解工学の発達で新製品はただちに類似製品の登場をよぶ。したがっ て21世紀は、プロセス・イノベイション(生産技術)が重要だと述べていろ。 第3-10表は、1870年から1988年の間に、世界の富裕国ベスト20位に仲間入 りした国々のリストである。19世紀も20世紀も顔ぶれはヨーロッパと北アメリ カの国々である。その中で経済力をつけて仲間入りしたのは日本1国のみであ る。 -51-第3-10表世界の富裕国ペスト20(国民一人あたり) 1870年
豆
位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位 12345678901234567890 11111111112 アラブ首長国連邦 アメリカ合衆国 カナダ オーストラリア イギリス ベルギー スイス オランダ アメリカ合衆国 ニュージーランド デンマーク カナダ フランス アルゼンチン オーストリア イタリア ドイツ. スペイン ノルウェー アイルランド ポルトガル スウェーデン スイス ノルウェー ルクセンブルク オーストラリア アイスランド クウェート スウェーデン 西ドイツ フィンランド 日本 フランス デンマーク イギリス イタリア ベルギー オランダ オーストリア フランス オーストリア アラブ首長国連邦 オランダ ベルギー ̄ イギリス イタリア オーストラリア ニュージーランド チリ 資料:アメリカ中央情報局 レスター・サロー『大接戦』講談社p280 -52-注l渡辺利夫・足立文彦著『図説アジア経済』日本評論社P43、 なお本章の全体について同書に負っていろ。 注2隅谷三喜男。劉進慶・徐昭彦著『台湾の経済一典型NIESの光と 影』東京大学出版会本章の全体について同書に負っていろ。 注3若林正文『台湾海峡の政治』田畑書店pl98、なおその他の同著 者の著書・論文もフォーローに努めていろ。 注4 レスター・サロー 「大接戦』 講談社 -53-