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日本リスク研究学会誌 Vol. 29, No. 4
【巻頭言】
感染症対応ではなく,システミックリスクに対する
リスクガバナンス*
Risk Governance for Systemic Risks, Not Measures for Infectious Diseases
久保 英也**
Hideya KUBO
1. はじめに 未知の新型コロナウィルス感染症に日本が,世 界が揺れている。ただ,この問題は感染症課題へ の対応と考えるより,システミックリスクに対す るリスクガバナンスの課題と捉えるのが自然であ る。リスクガバナンスの手法は千差万別であるも のの,基本形として,国際リスクガバナンスカウ ンシル(IRGC)が提唱するリスクガバナンスの枠 組みが参考になる。リスクガバナンスは,「意思 決定者が行う(もしくは,集合的意思決定の場に おいて),実行に移される措置,プロセス,慣習, 組織に関する事柄」としている。そこでは,リス クの発見,リスク評価,リスク管理,対応の事後 評価,コミュニケーションという一連のプロセス が,「透明性,有効性,効率性,説明責任,戦略 性,持続可能性,公平性と衡平性,法の支配の尊 重,実行可能性,倫理性,受け入れ可能性,等に 基づき検討,実施されることが重要」としてい る。 その骨格を図 1 に示した。①プレアセスメン ト,②評価,③キャラクタリゼーションと判定, ④管理,そして,全フェーズに関わる⑤コミュニ ケーションからなる。①∼③が広い意味のリスク 評価にあたり,また,ステークホルダーが参画す るコミュニケーション(以下,リスクコミュニ ケーションと呼ぶ)の重要性が特筆されている。 これを,新型コロナウィルス感染症に当てはめ て考えてみよう。まず,同感染症の経過をたどる と,2019年12月に中国湖北省武漢市での発生確 認と中国当局からWHOへの報告,年明けの1月 12日の中国で初の死者の確認,1月13日の中国以 外での初の感染者の確認,そして,1月20日に中 国専門家グループトップが「人から人」への感染 を確認する事態となった。そして,2月1日に日 本での「感染症指定」,そして,約1か月後の3月 2日に全国の小中高校の一斉臨時休校,3月11日 WHOのパンデミック宣言,3月18日の38カ国の 入国制限と言いようのない不安となし崩し的な政 策が続いていく。 2. 国の感染症対応体力と2つの戦略 この動きの中で,リスクガバナンスは,12月 末のリスク認知時点,遅くても1月20日の人から 日本リスク研究学会誌 29(4): 233–236 (2020) * 2020年3月21日受付,2020年3月21日受理 ** 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科(Rikkyo University) 図1 出典:リスク学事典– 234 – 久保: 感染症対応ではなく,システミックリスクに対するリスクガバナンス 人への感染判明時点で,プレアセスメントの中の フレーミングの構築を開始することになる。ま ず,被害者となる国民全体の協力なくしては成り 立たないという感染症の特異性から,①衛生環境 や国民の協力姿勢,②医療インフラの量と質,③ 国民の医療へのアクセスの容易度(公的医療保険 制度)など,いわば,「国の感染症対応体力」を 確認する。次に,この時点では依然として漠然と しているウィルスの感染力と攻撃力について想像 力を高めることである。武漢の実情から,一見害 が少ない(軽症や自覚のなさ)と見せかけ,人体 に取り込まれた途端,悪意の活動(高い高齢者, 基礎疾患者の重篤化)を行うところが特徴的であ り,このウィルスは,ギリシア神話のトロイア戦 争に登場するトロイの木馬やパソコンを感染させ るマルウエアーのような存在であることがわか る。 それらが想定できれば,次の2つの戦略立てが 可能となる。それは,①高齢者の死亡率を抑える ために,病院へのアクセスを徹底的に抑制し,医 療崩壊を避ける戦略と②感染拡大は阻止できない と考え,8割が軽症で終わることから国民の大多 数(6∼7 割)の感染を容認する「集団免疫」に より終息させるという戦略,である。議論になる PCR 検査の多寡は検査インフラ以上にこの戦略 の選択により決まる。①をとれば,自ずと検査は 制限的になり,②をとれば,検査は拡大的に行う ことになる。 プレアセスメントは,「国の感染症対応体力」 を制約要因とした中で,戦略選択を行うことであ る。 ここで,重要な指標は新規の感染者ではなく, 実質感染者総数(検査で表面化した感染者+潜 在感染者)である。そして,それは実質感染者総 数=α×(感染症対応体力)+β(政策強度)+γ(国民 の行動変容)+残差,と表せる。図1 で示した充 実したリスクコミュニケーションは,この「国民 の行動変容」を高める方向に作用する。 従って,感染症のリスクガバナンスは,緊急性 を優先させる「トップダウン型の意思決定」よ り,様々なステークホルダーが参加する,透明 で,開放的で,包摂的な,「民主的意思決定アプ ローチ」が望ましい。ただ,現実には,きれいな 二択は難しく,緊急性を優先させる中でも少しで も民主的意思決定に近づけるためにどうすればよ いかが命題となる。図1のプレアセスメントと次 の「評価」の段階では,未知の不確実性が極めて 高いリスクの評価は,完璧性以上に,国民の理解 しやすい形,納得しやすい姿を優先すべきという ことになる。 感染者数のピーク時の目途,そして,収斂まで の期間などについて,具体的な数字が公開され ず,「ここ1∼2週間が山場」や「当面の自粛期間」 を前提に発動された政策はそれがたとえ正しくと も,国民の間では唐突感が生じてしまう。 特に,①の戦略をとった場合には,ピークを後 ろずれさせ続ける必要があるため,感染症の完全 終息には②の戦略より時間がかかる可能性が高 い。感染症抑制と国民生活に直結する経済・社会 活動の停滞とのトレードオフの関係について十分 な説明が求められる。 3. 評価と管理の基本(1)確率的な見方を入 れる まず,将来のリスク事象を一つの絶対事象や絶 対値(確定値)としてみず,確率的事象として捉 える姿勢を常に持つことが重要である。未知の ウィルスの遺伝子配列が70%SARSウィルスと同 じだとしても,感染力や攻撃力は異なる。また, 日本の場合,感染者の判明数自体も非常に少ない ことから,統計的なアプローチが極めて難しい現 実が横たわる。更に,日本の感染者数は,感染源 ➡人口や行動経路・範囲の特定➡感染環境(クラ スター)➡感染疑い判断➡重症頻度(年齢による 格差)➡「重篤順位で厳しく制限したPCR 検査 の実施」➡検査の精度(ばらつき)➡陽性者の集 計,という各段階において,確率分布を考慮する 必要から,因果関係も含め正確に感染者数を把握 (モデル化)するのは困難である。 そうであれば,次の2つの方法の選択に向うこ とになる。①リスクの評価を見誤る可能性も高い ため,感染予測は行わない(もしくは公表しな い)という方法,もしくは,②誤差や推計限界は 十分に認識しつつ,統計的手法を駆使してまずは 予測に踏み出し,同時に制約の強い前提条件や乏 しいサンプルの状況を丁寧に説明する,という方 法,の2つである。国民の納得感や行動変容につ ながりやすい方法はおそらく後者であろう。 ②の方法は特別なことではなく,平常時の経 済・社会取引の中でも幅広く行われている。例え ば,金融分野のリスク評価において,対象リスク の詳細な構造や因果関係が分からなくとも,顕在
– 235 – 日本リスク研究学会誌 Vol. 29, No. 4 化した結果(例えば,新型コロナウィルスの新規 もしくは累計のPCR検査陽性者数)だけをモデ ルで再現していくという手法である。この場合, 日次の発生数を説明できる諸関数の形(インフル エンザなど急激に拡大する患者数などの推計はガ ウシアン波形などがフィツトしやすいとされる: 出典2)を当てはめ,特定した関数を時系列モデ ルで先延ばし,予測するという方法である。この 段階で関数のパラメータがシンプルに決まれば, これに乱数を与えて確率モデルとすることによ り,感染リスクを金融市場などに外部移転するこ とも可能になる。 次に,予測精度に頼りすぎない方策を考えるこ とが重要になる。この対応として,①予測が外れ る可能性を所与として受け止め,複数のシナリオ を立てるシナリオアプローチを採用する。また, ②新規に発表される日次データを追加し,推計を 見直す漸次修正法の併用が考えられる。これによ り,今までイメージで示されてきた感染数のピー クから終息までの想定図が「実日数」で描けるこ とになる。 重要なことは,未知の事象に対峙せざる国民に 対し今後の感染症の拡大において起こるべき具体 的な実像をイメージさせ,それに対応してセット された政策メニュー群を提示する,いわば,ここ ろの準備をしてもらうのである。 具体的には,メインシナリオの発生確率を,例 えば 60%とし,予測した感染者の発生カーブの 形状からのピーク時の感染者数とピークまでの日 数,そして,ピークアウトして終息に至るまでの 日数を予測値として公表する。この収束までの期 間をマクロ経済モデルに反映させ,経済の低迷期 間とボトムアップのタイミングを明示する。国民 の負担感の低い政策をとればとるほど終息時期は 長引き,政策間のトレードオフが明確になる。 そして,それを前提とした各々の①政策メ ニューと②投入タイミングを示す。すぐにでも大 型経済対策をという声は大きいが,感染症を引き ずる中で投入した方が良いのか,明確に終息時期 が見えた段階で投入した方がよいのかは十分な議 論がいる。 これとは別に,感染爆発するサブシナリオ 1 (例えば,発生確率25%)と想定以上の速さで終 息するサブシナリオ 2(同,発生確率 15%)も同 時に置き,メインシナリオと同様に取りうる対策 メニューと投入時期を示す。 意思決定者(政府)は,日次で予測ラインを漸 次修正しながら,事態が大きく変化した場合に は,躊躇なく,シナリオの乗り換え(例えば,緊 急事態宣言の発動や逆に自主規制の前倒し撤廃な ど)を行う。この時に,政策の変更をシナリオ変 更理由とともに説明する。 4. 同(2)少ないサンプルを補完する 日本の統計データが少ないことを所与として受 けとめ,他国のデータで補完する努力を行う必要 がある。たとえば,中国の研究者と組んで,①中 国にある大量のデータを活用し,②感染段階が日 本より先行する中国と遅行する日本という関係を 使い,中国の現状から日本の将来を推定するとい う方法をとることが考えられる。例えば,日本の 経済・金融市場の将来予測を行う際に,先行する 米国の経済・金融市場の動きを用いて推計するの と同様の手法である。 中国と言えば,2月には武漢市の医療爆発の現 場の映像ばかりが注目され,医療体制やリスク対 応に問題があるという論調が多かったが,中国の 感染症の研究者と冷静に連携することにより,そ の実情を知ることができる。中国在住の日本人研 究者は少なくなく,日本リスク学会では中国在住 の日本人研究者によるデータ分析と感染症予想を 会員内の諸議論の一つ基礎としている(会員専用 新型コロナウィルス特設サイト)。 5. 同(3)過去の教訓を生かす 新型コロナウィルス感染症の経済的影響は世界 金融危機(リーマンショック)を超えるとの意見 が増えてきたが,前述の人から人への感染が見ら れた時点でこれをシステマティックリスクと考え るべきである。システミックリスクについては, 日本は 3 つの大きな体験を有している。すなわ ち,①日本のバブル崩壊(1990年代後半),②世 界金融危機(2008年),そして,③東日本大震災 と原発事故(2011年)である。3.で述べたシナリ オアプローチが「未来の展望」を持とうとするの に対し,これは過去を知りその教訓を確認して政 策に生かそうとするのである。 リスク学事典(2019)の1章(1–14)では,リスク の性格や発生場所が異なるにも関わらず,プレア セスメントや管理の段階で使える共通する教訓と 示唆が示されている。すなわち,3つの事例に共 通するのは,①環境変化に気づかせない既存の伝
– 236 – 久保: 感染症対応ではなく,システミックリスクに対するリスクガバナンス 統的システムや体制,そして,社会規範・基準 (1970年代までの銀行は潰れないなどの社会的な 神話)の存在,②異常事態への感応度(リスクへ の想像力)を著しく低下させ,従来の基準や行動 の呪縛から逃れられなくする組織構造の存在であ る。 この 3 つの中から世界金融危機を取り上げる と,当時の米国連邦準備制度理事会(FRB)は,決 済機能を守るための伝統的なToo big to fail(大き すぎて潰せない)政策に囚われ,1999 年の「グ ラム・リーチ・ブライリー法」の改正による銀行 との垣根が撤廃され,浸食される側となった投資 銀行(証券会社)のリスク偏重の経営戦略を見逃 していた。また,金融工学を基礎とした証券化技 術が金融市場に与える影響を過小評価していた。 その結果,低金利を背景とした住宅価格の上昇や 低所得者向けのサブプライムローンの急拡大,そ して,返済不能件数の増加という変化を見過ごす ことになる。その後の証券化商品の暴落と金融機 関の破綻,そして,金融危機の国際伝播を許すこ とになる。 翻って,今回の新型コロナウィルス対応を見る と,2002年のSARS対応に揺れたアジア諸国に対 し,日本はほぼ無傷であったことから,日本の医 療水準と感染症の防御力は高いとの思い込みを生 む。2月には,「武漢で起こったことは日本では 起こらない」や「韓国の PCR 検査体制が日本の 数倍の処理能力と迅速さを持ち合わせていること は不思議」という論調が目立った。日本は常に完 璧とする思い込みが存在し,それが,1月20日の 「人から人への感染」の判明から3月2日の一斉休 校措置まで約1か月間もの政策発動を遅らせるこ とにつながった。 一方で,政策の投入に際しては,市場関係者や 国民の「期待」を変えるために,当時の FRB の 対応どおり,躊躇なく,大胆に行うことが鉄則で ある。感染症において,2. で述べた「国民の行動 変容」をおこさせることと金融市場において悲観 一色に染った市場心理を逆転させることは基本的 には同じである。 過去を紐解けば,その教訓が正しい政策選択に 向け,意思決定者の決断の際の背中を押してくれ る。新型コロナウィルス問題は,自然科学の感染 症分野から社会科学のリスク分野へ移行していく が,リスク学の枠組みで今後の議論が進むことを 期待したい。 参考文献 日本リスク研究学会(編) (2019) リスク学事典, 丸善出版社,全801ページ.
Toshihisa T. (2020) Relations of parameters for describing the epidemic of COVID-19 by the Kermack-McKendrick model , medRxiv preprint, 1–7.