• 検索結果がありません。

マレーシアにおける教育言語改革の課題 : 教育言語としての英語の導入をめぐって

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "マレーシアにおける教育言語改革の課題 : 教育言語としての英語の導入をめぐって"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

マレーシアにおける教育言語改革の課題

一教育言語としての英語の導入をめぐってー

手 嶋 将 博

The S

u

b

j

e

c

t

o

f

E

d

u

c

a

t

i

o

n

a

l

L

a

n

g

u

a

g

e

R

e

f

o

r

r

n

i

n

M

a

l

a

y

s

i

a

: The Introduction of EngiIsh as a Language of Instruction

Masahiro Tejima [n this pllper, changes in educationa[ [anguage po[icy in Malnysia are surveyed first.Then, the process and the actual condition of Eng[ish ns a language of instruction in the scIences and mathematics, the most important aspect of this relorm, arec1arified. Various subjects in it are analyzed and considered. This paper also considers the state of “immersion education", a method employed even inI.apan in recent years, using languages other than mother tongue. [t5 introduction is being planned and promoted gradually based on the example of Ma[aysia. 1 .はじめに マレーシアは、総人口約2,327万人、プミプトラ (Bumiputera:土地の 子)と呼ばれるマレ一系および原住民族65%、中国系 (1)26%、インド 系7%、その他の民族9% (2000年7月現在)という人種構成の多民族 国家である。ここでは、イギリス植民地体制による分割統治の影響で、 第二次大戦まで民族社会ごとに別々の教育が行われていた。地方農村で 生活することが多かったマレ一系は、都市生活者が多かった中国系・イ

(2)

マレーシアにおける教育i刊行改爪の諜凶 一教育言語としての英語の導入をめぐって一 ンド系と比べて近代教育を受ける上で遅れをとっていた。このことが、 戦後、共通の教育用語、教育内容を模索する過程において各民族間での 主張の対立を引き起こし、教育改革が繰り返される大きな要因となった。 1970年以降、「プミプトラ政策Jと呼ばれるマレー化政策が展開され、教 育の国語(マレーシア語)化の推進により、国民教育制度の再編が図ら れ、 30年以上を経た現在もなお、初等教育レベルではマレ一語学校、中 国語学校、タミル語学校という 3つの言語ストリームの学校が存在して いる(添付資料:公教育制度図参照)。 しかし、 2002年7月、当時のマハティール首相 (2003年 10月末をもっ て22年 間 続 い た 首 相 の ポ ス ト か ら 退 任 ) を 中 心 と す る 政 府 与 党 連 合

B

a

r

i

s

a

n

N

a

t

i

o

n

a

l

(

B

N

:国民戦線)は、 r2003年の新学期より、初等学校・ 中等学校の新1年生から漸次、全ての理数科目について、英語を媒体と して教育を行うj と発表し、その導入スケジュールを発表した。このこ とは、 30年以上続いた「国語jとしてのマレ一語、すなわち「マレーシ ア語J優遇政策のありかたを根底から揺るがす政策であり、マレーシア 教育界に大きな波紋が広がった。 本稿では、マレーシアにおけるこれまでの教育言語政策の変選を概観 しつつ、今回起きた大きな改革である、理数科目における英語媒体授業 導入の実態、およびそこに存在するさまざまな課題について分析し、考 察する。また、このようなマレーシアの事例から、近年日本でも徐々に 導入が計画・推進されつつある、母語以外の言語を使用して教育を行う 「イマージョン教育Jのあり方についても考察したい 2.マレーシア英語教育改革の流れ-2002年までの動向ー 第二次世界大戦後の1948年マラヤ連邦

(

F

e

d

e

r

a

t

i

o

no

f

M

a

l

a

y

a

)

が結成 され、マラヤが独立に向かうと、国家統一を促進する国民教育制度の確

(3)

-47-文:教大学 ,-Y,llfと文化 第 16口ー 立が急務になってきた。そのため、 1940年代末から1960年代初めにかけ て、各民族社会に共通の教育内容、教授用語を持つ国民教育制度の模索 が行われた。 1949年、イギリス政府は中央教育審議会を設置し、同審議 会による 1951 年の『パーンズ報告~ (2)において初めて国民教育制度につ いて勧告が行われた。同報告書の要点は以下の4点である。 1 )統一国家の実現のために、共通の国民性の形成を目指す。 2)無償による

6

年間の初等教育の実施

(6

...12歳)。 3)国民初等学校(公立校)ではマレ一語と英語による二言語主義教 育を行い、中国語、タミル語による教育は認めない。 4)中等教育は英語のみによって行い他の言語による教育は認めない。 これはマレ一語を重視することで、社会的・経済的に立ち後れていた マレ一系の教育水準の向上、マレ一文化を核とした国民意識の形成や国 民統合を企図する、これ以降の諸政策の端緒となる報告書であった。 これに対して、中国人とインド人は強く反発し、中国語学校、タミル 語学校の存続を要望した。また、中国人サイドは『フェン・ウ一報告』、 インド人サイドは『インド教育審議会報告』を作成、『パーンズ報告』を 厳しく批判した。例えば、『フェン・ウ一報告』では、「子供の教育は母 語 (mothertongue)で行われるべきであるJという考えから、中国語初 等学校での中国語、英語、マレ一語による「三言語主義教育Jが主張さ れている(:1)。 一方、マレ一語学校教員団体は、中等学校でも英語のみでなくマレ一 語でも教育が行えるように要望を出していた。その結果、 1952年の教育 令では国民初等学校は英語・マレ一語を教授用語とする以外に、その他 の言語が第三言語として教えられるようになった。中国語・タミル語の

(4)

マレーシアにおける教育元詰改革の課題 一教育111mとしての英話の導入をめぐって一 各学校は国民学校としては認められなかったが、存続は認められた。 1955年にトウンク・アブドウル・ラーマン首相により、教育制度の改 革が打ち出された。それはマラヤの統一国家実現を目指したものであり、 以下の2つの課題が重視されていた。 1 )マレ一人社会と中国人社会との聞の経済的不均衡の是正

2)

マラヤにおける中国人・インド人の同化促進。 こうして、当時の教育相アブドウル・ラザクを長として、教育審議会 による教育制度の再検討が行われ、これが翌 1956年の『ラザク報告』と なり、 1957年のイギリスからの独立後、最初の教育令として法制化され ることとなった。その骨子は、以下のようになっていた。 1 )国民学校としての初等学校は標準学校 (StandardSchool :マレー 語学校)と標準型学校 (Standard-TypeSchool:中国語・タミル語・ 英語学校)に分ける。国民学校ではマレー語のみを教授用語とし、 その他の教授用語を使う学校は国民学校と認めない。

2

)

全ての学校をマラヤ志向とするために共通のカリキュラムを導入 する。また、中等教育にマレ一語中等学校を設立する。 すなわち同令は、独立後初めて、国家の統制の下教育制度が統一的基 増に従って確立されたものであり、初等・中等学校段階においてマレ一 語を強調することによって、マレ一語を国語とした国家の統ーを図るも のであった。 さらに、 1961年には、マレ一人に有利な教育政策が『ラーマン・タリ プ報告』によって提案され、新教育令となった。その報告の要点は、マ -49ー

(5)

文 教 大 学 言 語 と 文 化 第 161} レ一系を教育上有利な立場に導くための政策である。 1 )中国語学校とタミル語学校の児童は、中等学校に進む段階で1年 聞の移行学級

(

R

e

m

o

v

eC

l

a

s

s

)

において中等学校以降の授業に必 要なマレ一語を学習する。

2)

初等学校・下級中等学校(日本の中学校

3

年間にあたる)を通じ て、マレ一語学校の教育は無償とする。 3)中等学校における修了資格試験(公的試験)は英語とマレ一語で 行う。 また、ここではマレ一語を教授用語とする学校を国民学校

(

N

a

t

i

o

n

a

l

S

c

h

o

o

I)、英語、中国語、タミル語の各学校は国民型学校

(

N

a

t

i

o

n

a

l

-

T

y

p

e

S

c

h

o

o

I)としたり、中等学校においてマレ一語学校と英語学校のみ財政 援助が与えられたりといった政策も盛り込まれている。 このようなマレ一語学校優遇の政策に対し、マレ一語学校のみを無償 とすることに対して反対が強かったため、 1962年には全ての初等学校が 無償となった。一方、公的試験は教育内容の統一、共通語の普及と並ん で、マレーシア統ーのための教育を促進する重要な手段であった。これ には初等学校修了試験

(

U

P

S

R

)

、下級中等学校修了試験

(

P

M

R

)

、上級中 等学校修了試験

(

S

P

M

)

、大学予備課程修了試験

(

S

T

P

M

)

があり、この うち

UPSR

以外は、中国語・タミル語による受験は不可能になった。 こうして、 1951年の『パーンズ報告』以来、国民教育制度は10年余り で一応の確立を見ることになった。その問、初等教育は二言語主義(マ レ一語・英語)から三言語主義(マレ一語・中国語・タミル語)へ、中 等学校はマレ一語一本から英語学校を認めた二言語主義(マレ一語・英 語)へという変化こそあったが、マレ一語学校を国民学校として教育制

(6)

マレーシアにおける教育言品改革の課也. 一教育式加としての英語の導入をめぐって一 度の中被に据えることにより、教育の統合を図ろうとする点に主眼がお かれていたといえる。 こうしたマレ一人に対する優遇政策にもかかわらず、社会・経済的に は、マレ一人の生活はあまり向上が見られなかったし、都市部を中心と する工業化は依然として外資と中国人による資本に支配され、マレ一人 の参入は少なかった。このため、マレ一人の不満は高まりつつあった。 こうした中、 1969年 5月13日マレ一人と中国人との問で起こった人種暴 動事件は、民族問の対立の根深さ、国民統一の不安定さを露呈した。そ の結果、政府により、国民統一の達成、民族閉経済格差の是正、国民教 育制度の再編を図る政策を推進させる契機となった。この政策をブミプ トラ(土地の子)政策と呼び、その主目的は、農漁村に多く居住してい たマレ一人やその他の土着の民族を近代的な経済部門へ誘導し、農村生 活の近代化を図り、都市活動への参加も増大させて、彼らが国民経済生 活のあらゆる面で参加・活路できるようにするものであった。 教育分野においては、マレ一語の主要教授用語化、各民族聞における 教育機会の不均等是正等が重視された。特にマレ一語は 1970年から、「マ レーシアの国語」を意味する「マレーシア語 (BahasaMalaysia) Jと呼ば れるようになり、これを教授用語とする国民学校の拡大を図るため、英 語学校を廃止してすべてマレーシア語学校に転換する政策が第2代首相 ラザク政権下で具体化された。 こうして 1970年以降、英語学校の第1学年の児童から全教科について マレーシア語による教育が行われるようになり、漸次上の学年に移行し ていった。その結果、 1982年までに初等・中等教育レベルの英語学校は 全てマレーシア語学校に転換され、 1983年までには、大学教育も原則と してマレーシア語によるものに転換された。また、この政策に対応して、 全ての公的試験もマレーシア語によって実施されるようになった。

(7)

-51-文教大'下 ,-fJ托と文化 第16・り この英語学校廃止・マレーシア語学校への転換の政策は、結果として 教育のマレー化を促進させ、マレ一人の中・高等教育への接近にとって 極めて有利に展開した。例えば、大学進学時には、統一試験の成績以外 に、学生の出身地域、民族別の割り当て(クォーター制)が採用されて いるし、この統一試験が極めて難関で、マレ一系の学生はこの点数が低 くても割り当てにより優先的に大学に入学できるため、非マレ一系の学 生は相当の高得点を取らない限り、大学進学上不利な状況になる。従っ て、 1960年代には 2割程度にすぎなかったマレ一系学生が、 80年代には 圏内の大学入学者の7割を占めるまでになったのであった。 しかし、このマレ一語優遇政策によって、マレ一人は以前に比べて英 語学習の必要性が低下したために、一般企業の多くが要求する英語力を 十分に身につけないで学生生活を終えることが多くなってきた。また、 政府機関においても、結局は英語力がある少数のマレ一系が昇進可能と いうことになって民族問ならぬ「民族内格差」も広がりつつある。すな わち、マレ一語を国語とし、国民統合政策の柱として優先してきた言語 教育政策は、大多数のマレ一系にとって、政府への依存を増やし、企業 への門戸を狭めさせ、政府機関においても昇進の機会を引き下げる結果 となったのである。 このように、マレーシアの言語教育政策は、ある種、政府の意図に反 する結果をもたらしてきた。以前と比較して、全般的に国民の英語力が 低下しているという危機感から、政府は共通試験での英語の配点比率の 増加、公務員の英語学習の奨励といった対策をとってきた。こうした状 況から、マハティール首相(当時)も、マレーシアが国際社会で競争力 を維持して行くために必要なアプローチであるとして、 1994年から医学・ 工学分野を中心として、大学の授業を英語でも行えるように認めた(-1)。 また、経済活動に有利である等の理由から、高校での選択科目に中国語を

(8)

マレーシアにおける教育λ(a/f改存立の課題 一教育I ;-~Ut としての英語の導入をめぐって一 導入する等マレーシア語以外の言語学習見直しの動きもあらわれてきた。 慢性的な労働力不足が指摘されるマレーシアが今後国際社会で生き延び る道は、国家の発展に貢献し、また国際社会で通用する人材の育成であ ると考えられ、 1990年代後半から導入された「マルチメディア・スーパ ー・コリドー (MSC)J構忽(:;)や fスマート・スクールj計画(6)も外 資流入による産業構造の転換と、それを基盤としての地場産業の振興を めざした政策の一環である。しかし、国内の民族問の絡差を是正する目 的で行われたプミプトラ政策やそれに伴う教育に関する言語政策が、結 果的にマレ一系を二極化させる状況に導くことになり、中国系・インド 系との聞とはまた異なる新たな絡差を生み出しつつある。 3. マレーシア英語教育改革の流れ-2002年以降の動向ー こうしたマレ一系優遇政策が長年にわたり実施されてきた中で、 2002 年5月、マレーシア政府から f初等・中等学校の科学関係科目を英語で 教えるという必要性を多くの国民が支持すれば、教育省はその採用を考 えるJ

r

マレ一語の地位は独自のアイデンティティを持った国家を築くた めの一環として保持することを我々は保証するが、我々はまたグローパ リゼーションの時代に生きているという事実も受け入れなければならな しリ等の、初等学校における理科と数学科目を英語で教える方針が発表 される (7。) さらに、わずか2ヵ月後の 7月20日には、理数科目の英語による教育 開始のスケジュールが発表された川(表1・2)。

(9)

-53-文教大学三・3岳 と 文 化 出 161} 表 初 等 学 校 と 中 等 学 校 で の 理 教 科 目 を 英 語 で 教 育 す る 開 始 年 小2小3小4 小5 小6 移 行 中 1 J'2 r 1'l :3"14 11-'5 UPSR ,二S子U.耳&双w PMR SPM 2003 開 始 開始 2004 I}W始 9eSEB,E-L a 開始 2005 開 始 開 始 2006 開始 胞で IJH始 2007 開 始 開 始 2008 開始

表2:大学準備教育期間と高等教育での理教科目英語授業の開始年 '116前期 1m始 開始 IUJTfi ImTh 表1

2注 :UPSR'PMR'SPM'STPM'"各学校段階における全国統一修了試験。 このように、 2003年1月初めに入学する新1年生は、初等学校も中等 学校も英語で理数科目の学習を開始、その後漸次学年が進むにつれ英語 で理数科目を教わることになった。前節までで述べたように、理数科目 を含めてこれまで国民型初等学校は中国語文はタミル語で、国民初等学 校はマレ一語で授業を実施してきた方針から、理数科目に限ってこの原 則

l

から外すというのは、まさしく大きな変化であった。マハティール首 相(当時)が、それまでのマレ一語優遇政策を足元から揺るがしかねな いこのような思い切った改革に踏み切った理由は、彼の言葉を借りれば、 『毎日最新の書籍が出版され、何百という記事が英語で脅かれている。も し我々がそれぞれの母語での理数教育に陸│執していれば、ものすごい速 さで進んでいく最新の知識の進歩についていけない。だから政府はこの

(10)

マレーシアにおける教育古語改革の課題 教 打.i.,I1fとしての英,i討の導入をめぐって一 理数科目を英語で教えるという提案したのである。なぜならこのような (英語媒体の)知識が直接我々に届くからだJ(引ということであり、そ こには、①マレ一系の英語力の低下に対する歯止め、②科学技術分野で の国際競争力の強化、③IT等を中心としたグローパル化への対応、等が 考えられる。 こうしたあまりにも急進的な印象を与える言語政策に対して、各民族 団体は当然の如く、それぞれの立場から以下のような意見表明、および 行動に出た。 ( 1 )マレ一系団体 まず、マレ一系団体は、 2002年8月23日に開催された、全国言語学協 会、マレー学生連合、マレーシアイスラーム青年運動

(

A

B

I

M

)

、全国作 家協会、等が参加する、初等中等学校で理数科目を英語で教える政府案 に対するマレ一人組織・団体からの意見聴取会(アブドウラ副首相主宰) において、これに関わる問題をはっきりさせるためにもっと時間が必要 である、地方の生徒が影響を受ける、科目を教えられる教師の不足等、 翌年度から実施するのは性急であること等が指摘された。また、英語の 重要さは受け入れつつも、マレーシア語の教育言語としての地位に影響 が出る恐れから、この方針に反対する者もいた。

(2)

インド系団体 次にインド系団体であるが、タミル語初等学校に関しては、与党のイ ンド人政党

M

I

C

(

マレーシアインド人会議)が賛成を表明していたため、 7月23日に理数科目の英語による教育が受け入れられることになった。 与党

MIC

はタミル語学校が母語による教育にあまり積極的でないとい う批判に対して、反対者はごく少数であり理数科目を英語で教えるのは、 インド人コミュニティを社会の高い位置に置くことになる、英語媒体の 授業が多くなれば、中等学校に進学しても落ちこぼれることがない、等 F h U F O

(11)

文 教 大 学 , .-i~i丹と文化 第16~} の見地から、英語教育を高める事でタミル語学校を一層インド人生徒に とって魅力的にできるとして賛成したのである。また、 IPF(インド人進 歩戦線党)も政府案を支持する等、もともと実用的な言語としての英語 志向が強いインド系団体には、大きな反対の動きが見られないまま受け 入れが決定していった。 (3 )中国系団体 これらに対して、中国語初等学校への英語媒体授業の導入に関しては、 中国語教育界及び中国人基盤の政党を中心に最も強い反対論があり、最 終決定がかなり遅れていた。あくまでも中国語で理数科目を教授する意 向の中国系団体に対し、与党連合 BNは2002年 10月22日にマレーシア華 人公会 (MCA)等の各政党に1週間の猶予期間を与え、中国語初等学校 おける英語教育の提案を出すように要求し、ついに10月31日に与党連合 BN最高会議の最終的な英語教育調整案を受け入れ、与党の中国人政党 MCA等が、野党や中国語教育界からの反対を押し切る形で中国語初等学 校での英語媒体の授業導入が決定となった。具体的には、中国語初等学 校においては、理数科目を英語と中国語の両言語を用いて、数学を6時 間中国語と 4時間英語、理科を 3時間中国語と 3時間英語という媒体で の時間配分で教える方式、すなわち「二言語教育Jで行うということに なつたのである{川1刊川0ω) この時、理数科目を英語で教える方針決定に、中国人コミュニティの 中でも強力な教員団体である輩教総が強く反対していることに対して政 府与党連合の幹部が批判したのを受けて、アブドウラ副首相(当時)は 「中国務初等学校での理数科目英語教育を政治問題化させないように、中 国語教育団体の輩教総の言動を段視してし、く。この団体は政府に反対し て政治問題化する傾向があるので、政府は大変憂慮しているJ と述べ、 董教総への監視強化の姿勢を明らかにした (1))。しかし、改革に反対する

(12)

マレーシアにおける教育古語改革の課題 一教ffiMltとしての英語の導入をめぐって一 野党の

P

A

S

(全マレーシアイスラーム党)等は輩教総の意見を支持する 姿勢を見せ(I~) 、導入が開始された現在でも、こうした対立は続いている。 これと前後して、 9月には2003年度予算案をマハティール首相(当時: 経済相を兼務)が発表した。その中では「初等中等学校での理数科目授 業のために2002年から2008年分として RM50億(約1,500億円)を割り当 てるJ ことが盛り込まれている(tヘ また、 2003年に入ってから、理数科目の英語媒体教育に伴い、教師の 定年を大幅に延長することが決定し、 2003年に定年を迎える教師は自動 的に延長を提供されることとなった。この特典は、理数科目と英語の教 師に適用される。この措置は、これらの科目での教師の不足に対応する ためである (11)。さらに この施策を進めるために教育省は教師に対する 報奨金策も提案された。それは、英語、数学、理科等(純科学科目、技 術科目、情報技術科目を含む)を担当する教師は基本給に特別手当てを 上乗せするというものである。また、他の科目の教師でも英語の能力を 上げれば給与増加があり、初等学校1年、中等学校1年と 6年の学年で 数学、理科、英語を教える教師約5万人が報奨金をもらえる対象になる。 基本給に対する奨励金の割合は、非大学卒教師は

10%

、大学卒教師は

5%

であり、 2003年7月には、英語教師の場合前述の3学年で教えていなく ても、全員奨励金受領の対象になることも付加された制。 4. 英語媒体の理数科目授業における諸課題 以上のような経緯を経て、ついに2003年1月の新学期から、マレーシ アでは囲内の全ての国民初等・中等学校および国民型初等・中等学校の それぞれ1年次において、英語媒体による理数科目授業が開始された。 しかし、官頭でも述べたように、この教育改革はそれまでのマレ一語 優遇の政策から大きな転換となるものであったにもかかわらず、あまり -57ー

(13)

文教大学 f:-i"",j吾と文化 第16・日 にも唐突に決定・導入されている印象を受ける。 前節で、この改革の導入理由として、①マレ一系の英語力の低下に対 する歯止め、②科学技術分野での国際競争力の強化、③IT等を中心とし たグローパル化への対応、等を挙げたが、例えば、①のマレーシア英語 レベルの問題では、パイリンガル教育を受けている

:

:

l

ルネイの学生が、 東マレーシア・サラワク州の学生より英語レベルが熟達しているという 事実について調査をしたところ、ブルネイの小学校では理科・算数・英 語が、中・高校では歴史・地理が英語で授業が行われていることがわか ったという。これに対して DAP(民主行動党)のリム・キットシャン 総裁から

r

1991...95年の第 6次マレーシア計画において、政府は『英語 教育は第二国語として非常に重要であり、標準レベルを上回らなければ いけなし寸と発表しているのにもかかわらず、この 10年間、何をしてき たのか釈明すべきだJ(16)との批判が出るなど、英語力低下についての批 判は再三繰り返されてきた経緯があり、この後、 1年にも満たないうち にマレーシア政府が英語媒体授業の導入を発表したのを見ると、隣国ブ ルネイのパイリンガル教育の実態調査結果は「英語による各教科の授業J の導入推進派にとってはまさに追い風となる影響力を与えたといえる。 また、②の国際競争力強化や、③IT・グローパル化への対応について も、 90年代後半からの政策であり、外資導入、産業振興、および、それ らを将来支える有能な人材育成という視座から見れば、英語力の強化は 国策として必須の懸案事項であった。実際、 1997年から認可された私立 大学では、現在その大半が英語媒体の教育を行っているなど、当時のマ ノ、ティール政権の動向を見ると、ブミプトラ政策との相克を調整しつつ、 いかに国際語として実用性の高い f英語Jを普及させて行くかに腐心し ていたかが窺えよう。 しかし、やはりあまりに急な改革・導入であったため、様々な点で早

(14)

マレーシアにおける教育,-i,rtt改革の課題 ←教ff,?siltとしての英,Utの将人をめぐって一 急に解決すべき課題がいまだ、残っていることは否めない。それらは、以 下の諸点である。 ( 1 )導入過程における矛盾点の解決の必要性 f技術発展は国の最重要課題j→「理数科目は国の発展の基礎を作る科 目」→「英語は世界の『共通言語』であり科学・技術を発展させる言語j →「子供の時から理数科目を英語で学習することがマレーシアを発展さ せることにつながるJというマハティール前首相をはじめとした政府側 の論理には残念ながら学術的な根拠が希薄である。かつて『フェン・ウ ー勧告』において、 f子どもの教育は母語で行われるべきである」という 主張がなされたように、特に小学生等の場合、母語である第l言語が十 分に習得されていない状態で第2言語を学ぶ(しかもこの場合は「それ を使って別の教科の授業をする」という環境である)という方式は、ど ちらの言語も不十分になる危険性が高い方式であり、その実効性が疑問 視される。たとえば、同じ多民族・多言語状況にあるフィリピンも英語 媒体の理数科目授業を行っているが、国際レベルで理数科の成績が相対 的に高いとはいえず、制度の改革も検討されているという Ojl。さらに、 この論議の過程で、非英語国である日本、韓国、台湾、 ドイツ、フラン ス等はいずれも初等教育・中等教育ともに理数科目を英語で教えてなど いないにもかかわらず技術而では世界のトップクラスであるという一部 の反論はほぼ黙殺され、なし崩しに導入が決定していることに対しても、 明確な説明および結果を残して答えなくてはならないであろう。 (2)中国語初等学校の新1年生授業における負担増大の懸念 国民型中国語初等学校は、全国的に午前部と午後部の2部制が多く、 例えば、ほとんどの午前部は7時半から 7時45分の問に始業し、 1年生 の場合は1日9コマ(各コマ 30分)が標準で、 12時20分に終業であった。 これが、 2003年1月に始まった新学期から 1年生は 1日10コマ制になる

(15)

-59-文;教大学 .-rJltと 文 化 指16・i:l (午前部の終業は12時50分頃。午後部は1時から開始し 6時20分終業)。 1週間の基本授業時間数が 5コマつまり実質 2時間30分 増 加 (1日平均 1コマ=30分)。そのうち、英語の授業2時間、英語媒体の数学4時間、 英語媒体の理科3時間が増えているわけで、美術・音楽・体育等の実技 科目を除いた週43コマの内、英語媒体での授業が 9コマ、マレーシア諦 の授業が9コマ、中国語媒体での授業が25コマとなり、実質的な f三言 語教育Jとなっている(IH)。満6才で入学する中国語初等学校 1年生に三 言語教育は大きな負担であり、英語で理数科目を教えることができる中 国人教師の確保・養成も必要であるなど、親にも教師にもまた負担であ る。さらに、数学を6時間中国語・ 4時間英語で教える、理科を3時間 中国語・ 3時間英語で教えるスタイルの弊害も当然考慮しなければなら ず、そのことへの対策も不可欠であろう。 また、就学前教育に目を向ければ、中・英・マレ一語の『三言語教育j を導入しうる幼稚園がより優位な地位を占めていくことになる。これは、 富裕階級や一部のエリー卜に有利な方向に働くので、同民族内でも教育 格差が一層広がる懸念がある。筆者の2003年8月における就学前教育に 関する現地調査でも、訪問した私立幼稚園はいずれも「英語・マレー話・ アラビア語jか『英語・マレ一語・中国語」の三言語主義教育であり、 英語教育はもちろん理数科教育の強調も目をみはるものがあった(tヘ また、董教総の最大の反対理由は、中国語の授業の時間数が現行の週 15時間から来年から12時間に減らされてしまったことに対する不満であ った。「小学生がその学習の初期段階で言語それ自体よりも2つの技術的 科目にもっと多くの時間を費やすのは非合理的であるJ(20)という琉教総 の基本的な方針は f英語力の向上には賛成だが、英語での授業を取り入 れることには反対Jという主張である。実際、 2002年度の UPSRの結果 をみると、中国語初等学校は他の初等学校より好成績を修めていること

(16)

マレー γγにおける教 fíι~Jll改依田d'I!凶 教iLiJIiとしての火;hの碍人をめぐって もあり(衣3)、これが理数科目の英語媒体授業導入に反対する強い棋拠 にもなっている.このような現状を、母語媒体と英語媒体の混合授業方 式に変えた結果、来たして理数系の学力のさらなるl向上となるのか、そ れと も低 FIこ黙がってしまうのか、 今後とも注視して行く必~がある。 韮3 2002年度UPSR獄験の結果 教科 r)J."t(ivlllte川川k) ~I!f十 (Sains) 川仙1 八 Il C 合十品中 八 Il C 合l品中 マ レ 川 午 校 2'1.2 26.7 31.1 82.0 16.9 33.9 2~).9 80,7 中国紛学校 52.7 3.2 16.7 92.6 23.9 40.7 21.3 85.9 タミJレ品作九'校 15.9 29.7 35.5 81.1 8.0 28.7 37.9 74.6 : -'Iinist円orEducation.I>lalaysin. November 6.2002 ( 3 )教師問の格差助長の問題 既述したように、この施策を進めるためにマレーシア教

r

f

r

i

は教由1;に 対する報奨イI'1)fiを催案した。!f.f話・数学・理科科目の教自

;

1

t

c

本 給

l

5%

上乗せ、{也の科目の教向;1でも英語の能力を上げれば給与J(')}JII匂が認めら れるといった催.iill

H

I

Jrであるが、これはどの科目を教えられるかという

r

fl'r~~可能科1:1Jによって給与を使.iillする拙位であり、結よ1

!

l

I(Jにエリー ト 催i也、央官!?で教えられない教附の立欲の低│ごや教自lilllJの対宜を捌き、学校 現場、教以養成、研修怜にも混乱を生じさせる危険性がある。 (4 )マレ一語の存在意義 国地位低下 プミプトラ政策以降 「国JR=7レ-:/7JltJとしての地位を保証され ていたはずの7 レー訴であったが、今回の決定によるその地位および存 在:iJ:義の空洞化 低下は拝めなb、。理数科目が科学仮興 ・産業榊造転換 には絶対必要であるから、それらを『科学のJi":新 ~VJ向に直接触れること ができるようにするために『英語』で学ぶべきである」という発忽は、 マハティーノレljij一尚相内ら「マレ一語ではそれが十分にIiHJをなし、Jすなわ ち、 これまでも

t

H

来なかったし、おそらく これからも無血lだろう、とい -61ー

(17)

x

教大学 I j"Jltと 文 化 措 16号 うことを認めてしまったのと同義であるといえる。これは中・長期的に 見た場合、「ブミプトラ政策Jの意味自体を考え直すことになりかねない 大きな問題を内包している。 (6 )エリート優遇主義の助長 マレーシアは長い間英語を第2言語に使用してきたため、英語に対す る翻訳文化が脆弱であるといわれる。とりわけ学術分野ではその傾向は 強く、英語の論文や学術書等はそのまま発行されることも多い。加えて、 1990年代後半から私立大学が続々と開学したが、国際的なビジネス展開 が可能な人材育成や多くの留学生の受け入れを目論み、英語で授業を行 っている大学が一気に増えてきた現状もある。無論、日常生活の中で英 語が使われることが日本のような国々と比較して多いこともあるだろう が、今回の決定によって、ますます学術書はマレ一語に翻訳されなくな り、それは、結果的に国民の教育の裾野が広がらないことにも繋がる。 マレーシアの場合は英語使用頻度が高い都市部よりも、相対的にマレ一 系が多く居住する地方に住む児童・生徒あるいは成人の問では、実際に は英語に接する機会が都市部より少なく、実は英語が苦手という者も少 なくない。したがって今回の改革は、中・長期的なヴィジョンで考えた 場合、国民の英語リテラシーの全体的な底上げという目的の達成よりも、 逆に英語で学術書等を正しく読める者だけが将来的にも優遇され、教育 における地域格差・民族内格差を一層広げるだけのエリート優遇主義に 陥る危険性が高いものであるといえよう。 6. まとめにかえて一日本の「イマージョン教育jへの示唆ー 本稿では、マレーシアにおける初等・中等学校1年生への英語媒体に よる理数科目授業導入について、同国における独立以来の言語政策を振 り返りつつ、今回の改革のもたらす影響およびその課題について分析し

(18)

マレーシアにおける教育J訴改革の課題 一教 -(ì~iJtfとしての英語の導入をめく'って一 てきた。最後に、こうしたマレーシアの教育動向から日本の教育に対し て得られる示唆について付け加えておきたい。 『構造改革特別区j構想、や「国際化jへの対応といった教育施策により、 近年日本でも英語媒体による「イマージョン教育jを行う小・中・高一 貫教育校が構想されたり、各地の小学校でも「総合的な学習の時間」を 中心に会話中心での英語教育の推進が進められたりしている。中でも、 「イマージョン教育」を進めようとする学校が公立・私立問わず次々と日 本各地で名乗りをあげてきているのは規制緩和の動きと相候って注目に 値する動向である。 初等学校(あるいは幼稚園)から英語教育を行えば誰もがパイリンガ ル並に英語を扱えるようになる、等といった幻想に近いことを望まず、 単に「英語に慣れ親しむJという視点からであれば、「国際理解教育jの 一環として、初等学校での英語教育も導入・推進して行くことは可能で あろう。 しかし、「イマージョン教育Jの導入を考えた場合、マレーシアの今抱 えつつある問題は、まさしく日本がこれから直面する問題であることを 認識しておくべきであろう。 本稿でも述べてきたように、児童期の母語以外での教育は、そのメリ ット以上に両言語とも不完全になるリスクが伴うし、教師の確保の問題、 子どもの学力がその方式で本当に伸びるのか、もし一般校と比較して学 力に大きな差が出た場合どのようにそれを補償していくのかといった問 題が数多くある。今回マレーシアで起こった英語教育に関する改革と、 そこに表出してきた諸課題を「他山の石J と見ずに、むしろ日本の「合 わせ鏡J として、今一度日本の言語教育政策のあり方を考えて行くため の端緒となる貴重な事例と考えて行く必要があると恩われる。 -63ー

(19)

文 教 大 学 言 語 と え - 化 第 16日 -注) ( 1 )一般に「中国系Jという場合大陸からの移民(華僑)世代を指し、 「華人系Jは定住した現地生まれの者を指すが、マレーシアでは現 在でも「中国系Jという用語が使われている。また、両国で教え られている中国語は北京語 (Mandarin) であり、シンガポールでは 他の中国方言を含まないという意味からこれを f華語Jと呼ぶが、 マレーシアでは現在も「中国語J と呼んでいるため、本稿では便 宜的に「中国人J

r

中国語Jで統一している。

( 2) Report of the Committee on Malay Education (Barnes Report), Federation ofMalaya: 1951, pp.20-39. ( 3) ChInese SchooJs and the Education of Chinese Malayans (Fenn-Wu Repor),tKuala Lumpur: Government Printer, 1951, p.6, pp.33-39. (4) Strait刀初es,Januarγ6, 1994 ( 5)

r

マレーシアにおける情報教育の理念と展開

-

w

スマート・スクー ノレ』構想を中心としてー」、『比較・国際教育』第7号、筑波大学比 較・国際教育学研究室、 1999年、 64-65頁。 ( 6)

r

スマート・スクール構想jの詳細に関しては手嶋前掲論文(5)を参 照されたい。 ( 7) Utusan Malaysia, May 4, 2002 ( 8) Ibid., July 20, 2002 ( 9) Ibid., October 15, 2002 (10) Ibid., November 1, 2002 (11)New Strait Times, November 14, 2002 (12) Ibid., November 13, 2002 (13) Ibid.(.万~September 20, 2002 (14)必id.(J1), January 1, 2003

(20)

マレーシアにおける教育J語改革の課姐 一教育言説としての英語の導入をめく'ってー (15) Ibid., July 14, 2003 (16)~日馬プレス~ (t¥!ichima Press News.com) 2001年 6月 11日付。 http://www.nichimapress.com/news4/news20010611.html (17) IAE (国際教育到達度評価学会)による第 3回国際数学・理科教育 調査(第2段 階 :1999年実施)の結果を見ると、フィリピンは39 ヶ国中数学・理科いずれも37位と低位であった。ここでは1995年 の調査に続けてシンガポールが数学 1位・理科2位、日本は数学 5位・理科4位、マレーシアは数学16位・理科22位である。 参照HP: http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/12/12/001244a.pdf (18)なお、主にマレ一系が行く国民初等学校とタミル語学校は理数科目 を「英語のみJで教えるため、授業時間数の変更がほとんど無い。 (19)マレーシアの就学前教育の実態に関しては 2002・2003年度文部科 学省科学研究費補助金・基盤研究(C)(I)(課題番号14510321)~タイ・ マレーシア・シンガポールにおける就学前教育の実態に関する実 証的比較研究一民族性・国民性の育成と国際化への対応を中心と して-~ (研究代表者:池田充裕)の調査結果の一環として、 2004 年 3月に刊行予定の最終報告書で詳細に述べる予定である。なお、 本調査の概要は以下の山梨県立女子短期大学幼児教育学科のホー ムページにて閲覧可能である。 http://www.yamanashi-ken.ac.jp/... youkyou/ (20)~星洲日報~ November 3, 2002

(21)

-65-第 16~・ 言語と文化 文教大学 年 帥 ② 年 齢 ①

=

す・ 年 < 添 付 資 料 > マレーシアの公教育制度図 24 23 理 / 経 済 / 教 育 / 文 学 部 大 学 予 備 課 程 22 21 デ{プロマ・コース 高 等 教 育 段 階 25 24 6 5 限 23 22 4 3 学 附 / 法 学 部 20 19 21 20 2 1 部 18 19 17 普 通 科 ( 文 科 ・ 理 科 ) 16 18 17

V

I

V (Form VI) 上 級

r

l

'

等 学 校 → 15 14 16 15 W -・ ・ 且 I I 下 級 中 等 学 校 (※これより上の段階は全線稗.マレ一括) 中 等 教 育 段 階 13 }t1 H 12 q d l 6 11 12 11 R マ レ 一 語 移 行 学 級 初 等 教 育 段 階 10 10 5 ( 国 民 学 校 ) ( 国 民 型 学 校 ) (国民型学校) 9 9 4 8 8 3 7 7 2 マ レ 一 語 学 校 中 国 語 学 校 タミル語学校 6 幼 稚 園 ( 就 学 前 教 育 ) 6 1 5

4 *備考:年齢①…移行学級に行く場合。/年齢②…移行学級に行かない場合。 (Ministry of Education Malaysia, Education Structure and School System, 2001 を参考に下嶋が作成) 4

参照

関連したドキュメント

日本語教育に携わる中で、日本語学習者(以下、学習者)から「 A と B

高等教育機関の日本語教育に関しては、まず、その代表となる「ドイツ語圏大学日本語 教育研究会( Japanisch an Hochschulen :以下 JaH ) 」 2 を紹介する。

以上のような点から,〈読む〉 ことは今後も日本におけるドイツ語教育の目  

 日本語教育現場における音声教育が困難な原因は、いつ、何を、どのように指

 さて,日本語として定着しつつある「ポスト真実」の原語は,英語の 'post- truth' である。この語が英語で市民権を得ることになったのは,2016年

かであろう。まさに UMIZ の活動がそれを担ってい るのである(幼児保育教育の “UMIZ for KIDS” による 3

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

に本格的に始まります。そして一つの転機に なるのが 1989 年の天安門事件、ベルリンの