アフリカのいまを生きる牧畜民 (特集 TICAD VI の
機会にアフリカ開発を考える)
著者
阪本 拓人
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
253
ページ
6-9
発行年
2016-10
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00002849
特 集
TICAD VI の機会に
アフリカ開発を考える
アフリカ大陸の約四割は、 乾燥 ・ 半 乾 燥 地( Arid and Semi-Arid Lands : A S A L s ) と 呼 ば れ る 広大な土地が占めている。降水量 が少なく(半乾燥地で年降水量が 八〇〇ミリ未満・乾燥地で三〇〇 ミ リ 未 満 )、 そ の 変 動 も 著 し い こ れらの場所では、一般に降雨に依 存した天水農耕が、困難ないし不 可能である。そのためASALs で生きる人々は、古くからこうし た気候・生態環境に高度に適応し た生業様式を発達させてきた。そ の ひ と つ が、 移 動 牧 畜( mobile pastoralism ) で あ る。 東 ア フ リ カのソマリ・トゥルカナ・マサイ、 西アフリカのトゥアレグ・フルベ など、アフリカのASALsには、 実に多様な牧畜民集団が見出せる。 家畜と共に動き、家畜と共に生 きてきたこれらの人々が、アフリ カ の 開 発 の 文 脈 に お い て、 今 日、 どのような問題に直面し、これに どのように対応しようとしている のか。本稿では、東アフリカでの 筆者の見聞も交えつつ、こうした 点について概観しておきたい。●
移
動
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き
方
アフリカの移動牧畜については、 人類学者や生態学者らによる膨大 な研究蓄積がある(参考文献①) 。 ここではその一般的な特徴につい て簡単に述べておく。 移動牧畜とは、時間的・空間的 な変化が著しいASALsの資源 (植生や水など) を家畜と共に 「追 尾 」( track ) し 利 用 す る 生 業 の あ り方である。一般にASALsの 植物資源の空間的分布とその時間 的変化は、降雨などその時々の気 象 条 件 に 大 き く 規 定 さ れ る た め、 不確実性がきわめて高い。ある時 ある場所にあった牧草地が次の瞬 間にもそこにある保証はないので ある。移動牧畜民は、この不確実 性を、移動による広域な空間のカ バーで克服しようとしている。そ して、追尾され家畜によって食ま れた植物資源は、最終的には家畜 が供するミルクや肉、血へと変換 され、人間が直接摂食できる食料 になるわけである。 さ て、 一 言 で 移 動 と い っ て も、 牧畜民は様々な時間的・空間的ス ケ ー ル で 動 い て い る。 た と え ば、 大半の牧畜民は、毎日、牧童・牧 夫を家畜の群に同伴させて、集落 や家畜キャンプと、水場や牧草地 との間を往復させる、日帰り放牧 ( daily herding ) と い う 活 動 を 行 っている。これは基本的に日単位 で 繰 り 返 さ れ る、 距 離 に す る と 高々十数キロメートルの移動であ る。 だが、移動牧畜という時に重要阪
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牧畜民
なのは、多様な生態環境を広域に 利用するため、こうした日帰り放 牧の起点となる家畜のキャンプや、 さらには集落そのものも、移動の 対 象 と な り う る 点 で あ る。 通 常、 家畜キャンプでは、主に未婚の男 性が牧童・牧夫として多数の家畜 と共に滞在し、頻繁に移動を繰り 返す。これに対し、集落では、年 長者や女性、子どもが少数の家畜 と半定住的な生活を送っているが、 こちらも資源分布の推移等によっ て移動することがある。こうした キャンプや集落の移動については、 その頻度も大きさも、場所により 集団により、大きなばらつきがあ る。たとえば、東アフリカのマサ イのように定住化が進む集団、あ るいは相対的に湿潤な場所で生き る集団の場合、家畜キャンプの年 間の総移動距離が、一〇キロ未満 ということが珍しくない。他方で、 著しく乾燥した環境では、たとえ ば西アフリカのトゥアレグのよう に、時に年間数千キロも移動する ような集団を見出せる。このよう に移動の具体的な様態は多様だが、 移動牧畜民が、不安定な環境変化 のリスクを吸収できるだけの範囲 の 空 間 を 必 要 と し て い る こ と は、 開発との関連で最低限押さえておくべきことである。 と こ ろ で、 移 動 牧 畜 で 生 き る 人々は、アフリカにどれだけいる のであろうか。正確なことは分か っていない。そもそも牧畜民全体 の数に関する推計がばらばらであ る。たとえば、後で取り上げるア フリカ連合 (AU) の政策文書 (参 考文献②)では、北アフリカも含 むアフリカ全体で、牧畜民は二億 六 八 〇 〇 万 人 い る と さ れ て い る。 アフリカの人口の四分の一を超え る、非常に大きな数である。他方、 国連食糧農業機関(FAO)の報 告書などでは、五〇〇〇万人とい う数字をよく目にする。人口の推 計 に こ れ だ け の 開 き が あ る の は、 ひとつには誰を牧畜民とみなすか という定義の違いもあるが、より 根本的には、各国の辺境で移動性 の高い生活を送る牧畜民に対して、 センサスを含め、包括的で信頼度 の高いデータ収集が十分に行われ て こ な か っ た と い う 事 情 が あ る (参考文献③) 。それはまた、多く のアフリカ諸国で進んできた牧畜 民の周辺化を象徴的に映し出した 状況といってもよい。
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変
わ
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⑴
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利
用
の
制
限
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ア フ リ カ の 移 動 牧 畜 は、 今 日 様 々 な 面 で 変 容 の さ な か に あ る。 筆者は筋金入りの牧畜民研究者で はないが、こうした変容を示す事 例には触れてきた。以下、筆者の 見聞きしたことを中心に、移動牧 畜が直面している問題を、簡単に まとめておきたい。 まず、効率的な資源アクセスの 前提となる広域的空間利用が困難 になっている。今日、ASALs の土地利用の主体は、牧畜民に限 られない。大陸レベルで進行する 人口増加を背景に、農耕地は乾燥 地にまで拡大しているし、観光収 入をもたらす野生動物保護区の設 定も盛んである。そして、このよ うな土地利用の競合は、水場に近 いなど、資源供給が相対的に安定 した場所で起こりがちである。こ う し た 場 所 は、 牧 畜 民 に と っ て、 乾季の牧草地や旱魃時のリザーブ として、家畜の生存上非常に重要 な場所であることが多いので、そ こへのアクセスの喪失がもたらす 影響はひときわ大きい。 この点で、近年問題になってい るのが、農地開発や資源開発を目 的にした、大規模な土地取得であ る。たとえば、筆者が訪れたエチ オピア南西部の牧畜民ダサネッチ の居住域では、過去一〇年ほどの 間に、オモ川沿いの好適地を中心 に、エチオピア内外の資本による 広大な農地の取得が進行してきた。 詳細については、同地の専門家が 書いているものを参照するとよい が( 参 考 文 献 ④ )、 居 住 者 や 放 牧 者に対する補償を伴わない立ち退 きなど、 そこでは 「土地収奪」 ( land grabbing ) と い う 描 写 が そ の ま ま 当てはまるような状況が展開して きたのである。 こ う し た 強 引 な 土 地 の 取 得 は、 し ば し ば 当 該 の 土 地 が「 無 主 地 」 であるかのように進められている が、 そ れ は 必 ず し も 正 し く な い。 特に乾季や旱魃時に放牧地として 牧 畜 民 が 利 用 す る よ う な 土 地 は、 共同体の共有地として、利用に関 わる慣習的な権利とルールが設定 されているのが普通である。国家 レベルの土地制度のなかでこうし た慣習的な制度が十分に認知され ないまま、あるいは制度を支える 共同体そのものが弱体化していく なかで、一方的な土地の収奪が止 めどなく進んでいるのである。 牧畜民の土地利用に関する、認 知の欠如や制度の弱体化がもたら すのは、何も外部者による土地の 取得に限定されない。地元の農耕 民、あるいは牧畜民自身による土 地 の「 囲 い 込 み 」( enclosure ) も、 同じ文脈で起きていることである。 たとえば、筆者が最近訪れたケニ ア北西部の牧畜民ポコットの居住 域 で は、 「 シ ャ ン バ 」( shamba ) と呼ばれる、木の柵で囲われた土 地区画が多数観察された。およそ 一〜数ヘクタールほどのこれらの 区画では、現地の牧畜民の家族が 穀物や豆類の栽培を試みたり、家 畜 に 草 を 食 ま せ た り し て い た が、 このような私有化された土地利用 形態はここ五年ほどで顕著にみら れるようになったという。個々の 区画所有者が得る便益は別にして、 囲 い 込 み の 進 行 は、 全 体 と し て、 移動牧畜が依拠する柔軟で広域的 な土地と資源の利用を阻害する要 因となりうるものである。●
変
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牧
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⑵
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定
住
化
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多
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化
―
動き回れる土地が少なくなって いることと並行して、牧畜民自身 の 定 住 化 の 傾 向 も 高 ま っ て い る。 今日、家族全体が居所ごと移動を 繰り返すことは、いかに移動性が 高い牧畜民集団であっても、目にするのは稀である。頻繁に動くの は、むしろ家畜の群れであり、家 族の住居ではなく家畜のキャンプ が、少数の牧童・牧夫とともに移 動する方が圧倒的に多い。残りの 家族は、近隣の町に居を構えたり、 そこに近い場所に集落を置いたり して生計を営み、そう簡単には動 かないのが普通である。 町には、家畜商人や近隣の農耕 民との取引の機会があり、教育や 医療のサービスもある。また、近 年では、ASALsの不安定な食 糧事情を反映して、町には国際社 会からの食糧援助が半ば恒常的に 流れ込んでくる。筆者が訪れたダ サネッチやポコットの町でもそう であった。さらにダサネッチの事 例では、近隣で外国資本による原 油探索のための大規模な掘削事業 が行われており、これに関わる道 路敷設などの事業も急ピッチで進 められていた。そのため、外部か らの人の流入で、町自体が急激に 膨張していた。 町は、牧畜民たちに、モノやサ ービスの入手の機会だけではなく、 生業そのものの多様化の機会も与 える。近隣の大規模農場や原油掘 削事業での一時的な雇用から始ま り、バイクを使った観光案内や小 規模な運送業への従事、多様な生 活 雑 貨 を 扱 っ た 商 店 の 営 業 な ど、 筆者が知るごく限られた範囲でも、 牧 畜 民 や そ の 出 自 の 者 た ち は、 様 々 に 生 計 の 手 段 を 求 め て い た。 先述したシャンバでの農耕の試み なども、同じ流れに位置付けるこ とができるであろう。 生業の幅が広がると重要になる のが、教育である。移動牧畜民の 場合、教育は独特の問題をはらん でいる。学校教育で通常想定され る形態、すなわち所定の場所にあ る学校に所定の時間生徒が集まっ て授業を受ける教育の方式が、移 動性の高い生活とそぐわないから である。ケニアなどではラジオ等 を 活 用 し た 遠 距 離 学 習( distance learning ) の 導 入 が 検 討 さ れ て い るが、まだ実験段階にすぎない。 様々な調査や研究が示すように (参考文献⑤) 、子どもの教育への 牧畜民の関心は一般に高い。その ため、牧畜民たちは、しばしば少 なからぬ犠牲を払いながら、生業 と教育の困難な両立を図っている。 たとえば、筆者が世話になったポ コットの家族では、その時々の牧 童・牧夫の過不足に応じて、子ど もを学校に通わせたり通わせなか ったりしていた。また、他のいく つかの家族では、子どもを学校に 通わせている期間、家畜の群れの 規模をあえて抑制することで、必 要な働き手の数を抑えようとして いた。小規模な群れなら、遠くの キャンプを転々とさせずに、近場 の水場や牧草地で維持することが できるし、 日帰り放牧の際の牧童 ・ 牧 夫 の 数 も 少 な く て 済 む。 実 際、 全く人間の同伴なく放牧がなされ ている事例すらみられたのである。 このように、移動牧畜は、環境 と担い手自身のあり方という両面 から、総じて移動性を減じる方向 に変化しているようにみえる。だ が、家畜と共に動き家畜と共に生 きる生業へのこだわりが、牧畜民 の側で失われてしまったわけでは ない。たとえば、今述べたポコッ トの家族の事例でも、家畜の群れ の規模の抑制は、子どもたちが学 校に通っている間の一時的な措置 として語られていた。いずれは手 持ちのヤギやヒツジ、そしてウシ を増やして、一家に恵みをもたら す大きな群れを築き上げることが、 依然として多くの牧畜民の夢であ り続けているのである。
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マ
ク
ロ
に
み
る
と
…
移動牧畜の変容は、各所で個別 的、散発的に生じているというよ りは、アフリカの大陸レベルで広 範に進行している構造的なもので ある。このことを理解するために、 牧畜を取り巻くマクロな状況を簡 単に振り返っておきたい。 まず、植民地期以来、アフリカ では、世界の他の地域と同様、領 域的な統治原理に基づく国家建設 が試みられてきた。中央政府の排 他的な統治が及ぶ領域を画す国境 線が引かれ、さらにそのなかでは、 しばしば民族的な区分に基づく国 内行政領域が設定された。こうし て様々に画定された領域の内部で の統治の実効性には、国家間でば らつきがあったが、ASALsの 生態環境の変化に応じた移動牧畜 民の柔軟な動きが、このような政 治秩序の成立によって、多かれ少 なかれ制約を受けることになった のは間違いないだろう。 また、植民地期、独立期を通じ て、アフリカ諸国が進めてきた政 策も、総じて移動牧畜と背反する 論理を内包していた。その典型は 農村開発であり、定住化を前提と した集約的な農耕に傾斜した政策 が、体制の違いを問わずに推進さ れた。ASALsの牧畜民に対す る各国の政策介入も、少なくとも一九八〇年代までは、その延長線 上で進められ、定住化や集団ラン チなど、移動を制限して家畜生産 の集約化を図る政策が、国際援助 機 関 の 後 押 し の も と 追 求 さ れ た。 これらの政策は、家畜の頭数調整 ( destocking ) な ど と と も に、 変 動著しい環境に対する牧畜民の対 応から柔軟性を奪う内容を持って おり、実際、家畜生産の推進策と しては、大半が失敗に終わってい る。 このように、特に植民地化以降、 アフリカの牧畜民は、統治の原理 という点でも、開発の指向性とい う点でも、相容れるところが少な い、異質な世界と向かい合ってき たといえる。そして、こうした状 況は、今日まであまり変わってい ない。アフリカ諸国は領域統治の 確立と強化に余念がないし、農村 開発では、穀物等の増産が依然そ の基軸であり、そのために広大な 農地が求められ続けている。上で 例示した移動牧畜の様々な変容は、 移動性を顧慮しない現代世界の統 治や開発の枠組みに牧畜民が圧迫 され、適応を強いられるなかで起 きているのである。