イラン都市部の住宅事情と喫茶店 (特集 世界の住
まい・今)
著者
鈴木 均
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
191
ページ
28-29
発行年
2011-08
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004180
●テヘランのライフスタイル
イランとりわけテヘランの住宅 の構造は、どこか隠れ家的なとこ ろがある。テヘランで知人宅に呼 ばれ、 目立たない階段を上がり (ま たは地下に降りて)外観とは打っ て 変 わ っ て 広 い ス ペ ー ス の 客 間 ( ペ ル シ ャ 語 は サ ー ロ ン ) に 通 さ れると、そこは外界とは全く切り 離された別世界であると実感させ られる。 各家庭において客間はイランの 住宅空間のなかではいつでも外界 と家のなかのプライベートスペー スのクッションの役目を果たす重 要な要素である。これは戦後の日 本(特に東京など大都市)の客間 のスペースを可能な限り切り詰め た住宅設計とは全く異なった思想 であるように思われる。 ど の 国 の 住 宅 で も そ う で あ る が、その家の住人と家族であるか 親戚であるか、または知人である かなどの関係によって、訪問者が 入っていくことの可能な領域には 限度がある。よりプライベートな 空 間 に 入 っ て い け る と い う こ と は、それだけ親しい関係と認めら れたことに等しい訳である。 そしてイランでは日本のように 部屋のなかに家具などを数多く置 くことはない。多くの場合、日本 では考えられないほど空間を広く 贅沢に取っており、共通してみら れる調度としては出窓のように窪 ませた壁の一隅に父親など家族の 写 真 を 飾 っ て い る こ と 位 で あ る。 実際イランで知人宅を訪問する度 に、彼らが日本と比較してほぼ一 様に空間的に極めて贅沢な(何も ない)スペースを享受しているこ とを羨ましく感じるのは私だけで はないだろう。 だが特に招かれて寝室などの奥 のスペースに入ってみると、そこ は 案 外 狭 く 質 素 な 部 屋 に 過 ぎ ず、 単に寝るためや着替えるため、あ るいは荷物を置くための空間であ る 場 合 も 多 い。 他 に キ ッ チ ン や シ ャ ワ ー ル ー ム( ハ ン マ ー ム )、 トイレなどが配置されている。 例 え ば 警 察 な ど の 公 的 な 権 力 が、イラン人の家庭のなかの最も プライベートな空間にまで立ち入 るということは、余程のことがな い限りは考えられない。イランの 大都市部では家の外部の道路や商 店街、公園などにおける喧騒と混 乱、交通の渋滞などが著しいだけ に、家の中の安全の確保というも のは最も重要な社会的規範のひと つとして考えられていると言って よい。 イランの家族は日常的に客間に 集まって、談笑しまたテレビを観 る。イランにおける親戚などの行 き来は現在でも日本と比較になら ないほど頻繁である。このためイ ランにおいて客間のない住宅設計 はほとんど考えられず、いきおい 喫茶店など日本において客間の代 用になるような店舗はテヘランな どの大都会においてこれまでほと んど見られなかったのである。●喫茶店ブームとその背景
だが今回六月に短期間テヘラン を訪れてみて、市内の中心部に驚 く ほ ど 沢 山 の 喫 茶 店( コ ー ヒ ー ショップ)が出来ているのに驚か された。私自身は喫茶店を学生時 代から愛好してきた者であり、ま た暑く乾燥した夏のテヘランに以 前滞在していた頃は喫茶店のよう な店舗が市内に皆無であることを 嘆いていたので、この変化は大い に有り難い。 だ が同 時 に 、 私 は な ぜ 今 こ の 時 代 に テ ヘ ラ ンな ど で 喫 茶 店 の 開 設 テヘランのカフェ入口。鈴
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都市部
の
住宅事情
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アジ研ワールド・トレンドNo.191 (2011. 8)が 一 種 の ブ ー ム の よ う に な っ てい る の か に 興 味 が ある 。 恐 ら く 大 学 生 な ど の 若 年 層 が 全国 か ら 集 ま る テ ヘ ラ ン のよ う な 大 都 市 部 に お い て 、 彼 ら は 大 学 の 寮 や ア パ ー ト な ど に 住 む こ と を 余 儀 な く さ れ て い る の で あ ろ う 。 イ ラ ン の 大 学 制 度 は 以 前か ら 全 国 的 な 共 通 試 験 制 度 を 採 用 し て おり 、 大 学 生 時 代に 自 ら の希 望と 成 績に 応 じ て 他 所 の都 会 に 住 む こ と は 一 般 的 に み ら れ る 。 そのような場合、可能な限り都 市 部 に 居 住 す る 親 戚 や 同 郷 者 を 頼って仮住まいを始めることがイ ランでは普通であるが、そうでな い場合は狭いアパートなどを捜し て新生活を始めることも少なくな いと思われる。 以前ならば彼らの友人らと集う 場 所 は 大 学 の キ ャ ン パ ス や 公 園、 知人宅などに限られていた。だが 二〇〇九年の大統領選挙以来、政 府と一般市民のあいだの緊張関係 が常態化している昨今では、こう した会合ですら当局からややもす れば睨まれるおそれがあるに違い ない。テヘランの市民が普通に生 活していくなかで、こうした無用 な摩擦を避けつつ家のなかの安全 を擬似的に実現するためには、喫 茶店(カフェ)のような空間は少 し高額であってもまことに都合の よい存在なのであろう。 筆者が今回最初にみつけたこう したカフェの一軒は、テヘラン中 心 部 の 目 抜 き 通 り か ら 辻( ク ー チェ)をちょっと入った場所の民 家を改装した店舗であった。看板 だけの目立たない入口を入ってみ ると、テヘランの大きな寒暖を和 らげるために半地下になったフロ ア を 使 用 し て お り、 壁 に は カ ル ティエ・ブレッソンのパリの写真 やチャップリンの肖像が飾られて ちょっと無国籍風な雰囲気を醸し 出していた。 だが現在のテヘランなど大都市 におけるこうしたカフェの形態は 欧米文化の流入ではなく、むしろ イランの地方都市から持ち込まれ たものなのではないかとも想像さ れる。実際私が一〇余年にわたっ て調査している人口数万人規模の 地方農村都市(ルースター・シャ フル)においては一般的に住宅事 情が非常に切迫しているところが 多く、これらのなかには公園に併 設する形で人々がお茶 (チャーイ) や水パイプを楽しむことのできる 喫茶店的な存在が運営されている ようなケースも目にしてきたから である。 ここまで考えてきて、私はテヘ ラ ン に お け る 現 在 の 喫 茶 店( カ フェ)のブームが案外古い都市文 化の伝統を根に持っているのでは ないかと思い至った。イランでは 一〇〇年ほど前の立憲革命の時代 に首都テヘランや北西部の主要都 市タブリーズが運動の中心になっ たが、この時市民のコミュニケー ションの手段として重要な役割を 担 っ て い た の が ガ フ ヴ ェ ハ ー ネ ( 字 義 的 に は コ ー ヒ ー・ ハ ウ ス だ が お 茶 や 水 パ イ プ を 供 し て い た ) のような存在であった。