BHV
選挙区分割の憲法的問題点
−ベルギーにおける言語的少数者保護の一側面−
武
居
一
正
Ⅰ.はじめに Ⅱ.2002年の選挙制度改革 Ⅲ.選挙制度改革の憲法的問題点 Ⅳ.問題解決に向けた政界の取り組み V.おわりにⅠ.はじめに
Bruxelles-Hal-Vilvorde(ブリュッセル・アル・ヴィルヴォルド、以下BHV)選挙区の分割問 題は、2005年1月から5月にかけてベルギー政界を揺るがした大問題に発展し、連立政権が崩 壊しかねない状況になってしまった。言語的少数者保護、ここでは特に参政権をめぐってのオ ランダ語系とフランス語系の人々の対立、にその原因があったのである。 筆者は、かねてから、ベルギーにおいてオランダ語を話す人々から成る共同体とフランス語 を話す人々から成るそれとの「共同体的対立」の原因の1つである、いわゆる「言語対立」は、 「地域的一言語主義」の採用と「言語境界の画定」により、独立後生じた主要な問題には一応 の解決が与えられて解消され、今日では、言語問題は言語的少数者保護措置が生んだ「新たな 問題」=ブリュッセル、ブリュッセル周辺および言語境界沿いのコミューンでの「便宜措置」 をめぐる問題および言語的少数者の政治的代表の問題、に収斂ないし変容したと指摘してきた ところ1)、正にこの指摘通りの枠組みで問題が発生した。 そこで、本稿は、BHV選挙区分割問題の原因、展開、解決の試みに焦点を当て、言語的少数 者保護問題の現状を分析したい。 《前提的考察》 1993年の第6次憲法改正2)は、ブラバン州の分割を行い、分割は95年1月1日から発効した。 ブラバン・ワロン州とブラバン・フラマン州が誕生したのである(憲法5条)3)。この分割と 同時に、ブラバン・フラマン州のフランス語系住民の個人的および政治的権利を保護するため の特別措置が取られることになった。その1つがBHVという二言語選挙区の維持だったのであ る。これにより、ブラバン・フラマン州の一部地域に居住する選挙人に対しブリュッセルに提出されたフランス語系の名簿に投票することが認められた。多くのフラマン人にとって、これ は地域的一言語主義に反するものと受け取られた。こうして全国を5つのフラマン州と5つの ワロン州に新しく分割したところ、結果として、ブリュッセル首都二言語地域の領域は、州に は統合されない、1つの例外的領域とされたのである4)。 旧ブラバン州の廃止とブラバン・フラマン州とブラバン・ワロン州の平行した設立は、細か な修正を別にすれば、選挙に関する改革を伴わなかったので、下院議員選挙について、旧ブラ バン州の選挙区がそのまま維持されることになった。すなわち、 Nivelles(ニーヴェル)選挙区、これは旧ブラバン州の南半分、新ブラバン・ワロン州に相 当する。ここは言語境界の南側に位置し、フランス語地域にあり、専らフランス語系の人々が 居住している。 Louvain(ルーヴァン)選挙区、これは旧ブラバン州の北半分である新ブラバン・フラマン 州の東半分に相当する。ここは言語境界の北側に位置し、オランダ語地域にあり、専らオラン ダ語系の人々が居住している。 B H V選挙区、これは新ブラバン・フラマン州の西半分に相当し、ブリュッセル行政区とア ル・ヴィルヴォルド行政区から成る。 ここも言語境界の北側に位置し、オランダ語地域にあるが、フランス語およびオランダ語の 二言語の使用が認められている「ブリュッセル首都二言語地域の19コミューン(ブリュッセル 行政区)」とブリュッセルを取り囲む「アル・ヴィルボルド地域の6つのカントン5)(アル・ ヴィルボルド行政区)」から成っている。つまり、この選挙区は2つの異なる言語地域、オラ ンダ語地域と二言語地域、にまたがっているという他にはない特徴がある。更に言えば、同じ 地域圏にも、同じ州にも属していない構成要素から成っているのである6)。 ブリュッセルは二言語地域であるが、実際にはフランス語系住民が圧倒的多数で、オランダ 語系住民はわずか10数%でしかなく、彼らが言語的少数者である。そして、このブリュッセル を取り囲むオランダ語地域にある6つのコミューン(「周辺地区périphérie bruxelloise」と呼ば れる)にはフランス語系住民が居住し、彼らが言語的少数者であり7)、彼らには、1963年の言 語境界の画定以来、オランダ語使用を義務づけられているコミューン当局との間でフランス語 を用いることができる「便宜措置facilités」8)が認められている。 2002年の選挙制度改革は、これらの選挙区について何の変更も加えなかったのである。つま り、ブラバン・フラマン州でのフランス語系住民の保護が更に続けて維持されることになった ので、これにフラマン人が反発して、「共同体問題」が生じたのである。
Ⅱ.2002年の選挙制度改革
1.選挙制度改革の背景および経緯 99年6月13日の総選挙後、58年以来初めてキリスト教社会党が下野し、自由党、社会党、環 境政党から成る連立政権(VLD-PRL-PS-SP-Ecolo-Agalev)が成立した。同年7月14日の政府宣言において、フェルホフスタット首相は、「市民の民主主義」に1章を充て、市民が政治に対 して一層の影響力を持つように政治的決定のプロセスの中心に市民を再び位置付けることを目 指す路線を定めた。政府は国会に対し「政治刷新委員会」を設け、選挙制度の近代化や選挙区 の規模、全ての社会集団の政治参加の強化などの問題について取り組むことを求めた。この作 業の結果提出された報告書9)は、BHV選挙区問題にはほとんど触れていなかった。 これに平行して政府は2000年5月から独自にこの問題に取り組み、首相は2001年10月9日の 「連邦政策宣言」において、「政治刷新」という項目を立てて、来る2年の間に市民に権力を付 与するために一連の制度改革を行う意図を表明した。その中に、国民投票制の導入や州の規模 への選挙区の拡大(州選挙区の採用)、5%の最低得票率の導入、上院廃止による一院制への 変更を挙げていた。 2002年4月26日に連立政党は、政治制度の更なる改革に関して合意し、「政治刷新:実施」10) を公表した。その目的は、市民の参加を顕著に強化することおよび国の制度を連邦構造に最終 的に適応させることであった。後者の目的実現のための主要な改革は、「国会改革」であり、上 院および下院のそれぞれの役割の明確化を目指すものである1 1 )。ただし、憲法改正を必要とす るので、実際の改革の試みは早くても次の総選挙後(2003年6月)にしか行われえなかった1 2 )。 前者の目的実現ためのそれは、「選挙制度改革」であり、憲法改正を必要としないので、次回 選挙までに行われることになった。 「現在の選挙制度には欠陥がある。…政界の甚だしい細分化、選挙協力apparentement制度13) によって議席の予測できず、しばしば偶然の割当て…を惹き起こしている」との現状分析の下 に、「一貫性を保証し、同時に選挙協力および議席配分に関する現行制度の予測できないこと および不正な性格にけりを付ける意図で、州選挙区を全国に設ける」こと、「選挙協力の廃止 によりおよび政界の更なる細分化をも回避する目的で、選挙区毎に5%の最低得票率の導入が 行われる」ことが決定された14)。 選挙区の改革、つまり選挙区を州の区域に合致させる「州選挙区」を設ける場合に、BHV選 挙区をどうするのかをめぐって、合意に至るまでに長時間の交渉を必要とした。それまではブ ラバン・フラマン州(オランダ語地域)のフランス語系住民がフランス語系候補者に投票でき るように選挙区の区域が設けられていたからである。厄介な「共同体問題」すなわち言語的少 数者保護の問題があったからである。ブリュッセルの周囲のオランダ語地域に居住するフラン ス語系少数者とブリュッセルに居住するオランダ語系少数者を如何にバランス良く保護する か、換言すれば、法案成立に必要な過半数を確保するために連立各党を如何に満足させるか、 が問題であったのである。 これまで20あった選挙区数を11に減らすことにしたので、議員は、より広い区域のより多く の住民の代表たりうる点で、理論的には一層の「民主的正統性」を持ちうると言えるが(これ は、オランダ語系の社会党〔SP〕と自由党〔VLD〕の古くからの要求であり、このこと自体に フランス語系政党の反対はなかった)、他方で、選挙人にとって彼らの代表たる議員が身近に いないという不都合も生じることになった(野党・フランス語系キリスト教社会党〔PSC〕の
反応)。ベルギーには10州しかないのに、11選挙区にすることにしたのは、BHV選挙区を維持 するという“例外的な”妥協的解決策が見出されたからである。 その内容とは、ブリュッセルのオランダ語系住民(フラマン人)は、ブリュッセルとアル・ ヴィルヴォルドとルーヴァンを同時に、つまりブラバン・フラマン州全てをカバーするオラン ダ語系選挙名簿に投票できる。そして、ブリュッセルの周囲のフランス語系住民(ワロン人) は、ブリュッセルとアル・ヴィルヴォルドをカバーするフランス語系名簿からその代表を選出 することができる。彼らはブラバン・ワロン州、つまりニーヴェル選挙区の候補者に投票する ことはできないが、(他の選挙区では廃止されることになった)選挙協力の形でBHVとニーヴ ェルこれら二つの選挙区のフランス語系名簿の間の関係を回復することになった(ブリュッセ ルとワロニーとの象徴的関係の維持を必須と考えるFDF〔フランス語系民主戦線・ブリュッセ ルの共同体政党〕をも満足させた)。こうして、言語的少数者保護という例外的状況に、この ように複雑な例外的解決策で対応することになったのである15)。 このように政治状況を踏まえて成立した政府内部の合意は、02年5月14日に与党議員が提出 した法案16)の基礎となった。この法案は、下院内務委員会で2つの法案に分割された上で、下 院では9月25日に、回付された上院では11月7日に、それぞれ可決され、次いで12月13日に審 署され、2つの法律17)は2003年1月10日付の官報に登載された。 2.新選挙法の特徴 4点の特徴を挙げることができる。 1)下院選挙区の区域の変更:州選挙区の設置 下院選挙区は、州の領域(区域)と一致することになった。ところが、「ブラバン・フラマ ン州」が例外とされた。 《前提的考察》で述べたように、旧ブラバン州では、従来の3つの選挙区が維持されること になったからである。ブラバン州分割により誕生した南半分の「ブラバン・ワロン州」は、こ れまでのように1つの選挙区であり、従来ニーヴェル選挙区と呼ばれていた区域は、今後は新 しい名前「ブラバン・ワロン選挙区」と呼ばれることになった。北半分の「ブラバン・フラマ ン州」は、2つの選挙区、つまり「ルーヴァン選挙区」と「BHV選挙区」、に分割されたので、 州選挙区制度の唯一の例外となった。 この選挙区の規模拡大に関連して、「選挙協力」の制度が廃止された。ここでも、BHVとブ ラバン・ワロン州間について例外が設けられた。 2)矛盾する2つの論理に基づく改正:BHV選挙区の維持およびアル・ヴィルヴォルドとル ーヴァン選挙区の間の「州的関係」の保護 BHV選挙区の維持は、少数者の保護措置と理解されるものであり、2つの言語地域に拡がる この選挙区は、周辺のフランス語系の人々に彼らの言葉を喋る候補者に投票することおよびブ リュッセルでフラマン人(オランダ語系少数者)の一定の代表を確保することを可能にすると いう二重の利点がある。
また、BHVには、言語的結びつきの観点から2つの異なる仕組みが共存することになった。 BHVのフランス語系名簿については、変更がなく現状維持である。すなわち、選挙人は選挙 区の候補者にしか投票できないが、ブラバン・ワロン州との選挙協力は存続された1 8 )。他では 選挙結果が予測できないとされて、廃止されたのにも拘わらずにである。 BHVのオランダ語系名簿については、ブラバン・フラマン州との間に「橋」が架けられた。 形式的には2つの選挙区が維持されているが、ルーヴァンとの「準融合」19)とでも呼ぶべき選 択がなされた。すなわち、2つの選挙区のオランダ語系候補者は共通の名簿に登載され、2つ の選挙区の選挙人はこれらの候補者を選ぶことができるのである。候補者は他の選挙区よりも 拡大された有権者の恩恵に浴し、オランダ語系名簿に投票するルーヴァンとBHVの選挙人はそ れぞれの選挙区に立候補していない候補者に投票することができるのである20)。 3)5%の最低得票率の導入 選挙区で議席の配分に与るためには有効投票の5%を獲得しなければならない。下院選挙に 関してBHVでの5%の最低得票率の導入と共に、二言語のこの選挙区に固有の規定が定められ た。すなわち、フランス語系名簿については、この最低得票率は全名簿のために選挙区でなさ れた有効投票の総計に対し適用される。ルーヴァン選挙区に登録された名簿と共通であるオラ ンダ語系名簿については、最低得票率はBHV選挙区とルーヴァン選挙区でこの名簿のためにな された有効投票の総計に対して適用される21)。 この定めは、ブリュッセルで少数者のオランダ語系の名簿とアル・ヴィルボルドでは特に少 数者であるフランス語系の名簿に、有効投票の総計に適用することで、容易に5%の最低得票 に達することが出来るように配慮したものである。 4)上・下両院に同時立候補可能であること 「2002年12月13日法発効後最初の連邦議会選挙」について、下院候補者が居住地の選挙区の 候補者名簿に登載されるなら、上院にも同時に立候補できるのである2 2 )。例外的規定ではあっ ても、「選挙区への居住条件」は、憲法64条2項、ベルギー国内への居住以外に「他のいかな る被選挙資格も必要ではない」との規定、に違反するおそれがある23)。
Ⅲ.選挙制度改革の憲法的問題点
1.コンセイユ・デタ立法部の意見 コンセイユ・デタ立法部は、我が国の法制局に相当し、法律、デクレ、オルドナンスの草案 などについて、法的観点から理由を付した意見を述べる任務を有するが(合憲性に関する事前 統制)、その意見は意見を求めた機関を拘束しないので、これに従う義務がないのである2 4 )。 今回の選挙制度改革ではコンセイユ・デタの意見を国会は採り入れることがなかったので、立 法作業中にどのような点についてどのような指摘をしたかについて概観するにとどめる25)。 1)BHV選挙区での言語的宣言について 118条2項は、暗黙の内に、この選挙区にオランダ語系およびフランス語系の2つの選挙人団を設けることを予定している。候補者は、立候補届でオランダ語系なのかそれともフランス 語系なのかを証明しなくてはならない。これは、被選挙資格に1つの条件を加えるものであり、 憲法64条1項に定められた条件以外の被選挙資格を必要としないとする同条2項を無視するも のである(pp.4-5)。 2)上・下両院の同時立候補について 経過規定(118条8項、1゜)により、改正法発効後最初の選挙では上・下両院に同時立候 補可能であることにつき、下院選挙に関して居住地の選挙区での立候補を課していることは、 ベルギー国内への居住を条件とする憲法64条に違反する(p.6)。 3)選挙区間の議席譲渡について 168条の2と結びつけて読まれる場合の118条1項ないし3項の規定は、フランス語系または オランダ語系の候補者への選挙人の選択が、ある選挙区の議席を他のそれに譲渡することにな りうる点で、議席は人口比例で配分されるとする憲法63条と矛盾する(p.6)。 4)BHV選挙区のフランス語系名簿およびBHVならびにルーヴァン選挙区のオランダ語系名 簿の間の不平等な取り扱いについて オランダ語系名簿はBHVおよびルーヴァン選挙区で共通であるのに、フランス語系名簿は BHV選挙区ためにのみに用意される。このことの結果として、BHVの選挙人は、オランダ語系 名簿に投票する者のみがルーヴァン選挙区に立候補した候補者に投票できるので、不平等に取 り扱われている。同様にBHVの候補者は、オランダ語系名簿の候補者のみがBHVとルーヴァン の選挙人の票を獲得できるのに、フランス語系名簿の候補者はBHVの選挙人の票しか獲得する ことができないので、不平等に取り扱われている。従って、立法者は、憲法10条および11条に 照らし、取り扱いの相違を正当化すべきである(p.6)。 5)BHVとブラバン・ワロン(ニーヴェル)選挙区のフランス語系名簿間の選挙協力について これらの選挙区と選挙協力が廃止されたその他の選挙区の間の取り扱いの相違は、更なる正 当化がなされなくてはならない。つまり、132条1項は、同じ州に属さない選挙区間の選挙協 力を排除しているのに、同条2項は、選挙協力は、同じ州には属さない、BHVとブラバン・ワ ロン選挙区の名簿の間でしか行われえないと定めており、両項の間に矛盾があるからである (p.7)26)。 6)最低得票率について 最低得票率を導入する165条の2は、議席の配分が比例代表制に基づき行われるとする憲法 62条および68条に合致するものかどうか問題がある。加えて、より小さな政党の代表を完全ま たはほぼ完全に除外する効果を持つから、比例代表制を変質させるのではないか(p.7)。 以上のようなコンセイユ・デタ立法部の指摘は、それぞれ成る程と思わせるものがあり、そ れだけにこれに従わず法改正を強行しようとする政府の反論にも熱が入っていた。意見には法 的拘束力がないので、コンセイユ・デタにはこれ以上の手段がなかったが、これほど重大な疑 問の指摘があれば、当然ながら野党からの仲裁院への提訴を免れるはずもなかった。選挙制度 改正の合憲性の問題は舞台を変え、今度は憲法裁判官の審査を受けることとなった。
2.仲裁院の審査 今回の法改正に関する判決の検討の前に、ブラバン州を分割した1993年当時の仲裁院の判断 を先ず見ておこう。 1)93年制度改革(第6次憲法改正)時のBHV選挙区維持について 当時の政府は、ベルギーの連邦構造に結び付く、この選挙区のための特別の解決を実現する という考えによってこの非分割を正当化した。この特別の解決とは、特別の地位を持つフラン ス語系少数者が存在するブリュッセル周辺の便宜措置を認められた6つのコミューンの存在に 関わるものであり、BHV選挙区の非分割は、そのような現状維持のためであった27)。 国の連邦構造を完成させることを目指す1993年7月16日特別法および普通法(M.B. du 20 juillet 1993)に対する部分取消の訴えを提起された、仲裁院は、当時以下のように考察するこ とで、BHV選挙区非分割のために政府が示した説明を承認した。すなわち、「下院および欧州 議会選挙のためのBHV選挙区の維持は、ベルギー国内の異なる共同体および地域圏の利益の間 の不可欠の均衡が追求されている枠内で、グローバルな妥協を求める考えにより強いられる選 択から生じるものである。この目的は、BHV選挙区の選挙人および候補者と他の選挙区の選挙 人および候補者の間で提訴された規定によりなされた区別を正当化しうるものである。と言う のは、取られた措置が過度のものとは合理的には見なされえないからである。…(B.5.8.)」 同院は、その他に、「ニーヴェルとルーヴァン郡がBHVと共に1つの選挙区にまとめられな かった事情は、…行政に関する言語使用について特別の制度を付与された周辺コミューン…が アル・ヴィルボルド郡に全て位置しているという事実により正当化されうる。(B.5.10)」と述 べ、「憲法10条および11条違反をいう提訴理由には、根拠がない(B.5.11)」と判断した28)。 2)選挙制度改革に関する2002年12月13日の2つの法に対する「執行停止の訴え」29)について 野党4党(C D & V 〔オランダ語系キリスト教社会党〕、N - V A 〔オランダ語系地域政党〕、 Vlaams Blok〔オランダ語系極右政党〕、Vivant〔諸派〕)は、2003年1月に、旧ブラバン州での 投票の組織方法、上・下両院への同時立候補、最低得票率の導入などを理由に、選挙制度改革 法の全部または一部の執行停止を求めて仲裁院に提訴した。 仲裁院は、2003年2月26日の判決30)で、先ず「訴えの利益」につき、 「執行停止の訴えは、取消の訴えに付随するものであるから、訴えの受理可能性、特に取消 の訴えをなすために求められる利益の存在は、執行停止の請求の審査の段階で取り組まれなけ ればならない。(B.4.2.) 選挙権は代表民主制の基本的な政治的権利である。全ての選挙人または全ての候補者は、そ の投票または立候補に不利に影響しうる規定の取消を請求することができる。(B.4.3.)」と述 べた。 仲裁院によれば、選挙権は、代表民主制の基礎となる基本的な政治的権利であるから、訴え の利益の認定については「一種の推定」31)をすることを許すのである。 つぎに、執行停止請求の条件となる「回復の困難な重大な損害」につき、 「憲法違反の根拠に基づいて行われる選挙から生じる損害は、選び選ばれるという、代表民
主制の存在自体に不可欠な、権利の本質に対する損害が問題であるから、必然的に重大である。 (B.6.3.)」として、民主主義の存在そのものに必須の選挙権に関する実質的な侵害に関しては 厳格な統制を予測させたのである。 さて、仲裁院は、判決で、申し立てられた14の理由のうち、1つの理由を執行停止するに十 分に「重大な」ものと判断し、2つの理由を重大なものとは認めなかった。また、仲裁院が重 大な理由の存在を確認した規定とそれに「密接に結び付いた(indissolublement lié)」と認めた 規定については、理由の重大性については判断せずに、執行停止をした。 ①BHVとルーヴァン選挙区での選挙の組織について 「…この観点(BHVとルーヴァン選挙区に共通のオランダ語系名簿を正当化する政府の立場 〔Doc.parl., Chambre, no.50 1806/8, p.173.〕)は、あたかもBHVとルーヴァンがオランダ語系候補 者の間で議席を配分するために1つの選挙区を構成するかのよう考えるものである。このこと は、しかしながら、異なる2つの選挙区を設けるという、立法者自身によってなされた、決定 と両立しない。(B.10.3.) BHVおよびルーヴァン選挙区において選出される候補者数は、これらの選挙区それぞれの人 口数に拠らないという事実からして、王国の選挙区の2つの選挙人および候補者は憲法63条に より与えられた保障を、差別的な仕方で、奪われている。(B10.4.)」 この判示部分において、平等原則への依拠は、形式的ないし軽微であり3 2 )、仲裁院の理由中 ではもはや言及されもしない。つまり、憲法63条違反は事実上差別になるということである。 仲裁院は、こうして、憲法63条の尊重を「直接的に」統制していると思われる。ここでも同院 が、憲法尊重を保障するためには立法者の賛同(法改正)を待たずに、積極的に判断を下して いることが確認されるのである33)。 この判断は、前述のコンセイユ・デタによる違憲の指摘3)と同一である。その背景には、 BHVでの互いに矛盾する2つの論理:選挙区の地域性と選挙人団の人的側面のそれ、つまりは BHV選挙区の維持と分割のそれ、を調整しようとした選挙制度改革に対する本質的な批判があ ると思われる。 ②選挙協力について BHVとブラバン・ワロンのフランス語系名簿間の選挙協力を定める「この規定は、重大な理 由の存在が本院により確認された規定と密接に結び付いている。(B.15)」と述べ、この理由の 重大さについては審査せずに、執行停止の対象とした。 ③最低得票率について 「訴えられた規定は、異議を申し立てられている取り扱いの相違を設けている限りで、BHV、 ルーヴァンおよびニーヴェル選挙区のための特別の制度と密接に結び付いている。従って、同 様に、「結果として(par voie de conséquence)」停止されなければならない。(B.23.2.)
ここで注意しなければならないのは、仲裁院が念頭に置いているのは、最低得票率の計算方
法であって、最低得票率そのものではないということである34)。
院により理由の重大性が確認され、これに関する規定とそれに密接に結び付いていると判断さ れた規定:選挙協力と最低得票率、が執行停止されたのである。 最後に、仲裁院は執行停止の効果について述べた。 「停止の効果は、この期間中、取消のそれと同一である。立法者の介入の場合を除いて、ブ ラバン・フラマンおよびブラバン・ワロン州、ブリュッセル首都行政区では、次回下院選挙は、 問題の法律によって改正される前に適用可能であった規定に基づいて行われるしかないという ことになる。…(B.24.)」 このように述べることによって、初めて、仲裁院は、停止効について精確を期すことにした。 そして、選挙制度改革は、次回選挙につき、これら3つの選挙区については、「以前の状態」 に戻ったのである。 2003年5月18日の選挙は、旧ブラバン州では、旧立法に基づいて行われた。すなわち、具体 的には、ルーヴァン、BHV、ニーヴェルの3選挙区の維持、BHVとルーヴァン間およびBHVと ニーヴェル間の選挙協力維持、最低得票率非適用である。 3)選挙制度改革二法の取消の訴えについて 仲裁院は、本案について判断するために与えられた3箇月の期間の丁度満了日に、2003年5 月26日判決35)で、それまで執行停止していた法律の規定を取り消した。つまり、それまで仮の ものであったものが最終的なものになったのである。 判決の主な特徴および内容は以下の通りである。 ①BHVとルーヴァンのために考えられた仕組みは執行停止と同じ理由で取消された。すなわ ち、(憲法10条および11条〔平等・無差別原則〕と結びつけられた形で)憲法63条に照らして 違憲との理由によってである。「重大な理由」はこうして「根拠がある」とされたのである36)。 ②訴えられた規定だけでなく、訴えられていなかった2つの条文37)も、結果として、取り消 された3 8 )。仲裁院は、請求以上(ultra petita)に判断を下すことを自らに容認したのである。 選挙制度改革が「体系的なもの」であっただけに、「密接な関係」の論理が訴えの論理に優越 したのである。 ③BHVとブラバン・ワロン間の選挙協力が取消された。実は、その執行停止は、BHVとルー ヴァン間のための制度の執行停止と「密接な関係がある」ことによりなされたものであったか ら、これだけを取り上げてみたときに、理由の重大性により取り消されるかどうかについては 微妙だったのである。 「選挙協力一般についても、BHVとブラバン・ワロン選挙区のためのその維持の根拠につい ても判断しなくても、(選挙のために提出される名簿間の取り扱いの相違が正当化されず、取 り消されねばならないから)この維持は根拠を欠いている。…(B.13.3.)」 こうして仲裁院は、取消が密接な関係の単なる派生的効果ではなく、BHVでのフランス語系 名簿とオランダ語系名簿の取り扱いの相違の「根拠がないこと」に因るものと明らかにしたの である。 ④「それが追求する目的および選挙区の規模拡大ならびに基準のわずかな高さを考慮に入れ
れば、(最低得票率の導入は、)比例代表制の過度の制限とは見なされえない。(B.19.8.)」 ここでは、重大でない理由39)は根拠がないものとされた。 ⑤この取消判決で興味深いのは、BHV選挙区の維持に関する部分である。 「判決no.90/94によって、仲裁院はBHV選挙区の存在は違憲ではないと認めた。立法者はこ の選挙区の維持を根拠付けるために…この判決に専ら依拠することができたのである。…しか しながら、この維持が1994年に憲法10条および11条と両立すると判断されえたのは、これらの 同じ規定が当時この維持を要求するものではなかったし、同様にそれらは現在もそれを要求し ていないことに着目すべきである。(B.9.2.)」 確かに立法者は仲裁院判決no.90/94に依拠して物事を考えようとしたのだが、仲裁院はこの 判決の射程範囲をこのように限定しようとしたのである。すなわち、BHV選挙区の維持を命じ る憲法上の要請は決して存在していなかったのである40)。 「…検討した解決策の中から、立法者は、現状のそれを退け、問題にされている選挙区の維 持を認めたのである。それはこの選挙区とルーヴァンのそれにおける共通のオランダ語系名簿 の登録を予定していたからこそであった。この解決策を予定した規定が…取り消されなければ ならないのは、BHV選挙区の維持は2002年12月13日以前には存在していなかった取り扱いの相 違を設けることになるからである。(B.9.3.)」 94年判決の背景とは異なり、2002年12月13日法は選挙区を州に一致させた。それで、「BHV 選挙区を維持するならば、立法者はブラバン・フラマン州の候補者をその他の州の候補者とは 異なって取り扱うことになる。というのは、一方でBHVに立候補する者はこの州以外で立候補 する候補者と争うことになり、他方でルーヴァン選挙区に立候補する候補者はBHV選挙区に立 候補する者と同様に扱われないからである。(B.9.5.)」 つまり、差別はBHVの候補者に対してもルーヴァンのそれに対しても確認されるのである。 仲裁院にとっては、行われた選挙制度改革からすれば、州選挙区に立候補するという候補者の 一種の権利のようなものが認められるであろう。ここでは、選挙区間の平等を測る物差しとし て「州」という単位が考えられていることになる41)。 「しかしながら、その措置(BHV選挙区の維持)は、ベルギー国内での異なる共同体および 地域圏の利益の間の不可欠の均衡のグローバルな探究という、判決no.90/94で既に確認された 配慮から生じたものである。この均衡の条件は変化しないわけではない。しかし、本院は、こ れまで立法者の同意を取り付けてきた状態を今後終わらせなくてはならないと判断するときに は、自らの評価を立法者のそれの代わりに用いることになろう。それは、本院が立法者が共同 体的平和を維持するために対処しなくてはならない問題の全部に熟練していないとしてもであ る。(B.9.6.)」 かつてはBHV選挙区の維持は共同体的平和を保つためであったが、この均衡の条件は本質的 には状況に応じて変化するものである。この変化を確認し、対応するのは本来立法者の役割な のである。仲裁院にとっては、差別となるBHV選挙区の維持は「今後は」正当化されえないか ら、立法者が何らの対策も取らないなどの例外的な場合には、仲裁院が何らかの判断を示す場
合もありうるとの考えを明らかにしたのである。政治的妥協にばかり気を取られて、状況の変 化を的確に把握した上で適切な対応をなしえていない立法者に対する苛立ちの表明(一種の警 告)でもあるといえよう。それ故、仲裁院は、次のように続けたのである。 「下院選挙のために州選挙区を維持する場合には、旧ブラバン州の新しい構成は、この旧州 のオランダ語系の人々とフランス語系の人々の正当な利益を保障するために他の選挙区のため に役立つそれとは異なりうる特別の形態を伴うことができる。この形態を定めるべきは立法者 であり、仲裁院ではない。(B.9.7.) これらの理由により、訴えられた法律により行われた選挙区の区分は、選挙法典105条によ り定められた時から起算して憲法6 5 条に定められた4年間の間維持されることが承認されう る。(B.9.8.)」 選挙制度改革二法は一部執行停止になり、差し迫った選挙までに立法者が改正を行わなかっ たので、その部分については旧規定を適用して、2003年5月18日総選挙は実施された。新たな 国会が構成されたばかりの時に、仲裁院が取り消し判決を下したのである。この選挙に対する 取消の遡及効を考慮して、仲裁院は取り消された規定の効力を維持することにしたのである4 2 )。 従って、5月18日選挙は有効なものとされた。 この新たに成立した国会に対し、仲裁院は、旧ブラバン州に居住する「オランダ語系の人々 とフランス語系の人々の正当な利益を保障するため」に「特別の形態」を有する選挙区の区割 りを考えるよう求めたのである。同院は、この「特別の形態」の意味について何らの詳しい指 示もしなかった。勿論、それを考え、見出すのは立法者の役割だからである。そのための猶予 期間は任期と同じ4年間であり、この間に新たな妥協による新たな「均衡」が導き出されない 場合には、現状は2007年6月から「違憲」となるのである。 こうして、仲裁院は現実的な「将来効判決」を下したのである。 ⑥この取消判決のもう1つの特徴は、上・下両院への同時立候補の可能性について、仲裁院 が、執行停止の歴史の中で初めて、「重大でない」と判断された理由を「根拠のある」ものと して取消を行い、判断の変更を行ったことである。 執行停止時には、選挙人はその投票の及ぼす効果につき十分判断できるものと見なされたが43)、 取消時にはこの判断は変更され、自らのなす投票の意味について判断能力の乏しい選挙人が想 定された。加えて、「二重立候補の恩恵に浴することのできる候補者を合理的な根拠なしに有 利に扱っている。」(B.16.3.)と指摘した。短期間での急激な判断変更にはただ驚くばかりであ る。本来、君子豹変は良いことではあるが…。
Ⅳ.問題解決に向けた政界の取り組み
ここでは、BHV分割問題についての政治の動きを時系列に従ってたどることで、政治的解決 のための動きを分析したい。《前提的確認》 2003年5月18日総選挙後に成立したフェルホフスタット第2次内閣(VLD-MR-PS-SP.a-Spirit) は、全102頁にもわたるその「政府合意」4 4 )において、共同体問題についてはたった1頁にも 満たない量しか扱っていなかった。連立政権は、150議席中の97議席を占めてはいたが、憲法 改正に必要な3分の2を擁していなかったし、そもそも共同体問題解決が最優先課題ではなか ったのである。政府合意の中で、「連邦国の強化」という項目は、「最高の質の行政」のタイト ルの下の5項目の1つに過ぎず、そこではBHVの分割には一言も触れられていなかった。 そして、この総選挙直後の5月23日に、仲裁院によって選挙制度改革二法の「取消判決」が 下された(Ⅲ2参照)。 実を言えば、BHV分割は、元をたどれば1963年の言語境界の画定および国土の4つの言語地 域への分割にまで遡る、40年来の古くからのフラマンの要求である。それが2002年12月13日選 挙制度改革二法によって、下院選挙区を州に一致させることになった時に、既に触れたように 問題は新たな様相を示すことになったのである(Ⅱ1参照)。 さて、今回のBHV選挙区分割問題は、2004年4月に発生し、以下のような経過をたどった。 4月8日(木)オランダ語系市長欧州議会選挙ボイコット表明 同年6月13日に、欧州議会選挙および地域議会選挙(共同体および地域圏議会選挙)が予定 されていたところ、アル・ヴィルボルドの市長会(合計34の内25市長)が、BHV選挙区がそれ までに分割されない限り、欧州議会選挙に関する事務をボイコットすると発表した45)。 これらの市長の中にはCVPの元首相であり、現欧州議会議員であるDehaeneもいた。急進的 なフラマン人やフラマン政治家にとって、地域の言語的純粋性のための戦いの最前線であるア ル・ヴィルボルド地区でのこうした動きは象徴的なものであったし、何よりも前年の仲裁院の 判決を口実(彼らは、自らの願望に合わせて、仲裁院が分割を求めていると判決を解釈した) に攻勢をかけるチャンスでもあった。 5月9日(日)BHV分割を要求するフラマン人のデモ行進 分割を要求するおよそ12,000名のフラマン人のデモがアルで行われた46)。 フラマン政府内務大臣によれば、ただ分割した場合には、ブリュッセルとブラバン・フラマ ン間のオランダ語系政党の選挙協力がないと、ブリュッセルのオランダ語系政党は下院で1議 席失うとの予測があり、De Standaard紙によれば4議席がフランス語系政党に行くとのことで あった47)。 6月13日(日)欧州議会選挙および地域議会選挙行われる。 地域議会選挙の結果フランドルで問題が生じた。議席を減らした環境政党Agalev(現在の名 称はGroen!)が、下野することを決めたからである(得票率7.60%〔−3.85%〕、議席6 〔−6〕)。因みに、野党のキリスト教社会党CD&V-N-VAは得票率26.09%(+3.98%)、議 席35(+5)、極右のVlaams Belangは得票率24,15%(+8.36%)、議席32(+10)、与党の 自由党VLD-Vivantは得票率19.79%(−1.91%)、議席27(−2)、社会党SP.a-Spiritは得票
率19.66%(+4.89%)、議席25(+6)であった。VLDとSP.aの首脳部は激怒した。特に VLDはCD&Vを更に5年間野党にとどめておこうと考えていたのに、極右と組むことなどあり えないから、CD&Vと組まざるをえなくなったからである。CD&Vと組む代償の1つが、BHV の早急な分割をフラマン政府の綱領に組み入れることだったのである48)。 7月22日(木)フラマン政府成立。 連立政権の綱領に、共同体問題に関わる側面を含み、フランス語系の人々に懸念を持たせる ことに。特に、社会保障、家族手当、国鉄の地域圏の権限化、および一層の税務自治、雇用に 関する自治、何より即時のBHVの分割を要求していたのである49)。 9月中 首相の連邦政策宣言準備 連邦政策宣言により、制度改革が政府の政策目標に加えられるとの観測がなされる。また10 月半ばに開催予定の「制度フォーラム」の準備も言及されていた。 フラマン側は即時の分割を強く要求し、フランス語系政党は、今回は何の要求者でもないと の原則的立場から制度改革には反対ではあるものの、いつまでも全てについてnonと言い続け ることには困難があり、受入可能な他の提案、すなわち代償のそれ、も合わせてするなら、対 話に応じることもあるとの姿勢を見せ始めていた。交渉は長く、対立は激しくなると見られて いた5 0 )。将来の戦略のために、フランス語系政党の党首は会合を持ち、BHV分割は問題外と確 認し、今後結束して対応することに決した。また、既に首相がどんな見返りを提案するかの憶 測もなされていた。首相はフラマン側の一方的なイニシアティブを避け、ブリュッセルに関す る言語立法の緩和など妥協案を提出するつもりであろうとされた51)。 10月4日(月)フラマン政府代表大臣(Ministre-Président)Yves Letermeの脅し 連邦政府が予算の作成にかこつけて、BHV問題に真剣に取り組まないなら、CD&Vは国会招 集後直ちにBHV分割法案を下院内務委員会に提出し、フラマン政府合意に参加したVLDとSP.a に圧力をかけると言明した。しかし、フラマン政党間には今後の戦略や分割法案提出の時期に ついて意見の相違があった52)。 もし分割法案が下院内務委員会で審議強行されることになれば、同委員会の多数派はオラン ダ語系議員が占め、しかも過半数の賛成により議事進行できるので、可決されるのは明らかで ある。そうなるとフランス語系議員に唯一できることは「警鐘手続(憲法54条)」に訴えるこ とである。言語グループの議員の4分の3により投票された動議は、議事手続を停止する効果 を持ち、この動議は連邦政府に付託される。政府はこの対立を解決するのに30日しか持たない のである。例外的且つ最終の手続であり、政局を混乱させずにはおかない効果を持つ。事ここ に至ると、言語共同体が真正面から対立しているので、政府にとっても対応策の限られた危険 な状態に追いつめられることになる。解散総選挙は、地域選挙の結果を見ても極右を利するだ けで、誰の益にもならないことだけははっきりしていた。このようなシナリオだけは何として も避けなければならなかった。 10月11日(月)フラマン政府与党BHV分割法案に署名 CD&Vは年末までの可決を求めたが、VLDはフランス語系の人々との協議で解決策が見出さ
れるべきと述べて政党間に温度差があることが明らかになった。いずれにしても、与党三党は 首相の政策宣言を待たなかったのである53)。 10月12日(火)首相による連邦政策宣言 夏のヴァカンス明けの施政方針演説で、仲裁院判決により提起されたBHV選挙区問題への解 決策を見出すための努力をする約束した。それは連邦政府の合意実施のための取り組みではな かったが、この間の政治状況からして共同体問題への調停をすべきとの判断をしたものと思わ れる。首相は、連邦国を機能させるために共同体間の責任ある対話の必要性を強調し、BHVに ついてある共同体がその意思を他に押し付けるのは間違いと述べ、二つの共同体のコンセンサ スを得るべきとの見解を示した54)。 また、連立のための政府合意で設置が予定されていた「制度フォーラム」が初めて10月19日 に開催されることが発表された。 10月19日(火)第1回制度フォーラム開会 このフォーラムが扱うのは、上院改革、権限の地域圏化、ブリュッセル首都への建設的自律 付与、連邦議会と地域議会選挙の同日選挙化である。BHV分割問題は、柔軟な構成に基づき、 開かれた形で問題に取り組むために「関係大臣会議Conférence interministérielle」で扱うこと に決定され、この会議は11月9日に開かれることになった55)。 下院に提案されたBHV分割に関する提案は、通常ならば内務委員会で審議されるのだが、同 委員会はオランダ語系議員が多数であるために、共同体問題に関する議論の理想的な場ではな いと判断されたのである。この関係大臣会議が、仲裁院判決への回答を探究する場とされたの である。 12月13日(月)コンセイユ・デタ、ブリュッセル周辺コミューンのフランス語系の人々に認 められた便宜措置を厳格に解釈するPeetersとMartensの通達に対する取消の訴えを棄却。 2005年1月14日(金)フランス語系政党が、共同体問題には結束して、「唯一の同じ声」で 語ることを決定。初めて、フランス語系の権利が拡大されるという条件で制度問題交渉に望む 用意があることを明らかにし、その上ブリュッセルの境界の拡大を要求するとした56)。 要求には要求を、こうして競り上がっていくのである。 1月17日(月)第1回関係閣僚会議開催および作業グループ設置 この会議は言語的均衡を考慮した17名(連邦政府代表4名、フラマン政府代表5名、ブリュ ッセル政府代表3名、フランス共同体政府代表2名、ワロン地域圏政府代表2名、ドイツ語系 共同体政府代表1名)から成り、2人の副首相兼制度改革担当大臣Didier Reynders(MR5 7 ))
とJohan Vande Lanotte(SP.a)によって主宰される。対立が激しいために絶望的な妥協案の探 究となるので、先ずもって議論のために整地する任務を持つ「作業グループ」の設置が決定さ れた。この作業グループは、言語的に均衡した12名の委員(フランス語系はPS 2、MR 2、 CDH 1、Ecolo 1、オランダ語系はVLD 2、SP.a 1、Spirit 1、CD&V 1、N-VA 1)から成る。制度 改革担当大臣が下院内務委員会に作業グループ設置を報告することに。
から下院内務委員会で審議開始を決定した58)。 1月19日(水)下院内務委員会審議1週間延期 そもそもBHV問題を制度フォーラム外で扱うことになったのは、フラマン側からすれば、そ の分割はそのまま無条件に受け入れられるべきものであって、交渉の結果の代償または見返り との物々交換の対象になりえないものだったからである。それで関係閣僚会議が設けられたの である。ここでの作業により解決策が見出されるはずであり、共同体的対立も鎮静することが 期待されたが、そのようにはならなかった。 フランス語系政党、特にPS(社会党)、はフラマン側が審議を強行すれば、席を立ち審議に 加わらないことを公言していた。フランス語系政党にとって作業グループは内務委員会の審議 に先立つものであり、結論が出るまで内務委員会は審議を見合わせるべきである。フラマン語 系政党にとって、作業グループは国会の審議を妨げてはならないものである。このように作業 グループの位置付けが違い、どこでどのように議論を進めるかの対立が簡単には解けなかった。 妥協を見出すことができなかったので、ひとまず1週間延期されたのである。CD&Vはグルー プの作業がフラマン政府合意に反して進むなら参加しないと釘を刺すのを忘れなかった59)。 1月20日(木)─25日(火)袋小路 作業グループの作業結果を待つのかそれとも平行して下院内務委員会の審議を行うのかにつ いて対立したまま、全くの袋小路に入ってしまった。双方ともに要求を繰り返すばかりであっ た。フラマンは代償なしのBHVの即時分割を要求し、フランス語系はブリュッセルの境界の拡 大が代償とされなければ受け入れられないとの立場を崩さなかった。 BHV分割問題は、共同体的対立の象徴であり、フラマン語系は無条件で分割を実現すること をフランス語系は反対し続けることをその根本とし、何らかの妥協によるコンセンサスの成立 は、互いにとって象徴的な敗北となるものであった。 連邦では野党で、フラマン政府では与党のCD&Vは、下院での審議を早急に開始するよう強硬 に主張し、フラマン与党に対し圧力をかけていた。連邦政府としては名案もないのでとにかく 時間稼ぎをしたかった。それで作業グループの発足や作業日程などを余裕を持たせた形で決め ようとしていた。問題は、時間をかけて議論することにCD&Vが我慢できるかどうかであった60)。 1月26日(水)作業グループで議論することに決定。 連邦政府は翌週水曜日から作業グループで議論を進めることに決定し、下院内務委員会の審 議は中断されることになった。同グループは毎週水曜日に会合を持ち、最初は妥協の可能性を 探るための意見聴取をし、次の段階で更に踏み込んだ局面に入るという方針が示された。 この決定にフラマン側の足並みが乱れた。分割を要求する点では同じだが、その方法をめぐ って明らかな対立があった。結局フラマン与党のVLDおよびSP.a、フランス語系政党によって 決められたことを我慢ならないとして、CD&VおよびN-VAが作業グループには参加しないこと を決めた6 1 )。彼らは裏切られた思いであった。と言うのは、フラマン政府の綱領では代償なし のBHV即時分割が約束されていたから、VLDおよびSP.aが下院内務委員会の審議を一次的に凍 結することに賛成した行為は、綱領違反だったからである62)。
2月2日(水)第1回作業グループ会合 今後の作業方法として、2人の制度改革担当大臣が同グループの全ての代表と個別に面会し て、メモを作成し、2月23日の下院内務委員会に報告することになった。 2月23日(水)下院内務委員会:進展なし 最初の報告がなされたが、何の進展もなかった。互いの立場は対立し、妥協の糸口さえ見出 せないままであった。更に妥協の可能性を探らなければならなかった。たとえ、それが失敗を 避けまたは遅らせるためであったとしても…。 そこで、憲法および選挙法の専門家を招きその意見を聞くことが提案された。今回の分割要 求の原因となった仲裁院の判決について鑑定意見を聞くためである。判決の意味するところを 正しく認識してこそ議論が深まるからである。提案は採決にかけられ、CD&VとVlaams Belang の反対のみで可決された。フラマン側は既に分断されていた63)。 4月11日(月)復活祭休暇後の仕事始め 夏のヴァカンスまでに片付けなければならないことの1つにBHV問題があった。もう1年も 前から取り組んでいるのに、3月にはオランダ語系専門家の選定に手間取るなどして6 4 )、ここ まで何らの具体的進展も見られなかった。また、上院改革などの制度改革を扱う制度フォーラ ムも昨年10月から一度しか開かれていなかった。 4月12日(火)─4月30日(土)様々な提案 閉塞状況を打開するために様々な具体的提案が語られるようになった。 原則的な立場でただ分割を主張し続けているよりも現実的な解決の模索が試みられ始めた。 例えば、仲裁院が憲法違反を言うならば、いっそのこと当該63条を改正してはというような意 見である65)。 フランス語系政党は要求する側ではないので、ブリュッセルの拡大が提案されるなら前向き に交渉に望んでも良いという立場であったが、フランドルでは、各政党はそれぞれ党内事情を 抱えていた。首相を出しているVLD(自由党)は、04年の地域選挙で後退し、将来に不安を抱 えているので、対立の鎮静化を図り、早く社会・経済問題に専念して成果を挙げたかった。 SP.a(社会党)はもっと辛い立場にあった。フラマン・ナショナリストVolksunieの分裂から生 まれたSpiritに背中を押され続けていたからである。連邦では野党の地位に追い込まれ、地域 選挙後フランドルで与党に復帰したCD&V(キリスト教社会党)は、更に複雑な立場にあった。 党勢は元々長期低落傾向にあり、極右の台頭に背後を脅かされて、今回失敗すれば今後の展望 に曇りが生じるからである。また、協力関係にあるフラマン・ナショナリスト政党のN-VAに せき立てられてもいた。対立から政変、解散総選挙になれば世論調査からして極右V l a a m s Belangを利するだけで、得をするものは誰もいないのである66)。 加えて現実的にならざるをえない事情もあった。ただ単なるBHV分割をすれば、特にブリュ ッセルで選挙的には不利となり、1∼2議席を失い、ブリュッセルのフラマン人が政治の舞台 から消滅してしまいかねないのである。下手をするとブリュッセルで議席を確保しうるのは極 右だけになる可能性が高いのである。本音ではブリュッセルでのフラマン人の政治代表の保証
を得たいのに、分割要求は強面でなくてはならないという二律背反的状況にあった。従って、 CD&Vはその姿勢を批判したが、VLDやSP.aが協調的な態度で問題に対処しようとする姿勢を見 せたのにも、ただ連邦与党でもあることからだけではなくて、それなりの訳があったのである。 5月2日(月)なおも進展なし 連立与党の代表を集めた1週間に4回の会合にもかかわらず、何の合意にも至らなかったが、 決裂したわけではなかった67)。 5月4日(水)下院内務委員会5月11日から分割案の審議開始決定 オランダ語系およびフランス語系政党ともに合意して、遂に翌週から審議開始という審議日 程が決定された。早く審議を開始したいオランダ語系は妥協案を待ちくたびれて痺れをきらし ていたし、フランス語系にはこれといった展望もないのにこれ以上待たせ続けることはできな いとのギリギリの判断があったものと思われる。国会が議事日程を定めたからには、1週間以 内に解決案を見出さなくてはならないことになった6 8 )。分割についての合意がないまま審議が 進められれば、既に述べたように最悪の場合には警鐘手続が発動され、政府は危機に陥るから である。 5月10日(火)交渉決裂 この1週間の間連日開かれた5回目の会議(日曜のそれは12時間も続き月曜午前3時に散会 した)で、お互いの観点の接近が見られた。分割を前提にした場合に取られるべき措置(首相 により準備された《グローバル・パッケージ》)について議論が進められたからである6 9 )。全 てについての合意がない限り、何の合意もないということにはなるが、1つの光明であった。 早朝6時前、月曜午後からの15時間の議論の果てに、合意案らしきものが見えてきた。 交渉のテーブルに載せられていたのは、BHV選挙区の分割だけではなく、フランス語系のため にもオランダ語系のためにもなるバランスの取れた妥協を考慮に入れた《グローバル・パッケ ージ》である。そこでは、周辺コミューンのフランス語系に現在認められている権利のいくつ か、少なくとも新しく来た者のそれ、の消滅(フラマンの要求)と周辺コミューンの現在のフ ランス語系に認められているその他の権利の拡張(フランス語系の要求)という矛盾する2つ の要素のバランスを取ることが問題なのである70)。 その合意案らしきものによれば、BHV選挙区分割に平行して、ブリュッセルでも周辺コミュ ーンでも、政治面だけでなく人々の生活を容易にするという面でも様々な措置が取られるもの である。ただ、BHV分割の政治的インパクトはやはり大きいので、それだけ代償も大きなもの にならざるをえないのである。すなわち、ブリュッセルについては、オランダ語使用に関する 言語法が緩和され(フランス語系が公職に就きやすくなる)、連邦から首都地域圏に財政支援 も行われる。もうその拡大は問題にされない(フラマン側の抵抗が激しいこともある)。しか し、周辺コミューンについては、言語的便宜を制限的に解釈する通達の廃止、フランス共同体 が教育と文化などについて権限を持つ。言語的便宜を認められた周辺6コミューンのフランス 語系の人々(約6万名)は、ブリュッセル選挙区のフランス語系名簿に投票できる。その他の 周辺コミューンのフランス語系住民は、今後決められる一定期間のみ、ブリュッセルの選挙人
名簿へ登録権を有する7 1 )。すなわち、ブリュッセルで投票できることになる。これは、フラマ ンの要求の一部を飲むが、周辺コミューンには触れないので、「B H V の小規模分割m i n i -scission72)」とでも呼びうるものである。 合意案が見えてきた時に、Spiritの代表が約束する前に下部組織の意見を聞きたいとして中 座したので、午後2時に交渉を再開することになった。今や全ては、フラマン・ナショナリス ト政党V o l k s u n i e の分裂後その左派が結成した小党(ちなみに右派が作ったのがN - V A )で、 2002年10月からSP.aと連携しているSpiritの判断次第ということになった。 ところが、午前中にSpirit党本部は、フランス共同体がブリュッセル周辺コミューンで教育お よび文化について権限を持つことなどについて受け入れがたいと判断してしまったのである7 3 )。 部分的分割のために支払う代償が大きすぎるというのが理由であった7 4 )。しかし、交渉を続け る用意はあると述べた。 午後から交渉を再開したが、結局、午後10時30分に首相と12名の交渉者は、合意に達するこ とができず失敗を確認して散会した。合計7回の45時間に上る集中交渉と42もの提案の結果が これであった75)。 この問題でSpiritの同意は、ほとんど必須に近いものであった。合意を実現するためには、 憲法改正以外に、いくつかの場合については特別法を定めなくてはならないが、そのためには 国会の3分の2の多数以外に、各言語グループでの過半数を必要とする(憲法4条最終項)。 連立与党は下院150名の内97名しか擁していないので、当然外部からの支持を必要とする。し かし、今回は野党のCDHおよび場合によってはEcoloの支持を期待できるのでこの条件は満た すことができる。ただ、下院のオランダ語グループでは88名の内42名でしかなく、Spiritの持 つ6票は不可欠なのである。同意を得られない以上、合意の完全実施は不可能なのである。仲 裁院の憲法違反との批判を回避するには憲法改正をすれば済み、そのためには国会の3分の2 の特別多数が必要であるが、これはクリアできても、皮肉なことに特別法制定のハードルが越 えられないのである。 何故交渉が失敗したのか、副首相兼制度改革担当大臣のDidier Reyndersは次のように述べた。 すなわち、「我々は、先週何度も合意にとても近いところにいた。火曜の早朝もそうであった。 しかしながら、Spiritがそれまでに整えられた全ての一部を受け入れることを拒否した後、これ まで積み重ねられてきた全てが再び問題にされて、同じものをベースに再出発することは不可 能だった。」そして、Spiritがその不同意を表明するのに最後の瞬間を待っていたことを遺憾とし て次のように続けた。「この合意案について48時間前から議論してきたのに、Spiritは火曜に突然 立ち止まってしまった。その他の解決案を飲むかどうかについて疑問があるという、交渉のパ ートナーについての信頼問題が生じた以上、他の案を探すこと自体が不可能になった。」と76)。 首相は、国王に報告をした後で、国会で今回の件につき次のように宣言をした。すなわち、 「…我が国では、我々は、2つの大きな共同体のそれぞれによって受け入れられるのでなけれ ば共同体問題に対する解決策を見出すことはできないのである。…ある言語グループがその考 えを他の言語グループに押し付けることはできないのである。…仲裁院が遅くとも2007年6月
19日まで、従って必ずしも2007年の次回総選挙前までではない、に問題を解決する必要がある と判断したことを強調したい。政府が法律案に関する審議を無期限に延期することを求めるの は、この考え方によるものである。実のところ、…勝ちを得るために何としても今日この議論 を始めようとすれば、政治危機を惹き起こすことになる…。政府は何ヶ月もこの国を麻痺させ る危機を望みません。なすべき事には大変重要なものがあります。それ故、…本日私は貴院に 対し新たに信任を求めたいと考えます。」と77)。 5月13日(金)信任投票 首相は、97票対50票で下院の新たな信任を得た78)。 何としても辞職(元々この選択肢は彼にはなかった)または解散総選挙を避けたかった首相 は、解決案を見出すことはできなかったが、全ての民主主義的政党に共有されている極右の台 頭に対する警戒心も相まって、BHV選挙区分割問題を凍結し、かろうじて政権の危機を乗り越 えることができた。
Ⅴ.おわりに
今回の失敗の原因はどこにあるのだろうか。 フラマン人の過失には大きいものがある79)。 1)BHVの分割は古くからのフラマン人の要求である。しかし、彼らは今日までそれを獲得 することができなかった。政府合意にこの分割を加えることさえ成功しなかったし、2003年7 月のフェルホフスタット第2次内閣の成立時にその綱領に組み入れることもできなかった。本 来自らの権限に属す事柄ではないのにも拘わらず、欧州議会選挙ボイコット騒ぎで高まった世 論に後押しされて、フラマン政府の連立綱領に書き込んでしまったことに大きな原因がある。 しかも、それはフラマン政府与党を「即時」の実現に向けて拘束するものであった。フランド ルの連立与党全てが越権という重大なな過失を犯したと思われる。 2)いくら連立対象が他になかったからとはいえ、連邦政府与党であるものが、BHV選挙区 即時分割を内容とするフラマン政府の連立綱領を諾々として受け入れたことは、V L D および SP.aの過失である。こうして彼らは、連邦政府のプログラムでもない「係争処理」を連邦レヴ ェルに持って来てしまったのである。 3)そのような問題をフラマン政府の綱領にすることを、何らの抵抗をすることもなく、許 しまたは見過ごしてしまった首相の重過失でもある。連立交渉に際して首相が何も知らなかっ たなんて事を信じる者はどこにもいないであろう。その時の首相の判断が奈辺にあったかは知 る由もないが、フラマン政府が権限外のことに口を挟んでも大したことにはなるまいと高を括 って、同意を与えたのではないか。 4)仲裁院判決を、意図的にまたは不注意にも、読み間違えた過失がある。2003年5月26日 判決(no.73/2003)を読めば分かることなのだが、仲裁院は、直ぐに解決策を見出さなければ ならないとは述べていなかっただけでなく、その憲法違反との指摘に対応するためには選挙区を分割しなければならないとも述べてはいなかったのである。 分割は可能な選択肢の中の1つに過ぎなかったし、判決によれば現状は2007年から違憲にな るのだから、短期間で対処しなくてはならない義務などどこにもなかったのである。 5)フランス語系がフラマン人の描いた筋書き通りの動きを見せるかどうかについて寸秒も 自問してみたことがないのではないか。これはフラマン人の傲慢という過失である。 6)最初から一貫して分割反対のまとまった対応をしていたフランス語系政党と較べれば、 フラマン各党の足並みが乱れていた。CD&Vのような強硬な主張は相手を身構えさせるだけで あることを良く知っているVLDやSP.aは、同じように分割を要求する立場にはあっても、相手 の立場を忖度するという現実的かつ民主的な対応をしようとした。これがまた強硬派からは迎 合的との批判を受けたが、フラマンの大義のみを振りかざすやり方には限界があることが明ら かになったと言えよう。 連邦では野党であり、フランドルでは極右に票を奪われ背後を脅かされている伝統的保守政 党であるCD&Vの得点稼ぎのための強硬一点張りのがさつさは、その焦りにも似た苛立ちを自 ずと表すものであり、政党としてのCD&Vの限界を示した好例といえるのではなかろうか。こ の意味で同党首脳の責任は重い。 では、ワロン人(フランス語系の人々)が導き出すべき教訓は何か。 フラマン人が今後彼らの地域の言語的均質性ないし純粋性を求め続けることには疑いがな い。オランダ語地域では、全ての行政事務はオランダ語でなされなくてはならないことは憲法 原則であり、ブリュッセル周辺6コミューンのフランス語系住民に認められた言語的便宜措置 を唯一の例外とするのである。この文脈においては、オランダ語一言語主義の地域に住む選挙 人が、フランス語地域の出身であってしかもフランス語をいつまでも用い続け、国会のフラン ス語系言語グループに属することになるフランス語系名簿に投票できるということは理解しが たいことなのである80)。 今回はいわば敵失で事なきを得たが、フラマン人に耳を傾け、言語的便宜の見直しを交渉の 対象にしなくてはならないであろう。便宜措置は、これまでの共同体問題交渉で取引手段とし て使い古しているのであるから。 なるほど言語の使用は自由だと憲法で保障されている(30条)。だからといって、オランダ 語系はフランス語地域ではオランダ語が理解されないからフランス語を用いざるをえないのに (強いられた二言語化)、フランス語系はオランダ語地域でフランス語で押し通すことができ困 りもしない、だからオランダ語を学ぼうとしない(言語的強者にとっての言語使用の自由、そ れはわがままないし不遜な態度に通じる)という現実の違いにいつまでも目をつぶり続けるこ とは正しくない。法律上の平等だけでなく、現実の平等も図るべきである。 言語境界画定時にオランダ語地域に既に居住していたフランス語系は保護されなければなら ない場合もあるであろうが、その保護を永遠のものと理解すべきなのであろうか。また、当時 と現在では状況に相当の違いがあるから、保護措置も見直しの余地があるのではないか。少な くとも画定後に移り住んだフランス語系はこれらの人々とは別個に取り扱われて良いのではな