MEMOIRS
OF
SHONAN INSTITUTE
OF
TECHNOLOGY VoL 31
,
No.
1,
1997ジ
ョゼ
フ
・ コ近 代
ヨー
ロ ンラ
ッド
の ア
フ
リ
カ
ッ パの
黄 昏
上
原
慎
吾
*Joseph
Conrad
Through
Africa
−
The
Twilight
ofModern
Europe
一
Shingo
UEHARA
Born to Polish parents in Russia in l857
,
Conrad learned English,
as is well known,
while serving asasailor
,
andhis
career as a sailor culminated whenhe
took charge of a vessel in theCongo ,
Africa,
which was then governedby
King
Leopold
II.
Later,
whenhe
looked
back
on the experiences there,
he
told
one ofhis
friendsthat
he
hadbeen
just
a mere animalbefore
the
Congo .
It
mightbe
easilypresumed from this that the experiences
had
adecisive
influence
uponhis
life
and thought thereafter.
As
Jean−Aubry
wrotein
a letter,
唖
’
it may be said that Africa killed Conrad the sanor and strengthenedConrad the novelist
.
”
In this thesis l took up three materia 且s:The Congo Diary which Conrad kept while in service there
,
andthe two pieces that he 呈ater produced out of the experiences
.
Thefirst
one isAn
O
曜 ρos‘ofPtogress
(
1897
),
whichfocuses
onthe
gradualdecay
anddestruction
of two ordinary persons who weretransplanted
from
France
to an outpostin
deep
Africa
asif
theyhad
been
testedin
an animal experiment.
And the second one is his true masterpiece,
Heart qプDarkness (1899 >.
One of its characteristics is theintroduction
of a“
dramatized narrator”
called Marlow,
by
whichConrad
suc−
ceededin
making adismal
andhQrrible
story more plausible and receptive of a variety ofinterpreta
−
tions
,
By
adetailed“
explication de texte”Itried
to refuteAlbert
Guerard ’
s view about the causes ofKurtz
’
s disintegration,
and saw in his death the decLine of the glorious modern Europe that over・
whelmed the rest of the world
by
itsideals
of progress,
science and civilization.
At
the same timeI
interpreted
the narratorMarlow
as a mandeeply
imbued
with a phnosophical skepticism which characterized both the writer Conrad himself and thefin
−
de−
si2cte mood a hundred years ago.
(
D
「コ ン ゴ 日 記亅 1890 年 5 月 12 日
,
コ ン ラ ッ ド は フ ラ ン スの 汽船マ ル セ イユ 号に乗っ てボ ル ドー
を 後に し た。 行 き 先はコ ン ゴ。
彼は そ こで コ ン ゴ川 を行き来 する小さな 蒸 気 船の 采 配 をふ る うことに な っ て い る。 こ れ よ り先,
ベ ル ギー
の レオ ポル ド2 世は 「ア フ リ カ探検 開発国際協 会」 (
Association
Internationale pour L’
Exploration et laCivilisation
en Afrique }な るものを設立 し て, 積 極 的に コ ンゴ川流 域の開 発を推し進め て いた。 無 論
,
この 「開 発」とい う言 葉が実質的に何を意 * 教養 課 程 講 師 平 成 8年10
月 31 日受 付 味して い た か は その後の 歴史が立 証 し た通 りで あ る。 彼 は 『ア フ リカ地 理 学 協会』 (Conference
Geographique
Africaine>派 遣 委 員に次の よ うに訓 示 した と伝え ら れて い る。
’
Le sujet qui nous reunit aujourd’
hui est de ceux qui meritent au premier chefd
’occperles
amisdel
’
humanite.
Ouvrir a la civilisation la seule partiedu globe ou e亘1e n
’
a pas encore penetre,
percer lestenebres qui enveloppent des populations entiere
,
c’
est sij
’
ose ledire,
une croisade dignede
ce siec 且ede
progres
.
’
「本日 こ こ に我々が会するの は, まず第一
に人道を愛 する友が専心 する に足る目 的の ため で あり ます。 い ま だ文 明の光が浸透せ ざる地 球上唯
一
の地域に文 明の門 戸を開放 し, 住 民を包み込んで い る暗 黒を切り 開 くこ
湘南工科 大学 紀要 第 31 巻 第 1号 と
,
これは敢えて言 わせて いた だけれ ば, 進歩の時代に 相応 しい十字軍なの でありま す。
」1 )まこ とに堂々 と し た 演説で, 19 世紀とい う進歩の時 代の掉 尾を飾 るに相 応 しい響 きを帯びて い る。 だ が,
ここ に述べ られた人 道 主 義,
進 歩主義の旗 印の も と で,
資 源 獲 得の帝 国 主 義的野 望が確 実に触 手を伸ば して い たの で あっ て,
数 年 後の 1985 年に は 「コ ン ゴ独 立 国 」が誕生 し,
彼は その 国 王に おさ まっ て い る。 コ ンラ ッ ドが伯 母の パ ラ ド ウスカ夫人 を 介 して契 約 し た 「奥 コ ンゴ貿易 振 興会社」 も実質 的に は先の協 会の指 導 下に ある国策 会 社にすぎ な か っ た。 彼が ど うして コ ン ゴ ま で行 く 気に な っ たの か,
今 日 その 理 由は必 ず し も 明 ら かで はない が,
後 年 『個 人 的 記 録 』(APersonal
Record )に記 述さ れ た少 年の 頃の ア フ リ カへ の憧れが,
か なりの要 因 をなして いたであろうこ と は疑え ない。 と もか く彼は5
月12
日に ボル ドー
を 発っ てア フ リ カの西 海岸を南 下 し,
コ ン ゴ河 口の ボー
マ に着く。
そ こ で彼は 小さな船に乗 り 換 え 40 マ イル 程 コ ン ゴ川 を溯上 して,
マ タ ジに到 着 し たの が6
月13
日の こ と であっ た。 少 年 の 頃に ア フ リ カの地図を見て い て,
漠 然と 「大 人になっ た ら きっ と そ こ に行くこ とに な る だ ろ う」 2〕とひ と り 呟 い た コ ン ラッ ドで あるが, 彼が そこで22
年 後に見聞き したもの は何だっ た だ ろ う か。 ど ん な体 験 を した の で あ ろ うか。 「コ ン ゴ に行 くまで 私は単な る一
個の動 物に す ぎ な かっ た 」 ( ‘Before
the
Congo ,
I
wasjust
a mereanimal
’
)3} と ま で彼は友人の ガー
ネ ッ ト に言 っ て い る く らい であ る か ら, そ れ が 凡庸 な体験で あっ た はずが な い。
さい わいその当 時の彼の 日記が 残っ てい るの で,
印 象 的 な 記 述 を さ が して以 下に訳出してみ よ う。 彼の いわ ゆる 『コ ン ゴ日記 』か らの抜 粋である。1890
年6
月 13 日。 マ タジ着。 出 張 所の所 長 ゴ ッ ス 氏は何か 理由がある ら し く私 達 を 引き留め てい る。…
これか らの こと を思 う と ひど く不 安 だ。 考え て み れ ば,
こ こ で彼 ら とすご す生 活が快適で あ る はずはない の だ。 なるべ く交際は避け る に こ したこと は ない。…
6
月28
日,
土曜日。31
人の人 足 を 引 き連れて,
ア ルー
氏と一
緒に マ タ ジ を 出 発。…
7月3
日,
木曜 日。 前の 晩に十 分 休 息を とっ て朝6
時に出発。
延々 とっ ら なる丘 陵 を 越えて広い渓谷に入る。 いや,
渓谷とい う よ り中程に亀裂の ある平 原 とい っ たところか。 ひ とりの国 土調査員に 出会 う。 2,
3分の後,
野営地でバ コ ンゴ人の 死 骸を見た。 撃た れ たのだ ろ うか。 鼻をっ く臭い 。…
あ た りは一
面に灰黄色 (枯れ 草 )に覆 われ,
赤 茶 け た土の 部 分と暗 緑 色の植 物の茂み が そ こ ご こに散 在し てい る。
その多 く は高く険 しい 山 峡や平 原を切 り裂く峡 谷に生え て い る。…
鳥が魅 惑 的な声で さ えずっ て い る。 フルー
ト の よ う な音で さ えずるの もいれ ば,
猟 犬の遠 吠えを想わ せ るよ う なの もい る。 鳩,
そ れ か ら緑 色 をし た 2,
3羽の 鸚 鵡が見え た。 と て も小くて数も少な く, 食用にな るよ う な代 物で はない。 午 前9
時 前。 空は曇 っ てい る が穏や か だ。 後に なっ て 北の方か ら わずか に風が吹い て,
空が晴れ た。 夜は じ め じ め と して肌寒い。 霧 が 岡の上に半 分ほ ど白く垂れ こ め て い る。 今 朝は水 分の加減で と ても美 しい。
普 通,
空が 晴れ る前に霧が出るの だ。 距 離 15 マ イル。 方 向, 北 北 東一
南 南 西。7
月4
日,
金 曜 日。ひ どく不 快な
一
夜を過 ごした後で,
朝6
時に野営地を 出立。 連 綿と続 く岡 を進ん でい っ た が,
いつ の間にか 迷 宮の ような所に入 り込んで しま い,8
時15
分にやっ と 波 打つ平 原に出る。…
も うひ とっ の死 骸が 瞑 想 す るよう な姿勢で道 端に転がっ て い るのが見え た。夕 暮れ時に
,
三 人の女 が 私 達の野営 地を通っ て い っ た。 その う ちの一
人は白 子で,
ぞっ とする ほ どの 白亜色 の 皮膚に紅い吹き出物, 赤い 目,
紅い髪を して い る。 顔 立ち は生粋の ネ グロ で醜い。 蚊。 夜になっ て 月が上が る と,
遠 くの村々 か ら叫喚とド ラム の音が聞 こえて き た。 寝 苦 しい一
夜を送る。 7月 28 日,
月 曜日。ヘ ッ チ と朝 食を食べ て か ら6 時半に野 営地 を出発。 最 初
,
丘 陵沿い の道をとり,
次いで両 側に渓 谷の あ る岡の 尾根に そ っ て歩 く。 野 原が一
面 にひ ら け,
山 峡に は大 き くこん も りと茂っ た木立 ち が 次 第に多 くな る。 ヌ ズ ンギ を通 り,11
時にヌ ゴマ 川の右 岸に キャ ンプ を張る。 川は 小さ く急流で,
川 床は岩に なっ て い る。 村は右 方の岡の 上。 方 向,
東 北 東。 距 離 14 マ イル。
日光な し。 陰 鬱な寒 い一
日o ス コー
ル04)一220 一
ジ ョ ゼ フ
・
コ ンラ ッ ドの ア フ リカ (上 原 慎 吾 ) こん な調 子で,
重 苦 しく異 様な描 写が淡々 と続くのが 『コ ン ゴ 日記 』 の 特 徴であ る。
日記 体の簡 潔な記 述の中 に,
ご く無 造 作に人 間の死 体が転が っ て い る。 異 常な情 景の はずな の だ が, 日記の記述 か ら 見る限 りは その異 常 さが伝 わっ て こない。
人間の死骸は あ た か も奇 妙な石こ ろ か枯 れ 木の よ うに た だそ こ に在る。 そ れ はコ ン ラ ッ ド に と っ て はア フ リ カの風 景の一
部 にす ぎな い かの よ う だ。 この資料か ら す る と その よ う に見え る。
ア フ リカ の 原 野の こ の 苫 しい旅 は,
蚊の 群 れに さい な まれ な が ら36
日間に わ たっ て続 くこ とに な る。
「コ ン ゴ 日記 』の記 述は9
月 23 冂 を もっ て 終了 して い る の で ある が,
彼は こ の 間さ らに仕事で コ ン ゴ川 を さ かの ぼ り,
ある任 務 を 果た さ ね ば な ら ない。 キ ンシ ャ サ に は会 社の 出 張 所 が あっ て,
その 所 有 船 フ ロ リダ号がコ ン ラ ッ ド の指 揮 下に入る はずで あっ た。 と ころが彼が出 張 所に出 向いて み る と, その船は ひど く破 損 して い て, な ま じっ か な修理で は 到底 使い物に な ら な い こ と が判明 す る。 そ こ で彼は, 近 々 出 航す る こ とに なっ
て い た同じ会 社の 持ち船ベ ル ギー
国王 号 の員 外 船 員 と なっ て,
その船 に乗 り組むこ と に な る。 出航の 目的は,
川の奥 地で 重 病を患 っ て い るア ン ト ワー
ヌ・
クライン と い う会 社の 代理 人 を救出 す るこ とであっ た。 この クライ ンな る人 物は,
状 況か らして後 に 『闇の奥 』で クル ッ と して登場す るこ とに な るので あ る が,
実 際の クラ イ ンが どん な人 物で あっ たの か,
小 説の 中の クル ツ像が どの程 度まで 実 在の 人 物ク ラインの 投影で あ っ たの か, な ど に 関して は現 在で は解 明す る 手 立て はな い。
た だ,
評 伝 作 者ベ イ ンズの 調 査によ る と,
『闇の奥 』の原 稿で は最 初 ク ラ イ ンの名 が 用い られ,
後にな っ て クル ッ に書き換え ら れた とい うことで ある。 5)と も あ れ , 代理人 クラ イ ン の救 出に 向か っ たベ ル ギー
王 国 号で あっ た が,
救 出し て船に 乗せ る まで は よ か っ た の で あるが,
帰 りの航 行の途 中で 彼は小 説 中の クル ツそ の ま ま に息 を 引 き取 っ て し ま う。 所 期の 目 的は中 途で挫 折して し まっ た もの の,
航 行その もの は上 天気に恵 ま れて比 較 的 順 調に い っ た ようで あ る。一
時 船 長が病に倒 れ た ため,
コ ン ラ ッ ドが臨 時に指 揮 を 執 っ た り も した。
彼ら一
行が出 発 地の キ ン シ ャ サ に 帰 還 し たの は9
月24
日 で,
往還 に約 50 日を 要 したこ とにな る。 出 張 所に帰 着 して一
息つ く と,
当 面彼に は 何の仕 事も ない。
彼 が 乗 り組 むこ とに なっ て い たフ ロ リ ダ号は も は や航 行 不 能に な っ て いた し,
新たに船 長の ポス ト に就 け そ う な船は来 年の6
月まで来そ う も ない とい う。
折か ら ア フ リカ の瘴 気に あて られ て衰弱し,
マ ラ リア と赤 痢を 病ん だコ ンラ ッ ド は,
す っ か り意気 阻 喪し て帰 国を決意 す る に いた る。 すで に帰 化して い た 英 国へ 辿 り着い たの は,
明 く る1891
年の1
月で,
フ ラ ン ス を発っ て か ら ほ ぼ9
ヵ月,
ここに彼の 苦 難 を き わめたコ ン ゴ体 験 は終 わ り を告げ たの で あ る。 だ が,
彼の地で 得た病は彼の痼 疾 と な っ て,
以後,
終 生 彼を苦し め る こ と になる。 断続 的 に襲 っ て くる悪 寒と痛 風が そ れで あ る。 彼が長 年にわ た る船 員生活に見 切りをっ け て陸に上 がる気になっ たの も,
コ ン ゴ行以後の肉 体 的な衰え が原 因であっ たとされ て い る。 コ ン ゴ体 験が彼に与え た影 響は, 肉 体 的な もの ば か り で は な く,
精 神 的に もそ の後の人 生の歩み を変え さ せ る ほ どの もの で あっ た。 ア フ リカを舞 台に して文 明や 進 歩 の理想を掲げ な が ら,
現 実に は自 己の欲 望に の み導かれ た ヨー
ロ ッ パ 人の奇 怪な姿,
その滑 稽と悲惨をい や と言 うほ ど脳 裏に 刻み付け たに違い な い。 30 年以 上た っ てか ら 「地 理 学 と探検 家た ち」 (
“
Geography
andSome
Explorers
”
) と 題 し たエ ッ セ イの な かで,
彼 はこ う し た 白 人たちの生 態 を 掃い て 捨て る よ うに,
「人 間の良心 と 地 理 上の探 索の歴 史に泥 を 塗っ た もっ とも恥 ずべ き略奪 行 為」 と断じて いる。 6 ) 彼の こうし た認 識は,
作 家コ ン ラ ッ ドの原点を な す もの と し て創 作 活 動の な か に も跡づ ける こ と がで き るの で はないか と思 う。 小説家と しての 彼の 処 女 作は 『オー
ル メ イヤー
の 阿 房 宮 』 {A
tmayer
’
S Folly,
1895 )で,
彼がコ ンゴ に行 く前の年か ら密かに書 き続けられて い たの で あるが,
ジ ャ ン。
オー
ブ リー
に な らっ て次の よ う に言 っ ても 差 し支 えない と思 う。 すなわ ち, 「船 長コ ル ゼ ニ オ フ ス キー
を 小 説 家 コ ン ラ ッ ドに し た の は こ の コ ン ゴ体 験で あ る」と。η コ ン ゴ体 験を も と に して生 ま れた作 品が1897
年 の 『文明の前 哨 所』 (An
OutPost〔
Of
P?70gress )で あり,
99 年のr
闇の奥』(Heart
ofDarleness
)で あ る。 通 常こ の 2 篇はコ ン ゴ もの と して彼 の 全 作 品の な かで も特 異な位 置を占め て い る。 次いで, それぞ れの作 品に っ い て,
物 語の進 行を扱いな が ら その テー
マ を浮か び 上が らせ よう と思 う。 〈II
) 「文 明の前
哨 所 」 こ の物 語に は二人の ヨー
ロ ッ パ人が主 要 人 物と し て登 場 する。 カ イ エー
ル とカ ル リエ がそ れで あ る。
主 要 人 物 とい っ ても.
およ そ物 語 (ロ マ ンス)の主 人 公 ら しか ら ぬ貧 弱で みす ぼ ら しい人 物で,
か な り戯 画 化さ れて い一
221一
湘南工 科大学紀要 第 31 巻 第 1 号 る。 カ イエ
ー
ル は17
年 間故 国フ ラン ス で電報 局に勤め,
い たっ て平 凡 な市 民生 活 を 送っ ていた が, 結 婚す る娘の 持 参金 を稼 ぐ た めに,
安 定 して はい る が収入の 少ない職 をなげ うっ て,
交 易 会社に代 理 人として 奉 職 し始 め た 男。一
方の カ ル リエ は,
退 役 してか ら親 戚の家で居 候 生 活を送っ てい た が, 義理の兄 弟と衝 突し, 不 本意な が ら 糊口の資を得る た め にお な じ く代 理 人になっ た人 物であ る。 こ の二 人が ア フ リカの 交 易 所に赴 任 して し ば らく たっ た 所 か ら話は始 ま る。
彼 らは ア フ リカに来 る まで は,
市 民 社 会の一
定の 機 構の な かで,
与え ら れた仕 事 を 指図 通 りに して い れば,
それで事は済みな ん と か暮ら し て い け た。
ま わ りの 見 慣 れた人 間の気 遣い,
上 役の 指 示,
軍 隊の規 律,
習 慣,
法 律,
そ う した 日常 生 活 を 支え て い る諸々 の支 柱に寄り か か っ て い れ ば, 人 並み に幸 福で安 定 した生活を 送る こ とがで きた。 「彼らは二 人 と も まっ たくと るに足 ら ぬ無 能な男た ちで,
彼ら が生きて い け た とい うの も,
高 度に組 織 化 さ れた文 明 的な集 団 社 会が あっ た れ ばこそで あ る。」8) し か し今,
そ う し た市民社 会 の 呪 縛 か ら解 放 さ れてア フ リカの奥 地に来てみ る と,
そ こ に は た だ原 始の 自然,
人 間,
未 開の生 活があ るだけで あっ た。 もともと身を持 する に厳し さの ほ と ん どなかっ た人 達が, 支え る もの と て ない, まっ た くの 未開の地に ほ う り出されたわ けで あるか ら,
尋常なこ とで済みそ う もない ことは明 らかであ る。 彼 らは ま ず 自 分 た ちの住 ま い を 快 適 な もの に し よ う と して,
大 工 道 具 を 持 ち 出 し て , あ ち こ ちの修理 に取 り か か る。 ところ が意 外に もこ れ が難し い。 「純 粋に物 質 的な問題で も効果 的に処理す る に は,
人が普 通考え るよ り も一
層の心の落ち着き,
気 高い勇気を 必要とする もの だ。 こ の 二 人ほ どこ うし た仕 事に不 向き な者もい な か っ たであ ろ う。 社 会 はこれ と い っ た親 切心 か らで はな く,
その奇 妙な要 求か ら彼 らの 面 倒 を 見て い た。 独 自の考えを もっ たり,
率 先して行 動 を 起こ した り,
日常の営 み と訣 別 す るこ とを 禁 じ,
そ し て そ れ を犯す者に は死 刑の判 決をもっ て報い るの が社 会 なの だ。 彼ら は機 械と な る こ と に よっ て の み, 生存を保 つ こと がで きたの で ある。 そ して今,
耳に ペ ンを挟ん だ 人々 の温 かい注 意,
金 レー
スを 袖口 に付 けた人々 の 温 情 ある庇 護 を 離 れて み ると,
彼 らは長い獄 中 生 活 を 経た後 で釈 放さ れ た終身 徒刑 囚の よ う に, 自分た ちの 自由 をど う あっ かっ て よい の か皆 目 分か ら な か っ た。 二人とも独 自の考え で もっ て事にあた るとい う習 慣 を もた な か っ た た めに,
自らの 能 力を ど う用い た ら よ い の か分 か ら な か っ たの で あ る。」 9〕 そ れ でも赴 任 当 初は上役の訓 示に刺激さ れ発 奮 し た も の であ る が,一
月経ち,
二 月経ち す る う ちに,
彼 ら は 次 第に離れ た故 郷を なっ か し み,
別れ た肉 親や 友 人 に無 性 に会い た くなる。 カ イエー
ル は 長 年 住 み慣れた街の カ フ ェ と か役 所で の 噂 話 しな ど,
日常 的で 些 細な事 柄に感 傷 的な愛 惜を覚え, カ ル リエ はカル リエで, 晴れた午 後 の 空に サー
ベル や拍車のか ち合う音,
兵 舎で取り交 わさ れ る洒 落や駐 屯 地の女 達とい っ た軍 隊 生 活を懐か し む。 二 人 を 取 り囲 む 環 境 が 広 大で苛 酷 なアフ リ カの 大 自 然で あるだ けに,
彼 らの郷 愁は い っ そ う募 るば か りで あ っ た。 二人 はお 互い相 手の う ちに自 分の 同 類 を 見 出 して慰め を 得て い る よ う な人 間で あ るか ら,
二 人の仲は決 して悪 く は な かっ た。 野蛮の地に お け る文明の言わ ば代表選手 と して,
それ なりの 自負心 を も ち, お 互い に協 力 して心 地好い生 活を送ろ う と して い たの で あ る。 た だ,
い か ん せ んこ の二人 は生 来の怠 け 者で,
自分の力で道 を 切 り 開 こ う と す る意 欲に欠け る う ら み が あっ た。
結 局の ところ 無 為の う ちに だらだら と その 日暮 しを す る生 活に陥っ て しまっ て い た。 「二人 とも何 も しな か っ た。 まっ たく何 も しなかっ た。 そして怠け てい て もお金がもら え ると思 う と嬉し くも あっ た。 や が て次 第に彼ら はお 互い愛情に似 た気 持ち を抱 くよ うに な っ た。」 (‘
Together
theydid
nothing
,
absolutely nothing,
and enjoyed the sense of theidleness
for
which they were paid.
And
in
timethey came to feel something resembling affection for
one another
.
’
)10)こ う し て彼ら の怠惰で はあっ ても , 土 地の人 達に較べ れ ば より 「文 化 的」な生 活が,
何の 支 障 もな く続 くこ とに なる。 し か し表 面上は十 年一
日 の ご と く思 わ れ た 安 易な生 活 も,
その実,
当 人の知らぬ間に こ の 二 人 の凡 庸な男た ちの内 面を 蝕 み始め て い たの で あ る。 生 命の脈打っ 大 自然も,
これ ら の文 明人に とっ て は まっ た く不 可 解な,
関 知 しえざる 「一
っ の 大 きな虚 無のよ う な もの」(
‘
like a great emptiness’
)で あっ た し,
その結 果と して, 彼らの理解しえ る世 界, 関わ り を も ち え る世 界は
,
ひ ど く限ら れ た範 囲に止 どまら ざるをえ な か っ た。 よ ど ん だ一
種の 閉 塞 状 態に次第 に落ち込ん で い っ たの で あ る。 「カル リエ は目が窪んで怒 りっ ぽ く なっ た。 カ イエー
ル は太 鼓 腹の う えに弛み切っ た顔を乗 せて一
種異様な相 貌を呈 して いた。 し か し彼ら はい っ も一
緒に居た た めに,
お互い の容 貌や性 質に少しずつ 変 化 が起こ っ て い る こ とに気 付か な か っ た。」 (℃arlier washollow
−
eyed and irritable.
Kayerts showed adrawn ,
ジ ョ ゼ フ ・ コ ン ラッ ド の ア フ リカ (上 原 慎 吾 )
flabby face above the rotundity of
his
stomach,
whichgave
him
a weird aspect.
But being constantlytogether
,
theydid
not notice the change that tookplace gradually in their apPearance
,
and alsoin
theirdispositions
・
’
)ID 5 ヵ月ほ ど経 っ た あ る朝の こ と, 近々 こ の交 易所に来 る ことに な っ て い る 汽 船の こと を話 して い る と, 突 然, 彼 らの とこ ろ に武 器 を もっ た一
群の 土 人た ち がや っ て来 る。 取 引の あ る顔 見 知りの土 人たちで はな く,
どこか よ その土 地 か ら来た一
癖 あ りそ うな入た ちで あ る。 得 体の 知れ ない土 人 を 目の前に して,
カ イエー
ル と カル リエ は 漠 然と し た不安を 感じ,
近づ く危 険 を 予 感 す る。 「二人 は 始めて 自 分た ち が,
いっ も と違 うこ と が 危 険な状 態に い つ 変 化 す る や も 知 れぬ状 況の もとで 暮ら し てい ること, ま わ りの世 界に は,
自 分た ちと その異常な るもの と の間 に 介 在 するい か な るもの も 存 在 し な い こ とに 気 付 い た。」 12 ) 実の ところ, 交 易 所に や っ て来た土 人たちは遠 く 沿 岸 地方か ら遠 征して き た商人で,
総勢6
人,
彼 らの手 に余 る量 の象 牙 をたず さえて 取 引を しに来たの で あ っ た。 カイェー
ル とカ ル リエ に は,
これまで 当 然の こと な が ら十 分な量の象 牙 を 集める こ と が出来ない で い る。 そ こ にた またまやっ て 来た の が この商人たちであっ た。 交 易 所で 補 佐役をっ と めて い る黒 人の マ コー
ラ は,
異 邦 人 で あ る彼ら白人と違っ て,
ア フ リカ に生ま れ育っ た 人間 で あ る。 実に悠然と し た毎日を 送 っ てい る 有 能な所 員 で, こ のマ コー
ラが彼 らに代わっ て 商人た ち との取 引 を い っ て に引 き受 け,
六 本の見 事な象 牙を買い付け るこ と に成功す る。 彼が代 償と して商 人に与 えたの は,
交 易 所 に居 た 10 人の 黒 人 人 足で あっ た。 こ の取 引に よ っ て彼 らが必 要 と してい た象 牙は一
応の分 量に達する の である が,
その結 果,
広 大な密 林に よっ て 隔 絶さ れ た この 交 易 所に は,
二入の 白人所 員とマ コー
ラ,
そ して そ の家 族だ け しかいな くな っ て し ま う。 彼ら と比較的親し く してい たゴ ビ ラ村の土 人た ち も,
酒 宴の後の い ざこざで 彼 らに 敵意を抱くよ う に な る。 後で カ ル リェ とマ コー
ラが カ ヌー
に乗 っ て 旧交を暖め に行 くと,
雨 あら れ と弓矢を射 掛けら れる始 末であ る。 彼 ら と土 地の人 達との交わ りは 今や まっ たく途 絶 えて し まい,
未開の地に お け る文 明の 前 哨 所 は,
不 気味に沈 黙し た大 自然に取り囲ま れ, まっ た くの孤 塁 と化 して しま う。 そ して市民社 会の諸々 の支 柱を失 っ て し まっ た 文 明 人の心に は,
い っ そ うの 空 虚が 忍び込むこ と に な る。 「故郷の思い 出,
自分 た ち と 同 じよ うな人々 の記憶,
自分た ち が考え そ して感 じた と 同 じ よ う に考え,
感 じた人々 の記 憶,
そ うい っ た もの は遮る も の とて ない太 陽の ギ ラギラ し た輝きに よっ て, 遥 か か な た にかすれ去 っ て し まっ た。 そ して あ たりを取り囲む荒 野の 深い沈 黙の な か か ら, 絶望と野蛮が次第に彼らに近 づ き,
彼ら を ゆっ く りと引き寄せ, 顔を覗か せ, 有無 を 言 わせ ぬ い や ら しい親 密さで,
彼 ら を抱 擁 し よ う と す る か に思われた。」 13) こ こまで 来れば,
後は破 局 がやっ て来 るの は時 間の 問 題で ある。 彼ら が唯一
心当て と して い た会 社の汽船は,
予定の期日を 過 ぎてもい っ こ うに到 着 する気 配が な い。 故 国か らの音 信は 8 ヵ 月 も途 絶え た ま まで あ る。 食 材は ほ と ん ど底をっ き , 今で は わず かに米とコー
ヒー
を 残 す の み と な っ て し まっ た。 そ して破 局は,
悲 劇 と呼ぶ に は 余りに滑 稽なこ とで あ る が,一
杯の コー
ヒー
に入 れ る角 砂 糖が原 因で起 こ っ た。 カ イエー
ル はかねて から,
病 気 に なっ た時の ため に瓶 に半 分ほ どの コ = ヤ ッ ク と 15個 の 角 砂 糖を大 事に し ま っ て おいた。 あ る 日, いっ もの米 の 昼 食の後で,
カル リエ が どうし て も砂糖を入れ たコー
ヒー
を 飲み た い と言い 出す。 それ が も とで,
この二 人の 白人は喧 嘩 を 始め るの である。 しば ら くドタバ タ喜 劇そ こ の けの 立 ち 回 り を 演 じたの ち,
ふ と手に し た拳銃で もっ て カ イエー
ル は相 手の カ ル リエ を射 殺して しま う。 それは故 意の殺 人と い う よ りは, む し ろ偶 発事故に近い もの で あ っ た が,
武 器をもた ない人 間を射 殺し たとい う 事 実に は変わ りはない。 カ ル リエ は右 眼 を 打 ち抜か れて い た。
自分の犯し た殺人に芒 然 自失と なっ たカイェー
ル は,
と り と めの ない 想 念に し ば し ば身を ゆ だ ね たの ち深 い眠 りに陥る。 明く る朝,
目が覚 めて み ると 周 囲には重 苦 しい講が た れ こめて い た。 彼は起 き上が っ て カ ル リエ の死 体 を 見 ると,
新た な恐怖に捕ら わ れ たのか両手を 上 に掲 げて 「助 けて くれ,
神 様1
」と叫び,
そ の場に じっ と 立 ちす く む。 「進歩が川か らカ イ エー
ル に 向かっ て 呼び か けて い た。 進 歩と文 明とすべ て の善き市 民道徳。 社 会 は今や そ の立 派に成 人 し た子供に戻る よ うに呼 び か け,
これを世 話し, 教え 諭 し,
判 断 し,
罪 を 宣 告 し よ うと し て い た。 それは彼に,
さ まよい出て来たもと の ガ ラ ク タ の堆 積に戻 る よ うに,
そ して そこで判 決 を 受け る よ うに と呼 び か けて い た。」 14 ) コ ンラ ッ ドの作 品に お け る 「川 」の イメー
ジ は,
次の 『闇の奥 』でも 見る よ うに,
河口 と源 流で 両 義的な意 味を に なっ て い る。
河口 におい て は文 明社 会で あ り,
源 流に おい て は未開の混沌, そ して それに対応 する ご とく人 間 の表 層 意 識と深 層 意 識を合わ せ もっ た存 在と し て描か れ一
223一
湘 南 工 科 大 学 紀 要 第
31
巻 第1
号てい る。 こ の場合は河口か らの呼 び か けで
,
文 明 社 会であ り市民 道徳で あ る が, 物語の な かで はこ こで 現 実に
「大 文 明 商 会 」 (
Great
Civilizing
Company
)の汽 船が登 場して くる。 待ちに待っ た会社の船が や っ て来たの で あ る。 それは到 着の汽 笛を靄に包 ま れた交易所の周辺に響 か せるが,
皮 肉 なことに,
それ が 来 たの は文 明 社 会では 決 して 許さ れぬ犯罪 が犯さ れ たの ちの こ と で あ っ た。
交 易所のた だ な ら ぬ気配に不審に思っ た上司は, 土手に上 がっ て用地 内を見 渡す。 彼が そこ に見い出し た もの は,
墓 地の十 字 架に革 紐で 首を吊っ て死んで い る カ イエー
ル の姿であっ た。 身 体は こわ ばっ て気 をつ けの姿 勢 を し,
片 側の頬は紫色に な っ て心持ち ふ ざ け る よ うに肩にか し い で い る。 そ して無 礼なこ とに は,
自 分の会 社の 支 配 人 に向 か っ て腫 れ あ がっ た 舌 を 剥 き 出 しに して い るの で あっ た。 こ こ で こ の物語は終わ っ て い る。 文 明の前 哨 所に配 属 され た 凡庸な白人た ちは共に滅び,
生き残っ たの は黒 人 マ コー
ラ と その 家 族の みで あ る。 彼 らは 二 人の 白人と 違 う て 自 然の な かに溶 け 込 み,
実に 悠 然 とした日 常を 送っ てい た人 達 だ。
ア フ リカ の 大 地に生 を 受 け育 っ た彼 ら は, 奥 地に入 り込ん で いっ て も そ こ で生き抜くすべ を 心得て い る。 これ と対 照 的に, カ イエー
ル とカル リェ は, 広 大な自然のな かの ちっ ぽ けな文明の前 哨 所に立て こ も り,
無為の う ちに内 側 か ら腐 敗 し,
破 滅 して し ま う。 い さ さ か図式 的で , 登場人物が作 者の操り人形に 過 ぎぬ よ うな印 象 を 与える欠 点 は あるもの の,
状 況 設 定とテー
マ は 非 常に魅 力 的で,
最 近 再 評 価の声が高い キッ プリン グ と は ま た違っ た文 明論 的な色彩を帯びて い る。 次に こ の 作 品の テー
マ を な してい る文 明 人の 崩 壊の過 程 を 分 析 し てみ よ う。 『文 明の 前 哨 所 」に限 らず, コ ンラ ッ ドの作品に は人間 の孤 独の陰 が 色 濃 くに じみ出て いるの が特 徴で ある。 こ の 陰に よ っ て,
そ れぞ れの 人 間 は くっ き りと隈 取 りさ れ,
浮き彫りに さ れ て い る。『闇の奥 』や 『ロー
ド・
ジム』 は勿 論の こ と,
処 女 作で あ るr
オー
ル メ イヤー
の 阿 房 宮』, 短編 『エ イ ミー ・
フ ォ ス ター
』(1901 年 ),
それ に 『勝 利 』 (1914
年 ), 『西 洋人の眼の下に』(1911 年 )な ど,
すべ て登場 人 物は孤 独で,
他 者との 間に越え が たい 溝 を も ち,
愛 情 は 勿 論の こと,
お互い に理 解 し合うこ と さ え不 可 能で あるこ と が よ くあ る。一
例を挙げ る と,
『西 洋人の眼の下に』の主 人 公ラ ズモ フに関 して は次の よ う な記述が認め られる。 「彼は深い海の 底 を 泳いで い る 人 間と同じ くらい,
こ の世に あっ て孤独で あっ た。
」 (‘
Hewas as
lonely
in
the world as a man swimmingin
thedeep sea
.
’
)15)他の 作品の主人 公に あっ て も , こ の ラズモ フ と大同小異で あ る。 コ ンラ ッ ドの作 品に は人 間の孤 独 が まず前 提と して 存在する。 こ の こ と は作 者で あるコ ン ラッ ド自身の信 念で も あっ たよ うで,
ノー
ブル に宛てた 手 紙の な かで彼 は次の よ うに述べ てい る。 「誰で も 自分 自 身の福 音の光に導か れて歩む他はな い。…
ど の人 間の 光も他の人 間に とっ て は善な る もの で はない。 これが私 の 人 生観で す。 他人の手に なるい か なる公式も教 義も原 則 も受け付 け ま せ ん。 こ う し た もの は幻 想の産 物で す。 私 た ち 人 間 は余 りにも異 なっ てい ま す。 他 人にとっ ての 真実 は私に と っ て 単に 気 味の 悪 い嘘 偽 り に 過 ぎ ま せ ん。」 16)こ うし た信 念を人 生 観の 中 心に据えて い た作 家 で ある から,
彼に とっ て は絶 対 とい うこ と はあ りえ な い。 すべ て これ相 対の世界が彼に とっ て の真 実で ある。 彼がヘ ン リー・
ジェ イム ズの影 響を受けて小 説 技 法上の 相対主義をおの れの もの と し たの は,
こ う した内 的 必 然 性があっ た か ら に他な ら ない。 そ して ま た その延 長線上 で,
文 明 論 的に近 代 ヨー
ロ ッ パ を相対化 する ような視点 を もっ こと が可 能にな っ たの で ある。 『文 明の 前哨所』に話を戻すと, この作品でも人間の孤 独が 基調と して存 在するこ とは疑 え ない。
それは次の よ うな表 現 に現わ れ て い る。 「誰で も 自分や仲 間た ち が発 す る音 声に は 大 変な尊 敬 を 示 す もの だ。 しかし,
感情と い うこ と に な る と人 間は本 当に何 も知 ら ない。
我々 は怒 りと か熱狂を込めて話をする。 抑圧, 冷 酷, 罪, 献 身, 自己犠 牲,
美 徳と い っ たこ と にっ いて話 す。 し か し,
単 なる言 葉を越え た真 実 にっ い て は何 も知 ら な い の だ。」 (‘Everybody
shows a respectful
deference
to certain sounds thathe
and hisfellows
can make.
But
aboutfeelings people real 且y know nothing
.
We talk withindignation
or enthusiasm ;wetalk
about oppression,
cruelty
,
crime,
devotion,
selfsacrifice,
virtue,
and weknow
riothing
realbeyond
the
words.
’
)且ηここに示 さ れて い る人間の 理解 不 能 性, 孤独
,
それ らはこ の物 語の 主人 公を等 しく見 舞う感 情で あ るの だ が,
そ れ を痛切 に 感 じ るに いたるの は,
彼らが ア フ リカの 自然,
未 開の地 に投ぜ ら れ たの ちの こと で あ る。
そ れ まで は彼 らは フ ラ ン ス の近 代社 会 内に お け る平凡 な市 民と して,
日々 の仕 事, 家族の世 話,
上 官に よ っ て与え られる単 調な労 役な どに従 事 し,
日常 生活に埋 没す る こと に よ っ て,
人 間の 究 極の裸 形の姿で あ る孤独とい う現実に直面せずに済ん でい た。
高 度に組 織 化 さ れた近 代社 会の 内部に棲 息する一
一
ジ ョ ゼ フ
・
コ ンラ ッ ド の ア フ リ カ (上原 慎 吾 ) ことに よっ て,
我々が直 面せ ず に済むの は.
単に孤 独ば か り で はない。 普 段は目を そ ら し が ち な諸々 の欲 望 もそ うで あ る。 人 間は様々 な欲 望 を 処 理 する機 関 と して社 会 的諸 制度,
流 通 機 構 を利用 し, また それに よっ て 日常 生 活が維 持で きる ような仕 組みに な っ て い る。 生存の た め の 闘 争と か欲 望 を 充足する た め の闘争が,
社会 的諸 制 度 が ある おか げで や わ らげら れ,
個 人対 個人の 直接的な衝 突が避け ら れて い る。 こ う し たもの が存 在 しな くなれ ば, 社 会は一
種の修羅 場と化 し,
力の強い ものが権力 を 掌 握して欲 望をほ し い ま まにす る とい う 事 態 が 現 出 す る であろ う。 そ うなる と我ら が主人公の ような人 物は立っ 瀬が な く な っ て し ま う。 こ の 二 人に とっ て は文 明 社 会の 制 度 的 支え が生きて ゆ く上で どう して も必要だっ た。 こ の ような市 民 社 会 を,
様々 な 制 度 的 防 禦 装置の上に成 り 立っ 「仮 構の世 界」と呼ぶ とすれ ば,一
方の未開の世界,
原 始的自 然の 世界は 「事 実の 世 界 」と言え る。 いっ
さい の粉飾を出来るだけ そ ぎ 落 と し,
具 体 的 な 「もの」の み か ら成 り立つ 事 実の世界で ある。 市民社 会に おい て は,
あ ら ゆ る事 物が 人 間に とっ ての利用度と自己保 存へ の配 慮によっ て着 色され加工 されて い る が,一
方の事 実の世 界にあっ て は,
もの は端 的に そ れ自体におい て ただ存 在 する。 い わ ば瀟 酒な フ ラ ン ス式 庭園と人手の ほとん ど 入 っ て い な い雑 木 林の違い と言え よ う。 仮 構の 世 界に あっ て は, 習 慣と か社 会の慣 例に従っ て い れば十分 生き て ゆ ける。 ス ウ ィ ッ チ を入れ れ ば ど う して電 燈が っ くの か,
蛇口を捻れ ば どうして水が出る のか,
な どに関して 皆 目無 知で あっ て も,
それで結 構日常 生 活 が 円 滑に営ま れ てい るの で あ る。 だ が,
ひ と た び仮構の世界か ら事実 の世 界に投げ入れ ら れて み る と, そ れ まで習慣と か制度 に よっ て支え られ,
また隠匿 されて い た人 間のあ ら わな 姿が次 第に顕 在 化して くる よ うになる。 カ イ エー
ル とカ ル リエ の場 合 も ま た そ う で あ る 。 彼ら は ま ず恐ろ し い ほ どの孤 独 を噛み しめ る。
「そ して今,
い く ら彼 らが 環 境の 微 妙な影 響に対 して鈍 感で あ る と はいえ,
突 然 未 開の 地に放り出されて み る と,
非常な孤 独を感ずるの で あっ た。
」 (‘
And now,
dull as they were to the subtleinfluences
of surroundings,
they
felt
themselves
verymuch alone
,
when suddenly left unassisted to face the wilderness ;)le}そ して さらに悪い こと に は
,
彼 ら は生来 の怠け者で創造 的な能力に まっ た く欠けて いる。 仮 構の 世 界におい て は,
それで もなん らかの生 活の手 段がある もの で あ る が,
事 実の世 界におい て は,
じ かに もの そ の もの と取 り組 まなけ れ ばな らない。 創意工夫 をもっ て周 囲の 自然 と か 土 地の 住民にあ た ら な け れ ば な ら ない。
か って マ ッ クス ・ ヴェー
バー
の 眼に映っ た勃興 期の近 代 を 代 表す る 人物ロ ビンソ ン・
ク ルー
ソー
と は違 っ て,
近 代 の黄 昏の小市民た る彼 らに は そ う し た能力はこれっ
ぽ っ ちもない。 上 役の指 示 も上 官の監 視も そこ に は ない。 た だ 途 方に暮 れるだ けで ある。 周 囲の 自然は彼らに とっ て なん ら利 用 しえ るもので は ない し,
慰め を見出せ る対 象 でも戯れ る対象で もない。 「川, 森, 生 命の脈 打っ大 地,
これ らは一
っ の 巨大な空 虚の ようで あっ た。
輝く陽光も 何ひ とっ 理解で きる ものを示 して は くれ なか っ た。 色々 なもの が 取 り留めも な く,
あてど も な く彼らの眼前に現 われ て は消え て い っ た。
川 は どこか ら と も な く,
ま た ど こへ と も な く流れ て ゆ くように思われ た 。 そ れは空 虚 の な か を流れ て い っ た。」 (’
The
river
,
theforest,
allthe
great
land
throbbing withlife
,
were like a greatemptiness
.
Even the brilliant sunshine disclosednothing
intelligible
.
Things
appeared anddisap・
peared before their eyes in an unconnected and
aimless kind of way
.
The
river seemed to comefrom
nowhere and
flow
nowhither.
It
flowed
through a void.
’
)19} 自然は彼 ら文 明 人にとっ て は巨大で不 可 解な謎 であっ た。 彼 ら は不 可 解なもの に取 り囲 ま れて,
文 明の 前 哨 所に立て籠 もらざるをえな か っ た。
彼ら に は川 も森 も大地も空虚に し か感じ ら れ な い無 意 味な存 在に過 ぎな か っ たの で ある。 美 術 史 家の ヴォ リンガー
を引 き合い に 出す まで もなく, 混 沌と して 不 可解は自然 を前に して,
人 間は恐 怖の感 情に襲 わ れ ざるをえない。
混 沌とした対 象に確 固と し た形象と意味を賦 与す る こ と に よっ て,
原 始の 人間は恐 怖か らの 脱却を試み, そこ に ヴォ リンガー
な ど は芸 術の起 源 を 見た訳で あるが,
彼らに は創 造 的 才 能を必 要とする そ う し た作 業は無 理で ある。 未 開の 自 然 に背を向け て彼ら は文 明の前 哨 所に逃 避す る。 そ れ で も や は り恐 怖は残 る。
現 地の土 人 た ち との確 執 とその 後の 沈 黙が恐 怖に拍 車を か ける。 「人 間は自 分の な か に あ る あら ゆ るもの を,
愛や憎し み を, 信 念や, さ らに は疑念 まで も滅 する こと がで きよ う。
し か し人 間は生 命に執 着 する限り,
恐怖を 取 り除くことは出来ない。 隠微で, 執 拗で,
恐るべ き 恐 怖,
それは人 間 存 在に浸 透 し,
思 想 を 色 付け,
心の な か に沈潜し,
人 間が最後の息を吸おう と して苦 悶に唇を ゆ が め る のを じっ と 見 詰め るの だ。
」 (‘
A man may destroy everything withinhimself,
love
and hate and belief,
and even doubt ;but as long ashe
clings to
life
he
cannotdestroy
fear
:thefear,
subtle,
湘南工科 大 学紀 要 第 31 巻 第 1 号
indestructible
,
andterrible
,
that
pervadeshis
being
;that tinges
his
thoughts ;thatlurks
in
his heart;that watches on his 且ips
the struggle of his last breath.
’
)2e)文 明 社 会の道 徳は
,
いつ の 間にかカ イエー
ル とカル リエ の二人の 許を離れて雲 散 霧 消し,
代わ りに絶望 と破 壊 的 本 能が頭 を もたげて く る。 それ はア フ リ カの原 始の 自然 に触 発 さ れ,
近 代 社 会の仮 構に よっ て 抑 圧 さ れ 隠 匿 さ れ てい た人間の心の内な る狂 気でも ある。 フ ラン ス の 社会 に留まっ て いれ ば, 恐 ら くは小心で平凡 な一
市民 と して一
生 を無 事に過 ごせたで あろうこの二 人の 人間は, 自分 以 外に頼 れ る もの の ない事 実の世 界に身 を 投 じたばかり に,
破 滅へ の道をまっ しぐらに突き進む こ とに な る。 彼 ら を自己崩 壊に追い遣 っ た もの は,
蛮 人の敵 意で も食 糧 不 足でも な く, 本 質的に は近 代 人そ のもの の もつ 脆弱さ で あ る。 事実の世 界に直 面するこ とに よっ て,
文 明 世 界 で っ ち か わ れ た生 活 上の狡 知や手 立て は無 効 と な り,
代 わ りに剥 き 出 しの本 能 が 彼 らの心 を 領 するよ うになる。 ひ と た び そ う し た本能に捉え ら れ る と,
な ま じっ.
か な道 徳 律 や 信 仰で は 自 己 を 押 さ え ら れない。 そ もそ も彼 らに とっ ては,
道 徳 も信 仰 も社 会の桎 梏に よっ て支 え られて い た仮 構に過 ぎな か っ た の で あろ う。 以 上, こ の作 品の テー
マ を な し てい る主 人 公カ イエー
ル とカル リエ の 崩壊の過 程を 辿っ て きた訳で ある が, こ の い さ さ か 戯 画 化 さ れ た 悲 劇 は,
単にヨー
ロ ッ パ 近 代の 凡 庸な一
市 民の死に留 ま るこ となく,
彼 ら が 凡 庸であ れ ば あ る だ け,
そ れ だ けい っ そ う一
般の市民との 交 換可能 性が強まるこ と に な り,
文 化 的な広が りを可 能 性と して もっ ことに もな る。
さ らに,
作 者は こ こ で文 明 人の憔 悴 し切っ た哀れな姿と対 照 的に, 未 開 地におけ る土着の人 間の逞 し く精 悍な肢 体や,
マ コー
ラー
家の 自然に溶け込 ん だ嬉々 と し た生 活を描 くこ とで,
西 洋 文 明を相 対 化 す る視 点 を 取 り入れて い る と言 うこ と が 出 来よ う。 未 開 人 の生 活 が 文 明 人に とっ ていかに奇 異に見 えよう と も,
そ れ は異なっ た価値 体 系を持ち, 異なっ た風土 に適応 した 生活 様 式を維 持して い る た め で あ っ て, いち がい に軽蔑 したもの で はない と暗に た しな めて い る よう な筆 致がう かが え る。 こ こ に はコ ン ラッ ドに関 して よ く言 わ れる 「反 啓 蒙主義 」(Obscurantism
)が見て 取れ るの で ある が,
こ の こ と も含めて,
ア フ リカに取 材 し た さ らに重要 な作 品であ る 『闇の 奥 」の分 析に進 みたい と思 う。 (III
)r
闇
の奥
」 この 『闇の奥』と い う作 品は,1917
年に著 者 自らが付 し た序 文に よ ると, 現 実の体 験に ほ ん の少しば か り意 匠 を施して 出来上が っ た小 説で あ る とい う。 こ こ に言わ れ て い る現実の体 験とは, 言う まで もなく彼の コ ン ゴ体 験 であるわけだが,
実 際に この 作 品 を 読ん で い ると,
先に 言及 し た 『コ ン ゴ 日記 』の記 述と重複し た部分が か な り 認め られる。 例えば,
額に弾 痕 を おっ て死んで い る黒 人 の こ と と か,
奥 地へ の遠 征に費 や した日数の こ と な ど,
ほ とん どこ の作 品の道具立て は 日記に記された事 実と一
致 してい る。 標 準的 な 伝 記であるベ イン ズの 『評 伝 コ ン ラ ッ ド』の第四章, コ ン ゴ行を書い て い る部分を 見て も,
それ は 同 様で あ る。 語 り手マー
ロ ウ の体 験は,
か な りの 部 分作 者 自身の もの と して間違い ない と思う。 た だ,
小 説の構 成上 か ら言う と,
こ の小 説を書い たこ とにな る の は 「私」であっ て,
この 「私」は テ ム ズ川の河 ロ に浮 か ぶ ヨ ッ ト上で, 語 り手マー
ロ ウの 話を聞く4
人の 男の 中 の ひ と りで あ る。 作 者 コ ン ラ ッ ド の体 験は,
当 然の こと なが らマー
ロ ウ の語 りの なかに反 映 して い るに違い ない が,
マー
ロ ウを通 して そ れ が語 ら れ る こ とに よ っ て,
「私 」と語 り 手との 間に一
歩 距 離が お か れ,
語 りの 内 容 自 体が言 わ ば 小 説の な かで作 者との とも綱 を 解かれ 浮 遊 す るこ とに なる。 小 説におけ る語 りの技法 を徹底 的に渉 猟 し分 類 し た ウェ イ ン ・C
・ ブー
ス の 労 作 『小説の レ ト リッ ク』で は,
こ のよ うな語 り手 は“
dramatized
narrator”
2i)とされ,
プルー
ス トの 『失わ れた時を求めて」 や トー
マ ス。
マ ン の 『フ ァ ス ト博 士 』な ど と一
緒の範疇に分 類さ れて い る が,
この技 法のもつ思 想 的意 味 合い につ い て は そ こ で は 言 及が なされて いない。 これに対 し,
比 較 的 早 い時期に コ ンラ ッ ド の こ の技法に注 目し, その積 極 的な意義を説 い たの は サル トル である。 『フ ラン ソ ワ・
モー
リ ヤ ッ ク 氏と自 由 』 と題 し た論 文の な かで彼 は次の よ う に述べ て い る。 「小 説 家 は けっ して神で は ない。 い や, ロー
ド・
ジ ム があ るい は 《ロ マ ネス ク な人物 》かもし れ な い とわれ わ れ に匂わせ るため に, コ ンラ ッ ド が どん な慎重な態 度 をとっ てい る か, む し ろ それ を 思 い出して い ただ きた い。 コ ンラ ッ ド は自分か らそう断言すること を避けて,
自分の創 造 した人 物の一
人の 囗を 通 じて いわせて い る。 間違 う可能 性の あ る人 物にいわせ,
しか もこ の人 物 はた め らい が ち にい うので あ る。 こ の 《ロ マ ネス クな人 物 》 と い う,
実に はっ き りし た用語は, そ の ために精 彩を お び,
悲 壮 味をもち,
な にか神 秘 的な とこ ろ を もっ こ とに な る。」 22〕こ の 部 分は勿 論 『ロー
ド・ ジム』を評 して彼が 言 っ てい るこ とであるが,
これ はその ま ま 『闇の奥 』の一 226 一
ジ ョ ゼ フ
・
コ ン ラッ ドの ア フ リ カ (上原 慎吾 ) マー
ロ ウ と クル ッ の関 係に も敷 衍して 言え るこ とで あ ろ う。 語 り手マー
ロ ウ に し ろ 「私」に し ろ クル ッに し ろ, こ の小 説の 中で は や は り相 対 的 世 界の住 人なの で ある。 特権 的な視 点に身 を 置い た人 物は技 法の 上か ら除 外さ れ て い る。 つ まり我々 の世 界と同じだ。 ところ でサ ル トル はこの論 文のな かで,
モー
リ ヤ ッ ク の小 説をコ ン ラッ ド と対 比 して 論 じ,
作 者が全 知 全 能 の神 と して の 視 点を とっ て作 中 人 物 を 動 か してい る た め に,
人 物 が すこ し も 生 きて いない と批 判して い る。 登場人物が作 品 中で みず か らの 自 由 を 所 有 して い ない とい う わ けで ある。 この批 判は さきに論 じた作 品 「文 明の前 哨 所 』にっ い て も まっ たく 当て は ま るこ とで,
さきに 「図 式 的 」 とか 「操 り人 形 」とい っ たの は, こう した事 情に よ るの である。 時間 的に は わずか 2,
3
年の差で あっ て も,
その 間に マー
ロ ウ とい う語 り手を小 説 中に導 入 し た こ とに よっ
て,
コ ン ラ ッ ド の作 品に は格 段の奥 行 きと陰 影が加わっ た と言え る。
さて , そ の マー
ロ ウ で ある が,
こ の 1」、説の主 人 公 は マー
ロ ウ で あっ て クル ッ で は ない。 ま して い わ ん や 「私」 で はない。 や や もする とク ル ッの悲 惨な 人間 像が あ まり にも鮮明であるだ けに,
小説 全 体に浸 透 してい る語 り手 マー
ロ ウの 内的 葛 藤が閑却さ れ がちで ある。 だが そ うし た見方は木を見て 森を見ざ るの 譬え その ま ま に, 作 品全 体に対 する目配 りを 欠 く。 ダグラ ス・
ヒュー
イ ッ ト の言 葉 を 借 り る な らば,
「こ の物 語 はなに は ともあ れコ ン ゴ の 自然と クル ツがマー
ロ ウ に与え た影響を 取 り扱っ てい るの で あ る。」 23) マー
ロ ウ の体 験とそれにと も な う心の 遍 歴が こ の物 語の主軸を形 成 して い る。 そ して マー
ロ ウ の心の 内奥へ の旅路が,
実 際の コ ン ゴ川 上 流へ の 溯 行 と パ ラ レル な関 係と して 設定さ れて い る所に,
こ の小 説の 構 成 上の妙 味があ るの で ある。 だ が,
同 じく心の遍歴を 取 り 扱 っ て い る とい っ て も,
例え ば トー
マ ス・
マ ン の 『魔の 山』にお ける よ う に,主人 公の 内 的発展を時 間の流 れにそ っ て叙 述 する とい うの で は なく, 後か らコ ン ゴ で の体 験を回想する形を とっ て い る。 し た が っ て事件を 回 想 しっ っ 物語るマー
ロ ウの言 葉は,
しば しば 途 切 れがち に なり,
あ る時に は じっ と心の うち を 凝視する よう な 姿 勢を とっ た り, ま た あ る時に は体 験 し た事 実 をどの よ う に解 釈した らよい の か 分 か ら な くて,
深い沈 黙に陥っ た り す る。 こ う し たマー
ロ ウの語 り 口が不 気 味な緊 迫 感 を さそっ て,
こ の小 説の な かで彼の 語 りに リア リテ ィー
を 与 えてい るの である。
マー
ロ ウ の心の展 開 をた どる 意 味 で,
解 釈を交えっ っ こ の 物語の筋を見てい くこと に し よ う。 マー
ロ ウ が彼のコ ンゴ体 験を 語 る の は, さ き に も述べ たよ うにタ 暮 れ 近い テ ム ズ川の河囗 に錨 を 下ろした船の 上で である。 聞 き手は4人でい ず れ も かつ ての船 乗 り仲 間, その な か に 「私」 もい る。 こ の冒頭の テ ム ズ川の描 写と そ れ に続くマー
V ウ の語りに い た る まで の叙 述は ひ どく暗 鬱で,
いかに もこ の物 語の前 奏にふ さ わ しく,
時 間 的にも空 間 的にも奥 行 き を 感 じさせる暗 示 的は表 現 と なっ て い る。 著 者は, あらか じめ, マー
ロ ウ に とっ て の 挿 話の 意 味は,
果 実の核の ように内 側に あるの で は な く て それ を 包 む 外 皮に ある,
月そ の もの で は な くて そ れ を 取 り囲 む 朦 朧 と した暈に あると 述べ てい る が,
これは心 に留め てお く必要が ある。一
般にコ ン ラッ ド の小説 か ら 人 生の 究 極 的な 目的と か価 値を引き出す こ と はで き な い。 す く な く と も 『ロー
ド・ ジ ム』以前の 小説で は せい ぜ い孤独に た え るこ と, 虚 無に た え る こ と を教え てくれ る にす ぎない。 これは語 り手マー
ロ ウ の姿に ス トイッ ク な行 者の面 影を与えて い るもの で もあ っ て,
彼が物 語の 途 中で ふ と も ら し た言葉,
「我々 の生 も夢と同じ だ。孤 独な ん だ よ」 (
‘
We
live,
as wedream −
alone.
.
.
■
「
)24)とい っ た 部 分に も痛い ほ どよく現 れて い る。 マ
ー
ロ ウはま たコ ンゴで の 体 験 を 語 りだ す 前に,
「それは航 行の極 点 であっ た し, ま た私の経 験の頂 点で もあっ た。一
種の光 を私のすべ て に,
そ して考え方に投げか け た よ うに思わ れ た。」(‘
ltwas the
farthest
point of navigation andthe culminating point of my experience
.
It seepedsomehow
to
throw a kind of light on everythingabout me
−
and into my thoughts.
’
}25)と も述べ て い る。
こ こか ら はいかに こ の体 験が彼の その 後の生 活に影 響を 与え た か が伺わ れ る