訪問教育の成立過程に関する研究 : 訪問教育制度化前「試行」の時期を中心に 利用統計を見る
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(2) により,これまで教育を受けられなかった子どもの多くが学校教育を受けられるように なった。 それでもなお,重度の障害などの理由から,就学できない子どもたちがいた。昭和44年 3月,文部省特殊教育総合研究調査協力者会議は「特殊教育の基本的な施策のあり方につい て」を報告し,「すべての心身障害児に対し,その能力・特性等に応じた適切な教育が行 われるべきであり,そのためには障害の種類・程度等に応ずる多様な教育の場を整備する 必要がある。」と述べ,多様な教育の場又は形態の一つとして,「疾病のため療養中の児童 生徒が,家庭又は医療機関等において,派遣される教員により教育を受ける形態」を考え ていた。これが訪問指導である。 都道府県レベルで教育委員会の派遣教師による訪問指導が始まり,やがて各地で,家庭 または施設等における就学猶予・免除者に対する訪問指導が実施されるようになった。前 述の義務制予告政令(政令第339号)の公布に基づいて『特殊教育訪問指導費等補助金(訪 問指導員経費)』が交付され,昭和49年度には,全都道府県で訪問指導が実施されるよう になった。昭和50年3月,文部省『特殊教育の改善に関する調査研究会』は在宅児の訪問 指導について「……そのものが在籍する盲・聾・養護学校から教員を派遣してその教育を 行うこととする。」と報告し,昭和51年11月に都道府県教育長協議会第3部会がまとめた 「訪問指導の制度化」において,学校教育への位置づけ及び対象児童生徒等についての考 え方が示された。 その後,文部省は訪問指導の実施状況をもとに,昭和53年7月『訪問教育の概要(試案)』 を発表し,訪問指導は養護学校義務制を契機に,一般に訪問教育と称すことになり,学校 教育の一形態として位置づけるとともに,教育課程についての規定も整備されることとな る。 以上が,訪問教育が始まり,制度化されるまでのいきさつである。なお,当時は,「訪 問指導」「訪問教育」「訪問指導員」「訪問教師」など用語がまちまちに使用されていた。 地方自治体の教育委員会から派遣する場合には,「訪問指導員」による「訪問指導」とい う場合が多く,小・中学校の教師が訪問する場合は,「訪問教師」による「訪問指導」ま たは「訪問教育」ということが多いが,そうでない場合もある。本稿では,引用した文献 の表記に従うこととする。. Ⅲ.訪問教師たちの「はじめの一歩」. 施設での療育が先行するわが国の在宅児問題は非常に遅れていた。当時の厚生省は在宅 重症児のための「家庭訪問指導」を行ってきたが,次第に行き詰まりが生じてきていた。 一方で不就学児が注目され,全員就学に向けて都道府県レベルで就学猶予・免除児の調査 が行われるとともに,「家庭訪問教育制度」が取り上げられるようになった。昭和43年の ことである。昭和44年4月に神戸市が在宅障害児訪問教育制度を作り,わが国で初めて教 - 42 -.
(3) 育委員会の主事を訪問教師に任命した。同時期は,東京都,愛知県,千葉県などで訪問教 師による実践が行われ,各県各市がその後を追った。当時の訪問教師(指導員)たちが感 じた戸惑いや使命感とは,どのようなものだったのだろうか。以下に,いくつかの報告を 示す。 招かざる客という家人の態度に,かえってファイトに燃えて M の指導を開始した愛知 県のある訪問指導教師は,進行性筋萎縮症である M に対する訓練が,「程度によってはか えって有害である」ことを知り,教師自身の気休め的なこと以上はできなかったことを悔 やんだ。指導に当たるものには医学的な知識を身につける研修が与えられること,また, 指導上で感じた疑問に答えてもらえる場が欲しいことを訴えている(伊藤,1972)。 「こんな子どうしましょう」初めての祖母の言葉に返す言葉もなく,受け取った K の 身体のずしっとした重みの中に身体のぬくもりを感じた福井県の訪問教師は次のように記 している。「生と死の接点にあるこの子が,生きることの尊さを教えてはくれるものの, どのような教育ができるのかを考えると不安であった。家人の育ての知恵を師としながら, 残って働く器官を活かした学習を大自然を教材に手探りで始めた」。そして,訪問指導の 収穫を,「子どもの成長を目の当たりに見ての家人の開眼であり,義務就学を子ども本位 に善意に考える気持ちが育ったことである」とまとめている(佐野,1975)。 教育委員会からの要請で訪問学級を設置することになった広島県の小学校の校長は,小 学校は重度心身障害児を受け入れるところではない,と考えていた。しかし,入級予定児 童の家庭訪問で,各家庭が独力で歯を食いしばって,しかも差別の目に耐えながら,ひっ そりと一つの生命を守っていることを目の当たりにして,教育に携わる者として,今直ち に何かしなければならないとの思いと,今までこのような問題から目をそらせてきたこと に対する罪の思いに胸を痛めたことを報告している(福岡,1975)。 宮城県の在宅心身障害児訪問教育指導員は,特殊教育の経験は若干あったものの訪問教 育ではハプニングと冷や汗のかき通しだったという。「幼児期に遡った心理的指導が必要 だといわれても具体的指導法を経験していない,保護者への対応についても基本的事項を おろそかにしてしまった」などと一年間を振り返っている(三宅,1976)。 最初の訪問時,「教育の必要はないから帰って下さい」と言われた富山県の指導員は, 母の心の中の不安や警戒心を解くことが教育の第一歩だと考え,さらに,Y の澄んだ瞳を 前にして,決して恥ずかしくない教師になろうと決意して指導を始めたという。取り立て て準備した教材よりも遊びを通しながら自然のうちに扱われていく遊具の方が,発達を促 す手がかりになったという(深松,1975)。 鹿児島県の指導員のある日の日記には「……触れると,その手も足も悲しいほど冷たい。 抱き上げると思いがけなく強い力でしがみついてくる。まるで朝顔の蔓がその支柱に巻き 付くように本能的な強さで……寝返りさえうたずひっそりと,しかし,厳然と生きている。 その“生”の事実に感動といけいを覚える。」とあり,指導の手がかりがなく途方に暮れ たことや,単なる反射行動であってもよい,何かできる,感じるはずだと小さな動きを見 - 43 -.
(4) つめ続けたことなどが記されている(横峰,1976)。 以上のような,教師たちの断片的な記録から,不就学児対策の側面が強かった家庭訪問 教育制度は,その内容や方法に前例がなく現場の教師を戸惑わせたが,目の前の子どもの 姿が教師の使命感を高め,彼らに対する教育の必要性を教育に携わる者たちに確認させた ことが読み取れる。. Ⅳ.在宅障害児と家族,訪問教師との出会い. 不就学児が注目される以前は,在宅障害児の療育は家庭で行うことが当然視されていた。 在宅児対策とは児童福祉の問題であり, 「訪問指導制度」はヘルパーの派遣を指していた。 教育に無関心どころか,機能が高まるよりも動き回らずに寝ていてくれた方が良いという 家庭さえあった。訪問教師(指導員)が行う教育を,当時の父母はどのように受け止めて いたのだろうか。 品川区肢体不自由児父母の会副会長は,学齢期のニーズを教育であるとしながらも,始 められつつあった訪問教育では効果が期待できない,地域の特殊学級での集団の場におけ る教育が必要だと主張した。訪問教育はどうしても通学できない子どものみを対象にすべ きで間に合わせの安上がりの教育であっては困ることを強調している(池田,1969)。 前述 Y の父母は,訪問教育を驚きと不安で受け止め,「学校の先生にきてもらっても効 果のない子です。こんな子に勉強は要りません。お帰り下さい。」という拒否的な態度で あった。しかし,訪問1年後には,その態度は安心に,そして協力へと変わっていった。 母親の警戒心をなくすこと,母親の療育の負担を軽くするための生活リズムの作りかえを 援助したことが奏功したようだ。次第に変容していく Y を見て,父母はその成長を非常 に喜んだ(深松,1975)。 「教育の必要はない」と訴える母親の,台所と子どもの部屋の往復だけの生活は哀れで あり,情報提供者として共感者として,ともに学習をしようと決心した沖縄県の訪問教師 は,母親グループ作り,母親との勉強会,情報収集と提供に奔走した。母親の態度は徐々 に変化し,信頼感は深まり,教師の提案する療育計画に沿って訪問指導日以外の機能訓練 を母親がするようにまでなった。訪問教師には,親の愛情を溺愛に終わらせない,建設的 かつ賢明な親の愛に目覚めるような役割があるのだと述べている(小嶺,1976)。 訪問教育にあっては,その場が家庭であるので,家族の協力がなくては教育的効果は期 待できない。父母と教師(指導員)の人間関係は非常に重要で,子どもの教育と家族への 配慮が相半ばするものであるが,訪問教育の実績がない当時,家族の心を解き,信頼を得 ることはどんなに大変なことだったであろう。当時の教員たちは,教育的な関わりによる 子どもの変容に喜びを見いだしていたが,父母もまた,訪問教師に対する不安を信頼へと 変えていったのである。. - 44 -.
(5) Ⅴ.手探りの内容・方法と課題. 「教育の機会均等」を理念に,不就学児対策は進められてきたわけだが,それを具現化 するための教育形態の一つとしての訪問教育は,単に就学猶予・免除児の数を減らすこと が目的ではない。それこそ名実ともに「すべての国民の等しく能力に応ずる教育の機会を 保障する」ために,「学校教育は学校に来る子どもを対象にしたものである」というこれ までの通念を打ち破り,教育目標,内容,方法などを新たに創造していく必要があった。 何の予備知識もないままに訪問一日目を迎えた訪問教師は,「勉強は必要ない」「訓練 をして欲しい」などの家族の言葉に,自分に一体何ができるのだろうと戸惑うが,やがて 指導の手がかりを,子どもを観察すること,家族の話を聞くことからつかんでいる(伊藤, 1972)。 ある訪問教師は「訓練指導をして欲しいと言われたが,知識も技術もない。できること は母親の手助けだけ。保護・医療・教育の3本柱の情報を個人差,多様さに対応させて提 供し,専門書を輪読して家族とともに共に歩む実践者になる。」と決め,それを実践し, 母親の信頼を得てともに機能訓練ができるようになった(小嶺,1976)。 従来の学校概念を乗り越えて子どもの幸福という立場に立って何かプラスになることを 考え実践し,子どもの反応から学び,指導の方法を変える,まさに試行錯誤の連続である。 実施主体により,対象児の範囲,学籍の有無,指導者の資格,指導内容,方法および時 間等にはばらつきがあるが,おおよそ次のようにまとめられる。. 1.指導形態 (1)子どもは学籍がなく,訪問指導員(非常勤教員)による指導を受けている。 (2)児童生徒は養護学校に就学させ,その学校の本務教員による指導を受けている。 (3)児童生徒は小・中学校の特殊学級(訪問学級)に就学させ,その学校の本務教員による指導 を受けている。. の三通りに大別(中山,1978)され,訪問指導開始当時は(1)の形態が多く,その進展と ともに「就学」という観点からは学籍があることが重要であるという側面や,集団での指 導の必要性という側面から(3)の形態が多くを占めるようになり,義務制に向けて(2) の形態がとられるようになってきた。. 2.指導内容 一様な教育課程を編成し,それを適時こなしていくことは困難である。子どもの実態に 合わせる個人カリキュラムを考案する必要がある。地域差はあるが,1週間に2回2時間ず つ(神奈川方式など)が一般的である。在宅肢体不自由児の指導内容の例を以下に挙げる。 〔実態把握〕自然観察,理解力テスト,発達検査 〔信頼関係〕あそび,スキンシップ 〔教科指導〕国語(書写を含む),算数,音楽,図工,体育. - 45 -.
(6) 〔養護・訓練〕日常生活動作,本の読み聞かせ 〔治療的指導〕整形外科やリハビリ科の医師の指示やPTやOTの指導による反復訓練 〔機能訓練〕ことば,摂食,手指の巧緻性,歩行 〔道徳・社会性〕挨拶,生活のマナー,生活経験,自然に触れる,約束を守る 〔療育助言〕生活リズムの確立,生活リズムの作りかえ,母親教育,情報提供 〔相談活動〕進路指導等 〔集団学習〕登校学習,交流(集団的・社会的意識は個別指導をより深める). 3.指導方法 個別指導が基本である。子どもの障害の状態によっては,週2回のうち,1日は家庭での 個別指導,1日は登校しての集団授業,というパターンもあり,訪問教育の進展により, 集団授業は重要視されるようになった。 教科指導を中心に据えた指導が行き詰まると,子どもの興味に立ち返って指導の内容を 変更したり,母親と専門書を輪読しながら,「機能訓練をして欲しい」というニーズに応 えたり,我流の訓練ほど有害なものはないと,積極的に専門家の知識を仰いだりしながら 取り組んでいた。どの教師も,目の前の子ども,目の前の家族を受け止め「何ができるか」 「どんな方法で」と考えながら実践と評価をくり返す様子が報告されている。これという 定型の方法や技法はなく,子どもの反応を見ながら修正していく指導である。試行錯誤の 中で,子どもの反応がよい教材・教具は自然の中にあり,子どもの意欲は集団の中でより 育つことが多く報告されていた。 また,当時の肢体不自由児協会の研究大会の訪問教育の分科会の報告を見てみると「制 度や教育内容にはまだ未熟なものがあるが,形式的にその教育的な意味を疑うのではなく, むしろ教育原理,教育思想としての原点に重さを感じることから出発したい。」と討議さ れながらも,「訪問教師の自主性,創造性,個人個人に応ずる教育は担当教師に任されて いて全く自由であるが,そのことが教師の不安になっている。指導したい内容,方法を持っ て出かけるときは心勇み安心して出かけられるものでありたい。」と,指導内容・方法に 関しては,ある程度系統的な妥当性を持った教育課程を構成する足場が必要であることを 訴えている(宮本,1975)。 また,当時の訪問教師は,実践上の困難さについては次のようなものをあげている。 ・家族の心理,親との人間関係などの学習が必要である。 ・ケースワークの技術の学習や発達心理学や発達診断あるいは発達の促進などの指導といった基本 的な事柄の学習と研究が必要である。 ・障害の理解,実態把握のための学習の機会が必要である。 ・教師の入れ替わりが激しく積み上がっていかない。 ・週2・3回ではきめ細かい指導ができない。 ・指導員の身分保障は十分でなく,ほとんどが退職教師で1年雇用契約である。 ・不就学児は学校保険法の適用外,定期的診断もない。情報を入手できるところがない。. 以上,指導形態,指導内容,指導方法について述べたが,この時期の訪問教育の特徴を 次のように記すことができよう。 - 46 -.
(7) ①対象児童の情報が少なく,実態把握が十分にできない。②指導時間の制限や指導者の 入れ替えなどにより継続的な指導ができない。③教育課程や研修制度が整備されていない ので系統的な妥当性のある指導ができない。 研修制度や身分保障もないなかで,訪問教師が,いかに教育的な使命感と不安の間で揺 らいでいたかがうかがえる。. Ⅵ.おわりに. 一部で「養護学校を作るよりも安上がりだ」といわれた訪問指導は,その始まりが,全 員就学という目的であったとしても,保護者や訪問教師の子どもへの思いが原動力となっ て,実に心豊かな実践を展開し,在宅障害児に対する教育の必要性を明らかにしていった のである。このことが,後の制度的充実へと向かう基盤になったことは明らかである。 訪問指導は,重度重複障害児との最初の関わりであり,訪問指導の研究は,重度重複障 害児教育の研究の始まりを意味している。この点については,今後の研究課題として機会 を改めて述べることとしたい。. 文献 1)福岡孝義(1975)訪問指導学級の運営.精神薄弱児研究,199,80-85. 2)池田親(1969)居宅児・者対策への願い.はげみ,6・7月号,18-20. 3)伊藤芳(1972)家庭訪問指導.肢体不自由児教育,12,37-41. 4)小嶺幸五郎(1976)訪問教育における親の指導.肢体不自由児教育,27,34-37. 5)深松かの(1975) 「訪問指導」における指導内容と方法.精神薄弱児研究,197,58-68. 6)三宅俊昭(1976)在宅心身障害児訪問教育について.精神薄弱児研究,213,38-43. 7)宮本茂雄(1975)分科会報告(訪問教育部会分科会).精神薄弱児研究,196,35. 8)中山文雄(1978)重度・重複障害教育の現状と今後の課題.特殊教育学研究,16(2), 26-36. 9)佐野幸(1975)在宅心身障害児家庭訪問教育における指導内容と方法-加藤一嘉の記 録から-.精神薄弱児研究,198,60-65. 10)横峯祥子(1976)訪問教育の実践.精神薄弱児研究,215,32-37.. - 47 -.
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