場の観点から言語の主観性を再考する 岡智之 ( 東京学芸大学 ) 1. はじめに本稿では 日本語の 主観性 の指標とされている現象 - 特に内的状態述語の 人称制限 が 主観性 の指標というより 場内在的 か 場外在的 かという場の観点から説明できることを主張する また 3 人称述語や現象描写文にお
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うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、
「教育とは,発達しつつある個人のなかに 主観的な文化を展開させようとする文化活動
ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配
自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から
大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場
労働者の主体性を回復する, あるいは客体的地位から主体的地位へ労働者を
その結果、 「ことばの力」の付く場とは、実は外(日本語教室外)の世界なのではないだろ
自己防禦の立場に追いこまれている。死はもう自己の内的問題ではなく外から