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『宗教研究』新第2巻第3号(*23号)

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(1)

――目次―― 1,口絵,カーリー女神 2,古代印度における非アーリヤ人種の宗教的文化,羽溪了諦,Ryōkai HATANI,pp.1-34. 3,預言者の起源,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.35-46. 4,澆末思想に対する一考察,印度神話に現はれたる劫波について,泉芳璟,Hōkei IZUMI,pp.47-60. 5,信の座としての地獄,山辺習学,Shūgaku YAMABE,pp.61-80. 6,宗教芸術の概念,赤松義麿,Yosimaro AKAMATSU,pp.81-101. 7,十如の原由について,大野法道,Hōdō ŌNO,pp.102-113. 8,仏教における倫理=実践哲学の起源(下),渡辺楳雄,Baiyū WATANABE,pp.114-126. 9,偉人玄奘,松本文三郎,Monzaburō MATSUMOTO,pp.127-151. 10,新刊紹介並批評

R.H.Lowie, Primitive Religion,宇野円空,Enkū UNO,pp.152-157.

B.C.Law, The Buddhist Conception of Spirits,甲斐実行,Jikkō KAI,pp.157-158.

金田一京助氏著『アイヌの研究』,原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.158-162.

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カ ー ッ 一

女 紳 カルカッタ市¢南方郊外カーサーガート︵R旨写莞︶に印度 女神カーサー︵K已i︶の最も紳堂克殿堂かわろ。此り女紳 l‡印度散り巾心紳格中現に最L優勢な洩婆︵れiヨ︶紳の要で ぁつて、怖︺い形相な以てもり凄い舞踏な揖やる。而Lて恒 に血に渦Lてゐて、特lニ人間の血な要求L、著Jそり代り に動物の血が捧げられなかつたならけ、自ら人間り血な取 ろと信ぜられてねろ。それ故、此の殿堂にこ於てに日々数百 踊り羊が犠牲に供へられ、私が大正十二咋二月同所な訪ふ た時にも、血催い惨状わ目撃﹂てそゞろ貞振びゎ催L㍗。 其の際、手に入れた本号り横形ね桟影して並に二抱け㍗りて ある。本誌所載り拙論ノせ参照ぜられん︰、、﹂わ望む。 ︵羽渓了諦諒†︶

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333 諦 羽

渓 了

∵ 舌代印度の文化は婆羅門数の文化であつて、囁誰門数の文化はアーリヤ人相の文化でぁるといふ ことは、任務一般の単著によつて荷造せられた意見である。現に印度八白らも彼等はアーリヤ人相 でふアり、その宗教及び文化はアーリヤソであるといふ詭を固執してをる。勿論この説は一両に於て 健かに事賓でみるが、必ずしも全面を蔽ふ所の安富的見解ではない。 大憶、嬰羅門放といふことは如何なる意味を有するのであらうか。嘩羅門族によつて創立せられ た票数といふ意味であるか、さもなくば嬰羅門族によつて行持せらるべき宗放といふ古昧でぁらね ばならぬ。併し若し前者の意味でぁるとすれば、嗟羅門族のみによつて開かれた宗教といふ如きも のは賓際上存在せない。舌代印度宗教の建設には琴羅門族の外、刹仲利族も亦興ってカがあつた。 膏、寧ろ後者から前者よりも一層偉大な宗教的天才を発出したことは軍はれハ与い事聾である。ウバ ニシャツトやマハーブハーラタやラーマーヤナやなどに於ける印度宗教特有の崇高な故説は、殆ん 古代印度に於ける非アーサヤ人種め宗教的文化

舌代印度に於ける非アーリヤ人種の宗教的文化

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して彼等刹・鱒利放が特に婆羅門族を中心とする

ど膏別辞利故

によつて閏示せられたものでぁる。而

宗致を開立する目的■ぞ以て精耐的努力を試みたといふやうなこ、とは全く認めら、れない。若し、また填

羅門致が後者の意味でぁるとすればそれは、吠陀の宗数を指すことにならな︵なる︵︺咲花の宗致は

婆羅門族の鹿のみに成立したものではなくて、それ以外の再生旗印ち別語利及び吠介両放の為にも

開放せられたものでぁる。故に吠陀中心の票数を此の意昧に賢し婆羅門放と呼ぶのは正常でない。

仮令電鍵門数とは章雄門疲吾のみ闘係した名鍔ではなくて、梵︵苧ニ⋮⋮ユノ岩肌むる宗数といふ意 簸であ為と定表しても、吠陀の宗数はか∼る革殊の宗教でないから、之を以て吠陀∴小数ノで包析ゝ/ぅ ることは出凍ない。要するに、如何なる意妹に於ても、古代印度の文化Jで堕罪−門数の文化と締⊥−ヱ匂

が如きは、畢捕上到底認容せられない謬見である。

次に嘩牒門数の文化を以てアーリヤ人種の文化と茄催すが如きむ、是れ芥早計と謂はねばぢら萬じ

吠陀の票数を始めとして、後世嬰羅門数といふ名挿の程に包括せられてをる宗教的文化のノ中には、

非アーリヤ人和に其の起源を和するものが砂くないのでぁる。

ァーリヤ入神が基の原作地たる中央亜細並から移動して印度へ位入L㌍草崇叩に於ける印腔住比は

全く未開野壁の劣等人相であつて、印度文明の産出には何等貰赦す′ヱ侶なく、

只絹り最も優塩入和

でぁつた印度アーリヤ民放が印腔文明一で開拓したのでぁるといふことは、今なほ多くり学者の主張

古代印度に於けろ非アーづヤ人種の宗教的文化

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3ごう する所でぁる。さりハ与がら、梨供吠陀︵︼肯三÷㌫去文を仔姉に瞼訝して、之Jで最近の言語軍的考 古埋的研究の結果に封照して華究すれば、印度侵入蕾時のアー・リヤ人種は比較的粗野な遊牧民であ ったに反し・て、印度頂往のドラギグ︵十︶r毒草こ誅は枕に耕作時期王入り城郭生活を賛んでゐて、位入 着たるアーリヤ人種よりも箪ろ高等な文明Jで狩ってゐたと推定せぎるな得ないのでぁる。そこでま づ斯る推定の諭披を開陳して、然る綾非アーリヤ人柿たる印度原住民の宗数的文化が如何に印度ア ークヤ人柁のそれに影響したかを論述しょう。 〓 梨供吠陀にダーサ︵冒sエ=若しくはダスユ︵ロ1望1︶といふ名挿が慮々現はれてをるが、彼等は 鼻ぢき着︵梨惧、五・二九二〇︶皮膚の色翠き老︵同、丁二ニ〇・八︶ァーリヤ人相の票数的儀式Jで 行せぎる者︵同、T五。八︺として侍へられTをるから、彼等は一般草老によつて印戊アーリヤ人相 の敵たる印度土着の原佳良と考へらわたのであるが、併し之に反対する草案も二三に止らない。ミュ ーア︵M已こ氏は共著ご≠GO身rlL S宣㌢・い二戸≒−︵くC〓l︶℃.隻ごに於て、ロッ三.︻どニ︶氏は 其の著へ碧・七告r㌢=■鰐口訂ien弓y。に於て、いづわもダスユを非アーリヤ人種を示すものとLて説 明することは出舞ないと蟹表してをる。反封論者中濃も有力ハ与根披に甘画してなるの止チ、.ンドラ。 グス氏であらう。同氏は其の著。蔓g壱e旨Ⅰ−1Li㌔第三骨に於て、ダーサ及びガスユいアーリヤ人 ● 古代印度に於けろ非アーサヤ人種り宗教的文化

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部 種たること里二柁の諭接に基いて澄明せんと試みた。

其の諭墟の第一は、梨供吠陀−〇・四九・三に因陀雁︵Ⅰ︼乙Ⅰ■P︶が﹁私はダスエ種族のアーリヤとい

ふ稀呼を剥奪した。﹂と言ったと記されてをるから、ダスユ稲族は本務アー・リヤ人和でぁつて、アー

クヤといふ名耕一ぞ有してゐたと観るのでJのる︵一二七頁︶。次には梨倶吠陀丁字八に因陀羅に対

する信者の所願として﹁アーリヤ稚族とダス﹁一種族とを偶別せよ。而して榊苧㌧る怯式′で行せざる

老を席捲して、彼等を供犠老に服従せしめよ。供犠者のカ響三轟老たれ。﹂といひ、又同一〇人

六・−九に国陀羅の言克として、﹁私は自ら気をつけて、ダーサ和談とアーリヤ和放とを捜索しっゝ 凍る。私は私の虜に供物を準併し調理する人々から蘇摩︵S〇≡エを飲む。﹂と記されてをるのは、ダ スエ及びダーサ両種族とアーリヤ人絹とは因陀薙が繭裏声判別写るに因Mふ感じたほど外見上似通 ふてゐたことを静間するものでぁるから、両名糀によつて示されてJピる和放はアーリヤ人相に外な らないといふ推定である︵一二九頁︶。終♭にサブク・シソドフ︵苧号垂乙︼11こに於ける舌代アーリ ャ人柿の政令は和平統=りあつたものではなく、文化J品ハにし信仰Jで同じうせざる多くの和雄に分 裂してゐたのであつて、現に開化したアーリヤ人種の中ですら尉陀羅の・存在に疑問を挿み︵梨里 〓二二・五︶、、≡︵穿−−P︶といふ仙の如きは其の代表者であつたのであるから︵同、八・一〇〇・三︶、

正統的倍仰に生きたアークヤ椰族ほ﹁オ、囚陀髄よ、多くの人々によつて領へらるゝ汝は、アーク

古代印度に於ける非7−サヤ人種の宗教的文化

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ヤ種族に威すろにせよ、グーサ抑族に威するにせよ、我等の紳ノで得せぎる敵が我等と圃ふやうにな

る場合には、彼等が我等によつて容易に打抜せられるやうに駁定められたい。L︵同、l〇・三人・三︶ と歌うたのであるが、か∼る質拭から考へてみると〆−ケの如きもアーリヤ人帥中信仰一竺異にせ乙 種族であつたに違ひないと力説せられてをる︵一三二重︶。

併しながら、以上の論謹は決して精確なものとは謂へない。第一に彼がダスユ挿澱も本務アーリ

ヤの名辞を有してゐたといふ弟妹として引用した梨倶吠陀の一節は、張ひて彼のま張に適合せしむ

るやうに曲詳したのであつて、その賓﹁私はダスエ柿族にアーブヤ種族を放棄せなかつた。﹂と謬す

べきものである︵ⅠⅠ・Gra診ma⋮こ茸⊥、ed戸ⅠⅠ≠阜禁芦参照︶。故に之はダスユ稀族がアー・リヤ

人種であつたといふ葦故にはならないばかりでなく、却って両者を異種族と看てゐた設明となる。

梨倶吠陀は此の柁の文詮に乏しくない。その三・三甲九には臼陀羅がアークヤの色︵柁族︶を保護 して、ダスエ族を征施する主−白ひ、鱒仙八・一入・≡には彼がダスエ族を征服して、アーリヤ族を樹立 したと倍へ、同−〇・八三・一には﹁オ、、マンニユ︵写こ︸yl−︶よ、我等がアーリヤ種族若しくはダー

サ稚族に威する我等の敵と戦ひ勝ち得るやうに我等を技助せよ。﹂又同大・四甲一九には﹁オ、、汝

雄々しきマグ♪ヴン︵宰尊書u︸︶よ、蘇摩を飲むことによつて陽気であれ。而して我等自身の朋友

同種族に威するにせよ、然らざるにせよ、すべて我等に敵封する老を破滅せよ。﹂といふ断念が現は

古代印度に於ける非アーサヤ人種の宗教的文化 五

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育代印度−ニ於ける苧−リヤ人橋の宗数的東北

猫 れてをる。苦しダーサ種族がアークヤ人相であつたならば、枝等の敵を鉄面デーリ蒜放とグーサ

種族とに区別して、雨着を封耳せしめる必要がない筆去る﹁︶故に前の軍畑に於けるアーク蒜族

は彼のそれに於ける朋友同和族と姦し、前者に於けるグーサ和談は拉老に於ける朋友同権要言

ぎる非アークヤ人種を指してをることは焼かでぁる。

次にダスエ及びダーサ両種族とアーブヤ種族とが一見判別し難いほど通偵してゎたといふ記披と

して引用せられた本文は、箪ろアーブヤ人種が両軍で娘別して璧ヤ・品いて前軍昌ミきこ、去− 彼等のま前田陀厳に所願したので雪・、胃陀学長苧八ト∵雨雲・良㌻しニ㌫、:、こ三吉・エご であつて、由って以て雨稀其の問には烈しい敵封感情が綴って空:とを知ら得るはか、ヱしあえて 殊に前述したやうに、ダスエ及びダーサ丙種族は度盛房色黒いこと∼鼻のないこと1によつてア

ーリヤ人梓と区別せられてゐたのであるから、彼等は何うしても非アーリヤ人種たる印度原住民で

ぁったに蓮ひない。但しチャンドラ・ダス氏は皮膚の黒いといふ外見的特撃l−就いては照明を試みて

をる。即ち梨倶吠陀九・七三主に於て囚陀施はー威い皮膚﹂の出現に班へることが出水すして、彼

は天及び地から﹁黒い皮膚﹂を駆逐したと記されてをるから、所謂1黒い戊野には二重の意義が ぁって、因陀羅が容中から消滅した桝の悪魔ブリトラ︵壬tr箪︶の身憶たろ黒蜜を意味するしエ同時 ●

に、因陀匙が地上から駆逐した所の日に焼けて黒い皮膚となつたアー⋮人種たるガスユ韓萩窒息

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嫁するといひ、更に之今金然白露現象として解澤し、以て種族としてのグスエとの関係を断絶せん として、﹁それは畢に因陀薙が容中高く形つくらる∼票宝及び地上拭く形つくらるゝ黒霧な握ぬ寸去 こと窒息映するかも知れないと言らてをる︵一二七i八田﹁並に一二二!三賃金照︶。固よゎ此の食通 はあながち不合理ではないが、殿命此の弼明に陥って、﹁黒い皮膚﹂を軍に日に焼けて色黒く石仏つた 意味に解するとしても、﹁汝︵因陀羅︶はかの武器を以て鼻へご﹂−グスエ和澱を梨塗した。﹂︵梨里芋 二九・一〇︶といふ一節を如何に解すべきであらうか。同氏は此の﹁無鼻﹂といふことは恰も梨倶吠 陀に於てアークヤ人種の両々を信奉せない者が﹁無口﹂︵A−1夢︶として記載せられ、而もそれは文 字通りに口のないことではなくて、所々の敵たる阿修羅︵A芸rトこ和族が吠陀梵語を精確に流暢に語 り得ないといふことから、﹁語るカが発達せない老 ﹂︵岩ri︵芦1−三■邑−乙l︶といつたのと同趣でぁると設 いてをるが︵一五二!三頁︶、﹁燕鼻﹂そのことに就いては何等積極的解渾を輿へてゐない。惟ふに 之を﹁無口﹂軍同様に食通することは不可能でららう。之は何う考へても鼻高きアークヤ人種よら 観察した非アークヤ人種の外貌的特徴を示したものと解澤せねばならぬ。従って﹁黒い皮膚﹂も箪 に日に焼けた虜ではなくて、是れ亦白哲人樟のアーリヤ人から観察した非アーリヤ人種の外見的特 徴と列断せねばならぬ。大髄、アーリヤ人相が初めて印度に侵入した常時は、男戸外労働によつて 脚 生活費料を得てゐたことは疑ひを容れない所であるから、農作生活にせ、よ、狩独生活にせよ、牧畜 ● 舌代印度に於ける非アーサヤ人種の宗教的文化 七

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340

生活にせよ、日に招けて皮膚の色の㌫くだることば、印度寝入莞ハ迫の是川灼事軍﹂ぁつて、グス

エ和裁にのみ限つた置些rは2。故にアーリヤ人が特にダスエやグーサやに射して1黒色の皮 応﹂とか﹁要言老﹂とか言ったのは、アーリヤ人絹と相違せる彼等の外見釣轄讐J指摘したもの であつて、従って彼等は印度の原住民たる非アーリヤ人種と野蒜が正常であらうC

最後に同氏が印度へ佳人し定住したアーリヤ人相の政令は中和的竺のあつたものでは亨、文

化に於ても信仰に於ても分刑写しゐたのであると論じたことに、常警護として結諾し毎忘が、併

し之を諭波としてダスエ及びグーサが正統的信仰を看せた・い低紀ヘ音︵化生活を告んでゐたアーリヤ

人絹であると推定したことには同窓し難い。

元年チャンドラ・ダス氏は他の印度人と同じ′\印度固有り文化は悉くアーリヤ系統に壁呈もの

であることを詔明したいといふ要請に騙られて、張空し梨倶吠陀に現はれてをる琴しの神政をアー

クヤ人種に統一せんビ努めたのであるC従って其の論諾には朽準毒琴品き、猫柳的偏見が多最

に合まれてをる。敦初アーリヤ人相が印度へ侵入した時、彼等が印度土着の民放と街尖し、遂に徒

事を征服したことは、疑ひのへ甘い革質と錨はねばならぬ。是れ賀に印度アークヤ人相に取って登別

の大事件でぁつたに達ひない。か∼る大耕作に閲する倦設が、たとひ新訂夙にもせよ、彼等最古の 空典梨倶吠陀の中に保存されるといふことほ雷然すぎるはどの雷然ごある。倒せば苧二ハ・二ニ﹁− 古代印度1ニ於けろ非7−りヤ人様¢票数的文化 八

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841 因陀薙が色黒い民族を単板して、其の城郭を楼痕したといへるが如き、又同丁一〇〇・一入に於て 田陀羅がダスエ及びシムユ︵Si−ゴyエ南輔族Jで殺芋して、彼の白い顔色り友達と共に土地日光及び水 を獲たと記されてるをが如きは、明かに自哲人確たるアーリヤ人が黒色人種たるグスユ和族などを 征服して其の土地を占節したことを表示せるものと謂つ可きでJ¢る。故に梨倶吠陀り中にアーリヤ 人の安井したま柳田陀荘の敵として、又アーリヤ人の所々を信せす彼等の宗教的位式を宿せぎる悪 魔として、荷又色黒く鼻なき共和族として、屡々示されてをるダスエ及びダーサは.アーリヤ人の 印度侵入常時なほ蹄服せゃして彼等に渕抗し、彼等の村落に侵入して、或は彼等の家畜哲奪掠し、 或は彼等に允嘗哲加へた印度土着の非アーブヤ人稚 −身分ドラガダ和族であつたと判定するのが 曹然であらう。 三 若し果して然りとすれば、アーブヤ人の印度侵入時代に於けるドラガダ和族が、其の富の程度に 於て又其り文明の程度に於て、暇命全く新作を知らなかったとは言へ石仏いが未だ本務の遊牧生活を 放し得なかった彼等侵入濱よりも一層進歩してゐたと観るべき評梧が、梨倶吠陀の本文によつて輿 へられる。 汝︵田陀雁︶は電杵を以て富めるダスエを殺害した。 舌代印度に於ける非ナーザヤ人種の宗教的文化 ︵丁三三・四︶ 九

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342 古代印度にこ於け・9罪アーサヤ人絹ゆ宗票的文化 ︼○ 汝︵因陀牒︶の援助によト/アーリヤ人により一、我等すべての敵へ㌧る〆て一打㌍ノー征冊鳥して、㌍ 等は富を狂たい。 ︵〓∴ ▲÷一九︶ 因陀羅は彼の電杵を以て武装し、彼の勇将に信威して、ダーサ持貴、い蟻軍γ柑柑しっ1巡朽し た。 ︵T一C三上二﹂ 汝︵国陀誰︶は七都城を破壊して、ダーサ種琴で畳字して、ブルクトナ︵≡rlニ蔓エを助け小㌧ ︵六ニー〇・一∩︶ 鼓にダスエ及びダーサ南椰族に威せしめられて字至草と㍍城郭ごか郡放とかい士=警l−は特に注 意を排ふ必要がある。之等の文献に由つて観ると、彼等雨和談はアーリヤ人い印接竹夫常時には既 に城郭内に定住して農作に従事し、障って富裕な紅浩生活む東んでゐヤごとが判る〇 殊に梨倶吠陀に於て、印度に定住したアーブヤ人の村苦を結空し些望豊山宜糾盗した豊毘として 屡々記載せられて努る阿修羅︵Asllrエは最初は之に癖蕾す云アゴスク︵Lr夏1︶の空路出アブラ ︵A㌻−r芦︶の面影一ず弄して、印度アーリヤ人和の右カ・り榊々に射して特に其の魔力に閤聯して用ゎ られた名稀であるが、其の後漸次忍耐となつて、閏陀器や阿尤=毘︵身−エやの敵と蔓り、=以後には 天︵せeくP︶即ちアーリヤ人の斬と正反射の性琴芝聖うる魔経と重蔵さる1に至ったー∴憬ふに㍊楷了 しで表現された阿倍賂の中には未征暇の印度原住民をも合んで■でろでぁらう。而して彼等はアーリ

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343 ヤ人と同棲に武装し、アークヤ人よりも豊富な財政を占め、強大な勢力を和してゐだから.両者の 戦闘は批較的永く結いたらしい。阿倍雁が物質的所有に於て如何に豊富であつたかは、アイクレーヤ 梵書︵Ait罵eyP苧巴喜p琶︶丁由・六に於ける天と阿修羅との闘等に閲する記事中、阿修羅軍が天畢 を防ぐために餓銀及び金の三壁を建造したといふことが侍へられてをることによつて推察すること が出水る。又彼等の勢力が如何に強大であつたかは、同書丁三・三に於て最初雨着が東西南北に於 て戦うた時、すべての方面に於て天質は阿修羅軍によつて打破せられたと侍へられてをることによ って想像することが出家る。何又同書に於て天軍の敗北は彼等が王を持たなかつた名であるといふ 研から、蘇摩を王とし、其の助力によつて、諸方面に於て勝利を得たと倍へられてをる研から観る と、アーリヤ人種中には未だ王の地位を占める老がなかった時、阿修羅王は既に王なるものがあつ て、其の指揮統率lこよつて戦勝を得たのであるから、囲濃の組織統制に於ては後者は前者よ♭もー 歩進んでゐたと考足せざるを得ない。 マイヤース ︵Mye鼠︶民はその著ヘーC告bridgeAgientHi賢ry−∵つ訂︼﹂−憎・PJO?ごに於て、ア ークヤ人種印度侵入の年代及び其の本名的特徴を掲に関係せしめて論じたが、之によると、アーリ ヤ人種が印度侵入普時には馬を乗物として用ゐてゐたことが碓であるから、迅速だ協同逆勒に必要 な馬が彼等の軍事上並に政治上に非常に役立ったに違ひぢい。然るに印度原住民はか、る掲の設備 舌代印度に於ける非7−ザヤ人種の宗教的文化

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:弛4 古代印度に於ける非アージャ人種¢宗教的文化 〓一 を歌いてゐたが栗、戟寄には失敗して彼等に征服せられたけれ共、その富と文明とに於てけ寧ろ租 野な遊牧民たる侵入者よ・ワも位れてゐたのである。殊に原住民の所有してゐた豊かこ富は最も張く 侵入者の心をひきつけたらしい。ルドブ与ヒ︵T≧一′く己氏は梨倶ぺ陀丁一C四・三の記事Jで鮎澤し て、貧しいアーリヤ人は所有せへ㌧い富に射して只欲撃TニQに止って、自身を托ふべき普通の水さへ も持たなかったに反して、彼等の敵たるクヤヴ︵︼㌢︶ごく上の丙妻は其の富に封する高塩心から、牛 乳を以て沐浴したのでJ¢ると言って字0︵︵‡ニ.iこ■∴〓−Cヒ.y≡=:−二ニウ1︵︰ユ㌣−︶﹂︰レナぎこ。若L比 の解帯が正常であるとすれば、少くともか㌫の程度に於て雨着の問にりh大い㍗芸懸隔がノ¢つたと親・り ばならぬ。併し偉人新は馬わ外、言説宗教その他の新文化を描架し、之が配付民の文化と融合守る に至ったと信すべき坪由がある。而して其の結果ドープガグ純放はまとして言語に於てアージャ人相 化され、アーリヤ人粁は文化に於てドラガグ種族化されたと謂って可い。 四 然らば、ドラギグ柁族は斯る太古に斯る文化を自ら開慰し、にのであらうか、潤たまた之を外観か ら受容したのであらうか。 スレークー︵GilF−汁撃き・−︶氏はその若へ■±−〇〇⋮ノニュi己ニ㌢⋮−ニーニ=ニ㌻︸C=ぎー・㌔に於て考古 率土から古代勘メソポクミア及び蚊及の文明とドラギグのそれとの問に京ほな結合の存することを

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345 指摘した後、ドラガダ文明の起源に就いて次の如、き結論を下した︵七九−八一頁︶。 ︶ 一此のドラガダ文明が外部の本源から洗出したものである限り、その起源は海上貿易によつて印 ′■■l, 度と聯結せられた攻及及びメソポクミアに求めねばへ与らぬ。 ︶ 二填及と印度とを聯結した第一歩は、挨及人が紅海一ぞ航行して︸し⋮ユ已︼︺=ニ什に達した時、完成 ︵ せられたのでぁる。 ︶ 亡ドラガダ八白らも塊及人よりは小規模ではあつたけれ其、夙に航海者であつてE買。汁S⋮己− が示しだ通り、その初期の舟は挨及の模型を焉したものである。 坊及と印度との文化的結合に就いては、チャンドラ・ダス氏が前掲の著書へ虐g−ゴdi〇TI乙㌻、∴.ぎ︼. Ⅰ・ロヮ望干・芦︶に於て、まとして言語畢上から、スレークー氏よりも一層精細に論語してをるが、 併し同氏はスレークー氏の結論しL正反射の見地に立って、印度アーリヤ人若しくはアーリヤ化した ドラガダ人が西紀前一萬五千年頃瑛及へ移住して、挨及最古の文明Jで建設したのでぁると主張して をる。既に述べたやうに、チャンドラ・ダス氏は梨供吠陀に現はれてをる総ての和族空ノーリヤ人称 に統一せんと努めたが、それと同時に同氏は印度アークヤ人相の文明が世界最古のものであつて、 バビロン・アッシリア・エジ.フト・酉亜細亜及び有史以前の歓洲の文明は皆此の印度アーリヤ人絹の影 響を蒙ってをることを論語せんと試みたのである。併しながら、之は軍記するに同氏が印段人とし 古代印度に於けろ非アーサヤ人種り宗教的文化

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古代印度に於けろ非アーリヤ人様り宗教的文化

一也

て印度アーリヤ人の文明を世界文明の本源たらしめたいといふ衷心軍票京に脹られた結裏、張史﹂ 導き出された猫斬でぁつて、到底之Jピ承認することは出来ない。 元中央亜細亜の一地方に輔鰻生活を螢んでゐたアークヤ人相が碍勒を崗始しゎ﹂のは、凡÷輯紀前 三田千年頃であるといふことは、殆んど学界の定説となつてぉるて故に西紀前一武王千年頃に糾接 アーリヤ人若しくはアーリヤ化したドラガ〆人が瑛及へ移住して北ハの崗土/い文りで創設したといふ やうなことは、箪なる容想であつて、到底ぁら得ないことである。印比アーリヤ人とLての最古の 文明を倦ふるものは先倶吠陀てあるが、多︿り隼者はそれに現はれた文明Jで以て凡そ西紀前一千五 百年頃■から始ったものと考へて字屯。琴qに瑛及にぢ﹂最初の王朝Jで建設Lたノ予ス︵買ニヘJ︶王は 凡そ丙妃前四千四百年頃め出穂で、みつて、爾凍瑛串の歴史ら文明も審酸上成立したのでぁるから、 瑛及と印戊との文明的結合が確㌍に諭謹せられた以上は、疾及聖人明がアーリヤ八侵入以前り印度 へ絃入せられたのでみると槻察するのが雷光である。故に印度■捏任はたるドラ斉ダ人はアーリヤ人 の侵入以前海を越えて妖及若しくはメソポクミアから、否軍ろ両地から各種の文明的和子む豊使な 印度の同士へ移植したヾし考定せねばぢらぬ。 以上獄々論述し㍍頂によつて、アーリヤ人位入澤時の印戊に於ては仮にアーリヤ人の文明よりも 一層進歩したドラガダ人のそれが成立してゐたといふことを稚許し得ろと想ふ。

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五 定に進んで、非アーリヤンたろドラギグ人の宗数的文化が如何に印度アーリヤ人のそれ■ず督逢せ しめる上に貢献したかに就いて研究しょぅ。 先つ最初に印度に於ける正統的宗故に重要な関係き弔する琴羅門飯山七僧侶階級の避掠に就いて 考察寸る必要がみる︵︶健筆︵買l⋮︶などの婆鹿門法典に示されてをるやうな導羅門族な最高位に置 く四姓の階級制度は、吠陀の讃歌に於ては全︿見出すことの出凍ないばかりでなく、首陀羅放を最 も単願と看催すやうなことに対しても、それは何等の詔標を輿へてゐない。岱又異った階級に属す る人々が一緒に生活し一楕に飲食し互に結婚する=し﹂Jで禁するやうな法度は、吠陀の何庭にも静見 されない。只一個所ブルシヤ ︵ロー⋮讐︶の口が憲羅門と㍗アり、その屁が別語利とへ与り、その股が吠 合と〓−,,、一/ゝの足、ヂ・三日琵芸が生じたーこいふ口車宣言二三き誓∑誓一二一∵−を一三∵.主ハ︵︻〇・え〇・一 二.︶.琴■仁ハ撃だ十季皇至言義恵一畠毒≦苧︸、−モ∵羊一﹁≡手芸︶ニ三三三雲三竺エ∴萎亨八子ご﹁ I︻∵l三三ニラ三言苧、こ†∵一蔓√ノて言こ章こ、J⋮言≠ご雪二−三丁−ノーイし三言三∵⋮一一′−二二二二−二三.︵一 ど三言婁で三三= 芹Ll一三と享琴⇒胃亘こ冨㌻て−に、享妻三三妄言≡︰丁二二言言豆、二三こ一こ一−■子三.∵﹂宗で・こ三 富 要嘉一亭主喜子l、舅草し享フニイ︰ヘー・・ソン︵〓三≧≡≡ニ董︶三・に事妄■二言こ三二㌻二〓=享≡=≒ 音信印度に貴ける弄7−すヤ人葛¢宗教的主食

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〓ハ 古代印度に於けろ非アーづヤ人種の宗教的文化 ︶ \、■−一′ \J 細 t11e冒号︶。︵:︶・=や∴ごナ︶に於て、↑和義的箭別、rト世襲的拙や▲ご琴\組合、亡他抱に類例を \■.ノ 四職ま㌫世登仙必然に特別軌琴す乙ことによつ 見ない程度に於て、仰侶が高い地位を占めたこと、 /し \、−ノ て、司祭族の血統が高貴ビ認められるやうにへ号つたこと、元結捕職業軌公安転に闘寸こ呑′\人謂的 ︵ 法則が印度数の致説によつて努めて支持セられたこと、その■他敢曾㍑位及び血統に封†る高根なr が、印度に於ける伸椙級制度碓立の原因であると説いてなち。次仁王⋮フィールド ︵芦㌫C〓︶氏は基 の芸占ユC巧くic弓已.こ1C㌻告ぞ賢⋮≡一C字−ユ≡ノ、星︵室〓︵し′﹂⋮ド雲⋮⋮1き。︵≡.﹂にア・いごに於 て、印度の階級制淀は純ら職業的精分た基いたものでぁると豊麗し、・叉木ユノール ︵革ぎ≡こ は 其の著へへー﹂C仇︵をc=㌻s IJ、㌻ニ㌔︵Ⅰご芦︶に於て、T印度り贋大な地域直情み小国鵡右増加せしめ ′′■lヽ1 \J る傾向のみつたこと、 l応化民との接周によつて、印度アーリヤ人中其の血統に射す去高滝心Jで故 ︵ ヽ︶, 敬したこと、亡儀式上の純潔Jで保つ軌念から、 手工的芳働Jピ合む職業には上米艮を使用したが、苗 \,− 等な職業はアーブヤ人が占和したこと、同業り不滅い法則によつて決定され∴貿精が各人に輿へら ′′■..\ \、■■∫′ れるといふ輪廻説の影響二九散在した岡野で籍令すべき政治的勢力︰り誉〓てた﹂こと、∴婁羅門制 −−1.′ .11 度が漸次婁改し・だ権威などノで以て、印珪階級制珪の起因とし、最綾にリスレー︵H〓㌻lニ≡ハ・こ氏 は其の苦■へT11CI︶宍七le〇ニーーニ㌻。︵P・−︶・㍑3皇G・︶に於て、此の制伎り起源Jで串軍り基碓と虚説む構 成との南方而から説明した。前者は印捷に限らす廣く行はれた革質であるが、印既に於ては其の先

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住民よりも温かに皮膚の色白く、より偉大㍗か醗格Jピ符Jり、而−、三倍好戦的性質Jピ具へてゐ六﹂アーツ ヤ人種の新聞憶が其の西北境から綾々侵入し凍るや、彼等は先住r、畏の冊1い婦人から妻Jで選んだが、 人絹的高慢心に効かされ/し、彼等の子女特に娘に対してきれ以上力邦姉ま融禁したから、設に彼等 の子孫は特別な階級となるに至ったのでぁると視る▼りでぁる。技ポは印揉特有の.罠囚であつて、婁 羅門法典に於て、婆確門族︵膠族︶は梵天の口から生れ、別語利族︵士族︶はその脆から、吠曾族 ︵庶民︶はその股から、菅陀誰︵奴隷︶はその是から生れたのであるといふやうな全く虚構の起源 説を倦へ、それが一般に信せられるやうになって、技に愈々境然たム閤娃の制度が確立するに至っ たと考ふるのである。 以上の異説は、要するに印度階紋別度の起源を人締約職要約政治的宗教的及び地理的基礎に求め んとするものであつて、いづれも首肯すべき眞聖を企んでをるが、併し印度附級制接山根太的避拙 論としては革質に邁應し㌧い欽鮎がある。就中叢も有力h甘見稲と想はれ乙人種的及び職業的根技説 同一人種に威し、同一職業に従事す早着の閤に階段前妻別山存する一一い廿㌍に照してみると、根 でも、 本的起源を擢んでJでるとは謂はれない。殊に若し之等の根転が貴の起源モあぇたらば、西方印度・よ りも寧ろ北方印度が階級制度の発達地でなけねばならぬ。併しながら、串雪上此い制圧は北方印度 捕 に於ける敢骨盤活よりも南方印度に於けるそれに一畳有力∵三好電撃与役〓Jで鋤めてJでら。子すれ 古代印度に於けろ非アーリヤ人種の宗教的文化

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350 ば、此の制度は北方か′ハ陸路Jぜ謹て印疫へ軍人し■※つ、だアーブヤ人が草書卜符Lたサブタ・シソド フから所謂ラーデュブクーナー︵眉亨昏︸ヱ海及び東毎によつて仝/\冊頼托されてゐ托掠度郁︵︵苧T dlly古山以南のデッカン︵冒c︵菖︶地方ノで中心とする南方印控離ちドラギグ人の木沢抱に嬰し叢高の 螢達を提げたものと翫ねばならぬ。梨倶吠陀の詮棺Jで光明として舌代印度の地相隼的桝冤盲恵みた

結異によれば、現今のラーデュブターナ一地方の大部分立にそれに鱈く出・畏友び蔓パヒマーラヤ山

と頻度耶山放との問に債はる零万諸州は殆んど貿泡であつて、之等畢棺桶汽によつてサブク。シンド

フと現今のデッカン地方−とは分割されてゐたのである︵AE≡ニ︹一㌻こユ⋮芋壱窄ノrL㌻㌻ニニニ、rur I− ワ︼〇.︶。而して梵語のドラギダは﹁甫カ﹂といふ烹議なぃ穴︰し、所謂ドラ弄グ人の赤沢弛∴る苗カ所 度に於て階級制度が十全なを達を途げて、社告生活の基本的要素となつたしLすれば、此の吊艮一り払

本的起折はアーリヤ人に存しないで、寄ろドラギグ人に在ったのではみゃまいか主布へられる。少

くとも散骨生活の高位を占むる特殊的慣侶階級の発生は、ドラガダ人︵り票数的文化に基いたのでJ直

るらしい。

梨倶吠陀にはアーリヤ人の敵の中に畢描位の存在したことを明示せる開所が抄︿たい。即ち﹁汝

︵因陀羅︶は託くべきカノピ望し臆締位の敲を折超した。闘雄だ汝︵因陀羅︺にリデシ三リン ︵山号て。エ 古代印度に於けち非アーリヤ人在り宗教的文化

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こ;㌧1ユ を援助して、。ヒブル︵︷︶iト⋮ニ︶の最此空文似通して、ブスユ放智打主音した。﹂︵丁五一去︶といひ、 又﹁閂陀牒よ、汝が爪警生軍で殺字した時、汝に旋法はり叩几文に打粘った。﹂︵T三二・閤︶といひ、 荷又田陀躍り敵たる悪魔ブリトラ︵ゴぎエJ・〇ガーナヴ ︵亭⋮ノrエも阿位撃量ハに虎捕を使ふもの として侍へられて努Q︵こ・一一・九−⊥○︶之に由って視ると、ダスエ族及び龍野で鮨わとして其

の他の非アーリヤ八軒たる印度尭住民の閏に監㍍結か存在して、㌣事上政治上標成吏鱒フてゎたこ

とが到る。而して琵に描謂接待使が何侶鷺拡に攣りる・、■㌫二∫項ろことは言ふを俣ヤ㌫。然るに、印

度アーリヤ人の配付︰には宗教損隻慧右ゝ♪昭雄の人間の存在したこししは認め得るが、祭祀は一般王

各家長を中心として宿はれたのでぁつて、≡草上豊治上に鞋別の樟成を毎った僧侶石仏るもりは本務

存在せなかったらしい。故に婆患門階級の碍工及びそれが刹樟利光以上に勢力ある地位を占めると

。ドラギグ文化の本津山たる挨及に於ては、

いふやう打てことは、元ドラガグの閏圧であつた

らしい

王族に次いで何放と十放ししが最高の地位空中望﹂ゐたのでぁつて、王は丙族中から其の宰相及鮎問

を選出するばかりでなく、王自身も常に雨族のいづれかに屈してゐたの′であるから︵︸Ⅰ㌃t・ヒ宇戸こ t訂ノく隼こーぎー﹂﹂︶.2じじ−琶〇.︶、ドラガダ人は此の瑛及の慣習に影響Jれて、魔兢輔に高い地位

と稽成とイで輿へたのであらう。併し、舌代淡揚の制度に於ても、仰侶が蔓揖階絞に鳥してゐたので

あつて、而も僧侶階窟のみ同族結婚を行うてゐたので争心から、ドラガグ人の比の悶皮は或は技持

古代印度にこ於ける非アーサヤ人種り宗教的文化

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二〇 古代印度に於けろ非アーサヤ人種の宗数的文化 から輸入せられたものであるかも知れぬ。それは兎も角も、軍諮門放と印度掃住民との間に憂接な 関係のあつたことは、梵書の記事によつて窺知すろことが出・▲嬰㌔ 梨倶吠陀に於て、或は天地創造の頑として二〓︸二一C・九︶、或は耕堂へ㌧澤想的拉郷家として︵三・ 五四・一二︶、或は囚陀羅の花杵を造ったものしJして︵㌻三二エ﹁ T五二・七、㌻六一∴ハ︶、頻りに 其の名が侍へられて可なり寮要な地佗を占聖﹂字リーい、、ワシュク︵ゥ⋮笠エが、アーリヤ八であることは 明かでぁるが︵一・一四二二〇︶、併し彼はキアーリヤ人たる印捷頂佳良十−由に元の魔縮緬と嘉接 な関係があったらしい。アイクレヤ梵苔︵﹂∈萱ノ︶r“ニ訂︼−⋮蔓工七・三∵n・二に依ると、彼にはブリトラ ︵<‡rP︶と井シュブルーパ︵5キ≒︹官1︶との二子が、みつて、彼等は共に園陀羅によつて殺されたといふ ことである。而して前者は悪魔グーヌ︵亡ぎ=︶諺符として生れ︵梨倶三。三〇・八、㌻三二。九︶彼自身 もアーリヤ人から蒐魔ヾしして取扱はれ、特に魔力・ある着と茄侶さ往てゐたのである。然るに、タイ ティリーヤ焚書︵≠iH㌢i︶ゴ冒巴1m甚エに於ては、掟は婆鹿西とへ?ゥ、その見り損#シュプルーバと行者 ︵Y註︶の姿をへ仏せち阿修羅と梶尾再の姿イゼぢ㌻阜阿轄羅アルクルマグハス︵Lざ一⋮=宣・左︶と共に固陀 雁によつて殺されたと佗へられてをろ。かやうにアージャ人に取って悪魔王もブリトラが婆羅門と 打アり、又阿修羅たるアルクルマゲバスが婆誰門の形相Jピ取ったといはれてをる折から祝ろと、婆羅 門なるものが非アーリヤ人と切輯寸ことが出水ない関係のあつー㍗∵−とJで推察し得る。而してト⊥ソ︶

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353 ユタの他の子たるガンュケルトハはタメ・テ∴Jリーヤ本集︵≠ぎiそ㌣rぎ∑−i︷ヱに依ると、所々の慣侶で あつて三伯のロを宥し、第一の口では蘇摩を飲み、琴一の口では須羅︵警rざぜ飲み、箪この口では

普通の食物を取・り、而して桓に彼は耐々が正昏に供物の分配に興り得ると蟄一己すろが、併し私語す

る場合には阿修羅がそれに和思するものであろと言ひ慣れてゎたといふことであ∵る。蘇摩はアーリ

ヤの神々の嗜む飲物でやり、須躍は阿倍尾の用ゐる飲物であ丁り、普通の食物とは言ふまでもぢく人

間の取る食物であるから.井シュグルーパはアーリヤ人の神々からも非アークヤ人の阿修羅からも

一般の民衆からも、それぐ供物を捧げられてゐたことが判る。故に彼はアーブヤ人の赫々からも

崇罪せられ、表面上供物分配に閲オノる彼等赫々の権利を認めたけれ共、衷心に於ては其の権利を以

て皆然阿修展に綜すべきものと信じてゐたのである。換言せば、彼は只表面に於てアーリヤ人の神

々に韓供してゐたけれ英、内心に於ては非アーリヤ人の赫々を信仰してゐたのである。困陀薙が彼

の三頭を切断して彼を殺したといふのも、つまら斯る信仰問題に起因したのでめらう。併しながら、

彼は既にアーブヤ人中多数の信者を有してゐたから、国陀雁のかゝる行焉に対して彼等の赫々は彼

を詰責して、披から蘇摩を奮去ったと侍へられてをる︵アイクレヤ梵書七・三五・二︶。 上述の侍訣に由つて観ると、、ダットラ及び罪シュゲルー.♪の父たるトゲシュクはアーリヤ人ではあ

ったけれ英、印度先住民の婦人と結婚して彼等非アークヤ人の赦曾に入り、其の物質文明たる技循

首代印度に於けろ非アーサヤ人種¢宗教的文牝

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35j 二二 古代印度に於けろ非アーワヤ人種¢宗教的文化 丁壷ヤ其の㌍昭文化たる㌫数信仰やを鮫得して、以て或は因陀諾い︹パにれカへ仏式冊㌘u杵を造り︵梨 倶丁六一エハ︶、或は申のて供撥の一桁杓を貴下︵同丁二〇・六︶、をの化アーリヤ人の文化生活に貰 駁すること多大でJりったから、拉はアーリヤ人乳督に於て群付mに竹竿†・りれ、﹁私は㌶一生トゲシュ クを一切得和の所有者と呼ぶ。彼は只吾等ばかゎに思せしめたい。﹂︵居伽・〓子一一〇︶と讃へらわ るやうになった。故に決意すべきことば、トゲシュクをして只アーリヤ人のみの専有たらしめたい といふ念願の表現せられて字っことであつて、由って以て彼が他面封建発作艮に封して同情と忠敬 とを沸ひ、彼等と身盟約に、も焼川柳的にも結合してゐて、純然たるアーリヤ人としての琴浴態軍ぜ凹 親せなかったことを推知することが出凍る。而して彼の両手はいづれも内心に浣く非アークヤ人へり 宗教文化一で誤へて婁鐸門−こな卜/、胃陀錐にその内中ピ琉磁されて莞されたけ霊衷、彼等はアーリヤ 人の間に既に抜くことの出挙仏い票数釣椛化を琉‡丁てゐたので争′ハもか\言付設に基いて考察す ると、トヴシュ々/は印度掠任のドラギグ人の文明と印度アー・リヤ人のそれとの抜机拙合には、㌍に重 要な役目を勤めたのでぁつて、前者の文明は主として彼を通じて接着の融合へ悼へられたのでぁら う。而して彼の繭子ブリトラと井シュブルーパとは或は最初の壁羅門侶であ・つたかも知れない。冒 陀薙が彼等を殺害したことの焉に、アーリヤ人の最高新たる麓で すら其の罪を負はしめられたとい ふやうなことから、婆羅門何の特椛が守ら認められるやうになつたのではある、まいか。

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荷又梨倶吠陀八・九六・二二1五によると、アムスマティ︵Amsum註︶河若しくはヤムナー︵Ypm守 −1ヱ河の沿岸に任して二崩の従者を有してゐたクリシュナ︵︵ir、.意膏︶主名くるダスエ族の骨長が、 その徒者の助カを似て足任せるアーリヤ人を苦め佗といふことであるが、此の先住民の骨長光るク リシュナが婆羅門の特別の保護者として、又軍歴門の足を沈澱するものとして倍へられてをる︵○〓・ 訂mい声eS⋮⋮1乙許′pe諷P・芦︶。而してクリシュナが皮膚の色の黒い非7−リヤ人であつたこど は、印度の美術−−殊に摘塞が忠賓に保存した倍説である。 上述した所に依って、軍羅門階級の成立及びそれが刹帝利階級よりも一層高い敢曾的地寧ピ占ひ るに至ったことは、印度アー,ヤ入国有の制度ではなくて、印度先住のドラガダ人の宗数的敢骨壷 活に其の起源を有することが、大路推定され得ると想ふが、最後に此の推定を更に在寮にする筍 現在吾人の目撃し得る革質に基く二稀の考察を附加しょう。 第一に若し嬰應門が本来アークヤ人の曹侶階級であつたならば、因陀羅及び婆軽部︵雲⋮蔓︶そ の他の吠陀の預々の崇罪が、嬰旛門の印度教徒散骨に於けるが如く、印度数に於て僚勢にへ与つたに 違ひない。然るに、質際吠陀が其の後引培いて宗教上に使用せられた影響のあつたにも拘らす、彼 等所々の崇弄が幕霹上消滅して、葬吠陀約諾仰の崇拝が之に代ったといふことは、婆耗門の一票致的 本蛋が葬アーリヤ人の信仰に基いてゐたことを澄明すると謂はねばならぬ。第二に準羅門幣浩0若 古代印度に於けろ非アーサヤ人種¢宗教的文化

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しい特標は左の肩から石の腰へ斜に掛けられてをる三倍の米綿の招であるが、それは此の陛耕帖が仲川 ヽ を紡ぐことゝ原始的結合のあつたことを表示するものでぁつて、而も紡績は慌かに吠陀∵−於けろア ーブヤ人の技補ではなかったのでぁる︵b∴享をl・い寧の冒弓㌢已さ琵c−毒−ニーニ已㌻コ︹一旨⋮■e・ワ︷︶・ ひq−∞・参照︶。 七 嬰羅門階敢の起源問題に閣聯して考察すべきことは、婆羅門生活の理想的過程・′Lて所有法典に 規定せられてをる周期制︵訂.・竿≡≡︶の最後の遁世期︵苧⋮︶鼓ニ︶に於ける遊行請︵ト.2■rJ掌㌻︶砦 しくは沙門︵誉誉⋮七︶り些線に閲する問題である。 嬰羅門四期制の中濃彼の遁世期は婆羅門数に取って最彼の冒酌を達すべき[誓b重安な票数的生活 でみるが、吠陀讃歌に於ては斯る宗穀的生活に就いては明かに記されてゐない。印度アーリヤ人の 敢脅に教生した噂誰門階故に似追うた何侶階級は欺洲及び披斯に於けろアー・リヤ人の離合にも見出 し得るが、遊行宕の宗教的生活は印度以外アーブヤ人絹の至又洗に於ては其の錯方さへも発見する ことが出来ない。故に之は印度アーリヤ人特有の宗教的制度でJのる上に、バクド∴−ヤナ︵㌢ud−−チ yPゴエの法典︵二・六・二・二八︶摩菟︵空F≡1︶の法典︵子二三〇︶及びチャーンドグヤ奥義垂 ︵︵︶r賢dC讐;U−︶E思乙﹂芦−Gナム︺なぃ亡に於ては、四軍制り中最初り二期のみを規定して、最後 古代印度に於けろ非アーリヤ人様の宗教的文化

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の遁世期に就いては何等伯ふる研がないから、かく最古の法典や奥義書やに第四期の欠けてをるこ

とは、再生族修行の階段が本雄三川上分たれてゐたのでぁつて、之等に遁世期り加へられたのは批

較的後世に屈すること一ざ暗示するものと謂はねばならぬ。従って第閏期の遊行生活は印度アージャ

八田有り制度ではなくて、印度尭佳のドラガグ人の宗放生活にその本源を敬したのではわ皇仇いか

と想はれる。

梨供吠陀石・二二六・丁七には、卓尼︵芦−こi︶に関する記述があつて、まンガル氏は之を第 四期の遁世老と茄催してをるけ豊ハ︵Sr㌻1ノ、已ち管・;⋮1A−︹ぎ左]・ニ︵1㌻i三︼−eAgeOご︼岩賢† 言−︶・コ・︶、既にこれに射してはマクド子ル及びキース両氏の異字産衣せられて 官↑Cd2=と ≡乙−≡こ−己c旨く︵一︵︼訂字−ロモ到底彼の詭は認容されない。又阿闊婆吠陀︵Aニ1弓手互ぃ√雲●︶ には二フラータイヤ︵手書︶と呼ばる∼師秘的存在者に関する記鋸がJのつて、遊行する所の彼が客 人として凍る時には国王及び人民によつて尊敬せられると侍へらる∼鮎は、如何にも遊行者と似通 ぅてをる所から、ロブス︵−夏︶氏の如きは其の著へへSr冒eH算式ヒぎー⋮ヰこに於て、此のブラー

ティヤを遊行者と同一視してをるけれ共、是れ亦マクドテル及びキース両氏によつて指摘せられた

迫b、アトバルブ吠陀に於けるそれに関する記述公雄から観れば、それを克て寧bに遊行者に和宮 せしめることは早計と謂はねばならぬ。併しながら、梨倶吠陀に於ける卑屈よりは此のブラーテ1 古代印度に於ける非アージャ人種り宗致由文催

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358 古代印度に於けろ非7−りヤ人稽の宗教的文化 二六 ヤがより多く山辺術宕に舶皆せしめる可蔦怯を有してをることに、軍、にれへ与い落第でJ?Q。 棺令ブラーティヤが質にに於て遊行宕でJ¢つたとしても、故は琉Lて精荘なアーリヤ人でないこ とは、遊わ岩そりものゝ生活桧皮から列宣することが出衣る。貴行宕としての宗机㌦釣生活に入らん と欲する輩は、結盗・祭捜・伏校友び吠陀由詣禦仏どアージャ人としての一切の特徴を放棄せね豆たら なかった︵㌢阜萱1p・−Ⅰ・︶ばからでなく、彼等は諸紳貴び婆羅門Jピ零敬せす、冊揖牢〟・伝せ、す、融合 の放ての階級から食料を受け、すべての人々と共捻出ハ食するこごを詳したのでJJJる︵ヮこ・賀二三阜1〓l ︼ハナH・Ⅰ・P・−讃︶。かやうに遊わ者が最初にアーリヤ人の一切特標を捨て、アーリヤ人の信仰及び 慣習を打破する態度を耽つわハニとは、その票数生活の起源が非アーリヤ人に在ったことを維持に物 語って一ぜる。 併し斯る遊行老の生活が発想的宗教生活としてアーリヤ人によつて鴇用せられて、彼等の書彼の 修行階段となるや、佗命外形に於ては結髪祭櫻ぢどのアークヤ人の友軍で捨棋するも、内心に於て は依然之等の表殻を棋綾してをるといふ見地から、﹁知を祭猥として、内在の捜昆を羞くる茹は此の 世に於て之を知る着でみり、 叉虫に祭殿を着くる着である。⋮⋮⋮:⋮知よ卜成る結髪のみJ言叫⋮︿老 は知宕でぁつて、異に結髭を戴く老と印せられる。﹂︵忙ぎ1ごニ≡︼−.こ〓∵干⊥∴︶と致へ、又﹁詑︵㌣ ︷2三−︶は蟹舶封・放言・智慧より成る。之は耐火にわが蓑上の家でめ・ワ、賓にわが浩簸でら、り、葦にわ

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359 が祭理であると知る。﹂︵P弓2n乙蔓ぎ占ワード︶と説いてJでるが如きは、本務印度克任の非アークヤ

人の宗数的文化であつた遊行生活を嚢の内面的意義に於てアーリヤ化せんと努めた君達であると観

ることが出凍る。

斯くの如く遊行老はその外面に於てアークヤ人の特標及び表徴をすべて放棄するけれ共、その内

商に於て精神的意療のものではあるが、依然として之等の標徽を皆具へてをると脅迫せられて、ア

ークヤ人の宗放生活の一要素として取入られたのである。併し種族保存の見地から、結婚して子孫

を畢げることを重要親した一般の婆應門思想家及び梓法的道徳的暫単著は斯る宗教生活を最も怖る

ペき呪ふペきものと看倣したのである。梓法華老中最古に屈する一人たるガククマ︵G邑巨P︶の如 きは、結婚せる家長が子を生まない他のすべての階段に在る人々の本源でぁることを宣言し︵三・ 三、三・三六︶、バクド♪−ヤナ︵P已訂y呂P︶の如きも彼に従うて、只家長の一階段のみが存すろ ことを主張し、﹁他の階段は子孫を生せないから、存在するものとし/﹂認ゆられることは出奔ない。

吠陀に於て据滞㈹せられた善業を棄て、人天両界から粧れて、只梵の超越境にのみ専念する所の之等

の階段の人々は遂に絶滅に録する。他の三階段はブラフラーダ︵‡巨星エの子カビラ︵国号㌻︶と 名くる悪魔が両々と反射して之撃で持込むまでは団内に存在せなかったの▼でぁる。﹂ ︵ⅠⅠ・G・Ⅰ工・誓 1ゴーI・琴︶主言ってをる。之に由って観ると、印度アーリヤ人の投光融合には只家任期め世閤的 古代印度ドニ於けろ非アーりヤ人種の宗教的文化

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360

古代印度に於けろ非アージャ人種り宗教的文化

二八

生活があつたばかりで、特殊の宗教生活と睨るべきものがなかったと謂はねばハ㌧ら甑。殊にアーリ

ャンの所々の敵たる志度が初空し之を拭内に葦込んだと佗へられて要員から観れば、愈々之が非

ァージャンに其の起源を石してゐたことが推定せられる。

締又此の遊行老が西紀前攣ハ世紀頃からバクドてヤナの如き法典作者から弄アーリヤンの骨陀

羅の男子と吠合の女子との離婚から生した下等ぢ混成種差と茄仮され、従って繁雄門数的成化り極

めて稀薄でぁつた塵迦陀︵買g註す︶を中心とする東方諦観に於て遊行宕の閻隊即ち捜じて婆羅門

致の侍承的確威を否認すろ所謂沙門閻の蜂起した窮賓に基いて考察しても、遊行生活が非アーリヤ

人の宗数的文化から洗出した印度特有の修造的形式であつたと断定せ.ざa云ふ鱒∵いC 後世の噂鬼門寧畏に於ては、死後の生活が盛んに説かれてJ冨が、梨供吠陀の讃歌に於ては之に

関する叙述が殆んど見出せないほどである。惟ふに吠陀時代の印度人は極空し欒天的活動的でぁつ

たから、死とか雄性とか

いふやうな問題に就いて深く考察する倹地を持たなかつたのであらう〇従

って彼等の凍世に閲する多少の見解が批較的後世の成立に係る梨倶吠陀篤十幕第五十入費に於†の

み督見せられる。その見解に従へば、火若し︿は墓は肉髄のみを抜放す去けれ共、死者の奥の霊魂

は不滅であつて、その竪魂は死後ばかりでなく郵意識の問に於てすら内懐から分離せられろといふ

(32)

のである。而して死者の霊魂は或は古道に向つて電光の去つ草虞に逝き、柁摩︵Y書lエ及び寒桜亦 帝王に面督すると言ひ〓?一四・七︶、或は水若しくは草木に移り往くことが説かれ二〇・一六・

≡後世の輪廻輪生説の茄芽を示して字¢。然しかくまで界達した設が只一二の絃世吠陀詩人の翠

なる容想から揖たと翫七=とは固茹であ去。多分印度へ移住したアーブヤ人が印度原住民から斯亮

方面へ進む最初の思想的街勃を受けたのであらう。而して印度原住民の文化の本源たる按及に於て

は、夙に霊魂の不滅及び来世の存在に関する宗教的信仰が確立してゐたのでぁるから、ドラギグ族

は其の影響を破って、不滅の霊魂は肉健を離れて、或は剋先の逝ける虞に於て或は水若しくは草木

の中に於て其の存在を解けるといふ極めて素朴な信仰を布し、之を侵入者たるアー∼・‖ノヤ人に侍へた のであらう︵声を差〓いS己許−■iニLi旨旨re︶ヮ∽芦参照︶。

又後世の印度数に於て最も優勢な地位を声望﹂をる前々の性質及び其の表徴を研究すると、彼等

の中には全然非アークヤン系統に属する者、若し︿はそれに影響せられた弟の存することを賢兄し

\ 得るのでぁる。現に印度致の中心画格をなせる保護画毘親蓑︵く宮己︶及び破壊前提婆︵苧ヱは、 創造紳たる梵天︵苧ニ1m針︶と結合して宇宙神格三身を成してをるが、之等三軸の発達にはドラガダ

人の宗教文化が興ってカぁったことを観過してはならぬ。

机 先つ韻婆は印度致の宇宙神格三身の丁︼しては半ら破壊的方南を司る紳とへ与つてをるが、併し彼

古代印度に於けろ非アーリヤ人電の宗教的文化

(33)

が男根の石像即Jエ朋謂リンガム︵Li﹁広⋮−︶を以て宏視せられてをる㍍から巌ると、役は根百 生殖の 所・生命の赫。従ってヌ恩志の蹄でぁらねばならぬ。投の前身は吠陀に貴けるルドラ ︵︼ぎF↑︶であ って、常時は未ださほざ有力な昆位を看してゐなかったけれ嘉、基い相投.⋮出方訂と㍊恵的方面とは 既に具へてゐたのであつて、震は一面に於て室戸。い咄埠嘉しくば㍍光の掃バ牢〟L以て普︿人畜を殺重 し草木を損傷する荒和として末現せられたと同時に、枠毎に於て人吉の釣J〃﹂捻でノ治轟岩として令敬 せられ、梨供吠陀−〇・九l一・九には言群忠志車烹・揖するシザの名が畠へられてをる。惟ふに温婆の 生殖的恩富糾方面は多分非アーブヤ人り宗致的影畳にーよつて登通せしめられたのでぁらう。 凡そ生宛器賛辞は舌代に在っては全世界に存在した祷岩山でぁるが、青竹浣Hたー於ても亦之が非常 に流行した。舌代坑及人と接㍍し.ヤ∵∴フギグ人の問にも此の︹い呈抒が拍はれてゐたに違ひない。故に 梨倶吠陀七三一・五には男根の志免セ※舞した和琴ぞ 訂妄ぎニ1 とい皇口琴で以て示し、失佗 のアーリヤ人は此の和の虫芹曽丹誠し∴と見え一\ 彼等Jで草相原羅刹い樟Hに入れてをる。技に闘鶏 賢−︸己3︼lはアーリヤ人の二ギJりつたかも知れハ告が、彼等lま吠陀㍉∵−リヤ人から挿斥せられ てをるのであるから、リンガム告辞は印圧アーリヤ入閣有のものでは小畑︶く、多分印戊先住民から侍 へられたのであらう。而してリンガムが準昭平り・宣役と言つたのは、舌代娯読に於て牡牛がオンリス ︵○㌢is︶ に射して神聖であつて、それがオシリスと同一配せられたやうに、印度に於ては温婆と址 古代印度に歩けろ非7−リヤ人種り宗教的文他

(34)

3(;3 牛とが密接に結合せられ、文吉代挨及に於てインス︵㌻︶が牝牛−と同一視せら往た詰異能牛が神

聖な動物として奇祭せられたやうに、印度王於ても亦牝牛画聖記が盛んに稲へられた茄、牡牛と牝

牛とは共に紳空な勒物とぢり、而も之等が夫々男女の重点描撃ぞ現はすことゝ打†り、違には男根を

模したリンガムを以て牡牛と関係の争っ提琴り表徴主上与に至ったのでわらう。故に温当の生殖的

恩志的方面の信仰は葬アーリヤソの宗教蔦念に三つて蟹展せしめられたものと霊草して然るべきで

あ′る○

提琴の要の一人たるカーリー︵持巳こは後世の印度故に於て横臥せる泥婆の上にもの凄い舞踏を潰

する女神として表現せられてをる。而して其の色は飽くまで黒く鼻は意中で口は大きく、胸部は脛れ

上り、靡や厚は非常に張り、四肢は攣蝕し、多くの軍官辺て式琴竺振廻し、窯王怖るべき形相室小す

、と同時に、常に血に渇し、特に人間の血を要求し、若し動物の血が捧げられない場合には人間の血

を取ると信せられてをる。か1る女砕は吠陀軍役の出現セあるが、撮誓卜封する牡牛の如く・此の

女神と野年とは密接に結付けられ、産出の女郎として窪められてをる。倦ふに印度に於ける家苧こ

しての牡牛は、印度域外の野生の牡牛から取られた㌻bのでめつて、多分アーリヤン嘩人竃によつて

欝されたのであらう。此の想定に基いて、吾人は印農奴に於て大切な要件主仏つて守っ牛肉を喰ふ

こと、楷に牝牛を殺すことノぜ最禁するタブーの由牢で認印亨心ことが出挙㌔アーリヤソ侵入者は

古代印度lこ於ける非アーりヤ人種の宗教的文牝

(35)

苗代印度に於けち非アー・巾ソヤ人様り宗数的文化 三二 猟 彼等の家畜を保護する為に、自然彼等を殺すこと、特に牝牛・官設すことノ∴■小・艮的照準となすに亨り、 此のタブーJぜして有効王らしりる骨明に、彼等に之む柁仰い守日工J㍊に・十王㍗艮∴滝川し小上山である。枚■﹂ 野牛Jで食崇することは、吠陀以前のドラガダ人の凰窄■㌻りつて、扶∵にユノ立∵りして帯〓∵誹作L 、 たから、之を産出の榊と結合せしめたのであらう。若し此の捏㌫妬か串作目に点ってJノ・えと†ればカ ーターの和形から考へても、此の女帝り・電源は差デーリヤンの印愕㍍仁㍑にい圧∵上しし叫再はねばトナり 沿。 次に印度数の宇宙輌格三身中保護を司る毘組仙祝に、にに克倶吠陀に於てmヤ∴舅に隼 キ篇章∴ 百四回その名を怒げられてを乙が、その他佗は㌧は親々た乙ものでぁつ十∵什∵㌍一し朴∼小一n特化に草し と、此の紳は頓に偉大へ与勢力Jで有し、迄にマハーブハーラタに於てそ?丁十∵仁化イで説かる1に至っ たのでぁる。毘如茹の記貌はその英信者の前頼に自と赤とい控扮一イ良て描1㌦いルてJでるナーマーソ ︵字m・ど︶ でぁつて、一部の学者はそれ窒父接り克則旭ご石て字っから、彼も十ゾ温凄L﹂同じく一両∴ 於ては佳蒐の紳であぇ。絆て温婆と堅卜症に杜隼が㍍に錆付けられてJ〟1ろ。律し㍗∴″ゝ㌧ 毘用什揖にト 亦温婆と同じく破壊的方而のみ乙ことを見通してはヘサらね︹︺ニれは毘招付根浣の空繋㌧準皿ハブハガ・け ド・ギークー︵−ぎ1管ノ1芦l告Jに性根ゾんクリシュナとして招化した毘親拉奴り致霊によつて説叩寺乙こ とが出水る。クリシュナはアルジュナ︵†富エ∴′、杓つて﹁琴は一切を鳴ひつ′、すべき死であ・∩一、又

(36)

ご65 生成すべきものゝ本源である。﹂〓〇・三四︶と言ひ、更にアルジュナは﹁毘細管へ汝は四方を春

暖して、俵口一で以て全世界を舐めつくす。汝はその蛾光を以て全世界を弄して、その怖るべき光就

を以て之を焼いてJでる。﹂︵〓・三〇︶と戚歎して字屯所から執ると、毘椚仙如も械疫カJで有して.¥Q

ことが明かでぁる。故に燭立の湘格としての毘耗薮が生殖と枝放との南申で有することは温婆と異

る研がない。かやうに吠陀時代に於ては全く別稚の耐であつた温婆と毘紐琴とが、漸次同様打性貿

を有するやうにぢつて、殆んど同一紳の地方的和違であるやうに見えることば、吠陀以授ドラガダ

人の宗教観念が印度アークヤン人の紳格を通じて漸次具倍化し、混婆は主として印度の南部に於て、

毘紐茹ほ主として其の北部に於て費達した薦であらう。故に之等両神は勿論鈍らドラギグ人い産出

に係るものではないけれ共、雨着融格の内容は彼等の宗教意識によつて蒲されて一ぜると謂って可い。

最後に創造を司る梵天は混婆ヤ毘鉦鼓のやうに通俗的神格ではない。宇宙頑強三身に於て前竺一

紳と結合せる紳として、又彼の印度哲学思想に於ける本鰹梵の神格化せる天地創造翻として一部の

識者に知られてをるに止ってをる。此の両格が吠陀時代のものでないことは柄かであるが、前述し

たやうに若し婆雁門階扱が印度原住民の票数生活から賓現せられたものでJ吟るとすれば、此の階段

として婆旛門と、所としての梵との問には言語上必然の結合があぇから、此の両格の教生には非ア

ーブヤ人の宗教意識が働いたかも知れない。暫畢的本健として梵観念の成立は、北天に射する通俗

古代印度lニ於けろ非アーⅤヤ人種の宗教的文他

(37)

古代印度に於けろ非アーワヤ人種り宗教的文牝

三四

胴 信仰の行はれた校でなくてはなら温から、をれに閲する素朴な原始的宗致粗食は、婆羅門階放の成

立と殆んど同時に構成せられたのでJのらう。

この外、印度数の痢格中井アーリヤン系統に誓言と怒はれるものもないではないが、今は只印

度致の中心軸格たる三身に止めて軍ト。僻現今印度に於て廉く盛んに行はれてをる腰痛、コブラ崇

葬なとも其の起掠は非アーリヤ民族に在ったと考へらるゝのみならす、宗教壁上から観察すれば、

現にドラガダ人の問に行はれてをる原始宗教に威する諸現象なども諭せねばならないのであるが、

於ら長くなつたから、之等はすべて省略することにした。

以上の所論は甚だ離駁でぁるが、自分が目下試みて掌ら特殊研究事項の関係上、印度原住民の文

化に就いて知る必要を生じた窄一通り手元に在る文琴で捗鱒した結束、生れ出た卑見で李Q。考

語の翻粥や到覿の誤謬などは抄くなからうと想ふが、兎に角此の拙稿によつて印度宗数思想の研究

上非アーリヤン文化に窒息を排ふことの必要が明かになれば、自分としてに望外の光先でぁる。

(38)

367

どうしてイスラエルに汲言者なるものが起こるに至ったか。

この間退を解かうとするわれわれの著しい注意を惹︿ものは︵相加誕訳柄酎㌫媚︶ァ三が警口

老として起った始めの頃の有様である。

それは紀元前人世紀の竿であつた。くにが南北帝王国に別かれてをつたその常時に、南の王匪ユ.

スは突然、北の王国、イスラエルのベタルに出現したのであつた。

ダの僻村、テコアの羊飼ひ、アモ

べテルと云ふのは、その縁起・由来もさだかでへ互いぐらゐ古い霊場であつた︵創、二八ノ二以下 参照︶をこには、宮詣での巡祀の群れが、節ごとにむらがり琴QのJで常とした。ことに、秋の末、

苅入れの後ち、豊かに祀まれたみのりの初穂を威謝の供物として、彼等はほこりが皇宮悦と、ほが

らかへ仏猫足と亨りつて、その宮にたづさへ至るのでぁつた。その宮、べテルは、国王の砕藍屋であ

り、ダンと並んでその囲の帝大敢︵例へば我国の伊勢と出婁の帝大政の如く︶更与して居った。

その宮に、アモスは叫んだ。この宮の紳、囲ツ紳、ヤーウニほ、この囲の君と、この囲の宮とを亡

諌言者の起源

漁富者の起源

石 橋

智 信

(39)

368 ぼし絶たむ。Fイスラエルの空所は毀たれん、紳は剣わもJ・ヱ﹂王、ヤラベァムの家に起ちむかはん﹂と。 宮の祭司、アマジャは、一方、八を道はして直ちに王に奏しヤ∵・一−アモス∴はス∵ものが王家に敬謙 を企てたと。 そして、又、他方、アモスを誠あて、﹁見劣よ! 南の固lユダに逃れ赴け。かしこならば、か∼る預言 を運ぶるとも、却って、糧′ぜ得る道ともならんしされど、こ∼は北の観㍗こり、そり団の富合でり、その 君の御室屋へ与わ。この切に、この宮に、この君に対して、か∼る預言はたオペきに非す﹂とのべ托。 祭司、アマジャは敦言者、アモクぜ、正に、叛諾人と見㌍のでムつ喜。■薙に、その預言は﹁この 固の堪ゆる能はぎる﹄治安妨塗あ言でぁつた。にも係らす、駕司に預言者に愕態一㌣邦へて隣邦に逃 るべく、この地に於ては、更に、か∼ら珠言をハはすべからざるノ、忘糾したのであつた。 確言者山ことばは恐らく迫害に伍へしたものでぁつたでぁらう。然し、迫害は加はって居らぬ。 反って、これに憐憫が加へられて居るのみである。蓋し、常時にぁつて、預言者の勢力が迫害とJま で問題になって居らなかった焉めであらう。 務言者、アモスは、ただ、使命にブラインドであつた。彼れは、使命の榊Jでめみにらまへて、憐 怒り人を顧みへ与かつた。その人り篤き心を顧みす、その言の己.㍗使命Jで犯てをのみ憤って、すげな く彼れは祭司に答へた、﹃﹁預言﹂せよとな、南の園に。われは所謂﹁琴言窮﹂にもあらす、﹁小預言 恐富者の起源

参照

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