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佛教学研究 第64号 006鶴田, 大吾「南岳慧思における禅観の考察 : 禅観至上主義をめぐって」

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南岳慧忠における禅観の考察

il

禅観至上主義をめぐって

i 1

五 口

南岳慧忍における禅観の考察 慧思(五一五 i 五七七) の思想は、﹃槌自意三味﹄﹃諸法無誇三味法門﹄(以下﹃無誇三味﹄)﹃法華経安楽行義﹄ ① の三著作にみることができる。これらは慧患の志想をあらわす著作であるが、それぞれに特 徴とする内容がみり、一貫性を持ちながらも極々に主張する独自の思想が述べられている。それは、慧忠の生き た当時の社会的状況や慧患の教学の深まりの中での発展といったことなどによって異なるものとなる。これまで ( 以 下 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ ) の諸研究では﹃随白意三味﹄や﹃無誇三味﹄ の思想内容を前提として﹃安楽行義﹄が解釈されているように忠わ 一貫した禅定主義の思想であるという見解がなされてい旬。 れ、それにより、慧患は禅観至上主義であるとか、 ここにいう、禅観至上主義とは、禅定の行に重きをおき、定慧の関係からいえば、特に乏に重きおくものである。 しかし、﹃安楽行義﹄のみをみる限り、禅観至上主義という評価はあまり適切でないように思われる。たしかに ﹃ 無 誇 三 昧 ﹄ では禅定の行が強く主張されるが、 ﹃安楽仔義﹄中ではそれほど他の行と比べて禅定の行が格別に 扱われているわけではない。﹃続高僧伝﹄に﹁定慧双開 L とあるように、慧息詰実践と学解との等しき法を説き、 それは智頴(五三八 i 五九七)や後世の時代に多大な影響を及ぼしたと考えられる。そこで、それぞれの著作の

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相違点を明確にし、調々の著作の役割といったものを明らかにすることで、慧患の思想は禅観至上主義で辻ない ということを提示したい。本稿では、 これらのことを検討するため、 ﹃安楽行義﹄を比較してい ﹃ 無 誇 三 昧 ﹄ と く。具体的には、慧思在世当時の社会的状況をふまえるために﹃続高僧伝﹄をみていき、両著における禅定と諦 経の比較検討を行い、また、両著における法身の顕現について検討し、禅定と議経の扱いについて確認していく。

禅定と語経について

高岳慧思における禅観の考察 ー 、 ﹁ 続 高 信 伝 L の記述 ﹃ 続 高 僧 伝 ﹄ 慧患に隠して 諦 コ ル コ ト 法 華 等 ノ 経 ↓ 三 十 余 巻 、 数 年 之 関 一 一 千 遍 便 ハ チ 満 ッ 。 ︿ : : : 中 略 : : : ﹀ 坐 議 相 ヒ 尋 イ デ 荊 ツ テ 、 為 コ 恒 業 ↓ 。 由 一 ﹂ ァ 匙 ノ 苦 行 一 一 一 、 得 げ ヮ 見 刊 ヲ 三 生 一 一 所 ン 行 道 三 事 与 ︿ : : : 中 略 : : : ﹀ 因 ミ ニ 読 一 、 一 妙 勝 定 経 イ 歎 コ テ 禅 ノ 功 徳 イ 、 便 鷲 発 心 シ テ 惨 一 一 尋 ス 定 友 三 ︿ : : : 中 略 : : : ﹀ 乃 ハ チ 以 コ テ 大 小 乗 中 ノ 定 慧 等 シ キ 法 イ 、 敷 揚 引 稔 ど ァ 用 ッ テ 摂 ユ 一 白 地 4 1 ︿ : : : 中 略 : ・ ・ : ﹀ 岳 山 一 江 東 ノ 仏 訟 弘 二 重 一 シ テ 義 門 イ 、 至 一 J テ ハ 於 禅 法 一 一 、 蓋 シ 蔑 如 タ ヮ 也 。 面 モ 思 、 慨 コ テ 斯 ノ 南 巌 ザ 、 定 慧 双 開 シ 、 重 ハ 談 一 J テ 理 義 イ 、 夜 ハ 梗 チ 思 択 ス o 故 -一 所 一 一 発 ス ル 言 無 り 非 ば ト イ フ 致 W ニ 遠 ク ニ 。 便 ハ チ 験 ス ル 一 一 、 国 川 テ 定 -一 発 以 ト イ フ 慧 ヲ 。 此 ノ 言 不 レ 虚 ナ ラ 。 高 主 ノ 禅 宗 李 け リ 不 w 承 け 諸 ヲ 。 で は 、 (大正五十・五六二下 i 五六四上) と あ り 、 ﹃法華経﹄などの経典を読請すること三十余巻、数年の罰に千遍に達したという。その後、坐禅と諦経 とをもって恒の行とし、ある時﹃妙勝定経﹄を読んで禅の功徳に感嘆し、改めて禅を修するようになる。﹃絞高 の記述では、その後慧文の門に帰依して法華三昧を関怪し、大小乗の定慧等き法をもって自他ともに技し 常 伝 ﹄

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たことが述べられる。こうして、特に経典の読請に専念した時期と、主に ﹃妙勝定経﹄によって禅を惨めた時期 と が あ り 、 そして、定慧双関して、各一は理義を談じて、夜には思惟にふけったという。﹃続高僧伝﹄によると、 江東(南朝) の仏教は義門を重設して経典解釈に傾き、禅法を軽視していたようで、 そこで、慧思は定によって 慧をおこし、南北の禅宗で影響をうけなかったものはなかったという。 ﹃読古河情話﹄におけるこれらの記述により、慧田仙の行法の大枠がわかるだろう。実践の行法として、 坐禅と謁 経とをもってし、江東において禅が軽視される中、定と慧の等しくすることを説き、定によって慧をちこすこと を説いた。それは南北の禅を行う人達に大変影響を及ぼした。 南 岳 慧 思 に お け る 禅 観 の 考 察 学解と実践的修行のどちらかに偏るということは、古来ょっ稀ではなく、その典型的な例をこの南北朝時代に ③ みることができる。横超慧

E

氏はこの南北におけるそれぞれの学風について述べている。所学の法と能学の方と 辻離して考えることができない。それぞれは孤立したものではなく、或定慧の三学次第よりすれ誌、戒乏の行に よって菩提の慧が達せられるから行が関門たるべきものと考えられるが、間忠修の三慧次第よりすれば、開法あ って初めて思修の行が或り立つ故に解が着手されなければならない。また、解によって行が立ち、仔はまた解を 進めるものであり、 いずれも一方だけでは仏教は全うしないのである。横超氏は、南輯では義学講経に一偏り、北 朝は坐禅語経に頬き、仏教の正しい在り方として辻完全とはいえなかったとしている。南朝では文義の講究をも ってその肝要とし、北朝では修禅の実践をもって仏法の肝要とされていた。慧患の ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ でも﹁文字の論 師﹂とあり、当時の義学講経の傾向に批判をしていたと思われる。また、北朝において重禅軽講となった理由と して、国家的政策と外国法師との接触が盛んであったことをあげている。北方では道安が格義仏教を排し玄学的 何傾向を排除する一方、安世高の禅観の振興を説き、煩憐を尽くす接道が蔑視されていることを嘆いたという。そ し て 、 印度西域ょっくる党告は、学解と禅法とが別々のものではなく、経典は禅道に実践化されて始めてその意

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義を全うするものとし、単なる理論の討究が目的ではなかった。五世紀から六世紀にかけて、北貌の港陽には仏 陀禅師や菩提達磨、菩提流支、鞍部摩提等が渡来し、禅経や大乗の経論が翻訳されるにしたがって、禅観実修の 嵐潮が主地に普及していった。そういった禅観実修の基盤のある北地の影響が、﹁坐謁あいついで﹂とあったよ うに慧患に及ぼしていたと考えられる。 以上から、慧思法当時の社会的状況もあり、義門に偏る仏教界に禅定の行を見査すことによって、本来の仏教 を取り戻そうとした。最初、出家以後十年間は法華等の読語に専念していた慧患が、 一転して修禅を志したとす 高岳慧思における禅畿の考察 る解釈もあるが、しかしそれは、慧思が経典の読請や義門を軽んじたというわけではない。議経は実践の行であ ④ るとともに、学解に通じるものである。定慧双関とあったことがそれをものがたつている。実擦に当時の社会的 状況として、禅の必要性が求められた結果、慧思の ﹃無誇三味﹄において、禅を特に強調するものとなったと考 えられる。そうして、慧患の禅法がそういった社会的状況で讃、えられ、受け入られたことが、結果、今自の解釈 として、慧思をして禅観至上主義といった捉え方がされたのではないかと思われる。しかし、 そのような社会的 状況を踏まえた上で、実際に慧思の著述をみた持、禅観至上主義というふうな捉え方がはたして妥当だといえる だろうか。それについて、 ﹃続高僧伝﹄をみたが、慧患の著述の上ではどのようにみられる ﹃無誇三味﹄と﹃安楽行義﹄における禅定と諦経の取り扱いをみていき、両著の相違 だろうか。当時の社会的状況を踏まえるため、 をみることでそれぞれの特徴をおさえていきたい。 2 、﹁諸法鎮静三味法門﹂における禅定と語経 ﹃無誇三昧﹄では、禅定の行を強く主張する。 夫 レ 欲 バ レ パ 学 プ 一 ン ト 一 切 ノ 弘 法 ザ 、 先 -一 持 コ 浄 或 ↓ 勤 コ 禅 定 -一 一 、 得 ユ 一 切 ノ 弘 法 諸 ノ 三 味 円 、 ︿ : : : 中 略 : : : ﹀ 西 摂

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法 イ 。 如 げ 是 ノ 無 量 ノ 仏 法 ノ 功 徳 ハ 、 一 一 切 皆 従 川 ⋮ 禅 生 三 (大正四六・六二七下) とあり、戒を保ち、禅乏に勤めることで無量一の慧を得ることを述べ、 全ての仏法の功穫は禅より生ずると、最初 にこのように宣言している。慧思がこの書において主張したかった最も重要なことである。またその理由につい て 続 け て 、 南岳慧思における禅観の考察 河 ヲ 以 テ ノ 故 -一 。 三 世 十 方 ノ 無 量 ノ 諸 弘 、 若 シ ハ 欲 一 三 説 法 シ テ 度 1 一 ン ト 衆 生 ↓ 時 ハ 、 元 一 一 入 コ 禅 定 一 一 、 以 コ テ 十 力 道 種 智 イ 、 以 一 J 法眼寸観察シ克ツテ、以一三一切種智子説法シ度ユ衆 観 三 察 シ 衆 生 ノ 根 性 ノ 差 別 別 イ 、 知 寸 一 真 ノ 対 治 得 道 / 因 縁 マ 生 ーヲ ( 同 右 ) と あ り 、 諸仏が衆生に説法する時、 必ず先に定に入るのは、道種知日などをもってまず衆生の根性の違いを見分け、 一切種智をもって衆生に志とて説法をするためだという。 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ その対治の仕方などを知り、 では衆生を 教化するために万行の名字、差別の異があるとして、仏が衆生を教化するには無量の教化法があるとする。その ここでは衆生の根性差別の観察や、それに伴う教化の方法が禅によって それに必要な要素、 前提に立った上で、 知り得ることができるというのである c ま た 、 その説法の仕方は、 一 切 種 智 ト ハ 者 名 ヅ ケ テ 為 コ 仏 眼 ↓ 、 赤 タ 名 ゴ ヶ 現 一 一 切 色 身 三 味 ↓ 、 事 タ 名 コ ク 並 目 安 色 身 三 味 づ 上 ハ 作 ] 一 一 切 ノ 仏 身 、 諸菩瑳身、辞支仏身、 阿羅漢身、諸天王身、転輪聖者、諸小王身↓、 下ハ作コ三塗六趣ノ衆生之身づ如げ是ノ 一 切 ノ 仏 身 、 一 切 ノ 衆 生 身 ハ 、 無 げ 前 無 げ 後 、 亦 タ 無 コ 中 間 J 一 時 一 一 説 法 シ 度 コ 衆 生 て 皆 是 一 念 心 中 二 時 一 一 在 三

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禅 波 羅 蜜 ノ 功 徳 ノ 所 或 ナ リ 。 是 故 -一 仏 言 ハ ク 、 若 シ ハ 不 一 レ 一 パ 坐 禅 寸 、 平 地 ニ テ モ 顛 墜 ス 。 若 シ ハ 欲 パ パ 箭 ヱ ン ト 煩 悩 イ 、 先 -一 以 W テ 定 ヲ 動 ヵ シ 、 然 ル 後 -一 智 ヲ モ ツ テ 抜 ク 。 ( 同 右 ) 一 切 種 智 と も 、 現一一切色身三味、並日現色身三昧ともいわれる三味によって、ありとあらゆる身を現じ、 仏 践 と も 、 このような一切の身は一念の心の中において一時に行ずることのできるものであり、 一時にあらゆる衆生に説法 するものだという。そしてそれは、禅波羅蜜の功認によって得られるものとする。また煩悩を断じるためにも、 その後智をもってそれを抜き去るとあり、煩悩を断ずるためにも定 先に定によって煩悩を動かしそれを見極め、 南岳慧思における禅緩の考察 行が必須であるという。 慧患がこの書において禅定を強く説くのは、衆生教化のため普現色身三昧など神通を得るためであり、全ての 三味、神通力の基となるのは禅定であるとしている。 ではこの拙伴走にはどのようなものがあるのかというと、定 の 定 義 に つ い て 、 定 ハ 有 ゴ 無 量 ﹂ 総 ジ テ 説 コ 三 種 寸 。 下 定 ハ 名 Y ヶ 欲 界 定 斗 、 中 定 ハ 名 ゴ ヶ 色 界 定 ↓ 、 上 定 ハ 名 1 7 無 急 界 定 ↓ 。 護 タ 次 一 一 下 定ハ是レ声関定、総ジテ擾コ三界三中定ハ是レ辞支仏定、上定ハ是レ如来定、及ビ諸菩薩定ナリ。 ( 同 右 ・ 六 二 七 下

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六二八上) とあって、定は無量であると言いをがらも、大別して三還を説き、三界と三乗とにわけで区別されている。とす れ ば 、 それぞれの定における果も自ずから違ってくるということにもなる。それについて、 以 下 の 文 に 、

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三 乗 ノ 殻 若 ハ 同 一 ノ 観 。 樋 い テ 証 一 一 浅 深 -一 差 別 ノ 異

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知 一 ゴ 大 海 ノ 本 / 無 コ ガ 増 減 ﹂ 随 一 J テ 取 ル 者 / 器 一 一 一 大 小 ノ 異 リ ア リ 。 声 関 縁 覚 及 ビ 菩 薩 ト 。 如 来 ノ 智 慧 モ 亦 タ 揺 り 日 疋 ノ 。 十 二 因 縁 ト 四 種 知 日 ト 。 下 智 ハ 声 問 、 中 ハ 縁 覚 。 巧 慧 ノ 上 智 ハ 名 一 j ク 菩 薩 づ 如 来 ト 顎 覚 ト ハ 上 上 智 ナ リ 。 以 一 J 禁 名 ノ 法 ﹃ づ 北 コ 衆 生 寸 。 方 便 タ ル 仮 名 ニ 差 別 ノ 異 リ ア リ 。 一 一 一 乗 / 智 慧 ハ 不 レ 能 川 知 ル コ ト 。 唯 ダ 仏 世 尊 独 リ 知 ル 耳 ノ ミ 。 如 コ 大 集 経 ノ 雑 四 議 ゴ 三 乗 ノ 法 行 ハ 同 一 義 ナ ー ( 同 右 ・ 六 二 八 下 ) とあり、三乗といいながら、 菩薩、仏とにわけられており、 縁 覚 、 そ れ ぞ れ 下 智 、 中 ( 智 ) 、 上 こ こ で は 、 声 関 、 智、上上智との四つを示している。 この喝の部分では、三乗のそれぞれは根本的に同一の穀若であると宣言する。 南岳慧患における禅緩の考察 大中海の水が無増無減であるように、智慧の大海もまた増減するものではない。しかし、 それは証に従って浅深の 差別があるのだという。大海の水を汲む者の器によって大小の差期があるのだとする。 つまり、同一の智慧の海 にいながら、取るものの能力、機援によって理解の仕方が異なり、証悟の差が生じてくるのである。そして、 のような﹁無名の法﹂といわれる方便による差別は、三乗の智慧は知ることができず、 ただ仏のみが知ることで あるという。定により、機器により、得るところの証も違い、差別して次第するのが、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ の禅定であ っ た 。 こ の よ う に し て 、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ で辻、禅定の行を重視し、もっぱら禅観を接することを述べ、 それにより一切 の神通を得、衆生を度し、煩悩を胤断ずるという。 し か し 、 ﹃ 読 高 憎 伝 ﹄ では﹁主語あいついで L とあったように、慧患はもっぱら禅のみを実践行としたのだろ う か 。 北 朝 で は 、 生禅議経の実践が広く行われたのであり、 この議経についてはどのよう ζ 説かれているのだろ うか。諦経に関してみるために、法行について説かれる箇所を検討してみる。コ二乗の法行は同一義なり﹂(同六 二八下) これは﹃大集経﹄に説かれる法行の観念であり、 その中で法行の義とほどのようなものかという ﹀ ﹂ ? レ 、 、.

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'-問いに対して、法行でないものとして以下のものをあげていお。 楽 ッ テ 為 コ 一 一 四 衆 イ 敷 暢 シ テ 説 ク 。 是 楽 譜 ノ 説 一 一 ン テ 非 コ 法 行 一 一 c 若 シ 更 -一 復 タ 有 斗 ァ 諸 比 丘 ﹂ 請 一 J 如来ノ十二部経才能ク 広 ク 演 説 シ 忠 一 一 惟 ス 義

τ

是 楽 患 惟 ナ ヮ 無 ヨ シ 法 行 ﹂ 若 シ 復 タ 次 一 一 存 コ 諸 比 丘 ﹂ 更 -一 読 一 一 議 シ 十 二 部 経 て 演 説 シ 思 惟 シ テ 観 一 ︿ 一 宜 つ 義 ザ 。 是 ヲ 名 コ ヶ 楽 観 ↓ 無 ヨ シ 法 行 ﹂ ( 司 右 ・ 六 二 八 下 ) 南岳慧思における禅畿の考察 如来の十二部経を読議するのみならば、楽譜であって法行ではない。如来の十二部経を読議して西衆のために広 く説くのは、楽譜であって法行ではない。如来の十二部経を読請し、広く演説し、その義を思惟するならば、そ その義理を観ずるならば、それ れは楽思惟であって法行ではない。如来の十二部経を読語し、演説し、思惟し、 辻楽観であって法行ではない。以上の四種をあげ、法行で誌ないものとして、読語、漬説、思惟、観法があげら れている。続いて法行とはどのようなものかというと、 て 一 観 ズ 我 今 当 ニ 説 ク ペ ク ン パ 者 。 ・ 有 コ テ 比 丘 一 能 ク 観 コ 身 心 づ 心 一 一 不 W パ 貧 一 一 著 セ 一 切 相 一 一 。 謙 麗 ノ 下 意 ナ ル ニ 不 レ 生 げ 慢 ヲ 。 不 下 以 一 J テ 愛 水 イ 洗 和 業 田 守 不 一 一 一 於 川 テ 中 -一 種 一 ﹂ 識 ノ 種 子 守 滅 一 J テ 覚 観 ノ 法 境 界 ノ 息 イ 。 永 ク 離 ﹀ テ 煩 鏑 寸 心 ハ 寂 静 ナ ラ ン 。 比 丘 ハ 如 げ 是 ノ 観 ゴ 身 心 て 夫 レ 法 行 ト 入 者 三 乗 ハ 同 ジ ク 。 ( 同 右 ) とあって、三乗に共通の智を法行であるとし、 それは心の境界をすべて止患し、永く頚舗を離れて心の寂静なる ことであるとしている。法行ではないということから、経典の読諦や思惟、または演説、観法が否定されている iJ宝 これは、義学講経に一鋪る南朝の学風を批判しているものと思われ、 この書における禅観の強い主張と相侯っ

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て 、 当時の仏教界への危機意識となって現れている。 このような非法行として扱われたものはいずれも経典の読 議を起点として、 思惟、演説、観法が否定されている。 このことから、慧思において、学解に偏る原因として、 経典の読語があげられているのがわかる。印夏古来より請経は実践の行であるとともに学解を担うものであった 七宝 心の寂静なることをかえりみない読議行には何の意味もないと慧患は言いたかったのであろう。また﹃続高 僧 伝 ﹄ でもあったように、慧思は﹃妙勝{正経﹄ この書における﹃妙勝走経﹄ により強く禅に影響されたとあり、 の引用をみると、 高岳慧思における禅観の考察 復 タ 次 -一 如 一 J 勝 走 経 ノ 中 ノ 所 説 イ 。 若 シ 復 タ 有 川 入 、 不 り パ 須 一 ﹂ 禅 { 疋 寸 、 身 一 一 不 レ 註 け 法 ヲ 。 散 心 ニ シ テ 読 一 一 語 、 ン 十 二 部 経 イ 、 巻 巻 一 一 傑 ラ 一 一 時 時 三 恒 汚 沙 劫 ニ 講 一 一 説 ス ル モ 是 経 マ 不 レ 如 一 J 一 念 忠 十 方 世 界 ハ 皆 龍 語 、 ン 通 利 ス 。 復 タ 大 ィ 一 一 精 進 シ テ 、 椎 ノ 入 定 一 一 一 。 何 ヲ 以 ッ テ ノ 故 一 一 。 担 ダ 使 一 也 一 レ ノ 発 心 シ テ 欲 一 J 坐 禅 寸 ン ト 者 、 難 一 円 モ 未 げ 得 一 一 禅 定 イ 、 己 一 一 勝 ) 十 方 二 切 ノ 論 師 一 一 。 何 ニ 況 ン ヤ 得 コ ヲ ャ 禅 定 之 説 コ 是 語 ﹃ づ 時 、 五 百 ノ 論 師 ハ 来 一 一 詣 シ テ 仏 所 一 一 、 倶 -一 白 川 テ 仏 一 一 言

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、 我 等 ハ 多 間 -一 シ ミ 総 ジ テ 持 一 J 十二部経及ピ章陀論五部ノ見定イ、講説スルコト無疑ナリ。十六大国ハ敬けコト我ヲ如コ仏世尊↓。侭ガ故ゾ 不 り テ 讃 一 ] 我 等 多 聞 ノ 智 慧 イ 、 独 ヮ 讃 ゴ ル ャ 禅 定 ザ 。 弘 告 ゴ 諸 論 部 一 一 一 、 汝 等 ノ 心 ハ 乱 ル 。 仮 復 多 間 ス ト モ 何 ノ 所 げ 一 フ ン ャ 益 ス ル 也 。 汝 ハ 欲 刊 与 二 禅 定 一 角 力 計 ン ト 。 ︿ : : : 中 略 : : : ﹀ 汝 等 論 師 モ 赤 タ 復 タ 如 り 日 疋 ノ 。 欲 以 ル モ 角 二 量 セ ン ト 禅 定 ↓ 、 無

V

有 コ コ

J

疋 ノ 嘉 ﹂ (同右・六二九中) と あ っ て 、 少し長い引現になったが、慧思の禅の、玉張と学解との見解がよくあらわれた引用文と思われるので、 内容をみてみよう。まず、 禅定を行わなければ、身に法を証することができず、散心の読議行のみでは、 どれだ けたくさん読議しても関請になるのみであるとする c ま た 、 大いに精進して永い期間にわたって経を講説しても、

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一念思惟して定に入ることには及ばないという。このように、講説は一念の定に入るには敵わず、禅をもちいな い散心読請の行ではたんなる闇請にすぎないという。主神せんと欲して、未だ禅定を得ていない者でも、それら の論師に勝ると述べている。また、議諦が仏に向い、多聞の智慧を讃ぜず、 なぜ禅定のみを讃ずるのか、 と 問 う 。 仏は答えて、論師たちの心は乱れ、故にいくら多関してもなんの利益もなく、 そのような論師たちが禅定と争お うとしても意味のないことであるとする。ここにいう、論師たちの多聞の義とは、語経の行を前提としたもので あろうし、彼らの講説は禅定を行う者たちには封底及ばないと述べている。 南 岳 慧 思 に お け る 禅 観 の 考 察 ﹃妙欝走経﹄は、偽経であるとされ、 ⑥ の行の復活であるといわれている。要するに、慧患はこの経によって、南朝の義門に偏る仏教に強く批判を加え こ の この経が製作された動機は、義解編重の教界の幣嵐を一一掃し、穆禅 この書がどのような人物達に向けて説かれているかが明瞭である。そのことについて、 ﹃ 見 婆 沙 論 ﹄ た の で あ り 、 を 引 用 し て 、 若 シ 有 コ 比 丘 ﹂ 不 レ 言 マ 一 生 禅 ザ 、 身 -一 不 レ 証 一 二 広 ヲ 。 敦 心 -一 読 議 シ 、 議 一 一 説 シ 文 字 イ 、 弁 説 ス ル ヲ 為 立 高 ト 。 不 叫 ヲ 知 ラ 詐 ツ テ 言 川 知 ル ト 、 不 以 ヲ 解 セ 詐 ツ テ 言 げ モ 解 ス ト 、 不 一 つ 日 ラ 覚 知 す 高 心 ニ シ テ 軽 一 一 慢 ス 坐 禅 之 人 ↓ 。 ( 同 右 ・ 六 二 九 中 ) と あ り 、 この文からもわかるように、慧患の批判の対象となっているのは、坐禅をもちいず、散心に読請する者 で、生禅を行う人を見下す者たちであった。また、掲の部分でも、 忽 恕 ト 乱 心 シ テ 講 コ レ パ 文 字 ↓ 。 死 シ テ 入 コ 地 獄 -一 一 呑 一 、 一 銭 丸 三 出 デ テ ハ 為 コ テ 畜 生 ↓ 弥 げ ン 劫 ヲ 失 。 知 げ 是 ノ 衆 生 ハ 不 一 一 白 ラ 知 寸 。 自 ラ 称 一 ヨ 我 ハ 石 コ ト 大 智 慧 J 軽 一 一 段 ン 一 切 ノ 坐 禅 ノ 入 ザ 。 壊 一 一 乱 シ テ 正 法 ザ 作 コ 魔 事 す 仮 使 講 マ 経 ヲ 恒 沙 劫 ナ レ ド モ 。

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都 ベ テ 不 三 曽 テ 議 一 J 仏 法 ノ 義 ザ 。 ( 同 右 ・ 六 一 二

O

上 ) 心の乱れによる講経というものが指摘され、 坐禅の人を誘る者は、 たとえ永き ζ わたって経を講じても弘法の義 は理解し得ないという。このようにして、講説や経典を読議して坐禅を顧みない者たちに批判官するのだが、 {.も σ3 乱れによる文字の講説というものが、特に問題としであったようである。﹁不浄乱心して文字に執し﹂(司右)な ど、乱心にして文字に執著する者たちへの反議であった。しかし、この文字に執著するも、 薦岳慧患における禅緩の考察 解 一 J 一 7 文 字 / 先 ヱ ザ 不 一 、 J パ 貧 著 寸 。 若 ン 修 づ 定 ヲ 時 解 ] ン 禁 生 寸 。 ( 同 右 ・ 六 三

O

中 ) として、文字の空を解して会著しなければ、もし定を修する詩集生を解すことができるとする。 つまり、定と文 字の法とが兼修されることが述べられている。 具 二 足 ス 禅 智 z F 多 関 ノ 義 40 如 け ノ 是 ノ 導 師 一 一 可 一 J 依止 40 ( 同 右 ) ともるり、禅曹と多聞の義とを具足することが肝要であるとしている。 以 上 の よ う に 、 この書において辻、禅を重視し、禅より一切の神通、三味が生ずることを述べる一方で、 そ の ような禅定の行を強く主張するのは、南朝の義門に一偏る行者への批判と是正を促すものであることがわかる。故 とが対比して説かれたのは、偏った学解に対してひたすら禅の功徳を述べ、 4 ﹂ 、 この書で、禅と議経(多需の義) 坐禅を軽んじる諦経者や講説する者へ批判するためであった。こうした当時の社会的事情から、 こ の 主 自 に お い て 、

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慧思が鯵禅の行を強く主張した意図が読み取れる。また、文字の空なることが了解されていれ江ょいとあり、禅 智と多聞の義を具足するともあるから、全く経典の読諦を否定しているのではないこともわかる。 3 、﹃安楽存義﹂における禅定と語経 で 辻 、 ﹃安楽行義﹄には禅定詰どのように説かれているのか。まず、冒頭にある箇所で、 南岳慧思における禅観の考察 欲 Uハ パ 求 コ 大 乗 ザ 超 一 一 通 シ 一 一 切 ノ 諸 菩 薩 イ 疾 ク 或 村 ン ト 仏 道 日 。 須

J U

下 持 戒 忍 尋 精 進 勤 一 一 一 穆 シ テ 禅 定 マ 専 心 一 一 勤 中 学 ス 法 華三昧守 ( 大 正 四 六 ・ 六 九 七 下 ) とあり、冒頭部分にこの書における意義が凝縮されており、法華三昧という重要な三味が説かれている。その中 で、禅定とは持戒、忍辱、精進などとともに六波羅蜜の一つとして説かれており、その上で専心に法華三昧を学 ぶようにいう。また、 欲 バ パ 求 コ ン ト 無 上 道 ↓ 。 修 一 一 学 ス ベ ン 法 華 経 ↓ 。 身 心 -一 証 一 J 討 露 ↓ 、 法 浄 土 妙 法 門 ナ リ 。 持 戒 シ 行 コ 忍 辱 ↓ 。 修 一 一 習 ス 諸 ノ 禅 定 ザ 。 ( 同 志 ・ 九 八 上 ) 無上道を求めようとすれば、 ﹃法華経﹄を学ぶべきだとし、その上で持或、忍辱、禅定を修習するように言って い る 。 と こ ろ で 、 ﹃ 髄 自 意 三 味 ﹄ ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ では六波羅蜜がその行の基本となるべきものとしてみられ

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て い る 。 ﹃ 随 自 意 三 味 ﹄ では行・住・坐・摂・食・語の六薮議において六波羅蜜を行ずることを説き、 ﹃ 禁 誇 昧﹄では、すべての道品・六度を禅定から説明しており、 六波羅蜜が基本とされているが、 その中でも禅定を特 に重視しているのがこの書の特徴である。そして、 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ でも六波羅蜜の行は基本であるが、禅乏の行は あくまで六波羅室中の禅定の域を越えたものではなく、 ﹃ 無 誇 三 昧 ﹄ のように禅定が他の五波羅蜜より優越して いるというような、 それ誌ど別搭のものとして扱われていない。 つ ま り 、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ で、六波羅蜜中、特に禅 波羅蜜を重視したのとはその扱いに大きな差があるように思われるのである。それは、 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ を み て も 、 禅定 ζ ついての詳細な解釈もなく、 禅 定 か ら 一 一 切 の 神 通 、 三味が生じるというようなことも述べられていないこ 南岳慧思における禅観の考察 とからもわかる。故に、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ のように、禅乏を中心として述べられた書ではないのである。そして、 安 楽 仔 義 ﹄ でいう禅定の行は法華三昧の行である無相行として収められている。 郎 チ 是 安 楽 行 ナ リ 。 一 切 諸 法 中 一 一 、 心 桔 寂 滅 、 ン テ 、 畢 克 シ テ 不 レ 生 ゼ 。 故 ニ 名 ヅ ケ テ 為 コ 無 棺 行 ↓ 也 。 常 一 一 無 棺 行 ト ハ 者 、 在 弓 ァ 一 一 切 ノ 深 妙 ナ ル 禅 定 一 一 一 、 仔 住 金 臥 飲 食 語 言 、 地 一 未 到 培 、 初 禅 地 、 一切或議心嵩ニ定ナルガ故-一。諸絵ノ禅定、三界次第三従コ欲界 空 慮 地 、 議 慮 、 無所有慮地、非有想非無想慮地、如げ是ノ次 二禅地、三禅地、 第シテ、有コ十一一種ノ地一差別シテ不同ナリ。有法無法ノ二道ハ為以別ト。是レ関毘曇雑心ノ聖行ナリ。安楽行中ノ深 四 禅 地 、 妙 ナ ル 禅 定 ハ 、 開 チ 不 レ 知 げ セ 此 ノ 。 何 ヲ 以 ッ テ ノ 故 -一 。 不 レ 依 一 一 止 セ 欲 界 一 て 不 レ 住 ヨ 色 無 色 一 一 一 モ 。 行 一 J 如げ是ノ禅定マ是 菩 薩 遍 ク 行 ジ テ 、 畢 克 シ テ 無 コ 心 想 ﹂ 故 -一 名 ゴ ク 無 相 行 ↓ 。 ( 大 正 四 六 ・ 七

OO

上 ) 無栢行とは、坐禅に限定されないもので為り、行住坐臥飲食語言の全ての行為において、 一切法に対し心想寂滅 することを目的とする行のことである。また、 この無担行の拙伴走は他の三界次第するような禅定とは異なるとし

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て 、 三界のいずれにも住しない行であるとする。先述したように、 ﹃ 無 害 三 味 ﹄ そうした意味でも、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ では定に大別して三種を説き、 その区別があるということはそれぞれにおける得果にも区別があり、 ⑦ の禅定は西念廷を中心とした次第する禅定の行であったといわねばならない。 では三界次第する四念処等の禅定であるということと、 三界と三乗とに区別されていた。よって、 故 に 、 ﹃ 無 誇 三 昧 ﹄ ﹃安楽行義﹄による この点において、 三界次第しない、 いずれの界にも住しないという無相仔としての禅定という明確な違いがみられる。 ﹃ 安 で は 、 楽 行 義 ﹄ この書の重要な意義である不次第、頓覚に にいう三界次第しない禅定とはどのようなものかというと、 よる禅定であった。よって、次第と不次第という観点から雨書における禅定の捉え方が違い、 それは﹃安楽行 南岳慧患における禅畿の考察 義﹄においてその進震をみることができるだろう。 また次に、諦経についてみると、 これは有栢行として定義されている。 復 タ 次 一 一 存 棺 行 ト ハ 、 此 ハ 是 普 賢 勧 発 口 問 中 ニ ア

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語 コ テ 法 華 経 寸 散 心 ニ 精 進 ス 。 如 け 是 ノ 等 ノ 人 ハ 不 レ 修 弐 禅 定 イ 、 不 レ 入 一 J 三 味 一 一 、 若 シ ハ 坐 若 シ ハ 立 若 シ ハ 行 、 一 心 ニ 専 二 念 シ テ 法 華 ノ 文 字 ザ 、 精 進 シ テ 不 レ 玖 セ 。 如 凶 救 コ ガ 頭 狭 山 イ 。 是 名 ゴ ク 文 字 -一 骨 粗 行 ゴ 此 ノ 一 行 者 不 レ 顧 一 、 一 身 命 三 若 シ 行 成 就 セ パ 、 即 チ 晃 一 一 普 賢 ノ 金 麟 ノ 色 身 ↓ 、 乗 寸 一 テ 六 牙 ノ 象 王 一 一 、 住 コ 其 ノ 人 ノ 前 一 一 。 以 一 寸 ァ 金 織 杵 ↓ 擬 コ レ パ 行 者 ノ 眼 -一 て 捧 道 ノ 罪 滅 シ 、 眼 根 一 清 浄 ニ シ テ 、 得 下 見 一 一 釈 迦 イ 、 及 ピ 見 料 コ ト ヲ 七 仏 片 山 。 復 タ 晃 一 J 十 方 三 註 ノ 諸 弘 す 至 心 -一 犠 錦 、 ン テ 、 在 一 J テ 諸 仏 ノ 前 一 一 五 体 設 地 シ 、 起 ヮ 合 掌 シ 立 ツ テ 得 一 二 三 種 ノ 陀 羅 尼 門 す 菩薩ノ道慧ナ

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二 一 一 ハ 者 百 千 万 嬉 旋 詑 羅 尼 、 具 一 一 足 シ テ 菩 薩 ノ 道 種 慧 ザ 、 法 一 ニ ハ 者 総 持 陀 羅 尼 、 肉 眼 天 眼 一 一 シ テ 、 摂 請 捧 ナ ヮ 。 三 者 ニ ハ 法 昔 方 便 陀 羅 芝 、 其 一 一 足 シ テ 菩 譲 二 切 種 慧 ↓ 、 弘 践 請 浄 ナ ヮ 。 是 時 期 チ 得 レ 具 一 一 足 ス ル コ ト ヲ 一 切 ノ 三 世 ノ 仏 法 ザ 、 或 ィ 二 生 一 一 修 行 シ テ 得 一 一 具 足 三 コ ト ヲ 、 或 ィ ハ 二 生 -一 得 、 極 大 遅 ハ 者 三 生 一 一 即 チ 得 。 若 シ 顧 一 、 一 テ 身 命 そ 貧 ヨ レ パ 西 事 ノ 供 養 一 て 不 レ 能 一 ハ 一 勤 穆 イ ル コ ト 。 経 げ モ 劫 ヲ 不 レ 得 。 是 故 -一 名 ヅ ケ テ 為 コ 有 相 ↓ ・ 也 。

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( 大 正 四 六 ・ 七

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上 i 中 ) 有相行では﹃法華経﹄を受持、読請することが主な内容となり、詑羅尼を得るための行となっている。また、 相行と同じように、行・立・坐等の一切の行為において為される行であり、そして 進するものにして、禅定の行ではなく三味に入らずに行・立・坐において一心に法華の文字に専念するものであ ﹃法華経﹄を読議し散心に精 る。これを文字有棺行と名付ける。そして、 ﹃法華経﹄をただ単に語するのではなく、 その理義に深く入ってい くのである。そして、語経と禅乏の関認について、 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ で は 、 南岳慧思における禅観の考察 有 山 テ 人 求 げ 道 ヲ 、 受 一 一 持 シ テ 法 華 寸 読 諦 修 行 シ 、 観 一 イ ァ 法 性 ノ 空 寸 、 知 ゴ 十 八 界 ノ 無 所 有 性 イ 、 得 一 J 深 ィ 禅 定 イ 、 具 二 足 ス ( 同 右 ・ 六 九 八 下 ) 四 種 ノ 妙 ナ ル 安 楽 行 イ 。 といわれ、入あって仏道を求めて ﹃法華経﹄を読謁修行(有相行)することで諸法の空なることを知り、深い禅 定(無栢行)を得て四種の妙なる安楽行を具足することができるとする。 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ では語経と禅定 つ ま り 、 とは司詩的進行において行とられるものであり、特に禅定の行中心というもので誌なかったようである。また、 安楽行の定義を説く中で、行について、 心 -一 無 け 所 レ 行 ズ ル 修 り テ 禅 ヲ 不 レ 息 セ 井 ベ テ 持 コ ガ 法 華 イ 故 -一 名 ヅ ケ テ 為 以 行 ト 。 ( 同 右 ・ 七

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下 ) と あ り 、 心に分別することなく、禅を修して体まず、並べて法華を受持するが故に行であるという。これにより、 盆E

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実践の行として禅定と法華の読語とが安楽行の定義とされていることがわかる。 以 上 か ら 、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ では、高朝の義学講経の傾向に対してあえて強く禅の主張を行い、禅を軽んじる講経 者や禅をもちいない散心諦経者を批判した。しかし、 それは全くの読諦行の批判ではなく、慧思の思想の根患に は、定と文字の法との兼修や、禅智と多聞の義を具足することが望まれていた。 法華三昧の行として無相行(禅定)と有担行(読議行)として捧系化され、より整理されたものとなった。この 一 方 、 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ に な る と 、 書では、特に弾走を重視するような態度ではなく、法華三味の行として差別なく説かれ、また無相行の禅定は、 ﹃無誇三味﹄の四念処を中心とした次第する禅定から、 不次第としての禅定へと発展したものであった。 南岳慧患における禅観の考察

一一、法身の顕現に関して

﹃無誇三味﹄←﹃安楽行義﹄ へと、禅定と語経の行法が体系化されたことは、如来蔵に関しても こ の よ う な 、 確認することができる。﹃無誇三味﹄に、 欲 コ ル 坐 禅 ペ ン ト 持 、 応 一 戸 三 先 ニ 観 コ 身 ノ 本 イ 。 身 本 ト ハ 者 如 来 蔵 也 。 事 タ 名 コ ク 自 性 清 浄 心 づ 是 名 コ ク 真 実 心 づ ( 大 正 四 六 ・ 六 二 八 上 ) とあり、坐禅を接するときに辻まず身の本を観ぜよとし、身の本とは如来裁であるといっている。この如来裁は ﹁如来蔵身未曽異﹂(同右・下) といって、慧患は凡夫の千変万化する生滅心の基本に、不変不動の'如来蔵が島 ると説く。そして、このような如来裁はいかにして体認されるのかというと、﹁坐禅せんと欲すれば、まさに先

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ず身の本を観ずべし。身の本とは如来蔵なり﹂とあるように、 禅定によって体認されるものとしている。また、 衆 生 ハ 雄 一 円 モ 在 コ ト 如 来 蔵 J 不 り パ 修 一 三 挟 定 イ 尉 チ 不 レ 見 。 浄 或 禅 智 豆 一 ︿ コ レ ノ 六 度 三 語 浄 ノ 法 身 ハ 乃 チ 顕 項 ス o 浄 妙 ノ 真 金 ハ 和 一 J 謀 斗 。 能 ク 塗 コ 世 間 ノ 種 種 ノ 様 一 一 一 。 如 来 蔵 ノ 金 ハ 和 コ 禅 定 ゴ 法 身 ノ 神 通 ハ 応 現 シ テ 在 宅 ( 同 右 ・ 六 三

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上 ) とあり、衆生には如来蔑が・あるが、戒・定を穆しなければあらわすことができない。浄戒、禅、智とともに六度 ③ 如来議を法身と言い換えて復われている。そして、 を修すれば、清浄な法身が顕現するという。またここでは、 南岳慧忍における機観の考察 禅定と和することにより、法身の神通は現れるといっている。 このようにして、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ 如来蔵の金は、 は 如来蔵(法身)を顕現するには、 禅乏によることが肝要であると述べられている。 次 に 、 の如来蔵についてみると、 禅定を修することに関連して、 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ 知 コ 安 楽 行 品 ノ 初 一 一 説 J ノ ガ o 何 ヲ 以 ッ テ ノ 故 ニ 。 異 ナ リ 。 如 コ 仏 蔵 経 中 -一 説 J ノ ガ c 三 十 二 梧 、 動 ス 修 ス ル 禅 定 イ 者 ト ハ 、 一 一 切 衆 生 具 一 一 足 シ 法 身 蔵 ↓ 、 与 レ 仏 一 ニ シ テ 無 ω 八 十 種 訴 、 湛 然 清 治 ナ り 。 衆 生 担 ダ 以 コ テ 乱 心 惑 障 イ 、 六 情 緒 講 一 一 シ テ 、 法 身 不 レ 現 ゼ 。 如 コ 鏡 ノ 塵 者 ノ 面 復 不 ♂ 現 ぞ 。 是 故 一 一 行 人 勤 一 一 修 ス 禅 定 ザ 。 浄 コ 惑 樟 ノ 垢 マ 法 身 顕 現 ス 。 是 故 ニ 経 ﹄ 一 耳 鼻 舌 身 意 モ 亦 タ 復 タ 揺 り 是 ノ 。 若 シ 坐 禅 ス ル 時 、 一 R ハ ク 。 法 師 ノ 父 母 所 生 / 清 浄 土 常 ノ 眼 ニ シ テ 、 不 レ 見 一 二 諸 法 ノ 常 ト 与 一 J 無言 J 知 一 J 安 楽 行 中 -一 説 J ノ ガ 。 菩 薩 観 コ テ 一 一 切 法 ↓ 、 繋 げ 有 コ コ ト 常 住 、 一 亦 タ 無 一 J 起減﹂是名 γ 一 ク 智 者 ノ 所 親 近 慮 ↓ 。 (同右・六九八・上) と あ り 、 仏と衆生がともに法身を具足して同一であることを説き、 ただ衆生の六根が汚れているためその法身が で

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顕れないのだとし、 そのために禅定を修して惑障の垢を諦めれば法身が顕れるという c その根拠として、﹁法師 は父母所生の漬浄なる常の眼にして、耳鼻舌身意もまたかくのごとし﹂として﹃法華経﹄ ⑨ に説かれる六根清浄の文を引用している。 の 法 師 功 徳 口 問 、 あ る い は﹃観普賢菩瑳行法経﹄(以下﹃普賢観経﹄) つまりここでは、法身を 顕わすために六根を請浄にするのだとし、 そのために禅乏を行うのだとしている。これにより、 ﹃ 安 業 行 義 ﹄ で は無棺行は禅定の行で・占めると規定されているので、都世相行によって法身が顕現されることがわかる。また、 女日 来 蔵に関してこの書の最後に、 高岳慧思における禅観の考察 而 ル -一 観 コ ル ト ハ 諸 法 如 実 ノ 相 寸 者 、 五 陰 十 八 界 十 二 国 縁 、 皆 目 疋 真 如 実 性 ナ リ 。 ︿ : : : 中 略 : : : ﹀ 生 死 浬 繋 無 け 一 無 り 異 。 九 夫 ト 及 ど 仏 ト ハ 無 一 山 二 。 法 界 ナ ル ガ 故 一 一 不 レ 可 一 J ラ 分 別 す ︿ : ・ : ・ 中 略 : : : ﹀ 是 名 ゴ ク 菩 薩 摩 認 薩 ノ 行 処 寸 。 初 入 聖 位 ハ 却 チ 与 ト 等 シ ク 、 此 ハ 是 不 動 真 常 / 法 身 ナ リ 。 非 子 疋 方 榎 縁 合 ノ 法 身 -一 一 。 亦 タ 得 レ 名 バ ク ル コ ト ヲ 為 以 ト 証 コ ト 如 来 議 乃 至 意 蔵 ↓ 。 ( 同 右 ・ 七

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二 上 i 下 ) と し て 、 ﹃法華経﹄安楽行口却の諸法如実の相を観とるという、 菩蓬摩詞薩の宥処の説明のところで述べられてい る。慧思はこの境地に住するならば、方便を仮りずして、能く一切の神通を発すとなし、 不動真常の法身と呼ぴ、 また如来蔵乃至意識を証したものといっている。このようにして、慧患は如来議思想に立ち、清也知なる法身を顕 現することを重要な意義とした。 そして、この法身を顕現するというのは、持定の行だけではなく、有相行による経典読諦の行によっても可能 となる。先達の有担行の引用のように、有相行は普賢勧発品と記述内容から﹃普賢観経﹄に基づく行であるとわ かる。この有棺行は、普賢の現前により﹁金融杵をもって行者の眼に擬すれば、樟道罪滅し、眼根清浄にして釈

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迩を見ることを得。﹂ 犠悔の法が説かれる。 こ の 、 三味に入らない散心読議の行は ( 同 右 ・ 七 七

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中 ) と し て 、 ﹃普賢観経﹄に法ったものである。 この経において、衆生がどのようにして煩協を断ぜず、 五欲を離れずして諸 根を浄め、罪を滅し、父母所生の清浄な眼にして、障外の事をみることができるのか、 と開われる。それに対し て 仏 は 、 南岳慧足、における禅観の考察 楽勺得一ゴ六根清捧ザ者ハ、当ア学ユ是ノ観ザ。此ノ観ノ功徳ハ、除コテ諸ノ捧礎ザ、見コ上妙ノ色イ。不可モ入一 J 三 一 一 白 ヨ リ 至 コ パ 三 七 日 一 一 一 、 得 レ 見 一 ル 一 コ ト ヲ 普 一 生 ニ 得 レ 見 ル コ ト ヲ 、 復 タ 有 山 不 山 コ ト 離 コ 大 乗 イ 、 七 七 日 蓋 ク シ テ 然 シ テ 後 一 一 得 レ 見 ル コ ト ヲ 、 復 タ 有 山 重 キ コ ト 者 ハ 、 二 生 ニ 得 レ 見 ル コ ト ヲ 、 復 タ 有 山 重 キ コ ト 者 ハ 、 味 一 一 、 但 ダ 諦 持 ス ル ガ 故 -一 、 専 心 -一 修 習 ン 、 賢三有一 J 重 キ 障 一 者 ハ 、 心 心 相 次 ィ デ 、 三 生 ニ 得 レ 見 ル コ ト ヲ 。 (大正九・三八九下) 重 キ コ ト 者 ハ 、 ﹃ 普 賢 観 経 ﹄ では識海の法を説き六担清浄を得ることが述べられるが、 この普賢の行(普賢観)を行 と 窓 口 え る 。 ずる者は諸々の障りを取り除き、三味には入らないで、読請して心を専ら修習して三七百の関大乗を離れなけれ ば、普賢の現前を見ることができるという。 このようにして、有担行は ﹃ 普 賢 観 経 ﹄ による読議行によって隈などの六根の渚浄を得ょうとするものであり、 さき江どの六情暗漢にして法身が顕れないため禅定を行うということと目的が同じであり、六根清浄を得て法身 を顕わすということは、禅定の行である無相行だけではなく、有相行によっても可能となるものであったといえ では衆生の本来清浄であるということが重要な意義でるり、慧思のこのような考え方は﹃普賢 守 令 。 ﹃ 安 楽 行 義 ﹄ 観 経 ﹄ それを経典読一説の行によって身に証する仔として有相行を規定したのであった。ま によったものと思え、 た 、 ﹃ 普 賢 観 経 ﹄ 4 ﹄ 、 υ

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悪 築 、 不 善 、 悪 邪 心 ノ 故 -一 、 多 ク 犯 ヨ ン 諸 ノ 戒 及 ピ 威 議 ノ 法 子 。 若 シ 欲 刊 パ 捻 滅 シ テ 令 サ 無 コ ラ 過 患 、 一 還 ッ テ 為 コ テ 比 丘 ↓ 呉 判 ン ト 沙 門 ノ 法 M 、 当 一 戸 下 勤 修 シ テ 読 一 、 一 方 等 経 典 ザ 、 思 一 J テ 第 一 義 甚 深 ノ 空 法 ザ 、 令 恥 此 ノ 空 慧 ヲ シ テ 輿 レ 心 梧 応 民 。 ( 大 正 九 ・ 三 九 四 上 ) 経典の読議により第一義甚深の空法を念ずるのであるが、 それはその念じた空の智慧と心とを棺応させなければ ならず、定と慧の担或が説かれ、慧患にして単なる読語一行とならなかったのは、 この有相行と禅定による無相行 との両行によって、法華三昧の行として確立されたものとなったからである。普賢信仰による経典読議の法は古 南岳慧思における禅畿の考察 来より行われてきたものであり、それは普賢の路現を念ずるものであったが、慧思にとって辻単に普賢の惑現と いうより、自らの父母所生の六根が渚捧となるよう実修し、空観及び ﹃ 法 華 経 ﹄ の諸法実相を体得するための行 とみなされていたのである。

三、結

高輯における講経偏重に対して、慧忠は禅定の行を主張し﹃無誇三昧﹄において坐禅を軽んじる議経者や講経 の者を批判した。これが ﹃無誇三味﹄における特徴とその役割であったといえる。ゅ、えに、この書では禅定の重 ﹃無誇三味﹄で語経の行が否定されたわけではなく、その思想の 視をひたすら説いた。しかし、 だからといって 担底には禅定と多開の義(諦経)とを兼接することが述べられていた。 一 方 、 ﹃安楽行義﹄になると禅定と諦経を ﹃法華経﹄による頭覚、不次第の行として、無相行(禅定) と有相行(読語行)として定義づけられた。﹃安楽行義﹄に至って、禅定の行と読議行とが一つに体系化され、 並べて行ずることを説き、 それは思想的展開として、

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法華三昧の行として確立されたので忘る。議経は学解を促進するものであり、それとともに定が行じられるもの である。学解と実践の統一を図ったともいえ、南北にわたって偏った仏教界の愚習を正した書が﹃安楽行義﹄で あったといえる。 そ れ は 、 の﹁坐語あいついで﹂という伝記となって残ったものであり、﹁定と慧の ﹃ 続 吉 岡 信 伝 ﹄ 双つながら開いた﹂ものであった。江東の仏教界の義門重視と禅法の軽視に対しては、 ﹃無誇三味﹄により、そ の反駁の書となったようである。以上から、慧患の思想は禅乏に偏ったものではなく、実践と学解とが等しく行 じられるものであった。 また、法身を顕すことが、慧患の思想の重要な意義であり、 この自己の接行の高まりとともに、衆生を教化す 南岳聾忍における禅観の考察 ることを-説いた。この法身を顕現することについて、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ では専ら禅定の行によることが説かれ、 ﹃ 安 楽 では禅乏の行である無相行と経典の読議行である宥相行とによって可能となるものであった。これは、 ﹃無誇三味﹄から﹃安楽行義﹄へと行の体系化が図られたことを一不すものでるる。 行 ﹄ これによってもわかるように、 慧思の思想は禅定のみの行とはいえないことがわかるだろう。故に、 一概立慧思を禅観至上主義者だとするのは、 少し偏った見方になるかもしれない。﹃無誇三味﹄ が 説 か れ た 理 由 を 考 、 え る と 、 強く禅乏を主張したとすること も、その一側面のみを捉えたものといえる。たしかに、禅法組織を体系化し、禅法を再興して南北にその影響を 受けないもの誌ない誌どの功績を慧思は残した。しかし、 それは慧患の思想の一面を言ったものであり、 そ れ の みに主眼をおくと、慧患の禅法以外の思想の価値が失われかねないだろう。本稿では、 それぞれの役割や内容について論じ、慧患の思想は禅観至上主義とはいえないのではないか、 ﹃ 無 誇 三 味 ﹄ と ﹃ 安 楽 行 義﹄の比較を行い、 という怠論を提示した。今後、 さらに慧患の著述の罷にみられる棺違を検討していきたい。

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高岳慧患における禅観の考察 註 ①この三著年について、佐藤哲英氏(﹃統天台大師の研究﹄一九八一年百華苑)辻、﹃槌自意三味﹄は慧忌が三十四議 から三十九議にいたる成立とし、﹃無誇三味﹄は慧思が酉十議より四十三歳までの成立とみており、﹃安楽行義﹄は最 晩年の作となる。 ②大野栄人氏は、慧患が修禅を高揚して禅程至上主義を主張したとされている(﹃天台止観成立史の研究﹄法蔵館一 九九五年、四匝頁、五五頁参照)。大野氏がいう禅観至上主義とは、他の行よりも禅定を至上とすることである。そ れは、﹁修禅を高揚して禅説至上主義を主張した﹂(四四頁)とあることや﹁大乗仏教の根幹をなす﹁空﹂﹁般若﹂を 把捉する終極は禅定にあり﹂(六一頁)とあることからも理解される。また、法華三昧の行として、無担行(弾定の 行)と有栢行(読諦行)の二種ありとしているが、有相行はま華の文字を専念する消極的な行法であるとし、無相行 よりも補勤的な行法とされている(五十夏)。有相仔の上に、無相行を法華三昧の高次の行として体系づけたとして いる。しかし、このような解釈は、﹁走慧双関 L や﹁定慧等しき法﹂という﹃続高僧伝﹄の記述と異なる解釈となる。 議経は、学解を促進させるものであり、有語行の上に無梧行をおくというのは、学解を下にみて、実践を上におくこ とになる。またこの他にも、慧思の禅定重視の考え方については、諸研究において指議されるところである。これま での藷研究では、大多数が慧患の思想は禅定の行に重きをおくものと解釈されている。しかし、そのような解釈は、 ﹃無誇三味﹄における強い禅定の主張を意識しすぎるところから、﹃安楽行義﹄においても、禅定の行が重視される という偏った見方になっていると思われる。﹃安楽行義﹄の内容では禅定を特に重視するという姿勢は読み寂れず、 これまでの解釈は、慧思の禅定という一一面のみを強調しているように思われる。これにより、﹃安楽行義﹄において も、有相行より無相行が重視されたという見解がなされた。しかし、これも﹃安楽行義﹄をみる誤り、特にそのよう なことは違べられておらず、またそのように解釈される根拠もはっきり一不されていない。もしそうであるならば、慧 思の思想は﹁定慧双開﹂したものと誌ならず、実践の仔に偏る思想となるだろう。筆者は﹃安楽行義﹄の無担行と有 相行と辻同等に扱われるべき行であるとみている。 ③ 横 超 慧 E 氏﹃中国南北朝時代の仏教学風﹄ ( E 本仏教学会年報十七号所収) ④経典の読議は実践の行であるとともに、学解をともなうものとすることについて。読経は印度以来主として解義の 為に行われたものである。﹃法華経﹄の陀羅尼品に﹁若し善男子善女人あり、能くこの経に於て乃至一の四句僑を受

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南岳慧思における禅観の考察 持しヨ抗議し義を解し、説の如く修行せ迂功徳甚だ多し﹂(大正九・五八中)といい、経巻を読請して其の義を解し、 以て説の如く修行すべきことを勧めるものであるとしている。また、﹃法華玄義﹄の﹁唯内に理観を修し、外に即ち 大乗経典を受持読一一読することを得ば、需に観を胎くるの力あり、内外相和籍りて丹信轄た明に、十信堅屈ならん﹂(大 正三三・七三三上)や善導の観経序分義 J 訳語大乗と言ふは、比れ経教は之を喰ふるに鏡の如く、数読み数尋ぬれば 智撃を開発す。若し智慧の張関かば、即ち能く苦を厭ひ浬繋を欣楽することを明かすなり﹂(大正三七・二六

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土 ) として、経の読謁辻その義を解する役割を果たすものとしている。 ⑤法行の解釈については玉城豪四郎氏﹃心把捉の展開﹄(山喜房仏書林、一九六四年、一

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六頁)参照。この法行の 解釈は、﹃大集経﹄を参照したうえでの解釈とされている。 ⑤大野栄人氏﹃天台止観或立史の研究﹄法議館一九九五年、友び関口真大氏﹃天台止観の研究﹄岩波書宕、一九六四年 参照 ⑦﹃安楽行義﹄に四念処の説明があるが、これは二乗について説かれるものであり、声関の行は苦受・楽受・不苦不 楽受の三受を捨てて解脱を得る苦楽行と境定し、また、次第行であるとされる。法華の菩薩はこのようにはせず、次 第行ではない、不次第行とされている。(﹃安楽行義﹄大正四六・七

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一 上 1 中 ) ⑧法身蔵は﹁勝婁経﹄に﹁加来哉とは、これ法界蔵、法身議、出世間上上蔵、自性活浄蔵なり﹂(大正十二・二二二 上 ) と あ る 。 ⑤﹃法華経﹄法師功窓口叩(大正九・四八上)、﹁普賢観経﹄(大正九・三八九下) キ i ワ i ド 慧忌 禅 観 言語 経 学解 定慧 ﹃ 安 楽 行 儀 ﹄

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