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(1)

『人文コミュニケーション学科論集』17, pp. 77-96. © 2014茨城大学人文学部(人文学部紀要)

−地獄の番犬との邂逅−

  古賀 純一郎

要旨

 ドキュメンタリー・タッチで果敢に挑戦した『リンカーン伝』の成功で新境地を切り開い た米女性ジャーナリスト、アイダ・ターベル。それに続く新しい執筆対象の設定で思い悩ん でいた。

 編集部内で同僚らと議論する中で、全米で猛威を振っているトラスト(企業合同)を次の 作品とすることを決めた。市場を独占し、力ずくで釣り上げた値段での販売に成功、巨額の 利益を上げる企業とは対照的に、貧しい市民の生活は、不当に侵害されていた。

 鉄槌を下すとすれば、最強、最大を誇る

J.D.

ロックフェラー率いるトラスト、スタンダー ド石油以外にない。それは、マクルーアーズ誌の編集方針である「社会悪の告発」「社会正 義の実現」に沿っていた。

 スタンダード石油の反競争的な手法は、地元の業者との間で当時軋轢を生んでいたばかり か、連邦政府、地方自治体との間でもトラブルになっていた。全米各地の裁判所で係争をあ また抱えており、公聴会や証言台などで矢面に立っていた。

 この資料が盛り沢山で、これをベースにすれば、執筆に向けたヒントが必ずや浮かんでく るだろうと思い込んでいたターベルがいざ、取材に着手すると大きな壁にぶち当たった。あ るはずの証言集などがないのである。何者かによって持ち去られていた。のっけから立往生、

途方に暮れてしまった。

 ところが、幸運にも、ターベルの連載記事のスタートを察知したスタンダード石油幹部か ら、「取材に来ないか」との誘いがあった。これに応じたため、本社などでの取材はその後、

2

年間続くことになる。十分とは必ずしも言えなかったが、スタンダード石油側の見解が分 かり、執筆には大いに役立った。論文では、こうした経過を取り上げる。

キーワード:トラスト(企業合同) 鉄道会社 南部開発会社 リベート ドローバック  ヘンリー・

H

・ロジャーズ

(2)

1章、スタンダード石油との激突

1、照準はトラスト

 圧倒的な取材力で、権力を監視する革新的な取材手法を生み出した調査報道のパイオニア、

米女性ジャーナリスト、アイダ・ターベル(

1857

1944

年)の連載は第

6

回目。今回から核 心部分に入る。

 ターベルが、なぜ、スタンダード石油を対象に、その黎明期からスキャンダラスな経営手 法を駆使して巨大な独占体トラストに成長したのかを徹底的に調べ上げ、その犯罪的な経営 実態を告発する特集記事を書くに至ったのかを中心に論文をまとめる。

 当然のことであるが、ジャーナリストの取り組むテーマは、本人が決めるのが基本である。

組織に属しているのであれば、所有する雑誌などのために駆り出されることもある。編集長 などの指示が飛べば、それに従わざるを得ない。ターベルの属するマクルーアーズ誌は、オー ナーの権限が強く、この意向は無視できない。

 実際には、水面下で取材を開始し、材料が一定以上集まって目途がつけば、編集会議など でそれを報告、確信が得られた段階で執筆を始めるというのが一般的な流れであろう。

 筆者の経験でも、取材を重ねる中で、テーマが決まり、執筆に入るというのが普通のパター ン。追っている対象がモノになる。つまり、記事になるとの確信が得られた段階で初めて編 集会議などで披露することが多かった。

 ただし、モノになると判断するタイミングや基準は、執筆者によって異なる。大法螺を吹 いても仕方がないし、「記事になる」と確約した後に、記事にならなかった場合は、取材力 に欠陥があり、判断も甘いとの烙印を押され兼ねない。ジャーナリストとしての安定感や信 頼感、名声に傷がつくことになる。

 ターベルの籍を置くマクルーアーズ誌の編集部はどうだったのだろうか。リンカーン伝の 掲載などで発行部数が倍々ゲームで伸びるなど勢いのある雑誌で、経営状態も悪くはなかっ た。

 アイデアが無尽蔵に湧き出るオーナーのサムエル・マクルーアーを筆頭に、執筆陣も粒ぞ ろい。汚職をはじめとした社会悪を告発する調査報道が傑出しており、社会正義の実現を求 める腕利き記者のリンカーン・ステファンズなど多士済々が揃っていた。

 ステファンズは、ターベルのスタンダード石油の特集記事に先立ち、地方自治体の不祥事 を暴く告発記事の取材に入っていた。この記事の掲載もターベルより早かった。

 セントルイス、ミネアポリスなどの市政の不祥事を暴露する記事は、掲載されると直ちに 大きな反響を呼び、その後、『

The Shame of the Cities

(都市の恥部)』とのタイトルで単行本 にまとめられた。

100

年以上も前に出版された書籍にも拘わらず、注文すれば、現在でも入 手可能である。

 金字塔となる特集『スタンダード石油の歴史』の連載が

1902

年にスタートする

4

年前の

(3)

1898

年には、レイ・スタナード・ベーカーが編集部に加わっていた。ミシガン州出身で州 立農業大学(現ミシガン州立大)卒のベーカーは、人種問題を本格的なテーマにした初の ジャーナリストとして現在でも高い知名度を誇っている。

 ターベル、ステファンズ、ベーカーの

3

人は、社会を震撼させる告発型の特ダネ記事を連 発する同誌の誇る三銃士として知られていた。

 実は、この裏に、「校閲の天才」「生まれながらの校閲役」とターベルがほめたたえる校閲 役の重鎮ビオラ・ロセボロがいた。才気渙発、論壇風発の編集部が連発する記事の縁の下の 力持ちが彼女だったのである。

 そうした編集部の中で、なぜ、ターベルは、トラストに照準を絞り、しかも数あるトラス トの中でスタンダード石油の告発記事を書いたのだろう。

 その理由について、ターベルは、自伝『

All in the Day

ʼ

s Work

』の第

11

章『

A Captain of Industry Seeks my Acquaintance

』で記している。

 第

11

章のタイトルを直訳すれば、「業界の大物

1

人が私と知り合いになることを求めてきた」

となるが、雑誌の見出し風に意訳すれば、「業界の大物が私に接近」あたりだろうか。

 告発記事を書くためターベルが取材に着手した。すると、どういうわけかスタンダード石 油の重鎮ヘンリー・

H

・ロジャーズから声が掛かった。以降、

2

年間にわたって本丸の本社 や自宅でインタビューする、またとない機会を得た体験を綴っている。悪事を暴露される側 が率先して取材に応じるという極めて稀な機会を得たのである。幸運というしかない。そう した経緯をこの章は扱っている。

 もっともスタンダード側が取材に応じたのは、人間関係を構築することで記事のトーンを できるだけ弱めたい、当時強かった一般からの風圧を、間違った情報の掲載でさらに強めた くないという思惑があったことも否定できない。ロジャーズは、論調を自分の側に好意的に 引き寄せることに成功したとの論評も確かにある。

 特集は、不祥事を専門に掲載する暴露系社会派雑誌として評価が高く、

10

万部以上の発 行部数を誇っていたターベル所属のマクルーアーズ誌に掲載される予定だった。不祥事を暴 かれるスタンダード石油からすれば、最大級の注意を払うのは当然である。 

 乗り込んでくるのは、フランスの皇帝ナポレオンや大統領リンカーンの伝記で既に高い評 価を得ていた記者だから一筋縄ではいかないのは分かっていた。

 ターベルにとっては、インタビューを通じて、スタンダード石油側の内情や論理、意向を 探れるから、断る手はない。新たな情報は、記事の信頼性を高める方向に作用するのは間違 いない。書かれる対象が取材に応じているからこそ、記事の客観性が担保されることになる。

ターベルの著書が、今なお高い評価を得ているのは、当時、秘密主義を旨としていたスタン ダード石油が、異例の取材に応じたため事実関係の正確度が高まり、深みが増したという事 情もあるのだろう。

 第

11

章のタイトルはともかくとして、全米がトラストの洗礼を受けたのは、

1898

年の米

(4)

西戦争の終了したあたりから。繁栄の見返りは、トラストによる混乱と荒廃だったのである。

自由競争が市民に、平等の機会をもたらすという旗印とは、裏腹の事態になった。

 この時期には、取引を制限する契約、結合、共謀を禁じるいわゆる独占禁止法のシャーマ ン法(

1890

年)は既に存在していた。「企業合同、あるいは共同謀議を違法とする」とは第

1

条で禁止していたものの営業や取引の制限や独占の中身については何ら定義されておらず、

法律の条項の適用を受けて、トラストが摘発されるまでには至らなかった。

 活用されなかったことからむしろ、「絵に描いた餅」「シャーマン法は無力」という認識が 一般的だった。このため、一般市民から、なけなしの富を搾取するトラストへの反感がター ベルの編集部で沸騰していた。

 なぜ、どのようにして大きくなったのか、その分析のために、「典型的なトラストを取り 上げ、その内幕を暴く」というアイデアが浮上していた。

 同僚のベーカーは、

1901

11

月に『

What the US steel Corp. Really is,

US

スチールの本 当の姿とは)』により、その第

1

弾というべき告発記事を世に問うた。中身は、ニューヨーク を本拠とする金融財閥の

J.P.

モルガンが巨大トラスト

US

スチールの創設などで果たした役割 である。

 アンドリュー・カーネギーのカーネギー鉄鋼会社を買収し、

J.P.

モルガンが既に保有して いた連邦鉄鋼会社と統合させて生まれたのが

US

スチールである。同トラストは当時米国の 鉄鋼の

3

分の

2

を支配する、スタンダード石油と並ぶトラストのガリバーであった。これに よってそれまで難しかった業界の協調行動が可能となり、鉄鋼のカルテルが成立、価格安定 を確保するための寡占体制が構築された。

R

・チャーウナウ著の『モルガン家』によると、

1901

年の

US

スチール創設に対し英国の クロニクル紙は、このトラストは、「文明社会の商業活動を脅かす以外の何物でもない」と 論評した。

 社会正義の実現を目指す改革を重視する編集部の中で、我が物顔に米経済を牛耳る独占資 本、トラストを何とかしなければならないとの危機感が充満していたのである。

 ドレークが

1859

8

月、最初の井戸を掘りあてゴールド・ラッシュならぬオイル・ラッシュ に沸いた石油の聖地ペンシルベニア州タイタスビルが出身のターベルは、スタンダード石油 との因縁は浅からぬものがあった。編集部で、さまざまな記憶や思い出を披露した。

 石油は、父フランクの人生を一変させた、ターベルが

3

歳の時にタイタスビルへ引っ越し た。丘の斜面に林立する油井のやぐらを眺め、石油を汲み上げる井戸の騒がしい喧騒を子守 唄に、地面に溜まった原油の池などを遊び場に石油を身近に感じ育ってきた幼少時代につい て語った。

 父フランクは、汲み上げた油を貯蔵する樽を製造する職人だった。冷酷なスタンダード石 油の権謀術数の罠に落ち、友人の中小の採掘、精製、パイプライン業者は、激烈な競争に敗 北し、次々と廃業するか、ロックフェラーの軍門に下り、南部開発へ傘下入りするかのギリ

(5)

ギリの選択を迫られた。その姿をターベルは目の当たりにしてきた。

 ブームで当初一儲けした父も、晩年は被害者だった。頑丈で耐久性の強い鉄製タンクの登 場で仕事が激減する。無慈悲なスタンダード石油の魔の手に潰された友人がピストル自殺を 図り、その借金が降りかかってきた。自宅を抵当に入れるような事態にも陥った。石油業に かかわっていた弟のウイルも同様で、一家は、スタンダード石油と食うか食われるのか血み どろの戦いを繰り広げていたのである。

 『スタンダード石油の歴史』で、

J.D.

ロックフェラーの隠れ蓑であると暴いた「

South Improvement

(南部開発会社)」と石油地帯の業者が正面から激突した “

1872

年の石油戦争”

についてターベルは、自伝の中で、自分にとって「最初の革命」、「不正義との闘いは、義務 であり、名誉でもあった」と綴った上で、「憎しみ、邪推、恐怖が社会を飲み込み、人間の 悲劇を引き起こした」「自分を動かしたのは、巨大化したトラストの人々に対する影響」と も記している。

 ジュールズ・エイベルズ著の『ロックフェラー−石油トラストの興亡』によると、“

1872

年の石油戦争” について、零細業者の淘汰による過剰生産の抑制を目指すロックフェラーの 企てに対して、中小業者が結束して反対運動を展開し、関連企業への石油販売のボイコット などで対抗した大規模な消耗戦と位置付けている。

 ロックフェラーの要請で鉄道会社がダミー会社南部開発を創設、リベートを餌に、これに 参加しない業者が輸送する石油製品の鉄道運賃を大幅に引き上げた。これに反発した業者が 結束して石油採掘を中止し、南部開発系業者への販売を中止するなどの対抗策を打ち出し、

3000

人以上の業者を巻き込んだ大規模な反対運動が繰り広げられた。結局、鉄道とロック フェラー連合が敗退し、南部開発は崩壊、攻防戦は終了した。

 鉄道が、南部開発に参加する業者に対して表と裏のリベートを提供した結果、油田地帯か らニューヨークへの石油製品の輸送料金は、ライバルのバレル当たり

2.8

㌦に対し南部開発・

ロックフェラー連合には、この半分以下に当たる

1

㌦以下の差別的運賃を適用していたこと が判明した。

 利幅が極めて薄い石油産業にこの運賃が適用されれば、ロックフェラー陣営以外は、ひと たまりもなく、競争に敗北することは火を見るより明らかだった。スタンダード石油主導で 中小業者の選別を進め、淘汰により過剰生産を解消し、価格を安定させるのが狙いでもあっ た。

 表面的には、敗北したもののこれを機にロックフェラーは、

26

のクリーブランドの精油 所のうち

21

を手中に収め、精製能力は、全米の

4

分の

1

を掌握するまで成長した。思惑通り にはならなかったが、ロックフェラーは、南部開発で学んだ鉄道との提携による戦術を駆使 し、巨大トラストへの階段をのぼり始める契機になったのである。

 筆者は、

2012

3

月の茨城大学紀要の『アイダ・ターベル研究』第

3

回目の「フランス留 学時代」で、ターベルは、パリ在住の

1894

年に、「資本主義では公正さは望めない」と喝破

(6)

した米国人のヘンリー・

D

・ロイドによる名著『

Wealth Against Commonwealth

(国家に反 逆する富)』を英国人の紹介で読んでいたことを既に紹介した。

 名誉棄損などの訴訟を恐れて企業名こそ名指ししなかったが、中身は、スタンダード石油 の数々のスキャンダルの指弾であった。独占の弊害を暴露することによって巨大トラストを 糾弾していたのである。

 取材メモを手渡すなどターベルの歴史的な著作の誕生で有力な支援者となったロイドは、

1847

年、ニューヨークの貧しい牧師の家庭に生まれた。調査報道を得意とする米進歩主義 時代の社会派ジャーナリストである。

 法律を学んだこともあって大学卒業後は、裁判所に勤務、その後、シカゴ・トリビューン 紙の記者となる。トラストを厳しく批判する記事を書き、論説委員などを務めた後に、フリー の記者に転じ、その傍ら、イリノイ州での政治活動も続けた。

 トラスト関連で、ロイドは、スタンダード石油の悪行を糾弾する『

The Story of a Great Monopoly

(ある巨大独占企業の物語)』を月刊アトランティック誌へ寄稿し、

1881

10

月に 掲載された。傑出した分析で、巨大トラストの全体像を描いたケーススタディーの記事であ る。

 この中で、ロイドは、市場独占を円滑に進めるためトラストが多数の政治家をカネをばら 撒いて買収工作を図っていたことを明らかにし、「(政治の浄化を除いては)石油トラストは、

ペンシルベニア州の議会と一緒に何でもやった」と辛らつに非難。その上で、「最も偉大で、

小賢しく卑劣だと歴史上知られる独占を世界に提供したことを米国は、誇り満足している」

とのシニカルな批判で締め括った。

 ロイドは、この

6

年後、州際商業委員会でのロックフェラーの議会証言を取材する機会が あった。これに触れた記事の中で、「ロックフェラーは、富裕階層のツアー(皇帝)であり、

人類に対する、自身の持つ金の権力への崇拝者である」と綴った。

 調査報道に詳しい米ミシガン大学のスティーブ・ワインバーグ教授のロイドに対する評価 は手厳しい。著書の『

Taking on the Trust

』の中で、ロイドの著作について、「自分の頭でと いうよりも感情で執筆した」と論評している。

 その理由として①スダンダード石油への接触がない②事実誤認が多い③企業や人物の固有 名詞が登場しない④具体的なターゲットを欠き記事はパンチ力に欠ける−などをあげている。

 ターベルに先駆けたロイドの攻撃は、スタンダード石油にとっては痛くもかゆくもなかっ た。企業名が名指しされなかったからである。

 ワインバーグ教授も、名指しされなかったことを奇貨として秘密主義のロックフェラーは

「ロイドの本を無視した」と結論付けている。捨て身の論陣を張らなかったロイドの目指し た社会改革が不発に終わったのは当然ともいえよう。

 編集部の中で議論をするたびにターベルは刺激を受け、トラスト問題への執筆意欲はいよ いよ高まった。ロックフェラーの手痛い洗礼を受けて中小業者が壊滅的状況に追い込まれ、

(7)

その後、石油の井戸が干上がったこともあって急速にゴーストタウン化した当時のタイタス ビルの様子を肌で知っているだけに、その気持ちは余計に強まったのである。編集部の議論 は、トラストの中でも最強、最大のスタンダード石油に絞られていった。

2、最強、最大

 雑誌のオーナーであるサミュエル・マクルーアーは、自伝『

My Autobiography

』の中で、

マクルーアーズ誌がトラスト問題を取り上げたきっかけをこう説明している。

1897

2

月頃開いた編集部の会議で、「米最大の企業の業績を取り上げる」「特に、スタン ダード石油を取り上げればとても面白い話になるだろう」ということで一致した。

 市場独占に成功し、値段を釣り上げ、巨額の利益を上げるトラストは、当時の大衆の多く の、とりわけ重要な関心事であった。スタンダード石油が販売する照明用油をはじめとし、

食肉、砂糖などの食品、鉄鋼、鉄道など日常で使う製品やサービスの多くをトラスト企業が 提供しており、この値段は、生活に密着していた。仕組みは、良くは分からないもののある 種の脅威を市民たちは、漠然と感じていた。編集部の会議では、一つのトラストを取り上げ て、その歴史や効果、傾向などを暴くという方向が決まった。ターベルの連載記事が始まる 実に

5

年前である。

 マクルーアーは、「莫大な富、創設者、所有者の能力から今や最も重要なトラストは、最 初に創設されたトラスト」「最も偉大で、トラストの母とも呼んで良いかもしれない」「多く は、この母なるトラストから派生した」「ロックフェラーの創造物」と記している。

 当時の米国では、市場の独占で巨額の利益を上げ、庶民の生活を圧迫するトラストが目の 敵となっていた。スタンダード石油は

1879

年に創設された最初のトラストだった。

 それ以前に独占体がなかったわけではない。

19

世紀の後半以降、鉄道ブームや重化学工 業化によって米産業革命が進む中で、にわか企業家達が激増した。産業の急速な拡張で、過 剰生産が顕在化し、価格の低下、倒産などが続出した。企業家らは、こうした激烈な競争を 避ける方策として共同で、組織を設立し、加入、協定価格の維持や割り当て協定により市場 分割などを目指す一種の企業連合、プール制が生まれた。

 加入する企業の占有率を固定化することで利益を確保、流通を調整したのである。だが、

強制力に欠けるため長持ちせず、スタンダード石油の考案した参加者を拘束し、市場支配を 中央集権化できる、より強制力のあるトラストにとって代わられたのである。

 石油に追随し

1880

年代には、棉花油、亜麻仁油、ウィスキー、砂糖、鉛、鉄道、銅など のトラストが相次いで設立された。これによって資本の集中がさらに進展し、不当な差別の 濫用、価格を法外に吊り上げて目に余る不当な利潤を上げるケースが目立ち始めた。

 反独占のうねりは、農民、中小企業、労働者の間に湧き上がり、同業者による同盟が結成 され、是正を求めて決起する動きがみられた。特に、高すぎる運賃や公共機関であるにもか かわらず説明のつかない地域別・顧客別の差別運賃を設定した鉄道のトラストに対する反対

(8)

運動は苛烈を極めた。この運動が奏功し、短距離差別運賃、運賃プール、運賃払い戻し制な どの鉄道独占を禁止する州際通商法(

Interstate Commerce Act

)が制定された経緯がある。

 社会問題化は、さらに深刻化する。

1888

年の大統領選では、目に余るトラストの横暴が 争点となり、同

90

年にカルテル、ボイコットなどの取引制限の共同行為、独占行為などを 禁止するシャーマン法(

Sherman Act

)が圧倒的多数で上院で成立した。独占、トラストに 対する社会の反発がいかに根強かったかが分かるだろう。 

 反ビジネス的な法律との批判もあったシャーマン法の成立に奔走した上院議員のジョン・

シャーマンは、「不公正なビジネス慣行に反対するだけである」と猛反発した。

 ターベルの指弾したスタンダード石油の不正行為は、その後政府内での態勢整備が進み、

政府の告発を受けて訴訟が提起され、最高裁判所の場で、このシャーマン法などにより、違 法とされ、解体の憂き目にあったわけである。

 もっともビッグビジネスのすべてが悪質だったわけではない。『

Ida Tarbell-Pioneer Investigative Reporter

』によると、ゼネラル・エレクトリック(

GE

)、

U.S.

スチール、

AT

T

などのトラストは、良質な製品を提供し、高い評価を得ていた。問題は、不公正な商慣行 を利用して競争相手を市場から追い出そうとする手法に問題があったといえよう。トラス ト・バスター(トラストの破壊者)と呼ばれ

40

社以上を反トラスト法で告訴した大統領セ オドア・ルーズベルトは、良いトラストと悪いトラストを分けて考えていた。

3、欧州へ

 「少しばかり書いてみたらどうだろう」編集長のフィリップスは、ターベルに特集のさわ りを書くようアドバイスした。

 なぜ、一部だけだったのか。それは、マクルーアーが妻の持病の治療のため転地療養を兼 ねて夫婦で欧州のスイスに旅立っていたからである。同社のルールとしてオーナーの承諾な しに掲載することはありえない。

 導入部分を書き、それを持って欧州を直接訪ね、掲載の了承を得る。フィリップスは、そ う考えてターベルに執筆を命じた。

 シリーズの

3

回分の原稿を書きあげたターベルは

1901

年秋にレマン湖の湖畔の保養地ロー ザンヌ近郊のヴヴェイへ向け旅立った。

 何か月かぶりのマクルーアーに会い、ターベルが原稿を手渡すと「考えないといかんな」

と反応した。ただし、うわの空で、関心は、妻の療養、健康問題にあった。

 マクルーアーは「家内と

3

人でギリシャへ行かないか」と誘ってくれた。結局、中世の橋 で知られる観光地ルツェルンやイタリアのミラノ、ベニス経由でギリシャを目指すことに なった。

 ミラノに近づくと、気まぐれなマクルーアーは、途中下車を主張し、結局、夫人とともに、

健康のための泥風呂を楽しんだ。痺れを切らしたターベルは、途中で帰国を申し出た。

(9)

 特集の掲載についてマクルーアーは、結局、ゴーサインを出してくれた。帰国後、本格的 な取材に乗り出すことになる。

 欧州への旅を振り返り、ターベルは、自伝の中で、「マクルーアーは、勇気があると思った」

と記している。最大、最強のトラスト、スタンダード石油を血祭りに上げるスキャンダルを 暴露する一連の記事の掲載を決断したからである。

 相手は、オーナー、マクルーアーズ誌、ターベルを名誉棄損で提訴するかもしれない。カ ネに任せて最強の弁護士をそろえたスタンダード石油と裁判所で戦えば、資本力に劣り、ま ともな弁護士さえも揃えられない弱小出版社はひとたまりもないだろう。場合によっては刑 事訴追を受けるかもしれない。にもかかわらずマクルーアーは、ターベルの取材力を信じて 特集掲載を承諾してくれたのである。

 もっとも、当事者であるターベルら現場のジャーナリストらは、怖くはなかった。なぜな ら、合法的な手法で、歴史的な仕事に取り組んでいると確信していたからである。

 「我々は、弁解者でもなければ、批評家でもない。最も完璧な独占体を構築できたのはな ぜなのかの徹底解明を目指す単なるジャーナリストなのである。恐れる必要などなぜあろう か」と記している。

 いざ、取材に着手すると、周りが恐ろしいほどビクついていたのに気付いた。闘う前から 巨人の圧倒的なパワー、その政治力などに皆、恐怖感を抱いていた。敵対的な執筆計画をオー プンに進めれば、必ずや手荒い攻撃や報復を受けると思い込んでいた。

 ターベルは、自ら故郷のタイタスビルへ足を運び、古くからの知り合いに協力を求めた。

だが、誰もが情報提供に逡巡していた。ロックフェラーの仕返しを恐れていたのである。

「やってみなさい、最後はコテンパンにやっつけられるよ」と何度も忠告された。「殺される ぞ」とも脅かされた。

 ターベルは、ワシントンで開かれた電話の発明で知られるグラハム・ベル主催のパー ティーでロックフェラー系のナショナル・シティー銀行の副社長のフランク・バンダーリッ プから声を掛けられた。控えの間に呼び込まれ、「重大な関心を抱いて注視しております」

と釘を刺された。批判記事を書いたら容赦しないぞ、との金融サイドからの脅しだったので ある。

 ターベルは、「そうですね」「大変申し訳ありませんが、それによって私が変わるわけでは ないのはもちろんのことです」とさらりと受け流した。

 ロックフェラーとの抗争を続けていた父親のフランクでさえも「それはやってはいけない」

「奴らはお前の雑誌をつぶすだろう」とアドバイスしてくれたのである。

4、魔力

 取材を始めると、「胡散臭さと、疑念、恐怖の入り混じった、しつこい霧が一面に立ちこ めていた」(自伝)ことを実感した。資料を探そうとするのだが、見つからない。そんな最

(10)

悪のケースが相次いだ。巨大企業の魔力の存在を出だしから思い知るターベルだった。

 設立が

1870

年に遡るスタンダード石油は、“

1872

年の石油戦争” で既に紹介した手法、つ まり、鉄道からリベートを受け取り、自由な取引を制限している疑いで、連邦議会や工場が 操業する各地の州議会で調査下にあった。

1872

76

年に連邦議会で、スタンダード石油の調査が行われ、

79

年には、ニューヨーク、

オハイオ、ペンシルベニア州で調査が進んでいた。

91

年には、オハイオ州は、トラストの 解体を裁判官が命じ、本社をニュージャージー州に移転していた。

 運営する事業は、常に議論の対象となっており、その結果、取引の実態を調査する政府の 州際商業委員会が

87

年に創設されていた。委員会は、鉄道との関係を直接、間接に、綿密 に調査するため招集されたのである。

88

年のニューヨーク州や連邦議会での調査でスタンダード石油は、最重要なテーマであっ た。オハイオ州では、

82

年から

92

年までに、裁判所や州議会の場で、数回の証言に基づく スタンダード石油に対する戦いが繰り広げられていた。他の州議会は、その証言に多大な関 心を持っていた。

92

年には、トラストに対し構成部分の分割を強制的に求める法律が制定 された。だが、調査は終わらなかった。

 マッキンリー大統領の任命した委員会による大掛かりな産業界への調査でも、スタンダー ド石油は、議論の対象になっていた。その結果、委員会が提出した

19

冊の報告書の中に数 百ページの証言が盛り込まれていた。

 この膨大な証言の多くは宣誓の下で行われており、スタンダード石油の運営の下でのさま ざまな契約や合意、数多くの鉄道、精油所、パイプラインとの契約や合意が含まれていた。

そして、

1872

年から

1900

年までの多くの個人のビジネス上の証言も盛り込まれていた。

 暴露記事の執筆を目指すターベルにとっては、スタンダード石油関連のスキャンダル、事 件などの証言記録は、喉から手が出るほどの垂涎の情報であった。

 記録には、経営の内部情報も盛り込まれており、節目、節目の個人的な思い出も盛り込ま れていた。

 それは、目撃者としての視点からであり、見方の公平さにポイントがある。ターベルは、

「多くの作家の記憶よりも慎重かつ正確である」と、こうした記録の価値の高さを重視して いた。

 証言には、議論の対象となった多くの事業についての事実関係と同時に、当局者の視点を 踏まえた説明などが含まれており、トラストが発展していく重要な段階を網羅していた。

 こうした宣誓の下でなされた証言以外にも、スタンダード石油の本拠のいわゆる石油地帯 で発行されたパンフレットのほか数多くの日刊紙、月刊誌の記事、石油関係者間に交わされ たやり取りのすべてが盛り込まれた報告書や統計、コラムなども含まれていた。

(11)

5NY図書館

 最 初 に 探 し た の が

126

ペ ー ジ の 小 冊 子『

The Rise and Fall of the South Improvement

Company

(南部開発会社の興亡)』。

1873

年にまとめられ、南部開発と鉄道の間で結ばれたリ

ベート、ドローバック(払い戻し)戦術、ライバル会社の輸送に関する違法な情報の入手の 手法などに関する証言などが盛り込まれていた。ドローバックとは、ライバル会社の運んだ 荷物のリベートまでも受け取るという極めて公平さを欠いたリベートである。公正な競争を 破壊するこうした契約を鉄道会社と結び、莫大な利益を得ていた手法が事細かく記載されて いた。

 ロックフェラーは、この南部開発と自身の関係を一切否定していた。既に触れたようにター ベルは、この会社こそが、スタンダード石油の源流、こうした手法をベースに、価格競争で 仕掛けて中小企業をのみ込み、あるいは蹴散らし、巨大化の道を歩んだとにらんでいた。

 スタンダート石油や関連会社の訴訟に最近の資料は取られ、すべて係争中の裁判所内に あった。これでは利用できない。

 「資料はどうすれば入手できるのだろうか」困惑するターベルに対し、「

1

つたりとも見つ けられないよ。奴らはすべてを台無しにしたからさ」との辛辣な言葉を浴びせられもした。

懸命な努力の甲斐が実り、その在り処をみつけたこともあった。だが、それを目の前にして も、持ち主は手を触れることさえも拒絶した。

 ターベルは、当初、スタンダード石油の活躍の舞台であるタイタスビル、ピットホールな どのいわゆる石油地帯に関係者が多いはずだと予想し、しらみつぶしに探した。だが、見つ からなかった。

 そんな中で、「絶対にない」と噂された資料が見つかったのである。灯台下暗し。ニュー ヨーク・マンハッタンの公共図書館に問い合わせて、眠っていることを突き止めた。

 当時、図書館には、アデレイド・ハスという有能な書誌学の専門家がいた。ターベルが

The Rise and Fall of the South Improvement Company

』の存在を問い合わせると、ハスは、

「いつ来てもご利用いただけます」「これまで

100

部だけ印刷されましたが、残っているまれ な

1

冊です」「完全版が

100

㌦で売りに出されております」と丁重な返事を返してくれた。

 ターベルが、リンカーン伝などのベストセラーで知られる新進気鋭の女性ジャーナリスト であることを知ってか、ハスは、手紙の最後に「自分の委員会証言が掲載されている

1

2

の主要な鉄道会社の社長が、入手できるすべての報告書を買い上げ、隠滅してしまったよう です」とのコメントも付け加えてあった。「こういうことだったんだ」ターベルは妙に納得 した。

 負けず嫌いのターベルの努力で、印刷された証言集、資料などのありかはほぼ突き止める ことができた。だが、訴訟の場に持ち込まれた、印刷されていない証言があった。告発の証 言は、裁判のファイルから持ち去られたのか。

 ターベルは、ロイドに質問をぶつけると、「証言は、私の本が出版された後に返却された」

(12)

との返事が返ってきた。であれば存在するはずである。「何としても探し出さなければなら ない」ターベルは、一段と意欲を燃やした。

 ターベルは、ロイドに会うためにロードアイランド州の自宅を以前、訪れたことがあった。

連載が掲載される前であった。ヘンリー・

H

・ロジャーズにインタビューをしていることを 伝えるとロイドは、極端に警戒した。スタンダード石油の回し者と思ったのである。

 タイタスビルへ調査に行くと知ったロイドは、そこに住む友人らにターベルの取材に対し て警戒するようにと連絡したほどである。

 対応が変わったのは、マクルーアーズ誌での連載のスタート後だった。誤解と判明した後 は、

180

度転換し、積極姿勢に転じてくれた。取材メモなどを山ほど進んで提供してくれた。

キーポイントとなる取材先も紹介してくれたのである。もっとも、ロイドはターベルの最終 稿を読むことなく、この世を去った。

6、助手

 それにしても忙しすぎる。「助っ人がいれば、もっとスムーズに進むはず」こう考えて、

情報収集のための助手の採用を思いついた。持つとすれば、スタンダード石油の本拠のオハ イオ州クリーブランドが良い。だが、余計な出費となる。ニューヨークに舞い戻っていたオー ナーのマクルーアーと編集長のフィリップスに相談した。

 「やってみなさい」との嬉しい返事だった。入手困難を当初極めた資料が続々と集まり始め、

記事は、「モノになる」との最終的な判断が付き始めたからだろうか。

 どんなタイプの助手がいいだろう。同僚のリンカーン・ステファンズの仕事を見ていて ターベルは、①誠実で勤勉というよりも正確さ②パズルを解くような、物事の真相を探し出 す熱意③大卒、

1-2

年の記者経験があり、理知的でエネルギッシュ、好奇心に燃える若い男 性−との条件を付けた。真実の追跡を、楽しんでできる人物でなければならない。口ももち ろん堅くなければならない。

 ターベルは、ニューヨークから、クリーブランド在住の知り合いの編集者に紹介を依頼し た。ほどなくして

3

人の候補が集まった。面接の前に、課題を与えた。このリポートの出来 栄えで決めることにした。

 いざ会ってみると

3

人目の、背が低く小太りの男に触手が動いた。エネルギッシュで、目 が輝いている。会った瞬間に、今にも飛び出してきそうな雰囲気で、とにかく驚いた。こう した印象は、これまで取材で会った中で、後に大統領となるセオドア・ルーズベルト以外は いなかった。

 ジョン・

M

・シダルと名乗るこの青年は、リポートを手渡してくれた。出来栄えも悪くな い。材料の追跡の仕方や溢れる好奇心がターベルの求めていた資質と合致した。掘り出し物 と確信し、採用を直ちに決めた。

 シダルは、ターベルがフランス留学前に籍を置いたシャータンクワ誌の編集部のフラン

(13)

ク・ブレイの仲間だと判明した。同誌は、本拠をクリーブランドへ移していたのである。

 新米の助手は、既に地元紙の記者も兼任していた。ターベルの意向を察知するとすぐさま 取材へ飛び出し、情報収集を終えるまで帰ってこなかった。指示に対しては、ニューヨーク の編集部へ手紙で報告してくれた。

 シダルの功績は、ロックフェラーの写真を数多く入手したことであろう。これは、マクルー アー誌の誌面を華々しく飾った。ロックフェラーの隣人らが数日間に限って写真を貸してく れることになり、シダルは、それを誌面用にコピーしたこともあった。

 ロックフェラーの学校の同級生らを説得し、写真を手に入れたこともあった。孫娘を抱く ロックフェラーや妻、子供などの写真などである。ターベルが教会の日曜学校に潜入し、ロッ クフェラーを身近で観察できたのもシダルの功績だといえよう。

 連絡は電報を使っていた。ある時、それがなぜか無くなったことがあった。スタンダード 石油の関与した可能性も捨て切れない。それをきっかけに手紙に変えた。それでも安心でき ない。極秘事項のやり取りでは、暗号を使った。

 総帥ロックフェラーの毎日の動向や石油関連の統計などのほかオハイオ州関連の事件でマ クルーアー誌が興味を持ちそうな話題があるとシダルは自発的に連絡して来た。

 その活躍ぶりは、好意的に受け止められ、スタンダード石油関連の仕事が終了すると、そ のまま編集部入りが実現した。いずれにせよ、シダルの八面六臂の活動の成果は、ターベル の記事に反映され、大反響を呼ぶのである。その功績は、また別途紹介しよう。

2章、地獄の番犬

1、マンハッタン26丁目57番地

 連載の掲載までの

1

年間はターベルにとっては、情報収集の毎日であった。それより約

1

年前の

01

12

月のある日、オーナーのマクルーアーが息せき切って編集部に飛び込んできた。

ターベルを見るなり、「マーク・トウェインと話をしてきた」と叫んだ。『トムソーヤーの冒 険』のあのトウェインである。

 話を聞くと、スタンダード石油の頭脳とも言われるヘンリー・

H

・ロジャーズが、マクルー アー誌の広告を読み、掲載を予定しているスタンダード石油絡みの記事がどんな内容なのか 探って欲しいとトウェインに頼んできたのである。

2

人は、とても親しい関係にあった。破産の憂き目にあったトウェインを、ロジャーズが 救ってくれたのを機に交流が始まり、それが深化したようだ。トウェインは、“奇跡の人”

でも知られるヘレン・ケラーとも知り合いで、ロジャーズに紹介。ロジャーズが、ヘレンケ ラーの大学に通うための資金支援をしたこともある篤志家でもあった。

 それは、ともかく、マクルーアー誌への寄稿者でもあるトウェインがそんな話を切り出し

(14)

た。マクルーアーが、「ターベル女史に聞けばよいだろう」と応じると、トウェインは「女 史は、ロジャーズに会ってくれるだろうか」と確認を求めてきた。

 最終的に、ターベルは、この誘いに応じることになり、地獄の番犬との異名を誇る

J.D.

ロッ クフェラーの側近、ロジャーズに

1902

1

月に会うことになった。『スタンダード石油の歴史』

の特集が雑誌に掲載される

10

か月前である。

 それにしても、このおどろおどろしい異名、「地獄の番犬(

hellhound

)」とはどういう意 味なのか。

Oxford concise dictionary

などで調べると、民話などで出てくる想像上の犬で、

ギリシャ神話だと、ケルべロスの名で登場する

3

つの頭を持つ冥界の番犬である。

 死者が地獄に送り込まれると、そのまま中に受け入れるのだが、収容された死者がいざ外 へ逃亡を試みると捕獲して食べてしまうという恐ろしい野獣である。脱獄を防ぐため爛々と 目を光らせている厄介な番犬である。

 地獄からの脱出を成功させるには、この怪物を大人しくさせるしかない。好物を握らせ手 なずけることになる。幸い、ケルベロスは、甘いものに目がなく、甘い焼菓子などを与えて、

食べている間に逃亡できることになっている。

 この頃、ロジャーズは、別の面で知られていた。ニューヨーク株式市場が本拠の大物相場 師として、である。ロックフェラー帝国が後ろ盾の膨大なカネを投入して市場をかく乱させ る、度胆を抜くような捨て身の投機的手法は、相方に回った投資家を震え上がらせた。地獄 の番犬は、血も涙もない冷酷で容赦なく相手を完膚なきまでに痛めつけて巨額の儲けを独占 するやり方から名付けられたようである。

 それはともかく、ターベルは、マンハッタン

26

丁目東

57

番通りのロジャーズの自宅、を 午前中に訪れた。ターベルは、当初、インタビューに自信がなく、心配だった。

 これまでさまざまな人物に会ってきた。だが、今回のような産業界を代表する大物ビジネ スマンは初めて。いつもとは勝手が違ったのである。

 「私は、ライオンの口の中に手を入れようとしているのか」と自問した。だが、そうは思 わなかった。トラストの巨人が私を噛み砕こうとするのは、最高に愚かな行為である、との 結論に達した。ペンを武器にスタンダード石油と戦うのと、その幹部に面談するのとは別の ことであると割り切った。

 巨大トラストの幹部、ロジャーズとはどんな人物であろう。米市場の

90

%近くを支配し たスタンダード石油だから総帥のロックフェラーが世界最大級の大金持ちであることは誰も が異論はなかろう。総帥には及ばないもののロジャーズも相当リッチだったようだ。

 米国の金満家

100

人をランキング形式で紹介した

1996

年出版の『

Wealth 100

』の

22

番目に ロジャーズは、顔を出している。

 ランキングのトップは、スタンダード石油の創設者

J.D.

ロックフェラー、

2

位は、船舶事 業で知られるコーネリアス・バンダービルト、

3

位は、毛皮や不動産で財をなしたジョン・

J

アスター、

4

位、銀行経営のスティーブン・ジラード、

5

位、鉄鋼王のアンドルー・カーネギー

(15)

などと続いている。

 興味深いのは、スタンダード石油の幹部からロジャーズの他に、

24

位オリバー・

H

・ペイ ン、

35

位ウィリアム・ロックフェラー、

48

位ヘンリー・

M

・フラグラーの計

4

人がランキン グ入りしていることである。トップの

J.D.

を加えれば計

5

人である。

 さらに、やはり同社幹部で

1888

年に夭折したステーィブン・

V

・ハークネスの資産を引き 継いだ息子のエドワード・

S

・ハークネスが

47

位入りしている。

 巨大な米国市場を独占したスタンダード石油がわが世の春を謳歌し、いかに巨額の富を築 き上げ、幹部の間で山分けしていたかが分かるであろう。

 『

Wealth 100

』は、ロジャーズについてこう記している。組織化とビジネスの運営の天才。

金融トラストの幹部として君臨、スタンダード石油では、パイプラインでの石油の輸送を考 案、ロックフェラーが会社の日常的な経営を退いた後は、事実上の経営者となった。ガス、

銅、鉄、銀行、保険などの事業にも手を拡げ、特に銅開発事業では、ビジネス拡大のために 情け容赦のない手法を駆使し巨大トラストを構築した。

1907

年の恐慌時に、バージニア州西部の炭田からノーフォークまで伸びるバージニア鉄 道を敷設した。以上のようにビジネスマンとして八面六臂の活動の末、

69

歳で死亡した。

 ターベルも自伝で書いているように、長身でハンサムな好男子だったようだ。無慈悲、残 酷という良からぬ形容詞が付きまとうビジネス手法とは対照的に個人的にはとても寛容で、

機知に富み、魅力的な男性でもあった。

2

人の面談に話題を戻そう。そうした心配のあったターベルだが、その日、ロジャーズ宅 の書斎で、話を始めた途端そうした不安は一瞬にして吹き飛んでしまった。

 好感を持ったことは、自伝を読むとよく分かる。ターベルは、最上級の言葉を駆使し、褒 めちぎっている。

 「ウォール街の中で、あらゆる点で、最高の美男子、傑出した人物」、「長身、筋肉質、イ ンディアンのように敏捷」、「並外れた髪などの手入れ」など。額、鼻、口、髭、目、眉毛な どを個別に取り上げて、いずれも最上級の言葉でほめたたえている。

 相手を飽きさせないことでは随一の老獪なビジネスマンの面目如実である。訪問前にター ベルの身辺調査を十二分に済ませ、同郷であることなどを既に熟知していたのであろう。自 分なりの脚本を頭の中で描いていたはずである。

 マーク・トウェインが仲介役となってくれたことについてターベルは、「

2

人は外見でさえ も似通っていた。トウェインがネバダ州、ロジャーズが揺籃期のペンシルベニア州の石油地 帯で、青年時代に同じような経験をしたという強い絆があった」と論評している。

2、同郷

 「いつどこで石油に興味を持ったのですか」ロジャーズは、ソファーに座りながら、ソフ トムードで、こう語りかけて来た。これに対しターベルは、「ロウズビル(タイタスビルの隣)

(16)

の大地や丘です」と応えた。

 するとどうだろう。驚いたような顔をしたロジャーズは、「そうだ。そうだ。ターベル樽 店だったですね。お父さんを存じ上げておりますよ。お店がどこにあったのか(地図上で)

指で指すこともできますよ」と叫び声を上げた。

 その瞬間から

2

人は、仕事の話を止め、

20

年以上も前の故郷の地のペンシルベニア州の石 油地帯そしてタイタスビルの話題に花を咲かせた。

 ロジャーズは、このビジネスにかかわることになったのかについて、少年時代の身の上話 から語り始めた。その後、ロウズビルに来て、石油精製業をスタート、結婚後、数

1000

を費やして丘の斜面に自宅を建てたとも語った。

 「屋根の先端がとがった白い家でね」と説明を始めると、ターベルは「ええ、覚えており ます。世界中で一番かわいい家だと思っておりました」と褒めた。こんな同郷人同士の楽し い会話がしばらく続いたのである。

 話題も出尽くしたのを見計らって今度は、ロジャーズが切り出した。

 「何をベースに特集記事を書く積りなのでしょうか」。この問い掛けに対し、ターベルは、

「資料で言えば、

South Improvement Company(

南部開発会社

)

から始める積りです」と応じた。

 何度も触れるように、この南部開発を隠れ蓑にした悪どいリベート商法こそが、スタンダー ド石油が全米を掌握する巨大トラストに発展した鍵であり、これが、この経営手法が紛れも なくスタンダード石油の原型であると睨んでいた。

 この分析に成功すれば、ロックフェラーの化けの皮をはぐことができる。そのために本丸 に乗り込んできたとの意気込みがあった。これを聞かなければ取材は終わらない。そうした 使命感から切り込んだのである。

 ターベルが続けようとすると今後は、ロジャーズがこう応じた。

 「そうですね。もちろん、あれは常軌を逸したビジネスでした。あそこで、ロックフェラー は、大きな過ちを犯しました」と語ったのである。

 この発言には度胆を抜かれたことであろう。実は、スタンダード石油は、南部開発との関 係を認めようとしなかった過去があったからである。

 財団などで世界最大級の慈善活動家として知られるロックフェラー家のイメージは、現在 でこそ、かなり良好である。情報についても今では、積極的に公開している。

 だが、当時、スタンダード石油は、完璧すぎるほどの秘密主義を貫いており、徹底してい た。

 秘密主義は、南部開発にも当然のように貫徹しており、石油地帯の中小の石油会社を、脅 し、すかしや兵糧攻めなどの手法で、次々と買収した後も、傘下入りを公表したことさえな かった。

 味方と思っていた会社が実は、ライバルの南部開発に傘下入りしていた。それを知らずに 漏らした機密情報が相手に筒抜けになっていたことも少なくなかった。敵を欺き、独占を拡

(17)

大していく不公正なやり方は、石油地帯の中小業者の怒りを増幅させた。

 石油地帯で活躍していたロジャーズも当初は、南部開発と敵対する業者だった。だが、抗 争を続ける中でロックフェラーが、ロジャーズの交渉手腕を高く評価し、

1874

年の傘下入 り後に、スタンダード石油に引き抜かれ、その片腕となる。ロジャーズは、南部開発の手法 や中身を熟知していたのである。

 ターベルは、自伝『

All in the Day

ʼ

s Work

』の中で、「もちろん私は、ロジャーズが南部開 発の侵攻に対して全力を尽くして当初戦ったことを知っていた。そして、共謀者となったこ とも知っていた。だが、そのことは責めなかった」と書いている。

3、初の広報マン

 「わが社は、方針を変えたのです。情報を外部へ出すことにしました」やり取りの中で、

ロジャーズはこう語った。

 先ほど触れたように、スタンダード石油の秘密主義はつとに知られていた。徹底した裏リ ベートなど違法を含めた表沙汰にできない手法で規模を拡大したその経営手法にあった。そ れを知られたくなかったのは当然であろう。

 加えてオーナーでもあるロックフェラーの個人的な性癖もあった。少年時代から自分のこ とについてはほとんど語ることのない秘密主義を突き通しており、社員にそれを守るよう強 制したのである。

 ロックフェラーの秘密主義は家庭環境と密接な関連があった。実父は、いるにはいたが、

家にほとんど寄りつかず、妻がいるのにもかかわらず自宅に愛人を同居させたほか、重婚や 女性への暴行などで、素行への評価と評判がはなはだ芳しくなかった。定職に就かず、イン チキな薬を売り歩いて、周囲の不評を買っていた。

 ロックフェラー少年は、父や家庭のことを友人に聞かれても言葉を濁し、話すことはなかっ た。この結果、取材を遠ざけていたし、依頼があっても応じなかった。応じたとしても本当 のことをしゃべるはずもなかった。

 表や裏のリベートをはじめとするスタンダード石油の強引な手法は、市場シエアを高めた

1870

年代から州政府、州議会、連邦政府、連邦議会などで問題になっていたことは既に触 れた。幹部が証言などを求められるケースもあった。だが、誠実に答弁することはなかった。

 ロックフェラーが、証言の場に登場すると、いずれもにわか健忘症となり、のらりくらり と答弁するなど、積極的に情報を提示しようとの姿勢は、微塵も見られなかったのである。

 では、スタンダード石油側は、良心の呵責を何ら感じていなかったのだろうか。ダニエル・

ヤーギンは、その著書『

The Prize

』の中で、「スタンダード側はこうした批判を全く理解し ていなかった。それは、安っぽいデマで、知らないことからくる嫉妬、特別な哀願と考えて いた」「自由競争による災難を監視しているだけでなく、自分たちは、米国に未だかつてい たことのない最も偉大な真の建設者だと確信していた」との見解を示している。

(18)

 一般の見方とこれほど乖離しているケースも珍しいだろう。孤高を貫く唯我独尊、現代風 に言えば、企業倫理に完璧に欠けるばかりか、強欲で冷酷、無慈悲の、ベールに包まれた謎 の傲慢な巨大企業との認識が一般的だった。

 当時は、米国の初期資本主義の勃興期で、産業革命の進展とともに、いわゆるビッグビジ ネス、大企業が形成される時代。自主独立、自由が企業の活動のベースにあり、連邦政府の 規制はさほど強くはなかった。企業への政府への介入は、好ましいとはされていなかった。

小さな政府こそが良し、とされていた時代でもあった。

 連邦政府の力が強まるのは、

20

世紀初頭のセオドア・ルーズベルト大統領の頃からである。

鉄道を支配していたモルガン財閥などトラストへの規制色が強まった。ロックフェラーへの 風当たりもこの頃、急速に強まった。

 実際、そのやり方は、世論ばかりか裁判所さえも小馬鹿にしたような傲慢な対応だった。

オハイオ州の裁判所がオハイオ・スタンダード石油をトラストから分離せよと命じた

1892

年の決定にスタンダード石油が一向に従っていないことは法廷侮辱罪に当たるとして訴訟を 提起された裁判での尋問で

98

10

月に召還されたロックフェラーはほとんど何も認めなかっ た。

 新聞王ジョセフ・ピューリッアーの経営で知られるニューヨーク・ワールド紙が、「ロッ クフェラー、二枚貝と化す」との見出しで、手厳しく批判した。同紙は、「忘れるというこ とは、独占企業のトップが反対尋問を受ける際にはもっとも有益な長所となる。ロックフェ ラーは、これを最大限に備えている」と酷評した。

 「なぜ最初から取材に来なかったのでしょうか」。ロジャーズの質問に対しターベルは、「そ の必要はなかったから」と応じている。

 スタンダード石油には、それまで企業情報を外部に公開するための担当者を設置したこと はなかった。トラストへの攻撃が過熱し、歴史的な解体判決後の

1914

年に、スタンダード 石油は、米国の広報の草分けとされるアイビー・リーを初の広報の専門官として雇っている。

 ターベルは、自伝の中で、約

2

年続いた面談を踏まえて、「リーに先立つ

10

年以上も前の ロジャーズが最初の広報官だった」と評価している。

 この日のインタビューは、

2

時間近く続いた。ロジャーズは、リベート、パイプライン、

中小業者との抗争などについての見解を話してくれた。

 もちろん、自分たちの素晴らしい実績、完璧なサービスから始まって頻発する裁判や、

同業者からの “

persecution(

迫害

)

”、さらには、ヘンリー・

D

・ロイドが著した『

Wealth

Against Commonwealth

(国家に反逆する富)』からの指弾などについても説明してくれた。

 ターベルは、話せば話すほど打ち解けた気分になり、好感を持った。それは、オーナーの マクルーアーやフィリップスと編集部で話をしているようでもあった。

 最後に

2

人は、約束を交した。①執筆するスタンダード石油の原稿に関してターベルは、

(19)

ロジャーズと協議する②ロジャーズは、ターベルに対し理解や判断の増進のため資料や統計、

説明などを提供する−など。

 別れ際に、ロジャーズは、「私の事務所にまたおいでいただけますか。次回はもう少しは くつろげるでしょう」とも語った。驚くべきことに「ロックフェラーと会いますか」との提 案もあった。ターベルは、「もちろんですとも」と答えると、ロジャーズは、「では、セット してみましょう」と笑顔で答えてくれた。

 ターベルやマクルーアーが社会や政治改革のために健筆をふるった

1890

年代から

1920

年 代にかけての米国は、「

Progressive Era

」と呼ばれる疾風怒濤の時代である。日本では、進 歩(革新)主義時代と訳している。政治や経済を含めた社会の浄化であり、ターベルらの所 属するマクルーアーズ誌こそが政治・経済の腐敗を暴露し、進歩主義運動が目指す社会の大 改革への先導役となったのである。

1998

年のロックフェラーの伝記『タイタン』を執筆したロン・チャーナウが「米ビジネ スの歴史上、最大級の影響力のあった著作のひとつ」、「スタンダード石油モノの最高傑作」

と評価するターベルの作品はこのような過程を通じて執筆されていくのである。(了)

◎参考資料

・安部悦生・壽永欣三郎・山口一臣著『ケースブック アメリカ経営史』(有斐閣、2002年)

・ジュールズ・エイベルズ著『ロックフェラー−石油トラストの興亡』(河出書房新社、1969年)

・高崎通告『歴代アメリカ大統領総覧』(中公新書ラクレ、2001年)

・ダニエル・ヤーギン/ジョセフ・スタニスロー著『市場対国家(上、下)』(日本経済新聞社、1998年)

・デイヴィド・ロックフェラー著『ロックフェラー回顧録』(新潮社、2007年)

・ハーマン・E・クルース、チャールズ・ギルバート著『アメリカ経営史(上、下)』(東洋経済新報社、

1974年)

・広瀬隆著『アメリカの経済支配者たち』(集英社、1999年)

・ビル・コバッチ/トム・ローゼン・スティール著『ジャーナリズムの原則』(日本評論社、2002年)

・丸山徹著『入門・アメリカの司法制度』(現代人文社、2007年)

・三十木健著『アメリカ反トラスト法の経済分析』(近代文芸社、1997年)

・歴史読本臨時増刊『世界を動かす謎の国際機関』(新人物往来社、1988年)

・ロン・チャーナウ著『モルガン家−金融帝国の盛衰(上、下)』(日経ビジネス人文庫、2005年)

Adrian A. Paradis著『Ida Tarbell- Pioneer Women Journalist and Biographer』(1985年)

Anne Bausum著『Muckrakers (National Geographic, 2007)

Barbara A. Somervill著『Ida Tarbell- Pioneer Investigative Reporter (Morgan Reynolds Publishing, 2002)

David Mark Chalmers著『The Muckraker Years (Robert E. Publishing Company, 1980)

Daniel Yergin著『The Prize (A Touchstone Book, 1993 ) 日本語訳は、日本経済新聞社から『石 油の世紀(上下)」で出版されている。

Dean Starkman著『The Watch Dog That Didnʼt Bark (Columbia University Press, 2014)

Ida M. Tarbell著『All in the Dayʼs Work (University of Illinois Press, 2033) 1939年の復刻版

Ida M. Tarbell著『The History of the Standard Oil Company (Dover Publications INC, 1904)

(20)

John D Rockefeller著『Random Reminiscences of Men and Event (Dodo Press, 1908)

Kathleen Brady著『Ida Tarbell-Portrait of a Muckraker (University of Pittsburg press, 1989)

Michael Klepper & Robert Gunther Wealthy 100 (Citadel Press Book, 1996)

Ron Chernow著『Titan (Vintage books, 2004) 日本経済新聞社から「タイタン」のタイトルで 日本語訳が出版されている。

S. S. McClure著『My Autobiography (Frederick A. Stokes Company, 1914)

Steve Weinburg著『Taking on the Trust (W.N. Norton, 2008)

Willa Cather著『The Autobiography of S.S. McClure (University of Nebraska Press, 1997)

(終)

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