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中国語の完了相に於いて「*張三有買那本書」は 何故、言えないのか?

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(1)

中国語の完了相に於いて「*張三有買那本書」は 何故、言えないのか?

一日曜言語学のすすめ(その3)一 藤井 文男

Abstract

Asyntactic irregularity is discussed concerning the aspectual usage of the verbal suf且x −1θand the auxiliary yδ那in Mandarin Chinese. The perfective aspect is marked by−16 in af且㎜ative sentences whereas in their interrogative counterparts utilising disjunctive question (the so−called A一ηo∫−A interroga一 tive),一 εcannot be employed;instead, y枷, dif旧ering from−1εevidently in its syntactic status, seems to take over the aspect marking function. What does this SyntaCtiC altematiOn mean?

By way of diachronic comparison focused on the etymological origin of 漉∫,the aspectual equivalent ofthe non−aspectual negative markerわ魂, it is argued that this adverbial negator, rather than the auxiliary y諏, contributes to marking the aspect of interrogative and, of course, also negative sentences.

Fu曲e㎜ore, it is programmatically pointed out that grammaticalisation is almost perfectly completed when phonological changes accompany the process in question, which is often reflected in dialectal division of the language as especially well−demonstrated in Chinese.

「はじめに」

「普通話」と呼ばれる現代中国語の標準語に於いて,完了相もしくは過去時制で 張三はあ の本を買いました を表わすのに「*張三有買那本書」とは絶対に言えない。対応する疑問文 が「張三有没有買那本書?」であり,非完了相に於いては「張三買不買書?」 張三は本を買い ますか? の答が「買」 はい 若しくは「不買」 いいえ で,助動詞「要」 〜しなけれぼ ならない,〜するつもりだ を使った「張三要不要買書?」 張三は本を買うつもりですか?

に対する答が「要」 はい 若しくは「不要」 いいえ であることを考えると,完了相に於 いては疑問文として「張三有没有買那本書?」脹三はあの本を買いましたか? と言えるので あれば,この質問には肯定で「*有」 はい と答え,否定では「没有」 いいえ と答えら れて然るべきなのに,否定の「没有」は文法的なのにも拘わらず,肯定の「*有」だけはどう しても非文法的となってしまう。当然ながら,平叙文としての「*張三有買那本書」も成り立 たない。これは一体,何故なのか?以下では,この統辞上の irregularity の背景に潜む,現 代中国語の文法構造の諸相を統御する統辞的メカニズムに対し,多角的に迫ってみたい。

『人文学科論集』34,pp.39−58.      ⑥2000茨城大学人文学部(人文学部紀要)

(2)

1.中国語に於ける二種類の疑問文

上で挙げた統辞現象の謎を解明するためには,現代中国語の標準語に於いて極めて特徴的な,

学校文法などで一般に「反復疑問」と呼ばれる疑問形式の,統辞的実態を明らかにしなけれ ぼならない。藤井(2000)で詳しく論じたトピックだが,本稿で扱う論点にとって必要となる 部分について,その概要をまず示しておこうと思う。

現代中国語は,意味論的にも語用論的にもほぼ「バリエーション」と見なしていい,二種 類の疑問文の形式が存在する。ひとつは,日本でも「称好嘱?」でお馴染みの,日本語の疑問 の終助詞「か?」によく似た助辞「嘱?」を出発点となる平叙文の文末に付加する,いわゆる

「終助詞疑問」で:

(1)a.張三買書。    脹三は本を買います。

b.張三買書鳴?     張三は本を買いますか?  (「終助詞疑問」;(≠2b)

もうひとつは,対応する平叙文の(助)動詞を,否定の助辞である「不」を介して 反復 る,件の「反復疑問」である:

(2)a.張三買  書。    張三は本を買います。   (=1a)

b.張三買不買書?    張三は本を買いますか?  (「反復疑問」;(≠lb)

ここで,(2b)の「不買」が(1b)の「鳴」と同じように,単なる付加されたものでなく,出発 点となる平叙文で使われている動詞がコピーされたものと解釈しなければならないことは,

例えば次の例のように,対応する平叙文の本動詞が変われば同様に変化しなければならない ことから明らかであろう:

(3)a.張三費  書。   張三は本を売ります。     ●

b.*張三費不買書?   (張三は本を売りますか?)((プ2b)    ●

c.張三費不費書?   張三は本を売りますか?    ●       ●

平叙文の動詞が「不」を介してコピーされるのだから,本動詞が「買」ではなく「費」とな れぼ,否定の助辞である「不」に続く動詞のコピーは当然「費」となって,反復部分はin一 variantではあり得ない。

上でも既に触れたことだが,問題の二種類の疑問文形態は,意味論的にも語用論的にも,

お互いにfree variantと捉えていいことは,例えぼ次のように,どちらを質問の発話行為に 使っても,答は両者に対して同様である,という言語事実からも頷けるはずである:1)

(3)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」        41

(4)A:張三買書囑?     張三は本を買いますか?  (ニ1b)

B:買。        はい,買います。     (ニ5B)

B :不買。       いいえ,買いません。   (ニ5Bり

(5)A:張三買不買書?    張三は本を買いますか?  (=2b)

B:買。        はい,買います。     (=4B)

B :不買。       いいえ,買いません。   (ニ4Bり

また,本稿ではこれ以上は言及しないが,中国語の統辞体系全体にとっても,問題の両者が バリエーションの関係にあることこそが,なぜ両方の疑問文生成のメカニズムが混用されな いのか,具体的には何故に「*張三買不買書囑?」が非文法的になるのか,という統辞上の

謎 を解くカギとなっていることは藤井(2000)で詳述したとおりである。

こうしたことから,現代中国語の標準語に於ける疑問文生成のメカニズムとして,次の二 種類

(6)a.第一式:平叙文の文末に疑問の終助詞「嘱」を付加(「終助詞疑問」)

b.第二式:平叙文の動詞を,否定の助辞「不」を介して反復(「反復疑問」)

を確認しておくことは,統辞現象だけに限っても様々なirregulaliUesの を仕掛けて我々 を翻弄しようとする中国語文法体系からの新たなる 挑戦 に立ち向かう際の出発点になる,

と考えられるのである。

Il.新たなる挑戦   中国語に於ける完了相とその統辞的 Irregularity

現代中国語の標準語に於いては,出発点となる非完了相ないし現在時制の平叙文に対し,対 応する完了形もしくは過去形は,動詞の直後に助辞の「了」を付加することによって導かれ

る:2)

(7)a.張三買 那本書。  張三はその本を買います。  ((プ7b)

b.張三買了那本書。  張三はその本を買いました。 ((プ7a)

対応する疑問文は,終助詞疑問の場合,当然ながら文末に疑問の助辞「囑?」を付加すること によって導かれる:

(4)

(8)a.張三買了那本書。  張三はその本を買いました。   (=7b)

b.張三買了那本書囑?  張三はその本を買いましたか?  ((≠4A)

このことは,非完了相もしくは現在形からの類推に寸部も違うところがない。

本稿で取り上げる統辞上の irregularity は,対応する反復疑問で出現する。第一節でも見 たように,反復疑問は出発点となる平叙文の動詞を,否定の助辞「不」を介してコピーする

ことによって導かれるはずだから,(8a)からであれば,本動詞「買」の完了形/過去形である

「買了」を「不」に後続させた(9a),若しくは非完了/現在の反復疑問「買不買」を完了化/過 去形化した(9b)「買不買了」が疑問をマークすることになって然るべきである。しかしなが

ら,現実にはそのどちらも非文法的となり,出発点となる平叙文には全く現われていなかっ た「有」という表現が突如として登場するのだ:

(9)a.*張三買了不買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか? )  (49c)

b.*張三買 不買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか? )  (げ9c)

c.張三有没有買φ那本書?  張三はその本を買いましたか?

d.*張三有没有買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか?

この「有」は一体どこから現われるのか?そもそも,この「有」とは何なのか?しかも,平 叙文で完了/過去をマークしていた「了」は,対応する疑問文では何処となく消え失せてしま

う((ヅ9d)。謎は深まるばかりだ。

問題点は次の二つに絞られると思う。完了相/過去時制に於ける中国語の反復疑問文を巡る 統辞上の の解明に取り組む前に,まず問題点を整理しておこう:

(10)完了相に於ける中国語の反復疑問文を巡る二つの謎:

a.その1:「平叙文には存在しない〈有〉はどこから現われるのか?」

b.その2:「完了のマーカーである〈了〉は何故,消えるのか?」

lll.「有」の正体を追って  Doppelgangerか?真犯人か?

さて,これからタイトルでも触れている「有」の正体を追い求めていくことになるわけだが,

順序としては先ず(10b)から始めてみようと思う。疑問文になると「了」が消え,常識的に はたぶん 代わりに 「有」が現われると考えられるわけだから,問題の「有」の正体にして も「了」と無関係なはずがないからだ:

(5)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」        43

(11)a.張三有没有買 那本書?  張三はその本を買いましたか?  (ニ9c)

b.*張三有没有買了那本書? (張三はその本を買いましたか?)(=9d;411a)        ●

「了」が消えるのは,ほんとうに「有」が 完了相 もしくは 過去 をマークする機能を 代替するからなのか?だとすれば,問題の「了」と「有」は言語学のターミノロジーで言う ところの compensatorily distributed allomorphs ということになる。ただ,そう捉えてみて も,なぜ「了」は疑問文では「有」として具現化されなければならないか,つまり具体的に は何故(9a−b)が非文法的になるのかについての説明が全くつかないことに変わりはない。そ もそも,ほんとうに「有」が完了相もしくは過去時制をマークしていると言い切って構わな

いのか?

我々を取り巻く 謎 には,上の(10)で挙げた二つ以外にも,実はもうひとつある。それ は,疑問文で初めて現われる両方の「有」に挟まれた「没」のことである。上では暗黙の了 解として「没」は「不」に通ずるものとして理解してしまったが,これがほんとうに反復疑 問を導くマーカーとして機能しているのか,実は確証はまだ何もない。この「没」とて,出 発点となる平叙文には現われず,疑問文となって突如として現われている点では,さっきか ら問題としている「有」と全く違いがないわけだ。もしかしたら,反復疑問文に於いて完了 相/過去時制をマークしているのは,実は我々が臭いと睨んでいる「有」ではなく,こちらの

「没」の方かもしれないのだ。

しかしながら,幸いなことに「没」の身元はすぐに割れる。本動詞として用いられる「有」

〜を持っている は,アスペクトや時制と関係なく,対応する反復疑問は通常の「不」では なく常に「没」を伴うからである:

(12)a.張三有  恨多書。  張三は本をたくさん持っています。

b.*張三有不有根多書? ( 張三は本をたくさん持っていますか?)     ●

c.張三有没有恨多書? 張三は本をたくさん持っていますか?     ●

つまり,完了相もしくは過去時制に於ける反復疑問が「不」ではなくして「没」を以て形成 されるのは,言わば「有」のidiosyncrasyに起因する,と考えていいわけだ。

これで我々は,問題の「有」と「了」の機能上の相似関係を突き止めたことになる。反復 疑問文に於いて「了」が消失するのは,完了相ないし過去時制をマークする機能が「有」に 引き継がれるから,と理解していい。だとすれば,この両者は,こうした情況下で一般に解 釈されるように,{完了相}もしくは{過去時制}といった単一の形態素に属する二種類の異 形態ということになるのだろうか?「了」が平叙文で「有」が疑問文というふうに補完的に職 掌分担が決まっているとしたら,確かに両者が同一コンテクストで共起しなくても一向にお かしくないわけだ:

(6)

(13)a.張三   買了那本書。  張三はその本を買いました。   (ニ8a)

b.*張三有  買了那本書。  張三はその本を買いました。   ((≠13a)

C.張三有没有買φ那本書?  張三はその本を買いましたか?  (ニ9C)

d.*張三有没有買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか? )(=9d,げ13c)

実際(13b)と(13d)の非文法性はそうした可能性を物語っているように見える。

しかし,単なるfree variantsと違い,補完的に配置された単一の形態素の異形態であると いうことは一般に,少なくとも音韻的にもその交代が無理なく裏付けられるほどに相通じる

ところがあるはずだし,defectiveに共通機能を担う異形態にしても,そのメンバーはsyn一 tagmatic relationshipにあるのが通例である。ところが,「了」と「有」の統辞論的位置づけ には,極めて大きな隔たりがある点は誰しも認めざるを得まい。文中に於ける語順からして も,一・方の「了」が動詞に後置されているのに対して他方の「有」は動詞に前置されており,

常識的に考えてもその統辞的機能には自ずから違いがある,と捉えるのが筋であろう。いず れにしても,両者を狭義のallomorphsと見なすには,あまりにも根拠が薄弱なのだ。

そもそも,「有」は品詞的には如何なるカテゴリーに属する表現なのか?上で検証したよう に,反復疑問でコピーされていることから,ある種の動詞表現であることは容易に想像がつ

く。ここでは詳しくは扱わないが,現代中国語に於いて,反復疑問文生成に際してコピーの 対象となり得るのは何らかの動詞表現だけだからである。次の例からも判るように,後続の 動詞表現(本動詞)の方はコピーの用に供さないことから,基本語順の観点からしても,「有」

は本動詞「買」に前置される 助動詞 と捉えるのが妥当であろう:

(14)a.張三有没有買  那本書?  張三はその本を買いましたか?    (ニ9c)

b.*張三有  買不買那本書? (張三はその本を買いましたか?)  (414a)       ●        ●

このことは,そのカテゴリー性が明確な,他の助動詞の例からも傍証できる:

(15)a.張三要不要買  那本書?  張三はその本を買うつもりですか?  ((∫14a)

b.*張三要  買不買那本書? (張三はその本を買うつもりですか?)((≠14b)       ●       ●

ここで,(14)と(15)の違いが,反復疑問の生成に「不」ではなく「没」を介在させる「有」

のidiosyncrasyだけであることは上述した通りである。

決定的なギャップは,むしろ対応する平叙文に於ける両者の違いに現われる:

(7)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」         45

(16)a.張三買不買 那本書?   張三はその本を買いますか?

b.張三買φ 那本書。   張三はその本を買います。

c.張三要不要買那本書?   張三はその本を買うつもりですか?

d.張三要φ買那本書。   張三はその本を買うつもりです。

本動詞にしろ助動詞にしろ,反復疑問文から動詞反復を含む否定項目を削除した場合,当然 ながらオリジナルの(肯定)平叙文が導かれるのに対し,「有」に関しては,否定形の反復部分

「没有」を取り去った後に残る助動詞構造は,上でも既に述べたように,如何なる場合にも文 法的にはならないのだ:

(17)a.張三有没有買 那本書?  張三はその本を買いましたか?

b.*張三有φ買 那本書。 ( 張三はその本を買いました。 ) (げ16b)

c.張三   買了那本書。  張三はその本を買いました。   (=8a)

非文法的な(17b)に対応する文法的なカウンター・パートは,上でも繰り返し言及している ように,完了をマークする助辞を動詞本体に後置した(17c)である。やはり,問題の「有」

を純然たる助動詞として見なすには,どうしても無理があるようだ。

現時点では,未だ「有」の本性を白日の下に曝すには至っていない。何れにしても,「有」

の正体は早晩,明らかにしなければならないが,首根っこを押さえるだけの物証を収集する 作業に入る前に,ここではこれまでに「有」の挙動から判ることを整理しておこうと思う:

(18)a.「有」は機能的に「了」と補完関係を成す

b.「有」の文法的ステータスは 助動詞 (「了」は動詞語尾[?D

「有」を巡っては,まだ二つの謎が残っている:

(19)a.「有」と「了」は如何なる関係にあるのか?({PERFECT}のallomorphs?)

b.「有」は何故,平叙文には現われないのか?

どちらに関しても,現段階ではまだ五里霧中といった情況だが,犯人とて所詮,自然言語の 文法以外の何者でもないハズ。どこかできっと尻尾を現わしてくるに違いない。その意味で,

今はひたすら情報収集に専念するしかないのかも知れない。

(8)

IV.「傍証」胤「物証」  公判は維持できるのか?

犯罪捜査に於いては,当該の犯罪を立件するためには物的証拠の提示が不可欠である。状況 証拠(傍証)だけでは公判は維持できないからである。しかしながら,我々が現時点で置かれ ている現状では,とても「物証が云々一.」などとノンキなことが言えた情況にないことくら い,我々自身がいちばんよく知っている。ただ,上でも触れたように,相手とて所詮は自然 言語の文法である以上,つまり世界のどこかで同じ人間のコミュニケーションの手段として 機能するという普遍的目的に叶った構造を持つはずであることからして,問題解決の糸口は

きっと何処かありふれた言語現象に見出だせるに違いない。

平叙文には出現しないのに,対応する疑問文になると突如として助動詞らしき表現が現わ れるという現象は,実は我々の身近にも存在していた。英語に於ける疑問文生成のメカニズ

ムがそれである(げ藤井1997):

(20) a.      John buy−5 books.

b.*Buy−5∫ohn     books?

c.Do83 John buy一φbooks?

本稿ではこれ以上,詳述はできないが,英語の文法は何らかの理由で本動詞が平叙文の定位 置を離れることを嫌い,平叙文では人称語尾が担っていた定形機能を助動詞doldoes/didに代 替させる,というふうに理解すればいい。だから,品詞としてのカテゴリーは別々であって も,文法上の機能は人称語尾も助動詞も同一なのである。そしてこの場合,両者が単一の形 態素の異形態であるか否かについて詮索する必要はどこにもないはずだ。

中国語の完了相もしくは過去時制に於ける反復疑問の生成に関しても,これと全く同じこ とが言えるのではないか?つまり,平叙文にのみ現われる完了ないし過去のマーカーである

「了」は,何らかの理由で疑問文生成の文法的オペレーションの対象として機能し得ない,と 理解するのである:

(21)a.張三   買了那本書。  張三はその本を買いました。    (=8a)

b.*張三買了不買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか? )  (ニ9a)

c.*張三買 不買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか? )  (=9b)

d.*張三買了没買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか? )  (ニ9a)

e.*張三買 没買了那本書? ( 張三はその本を買いましたか? )  (ニ9b)

f張三有没有買 那本書?  張三はその本を買いましたか?    (=9c)

そう言えぼ,結果的には偶然かも知れないが,当該表現が「語尾」という,一種の付属語で

(9)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」         47

ある,という点も酷似している。確かに,付属語よりは英語や中国語の助動詞のように独立 性の高い表現は統辞的な柔軟性にも富み,特に孤立性の高い言語では様々な文法的要請にも 応じやすい性格を持つことは明らかである。そして実際中国語でも非完了相もしくは現在 時制のように「了」のような動詞語尾を必要としない場合,敢えて助動詞を持ち出すような

ことはしないのである:

(22)a.張三   買 那本書。  張三はその本を買います。   (421a)

b.張三 買不買 那本書。  張三はその本を買いますか?   (421f)

上でも述べたように,英語に於いても,疑問文生成の文法的オペレーションで助動詞が用い られるのは,出発点となる平叙文ではいわゆる一般動詞が定形を提供していて,定形が語彙 的な要素を持たない助動詞的な表現で担われている場合には,もちろんのことdoldoes/didな

どの助動詞が更に用いられることはない。

英語に於いて,過去時制をマークする人称語尾が平叙文の動詞表現に用いられる次のよう

なケースに:

(23)a.    John    bough−  that book.

b.    John 4∫4 buy一φ  that book.

c. D 4John    buy一φ  that book?

中国語でそのまま対応するのは:

(24)乱張三   買ア那本書。 張三はその本を買いました。   (全23a)

b.*張三有  買那本書。( 張三はその本を買いました。 ) (全23b)

c.張三有没存買那本書?張三はその本を買いましたか? (全23c)       、

という場合だが,ここで決定的な違いはやはり,英語では(23b)のような(強調形)平叙文で も助動詞は曲がりなりにも用いることができるのに対し,中国語ではそれに対応する(24b)

の非文法性が示すように,「有」が助動詞的に平叙文に現われることは絶対にあり得ない,と いう点であろう。つまり,英語に於いては,(23b−c)の助動詞didを動詞の人称語尾一tの,あ る種の 異形態 と捉えることは(実際,通時的にもほぼ認められていることが示すように)

理論的にもあながち無意味ではないのに対し,中国語の「了」と「有」ではそうした理解は ほとんど説得力を持たないのが実態なのだ。やはり,両者は全く別系統の表現で,(24a)の

「了」と(24c)の「有」は,たまたま機能的に対応しているに過ぎないのであろうか?(24b)

の非文法性は,この事実を雄弁に物語っているように見える。

(10)

V.混沌    共犯者 現わる(「完了」をマークするのは「有」か「没」か?)

事態は,またしても混沌としてきた。件の「有」の正体は,明らかになるどころかますます 混乱してきたような印象さえ抱く。確かに,前節で取り上げた英語の事例から類推すれば,

動詞語尾の「了」は何らかの理由で反復疑問のオペレーションの対象となり得ないため,機 能的には同等の助動詞「有」がその機能を代替している,という解釈もかなりの説得力を持 っようには思える。しかしながら,その条件としては,統辞的に助動詞として機能する「有」

であれば,少なくとも有標ではあっても最低限,対応する平叙文でも用いられ得ることは前 提になっていて然るべきだ。純粋なallomorphではあり得ないのだから,同様のコンテクスト の中でもどこかで「有」の機能を発揮する場所が存在するのが自然なのである。これまで見 てきたように,平叙文なら必ず「了」で,疑問文なら絶対に「有」といった 完壁 な補完 配置であっては「有」の正体の割り出しに関しては手の施しようがない。

しかし幸いなことに,(23b)に直接の形で対応するものではないものの,取りあえず平叙文 の形式にも「有」が出現する事例を見出だすのはさほど難しいことではない。それは,次の ような否定文の場合で:

(25)a.張三φ没有買 那本書。  張三はその本を買いませんでした。  ((ゾ17b)

b.張三φ不要買 那本書。  張三はその本を買うつもりはない。  (げ16b)

別の純然たる助動詞,例えば「要」 〜しなければならない,〜するつもりだ との構造的パ ラレルからも,その助動詞性は傍証できる。3)

ところが問題なのは,(25a)のバリエーションとして,問題の「有」を削除した形態も存在 する,ということである:

(26)a.張三没有買 那本書。  張三はその本を買いませんでした。  (=25b)

b.張三没φ買 那本書。  張三はその本を買いませんでした。  (426a)

つまり,これまで完了相ないし過去時制をマークすると捉えてきた「有」は,実はあっても なくてもいい,ということなのだ。これまでの議論は一体,何だったのか?また,これで

「有」の正体も一層ボヤけてしまったのも事実だろう。

問題はしかしながら,単に否定形の平叙文だけに留まらない。完了相もしくは過去時制に 於ける次の例を見て欲しい:

(27)a.張三買没買  那本書?  張三はその本を買いましたか?    (げ27b)

b.張三有没有買 那本書?  張三はその本を買いましたか?    ((ヅ27a)

(11)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」        49

我々はこれまで,完了相/過去時制に於ける反復疑問文として「有没有」ばかりを議論してき たが,実は非完了/現在形の場合と同様,本動詞を直接反復した「買没買」の形態も反復疑問 として存在するのである。つまり,このタイプの疑問文に於いても 主役 はこれまで常に 目立った行動をとっていた「有」ではなく,むしろ「没」の方だったのだ。実際,助動詞

「有」は全く必要なく,否定の助辞である「没」だけで完了相もしくは過去時制をマークし,

非完了相/現在時制のカウンターパートである「不」との対立を示すのである:

(28)a.張三買没買  那本書?  張三はその本を買いましたか?   (=27a)

b.張三買不買  那本書?  張三はその本を買いますか?     (428a)

ここまでの議論で,肯定形の平叙文に於いて完了相ないし過去時制をマークする「了」に 否定形もしくは反復疑問文で対応するのは,統辞的には助動詞的に機能する「有」ではなく,

否定の助辞である「没」の方だということが判ったが,「有」を省いた形であれば「没」は

「了」と共起するのだろうか?常識的に考えれば,両者とも同じ完了相/過去時制をマークす るのだから,喩え単なる否定の助辞であれ「了」と共起しないのが自然なはずだが,ここで 念のため,一応は確かめておきたい:

(29)a.*張三買 没買了那本書?( 張三はその本を買いましたか? ) (428a)

b.*張三買了没買 那本書? ( 張三はその本を買いましたか? ) (=27a)

やはり,如何なるコンステレーションであれ,「没」も「了」とは共起しない。

この点に関しては予想通りで,これまで犯人に翻弄ばかりされてきた我々としては一安心 というわけだが,件の「有」の正体については我々は今だもって五里霧中にある。いや,

却って混沌の度はむしろ増しているのかも知れない。これまでの議論を整理すると:

(30)a.否定で完了相を担うのは「有」ではなく「没」

b.では「有」は何のために何処から?また,なぜ単独では現われ得ないのか?

ということになるが,首謀者については全く判っていない。確かに「有」は何となく捜査網 から抜け落ちたような感じになっているが,実は背後で捜査を撹乱しているのは,やはり

「有」かも知れないのだ。疑心暗鬼が疑心暗鬼を呼ぶ。

(12)

VI.急旋回  過去の捜査に学べ

「失敗は成功のもと」とはよく使われる格言だが,実験系の学問分野では失敗例は成功例より も貴重と聞く。実験が失敗したことから,成功例からは得られないような貴重なデータや認 識を手にすることができるだけでなく,何よりも成功への道は失敗した領域以外にあること を明確に示しているからであろう。そうした精神を我々も心がけたい。そこまで原理主義的 にならないまでも,少なくとも成功例で得られた認識だけは,今後の研究活動に於いても十 二分に活かせなければならない。

藤井(2000)で示したように,現代中国語に於ける,いわゆる「反復疑問」のプロトタイプ は,肯定文の文末に付加した否定の助辞であった。原則として,どの品詞に属する否定の助 辞であるかが重要なのではない。その助辞が副詞の「不」であった場合,その副詞性から肯 定部分の動詞をコピーするのである。そして,否定部分は当然ながら一種のverb phraseであ ることから,本動詞によってcontractされて現代語の「V不V」の形式が確立するわけだ:

(31)a.張三買不買書?    張三は本を買いますか?

b.張三買  書不買?  張三は本を買いますか?  ((≠31a)

c.張三買  書不φ?  張三は本を買いますか?  (431a)

完了相ないし過去時制に於けるカウンターパートも,その起源に於いて,これと同様なので はないだろうか?

実際この予想は見事に的中する。反復疑問の否定部分が単に(助)動詞直後に配置される 形態の他に反復が文末に位置する方式が併存するだけでなく,コピーされた(助)動詞が省略

されたバリエーションまでがある種のarchaismとして生き長らえているのである:

(32)a.張三有没有買  那本書?  張三はその本を買いましたか? (ニ9c)      ●       ●

b.張三   買了 那本書没有? 張三はその本を買いましたか? ((≠32a)      ●

c.張三   買了 那本書没φ?  張三はその本を買いましたか?  (げ32a)

つまり,重要なのはコピーされた(助)動詞ではなく,否定の助辞自体ということだ。

当然ながら,前節で言及した,助動詞「有」を用いずに本動詞本体に反復の操作を施した

「買不買」の表現法にも同様のバリエーションが存在する:

(33)a.張三   買没買那本書?  張三はその本を買いましたか? (ニ27a)         o      ■

b.張三   買了 那本書没買? 張三はその本を買いましたか? ((≠33a)       o      ●

c.張三   買了 那本書没φ? 張三はその本を買いましたか? (433a)       o

(13)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」        51

ここで,(32c)と(33c)を比較対照してみて欲しい。一目瞭然で,機能上のみならず,構造 的にも完全に一致するのが判るだろう。そして,この形態が完了相ないし過去時制に於ける 反復疑問の原型なのだ。つまり,非完了相/現在時制に於ける「不」と同様,完了相ないし過 去時制に於いても反復疑問の出発点は文末に置かれた一個の否定の助辞に過ぎなかったので

ある。

文末で疑問の助辞として機能するに至った,そうした否定の助辞の前身は一体,何か?文 献学的考察は「未」に行き当たる。漢文の訓読では「いまだし」と読まれる助辞である:

(34)a.†張三   買了 那本書没?  張三はその本を買いましたか?  (=33c)

h†張三   買φ 那本書没?  張三はその本を買いましたか?  ((ヅ34a)

c.†張三   買φ 那本書未?  張三はその本を買いましたか?  ((≠34a)

ここで挙げた例は,実例と言うよりは実例を基に本稿で扱ってきた例文の雛形に応用したも のだが,否定の助辞「未」を取り払った肯定部分は,アスペクト的「未」との対比を示すは ずだから正に完了相をマークすることになる。つまり,(34c)をパラフレーズすれば,「張三 はあの本を買いましたか?(それとも)まだですか?」ということになるわけだ。

アスペクト上,本来は(未)完了のマーカーである「未?」は,その陳述のカウンターパート である「 」に否定で対応する:

(35)a.†張三  買φ 那本書 。  張三はその本を買いました。   (435b)

b.†張三   買φ 那本書未?  張三はその本を買いましたか?  ((≠35a)

これは,非完了相で疑問の「邪?」が陳述の「也」に対応するのとパラレルを成す:

(36)a.†張三   買φ 那本書也。  張三はその本を買うんですよ。  (げ36b)

h†張三   買φ 那本書邪?  張三はその本を買うんですか?  (げ36a)

結局,「未?」は非完了の「邪?」の完了相に於けるカウンターパート,ということになり,内 容的には否定の助辞であることから,正確には「未完了」のマーカーと捉えるべきであろう:

(37)a.†張三   買φ 那本書未?  張三はその本を買いましたか?  ((≠36b)

b.†張三   買φ 那本書邪?  張三はその本を買いますか?   ((≠36a)

非完了相に於ける否定をマークする助辞「不」と同様,未完了のマーカー「未」も,字義 からも明らかなように,本来は副詞である。喩え文末では疑問の助辞として機能するように

(14)

なったとしても,その副詞性から肯定部分の動詞をコピーし,全体として動詞句として位置 づけられるようになったとしても一向におかしくない。こうして,文末に於ける疑問の助辞 は完了相に於いても次第に拡張形を示すようになっていく。こうした条件が整っていたこと から,中古期の終わりから次第に北方方言全体に浸透していった,藤井(2000)で論じたとこ ろの Drift に巻き込まれ,文末の動詞句「未+V」が反復疑問の肯定部分,即ち本動詞もし

くは助動詞の直後へとcontractされ,現在の動詞中置形反復疑問が形成された,という経緯は 既に明らかになったと思う:

(38)a.†張三   買φ 那本書未? 張三はその本を買いましたか? (ニ37a)         ●

b.†張三   買φ 那本書未買?脹三はその本を買いましたか?       ●      ●

c.†張三   買未買那本書?   張三はその本を買いましたか?

@      ■      ●

d.張三   買没買那本書?   張三はその本を買いましたか?

@      ●       ●

そして,ある特定の 事件 を機に「未」が「没」に置き換えられていくことになるが,そ の順序はあるいは次のようだったかも知れない:

(39)a.†張三   買φ 那本書未? 張三はその本を買いましたか? (=37a)         ●

b.†張三   買φ 那本書没? 張三はその本を買いましたか?       ●

c.†張三   買φ 那本書没買? 張三はその本を買いましたか?

@      ●      ・

d.張三   買没買那本書?   張三はその本を買いましたか?

@      ●      ■

ただ,我々の議論にとって,その詳細な順序はそれほど重要ではなかろう。

より重要なのは,如何にしてもうひとつのバリエーションである「有没有」が形成された か?という点であるが,これは「なぜ〈未〉は〈没〉に取って代わられなけれぼならなかっ

たのか?」という論点と密接に結びついているので,タネあかしは次節の「大団円」に譲り,

ここではもうひとっの謎であった「反復疑問文では,出発点となる平叙文に於いて完了相な いし過去時制のマーカーとして機能していた 動詞語尾 の〈了〉は何故,消失するのか?」

という点に焦点を絞りたい。

完了相に於ける反復疑問の原点は,未完了のマーカーであった「未」にある,という認識 は,真犯人が我々にあの手この手で仕掛けてきた捜査撹乱攻撃をかわすに際し,大きな助け となる。それは,中国語の「未完了」というカテゴリーは,英語やフランス語・ドイツ語な どのヨーロッパ系言語の示す完了相に於ける否定形ではなく,「完了相」そのものを否定する カテゴリーだからだ。つまり,「未」で否定された動詞のアスペクトは全体として未完了相を 示すのであり,定義上からしても完了のマーカーである「了」とは共起し得ないのである。

このことは「未」の後継である「没」にも当然,引き継がれ,現代語に於いても「没」は

(15)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」        53

「了」とは如何なる場合も共起しない:

(40)a.張三  没買 那本書。 張三はその本を買っていません。        o

b.張三  没有買 那本書。   張三はその本を買っていません。

@     ●c.*張三  没 買了那本書。  (張三はその本を買っていません。)      ■

d.*張三  没有買了那本書。  (張三はその本を買っていません。)      ●

「未完了」というアスペクトの問題であるから,時制的な「張三はその本を買いませんでし た」という意訳では,論点の本質を突いていないことは明らかであろう。

このディストリブユーションは当然ながら,同じ未完了相を含む反復疑問にも適用され,

出発点となる平叙文の動詞が「了」でマークされていても,対応する疑問文でその「了」は

消失する:

(41)a.張三   買了那本書。   張三はその本を買いました。

c.張三有没有買 那本書?    張三はその本を買いましたか?

@    ●

d.*張三有没有買了那本書?  ( 張三はその本を買いましたか?)     ●

このことは,反復疑問が助動詞「有」を介在して生成されるか,あるいは本動詞が直接,反 復疑問のオペレーションの対象となるかに拘わらず,「了」は何れにしても「没」とは共起し

ないのである:

(42)a.張三買了  那本書。    張三はその本を買いました。

b.張三買 没買那本書?     張三はその本を買いましたか?

@     ■c.*張三買了没買那本書?   (張三はその本を買いましたか?)      ●

言ってみれぼ,出発点となる平叙文に於いて完了相をマークしていた「了」が対応する反復 疑問文に於いて消失するのは,反復疑問が未完了のマーカーである「没」を主軸に構成され

ることを考えると,言わば当然の帰結であったかも知れない。

この点に関して残った問題は唯一,上の(32)一(33)で見たように「何故,少なくとも現代 中国語に於いては,否定の反復要素が文末に位置する場合には,肯定部分に完了の〈了〉が 必要になるのか?」ということになる:

(16)

(43)a.張三  買了 那本書没有? 張三はその本を買いましたか?  (ニ32b)      ●

h*張三   買φ 那本書没有? (張三はその本を買いましたか?) ((≠43a)      ●

c.張三   買了 那本書没買? 張三はその本を買いましたか?  (=33a)       ・      ●

d.*張三   軍φ 那本書没軍?( 張三はその本を買いましたか? ) (443a)

しかし,この問題にしても,これまでに論じてきた論点を整理してみれば,その言語学的解 釈はさほど難iしいものではないはずだ。否定部分が本動詞あるいは助動詞にcontractされて いるバリエーションに比べると,(43a)や(43c)の文形式に於いては肯定部分と否定部分の独 立性がより高いのではないだろうか?つまり,文末の否定要素は,いわゆる Question Ta9 的な色合いが濃く,前半の肯定部分も文構造として完結性を持たせなければならず,現代語 に於いては正真正銘の完了相として「了」を必要とするようになったと考えられる。実際 完了のマーカーとして「了」の使用が文法化していなかった中古期に於いては,(34b−c)が示 すように,否定部分が文末に位置していても「了」は付加されていなかった。「了」の動詞語 尾的用法自体,中古漢語末期から北方の標準語地域でゆっくりと拡大していったinnovation だったのである。その意味では,本動詞に対して直接の形で反復疑問の文法的オペレーショ ンを施す,「買没買」のような形態は,完了のマーカーとしての「了」が挿入されるのよりも 早い時期に本動詞に否定部分がcontractされた,と考えられるのではないだろうか?

これで,我々に突き付けられていた 謎 は,ひとつを除いて全て解明されたのではない かと思う。残された疑念は次の二点に集約されよう:

(44)a.なぜ「未」は「没」に取って代わられなけれぼならなかったか?

b.「有」はどこから出てきたのか?

結局,件の「有」の正体を暴くのは最後になってしまったが,懸案の問題は既に片づいてい るので,(44b)の謎は(44a)を解き明かす中で,ゆっくりと料理することとしよう。

Vll.大団円   変身 のメ力ニズム(「没」の 文法化 について)

藤井(2000)でも既に触れたことだが,現代中国語の標準語地域に特徴的な「没」は, 〜を 持たない という意味で使われる本動詞としては,古典・中古漢語の「無」の後継である。

つまり否定動詞なのだ。当然ながら,更なる否定詞を必要としない:

(45)a.OC †張三無銭。  張三はお金がありません。

b.MC 張三没銭。  張三はお金がありません。

(17)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」        55

この,通時的分布はしかしながら,中国語の現代諸方言を南北に分ける区分でもある:

(46)a.Pek.張三没銭。  張三はお金がありません。

b.Cant.張三無銭。  張三はお金がありません。

この例も暗示しているように,南方方言が概ね「無」を肯定の「有」に対する否定動詞とし て保存しているのに対し,標準語地域を中心とする北方方言群ではかなり画一的に「没」で

「無」を置き換えるに至った:

(47)a.北方方言:「有」一「没」「没有」

b.南方方言:「有」一「無」

何故このような差違が生じたのか?もちろんのこと,そうした歴史的事実に関しては,そ の実態を再構成するのは至難の業である。しかし,そのような通時的言語変化は,時として そのプロセスに起因する様々な痕跡を今日に至るまで残しているものだ。現代語に於ける諸 方言にはそうした痕跡を反映しているものも多い。こと「無」に関しては:

(48)a.北方方言(Pekinese): 「無」w丘

b.南方方言(Cantonese):「無」m6u

というように,南方諸方言が中古音をほぼそのまま温存しているのに対し,北方方言に於い ては[m−]イニシャルが[w−]イニシャルへと変化しているのが特徴的である。肯定の「有」に 対応する否定動詞「無」にしてみれば,そうした音韻変化など正にあるまじきことだったに

違いない。

そこで代替案として浮上したのが,既に疑問の助辞として文法化していたために件の音韻 変化に加わることを潔しとしなかった{ma?}が「無」の[wu]音への変化を嫌い,[ma]音を 再現できる新たな表記を探し求めた(げ藤井2000)のと同様,当該Driftに巻き込まれずに

[m−]イニシャルを保存し得て,しかも意味的にもさほど違和感の伴わない「没」m6iだったの ではないだろうか?

これまで述べてきたことからも明らかなように,密接に関係しながら上記の問題とは理論 的には明確に区分しなければならないのが,「没」の疑問の助辞としての用法である。こちら の方は,先行するのが「無」ではなくして「未」である。しかし,問題はここでも同じだっ た。当初の疑問の助辞「未」も,北方方言では[m−]イニシャルを失っていたのである(Pek.

w2 )。語頭子音として[m−]を保っている「没」(Pek.〃26 )は,ここでもピンチヒッターを買っ て出た。つまり,{mei}はそれほどまでに完了相に於ける疑問の助辞として 文法化 して

(18)

いた,と考えられるのである。文字そのものはともかく,既に文法化していた形態だけは何 とか継続性を持たせる必要があったのだ。

ここで我々の興味を引くのが,(47a)に示したような,否定の助辞「没」のバリエーション としての「没有」である。これは,明らかに否定の副詞「不」の統辞的特質を意識したアナ ロジーであろう。上でも触れてきたように,否定の助辞として「不」と「没」はアスペクト 軸を挟んで対立する。その意味では,「没買」「没打」などが非完了の「不買」「不打」に対 する(未)完了側のカウンターパートとなるわけだが,こうした副詞的用法がどうやら否定動 詞の用法にまで持ち込まれたらしい。こうした 分析的 語法が北方方言に限定されており,

中古以来の「無」(もしくは未完了のマーカーとしての「未」)を安定して使っている南方諸 方言では観察されない点は,文法化した旧来の形態素の代替案としての「没」の性格が顕著 に現われており,言語学的にも極めて興味深いものがある。

この点を押さえれば,これまで先延ばしにしてきた「助動詞的な〈有没有〉という反復疑 問形は如何にして成立したか?」という問題も比較的たやすく解明できるはずだ:

(49)a.†張三   買φ 那本書未?  張三はその本を買いましたか?  (ニ37a)         ●

b.†張三   買φ 那本書没? 張三はその本を買いましたか?       ●

c.†張三   買φ 那本書没有? 張三はその本を買いましたか?

@      ●      ●

d,*†張三   買没有那本書?   張三はその本を買いましたか?

@      ■      ●

e. 張三有没有買  那本書?   張三はその本を買いましたか? (=9c)    ●      ・

(50)1.完了相に於ける反復疑問の原点である「未」は,「未」†/m(e)i/>/w6i/に伴い,表記 上は「没」へと移行して/mei/の音韻を保つ。

2.同じ「没」が使われることから,反復疑問のマーカーである「没」に否定動詞とし ての「没」が混同され,文末に於ける疑問の助辞としての用法に否定動詞の「没有」

が加わり、疑問の助辞にも「没」と「没有」のバリエーションができる。

3.純然たる動詞成分「有」が加わったことから「没有」は動詞句と見なされ,次第に 本動詞からのcontractionを受けるようになる。

4.しかし,本動詞と「有」は一般に一致しない。

5.そこで,「有」を助動詞として解釈するre−analysisが起き,反復疑問の否定要素「没 有」は本動詞の直後ではなく,主語に続く助動詞の定位置へと移動する。

6.但し,そのままでは単なる否定文となってしまうので,足りなかった肯定部分の助 動詞として解釈される「有」をその直前に付加し,全体としては「有没有」で反復 疑問の形態を形成する。

こう捉えれば,さんざん我々を悩ました「有」の正体に関する謎も雲散霧消する。また,こ

(19)

「完了相に於ける中国語の 反復疑問 について」        57

の「有」が何故,肯定の平叙文には出現しないのか,説得力を持って把握できるはずだ。そ う,「有」は機能上の役割を全く担っていないからである。上でも繰り返し論述してきたよう に,中国語の反復疑問の原点は,英語で言えぼ Question Tag にも似た,本来は文末に位置 する否定の助辞にある。このことは,完了相であろうと非完了相であろうと微塵の違いもな い。完了相の反復疑問では,その文法上の中心が未完了となるため,肯定要素をマークして いた「了」は消えるしか道がないのだ。問題の「有」に至ってはそもそも,初めから出番な どないわけだ。

「有」に漸く出番が回ってくるのが,文末に於いて疑問の助辞として機能する「没」が拡張 される時。しかしこれとて,少なくともその出発点に於いては一種の 誤用 に過ぎない。

本来ならば,もうひとつのバリエーションのように肯定部分の本動詞がコピーされるはずで ある。そして,極めつけが反復疑問の否定部分である「没有」が仮想(助)動詞にcontractさ れた時の受け皿としてのお役目。いわゆる Place Holder に過ぎない。

どうやら我々は,件の「有」の位置づけを過大評価し過ぎていたらしい。「裏で糸を引く黒 幕」だなんて,とんでもない思い込みだった。しかし考えてみれば,そうしたPlace Holder のような表現の挙動にこそ,当該文法体系の特質が凝縮して示されているものであり,文法 研究の妙味もその種の特質に触れることで倍加するものなのかも知れない。「日曜言語学」を 勧める所以である。

「おわりに」

以上,現代中国語の標準語に於ける統辞上のirregularityの解明を皮切りに,関連する言語 現象を多角的に議論してきた。結論は前節の「大団円」で既に述べた通りだが,具体的に議 論の対象としてきた,統辞的には助動詞的に機能する「有」の文法的役割は限りなく,いわ ゆる Place Holder のそれに近いものであることを突き止めたわけである。

確かに,現代中国語の標準語に於いては正にその通りだと思う。しかしながら,中国語の 裾野は限りなく広い。現代語だけに限ってみても,また本稿で取り上げたトピックだけに限 定してみても,中国語の方言は様々な諸相を垣間見せてくれる。件の「有」の文法的機能に 関しては,特に南方諸方言を中心に多彩な言語現象が報告されている。中でも,ある種の

「時制的機能」など,標準語には見られないカテゴリーであって,そうした現象の調査は我々 の知的興味をますます惹きつけてくれることだろう。本稿の枠組みでは付随的な統辞機能を 通してでしか我々に接触を持ってこなかった「有」も,そうした南方諸方言ではきっと積極 的なアプローチをかけてくるに違いない。そして,それに絡んだ言語現象は,我々に対する 新たな挑戦となるであろうことに言及して,本稿の筆を置くこととしたい。

(20)

1)確かにLソTHOMPSON(1979)の指摘するような,両者に微妙な違いの出るケースも報告されてはい るが,少なくとも本稿で問題とする範囲に於いては,両者を互いの「バリエーション」として捉え

て問題はない。

2)一般に,現代中国語の標準語は時制を持たないAspect Languageとして捉えられる。本稿の枠組み では詳述はできないが,スラブ系の言語のようなaspectを示すわけではないものの,原則として

「時制」というカテゴリーを設定することは難しい。しかし,日本語の助動詞「〜た」のように,

本来は完了相をマークしていたものでも現代語では「過去時制」とも解釈できる場合もあるなど,

中国語に於いても両方のカテゴリーを明確に区分することにさほどのメリットも挙げられないこと もあって,本稿の枠組みでは「完了相」「過去形」をほぼ同義で用いることにしたい。

3)ちなみに,英語に於いても,出発点となる平叙文の定形がいわゆる 一般動詞 の場合,対応する 否定文では助動詞doldoes/didがその定形を代替する。これもある意味で 完全なパラレル現象

して捉えていいだろう(4藤井1997)。

引用文献

藤井文男(1997),「英語の文法は,平叙文から疑問文を導くに際し,如何なるオペレーションを施 すか?一日曜言語学のすすめ一」,『言語と人間』1,pp.169−188.

一(2000),「中国語にはなぜ二種類の疑問文があるか?一日曜言語学のすすめ(その2)一」,茨城

大学人文学部紀要『人文学科論集』33,pp.67−88.

LIITHoMPsoN(1979), The Pragmatics of Two Types of Yes−No Question in Mandarin and Its Universal Implications ・in:勘176r3カo配伽15魚Rε8∫oηα1ル18ε ∫η8げ伽α cσ80」L π8配 3 c55「oc の, PP.

P97,206.

筆者のe−Mailアドレス:fumi@mito.ipc.ibaraki.acjp

参照

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