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Web 2.0 時 代 の ビジネスモデルの構築

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ネットバブルの崩壊でスタートした21世紀も5年の月日が経とうとし ていた頃,インターネットにかかわる世界は大きく変わろうとしていた。

Web 2.0」と呼ばれる新しい概念が登場し,それ以前のインターネット 社会の体系と一線を画する新しい社会の出現が示唆されるようになった。

PCの普及とインターネット・インフラの高度化は,それ以前の社会では 経験したことのないほどの速さで人々のライフ・スタイルに変化を与え,

老いも若きもその大きな波の中に飲み込まれた。21世紀を超えた直後の わずか年月は,20世紀の20年にも匹敵する社会構造の変化をもたらした といっても過言ではない。まさに,21世紀初頭に始まる情報技術の変化 は,インターネット維新にもたとえられよう。

このインターネット維新前夜に誕生し,Web 1.0社会」から「Web 2.0 社会」への変化を牽引してきた企業が,インターネット検索企業のグーグ

(Google Inc)である。以下では,創業わずか7年で,検索エンジンを武

器に新しいビジネスモデルを構築し,世界最強のインターネット企業にま で成長してきた戦略プロセスとマネジメント,さらにその限界について検 討していくことにする。

1. ネット市場の覇権を巡って

6年10月,インターネット検索最大手のグーグルは,設立わずか1 年で急速に成長を遂げた動画共有サイト運営のユーチューブ(YouTube

Inc.)を買収すると発表した。18年スタンフォード大学のコンピュータ

ビジネスモデルの構築

(2)

・サイエンスの博士課程の学生であった,サーゲイ・ブリン(Sergey Brin) とラリー・ペイジ(Larry Page)の二人によって創業され,24年の株式公 開後わずか2年で世界のネット広告の雄となったグーグルと,25年2 月に創業され閲覧回数1億回を超える動画サイトを構築したユーチューブ の若い企業同士の連合である。

グーグルのCEOエリック・シュミット(Eric E. Schmidt)は,「ユーチュ ーブの本社で買収を発表でき,興奮している」と声を弾ませた。

グーグルにとって,とりわけシュミットにとって,25年12月に発表 されたタイムワーナー傘下のポータルサイトAOLとの資本提携に匹敵す るほど重要な出来事である。というのも,AOLとの提携もユーチューブ の買収も,30年近くにわたってIT業界で覇権を握ってきた巨人マイクロ ソフトとの熾烈な争奪戦の結果の勝利であったからである。

世界の検索ビジネスのトップ企業として,巨人マイクロソフトと肩を並 べるまでに成長し,今後のビジネス拡大に向けて新たな可能性を切り開い たことは,グーグルにとって重大な意味を持つ。それ以上に,過去のキャ リアの中で苦い経験を余儀なくされてきたシュミットにとって,この勝利 は大きな喜びであったに違いない。グーグルのCEOに就任するまでシュ ミットは,サン・マイクロシステムズ社(Sun Microsystems, Inc.) 勤務時代 にはOSで,ノベル社(Novell, Inc.)ではネットワーク市場でも完敗し,

辛酸をなめてきた。エネルギーのほとんどをマイクロソフトとの戦いにす り減らしてきたシュミットが,検索ビジネスという新しい戦場でついに金 星を挙げることができたのである。もっともまた,この段階でグーグルの 企業規模は,マイクロソフトのそれに及ぶものではない。

シュミットはいう。

「近い将来,ネット検索や広告で,マイクロソフトと激しく戦うことに なる……。1)

世界的規模で急速に普及したインターネットは,ここにきて第二世代を

(3)

迎え,さらにビジネス社会全体の構造を変容させようとしているのである。

(1) ネットビジネスの巨人

急速に進みつつあるインターネット社会で中心的な役割を担い,圧倒的 な力を発揮し,その進化を牽引しているのが,グーグルである。24年8 月の株式公開後,1年間で株価は3倍の30ドルに達し,株式時価総額で ネット業界の代表的企業であるポータルサイトのヤフー(Yahoo! Inc.)やネ ットオークションのイーベイ(eBay Inc.)を追い抜いた。その後も,売上高 は四半期ごとに倍々で増加し,純利益も大きく伸張している。26年1 月期の売上高は61.9億ドル,純利益は14.5億ドルに達している。2 年4〜6月期の米国4大インターネット企業の米国内での広告収入を比較 しても,グーグルは,ネット業界老舗のヤフー,AOLMSN に大きく水 を開け,93百万ドルと米国市場では圧倒的な強さを誇っている。現在,

図表―1 米国のメディアとネットの提携の動き

出所:26年1月6日 日本経済新聞朝刊3ページ

(4)

グーグルの時価総額は1,4億ドルである。

いうまでもなく,グーグルの事業展開は,米国内に止まることなく,地 球規模に広がっている。競合他社を圧倒する世界15カ国・地域以上の言

図表―2 グーグルの売上高・純利益の推移

出所:Google Anual Reportより作成

図表―3 米主要ネット企業の比較

グーグル ヤフー イーベイ アマゾン 2006年売上

(百万ドル) 6, 5, 4, 8, 2006年純利益

(百万ドル) 1, 1, 1, 時価総額(十憶ドル)

(2007年2月2日現在)) 7. 9. 5. 5. 従業員数 5, 2, 出所:Yahoo.comFinance Webページより取得27年2月5日

(5)

語での検索可能な検索エンジンを武器に世界各国に拠点を展開し,その覇 権を広げつつある。米国の調査会社によれば,米国での検索エンジンのグ ーグルの利用率は53% であるが,フランスやドイツでは70%,英国では 0% 以上のユーザーが検索エンジンとしてグーグルを活用している。

(2)「世界の情報を検索する」ことが使命

「我々の使命は,世界の情報を体系化し,それをどこでもアクセスして 利用可能にすることによって,我々の世界をもっと過ごし易くすることに ある2)

年次報告書に示されているミッションは,10の10乗を示す「googol

(グーゴル)」という数学用語に由来するグーグルという社名にも活きてい る。80億ページとされる世界のウエブページのうち,現在,グーグルの 検索可能ページ数は80億ページ程度である。ヤフーに比べて少ないとは いえ,その検索の精度は群を抜いており,それが同社の強みの源泉となっ ている。

「最低でも30年は必要だ」といわれる壮大ともいえる企業ミッション の実現に向けて着実に手は打たれている。スタンフォード大学,ハーバー ド大学,ミシガン大学などの有名大学の図書館の数百万冊に及ぶ書籍のデ ジタル化への取り組みである。その可能性を,生物学者クレイグ・ヴェン ダー博士(J. Craig Venter)は評価する。

「グーグルは,どんな企業よりも強力なコンピュータ能力を持っている。

現在扱っているデータベースの規模は,政府が扱っているものよりもずっ と大きい。これからは,一般の人の自分自身の遺伝子コードや統計的なコ ードを理解するようになるだろうが,それを助けるサービスが,今後1 年のうちに,グーグルによって広く提供されるようになるだろう3)

最新のテクノロジーを駆使し,その市場のファーストランナーが覇権を 誇ってきたIT産業の中にあって,ネット検索最後発企業として誕生した

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グーグルは,どのようにして成功を収めることができたのか。彼らは,検 索技術を武器にして,どういったビジネスモデルを構築し,世界最大のイ ンターネット企業へと成長することができたのか。インターネット社会の 進化プロセスと共に考えていくことにしよう。

2. Web 1.0からWeb 2.0

0世紀後半から21世紀前半にかけて誕生し急成長を実現したグーグル やアマゾン(Amazon. com. Inc)といったネット企業と,それ以前に設立さ れてすでに実績を上げていたネット企業の間には少なからず違いがある。

0年代半ばに成功を収めていたネットスケープ(Netscape Communications Corporation)や,ポータルサイトのヤフー(Yahoo! Inc.)AOL(AOL LLC)

MSN(Microsoft Corporation)といったインターネット・ビジネスを前者に

位置づけ「第一世代」と呼ぶならば,後者に分類されるグーグルやアマゾ ンといった企業は,「第二世代」と呼ぶことができる。もちろん,第一世 代に分類されてきた企業の一部が,第二世代へと進化していることもある。

インターネットが一般社会に普及し始めて10年の時を経て,我々の社 会や日常生活を大きく変容させた。その進化を端的に表わしているのが,

4年頃から言われはじめたWeb 2.0という用語である。米国IT系出 版社のオライリーメディア(O’Reilly Media, Inc.)のティム・オライリー

(Tim O’Reilly)が提唱したWeb 2.0というこの語は,現在でも,その定義

や意味は,完全に共有されているわけではない。とはいえ,おおよそ,9 年代半ばにインターネットが登場した時代に始まるインターネットを取り 巻く技術の進歩とその使い方の変化といった質的変化を示したものである ということは共有されている。

『ウェブ進化論』の著者,梅田望夫は,Web 1.0からWeb 2.0への進化 をもたらした技術的要因として,「インターネット,チープ革命,オープ ンソース」をあげ,インターネットを巡る技術的革新が社会構造的変革を

(7)

促していると指摘する。

「21世紀初頭に入ってみて明らかになったのは,『情報スーパーハイウェ イ』によって)『大規模な構築ステージ』で作られるのは,実はITインフ ラではなく,I(情報)インフラで,それによって『情報そのものに関する 革命的な変化』が起ころうとしているということである4)

さらに,Web 2.0の特質を,「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を,

受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込 んでいくための技術やサービスの開発姿勢5)」と指摘する。

0年代半ばまでのWeb 1.0時代のインターネットが単一方向的であ ったのに対して,Web 2.0時代のそれは双方向的であり,その結果,デー タがネットを介してあらゆる場所に広がり,広がったデータがさらに新し い価値を生み出すといった連鎖を起こし,新しいサービスが次々と生み出 されるようになったというのである。

Web 2.0でビジネスが変わる』の著者である,神田敏晶は,その特徴 を5つの法則としてあげる6)

その第一の法則は,「いつでもどこでも使える」ことであり,技術的な 利用環境の変化に関わるものである。

IT革命以降,ウェブを使うことのできるプラットフォーム(端末)は,

パソコンだけでなく,携帯電話やゲーム機にまでに広がっている。今後,

利用できる環境はますます充実していくことは確実であり,パソコンがな くてもウェブを利用できるWeb 2.0の環境は,社会全体を大きく変化さ せてきた。

第二の法則は,『共有』から価値が見つかる」ということである。

Folks(人々)」と「Taxonomy(分類学)」という単語を組み合わせた造 語である「Folksonomyフォークソノミー)」という言葉は,ネット上に蓄 積されている様々なデータを提供する企業の側ではなく,ユーザーの側が 分類,意味づけを行っていくことを示している。その結果,ユーザー同士

(8)

が情報を共有することによって,企業1社で考える以上の大きな価値を生 み出すことが可能になるのである。膨大な情報を検索したり分類すること を可能にしたWeb 2.0の技術が,それまでにはみられなかった,新しい 価値を生み出そうとしているのである。

第三の法則は,「企業(主体)からユーザー主体(への移行)」である。

従来,情報の多くは,企業から市場への一方向的な流れであった。しか し,インターネットの普及によって,市場は知恵をつけ,知りたい情報を 知る手段を手に入れることが可能になり,市場の力が企業の力を凌ぐほど 大きくなってきたのである。

第四の法則は,「趣味は実益を兼ねる」ということである。

個人ユーザーであっても,ホームページやブログ(簡易型HP,日記型HP)

を開設している人々も,企業から依頼されたバナー広告をサイトに表示し ていけば,少なくない収益を上げることが可能であるし,欧米では,アフ ィリエイトという仕組みによって生計を立てている人さえいる。つまり,

「ユーザーのモチベーションである『好き』をそのまま価値に変わるよう お名仕組み作りが注目されているということ」なのである。

第五の法則は,「マスとニッチの関係が変わる」ことであり,市場構造 の変化に関わるものである。「売上の80% は20% の優良顧客が占める」

というパレートの法則が,ウェブの普及によって大きく変化してきた。ビ ジネスの世界で,これまで切り捨てられてきた80% の市場が顕在化し,

大きな市場を形成するようになってきた。いわゆる,ロングテール現象で ある。Web 2.0の時代になって,少数のマニアが掲示板やブログで盛り上 げてきた小さなブームから,爆発的なヒットが生まれるようにもなるし,

中小零細企業であっても,大企業と同じ土俵の上でニッチな製品で勝負す ることが可能となりつつある。

確かに,10年代のホームページは,大企業が消費者に向けてカタロ グ的に発信するだけの副次的なメディアに過ぎなかった。ネット広告の多

(9)

くはホームページの上部に設けられた「バナー広告」が中心を占め,B2B B2Cが中心であった。しかし,ここ数年で,Web 2.0の5つの法則に 代表される変化が,社会構造を変容させつつある。その中でグーグルは巨 大ネット企業へと成長を遂げたのである。

グーグルの影響力の大きさについて,梅田望夫は指摘する。

「リアルの世界における『富の分配』は,巨大組織を中心とした階層構 造によって行われるのが基本的であるが,その分配が末端まであまねく行 き渡らないところに限界がある。しかし,いかに対象が膨大であれ,イン ターネットにつながってさえいれば,その対象はきめ細かく低コストで処 理可能である。グーグルは,そんなインターネットの本質を具現化するこ とで,リアル世界における『富の分配』メカニズムの限界を超えようとし ている。上から下へどっとカネを流しおおざっぱに末端を潤す仕組みに代 えて,末端の一人一人に向けて,貢献に応じてきめ細かくカネを流す仕組 みを作ろうとしている7)

3. 検索ベースのビジネスモデル

世界最高水準の検索エンジンを武器にネット業界のトップに登りつめよ うとするグーグルの最大の収益源はネット広告である。グーグルの提供す るサービスは多様であるものの,その売上高の9割以上は広告収入によっ ている。そもそも,グーグルが提供するサービスに共通しているのは,そ れらが基本的に無料であるという点にあり,収益構造だけをみれば,同社 は広告代理店であるということができる。

しかし,グーグルが収益を生み出す仕組みは,従来のマスメディアを活 用した広告代理店のそれとはまったく異なるし,その発展プロセスも異な ることはいうまでもない。グーグルが成長に向けて歩を進めたのは,ネッ トバブルが崩壊して,バブルの中では覇権を握っていた新興ネット企業が 凋落に向かうまさにそのときであった。

(10)

(1) 世界最高の検索エンジンの開発

スタンフォード大学でサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジが出会った 5年頃は,インターネット黎明期とも言うべき時代であった。一部の 専門家や「コンピュータおたく」といわれるマニアが中心となって活躍し た狭い世界で,一般人にとっては未知の世界であった。当時のインターネ ットは,技術的,価格的な制約から実用性という点ではかなり不十分なも のであったと言わざるを得ない。

「10年代半ばのウェブは,実質的には開拓時代のアメリカ西部と同じ だった。インターネット上では,何百万人もの人たちがログオンし,電子 メールでコミュニケーションを始めていたが,本気で何かを探そうとして いる人たちはウェブサイトの乱雑さに苛立ちを募らせるばかりであった。

コンピュータの利用者たちが,自分の求める情報をネット上で見つけるの に使っていた検索エンジンは,ウェブクローラー(WebCrawler),ライコス (Lycos),マゼラン(Magellan),インフォシーク(Infoseek),エキサイト(Ex-

図表―4 グーグルの収益構造

(11)

cite),ホットボット(HotBot)などだったが,これら創世期に作られたもの は期待に応えるにはほど遠かった8)

同じ頃,スタンフォード大学の博士課程の学生で,ヤフーを創業してい たジェリー・ヤン(Jerry Chih-Yuan Yang,楊致遠)とデビット・ファイロ

(David Filo)がウェブ上のサイトをアルファベット順に並べるといった単

純な方法で検索を可能にしていた。確かに,その方法は当時としては画期 的であったが,出てきた検索結果を手作業で取捨選択しなければならず,

効率的ではなく実用的な方法といえるものではなかった。

インターネット黎明期の中で,コンピュータ・サイエンス専攻の大学院 生として将来を嘱望され,デジタル図書館プロジェクトの研究に没頭して いたペイジが目をつけたのが,検索結果に表示されるリンクであった。リ ンクのデータを分析することで,重要度を測定することができるかもしれ ないと考えたペイジは,ブリンとともに,ダウンロードの研究とウェブの リンクの分析の研究に本格的に取り組んだ。16年のことである。

ペイジはいう。

「引用は重要だ。ノーベル賞を受賞するような人たちの論文は,1万も の論文に引用されているんだ。ある論文が科学文献にたくさん引用されて いたら,それは,その論文が重要だからだ。それに言及する価値があると 多くの人たちが思ったということだからね9)

このアイデアが,効率の悪かった検索エンジンの限界を打ち破ることに なった。すなわち,ウェブのどのページの重要度が高いかは,多くのリン クが張られたページによって計測することができる。重要度の高いウェブ ページほどリンクが多い。こうした考え方をベースにしてアルゴリズムを 設計し,検索精度をあげることに成功した。これが,グーグル検索エンジ ンの基礎技術「ペイジランク(Page Rank)」の土台となるもので,バック

ラブ(Back Rub)と名付けられた。17年秋,さらに検索能力を強化した

バックラブは,グーグルという名を世に広めていくことになる。同社の社

(12)

名になるグーグルのアイデアを提供したショーン・アンダーソンはいう0)

「検索することによって,検索をつけることによって,みんなが巨大な 量のデータを手に入れられるようにしたいって思っているんだろう。グー グルプレックス(Googleplex)は巨大な数字だよとぼくはいった。ラリーは 気に入って,『グーグルってのはどう?』といった。ぼくは,自分のコン ピュータで,G-o-o-g-l-eとタイプしてみた。それはミススペルで,そし て有力な候補名となった。ラリーは,その名前が使用可能であることを確 認すると,その夜には登録を済ませて,この名前を書いてみた。Google.

com

こうして誕生したグーグルの検索エンジンは無料で開放され,スタンフ ォード大学のキャンパスを中心に,口コミで広がることになる。しかし,

検索エンジンを効率的に運用するためには,ソフトウエアを整備するだけ では不十分で,ユーザーとデータベースが増えるにつれて,それを処理す る多くのコンピュータが必要となった。グーグルは,他の検索エンジンと は異なって大型のサーバーを必要とせず,どこにでもあるパソコンによっ て構成されていた。とはいえ,増大するユーザーに対応するためには,か なりの台数を必要とした。そこで2人は,大学にある引き取り手のないコ ンピュータをかき集めて学内にデータセンターを開設した。ペイジは当時 を振り返る。

「ぼくたちはかなりひどいがらくたをあれこれ集めていた。……安いパ ソコンをかき集め,つなぎ合わせることで,どんなに大きなことを成し遂 げることになったか1)

しかしながら,こうして生み出された最高水準の検索エンジンも,ビジ ネスとして収益をあげるまでに昇華されてはいなかった。当時,検索エン ジンは,インターネットサービスの付録程度としてしか認識されておらず,

わざわざ検索に金を出そうとする会社を探し出すことは困難であった。そ のため,彼らはガラクタ漁りを続けざるを得なかった。

(13)

そこに手を差しのべたのが,当時シスコシステムズ社(Cisco Systems,

Inc.)の副社長であり,伝説の投資家として知られていたアンディ・ベク

トルシャイム(Andreas Maria Maximilian “Andy” von Bechtolsheim)であった。

二人の話を聞き興味をもったベクトルシャイムから10万ドルの出資を受 けた二人は,18年,大学を休学することにした。グーグルを会社とし て登記し,本格的にビジネスに取り組んでいくことを決意したのである。

もっとも,この時点でも,どういった形で検索を新しいビジネスとして 立ち上げるのかについて明確な考えを持っていたわけではなかった。もち ろん,広告で稼ぐことは可能であったが,二人の創業者は,「広告は検索 結果を腐敗させてしまう」という強い懸念を持っており,無料で提供して 利用者を集め,そのあと広告から,あるいは何かを売って利益を得るとい うビジネスモデルには,かなり否定的であった。ベクトルシャイムは,当 時を振り返って言う。

「本音を言えば,百万人ぐらいの人が検索することになって,それが積 り積れば利益を出すこともできるだろう,くらいに考えていた。それが,

どれほど大きなものになるか,当時の私にはわからなかった。誰にもわか らなかった2)

ともあれ,こうして資金を得たブリンとペイジのグーグルは,当時もっ ともよく知られていた検索エンジン以上に効率的にネット上の情報を探し 出すことのできる検索エンジンを武器にして,「宇宙のすべてをデジタル 化して,それを使えるようにする」という夢に向かって船出したのである。

当時の状況の中で,この信念が大きく花開くことを予想した者はいなか ったに違いない。今でも二人の天才はいう。

「ぼくたちがこの会社を始めたのは,当時の検索技術に満足していなか ったからだ。ぼくたちが経済的に成功しているというなら,その成功は,

本来の目標と離れたところで生まれた,すばらしい副産物に過ぎない3)

(14)

(2) 意味ある検索結果を引き出すために

明確なビジネスモデルを描くことなく立ち上がったとはいえ,グーグル の水準の高い検索エンジンの評判は高く,18年のPCマガジン誌のウ ェブサイトと検索エンジン部門でトップ10リストにランクインを果たし た。しかし,多くの企業から色よい返事を得られず,ベクトルシャイムか ら提供された資金も底をつき始めた。そうした所に,グーグルに追い風が 吹き始めようとしていた。ネットバブルの真只中,よく知られていた検索 エンジン会社は検索技術投資するという本来業務から離れて,大きな会社 に吸収されたり,金にものを言わせる新興ドットコム企業から流れ込む広 告料を追い求めた。その結果,検索エンジンの質は悪くなり,より機能の 高い検索エンジンを求めるユーザーがグーグルに乗り換え始めたのである。

8年には,検索数が50万件にまでふくれあがり,システム強化を図る ことが不可欠となった。質の高い検索結果を実現するためには,ソフトウ エアを充実させるだけでは不十分であり,強力なコンピュータ能力が不可 欠である。大学でガラクタを集め,1セントを惜しんで手作りで自家製の パソコンを製作していたのもそのためであった。ベクトルシャイムに出資 してもらった10万ドルという巨額の資金の多くは,コンピュータの処理 能力の向上に費やされた。かれらは,ソフトウエアの開発だけでなく,コ ンピュータネットワークのあらゆる面を徹底的に分析して,誰も思いつく ことのない検索システムを作り上げることを志向していたのであった。

前出の梅田望夫は,グーグルの重要な成功要因として,この点を指摘す る。

「普通なら,自社サービスをきちんと処理するためには,どんなコンピ ュータ・システムを作らなければならないかを考え,コンピュータメーカ ーあるいはシステムインテグレータに発注して情報発電所のインフラを作 らせる。ネット企業は,そのインフラの上にソフトウエアを作り,サービ ス向上に邁進する。グーグルは,こういう普通の考え方でネット事業を構

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築する気がさらさらなかった4)

最高の検索エンジンの提供に向けて大きな投資を必要としたグーグルの 転機は,クライナー・パーキンズ・コーフィールド・アンド・バイヤーズ (KPCB: Kleiner Perkins Caufield & Byers)とセコイアキャピタル社(Se-

quoia Capital)の二大ベンチャー・キャピタルから2,0万ドルの出資を獲

得できたことで訪れた。19年秋,この出資が決定するとグーグルのコ ンピュータは,30台から一挙に2,0台に増加した。その翌年はその倍 になっている。その様子をデビット・ヴァイスは,次のように記している。

「もう,スタンフォードの発送センターでコンピュータをあさる必要は なかった。そこを卒業したグーグルガイたちは,次なるレベルにいた。車 に飛び乗って,シリコンバレーの巨大な電子機器専門店フライズに向かえ ばいいだけだった。彼らは,そこでありふれたパソコンやディスクやメモ リを大量に買い込んだ。グーグルプレックスに戻ると,マシンをばらばら にし,コンピュータのパワーやエネルギーを浪費する不必要なパーツをみ んな捨てた。それから,彼らは,ソフトウエア,配線,そして特別な調味 料を加えて,すっきりしたコンピュータを組み立てた。グーグルの高速検 索を可能にしているのは,こうしてできたコンピュータだった5)

大型コンピュータのような重火器ではなく,PCという小火器とはいえ,

数がまとまると膨大な投資を必要とする。この出資は,きわめて大きな意 味をもっていたのである。

(3) 収益を生み出すビジネスモデルへ

9年末,グーグルの検索エンジンへのアクセスは,一日平均7, 件を超えるまでに成長していたが,検索エンジンそのもののライセンス契 約数は伸び悩み,そこから得られる収入はわずかであった。すでにエンジ ニアを中心とした従業員も40人近くにまで増え,毎月の支出は50万ドル を超え,経営は火の車であった。しかし,「広告収入に依存した検索エン

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ジンは,本質的に広告主の意向を反映したものになってしまう6)」という ジレンマの中で二人の経営者は,ネット広告収入に依存していたヤフーや AOLなどの巨大なインターネットサイトに追随することに踏み切れずに いた。

とはいえ,巨額の投資をしている二大ベンチャー・キャピタルも黙って リターンを待ち続けるはずもなく,二人の経営者は大きな決断に迫れられ た。検索エンジンをライセンス契約で使ってもらうことによって収入を得 るという,それまでかたくなに守ってきたビジネスモデルに固執すること なく,検索サイトに広告を掲載することによって収入を得るというモデル への転換を決意したのである。

二人のネット広告に対する抵抗のもう一つの理由は,当時主流であった バナー広告に対する嫌悪感によるものであった。当時を振り返ってマイケ ル・モリッツはいう。

「ウェブサイトをどぎつい看板の立ち並ぶマンハッタンの劇場街にした くなかったのです7)

確かに,バナー広告は,夜の街のネオン・サインのように点滅を繰り返 し,品のよいものではなかった。グーグルのホームページは,資金の関係 もあって,シンプルにせざるを得なかったが評判も上々であり,二人はそ のイメージを守りたかった。

そこで,二人の広告掲載に対する妥協は,広告を別ページに表示し,広 告のサイズや字体にも厳しい基準を設けることと,短いフレーズや見出し,

キーワードに絞ってテキストだけを表示するということであった。課金方 式は,当時バナー広告でよく行われていたCPM(Cost Per Mille)といわれ る方式を採用した。CPMとは,広告が1,0回クリックされるまで掲載 を続ける「インプレッション保証型」方式である。

0年1月,最初の広告がサイトに登場した後,この広告ビジネスが しばらくの間順調に進むかに思われた。しかし,技術至上主義で多くの人

(17)

員を技術部門中心に投入していたグーグルの営業力の限界はいかんともす ることができず,それほど大きな収益はあげることができずにいた。そこ に,ナスダックの大暴落が起こり,活況に沸いていたネット広告ビジネス にも大打撃を与えた。

グーグルは,再び収益確保の道を模索しなければならなくなった。もっ とも,バブルがはじけていなければ,グーグルもそれまで忌み嫌っていた 派手なバナー広告をサイトに立ち上げるだけのビジネスにはまってしまっ て,今日の成功を実現することはできなかったかもしれない。むしろ,ネ ットバブルの崩壊が,グーグルの新しいビジネスモデル構築に弾みをつけ たといえよう。

ブリンとペイジが目をつけたのは,18年,ビル・グロス(Bill Gross) によって創設されたゴートゥー・ドットコム(GoTo.com後のオーバーチュ ア/Overture)が独占していたキーワード広告であった。ネットバブル時代 に中心であったバナー広告は,広告主から見るとその効果は不明確で,そ れに対するコストだけが膨大にふくらんでいった。そうした中で登場した のが,グロスの開発したキーワード広告である。クリック回数で掲載期間 と契約料が決定される従来の方式とは異なり,グロスの考えたキーワード 広告は,サイトへの訪問者が広告をクリックして広告サイトに入った場合 にだけ広告料を受け取るという新しい方式であった。現在の検索連動型広 告で標準的な方式になっているこのやり方も,当初は,なかなか理解され ず,大きな批判を浴びたのも事実である。

その状況をジョン・バッテル(John Battelle)は,次のようにいう8)

「広告主の支払う広告料金で検索結果の表示場所が変わる検索エンジン は技術的に問題があるばかりか,メディアの倫理を明らかに侵害している とされた。ゴートゥーは記事の中に広告を紛れ込ませているとされ,各報 道機関も同じ立場に立って,編集の純潔性,中立性の側面から批判的な姿 勢をとった。検索結果が支払われる金額で決まるなんて――。そんなメデ

(18)

ィアが存在していいのだろうか。

しかし,こうした問題を孕みつつも,キーワード広告の効果は絶大で,

発足当時わずか15社に過ぎなかった広告主も,半年後には数百社,99年 半ばには8,0社にも達した。その結果,ゴートゥーは,マイクロソフト やネットスケープなどのサイトとのサイトを越えた連携(シンジケーショ ン)をも実現し,大きく繁栄した。その後,ゴートゥー・ドットコムは,

オーバーチュアと改称して,クライアントのウェブサイトへの訪問者と,

広告主のネットワークとの間の課金制で取り持つビジネスに特化すること になるが,検索連動型の方式はネット広告を革新し,インターネットの活 用方法や消費者の購買行動までも変容させることになったのである。

ネットバブル崩壊と出資者の圧力の中で四面楚歌に追い込まれていたグ ーグルは,キーワード広告で唯一ゴートゥー・ドットコムの方式を徹底的 に研究し,それを模倣してビジネスを20年10月からスタートさせた。

今日,グーグルの収益の半分近くを占めるまでに拡大した「アドワーズ (AdWords)」である。

もっとも,このビジネスを始めるに当たっても,二人の経営者は,少な からず躊躇していた。検索エンジン・ビジネスとネット広告ビジネスの両 立には,踏み間違えると大きな問題を生み出す可能性がある。事実,グロ スは,検索エンジンを提供するサイトで,広告料をもらう見返りに,その ウェブサイトのURL(Uniform Resource Locator:ウェブサイトのアドレス表 記)を無料検索の結果ページに表示したり,あるいは,検索エンジン結果 に特定のウェブサイトを意図的に表示して収益を上げていることで痛烈な 批判を浴びていた。

アドワーズは,「新聞では,ニュースと広告が明確に区別されている。

同じことは,グーグル・コムでもできるだろう9)」という妥協の産物とし て始まった。

(19)

(4) 成長が,新たな成長を作り出す

こうしてスタートさせたビジネスモデルの成功によってグーグルは,ネ ットバブル崩壊の中で,もだえ苦しむ新興ネット企業を横目に急速に業績 を伸張させた。高い検索能力を武器に培ってきた市場での信頼と,検索結 果に関連した情報を付加する機能を備えた広告ビジネスによって,成長を 加速させたのである。さらに,グーグルは,インターネットの利用者に向 けて会社の事業内容とブランド名を積極的に打ち出し,ユーザーを獲得す るために様々なサービスを提供し始めた。待ちの姿勢から,攻めの姿勢へ の転換である。

グーグルが成長基盤を確実なものとしたのは,20年6月である。イ ンターネットの世界でもっとも古く,もっとも知名度が高く,もっともア クセス数の多いサイトであるヤフーとの提携である。ヤフーに検索エンジ ンを提供していたインクトゥミ社(Inktomi)に替わって,グーグルが検索 サービスを担当することになった。

ブリンは,当時を振り返っていう。

「グーグルにとって画期的な出来事。ぼくたちのビジネス戦略が正しか ったことの揺るぎない証し0)

ビジネスモデルの転換とヤフーとの連携によって,ヤフーの検索数 は,20年半ばまでにインデックスは10億ページを超えるウェブ上で最 大の検索エンジンになった。その結果,厳しい状況にあったグーグルの業 績は,大幅に改善された。21年の収入は8,0万ドルに近づく勢いで あった。もっとも,当時,先行していたオーバーチュアの収入は,その3 倍以上の2億8,0万ドルにも上っていた。

両者の業績の違いは,グーグルが依然として検索連動型広告を採用せず,

前世代のCPM方式に依存していたことであった。それが成長のネックと なっていた。

そこで,22年2月に始まる「アドワーズ」の新バージョンでは,オ

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ーバーチュア社と同様に,オークションとペイドサーチ方式を採用した。

ペイジランクのアルゴリズムに基づき,「アドランク」と名付けられたこ の方式は,オーバーチュア社のそれとは異なり,金を払ってもリストの上 位になることはできない。グーグルが採用したのは,広告の人気という概 念を取り入れてクリックの回数でランクが決まるという方式であり,金を 払えば広告のランクのトップになれるという方式よりも公平であると市場 からの評価を得ることができた。そのことによって,広告主からの引き合 いはさらに増加していったのであった。

このころになると,グーグルは成長が成長機会を創出するといった好循 環のスパイラルをつくり出すようになっていた。中でも,22年5月,

当時3,0万人以上の契約者を誇っていたAOLとの間で結んだ提携は,

かつてのヤフーとの提携にも勝るとも劣らない重要な意味があった。これ を契機に,グーグルは提携戦略を推し進め,検索エンジンのライバル企業 である当時アスクジーブス社(Ask Jeeves Inc:現在IAC Search & Media) 含めてさまざまな企業との提携を進めた。その結果,インターネット市場 におけるグーグルの存在の大きさを証明することになった。AOLの元 CEOで,グーグルとの提携の推進者であったといわれるスティーブ・ケ ース(Steve Case)はいう。

「グーグルの製品は優れていた。だから優れているという噂が流れた。

優れているのでみんなが使ったんだし,みんなが使うことでさらに性能が 向上した。インターネットを検索して,そこから情報を引き出すには,や っぱりグーグルを使うのがよかったんだ。中心にある原動力はすべて,グ ーグルの検索エンジンが優れていると言うことにつきるんだよ1)

成長が新たな成長を作り出す中で,グーグルは,今日のビジネスのもう 一つの柱となっている新しい広告プログラム「アドセンス」を23年3 月開始した。

「アドセンス」とは個人のホームページなどに広告を配信するサービス

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であり,ブログやホームページをもっている人がアドセンスに申し込むと,

広告がグーグルから送られてくる。その広告を自分のホームページに貼り 付けるように設定しておくだけで,広告は新しいものに自動的に更新させ ていくというもので,「コンテンツターゲット広告」ともいわれる。

ブログやHPにどういった広告を載せるかは,コンピュータが独自に 分析し,どの広告主の広告を載せれば効果的かを判断することになる。た だし,希望すればブログやHPの保有者は,無料でアドセンスに登録で きるだけでなく自分のサイトに掲載された広告がクリックされたときには,

広告料を手にすることができるという仕組みである。梅田は,アドセンス をつぎのように説明する2)

「家に引きこもって,ウェブサイトを通じてネット世界とつながってい るだけで,リアル世界で通用する小遣い銭が自然に入ってくる仕組みであ る。(略)実際,英語圏においては,グーグルのアドセンスで生計が立つ 人が増えている。グーグルが形成する経済圏の規模が大きくなるにつれて,

小遣い銭程度から生計が立つレベルにまで個々人の収入規模があがってい く可能性を秘めている。(略)アドセンスとは,グーグルに集まってくる 企業の広告費を,流通機構を介在させることなく,世界中の膨大なウェブ サイトに細かく分配するメカニズムである。

いずれにしても,こうして誕生した新しいビジネスモデルを加えること によって収益は着実に増え,25年にはグーグルの収益の15% を占める までに至っている。

(5) 無料サービスの提供

グーグルは,次なるビジネスチャンスを模索して,手を打ち続けている。

インターネットの普及,検索エンジンの進化の中で成長してきた巨大ネ ット企業の登場は,テレビやラジオ,新聞などのメディアを中心とした企 業のマーケティング戦略に大きな影響を与えている。宣伝効果を予想もで

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きず追跡できない従来メディアの広告に比較すれば,明確なターゲットに 向けてメッセージを伝えることができ,その結果を追跡できるクリック課 金型広告は魅力的である。グーグルのアドワーズとアドセンスは,優れた 検索技術を武器にして,サーチエコノミー市場とも言うべき新しい市場を 創造したのである。

そうして生まれた新たな経済圏をさらに拡大し,そこに新しいビジネス チャンスを生み出すために,グーグルは,次々と新しいサービスを提供し 続けている。26年8月現在で,その数は50種を超えた。ウェブ最大の ニュースサイトとなっている「グーグル・ニュース」,世界中どこでも住 所で地図を検索できる「グーグル・マップ」や検索した住所を衛星画像で 眺めることのできる「グーグル・アース」,学術論文専門の検索サイト「ス カラー」,自分のパソコン内の情報を検索する「デスクトップ検索」など,

テキストや画像の検索を超えたサービスが提供されている。しかも,これ らのサービスは,インターネットが接続されているパソコンやプラットフ ォームを開くと,どこでも,だれでも,そのほとんどのサービスを無料で 受けることができるのである。そして,提供されたサービスがユーザーに とって利便性が高く満足度が高ければ高いほど,ユーザーの数も増加して いくことになる。その結果,広告主からの依頼が増えることはもちろん,

ユーザーから得られる情報力も多くなり,新たなビジネスの芽を見つける ことにもつながる。

提供されるサービスが無料であることが,創業以来グーグルの強みの源 泉になってきたことは事実である。前出の神田敏晶はいう3)

「新しいサービスに,どのような使い道があるのか。技術的な課題は何 なのかを知るには,まずサービスを運用してみてユーザーの声を聞いてみ るのが一番だ。成功しているベンチャーのほとんどは,ベータ版でもアイ デアを公開してリサーチをかけるのを恐れない。先にアイデアを公開して リサーチをかけ,その結果よりよいビジネスにつなげられるからだ。(略)

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クルマやテレビであれば,未完成品を市場に発表するなんてできないが,

ネットビジネスの場合は,むしろベータ版でも,いち早く公開することが 歓迎される。(略)人は,このサービスをどう使いたいのだろうとリサー チしているのである。

その一方で,ユーザー・ニーズに合致して利便性の高い無料のサービス が次々と提供されることによって,広告業界のみならず,そこで生み出さ れる収益と密接に関わるビジネスにも大きな影響を及ぼしつつあることも 事実である。有料でニュース情報を手にしようとするものがいなくなる可 能性は少なくない。すべての人が欲しい情報を手にすることができるよう になれば,情報を媒介としてきた市場で収益を得てきた産業は,壊滅状態 に陥るかもしれない。

この状況を,ジョン・バッテルは,「検索は,第三次産業の新しいイン ターフェースとなった4)」と指摘する。

4. 革新を保ち続けるためのマジック

創業わずか8年足らずで,世界のネットビジネス最大手に成長したグー グルの最大の強みは,ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの二人の天才が 生み出した革新的検索技術にあることは紛れもない事実である。しかし,

企業を取り巻くステークホルダーとの関係の中で,成長を維持し続ける一 方で,革新的ビジネスを生み出すことのできる創造性と独自性,チャレン ジングな企業文化を組織的に保ち続けることは容易なことではない。従業 員をマネジメントするだけでなく,出資者や競合企業を含めたステークホ ルダとの関係をマネジメントしていくことも,企業の存続と成長にとって 不可欠な要因であることはいうまでもない。

(1) 三頭体制による経営

グーグルにとって最初の出資者は,10万ドルを提供してくれたアンデ

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ィ・ベクトルシャイムであった。すでに述べたように,この出資は,ベク トルシャイムの好意と期待によるところが大きく,ペイジとブリンの二人 は,それほど大きな負担を感じていなかった。

それに対して,2,0万ドルという巨額の投資を行ってくれた第2の出 資者は,それをビジネスとするKPCBとセコイアキャピタルという2大 ベンチャー・キャピタルである。単独出資を希望した両社に対して折半出 資を申し出たのは,一社による支配力の行使を嫌ったグーグル側であった。

しかも,ペイジとブリンは,株式の過半数以上を保有するといった好条件 まで両社から引き出し,経営権の確保することにも成功した。そうして獲 得した資金によって,ソフト・ハード両面で高度な検索技術を構築するこ とが可能になったのである。

しかし,20年後半には,10人を超えるスタッフを擁しているにもか かわらず,その収益はわずかで,出資したベンチャーキャピタルは次第に 不満を募らせてきた。ジョン・バッテルはいう5)

「ベンチャー・キャピタルというものは,自分の金を防衛しなければな らなかったときには,情け容赦もなくなる。投資家は保険として創業者を 脇に追いやり,身内をCEOとして送り込むのが常套手段だ。ヤフーでテ ィム・クーグル(Tim Koogle)がジェリー・ヤンに,エキサイトではジョー

ジ・ベル(George Bell)がジョー・クラウス(Joe Kraus)に代わったように,

ジョン・ドウアー(John Doerr)とマイケル・モリッツ(Michael Moritz)も,

ペイジに代わるCEOを早く探すように要求してきた。

どのような形であったとしても,投資家から金を引き出したペイジとブ リンは,創業者,起業家としての役割が強く求められることになった。検 索技術の開発と改良に没頭していればいいといった立場に安穏としてはい られなくなったのである。こうした状況が忌み嫌っていた広告ビジネスへ の参入という妥協につながったことは,すでに述べたとおりであるが,業 績が大きく改善されるまでにはまだ時間を待たなければならなかった。セ

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