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李貴連著「沈家本研究三題」

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李貴連著「沈家本研究三題」

著者 森田 成満

雑誌名 星薬科大学一般教育論集

号 10

ページ 35‑59

発行年 1992

URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000183/

(2)

李貴連著i沈家本研究三題﹂

森田 成満訳

 一人の思想家の思想を研究するには︑その思想家の思想の出発点をはっきりさせることが大変重要である︒沈家本の研

究についても同じくそう言える︒我々は沈氏が清末の法律改革を主宰しているときに︑今までの律に大㏄を振るった改革

ると同時に︑また大量の西欧の法律を取り入れた︑中国と西欧の法学を融合させた媒酌人であり︑中国の法制現代

  化の先駆者であることを知っている︒それでは︑このような思想を形成した原因は何であろうか︒言葉を換えて言えぽ︑

沈 氏の思想の出発点は何であろうか︒私は彼の出発点は︑まさに愛国︑治国を目的とする法律救国論であると考える︒

中国は︑民族矛盾︑階級矛盾が極めて尖鋭化した時代である︒そして民族矛盾について言えぽ︑それは歴史上︑魏

晋南北朝︑宋遼金元︑明清の変わり目のように漢民族と少数民族の矛盾ではなくて︑統一した中国の各民族と西欧列強と

3 の間の矛盾であり︑国を守り民族を守ることと国を滅ぼし民族を滅ぼすこととの間の矛盾である︒この矛盾は︑少数の漢

(3)

6 好売国奴を除くすべての中国人を困らせてきた︒外からの侵略への防衛︑反抗︑国の防衛︑民族の防衛︑滅亡から救い生3 ることが︑すべての中国人の共同の目標となった︒これは近代中国の悲壮かつ激越な救国の調べとなり︑それはす

と階層を力づけ︑一つの大波活々たる近代思潮を形づくった︒

この愛国救国の大合唱の中にあって︑中国社会の各階級︑階層から個々人まで社会と自分の条件に沿って︑異なる救国

した︒ある者は武力で侵略に抵抗し︑敵を戦場で殺し︑悲憤慷慨し死をもって国に報おうとした︒ある者は

奏してその時代の悪弊を指摘し︑かけ回って叫び泣き︑維新を宣伝し︑封建専制制度を変革することを試み︑中

  国を弱きものから強きものとして外敵に抵抗しようとした︒ある者は同志と連絡して民衆を喚起して竿を掲げて立上がり︑

封建専制統治を押し倒し民主的共和国家を建設して列強と対抗しようとした︒ある者は実業を興し科学を磨きあげ︑教育

を押し広め国の基礎を培って列強と対峙しようとした︒これらの方法や行き方を家本はどれも選び取ったことはない︒社

よび自身の条件が彼に付与したものは︑古い法制度に対する改造を通してそれを変化した新しい世界に適応さ

せ︑進んで新しい世界︑新しい社会をうまく統治させれぽ︑国家はそこから弱きを変じて強きに変わり︑国恥を消し除い

界の先進国家と頭を並べて進む︒言葉を換えて言うと︑彼の歩んでいるのは法律救国あるいは法律治国の道であった︒

この選択には明らかに戦場の英雄のあの慷慨悲壮もなく︑また︑維新の志士や封建の反逆者たちのあの叱咤風雲の気力

もない︒ただし︑彼は封建的なかたくな者たちが空しく救国を唱え盲目的に外国を排斥し排外を愛国と見なすのとは︑か

えって天と地の違いがある︒家本は外来の侵略者を大変憎んでいた︒彼は近代史上の侵略軍が二度北京を踏み躍ったとき

目撃者︑証人かつ被害者である︒侵略軍の野蛮と暴虐に対して︑彼は自ら経験し︑非常な苦しみを味わった︒彼のこの

ような経歴から見れぽ︑彼は全く国の恥︑家の仇から︑熱狂的排外主義者になってもおかしくなかった︒しかし︑実際に      ①

うはならなかった︒痛みが落ち着いてなお痛みを思い︑その国きっての名医を尋ねなければならない︒つい先

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ど侵略軍の危ない所を離れて︑彼はすぐ目を覚まして周囲がすべて虎狼の時代にあって︑単純な仇討ち︑単純な排

侵略者を駆逐する目的を達成できないことに気付いていた︒救国したけれぽ︑まず必要なことはこのすでに傷だら

国家を治療することである︒ただ︑国家をしっかり治め︑国家を貧窮と後進性から抜け出させ︑一歩一歩富み強くし

と西欧列強と対抗できる︒そして中国を治めるには︑まず西欧列強の国を強くした経験に学ばなければならない︒

え︑彼は今まで︑盲目的な排外に反対して来た︒この点は彼の著述の中に随所に見られるので︑ここではこれ以上

ない︒

なぜ法律を選んで自己の救国の武器としたのであろうか︒ここで当時の社会と彼個人の経歴に遡らないわけには

ない︒

本は第一次アヘン戦争が勃発した一八四〇年に生まれた︒それは民族の危機が極めて厳しい時代である︒近代史上の

  数次の重大な主権を失い国を辱めた戦争︑すなわち︑第二次アヘン戦争︑中法戦争︑中日戦争︑八力国連合軍戦争等々は

﹂ すべて彼の耳目の及ぶ所であった︒これらの戦争をめぐって︑彼は日記の中に詳しく記録しただけで無く︑大変多くの事件を記した詩を書いている︒.︑れらの詩や記録は︑或いは侵略者の野蛮横暴を攻撃し︑或いは清朝の司令官の無能︑軍隊

り︑或いは自分の身を救国治国に投げ出す願望をおもてに出し︑力強く意を尽くして彼の国を憂い民を憂うる

嫁  している︒ただそれのみならず︑︿岳忠武恢復論﹀と︿曲端論﹀等の考論の文章の中で︑彼はなおめくら儒

者たちが岳飛が山河を回復しようとしたことを攻撃することに強く反駁し︑趙構が安住し︑秦檜が国を売ったことを非 し︑南宋の将軍が互いにそねんで座して好機を逸した︑︑とを大変残念が︒ている︒・れらの考論は明らかにためにする

しい議論ではなくて︑中国の封建士大夫が共有するあの忠君愛国︑天下の憂いに先んじて憂う天下の興亡は凡

3 人に責任がある等の伝統思想であり︑近代のこの特定の環境︑そして家本というこの特定の人物の身の上に於ける具体

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38 な反映である︒さらにまた言えば︑家本の体には中国封建知識人が備えている伝統的愛国救国思想が備わっている︒

者は︿清末の法律改革と領事裁判権﹀という一文の中で︑二度の北京の陥落が家本の思想に対して作り出した影響に

このように叙述したことがある︒沈家本は一人の国を憂い人民を憂い︑民族の自尊心と愛国心を備え持つ封建的

開明官僚である︒彼は中華民族が列強の侵略と欺凌をうけた時代に生きた︒神の国の沈下︑民族の災難はいつも彼をさい

なみ不安にした︒一八六〇年︑彼が二十才になったばかりのとき北京で英仏聯合軍が円明園を焼き討ちする暴行を目のあ

りにした︒自ら筆をとり侵略者の罪悪を︑そして立ち上って筆をすて従軍し志願して敵を殺したい気持ちを記してい

る︒四十年後北京は再び侵略軍の掠奪を受けた︒そのとき彼は目と鼻の先の保定知府を務めていて︑北京の陥落に心を

痛めた︒侵略軍が保定を占領して以後︑府署が荒らされ府庫が掠奪されただけでなく︑最後には自分自身も侵略者に拘

束され身柄を数か月閉じ込められ︑危険も予想できないくらいになることをうまく免れることはできなかった︒国が破れ       ②家が滅ぶ無残な情景︑囚われの屈辱は彼を悲しみ憤らせ追いつめた︒国の恥︑家の仇を心に銘じ骨に刻んだ︒この刺激

は︑彼の愛国の思想の形成に重大な影響を与えた︒

した二つの点のうち︑特に第一の点は︑封建的士大夫思想の共同の特徴点である︒第二の点も︑家本のみがもつ思

想の特徴点だとみなすことはできない︒近代史上︑家本に似た経歴を持つ人に乏しくないからである︒家本を促してこの

選択をなさしめたものには︑なお第三の原因がある︒それは即ち家本の一生の法律家としての経歴と司法の実践である︒

この点が家本が遂に法律救国を歩んだ真の原因である︒

家本が青年期から清朝の刑部に入り律を学び律を適用し律で名を上げたことは︑すでにすべての人皆知る事実であって

多くを語る必要はない︒清朝の同治︑光緒の境に︑刑部の裁判官で名声を有する者は少なくない︒ある資料の言うところ

よると︑当時の社会にあって︑八大学者が刑部に意見を言い︑処理をうまくできたという︒同治︑光緒時の刑部は

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       ③ 律専門家が切り盛りした︒とくに蘇允升︑趙爵翻のような法律学者であり︑旧律の基礎は家本と同じく深く厚かったし︑

彼らの交遊もまた普通の友人とは比べものにならない︒ただし︑彼らの著述と行状をみるとすぐに分かるのだが︑家本が

早 く刑部の司員についているときに対外交渉に注意し気をつけていたのに対して︑醇や趙はこの方面は全く空白に近い︒

   る家本の未刊行の著作く刑案睡覧三編Vの最後の部分の︿中外交渉刑案﹀は︑今までに見つけられた十九世紀の僅

存する中国と外国の交渉案件の睡編である︒家本は同時期の法学者に比べ︑すべてなお対外交渉案件をまとめておく

ことを重視したといえる︒このようになす目的は非常にはっきりしている︒すなわち︑以後の司法や立法のために資料を

  積み重ね︑経験を提供するためである︒また︑まさに彼はこの資料と経験の積み重ねがあることによって︑それ故︑保定

関外フランス教会堂の事件を処理したとき︑彼はあえてフランス人宣教師ドバオルと面と向かって議論し︑ドパオルを       ω 言葉なく立ち去らしめ︑侵略者の陰謀を挫折させたのである︒

するに︑家本は法律を司るとき︑同時代の法学者に比べて視野は広く︑考えている問題は深かった︒旧律を読むとと

﹂ もに︑早くから対外の法律問題を研究していた︒彼の法律救国の思想はここに根ざす︒命令をうけて律を作ろうとして以後︑.﹂の思想はさらには・きりする︒家本は春秋時代の鄭国の子産の刑書をつくり

を救う苦心を非常養賛する︒国は小さくして周りは強い︒交流の仕方がある︒・の人は時世の弊害を救いに来

飾・子産をまねて;国は弱く周りは強い時代において・律をつくり時世の弊害を救う重責を背負・た・家歪よ著 る法律救国は︑西欧法を採用して旧法を改造することを目的とする︒それ故︑家本のこの時期の大量の上奏︑論説︑序灌々は︑処々に人の長所を取り入れ自分の短所を補い︑西欧の良いと.﹂ろを採用して︑中国法の警口を除く.﹂と姦

調 し︑その煩を厭わずに︑国家を治めるには︑必ず法律をして世の移ろい︑損益の変化する道理に従わしめなけれぽなら

3 ないと繰り返し述べている︒西欧は法典を改めることによってその政治を改革し︑その人民を守り︑日ごとに強くなり栄

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0 えた︒中国は列強の間にあって︑交流の勢いに押されて全く旧来の形を守れないのだから改めない訳にはいかない︒老い4   病いに侵され︑戸を閉じて静養し︑床に伏して起き上がれない臨終の時に︑なお︑終生の志を終始忘れず︑言葉を選ん

中国の法学が隆盛すれぽ︑政治の改革︑人民の治安をすべてこれにたより︑必ず東西各国をして文明を自慢させな  ⑦ い︒ことを願っている︒一字一句︑すべてに︑この法学の先駆者の祖国に報おうという気持ちと︑法により国を治め法

より国を強くする理想がしみ通っている︒

︿ 編﹀の中で︑筆者はかつて沈家本は一生︑利益を考えず中国の興隆のために法律学に力を尽くした︒

彼はやや深い法律救国の考えを持っていた︒この考えは明らかに実際に即さず中国の危機を救えず︑さらに中国を本当に

させることはできない︒と述べた︒︿清末の法律改革と領事裁判権﹀の中で︑筆者はさらに近代中国の科学救

  国教育救国実業救国等々の現実の政治闘争の超越をもくろむ救国論が︑それぞれの違った歴史時期にすべてかつ

  て一時さわがしかった︒沈家本の法律救国はこの範疇に属する︒歴史は早くからすでに証明しているのだが︑国内政

力を取り除かなけれぽ︑いろんな形式の救国論もすべて中国の危機を救うことはできない︒ただし︑この救

  国論およびその実行者の活動が︑中国社会の進歩を促進したことは肯定されるべきである︒沈家本の法律救国論の命

運 も同じくこのようである︒彼は律を作るに際して政治を語ること少なく︑政治闘争を遠ざけたのにも拘らず︑ただし︑政

えって彼を探し求めた︒政治改革を離れて︑法律は国を救えず︑また国を治め国を強くすることもできない︒た

し︑その他の救国論者と同じく︑彼が主宰した法律改革が中国社会の進歩を促進したのは︑同じくまた疑いをいれない

事 実である︒救国治国のために︑家本は一生の精力︑全部の才知を中国と西欧の法律を融合させることに傾注した︒経

      ⑧ し律を学んで二つに通じる重ねて翻訳し討論して法学をおしひろめていく︒彼の法律救国の行動は一幕の歴史

喜劇と言える︒

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      ⑨は一生法律を学ぶと同時に経史考証の書に従事し︑経史も学び律に経史を融合した︒法律学識の深さは︑中

   国の法律史上匹敵できる者は少ない︒彼の著述を紐解くと︑法律の関係するところをすべて取り上げて︑考論していない

  ところは少ない︒この中国と西欧の法学を融合させた大家に対して︑もし︑彼の思想の基点︵あるいは思想の核心︶を把

握 しないと︑彼の全体としての思想と歴史的作用に対し正確な評価をなすことはむずかしい︒

  沈家本の思想の核心は何であろうか︒彼の全部の理論と実践を通観して︑彼の思想の核心は儒家の仁政と西欧資産階級

主 義である︒

  中国の歴史上︑儒家学派の創始者たる孔子は仁を初めて作ったのであり︑仁は孔子の思想の核心である︒一冊

﹂ の論語は一万字余りに過ぎないが︑仁に触れているのは五十八ヶ処の多きに上り︑仁字は百五回見られる︒孔

体系の中で︑仁〃は倫理道徳の範疇に属し︑各種美徳の総A・である︒天の人間がもし各方面にすべて完全無

欠でなければ︑それを仁煮と言う・とはできない︒それ故︑孔子は大変仁を重視した︒簡単には人を仁者と

ないだけでなく・自分を〃仁者とはしない・仁という・の思想から出発して・孔子は陪葬に反対し;悪例を

ド       ゆ       カ      ロ       ロ著 開くもの︑始めてひとがたを作りしものは子孫なからんか︒とのろった︒苛政に反対し︑苛政は虎よりも猛々しいと

       ⑫      ⑬檀い う著名な論断を噛え︑取り納めるには︑薄くする〃髪使うに時を以てせよ〃髪使うに突祭につ.﹂うるが如く

  ロ      ぱ す博く民に施し等々を主張し︑当時の統治者の不人道に対して大変反感を抱いた︒仁政は仁の始まりであり︑

4 孔子の継承者の孟子によって作られて︑系統化された︒仁政仁学は儒家が代表する中国の伝統文化である︒孔子は

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42 仁から礼に入って︑秦漢以後︑封建統治者もまた徐々に礼を納めて律に入った︒それ故︑中国封建の法律は孔

来の儒家の仁政の学説を包みこんだ︒封建法中の一つの流れである寛刑︑軽刑︑省刑措置や封建思想家の中の

徳化教化等々は︑この仁政学説の具体的表現である︒国外の一部の学者は儒家の人道主義を用いて中国封建法

律中のこの措置を概括している︒

家本は幼くして経史を読み︑儒家思想の薫陶を受け︑身の上に極めて深く儒家の仁政の烙印を刻み込んだ︒︿歴代

刑法考・刑制総考﹀は彼の上は尭舜から下は明代法制に至る全体的論考である︒彼は歴代の法制と封建統治の裁定に対し

て︑仁の字に従って墨をつけ︑仁によって基準としないではいない︒法の善悪︑人の仁暴︑みな仁を標準とし

る︒仁に符合すれば法は善法︑良法であり︑人は賢君である︒仁に違背すれぽ︑法は悪法︑壊法であり︑人は

暴主である︒唐代の法制を論じて言うならぽ︑

高祖︑大宗以降︑晴の残虐混乱を除き︑寛容かつ平和に統治され︑人民はその平安を楽しみ︑違法に厳格であり︑

美 しさが三代の盛時に近いことを賞賛している︒

え方を見るに︑それは仁と言うべきである︒その言は溢れる美しさと言わなけれぽならない︒後世の法を学ぶも

としないものはない︒時代によって軽重があっても︑すべてその範囲を越えることはできない︒それ故︑今

      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ   も   ヘ   へ日の刑を議論する者も︑また︑その立場を決められる︒︵重要だとの印は筆者が付したものである︒後も同じ︶

  また︑遼の法制を論じて言う︒

  遼は北の辺境に起こり︑武力を用いて建国した︒太祖の時代︑刑の多くは残酷であった︒穆宗は性格として殺人を好み︑

       リ      ト      ソ   ト 暴となり遂に滅んだ︒唐代と互いに比べてみると︑その仁と暴︑全く相反する︒⁝⁝後世の古代を見るものは唐の

マ        も   ヘ   へ

ようにし︑遼の暴のようにするなと言うのは良い︒

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  明制を論じて言う︒

      ヘ  ヘ      ヘ  ヘ       ヘ  へ    明代一代の刑政を全体として論じると︑太祖は重罰によっていっとき懲らしめるが︑中制を酌んで後世につなぎ︑猛烈

      ヘ  ヘ      ト  へ

統 治と寛大な詔を組み合わせ︑決して偏らない︒恵帝はもっぱら仁義で人民を教化しようとした︒⁝⁝その後の仁宗︑

      シ   へ 宗︑孝宗は政治は清明で︑刑法は最も公平だと称えられる︒穆宗は死刑を優皿し︑世もまたそれを称えている︒刑を用

    ヘ  ヘ  ヘ       ヘ  シ る残酷さは成祖ほど甚だしい者はいない︒その後英宗の時︑政治は乱れ刑法も大きく乱れた︒しかし︑心はつねに寛大

    シ  へ 穏であった︒冬期に重罪犯を審理しなおすのは︑誠に自然に沿う統治であり︑情からみて哀れむべき者には法外の

      ヘ  へ 恩恵を与える︒実際に仁政である︒

  家本は中国の法律は尭舜の時代から欽皿を風とし︑明允を用とし徳化の伝統を造り上げていることを知っている︒

この伝統は商映の変法︑修法に至って途絶えた︒それ故︑彼は特に漢初を賞賛している︒漢初に秦の苛法を除き︑秦人

喜んだ︒その後秦の法を参用したが︑また︑なお時宜によろうとした︒孝恵は挟書律を除き︑三族罪︑妖言令を除き︑      ぽ      ヘ  ヘ      ロ

孝文が収撃相坐律を除き︑誹誘妖言口法を除き秘祝を除き肉刑を除いたことは︑古今の刑政の一大関鍵である︒漢の文帝

肉刑を除いたのは︑千怠b政である︒

制と君主に対する評価は・のようであり・執法官に対する評定も・らようである・彼の著述の中で〃仁人が法を執

ることへの賛美は︑殆どその煩を厭わない位にまでなっている︒彼は反復して強調しているが︑法の善なるものは︑な

  お︑法をつかえる人がいるからである︒もしその人がいなけれぽ単に法でおわる︒法をつかう人を得れば︑法は厳格で

も︑法の中に仁を施芸︒法をつかう人を得られないと法は寛大かつ平穏でも︑法の啄に暴を遅・くす・︒〃仁をなし       ロ 暴をなす︒吉凶の兆しは大変少ない︒もし︑空言法を立てると︑方策があっても空しい︒この見解は彼が経史を読んだ

4 心得であっただけでなく︑彼の裁判の経験からの総括でもある︒

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4  儒家の仁政で歴代の法制︑君主と法をつかうものを評価するのは︑家本の目的ではなくて一つの手段である︒彼の4   目的はこの評価によって仁を標準として旧律に対し全面的審査をし︑仁をもって旧律を改造し新しい律を制定す

る標準としなければならないことを論証することにあった︒よく知られている︿咄除律例内重法折﹀は︑すなわちこのよ

  うな一つの代表作である︒

この上奏文の中で家本は極めて明確に肯定するはっきりした言葉で︑この標準を提出している︒思うに︑国を治める

       ヘ       ヤ 道は︑仁政を第一とする︒もともと刑を司るものは︑また︑義によって裁き︑仁で推論しなくてはならない︒それ故︑刑

      ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ       ヘ  ト      ヘ  ヤ きを改めて軽くするのは︑もとより今日の仁政の大事な仕事であり︑改定の要旨である︒この言葉はまさに家本

儒家思想本来の表現である︒これを基礎にして︑凌遅︑巣首︑鐵戸を必ず廃止しなければならないことを論証するとき︑

彼は極めて濃い墨でただ︑刑が斬に及ぶと体と首が分離し大変残酷である︒命が残り僅かになって︑切り刻まれて︑気

       ヘ  ヘ  ヘ  へ失っても刀や鋸を幸いに免れることはできない︒仁ある人の心からみると残酷で心苦しい︒犯人を懲らしめると言って

も︑刑を受けている者の魂は何を知っているのだろうか︒大衆に警告すると言っても︑見聞きしてかえってその残忍な様

残 る︒刺宇の法も同じくこのようである︒まだ補佐教育の効果を現さず︑ただこの不徳の名前を残している︒

ここからどうして仁政が出てこようか︒この不仁の法が社会に悪い結果をもたらすことを力強く示して︑廃止すること

きっぱりと主張した︒

るべきは︑家本は儒家の仁政思想を受け継ぎ歴代の法制を評定し︑および指導して律を作っていくときに同

に︑すでにある程度西欧資産階級の人道主義思想を受け入れて︑同じようにそれで歴代の法制を評定し律の修正を

導していたということである︒この思想を表現するとき︑彼は直接人道主義の言葉は用いなくて︑西欧人が中

  国法の不仁を批評すると言う曲折した方法をとり︑間接的に彼のこの思想を表現している︒

(12)

︿捌除律例内重法折﹀

中国の法律を各国と互いに考証すると︑各国の法律の真の精神は︑もとより中国の範囲を越えてはいない︒総体的に言

て︑中国は重くて西欧は軽いものが多い︒けだし︑西欧諸国の以︸80の刑法は︑申国と比べてなお残酷であったが︑この

来︑法律家が討論してだんだん改めて軽くしていき︑政治も良くなっていった︒故に︑中国の重い法について西

        ヘ  へ

  欧人はいつも不仁だという︒

今日の世界各国は︑皆刑罰はその人だけに止まると主張する︒古人の妻子を処罰しないという教訓と全く符合する︒ま

ことに仁政の真っ先になすべきことである︒

  ︿実行改良監獄注意四事折﹀

中国の監獄に責任のある典吏︑司獄等の官は︑品位は低く︑⁝⁝悪い青吏がはびこり︑西欧と比べると仁と暴とが大変

けはなれている︒

﹂  ︿監獄訪問尋序﹀西 欧の監獄も初めは警の精神叢っておらず︑ただ︑人を苦しめ辱める・とを目的としていた︒その後︑纂ある者

出てきて︑その無残︑残酷な方法︑状況を見た︒同じ㊨で︑なぜひとり・れを受けるのか︒そして・教育の考えを強

  く主張し︑欧州に広めた︒

著  ︿刑制総考四﹀論死刑唯一

と絞を比べてみると︑斬は体と首が離れるのであり︑絞の体と首が完全な方が良い︒それ故︑近年の東西各国は︑た       ヘ  シる︒また︑仁術の一端である︒

4  この外国人の口から出る仁︑不仁︑仁政︑仁術は︑明らかにもともと純粋の儒家の仁ではない︒その実

(13)

6 質は資産階級の人道主義である︒使っているのは儒家の言葉であるが︑述べているのは資産階級の道である︒着けて4るのは古い衣装であるが︑演じているのは新しい芝居である︒

もし上に述べた所が儒家の仁で資産階級の人道主義を盗み売っているきらいがあると非難するとすれば︑それなら

度の廃止の問題について︑家本はすでにはっきりと資産階級の人道主義の旗印を打ち出している︒この大臣が

  命令を受けて新しい律を作るに際して︑中国と外国を参考とし︑良い点を選び従う︒現在の欧米各国は︑どこも人を売り

買いすることはない︒人格を尊重する主義を取っているのであって︑それを採用するべきである︒短い言葉で極めては

きりと彼の立場を表現している︒

この立場から出発して︑彼は人を人として扱わないことに心を痛め︑人を禽獣扱いすることに反対した︒官員が奴隷

を殴り殺すと僅かに罰俸に処し︑旗人が故意に奴隷を殺しても︑ただ枷号を科するだけである︒これを密かに牛馬を殺し       ㈱ ときに比べると︑処罰はかえって軽い︒特に人命を重視することにならない㌔奴隷もまた人であり︑どうして意のま

  まに残酷に扱ってよいのか︒生命は本来大切にするべきであり︑人格も尊重するべきである︒本当に今までの悪習に沿い︑

       み  シ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  シ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ロ と等しくするべきではないと怒りをもって指摘している︒歴代帝王の中で︑家本は大変東漢の光武帝劉秀を称

えている︒それは劉秀が天地の仕組みとして人は貴いとし︑奴隷に対して大変意を用い︑奴隷が人を殺傷すると死刑にす

るという律を無くしただけでなく︑その奴隷を殺害したものも減刑されず︑奴隷を虐待したものは律どおりに適用し︑さ      ⑳

  らわれて奴隷とされたものは免れて庶人となるとしたからである︒劉秀はこれを人格を尊重することの手初めとした︒

中国史上でこの意味を体得できたのは︑また︑ただ劉秀一人だけである︒東漢時︑三人の男が一人の婦人を共に要ったと

う事案がある︒当時の司法官は禽獣だと三人の男に言い︑三人を死刑にした︒家本はこの案を論じて︑憤激して論難す      へる︒三人の男には死刑になるべき法はない︒それなのに首をならべて処刑した︒禽獣として取扱っている︒どうして人

(14)

  ︑       倒   格を軽視するのだろうか︒人は人であり︑人を禽獣とするのは︑まさに西欧資産階級の人道主義が極力反対する獣道主

義である︒家本は逆に対比することによって︑人を禽獣にすることに反対し︑極めてはっきりと彼の西欧資産階級の人道

主 義の立場を表明した︒

   民本思想は儒家の仁政の起源である︒儒家は仁を納めて礼に入った︒礼はまた宗法︑等級︑身分を中味の中心

  とし︑力を尽くして封建的三綱五常の名教を守ろうとしている︒それ故︑儒家は民を重んじ︑民を本とすることを主

し︑暴君の苛政に反対し︑残虐な刑︑過酷な法に反対するけれども︑個人の権利に対しては︑かえって問題にしようと

しない︒それ故︑礼で指導する中国の封建的法律は︑民本︑重民︑仁政の成分を持つといえども︑個人の権利は

えって完全に無視され︑どのような個人の権利を保護する条款もない︒これとは反対に︑西欧資産階級の人道主義は資

産階級の民主と法治を目標としており︑そのため至るところ個人の法律上の権利と義務を強調している︒それ故︑儒家の

政︑民本等の思想は資産階級の人道主義とある相似した所があると言っても︑根本の精神は食い違う︒中国と西欧文化

﹂ のこの差異が︑まさに清末の法を作り律を改める過程でしぽしぽ論争が起こってやまなかった根本原因である︒家本篇家の民本〃︑重民〃思想を受け継ぐと同時に︑また︑儒家の思想に囚われず︑西欧資産階級の人道主義のぞ

㎞  律の中味を取り入れることに反対しない︒のみならず︑あとになると︑この中味を受け取り採用しようと言う態度は

  ますます強くなり︑範囲はますます広くなり︑内容はますます多くなって行った︒

律の改正のための大臣であり︑彼が主導し制定する法律は労働人民の意志を反映することはできない

し︑そのはずもない︒ただし︑儒家の民本〃思想から出発し︑法律は国を統治する道具であるという思想から出発して︑

彼は法律が一定程度以上労働人民の利益を考慮し︑労働人民の利益に適当な保護を与え︑彼らが生活して行けるようにす

4 ることによって︑流れ流れて居場所を失い︑頼っていくところもなく︑竿を掲げて造反することのないよう望んだ︒その

(15)

      ︑︑︑︑︑︑︑      ㈱

8 ため︑政治をなす道は︑まず︑法を立て︑人民を管理するところにある︒法を立てて人民を管理する︒必ず人民の性4      ︑︑︑︑︑       ⑳

格を考えて法を作って始めて人民を保護できる︒人民の特徴に沿って統治する︒古今東西一様ではない等々の語句が      ヘ  へ   彼の著述の中に反復して出てくる︒彼は法律と人民の生命財産との関係を大変強調する︒律は民命に関係するものであ

       ヘ  ヘ  シ     シ  へ  ら  へ り︑その用途は重要であり︑その意味は大層きめ細かい︒天の理と人民の本性を極め︑人の情と事の情況を計り︑理をつ

くさなければ︑真実と嘘の一端をとらえられないし︑心を清くしなければ︑考えの間違いを払い除けられない︒もし︑法

る者が深く究明することを知らず︑ただ︑時々の審理を処理するならぽ︑一案の誤りは数人に累を及ぼし︑一例

間違いが害を数代に及ぼす︒大いに恐れるべきではなかろうか︒人民を大変残虐に扱い︑民生に害を及ぼす法に対し大

  きく攻撃し︑強く論難している︒例えば︑盗賊の処理に対して︑彼がまず肯定したのは盗賊が多いのは政治が煩苛であり︑

  ︑︑      ⑳

  民生が貧困であることによる︒ということである︒民生を不問にしておいて法を重くして盗賊を処理し︑みだりに無実

ことに反対した︒盗賊が多い地域は︑勢い︑すべての人を殺してしまえるだろうか︒やり方やその機会は万

変であり︑慎重になさないと︑禍いを残して極まりない︒彼は立法は民生に便利であるべきあり︑およそ民生に害ある

すべて廃止するべきであると主張した︒法律を適用するのに︑身分の違いにより人民は急がせ貴族は緩かにした  ⑰       ︑︑︑︑︑

り︑人の品類によって強いて高低をつけるのは︑特に調和の意に背き︑立憲国家の権利を保護すると言う考えに︑特に

背する︒民本から出発して︑ついに資産階級の人権というありきたりの概念を取り始めた︒

本の著述の中には︑資産階級の権利観念を述べる文字は多くないし︑かつ︑まだ専論の文章もない︒ただし︑彼が主

宰し制定した新律に対して少し分析をなせぽ︑すぐに中の至るところにこの観念が満ち満ちていることを発見する︒彼の

中では︑新律︑特に民商各律は︑その趣旨はおよそ人の権利と義務を区別し︑すべて規則の中に納めるところにあっ

た︒それ故︑︿刑事民事訴訟法∨を制定し律師制︑陪審制︑公開裁判制を採用してからく大清民事訴訟律草案∨

(16)

るまで︑私権の保護を司法の要義とし︑すべての西欧資産階級の法律の中で個人の権利に関する内容を取り

げ︑彼は大部分を引用している︒権利の観念は資産階級人道主義の法律用語である︒儒家の仁政と資産階級の人

義はある内在的関係があるといっても︑ただし︑質的な区別が存在する︒特に個人の権利の側面において︑儒家の

 仁政は上から下への一つの恩賜︑恩恵であり︑封建の法律はただ被治者個人が義務を尽くすことを要求し︑権利はた

者の授与を待つことができるだけであり︑法律を運用して自己の権利を保護すると言う問題は存在しない︒資産階

律は人道主義の原則に依拠し︑社会すべての成員の権利義務はすべて法律によって規定し︑法律によって義務を尽

くし︑法律に依拠して権利を享受し自己の権利を守る︒それ故︑儒家の仁政が資産階級の人道主義に移っていく

は一つの質的な飛躍がある︒家本は新律を制定する過程で︑このように大量に権利観念を吸収し︑彼の思想は儒家の

 仁政︑民本から資本階級の人道主義への質的飛躍を示したと説明できる︒この飛躍を示す過程で︑彼はいつも旧式

装をして古い言葉を喋り︑新しい酒を古い瓶の中にいれているけれども︑彼のこの思想の実質を少しも隠しおおせな

  へ む  し案概

   三

西 とかして鋳造し︑あるいは中国と西欧を融合し︑あるいは中国と西欧を貫通する.﹂とは︑沈家本の生前の志であ

し︑また︑彼の死後の棺を覆ったときの定論でもある︒中国と西欧文化は二つの異質な文化であり︑法文化も同じく

ようである︒それでは︑沈家本は中国と西欧の二つの異質な法文化の融合点をどこに選んでいたろうか︒言葉を換え

4 て言えぽ︑近代の中国と西欧の法文化の融合点は何だろうか︒︿沈家本の中国と西欧の法律観論略﹀なる一文の中で︑筆

(17)

  者はかつて新学旧学︵あるいは西欧の学と中国の学︶に対して︑家本は一つの全体としての認識︑すなわち︑新旧それ

5      ㈲ それその正義をもつと考えている︒と指摘した︒私はこの正義がすなわち中国と西欧法学の融合点だと考える︒

 正義と非正義は︑相対立するが︑確定した意味は持たない︒それでは︑家本の正義は何だろうか︒家本の

論 著を通観すると︑この正義は法理であるべきである︒

 法理という語句は︑おおよそわが国の古代東漢にすでに現れており︑基本的に法律と同義である︒

代的意味の法理は︑西欧の学問が東漸するにしたがって中国にはいって来た︒近世の欧州の学者モンテスキ

 ューが論じて︑始めて法理概念を使い︑説を立てて書を著し世に広がって行った︒流れる風につられて︑ようやく東海     ⑪た︒この西洋のモンテスキューが作り東方に伝わって入ってきた法理は︑その意味は明らかにわが国の古代

理と同じではない︒

    く刑部の司員の職にあったとき︑家本は法律を適用するには詳しくその理を考えなければならないという意見を

  

提 出している︒光緒十六年︵一八九〇年︶︑︿唐律疏議﹀を重刻したときの序の中に︑編を開くとすぐに提示している︒

   ヘ  ヘ  ヘ       ツ

   天の理と人民の本性を極め︑人の情と事の情況を計り︑理をつくさなけれぽ︑真実と嘘の一端をとらえられないし︑心

清 くしなければ︑考えの間違いを払い除けられない︒深くその根源を探求し.詳しくその理を考えなければなら

ない︒ここでいう理は︑まだ西洋資産階級の法理ではないけれども︑ただ︑明らかに︑また︑法律と同義の古代

理でもない︒この理は中国古代の法律が含んでいた原理を指し︑天の理と人民の本性を包括し︑さらに︑人

情 と事の情況を包括している︒

   法理の一語︑それを初めて家本の著述に見るのは︑保定の知府を務めていたときの︿刑案匪覧三編﹀でなした序の

中である︒当時︑彼は戊戌変法前後に出現した新旧学説の争いに即応して︑次のような議論をなしている︒

(18)

   今日の法理学は︑日に新たな発明があり︑切羽つまって変化が起こって久しく︑気運が盛り上がっている︒この編は

      へ 詳しく備わっているけれども︑過去の事跡だし︑古くなった紙でしかないと言ってほしい︒私は思うのだが︑理には本来

       ヘ  ヘ  ヘ  へ

  日に新しくなる機会がある︒しかし︑新しい理は学者の論説である︒もし︑人の真実と嘘が所によって違うならば︑学者

真相をすべてあぽけるものではない︒それ故︑先人の考えに沿って説明し︑昔の事案に従って類推していくことに

よってのみ︑大いに新しい学説との違いがはっきりする︒

ここで︑彼は法理概念を使ったのみならず︑なお︑新旧︵あるいは中国と西欧︶学説の相互関係︑それぞれの長短

対 して︑初歩的な論説をなしている︒

   法理の解釈に対して︑西欧はモンテスキューの後︑各流派がそれぞれその正義を唱え︑意見は入り乱れた︒東方に

行った後も︑同じくそれぞれが見解を変えず他の正義の良いところを取り入れようとしない︒家本は中国と西欧

法学に対する比較研究を通して︑法理の定義を法律の原理とし︑それを中国と西欧の法学の融合点として︑そ

旧律の存廃︑西欧の法律の取捨を決め︑後にはさらに彼が守旧礼教派に反撃する武器とした︒

中国と西欧の法学に︑すべてそれぞれの法理がある・とを知っていた︒双方の法理は完全に籍同じではないけ

ども︑ただ︑決して情理の二字から逃れおおせない︒︿法学名著序∨の中で︑家本は詳細に彼の・の観点を述べて家       ・・

 いる︒新しい学説は往々にして古い学説を押し広げて出てくる︒事の変化はますます多いし︑法理はますます緻密にな      カ  も       ヘ  ヤ

  る︒しかし︑大体の要点は情理の二字に外ならない︒旧学新学に拘らず︑情理を捨てて別に法を作ることはできない︒大

事なものは︑融合して・れを理解する・とである︒旧学の法系が新学の要旨を内に含んでいるという主張は︑明らかに

  彼の封建士大夫固有の旧学をなつかしむ褒めすぎの言葉であり︑教訓とするに足りない︒ただ︑彼は情理を使って法

51を概括し︑ここから手を入れ中国と西欧の法学をよく理解したのは︑すなわち彼のみが到達したところである︒

(19)

52 中国と外国の法律と情理をよく理解するのは︑すなわち中国と外国の法理を色々な観点からよく理解する事である︒

︿ 夫Vは︑家本が律を改正する過程で礼教派と相互に論争した作品であり︑また︑清末の礼法の争いに於いて︑

る代表作である︒この文章の中で︑家本は法理を運用し︑本夫が好所で好夫好婦を殺害する

問題で権利があるか否かについて系統的な論証をした︒

西律は︑本夫が人と好通した妻と好夫を勝手に殺害することを禁止している︒西欧の法律を類推して︑中国の法

律は本夫が好所で人と軒通した妻と好夫を殺害することを認める規定は削除されるべきであろうか︒言葉を換えて言えぽ︑

西用いて中国律を取り替えるべきであろうか︒家本の回答は肯定的である︒この規定は単に中国と西欧の法律の互

なる問題に存するだけではなく︑最も根本的にはこの規定はそれ自体法理に適合しないからである︒ωおよそ

好する時︑︿唐律V以来︑その罪名はわずかに徒︑杖であり︑決して死刑には該当しない︒律で死刑に該当しなく

て︑本夫が勝手にそれを殺害するのは︑まことに法の許さないところである︒法が許さないからには︑どうして無罪と      シ   へなるであろうか︒罪あればそれを処罰するのが義である︒明らかに罪があって︑許して無罪とするのは義にもとる︒義に

   ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  シ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

もとるものは法理に適合しない︒②律には死罪の犯罪者が捕まるのを拒んだので︑捕人が殺害したときは杖一百と記し

ある︒死刑になるべき罪を犯した人を︑常人もまた任意にこれを殺してはならない︒いわんや死刑になるべき罪を犯

していない人はなおさらである︒和好に律は杖を適用するに過ぎない︒死刑となるべき罪を犯した者とは大きく異なる︒

した人が死刑となるべき犯罪者を勝手に殺害して︑なお杖を適用するべきであるのに︑常人が任意に人を殺害       ヘ  シ  トきると言う︒殺されるものが︑さらに︑杖を適用するべき人に過ぎないとき︑軽重を計るに序列に背いている︒その序

   ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

背くものは︑法理に適合しない︒といえる︒③婦人の淫蕩は礼において離婚するべきであり︑死刑となる法はな

い︒彼女が七つの離婚原因に該当しても三つの離婚不許可事由があるのに離婚すると杖六十とする︒三つの離婚不許可事

(20)

  由なるものがあり︑離婚を許さないのである︒離婚を許さない︒いわんや殺害することはなおさらであろう︒その離婚

さないで︑その殺害を許すのは︑両律は明らかに矛盾する︒君子は絶交してなお悪口を言わない︒いわんや妻にはな

さらであろう︒離婚するべきと言うのは礼である︒殺害することができないというのも︑また︑礼である︒殺害するこ

とができなくて殺害するのは礼に違う︒礼に違うものは法理に適合しない︒④生を好み殺害を憎むのは人の常情である︒

 骨肉の親族︑同居の人が残酷にも互いに殺害しあい︑それを忍んでなすのは情において︑ついにどうして安かろうか︒

  情において安らかでなけれぽ︑情にもとる︒情にもとるものは︑法理に適合しない︒要するに義︑序︑礼︑情はみな

律の原理をすべては含んではいない︒法理に適合しない法は法とできない︒それ故︑法律は本夫が人と好通した妻と

る権利を与えることはできない︒旧律のこの条項は必ず廃止されなければならない︒

ら分かることだが︑家本の法理あるいは法律の原理は︑主に法律の中の義︑序︑礼︑情を指して理

解している︒義は罪があってそれに処罰を加えることであり︑現在の有罪必罰に相当し︑法律の公平性を体現し

り︑これは法律の本義である︒罪があって無罪にし︑罪あって処罰しないのは明らかに公平を失し︑法律の本義にも

とり︑当然︑法理に適合しない︒序は犯罪行為の大小と刑罰の軽重が相当であることを指し︑また︑現代の罪刑相当

輔 とである︒重罪を軽く処罰したり︑あるいは軽罪を重く処罰するのはその序を失い︑それ故︑法理に適合しない︒

礼は人倫の理を指し・〃君子鏡交しても・なお・悪声を出さず・いわんや妻ならなおさらである・人と人の間はこ

倫の理に従うべきである︒法律がこの人倫の理に違えば︑礼に違うことになり︑また︑法理に適合しない︒情は

性〃を指し︑残酷にも殺害しあう〃のは人の本性のあるべきと.﹂ろではない︒それ故︑また︑法

しない︒

5  家本の著述の中で︑情理の二字は︑多くの書物の中で︑その大要はこの四つを越えてはいない︒もし︑官司が人を

(21)

54 罪に入れたということについて論じるならば︑それ人命は大変重く︑罪の死刑に至らない人をみだりに死刑とするの

うっかりした行為と比べられるであろうか︒その裁判官をわずかに杖︑答の刑に処したり︑あるいは一人も責任        ︑︑      ②を問わないのは︑情理に照らして平らかだといえるであろうか︒また︑寡婦の再婚を論じると︑空閨を一人で守ること       ヘ  シ大変難しい︒古人が礼を定めたのは必ず人情に基づいたのであって︑決して人情を捨てて難しいものを無理強いするも

ないと言う︒財礼云々は︑⁝⁝結納の贈物であり︑女を取引するものではない︒もし︑夫が死亡して再婚する       シ  へとき︑必ず︑財礼を返還するべきであるとするのは︑直ちに結納の物を女を取引するためのものと考えており︑特に礼の

ヘ    へ

精神に適合しない︒それ故︑風俗を論じるならば︑これは決して削除するべきではなく︑学理を論じるならぽ︑これは決

して存するべきではない︒さらに︑もし︑西欧の法律が自殺を重罪とするのを論駁するならぽ︑生を楽しみ︑死を憎む

常情である︒自殺のことは原因は色々あり︑同一ではない︒その力ある悪人が欺き凶悪な輩が騙す︒必ず︑梱

縛︑吊拷︑監禁︑たかり等の残虐な情況が存在する︒死者は堪え難い侮辱︑多くの困苦にぶつかり︑恨みが胸を塞ぎ︑生

よりも死んだ方が良くなる︒その死んだ理由をつきつめると︑全く追いつめた人のためであるのに︑死に追いつめたもの

は︑自殺に対する処罰をしない︒恨みの上に恨みを加えるのであり︑情理はどこにあるであろうかパそれ︑罪ある人       へ 自殺してなお処罰を加えることがないのに︑罪なき人が自殺してかえって処罰を免れられない︒どうして情があろう︒    ︑        ⑭どうして理にかなうのだろうか︒このようなことは枚挙に暇ない︒要するに情理の内容は︑みなこの四つの範囲を

ないのである︒

分 析の中に見受けられるのだが︑家本の思想の中で︑中国と外国の法理は︑それぞれ自己の法理を持つけれども︑

だ︑法理の大要たる情理は共通している︒中国と外国の法学を融合して理解するには︑中国と外国の法律の中で

情 理に合するものを取り︑情理にもとるものを捨てなけれぽならない︒情理に合するものは善法であり︑良法

参照

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