真 福 寺 新 出 ﹁ 仮 名 法 語
﹂ に 関 す る 試 論
古 瀬 珠 水
仙 石 山 仏 教 学 論 集
第
ઇ号 ︵ 平 成 年 ︶ 22
Sengokuyama Journalof Buddhist Studies Vol. V, 2010
真 福 寺 新 出 ﹁ 仮 名 法 語
﹂ に 関 す る 試 論
古 瀬 珠 水
は じ め に 二 〇
〇 八 年 七 月 十 八 日
︑ 名 古 屋 市 真 福 寺 に お い て
︑ 名 古 屋 大 学 グ ロ ー バ ル C O E プ ロ グ ラ ム ﹁ テ ク ス ト 布 置 の 解 釈 学 的 研 究 と 教 育 ﹂ 第 四 回 国 際 研 究 集 会
︵ ワー クショ
ッ プ︶が 開 催 さ れ ︑ そ の 際 ︑ 末 木 文 美 士 氏
︑ 牧 野 淳 司 氏
︑ 米 田 真 理 子 氏
︑ 和 田 有 希 子 氏 に よ り 真 福 寺 か ら 新 た に 発 見 さ れ た 禅 宗 聖 教 が 紹 介 さ れ た ︒ 同 日
︑ ﹃ プ レ
・ カ ン フ ァ レ ン ス 真 福 寺 大 須 文 庫 聖 教 展 観 ︱ 中 世 宗 教 テ ク ス ト の 世 界 ︱
︑ ワ ー ク シ
ョッ プ
﹁ 栄 西 と 初 期 禅 宗 に 関 す る 新 出 聖 教 断 簡 の 復 元 ﹂ 資 料 集 ・ 真 福 寺 大 須 文 庫 に お け る 中 世 宗 教 テ ク ス ト 展 観 図 録 ﹄
︵ 以後︑﹃ 資料 集﹄ と呼 ぶ︶
が 参 加 者 に 配 布 さ れ た ︒ か ね て よ り ﹃ 見 性 成 佛 論 ﹄
︑ 大 日 房 能 忍
︑ 達 磨 宗 の 研 究 を し て い る 筆 者 に と っ て
︑ 四 二 丁 左 奥 書 に 記 さ れ た
﹁ 大 日 本 国 特 賜 金 剛 阿 闍 梨
能忍﹂ の 一 文 は 極 め て 興 味 深 い 内 容 で あ る ︒ 真 福 寺 新 出 初 期 禅 宗 聖 教 中 の ﹁ 新 出 聖 教 断 簡 の 復 元 と 研 究
﹂ に つ い て は 和 田 有 希 子 氏 の 詳 細 な る 発 表 ︑ 及 び 執 筆 に よ る 紹 介 が
﹃ 資 料 集
﹄ 二 一 頁 か ら 二 三 頁 に 報 告 さ れ て い る ︒ 和 田 氏 の 報 告 に よ れ ば
︑ 全 体 の 構 成 は ︑ 二 部 に 分 け ら れ ︑ 前 半 は ﹃ 伝 心 法 要
﹄ ︑
﹃ 苑 陵 録
﹄ が 書 か れ
︑ 続 い て 四 二 丁 左 に は
︑ 次 の よ う な 奥 書 が 記 さ れ て い る ︒
﹁ 文 治 五 年 に 宋 に 渡 っ た 際 に 仏 照 禅 師 か ら 伝 授 さ れ た
﹃ 伝 心 法 要 ﹄ に は 先 段 が あ っ た が ︑ 後 段 が 無 か っ た ︒
︵大 日房
︶
能 忍 は こ れ を 広 め る 為 に 後 段
︵﹃ 苑陵 録﹄
︶ 仙石 山仏 教学 論集 第五 号 平成 二二 年四 月
二七
を ﹃ 廣 灯 録 ﹄ か ら 補 い 出 版 し た
︒ 出 版 の 費 用 は 尼 無 求 か ら 施 さ れ た
︒ ﹂
︵﹁文 治五 年︑ 遣宋 使帰 朝時
︑宋 国仏 照禅 師︑ 送遣 新渡 心要
︑有 先段 無後 段︑ 而奥 有此 伝心 偈等
︒已 上十 八行 二七 七字
︑此 是秘 本歟
︒大 日本 国特 賜金 剛阿 闍梨 能忍
︑為 弘迴 之︑ 広灯 心要 後段 了彫 継之 也︒ 後賢 悉之
︒彫 料浄 施財 者尼 無求
﹂︶
続 く 四 三 丁 か ら 四 六 丁 は 失 紙 と な っ て い る ︒ そ し て 後 半 四 七 丁 右 か ら 六 一 丁 左
︵中 欠あ り︶
ま で が 仮 名 交 じ り の 仮 名 法 語
︵ 以後︑今
︑私 に﹁ 真福 寺仮 名法 語﹂ と呼 ぶ︶
で あ る
︒ 成 立 年 代 は 不 明 だ が
︑ 和 田 氏 は 前 半 部 が 十 三 世 紀 前 半 か ら 十 四 世 紀 初 め ︑ 後 半 部 の 仮 名 法 語
︵底 本︶
は 十 三 世 紀 半 ば と 考 え て お ら れ る
()︒ 今 回 筆 者 は ︑ 断 片 的 で は あ る が
︑ 後 半 の 翻 刻 さ れ て い る ﹁ 仮 名 法 語
﹂ に つ い て ︑ 達 磨 宗 と の 関 連 を 視 野 に 入 れ 考 察 を お こ な っ た
︒ 一 ︑ 真 福 寺 新 出 仮 名 法 語
︵﹁真 福 寺 仮 名 法 語
﹂の
︶全 文 と 概 要
「
真 福 寺 仮 名 法 語
﹂ は 四 七 丁 か ら 六 一 丁 ま で あ る が ︑ そ の う ち 四 八 丁 ︑ 四 九 丁 ︑ 五 四 丁 ︑ 五 八 丁 が 失 紙 で あ る ︒
︵以 下︑ 原文
・翻 刻は 漢字 と片 仮名 まじ りの 問答 であ るが
︑読 みや すさ を考 慮し
︑文 章は なる べく 漢字 と平 仮名 に統 一し
︑濁 点を 加え
︑さ らに 片仮 名も なる べく 漢字 に変 換し た︒ 但し
︑不 明な こと ばは 片仮 名の まま にし た︒ また
︑訓 読不 能の 箇所 は□ で示 され てい るが
︑類 推で きる 場合 は右 横に
︹
︺で 示し た︒ 補っ たほ うが よい 文字 は︵
︶で 示し た︒ 引用 文及 び発 話の こ とば 等は
︽
︾で 括っ た︒ 会話 を意 識し 問答 の内 容を
﹁
﹂で 補っ た︒ 句点
︑読 点は 文脈 に即 して 変え たと ころ もあ る︒ 返り 点が ある 場合 には
︑訓 読文 に置 き換 えた
︒異 体字 は通 常の 字体 に書 き換 えた
︒︶
ま ず
︑ 四 七 丁 は ︑ 人 を 上 根
︑ 中 根 ︑ 下 根 に 分 け ︑ 今 は 下 根 人 の み で あ る が ︑ 坐 禅 を し て 心 を 静 め る こ と を 説 い て い
る ︒
真福寺 新出
﹁仮 名法 語﹂ に関 する 試論
︵古 瀬︶
二八
(
四 七丁 右)
胸の 中に 通り て︑ 目も 眠ぶ られ ぬ程 に︑ 胸中 朗 らか にな りた る人 に示 すこ とば 也︒ 今善 知識 の中 に 悪し く心 得た る人 は︑ 今知 られ ぬ事 も肝 に染 まず︑胸 中も 朗ら かな らぬ 人に 向て 尋ば
︑悪 しき ぞと 示す は︑ 人の 分際 を不 知也
︒下 根人 と申 ば︑ 不知 事の 肝に 染て
︑目 も眠 れざ る程 の事 も無 し︒ 知れ ぬ処 を心 に懸 むと すれ ども
︑事 に触 れて 易き 忘也
︒加 様ナ ント ノ人 は︑ 強い て心 を運 して 知れ ぬ処 を尋 て︑ 知ん と励 むべ き也
︒ 志し 懇ろ なる は︑ 必ず 悟る 也︒ 加様 に励 む人 の中 に︑ 中根 人様 に肝 に染 み︑ 目も 眠ら れぬ 程に なる 事も ある 也︒
(
四 七丁 左)
又下 根人 修行 する 一様 あり︒不 知事 の心 にも 染ま ざら むに は︑ 其尋 求る 事を も止 めて
︑一 向に 坐禅 をし て︑ 心を 沈む べし
︒心 閑な( ルまま り) ぬ() れば 必ず 悟也
︒此 二様 は何 れも 良け れど も︑ 坐禅 は万 人に 相応 した る行 也︒ 当時 の 人は 下根 人の み有 る也
︒下 根人
︑上 根︑ 中根 の人 の 様に 尋ず して
︑空 過何 益有 や︒
﹂問
︑﹁ 下根 人の 回光 真福 寺新 出﹁ 仮名 法語
﹂に 関す る試 論︵ 古瀬
︶
二九
返照 何様 にす べき ぞや
︒﹂ 答﹁ 閑り たら む時
︑物 の 音を 聞︑ 未だ 何に の音 とも 不知 時︑ 知り に行 心引 返︑ 此音 聞物 は︑ 何な る所 より 起る ぞと
︑尋 て見 る也
︒初 には 返さ れざ る也
︒さ れど も懇 ろに 心を 懸て
︑常 に守 れば
四 八 丁 ︑ 四 九 丁 は 失 紙 で あ る ︒ 次 に
︑ 五
〇 丁 右 か ら 五 一 丁 右 四 行 目 ま で は 九 品 人 に つ い て 述 べ
︑ 今 が ︑ 末 法 で あ り 禅 も 教 も 衰 え て い る こ と 嘆 い て い る
︒ (
五〇丁 右
)
申す べき 也︒ せめ ては 下品 の三 根の 中の 上根 の人 は︑ 禅門 の 人と も申 べし︒さ れば 古人 は︽ 直に 最上 根の 為に すべ し︒ 櫓底 を不 論︾ 云也
︒櫓 底と は愚 かな る人 なり
︒中 下 根の 人は 盲底 也︒ 不論
︑愚 かな る人 は︑ 善知 識の 目を 欠く べき にも あら ずと 申事 なり
︒加 様な る 事を 聞か ん人 は︑
︽我 は上 品の 人に もあ らず
︑下 品の 中の 上 根に も外 れた れば
︑宗 門の 修行 には 分タ〔け〕 隔︵ て︶ り︾ とて
︑ 退く 事不 可有
︒其 故は 此宗 門に 入人
︑其 品異 なれ ども
︑終 に同 じ台 に可 遊な り︒ 上品 の人
□〔は〕 自︵ ら︶ 本台 に遊 なり
︒上 根の 人は
︑一 押し に門 を破 り︑ 則ち 入て
真福 寺新 出﹁ 仮名 法語
﹂に 関す る試 論︵ 古瀬
︶
三〇
(
五〇丁 左
)
台に 遊︑ 中根 人は 門を 破り 得ず して︑門 の辺 に久 く立
︵ち
︶ 休ら うて 後に 門を 破り 開入 て︑ 台に 遊事 は只 同 事な り︒
︽宗 門は 頓門 とて
︑早 入を 本と する 故に
︑愚 か なる は善 知識 にも 棄て らる るな り︾ と申 す計 なり
︒﹂ 問︑
﹁上 品人 は何 人ぞ や︒
﹂答
︑﹁ 上品 人は 好世 に有 人な り︒ 好世 とは 仏入 滅後
︑正 法一 千年
︑像 法千 年︑ 末 法万 年な り︒ 正法 像法 の代 々を 好世 申也
︒禅 門の 祖師 天竺 の廿 八代 は正 法と 像法 との 始の 人な れば
︑上 品の 人な り︒ 唐土 には 像法 の半 に成 て︑ 達磨 大師 来て 禅門 を広 め給 しか ば︑ 其時 は上 品人 もあ りき
︒
(
五 一丁 右)
下品 人も 相交 て有 しな り︒ 今は 末法 悪世 と成 て 二百 年に 余り ぬれ ば︑ 下品 の人 の中 の上 根の 人 すら 無し︒何 か上 品の 人有 らん や︒ 禅も 教も 大乗 法は 三世 常住 にし て衰 うる 事無 し︒ され ども 人の 根は 世に 随て 衰う るな り︒
五 一 丁 右 五 行 目 か ら 五 三 丁 右 二 行 目 ま で は ︑ 根 の 衰 え た 仏 教 者
︵?
︶
に つ い て 述 べ て い る
︒ こ の 部 分 に つ い て
真福 寺新 出﹁ 仮名 法語﹂に 関す る試 論︵ 古瀬
︶
三一
は 後 に 詳 し く 考 察 す る
︒
され ども 人の 根は 世に 随て 衰う るな り︒ 智恵 無人 は大 乗の 行い つも 変わ らず と計 り聞 て︑ 人の 根の 衰た る事 を 不知 して︑邪 見起 す也
︒或
︵は
︶︽ 上品 人迷 ざれ ば︑ 悟云 事も 無き
︾を 聞て
︑我 身の 深く 迷へ るを 不知 して
︑︽ 迷無 く悟 を無
︾と 思ふ
︒是 は迷 の上 に迷 を重 て︑ 無間 地獄 に堕 べき 邪 見な り︒ 或は 修行 可悟 とは 知た れど も︑ 我身 下品 にし て
(
五 一丁 左)
中上 根の 人の 如く に︑︽始 より 無心 無念 の心 して は行 して 可悟
︾思 へり 有︒ 是戒 禁執 見□〔し〕
て︑ 悪道 に堕 邪見 なり
︒是 面の 邪見 者に は近 人も 罪を 可得ウ るな り︒ 国境 をも 可追 出す 也︒ 可悲
︑代
︑既 に末 法に 下り ては
︑万 ず 悪事 有也
︒今 時才 覚を 以て 善知 識立 人多 其見 処を 探り 見れ ば︑
︽心 に知 られ ず言 端() 及ば ざる 処を 実と の心
︾と 思り
︒加 様な らむ 見解 は︽ 老子 の智 を 棄て 聖を 絶す()
︾と 云て
︑︽ 思想 分別 の心 起こ らざ れ︒ 神明 自然 也︾ と云 には
︑何 の頭() 又有 らん や︑ 浅猿 き
真福 寺新 出﹁ 仮名 法語
﹂に 関す る試 論︵ 古瀬
︶
三二
事也
︒又 一類 の見 解あ り︒
︽仏 法と も不 思︑ 世間 の法 とも
(
五 二丁 右)
不思︑我 人ぞ 善悪 しな むと も不 思︑ 又加 様に 万 思は ぬ所 こそ よけ れど も不 思︑ 只少 無物 寒し
︑空 腹() より 外に は知 る事 も無 き様 に︑ 自然 に色 を見
︑声
□〔を〕
聞ど も︑ 其に 移ら ず︑ 性に 任て 明し 暗す
︒生 死と 立ど も 不恐
︑菩 提と 立ど も不 願︑ 又我 云事 をも 忘た れば 命も 不惜
︑腹 不立
︑万 の物 も不 惜て
︑是 に勝 たる 楽︑ 何事 か有 るべ きな んと 思へ り︒
︾是 は自 然外 道見 也︒ 又平 生無 事見 とも 申□〔す〕
也︒ 此輩 等 為中 に極 めて 多し
︑又 是な らぬ 見解 を不 可注 尽︒ 是等 の見 解あ る人 に向 ひて
︑唯 今声
□〔を〕 聞物 は何
(
五 二丁 左)
より 出来 ぞと 問ば︑様 々に 狂い
︑答 る物 の有 とも 実に 知る 人ト 一人 も無 し︒ 百丈 禅語 の言 葉に は︑
《
霊 光□〔獨〕照し て遥 に︑ 根塵 を免 れた り()
︾と 云也
︒ 霊光 とは 声聞 物の 源也
︒根 塵を 免が れた りと は 未声 聞物 伴な らざ る所 也︒ 霊光 を不 見 程は 何と 心得 たり ども
︑皆 そぞ ろ事 也︒ 又そ ぞろ なる 真福 寺新 出﹁ 仮名 法語
﹂に 関す る試 論︵ 古瀬
︶
三三
見解 を発 して
︑︽ 我は 霊光 を見 たり
︑悟 たり
︒不 審 無し
︾な んと 云人
︑世 中に 多し
︑又
︽心 源は 都て 知ま じき 物也
︒眼 の己 を不 見︑ 指の 己に 触れ ざる が如 し︾ と云 人も 有り
︑皆 当た らぬ 事也
︒只 実あ らむ 人は 励み
(
五 三丁 右)
修行 して 実処 解て 後︑ 諸の 見解 を見 て払 う べき 也︒次 の 五 三 丁 右 三 行 目 か ら 五 三 丁 左 最 後 ま で は
︑ 初 心 者 に 説 く 修 行 中 の 病 に つ い て で あ る ︒ 続 く 五 四 丁 が 欠 け て い る の は ま こ と に 残 念 で あ る ︒
一︑ 実の 志し 起て 修行 する に病 とな る事 あり︒病 多 けれ ども
︑先 ず二 の病 あり
︒一 には 着意 の病
︑二 には 忘 懐病 也︒ 着意 病と 申は
︑尋 求事 の切 にし て久 なれ ば 心漬 けり てほ れぼ れと なる 也︒ 心清 悟は 開べ きに ほれ ぼれ とあ れば 悪し き也
︒此 病有 知は 譬求 る 心を 止め て︑ 心ゆ るゆ ると 成て 可有 也︒ 譬へ ば細 工□[を]
する 人の 余り に久 く俯 き入 てす れば
︑心 尽き て 何と すべ きと も覚 ぬな り︒ 左様 なる 時に は︑ さし
真福 寺新 出﹁ 仮名 法語
﹂に 関す る試 論︵ 古瀬
︶
三四
(
五 三丁 左)
置て︑心 を遊 ば□[せ]
ん︒ 心明 に成 て笑 み成 る心 出来 る 如し
︒忘 懐の 病と 申は
︑懇 ろに 修行 する 程に
︑俄 に 胸中
□空 く成 て尋 求る 志し 無く しゆ く也
︒此 病有 時︑ 心を 励ま して 可尋 求也
︒中 根人 の 胸の 中朗 らか にな りた るも
︑此 忘懐 に似 たれ ども 疑肝 に染 み︑ 骨に 通り たる 間︑ 目も 不眠 久く 食せ ざれ ども
︑食 せば やと 思ふ 心も 忘る る也
︒忘 懐の 人は そぞ ろに 眠を して ほれ ぼれ とな る也
︒ 一︑ 疑と 申事 品々 有ど も︑ 今修 行の 人の 疑と 申ば 知れ ぬ事 の不 審無 きを 疑と は申 也︒ 譬へ ば□
五 五 丁 右 か ら 五 七 丁 左 ま で は 坐 禅 中 に 何 を 心 懸 け る か を 説 い て い る
︒ 五 七 丁 左 七 行 目 に ﹁ 栗 原 女 房
﹂ の 文 字 が あ る
︒ こ の 法 語 が 在 家 の 女 性 に
︵ も
︶ 語 っ て い る こ と が 理 解 で き る
︒ (
五 五丁 右)
れど も︑ 其度 罪を 作て︑又 三悪 道に 落也
︒是 等は 皆夢 にて 有る なり
︒悟 て見 れば 六道 の中 に有 し事 は 皆空 き夢 にて 有け り︒ 眠夢 見時 は︑ 其の 夢の 中の 真福 寺新 出﹁ 仮名 法語
﹂に 関す る試 論︵ 古瀬
︶
三五
事を 皆実 との み思 ども
︑覚 めて
︻盤 イ本
カム サシ ノシ ム也
︼︻ ヒト ヨロ イ也
︼ 見皆 空事 なり
︒其 様に 我等 が迷 の中 には 万の 事を 皆 実と 思へ ども
︑悟 て見 ば一 も実 なる 事は 無也
︒只 眠た る 時見 る計 りを 夢思 ひて は︑ うつ つに 有事 をば 実と 思は ば叶 へ事 也︒ うつ つに 有事 も皆 夢に て有 る 也︒ され ば︻ カネ ノハ コ也
︑︼ 昔の 人の 歌に は︑
︽見 し夢 をな には 悲し と思 ひけ む︒ 覚む るう つつ もう つつ なら ねば()
︾と
(
五 五丁 左)
読め り︒ 是は うつ つも︑皆 夢知 人歌 なり
︒さ て此 夢 をば 何に して 覚ま すべ きぞ と申
︵す
︶に
︑迷 てさ まざ まの 夢を 見も 我心 なり
︒覚 めて 昔の 事は 皆夢 なり けり と知 も我 心也
︒さ れば 夢を 覚ま さん と思 ば︑ 我心 を 可知 なり
︒何 様に して 可知 ぞと 申に
︑先 づ心 を 閑む べし
︒よ く心 の閑 まり たら む時
︑声 を聞 事 有ら ば︑ 声の 方へ は心 を遣 らず
︑声 を聞 物は 何様 な る物 ぞ︑ 又何 なる 所よ り出 来た るぞ と︑ 可尋 也︒ 都て 不知 なり
︒さ れど も︑ 其知 られ ぬ所 に心 を懸 て︑ 夜 昼眠 ても 起き ても
︑不 忘れ 可尋
︒加 様に すれ ば俄 に
(
五 六丁右
)
真福寺 新出
﹁仮 名法 語﹂ に関 する 試論
︵古 瀬︶
三六