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イギリスの社会保障及び福祉の現代化

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イギリスの社会保障及び福祉の現代化

樫 原 朗

■アブストラクト

サッチャー時代の終わりに福祉国家の終焉がいわれた。幾回もの総選挙に 大敗した労働党は旧労働党の考え方を捨て,新労働党として新しい考え方の もとに建て直しを考えた。それが福祉国家の再形成であるが,ブレアなどの 求めたものはニューライトの考え方でも旧労働党の考え方でもない 第三の 道 であった。そして単なる福祉ではなく 福祉から就労へ をかかげた。

それがニューディールであった。そのための制度の合理化などを 現代化 と呼んだ。社会保障・福祉などの対策の文献には 現代化 や 新 がつけ られた。それは考え方を基本的に変えるものであった。有給の就労を奨励し,

障害等のために働きえない人に社会保障を提供すべきだと考えた。社会保障 等は単に 権利 ではなく 責任 をともなうとの考え方をうちたてた。そ の一方で,収入の少ない人や働いているが,貧困な人や児童に租税クレジッ ト(Tax Credit)を与えることとした。

■キーワード

現代化,権利と責任のバランス,条件つき福祉国家

福祉国家の現代化

1997年のイギリス労働党の選挙綱領は福祉改革の政党になるであろうとい

*名誉会員。

平成22年2月20日の日本保険学会関西部会報告による。

/平成22年3月24日原稿受領。

(2)

った。綱領のブレアの序では,政策の各々の領域での新しいアプローチが精 密に描きだされた。その考え方の中心は旧左派及び保守党の右派とも違った ものであった。そしてそれこそが新労働党の第三の道であった。1997年の国 会での最初のスピーチで,ブレアは福祉改革のための十字軍を始めたといっ た。労働党は 大きな考え (big idea)として,年に900億ポンドの福祉制 度の改革のことを述べた。そして新労働党は1997年に 重要なことは働くこ とである (what counts,what work)といった。それは伝統的な左翼の 国家の流れとも異なる 第三の道 をとることであるとした。選挙の後,15 カ月を経過したとき,ブレアは労働党は保守党が15年でやった以上の改革を 15カ月で完成したといった。そして1998年11月の女王の演説で,行われてい る改革は多年の間の公的サービスの変化の最大のプログラムであったと主張 する。その現代化のプログラムは選挙の翌日の5月2日に始まったといった。

その後の選挙綱領はこの早いペースが続くことを約束した。2001年の選挙 綱領は主要な目標は以下のことであるといった。すべてについての繁栄,世 界的なクラスの公的サービスの拡充,現代的な福祉国家,そして強く安全な コミュニティであった。公的サービスの拡充と改革は綱領の核心であった。

2005年の綱領はイギリスは良い方向に変化したといった。というのは,労働 党が福祉改革と現代的な福祉国家を含めて,1997年と2001年の約束を成就し たからである。2007年にブレアと交替して首相となったブラウン(Gordon

Brown)は労働党大会の演説で 公的サービス の変質の次の段階につい 

て述べ,ブラウンの新年のメッセージは 2008年は真のそして重大な変化の 年になるであろう と主張した 。

現代化の 書と現代化の意味

1999年に政府は 新千年期のためにわれわれの国を新しくして,現代化す る使命を有している (1999年内閣局において引用)とし, 現代化は政府の

1) Edited by Martin Powell(2008)Modernising the  Welfare State : The Blair legacy, policy press,p.2.  

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認証極印 (hall mark)であると主張した。ブレアとドイツのシュレーデ ー(T.Blair and G.Schroder)は 租税と支出 の抑制は公的セクター の 急 進 的 な 現 代 化 と 資 金 に 対 す る 一 層 良 い 価 値 (better value for

money) 変化に対する新しいプログラムを達成するために急進的な変化 

を主張した。

1997年以来,まれにみる程多くの政府関係の文書が発行されたが,それに は 現代的な か, 新しい がついていた。すなわち 新しいNHS:現 代 的 な,頼 り に な る (Department of Health(1997)The new  NHS:

Modern,dependable), ソ ー シ ャ ル サ ー ビ ス の 現 代 化 ,(DH (1998) Modernising social services), 精神衛生サービスの現代化 (DH (1998) Modernising mental health service), 現 代 的 な 公 的 サ ー ビ ス (Her Majestyʼs Treasury(1998)Modern Public Services  ), 現代的な地方政

府 (Department of the Environment,Transport and Regions(1998) Modern local government), わが国に対する新しい野望 (Department of social security(1998)New  ambitions for our country  ) で あ る。な

お,NHSに つ い て は2000年 の ホ ワ イ ト ペ ー パ ー NHSプ ラ ン (DH (2000)NHS Plan)においてNHSは労働党政府によってかつて企てられ た 現代化の最大の行為であった とした。

しかし,現代化の意味の説明あるいは概念規定はなされなかった。政府そ の他の現代化は保守党あるいは労働党により使われることはあったが,これ ほどのことはなかった。フィンレイソン(N.Finlayson)は もし新労働 党の社会的及び政治的プロジェクトの真髄をとらえる単一の言葉があるとす れば,それは 現代化 である といっている 。

パウエル(M.Powell)は 伝統的な目的を現代的な手段によって達成 する現代化のテーマは第三の道に中心的である といった 。

2) A.Finlayson(2003)Making sense of New  Labour,Lawrence and Wishart,p.66.  

3) Edited by M artin Powell(2002)Evaluating  New  Labourʼs welfare  

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いずれにしても現代化の意味は不明瞭であった。ペイトンによれば,新労 働党のイデオロギーの明白な部分は二つの意味で派生している。第一はそれ はそれ自体価値に基づくものではなくて政治的戦略の命令(dictates)から 派生している。第二にこの戦略はアメリカ合衆国のクリントンのキャンペイ ンから派生している。ブレアのプロジェクトは二つの反対の極みにあるもの の間を それが何であるかによるのではなく三角形にすることを求めた。

第三の道の考え方はアメリカのクリントン大統領の考え方と相通ずるもの であった。クリントンは共和主義のみならず,伝統的な 租税―及び―支出 の民主党の政策 をも拒否した。ブレアのプロジェクトはサッチャー派の保 守主義のみならずブレア派が旧労働党をそう呼ぶようになったところのもの,

社会民主主義をも拒否した。こうしたところに結びつく。

ところで,この用語の現在の使用は一般的にギデンズ(Anthony Gid- dens)の著述(The Third Way)とアメリカのビル・クリントンの民主党 の運営とイギリスのブレア新労働党と結びついている。その意味で第三の道 は新しい社会民主主義あるいは進歩的ガバナンス(progressive govern- ance)と代替的に使われうる便宜なラベルであった。第三の道の提唱者は それが伝統的な社会民主主義及びネオリベラリズムから区別されたものと主 張するが,それは更新されたあるいは現代化された社会民主主義であること を強調する。第三の道に対する研究は旧左派及びニューライトから区別され た三分法で始められねばならない。もっともある種の批判家は第三の道は基 本的にネオリベラリズムであるとして二分法を見出す。ブレアとギデンスは 第三の道は合衆国とアメリカ経済のダイナミズムと欧州の社会的内包という アメリカ合衆国と欧州大陸の最上の特徴の結合をあらわすと主張した。

経済的及び社会的変化は今日の世界ではもはや働かない旧い政策に新しい 政策がとってかわらねばならないことをいった。しかし,その後,欧州諸国

reforms,Policy Press p.12.

4) Calum  Paton,The NHS  after 10  years of New  Labours,edited by Martin Powell,ibid.,p.30.  

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では政権が変わった。その意味でイギリスは例外であった。新労働党は福祉 国家を現代化する真剣な企てをした 。

ところで,労働党のブレア以前の党首であるスミス(John Smith)によ る社会正義委員会(Social Justice Commission)に言及されることはあま りなくなったけれども,1997年以来の労働党政府は政策改革のための彼らの 処方箋の多くを追随していた。ことにそれらは社会及び福祉政策のための第 三の道を明らかに擁護していた。この考え方は経済発展と社会正義をするに 際し,国と市場の異なった役割の間の適切なバランスを確保することを求め ることを基礎にしていた。そしてすべてに対する改善された公的サービスが 貧困であり困窮していると認められた者に対する目標を定めた支援により補 足される漸進的普遍主義(progressive universalism)―それを最も必要と している者に対する追加的援助を結びつけた基礎的普遍的支援―の新しいモ デルを促進することをも基礎にしていた 。

さらに, この第三の道は社会的排除の一層広いかつ多次元な考え方を擁 護すべく貧困自体の問題の再定義と資源を再分配し,かつ公的サービスを改 善する構造改革ならびに彼らのライフチャンスを改善する機関(Agent)に 対する奨励と支援を結合することを求める社会保障と目標を定めた反貧困行 動へむけての新しい政策の発展をも含む。

政府はことに有給の雇用,すべての市民の参加と能動化を通して社会的内 包(social inclusion)を促進することにより貧困と闘うことを求めた。

労働党政府の社会保障の改革はことに雇用の促進と将来の変動する所得の リスクに対応するための国家の支援に焦点をあてた。 そして社会的排除と 闘うべき地域ベースのプログラムのそれらの発展は,彼らの生活を改善し,

5) M artin Powell,Third W ay Perspective,edited by Pete Alcock, M argret M ay and Karen Rowlingson(2008)The Student Companion to Social Policy,3 edition,p.92. 

6) Pete Alcock (2006)Understanding Poverty,third edition,palgrave, p.257.

7) Ibid.,p.257.

(6)

将来の剥奪の彼らのリスクを削減するサービスの発展と提供においてコミュ ニティと市民参加に基づいた。すべてのケースにおいて,その目標は政策の 中心的な目的(goal)として平等よりも構造と機関(agency)をバランス させるとともに内包を求めることであった。

しかし,新労働党の姿勢は政権期間を通じて必ずしも同一であったかは疑 わしい。パウエルはその性格は変化したと思われるとしている。そして新福 祉国家はまだ進歩している。しかし,反面,その核は受身よりも能動,所得 よりも機会の配分,国家統制主義者よりも多元主義者,提供よりもイネブリ ング,無条件よりも条件付き,平等主義的よりも包括主義的であるとする 。

ところで,2000年代に入って 第三の道 が真に福祉提供の新しい哲学に 基づいているのか,あるいは提供と組織の異なった混合が特殊なとき,また は異なった特殊な事情で支援されうる単なる選挙上のプログラマティズムで ある範囲についてますます議論されるようになってきた。しかし,アルコッ ク(Pete Alcock)は労働党のもとでのイギリスの政策展開の魂を入れたよ うに思われる幾つかの鍵となるテーマを確認することは可能であるといって 以下のことをあげている。

・消極的な福祉から積極的な福祉への移行―市民は福祉ニーズを計画し,

満たすための何らかの責任を引き受けるべきだという期待

・基礎的な水準が維持されることを保証するために,監査と検査を伴って,

国による自動的な提供よりは異なった提供者によるサービスの基金に焦 点をあてる

・福祉について消費のニーズ及び選考あるいは選択に焦点をあて,一律の,

そして等質の(undifferentiated)サービス提供の拒否

それ以上に他の大政党すなわち保守党によっても認められている。新リー ダー,キャメロン(David Cameron)のもとで,保守党の政策計画はサッ チャー時代のニューライトの考え方を拒否し,明らかに公的福祉提供の継続

8) Ibid.,pp.257‑8.

9) Edited by M.Powell,ibid.,p.70,pp.184‑5.

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を擁護した。ただし,これは変化する福祉ミックスのなかで消費者が欲する ものを提供できる場合のみである 。

社会保障の再形成

社会保障の再形成は新労働党の 第三の道 の協議によっても影響された。

第三の道は労働党を政治的にもとの状態にもどす修辞的な方策であり,保守 党のみならず, 旧 労働党から区別するものであった。福祉改革のグリー ンペーパー わが国にとっての新しい野望 の序でブレアはいった。

第三の道を述べる:福祉を改訂するのではなく,それを困窮者に対する 低級のセーフティネットとして単に残すのではなく,それを改革せずにそし て水準以下にパフォームするのではなくて,市民と国家の間の新しい契約の 基礎の上に改革する。そこでは福祉国家はそこからわれわれすべてが利益を 得るのが公正で明瞭である条件である。

もう一つの改革を促進するものはブレアが言ったように 経済的失敗の費 用を削減すること すなわち社会保障支出の成長を削減するか抑制すること であった 。

・1996‑7年に社会保障はすべての公的支出の32%に達していた。2005‑6年 のそれは年あたりおよそ1400億ポンドですべての政府支出の三分の一の 少し下で保健と教育支出を合計したものとほぼ同じであった。これはす べての女性,男性,児童に年2300ポンドの支出をあらわすものであった。

・イギリスの世帯の70%は少くとも一つの社会保障給付を受けていた。就 労年齢世帯の13%は鍵となる仕事のない給付(out of work benefit) を受けていた。

・扶養児童の6人に1人は所得関連給付としてセーフティネット給付,所

10) Pete Alcock(2008)Social Policy in Britain,3 ed.,palgrave,pp.10‑

11.

11) Department of Social Security(1998)New  ambitions for our coun- try : A  new  contract for welfare,p.v.

(8)

得補助(日本の生活保護)を受けていた 。

最大の支出に責任のある給付は退職年金,所得補助,年金クレジット,障 害 生 活 手 当(Disability Living Allowance),就 労 不 能 給 付(incapacity

benefit)であった。一方で国民保健サービスはサッチャー時代に増加を抑 

制された。社会保障支出を削減するのに成功することが保健と教育への支出 を増やすことを可能にする方法とみられた。ことに働くことなく,医療の証 明で就労不能給付を受ける人の急増を抑制する方法を見出すことは重要であ った(2008年に新法を制定)。

1 1997年以来の福祉改革の中心的なテーマ

新労働党の社会保障改革を通ずる最も重要なそして持続的なテーマは有給 雇用を中心とすることであった。これは 働くことのできる人は就労を,出 来ない人は保障を (DSS (1998)New  ambitions for our country)とい う政府の呪文に反映されている。政府は 就労の論理を巡って社会保障を再 建すること が必要であると論じた。そして 福祉から就労 を目指すニュ ーディールすなわち,若年失業者に対する,25歳以上の年齢の失業者に対す る強制的なニューディール,一人親,障害者などに対する任意のニューディ ール,その他地域に対するものが次々に打ち出された。

有給の雇用は道徳的潜在要素を有する。しかし,同時に就労は貧困から脱 却する最も確実なルートであるという見解をも反映している。新労働党は人 びとが就労に戻るのを助けられる能動的な福祉制度を創ることが重要である と考えた。人びとが就労へ向かうことは当然,社会保障費を削減する。しか し,同時に,就労して収入を得たとき,税金などが徴収されて,実収入が福 祉を得ているときより減少するという 貧困の罠 (Poverty trap)に陥る

12) Stephen M ckay and Karen Rowlingon,Income M aintenance and Social Security,edited by Pete Alock,  M argaret M ay and Karen Rowlingson(2008)The Studentʼs Companion to Social Security,  3 edi- tion,Blackwell publishing,p.304.

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のに様々な対策を講じなければならなかった。

人びとに就労へ向けての手段をとるのを求めるのと引き替えに,仕事を得 た人が財政的に裕福になることを保証することを求めた。国民最低賃金

(National Minimum  Wage―1999年)(2005年から16‑17歳に拡大)そして 2003年の就労租税クレジット(Working Tax Credit―その前身はWork- ing Families Tax Credit)は給付を請求するよりも有給の就労で人びとが 豊かになることを保証するための中心的な手段であるとみた。一方,多くの 他の対策が雇用への移行を容易にするのを助けるために導入された。

労働年齢のクレイマントに対するJobcentre Plusは給付と求職サービス を提供する機関であり,国の年金年齢を超えた者に対する年金サービスは年 金サービス(Pension Service)が扱う。Jobcentres Plusと社会保障給付 事業所の再構築は働くことの出来る人に対する就労と働くことの出来ない者 に対する保障の哲学を強化するのに役立った。同じことは社会保障省の就労 及び年金省への名称変更についてもあてはまる。

なお,2006年1月に公表されたグリーンペーパー 福祉に対するニューデ ィール:人びとに働くよう力を与える。 (Department of Work and Pen- sions(2006)A  New  Deal for Welfare: Empowering People to Work Cm 6730)は雇用率に相当するものを就労年齢人口の80%に相当するもの 

にする目標を定めた 。

⑴ 就労不能給付を受けている人の数は1979年から1997年の間に殆ど200万 人増加した。クレイマントのほぼ4分の3は2年以上就労不能給付を受けて いる。就労不能給付を受けている人は2005年5月までの年に4万人以上低下 した。それ以上のことをする必要がある。目標を達成するために,就労不能 給付を受ける数を100万人削減する。

⑵ 就労する高齢者(55‑64歳)の数を100万人増加する。

⑶ 就労する一人親の数を30万人増やす,その雇用率を70%に引き上げる。

13) Department for work and pensions(2006)A  new  deal for welfare:

Empowering people to work,p.18.

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これは野心的な目標であった。新労働党は働くことが期待できる者と期待 できない者の間の境界を描き直そうとしていた。グリーンペーパーは われ われは健康状態及び障害のある人,扶養児童のある女性及び老齢者は働くこ とができない。あるいは働くことを欲しないという仮説に挑戦しなければな らない といっていた。そして,新しいタイプの福祉国家は21世紀に適合す ることが必要とされている といっていた 。

その理由の一つは, 今後2年後,国の年金年齢以上の人は初めて児童の 数を上回る ことにあった。 改革された給付制度は逆のインセンティブを 取り除き,権利と責任をバランスさせ,働くことのできる人に対する就労へ 戻る援助を働くことのできない者に対する支援と結合する。

2 働くことの出来ない者には保障を

就労が可能な人は就労が望まれたが,働くことが出来ない人には財政的保 障が提供されるべきであることは1998年のペーパーでふれられていた。

問題は失業者である。幾人かのコメンテイターは 働くことの出来ない人 に対する保障 は失業者を含むと考えていたようである。問題は働くことが できるが,ドール(dole―失業手当等)を受け取っている者であった。2005 年 の 政 府 の 文 書(DWP (2005)Department for Work and Pensions five year strategy: Opportunity and security throghout life  )では障害,

介護責任あるいは老齢であれ,働くことの出来ない者に対する保障を提供す る約束にふれていたが,偶発事故のリストには失業を含んでいない。

政府は年金受給者の貧困に取り組むために多くのことを行ったが,働くこ との出来ない人のグループに対し財政保障を提供する手段をとるのにそれほ ど積極的ではなかった。

給付水準は重度障害者に対しては増額されたけれども,虚弱者,疾病者,

障害者の面倒をみているインフォーマルケアラーは比較的に無視された。も

14) Ibid.,p.19.

15) Ibid.,p.19.

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っとも彼らの年金資格の重要な変化は以前の国の所得比例年金(State Ear- nings Related Pension)を国の第二年金への入れ替えがなされ,所得比例 給付におけるケアラーの加算(carerʼs premium)は増額された。

3 貧困に取り組む

1999年のブレアのベヴァリジ記念講演での 20年以内に児童の貧困を廃絶 する との発言は,彼が前保守党政府により計画されていた一人親に対する 給付の削減で先行されていただけに驚きをもってむかえられた。

新労働党政府は一人親に対する給付の1997年の削減を上回る児童に対する 財政的支援の実質的増額をした。児童に対する財政支援は2004年の報告によ ると1997年以来,104億ポンドで実質的に72%増であった。2003年の児童租 税クレジット(Child Tax Credit)と新児童トラスト基金(Child Trust Fund)は新労働党が漸進的普遍主義(progressive universalism  )―すべ

ての家族に対して援助を,そして彼らもそれを最も必要としているとき,そ れを最も必要な者に対する一層の援助を提供する―にもとづくものであった。

その結果,家族の大多数は児童租税クレジットに資格があることになるが,

低所得家族は富裕者より高額の資格があることとなる。2003年の予算に続い て設置された児童貧困の検討は児童に対する新しい財政支援の大きなイニシ アティブは何ら含まなかったが,若年層に対する財政支援の別個の検討の成 果は2004年の児童給付の拡大であった。1999年4月に第一子の率について相 当な引き上げがあったが,それ以来,物価にしたがって上昇しただけであっ た。それは無給の仕事をベースにした訓練を受ける16‑19歳に対し児童給付 を払い教育訓練を終わる19歳にも払う規定を含む。

新労働党は低所得年金受給者に支払われる資力調査のある社会扶助給付を 増すとともに二度名 称 を 変 更 し た。2003年 に 年 金 ク レ ジ ッ ト(Pension Credit)が導入された。これは最低限所得保証(Minimum  Income Guar- 

antee)制度のもとで,支援から彼らを排除した民間あるいは職域年金を有

する者への資力調査のある補足を提供する。現在,年金クレジットの保証ク

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レジットguarantee credit 部分を請求する単身者に対する最低限所得は 1997年に週69ポンドから2005年4月に109ポンドに上昇した。対照的に定額 の基礎国家年金(Basic State Pension)はそれよりも一層少額しか引き上 げられなかった。政府は年金受給者の貧困に取り組むのに一層資力調査に依 存していると批判されたが,それでも2005年の5年戦略によると絶対的貧困 に生活している年金受給者は180万人減少していた。基礎国家年金よりも資 力調査のある年金に焦点をあてることにより,最も貧困な年金受給者が最も 利益を得ることを保証したが,その大多数は女性であった 。

サッチャー時代以来,資力調査のある給付が着実に増加してきた。資力調 査への過大な依存についての懸念をやわらげるために,政府は混乱を減少す ることにより,そして恥辱の可能性を最小限にすることによりギャランティ の捕捉(take up)を増すことを試みた。

児童のある家族と年金受給者に対する財政的支援の改善は相当量の所得再 分配を結果したという。ただ,政府はこれが保証したであろう認識を労働党 の支持者から受けなかったという。おそらくそれは殆ど人目につかぬよう

(by stealth)にやり,所得の最高税率の象徴的な重要な増加を招かなかっ たためであろうという。しかし,この再分配は児童のある家族や年金受給者 に利益をもたらしたけれども,給付で生活している児童のない人々の所得を それほど上昇せしめなかったとケンプ(Peter A.Kemp)はいう 。

4 就労への具体的な政策

全体として社会保障のために有給の就労(paid work)の役割と一層一般 的に経済的関心に非常に重点が置かれた。ケンプ(Peter Kemp)は新労働 党のもとでの社会保障を 就労に焦点をあてた給付制度 になったと述べた。

16) Peter A.Kemp,Social Security and W elfare Reform  under New Labour,edited by M artin Powell ,Linda Bauld and Karen Klark (2005)Social Policy Review  17,policy press,p.19.

17) Ibid.,p.20.

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その重要な具体的な計画を述べると以下のとおりである 。

・ことに若年失業者(Young unemployed)と一人親に対する様々なニ ューディール(New  Deals)を通じて福祉から就労(welfare―to―

work)のプログラムの導入

・20年以内に児童の貧困を終焉する約束(1999年になされた)へ確実なス タート(Sure Start)を通ずるなど,サービスの地域をベースにした 目標の設定

・就労及び年金省を通じて提供される就労中(in work)給付の内国歳入 庁(現 在 のHer Majestyʼs Revenue and Customs)を 通 じ て 提 供 さ れる租税クレジットで置きかえる。

さらに近年,有給の就労の奨励は以前の75%以上の80%雇用率の奨励への 熱望として表現された。そうすれば若年失業者や成人失業者に対して具体的 にどういう対策が行われたであろうか。失業し一定期間失業給付などを受け ると,それぞれの個人に個人的なアドバイザーがつき,一定期間ごとに個人 的なアドバイザーから呼び出しを受ける。呼び出されたものはインタビュー に応じなければならない。個人的アドバイザーは種々就労への相談と指導を 行う。それにはオプションがあり選択可能である。

21世紀のイギリスの社会保障の原理の確立

今世紀の就労及び年金省の福祉改革のグリーンペーパーの強化に関して,

社会保障の原理に関する重要な議論があった。そこで2005年頃の議論,政策 変化との関係等をみておこう。

労働党政府は貧困への取り組みを改革の中心に置き,所得の移転が労働市 場の目的を支援するのに使われる範囲を増すことにより,社会保障の役割を 強調した。

18) Stephen M ckay,Laying new  foundation? Social security reform  in 2006,edited by Karen Clarke,Tony M altby and Patricia Kennett (2007)Social Policy Review  19,policy press,p.109.

(14)

2005年は福祉改革のグリーンペーパー(2006年に就労及び年金省により発 表される)の秘密の作業と関連した社会保障の原理の重大な議論をみた年で ある。2005年10月,ブランケット(David Blunkett)は福祉改革のための 8原則を特記した 。(⑧は省略)

①提供することにより自分自身を助けるよう援助する。

②福祉から脱却する最良のルートとして就労をみる。

③理解を促進し,人々が彼ら自身で情報を得て選択するようにせしめる。

④権利と責任とをバランスさせる。一方支援と適切な場合ケアのニードを 認める。

⑤われわれの相互の依存(interdependence)及びお互いの義務を認め世 代間の連帯の促進,急速な経済的社会的変化に人々が対応するのを援助 するために政府の資源を使うことの重要性を認める。

⑥国の役割が能動的で解放的でイネイブリングであることを保証する。

⑦貧困の根本原因に対応し,世代間の不利益と排除を克服する。

1 労働市場の促進,ならびに権利と責任の問題

1997年以来,労働党は一貫してワークファースト(work first)政策を追 求した。そして貧困に取り組むために労働市場への参加を増すこと(若年失 業者,長期失業者,一人親の雇用率を増すこと,そして一人親については 公的サービス協定 (Public Service Agreement―PSA)を通じて当時の 74.9%よりもかなり高い80%の雇用率達成を目指した 。

もう一つは 権利と責任 の問題である。1995年にブレアは 義務はつつ ましい社会のすみ石である。それは権利が与えられる文脈を規定する。…わ れわれが受ける権利はわれわれが負う義務を反映すべきである といっ

19) Paul Dorman,Social security policies in 2005,edited by Linda Bauld,Karen Klarke and Tony M altby  (2006)Social Policy Review 18,policy press,p.88.  

20) Ibid.,p.91.

(15)

た。 同様に,新労働党の福祉政策の内容はその最初の巨大な表明である福 祉改革のグリーンペーパー わが国の新しい野望 (1998)によって個々の 市民と国家の間の福祉契約の現代化によって達成するべきだと直接的に述べ られた。そしてその後の多くの政策は社会権とひきかえに受け入れられねば ならない責任の詳細を述べるのにかかわっていた。もちろん,社会福祉に対 する市民の権利は個人の責任にリンクすべきであるという考えは新労働党に 始まるのではない。1942年のベヴァリジ報告でも意識されていたし,保守党 はその考え方の推進の元祖であったし,再出発のインタビュー(restart intervlew)など行われ,サッチャーやメジャー首相のもとでは1989年の社 

会保障法及び1995年の求職者法(Jobseekerʼs ACT)で強化された。

その後,新労働党は福祉の闘技場において条件性の原理を道具として適用 をみた。そしていわゆる以前の受け身の福祉国家から能動的な福祉国家への 移行への手段となった 。そして1997年以来,若年者及び長期失業者に対す る権利と責任のリンクはニューディールのなかで明確に定義された。21世紀 に入り(ことに2005年の社会保障の原理の確認にあるように)権利は労働市 場介入をめぐる最良の増加とHMRCが重大な裁量権を有する租税クレジッ トにより幾つかの重要な方法で侵害されたといえよう 。

2 2006年からの改革

2005年から2006年にかけて就労及び年金省に3人の大臣―ジョンソン

(Alan Johnson)ブ ラ ン ケ ッ ト(David Blankett)及 び ハ ッ ト ン(John Hutton)―が就任していたが,ハットンは2006年を通じて重要な役割を果 

たすこととなった。彼は二つの特に重要な領域―年金と児童扶養―の改革に 取り組んだ。これらは社会政策の全領域おける最も困難な挑戦の二つであっ

21) Peter Dwyer,The conditional welfare state,edited by M artin Powell(2008)Modernising the welfare state,  p.199.

22) Ibid.,pp.199‑200.

23) Dorman,ibid.,p.88.

(16)

たという。2006年になされた改革は過去からの根本的な離脱を意味するもの であった。2006年重要なグリーンペーパー 人々が働くように力づける

(Empowering people to work)という副題の報告書が出された。

年金改革については既に別稿で述べているので,基本的には省略しよう。

長らく予期された政策方向の陳述は給付受給者の就労への復帰を早めるこ とを意図した。それは一般的には(失業している求職者と異なり)就労の義 務に直面しない仕事をしていない人に関するものであった。それが対応しよ うとした問題は 就労がもたらすことができる機会を否定された給付への長 期依存にとじ込められたグループの人がいる ことであった。それが政策変 化を求めた鍵となる目標は以下のことであった 。

・就労不能給付を受けている数を10年以上で100万人削減する

・就労する一人親の数を30万人増やす

・50歳以上の働く人の数を100万人増やす

ハットンは福祉のグリーンペーパーは われわれの福祉改革の将来の方向 の全国的議論でなければならないものの始まり であるといった。それはさ まざまなニューディールプログラムの経験の上に打ち立てられる多くの異な った政策を通じて行うべく設計された。これまでもこの問題を解決するため 幾多のことが(例えば社会保障給付を得るために医師の証明を要するなどで ある)がなされたが,容易に効き目がなかった。結局2007年の新雇用及び支 援手当法(Employment and Support Allowance Act)が成立した。雇用 及び支援手当は社会保険水準によるものではなく,個人能力評価(Per- sonal Capability Assessment―PCA)のもとに求職者手当水準にもとづく ものになった。新規の就労不能給付の申請者との就労に焦点をあわせたイン タビューは高水準の就労関連の活動を促進することとなる。インタビューに 出席しない者は給付の削減の脅威にさらされることとなる。グリーンペーパ ーは 雇用及び支援手当は権利と責任の原則の上に打ち立てられていること

24) Department for Work and Pension (2006)A  new  deal for welfare:

Empowering people to work,Cm6730,p.3.

(17)

が重要である といっている 。

租税クレジット

就労している人への資力調査のある支援の支払いは不可避的に就労者の受 ける給付と租税責任の間の関係についての問題を巻き起こす。所得税と国民 保険拠出が就労者により支払われているとすれば,少なくとも人びとが租税 責任の最低限の閥を超えるにたるだけ稼いでいるとき,彼らが受けるべき資 格のある給付と彼らが支払わねばならない租税の間にオーバーラップがある かもしれない。イギリスでしばしば問題になった 貧困の罠 (poverty trap―働いて収入が増加し,社会保険料や租税を払うようになると給付を受 

けていたときよりも手取り収入が少なくなるなど)の大きな原因であるこの オーバーラップが課税と給付と潜在的クレイマントに対する大きな混乱と複 雑さにみちびく。

こうしたことは,もし租税と給付制度が一つの政府部門により管理される ならば解決される可能性がある。その機関は,租税を支払うにたるだけ収入 がある人から租税を徴収するが,全体として収入が不十分である人に租税を 返却し,それでも一定の基準に達しない人に追加の給付に類したものを支給 することとなる。それが租税クレジット(tax credit―日本では給付つき税 額控除などと訳されている)である。

租税クレジットの原型はイギリスでは1971年の家族所得補足(Family In- come Supplement)として,そして1986年の社会保障法により家族クレジ ット(Family Credit)として導入されていたが,まだ規模は小さかった。

家族所得補足は(一家の生計を支える)稼ぎ手がフルタイムの仕事について おり,そして扶養児童がある場合の,少額の所得の家族を対象にするもので あった。もし,彼女が彼女の親,あるいは別の親族の世帯で生活していても,

家族は児童のある単身女性を含んだ。ということは支払われる給付水準は親

25) Ibid.,p.41.

(18)

の数ではなく,児童の数により決定された。しかし,こうした援助のために 資力調査は拡大されていた。そのため,資力調査は事実上,1970年代から次 第 に 拡 大 し,す で に1976年 の 国 民 消 費 者 委 員 会(National Consumer Council)は,イギリスでは45の資力調査のある給付が実施されているとし 

た。1986年の社会保障法(1988年実施)は捕捉(take up)を奨励し,経費 削減するために主要な資力調査のある給付の構造と運営を簡素化することを 求めていた。しかし,1988年の改革(1986年社会保障法の実施)の結果,90 年代には人口の3分の1が何らかの型の資力調査のある給付を受け,およそ 1,000万人は所得補助(Income Support―日本の生活保護)を受けていた。

その後こうした選別性は新しい租税クレジットの新機構を通じて拡大された。

租税クレジットの場合,本来的には資力調査はない。しかし,年金クレジッ ト(pension credit)は資力調査がある。

しかし,社会保険給付と有給の就労に従事していない者に対する資力調査 のある給付はJobcentresPlus及び年金機関により管理される別の制度とし て残った。新労働党政権になってからの新租税クレジットの拡大は急速であ り低賃金者に対する支援を提供するのにますます重要な役割を果たすように な っ た。1999年 の 就 労 家 族 租 税 ク レ ジ ッ ト(Working Families Tax

Credit)は旧家族クレジットに置きかわるものであった。低賃金の家族に対 

する支援の原理をとどめた。しかし,それを税制度に移行させた。それはま たクレジットの受給者を児童のケアラーから賃金を受ける者にしたが選択は 可能とされた。家族に対する支援は家族クレジットよりも一層高い賃金閾

(thresholds)に引き上げた。この拡大は賃金者に対する国家支援と費用に 大きな影響を与えた。同時に障害就労手当(Disability Working Allow- ance)は 障 害 者 租 税 ク レ ジ ッ ト(Disabled Persons Tax  Credit― DPTC)に転換された。これは児童ケア租税クレジット(Child Care Tax

Credit)と呼ばれる,就労できるように若年の児童のケアの費用を支払わね 

ばならない家族に対する支援を提供する新租税クレジットの導入によりとも なわれた。すなわち,一人親(lone parent)がフルタイムで働くことを可

(19)

能にし,不十分な親の仕事(子を世話する)を補償する必要が表面化した。

これらの議論は新労働党の国民児童ケア戦略(national childcare strat egy)の中心的なものであった。それは児童ケア租税クレジット(Childcare  Tax Credit)を通じて,彼らが必要としている児童ケアの費用を支払うこ 

とを可能にすることにより,たとえ,パートタイムでも一人親が労働市場へ 入ることを優先するものであった。そして,すべての三歳児及び四歳児に無 料のパートタイムの育児教育を拡大し,そして最も剥奪された地域で生活す る児童のライフチャンスを改善すべく 確実なスタート (Sure Start)プ ログラムをつくり出した。この新しい支援は児童の貧困を削減するための政 府の戦略の大きな要素であり,低賃金家族の児童を減らすとともに,有給雇 用を一層魅力的にすることによる 福祉から就労 への動きを促進する。

もちろん,低賃金雇用にある人は資力調査のある扶養も現在でも利用でき る。これは住宅給付及び固定資産税給付も含む。しかし,低賃金雇用にある 者は新労働党政権下では雇主を通じて支払われ内国歳入関税庁により管理さ れる租税クレジットの形をとる。以前の家族クレジットは1998年に広範な範 囲の低所得家族に利用される就労家族租税クレジットにとってかわられた。

これは資力調査運営の重大な移行であった。同様なクレジットは親に対する 児童ケアの費用の幾らかをカバーし,そして低収入の障害のある就労者を支 援するために利用された。2003年にはこれらの租税クレジットはさらに拡大 され合理化されて単純な枠組みにされた。すなわち,就労者に対する支援は 就労租税クレジット(Working Tax Credit)になったが,これは一層貧困 な就労家族の支援を目的とする。租税クレジット制度における児童ケア補助 は就労している母(または父)に利用されるようになった。受給者の半分は 一人母親で彼らの経済活動率は57%になった。ただ,その水準はパートナー のいる母親の70%よりは低い。

要するに,2003年の租税クレジットは以下のものからなる 。

26) Michael Hill and Zoe Irving (2008)Understanding Social Policy,8 edition,Wiley Black,p.106.

(20)

・統合化された児童租税クレジット―以前の就労家族租税クレジット,児 童ケア租税クレジット,障害者の租税クレジットにおける児童支援要素,

児童に対する資力調査のある制度を単一の制度に統合した。

・児童のない低所得稼得者に対する就労租税クレジット

租税クレジットの使用の展開はことに労働市場参加についての政府の関心 につながっている。クレジットは低所得就労の人に対する給付を増すことを 意図している。と同時に,条件つき福祉国家の形成を意味する。

租税クレジットの新たな特徴はそれらが税制と統合された給付であるけれ ども租税手当(tax allowance)と異なる。租税手当は単に租税責任を軽減 し,それで租税を払うに足るだけ高い所得を有する人のみに利益を与える。

租税クレジットは対照的に低稼得者による支払いに対するものとして,給付 に導く課税評価の可能性を認める 。

確かにクレジットの運営を一層合理化したけれども,それはきわめて複雑 なもので2005年頃ですら 当惑するほど複雑 などといわれた。さらに税の 年度と社会保障の年度の相違による問題もある。日本の政治家と研究者の多 くはそういう問題を殆ど理解していない。

社会保障政策を提供すべくHMRCを使用したことは,徴収機関をまた所 得を配分しなければならない機関に変え, そうすることにおいて,それは クライエントベースを取り扱わねばならない内国歳入庁(Inland Reve- nue)の仕事を典型的に裕福なものから,しばしば非常に貧しいグループに 変え,そうすることにおいて,重要な提供と文化的挑戦に直面した。

(筆者は前山口県立大学大学院健康福祉学研究科教授,神戸学院大学名誉教授) 参考 献

イギリス新労働党の社会保障改革― 福祉から就労へ 働けない人には社会保障 を ― 山口県立大学大学院論集 第10集 2009年3月

27) Ibid.,p.106.

28) Paul Dorman,ibid.,p.93.

参照

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