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ス コ ッ ト ラ ン ド 毛 織 物 工 業 史
一 ツ イー ド織 を め ぐ っ て 一
HistoryofScottishWoollenIndustry
‐OnObservationofScottishTweeds
北 政 巳
MasamiKita
1は じ め に
皿 合 併 前 夜 の 毛 織 物 工 業 皿 合 併 と毛 織 物 工 業 N産 業 革 命 期 の 毛 織 物 工 業
Vユ9世 紀 後 半 の毛 織 物 工 業 一 ツ イー ド織 の 登 場 一
V[結 び
1は じ め に
イ ギ リス の 羊 毛 ・毛 織 物 工 業 の研 究 に つ い て は,角 山栄 『イ ギ リス毛 織 物 工 業 史』(ミ ネ ル ヴ ァ書 房,1960年),船 山 栄 一rイ ギ リス に お け る経 済 構 成 の 転 換 』(未来 社,1967年)等 の 代 表 的 な 研 究 を 始 め,幾 多 の 労 作 が あ る.
全 般 的 な毛 織 物 業 の技 術 史 的 変 革 は と もか く と して,厳 密 に い え ば,従 来 の 研 究 は 全 て イ ソ グ ラ ソ ドの 羊 毛 ・毛 織 物 工 業 史 に 集 中 して お り,連 合 王 国(UnitedKingdom)の 一 方 で あ る ス コ ッ トラ ン ドの 羊 毛 ・毛 織 物 に つ い て は 全 く触 れ られ て い な い 現 状 で あ る.
私 が 本 稿 で ス コ ッ トラ ン ドの 羊 毛 ・毛 織 物 工 業 を 扱 う意 図 は,1707年 の イ ソ グ ラ ソ ドと の 合 併 後,ス コ ッ トラ ン ド工 業 化 過 程 に お け る繊 維(毛 織 物,亜 麻,木 綿)工 業 の 果 した 役 割 を 究 明す る第 一 段 階 と して で あ る.ま た 現 代 的 な 関 心 か らみ れ ば,有 名 な 「ス コ ヅ ト ラ ン ドの ツ イー ド織 」 工 業 の成 立 ・発 展 に つ
い て も興 味 の あ る と こ ろ で あ る.
勿 論,イ ギ リス資 本 主 義 の 主 導 した 世 界 資 本 主 義 確 立 の原 動 力 が 木 綿 工 業 に あ っ た の は 事 実 で あ る.そ して ス コ.yト ラ ン ド繊 維 工 業 史 研 究 の 目的 は,こ の イ ギ リス木 綿 工 業 に お け る ス コ ッ トラ ソ ド木 綿 工 業 が ど の よ うな 位 置 に あ った の か,ま た ス コ ッ トラ ン ド地 域 内 で の 他 の 繊 維 工 業 と ど の よ うに 関 連 して い た の か の 究 明に あ る.し か しイ ン グ ラ ン ド社 会 経 済 史 研 究 とは 異 な り.ス コ ッ トラ ソ ドの そ れ は 資 料 に も乏 し く木 開 拓 な 分 野 のゆ}に, 自 つ か ら諸 繊 維 工 業 を 研 究 しな けれ ば な らな い とい う難 題 が 横 た わ っ て い る.
本 稿 で は,イ ソ グ ラ ン ドの初 期 資 本 主 義 の 代 表 的 工 業 で あ る羊 毛 ・毛 織 物 工 業 と の比 較 の観 点 も入 れ,合 併 前 後 か ら19世 紀 後 半 の 輝 く繁 栄 に至 る ま で の ス コ ッ トラ ン ドの 羊 毛 ・ 毛 織 物 工 業 を 中 心 に,ス コ ッ トラ ン ド社 会 経 済 史 を 究 明 し て ゆ きた い.
72
II
合併前夜の毛織物工業季刊 創 価
ス コ ッ トラ ソ ドの ジ ェ ー ム ス6世 は,1603 年 の エ リザ ベ ス 女 王 の 死 後,王 位 を 継 承 し て イ ギ リ ス 王 に 即 位 した.こ の 合 併 は,「 王 冠 の 結 合 」 と 呼 ぼ れ た が,イ ソ グ ラ ン ド と ス コ ッ ト ラ ソ ドは 社 会 経 済 の 点 で は 未 だ 異 国 の 状 態 に あ っ た の で あ る.
当 時 の イ ン グ ラ ソ ドは,高 度 な 熟 練 労 働 者 の 集 中 的 雇 用 と発 展 し た 商 ・工 業 組 織 に よ り 羊 毛 加 工 業 に 成 功 し て い た.1)そ し て 羊 毛 ・毛 織 物 生 産 品 は,イ ソ グ ラ ソ ドの ヨ ー ロ ッ パ 貿 易 の 約80%を 占 め て い た.
一 方 ス コ ッ ト ラ ン ドで は
,後 進 国 経 済 を 反 映 し て 毛 織 物 工 業 も 充 分 な 発 達 を み る こ と な く,17世 紀 を 通 じ て も 国 内 需 要 が 供 給 量 を 上 廻 る こ と も な くて,第 一 次 産 品 の 原 毛 輸 出 に 専 業 し て い た.2)そ の 理 由 に は,羊 毛 が ス コ ッ ト ラ ソ ドの 希 少 な 天 然 資 源 で あ っ た こ と と, 外 貨 獲 得 の 簡 便 な 手 段 と な り え た か ら で あ る.そ し て 一 方 で は 原 毛 を 輸 出 し な が ら も, ま た 他 方 で は 高 級 毛 織 物 に 対 す る商 人 ・地 主 階 級 の 需 要 に は,イ ソ グ ラ ン ドや オ ラ ソ ダ か
ら の 輸 入 に よ っ て 満 し て い た.3)
ま た17世 紀 の 末 に は,イ ソ グ ラ ン ド と ス コ ッ トラ ソ ドの 経 済 力 格 差 か ら の 摩 擦 は 激 化 し つ つ あ り,羊 毛 通 商 が 紛 争 の 中 心 と な っ た.
何 故 な ら ス コ ッ ト ラ ソ ドは,地 理 上 か ら み て も ア イ ル ラ ソ ド,北 西 ヨ ー ロ ヅパ,ア メ リ カ
ユ)W.E.Minchinton(ed.)TheGrowthげ EnglishOverseasTrade,1969,p.18.
2)S.G.Lythe,EconomyofScotland1550‐
1625,Edinburgh,ユ960,PP.38,83‑4.
3)T.C.Smout,TradeontheEveげUnion.
Edinburgh,1963,p.191.
経 済 論 集Vol.8No.1
新 大 陸 の 諸 市 場 に も 近 く商 業 上 の 優 位 に あg た こ と,ま た 密 輸 業 者 が イ ン グ ラ ン ド市 場 へ 入 る の に ス コ ッ ト ラ ソ ド経 由 を 用 い て い た こ
と か ら で あ る.貿 易 量 に つ い て は 定 か で ば な い が,概 数 を 見 る と1614年 の 羊 毛 輸 出 量:
(額)は10,000ス ト ー ン(50,000ポ ン ド)で あ っ た.そ れ が1698年 に は フ ラ ン ス 向 け 輸 出 だ け で も年36,000ス トー ソ(1ス トー ソ は24ボ ン ド)に 達 す る.4)
そ れ ゆ え 当 然,ス コ ッ トラ ン ドの 羊 毛 輸 出 へ の 干 渉 は 高 ま っ た.例 え ば1616年 に,イ ソ グ ラ ソ ドの マ ー チ ャ ソ ト ・ア ドベ ソ チ ャ ラ ー ズ は,イ ソ グ ラ ソ ドの 羊 毛 が ス コ ッ トラ ソ ド 諸 港 を 経 由 し て 流 出 し,そ れ が 海 外 諸 国 の ラ イ バ ル 毛 織 物 工 業 を 助 長 し て い る こ と を 弾 劾 し た.さ ら に1622年,1632年 法 に よ り,イ ソ グ ラ ソ ド議 会 は ス コ ッ ト ラ ソ ドへ の 羊 毛 輸 出 を 禁 止 し た.そ の 後 何 回 と な く,禁 令 と 撤 廃 を 繰 り返 し た が,最 終 的 に は1699年 の イ ソ グ ラ ソ ド法,1701年 の ス コ ヅ ト ラ ン ド法 に よ っ て 両 国 と も羊 毛 の 外 国 輸 出 を 禁 止 し た,し が し ス コ ッ ト ラ ソ ド国 境 を 越 え る イ ソ グ ラ ソ ド 産 羊 毛 の 流 れ は 絶 え 間 な か っ た.5)
無 論,ス コ ッ ト ラ ソ ドの 羊 毛 ・毛 織 物 工 業 の 中 に あ っ て も 利 害 の 対 立 が な い 訳 で は な か っ た.大 別 し て も 粗 毛 織 物(coarsewoollen)o
4)T.Keith,CommercialRelationsof EnglandandScotland1663‑1707,Cambridge,.
ユ910,P.2.ま た17世 紀 ス コ ッ ト ラ ソ ド の 貿 易 に つ い て は,ス コ ッ ト ラ ソ ド諸 大 学 の 共 同 研 究 の 成 果 と し てRecordsoftheHouseof
Glasgow1605‑1678,1909が 発 表 さ れ て い る.
5)特 に 宗 教 改 革 の 後,羊 毛 ・毛 織 物 工 業 は 一 時 的 に 衰 退 し た が,再 び 興 隆 し た.ま た 合 併 前 夜 に な る と,ス コ ッ ト ラ ソ ド の 羊 が イ ソ グ ラ ソ ド 社 会 の 食 料 供 給 源 と な り つ つ あ っ た.食 用 羊 の 市 場 と 交 易V'つ い て は,A.R.Haldane,The
DroveRoadsofScotlandEdinburgh,ユ968、
に 詳 し い.
Juneユ978北 政 巳:ス コ ヅ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 史
生 産 と 高 級 毛 織 物(丘newoollen)生 産 が あ る.前 者 は ス コ ッ トラ ン ド土 着 の羊 毛 と労 働 を 用 い て お り,か な りの 量 を ヨー ロ ッパ 大 陸, 主 して バ ル ト海 地 方 諸 国 に,若 干 を新 大 陸 プ ラ ソ テ ー シ ョソへ 販 売 した.6)品 質 は 劣 等 で あ る が,廉 価 な 労 働 力 の ゆ え に,先 進 技 術 と大 企 業 経 営 の イ ン グ ラ ソ ド毛 織 物 工 業 に も対 抗 で き え た,後 者 は 商 人 ・貴 族 需 要 の 高 級 織 物 を 専 業 と した こ とか ら,劣 質 の ス コ ッ トラ ソ ド産 羊 毛 を使 わ ず に イ ソ グ ラ ソ ドや ス ペ イ ソ 産 の 高 級 羊 毛 を用 い た.
ス コ ヅ トラ ン ド議 会 は,両 者 の利 害 の対 立 に 対 して,重 商 主 義 的 見 地 か ら,雇 用 機 会 の 増 大 と国 富 の 増 大 を は か るた め,羊 毛 加 工 業 の 振 興 を 計 る製 造 工 業 規 制 に 着 手 した が,原 毛 供 給 者 か ら の反 対,外 貨 の 慢 性 的 な 不 足, 関 税 決 済 の 脆 弱 さ か ら,そ の 政 策 は 挫 折 し
た.そ れ ゆ え 高 級 織 物 は ス コ ッ トラ ソ ドで は 成 功 せ ず,国 内需 要 を越 え る羊 毛 は 輸 出 され た.当 時,ス ウ ェ ー デ ソ と フ ラ ソ ス は,ス コ ッ トラ ン ド羊 毛 を 輸 入 して,自 国 の 毛 織 物 工 業 の振 興 に積 極 策 を と って い た.7)
こ こで ス コ ッ トラ ソ ド毛 織 物 工 業 の 技 術 導 入 の過 程 を の べ て お きた い.
1582年 に,ス コ ッ トラ ソ ド議 会 は,フ レ ミ ソ グ(Flemings)の 熟 練 工 を 招 聰 して フ ァス テ ィア ソ織,サ ー ジ織 そ の 他 を ス コ ッ トラ ソ ド労 働 者 に 教 え る こ と を 決 定 し た.し か し 1599年 に は 都 市(burgh)の 職 工 は 彼 ら 自身 の 特 権 喪 失 を恐 れ て反 対 し,移 入 民 は禁 止 さ
気づ7
6)T.C.Smout,̀TheDevelopmentand EnterpriseofGlasgow'ScottishJournal ofPoliticalEcnomyVII(1960),p.204.
7)ス ウ ェ ー デ ソ は 自 国 の 織 物 を 犠 牲 に し て も ス コ ッ ト ラ ン ド産 を 輸 入 し,フ ラ ン ス は 最 終 的yY は ス コ ッ ト ラ ソ ド 織 物 の 輸 入 を 禁 止 し た.T.C.
Smout,Trade(op.6鉱.,),pp.U2‑235.
れ る に 至 る.8)そ れ 故,そ の 大 半 は1609年),rỲ.帰 国 し た が,一 群 の グ ル ー プ は エ デ ィ ン バ ラ に 居 住 し,そ の 後 の ス コ ヅ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 の 発 展 に 貢 献 し た.9)
1623年 に,製 造 業 者 常 設 委 員 会(Standing CommitteeforManufactures)が 毛 織 物 製 造 増 進 の た め に 設 立 さ れ た.つ い で1641年, 1645年 と 外 国 羊 毛 や 油 ・染 色 原 料 の 自 由 な 輸 入 を 認 め る 法 案 を 可 決 し,高 級 織 物 業 を 促 進 し,熟 練 労 働 者 ・資 本 不 足 に 対 応 さ せ よ う と し た.そ の た め,熟 練 工 に は 兵 役 義 務 を 免 除 し て い た.
王 政 復 古(Restoration)の 後,1661年 法 は 1641年 法 を 再 立 法 化 し,外 国 人 熟 練 工 の 帰 化 を 認 可 し た.か く し て プ ロ テ ス タ ソ ト系 の ヨ ー ロ ヅ パ 大 陸 の 熟 練 工 が ス コ ッ ト ラ ン ドに 移 住 し て き た10)ま た 毛 織 物 業 企 業 に 法 人 格 を 付 与 し て11)市 場 で の 独 占 的 販 売 権 を 認 可 し た.1681年 の 毛 織 物 製 造 ・貿 易 促 進 法 で は,自
8)1.F.Grant,SocialandEconomicDω θZψ.
mentofScotlandbefore1603,Edinburgh, x930,p.464ff.
9)彼 ら は エ デ ィ ソ バ ラ の キ ャ ノ γ ゲ イ ト(Ca‑
nongate)地 区 に 住 み 「そ の 国 の 人 々 に 技 術 と 知 識 を 与 え た 」CI温ordGulvin,TheTweed‑
makers,AHistoryoftheScottishFancy WoollenIndustry1600‑1914,NewYork,pp.
22‑23.以 下 の 行 論 は 本 書 に 負 う と こ ろ 大 で あ る.
ユ0)ス コ ヅ ト ラ ソ ド の 宗 教 改 革 に つ い て は,G.
Donaldson,TheScottishReformation1560,
Cambridge,1960.の 他,拙 評 「海 を 渡 っ た ス コ ヅ ト ラ ソ ド人 」(『 創 価 経 済 論 集 』2巻2号 所 収, 1972年)の92頁 「ス コ ッ ト ラ ソ ド教 会 の 諸 分 裂 と 再 結 合 」 の 表 を 参 照 さ れ た い ・
ユ1)ス コ ッ ト ラ ン 議 会 は,合 本 資 本 会 社(joint‑
stackcomPany)の 設 立 を 奨 励 し た .ス コ ッ ト ラ ソ ド商 法 は,イ ソ グ ラ ン ド法 と 異 な り 有 限 責 任 制 に よ る 企 業 設 立 は 比 較 的 自 由 で あ っ た.
ArchibaldJ.Wolfe,CommercialLawsof
England,Scotland,GermanyandFrance,
SpecialAgentSeriesNo.97Departmentof
CommenceWashington,1915,pp.1$‑23.
74季 刊 創 価 国 織 物 の 促 進 の た め に 高 級 毛 織 物 の 輸 入 を 禁 止 し,ま た 原 材 料 輸 入 を 免 税 と し た.こ の 法 令 の も と で ・・デ ィ ソ グ ト ソ(Haddington)に 毛 織 物 製 造 工 場 が 設 立 さ れ た.つ い で1683年 に は エ デ ィ ン バ ラ と グ ラ ス ゴ ウ に2工 場,名 誉 革 命 後 に は グ ラ ス ゴ ウ に さ ら に2工 場,ア ノミ
デ ィ ー ン,ム ー ビ ル バ ラ(Musselburgh),ノ
ル ス ・ ミル ズ(NorthMills),ベ ル ウ ィ ッ ク シ ア(Berwickshire),ア ン グ ス(Angus) に も工 場 が 設 立 さ れ た.彼 ら 毛 織 物 製 造 業 者 は ス コ ッ ト ラ ン ド議 会 で の 発 言 権 を 強 め,17 01年 に は,彼 ら の 要 求 に よ り 「国 内 で の 外 国 衣 類 の 着 用 の 禁 止,羊 毛 輸 出 の 禁 止 」 が 制 定
さ れ た.12)
し か し ス コ ッ ト ラ ン ド政 府 は,経 済 的 に 圧 倒 的 優 位 に 立 つ イ ソ グ ラ ソ ド政 府 に 比 し て 脆 弱 な 財 政 状 態 に あ り,ま た 諸 戦 争 の 続 く ヨ ー ロ ッパ の 国 際 情 勢 の 変 化 に 対 応 で き ず,毛 織 物 業 者 の 養 成 策 も挫 折 し,13)つ い に は イ ン グ ラ ン ド と の 「合 併 」 を 余 儀 な く さ せ られ る に 至 っ た.
III合 併 と毛織 物 工 業
1707年 の ス コ ッ ト ラ ソ ド と イ ソ グ ラ ソ ド の
12)ActsoftheParliamentofScotland,viii, 348;citedby.C.Gulvin,obi.cit.,p.24.
13)こ の 時 代 の ス コ ヅ ト ラ ソ ド の 毛 織 物 工 業 の 挫 折 に つ い て は,① 政 府 は 輸 出 入 コ ン ト ロ ー ル が で き ず 法 令 の 保 護 策 は 完 全 に は 実 施 さ れ な か っ た.② 製 造 業 者 の 生 産 規 模 は 国 内 需 要 を 満 た す の に 充 分 で は な か っ た.③ そ し て ス コ ッ ト ラ ソ
ド の 高 級 織 物 は,価 格 と 品 質 の 点 で イ ソ グ ラ ソ ド に 劣 っ て い た.④ 熟 練 工 の 移 入 獲 得 は,彼 ら へ の 高 給 保 証 と な り,そ れ が 価 格 コ ス ト の 上 昇 を 招 い た こ と が 挙 げ ら れ る.W.R。Scott,
ConstitutionandFinanceandEnglish, ScottishandIrishJoint‑StockCompanies, NewYork,1951,iii,p.152.
経 済 論 集
Vol.8No.1
合 併i)は,ス コ ッ トラ ソ ドの毛 織 物 工 業 に と って も著 し く重 大 な 意 味 を も って い た.つ ま りス コ ヅ トラ ソ ドは イ ソ グ ラ ン ドと同 じ商 業
・貿 易 規 制 に従 う こ とに な った .
イ ソ グ ラ ソ ドの 合 併 交 渉 者 に 関 心 が あ った の は,ス コ ッ トラ ン ドの毛 織 物 貿 易 で は な く 羊 毛 貿 易 で あ っ た.そ の理 由 と して は,先 ず イ ソ グ ラ ソ ドの織 元 は 北 ヨー ロ ッパ 市 場 で の 国 際 競 争 か ら原 毛 の絶 対 的 不 足 の可 能 性 に 直 面 しつ つ あ り,ス コ ッ トラ ン ドの羊 毛 輸 出 貿 易 を コ ソ トロ ール す る 必 要 が あ った.ま た 製 品 輸 出 に お い て もス コ ッ トラ ソ ド諸 港 か ら の 輸 出 は,国 際 毛 織 物 市 場 の 需 要 に よ って 決 定 さ れ る価 格 を と りえ た の で,国 家 コ ソ トR一 ル の 強 い イ ソ グ ラ ソ ド諸 港 か らの 輸 出 よ りも 有 利 で あ り,国 境 を越 え て 製 品 を 北 上 させ る 動 きが あ った.
そ れ ゆ え に ス コ ッ トラ ン ドの海 外 毛 織 物 貿 易 に は 拡 大 の 可 能 性 も,生 産 品水 準 の 向 上 の 期 待 も実 現 で きな か った.僅 か に ギ ャ ロ ウ ェ イ(Galloway)産 の高 級 毛 織 物 が イ ン グ ラ ソ ド市 場 へ 入 れ た の み で,劣 質 の毛 織 物 は 対 抗 で きず,イ ソ グ ラ ソ ド毛 織 物 工 業 の 補 完 的 な 役 割 植 民 地 へ の廉 価 で劣 質 の 毛 織 物 販 売 に 専 業 化 す る こ とに な る.ス コ ッ トラ ソ ドの 羊 毛 輸 出 は 海 外 の 織 物 業 者 の競 争 能 力 の 強 化 に 結 び つ くこ とか ら,同 じ くイ ソ グ ラ ソ
ド織 元 か ら の干 渉 を受 け る こ とに な った.
「合 併 条 約 」 は,ス コ ッ トラ ン ドの羊 毛 ・ 毛 織 物 工 業 が 著 し く不 利 とな る こ とを 予 想 し て,若 干 の 補 償 を 約 束 し て い た.そ れ は 「合 併 条 約 」 の 第15条2)に,羊 毛 輸 出 の 自 由 を 失
ユ)こ の 合 併 に つ い て は,拙 論 「18世 紀 ス コ ッ ト ラ ソ ドの 経 済 発 展 に 関 す る 一 考 察 」(『 創 価 大 学 開 学 記 念 論 文 集 』 明 和 印 刷,1971年 所 収)17‑
28頁 を 参 照 さ れ た い.
Juneユ978北 政 巳:ス コ ヅrラ ン ド毛 織 物 工 業 史 な う こ と の 補 償 と し て 「年 額62,000を,羊
毛 生 産 地 域 の 粗 毛 織 物 製 造 促 進 の た め,7年 間 に わ た り公 共 基 金 か ら拠 出 す る 」 こ と を 規 定 し て い た.
し か し現 実 に 基 金 が 供 与 さ れ た の は,1727 年 の 製 造 工 業 者 評 議 会(BoardofTrustees forManufacturers)の 設 立 以 降 で あ り,合 併 後2Q年 を 待 た ね ば な ら な か っ た.
「評 議 会 」 は,1727年12月 に 「粗 羊 毛 を 生 産 し た り加 工 す る こ と を 評 議 会 と契 約 し た り, ま た そ れ を 紡 ぐ の に5人 以 上 の 労 働 者 を 雇 用 す る 人 に プ レ ミア ム(割 増 金)を 提 供 す る 」 と 発 表 し た.そ し て 翌 年1月 に,「 評 議 会 」 は 「羊 毛 に 関 す る 特 別 企 画 」(̀PaticulaarPlan forWoo1')を 発 刊 し た.ま た ス コ ヅ トラ ン ド 南 部 の 羊 毛 生 産 地 域 で は,公 認 の 原 毛 撰 別 工
(officialsorter)が 認 定 さ れ た が,そ の よ う な 「評 議 会 」 の 政 策 も 毛 織 物 工 業 の 興 隆 に は 結 び つ か な か っ た.つ ま り羊 飼 育 法 の 向 上 や 品 種 改 良,企 業 経 営 の 革 新,労 働 者 の 実 質 賃 金 の 向 上 等 が 実 現 さ れ な か っ た か ら で あ ろ う.そ し て 繊 維 工 業 に あ っ て は,ス コ ッ トラ ソ ド固 有 の 産 業 で イ ソ グ ラ ン ド と は 競 合 し な い 亜 麻 工 業(LinenIndustry)が,国 民 的 産 業 と し て 「評 議 会 」 に よ っ て 振 興 さ れ つ つ あ っ た.3)
㎏無伽獅腋伽孔厩醗腕血砒朗四認膿翻麗鴇環轍器難灘
蝋謙磯餓醜欝欝轍
) )
りθり○75 し か し必 ず し もr合 併 」に よ っ て 羊 毛 ・ 毛 織 物 工 業 が 衰 退 し た 訳 で は な く,粗 毛 織 物(coar‑
sewoollen)は イ ギ リ ス 毛 織 物 輸 出 の 廉 価 製 品 の 補 完 と し て 海 外 市 場 へ 進 出 し た.そ れ ゆ え に ア パ デ ィ ー ン,エ デ ィ ソ パ ラ,ガ ラ シ ィエ ル ズ(Galashiels),ス タ ー リ ソ グ(Stirling), キ ル マ ノ ッ ク(Killmanock)を 始 め と し て,
ダ ン フ ェル ム ラ イ ソ(Dumfermline),イ ソ ベ ル ケ イ シ ン グ(lnverkeithing),ダ ン ブ ラ ソ(Dunblane),ラ ナ ー ク(Lanaxk),メ イ ボ ウ ル(1!/laybole),ダ ソ フ リ ィ ズ(Dumfries),
ソ オ ン ヒ ル(Thornhill)に 工 場 が 設 立 さ れ た.
ス コ ッ ト ラ ン ド の 粗 毛 織 物 輸 出 か ら 観 れ ば,「 合 併 」 以 前 の 北 ヨ ー ロ ッパ 市 場 は 海 外 競 争 の 激 化 も あ っ て 衰 退 し た が,イ ギ リ ス 資 本 主 義 圏 の 大 西 洋 貿 易 市 場 で は 著 し い 進 展 を み た.4)こ の 新 世 界(NewWorld)へ の 需 要 の 対 応 に は,2つ の 理 由 が 存 在 し た.そ の1は,
プ ラ ン テ ー シ ョ ソ に お け る ネ グR奴 隷 数 の 増 大 と,そ の2と し て の 軽 量 の 硫 毛 織 物(light worstedfabrics)生 産 に あ っ た.前 者 で は ネ
グ ロ 奴 隷 の 衣 服 と し て5)品 質 で は な く廉 価 で
ofScotlandinthe.18thCentury,Oxford,
1963,pp.ユ31一 ユ84に,社 会 経 済 史 的 に はW.
Ferguson,Scotland,1689tothePresent,
Edinburgh,・.:,pp.71‑101に 詳 し い.
4)キ ル マ ノ ッ ク は サ ー ジ 織 を,ス タ ー リ ン グ は 装 身 織 物 を オ ラ ン ダ へ 輸 出 し て い た.ま た ア バ デ ィ ー ン は,く つ 下 輸 出 を 行 な っ て い た ・し か し 18世 紀 中 葉 で は 量 で は ム ゼ ル バ ラ の ラ シ ャ 織 の ア メ リ カ 南 部 へ の 輸 出 や,グ ラ ス ゴ ウ の タ バ コ 商 人 の 「格 子 じ ま 織 物 」(tartan)輸 出 の 方 が 上 廻 っ て い た.Lidsay,InterestofScotland,
Edinburgh,1773,p.106;GlasgowCity ArchivesBIO/15>GlasgowBurghCourt RegisterofDeeds.
5)し か し 次 第 に 亜 麻 織 物,つ い で 木 綿 製 品 に 市 場 を 奪 わ れ て ゆ く こ と に な る.H.Hamilton, TheIndustrialRevolutioninScotland,
London,ユ966,pp.76一 ユ49を 参 照 さ れ た い.
ブ6
季 刊 創 価 経 済 論 集軽 量 で あ る こ と が 望 ま れ て い た.ま た 後 者
の 輸 出 品 は,前 時 代 と は 異 な り 「新 織 物 」 (newdraperies)と 呼 ば れ る 混 毛 の 織 物 で あ っ た.都 市 の 織 元 は,植 民 地 貿 易 に 呼 応 し て, 織 物 の 転 換 を 果 し 「ラ ク ダ 織 」(camlets), ギラ シ ャ織 」(lightstuffs),「 く り毛 織 」(bays),
「サ ー ジ 織 」(serges)が 生 産 品 目 と な っ た.
合 併 に よ っ て,ス コ ッ ト ラ ン ド南 部 の 地 主 は 羊 毛 販 売 の 自 由 を 失 な い,か な りの 打 撃 を 受 け た と い わ れ る.6)し か し廉 価 な 原 毛 の 供 給 は,廉 価 は 労 働 力 コ ス ト と 相 ま っ て,7)国 内 の 毛 織 物 工 業 者 の 企 業 老 活 動 を 刺 戟 し た.
当 時 の イ ン グ ラ ソ ド毛 織 物 製 品 は,そ の 大 半 が 高 級 品 で ス コ ッ トラ ソ ド織 物 の 直 接 的 な 代 替 で は な か っ た.事 実,ウ ェ ス ト ●ラ イ ジ イ
ソ グ(WestRising)地 方 は,廉 価 な 硫 毛 織 物 (worstedmanllfacture)の 中 心 地 と な り つ つ あ っ た が,交 通 ・通 信 設 備 は 未 だ 十 分 に 発 達 せ ず 地 域 市 場 の ま ま に と ど ま っ て お り,ス
コ ヅ トラ ン ド市 場 に は 輸 送 費 と 価 格 高 ゆ}, 入 っ て く る こ と は な か っ た.注 目す べ き こ と は,イ ン グ ラ ソ ド毛 織 物 業 者 は,ノ ル ウ ェ ー や ロ シ ア の 農 民 毛 織 物 生 産 価 格 以 下 で は 販 売 で き ず,む し ろ か な り の 量 の 輸 入 を 余 儀 な く さ れ て い た.8)そ れ ゆ え に ス コ ッ トラ ン ドの 廉
Vol.8No.1
6)例 え ば ス コ ッ ト ラ ン ド の 黒 面 羊(blackface) 毛 は,1700年 に は1ス ト ー ソ5sと6sの 間 で 販 売 さ れ た が,ユ720年 に は4sに 低 落 し て い る.Sco‑
ttishRecordOffice,ScottishSupplementary ParliamentPapers,XVII,P.94.
7)イ ソ グ ラ ソ ド 労 働 者 に 比 し て 生 産 性 で は 劣 る が,労 働 コ ス ト は 低 廉 で あ っ た.ま た 田 園 地 方 で は,現 物 支 給 が 通 常 で あ っ た.AdamSmith, WealthofNations(Everyman'sedition)pp.
98,106,173;W.R.Scott,Joint‑StockCom‑
panies(op.cit.),iii,p.148.
S)S.Treite,̀TheNorwegiantextilemarket inthe18thCentury:ScandinavianEcono‑
micHistryReviewxvii,2,pp.161‑78.
価 な 毛 織 物 は,イ ギ リス 国 内 市 場 で も 充 分 に 生 存 で き}た の で あ る.9)
し か し ス コ ヅ ト ラ ン ド織 物 工 業 に,0つ の 変 化 が 生 じ て い た.従 来 の 北 ヨ ー ロ ヅ パ 毛 織 物 貿 易 の 中 心 で あ っ た 東 海 岸 の 毛 織 物 工 業 に 替 っ て,ス コ ッ トラ ソ ド南 部 の 羊 毛 供 給 地 域 が 北 部 イ ン グ ラ ン ドの 毛 織 物 工 業 の 興 隆 の 影 響 を 受 け て,そ の 毛 織 物 工 業 の 下 請 に 着 手 し 始 め た か ら で あ る.10)つ ま リス コ ッ トラ ソ ド の 国 境 地 方 の 労 働 者 に 硫 毛(worsted)の 織 編 糸(yarn)を 紡 が せ,そ れ を イ ソ グ ラ ソ ド 移 入 す る こ と を 開 始 し た.さ ら に1734年 に
は,ハ ウ ィ ッ チ(Hawich)の 治 安 判 事 は,
「評 議 会 」 に 「こ の 地 で の 無 能 な 人hを イ ソ グ ン ド硫 毛 製 造 業 者 の 紡 績 工 と し て 雇 用 す る た め の 学 校 設 立 」 の 基 金 を 要 望 し た.正1)
か く て ユ8世 紀 後 半 に は,ス コ ヅ トラ ン ドの 毛 織 物 工 業 は,粗 織 物 を 中 心 に 全 イ ギ リス 国 内 市 場,海 外 植 民 地,少 し 衰}た が 北 ヨ ー ロ ッパ 大 陸 市 場 へ 廉 価 で 軽 量 の 毛 織 物 を 輸 出 し た.し か し,そ こ に は,イ ギ リス 毛 織 物 工 業
9)ま た ス コ ッ ト ラ ソ ド 固 有 の 織 物 は,緻 密 な 流 毛(carded)で 「あ や 織 」(twilled)の 特 徴 を も っ て い た.C.Gulvin,TheTweedmahers(oρ.
Cat.),P.35.そ し て ス コ ッ ト ラ ソ ド の 人 々 は, ユ8世 紀 後 半 に お い て 「教 会 も 市 場 の 人hも,通 常 国 産 の 衣 料 を 着 用 し,イ ソ グ ラ ソ ド産 よ り も は る か に 暖 く 快 適 で あ る 」 と 自 負 し て い た.
Sir.JohnSinclair,AnalysisoftheStatisti‑
calAccountofScotland,Edinburgh,1831 Appendixi,p.!8;J.G.Fyfe,ScottishDiaries
andMemoirs1746‑1843,Stirling,1942.
10)ア ダ ム ・ス ミ ス の 評 価 で は,18世 紀 前 半 で は, こ の 地 方 の 羊 毛 供 給 者 は,羊 毛 価 格 の 低 落 を 羊 肉 の 高 騰 に よ っ て 相 殺 し て い た.Wealthof Nations(oρ.CZt.),i,P.216.し か し ユ8世 紀 後
半 に は,北 部 イ ソ グ ラ ン ド毛 織 物 工 業 へ の 原 毛 供 給 が 大 き く な っ て く る.
11)ScottishRecordOffice,BoardofTrustees,
N.G.,1JI/2/93;N.G.,1JIJ3/181;citedby
C.Gulvin,op.cit.,p.36.
June1978⇒ ヒ
の 補 完 的 役 割 と し て 存 在 で き}た 事 実 も 看 過 で き え な い の で あ る.
政 巳:ス コ ッ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 史
IV産 業革命 期の毛織物工業
18世 紀 後 半 の イ ギ リ ス は,木 綿 工 業 が 慧 星 の よ うに 登 場 し て 主 役 と な り,「長 老 格 」 の 毛 織 物 工 業 は 相 対 的 に は 没 落 し た が,に も か か わ らず 毛 織 物 業 は か な りの 発 展 を 示 し て い た 時 代 で あ る.例 え ば 国 内 の 原 毛 供 給 は 不 足 し, 1792〜4年 の 問 の 原 毛 輸 入 は 約390万 ポ ソ ドで あ っ た が,1822〜4年 の 間 に は2,130万 ポ ソ
ドへ と 急 騰 し た.1)ま た 輸 出 面 で は,ヨ ー ク シ ア の ウ ェ ス ト ・ラ イ デ ィ ソ グ の 広 幅 織 物(bro‑
adcloth)は1770〜5年 の 間 に 年 間10万 反 で あ っ た の が,1815〜20年 に は33万 反 へ と増 大 し た.2)そ こ に は ヨ ー ク シ ア 織 物 業 の 興 隆 と, 対 照 的yT旧 来 の イ ー ス ト ・ア ソ グ リア(East Anglia),西 部 イ ソ グ ラ ソ ド(WestofEn‑
gland)地 域 の 衰 退 を み た が ・ こ の 時 期 の 毛 織 物 工 業 の 発 展 を 支 }//1...た の は 原 毛 輸 入 の 増 大 に あ っ た と い}よ う・
し か し ス コ ヅ トラ ン ド毛 織 物 工 業 は,ヨ ー ク シ ア 地 域 の 発 〉,rỲ.遅 れ る こ と な く補 完 的 に 対 応 し,近 代 的 毛 織 物 工 業 の 基 盤 を 作 る こ と
に な る 。 そ し て1820年 代 に は,国 境 地 域 を 中 心 とす る ス コ ッ ト ラ ン ド毛 織 物 工 業 は,4)羊 毛
1)B.R.Mitchell&P.Dean,Abstractof BritishHistoricalStatistics,Cambridge,
1962,pp.191‑2.
2)Ibid.,p.189.
3)ユ784年,「 評 議 会 」 は,「 硫 毛 製 造 技 術 は ・ そ の 発 展 は 遅 々 と で あ る が,著 し い 改 良 を み た 」
と の べ る.ScottishRecordOffice,Annual ReportsofBoα γ40fTrustees,ユ784,p.9.
4)し か し ア バ デ ィ ー ソ は 最 高 級 織 物 で 有 名 で あ っ た.そ し て 市 民 の 約%が 羊 毛 加 工 業 に 関 連 し て い た.し か し 生 産 量 に お い て 圧 倒 的 に 少 な く,も
ブ7
の 品 質 も 仕 上 げ 工 程 も 改 良 さ れ,企 業 組 織 の 変 革 に も 成 功 し た.
そ こ で 北 部 イ ソ グ ラ ソ ド の 毛 織 物 工 業 の 影 響 下 に 発 展 し た ス コ ッ ト ラ ソ ド 南 部 国 境 地 域 の 諸 都 市 に つ い て,若 干 の 考 察 を 加 え て お き た い.
ガ ラ シ イ ニ ル ズ(Galashiels)は,そ の 毛 織 物 工 業 の 興 隆 に は2つ の 理 由,近 隣 の 亜 麻 織 物 工 業 の 衰 退 と 織 元 の 「評 議 会 」か ら の プ レ ミ
ア ム の 獲 得 が 挙 げ ら れ る.5)そ の 地 で の 工 場 主 数 は,1778年 の10人 か ら1825年 の35人 に 増 大 し た.羊 毛 消 貿 量 は,17,000ポ ソ ドか ら500,0 00ポ ソ ドへ,手 動 織 機(hand‑loom)は30台 か
ら175台 へ と 増 加 し た.生 産 毛 織 物(額)は, 1790年 の ∫5,500か ら1825年 に は658,000へ
と 増 大 し た.そ れ ら は 主 と し て,青 色 や 淡 褐 色(drabs)の 格 子 縞 や 縦 縞 の 織 物 で あ っ た ・
こ の 町 の 発 展 の 有 様 を,ワ ー ズ ワ ー ス(Words‑
worth)は 旅 行 記 に 皮 肉 た っ ぷ り に 「黄 色 い 屋 根 の 村 が,町 の 喧 燥 と 醜 い 石 の 家 屋 に と っ て 代 ら れ つ つ あ る 」6)と 記 し て い る.
ハ ウ ィ ッ ク(Hawick)は.,ガ ラ シ ィ エ ル ズ よ り も 大 き な 町 で,イ ソ グ ラ ソ ド と 中 部 ス コ ッ ト ラ ソ ド を 結 ぶ 幹 線 道 路 上 に あ り,商 業 上 の 要 地 で あ っ た.そ こ で は1730年 代 に,イ ソ グ ラ ソ ド硫 毛 織 物 製 造 用 の 編 系 紡 績 が 始 ま っ た.そ し て50年 代 に は,地 主 ジ ェ ソ ト リ が 地 元 は や は ス コ ッ ト ラ ソ ド織 物 業 の 中 心 で は な か っ た.W.Kennedy,AnnualsofAberdeen,ユ818,
i,p.203.
5)毛 織 物 製 造 業 者 は,亜 麻 織 物 製 造 者 よ り も高 い 賃 金 を 紡 績 工 に 支 払 っ た.R・Douglas,
AgriculturalReportofRoxburghshire,Edin‑
burgh,1798,P.212.「 評 議 会 」 か ら の 奨 励 金 と し て,ガ ラ シ ィ エ ル ズ の 織 元 に1791〜1829年 の 間,£3803が 交 付 さ れ た 、ScottishRecord Office,AnnualReportofTrustees.
6)J.C.Sharp(ed.),RecollectionsofaTour
madeinScotland,1803,Edinburgh,1874.
78季 刊 創 価 の 羊 毛 を 用 い て 前 貸 問 屋 制 で 紡 績 し,ダ ン フ ェ ル ム ラ イ ン(Dumferrnline)の 織 工 を 招 い て メ リ ヤ ス 類 と カ ー ペ ッ ト製 造 に 企 業 的 に 成 功 し た.7)ま た1771年 に は,市 参 事 官 ハ ル デ ィ(Hardie)が,毛 織 物 下 着 や ス ト ッ キ ソ グ 製 造 の 機 械 編(frame‑knitting)を 導 入 し た.
毛 織 物 製 造 が 地 方 経 済 の 中 で 大 き な 意 味 を も っ た の は,ナ ポ レ オ ン 戦 争 後 と りわ け1830 年 代 か ら で あ る.ハ ウ ィ ッ ク の 織 物 業 の 市 場
は,当 初 は 東 部 や 北 部 の 漁 村 で あ っ た が,流 行 が 粗 硫 毛 メ リヤ ス 類(coarseworstedho‑
siery)か ら 軽 量 の 毛 織 物 商 品(softwoollen varieties)に 移 る に つ れ,高 級 織 物 に 特 化 し た.8)こ の 企 業 的 成 功 の 鍵 は,レ セ ス タ ァ シ ア (Leicestershire)の 救 貧 院 か ら の 廉 価 な 労 働 力 の 提 供 を 得 て メ リ ヤ ス 製 造 コ ス トの 削 減 に 成 功 し た こ と に あ っ た.9)そ し て ハ ウ ィ ッ ク は, メ リヤ ス 類,伝 統 的 な カ ー ペ ッ ト製 造 の 他 に
「肩 掛 け 」(Plaiding),「 フ ラ ソ ネ ル 」(flannel),
「 毛 布 類 」(blankets)製 造 で 有 名 と な っ た.
こ の 時 代 で は,ガ ラ シ ィエ ル ズ や ハ ウ ィ ヅ ク の 毛 織 物 業 の 発 展 に 比 す と,国 境 地 域 の 諸 町 村 の 発 展 は,さ ほ ど 注 目 に 価 し な い.
ジ ェ ドパ ラ(Jedburgh)で は,「 評 議 会 」
7)R.Wilson,HistoryofHarwick,Harwick, 1825,p.252.
8)JohnSinclair(ed.),TheStatisticalAc‑
countofScotlandEdinburgh,1791‑9,viii, p.523.
9)ス コ ッ ト ラ ソ ドの 救 貧 法 が 廉 価 な 労 働 力 供 給 に 貢 献 し た.イ ン グ ラ ン ド の 国 家 救 貧 法 と は 異 な り,教 区 主 体 の 救 貧 法 で あ っ た.ス コ ッ ト ラ ソ
ド の 救 貧 法 に っ い て はJeanLindsay,The ScottishPoorLaw,itsOperationinthe
north‑eastfrom1745toユ845Devonユ975;
J.G.Smith,Dig・estoftheLawげ,Scotland relatingtothePoor.Edinburgh,1861;Sir GeorgeNicholls,AHistoryofScottishPoor
Law,1856,Londonrepin1967等 の 文 献 が
あ る.
経 済 論 集Vo1.8No.1
か ら プ レ シ ア ム を 得 て 毛 布 類 や ウ ェ ー ル ズ ・ フ ラ ン ドル 製 造 を 試 み た が,結 局 織 元 は2人 に す ぎ ず,織 機 類 で は1770年 代 に 比 し て..
年 の 方 が 減 少 す る こ と に な っ た.10)そ し て19 世 紀 初 頭 に は,ハ ウ ィ ヅ ク の メ リ ヤ ス 類 製 造 の 下 請 企 業 と し て 編 入 さ れ る に 至 っ た.
さ ら に 東 部 の ケ ル ソ オ(Kelso)で は,毛 織 物 工 業 と並 存 し て 亜 麻 工 業 と 木 綿 工 業 が あ
り,1828年 に は70台 の 織 機 が あ っ た.11)し か し こ の 地 方 は 地 味 が 豊 な こ と も あ り,地 主 資 本 は 製 造 工 業 へ で は な く農 業 に 流 れ た.
セ ル カ ー ク(Selkirk)は,こ の 時 代 に は ほ と ん ど 発 展 が み ら れ な か っ た が,そ の 理 由 は.
厳 し い 封 建 的 な 町 規 制(burghsrestrictions) の 残 存 が 工 業 発 展 を 阻 害 し て い た.ユ825〜6 年 の 間,こ の 町 に は ガ ラ シ ィエ ル ズ か ら移 住
し て き た 毛 織 物 製 造 企 業1社 し か な か っ た.
ツ イ ー ド渓 谷 の イ ン ナ レ イ セ ン(lnnerlei‑
then)で は,1780年 代 に 鍛 治 屋 出 身 の 毛 織 物 製 造 企 業 が 設 立 さ れ た が 成 功 せ ず,結 局 は18 20年 代 の 後 半 に ガ ラ シ ィエ ル ズ の ツ イ ー ド織 企 業 に よ っ て 買 い と ら れ た.そ の 他,ピ ー ブ ル ズ(Peebles),ラ ン ゴ ル ム(Langholm)等 の 町 が 散 在 し て い た が,1830年 代 ま で は,そ こ で の 毛 織 物 企 業 は 地 域 小 市 場 の 供 給 の 域 を 出 て い な か っ た.12)
以 上 に 概 観 し た よ うに,ス コ ッ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 は,X830年 以 前 に は 国 境 地 域 と い っ
ユ0)ReportoftheAssistantHandZoomVVe‑
ttversCommissioners(1839),XLII,p.159;
PigotDictionary,p.649.
11)Sir.J.Sinclair,op.cit.,x,p.576ff.
12)1794年 に,ラ ソ ゴ ル ム の 地 方 牧 師 は,「 こ の 町
が 享 受 す る 全 て の 利 点 を 考 慮 す る と,大 毛 織 物
工 業 が 長 い 間 確 立 さ れ て い な か っ た こ と は 驚 き
で あ る 」 と 不 満 を の べ て い る.Sir.J.Sinclair,
Ibid.,xiii,p.587ff;xxi.pp.245‑6.
Juneユ978 北 政 巳:ス コ ヅ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 史
表1ス コ ッ トラ ン ド毛 織 物 工 業 の 生 産 能 力 の 推 移(1835〜 ユ878年)
79
年 工 場 数
1835
..
1$47 1850 1856 ユ861 ユ867 1871 1874 1878
90 ユ12
ユ82 196 1$4 193 218 257 246
紡績紡 鐘数
224,工29 272,225 317,185 343,068 421,4$9 529,011 559,031
力織機 釧 動HP総 蠣 者数
247 665 1,303 3,418 10,543 11,758 6,284
1,822
2,533 2,943 3,904 5,942 9,305
3,505 5,076 9,637 9,464 9,280 9,8ユ2 ユ4,760 23,000
27,728 22,667
出 、 典)各 年 の 議 会 資 料(ParliamentaryPapers)よ り 抽 出.
(1836)XLVp.138;(1839)XLIIp.310;(1847)XLVIp.294;
(1850)XLil.p.745;(1857)XIV.p.7;(1862)LV.p.23;
(1867〜8)LXIV.p.453;(1871)z,xzz.P・440;(1875)XVLP・220;
(1878‑‑9)LXV.p.324.
て も ガ ラ シ ィエ ル ズ や ハ ウ ィ ッ ク で 発 展 し た も の の,他 の 町 村 で は 何 ら の 重 要 性 も も っ て い な か っ た.そ の 最 大 の 原 因 は,市 町 村 の 当 局 や 地 主 ジ ェ ソ ト リが 毛 織 物 製 造 業 者 の 活 動 に 保 守 的 で あ っ た こ と で あ る.13)成 功 し た ガ ラ シ ィエ ル ズ に は,「 そ の 町 を ス コ ッ ト ラ ソ ドの リ ー ズ(イ ソ グ ラ ソ ドの 毛 織 物 工 業 の メ ヅ カ)と な る よ う に 発 展 さ せ よ う とす る 進 取 で 自 由 な 気 性 を も つ 」14)ス コ ッ ト家(Scotts)
の 企 業 者 活 動 が 見 うけ ら れ た 。
し か し 国 境 地 域 は,燃 料 不 足 か ら の 生 産 コ ス ト高 と い う現 実 の 難 問 題 を 抱}て い た.蒸 気 機 関 の 運 転,織 布 の 染 色 用 の 大 量 の 熱 湯,乾 燥 用 の ス トー ブ 等 に は 大 量 の 石 炭 が 必 要 で あ っ た.ガ ラ シ ィエ ル ズ に は20マ イ ル 以 上 も離 れ た と こ ろ か ら,石 炭 供 給 を 仰 が ね ば な ら ず, そ の 他 の 地 域 も 大 半 は 同 様 の 悩 み を か か え て い た ・15)ま し て 交 通 ・輸 送 綱 の 不 備 か ら,石
13)C.Gulvin,op,cit.,p.44.
14)R.Wilson,HistoryofHawick,Havvick, 1825,pp.287‑8.
15)例 外 は,ダ ル ケ イ ス へ の 穀 物 輸 送 の 復 路 に 石 炭 を 入 手 で き た ジ ェ ド パ ラ で あ っ た.Sir.J.
炭 輸 送 に は 大 変 な 貿 用 と 労 力 を 費 や し た.そ れ ゆ え 心 理 的 に も 停 滞 気 味 で,農 業 地 域 か ら の 脱 皮 へ の 努 力 や 労 働 力 流 入 の 現 象 も 見 ら れ な か っ た.
こ の よ う な 明 白 な 不 利 な 点 で あ っ た に も か か わ ら ず,そ の 地 域 に は 毛 織 物 工 業 発 展 へ の 潜 在 的 諸 条 件 を 備}て い た.
先 ず 第1に,こ の 地 域 に は 動 力 源,洗 浄 (scouring),縮 絨(milling),染 色(dyeing>
に 必 要 不 可 欠 と さ れ る=豊富 な 水 力 が あ っ た.
ガ ラ シhエ ル ズ は,歴 史 的 に も 「布 地 の 洗 い 張 り」 中 心 地(fullingcenter)と し て 知 ら れ て い た.第2に は,国 境 地 帯 に 散 在 す る 限 ら れ た 労 働 力 を こ れ ら の 地 域 に 集 中 的),rỲ.投 入 し 効 率 的 に 編 成 し て,工 場 制 度 の 成 長 に 向 け る こ と が で き た.第3に は,国 境 地 域 の 地 主 や 農業 者 は,羊 飼 育 法 の 改 良 や 良 い 品 質 導 入 に 熱 心 な 人 々 で あ っ た.16)最 も 顕 著 な 発 明 は,
Sinclair,01り.C2t.,1791‑9,i,p.ユ6;ii.pp.315 一ユ6.
16}7.E.Handley,̀TheEvolutionofSheep BreedsinScotland'ScottishStudies,xii,.
1968,p.147.
So
季刊 創 価 経 済 論 集Voi.8No.1 表2ロ ク ス バ ラ(Roxburgh),セ ル カ ー ク(Selkirk),ピ ー ブ ル ズ(Peebles)
諸 州 の 毛 織 物 生 産 能 力 の 推 移(1835〜1871年)
年
1835
..
ユ847 ユ850 ユ856 1861 1862 1871
工 場 数
49冒ウ自Q9
0 8 4 7 , 7 4 4 4 4 4
全 体 で の 比 率(0)
74∩V2り0
2 5 4 4 2 2 2 2 2 2
紡績紡 鐘数
77,00a 1ユ3,888 160,257 ユ39,030 155,230
全 体 で の 比 率(%)
421070﹂4FD﹂43
力 織 機 数
22
ユ09 328 559 1,110 ユ,336
全 体 で の 比 率(0)
100
44 50 43 10*
11
労 働 者 数
789 1,046 2,264 2,573 3,309 4,042 5,180 6,707
全 体 で の 比 率(0)
3 0 3 7 6 1 5 9 2 2 2 2 3 4 3 2
*こ の 急 速 な 減 少 は,ス コ ヅ トラ ソ ド西 部 の カ ー ペ ッ ト工 業 に お け る 力 織 機 の 急 速 な 増 大 の 結 果 で あ る.
出 典)各 年 の 議 会 資 料(ParliamentaryPapers)よ り抽 出,表1の 資 料 と 同 じ.
土 着 の 焦 げ 茶 面 羊(Dunface)の 改 良 品 種 チ ェ ビ オ ッ ト羊(Cheviot)で あ っ た.そ れ は, 従 来 の 黒 面 羊(blackface)17)に 比 し て,均 質 で 短 毛,色 調 も 華 麗 で 工 場 処 理 に も適 し た 繁 殖
力 の 強 い 多 毛 産 の 羊 で あ った.し か も当 時 流行 しつ つ あ っ た 「ち 密 で 重 厚 な 衣 類 」(dense heavycloths)の 製 造 に 適 し て い た.18)
こ の よ うな 利 点 を 享 受 し て,ス コ ッ ト ラ ソ
ド毛 織 物 工 業 は,1830年 以 前 に は ほ とん ど外 国 産 羊 毛 を 輸 入 せ ず に,企 業 的 に 成 功 し つつ あ っ た.特 に イ ン グ ラ ン ド市 場 へ の 羊 肉 の
供 給 や ヨ ー ク シ ア地 方 の 毛 織 物 工 業 へ の羊 毛ユ7)黒 面 羊 の 毛 は,長 く粗 く,比 率 的 に も 使xな い 髪 や 粗 毛(kemp)を ふ くん で お り,加 工 に は 不 適 で あ っ た.そ れ ゆ え 主 と し て 手 編 み 用,く つ 下,粗 目 の カ ー ペ ッ トに 向 け られ,イ ン グ ラ ソ ド織 元 へ 原 材 料 と し て 販 売 さ れ た.黒 面 羊 毛 は ほ と ん ど 技 術 改 良 を み る こ と が な か っ た か, 最 終 的 に は19世 紀 の 後 半 に,著 名 は 格 子 縞 の 防 水 的 な 「ツ イ ー ド織 」 が 作 り出 さ れ て 脚 光 を 浴 び る こ と に な る.
ユ8)1828年 に,ネ ピ ア 卿(LordNapier)が,南
部 高 地 か ら 黒 面 羊 が 駆 逐 さ れ つ つ あ る と の べ, ス ゥ ゼ ィ(Southey)は,1851年 に 「ス コ ッ ト
ラ ソ ドで 最 も 著 し い 変 化 は,チ ェ ビ ィ オ ッ ト羊 の 代 替 に よ っ て 黒 面 羊 が 減 少 し た こ と であ る 」
と残 し て い る.R.M.Hartwell,The】E'orkshire WoollenandWorstedIndustry1800‑1860
0xfordUnpublished,1955,p.24;C.Gulvin, op.cit.,p.49.
供 給 の 増 大 は 著 しか っ た.こ の 毛 織 物 工 業 の 興 隆 は,封 建 遺 制 の 残 存 し て い た ス コ ッ トラ ン ド農 村 社 会 の 二 重 経 済 構 造 を 廃 絶 し,近 代 的 な 労 働 市 場 を 形 成 し た.「 高 地 清 掃 」(High‑
landClearance)が エ ン ク ロ ジ ャ ー 運 動 に よ っ て 展 開 さ れ,一 部 の 拡 大 化 さ れ た 耕 地 に 再 植 民 さ れ た が,大 半 は 土 地 を 追 わ れ 紡 績 や 織 布 の 仕 事 に つ く労 働 者 と な っ た.19)そ し て 毛 織 物 製 造 と 農 業 労 働 は,次 第 に 「さ ら に 一 層 明 白 に,完 全 な 分 離(最 終 的 に は)が 生 じ て き た ⊥20)い た の で あ る.
ユ9)「 高 地 清 掃 」 に つ い て は,J.A.Symon,Scot‑
tishFarmingpastandpresent,Edinburgh , 1959,pp.135‑176;T.Johnston,TheHistory
oftheWorkingClassesinScotland,New
Jersey,1946repin1976,PP.290‑302に 詳 し い.
20)Sir.JohnSinclair,op.cit.,Edinburgh,
Appendix,i,p.19.こ の 分 離 を 推 進 し た の は , 織 物 工 業 に お け る 機 械 のi導 入 で あ る.1790年 代 に 手 動 ジ ェ ニ ー(hand‑jennies),水 力 稼 動 半 自 動 式 の ミ ュ ー ル ・ジ ェ ニ ー(water‑drivensemi.
automatic̀mule'jennies)ヵ ミ導 入 さ れ た ,国 境 地 域 で は 数 千 人 の 婦 女 子 紡 績 工 が イ ソ グ ラ ソ ド 北 部 織 物 業 者 に よ っ て 雇 用 さ れ て い た.S.Po1.
lard,TheGenesisofModernManagement
,
1965,London,P.37ス コ ッ ト ラ ソ ド 労 働 者 は,
イ ン グ ラ ン ド の 問 屋 制 家 内 工 業 に 吸 収 さ れ,国
内 製 造 業 者 に は 賃 金 コ ス トの 上 昇 を も た ら し,
織 布 業 の ボ ト ル ネ ッ ク と な っ て い た 。 織 布 工 程
の 機 械 化 の 完 成 は1850年 代 で あ る.
June1978北 政 巳:ス コ ッ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 史
そ こ に は 著 し い 人 口 が 田 園 地 域 か ら 工 業 地 域 へ 集 中 す る 動 き が 見 う け ら れ る.ロ ク ス
バ ラ(Roxburgh).セ ル カ ー ク(Selkirk), ピ ー ブ ル ス(Peebles)諸 州 の 人 口 は1755年 の 47,600人 か ら1831年 に61,000人 へ と 増 大 し た.ま た1801年 と1831年 の 間,ガ ラ シ ィ エ ル ズ(Galashels)は 約50%の 人 口 増,ハ ウ ィ ッ ク は80%の 人 口 増 を 示 し て い た.21)
注 目 に 価 す る の は,国 境 地 域 の 農 業 リ ー ダ ー に は 教 会 の 庇 護 が あ り,牧 師 が 一 方 で は 労
働 者 に 対 し て 新 時 代 の 工 業 発)/Y即 し た 工 業 規 律 へ の 順 応 を 説 き,他 方 で は 地 主 や 織 元 に 経 営 理 念 を 説 い た こ と で あ る.例 え ば,ガ
ラ シ ィ エ ル ズ の 牧 師 ダ グ ラ ス(Dr.Douglas) は,織 物 会 議 所(ClothHal1)の 設 立 基 金 と し て,織 元 達 に61,000を 長 期 貸 付 す る よ う に 説 い た.22)し か し 全 般 的 に み て,地 主 が 直 接 的 に 企 業 目 的 に 投 資 す る こ と は な く,工 場 建 物 を 永 代 借 地(feus)に 認 可 す る こ と に よ る 間 接 的 な 方 法 で の 援 助 で あ っ た.23)そ し て グ ラ ス ゴ ウ 在 住 の 毛 織 物 商 品 は 別 と し て,国 境 地 域 の 工 場 主 は,毛 織 物 業 の 仕 上 工(fuller)や 染 色 工(dyer)か ら の 出 自 で あ っ た ・ そ し て 毛 織 物 工 場 の 固 定 資 本 は 平 均x'200〜300で, 流 動 資 本 は そ の6倍 で あ っ た と さ れ る.24)何 21)J.G.Kyd,̀ScottishPopulationStatistics'
ScottishHistorySociety,3rdSer.XLIV, 1952.
22)C.Gulvin,op.cit.,p.53.
23)T.C.Smoot,̀ScottishLandownersand IndustrialDevelopment,'ScottishJournalof PoliticalEconomy,X7,1964,p.3.
24}CaledonianInsuranceCo.Edinburgh,MS,
Firei11'(1805),Policy,No.364・ 広 幅 織 物 用 の 飛 仔 コ ス トは,1795年 に 平 均6£12に す ぎ な か っ た.大 資 本 と 多 数 の 工 場 労 働 を 必 要 と す る 木 綿 工 業 と は 異 な り,熟 練 工 は 節 倹 と勤 務 の 精 神 を も っ て 毛 織 物 業 で 成 功 し た.そ れ ゆ.̀2..か つ て の 国 民 的 副 業 で あ っ た 亜 麻 工 業 は,毛 織 物 業 の 進 展 と と も に,衰 退 に 向 う こ と に な る.
8エ
故 な ら,羊 毛 は 他 の 繊 維 に 比 し て 高 価 で あ り, そ の 他 の 原 材 料,染 色 原 料 の 購 入,地 代 や 賃 銀 の 支 払 い の 他,羊 毛 か ら販 売 用 の 織 布 に 至 る ま で に 数 ヵ 月 の 日 時 が 必 要 で あ っ た.
そ れ ゆii..「小 資 本 」 と 「企 業 者 精 神 」 か ら 出 発 し,利 潤 の 再 投 資 に よ る事 業 の 拡 大 を 展 開 し ょ う と し た 国 境 地 域 の 織 元 の 直 面 す る 課 題 は 何 よ り も 金 融 問 題 で あ っ た.先 ず 第1に ユ789年 の ガ ラ シ ィ エ ル ズ の 織 元 達 は,エ デ ィ
ン バ ラ の 「評 議 会 」に 財 政 援 助 を 求 め た.「 評 議 会 」 は,原 材 料 や 機 械 の 購 入 資 金 や 技 術 習 得 の た め の 研 修 貿 用 を 支 出 し た 例 も あ る が, 全 体 と し て 少 額 に 過 ぎ ず,成 功 し た と は い}
な か っ た.25)
第2に は,銀 行 の 役 割 が 挙 げ ら れ る.諸 銀 行 は,融 通 手 形 の 割 引 業 務 を 行 な い 信 用 貸 シ ス テ ム を 用 い た.し か し1820年 代 以 前 の 銀 行 の 役 割 は,ほ ん の 僅 か に し か す ぎ な か っ た.26>
第3に は 同 業 者 間 の 相 互 補 助 で あ る.国 境 地 方 で は1777年 に ガ ラ シ イ ニ ル ズ 毛 織 物 業 者 組 合(GalashielsManufactures,Corporation>1
を 地 方 織 元 グ ル ー プ で 作 り,織 機 や 「お さ 」 (reel)を 共 同 購 入 し た り,「紡 績 機 」の 共 有 や 柑 互 の 賃 借 を 行 な っ た,ま た 共 通 の 基 金 に よ る 貸 出 しや 相 互 の 信 用 貸 も 一 般 的 で あ っ た.27)
ス コ ッ トラ ン ド毛 織 物 工 業 は,チ ェ ビ オ ヅ ト羊 に よ る 品 質 向 上 を 用 い て 著 し い 発 展 を み
25)AnnualReportofTrvcsteesに よ る と,1?
75〜1833年 の 間,国 境 地 域 の 織 元 へ の 奨 励 金 は, 年 額 僅 かX85に す ぎ な か っ た.
26)C.Guluin,op.cit.,p.62.
27)例 え ば ガ ラ シ ィ エ ル ズ の 織 元 ヘ ソ リー ・ブ ラ
ウ ソ(HenryBrown)は,1828年 の3月 か ら
1829年 の12月 の 問,地 域 の 同 業 者 に70回 ぐ ら い,
数 シ リ ソ グ か ら;e40の 幅 で 計 £540を 貸 し,同
期 間 に 同 方 法 で £340を 借 り て い た.全 て の 負
債 は,無 利 子 で,1,2週 間 あ と に 決 済 さ れ て い
る.ま た 融 通 手 形 は,貨 幣 同 様 に 流 通 し,し ば
82
季刊 創 価 経 済 論 集Vol.8No.1 表3ガ ラ シ ィ エ ル ズ で の 毛 織 物 生 産 能 力 と 販 売 高 の 増 大(1825〜1886年)
年
1825 1829 ユ832 ユ838 1840 1843 1845J6 ユ853 ユ863 1$65 1869
..
手 動織機数
175 265
5G3
600
402
力 織 機 数
295
ユ,085
刷 毛 機 数
22 25 28 36 39 60 65 76 114
紡 績紡鐘数
5,335
66,825 94,562
毛 織 物 販 売 額 (時 価)
£58,000
£26,000
£30,000
δe200,000
×250,000
×490,000
×570,000
£1,000,000 出 典)D・Bremner,TheIndustriesofScotland,1869repin1969,Chap .onWoo‑
lienManufacturespp.155‑163;Chambers,R .&W.GazetterofScotland (1883).sectiononGalashiels;J.H.Dawson,AStatisticalHistoryofScotland,
Edindurgh,1853,pp.988‑90;NewStatisticalAccountofScotland
,iii,Selkirk, 11ffよ り 作 成.
た.毛 織 物 輸 出 額 を み る と,1760年 代 と1780 年 代 の 間,年 平 均 診2万(公 統 計)で あ っ た が,ナ ポ レ オ ソ戦 争 後 は よ95万 に 達 し,1820 年 代 後 半 ま で 続 い た.
こ れ ら の 発 展 に も か か わ ら ず ,1820年 頃 に は,阻 害 的 な 諸 要 素 が 生 じ て き た.
先 ず 第1に,ス コ ッ トラ ン ド毛 織 物 の イ ン グ ラ ン ドの そ れ と の 品 質 較 差 に 架 橋 す る の に 役 立 っ て い た チ ェ ビ オ ッ ト羊 毛 が,大 量 に 刈 毛 し た こ とか ら 品 質 低 下 を き た し 「高 級 織 物 」 製 造 に 不 適 と な っ て き た.そ れ に 反 し て 多 量
の 原 毛 が ド イ ツ,ス ペ イ ン か ら輸 入 さ れ る よ う に な っ た.イ ギ リ ス 全 体 の 外 国 産 羊 毛 の 輸 入 額 は,1816年 の750万 ポ ソ ドか ら1830年 の 3,230万 ポ ソ ドへ と増 加 し た.特 に ヨ ー ク シ ア の 毛 織 物 業 者 は チ ェ ビ オ ッ ト羊 毛 の 輸 入 を 止 め て 外 国 産 羊 毛 に 転 換 し,ス コ ッ トラ ン ド産
し ば 裏 書 譲 渡 さ れ て い た.Craing‑Brown,Ac、
countBookofGalashielsWeavers'Corpora‑
tion,ユ908,passim;Ibid.,p.63.
よ り も上 質 の 軽 量 の 毛 織 物 製 造 に 成 功 し た.
そ し て 第2に は,ス コ ッ トラ ソ ドの 羊 飼 育 者 の 側 で は,羊 肉 増 産 に 熱 心 と な り急 速 に 飼 育 さ せ る こ と に 専 念 し た た め,羊 毛 は 不 均 質 で 貧 弱 で 長 毛 と な り,質 は 悪 化 し た.28)
ス コ ッ トラ ン ドの 毛 織 物 業 者 は,新 し い 条 件 に 適 合 し て 外 国 産 の 羊 毛 を 用 い る こ と に 試 行 錯 後 し た が,そ の 多 くは 技 術 ・企 業 組 織 に お い て イ ン グ ラ ン ドの 対 抗 的 な 業 者 に 劣 る こ と か ら,ヨ ー ク シ ア 織 物 と の 対 抗 は 断 念 し た.
1828年 の 特 別 会 議 で,ガ ラ シ ィエ ル ズ の 織 物 業 者 は 「高 級 織 物 に は 適 合 で き な い が,廉 価 で 勝 負 」29)を 決 定 し,再 び 補 完 的 な 劣 質 毛 織 物 に 専 念 す る こ と に し た.そ し て 具 体 的 に は,
くつ 下,メ リ ヤ ス 類(hosiery),廉 価 な 格 子 縞 肩 掛 け(cheapplaiding),ラ シ ャ服 の 着 替
28)ScottishRecordOffice,Reportofthe SpecialCommitteeoftheBoardofTrustees onPremiums,X830,p.28.
29)Craig.Brown,AccountBook(opcit.,),
14,Feb.1829;C.Gulvin,oρ.Ctt。,P.68.
June1978北 政 巳:ス 蹴 ツ ト ラ ン ド毛 織 物 工 業 史 83 図11860年 代 の ツ ィー ト織 製 造 の 主 要 工 程 の 説 明 図
供 給 源
イギ リス国内 オー ス トラ リア
ジイ ラン ド ケー プ植 民地 南 アメ リカ
え(duffle)等 で あ っ た.
V19世 紀 後 半 の 毛 織 物 業 ツ ィ0ド 織 の 登 場
1829年 は,ス コ ヅ ト ラ ン ド毛 織 物 の 歴 史 的 転 換 点 で あ っ た.っ 警 り経 済 危 機 の 年 で あ り 伝 統 的 な 青 色 織 物(bluecl◎theは β ソ ド ン 市 場 で 衰 退 しつ つ あ っ た に も か か わ らず,後 代 に ツ ィ0ド(tweeds)織1)と 名 聞 を 馳 せ た 新 織 物 が 登 場 し た か ら で あ る.こ の 新 織 物 は,織
匠 (重要 な諸段階)
たとえ圧縮機 が使 われな く とも,こ れ らの工程 を経る 一
繋 糸 始 紡
紹(か せ) に 裁 断
縦糸 ・横 糸 の巻敵
1)ツ イ ー ドの 語 源 に つ い て 述 べ て お く.元 来, ス コ ッ トラ ソ ドの 織 物 は 「あ や 織 」(twilled) で,ス コ ッ ト ラ ソ ドで は̀tweet'と 綴 っ て い た.
ユ830年 代 中 頃,ス コ ツ ト ラ ン ド生 れ の ロ ソ ド ソ 呉 服 商 ロ ッ ク(Locke)の 店 で 働 い て い た 店 員 が,̀tweet'と い う語 を 読 み 問 違 え て̀tweed'
と 写 し た.何 故 な ら,そ の 織 物 が ス 謙 ヅ ト ラ ソ ド南 部 のtweed河 流 域 に 起 源 を も つ こ と を 知 っ て い た か ら で あ る.そ れ 以 降,こ の 店 で は
̀伽eed'を 便 宣 的 に 用 い た .そ の 後,・ 醜ed$・ と
物 デ ザ イ ン か ら み て 革 命 的(revolution)と い う よ りは 改 革 的(evolution)な 製 品 で あ っ た.
前 ツ イー ド織 時 代 を み る と,19世 紀 の 初 め に な る と 国 境 地 域 の 羊 飼 い 達 は,彼 ら の 欄 服 の よ うに 「黒 白 弁 慶 縞 の ラ シ ャ織 」(black andwhitecheckedplaid)を 着 用 し て い た . そ れ は 土 着 の 羊 毛 を 紡 ぎ 天 然 色 の 美 し い 黒 白 模 様 を お び,f年 代 か ら増 加 しつ つ あ っ た 旅 行 者 が 旅 行 着 兼 土 産 品 と し て 歓 迎 し つ つ あ っ た.2)ま た 他 方,ス コ ッ ト ラ ン ド高 地 地 方
し て 普 及 し,1840年 代 の 初 め に 一 般 に も 定 着 し た.B.Wilson,̀TheIndustrialDevelopment
・fHawick'TransactionsげtheNati。 編 .AssociationOthePromotion{ゾSocial
Science,ユ953に 群…し い .
2)CramAlexander,̀Re瓢 三 夏isc三encesofthe TweedTrade'BorderAdvertiser9 ,Dec.
X874;TheEarlyStagesoftheTweedTrade'
乃 ♂4・ 声(2Q,Oc℃.X875).
g4 季 刊 創 価 経 済 論 集
表4H・ バ ラ ン タ イ ン社*の 毛 織 物 販 売 の動 向(1833〜1850年)
Vol.8No.1
年
1833 1834 1835 ユ836 1837 1838 1839‑一 一40 ユ841 1842 1843 1844 1845 1846 1847
.,.
1849 1850
ウ ヘ ゴ
ス 場 ラ
グ 市
£ 34 75 148 797
$74 4,158
2,040 1,650 2,357 3,039 5,746
..
3,843 2,478 3,036 907
エ ア イ ソ バ フ
市 場 へ
£ 158 256 358 303 615 537
2,7.12 6,413 5,206 6,421 8,490 10,700
2,921 2,000 1,876 2,306
ン ヘ
ド 場 ン
ロ 市
230 651 520 222
545 43 66 181 286 357
...
2,420 2,471 7,X47
総販売高 概数
£ 200 400 :fl 1,800 ユ,700 6,100
4,800 8,400 8,100 10,100 ユ4,899 ユ6,500 9,600 7,XOO 7,600 11,000
*ガ ラ シ ィ エ ル ズ と ウ ォ ル カ バ ー ソ に 工 場 を も っ て い た . 出 典)Edin・Univ・Lib・MSS.Gen921,Day.BooksofH.Ballantyne(1844‑50);
CitedbyC.Gulvin,TheTweedmakers,AHistoryoftheScottishFancy WoollenIndustry1600‑1914,NewYork,ユ973,P,87.
(Highlands)の 伝 統 的 織 物 の タ ー タ ソ(ta「‑
tan)織 が,ジ ャ コ バ イ トの 乱(1745年)後 の 禁 令 も条 件 付 で 解 か れ(1780年),そ の 地 の 人
々 の 衣 服 と し て 定 着 し つ つ あ っ た.
こ の 羊 飼 い の 黒 白 模 様(shepherd‑check) 織 物 と タ ー タ ソ 織 物 の 流 行 の 結 合 は,ス コ ッ
ト ラ ン ドの 装 身 織 物(fancytrade)の 発 展 の 骨 髄(kexnel)と な り,1830年 代 を 境 界 と し
て 旧 来 の 青 ・灰 ・茶 褐 色 の 習 慣 的(customa‑
ry)織 物 に と っ て 代 る.
こ の 流 行 品 を 創 り 出 し た の は,グ ラ ス ゴ ウ の 商 人 達 で あ っ た.3)ア レ ク サ ン ダ ー ・ク レ イ グ(AlexanderCraig)は,青 と 茶 褐 色 の 格
3)こ の フ ァ ッ シ ョ ソ 革 命 の リ ー ダ は,ウ ォ ル タ
̲.ス コ ッ ト 卿(SirWalterScott)で
,彼 が ユ826年 に 羊 飼 い 服 の 黒 白 格 子 縞 の 布 地 を ズ ボ ン に 着 用 し,上 流 階 級 に 普 及 し た こ と に 始 ま る C.Gulvin,op.CZt.,P.71.
子 縞 の 広 幅 織 物 を ロ ソ ド ソ市 場 で 広 告 し た 。 ロ ソ ド ン の 王 室 御 用 仕 立 服 屋 ジ ェ イ ム ズ ・ ロ ヅ ク(JamesLocke)が,白 黒 格 子 縞 の 毛 織 物 を 販 売 し た.4)そ し て ユ830年 代 後 半 に は,
ガ ラ シ ィエ ル ズ の 毛 織 物 製 造 業 者 も 黒 ・白, 黒 ・茶,黒 ・緑 の 格 子 縞 織 物 を 製 造 し た.ジ
ェ ドバ ラ で も 各 種 の 格 子 縞 織 物,膝 掛,肩 掛 製 造 に 着 手 し た.特 に ロ ッ ク は,ヴ ィ ク ト リ
ア 女 王 の ス コ ッ トラ ン ド訪 問 に 際 し て,巨 大 な 「暗 紅 色 格 子 縞 」(Murraytartan)織 物 を つ く り,そ れ を 「ヴ ィ ク ト リ ア 」 模 様 と登 録
し た.そ こ か ら 「一 族 織 物 」(DressClan) 模 様 が 波 及 す る こ と に な っ た.そ し て ま た 国
4)彼 は,ア バ デ ィ ー ン の ク ロ ム ピ ィ ズ(Crom‑
bies)社 を は じ め,ピ ー ブ ル ズ(Peebles)や バ ノ ツ ク パ ー ン(Bannockburn)の 羊 毛 紡 績 会 社 と 特 別 契 約 を し て ロ ン ド ン 市 場 で 販 売 し た.
Ibid.,p.71.
June1978ゴ ビ 政 巳:ス コ ッ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 史
表5ヒ ル フ ー ツ の 毛 織 物 生 産 能 力 の 推 移(1835〜1871年)
5 8
年
1835
..
187 1s50 185fi 1861 1867 187ユ
工 場 数
﹃DnδOOOりQ44000﹂6Q
全 体 で の 比 率(%)
FD(乙‑山FO﹁Dn∠り自9臼‑⊥‑←
紡 鐘 数
72.095 73,445 71,261 111,370 143,51.6
全 体 で の 比 率(%)
り臼7・9臼ウ臼40◎り白9臼0りり0
力 織 機 数
38 141 278 728 715
全 体 で の 比 率(%)
ユ6 21 21 21 7*
労 働 者 数