t 社会思想史の内容について
われわれが﹁奄会思想史﹂という名称でまとまった学問的研究・叙述をおてなおうとするとき︑いったいそれは
どういう独白の研究対象を︵とくに個別の諸思想史とくらべて︶もつのか︑それについてとくにどのような問題群
が選択して内容としてとりあげられるべきか︑またそのように規定された内容にたいしてどういう研究方法をもっ
てのぞむべきか︑といったきわめて基本的な諸点について︑現状ではいまだ明確な山致点がみいだされず︑おおく
の問題がのこされたまま︑実際には研究者の専門の都合におうじて各人各様の﹁社会思想史﹂が構想されている︑
といってさしつかえないであろう︒﹁社会思想史﹂という学問ほ周知のように︑戦后︑思想・研究の自由が実現し︑
わがくにの諸大学で社会科学関係︑とくに経済学関係の講義課目の仙つとして新設されるにともなって︑ほじめて
その学問的性質が二眼に反省されはじめたといえるが︑しかしその実体をなす学問領域は︑すでに弾圧下の戦前で
も︑非合法面での史的唯物論の伝統と︑合法面での良心的なブルジョア社会科学着たちの努力とにょって︑ひどい
困難を排しながらも漸次きずかれていたのであり︑それをつなぐひそかな共通¢視点ほ﹁社会主義﹂思想史︵社会
改良思想史をふくむ︶ の立場であり︑それはたとえばマックス・一べーアの著書への依拠によって︑消極的に表現さ
れていた︒もらろん︑極度の弾圧下では︑其に科学的な視点にたって社会主義思想史をさらに社会思想史にまで拡
社会恩恵史の内容および方法について ︵三九六︶ 六九 社会思想史の内容隠よび方法についや
一
木 村 正 身
第二十八巻 第四号 ︵三九七︶ 七〇
大し︑同時にブルジョア学者の個々の特殊研究成果のうち採るべきものについては批判的に吸収してゆくという課
題を設定す㌢﹂となど︑全然不可能であった︒局面は︑いまや十変している︒かって一部の良心的な研究者が﹁社
会思想史﹂研究の名で構想したものも︑じつはたいてい︑どく特殊なイデオロギーの実存形態の局面史を観念論的
に解釈したものにすぎないことがあきらかとなったし︑かって﹁社会主義﹂思想だとおもわれていたものも︑その
大草は社会改良思想の種々の形態にはかならぬことがあきらかとなった︒いま︑﹁社会主義﹂思想の名のもとにな
にがかんがえられたかはべつとし㌧て︑社会思想史研究のみぎのような系譜の意義はじゅうぶん評価されなけれはな
らないが︑しかし社会思想史ほ︑どららの意味の﹁社会主義﹂思想史よりもすくなくともその内容において広いは ヽヽ ずであ′るし︑他面︑方法においては前者は︑社会改良思想史にくらべてはもちろん︑科学的社会主義の思想史の素
朴な研究段階にくらべても︑いっそう透徹した視点をもたねばならないとおもわれる︒どういう意味で内容が広い
のか︑また透徹した方法意識をもつべきなのか︑ほ今月でもかなレザしもあきらかにされてはぃない︒
ただ︑それにもかかわらずなにより注意すべきことは︑すでにふれたように︑︑この学問が実践的・啓蒙的性格を
とくたつよYもっているということである︒もちろん骨蟄鑑質的な社会思想史も事実としてありうることは︑歴史
研究のつねである︒また実践的といっても︑ヲディカリズムや英雄主義にたいする倫理的共鳴の立場もありうる︒
ここではそういう素朴な立場ほ問題外として︑なお社会科学の一部門としての社会思想史がもつ本当の努践的性格
︵2︶
ということが反省されなければならない︒そしてこの実践的ということほ︑たんに許究者が自分のしめるべき思想︵3︶ 的地位を溌見するという個人生活上の実践の場として社会思想史にとりくむという点ばかりでほない︒資本主義の
一般的危機のいっそうの深化にともなうブルジョア汐−の動揺とあれこれの反動的社会改良思想のめまぐるしい
登場と重畳︑またそのなかで残存している道制にともなういっそうふるい諸観念の残存︑さらにまたこれら紅対
抗する労働運動のなかからうまれてくる空想から科学にいたる社会葺義思想の諸展開︑またこれらの諸動向Ⅵ国ご
との特殊性︑等ほ冒ざめてきた大衆にぶけるこのような思想変転の実相とその意義をただしくつかみたいという実
践的要求をつよめるが︑この要求!汗わほ﹁人間の自己疎外﹂の歴史的実相とそれからの主体切回複の途を知り
たいという大衆の要求1をみたすための諸条件はプル汐ヨア的な思想の自由の保障にょっていちおうあたえら
れ︑かかる要求ほいったん成立すればたとえ強暴なプァレズムにょって弾圧されるとも︑いな弾圧されればされる
はどかえってますます強固・広汎なものとなってくる︒社会思想史の研究とその普及は︑史的唯物論の立場に︑たつ
といなとをとわず︑このような実践的要求瞥﹂たえるという重要な使命をもち︑その消長は思想の自由のバロメー
︵.4︶ 夕方だとさえいってよい︒そしてわれわれはまたこの点から︑たとえばアン‖ノ・ルフェーブルが︑社会思想家とし ヽヽヽヽヽヽ てのマルクスを追体験することによってこ.ころみたように︑研究者じしんが社会思想史卑人間の自己疎外とそれか
らの回復との実践的認識を獲得する手段というふうに把握することの基礎も︑ほじめてあたえられるものと理解し
てよいであろう︒ いま以上の点をじゅうぶんに認識したうえで︑社会思想史がいかなる初究対象ないし内容と︑研究方法をもつべ
きかについて︑若干の問題点を指摘し七みたいとおもう︒
瘡 まず社告心想史の軌兜対象︑ないし研究素材からとりあげるべき内容についてかんがえてみよう︒︒のときさし
あたり問題となるのは
についてみると︑第〟に﹁経済思想史﹂・﹁政治思想史﹂・﹁文芸思想史﹂等々の個別の思想史の領域区分は︑もちろ
︵5︶
ん人間の社会生活の諸局面の分岐におうずるもの−つまりそれぞれの局面にたいする社会的見解︵経済的.政治的・逸律的・哲学的・道徳的・景教的・芸術的等々の︶の酷史−であろうが︑.と紅かくこの区分が鮭史的紅成立
︵三九八︶ 七一 社会思想史の内容および方法についで
第二十八巻 第四号 ︵三九九︶ 七二 しているかぎり︑相互に限誉れる︒とこ・ろがさらに第二に︑前会篤の各筒面賢いする白然発生的見解が研究
ないし理論紅たかめられると︑この研究ないし理論の立場からほ︑見解史ないし思想史はただ理論の確立史︑前史
雷ゼ憲史としてのみ︑つまり理論史荒か漂牒りでのみ︑問題と孟るようにな温差そういうものと
.して︑個別思想史は相対主義からまぬかれて︵始発的な存在理由をもつ︒すなわち︑それぞれ経済学や文学や哲学
ヽヽ 等々の理論史︵前史・似而非理論史をも︑理論という立場からふくめて︶に登場する代表的な人物ないしグループ
は︑始発的・直接的にほかならザしも社会史の発展にかかわらしめることなしに︑したがってまた現代大衆の実欝 .・ノ
的要求にはかかわりなしに︑とらえられる︒ところが倫ガでわれわれは︑それらの人物ないしグループの理論・創作
・体系がなんらか積極的意味をむてほもつはど︑それらの理論・創作・体系を理解するためのうらづけとなってい
ろ思想も叫定の時代の社会関係ないし階級関係の直接の︑またそこからでた諸イデオロギーそのものの︑すぐれて
忠実な反映として把握できるの烙という理解︑つまり史的唯物論=社会史的理解︑におそかれはやかれ到達せざる
をえなくな湾をれ紅もかかわらず︑この理解は個別の局面の理論・創作の理解の深化に資するかぎりにおいて︑
おこなわれるのであって︑そこ軋は山定の限界があり︑この限界がおのずから個別思想史の内容を規定することとな
る︒二・1蓼︼これを経済学︵理論︶史と経済思想史について例︑をとれほ︑琴論史のうえでほアダム・スミスはブルジョ
ア古典経済学の体系の樹立者・労働価値論および階級的所得分配理論の礎石の整備者・あるいほマニぷファクチュ
ア時代を綜括した理論家︑であるが︑しかしこのことをじゅうぶん理解するためには︑かれが経済思想家としては︑
重商主義時代を克服しおえ︑植民地帝国を完成したイギリス産業資本︑ないしほそれの君臨するイギリス市民社会
−ニ斡natiOnOf shOpke2perS3−−〜− のイデオローグ︑すなわち英辞合併后のプリティレそイコノ︑\︑ィが経済自 スコッチ・インチレクト 由・自利心の自然法の講壇的推進のためにとくに﹁スコットランド的知性﹂ ︵バックル︶ の門をたたいて獲た責重
なイデオローグ︑であったということを把握しなければならない︒そしてまた経済思想史としては︑この把握に必
要なかぎりにおいて︑﹃国富論﹄の内部払おける表見的な思想上の矛盾︵ナ∴yヨふノリズムとコスモポリタニズムと
の並竪や︑﹃道徳憎授論﹄と﹃国富論﹄とのあいだの表面的対立︷﹁利他心﹂と﹁自利心﹂との対立︶などの諸
問題をとりあつかわねばならないであろう︒しかしな凝ら︑この点を超えてス︑\長の道砥哲学体系全体にふくまれ
る諸思想およびその系譜の綜合的検討をするということは︑かならずしむ︑直接経済思想史の課題ではないといえ
■−Jd
ペンクマイト る︒また︑リカードクからl・S・ミル紅いたる音典派経済学者ははとんどみなベンタム主義者であり︑かれらの
経済政策論を理解するためにほベンタム的功利主義の理解が必須であり︑経済思塩史としてほこのかぎりで﹁フィ
ロソフィカル・ラディカリズム﹂をじゅうぶんにとりあつかわねばならないが︑しかしおのずからそこ匿は限度が
あって︑汐エリ︑︑\ィ・ベンタムないしかれの体系づけた功利主義そのものの系譜・展開の淑的研究は︑枠の外に
︵6︶ 押しだされる︒!すなわち要するに︑個別思想史の内容ほ︑理論史・創作史およびそれらの前史に登場する人物
・グループの思想というかたちで︑さしあたりおのずか打きまってくる︒
ところが社会思想史のはあいほどうか︒まずその内容は︑﹁酎射的にほ個別諸思想史の内容をはなれて存在するわ
けで埜だじ卜1とくに︑珊鄭思想史との関連紅ついて蒜︑史的唯物論=社会史の嘉からいって当然︑芸
ほすぐれて経済的なものとして︵つまり﹁生産−生産開陳1上部鹿追﹂の閑適においてとらえられるものとして︶憩解
1ヨノーワ・−チ1・▲・・11−\−−仁′!せ与⁝〜11壱7±・ 〜〜J− −︐21′〜1〜−・︑′1−く〜〜−−−−−−けーーーー1Jl←・く1−−・言−rlIll−〜−斗︐11こ
.√▲︐′−史ほすぐれて経済思想史的であるはずだといわねばならないであろう︒富来材の点では︑たしかにそうである︒
しかし︑筍叫到憩ボぬ扇視剣閃扇が.いが感惑︒すなわち経済思想史︑またその他の個別思想史研究にほ始発的に上
記のように理論の視点という粋があって︑その枠をほみでた部分を他の個別諸思想史がやほりばらほらにとぅあげ
社会思想史の内容および方法紅ついに ︵四〇〇︶ 七三
︵四〇こ 七四 第二十八巻 第四号
たあとにのこされることほ︑ス︑︑\ス劃般︑ベンタム山般︑あるいはこれらのイデオローグたちの背後にある階級や
日常大衆の社会観念州般の︑正面からの歴史的とりあつかいというこ&∵とれである︒これがおのずから社会思想
史の内容となるにちがいない︒しかし︑そのような社会観念ないしイデオロギーの特質・歴史性をあきらかにサる
かぎりにおいて︑逆に個別の特殊理論がじゅうぶん検討されねばなら紅いだろう︒たとえば︑ス︑\\スにおける剰余
価値論の限界をあきらかにするために︑スミスのブルジョア・イデオローグ性をしらべるのでなく︑逆にス︑\︑′スが
特殊なブルジョア・イデオローグであったことをあきらか狂するために︑かれの剰余価値論︵その着想・構成・歪
曲︶なり﹁同感﹂の論理なり国防の論理なりを﹁吟味するのである︒しかし︑\かかるものとしての社会思想史その
ものも︑爵たじつはなんらかのべつの一般的な理論︵﹁社会理論﹂︶の枠 − ﹁鮭史.のロゴス﹂ ︵高島教授︶1
をもつにちがいない︒そうでなければ︑相対主義におちいり︑学問としての存在楓拠がうしなわれる︒しかしかか
る理論ほ他面でほ同時に︑具体的な歴史=社会史からほなれたものではありえ頂心そうでないと個別思想史のほ
あいとおなじ矛盾を鴻っこととなる︒けれどまた︑このような社会理論は︑かって﹁知識社会学﹂の立場から説か
れたような︑たんに抽象的・超党派的な﹁存在被拘束性﹂Seins諾rbunden訂itの理論︵カール・マンハイム︶ と
いったものにとどまることも︑もちろんできない︒なぜなら︑それはなによりも歴史的実践的見地を決定的に欠い
た︑内容のない﹁理論﹂であり︑﹁理論﹂の名のもとにじっほ個別の諸思想の小ブルジョア的折襲を志向するにす
ぎなかったからである︒けっきょく︑\図上の諸点を解決するような唯一の ﹁社会理論﹂は︑史的唯物論でなけれ
ばならな烏ところで︑ふたたび素材の点にかえっていえば︑このばあいの依拠すべき﹁社会理論﹂がかりにプル
︵7︶ ジョア社会学か史的唯物論かを問わず︑その歴史にとりわけて専門の﹁社会層論﹂家たることをみずから棟梯する
人々がつねに登場するわけでは・ないから︑¶桝っきょく一般的な社会的観念︵社会観︶ないし﹁社会思想﹂が歴史上
具体的にはぜのような局面でどのようなイデオローグなり日常大衆なりによって展示されたか︑またそれらをいか るかという問題とな洩それでは︑こ▼の蒐集選択の基準はなにか︒ に編成すべきかは︑個別思想史の授供している素材を︑史的唯物論および社会史に照応してどう蒐集し取捨選択す
ひとつの見かたは︑このような基準をもっぱら研究者ないし叙述者個人の専門や便宜にもとめるというゆきかた
である︒たとえば経済学者は経済思想史を中心とした社会思想史を構想しハ政治学者ほ政治思想史を中心とした社
会思想史をかくというどとき︒たしかに研究者の能力や叙述の紙幅という関係から︑結果としてはそうならざるを
えないかもしれないが︑しかしそうだからといって社会思想史の本来の内容が個別思想史の雑然たる勝手なオムニ
バスであってよいとは︑かならずしもいえないであろう︒たとえ具体的素材の点でほオムニバスであっても︑それ
虹内容に統妄るなんらかの客観的基煙があるほずである︒いままでの論点の再確認をかねつつ︑この点をかんが
えてみよう︒
まず欝∴ぬかんがえられることは︑個別の諸思想史では︑たとえばス︑︑︑スな㌢ペンタムなり︑またカンーなりシ
ェイクスピアなりにあらわれたイデオロギーほ︑これをいちぉうとりあげるにせよ︑先述のようにあくまでそれぞ
れの理論史なり創作史なりとの関連でのみ問題とされるから︑経済学・倫理学卜哲学・文学等々の枠によって単数
でほなく二人とか一一大となつたス︑︑\スやベンダム︑ばらばらにきりはなされたカンーなりルソーなりシェイクスピ
アができあがり︑これらのイデオローグたらの全人像を把握しきれないであろう︒もちろんここからこれらの活動
家個人を対象とするとくべつな伝記や各個研究の必要がうまれるが︑℃かしもろもろの﹁全人像﹂とか﹁社会思想
家﹂をつなぐ視点と︑それを具体的につらぬく場が必夢であろう︒
て︑またそれを具体的軋つちぬく場ほ社会思想史にょって︑それぞれあたえられるとかんがゝ笹ほ
社会思想史の内容および方法紅ついて 甘われ ほそのような視点は史的唯物論紅よっ
︵四〇二︶ 七五
の研究者といタ態度を卑裁ときにぬ︑このような時代¢実践的要求をみたすことをすぐれて意識してたつものとい
わねばならぼ⁚∫甘の点から李︑個別の思偲史研究や掛定活警の研究から得られる具体的諸素材の取捨選択に
は︑おのずから実践への役立ち度合いの軽重定におうじて︑元の基準附うまれてくるであろう︒そしてまた時代
の実践的要求の在りかたがことなるにおうじて∵﹂の基準もかわらざるをえないであろう︒たとえば今日のようぬ
資本怠温か十勝的敵機が深刻化し︑おおくの資本主義国においても社会主義が現実の日程にのぼりはじめていると
きでは︑社会主義の先進的イデオローグたちの発掘・研究は︑奴隷制や封建制擁讃の活動家たちの思想の研究より
︵8︶
もはるか紅重要な意義をもつ︵だからこそ社会思想史も﹁社会主義﹂思憩史として成立したのであった︶︒㌦しかし第三に︑いかに実践的要求軋薄さえられていても︑社会思想史も学問のご分科であるがぎり︑客観性をう
しなうことはもちろんゆるされないのであって︑近視眼的に﹁社会主義の英雄﹂を.ひろいだすことのみに終始すべ
きで軋ない︒実践性の基準そのものを規定する客観性の基準はなにによ?てあたえられ︑るか︒われわれはここで史
的唯物論に解答をもとめねばなら禦﹂ととなる︒まず︑個別の経済的︹わたくしはこれをふくめる︺・政治的●法的●
道徳的・宗教的・芸術的・哲学的その他の社会的諸見解と区別されたものとしての﹁社会的観念﹂ないし﹁社会観﹂ 際にはおそらくたいていいずれか個別専門の社会科学部門の研究従事者たを 第二十八巻 第四号 ︵四〇三︶ 七六
廃二に︑個別的な思想史の課題ほ︑即自的にほ理論史なり創作史の理解をふかめるために出発する︑あるいはそ
の任務は直綬には純粋な学術的要請に発するものといえよ温もちろんあらゆる学問はけっきょくほ実践に役だた
ねばならない軋しても︑特殊な思想史研究などは直接大衆を啓蒙するというすぐれて実践的な任務をほじめから意
識するものとしては登場しなかったであろう︒ところがはじめに指摘しておいたとおり︑祇頚感感融郁痛感感謝掛
接 .︵
lか隠語いり大磯嘩実践がむ藤して︑ぉ㌔また研究者も︑かれ自殊ば密る
八蔚Y
ヽヽヽヽヽ が︑︼魂会懸賞t
ないし﹁社会思想﹂とはな紅かにづいては︑直襟の規定はあたえられていないようであるが︑それはいわば人間の
社会生活そのもの︑全体としての社会︑に直接向けられたイデオロギーの実存形態だといえるであろう︒すなわち
仙方でほ個別的な社会的諸見解が社会生活のいずれか個々︑の側面に関連しているの紅たいして︑社会思想は総体と
しての社会生活に関連し︑他方でほイデオロギーないし社会的意識ほひとつの抽象的範疇であるが︑社会思想はそ
の仙般的な︑しかし具体的な実存形態であるということができるであろう︒そこで︑このようなものとしての社会
思想の歴史め内容構成は︑すくなくともつぎのような諸視角からおこなわれなければならぬ軋ちがいない︒
H まず仙般的紅いえぼ︑社今恩恵史は一方ではあとでのべるよう虹イデオロギーの発展構造およぴその法則に
かんする叫般理論としての吏刀オd督1弘澗句歴萄ユ具備的側線という見地から︑イデオロギー論にむす■びつきな
がら︑しかも他方ではひとつの歴史として︑そうぃう去ロにたいする上部構造の照応的起瀕・発生と反作用にかん
する歴史の教訓を正面からもれなく全般的・端的に要約するとい電柵で︑・個別動静鱒矧針れ見識蘭榔
嘩烈千木トをつけ︵先述のごとくこの点で実践的観点が加味される︶取捨選択しながら︑みずからの内容をつくり
あげる︒
⇔ そのばあいのウエイトのつけかたは︑なによりも所与の社会の基本的生産関係とその基本的諸矛盾を反映す
るような諸イデオロギーの発展的対抗関係!具体的には︑かかる基本的矛盾の結節点としてあらわれる諸論争点
にたいする︑おもな対抗的諸論理とその消長 − が基準となるから︑叫上からの支配階級的・保守的なイデオロギ
ーないし論理の素材︒吻これに対応する下からの被支配階級的・進歩的︵革命的︶なイデオロギーないし論理の素
材︒の両者が︑なかんずく后者が︑重視されねばならぬことはいうまでもないがい㈱きらに没落的ウクラードに照
応するイデオロギー・論理にかんする素材も︑加えられねげならない︒㈲しかし︑さらにまた︑以上をつうじて注
︵四〇四︶ 七七 社会思想史の内容および方法について
第二十八巻 第四写 ︵四〇五︶ 七八
意すべきは︑かならずしむ顕著な対抗的素材ばかりでなく︑日常世俗の陰微な素材のなかにも陳腐化した慣習的・
制度的︵インステイテチーショナル︶な諸認識と︑たえず現状を批判し事実にちかずこうとする尖端的︵マト汐ナ
ル︶な諸認識との対抗関係があって︑これほいまだ対抗的イデオロギ1︵ロゴス︶関係に草で社会化・皿般化して
はいないが︑しかもイデオロギーの形成過程を具体的に左右する要素として︑社会思想史の重要な補助的素材とな
︵9︶ るもの・といえるであろ買ノ︒
さて以上のような諸視角から規定せられるはずの社会思想史の内容は︑けっしてかならずしも個別思想史にあり
あわせの資料の便宜という点からかんがえられるべきでないということとなるであろう︒特定のイデオロギーなり
その形成の補助素材としての尖端的な日常の思考の存在なり毯とくに指摘する必要がおこるならば︑郡別の思想史
ではじゅうぶんとりあつかわれていなかった側面なりそのイデオ︒−グが掘りおこされねばならない︒㌦−たとえ
ば古代奴隷制下の社会思想をみるぼあい︑プラトーンやアリストテレースに対応して被支配階級=奴隷のイデオロ
ギーをしらべるためにほ︑も・とより叛乱の指導者スパルタクスの思想・行動の研究などほ重要な意義をもつが︑同
時粧そのように革命的に顕在化した面ばかりでなく︑鷹外イソップ︹アイソープス︺の諸寓話にあらわれた微妙な
社会観の検討は︑後代のキリスト教的﹁モラル﹂の附加軋よる歪曲にじゅうぶん注意したうえでこれを吟味するな
︵10︶
ら︑いろいろの示唆をあたえる紅ちがいない︒1またたとえ償︑封建制ヨーロッパでほ︑上部構造蔽おける宗教の自然法的・アリストテレース的支配が封建的生産関係を魔術的なかたちでもっとも端的に反映したという社会史
的事実から︑まずそのような基本的事実にふれないでたんに宮廷や騎士道を讃美した年代記家フロアサールや伝承 へし 文学者アースルタクンのーマスよりほ︑アベラトルや聖トマスが︑ついで批判的唯名論の祖述者アベラ/−ルよりほ
むしろ歴代法王やなかんずく制度的自然法論の完成者聖−マスの方が︑支配的イデオロギーの代弁者としてえらほ
ヽヽヽヽヽヽヽ れる︒しかし同時紅封建的階級対抗関係をあきらかにするため軋は︑原始キリスト教の精神を説く︑異端的諸派の思 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 想のマージナルな展開が︑腐敗した教会紅対抗していかに諸教団をうみ︑これに対応してまたいかにいわば御用組
合的な教団︵たとえばド︑︑二;教団︶が教会の手でつくられ︑かぐてまた諸教団の堕落にともないそれ紅対抗して
プア.プリースッ あたらしい異端派がいかにシまれ︑こうしてたえず托鉢僧たちの媒介にょって農民層の革命的イデオロギーが定型
化されていったか︑またこれを教会がいかに峻烈な審問射と血なまぐさい十字軍の槍で残億に弾圧迫害してしかも
じゅうぶん奏効しなかったか︑ということが基本的重要性をもち︑この点からいわゆる﹁カターリ﹂運動の諸展開や
その指導者たちの思想が︑注目されねばならず︑さらにこの対抗関係は︑黒死病以后のたとえばイ.ギリスの﹁労働
者条例﹂︵三四九年にほじ㌢る︶や﹁異端者条例﹂︵蒜〇二年に確立︶の展開紅象徴される支配階級の反動的社会観の
繋化と︑それに対抗する農民大衆のあいつぐ叫揆︵イギリスにおけるジョン・ポー・ルらのロラード派の活動・薮乱
を始点として︑大陸各地における無数の農民一揆・戦争にいたる︶にみられる革命的社会観との培抗関係の伏線と
して︑理解されねぼならない︒したがっていミ封建的生産関係を内部からきりくずしてゆぐ商業資本のイデオロ
ギーの諸表現iヤコブ・フッガァにおける︑・またルネッサンス・とふーマニストたちにおける・1ほ︑やがてき
たるべきプル汐ヨア的生産関係の基礎を商業資本が準備した点で︑その解放的性格がじゅうぶん注意されねぼなら
ぬとtても︑けっきょくほ基本的対抗関係にたいしては副次的にすぎぬもの︑かつ過渡的たるべく運命づけられた
ものとして理解されるべきであって︑そういう観点からフツガァの冒険的性格や︑ダ・ブインチ︑ポッカッチミグ
ンテ︑さらにマキヤヴュルリなりロレンゾ・ディ・メディチたちのフマニスムスの孤立性が︑注意されることとな
ろう◇しかしまた︑このように陽衷化された対抗関係における諸イデオロギー対立の誇様相を把握すると同時に︑
どのように宗教払おける農民の小蕪的意識がかれらの日常生活に渉透していてかれらのイデオnギーの定型化にあ
︵四〇六︶ 七九 社会思想史の内容および方法について
第二十八巻 第四号 ︵四〇七︶ 八〇 ずかったかを理解することもまた無視できないのであって︑たとえばラングランドの叙事詩に盛られた農民のかん
がえかたが︑今日のわれわれからみればいかになまぬるく︑日常的であり︑あまりにも敬虞な情緒にみらていよう
︵12︶ とも︑いなそうであればあるだけかえって︑そこに盛られた平等と労働の両教義を中心とする諸思索ほ︑歴史とし
ての社会思想史にとって重要な素材とならねばならないであろう︒なぜなら︑岬方でほ農民の日常生活から軋じみ
でたこのような正義の要求と教会腐敗への痛憤こそが︑ジョン・ポールやワォツ︑ト・タイラァを直接に奮起せしめ
たのだし︑他方ではまたこの農民の敬虞さそのものが︑まずⅠマス・モアのカトリック・ヒューマニズムくにつなが
り︑ついではいわば毒をもって毒を制してまずルタア以下の宗教改革︵独立自営農民層のイデオロギー︶のための潜勢
力とな牢′さら紅カルプァ言ムないしピチアリタニズムその他の節約のモラルがブルジョア生産関係の確立にあ
︵1 3︶
このよう⁝︑欝思想史の内容規定にかんしては︑Hなにが歴史上の基露・体制的な諸牒点荒んして
イデオロギー論および社会史をとりわけて例証するか︒⇔すでに対抗的諸イデオロギーに陽表化された面ではなに
が支配階級的・制度的・保守的・襲退的であり韓軒にが被抑庄階級的・革命的・従属的ながら上昇的か︒飼なにが
従属的であってしかも没落的か︒これが上昇的なものとどんなにむすびつき︑またほはなれるか︒囲日常的・非定
型箪なもののうちでな紅が尖端的・限界克服的であって制度的なものに反撥し革命的・理想主義的なもの軋志向し
ていこうとするか︒という素材選択上の諸視点を確立しておくことが︑どうしても不可欠であるよう紅おもわれ
且そしてまたひるがえって︑厨別の諸思想史も︑けっきょぐ本当の思想史となるためにほこれらの諸視点がじつ
は必要であることがあきらかとなり︑そういう意味でほじめて社会思想史の各論的地位を占めうることとなり︑夷
成約・史的唯物論=社会史的な︑接頭語のない﹁思想史﹂の立場が︑ここでほじめて斉一的に成立して︑これら各
個の思想史をもつらぬくこととなろう﹂しかし本来ほ専門学術的に理論史に奉仕する義務を負うものとしての各論
l一l−1111
の内容の算術的総和が︑はじめからそのまま無差別に社会思想史の内容となるのではなく︑﹁后者は︑個々の社会的諸見解を歴史の場でよこにつらぬく仙般的な社会観念をあきらかにするかぎりて前者や琴論史から素材をうけ︑
かかる社会的諸観念を社会史の線にそうてたてに連結し︑社会主義史を規範としながらそれよりほ広汎なその内容
を︑歴史の教訓・思想の自由史として役立つといういみではじめから実践的に︑かつ上記の諸視角から構成される
といういみで独白に︑構成してゆくものと︑かんがえられるのである﹂
︵エ この論文︑というよりおばえがきは︑香川大学経済学部に本年皮ひらかれた﹁祉会思想史﹂の講義の担当をしたのを機会
に︑その序論的考察をまとめる必要からかかれた︒しかしわたくしほ︑同時にこのおぼえがきをかくことを媒介として︑自
分のいままでのほなはだしく未熟だった思想史研究の方法を根本的に反省しようとした︒わたくしなりの問題意識をもった
ウエーバ雪やラ女キンの研究に出発して︑ごく一部のブルジョア社会思想・経済思想群の周辺を緋御することしかできなか
ったが︑それでもあるひとつの問題紅あたると︑自分が本当に納得するまでは︑さきへすすむことができなかった︒そうい
ぅ点からくる制約がなおおおくのあやまりや弱点をこの論文にのこしていることが予想されるが︑それほ今後検討してゆき
たいとおもう︒なおまたわたくしほこの論文で︑非礼をかえりみず︑日ごろもっとも畏敬する恩師諸先生にむかい遠慮のな
い批判の鋒をむけたが︑それだけ平素学ぶことが深刻で︑自在に問題意識を啓発されたからにはかならない︒ふかい学恩を
おもいつつ︑とくにこの点を附記したい︒
︵2︶ ﹃社会思想史というようなものを︑われわれが書くことの意図は︑それによっ1て︑現在われわれがどのような人類歴史上
の危機堅且っているか︑そのため何をしなければならないかを︑自他ともに明らかにしたいからだということである︒﹄︵本
田善代治・水田洋共編﹁社会恩恵史﹂ 丁几五四年︑三ぺージ︒︶
社会思想史の内容および方法について ︵四〇八︶ 八一
︵四〇九︶ 八二 第二十八巻 第四号
︵3︶ この点︑水田氏も歴史研究の目的を﹁研究者じしんの現代における生きかた︑社会的態度の確立﹂とされ︑﹁研究者の社
会的実践的態度﹂を強調されみが︑あらゆる学問研究は︑それが職業化しないかぎり︑そういう意味でほつねに研究者自身
にとごし実践的なはずである︒水田洋﹁近代人の形成﹂ 山九五四年︑四山五ぺージ参照︒なお︑次節註︵11︶をみよ︒
︵4︶ たとえば河合栄治郎氏や三木清蔑めような社会思想史家の斗いを想起せよ︒なおこの点からも︑今後とくに日本社会思想
史がかかれることが要請される︒
ヽヽヽ ︵5︶ 通説とことなって︑わたくしほ経済的見解を﹁社会的見解﹂のうちにいれてみた︒なぜなら︑社会的見解そのものは上部
構造に属するものであっても︑それが上部構造に向かうものほかりとほかぎらず︑経済的土台に向けられた見解もありうる
し︑しかも経済紅向けられた見解を﹁社会的概念﹂一般にも︑また﹁社会的鱒帯﹂にも︑いわんや﹁科学﹂にも︑ただちに
属させることほ無理だとかんがえられたからである︒﹁⁚:二⁚的見解﹂という表現は︑﹁⁝:から発した見解﹂という忠味
と︑﹁⁝:にかんする︑に問っている見解﹂という意味とがありうる︒ふつうは漠感と前者の意にりかわれているようであ
るが︑それでほ社会思想と区別されたものとしての経済思想は上部構造のうちいずれに属するか︑わからなくなるであろう︒
以上の点につきスターリンもコンスタンチーノフたちもひとしく不明確でほあるまいか︒参照︑イ・ヴ工・スターリン﹁言
語学におけるマルクス主義紅ついて﹂国民文庫鮫︑石堂訳︑山四二ぺージ︒同﹁弁証法的唯物論と史的唯物論について﹂同︑
一一四および一〟六ページ︒コンスタンチーノフ監修︑ソ同盟科学院哲学研究所編﹁史的唯物論﹂︑ソヴェト研究者協会訳︑
第二敬一九五山年第十四葦︵とくに下巻︑二四七ぺ一望︑第二版山九五四年︑第十茸︵とくに常三分冊︑二七−八ぺー
ジ︶︒
︵6︶ もっとも︑さ︑ぎごろスターク編の﹁ペンタム経済著作集﹂三巻︵季StarkLeremy BentFam㌦EcOnOmicWritings・
Critica−EditiOn厨asedOn his Printed宅Orks an払UnprinteみManuscript㌢晋○−s.LOnd昌−浩申ふeがでるに ヽヽ およんで︑従来はまとして法辞思想家とされていたペソタムの経済理論家としての地位が再認識され︑経済学史会でもベン
タムにかんする報告があらわれるよう紅なったことが︑注目される.︵罪十凶大会での二つの報皆︶︒
︵7︶ 念のためにいえば︑唯山の真の﹁祉会理論﹂は史的唯物論であって︑ブルジョア社会学ほこれを提供することができない︒
実際ブルジョア社会学は︑ちょうど哲学が︑リヤ王のように︑その形而上学を弁証法に︑その観念的認識論を唯物論にうぼ
われて解体したのとおなじように︑サでにその全財産を史的唯物論と経済学と考古学にうばわれてしまっているのだから︑
今日では社会思想史の課題とはとんど関係をもたない︒なお︑.ブルジョア社会学の崩壊については︑コンスタソチーノフ等
前掲讃︑第二坂邦訳︑常山分冊︑五六−七ページをみよ︒
︵8︶ もっとも︑実際の個々の労作の力点はもちろんおのずからその著者の得意とするところないし当座の研究課題におかれる
のであって︑たとえば古代・中敗に一巻の孝ほを割かれる洪野安太郎氏の﹁社会思想史﹂と︑ブルジョア・イデオローグの
諸頬勲のバランスのある分析に力点をおかれていわばべーア的手法をおもんぜられる大河内教授の教科讃二準それに共著
の妙を発揮してめずらしくも果敢に帝国主義戦争以後に全巻の三分の一をあてられる本甲・水田共編﹁社会思想史﹂となら
べてみると︑啓蒙を主目的としたこれらの叙述においてもなおみられる相互の力点の相遥につき︑軽率な誤解があってはな
ヽヽヽヽ1ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ らないであろうが︑しかもなお︑実践的には力点をどこ軋おくぺきかの問題は︑依然重要だといわねばならない︒
︵9︶ 以下わ琴\しほこの点についてほ︑たとえばマックス・クェーーバァの宗教社会学にかんする諸労作や︑あるいはソ﹂スタ
イソ・げ・エプレンの諸著作がとりあつかったような思想的素材を︑かんがえている︒もらろんかれらがあたらし小素材をと
りあげたことと︑かれらの方法の致A叩朝な観念論的な欠陥とは︑厳重に区別されなければならない︒わたくしがかつてこの
問題をとりあつかったつぎの論文にほ︑この点が混同され︑問題がさかだちしてとりあつかわれていた︒拙稿﹁マックス・
ウエーバァ資本主義精神論の帰撼﹂︵高松経専論叢︑第二二軍第一号︑昭和二三年六月︶︑﹁ヴェブレン的世界の問題﹂H・均
︵香川大学経済論讃︑第二四糸二・三号︑昭和二六年七月・山 劇月︶︒なお︑イデオローグによって陽表化されたイデオロギ
﹁と日常的な意識とのくいちがいの問題についてほ︑コンスタンチーノフ等︑前掲書︑第二版邦訳︑第三分冊︑∵二八−九
社会思想史の内容および方法転ついて ︵四一〇︶ 八三
ページをみよ︒
︵10︶ ついでながら︑プリミディグな動物寓語や束洋のサンスクリット寓話からはじまり︑イソップを経て︑中規フランスのい ファプリオー わゆる﹁寸寓詩﹂︑マリ・ド・フランスのもの︑コアイネケ狐寓話﹂とつづき︑ラ・フォンテーヌ︑フロリヤンにいたって絶頂
アポロク の挙を嘆かせ︑ついにマンドブィルの﹁蜂の寓話﹂およ
れじしんいわば新酒に指圧された近代成立までの社会思想史をなしている︒たとえば︑十世紀ごろ発生したといわれ︑ゲー
テにいたって完成した﹁ライネケ狐﹂に登場する王様獅子は︑無能な封建君主の象徴であるし︑ライネケによる中世的政治
・慣習・宗数の濁点にたいする設滑な摘発ほ︑滴菜資本的琴念をあらわしている︒
︵11︶ ただし︑山方で伝承文学者七して活動しながら同時にカターリ弾圧の急先鋒として活躍した資族もあり︑ここに中世伝承
文学の性格が示唆される︒たとえば︑ヘンリ二世の大法官だったウォルタァ・・マップ︵宅a−ter Map︶ほ︑散文アーサァ王
譜のおおく︵ことに︑戸ance−Ot PrOperJの作者だったと同時に︑一一七九年のローマでの第三回ラテラン会議における
異機番問の主宰者であった︒Cf・WけDハM︒rr昇丁訂CどistianOrigi宏○叫SOCia−Reく○−tⅦLOndOn−慧やp・−P
︵ほ︶ 教会を中心とする社会の腐敗︵それは勺a−seど︒dとLadyMeedとの結賠償象徴される︶にたいする神の審判が黒死病
となってあらわれたことを︑ReasOnが説き︑七大罪たちも憾悔をし︑すべての階層の人々が聖地巡礼者の発意のもと匿
Tr已F授索に向かおうとして︑適当な案内者をみつけるのにくるしむとき︑一.農夫ピアスがまったく劇的にあらわれて︑
この案内役を買ってでる諭そして神告別での万人の本質的平等と︑日常の勤労︵農耕︶の至上性とを説き︑人身を従わせる︒
そのかがやかしい登場ぶり︵ただし︑﹁夢﹂のなかであるが︶の含意に︑とくに注意すべきである︒Cf−Wi≡am Lang一
land.TFe5siOn Of Piers the P−OW白an﹀Te監・A︐−∽毘︵the Eaユy Engsh Te已SOCiety︑s Editi昌一ed● b¶︒
.声 W・Skeat︶Part H︸−00の↓︶−Passusヂま.︵仙般読者のためには︑E諾ryman㌦Library囲ditiOn⁝a mOderP
an中simp−琵ed諾rSi呂by ArtF喜び彗re−1﹀−st ed.−2N﹀−ast rep.−箸㌘せp.淫㌣1−−00.︶ 第二十八巻 第四号 ︵四山 こ 八四
︵13︶ 最初との関連でさらにス︑︑︑スを例にとっていえば︑通常の経済学史の砕からほみでたス︑︑︑スの社会思想家としての風貌を
徹底的に把握するためには︑かれを新興イギリス帝国産業資本の自然法論的イデオローグだとかたづけるだけではふじゅう
ぶんな感じがする︒それほスミスがたんに︑ジャフツベリー・∴チスンの道徳哲学の伝統を社会科学にたかめたとか︑﹁フィ
ジオクラート﹂やヒュームやマンドヴィルとの交渉をもったとかいった︑学術研究上の広さの点からくるというだけでも︑
じゅうぶんでない︒それとならんで︑英辞統﹂ ︵民族国家確立︶彼のプリテン人の口前生活が︑たえず﹁日然のやぶさかさ﹂
軋つらかわれたスコットランド的な倫理・経済のセンス︵ひとつの域界開拓的意識︶のもちぬしー・たとえばウィリアム・
パタスンを想起せよ・・ト十を知的指導者にもったという文化史的な事情が︑どういう礼会史的・階級的意味を同時にもち︑か
つそれがどのようにス︑︑\スにおける二審の表見的アンチノミー︵ナ∴yコナリズム対コスモポリタニズム︑自利心対利他心﹀
の統這役だったかという点も︑副次的ながらイデオローグ=ス︑︑︑ヌの分析そのものにやはり必要な安泰たというべきであ
ろう︒もちろんこのほあいイデオロギー問題が主であり・︑民族・文化の問題ほあくまで従たるものでなけれはならないが︑
しかも両問題の不可分なからみあい鱒注意すべきである︒以上の点については︑上田辰之助教授の経済学史学会罪七同大会
匿おける報告﹁スコット=アダム・スミス﹂二九五三・五月︑於一橋大学︶および同教授﹁イギリス経済と蘇格人﹂︵ある
びよん︑山九五四年九月号︶を参照︒ただし︑教授が仙連の博識な労作によって経済学と文学との交渉面の研究の必要をた
えず力説されかつ実践されてきたこと︑ほ︑そう心う方面への窟限が従来のわがくにで哲﹂とに乏しかっただけに︑きわめて
幾重かつ意味ぶかいとしても︑そのことがディレゾタンティズム濫おちいる危披からまぬかれるためには︑さら紅この成果
を社会思想史のただしい方法視点によってうらづけることが︑ぜひとものぞまれるであろう︒
社会思想史の内容および方法匿ついて ︵四二こ 八五
われわれほ以上︑社会思想史の内容にかんする問題を検討するさいに︑すでにある程度方法の問題の核心にもふ
れていた︒実際︑内容規定にあたってわれわれのとりあげた諸視点は︑すでに⁝克の方法!史的唯物論の立場−
を前提とするものであっ.た︒もしもこの学問が︑勝手な好奇的基準にょるあれこれの個別思想史からの抜琴の年代
的膵列や︑あるいほ﹁正義の理念﹂とか﹁世界精神﹂の単線的︒自足的な展開史でほないものとすれほ︑われわれ
ほそもそも方法意識のない骨雪いじり的立場や︑さかだちした観念論的方法の立場を︑まず除外してかからなけれ
ばならぬのほいうまでもない︒われわれがさきに社会主義思想史を社会思想史の核心だといったほあいにも︑それ
ほたとえばかってのエドクアルト・ハイマンが提示したような﹁社会的理念﹂・﹁自由と労働の尊厳﹂といったも
のの発展史というふうにうけとったのではなく︑労働力=生産力をにない︑かう仙定の歴史的生産関係にほいりこ
んでいる具体的実践的人間大衆が︑かれらのこうした現実といっしょに︑一定の客観的法則にもとづいて︑その思
惟や思惟の諸生産物をかえてゆくという事実が︑階級的支配にたいするイデオロギー面での不断の斗争の成果の歴
史に反映したものとして解されたのであるじ︑社会思想史とは思想の自由の歴史だと︑小うばあいにも︑われわれほ
ハロルド・ラスキやG・D・H・コクル ー 主観的にほたとえかれらがいかに民衆の味方であった笹宙せよートぁ
かんがえるような個人主義=功利主義的・観念的な小市民的自由の継承をさすのではなく︑労働者および農民階級・
戌族という現実的客観的な基盤に属している勤労大衆が︑客観的発展法則にしたがう社会史の場のなかで︑思想を
種々の支配者の山定方式の占有から自分たちの手にとりもどす生きた客観的な歴史的過程として︑理解したのであ
る︒だから︑かり匿ステイーグンやアレグィやホプハウスやデイブィドスンが社会思想史の中心課題を個人主義的 第二十八巻 第四号
こ 社会思想史の方法について ︵四山三︶ 八六
︵l︶
自由の展開を力説する功利主義史払おいたといえるとすれば︑ここでほいわば ﹁革命的功利主義﹂︵毛沢栄︶の社会史的な系譜が︑とくに重点をおいて把握されねばならない︒
だがしかし︑そもそも第仙にこのことは自己矛盾でほないか︒史的唯物論の立場にたつとき︑思想の歴史があり
うるのか︒人間の生活過程の実相がいったん把握されれば︑マルクスもいうとおり﹃道徳・宗教・形而上学その他
のイデかロギーならびにこれらに照応するいろいろな意識形態は︑もほや独立した性質をもつというみせかけをや
める︒ヤそれらのものほなんらの歴史をもたないし︑それらのものほなんらの発展をもつことなく︑むしろ物質的生
産と物質的交通とを発展させつつある人間が︑かれらのこうした現実といっしょ軋︑かれらの思惟の諮生産物をか
︵2︶
えてゆく︒意識が生活を規定するのではなくて︑かえって生活が意識を規定する﹄のだとすれば︑社会思想史はナンセンスであり︑ただ琴論史と社会史とイデオロギー論とがあればたるのでほないか︒− この間題については︑
社会思想史と理論史およびイデオロギー論との関係はすでにその鱒はみねし︑あとでもたちいるが︑〟生産および
土ムロの歴史としての社会史にたいする社会思想史の相対的独自性・
史的唯物論じたいがイデオロギーの相対的独立性と継承・相互関連・反作用を明確にみとめているので︑おのずか
︵3︶
ら問題としての重要性をうしなっているものとみてよいであろう︒しかしそれにしても︑なおこの学問の方法広かんしてはいろいろな問題がのこされているのでほないかとおもわ
れる︒すなわち第二に︑史的唯物論の立場にたいする歴史的相対主義の立場の関連の問題がかんがえられる︒劇般
に理論史︵たとえば狭義の経済学史︶ほ︑その本質上︑たんなる年代的解説の陳列でないかぎり︑現在払おけるも ■
っともすすんだ・もっとも科学的な理論を基準として︑これにむかっての単線進行的・現在熔叫的な方法をとり︑
過去の不完全・非合濫な理論から︑現在・将来ぬおけるより完全で合理的な理論軋むかうものとしての歴史がえが
︵四忘︶ 八七 社会思想史の内容およひ方法について
第二十八巻・欝四号 ︵四⊥五︶ 八八
かれる︵打とえばマルクスおよびジェムベータァ︶′ことにともない︑理論史は﹁歴史﹂としてほ欠陥をしめさざる
︵4︶
をえない︒学術研究のうえでこのような欠陥を補填するために思想史山般がひせっには存在することほわれわれもすで紅みたとおりであるが︑このような意味での思想史を有効ならしめるものとして︑まさに歴史的相対主義的方
法はその説低限の存在濫由をもっているのたとみられるかもしれ庵い旬しかし歴史的相対主義は∵般にすすんで
理論そのものまでを相対化するのがむしろ本質高時徽である︵﹁神々の争い﹂︶︒そこで歴史的相対主義の主張ほ︑
山人間の社会的存在がかれらの意識を規定するという史的唯物論の基本命題︵歴史における客観的合法剛性︶の否
走︑㈱歴史の各局面における無数の物質的・精神的諸要素のそれぞれの一回きりの偶然的存在と一回きりの仕方で
のそれらのむすびつきと相互規定との強調︑という二点をふくむこととなる︒このうちの第⊥の点があやまりなの
ほ︑歴史的事実として土台からほなれた上部構造の︑したがってまたそれに属する社会的意識の︑自足的な発生・発
展などほありえず︑社会的意識ほ︑なる掛どこれを生苧技術・経済の水準から直接転ひきだサこと︵ポグダノフ以下︶
ヽヽ ほあやまりであるが︑しかもそれほ土台によって疋の客観的法則にもとづきその起源と基本的斉向を規定されて
いることから︑あきらかであるし︵ク‡−バァ的﹁発捷﹂論のあやまり︶︑東二の点も︑歴史の諸局面で吼物質的・精
神的諸要素がじつほその時期の属する社会体制の基本的・従属的な生産諸関係ないしウプラードによっで整序づけ
られ︑したがってまたみぎの諸要素のむすびつきによってできあがる諸イデオロギーの基本的なありかたにもおの
ずから必然性・法則性があることを無視する点で︑まちがっている︒しかしまた逆にいえば︑この第二の点の〟側面
紅かんしてほ史的唯物論の最近の水輝は︑いわゆる経済主義ないし自然成長論のあやまりにおちいらないかぎり︑
ヽヽ これを︑上部構造の土台にたいする積極的役割の放論︑ないしほ社会的存在にたいする社会的意識の相対的独立性
やたちおくれや反作用 − 1つまり第一の点とあわせていえばいわゆる﹁交互作用﹂ ︵エンゲルス︶の理論︑イデオロ
ギ一語形態の発展における複雑化・相互関連・継承関係の理論︑さら匿は自由と必然性の理論︑など匿おいて︑あ
︵5︶ る意味でほきわめて明確にみとめているのである︒しかも歴史的相対主義が特殊的歴史において近視眼的ながら実
証しうる事案ほじつほこの点だけなのだから︑けっきょくただしい史的唯物論はすでに歴史的相対主義を︑いわば
たんに超越的にだけでなく内在的にも克服する段階にたっしているというべきであろう︒ただしかし︑史的唯物論
にたつ社会思想史ほ︑ほなばなしいがあらけずりの単線帰山的な社会主義史におわってしまいやすく︑さらでたに
愚論史としての剰余価値論史につきまとうおなじ性質に︑いっそう拍車をかけやすい︒基本的視点を明確に保持し
つつも︑このうきあがりの危険をふせぎ︑・﹁反作用﹂・﹁思想的伝統・継承関係﹂をもしっかりふまえた社会思想
ト;し
史をつくりあげるためにはどうしたらよいか︑ということが︑この学問の今后の重要な問題となるであろうとおもわれる︒この間題の解決はなかなか困難だとおもわれ︑ここではわたくしはさしあたりこの問題そのものの授出を
するだけが本旨なのであるが︑これ紅ついてなお二︑二の示唆点がかんがえられないではない︒ただしそのばあい
あくまで基本的な諸視点をみうしなってはならないことは︑︑いうまでもない︒墓
H塵ず︑﹁思想的伝統・継承関係﹂の問題は︑一面でほ﹁生産−・土台T−1上部構造︵政治的・法律的諸制度
i社会的意識の諸形態︶﹂・﹁社会的存在篭−麗会的慈識﹂︒﹁支配−政文配﹂という諸レェーマにからみあ㌢
ことなしには存在しないけれども︑他面ではこれらの諸シェーマとほちがったディメン汐ヨンの諸要素をひきこむ
問題だといえよう︒そのような諸要素とは︑たとえば一方では日常的な生活意識であり︑他方では文化詔水準・民
族・その精神的相貌︵﹁国民性﹂︶・言語︒家族といったものである︒国日常的な意識広よる伝承の問題は︑ふつう
ヽヽヽ その保守的な側面だけが観察されている︒コンスタンチーノフたちも︑日常的な意識を社会的存在に思いする社会
的意識のたちおくれの原因に関連させて︑それが﹃生活環境︹道徳的規範・風習・慣習.伝統等王水村︸の作用をう
︵四一六︶ 八九 社会恩焦史の内容および方法について
第二十八巻 第四骨 品二七︶ 九〇
けて︑自然発生的に発生し︑形をつくり︑変化してゆく﹄点から︑イデオロトグによって︵陽衷的に︶つくりあげ
︵6︶ られる﹁科学的意識﹂とちがっていることを指摘している︒しかしながら日常的な意識には同時にこれと逆の面も ヽヽヽ ヽヽ ぁるのでほないか︒げん紅われわれほ進歩的思想の伝統についてかたることもできる︒とくべつなイデオローグほ
かりでなくて︑凡俗の大衆の仙人山人が日常生活のなかで保守的なイデオロギーにたいして副方では妥協しながら
一方では反挿している︒この反望息識はいまだ論理的なイデオロギー軋まで定型化しない点では私的であるが︑そ
れを志向し︑かつ保守的イデオロギーに直接対決している点ではすでに社会的である︒このような反撥意識と保V
的イデオロギーとのからみあったものとしての日常的意識の分析もまた︑社会思想の伝承関係を吟味するうえで︑
役だつことがおおいのでほないだろうか︵たとえば﹃虚夫ピアスの夢﹄瞥えがかれた中世農民の日常的生活意識の
研究︑あるいほ十六−十八世紀欧洲各国の中産階級の日常を支配した職業=召命観の検討︶︒田文化諸水準点族・民
族性・言語・家族等の諸蓼索もまた史的唯物論の諸レ土−マからの規定をうけながらも︵とくに民族間題について
しかり︶︑他面では全体として︑いわば文化史的な領域に属しているとみてよいであろう︒史的唯物論における﹁文
元﹂の概念ほ︑特定の社会構成体における自然・社会の自然成長的な力にたいする人類の力という観点から構想さ
ハ7︶ れているようであるが︑その内容規定はかならずしも明確でほない︒しかしすくなくともそれほ民族的ないし地域
構成体的な観点を中心とし︑階級社会についてほ文化の階級性が重視されるとしても︑生産−土台−上部構造のレ
ェーマのうち︑どちらかといえば土台=生産関係とその革命的変化という点よりも︑生産︒生産力とその発展上の
関連・継承性という点に︑よりつよくむすびついた概念ということができるであろう︒そこで︑精神文化史と社会
思想史と・はもちろんことなった領域であるにしても︑社会思想の継承の問題については両領域の交渉切検討が必要
となることがすくなくないであろう︵たとえばアダム・スミス一がスコッ土フンド人であったことからくるかれの思
想的特色の検討︶︒
第三にわたくしは︑取分思想史がひとつの歴史であることからおこることであるが︑社会的存在の実存形態とし
ての客体的および主体的な契機から︑イデオロギーの諸実存形態が成立してくるまでの過程そのものをどうとりあ
つかうか︑ノという問題を揖出してみたい︒もちろんここで客体約契磯とは歴史的諸事実であり︑主体的契機とほ人
へ8︶ 間そのものを意味する︒いま︑もしも社会思想史の任務が︑諸イデオロギーおよびその髄展の州般理論の︑鮭史にお
ける具体的な実証ということだけであるなら︑社会思想史ほけ︑つきょく史的唯物論としてのイデオロギー論の特殊
泡論・各論となり︑問題ほ簡単であろう︒そういうたてまえだけからすれほ︑社会思想史を独立の学問だというこ
︵9︶ との存在理由ほうしなわれるであろう︵社会思想史無用論︶︒なるはど一︑社会思想史は許でほたしかにイデオロギ
ー論の兵体的実証なのであり︑エンゲルスも指摘するとおり︑歴史のいずれか二即の叙述ほ方法としての史的唯物論
の適用にはかならないのであり︑啓蒙の点からいってもそれでよいのであるが︑しかし歴史はやほり歴史でありて︑
ほじめから即自的に理論︵歴史の叙述︶でほない︒歴史における特殊な対象をどうとりあつかうかは︑ブルジョア ヽヽ 歴史学の古来の宿題だが︑しかし史的唯物論にたつとしても︑特殊な対象ももしそれが一般的なものの特殊化とし
て説明されてしまりているのであれぼ︑げんみつにいってすでに特殊ではない?仙般的なものの特艶化の限界点に マージ小刀 おいて︑なおとりのこされた特殊的・偶然的なものを︑どうつかまえるかという尖紺的な課題が︑やはり研究の
︵10︶ うえでほのこることになる︒またそれだからこそ︑歴史研究・その前進もありうることとなる︒ところで社会思想
史においては︑とりわけ特殊な社会的実在︵客体的契概︶を特殊な人間︵主体的契機︶が把握することを媒介とし
てほじめて一定の社会的観念の特殊な現実的形態がうまれ︑これが研究対象とぎれるという事情があるために︑主
ハ﹂ 体的契機と/いうものの役割にかんして独白の問題がでてく′る︒
社会思想史の内容および方法について ︵四血八︶ 九州