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日光中宮祠事件」『小説帝銀事件』『黒い福音』を 視座にして

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法と歴史と真実というフィクション : 松本清張「

日光中宮祠事件」『小説帝銀事件』『黒い福音』を 視座にして

著者 南 富鎭

雑誌名 翻訳の文化/文化の翻訳

巻 8

ページ 23‑49

発行年 2013‑03‑31

出版者 静岡大学人文社会科学部翻訳文化研究会

URL http://doi.org/10.14945/00007318

(2)

法 と歴史 と真実 とい うフイクシ ョン

―松本清張 「日光中宮祠事件」 『小説帝銀事件』 『黒い福音』 を視座にして一

1.は じめに

まずい くつかの逸話か ら始め よ う。以下 に提示す る逸話 か ら清張文学の本質 の一側面 を考 えてみ ることにす る。

誰 もが知 っている昭和天皇 をめ ぐる有名な逸話がある。昭和天皇の生存時、

ある記者が天皇 に「戦争責任 について どの よ うにお考 えですか」 と尋ねた。韓 国の全斗換大統領 の時代で、昭和天皇 による植民地支配の謝罪が盛 んに求めら れた時期である。 これ に対 し、昭和天皇は 「そ うい う言葉 のアヤ については、

私 は文学方面 はあま り研究 していないので よくわか りません。 Jと 答 えたそ うで ある。 これ に韓国 と中国はもちろん、 日本の進歩的な知識人 らは強 く批判 した が、極めて意味深長な言葉である。昭和天皇は、戦争 とい う歴史的事件が因果 関係 で結 びつ けられ、 さらに責任 とい う倫理観 で裁断 され るのを拒否 したので ある。昭和天皇 はその個人が年号 (歴 史 )を 代表す る歴史の主体で、まさに歴 史

(日

本史 )そ のものである。歴史

(日

本史 )の 主体 として天皇は、歴史的事 実は因果関係 で構成 され るものではな く、また責任 とい う倫理観で裁断 され る ものでもない と否定 したのである。 歴史 とは羅列的な年譜的事項の堆積であ り、

そ こには因果関係 も倫理 も存在 しない とい う認識 であろ う。因果関係 と倫理観 を求める行為 はいわゆ る文学 (フ ィクシ ョン )と い うことになる。古い時代の 東洋的帝工学 を学び、 自己 (昭 和 とい う年号 )力 歴史である昭和天皇はそれを 本能的 に認識 した よ うにも思われ る。それはあたかも『 史記』 と『春秋』の対 立 に類似す る。解釈 と因果論 と倫理観 が投影 されている『 史記列伝』がおもに 文学的な性質が強 いもの として扱われ、単純 な年譜的な事件 の羅列である『春 秋』が帝工学の正 当な歴史 として認識 されて きたのはその所以なのか もしれな い。昭和天皇 の言葉は歴史 と文学の境界 を示す もので、近代 における西洋歴史 学の多 くの行為が単なる文学 に過 ぎない とい うアジア的な古層の伝統的歴史観

(3)

を示 しているともいえる。

も う一つの最近 の逸話 を紹介す る。いわゆる郵便不正事件の捜査 にお ける証 拠改資を巡 り、 大阪地方検察特捜部の前 田恒彦検事が逮捕 され、有罪判決 になつ た事件である。 これ に世間は驚愕 し、検察 当局の権威は失墜 した。前 田検事の 社撰な事情調書は飛び火 し、 「小沢一郎代議士政治資金規正法違反事件 Jで も批 判の的 となった。小沢一郎氏の公判

(4ヽ

沢一郎被告第 6回 公判証人尋問 )で 、大 久保隆規証人は前 田検事の調書の取 り方がいか に異常な ものであることを強調 す る形で、前田検事が調書 を作成す るときに、「いまは作家の時間だか ら」と発 言 し、あたかも小説 を書 くように「さあ、大久保登場 Jと 言 うな ど、前 田検事 の調書の取 り方が 「作家みたい」であった と証言 した。つま り、大久保被告 と 弁護側は前田検事 の検察官面前調書が創作、つま り文学行為であつた と強調 し、

前田検事の調書は 「真実」な どではな く、「フィクシ ョン」 (ス トー リー )で あ ると反論 したのである。検事 による事件調書、つま り法的行為 とい うのは真実 に基づ くべ きで、小説 な どのス トー リー性のあるフィクシ ョンになつてはな ら ない と糾弾 したのである。日本国民が驚愕 したのもこうした共通認識か らであっ たろ う。

しか し、はた して事件調書 とい うものが、文学行為の領域から逃がれること ができるのだろ うか。個別の事実や事件 に因果関係 を付与 し、倫理観で断罪す る行為は、昭和天皇の言葉 を借 りれば「文学」行為 になる。事件調書は典型的 な文学行為 と言 えるのである。それを如実 に表 したのが前 田検事の 「作家の時 間」 とい う言葉 になるであろ う。前 田検事は法的論理 (事 件調書 )の 本質を鋭 く感知 し、曖昧 さのベ ール に包まれていた本質 を赤裸 々に提示 し、また誠実 に それを実践 してみせた と思われ る。ある種の幼稚 さと純粋 さと鋭い洞察力によっ て、決 して開 けてはな らないパ ン ドラの箱 を自ら開 けてその実態を見せたので ある。前 田検事の行為 は法 と文学の境界の曖味 さを明 らか にした もので、それ は昭和天皇の認識 とも通底 しているものがある。歴史的真実や法的真実 とはも ともと文学行為 に過 ぎない とい うことである。それ らを文学作品 として明示 し たのが芥川龍之介 「藪の中」であろ う。個体の断片的な結果物が孤立 して存在 し、真実 とはス トー リー としての文学行為 (フ ィクシ ョン )に よって組立て ら れたものに過 ぎない とい う認識である。

清張文学の本質 によ り近いも う一つの逸話を紹介す る。東電 OL殺 人事件であ る。 この事件 は被害女性の異様な経歴で広 く世間に注 目されたが、警察は犯人 としてネパール国籍 のゴビンダ氏 を逮捕 した。 当初か ら真犯人 31Lを め ぐらては

‑ 24‑

(4)

さまざまな憶測があり、多 くの支援者が冤罪を唱えるなか、最高裁まで争つた 結果、無期懲役刑が確定された。冤罪説の中心的な役割をしたのがノンフイク シ ョン作家佐野員一で、世論を喚起 したのが『東電 OL殺 人事件』である。冤罪 を立証 していくこの作品はその題目が事件名になるほどの反響を得た。佐野氏 を中心とする文学者やジャーナ リズムによつて世論が喚起 され、ついに再審ヘ の道が開かれ、ゴビンダさんは証拠不足で釈放 されて帰国した。この事件の再 審審議の直前に佐野氏は、テレビニュース番組 (ニ ュースステーション )に 出 演 し、 「ゴビンダさんの無実が証明されなければ日本の法は死んだ Jと 力説 した。

結果的に、ノンフイクション作家 としての佐野氏の発言 と代表作 『東電 OL殺 人 事件』によつて無罪 とい う「真実なるもの」力` 提示されたことになる。い うま でもなく、 『東電 OL殺 人事件』はいわゆるノンフィクシ ョンとして分類 され、

文学のジャンルに属する。佐野氏のノンフイクションの影響もあり、再審への 道が開かれ、法的真実が変更 されたことは、法の論理が基本的に文学の論理 と さほど変わらないことを証明している。つま り、前田検事が実践 したことを逆 のパターンで佐野氏が証明してみせたことになる。それは事件調書や起訴文、

判決文などが基本的にはノンフィクションに分類されることに起因しているだ けではない。じつはノンフィクシ ョンとい う言葉 自体がフィクションの対立概 念で、いずれもそれ 自体が大枠の文学行為であることに起因している。フィク ションとノンフイクシ ョンの境界は曖味で、いずれも文学行為の領域なのであ る。近代の西洋歴史学 と西洋法学 と称するものも基本的にこの概念から逃れ ら れない。昭和天皇の歴史観や前田検事の法律観、佐野氏の文学観はそれぞれの 領域における大きな揺れ と曖味さを証明しているといえる。はたして「真実」

は存在するのだろうか。

以上のような認識は、松本清張を理解する重要なポイン トになる。清張は『 日 本の黒い霧』をはじめ、多数のノンフイクション作品を通 して未解決事件に関 する独 自の推理 (法 的論理 )を 展開し、いわゆる「真相なるもの Jを 追求した。

また『昭和史発掘』などの一連の同時代史、考古学、古代史学などの分野にお

いても同様の作業を行っている。しかし、 これらの作業はたんに清張文学の多

様性を証明するものではな く、共通 した文学行為によつてもたらされたと思わ

れる。近代の歴史学や法学がもとよリフイクシヨンとノンフィクションとい う

曖味な境界の うえに存在 していたがゆえである。清張はそれ らの領域がもつ本

質を鋭 く感知 し、それぞれの分野に自己の文学行為を演繹的な方法で拡大して

いったと思われるのである。

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以下、本論 はこ うした境界の曖味 さと危 うさの一側面 を清張のフィクシ ョン とノンフィクシ ョンと称 され るものを媒介 にして考察す る。対象は 日光 中宮祠 事件、帝銀事件、 BOACス チ ュワーデス殺人事件の 3つ の事件 である。そのな かで法 と歴史が持つ 「真実」 とい う虚構性がおのず と浮 き彫 りにされるであろ う。同時 に、清張文学のノンフィクシ ョンと分類 され る一連の作業の成 り立つ 根拠 と、それ らのフィクシ ョン性 (物 語性 )と 政治性 について も触れたい と思 つ ている。

2 3つ の事件 と清張の方法

松本清張は 1958年 4月 か ら翌年の 19"年 にかけ、従来 の「推理 もの」や「時 代 もの」か ら一変 し、 よ り具体的な現実の犯罪事件 をその創作対象 にす る。 い わゆるノンフィクシ ョンとも言われ る分野である。そのきっか けになった作品 が「日光中宮祠事件」で、さらに『 小説帝銀事件』 「帝銀事件の謎 J「 「スチ ュワー デス殺 し」論 J『 黒い福音』に続 く。これ らの作品はいずれ も当時 において話題 となつた 3つ の事件である。清張は この話題の 3つ の事件 を小説 と論 (評 論

)、

つま リフイクシ ョンとノンフィクシ ョンの形で作品を発表 してい く。まず、 こ れ らの事件 について簡略に紹介す る。

日光中宮祠事件は 1946年 5月 4日 、日光中宮祠附近の星野屋旅館か ら出火 し、

星野寛氏 (当 時 46歳 )一 家 6人 の焼死体が発見 された ことか ら始まる。 日光警 察署は当初、事件 を一家無理心 中事件 として処理 したが、ほぼ 10年 後の 1955年 5月 に逮捕 された強盗殺人犯 Aが 自分の犯罪であると虚偽 自白をす る。 捜査員の 関心 を買 うためであつた と思わ るが、 これ に 日光警察署 の処理 に不満 をもって いた星野寛氏 の長男 (%歳)が 埼玉警察署 に再捜査 を願 い出る。警察の再調査 により Aは 刑務所で知 り合 つた金城 (朴 烈根 )と い う在 日朝鮮人か ら犯行の こ とを聞いた と供述 し、盗 られた小切手の追跡か ら金城 を逮捕 し、金城 の 自由に よつて共犯 として高山三郎 (在 基業 )を 逮捕 した。朴は取 り調べ に対 して 「事 件当夜、 星野屋旅館 に宿泊 して盗みに入 つたが家族 に発見 されたため台所 にあっ た包丁で一家 6人 を殺害 し、現金 41Xl円 と小切手、背広な どを奪 って火 を点 けて 逃げた Jと 自白した とい う。以下、事件 の経緯 を松本清張 の作品 と関連 させて 略年譜で示す。

日光中宮祠事件 (清 張命名

)

1946年 5月 4日 一日光市で一家 6人 の死体発見、警察は無理心 中事件 と処理。

1956年 7・ 8月 …放火殺人 として在 日朝鮮人 2名 を逮捕 (朴 烈根・在基業

)。

‑26‑

(6)

1957年 7月 22日 …宇都宮地方裁半 J所 で 2名 とも死刑判決。

*1958年 4月 …松本清張 「日光 中宮祠事件」 (小

31L、

実名入 り )を 発表。

1959年 1月 28日 …東京高裁で控訴棄却。

*1959年 12月 8日 …殿山泰司・富田浩太郎主演でテレビ ドラマ化される。

196Cl年 6月 10日 …最高裁の上告棄却で死刑確定。

1974年 6月 6日 …死刑執行。

以上が事件 の大 まかな筋である。 この事件 は松本清張の小説名が事件の通称 名 になつているほ ど、清張の文学作品が実際の事件の枠組みを作 つた ともいえ る。略年譜が示す よ うに、裁判の途 中で松本清張 は 「日光中宮祠事件」 とい う 小説 を実名入 りで発表 し、犯人 を断定 している。またテ レビ ドラマ化 も裁判の 結審前 に放映 され る。在 日朝鮮人が関わるこの事件は、文学や ジャーナ リズム が先行す るかたちで事件の確定化す る道筋 を作 つてい る。捜査側の情報が小説 家 (松 本清張 )の 小説材料 として一方的 に垂れ流 されてもい るが、高裁 と最高 裁で控訴 と上告が棄却 されたのは、 こうした先行的な行為が影響 した可能性 も 十分 にあ りうる。二人 の朝鮮人 にとっては極 めて不利 な状況が出来上がってい た と思われ る。つま り、捜査

lllの

一方的な見解が小説家 に示 され、小説 の形式 と構成 を装いなが ら、一方では実名入 りとい うノンフィクシ ョンの効果 を演出 し、 ほ とん ど 「真実」 として語 られてい るのである。読む読者 も小説 とい う虚 構 (フ イクシ ョン )で はな く、事件の 「真実」 として受け止めていた に違いな い。小説家のフィクシ ョンがその意図 によって ノンフイクシ ョンとして扱われ、

「真実 Jと して定着 してい くのである。こ うしたフィクシ ョン とノンフイクシ ョ ンの間に清張 の創作方法があ り、また清張 はノンフィクシ ョンや 「真実」なる ものがいか に生成 されているかを熟知 していた とも思われ る。詳 しくは後述す る。

次 は一般 にもよく知 られている帝銀事件 について簡単 に述べてお く。

帝銀事件 は 1948年 1月 26日 、 東京豊島区の帝国銀行椎名町支店 に東京都防疫 消毒班の腕章 をつ けた初老の男が現れ、近所で集 団赤痢が発生 した と告 げ、進 駐軍命令 を回実 に全員 に予防薬の青酸化合物 を飲 ませ た事件 である。支店長以 下、 16人 が服毒 し、うち 12人 が死亡 し、現金 16万 3,410円 と小切手が盗 まれた。

警察 は当初、旧陸軍 731部 隊関係者 を中心 に捜査 を進 めたが、事件か ら 7ヶ 月後

に帝展無鑑査 のテ ンペ ラ画家平沢貞通が逮捕 され る。確 たる証拠 がないまま 自

白証拠で起訴 され、裁判 中は 自白強要の問題 も浮上 したが、 1950年 7月 、東京

地裁で死刑判決 とな り、 1955年 4月 に最高裁で確定 した。以下、清張 と関連す

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る事件の略年譜 を示す。

1948年 1月 26日 …事件発生、 12名 死亡 1948年 8月 21日 …平沢貞通逮捕 1950年 7月 2日 …東京地裁で死刑宣告 1951年 9月 29日 …東京高裁で控訴棄却

1955年 4月 7日 …最高裁で上告棄却、死刑確定

*199年 5‑7月 …松本清張 「小説帝銀事件」を連載。

*190年 一松本清張 「帝銀事件の謎」を発表

(『

日本の黒い霧』の連作

)

1987年 5月 10日 …平沢貞通病死、享年 95歳 。

帝銀事件は当初 より、文学者や ジャーナ リス トを中心 に平沢犯人説 を疑問視 し、冤罪事件の可能性が強 く提示 された。松本清張 の 2作 はこ うした同時代の疑 間に対する人気推理作家の見解 (推 理 )と して書かれた ものである。清張 は、

まず『小説帝銀事件』を発表する。「

Jヽ

説 Jと 銘打 ってい るものの、作品は帝銀 事件そのままで平沢が実名のまま、また捜査担 当者 も実人物が認定できるよ う になつている。 さらに警察 による捜査記録、検事調書、検事論告要 旨、裁判記 録、精神鑑定書、弁護要 旨な どの資料 を網羅 して事件 を再構築 している。 「小説」

と銘打 ってはいるものの、膨大な法廷資料 をそのまま引用 している点で極 めて 非小説的である。フィクシ ョン性が希薄 である。小説的構成 (フ ィクシ ョン性

)

は冒頭 と結末 に付 されている R新 聞論説委員 と警視庁幹部 との出会いの設定 と い う僅かな部分である。小説的構造 を借 りて ノンフィクシ ョン的な内容 を盛 り 込んでいるといえる。こ うした方法は、ノンフイクシ ョンなるものがいかにフィ クシ ョン的な ものであるかを逆 に証明 して もいる。のちに清張は 「小説 Jと い う冠 を取 り外 し、同様 の主張 に基づいた「帝銀事件の謎 Jを 書 き、 『 日本 の黒い 霧』の一編 に収めている。 フィクシ ョン とノンフイクシ ョンの境界の曖味 さに 清張 自身が気づいたのであろ う。それは 「真実なるもの」の曖味 さにもつなが る。法的事件 を構成す る因果論 による文章行為、つ ま り捜査記録、検事調書、

検事論告要 旨、裁判記録、精神鑑定書、弁護要 旨な どは基本的に文学行為 に近 い とい うことを清張 自身が認識 した と思われ る。そのため、 ノンフィクシ ョン がフイクシ ョンにな り、フイクシ ョンがノンフイクシ ョンに入れ替わつた りす る。た とえば、清張が小説 と明示 した『小説帝銀事件』が ノンフィクシ ョンで ある 「帝銀事件の謎 Jよ り遥か に分量が多 く、精緻 で、事件 と裁判を丁寧 にた どっている。そ して二つのジャンルは交通 し合 う。つ ま り、 フイクシ ョンとノ ンフイクシ ョンとい う二つのジャンルはたんに「真実なるもの」 を創 り出す装

‑ 28 ‑

(8)

置 に過 ぎないのである。それは「「スチ ュワーデス殺 し」論」 と『 黒い福音』の 関係 において も見 られ る。

BOACス チュワーデス殺人事件 は 1959年 3月 10日 に 30ACス チ ユワーデス であつた武川知子氏が殺害 された事件の ことである。 当初、 自殺 とみなされた が、解剖の結果、他殺の疑いが浮上 し、犯人 としてサ レジオ会所属のベルギー 人神父ベル メルシュ氏 の犯行説が流布 され る。新聞や雑誌、テ レビな どはベル ギー人神父の犯行説 を大々的 に報道す るなか、神父は警察 による 5回 311時 間の 事情聴取 を受 ける。しか し、警察 と検察の捜査 はそれ以上進展せず、事件の 3か 月後 の同年 6月 11日 にベルギー人神父は帰国す る。この帰国に対 し、世論は 日 本の国際的な地位の低 さによって外 国人の犯人をみすみす取 り逃が した と報道 した。清張は同様 の観点で評論 と小説 を執筆 している。ベルギー人神父の帰国 直後、ノンフイクシ ョン「「スチュワーデス殺 し」論 Jを 発表 し、同年か ら翌年 にか けて同 じ主張 を小説『 黒い福音』として発表す る。以下、簡略年譜で示す。

1959年 3月 10日 … BOACス チ ュワーデス武川知子氏の死体発見。のち他殺の 疑いが浮上。テ レビ 。新聞・雑誌 によるサ レジオ会所属のベルギー人ベル メルシュ神父の犯行説浮上。神父、警視庁の事情聴取 〈 5回 30時 間 )を 受 ける。

1959年 6月 11日 …ベルメルシュ神父帰国。

*1959年 8月 …松本清張 「「スチユワーデス殺 し J論 」発表。

*1959年 11月 3日 〜 1960年 6月 7日 …松本清張『黒い福音』発表。

年譜で分かるように、清張は「 「スチュワーデス殺 し J論 」 (以 下、「論 Jと 記 す )と い うノンフィクションを先に執筆し、その内容をフィクションで大きく 膨 らませて小説『黒い福音』を発表している。内容 と主張においての相違は基 本的にないが、 「論」では書けない多 くの推理が加味され、さらに扇情的な先入 観が描写のかたちで数多 く盛 り込まれている。 実名は伏せ られているが、

BOAC

スチュワーデス殺人事件をたどつていることは明白で、小説的な描写のなまな ましさは読者に事件の「真実性 Jを 一層強 く訴えかけている。つま り、フイク シ ョンとノンフイクシ ョンの区分けは「真実性 Jを 創 り出す装置に過ぎず、清 張はその効果を最大限化するために、両方を うま く使い分けていたと思える。

以上、3つ の事件に関する清張文学の関わ り方 と問題点を紹介した。以下、関

連作品の特徴 と問題点を具体的に考察 してみる。

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3.r日 光中宮祠殺人事件」

1958年 4月 『週刊朝 日別冊』 (新 緑特別読物号 )に 掲載 された「日光中宮祠事 件」は、「筆者」の「私」力` 「捜査研究」とい う雑誌の内容に興味を持ち、事件 担当者である某県警察本部刑事部長 K氏 とその部下の吉田警部に事件の内容を 聞き、それを説明したものである。実際の事件を扱い、また実名で書かれてい ることから「犯罪実話」、あるいは清張のい う「事実小説」といえるような作品 である。物語はおもに警察幹部である 2人 の資料に基づいた叙述形式で、それに 小説的な加工が施 されている (実 際のテキス トは、神山武則 「事件の解剖 。一 家心中として処理 した強殺放火事件の捜査」 『捜査研究』 71号 、1957年 10月

)。

以下、概要を紹介する (作 品の概要は郷原宏『松本清張事典決定版』角川学芸 出版、 211115年 を参照した

)。

岡本綺堂の『半七捕物帳』の愛読者である語 り手の「私」は、「捜査研究」誌 に掲載されていた事件に興味を持ち、筆者である葉県警本部刑事部長とその部 下の吉田警部に会って話を聞いた。 195年 夏、東京近県の小さな町で 3人 組に よる強盗傷害事件が発生した。主犯の新井志郎は10年 前の放火殺人事件など 3 件も自供した。この新聞記事を見た日光市の寺の住職が捜査本部を訪れ、同じ 年に起きた親戚の一家無理心中事件 とよく似ているので調べてほしいと申し出 た。1946年 5月 、日光市中宮祠の飲食店兼旅館業芦尾厳市が家族 5人 を館で殺 し 家に放火して無理心中したとされているこの事件は、当時から強盗にや られた のだとい う噂があり、住職自身が事実関係を調べて地検に再捜査を嘆願 したが 聞き入れ られなかった。不審に思つた K氏 (当 時県警捜査一課長 )が 書類を取 り寄せて調べてみると、 早々に無理心中説を打ち出した日光署が面子にこだわっ て捜査に乗り気でなかったことがわかった。新井にこの事件を問いただすと、

あつさりと自分と朝鮮入金子の犯行であると認めたが、 供述に不審な点が多かっ たため、吉 田警部 を中心 に本格的な捜査を開始 した。発生か ら 10年 も経 つてい る うえに、関係者 に在 日朝鮮人が多かつたことか ら捜査は難航するが、唯一の 物証である手形の流れ を追 って粘 り強 く捜査 を進める。 しか し、手形か らは有 力な手掛か りが得 られず、偶然手 に入 つた 1枚 の記念写真か ら事件は一気に解決 に向か う。写真の男 を事件前 日に見た とい う柳原すみ子の証言があ り、警察は 写真 に写 っている在 日朝鮮人金城

(本

卜 烈根 )と 高山 (を 基業 )を 逮捕す る。そ

して作品は警察 の捜査 に疑念 を抱いた住職 の努力を称賛 して終わる。

以上が事件の情報を警察 か ら取材 した 「日光 中宮祠事件」の概要である。作

‑30‑

(10)

品は実際の事件 (警 察情報による )の 筋をたどつていると思われるが、それに は矛盾や疑間点が多 く、事件内容 と捜査への疑間はさることながら、清張文学 になじんでいる読者なら作品自体にも大きな違和感を覚えるに違いない。清張 が実際の事件をこのように描 くのはあまり見られないからである。 『昭和史発掘』

『 日本の黒い霧』がそうであ り、他の事件を扱つた作品でも清張はあくまで疑 惑の視線で、 じつに粘 り強 く矛盾点に執着し、執念 とも言えるような反論を展 開しているからである。これから紹介することになる『黒い福音』 『小説帝銀事 件』なども清張の執念が強 く現れたものである。しかし、「日光中宮祠事件」で はそのような清張特有の執念 と疑間の視線が一切見られない。警察の発表通 り に作品を構成 したため、作品では多 くの矛盾点がそのまま放置されている。実 際の事件においても、作品のような論理で二人は逮捕 され、裁かれたと思われ るが、本論は日光中官祠事件の疑間と冤罪性を訴えるものでないので、それに ついては言及しない。以下、作品での疑問点 (実 際の事件でもそ うであっただ ろうと思われるが )を 取 り上げる。

(1)作 品は主人公が事件担当の警察から一方的に聞き取る形式である。つま り、警察の見解を実際事件の公判中の段階でそのまま小説化している。しかも、

主人公は岡本綺堂『半七捕物帳』の話を聞 く「錯覚的な陶酔」さえ感じている。

清張文学の主要な特徴は警察や当局への不信感 と疑問から出発することである が、この作品ではそのような視点が見られない。警察の捜査を鵜呑みし、捜査 官を代弁 して事件を説明し、また「捕物帳」を聞 く姿勢での視点である。清張 文学では異様なものである。また後述するが、この事件では作品論理には清張 自身がもっともこだわ り、追及する要素が意図的に無視 され、その逆の論理で 構成されている。

(2)芦尾屋主人の義弟である住職の事件に対する疑間である。住職の鹿島龍 玄は、所轄署による無理心中の処理に納得せず、義兄が 「多少、短気なところ はあるが、夫婦喧嘩 ぐらいで逆上して、一家無理心中を企てるとは思われない

J

と主張 し、独自の調査による根拠を提出して警察に再捜査を申し出る。その根

拠が①〜⑦まで紹介されている。しかし、その内容は朝鮮人 2人 の犯罪 と合致 し

ない ところが多 く、根拠も薄弱である。たとえば、①では「自分で後頭部を傷

つけるのは不可能である」 と根拠を出すが、人間の手の長さを持つているなら

ば誰もが可能な行為で強引な論理である。また②では、当日、旅館に宿泊客が

いなかつたとい う宇都宮警察署の主張に対し、 「二階の表側の中の部屋だけ電灯

がついていた」 とい う近所の目撃情報を挙げ、さらに「焼跡には客布団が一人

(11)

前出ていた」ことも証拠提示している。しかし、 2人 の朝鮮人が客であったなら ば 2人 分の布団が敷かれていなければならない。③の凶器について、事件現場に 当家の「肉切包丁 Jと 当家のものでない「ヤナギ刃」が見つかつたと主張する が、それは調理場の「肉切包丁 Jを 「めいめいが所持 Jし たとい う 2人 の供述 と 矛盾する。④の箪笥の中の金品が狙われたとい う推測も証拠の信憑性が薄弱で ある。さらに気になるのは⑤⑥の以下のような噂の証言である。

⑤事件当時、怪 しげな朝鮮人が、二、三日前から芦尾屋前から行き来 し ていた。三 日の夕刻、店にはいって酒を飲んでいるのを見た人がある。ま た、その夜、八時ごろ、五、ヽヽ連れの客が飲食しているのを見た者もあ るとい う。その時刻には、 日光にくだるにも、湯本に行 くにも、乗物はな いのでふしぎな客 と思われる。

③近所の噂では、当時、芦尾屋は一家心中ではなく、他殺であると話 し あっていた。

住職は 「八時ごろ、五、六人連れの客が飲食 しているのを見た者もある」 と い うが、警察が当初、宿客はいないと発表 している。「五、六人連れ」の人数が 隔離された狭い地域で宿泊 したならば簡単に特定できたと思われる。事実、事 件解決の刑事は10年後にまた聞き込みをするが、直接朝鮮人を目撃 したとい う のは中年婦人 1人 にすぎない。結局、この目撃情報で 2人 は逮捕 されるが、それ 以外の目撃情報は提示されていない。また住職は 「

'怪

しげな朝鮮人が、二、三 日前から芦尾屋前から行き来」していた噂を証拠 として提示 している。終戦翌 年の 1946年 、日本は敗戦直後の混舌 Lで 治安はまだ安定しておらず、在 日朝鮮人 はいわゆる第3国 人と呼ばれ、以前の差別に対する反作用もあって日本各地にお いて様々な混乱を引き起こしていた。戦勝者のように振る舞 う朝鮮人の態度に 日本社会は恐怖を抱き、警戒心がピークに達していた時期である。つまり、住 職の証拠 とは世間一般の認識に過ぎないのである。

しかし、無理心中と処理 されて 10年後、強盗殺人・殺人放火で新井志郎が逮 捕されるやいなや、住職は、今度は新井の犯行が「親戚の無理心中として葬 ら れた事件に似ている J「 よって、これは新井の犯罪ではないかと思われる」と再 捜査を願い出る。新井は金子とい う在 日朝鮮人と共犯であるとでっち上げの自 白をする。復讐心で死刑の道連れにしょうとしたのである。捜査は新井の証言 から在 日朝鮮人に絞られ、 さらに小切手の中途経由者である金城に絞 られる。

‑ 32 ‑

(12)

小切手は以前の宇都宮署の調査で芦尾屋主人の横領であると結論付けられたも のである。結局、小切手の追跡からは確信的な証拠が得 られず、金子が日光に 立ち寄つたかどうかの捜索に絞る。つまり、被害者の親戚である住職は最初の 段階では在 日朝鮮人の犯行であるかのような証拠 (噂 )を 提示し、類似事案の 新井事件が発覚されると、今度は新井犯行説を唱えるとい う自己矛盾を見せて いるのである。

(3)宇 和巡査から吉田警部補に渡された 1枚 の写真が事件解決の決め手にな る偶然性である。宇和巡査は写真屋さんか ら提供された

4、

5枚 の「朝鮮人らし い」写真を宇都宮警察署に提出したが、返 され、破いた。しかし、偶然にも1枚 だけが残つていた。それがまた偶然にも犯人の朝鮮人 2人 である。異様な偶然性 である。吉田警部補 らは写真から金城 0卜 )と 高山 (在 )を 特定し、 2人 が事件 の当日に日光に来ていたかどうかを調べることになる。写真では季節 と日時が 分からない。それで 2人 の刑事は10年前の事件に対しもう一度聞き込みをする。

すると、事件当日、「得体の知れない朝鮮人が付近を徘徊 していたとい う話」に 結びつ くが、 噂ばかりで実際の目撃情報にはたどり着けない。住職が独 自で行っ た 10年前の調査 と結果は同じで、みんなが噂をするばか りで、朝鮮人の存在を 具体的に特定する証言は得 られない。 しかし、二人の粘 り強い調査に劇的な変 化が起 こる。柳原すみ子 とい う中年婦人が 10年 前の事件前 日、写真の男を目撃 したと証言 したのである。以下のような証言である。

「あの事件の前 日、ケープルの終電後の午後七時ごろ、芦尾屋の店に、二 十四、五歳の朝鮮人風の男二人が丸テーブルの前で酒を飲んでいました。

ところが、その晩、芦尾屋から火が出て、家内中が死体 となつて現れ t警

察では一家心中だ と言つていたが、町の人は他殺だと言 うので、私はもし かすると、あの朝鮮人が怪しいのではないか と思い、父や母に話したこと があ ります。その朝鮮人は人相が悪 くて、下品な言葉で冷やかされたので、

とても恐ろしく思い、今でもよく印象に残つています」

と生々しく具体的に証言 したのである。それで警察が写真を見せると、

「これです、この男です。恐ろしかつたので、人相を忘れていません。た

しか に、 この 人 で した 」

(13)

と断言する。この証言 によつて 2人 は事件 当 日現場 にいた とされ、逮捕 され るこ とになる。 しか し、柳原すみ子 とい う中年婦人の証言 には疑間点が多い。 ここ まで明確 に記憶 していれば、なぜ事件当時 に警察 に届 けなかつたのかである。

当時はみなが 「朝鮮人 らしい」男が出回つた と噂 し、写真屋 はこぞって宇和巡 査 に「朝鮮人 らしい」写真 を提供 しているのである。また住職 も独 自に調査 を 行つていた。 中宮祠付近の旅館街は隔離 された狭い場所 で、 これ ほど重要で具 体的な証言が警察 にも届 けられず、村 中の噂の証拠 として も提示 されず、住職 の調査か らも漏れて しまっている。また柳原すみ子はそれ を具体的 に父母 にも 相談 している。場所の狭 さを考える と、宇和巡査や宇都宮署や住職 の調査 によっ てすぐにも特定できたはずである。それがなぜ 10年後の調査でここまで鮮明に 証言できたかは疑間である。柳原すみ子が目撃証言でい う「人相が悪 く」 「下品」

とは日本人一般が持つている朝鮮人のイメージにすぎない。 しかし、柳原すみ 子の証言が決定的な証拠 となり、二人は逮捕される。柳原すみ子の証言に作品 での吉田警部補さえ「いや、小切手一枚に引きず りまわされて、最後があてに もせぬ写真が決め手になるなんて、だらしない話です」と事件解決があまりに もあつけないものであったとつぶや く。つま り、作品では緻密に捜査が行われ ているかのように書かれているが、実際においては、在日朝鮮人を映 した 1枚 の 写真があり、10年後に或る女性が、事件前 日の現場でこの写真の男を目撃 した

と証言したことで、殺人犯 として逮捕されたことになる。

しかし、問題は、清張が目撃証言を一切信用 しない態度を取る作家であると い うことである。後述するが、帝銀事件では膨大な記述を割いて目撃情報がい かに信用に値 しないかを粘 り強 く証明している。また警察の誘導によつて目撃 証言が簡単に作 られることも指摘 している。 『小説帝銀事件』の相当な部分が目 撃情報の信憑性を疑 う作業で、それは『黒い手帖』の中でも持論 として繰 り返 し展開されている。事件の真偽はともか く、清張が 10年前の目撃情報をそのま ま鵜呑みして警察の捜査を追認するのは、清張の基本姿勢 と大きく背馳してい るのである。 『小説帝銀事件』が帝銀事件に影響したように、「日光中富祠事件」

も実際の事件に大きく影響 したと思われる。作品は公判中に発表 され、テレビ で ドラマ化され、犯人像の決定的なイメージが創 り出されている。警察の情報 をそのまま追認 した「日光中宮祠事件」によって作 られたイメージは、 2人 の控 訴審においてきわめて不利にはたらいたであろ う。結局、高裁への控訴、最高 裁への上告はいずれも棄却 され、死刑が確定される。死刑執行は当時としては 異例の長期収監のすえに行われ 判決確定から14年、 事件発生から28年後であつ

‑34‑

(14)

た。

以上、 「日光 中宮祠事件 Jに み られ る様々な矛盾点を指摘 した。作品では清張 特有の論理性や推理性が発揮 されず、警察の一方的な視線 によつて事件が語 ら れ、垂れ流 されている。警察の捜査 に対す る異議 は見 られない。そのため、清 張文学の特質や清張 自身の持論 とも合致 しない ところが多数見 られ るのである。

一方で、作品は実際に進行中の公判の争点 にな る筋 でもある。清張 が小説 の 形式で書いた創作であった として も社会的はそれ をフィクシ ョンとしては受 け 止めない。読者は作品をノンフィクシ ョンと看

f」lし

、いわゆる 「真相」 として 受容す る。つま り、 フィクシ ョンを装 うノンフイクシ ョンであ り、 ノンフイク シ ョンの効果 を極 限に高めるフィクシ ョンなのである。 ノンフィクシ ョンの素 材 をフィクシ ョン化す ることで想像 の自由が得 られ、 フィクシ ョンを盾 にその 責任か らも自由になれ る。清張 は推理小説家の もつ こ うした 自由を十分 に認識 し、それ を戦略的 に巧み に利用 した と思われ る。法の論理 と歴史の論理が推理 小説の推理の論理 と類似 し、そ こに推理小説 の手法が無限 に入 り込む余地があ ることを清張 は自覚 していたに違いない。その最初の きっかけになつた作品が

「日光 中宮祠事件」である。それ以降、清張はしばしばこのような手法を使い、

ジャーナ リズムに深 くコ ミッ トしてい く。これか ら紹介す る 『小説帝銀事件』 「帝 銀事件 の謎」「スチ ュワーデス殺人事件」 『黒い福音』がそ うであ り、 『 昭和史発 掘』 『 日本の黒い霧』のシ リーズがまたそ うで、 『北の詩人』や古代史への探求 な どにも同様 の手法が使われてい るのである。小説家 の推理 とい う形式でフィ クシ ョン とノンフィクシ ョンの境界を 自在 に行 き来で き、その責任か らも自由 になれ る。 これが可能なのは、法 と歴史の論理が本来 その よ うな危 うさを持 つ ていたか らである。清張はそれ を機敏 に感知 し、そ こに推理 の論理 を介在 させ たのである。法の正義 と歴史の真実 とい うのは、 あ くまで も文学的な論理で、

いわ ば推理 にはかな らない ことを清張が逆 に証明 してみせた ことにもなる。

4.『 小説帝銀事件』 と r帝 銀事件の謎」

「日光中宮祠事件」の翌年の 1959年 5月 か ら7月 にか けて清張 は、当時社会

的 に注 目された帝銀事件 についての 自己推理 を集 めた『小説帝銀事件』を発表

す る。作品では捜査記録、検事調書、裁判記録、精神鑑定書、被告人手記 な ど

の資料が使われ、事件 は平沢の犯行ではな く、旧陸軍 731部 隊関係者 によるもの

で、それを GHQ防 諜部が占領統治のために隠蔽したと推理される。いわゆるノ

ンフイクション・ノヴエルとも呼ばれるものである。

(15)

R新 聞社論説委員の仁科俊太郎は、当時の資料か ら事件 に疑間を抱 き、独 自の 調査 と推理 を展開 し、真犯人を明 らか にしてい く。う ま り、作品は平沢犯人説 に異議 を唱えるかたちで展開 し、清張の独 自の本領が発揮 される。その主な点 は以下のよ うな ものである。 日光 中宮祠事件 とも関連す る疑問点である。

(1)目 撃情報の信用性の無 さについての追及である。平沢 を逮捕 し、いわゆ る面通 しをす ることになるが、 目撃者の証言がそれぞれ違 う。

駒込署 に平沢貞通が到着 した とき、 犯人を目撃 している 2人 に面通 しをするが、

1人 は「似ている」といい も う 1人 は「違 うと断定」する。さらに身柄 を警視庁 に移 して 3人 の生存者 を合む 9人 の 目撃者 に面通 しをさせた ところ、 3人 の生存 者 とほかの 2人 は「違 う Jと 断定 し、残 りの 4人 は「似ている」と証言す る。し か し、平沢の犯行を信 じ、古沢逮捕 に異常なほ ど執念 を見せ、一方的 にマス コ ミに犯人逮捕 を発表 した古志田警部補の独走 もあ り、その収拾 を模索 していた ところ、平沢 に私文書偽造行為及び未遂が発見 される。私文書偽造行為 につい て 2人 に面通 しをさせた ところ、 2人 は「九分九厘間違いな し」と返答 し、平沢 もそれに関 しては認めた。この詐欺事件の発覚に警察 は「もしや」と思い、「急 に熱心 Jに なって面通 しを何回 も繰 り返す ことになる。その結果、帝銀事件生 き残 りの田中徳和は 「日、 日元、 自髪、顔 の輪郭、身長、音声 と話 しぶ り、落 着いた態度、年齢な どはだいたい犯人 とそつ くりです J「 犯人 に間違いない と思 いま した Jと 証言する。田中徳和は 3時 間前 に行われた最初の警視庁の面通 しで は 「違 う」 と断定 した人である。それが急 に意見を変 えて きたのである。 さら に犯人 ともっ とも長 く接 した支店長代理吉 田武次郎 も最初の 「違 う Jと い う証 言を変 え、またそれ を曖昧 に弁解 しなが ら以下の ような証言 をす る。証言論理 が 日本文化的なもので、また も う 1人 の生 き残 り証言者である村 田正子の証言 と も絡 んでいるので、やや長いが、そのまま引用する。

「いままであま り多 くの容疑者の顔 を見せ られたためか もしれませ んが、

犯人の顔 を思い起 して も、ほかの顔が浮かんできた りして、今 日では幾分 記憶が薄 らいで来 たよ うに感 じます。 しか し、いまで も犯人 に会 えばわか ると思いますが、確固たる信念が持てないのが残念です。平沢貞通のあの 日の新間を見てハ ッとしま した。八月二十三 日の面通 しの ときの平沢の顔 とほ とん ど違 うのですが、事件 当時の犯人の真剣な顔 そっ くりに見えま し た。本 日、平沢をよく見 ると、耳が非常に小 さくて、その脇 に縦 じわがあ るのが 目につ きま した。 これが犯人な ら、事件 当時、 ど うして この特徴 に

‑36‑

(16)

気がつかなかつたか と疑間 に思われます。 しか し、非常 に犯人 に似ていま す。似ている点は、 自髪、後頭部の毛の生 え際、 日付、唇 の薄 い点、顔の 輪郭、後 のほ うにそつ くりかえる ところ、手 の指 の骨 ばつていない点。特 に犯人 と違つている と思われ る点はあ りませんが、ただ、話す ときに口を ち ょっ と横 にまげるよ うな ところが違 うだけで、総体的 に言 えば、断定は できないが、九分通 り似ている と思います」

吉 田の証言 は自己矛盾 をは らむ 日本語的な曖昧な論理で、 証言 どお りな ら「九 分通 り」似ている証拠 にな らない と思われるが、本人の主張なので どうにもな らない。それではなぜ最初は 「違 う Jと 証言 したのか、犯行の瞬間に人間の顔 のパーツをそれぞれ詳細 に記憶す ることがで きるのか とい う疑間 も残 る。そ う した疑間を合めて証言 したのがも う 1人 の生存者である村 田正子である。村 田は

「いままで何人 も見せ られた容疑者の うちでは、平沢 とい う人がいちばん似て いる Jと 認めなが らも、「終始一貫 して 「違 う」 と主張 Jす る。「なんか感 じが 出ない、 ピン とこないです」 と言いなが ら、以下の よ うに付 け加 える。

「一度でも会つたことのある人な ら、なんか ピンと感ずるものがある告だ が、 日が どうの、鼻が どうの、個々の道具 を一つ一つ おぼえているのでは な く、それ らが形造 る全体の感 じか ら、考 えるより先 に、ああ この人だ、

とピン とくるのだ と思います

J

生存者の 3人 の証言 は平沢 に不利なものであった。なかでも 2人 は最初の証言 を覆 してい る。最初は印象で 「違 う Jと したが、再度 の証言では、顔 の個々の パー ツを詳細 に分析 した うえで、「似ている」と証言する。証言の矛盾について 清張 は次の よ うに指摘す る。

この証人が、 この

,点

が似ている と言 つて、前 に言 つた ことと逆の ことを 言 つてい る例 があるか と思 うと、また、二人の証言がそれぞれ、まった く 逆の ことを似てい ると証言 している例 も多い。それが同一人 に間違いない と証言 した、安 田銀行荏 原支店の渡辺支店長は、特 に似ている点 として、

顎の曲線、声、 日元 をあげ、そのほかにも、 同 じ支店 の山崎静枝、富田智

津子、そのほか数 名が、声が似ていると指摘 しているのに対 し、同 じく安

田銀行荏原支店の高坂鉄二郎 は、 「八〇パーセ ン トも似ているが日と声が違

(17)

う」 と、ほとんど渡辺支店長 と逆であ り、同店の佐藤正夫も「声が違 う」

と述べている。また、このほかにも、同店の神津安子、鈴木利雄も、「犯人 にしては少 し顎が角張 り過ぎている Jと 言って、顎の曲線が似ているとい う渡辺の証言 と食い違いがある。

つまり、清張は、日撃情報は当てにならないことを、実例を挙げて執拗に提 示 しているのである。 『小説帝銀事件』によると、目撃情報の面通しを行った 50 人のうち、 「分からない」と答えたのが 2人 、 「似ているが どちらとも断定できな い」とい うのが約 20名 、 「ほとんど同一人に違いない」が 10数名、「どこか違 う」

10人 足らずであったという。ほかにも顔の傷をめぐる証言の食い違いも取り 上げられ、日撃情報の信憑性が徹底的に疑われる。しかし、この面通しの結果

と平沢の詐欺事件が暴露されるいなや、新聞や報道は「平沢貞通を犯人 と断定 したかのように書きたてはじめた」と批判する。結局は誤つた捜査 と薄弱な目 撃情報、 強引に得られた供述調書があり、新聞報道やマスコミによる世論によっ て平沢犯人説は固まうたとい うのが作品の筋で、また清張 自身の考え方でもあ る。清張は世論が裁判に大きな影響を与えたことを次のように批判 している。

第一審裁判長は結論を迫られた。この時、輿論の風圧が彼の意識に作用 しなかつたとは誰 も言い切ることはできない。すでに裁判進行中にも、新 聞紙上には、平沢を真犯人 とするような印象の強い表現の法廷記事が連日 のように出ていることである。世論の評判も、平沢に決めかかっている。

作品での清張の債 りは首肯できるが、それにはある種の違和感も伴われる。

じつは前年に清張は「日光■官祠事件」を発表し、警察の報告だけで犯人を断

定 してい るか らである。その裁判はまだ進行 中だったのである。そ して 日光中 宮祠事件 の輿論 を先導 したのは清張 自身である。情熱 と無関心の矛盾が見 られ るのである。

前述 した「日光神宮祠事件 Jで は 1人 の中年女性 による 10年 前の 目撃情報が 事件解 決の決め手 となつた。それ について清張 は『小説帝銀事件』で見せた情 熱 と自己の持論 を展開 して もよかった ょ うな気がす る。そのよ うな ところは随 所 にある。た とえば、帝銀事件では小切手の筆跡鑑定が行われたが、作品では 筆跡鑑定は非科学的な もので、鑑定家 によって違 う結果が得 られると事例 を挙 げて細密 に反論 されている。つま り、筆跡鑑定 は非科学的であるとい うのが清

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張の持論である。一方、「日光中宮祠事件 Jに おいても小切手の筆跡鑑定が犯人 説を裏付けることになるが、その際には同様の疑間が付 されず、科学的なもの として処理 される。つまり、同じ対象に対する判断の基準が異なるのである。

そのような疑間は捜査官への視線にも見られる。

(2)『 小説帝銀事件』で平沢を検挙したのは古志田二郎警部補の功績による が、作品では古志田警部補が 「粘 り強い性格」で、古志田によつて事件が大き く曲げられたとする。古志田警部補は名刺捜査を担当していた。当初、捜査本 部は名刺捜査を事件の中心と捉えず、軍関係、とくに731部 隊との関連に捜査の 主力を向けていたが、古志田警部補が名刺の出所に異様に執着 し、平沢を犯人 として逮捕 してしまったとい う設定である。古志田警部補の異常な執着 と暴走 ぶ りが強調 されている。

古志田警部補は平沢に初めて会つたとき、平沢の狂言 じみた言葉に疑念を抱 き、さらに自己のア リバイを強調する態度に疑念を増 し、 「一度疑い出す ときり がない」状態に陥る。捜査本部は 「軍関係の追及の最中」で、古志田警部補が 担当する名刺関連の捜査には 「あまり期待」せず、古志田警部補の熱心な捜査 は「主流から冷た く見 られていた」状態であった。しかし、捜査本部が古志田 の「素人のまぐれ当たり説に傾き」、平沢犯人説に捜査方向を転換 したのは、 「主 流派の軍関係の捜査が、不意に、途中で、巨大な壁に突き当たつて、絶望した」

からであると推測されている。当初、捜査本部は古志田警部補が集めてくる証 言などには「薄笑いして取 り合わなかった」が、古志田警部補はこれにめげず、

平沢に焦

,点

を向けた捜査を粘 り強 く続ける。古志田警部補の暴走ぶ りが以下の ように描かれている。

古志田警部補の平沢への執着は、いまや一種の気違い扱いされ、部下か らも、古志田さんは北海道でキツネに取 りつかれて帰つてきたと、陰口を されていた。実際、古志田警部補は、何が入つているのか、手提鞄を、歩 くときには手にしっか りと抱き、寝るときには足に結びつけて大事そ うに していた。はたの者には、なにか熱病に取 りつかれているとしか見えない のである。

平沢に対する古志田警部補の執着に、上層部は 「部下の異常な仕事熱心に酬

いるつもり Jで 逮捕状を出すことになるが、 これに古志田は大捕物劇さながら

平沢を逮捕 し、容疑者護送の警備をわざと物々しくし、一方ではその情報を積

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極的 に記者団に漏 らし、 自らが平沢逮捕の理由を記者 に語 つている。尋常でな い刑事 とい う描 き方である。古志田警部補が記者に発表 した平沢犯人説がいか に異様 で、またその理由がいか に荒唐無稽であるかを示すために、作品では古 志田が記者 に発表 した平沢犯人説 を箇条書 きで取 り上 げている。その理由とは

「①ほかにも詐欺的な犯罪容疑がある。②妻の証言 との食い違いがある。③指 圧療法の経験がある」 とい うよ うなもので、証拠の荒唐無稽 さを浮 き彫 りにし ている。 また古志田が平沢逮捕の功績 によって総監賞を受賞 したことも皮肉ら れている。

つま り、小説帝銀事件は異様 に「粘 り強い性格 Jの 1人 の刑事の功名心 によっ て平沢は逮捕 され、アメ リカ 占領政策あ壁によって真犯人への捜査が結果的 に 妨害 された とい う論理構成である。 しか し、作品で異様 な人物 として描かれて いる古志田三郎警部補のモデル になった人物が じつは「落 とし八兵衛

J「

捜査 の 神様 Jと 数々の異名で伝説 になっている平塚八兵衛である。帝銀事件で平沢を 逮捕 し、いわゆる「落 とし屋 倍」 屋

)」

として名を風靡 した人物である。そ して、

平塚八兵衛 こそ、後述す る『 黒い福音』の藤沢六郎部長刑事で もある (清 張が 陰謀 と主張す る『 日本の黒い霧』の 「下山事件」 を担 当 したの も平塚八兵衛で ある

)。

同 じく実在の刑事が二つの重要な作品のモデル として登場 しているので ある。そ して同一 の刑事のイメージが別の事件 を扱 った作品では全 く別人格の よ うに描かれ る。結論 を先 にいえば、執拗な情熱 と姑息な手で冤罪事件を惹き 起 こす異様 な刑事が、巨悪 に立 ち向か う善良で粘 り強い真面 目な刑事 に変貌す るのである。一人の人物 に対す る大 きな落差が見 られる。それは 「日光中宮祠 事件 Jと の比較で もいえる。

日光中宮祠事件では、 2人 の刑事が朝鮮人部落 に調査 に出向 く危険を冒しなが ら粘 り強 く捜査 を し、 日光中宮祠事件が解決済みの無理心 中ではな く、在 日朝 鮮人の犯罪であることを解 明す る。刑事の粘 り強 さと執念が真実を究明 した と 評価 されている。それ は『黒い福音』でも反復 され る。

(3)自 白の根拠 とその危険性 についての記述である。作品では平沢が検事の 長期 に渡 る取 り調べ に耐 え切れず、結局は警察の筋書 きによる自白をしたこと になる。作品では警察 による名刺裏書の改質、検事 による誘導過程、誘導過程 で起 こる さらなる自己矛盾な どが暴かれている。つま り、平沢の自白は検察の 自白強要 と誘導 によって行われたもので、平沢 自身の虚言 と陳述 内容の混乱 な どは平沢が精神病 の一種である 「コルサ コフ病」の患者であることによると説 明 され る。そ して平沢の 自白は 「長い拘禁 による精神錯乱の 中に検事に誘導 さ

‑40‑

(20)

れた 自白 Jで ある と結論づ ける。また平沢が証拠第一主義の新刑事訴訟法では な く、自白中心主義の

1日

刑事訴訟法で裁かれたのが、平沢を不利 にした とする。

つま り、確たる証拠 もないまま強要 と誘導 による自白で裁かれ、一審で死刑 を 宣告 され、一審の レール に乗 る形で、死刑が確定 された とい う論理展開である。

清張 の自白中心主義へ の批判は、 1年 前 に小説化 し、まだ審議 中の「日光 中宮祠 事件 Jに も適用 され るべ き論理である。平沢 に類似す る前科があ り、朝鮮人で、

帝銀事件以上 に薄弱な証拠で、本人の 自白を頼 りに裁かれている 日光中宮祠事 件 は、清張の主張 に照 らせ ば帝銀事件以上 に冤罪性が高いか らである。 さらに 清張 が期待 を込めた新刑事訴訟法で裁かれた にもかかわ らず、依然 として 自白 中心主義が適用 されてい るが、それ について も触れ られていない。

(4)帝 銀事件で清張 が強 く批判 したのはメデイアで操作 され る輿論 の ことで ある。帝銀事件 は輿論 の興味本位で引きず られ、警察の発表 を過度 に、 しか も 先走 って追認 し、寃罪 を創 り出す手助 けを した と批半」してい る。

犯罪史上未曽有 の残虐な事件だ し、極悪無道の犯人なのだ。世間の大衆 が 「真犯人」の平沢 に憎悪の眼を投 げつ けたのは当然である。マス コ ミが この大衆感情 を煽 り、一つの 「興論 Jが 形成 された。輿論 は、いつ も片側 に或 る種 の暴力を養 ってふ くれ るものである。 (中 略

)

大衆感情 は、 とき として理不尽 なものである。彼 らは新間 による報道だ けで、詳細な内容 を知 らされていない。警視庁の主観が新間の主観 とな り、

それが読者の主観 とな り、「世論 Jの 主観 になるのである。

新聞編集長の口を借 りた輿論への批判は厳 しい。マスコ ミが平沢の取材 に「狂 奔 Jし 、犯人が別人である可能性が全 く排除 された と批半」 す る。つま り、平沢 を犯人 にしたのはマス コ ミに主導 された輿論 である と厳 しく断罪す る。

とにか く世論 は平沢貞通 を「真犯人」 にして しまつた。天人共 に許 さざ る極悪非道の凶悪犯人である。警視庁の主観がマスコ ミの主観 とな り、そ れが作 り上 げた輿論 である。それ は台風 の よ うに強い。

清張 は、平沢を犯人 に仕立てたのはマス コ ミによる輿論であると指摘 し、強 く批判 している。輿論 が警察 に加担 して冤罪 を生みだ している と警告 している。

清張 は『小説帝銀事件』の発表後の翌年、 『 日本 の黒い霧』の連作 として 「帝銀

(21)

事件の謎」をノンフイクシ ョンの形で発表す るが、そ こにおいて も『小説帝銀 事件』の推理が踏襲 され、 GHQの 陰謀 と謀略 とい う結論 になる。そ こには帝銀 事件の重要な示唆 として「われわれの個人生活が、いつ、どんな機会 に「犯人」

に仕立上 げられ るか知れない とい う条件の中に生息 している不安」 を強調 して いる。警察や輿論 によっていか にも簡単 に犯人 として仕立て られ ることの恐怖 を語 つている。

しか し、清張の この よ うな見解 は至極 当然であるが、一方で 日光中宮祠事件 を世論 に先導 したのは、清張の小説 「日光中宮祠事件」である。警察の情報 を 充実 に作品に反映 して世間に公表 し、輿論の形成 を主導 していたのである。帝 銀事件 に見せた粘 り強い執拗な疑間が類似する事件でなぜ発揮できなかったの だろ うか。そのよ うな疑間は小説『 黒い福音』とノンフイクシ ョン「「スチ ュワー デス殺 し」論」で も反復 されている。

5.「 「スチュワーデス殺 し」論」 と『 黒い福音』

すでに見てきた よ うに、清張 は世間を賑わ した 2つ の事件 について、いずれ も 小説 (フ ィクシ ョン )の 形態を先 に発表 した。 日光中宮祠事件は小説だ けで終 り、帝銀事件は『小説帝銀事件』の後、「帝銀事件の謎」とい うノンフイクシ ョ ンを発表 している。 しか し、 BOACス チ ュヮーデス殺人事件 は、「「スチ ュワー デス殺 し」論」 とい うノンフィクシ ョンを先 に執筆 し、まもな く小説『 黒い福 音』を発表 している。発表順序 が逆 になつているが、必然的な理 由があつた と は思 えない。発表雑誌や効果が よ り重視 され、 フィクシ ョンとノンフイクシ ョ ンとい う 2つ のジャンルは流通 し合つていた と思われる。いわば虚構 と真実が混 在 し合い、その区別が曖昧 になっている。

「「スチュワーデス殺 し」論」が発表 されたのは 1959年 8月 で、事件の重要参 考人であるベル メル シュ神父が帰 国 した同年 6月 11日 である。清張は神父の帰 国に際 し、一早 く事件の疑惑 をノンフィクシ ョンの意味 を込めた 「論」 として まとめ、それを小説的 に膨 らま して『黒い福音』を発表す る。「論」の執筆動機 について清張は次の よ うに述べている。

以上は、 この事件 についての私 の推理小説的な想像だ。私 はカ トリック には無関心で、何 らの恩怨 もない。ただ、信者が盲信のあま リベル メルシュ 神父 を頭か ら無条件 にかばい立て るので、少々腹が立 って この一文 を書 く 気 になつたまでだ。読者は本文を、私が よく試みている実際の事件 を材料

‑42‑

(22)

にした空想的なエッセイの一つだと思つていただきたい。

清張は、信者が神父を庇 うことに

l12を

立て、 「空想的なエッセイ」として「論」

を書 くことになつたと述べている。つま り、フイクションとしてのノンフィク ションとい うことになる。すでに指摘 したノンフィクションを装 うフィクシ ョ ンの形態で、清張は独 自の推理を展開する。まず清張は自身が使 う資料の出所 について、「この問題について、特

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資料をもっていない。後述するように、

ほとんどの資料は、各週刊誌に書かれた記事を基礎 とし、それに若干の私の補 足的な資料を加え、そのデータの上で、スチュワーデス殺 し事件を考えてみた い」 と断つている。つまり、輿論の反映が色濃いものである。

まず、清張は疑間として信者の一部が主張する 「神父さまはシロである。な んとなれば、目がきれいで澄んでいる」 とか 「お祈 りをする様子は、人に裏切 られたキ リス トのようであった Jと い うものを 「主観的な、あるいは宗教的感 傷の一文」であると批判し、独自の推理による神父のア リバイを崩 していく。

そして結論的に教会は占領物資の横流しや闇 ドル事件に関与するなど、宗教を 隠れ蓑にした犯罪集団として推理され、武川知子氏を BOACが 採用 したのは日 本 と香港を結ぶ密売ルー トを確保するためであると推理する。また武川知子氏 の殺害は裏の組織の指示によるものであるとされる。

「論 Jで は推理を重ねる前提 として、「空想的な想像であるが、」「小説的想像 だが、 」「私の推理小説的な想像だ Jと いつた言葉が多用 され、最終的には「日 本の国際的な立場が極めて弱いから」 、外国人神父の逮捕に至 らず、「日本の弱

さが、スチュヮーデスとい う一個人の死の上にも、濃い場 りを落 としている」

と結論付ける。また「論 Jで は以前の清張の持論 とも違 う解釈が随所に見られ る。たとえば、 NIIKが 1959年 4月 12日 に神父の写真を公開した経緯について は、帝銀事件のような警察による輿論形成の垂れ流しとは解釈 されず、誤解に よって漏れたもので、かえって警察が極秘裏に捜査 した傍証になるとされる。

それで外国の圧力で警察が致し方なく犯人を逃がしたとい う論理に符合する。

こうした強引な推理は至る所に見られる。たとえば「目がきれいで澄んでいる」

ので犯人でないとい う信者側の見解には強 く反論 しているが、 日光中宮祠事件

では「印象が悪い」「あや しい朝鮮人」とい う印象論があつさり追認 されてしま

う。女性に豪華なプレゼン トを送るのは外国人の 「常套手段」であるとか、外

国人が取 り調べを受ける途中で入院するのは、「自白の一歩手前」で「自白した

同様のゼスチュア」であり、後ろから首を絞めて一気に殺す「掘殺」は日本人

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には不可能であるとも推理 される。今 日では想像 できないよ うな論理で、それ に情調論 も際立 っている。「論」でのこの よ うな情調論 は、小説『 黒い福音』で さらに膨張する。小説のジャンル にな り、清張 の想像力が一層発揮 されている のである。

『 黒い福音』は、事件前の想像的創作 と事件後 の推理 による 2部 構成 になつて いる。大まかな概要を、先行資料 を借 りて紹介す る (以 下、作品の概要 は前掲 の郷原宏『松本清張事辞典決定版』による

)。

武蔵野の面影 を残す東京北郊の住宅地 に協会 の鋭い尖塔がそびえている。バ ジ リオ宗派の本部 グ リエル教会である。その近 くにある江原ヤス子の家 には周 りを警戒す るために 4頭 のセパー ドが飼われ、主祭長のルネ グ リエ神父が出入 りする。聖書 を共訳す るとい う名 目だが、信者のヤス子は神父の愛人で :そ の 家は教会が横流 しするヤ ミ物資の保管庫で、犯罪のアジ トになつている。教会 はヤ ミ物資の横流 しで勢力を伸 ば してきた。砂糖 の横流 しが露見 しそ うになっ た ときには、政府高官の信者 を動か して もみ消 した。会計係の ドルベ ック神父 は美男で、教会付属の幼稚園ダ ミアノ・ホームの保母たちに人気があ り、やが てそのひ とり生 田世津子 と忍び逢 う仲 になる。教会のヤ ミ物資を仕切 る国際密 輸組織の黒幕 ランキャスターがそれ をかぎつ け、世津子 を国際線 のスチ ュワー デスにして香港ルー トの鳩 (麻 薬運搬人 )に す る計画を立てる。世津子はスチ ュ ワーデス試験 に合格 したが、 どうして も鳩 になることを承知 しない。秘密の暴 露を恐れたランキャスターは トルベ ック神父に世津子の殺害 を命 じ、

 

トルベ ッ ク神父が惧悩の末 に恋人を殺 して死体 を玄伯寺川 に捨てる。警察は最初 自殺 と して処理 しよ うとしたが、行政解音 Jの 結果他殺の疑いが強ま り、本格的な捜査 に乗 り出す。やがてグ リエル教会 の存在が浮かび上が り、捜査本部は トルベ ッ ク神父を重要参考人 として取 り調べ るが、宗教 と外交の壁 に阻まれて捜査は難 航す る。それ を藤沢部長刑事 と S新 聞社の佐野記者が執拗 に追いかけ、その真 実の究明に近づ くが、

 

トルベ ック神 父は本 国へ逃亡 して しま う。

以上の概要 に基づいて、 『 黒い福音』が持つい くつかの問題点を提起す る。

(1)情 調的な描写が激 しい ことである。先行す る「論 Jで もこ うした要素は 強いが、小説 (フ イクシ ョン )で は作家の想像 力が取 り入れ られ、 さらに膨れ 上がる。 こ うした描写は神父犯人説 を一層確信 させ るもの として読者 に受 け止 め られた と推測 され る。

た とえば、教会 についての描写は、武蔵野の林の中に立 って昼間はいかにも 荘厳 に見えるが、夜 になると異様な姿 に変貌 し、その二重性 を際立たせている。

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