入山の祭と現状 : ふれあい祭と八幡祭を例に
著者 市山 修平
雑誌名 静岡市・由比 入山および由比川流域. ‑ (フィール ドワーク実習報告書 ; 平成29年度)
ページ 5‑12
発行年 2017‑12
出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/00024971
入山の祭と現状
~ふれあい祭と八幡祭を例に~
市山修平
1 はじめに 2 由比のお祭り 3 ふれあい祭 4 八幡祭
4.1 一日の流れ
4.2 神社委員会と祭委員会 5 つながりを生む祭 6 疲弊する地域 7 おわりに
1 はじめに
静岡県静岡市清水区由比という町は、一般的には桜えびの町として有名である。約10年前に 静岡市と合併したが、県内では「桜えびの由比」として、現在でも一定の存在感を持ち続けて いる。そんな港町の印象が強い由比であるが、港のある駅周辺から最も遠い場所に位置する地 区こそが、今回の調査地となった由比入山である。入山は 11 の部落からなり、親水公園周辺 の「平部落」とそれ以外の「山部落」に二分されている。由比川の清涼な水と山々に囲まれた 豊かな自然が広がる町である。
その町で私は、海側の町において「桜えびまつり」という大きなお祭りが催されるのに対し、
どのようなお祭りが入山という地域に根付いているのかという興味をもったのがこの報告書の 始まりである。そもそもとしてお祭りとは何であろうか。阿南 透(1997:68)は現代日本の
「祭」は多種多様とし、集団で周期的に行い、参加者が特有の規則に基づいて行動し、関心を 集め、参加者に非日常的な意識を作りだすシンボルがあることとしている。しかしバーゲンセ ールすら「祭」と称する昨今の日本社会においては、イベントの区別は曖昧なものとなってい るといえる。本報告書では、宗教的意義を強く帯びた祭祀的な「祭」と、賑やかしを目的とし たイベントの「お祭り」両方をテーマに考察し、入山の「入山親水公園ふれあい祭」(以下ふれ あい祭)と10 月に開催される「八幡祭」の焦点を当て、祭がコミュニティに及ぼす影響や役 割を、聞き込み調査を行うことで明らかにしようとしたものである。
2 由比のお祭り
ここでは入山地域のお祭りだけでは無く、由比における代表的な祭りを、『由比町史 補遺』
(2008、由比町史編さん委員会)から二つ紹介する。
由比のお祭りとして最大のものとしてあげられるのは桜えびまつりである。1994(平成 6)
年5月3日に由比の桜えび漁100週年を機に開催されたのが始まりであり、由比漁港内とし、
桜えびのかき揚げ等の飲食コーナーをはじめ桜えび・しらす・夏みかん・削り節・地酒・海産
物・農産物等、町内の主要産物が店舗を並べ格安で販売される。桜えびの冷凍パック・生シラ スも無料でプレゼントされる。第1回で来場者3万人を達成し、近年では漁船の体験乗船、歌 謡ショー等のイベントと、由比駅前から由比川西岸の旧東海道(桜えび通りの一部)を歩行者 道路に規制して、来場者の安全確保などの努力を努めた結果、町外からの人たちに由比町内を 散策してもらう効果と同時に、歩行者用道路に面した通りにおいて、地元住民や地元商業業者 自らが出店する店舗が増加した。2008(平成20)年の第15回イベントでは富山県新湊漁協と 由比港漁港との姉妹締結などもあり4万8千人余の来場者で賑わった。
由比において伝統あるお祭りとしては、お太鼓祭りがあげられる。お太鼓祭りとは、由比の 町屋原にある豊積神社で開催される祭典である。豊積神社は、延期式に記載されており、平安 時代当時から格式の高いものとしてみられている神社である。1月1日から3日間、神社の大 太鼓が、若衆連によって区内を練り歩く。797(延暦16)年、坂上田村麻呂東征のおり、ここ 豊積神社において戦捷祝賀が催され大太鼓が奉納されたことに由来するといわれ、大太鼓のう たは、歌詞・歌曲とともに独特なものである。お太鼓祭りは由比町の町指定の文化財に指定さ れており、由比のお祭りの中でも由緒あるものとして捉えられている。このように、由比のお 祭りとして代表的なものとしてあげられるものの多くは、駿河湾沿岸の地区で行われており、
由比という町が駿河湾と旧東海道で栄えたことを伺い知れる。
由比の中でも山間部に位置する入山地域で行われるお祭りは、上記の2つのお祭りと比べる と規模も小さく、入山の中でも限定された部落内で行われるものが殆どである。以降の章では、
その中でも入山の集落が一体となって行われるお祭りを二つピックアップし、先行研究である 筑波大学民俗学研究室の『フィールドへようこそ 2010 由比の民俗 静岡県静岡市清水区由 比』と、6月初頭に入山で行われたフィールドワーク中に、実際に祭りの運営または参加する 人びとから直接お聞きした話を紹介し、入山で行われる祭りの実態について考察する。
3 ふれあい祭
ふれあい祭とは、5月5日のこどもの日に入山親水公園にて行われるお祭りである。入山自 治会、部農会とその他有志によって運営され、メインのイベントはマス釣り、餅つき、抽選会 である。多い年には3,000人もの人びとが集まる。入山の豊かな自然と清涼な水をアピールす るのが目的であり、外部から人を集める観光イベント的側面をもったお祭りである。平部落は もちろん、山部落の方も一部参加し、入山内の親睦を深める場でもある。
ふれあい祭は入山親水公園を会場として開催されるが、親水公園ができる前にはふれあい祭 の前身となるお祭りが開催されていた。祭の内容は部農会が主体となった地場産品の販売など であった。ふれあい祭開催のきっかけは、第15代入山区長(1985(昭和60)年4月~1987
(昭和62)年3月)の望月英之介氏が提唱した「ジョイフル入山」の考えや、「みんなでふれ あって楽しもう」、「みんなでひとつの何かをしよう」という気持ちからで、最初は入山の人の みが参加するものであった。イベントが観光イベント化したのは、入山親水公園が完成し、こ いのぼりの掲揚が始まった1997(平成9)年からである。こいのぼりの掲揚によって観光客を 誘致し、入山の自然や水をアピールするのが目的である。5月3日に桜えびまつりが開催され るため、こどもの日に開催することについて反対意見もあったが、「こどもの日だから絶対来る」
という意見が多数だったため、5月5日に開催が決まった。ふれあい祭はその後、ゴールデン ウィークの恒例のイベントとなった。
由比北小に通学するお子さんを持つ女性であるAさん(30代 女性)は、ふれあい祭には 子どもがいる関係でよく参加するという。ふれあい祭のお客さんの多くは入山の外から(主に
由比の海側の地域)であり、元入山出身の人が里帰りの機会によく立ち寄る場でもあるという。
由比小生徒と由比北小生徒は両生徒同士の交流を目的とした課外活動などや、スポーツのクラ ブチームを通じ由比北小生徒と仲良くなった由比小生徒がよく祭にやってくるという。ふれあ い祭は由比の子ども達のふれあいの場になっていると語っている。
入山在住のBさん(50代 男性)は、ふれあい祭を「入山の水や自然をPRする場」と語 る。ふれあい祭は外から来た人びとに入山を知ってもらうキッカケとなる機会であり、祭の参 加者はリピーターも多いとBさんは語る。祭を機に入山を知った人が土日になると、由比川沿 いでバーベキューをしにやってくることもある。入山では許可もとる必要も無く、またお金も かからないため、暑い季節になるとそうした人が良くやってくるという。
こいのぼり飾りは1998(平成10)年に当時の入山区長の望月和三郎氏によって始められた。
入山親水公園のある由比川に5本のワイヤーが渡され、それぞれ17匹ずつ計90匹近いこいの ぼりが飾られる。こいのぼりの補充、保存はCさんが担っている。ふれあい祭のこいのぼりの 管理は、16年もの間、Cさん(元入山区長 60代 男性)で担われている。ふれあい祭にお いて、こいのぼり飾りが始まった当初は、こいのぼりの管理は全くの手探りの状態から始まっ たこともあり、大変苦労したという。こいのぼりは雨が降っても3週間放置するため傷むのが 非常に早く、管理を始めた当初は保存環境が悪く、管理していたこいのぼりが傷んで使えなく なってしまったこともあったとCさんは語っている。
Cさんはこいのぼりの補充も担っている。こいのぼり飾りが始まった当初は、子どもの成長 で不要になったものや家に眠っているものを活かそうと、各家庭が当時の自治会長のもとへこ いのぼりを持ち寄ったものを使用していたが、毎年雨風で傷み、使えなくなるこいのぼりが出 てくるため、こいのぼりの補充は不可欠である。近年はインターネットや市の広報を使い、こ いのぼりの補充を行っている。2005(平成17)年にはインターネットを通じて千葉県から60 匹、2008(平成20)年には伊豆の方から30匹、2016(平成28)年には静岡市外から25匹集 まった。しかし近年は由比でもこいのぼりを掲揚する家庭が一世帯のみになるなど、こいのぼ りを掲揚する家庭は年々減少しているのが現状であるため、補充には毎年苦労しているという。
Cさんは毎年ふれあい祭に参加し、当日のこいのぼりの様子を確認するという。ワイヤーに 吊るされたこいのぼりの間隔、色や大きさのバランスをチェックし、反省することで次の年の 祭に生かしている。こいのぼりは、子どもがメインのふれあい祭にとって必要不可欠であると Cさんは語っている。
4 八幡祭
八幡祭とは、入山八幡宮にて10月の第2週の日曜日に開催されるお祭りである。お祭りは、
午前中は「お日待ち」という祭礼儀式を行うことから始まる。お日待ちとは、その季節にとれ た作物を神様に一番に召し上がって頂くという、神嘗祭の性質を持つ祭礼行事である。午前中 に「お日待ち」が執り行われた後、由比北小生徒が主体となった「八幡祭」が入山八幡宮を中 心に開催される。八幡祭は原則として全員参加の祭であり、地域をあげたお祭りといえる。
お日待ちはもともと豊年祭として、平部落は入山八幡宮で、山部落はそれぞれにある神社で、
別々に行っていた。それを1974~1977(昭和49~52)年頃、当時の由比北小学校校長であっ た中村助次氏が「ふるさとに思い出を」という思いで、子どもたちのために思い出になるよう な大きなお祭りを作りたいとして小学校主体のお祭りを立ち上げたのが、現在のお祭りの原型 である。
4.1 一日の流れ
八幡祭は、入山の山部落の各神社を参拝するところから始まる。8時に由比北小生徒が八幡 神社に集合し、2班に分かれ、神輿と一緒に車で山部落の氏神社を檜野、桜野、久保山、大代、
鍵穴の順に参拝する。小学生とは別に、入山自治会長、神社委員責任総代、祭委員会長の3人 も車で山部落をまわり、お神酒を奉納する。12時から入山八幡宮で行われる例祭では、宮司が 不在のため神主を草薙神社から呼び、祝詞・玉串の奉納、戦没者慰霊祭では神主の祝詞のみを 行なった後、一時間かけて山車・神輿行列が行われる。入山こども園児、由比北小生徒、大人
(主に青年団)が担ぐ三つの神輿が室野橋から県道を沿って入山八幡宮までを練り歩く。
入山こども園園長のDさん(50代 女性)によると、八幡祭では入山自治会に委任されて いることもあり、園全体で地域行事として祭に参加する。こども園園児は当日にお神輿を担ぎ、
入山の平部落地域を練り歩く。お神輿は園で作成される。長い竹にベニヤと段ボールで、段ボ ールで作られた簡素なものであり、段ボールには園児たちが思い思いのイラストが描かれる。
八幡祭近くになると、交通量の少ない入山八幡宮前の通りにおいて、お神輿を担ぐ練習が行な われる。園児の身長差、体力面も踏まえながら、前後交代しながらお神輿を担ぐため、当日ま でに綿密な予行を行う。当日は交通規制された県道を通り、室野橋から入山八幡宮を由比北小 学校生徒のお神輿と青年団のお神輿とともに練り歩く。Dさんは、小さい子どもたちが元気い っぱいにお神輿を担ぐ姿は、入山中の評判となっており、地域を活気づけているという。八幡 祭の参加者の多くは自分たちの息子、娘の晴れ姿を見に参加する人が殆どのため、こういった 園や由比北小生徒たちの祭における役割は大きい。
その後午後4時まで由比北小生徒による、竹太鼓の演奏や八幡祭ポスターコンクール表彰式、
奉納相撲、餅まきやバザーなど賑やかしが続く。八幡祭の参加者の多くは自分たちの息子、娘 の晴れ姿を見に参加する人が殆どのため、こういった園や由比北小生徒たちの祭における役割 は非常に大きい。午後4時40分から午後7時近くまでは舞台でカラオケ大会を行う。最後に 午後8時からTVなど景品が用意された抽選会を行なわれ、八幡祭は終わる。
4.2 神社委員会と祭委員会
八幡祭は入山自治会、祭委員会、神社委員会の3つの組織にて運営される。神社委員会とは、
神社に関する一切(神社の修繕、神社に関する行事など)を引き受ける委員である。入山八幡 宮には常駐の宮司がいないため、祭の旅に町の外の神社から同じ宮司を呼んでいるのであるが、
この宮司への直接の依頼や宮司に払う謝礼の管理なども神社委員会の仕事である。神社委員会 は入山の全11集落から1名ずつ選出された11名の委員からなり、内3名が神社総代という役 を務める。その3人の中から選出される神社委員会の代表が氏子総代である。入山八幡宮には 宮司がいないため、八幡宮の管理は氏子総代が主に担っている。八幡祭では自治会からの助成 金や祝儀または運営費を管理するいわば会計の役割が主であり、毎年の八幡祭をやり繰りして いる。農家も務める現氏子総代のEさん(70代 男性)は祭の毎年のやり繰りに苦労してい るという。八幡祭は、入山自治会に支給される5万円の助成金と入山の全戸から1,000円ずつ
(平部落はお餅代含めた1,300円)運営費として徴収され開催されているが、自治会からの助 成金も決して多い額では無く、また1戸1,000円ずつ徴収する運営費も、年々進行している過 疎化の進展に比例し、徴収額も少しずつ減少しているという。近年は配偶者を無くした老人が、
息子・娘夫婦に引き取られ入山を離れるケースが多いとEさんはいう。また宮司に払う年棒や、
神社庁に支払う神社割、由比の氏子総代会会費、そして祭の抽選会の景品の購入費もけっして 軽い負担では無く、足りない分は繰越金、ご祝儀や、お賽銭で賄っているという。
Eさんの話によると、かつてのお日待ちは10月16日の夜から2日にかけて開催されたが、
入山の農業が衰退し、勤め人が多くなるにつれ、平日開催だと参加できない人が増えてしまっ たため、10月の第2週の日曜日開催となったという。お日待ちはもともと、平部落では八幡神 宮で、山の各部落はそれぞれの部落にある神社で別々に行っていた。それを 1974~1977(昭
和49~52)年頃、当時由比北小学校の校長を務めた中村助次氏が、入山に子どもたちの思い出
になるような大きなお祭りが無いことから「ふるさとに思い出を」という理念のもと、八幡祭 を立ち上げた。中村氏はこれまで別々に行ってきたお日待ちを入山八幡宮にて一斉に行った。
結果、児童やその家族が大勢祭に訪れることとなり、祭は活気づいた。昔は入山内においても、
山部落と平部落では若干の溝があったとEさんは語る。八幡祭では、午前中に各山部落の氏神 社へお宮参りが行われるが、このお宮参りは約25年前に山部落に住む児童の父兄から「山に も八幡さんはあるのに平の八幡宮にしか行かないのは不公平ではないか」という声がでたため に始めたものである。普段の生活では、山部落と平部落では立地的に離れていることもあって か、両部落では普段かかわりが少ない。そのなかで、入山八幡宮で行われる八幡祭は、入山が 一体となる貴重な場であるという。
祭委員会とは八幡祭のイベント企画・実施を担う委員会である。約50年前に30台前後の有 志が集まって発足した「祭を楽しむ会」が、八幡祭の始まりと共に、「八幡宮祭委員会」に改称 して生まれた組織である。各部落から1人ずつ委員を選出し、その中で委員長1人、会計1人 を決める。祭委員は学校と相談してタイムスケジュールや午後4時20分以降のイベント内容 を決める。毎年、20万円の予算の中からくじ引きの景品を購入し、カラオケ機材を借用してい る。平部落である宮の前にお住まいで、祭委員会の委員の1人であるFさん(60代 女性)に よると数年前まで、芸能事務所に融通してもらい、演歌歌手を祭に呼んでいたらしいが、資金 不足や無名の歌手を呼んでもあまり盛り上がらないということで止めたという。このように祭 をいかに盛り上げるかを考える祭委員会であるが、あまり企画が盛り上がらないと苦情がくる ため大変だとFさんは語る。祭委員会は祭の全予算の大半を費やすため、祭委員会に掛けられ る期待も多いのであろう。Fさんは毎年のレクリエーションの企画には苦心していると語った。
5 つながりを生む祭
これまで 2つの入山のお祭りとその祭に携わる人びとを紹介したが、ここでは先行研究や、
現地で聞いたお話から、お祭りが入山というコミュニティに及ぼす影響を考察していく。
八幡祭は、入山において代々行われてきたお日待ちという宗教行事を主としたお祭りである。
原則として、入山区民は全員参加であり、参加客のそのほとんどが入山の人びとである。それ に対し、ふれあい祭は外部から観光客を誘致する地域振興イベントの要素を持ったお祭りであ る。参加客も入山区民の他に、由比の他の地区の人や県内外からの観光客も多い。ふれあい祭 が由比内の小学生同士のふれあいの場になっているというAさんの声や、祭を通じて入山を知 った外部の人が、主にバーべキュー目的で再び訪れることもあるというBさんの証言もある。
由比駅周辺の地区から比較的離れた所に位置する入山は、普段からこういった地区外からの人 の出入りは多いといいがたい。そのような入山において、数千人単位の人びとが参加するふれ あい祭は、入山内外の人びとの交流を生む貴重な場となっている。それに対し、八幡祭は、入 山において代々行われてきたお日待ちという宗教行事を主としたお祭りである。原則として、
入山区民は全員参加であり、参加客のその殆どが入山の人びとである。前述のように、八幡祭 は入山の各部落で行われた「お日待ち」を、平部落の入山八幡宮にてまとめて開催したことが 始まりである。八幡祭は住民への宣伝から実施まで小学生が中心となっており、由比北小生徒 は原則として全員参加である。地区に張られるポスターは児童の宣伝によるものである。小学
生が描いた祭の絵が祭の宣伝ポスターに使われ、お神輿やお祭り内で披露される竹太鼓、奉納 相撲もすべて由比北小生徒が主役である。従って、八幡祭の参加者は児童の保護者が大半であ る。由比北小は入山唯一の小学校であるため、地域内でもこのお祭りに対する関心は山部落、
平部落の人びと共に高い。こうした由比北小の存在は、八幡祭を地区内に潜在する山部落と平 部落の「溝」を緩和し、入山内の人びとの交流を生む機会にする大きな要因となっているとい える。このよう地域における小学校の存在の役割の重要さを知ることができる。由比北小のよ うに、地域社会における小学校の役割は近年注目されており、伊藤亜人(2007:158)は「か つての近隣関係や町内などの地域組織に代わって、新たな社会関係として比較的持続性のある ものに、子どもが通う学校を中心とする保護者どうしの協力がみられる」と指摘している。
また、こうした祭を介した地区内の青年団同士の交流も無視できない。青年団とは、各種お 祭りにおいて、盆踊りや太鼓を披露する団体である。時にはお祭りの設営のお手伝いにも加わ る。入山青年団長のG氏(20代 男性)によると、青年団は入山のお祭りのみならず、入山 外の地域のお祭りにもお手伝いとして参加する。またそれに対し、由比の他の地域の青年団が 入山のお祭りお手伝いに参加することもあるという。このような由比内における祭を通じた地 域間の交流が行われている。このように、ふれあい祭、八幡祭は様々な人びとのつながりを地 域にもたらしているのである。
6 疲弊する地域
前章にて、入山のふれあい祭、八幡祭が地域を統合し、様々な人びとのつながりをもたらし ていることを述べたが、お祭りを巡る環境は良いとはいえないのが実情であり、その存続が危 ぶまれるような問題がいくつか存在する。
最初にあげられるのが人手不足の問題である。由比町は過疎化に悩まされている地域であり、
「由比町史」によれば、1995(平成7)年に由比町は過疎地域活性化特別措置法により、過疎 地域の指定を受けている。また、入山を含めた由比の山間地域は急傾斜地であり、特に由比川 の西側の傾斜地は地質が脆弱である。地滑りの多発地域でもあり、僅かに残された宅地適地も、
土地所有者の保有志向などにより、宅地供給余力が少なくなっており、町民の人口流出を招い ている状況である。宮の前はこうした人口流出に歯止めを掛けるための、宅地造成事業の一環 として新設された部落であるが、過疎化への決定的な解決策にはなっていない。このように、
入山の人口流出の問題は看過できないものであり、祭の運営に大きく影響している。また祭に おいて大きな役割を果たす子どもの減少も無視できない。由比北小学校の生徒は年々減少して おり、八幡祭が始まった当時、100名前後いた生徒数は現在、約 30名程度にまで減少してい る。八幡祭の主な客層は園児や児童とその保護者であり、子どもの減少に伴って必然的に客足 も減りつつある。生徒数が1人しかいない学年があるため、こうした環境を敬遠し子どもを由 比北小学校ではなく、町屋原にある由比小学校に入れる家庭もあるという。住民の高齢化の問 題もある。住人の高齢化も近年急速に加速している。前述のG氏によると、入山青年団ではか つて16歳~24歳までの団員の年齢制限を取っていたが、若年層の新入団員の確保の難しさか ら事実上撤廃されており、現在は20代後半から30代前半の団員が殆どだという。また祭で使 用される重いお神輿が高齢化の影響もあり、年々住人の負担になっているという声もある。
住人達の祭に対する意識も複雑である。部農会に属し、ふれあい祭では出店を担当していた Hさんは、祭自体は地域に不可欠なものと認識しながらも、祭への参加は「正直、負担に感じ ている」と語っている。こうした祭への「奉仕」は住民たちに「半強制的」に課されている側 面があり、それを負担感じる人びとは若年層の人びとを中心として存在している。その背景に
は祭自体への関心の薄れも影響しているのであろう。
このように、入山におけるお祭りの運営は、年々厳しさを増している。人手不足や住民の高 齢化、祭自体への関心の低下が課題としてあげられる。特に由比北小の生徒数の問題は深刻で、
地域の担い手である子どもの減少は祭の運営をより厳しいものにしている。
7 おわりに
これまで由比入山における二つのお祭り-ふれあい祭と八幡祭について、その概要とその2つ の祭を支える人たちから聞いた話を紹介した。入山地域において地域をあげて行われるこの 2 つのお祭りは、そのお祭りとしての特性を違えるものである。お日待ちという宗教行事を主と し、地域内で完結する「八幡祭」。それに対し、参加者のほとんどが入山の外からの人間であり、
地域振興イベント的な性格を強く帯びる「ふれあい祭」。この 2つのお祭りは、入山という地 域に入山と外から来た人間、入山青年団と他の青年団、由比小と由比北小、山部落と平部落の 人びと同士の交流の場を生み出していた。そして2つのお祭りともに、子どもたちがその祭の 根幹を担っているといっても過言ではなかった。ふれあい祭においては、祭自体がマスのつか み取りや餅つき、こいのぼりなど、子どもたちに主眼をおいたイベントであるし、特に八幡祭 においては、お日待ちやお神輿、相撲大会といった催し物は、いずれも子どもたちが主役であ り、こども園、由比北小生徒たち抜きでは祭自体が成立しないといってもいいほど、その祭に おける役割は大きい。特に由比北小学校は祭に山部落と平部落をつなぎ合わせる役割を担って おり、その重要さは計り知れない。
このように、入山という地域において大きな役割を担う由比北小学校であるが、近年では慢 性的な学生不足に悩まされている。前述した通り、40年前に八幡祭開始当初100人前後いた 生徒数は現在では30人前後にまで減少しており、生徒1人しかいない学年もあるなど、生徒 数の確保は由比北小学校において急務である。近年では、由比小学校との統合も囁かれるなど、
生徒数の問題は死活問題になりつつある。
また、祭を支える人びとの高齢化も無視できない。Hさんの例のように祭を支える人びとが 疲弊しているという声や、若い人を中心に祭への関心が薄れつつあるという現状も、実際に聞 き込み調査を続けるうちに明らかになってきた。また、八幡祭の地域を統合する役割について 本報告書で述べたが、山部落の方はそれほど見かけないという証言もあり、その地域統合の役 割についても、若干の疑問符が付くのもまた事実である。
祭をめぐる環境は決して楽観視できるものでは無く、今後ますます祭の運営は厳しくなるで あろう。しかし八幡祭、ふれあい祭が地域社会に根付き、入山の人びとに求められているのは、
紛れもない事実である。確かに、2つの祭は海側の桜えびまつりのようなお祭りに比較すると、
規模も小さく、経済的な効果でいえば限定的かもしれないが、両祭は入山に人びとの交流を生 み、地元愛を育み、そして地域の担い手を生産する場になっているのである。この2つのお祭 りはこれまでそうしてきたように、今後も祭は参加者のニーズや地域の状況を受けながら存続 されるであろう。祭の問題は地域の問題に直結しており、それを今後入山がいかに地域一体と なって克服していくかが求められてくるのであろう。
謝辞
入山の方々がよそ者である私たちに嫌な顔せず耳を傾け、語ってくださったおかげで調査を 続けることができました。調査に協力してくださった入山の皆様に心から感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
参考文献
伊藤亜人
2007 『文化人類学で読む 日本の民俗社会』有斐閣:158
古家信平・徳丸亞木・中野泰・武井基晃・大里正樹・後藤知美・斎藤優美・松尾薫
2011 『フィールドへようこそ2010 由比の民俗 静岡県静岡市清水区由比』筑波大学民
俗学研究室
小松和彦・石井研士・阿南透・橋爪紳也・髙岡弘幸・村上和弘・大東敏治・出島二郎・
神崎宣武
1997 『祭とイベント』小学館:68 由比町史編さん委員会
2008 『由比町史 補遺』由比町教育委員会。