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第一章はしがき

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(1)

タイ国の経済発展と企業会計の特色

竜 家 勇 一 郎

 1.

2.

3。

4.

5.

、6.

7.

  目   次

は し が き 日・タイ間の交流

タイ国における企業の特異性 最近のタイの経済開発

タイの経済開i発6ケ年計画と産業投資奨励法 産業投資奨励法と外国企業の進出状況

タイ国における企業会計の特色

第一章はしがき

 タイは総面積51万40001動,人口2,883万5千人(1963年4月全国国勢調査)。インドシ ナ半島のかなめに位置する国家である。バンコック随一の高層建築といわれるオリエンタ ル,ホテルの屋上から周囲を展望すると,東方にはバンコック市街が地平線いっぱいにひ ろがり,西方には果樹園ココヤシ林がびっしりと,これも地平線にいたるまではてしなく 続いている大平野である。その眼下にはメナム河の巨大な流れが,ゆるやかに弧を描いて 南流している。これがメナム河の沖積平野で,海岸から301動のバンコックで海抜1.81n,

ここから,さらに250働内陸のバークナムボー附近でもわずかに25m,傾斜1万分の1と いう平担な平野である。これがミ中部タイミがミ平野のタイミと呼ばれる所以である。こ れに対し,チエンマイを中心とするミ北部タイ塾はビン川のまわりに拡がるチエンマイ盆 地を除けば,あとは重畳する山岳地帯。ビルマのシャン高原から,ほぼ南北につらなる幾 筋もの山脈が,ここからラオス国境ぞいに,またビルマ国境ぞいに南にのびている。タイ の最高峰インタノン(2,576m)もチエンマイ西方にそびえている。 藁北部タイミはミ山

:地のタイミである。

 タイの自然の姿をとらえるには,この外に東北タイと南タイにふれなければならない。

東北タイはコーラート高原とも呼ばれるが,海抜100−200m程度の高地で,地質は赤色砂 岩,表層はすべてラテライト土壌でおおわれている。メコン川の支流ムーン川流域の一部

を除いて,土地はやせ,住民は貧しく,人種的にも問題の多い地域とされている。南部タ イはマライ半島のうちのタイ領の部分を指す。ラナセリム山脈,プーケット山脈などの山 々が南北につらなり,その間には石灰岩の奇峰がそびえている。 ミ南部タ泰は年平均

(2)

2,000−3,00伽πに及ぶ豊富な降水量にめぐまれ,山地には熱帯降雨林が茂っている。ゴム,

錫を多く産し,主として稲作を中心とする他の3地方とは違った産業構造となっている。

 そして今やタイの首都バンコックは,国際航空路上の重要なポイントとなり,欧州と東

メ ナ ム 河(筆者写す)

南アジアを結ぶ線,日本から南 下する線の交叉点にあり,かっ ての寄港地として栄えたシンガ ポールに代って航空時代のセン ターとして,ますます発展する 事が約束されている。広大な平 坦地に設けられた空港は天然の 障害物のないことと,1年を通 じて安定した気象条件の双方に 恵まれている。従って訪ずれる に便利,観光的にも東南アジア ではAクラスの都市,海外から の観光旅行者は増加の一途をた どっている現状である。筆者も 本年(昭和43年)3月バンコッ クを訪ずれた機会に,タイ国に おける企業の特異性と経済の成 長につい注目し,併せて,タイ 国の企業会計のあり方制度につ いて述べてみたいと思う。

オリエンタルホテルの屋上から見たメナム総

藻二章日,タイ問の交流

 タイ国(Thailand)戦前はシャム(Siam)と呼び今でもこの呼び名は残っている。国 名をタイ(Thailand)とするに決ったのは,何度か論議の結果,1962年のことである。

わが国とシャム(Siam)との交流は古く,今から凡そ3百数十年前,アユチヤに都のあ ったころ,多数の日本人が,ここに住みついていたといわれる。ことに慶長年間には,そ の数2,000名をこえたといわれる。当時の日本人町の跡に「山田長政神社」と称せられる 詞が,戦前に建立されていたが,長年の風雨に朽ちてしまった。そこで,昭和38年3月10

日に,タイ国日本人会の手で,同口本人会創立50周年記念事業の一つとして,新しく記念 碑が建立された。この碑の表面には「アユチヤ日本人町の跡」と記され,裏面にはつぎの ような文が刻まれているg

(3)

 「慶長,元和,寛永のころ(1600−1630年)この地に800乃至2,000の円本人同胞が在留 していた。ことに慶長の中期タイ国(当li寺のシャム)に渡航し,寛永7年(1630年)六二 の地に没するまで,この地を中心に日本人義勇軍の統領として活躍した山田長政の事蹟は 顕著である。長政はアユチヤ王朝によく協力し,勲功により順次栄爵を受け,ついに六三 侯に封ぜられた。また船を日本その他東洋諸国に派して交易に従事し,ひろく人々から畏 敬せられた事も知られている。長政の死後,日本人町に幾多の変遷,消長があり,アユチ

ヤ王朝の興亡と運命をともにし,今やその遺跡は見る影もない。

 昭和8年5月(1933年)東洋史学者東恩納寛惇氏及び当時バンコックにあってタイ国王 室美術院技師に任官のかたわら,日タイ交流史の研究に従事していた三木栄氏の手により,

この地を発掘,往時の在留日本人が所持したと断定される観音像,武具の一部,陶片など 多数を得,日本人町の旧跡なる事を確認した。よって後世への記念としてこの碑を建てる。

       昭和38年3月泰国日本人会」

1 {

(碑の前に立つ筆者)

わが国との交易は盛んであり,各地に日本人町が栄えていた。

ダ人,イギリス人,ポルトガル人などが来て,それぞれに本国とシャム(Siam)との交易 に従事していた。

 不幸にして,1630年山田長政は六三(現在の南タイの中心地で附近の人々はナコンと呼 ぶ)に没し,アユタヤの日本人は追放されて,カンボジアにのがれた。1633年(寛永10年)

には,日本は鎖国令を出して,海外渡航を禁じ,アユタヤも亦,1766年ビルマに敗れて,

灰儘と帰し両国の交流は途絶した。

 ふたたび,日本とシャム(Siam)の交流が開かれたのは,明治になってからのことであ るが,日,タイ両国の交流のはじめは,古く且つ先進国オランダ,ポルトガル,イギリス 等とともに相前後していたのである。又日本とタイの両国が近代国家への途を歩んだのも ほぼ類似している。すなわち日本では1867年に明治天皇が即位され翌1868年に明治維新が 行なわれたが,タイでもこの国の近代化への英主といわれるチユラローンコーン大帝(

King Chulalongkornラマ5世)が即位したのが,1868年であった。このように欧米先  筆者は昭和43年3月24日この 碑の前に立ち,この文章を読み 感無量であった。

 山田長政は,オークヤ,セナ ー,ビモック,ラクサー,モン トリーと呼ばれ,シャム(Siam)

の歴史のli4に,その名をとどめ ているが,慶長年間には,シャ ムをはじめ,カンボジア,ルソ ンなど今の東南アジア諸地域と   アユタヤにもまた,オラン

(4)

進諸国の植民地獲得戦が続いていた19世紀の後半に,遅れて開国したアジアのこの二つの 独立国はすぐれた元首の指導の下に苦難の多い近代国家への途を進んだのである。

 日本とタイが通商条約を締結したのは1898年(明治31年)であったがこれよりも,以前 から両国間に人の交流は行なわれていたようである。昭和に入ってからも,戦前にはタイ で活躍した日本人も少なくなかったようであるが,不幸にして,第2次世界大戦とともに,

これら日本人の財産を没収され,戦後まで引き続いて現地で活躍している人は少ない。戦 後に,日本の民間企業のタイへの進出が盛んになるまでには,第2次世界大戦の開戦一軍 隊の進駐一敗戦という大きな断層があるが,最近のタイに進出した日本企業のアンケー

ト調査で日本人技術者などをバンコックに派遣することについて,現地人の対日感情が良 いことを指摘したものが少なくないが,対日感情が悪いと述べたものは1件もないと述べ ている。 (注1アジア経済研究所発行,タイの産業開発と合弁企業昭40年発行)。筆者の 短時日のバンコックの滞在申もそうであるように実感した。

 戦前に,日本の武力を背景に満州や北支に企業進出した場合と違って戦後,なんの背:景 もなく,民間企業が海外に進出する場合に,現地の対日感情が良いか悪いか大いに考慮す べき問題である。

 現在タイに圧倒的に多い日本企業の進出をみるとき,日本人と現地人との間が円滑に行 っている証拠ともいえる。政府間ベースの技術援助や企業進出などと違って,民間の企業 が,自己の責任において,あるいは現地資本との合弁で,海外に進出し,現地の人々と融 和して,そこに定着し,長期にわたって企業活動をつづけるということは,なかなか容易 なことではない。これがタイ国でうまく行っているというのは,戦前からの伝統的な日,

タイ親善関係が,今日の両国の経済交流に役立っているといえる。

第3章タイ国における経済発展と企業の特異性

 タイにおける経済発展に華僑の果した役割は大きい。タイの商業権はほとんど華僑によ って独占せられているといって差支えない。米の集荷,卸,小売,輸出はもとより,金融 の分野にも独占的地位を確保した。一部の中国人は,王室の愛顧を受け,特権を得て巨万 の富をつみ他の一部は徒手閉業よく商機をつかんで富豪となった,又一部はゴム園を経営 し,あるいは錫鉱山を開発に従事した。このように戦前のタイの経済社会の中に華僑が抜 くべからぎる勢力を占めていた。

 後進国における経済発展は,経済内部での自律的な発展要因に乏しいところがら,政策 的な措置が経済外部から与えられることが必要であって,その手段の一つとして,官営工 場による企業の育成という手段が考えられる。わが国の明治初期においても,紡績,鉄道,

製鉄,鉱業などに政府投資が行なわれ,啓蒙的な役割を果たすとともに,初期の工業資本 に蓄積に寄与した。この点タイの場合でも例外ではなかった。麻袋,綿紡織紡製糖,製紙,1 製陶・タバコ・セメント・合板・ガラスなξの工業的分野に政府の資本が投下された,ζ

(5)

のうち,専売法などに支持される近代的なタバコ工場とか,外国系工場を国有化した能率 のよいセメント工場などを別として,その他の主場について経営不振におちいり,あるも のは閉鎖し,あるものは民間に払い下げるというような経過をたどった。一一般的にいって 民間企業と競合する分野の政府企業は,特殊なものを除いて商業採用的には成功しなかっ

た。

(注1)アジア経済研究所,調査研究報告双書第47集(タイの公企業)

 このように,タイの官営工場が先駆者として,多難な経営をつづけている間に,小規模 な民間の工場が広範な分野に拡大されていった。この実態を示す。タイ国隣業者調査の戦 前と1960年までを比較したバンコック及びトンブリー地区の所i数の推移がある。 (出所,

アジア経済研究所,調査研究報告双書第74集タイの産業開発と合弁企業P20)

 バンコックおよびトンブリー地区の民間工業事業所

年  次 企業数 うち個人企業 所有主または経営者の国籍

雇用人員数

タイ人、1 外 国人

戦  前 512

1952年末 2,071

1957年末 4,393

1958年末 5,702 4,了54 1,556人 4,146人 48,505入 1959年末 7,302 6,159 2,233人 5,069人 62,264人 1960年末 8,052 6,805 2,616人 5,436人 65,193人

 この表によると,戦前わずかに512工場にすぎなかったものが,1960年末には8052工場 に達している。このような民間工業の発達について注意しなければならないのは,所有主 又は経営者の国籍である。1958年末に5,了02工場のうち,その経営者がタイ人であるの は1556人であるのに,外国人が4.146人と72.7%を占めているのである。この外国人とい うのは,その大部分が申国人すなわち華僑で占められていることである。又タイ人と数え られるものの申でも,中国系のものが少なくないことである。筆者があるタイの商業銀行 を訪問したとき,頭取の秘書が自分は25%chineseといった言葉に思わず,三国人のタ イ化が急速に進みつつあり,中国人の2世,3世は,タイ国籍を取得し,タイ人として経 済界の中堅として進出しつつあるということを連想した。したがって戦後のタイの民間工 業は,その大部分が申国人の手によって着手されたといっても,過言ではない。

 しかし,タイにおける中国人華僑は,東南アジア各地における華僑とは,少し事情が異 っている点に注目しなければならない。それはタイ国の経済政策が「タイ経済をタイ人の 手に」というスローガンの下に行われた。この顕著な現はれは,タイの主要生産物である 米の経済面における措置でタイ,ライス株式会社の設立である又協同組合による華僑資本 の追放,組合を通じてタイ,ライスへの産出の集荷等の組織化である。また,この間にア ルコール,塩,タバコ等の専売が実施された。当時期に設立された主な政府関係企業は,

(6)

タイ,ライス株式会社のほかタバコ工場,製工場,タイ塩素株式会社,鉱山会社等である。

この近代タイの出発は,タイ国における中国人華僑に対し,ある種の変貌を余儀なくせし めたことである。従来中国人華僑はどこでも,現地社会に馴化せず,強国な二重社会を構 成して,中国人の伝統と故郷の風習を守り,商業を中心として,流通,配給,金融などの 分野にその勢力を拡大するものと見られていた。このことが,しばしば現地人社会と非常 に異質であり,排斥されるという条件が存在していた。これがタイの場合,1948年11月の 移民法の改正によって,今迄に1年間に1万人の中国人移民が認められていたものが,他 国の場合と同様に,1年間に200人に制限されてしまった。これらの条件の変化につれタ イ国における中国人のタイ化が急速に進んだ。すなわち,タイにおける中国人華僑は自衛 手段として国籍変更と政治力ある政府高官を自己の会社の重役に迎えることで,うまく政 府の圧迫を切り抜け依然としてタイ経済において強力な勢力を維持することに成功してい る。これは前述した民族資本の代表的存在であるタイ,ライス株式会社の総支配人及び 7っの精米工場のうち6工場の支配人がタイ国籍の中国人華僑であるといわれる。

 このような中国人華僑の同化現象とともに中国本土が中共政府の支配下におかれたのを 契機にタイの中国人華僑の本国送金が激減し,華僑資本の土着化が促進されつつある。こ の点に関し,アジア経済研究所発行「タイの産業開発と合弁企業」 (第74集P26)につぎ の様に報告している。すなわち「1955年9月から翌年8月までの1年間にタイの華僑の本 国送金は1億6158万パーツに達したという記録がある。これをドル(弗)に換算すると約 788万ドルになる。しかしこれを1930年代の年平均送金額3,400万パーツ(ドル換算額約 1,500万ドル)に比べると半減している。」とこのようにタイの中国人華僑の本国送金は 絶対額の上において,減少し,タイ経済に与える影響という点からみて,戦前の比ではな

くなったのである。このようにして本国への送金をやめた申国人は,その商業利潤の使途 を新たに考え出した。商業の分野では,もはや新しく投資するような誘因は少なく,単に 中国人同志の競争の外に欧米諸国や日本の商社などの進出にあって,累積した中国人の資 本は,その投資先を製造工業その他の産業分野に手を広げようとすることは当然の姿とい

える。

 要するにタイ国における官営企業の発生は,勿論工業化の推進主体としての意義をもつ ものであるが,その流れの中において従来からタイ経済に対して支配的な勢力をもってい る中国人華僑に対する政策,すなわち民族資本化するという政策が意図されていることは 否定することはできない。ここにタイ国の経済発展と中国入華僑と密接な関連があること がわかる。

第4章最近のタイの経済発展

 戦後のタイの経済は比較的順調な推移をたどった。第2次世界大戦が終った直後の数年 間は,この国の米が,世界的食糧不足を補う上に非常に役に立った。小麦や棉花など他の

(7)

農産物の国際価格が下落した後も,米の国際価格は比較的高い水準を維持し続けたことむ 幸いした。また,この国が南北に長い地形をもち,かりに東北地帯が干ばつで不作であっ ても,中央平原は豊作であるとか,中部や南部が洪水で減産しても北部や東北部は豊作を みるというように,全国的に凶作になるというようなことは,殆んどなかった。

 もっとも1958年のように,米の不作に,ゴムや錫の輸出不振が重なって,国際収支が赤 字になり,外貨準備を喰いつぶさねばならない年もあったが,一般的にみて,安定した発 展を続けてきた。1951年から1960年までの国民総生産の対前年増加率は,実質で平均年率 5%を超えている。人口の増加率は,年率約3%であるから,1人当り国民所得の増加率       (注1)

はおよそ2%になる。

 このように,タイの経済は1961年掛で,綜合経済開発計画もないに拘らず,年率5%と いう高い経済成長を続けたのである。

 タイでは,従来,米,ゴム,錫およびチーク材が主要な輸出品で,これら4品目が全輸 出額を占める割合は圧倒的に大きい。1951〜52年当時では,約82%〜85%に達していた。

その後この比率はしだいに小さくなり,1960年には約70%に落ちている。

       (注2)

 この4品目に,トウモロコシ,搾油用種子,家畜,その他の農産品を加えれば,1960年 の全輸出額の約87%に達する。

      (注3)

 このような輸出構造からみると,農業構造に多様化を予測されるとはいえ,今なお,タ イ経済は,農業中心のモノカルチュア経済から脱却していないといえる。タイの人口約 2,900万人の約80%以上が農業に依存して生計しているといえる。しかし,タイの産業構 造には,ここ数年来かなりの変化がみられるようになった。

       (注4)

 先づ第1次産業をみるに国民総生産にしめる農…業のウエイートは,1951年の42.59%か ら1960年に31.35%へと低下している。同様に漁業は2.18%から2.12%へ,林業は5.10%

から2.49%へ,鉱業もまた1.91%から1.62%へと,第1次産業のウエーイトは軒並みに低 下している。

 農産物では,とくに米の生産の停滞が目立っている。しかし,米以外の農産物では,か なり急速に増産されつつあるものもある。1951年と1960年の,タイの主要農産物の生産額 を比較すれば第5表の通りである。

      (注5)

 このうち,ゴムの生産数量は増加しているにもかかわらず,生産価額はかえって低下し ている。これは1951年のゴムの価格が朝鮮動乱等の影響で,異常に高かったことが主因で ある。ゴムを除くと,いずれも,数量,価格共に増加している。この種換金作物について は,タイは供給の価格弾力性が非常に高いようである。これには,豊富にある未開拓の可 耕地が,道路開発等によって,開拓されるようになってきたことが大きい原因となってい

る。

 以上のように,第1次産業は,全体としては,そのウエーイトが低下しており,今後と も,この傾向が続くものとみられるが,その内部においては,かなり多様化の傾向がみら

(8)

れる。とくに農業では,水田稲作中心から,トウモロコシなど換金作物の畑作へと移りつ つある点は注目に値する。水稲の増産のためには,灌概施設など,多額の農業投資を必要 とするが,畑作の場合は, トラクターその他農機具の購入などによって,かなり投資効率 の高い経営が可能となる。

 また,従来,地質的にみて,あまり期待がもてないとされていた,鉱物資源が,環境条 件の変化を背景として,新たな関心をひき,外国の技術を入れて,探鉱され,あるいは開 発されている。

 このようにみてくると,第1次産業部門の生産額は,今後若干の増加を期待できるかも 知れないが,農鉱業併せて37.5%という国民総生産にしめるウエーイトが今後上昇するこ

とは期待がもてない。一方タイの全人口の80%以上が,第1次産業に従事しており,かつ,

その人口増加は年率3%に近いのである。ここに,この国の経済開発における問題点があ

る。

 つぎに,第2次産業について述べると,戦後タイ政府は,自らタバコ,製糖,製紙,麻 袋製造平等に乗り出し,また製鉄,紡織製陶等も経営した。しかし政府または政府関係機 関が経営は一部(タバコ等)を除いて必ずしも成功とはいえなかった。なかでも失敗した

ものがあり,後に民間に払下げたり,工場を閉鎖したものもあった。しかし,これらが,

この国の近代的な製造工業開発の先駆として,啓蒙的な役割を果たしたことは十分に評価 されなければならない。

 政府の建設した工場に比べると規模は小さいものではあるが,民間においても,戦後各 種の製造工業が,バンコック,トンブリー地区で発達したことはすでに述べた。これは華 商資本が戦前とは異なって,タイ国の民間工業建設に,非常に大きな役割を果しているこ

とを示すものである。

 バンコック,トンブリー地区で工業事業所の雇傭者数は,1959年末の6万7,264人から 1960年末には,13万2,848人に,ほぼ倍加している。化学工場,紡織工場,自動車組立工 場自転車,タイヤチューブ製造工場,バッテリー工場等続々と新設されつつある。そして この国のめぎましい工業開発の息吹きを感じるのであるが,この工業化は,単に業種別に みて,広汎な分野に拡大して行ったばかりでなく,同一業種内において,多角化,高度化 が進みつつあるといえる。この製造工業の急速な発達は,機械や原材料等資本財の輸入需 要を増大させるが,一方消費財の輸入を防圧し,やがて輸出力も,つちかわれてくること になると思う。

 ともあれ,この国の製造工業生産は,1952年から1660年まで,名目で年率9.7%という,

かなり高い増加率を示している。この結果,1951年には,国民総生産にしめる製造工業の ウェイトは11.37%であったが,1960年には14.5%と上昇した。1961年から1962年にかけ て,近代的大工場が続々と稼動段階に入ることを思えば,製造工業のウエイトは,今後さ

らに,上昇を続けることと思われる。

       (注6)

(9)

 最後に第3次産業部門をみるに,バンコック市内の道路や周辺都市を結ぶハイウエイを はじめ,アメリカの援助でできたフレンド,シップハイウエイのように,戦後タイ全土に わたって道路の発達はめざましいものがある。従来タイでは,中部平原を中心に,内水路 を交通路として,舟による輸送が中心となっていた。ところが戦後道路の開発とそれに伴 うバス,トラック等輸送機関の発達に伴って経済構造に大きく変ってきた。すなわち,自 家生産物を小さい舟に積んで,部落の市場に運ぶ物々交換的な経済から商品経済へと移行

した。自家生産物は,道路まで積み出して,長巨離定期トラックで,消費都市まで輸送さ れるわけである。

 また,道路の周辺は開拓されて,地方経済の発展に非常に寄与したのである。道路に対 する投資は,タイの場合,きわめて経済効率の高い投資であったし,今後もこの傾向は続

くものと思われる。

 電力の開発も,リグナイトによる火力発電から,ヤンヒー,ダムの建設による水力発電 にも力を入れて,7万Kw 2基の第1期発電工事が近く完成のはずである。

 卸小売等の商業もまた,道路の開発に負うところが大きく,商品経済の発達,地方の物 産集散地の小都市化が進んでいる。         

 第3次産業部門で見落すことのできないのは,銀行,金融業の発達である。1954年の銀 行数は26行,支店出張所の数は6ケ所にすぎなかったが,1960年には27行になり支店出張 所の数も320ケ所に増大し,商業銀行の預金高は,1952年末の13億パーツから1961年9月 には,63億パーツを超えるようになっている。

 タイ政府は,豊かな金,外貨準備を保有しているにもかかわらず,通貨の増発には,き わめて慎重である。たとえば,1961年における銀行券発行高は,63億880万パーツである のに対し,金外貨準備は,これを上回る71億2,890万バーツに達している。タイランド銀 行の金融政策があまりに慎重すぎると,との国の経済の成長力を抑える懸念もでるのでは ないかと思われる。

 ともあれ,建築,電力,水道,卸小売,銀行,金融,運輸,通信,サービス業等の発達 はめざましく,国民総生産にしめる第3次産業部門のウエイトは,1951年の36.84%から,

1960年には,47.93%へと増大している。 1

(10)

(注1) 第1表 タイの産業別国民総生産の推移(1956年価格による) (単位100万パーツ)

産 業 別 [19511952D9531195411955

(1)農 林 水 産 業

@農  業(含畜産)

@漁        業

@林        業 i2)鉱        業 i3)製  造  工  業 i4)建   設   業 i5)電  力 ・ 水  道 E卸 ・ 小  売  業

i7)銀行 ・ 金融業

i8)通  信 ・ 交  通 i9)サ  一  ビ  ス  業

13,650.5 P1,438.9 W35.5 P,376.1 T57.4 S,362.8 T20.5 S2.4 T,681.5 P,538.5 P,202.6 R,702.4

13,355.5 P1,140.0 W53.4 P,351.1 T79.8 S,213.5 X40.5 S3.2 T,933.8 P,476.8 P,425.0 R,789.2

 15,338.2

P2,970.8

@913.7

C 1,453.7

@637.0

@4,538.3

@1,017.7

@47.8

@6,591.7

@1,511.7

@1,795.0

@4,532.8

14,228.1 P1,681.4

P,026.7 P,520.0 U43.3 S,616.1 X74.3 U6.8 V,344.1 P,636.9 P,957.1 S,407.4

16,171.3 P3,718.4 X51.6 P,501.8 U55.6 T,346.5 P,230.0

│89.3

W,120.7 P,817.3 Q,134.8 S,688.8

31,258.6 3L746.3 36,010.2 35,874」 40,254.3

対 前 年 比 率  % 101.56 113.43 99.62 112.21

産 業 別 1956D957D95819591196・

(1)農林水産業  農業(含畜産)

 漁     林   

②鉱 ,  業

(3)製 造 工 業

(4)建  設 

(5)電力・水道

⑥卸・小売業

(7)銀行・金融業

(8)通信・交通

(9)サドビス業

対前年比率%

16,466.了 14,18{.1

 973.8

 1,311.8

 697.6

 5,377.6

   1,377.9

 99.8

 8,014.5  1,855.8  2,211.5  4,933.5 41,034.9 101.94

16,155.6 13,790.8 1,048.1 1,316.7 730.2 5,480.2 1,878.5

 97.4

8,190.4 1,862.1 2,356。7 4,977.3

41,728.4 101.69

16,994.9 14,808.2 877.0 1,309.7 568.6 5,644.9 1,674.9 117.1 8,162.0 1,873.0 2,256.2 4,919.2

42,210.8 101.16

17,618.2 15,461.6 915.0 1,241.6 636.9 6,4了3.3 1,922.9 150.1 9,015.8 2,149」

2,829.4 5,335.5

46,201.2 109.45

18,350.6 16,232.7 928.7 1,189.2 744.9 6,737.2 1,971.7 184.7 9,638.0 2,330.2 3,304.4 5,494」

48,755.8 105.53

(出所)Office of The National Economic Developnlent Board, :National Income  Division (1961年,10月調べ)

(11)

(注2) 第2表タイの主要商品輸出額の推移(1951〜60年) (単位100万パみツ)

主 要 商 品 輸 出 額

年次 総輸出額@ (1) 米 iゴ引 錫 1チー列訓2)

比  率

i2)÷(〜)

19う1

P952 P953 P954 P955 P956 P957 P958 P959 P960

4,413 S,619 T,772 U,177 V,121 U,923 V,540 U,447 V,560 W,614

1,824 Q,629 R,749 R,087 R,133 Q,861 R,622 Q,968 Q,576 Q,570

   1,.469

@  1,009

@   751

@  1,109

@  1,802理   L526

@  1,406

@  1,326

@ 2,336

@ 2,579

      18ア

@     224

@    :300

@    1374

@     441

@     50了

@     531

@     255

@     434

P 537

158 X7

P33,

Q11

Q64  匡

R06 Q62 Q39 Q44 R56

3,638 R,959 S,934 S,780 T,640脚 T,200 T,821 S,788 T,590 U,042

82.4%

W5.7 W5.4 V7.3 V9.2 ケ5.1・

V7.2 V4.2 V3.9 V0.1

(出所)タイ国通関統計による。

(注3) 第3表タイの品目別輸出額q960年) (単位1,000パーツ)

  米ゴ       

  錫チ   一   ク

トウモロコシ

搾油用種子

家     その他農産品

再輸 o 品

そ  の  他

2,569,818 2,579,352 536,615 356,132 550,733 170,363 134,519 595,197 191,993 929,585

8,614,311

29.83%

29.94 6.23 4.14 6.39 1.9合

1.56 6.91 2.23 10.79

100.00

(出所)Department of Customs, Annual Statement of Foreign Trade of Thailand,

 1960. 

(12)

(注4) 第4表国民総生産の産業別構成(1951〜60年)

産  業  別 い95一 1952 i1953 1954

(1)農、林水 産業 49.88 44.49 42.77 40.22

農  業(含畜産)   42.59 37.52 36.07 32.89

漁      業 2.18 2.21 2.14 2.50

林      業 5.10 4.77 4.57 4.83

1.91 1.95 1.62 1.73

(3)製  造 工  業 11.3了 11.89 12.57 13.14

㈲・建   設   業 L62 一3.17 3.04 3.07

i

1㈲電  力・水  道 0.11 0.12 0.13 1.92 11(6)卸・小 売 業 17.81 丁9.21 18.02 18.66

(7)銀行・金融業 4.01 4.17 4.18 4.66

・(8)通  信・交  通 3.13 14.・03 一4.96 5.57

(9)サ F ビ ス 業 10」6  P     隔P1.06   りP2.71 12.75

100.0 100.0 100.0 100.0

(出所)Office of The:National Economic Developm今nt Board, National Inco皿e,

 1960Edition, Thailand.         . .

(注5) 第5表主要農産物の生産額

1951年 1960年 増減(△)率

}品   目 整oo,馴品講ツ 稲oo,箏 1価  額100万パーツ

数回価穆  米サトウキビ

落:花生

トウモPコシ

綿 @ 花

1タ バ コ 1ヒ マ 子

ココナツト

コゆ    マ

1ゴ    ケ ナ ブ タピ1オカ

7,325 1,290 75 41 25

41 12 670

 7125 20 256

小  計

その土

合  計

5,164 127 149 35 17 27 46 600 26 2ち222 29 25

7,462 4,571 146 540 47 69 30 1,105 18 166 50 1,083

5,268 443 345 470 150 54 83 999 100 1,728 95 202

 1.9

・254.3  94.7

1,217.1

 88.0  68.3

150.0

 64.9

157.1

 32.8

150.0 323.0

8,467 9,937

2,900 4,332

11,367 14,269

 2.0

248.8 131.5 1,242.9 782.3 100.0

 80.4  66.5

284.6

(△)22.3 227.6 708.0

17.4 49.4 25.5

(出所)Office of The National Economic Development Board, National Income,

 1960Edition, Thailand.

(13)

(注6) 第6表産業別国民総生産の対前年比率

産   業   別 1952 1953 1954 1955

(1)農林水産業 91.5 108.2 91.4く

」129.2

農  業(含畜産) 90.4 108.2 88.7 134.2

漁      業 103.9 108.8 113.8 104⑧ 林      業 95.8 107.8 102.9 108.0

(2)鉱      業 104.7 93.8 103.7 112.5

(3)製   造   業 107.3 119.0 101.7 ↑21.2

(4)建   設   業 194.9 111.1 98.3 128.3

(5)電  力・水  道 113.1 121.8 140.0 139.9

⑥卸・小  売  業 110.7 105.6 100.7 131.9

(7)銀行・金融業 106.8 112.7 108.5 116.1

(8)通 信 交 通 131.8 138.7 109.2 114.2

(9)サ 一 ビ ス 業 111.7 129.3 97.5 110.5

国 内 総 生 産

i市場価格) 102.6 112.5 97.2 124.5

(出所)Office of the National耳conomic Development Board, Thailand,

第5章 タイの経済開発計画と新産業奨励法

 以上のようにみてくれば,戦後のタイの経済は,商品経済,貨幣経済がしだいに地方農 村に深く侵透し,農業をはじめ,各産業に多様化,高度化が進んでいる。第1次産業部門 のウエイトは低下し,第2次,第3次産業部門のウエイトが上昇して,この国の経済はか なりのスピードで成長しつつある。戦前までの停滞的なモノカルチュア経済からレだいに 脱却し,1960年ごろを境として,ダイナミックに動く,いわゆる動態経済に移項レつつあ

るといえる。すなわち,モノカルチュア経済からの脱却は,タイ国経済の開発,その工業 化を図るにほかならないといわれる。そこで,従来まで総合的な経済開発計画をもたなか

ったタイ国は,1953年に経済計画委員会(Ecomics Planning committee)を設け,

各省間の投資を調整して効果的な投資と輸出の増進を図り,1954年には,産業奨励引くIn−

dustrial promotion Act)を制定して,租税の減税,金融面,原材料品の優先輸入その 他の助成策を講じた。

 1959年2月に成立したサリット内閣は,従来ややもすれば排他的に流れた政策を棄て,

、積極的に外資を導入する方向に切り換え,また経済開発計画を立案し,もって経済開発,

貿易の拡大を図ろうとした。そして1961年度を初年度と、して,6ケ年にわたる経済開発計 画を実施に移レている,

(14)

 経済開発6ケ年計画の目標は,大要つぎのようなものであった。

(1)嗣民総生産の成長率

 従来の成長率4%を5%に引き上げ,平均個人所得成長率をこれまでの2%から最底3  %に引き上げる。

(2)平均貯蓄率

 現行14%〜15%以上とする。

(3)農業生産増加率

 年平均3%の増産を目標とする。主要生産物の増産計画はつぎのとうりである。

(a)米一1.3%の増産を図る。

(b)ゴ      ムー1961年度から1963年度までのあいだに1959年度生産額の6%

       増を図る。

(c)とうもろこし一1963年度に1959年度生産額の2倍とする。

(d)チ 一 ク 材一1961年度から1963年度問における生産の減少率を5%におさ        える。

(e)タ ピ オ カー1963年度に1959年度生産額の15%増とする。

(f)ラック(塗料用)一技術の改善により,最初3年間に急速な生産量の増加を図る。

(9)家畜生産一最底年3%の増加とする。

(h)森      林一国土面積の50%縁化を目標とする。

(4)工業所得

 これまでの年率10%を1961〜63年度間に12%に増加させる。1959年度を基準とする主要  業種の増加見込み割合は,つぎのとうりである。

  セメント50% スズ40%

  製紙8% 砂糖8%

  石こう 300%  タバコ 50%

  麻袋50% 織物100%

  亜  炭 300%

(5)電  力

 yan・Hee Damは1963年完成を目標とする。そして全国の発電力は現在の13万8000キロ  ワットから1963年度には37万キロワットに増加する。

(6)運輸,通信

(a)道路および水路を改善する。

(b)通信部門における国営企業経営の自立化とそれによる予算負担を軽減する。

(c)自動車道路の新設等一1961〜66年度間に基幹道路1,000キロを完成し,既設自動   車道路1,000キロを改修する。

(d)鉄道関係一Bang Sueのターミナルを建設するQ Kaung−Koy・Buagai新線272

(15)

  キロを建設する。Southern線のレールを入れ替え,橋梁を建設する。

(e)郵便,電信,電話関係一総合計画を実施する。

(7)教育及び公共保健

 職業教育を徹底し,サーザスを拡充する。

(8)外国貿易

 国民経済安定のため,貿易収支の改善を図る。貿易額を年4%増加させ海外の新市場の  開拓に努力する。

       、(9)財政金融

 通信の安定を維持し,インフレ阻止と経済成長を図るため,必要に応じ税制を改正する。

 政府支出は,1961年度以降1966年度まで毎年5億バーツを増加し,総支出に占める経済  開発費を1961年の19.5%から1966年には28.7%とする。経済開発のため,最初の3年間  に30億バーツの海外借入れを行なうほか,経済,技術援助を受け入れを行なう。

 以上のような計画の内容は比較的地味であり,1968年3月現在でその実績は公表されて いないのでわからないが,楽観的に達成されているものと思惟される

 またこの経済開発計画に関連して,各種の立法措置がとられているが,従来の産業奨励 法は,1961年に廃止され,新たに「産業投資奨励法」 (Promotion of Industrial lnv−

estment Act)が施行され,課税面においては,新規産業に対し,2年間にわたる所得税 及び原材料品に対する関税を免除するほか,その他の部面においても広範な産業育成措置 がとられることになった。さらに,これが1962年2月に改正され(注1)適用業種をA,

BおよびCの3つに分け,Aはタイ国経済にとって不可欠の産業, Bは重要度の高い産業,

Cは重要度の低い産業として分類し,AおよびBの産業にたいしては,無条件に法律の特 典を付与し,Cの産業にたいしては投資財の認可を条件に同法を適用することとした。そ して同法20条により,A種産業は5年間営業税および関税法による輸入税を免除されるし,

B種産業は5年間営業税の施および関税法による輸入税率の%の減税が認められる。 (同 法21条)同様にC種産業は営業税率および関税法による輸入税率のそれぞれ%をこえない 範囲での減税を委員会により許可されることになった。

(注D  〔A〕1962年タイ国産業投資奨励法

       (The Industrial Investment Promotion Act, B. E.2505)

第1条本法を産業投資奨励法B.E.2505(1962年)とよぶ。

第2条 本法は,官報に公布の翌日より発効する。

第3条旧産業投資奨励法B.E.2503(1960年)は廃止する。

   諸法律,命令および規則のうち,本法に規定あるもの,抵触もしくは矛盾するものは,本法に    よる。

第4条 本法において「産業活動」とは,本法第5条にもとづき政令もしくは委員会公示で指定される    工業,農業牧畜,漁業,運輸および観光業をいう。

     「被奨励者」とは・産業経営者にして,かつ,本法で定められる奨励認可証を受けたものを    いう9

(16)

     「委員会」とは,投資委員会をいう。

     「行政委員会」とは,投資行政委員会をいう。

     「委員」とは,投資委員会の構成員をいう(委員長を含む)。

第5条本法により奨励される産業活動を3種に類別する。すなわち,

   (1)A種産業。国家経済にとって重要かつ必要欠くべからぎる産業とし,政令により規定され     た業種および規模を充たすもの。なお一定の条件を付することができる。

   ② B種産業。A種産業についで重要な産業にして,政令により規定された業種および規模を     充たすもの。なお一定の条件を付することができる。

   (3)C種産業。AB両産業指定外の産業にして,首相の承認を得て委員会が公布せる業種およ     び規模を充たすもの。なお一定の条件を付することができる。

第6条 投資委員会は,本法の規定にもとづき産業活動に対する投資の奨励に関する権限と任務を有す     る。

    委員会は,委員長を含め,14人以内の委員で構成され,閣議が,これを任命する。

    閣議は,さらに7人以内の委員で構成される小委員会を諮問委員会として任命することがで     きる。

    委員会は,書記の任命権を有する。

第7条投資委員会委員,もしくは,諮問委員会委員の任期は2年とし,かつ,再任を妨げない。

第8条前条に定める任期満了にともなう退任のほか,委員および諮問委員は,つぎの場合に退任する     ものとする。

    (1)死 亡       ,     (2)辞 職

    (3)破産

    (4)行為無能力者および,それに準ずるものとなったとき。

    ㈲ 最終審において禁固以上の刑の判決があったとき。ただし,軽罪または過失による場合      は,この限りではない。

    委員および諮問委員が,任期満了前に退任した場合には閣議は後任者を任命し,その任期を     前任者の任期の残りとする。

第9条委員会で議決をなすには,過半数以上の委員の出席を要し,委員長欠席の場合は,出席議員は     そのなかから議長を選出する。委員会のすべての決定は多数決による。1委員は1票の投票権     をもち,賛否同数の場合には,議長がさらに決定権をもつ。

第10条委員長がその職務を遂行しえない場合には,首相は,委員のなかより委員長代理を任命する。

第11条 投資行政委員会は,投資委員会の委員長が,委員長を兼任し,かつ,閣議により任命される6     人以下の委員により構成される。行政委員会は,委員会の決定にもとづき,任務およびその他     の業務を遂行する。

    行政委員会は,書記の任命権を有する。

    行政委員の任期は,2年とし,かつ,再任を妨げない。

第12条 前条に定める任期満了にともなう退任のほか,第8条の規定が,必要な改変を施して適用され     る。

第13条 第9条の規定は,必要な改変を施して,行政委員会の会議に適用される。

第14条委員会または行政委員会は,各種任務を,考究し,執行する小委員会を任命することができる。

 ; 第9条の規定は,必要な改変を施して,この小委員会の会議に,適用される。

第15条 被奨励者となることを希望するものは,委員会所定の書式および手続に従って,委員会に申請 書を提出しなければならない。

第16条前条による申請書が受理され,申請者が本法にもとつぐ被奨励者となることを認められた場合     は,委員会は,当該申請者に対し,奨励認可証を交付しなければならない。

(17)

    申請者が,その産業活動の拡充を申請した場合は,交付さるべき奨励認可証は,事業活動の当     該拡充部分に対する認可のみに限定され,申請者に供与される権益もこれと範囲を同じくす     る。

第17条 本海に規定される権益を享受する被奨励者に,奨励認可証を交付するにあたり,委員会は,当     該権益の行使に関し,適当と考えられる条件を付することができる。

第18条 被奨励者には,下記の保証が与えられる。

    (1)国は被奨励者の産業活動と競合するいかなる活動をも開始しない。

    ② 国はいかなる私企業をも国有化しない。

第19条 産業活動の種類を問わず,被奨励者は,下記の諸権益を享受することができる。

    (1)被奨励者がタイ国に登記を行なった有限責任会社,もしくは,組合である場合には被奨励      者は,他の法律の妥当と認める限度をこえても,委員会が妥当と認める範囲内で産業活動を      遂行するために土地を所有することが認められる。

    ② 産業活動に使用される機械類部品および付属品,組立工場の枠組を含む各種工具および      道具,および,委員会の認めた建設用資材等に対する輸入税を免除する。ただし委員会は認      可にあたり,価格および品質においてほぼ同等の物品が国内で十分生産されていないことと      いう条件を付することができまた,特定の手続を経ることを要求することがある。

    、5)産業活動に使用される機械類,部品および付属品,組立工場の枠組を含む各種工具および      道具,および,委員会の認めた建設用資材等の業務に関しては,事業者,生産者,輸入業者      を問わず,営業税を免除する。ただし,委員会は,認可にあたりなんらかの条件を付し,も      しくは特定の手続を経ることを要求することができる。

    (4)被奨励者が,法人である場合は,生産品の販売,もしくは,所得の発生のあった会計期間      より起算して,国税法にもとつく所得税計算での5会計期間申の,産業活動に対する法人所      得税を免除すれる。

     本項の規定は,被奨励者が,その産業の拡張のために助成を受ける場合には,適用しない。

    ㈲ 外貨の海外持出し,もしくは,送金は,被奨励者により外国から持ち込まれた投下資本,

     外国借款,投資利潤に対する支払利息あるいは,被奨励者が産業活動上で契約によって委託      を受けた資金にかぎり許可される。

      ただし,国際収支が悪化し,相当額まで外貨準備を必要とする事態となったときは,タイ      ランド銀行は,外貨持出し,もしくは,外貨送金を,一時的に,停止または制限することが      ある。

    (6)本法に,別段の規定のないかぎり,被奨励者は,移民法の規定する枠をこえるといなとを      問わず,産業活動に従事させるために外国人熟練労働者または専門家(その配偶者および,

     その保護下にある子供については委員会の許可を経て)を委員会の適当と認めた数または期      間入国させることができる。

    (7)国の安全と経済のため特別に必要と認められる場合を除き,常時,生産物の輸出許可が与      えられる。

第20条 前条所定の権益のほか,A種産業に属する被奨励者は,委員会の定める5年の期間申,生産の     目的で,もしくは必要部品として,海外から輸入もしくは搬入せる原材料もしくは必需物資に     ついて,営業税,および,関税法による輸入税を免除される。ただし,ことでいう原材料もし     くは必需物資については,輸入品と価格および品質において類似であり,かつ十分な数量を入     下しうる国内産品がないことを要する。

第21条 第19条所定の権益のほか,B種産業に属する被奨励者は,委員会の定める5年の期間中,生産     の目的で,もしくは必要部品として,海外から輸入もしくは搬入せる原材料もしくは必需物資     について,営業税率の施,および関税法による輸入税率の絶の減税が認められる。

     ただし,ζζでいう原材料もしくは必需物資については,輸入品と価格および晶質において

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