奈良教育大学学術リポジトリNEAR
T. Parsonsにおける社会化の機制(1)
著者 永田 陸郎
雑誌名 奈良学芸大学紀要
巻 7
号 1
ページ 45‑58
発行年 1957‑12‑15
URL http://hdl.handle.net/10105/4893
T. Parsonsにおける社会化の機制(1)
上 I I I"l: ∴
目 次
1.問 題 2.動機過程と法則
3.社会体系の動機過程分析 4.社会化の磯制
,5.児童社会化の現実過程 F;.省 察
I.問 題
Parsonsにおいて社会体系はpersonality体系及び文化体系と共に‑全体としての行為過程の
‑扇面をなして居り、これら諸社会科学の各分野が行為の立場から統合されつつあると共に一貫
(l{, (2)
して構造・機能的方法(Structural‑Functional method)に裏づけられている処に著しい特色があ るO教育の科学的理論が教育の埋念からする諸社会科学の高度の綜合の上にのみ樹立され得るも のであるとすればParsonsの行為理論は、教育理論の科学的展開にとっても亦極めて重要なる礎 石となるであろう。吾々はます教育の基本的意味を究明するのに直接役立つものとして彼の社会 ノ化(socialization)の理論をとりあげたいと思う。
2.動機過程と法則
Parsonsにとって過程Cprocess)とは何を意味し叉それを支配する法則は如何なる性格をもつ であろうか。 「一つの過程は、 ‑体系叉はその部分の一つの所与の状態から、もう一つの別の状
(3)
態に変化してゆく仕方叉は様態である」といわれ、このような意味に解せられた過程も亦、科学 的研究の対象となるのみでなく何等かの法則性に従うものと考えるo 処で彼において法則性は
「関係のある変数の諸価値の問における相互依存性の決定された相互関係の立場から述べられる
(4)
もの」を意味し、彼独Ejの型相変数に基づく法則観に従う。ただ吾々が研究の対.象それ自身とそ れを安配している法則は不完全にしか知られていないか叉は全然知られていない。それ故に科学 の現状において吾々に可能なことは、せいぜい初発の状態と終局の状態、更に中間段階における 過程を記述(describe)するかそれともそれについての単なる経験的‑敵性を述べる(state)ことで ある。従って吾々に可能な手続きとしては自己に関心ある特定の過程のみを抽出し他から引離し それをあえて‑体系として取扱うこと、しかも更にその体系もそれを含む一層大きな体系の一部 として取扱うことであって、このような操作の上に始めて過程研究が可能となると考えている。
では過程、即ち動機過程を支配する法則はどのような性格をもつであろうか。彼は「これ(研 究)がその体系叉は、その他の諸部分に対する過程の二者択一的な結果の意味の上に関心が患か
(5)
れるような仕方でなされる時、その過程は機制(mechanism)とよばれるであろう」といい、過程
にfJく; J‑.用:t‑;‑一・‑・(‑ト貢、こwし ても一.ノ,'"vc‑千三∴ も党費に・述べ 用」与<:'.売IPIIこ「朝一')∴辛沢‑‑H‑J
45
結果の意味に患いて把握さるべきであって、このような手枕きをもって把握されたものを彼は特 に磯削とよぶのである。これに対してその体系に対する意味内容の如何に拘らす一義的に所謂普 遍妥当的に適用され得るものを法則(law)とよぴこれから区別する Parsonsが「法則は相対
::.I ∴ ‥二 子'蝣>"・'・"・'!'蝣・'"二 川 一二・∴
(6)
(class)に対する意味え,D特定の閑適において定式化されるからである」というとき.この点は 一層明瞭となるOだから動機過程に幼く法則性はt完全に‑般化された法則(laws)"ではなくて 機制(mechanisms)とよぼるべきものとされる。
さて吾々の当面の研究対象は社会体系における動機過程を支配する機制に関わるのであるが、
動機過程はすぐれてpersonalityにも幼く。然らば両者は如何に関係するであろうか。一体「動
(7)
機づけは常に個々の行為者の中に患とる過程」であって‑集団そのものが個々人に怠けると同じ
t ° ° ° t ° t t
意味で動機過程をもち得ないことは改めていうをまたない Parsonsのいう如く確かに「社会体 系はかく くく抑圧"叉はくく投射"もしなければ、くく支配的"叉はくく服従的"でもない。何故ならこ れらはpersonalityの機制であるから」と。然らば吾々はいかなる意味においても集団自体の動 機過程をもち得ないであろうか。この点についてParsonsは「吾々は集団の成員の動機づけにお
けるある画一性に醇L、或はその動機づけの組紗こ関し、省暮した意味でのみ集団の動機づけに
(8)
ついていうことができる」といい、その画一性と組格を見出し選択する基準こそ重要であると
C9)
し、その基準を「社会体系に対して意味のある二者択一的結果の帰結のタイプの限定」に求めて いる。吾々は当面personality機制ではなくて、それに媒介されたものとしての社会体系の磯制 を求めるのである。このように personality桂締りと社会体系の機制とは明確に区別されながら相 互に浸透する。ここで必要なことはpersonality椴制を直接に社会体系の機制に適用することで はなくて、 「法則性の立場に怠けるそれら(personalityの機制)の内容が社会体系に対する関連
(10)
の立場から再構成される。」ことである。この意味で商機制は密接に関連する。
3.社会体系の動機過程分析
以上Parsonsに従って一般的に機制の意味、特に社会体系に幼く動機過程の機制探究の基準を 明らかにした。青々は次に、より根本的なものとして過程分析の準拠負(point of reference)を 求める必要がある。 ‑・々の社会過程は豊かな生の流動の姿であり、それはpersonalityの機制に 支配されつつそれをこえ、文化の基準を生みつつ道にそれに規定され不断に結実しつつ新たに展 開する具体的行為過程の一画である。豊かな生の一過程であるが故に如何なる断片にしても何等 かの機制、何等かの意味を看取し得るであろう。併し深い洞察と普遍性及び広い諸専門科学分野 の綜合の上に立つ行為理論の立場から社会体系が問われ動機過程が問題にされる時、極めて根本 的なる準拠点が追求されざるを得ないであろう.そして如何なる点に概念的分析の準拠点をあく かは正にその科学理論の致命的重要点であるといえよう。常に概念上の基礎構築を厳にしその上
に歩一歩理論的展開を期するParsonsの手法はここにもよく発揮されているO
ます結論を先取しよう Parsonsは「吾々はpersonalityにおけると同様、社会体系に対して もその状態を変えようとする傾向が知られる場合の外は社会体系の維持の問題に関心をもたない であろう」といIJl、叉「社会体系の機制の問題は‑‑‑社会体系の既成の状態を変えようとする諸
(ll
傾向があると信する理由がある処から生する」という如く、社会体系の機制の問題は「所与の状 態を変えようとする諸傾向」がある処に生すると考えている。従ってParsonsは動機過程の準拠 点を求めるために、人は第‑に、社会体系或は関連ある下位体系の既設の状態は何かと問うべき
4H
であり、第二に、それを変え(alter)ようとL、乃至維持しない傾向にはどのようなものがある かと問うことであるとしているO而してその論拠に関L PersonsはNewtonの力学の法則を引用 する。 「それはNewtonの第‑の法則、即ち惰性の法則に比較し得られる。力学の問題は諸物体 を動かすもの(what makes bodies move)に関せず、諸物体をしてそれらの運動を方向或は速 度において変化させるもの(what make甲them change their motion, in direction or velocity)
0‑2;
に関する」といい、力学における晴性法則の原理を行動理論に準用し、社会体系分析の準拠点を 力学に怠けると同僚に既存の状態とその変化、乃至それを破る傾向に求めている。このような社 会体系論の力学との原理的対応は、吾々にとって一見奇異にも感ぜられようO然し社会の科学的 研究の要請が社会の現状否定乃至変更‑の実践的意欲の自覚に基づくとする定説と、よしその強 調点を異にするにしても暑その軌を一にしている。然もParsonsはそれを分析のための準拠点と
(13)
し社会体系の理論化を企てていると考えられるo
さてParsonsは・先きの準拠点設定のための二間に関し次の如く答える。 「社会体系の既成の状 態と:いうのは各自が自我(ego)の行垂加て対する他者(alter)の反応が積極的な制裁になること、
即ち彼の欲求傾向を励まし所与の期待を満たすのに役立つような積極的是認であるような風に、
(14:
他者の期待に同調する処の二人以上の行為者の相補的相互作用の過程」であると。一言にそれは 既成の均衡ある相補的相互作用過程であるといえる。かくて社会体系の諸機制分析の問題点は一 層明らかとなった。このような意味における既成の状態を変え、または維持しない諸傾向にはど のような性格のものが見出されようか.
Parsonsは動機過程に佃く機別を次の三つに分類する。第‑は社会化(socialization)の機制で ある。即ちParsonsは「行為者は所与の役割志向を学んでしまうまでは、彼は当の役割の担当に
(is;
おける相互作用の均衡をてんぷくするよ うな仕方で行為する」として.未成熟者は社会の既成 の、乃至は所与の役割志向を学習することによって既成の相互作用の均衡を保持することが出来 ると考える。そしてこのよ うな行為傾向に伐く動機過程の機制を社会化の機制とよぶ。これを personalityと社去体系の二つ立場から見て、 「一つの役割の中の満足な機能化を進めるた%>iC要
H3
求される志向の獲得は、 personalityの立場から見て学習機制の問題」であり、社会体系乃至「相
(le;
互作用体系の動機過程の機能的意味の立場から見て社会化の機制である」とL、 personality機 制の二大分野のうち学習機制を、社会化機紬⊂対応させているO第二に逸脱(deviance)行動の
(!':
構造をあげる。即ち相互作用する行為者の双方に、既成の相互作用過程に対して却ってその均衡 を破る傾向、即ち規範的基準から離脱する諸傾向が見出されるとし、これを逸脱行動の構造とよ
(18)
ぶO更に第三に、社会統制(social control)の機制をとりあげる。これは逸脱による社会体系の 分解と不均衡化に対して規範的基準に同調しようとする再均衡のための反応を意味する。これを 社会統制の機制とよぶのである。
4.社会化の機削
社会化は確かに児童の男達過程において顕著にその特質を現わにするO併しParsonsにとって も勿論社会化は児童の発達と同義語ではなく、人が生涯にわたって学習しつづけるように社会化
. " 、・二 、 ・ "*‑ '‑" 'い: ∴
(19)
る Parsonsはいう。何故なら第‑に「児童の発達は社会化の機制D,伍く決定的に重要な場合」
(19)
であり、且つ「最も劇的(most dramatic)」な場合ですらあI)、第二に児童期において所謂基礎
EH
(20)
的(basic) personalityの中核構造が確定されるからであるというO吾々は以上の意味において兜 す児童の発達過程に即しつつ社会化機制の特質を考察することとする0
処で社会体系の立場からみて幼児の特質はParsonsもいう如く、誠に社会‑の「新生児の流れ
(Sl
のt野蛮なる侵入(the "barbarian invasion" of the stream of new‑born infants)」である。
幼児は単に生物学的未成熟石であるのみでなく成人たちの高度文化社会における役割期待の末習 得者であり、その意味で確かに文化社会‑の野蟹なる侵入者に外ならないであろうO吾々はこの
ような幼児の社会化過程についてその基本的特質を求めようO
第一に、学習(lerning)が役割に怠ける相互作用過程の統合的中心であること。第二に、社会 化過程が相補的役割(complementary role)に含まれていること。換言すれば学習を通して「夫 夫(egoとalter)の行動が一つの相補約・期待・制裁体系となるような風にegoをalterの役割
こ''J
の中に統合する」過程が進行すること。第三に、社会化の結果として特に幼児児童は共通の価値 志向型をpersonalityに内面化し、所謂基礎的personalityの中核を形成すること。以上三つ'D基 本的特質が考えられる。
以上社会化過程の基本的特質の究明から進んで吾々は次に、社会化機制の本質、更に具体的社 会化過程の考察に移らねばならない。
塞遠の理由から社会化機制の本質究明は、社会化機制と学習機制の基本的連関を求めることに よって達せられることが判る。そしてこれによって社会化による personality形成の意義が明ら かとなるであろう。
Parsonsは学習の機制を情緒・評価的(cathectic‑evaluative)機制と認識(cognitiv)機制の 二大分野に分け、更に前者に増強・廃止(reinforcement‑extinction)、禁止(inhibition)、代 香(substitution)、模倣(imitation)及び同一視(identification)の五つを配し、後者に弁別
(コ3)
(discrimination)と汎化(generalization)の二つをあげている。暫くこれらの各々につlJ,て触れ よう。
第‑は増強・廃止機制である。これは欲求・傾向(need‑disposition)の満足とその剥奪という 立場から新しい内容を学習する傾向をいう。一般的には満足を与えるものはその行動型を強化 し、道のものはそれを弱化させるといえようO重要なことは満足と剥奪ということである。それ について単純な快楽主義的解釈は無意味であって、それの意味内容、それらを生起させる諸条 件、及びpersonality体系にあける諾欲求傾向の相互関係の立場から注意深く解釈することを婁 するであろう。第二に禁止機制である。これは「所与の欲求傾向によって動機づけられた行動 を、その満足のための機会があり、そして叉そこに含まれている 当音緒"に対して生起している
(24)
ものがあるにも拘らす遂行することをさし控える過程」である。併し「その過程は学習の新段階
(24)
と共に直接に与えられるのでなければ旧い型えの執着は破棄できない」のであって、動機づけに おける惰性打砕の過程といえよう。第三は代替機制である.これは充当(cathex)を一つの対象か ら他の対象‑と転位させる事を意味し、次の三つの学習能力の進歩を含むものとされる。即ちI.
それが動機づけから消滅することを防ぐだけでなく却って補強する能力、 K.新志向を妨げる欲 求傾向を禁する能力、 価 ・新対象を受容し旧対豪に代用する能力、以上三能力における進歩を含む 学習であるO第四は模倣機制であるO これは「文化の特殊項目、知識、技術、象徴的行為の特殊
(25
的:"¥n¥,'1、‑つ:il/i主用.・'蝣>rf.‑;こ.サ'蝣*‑‑il上1iJ"J蝣蝣蝣∵:二、 ∴i蝣Jiこき ,こ上ーて十、‑:1。 ‑ISL で子.言十∴ ∴い
(25)
えばegoが自己白身で遵すべき「独立の学習を短縮する過程」である。模倣の本来の意味は手段
48
(空tl〕
的反応(instrumental response)の能力の獲得、即ちその用具性(facilities)にあって、何等かの 団結的愛着とかモデル‑の持杭的関係を中心にしたものではないO この点次の同一視棲制と著し く異なる。第五は同一視機制である。これは相互作用的役割関係の中で社会的野森たるモデルの 価値を摂取する過程に勃く機制である alterはegoにとってモデルであり、 egoの側における 学習にはalterに対する愛着(attachment)及びalterからの価値志向の摂取が含まれており、こ の二側面を含む学習過程を通してegoる二alterに同一視すると考えるのであるO而して以上の情 緒的・評価的諸機制に対し、相表裏して機能するものとして認識機制が傍く。就中、弁別は対象 世界設定の第‑条件であり、あらゆる学習過程に角く基本機制であるo これに対して汎化は諸対 象における共通属性を把える機制であって、志向体系の高度の組織化はこの機制によって可能に
なると考えられている。
而して以上の学習の諸機制は、もと personality体系の磯制であるが故に社会化の立場から吏 めて再編成されねばならないO このような配慮のもとにParsonsはこれら学習の五つの情緒的・
評価的機制を賞罰(reward‑punishment)、模倣、同一視の三機制にまとめている。就中、模倣と 同一一視の機制は本来社会的対豪に関係し、従ってそのまま社会化の越綿rjたり得るが増強・廃止、
禁止及び代替の三者は直接には社会的対象に無関係であるが故に、社会化の立場から改めて賞罰 の機制としてまとめられたものである。従って賞罰はこの三者を含む Parsonsはます増強・廃 止の学習機制に賞罰を対応させ、次いで禁止及び代替を賞罰に関連づけるO即ち「禁止」という 結果が相互作用する社会的対豪によって患しつけられた時、それは「罰」を:構成し、 「代替」は賞 罰の最適状態、即ち旧対豪‑の執着に対する罰と、新対象の充当に対する賞の最適の結合状態と 考えられる。このような意味で三学習機制を賞罰という一社会化機制にまとめているのであるo
以上社会化の三機制の意味と personality機制との関係が明らかになった。それではこれら三 椴制は相互にいかに関係するであろうか Parsons は同一視についていう、 「賞罰をもって彼 の外的個々別々の諸行為の意味において、 altersがなす(does)処に加え、叉altersが模倣のため の型(pattern for imitation)の意味において提供する(offer)ものに加え、更に今や自我に薗す
"271
る他者の諸態度(alter′s attitudes toward ego)が社会化過程の中心となる」と。この叙述から三 者の関係について次の如く考え得るであろう。賞罰は個別的外的行動の意味において加えるも の、模倣は、より一腰的な行為型を提供するもの、同一視はこれらをこえて、態度そのものの覚 醒を促がすものと考えられる。そして吾々はParsonsにおける三社会化機制のもつ意味を、社会 化過程深化の段階づけと見、三者を深化の三段階に配して考え得るのではないかと思う。かく解 することによって別の叙述「賞罰の機制はalterが模倣のモデルとしてか,或は同一視のモデルと
(38)
して機能することからの抽象の中に考えられる」の意味も自ら明らかになるであろう。即ち賞罰 は、相互作用の一層深い層に幼く模倣と同一視から、モデル機能を抽象したものであるという意 に解し得るのではなかろうかO而して就中同一視機制は、態度そ6,9ものの社会化、価値の内面化、
(2")
従って超我(superego)の形成を意味するものとして「社会化によるpersonality形成」の視点か ら貴も重視せらるべきものとされていることの意味を理解し得る Parsonsはこれを、他による
(30)
価値の覚醒として、特に「価値・獲得の機制(mechanisms of value‑acquisition)」と名づける。
更にParsonsは視野を社会化機能とpersonality形成の関係に移し、次の如く分析するo幼児 の成長過掛こ即していえば、 alterは模倣や同一視のモデルとしてよりも尭す賞罰のagentとし て伐くO無力な幼児と成人の交渉の場,生活の基本的諸能力における大きな傾斜の場が賞罰を必
4'.'
要ならしめるO この場合alterは「egoの行為の結果を、 egoがいかにして行為すべきかについて
(31)
のalter自身の期待の線に合うように行動を増強するために使用し」叉逸脱‑の行動を消滅するた 捌こ使用するのである。かくてegoはそのpersonalityに増強.廃止の磯制を形成するO更に既 述の如くalterは罰によって禁止を、叉賞罰の貴通の結合型を与えることによってegoに代替機 制を形成せしめ得る。
又alterは賞罰ゥagentとしてのみでなく、egoの諸能力の発達と共に模倣のモデルとして仇く。
Parsonsは模倣のモデル機能を二種に分ける。即ち「学習の文鰍の中では‑‑‑模倣に対するモデ ルがある(there is)ということに重点をおいているし、社会化の支肱の中ではモデルの所与の型
(321
がegoをくく教授目するように準備されている(is provided)ことに注意がむけられている」とし て、恵のすからなる学習と、意図的な教授による社会化(socialization by instruction)とを区 別する。児童は模倣により始めて高度文化社会の知的技術的内容と能力を獲得し社会‑の適応者
となり得るのである。
更 alterは又同一視のモデルとして機能するO この場合alterはEgoとの相互作用過程の深 処に伐き、価値に目覚ましめる egoは同一視において始めてpersonalityの中核を形成するの である。 Parsonsは、価値獲得過程の基本的要素を次の如く分析し、 personality形成と社会形成 に関する基本的意義を明らかにしている。第‑it共通の価値志向、第二にegoの行動に対する alterの側における諸期待、それらは年令や性に関L alterのそれから分化した期待となる。第三 にegoの側におけるalterに対する相補的期待、第四に、第三者即ち母子関係に対していえば父 役割の期待、第五にegoの成長過程に対する変化の期待であるO このように一つの価値獲得にお いても、様々の要素が含まれて怠り、それをとりまいて様々の価値が分化し、他の諸役割が内面
33)
化される。児童は叉このような役割における相互作用を通路としてParsonsの所謂関連的連帯の 中に組込まれ、便々の価値に分与するに至るのである。 MX.
5.鬼童社会化の現実過程
以上社会化諸機制の本質的性格及びそれらの相互関係を考察したが、吾々は次に児童社会化の 現実過程とその諸条件を明らかにする必要がある。併しParson号もいう如く「社会化の実際過程
(35;
は不明瞭であり、特に結果の相違、及び病理に対して責任ある諸要素は不明瞭である」ただ若干 の見取図を与え、出発点を用意することはできるとして、彼は特にpersonality形成の中核機制 である同一視による社会化の実際過程についてのべている。
先す役割に怠ける相互作用過程の立場から一方に、 socializing agentの役割と、他方にこれに 対してsocializee (社会化されるもの)の役割が考えられるO而してsocializeeとしての幼児は可 塑性(plasticity)、感受性(sensitivity)及び依存性(dependency)なる基本的三属性をもつものと考 えられ、これに対して社会化のagentとの間に、社会化の三機制が幼くものと考えられている。
Parsonsによれば、可塑性は二者択一的型相を学習する能力、感受性は同一視機制の中核たる愛着 形成の能力、依存性は幼児の欲求満足の全面的依他性に基づき「社会化の挺子を適用するための
(35)
基本的"支点"」を提供するものとして社会化過程からみて夫一々重要なる意義をもつも,Dと考えら れている。
これら幼児的諸特質こそ他の生物には見られない人間特有の社会化と生長‑の資源なのであ る。人間は自己の全面的無力性と依他性を道に社会化と成長の支点となし、柔軟なる可塑性、即 ち固定的本能によって恵のすからに生き得ない無力さを含む無定型性を、逆にたえざる代替と不
.50
断の成長‑の能力と化し、更に常に身近か近世話されることなしには生き得ない弱味を、他の動
:.∴I'!‑ 、 、 ‑ ヽ ・I'・'・= ・・. I.1 .. ‑ .
ての資質に変えてゆくのである。
新生児は無力を資源とし、無力に支えられた有力者である。人の人たる本質的特性が幼児に象 徴的ic示現されてレーる0人を人にまでの教育の秘儀もここにひそめられている=彼は文化的、社 会的無力者であるはいうまでもなく、単なる生物有機体としてすら余机こも無力である。幼児は 食べさせて貰い、暖めて貰う等基本的欲求そのものについで様々の加護と配慮なLには‑一一日とし て生き得ないであろう。自力で生き得ない幼児にとってこそ周囲のささいな配慮と加護の‑一々が 恵みであり、 Parsonsの所謂限定的報酬(specific reward)となり、やがては分散的報酬(diffuse reward)の意味をももたしめるO そして幼児をしてこのような報酬を確保し、報酬剥奪をさけ
ようとする強い動機を起させる。この動機づけを挺子として、母は或は含蓄的に或は現わに様々 の様態において賞罰のagentとして機能するOかくて幼児は愛護の単なる物的対象であるような 地位から、幼児自ら積極的に母の期待に応する役割演技者(player of a role)たる端緒を開くこ
とができるようになるのである。
叉愛着の情、即ち他者‑の情緒的志向の生起の基礎についてParsonsは深く Freudの説に依 拠しつつ次の如くいうo 「幼児の世話(care)の実践的緊急さの故に,母との身体的接触が母子関
(36
係に重要なる役割を演する」。このような「快よい肉体的接触からくるある他の満足は幼児に対す
(37)
る成人の諸態度及び幼児自身の行動に、特fc依存するらLLへ」とのべて、吸乳、愛撫の如き母と の身体的接触こよる幼児的性的欲求とその満足感こそ愛着の起源となるという.肌身において感 取する愛と欲求とその満足以上に耐如勺で敏感な役割期待,D学習があるであろうか。かくて「子
(3K>
供は男女両性共に、すぐれで性的要素を含む母‑の愛着をもって出発」しつつ、その成長過程にお いて、母子関係を中Ll,とする性愛主義〔eroticism)の子供の構造から、夫婦の性愛主義を中心と する成人の構造に至るのである。少くともそこに最も基本的で鋸著な成長の姿が見られるのでは なかろうか。従ってその意味で「母‑の愛着における性的要素の犠牲は、成長のために払われな
(:18)
ければならないくく代価"のうちの最も著しいものである」ということができる。幼児はFreudに よって分析された如く生長の過程に従って口唇(oral)、虻門(anal)等性感帯を転位させつつ成 人の性的構造を樹立するようになるのである。
それでは幼児的段階と成人段階における eroticismの両構造の相違はどこに見出されるであろ うか。 Parsonsは「幼児的段階におVlて、 eroticismは安定性がその中に依拠する全体役割を統合 する部分であり、且つそれを象徴している。成人的段階においては、それは諸瀬値と諸役割の巨
39
大な複合の中に適当な地位を保っている」とのべ、極めて端的に両構造の要点を明らかにしてい る。改めて説明を要する迄もなく eroticismの幼児構造の特質は、それが幼児のもつ全体役割の 統合的中心であることであり、これに対して成人構造のそれは、 eroticismが成人のもつべき全 体役割の適当な部分としてあること、換言すればeroticismが成人の価値体系との前進的統合に 支えられていることであるO
以上両構造の究明は、児童の成長と社会化の過程を指示している。 Parsonsもいう如く「この過
(401
梶(性的欲求と成人役割の結合の過程)の本質的部分は諸価値志向の進歩的導入」の過程である。
そして又「性的欲求こそ、その人の成長過程において成人の価値体系に対して試頗する(testfy)
(40)
ものである」という時、人間性における性的欲求と成長欲求とは、共に深く同じ根源に根ざして いること、更に人間の成長の願いの中で、価値と性的欲求の進歩的統合は、その試頻の厳しさを
Ml
感ぜしある。
吾々は、次にこのような基礎に立ちつつ、 Parsonsの価値志向の観点から幼児児童の成長過程 における諸価値の進歩的導入の過程について述べねばならない。
第‑に、情緒的愛着(affective attachment)の志向を内面化する。幼児は模倣のための高度の 能力を得る前に、ます愛着の志向をもたねばならない。いうまでもなく幼児は企画的依他性から 愛着志向の能力を得る。併しこの志向の対立項としで活緒中性志向(affective neutral orientation) は未だ学ばれないo何故なら彼は末だ禁止の能力を十分にもたないからであるO
第二は、限定的‑,‑分散的志向(specific‑diffuse orientation)の獲得が考えられよう。幼児の母
‑の期待は何よりもます食物による満足の源泉(the source of food gratification)としての母に 向けられ、このような食欲充足源としての母の個々の行動に奉仕者(minister)の意味において自 我のt<ために健話をする"A(the person who くcare for" ego)たる母を感取し、それによって 限定的情緒的志向の基礎を得るのであるo併し彼はやがて母を食欲充足源とし,そのための諸行 為をその日的志向に限定された(specific)助力行為であるという意味で、単に世話する(care)A であるのみでなく、態度の意味において、気づかい心配する(care)人であることを感取するに至 るOかくて母との濃密な接触と交渉Z)中に限定的情緒志向を分散的情緒志向‑と発展する遠を開 くのである。前者から後者‑の志向の発展と飛躍に、他の動物から区別される人間愛の誕生の大 きな意味があるように患われる。この飛躍と努展の根拠についてParsonsは次の如く分析してい る。 「性感帯の意味の多くはそれが報酬と反応の間の都合のよい橋であるという事にあるo そし てそれは性的報酬、特に情緒的身体的接触の分散的な報酬から分散的愛着‑の道が最も容易に開
(.,4)
かれ得るという事実に依存するかも知れない」と。かくて彼は幼児の口腔、肛門、尿道性感帯異 常定着の現象を、 Freudの意味を超えて、より社会的に解する。即ち「病理学的領域で著しい役 割を演する一層極端な定着は、性的関心の正常でより分散的な諸機能の若干の混乱の結果として
(ォ)
取扱あるべきである」とし、それを社会関係における他者‑の分散的性的関心の安定の混乱の表 れと車えていることは、分散的性的関心と価値社会化過程との深い結合を示すものといえよう。
第三に、受動的一発動的志向(passive‑active orientation)の内面化についてである Parsons は「負荷一業蹟(ascription‑achievement)の変数の立場において志向が立てられるのは、との局
(43)
面(passivity‑activity)に沿うての諸感度の中FZ:表現された諸価値の内面化を適してである」とい い、彼の型相変数の一つである「負荷と業績」は直接に、この受動と発動の志向を通して導かれ
ると考えている。
今仮りに幼児が第二においてのべた限定的反応の愛着の志向を内面化したものと考えるなら ば,幼児は矧′こ彼が十分な意味に患いて愛着志向の受容者であるだけでなく、舜動的役割演技者 としての地位をもったことを意味するであろう。しかもそのことは叉母子.両者に共通の価値型が 葬展し、個々の諸行動を個別的賞罰としてでなく"適当な態度"の表現として取扱う能力が華展 Lたこと、従ってそこにはそのくく適当な態度"を保持増強し、然らざる感度と行動を拒否しよう とする規範(norms)の成立を意味するで挙ろう Parsonsがいう如く幼児の微笑や戯れの行為は 既に彼が単なる反応の受容者でなく積極的反応者となったこと、反応と報酬を引き出すことに興 味をもったこと、従って共通価値の積極的支持者となったことを意味する。
もともと無力な幼児としては、それに&さわしく反応と報酬の受容者として、受動的志向の方 に自らを鼓舞するかも知れない。然し更に受容と反応の均斉のとれた相互性‑と鼓舞するかも知 れない。だが「積極的志向を動機づけるための唯一の現実的な可能性は、他者の側で個別的諸行
.V>
為と共に増大された受容性と発動性をもって、それに報いっつ、子供の側にあける受容性と共に
'44)
賓動性を鼓舞することにある」とParsonsが指摘している如く、無力なればこそ受容性と共に積 極的な発動的志向‑と鼓舞することこそ必要であり、しかもそれを現実的に可能にすることこそ 重要であり、それは他者の側における幼児の両志向の積極的な鼓舞と引き出し(elicit)の物き にあると考えられる。この意味で教育(education)は確かに相手から価値ある志向を抽き出す (educe)ことである。
処で、以上の諸価値志向は母の幼児‑の愛の関係の中に直接に含まれていた。併しこの事は より複雑な高い価値の凡てがこのような過程に患いて獲得され得ることを保証してはいない。
Parsonsはそのような価値として准立に必要な情緒中性(affective neutrality).普遍性(univer‑
(45)
salism)、機能的限定性(functional specificity)、業潰(achievement)等成人の役割体系において 特に重要な諸価値をあげ、それらの獲得過程の諸条件を検討している。
Parsonsは第一に、母に対する幼児の分散的愛着、即ち愛(love)を中心とする母子間にあける 諸志向の安定体系の樹立をあげる。愛を支点とすることによってこそ始めて高度の価値志向獲得 も可能となるOそして安定性の確保は一方依存性の増大と、他方欲求不満の確かな堪忍(certain tolerance offrustration)を可能ならしめ価値への飛躍台を提供するであろう。人は愛故に安らぎ
他を信じ、これに托することにより、より高い価値の試煩に堪え得るであろうO
第二に、同一視の対象の組合せ、及びその対象の具体化する諸価値型、更に相互の人間関係の 適当さが考えられねばならない Parsonsは新たな発展段階に望む幼児に対し「母一父」連帯に 放介された父役割の重要性を強調する。そして彼は母子間における愛による安定の場に、より高 くて新しい、その意味で極めて習得困難な価値志向の同一視対象として父の登場を促がす。そし てこのことに関し次の如くいう。 「父は母との連帯の中に含まれねばならない。それ故に子供は
(4'C
母・父連帯から排除されてはならないし、父は母.子連帯から排除されてはならない」と。この ような形で父を第三者とする単なる母子連帯の段階から、父を含む家族的連帯に高まることに ょって、子供にとって豪族自身が新たに愛による安定と依存の体系であると共に、より高い新た な価値‑の試嬢と訓練(discipline)の体系ともなるのである。
第三に、今や幼児にとって新たな意味をもつ家族連帯の基本的局面が考察される必要がある。
既に母子連帯が父母連帯に妓介されることによって,家庭は訓練の体系となり、幼児は訓棟の課 題に直面する。それは彼に単なる母子連帯の中で得た既成の欲求傾向と依存的欲求の不満をひき 担さすと共に、くくよい子"の役割内容の脱皮と転化を迫る。このような危機的事態に直面して幼 児児童はいかに対処し、いかにして新しい価値を内面化するであろうか Parsonsはいう。「自我 は調整機制をもってこれらの欲求不満に反応するかも知れないし、実際にある程度までそうする であろう。併しこれらの調整機制は防衛機制と結合することによって社会化過程がとざされ、更
EH
に離反的欲求傾向が確立されてしまうようなことになって、調整機制が凍結されてはならない」
と。
Parsonsはこのように逸脱‑の危機に直面しつつある幼児に対し、社会化過程‑の道を閉さな いための配慮から、父母は次のような操作の局面を必要とするものと考えているO それは1・幼児 の安定性が危険に陥らされることのないように調整楼制が許容的に(permissively)に寛恕される こと。甘.幼児が新しい役割期待に応することが出来ないにも拘らす、愛の態度が失われること なはPって支持(support)されていることO Ⅶ・面も新しい価値の立場からの圧力がegoに対し て加えられること。即ちegoの旧期待に応答することを拒否すること(the refusaltoreciprocate
.")*1
ego's expectation)o JV.新志向が学習され、 alterの期待に応え得ることに対し報酬する(reward)
(4只)
局面の四局面であるo而して各家族において、これら囲局面がいかなる均衡状態を保ちつつある
一:' I ‑・ ・‑/ " ‑,'I '*・ 二 ∴ 二 一‑'.'蝣蝣"‑‑‑
々の血縁体系は・その全体社会の機能として・夫々特有の異なる社会的性格形成の制度となって いると考えてよいであろう。
さて単なる母子連帯においては分散的愛とそれに対する関係的報酬(relational reward)が中 心となったが、今や豪族的適称ておいては独立的聾成(achievement)と、それに関連する新志 向、並rjに承認及び尊敬の報酬が分化し発展する。かくて子供の限定的達成に対して親は承認を
もって報いる情的中性志向をも舞展し・無条件的愛の態度から条件的餐(conditional love)の態 度が分化する。叉単なるわが子としてよりも人としての全体的力量に対し親は尊敬をもって報 い、無条件的愛の態度から尊敬の態度も分化するO従って奇々は、この段階における社会化の agentとしての親73資質に関し、 Parsonsと共に「この二つの局面(無条件的愛と条件的愛)を分
(49〕
離す.る能力は、親としての適当さの‑条件であろう」といわねばならないであろうL、更にこれ に加えて無条件的愛から子供の全人格への尊敬の態度を分離する能力も親としての適当さの条件 であることを補うべきであろう.
幼児児童は母子連帯を経てやがて豪放連帯に包まれ,次に更に同筆集団や学校集Hiに所属する に至る少年少女期に入りこむ Parsonsはこの期にあける分析においても主として家族を中心と して分析をすすめる.そして父母の役割分化と少年少女の「性役割同一1硯及び性的愛着の複雑な
(・w;
幾何学」について一瞥を与えているO母役割は子供に対する日常の世話にかかわり、且つ中心的 愛の対象となることであり、又母が父との団結性を維持することによって、子供に対し父を成長
‑の圧力の象額的焦点たらしめることにある.換言すれば母は子供‑の圧力を直接には父に背負 わせつつ、自らは子供との関係における愛の安定性の中心となるのである。
最後に、 Parsonsは「性的愛着の幾何学」を社会化と成長に結びつける。少年少女は共に既述 の::U 、こ母‑:r)幼>!‑,<的ttr隻から出賛する;i‑Lて‑蝣tr、少年は、両親:?>:tf情一般と了璃:? o少,y‑良‑}蝣 の年令集団に対する価値に分与し、更に少女から区別された規範を引受けこの過程を通ることに よって「男らしさ」(masculinity)にまで成長するO他方少女はこれに反して、母と父夫々‑の幼 児的性的愛着を脱皮しつつ、成人男子への成熱した愛着を形成するに至るという。そして少年少 女いづれの場合においても、社会化と成長のためには、父との同一視こそ幼児的母親愛着からの 解放に決定的役害陀演じ、道に母‑の幼児的愛着はこの役割学習の障害となっていると考えてい る Parsons もいうように誠に「父の干渉はこの愛着から子供をほじくり出す支点となってい
:@サ:
る。」
Parsonsにおいて児童の成長過程は性愛との進歩的統合にもとすく価値内面化の過程であっ た。そして既にみた如く、 ・彼においては型相変数の立場から諸価値獲得における能力上の体銃 (hierarchy)が考えられていた Parsonsはこの点について長後に簡単に変とめて居る。ます最 も早期に始まり且つ獲得容易な志向は情緒的志向である。これに対して二者択‑一的対立項たる情 緒的中性志向は極めて獲得鯛難であるとされるQ従ってこれが獲得のためには分散的情緒志向に 媒介されると共に、それの顕著な排他性から解放されることを要すると考えている。叉普遍志向 は最も獲得の餌難な志向であるとされている。而して「業績・負荷」志向に関係し、叉それ‑導く
「積極性・受動性」志向及び「限定性・分散性」志向の両志向はこの体統尺度に直接には関係しな
蝣ォ4
いと考えているO
鏑志向の体銃の問題は緊張(strain)と退行(regression) 60間毒劉こ導くO 即ちParsonsに患い て価値志向型は役割志向型と共にpersonality型を決定するものと考えられているが、それは叉
52)
社会化過掛こおける緊張と退行、及びpersonalityの病理の問題を提供している。
6.省 察
以上、上述のParsonsの社会化甘論に基づき若干の問題点をあげて考察し、結びとしたい。
(1) Parsonsは、行為の理論は、生命有機体の行為を分析するための一つの概念図式であると し、その行為を規範的に規制されたェネルギ‑の支出による、状況にあける目的達成のための志
f53)
向、と定義づけている。従って行為はその構造的要素として、目的、手段、条件、規範を含んで 怠り、これらはあらゆる行為の変動及び過程を把握するための共通の概念であるから、これら四 つの要素をもって取扱われるのでなければ行為の意味をなさないとしているO そして行為の基本 図式の中に、社会、 personality、文化の三つの体系が形成されるのであって、夫々は行為の面か
らみて不可欠の相互関連をもっている。例えば文化体系は内在化してpersonalityや社会体系の 構成要素ともなるし、社会体系も personalityや文化がなければ存在しえないという意味では関 連し合っているが、この三つは何れも他に還元し得ないという意味では独立している Parsons はこのような意味をもつ行為の基本図式の中で三つの体系を区別しつつ組織的に結合させること によって、 「アメ1)カ社会学者の中に強い社会学と心理学及び人類学の混同」を排すると共に、
これら三つを含む統一科学として行為の科学をつくりあげつつある。
翻って教育学の分野にあいて、近来頓に教育心理学、教育社会学及び文化人類学が教育理論の 科学的基礎づけの役割を果しつつある。併しこのような分化的発展にも拘らず、もしかりに、
Parsonsがいうような「社会諸科学における混同」がありとすれば、教育学の領域にもそれは反 映せざるを得ないであろう。このような現状に対して、行為の理論は、教育の基本構造考察の方 法論と内容論の両面にあいて教える所が多い Parsonsが行為について、三つの体系の「組織の 性質がはっきりと理解されす、理論的正確さをもって方式化されないならば、この根本的主題に
し:a>
ついての混乱は、三つの方向に'JLろがり、行為の全理論を毒することになる」という警告は教育 の諸科学についてもあてはまるのではなかろうかO
¥2) Parsonsは既にのべた如く、賞罰、模倣、同一視の三社会化機制をとり出し、学習内容と して夫々に習慣、知識技能、態度を対応させていると見られるO 又成長過程に即して、幼児・
児童期にあいては賞罰と同一視が重視されるべきであるとしている。これらによって基礎的 personalityが形成されるからである。併し問題は、彼の学校教育観についてであるo彼は学校教 育は・ 「専門化された知識、技術的熟練、表現的志向の規準、趣味と趣味の梗準の更に複雑で複
T)5)
合した成人文化の獲得」にあるとL、従って、この期における主要機制として模倣が中心になる
(55)
といい、面も「基本的過程としての個人的独創性は論するに足りない」と云い、又「学校体系は
(56)
成人の職業世界の一つの小宇宙である」とし、更に「形式教育のコースにおける経験は成人の職
T>7)
業役割に対する一連の年期奉公(apprenticeships)である」といいきっているo吾々として党す 問題にすべきは・第‑に、彼の学校教育における「基本的過程観」であるO彼が模倣、即ち文化 内容の伝達を、学校教育の基本的社会化繊制とすることは、確かに学校の社会機能の一面を明示 したものであるが、併しそのことによって叉彼は半面、学校の個性形成に怠ける独創性、乃至創 造的意義を看過しているかに見える。石山値平博士が「教育の本質は文化遺産を教材としてそれ
5.5
を生徒にとりつぐところの笑質的陶冶にあるのではなくて、文化財の受容能力と創造能力を養う
(5S二
という形式陶冶にある」(石山恰平博士)といわれる如く、学校教育の「基本的過程」として個人 の創造性の意義を否定することはできないであろうO第二に、彼が「学校を職業世界の小宇宙」、
或は縮図と考え、学校での経験を、そのための年期奉公とする見解は、既にのべた点からも明ら かなように、学校の基本的社会機能を明らかにしたものであるにも拘らす、叉半面全体社会の社 会変動との関係に怠ける教育のdynamicな性格を見落しているというべきであろうo勿論彼は、
全体社会の変動に言及し、幼少年期の期待は社会変動のもたらすずれによって、後年の要求に不 適合となり再適応が促されると説く。然し問題は変動後の、後を追う再適応にあるのではなく、
学校教育の基本的過程そのものが「個性と社会との対立緊張、この緊張を通しての循環的連続に
(53
おいて・・一・人のより高き永遠の発展」(篠原助市博士)を可能にする処にあり.一言に対立の綜合 としての弁証法的性格にあるといえよう。そして、このことはSchleiermacher, J.Cohn等を始 め、教育理論の基本命題といってよい。吾々はParsons理論が教育理論の立場から佃超克せらる べき面をもつことを指摘せざるを得ない。併しそれにも拘らず、別にのべる如く叉それによって 彼の、社会諸科学の現代的綜合の上に成立つ社会化理論の高い意義は、教育科学の立場から決し て見・失われてはならないであろう。
(3) Parsonsは既にのべた如く、性愛主義の幼児的構造から、性愛と価値の統合としての性 愛の成人構造‑至る成長過程に、価値志向獲得の能力から段階を与え、これを価値志向の体琉
(hierarchy)と考えた。この点は、彼の後著「家族、社会化、相互作用過程」において「欲求傾向
(60)
の発生学」として一つの結晶した姿にまで発展されている。彼は成長の各段階における各欲求傾 向の単位を、彼の所謂く'発生学的樹木(genealogical tree)上の定位宗に位せしめ、幹から枝葉
‑の一一大体系を形成させている。両もこの欲求傾向の発生表は価値塑相内面化の段階に対応させ て作られたものであることに意味がある。 「人を人にまで」育成する教育の立場からみて、それ は前者の「人」から、後者の「人」にまで至る価値展開の段階であり、叉欲求傾向の発生段階で ある。既にのべた「社会体系」における「社会化」理論に既にこの基本原理が表現されている。こ のような考察が如何なる意味をもつべきかは、倫論議の余地をもつにしても、一般的に成長過程 に怠ける価値内容展開の極めて優れた論理体系として有意義であると思う。
更に叉、 Parsonが同一視のモデル対象の組合せと価値内面化の関係を'Dべた点は、同じく後
(61)
なの著「豪族,社会化、相互作用過程」の中で「家族構造と子供の社会化」として極めて精微な 論理をもって展開されている。彼は「嚢展過程の型」を四段階としたo即ちEl隆依存、愛執着、
潜在期、成熟期にかけ、夫‑々に危機を発行させた。そして各段階における豪族成員の典型的なモ デル対象の組合せ型を構成し、家族構造を中心として社会化過程を論する。併し、成長過程にあ ける当然の結果として学校、同輩集司及び成人地域社会構造と社会化も論ぜられているのであっ て、当然mass communicationによる社会化にもふれるべきであろう。少くとも、全「社会体 系」論における社会化理論としては、 mass communicationによる社会化の問題は当然重要なる
テーマとなるべきであるべきであるにも拘ら+,何等ふれる処がない。この点彼の社会体系論及び 社会化理論のもつ欠陥と見られるのではなかろうか。
(4) Parsonsは、幼児が母子連帯から家族連帯に編入され.母が父を新たに幼児に対する固‑〜
視モデルの中心にすえる段階の社会化過程についてのべ、それは逸脱‑の危機にさらすと共に、
社会統制機制の参勤を促がすものとしたoかくて豪放連帯は,幼児にとって愛'D体系であると共 に訓裸の体系となる。 Parsonsはこのようにして教育過程における社会化と社会統制の両磯制の
蝣"'H