コメント2‑1資料1の説明 : 中国民法典の編纂 (日 中学術シンポジウム) (中村和夫先生・古口章先生 退職記念号)
著者 ?木 喜孝
雑誌名 静岡法務雑誌
巻 8
ページ 196‑197
発行年 2016‑04‑28
出版者 静岡大学法科大学院
URL http://doi.org/10.14945/00009672
資料 1
中国の民事法制定
(公布 )の 年表
(改正 は記載せず)
1979年
中外合弁企業法 1980年
婚姻法
1982年
商標法
1983年
中外合弁企業法実施細則 1984年
特許法
1985年
相続法
1986年
民法通則
土地管理法
外資独資企業法 1988年
民法通則意見
中外合作経営企業法
1990年
外資独資企業法実施細則
著作権法 1991年
民事訴訟法
養子縁組法
1992年
民事訴訟法意見
1993年
会社法
不正競争防止法 1994年
労働法
1995年
担保法
手形法
中外合作経営企業法実施細則
保険法
1998年
証券法 1999年
契約法 2001年
(WTO加
入)2006年
企業破産法
2007年
物権法
独 占禁止法
労働契約法 2008年
企業国有資産法
2009年
権利侵害責任法 静岡法務雑誌
第 8号 (2016年4月)
―― コメ ント
2…1資料 1の 説明―一 中国民法典の編纂
2016年 現在、民法典 の編纂 を巡 る中国国内の盛んな「 論争
Jを
見て いると、決着 は つか ない勢 いのよ うに見 え る。約 125年前 に 日本 は、条約改正 のため、 つづ めて言 う 196静岡法務雑誌
第8号 (2016年 4月)
と、議論の余地 な くフランス民法典か ドイツ民法典草案か、 どっちかを早 く翻訳 しな ければ、 という勢 いで導入 した (「民法典論争」)。 ただ、すでに翻訳語 は明治20年代 までに欧化政策の下、苦労の末、すでにもう定訳が成立 していたといってよい。
一方、中国 は改革開放か ら約30年かか って民事単行法 を積 み上 げて きた。 とくに
WTO加
入のためには、民事諸基本法の制定に努力 した。(資料 1)さて、2014年、四中全会が「依法治国を全面的に推進す るい くつかの問題 について の決定
Jを
採択 し、その中で改 めて民法共編纂を決定 した。中国にとって今回 は第5回目のチ ャレンジだが、「 偉大な中華」 にふ さわ しい民法 典を編纂するとなると、議論百 出、 なかなかまとまらない。
中国の法の建設 に対す る日本法の影響 は、二重重心文化の日本 にいつたん消化 され た西洋法を中国が受 け入れて きた側面か ら見 ると、今 まで以上 に深 く大 きく見えて く
るようになると思 う。
「欧化
Jや
「文明開化」 とい って も、 日本 においては、その実新 しく外来文化 の一 重心が形成 された ことであ って、従来 の文化的重心 はそのままあ り続 ける。「欧化」一点 に重心が一つになって しまうのではない。近代 日本の西洋法文化 は二重重心 (三 重重心
)文
化の一重心である。(「日本文化総体J2」 資料 2)二重重心文化 は、 日本の「伝統」 とい って もよい。状況 に迫 られていて も強制 され たのではない し、西洋法体系全部を取 り入れ るわけで もない。無理 にそれまでの伝統 文化 と統一 させようとは しない し、できない。それを自覚 して時間をか けて習合 させ てきた。
現代中国の法文化 は、明治時代 に2文字の漢字 として日本語 に翻訳 され漢字文化 に 移 された語彙を日本 と共有 している。社会科学
,特
に法文化では顕著で ほとん ど語彙 を日本 と共有 しているといってよい。 また、中国の法律家 は西欧法文化を理解す ると き、日本語化 された漢字文化 によって理解 している。 それ らの多 くは、伝統的「 中幸」文化 にはない語彙であ り、法思想である。新 しい思惟方法で もある。現在、中国の法 律家 は法文化を欧米か ら直接導入 しているかに見えるが、実 は根本的には日本語化 さ れた漢字文化 によつて理解 している。西洋法文化 は、すでに日本語 として翻訳 された 漢字文化 によってすべて理解できる状態に消化 されていた。
このように、 日本の近代の西洋の法文化の受容 は、広 く日本 。中国を含む東 アジア の漢字
=中
国語の共有文化 によって受容 されたと理解できる。 そ して、中国 は、特 に「改革開放」以降 は、 日本が先行 して一重心文化 として受容 した西洋法文化 を導入 。 受容 したといってよい。
この ことは、法文化の面 で は、「 日本文化総体J2'」 は、現代中国文化 の一重心 を 構成 していることを意味する。
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