エ ミ リ ・ ブ ロ ン テ の 自 然 にまつわ る情念の行方
大 平 栄 子
C.D.Le wi s は , ̀ ThePo e t r yofEmi l yBr o n t e ' ,と題す る論文の中で , ̀ he r pa s s i o n , … ,waso r i e n t a t e da l wa yst o wa r dt hei nn e rwo r l d,no to ut war d一 れo te ve no u t wa r dt ot h eNa t u r ewhi c hs hel o ve d . ' と述べ ,Emi l yJ a ne Br on t e の情熱が自然にではな く,内なる世界 に向 って常 に方向づけ られて いた ことを主張 している
1。 しか し,筆者は 自然に対す る情熱 こそ Emi l y の あらゆる情熱の原点であ り, また Emi l y の 自然観 が決定的に変 った とき自 然 と 「内なる世界」がよ り深い ところで結びついた と考える。
Emi l y の詩を読んでまず気づ くことは ,Emi l y が Ha wa r t h の大地 に特別 の想いを寄せ,また自然のもつ不可思議な力に対 し崇拝の念を抱いていた こ とで あ ろ う 。Emi l y に とって故 郷 で あ る Ha wa r t h の 自然 の風 景 は,柿 Cha r l o t t e の言 うとお り,ただ単に眺め られ,その美 しきを愛でえられ るも のではな く,そ こを住処 とする野鳥や,そ こに咲 くヒース と同様,それな く しては生 きられない空間であ った と言 うことがで きよ う
2。故郷 の丘 は, Emi l y にとっていわば,巣であ り, また子供時代の夢を育む遊 び部屋であ り,
自然体験の原点であった と思われる。そ こはまた帰 ってゆ くべ き安住 の地で もあった。
しか し, このように深 く愛 し,一つに隔けあった自然の中に衰 えゆ くもの,
滅 びゆ くものを見, 自然 の限界性 に 目覚 め,やがて外 的世界 に絶 望 した
Emi l y は, 自然から ̀ Thewo r l dwi t hi n' 「内なる世界 」( No.1 7 4 , 1 .8 ) への
転向を うた うよ うになるのである3 .そ こか ら 「 内なる世界」の Emi l y の探 求は深 ま りをみせ,やがて 「 我が胸の内なる神 」( No.1 9 1 , 1 .5 ) を見出す こ
とになるわ けであ るが, この 「 神」につ いて うた った詩 の中で ,Emi l y は
̀ An dt ho uwe r el e f tal o n e/Eve r ye xi s t e n c ewo u l de xi s ti nt he e ' ( l l . 2 3 ‑ 2 4 ) と述べている。 この詩句が 「 大地」や 「月」 , 「 太陽」そ して 「 宇宙」を含む 外的世界 と 「内なる世界」 とが ,Emi l y の 「 実在」についての深い認識 にお いて密接に結びつ くことを示唆 していると思 う。従 って本稿では,それはい かなる認識であ るのか とい うことと,そ こに至 る Emi l y の認識の経緯 を主 に詩作品にあ らわれた Emi l y の自然観を検討 しつつ探 ってみたい0
Emi l y が書 き残 した 1 9 0 あま りの詩のほ とん どに自然描写がみ られ る。例 えば,紫の と‑スの魔力について ( No.9 4 ) ,寂涼 とした荒野の節 くれだっ た古木 ( No.8 1 ) 千,顔をしかめ,あざける森 ( No .6 ) ,波のように うねる 荒野や,空を,暗 き山々を照 らす月 ( No.8 3 ) ,Ede n のように金色に輝 く大 也 ,( No .9 9 ) , 「 楽 しく花開 き静かに凋んでい く」 ブルーベル ( No.1 0 0 ) と いった ぐあいに自然 の諸々の様相,作用 について Emi l y は うた ってお り, 読者をそれぞれの自然の風景‑ と誘 う。 しか し Emi l y の詩 の中で ,̀ na t u r e '
とい うことばが直接用いられることは極めて少 ないのである4 。「自然」につ いて語 る場合 ,Emi l y は代わ りに 「 大地」 とい うことばを用いて ,Emi l y に とっての自然 とい うものを言い表わ していることは,例 えば , 「 大地 はあな たに霊感を与 えないだろ うか」 とい う詩句で始 まる次の詩 ( No.1 4 7 ) を読 めは明 らかである。その一部を引用 してみよ う。
Sha l lEa r t hnomo r ei n s pi r et he e , Tho ul o ne l ydr e a me rno w ? Si nc epa s s i o nma yno t丘r et h e e Sha l lNa t u r ec e a s et obo w ?
I kno wmymo u n t ai nbr e e z e s
3 2
En c ha n ta nds oo t het he es t i l l‑
Ikno wmys u ns hi nepl e a s e s De s pi t e仏ywa ywa r dwi l l .
Ye tno newo ul da s kaHe a ve n Mo r el i ket hi sEa r t ht ha nt hi n e , The nl e tmywi ndsc a r e s st h e e;
Thyc o mr a del e tmebe ‑ ( l l . 1 ‑ 4 ,9 ‑ 1 2,2 3‑ 2 6 ) 従 って Emi l y に とって 自然がいかなる意味を もっていたかを探 るためには
まずは 「 大地」 と Emi l y との関係についてみてい くべ きであろ う。 また, この詩 には 「 わた しの風」( 「 わた し」 とは 「 大地」の ことであ ろ う) と,
「 大地に似た天」 とい うことばがみ られるが, この ことは , 「 大地」 と共 に頻 出 し , 「 大地」 と共 に うたあれ ることの多い 「 風」 と 「 天」が 「 大地」 と密 接なつなが りをもつ ことを示唆 している。従 って次 に ,Emi l y と自然の関係
方を見てゆきたい。
Emi l y が Ha wa r t h の荒野を,夏の空の輝 きを,そ して ヒースの原 を吹 き
渡 る風をこの上な く愛 した ことは詩を読んです ぐに気づ くことである。確 か
に ,Emi l y の詩 ( No.2 ) には慈愛の雨によって芽がふ くらみ,のびやかな
風によって生命を与 えられ花開いた ̀ go l de nRo we r s ' ( l l . 1 8 ) が澄み きった空
か らさす太陽の下で輝 く様が うたわれている。 しか し,一方では,咲いてい
た花々 も枯れ朽ちてゆき,金色に輝いていた光 も薄れ太陽は冷たい光 をわび
しい空か ら落 し,大地は緑の衣を失い, きらめ く流れにはった氷は陰 うつな
影を投げかける, とい うように時の移 り変 りと変容する自然を嘆 く詩,ある
いは母なる 「 大地」が生み育てたその子等を冷た き胸に葬 るといった 自然の
中の 「 死」を うたった詩 ( No .1 4 9 ) もあ り,む しろ,後者の詩にみ られる,
Emi l y の失われた自然の輝 きへの激越 なる嘆 きの感情を通 して, 自然への愛
着の烈 しさを一層強 く読者は印象づ けられ る。 自然の栄光を称 える詩 もない わ けではないが,その よ うな詩において も失われた ものへの ノスタルジアが 常 につ きま とっている。それは虚妄 なる自然への憤 りと悲嘆 の ことは となっ て詩の中で烈 しく燃 えあがる。 なぜ風 と戯れていた草花 は散 り,小鳥達は姿 を消 して しま うのか, なぜ うたいさざめ く流れは冷たい白い世界 に うず もれ 沈黙 して しま うのか, といった 自然の歓 びのはかなさ, 自然 の輝 きの移 ろい やす さを嘆 く声 は Emi l y の詩 のいた る ところか ら聞 こえて くる。 この よ う に変容す る自然 の現実に詩人 は目覚め, さらに,かつて詩人 の心 に働 きかけ, 空想や霊感 を刺激す る力を もっていた 「 大地」がその力を失 いかけているこ
とに気づ くのであるが,その時,詩人の悲嘆 は一層深刻化す る 。Emi l y の 自 然への情熱の源 は自然そのものの輝 き‑の ノスタルク7にのみあ るのではな く,その輝 きが誘 い出す夢 に こそ あ る と言 えるだ ろ う。かつて ( 1 8 3 7 年 8 月)詩人 は,夏 の 日の夕暮れ,その神々 しい一刻 が魂の うちの想いをあふれ させ,厳 そかな歓 びでみたす ことを うた った ( No .2 7 の詩)が,後 に 1 8 4 0 年 4 月に書かれた詩 ( No.1 3 5 ) では次 のよ うに,朝 の陽 の光 も 「 幻」を描
き出 さない とうた うよ うになる。
Be s i de s ,t hemi s ti sha l fdr a wn;
Theba r r e nmo un t ai n・ s i d el i e sba r e;
Ands u ns hi nea nda waki ngmo m
Pai ntnomo r ego l de nvi s i o nst he r e . ( l l .5 ‑ 8 )
この詩は悲 しみ に疲れはてた 「 私」が恋人の死の床で涙を流す とい う内容 に なっているが, この詩 と , 「た った一つ の本 当の悲 しみ」が ̀ t he gl o r y o f s ky'( No. 1 8 5 , 1 . 5 ) を奪 った とうたわれている詩 は, 自然の輝 きやその輝 き が導 く 「 幻」や夢は,現実の悲 しみに囚われ る時その力を弱め るとい うこと を示唆 している。 自然の不可思議 な力が弱体化 した背景には ,Emi l y 自身の 不幸 な人生体験 に基づ く悲観的人生観 と,そのよ うな人生観 を反映 した 自然 観 が あ る と思 わ れ る。一部 で は あ るが次 に引用 す る詩 ( No. 1 3 6 ) は,
3 4
Emi l y の他の多くの詩 と同様,物語の内容 と自然現象 とが判別 し難 い程重な りあってお り ,Emi l y が人生を見 る目で自然を見ていることを示す詩である。
Ⅰ ' l lno twe e p, b e c au s et hes umme r ' sgl o r y/Mus ta l wa yse n di ngl oo m ; ( l l . 5 ‑ 6) とい う詩句の後に ,An d,f o l l o w o u tt h eha ppi e s ts t o r y/I tc l o s e s wi t ht o mb! ( l l . 7 ‑ 8 ) とい う表現が続 くのであるが , 「 夏の輝 き」が失われる
とい う自然の理 と , 「 幸福 な物語」が墓で幕を閉 じるとい う人間の運命 とが 同次元で扱われてお り ,Emi l y が時 と死 とい う視点か ら人生 も自然 もみてい ることを物語 る詩である。人生の歓 びのはかな さを知 った Emi l y に自然は 同 じように微笑む ことはな くなる。今や Emi l y に とって朝の太陽の輝 きも やがてせ まりくる闇によって薄れゆ くものにすぎない。 このよ うに自然を視 る時, 自然の もつ魔力は効力を失 って しま う。従 って, 自然が夢や幻を導 く 力を喪失 した とい う嘆 きは,む しろ,夢想す る主体 であ る Emi l y 自身が, 現実に縛 られ ることによって夢見 る力を失った ことへの嘆 きであると読む こ
とがで きよう。
人生における挫折 と失望は,̀ … Ⅰ ' ve s hu nne d s o l o ng / Yo urge n t l e g r e e t i n g, e a r t ha n da irl /( No. 1 0 3 , l l . 6 ‑ 7 ) とうたわれているように ,Em i l y と自然,従 って夢 との関係 を余所余所 しい ものに変 え る。子供 時代 か ら Emi l y と自然 との間にあった ̀ s ympa t hy'( No.1 0 1 , 1 .l l ) は失われつつある
ことを詩人は次のように うたっている。
Ma yf lO we r sa r eo p e ni n g Andl e a v e su nf o l di n 岳f r e e;
The r ea r ebe e si ne ve r ybl o s s o m Andbi r d s ro ne ve r yt r e e .
Thes uni sgl a dl ys hi ni n g ,
Thes t r e a m s i n gsme r r i l y ,
AndIo n l ya m pi ni n g
An da l li sda r kt ome .
Oc o l d,c o l di smyhe a r t ! I twi l lno t ,c a nno tr is e; , I tf e e l snos y ma t h y
Wi t ht ho s er e f ul g e nts ki e s . ( No .1 0 1 ,l l .1 ‑ 1 2 )
花やみつばちや,小鳥や小川が喜 びに目ざめ躍動 しているのに,その歓喜を 一体 となって味わ うことがで きない 「 わた し」の冷た く暗い心,喜びを失い 惟粋 した心は,死の休息を求め Iwi s ht heda mp e a r t hc o v e r e d /Thi s d e s ol a t ebr e a s t .( l l .1 5 ‑ 1 6 ) と悲痛な願いを洩 らす。 自然の輝 き,歓び,・ に
自然に隔けこむ ことがで きない心境を訴 える詩 はこの詩だけに限 らない。現 実を意識す る心が自然の呪文を解 き夢を破 って しまった時,子供 の頃か らの 自然 との一体感が失われてしまい, 自然 との間に埋めることので きない距離 をつ くったためであろ う。
̀ Sympa t h y' が失われた と述べたが,喜びが絶 え,暗 く陰 うつ な心,荒涼 とした寂 しき胸 には,輝 く空や光 あふれる大地 といった喜びに光輝 き,踊 り ださんはか りの自然は似つかわ しくはな く,む しろ, ものいわぬ死者が横た わるじめ じめ した大地 こそふ さわ しく ,Emi l y の詩 において 自然を形容する
ことば として頻出する ̀ dr e a r ' な自然 こそ共感で きるものであった と言えよう。
また,悲 しみに囚われ,やつれはてた心が激 しい歓びよ りも休息を求め るこ
とは, ̀ Il o ve dt hep l a s hi n go ft hes ur ge , / Thec ha ngi n ghe av e n, t hebr e e z y
we a t he r ,/Mo r et ha ns mo o t hs e a sa ndc l o u dl e s ss ki e s/An ds o l e mn ,
s o o t hi ng,s o f t e ne dai r s/…No wIf e e l/Whe r es i l e nc ed we l l si ss we e t e r
f a r/Tha nl a u ghi n gmi r t h' smo s tj o yo u ss we l l '( No. 9 3 , 1 . 3 ‑ 6, 9 ‑ l l ) とう
たわれていることか らも読み とることがで きる。 この よ うに , イ雲が乱 れ風
が騒 ぐ空」や 「 波涛の激動」を愛 し,そのような自然に純粋 なる歓喜をおぼ
えた Emi l y ではあ ったが,今や詩人 の心 は,笑い さざめ く感動の うね りで
はなく,静寂なる心 と共鳴す る自然へ と傾斜 してゆ く。人生の蹟 きを知 った 詩人には昼輝 く太陽は, ぎらぎらと照 りつける情容赦ない非情な光で しかな く,その心は 「 大地」の与 えるきらめ くような激 しい歓 びよ りもや さしい休 息を求めて夜へ と向か う。銀色の光をや さしく放つ月は,悲 しみに傷ついた 心を慰め,昼の現実の重い衣を脱 ぎ捨て明 るく美 しい 「 夢」を見 よと誘いか ける。( その夢 もやがて しのび寄 る現実 にもろ くも消え去 ることになるのだ が。 )
これ まで見てきたように,詩人の心の色合の変化に伴 って求める自然の色 調 も変 るわけであるが,その心は締め と愛着 との間をたえず揺れ動 くため, 自然 も微妙 な光 と影の模様を映 し出す ことになる。「 静寂」の中に歓 びを見 出 した ことを うた った詩についてはすでにふれたが,その詩の中に ̀ Ye tmy he a r tl o vesDe c e mbe r ' ss mi l e/Asmuc hasJul y' sgo l de nbe a m ;( l l . 3 0 ‑ 31 ) とい う表現がある。 この詩では 「 十二月の微笑をも愛す」 となってい るが,
「 十二月の微笑」への思慕 とい うよ りはむ しろ,七月の季節が与 える歓喜へ の Emi l y の強い憧 れを読者は印象づけられ る。なぜなら, この ̀ De c e mbe r ' s s mi l e ' への思慕の情 は, くる夜 も1 くる夜 も雪が丘を包み風が荒ぶ る戦 いをお こす現実の光景に,夢想が障げ られることを予感 した 「 わた し」 自身が,枯 れた草の中ですみれがひっそ りと咲 くとい う光景を想い描 こ うとして思い と
どまるとい う状況の中で述べ られてお り,輝やか しい季節において, より強 力に作用す る夢見 る力への憧れがそ こか ら透けてみえるからである。
以上見て きたよ うに,輝やける自然の虚妄性を知 らされた Emi l y は, し ば し見せる自然の輝 きに魅了されなが らも,その誘 いを斥 けるのであるが, か と思 うと, また激 しく執着す るといったように ,Emi l y と自然 との関係 は, Emi l y のその時々の情念や葛藤を映 し出 し,揺れ動 くのであ る。そ してさら にそれに 「 天」への憧憶が加わ ることにより,一層複雑で微妙なものになっ てゆ く。
1 8 4 1 年 5 月 1 6 日の日付のある詩において ,Emi l y は ̀ none wo ul d as k a
He a ve n/Mo r el i ket hi sEa r t ht ha nt hi n'( No.1 4 7 ,l l .2 3 ‑ 2 4 ) とうた って い るが , 「 大地」‑の愛着 と 「 天」への憧憶 を集約 してい る詩句ではないか と思 う。 この詩 の場合 は 「 大地」 と 「 天」に まつわ る Emi l y の欲 求 が 「 大 地 に似た天」 とい う概念 によって折衷 され,矛盾す ることな く取 りこまれて い るが,他 の多 くの詩 の場合 それ は Emi l y の心 を引 き裂 く 。Emi l y は一体
「 大地」 と 「 天」 とを どの ような関係 として捉 えていたので あろ うか。そ も そ も ,Emi l y に とって 「 天」 とは何 を意味す るのであろ うか。
Emi l y の詩 においては, ̀ h e a v e n' と ̀ e a r t h' は対 になってい る場合 が多 く, その場合 の ̀ he a ve n' は, 自然の天空 ,̀ t hes ky' と同義語 であ るとみなす こと がで きる。つ ま り ̀ he a ve n' は 「 大 地」 と同様 自然 その もの を意 味 し, また
「 大地」 と同様,その輝 きがや さしい想 い出 と甘い夢 を呼 び さま し,慰め と 安 らぎを与 える こともい くつ かの詩 に うたわれてい る とお りで あ る。 また
「 天」 は, ノスタル ジアをかきたてる。雪が窓格子か ら吹 き込む うす暗い牢 獄 の中で足伽 と鎖で縛 られている囚人を うた った詩 ( No .1 5 )があ り,その 囚人がわび しきをかみ しめなが ら想いをはせ るのが夏の 日の楽 しい緑 の野で あ り,切 に求めてや まないもの,それが ̀ al a n ds e r e ne '( No.1 5 , 1 .4 6 . ) と 一 t h ea r c hofhe a ve ndi vi ne ' ( 1 . 4 7 ) すなわち 「 大地」 と 「 天」である。 この 詩は Emi l y 自身が故郷をはなれ La wHi l lSc hoo l ‑赴 く直前に書かれた詩 であることを考 えると,金色の雲のゆ く澄み きった空を想 う人 は,故郷‑の 想 いを断ち切れず旅立 と うとして いる Emi l y その人 であ る と思 って よいで あろ う。そ の よ うな想 いは No .5 5 の詩 にも うたい こまれている。夏 の夕暮 れ,雲 に覆われ ることな く太陽は輝 き,夏の ̀ he a ve ndi vi ne ' ( 1 .6 ) をす ぎて ゆ く。薄明 の影 は濃 くな り,星々がその青 さを深めてゆ く。 はるか遠 くはな れた荒野で 「 私」 は ̀ t ha ts o l e mns ky' ( 1 .1 2 ) を悲 し くみつめた とい う内容 にな ってい るが ,Nol lの詩 と同様 , 「 天」 は ̀ di vi n e ' と形容 されてお り,特 別の想 いが こめ られていることを うかがわせ る。
この ような想 いが 自然の天空の崇高 さに, さらに神秘性を加 えた イメージ
‑ と発 展 し,そのつ くられた vi s i o n に Emi l y は憧 れの気持 ちを強 めてい く ことになったのではないか と思 う。その きざしは初期の詩 ( No .2 3 ) の中に も読み とることがで きる。冥想 している時 ( 冥想 している者 が誰であ るか語 られていない) ,わ び しい静寂 か ら稲妻 がお こ り,そ の後 に起 きた こ とを Emi l y は ̀ abr e a t hi ngf r o m a bo ve ,/ Andt he nas t a ri nhe a ve nbr i g he ni ng
‑ ( l l .6 ‑ 7 ) と表現 している。 この ̀ he a ve n' は明 らかに自然の夜空 を表わ してい るが , 「 天上か らの息吹」 との関連 で読 んでゆ くと, 自然 の空 に神秘 的要素が加わることを予感 させ るものがある。
初め でna t ur e ' she a ve n' 「自然の天空 」( No .1 3 7 , 1 .1 4 ) とは異 なる抽象化 された 「 天」が うたわれたのは 1 8 4 0 年 5 月 6 日と 1 8 4 3 年 7 月 2 8 日の二つの 日 付 のあ る詩 ( No .1 3 7 ) においてである。
Tha the a v e ni sr e i g ni n gi nmyt ho u ght , Whi c hwo o da n dwa vea n de a r t hha vec a u g ht Fr o m s ki e st ha to ve r 月o w.
Tha the a v e nwhi c hmys we e tl o ve r ' sbr o w Ha swo nmet oa do r e '
Whi c hf r o m hi sbl u ee ye sbe a mi n gno w Re f le c t sas t i l li n t e ns e rg lo w
Tha nna t u r e ' she a ve nc a npo u r .
The na r tt ho uno tmygo l de nJ une Al lmi s ta ndt e mpe s tf r e e?
Ass h i ne se a r t h' ss u ni ns umme rnoo n Sohe a ve n ' ss u ns hi ne si nt he e .
( No .1 3 7 ,l l .7 ‑ 1 0 ,l l .1 1 1 1 4 ,l l .3 0 ‑ 3 3 )
これは明 らかに Go nda l に属す る詩 であ り ,A.G.A が もの淋 しい僧院の中
で浄 らかな光を求める人々に背を向け,はるかに美 しい聖堂を A. S ( Lo r d Al f r e dOfAs pi n) ‑の愛の中に見出 し , 「 わた しの楽園」( 1 . 4 5 ) をつ くるた め,永遠を求め祈 りをささげるとい うことが うたわれている 。A.G.A. の想 いに ̀ Tha the a ve n' 「あの天」 ( 1 .1 0 ) が君臨 していることが うたわれている が, この 「 天」 とは ̀ na t u r e ' she a ve n' ( 1 .1 4 ) が注 ぎ得 る、 よ りも一層烈 しい 光輝を反射する 「 天」であると言 う 。Emi l y は A. G. A. の永遠なる愛 とい う 仮想 の下 で , 「自然 の天」 とは異 な る,浄 らか に祝福 された,光 の地 ( No.
1 4 9 ) に通 じる 「 天」‑の憧憶 を うたい こんでい るよ うに思われ る。但 し,
「あなた 」( A.S. ) は 「 わが黄金の 6 月であ り」( 1 .3 0 ) , 「 大地の太陽が夏の 真昼に輝 くように天の太陽はあなたのなかに輝 く 」( l l . 3 2 ‑ 3 3 ) とい う表現や,
「あなたのなかに輝 く」太陽が軌跡をめ ぐる 「 天」 とは 「 森や海や大地があ ふれ流れる大空 ( ̀ s ki e s ' )の流れか ら捕 えた天 」( l l .8 ‑ 9 )であるとい う描写 から詩人の自然 ( の天)への愛着を読み とりうるし, また,そ うした想いを ひき摺 りなが ら新 しい 「 天」のイメージは展開 していったのではないか と思
う。 '
次に , 「 大地」 と 「 天」 との関係を Emi l y が どのよ うに捉 え詩 に うた って いるかみてみ よ う。 まず , 「 大地」 と 「 天」は暗闇 と栄光 の よ うに対立す る もの として Emi l y の詩 に登場す るが,嵐 の真夜 中,荒野の ヒースが高 く波 打ち,空に月の光 と明 る く輝 く星々があ るよ うな夜 には , 「 大地」 と 「 天」
は隔け合 うとも うたわれている 。( No .5 ) また,大地の露がその故郷である 天へ戻 るとい う内容を うたった詩 ( No . 7 8 ) もあ り,朝花の うえをさまよっ た露は初めに輝やか しい栄光があった ところ , 「 天」へ再び戻 る と述べ られ ているが,その よ うな 「 天」への Emi l y の憧れが こめ られている詩である。
Emi l y の詩 には, 「 天」の慈愛,慰め,栄光,祝福 とい うことばが 日立つが, それ らを受けるのが 「 大地」であ り , 「 大地」は 「 天」 の恵みによって潤い,
「 天」の愛によって輝 きを増すのである。「 天」が栄光の輝 きを授 けて くれる
時 , 「 夏の草が一層鮮やかな緑 に茂 り,夏の花が美 し く. 咲 き乱れ る 。 」( No.
1 6 2 l l .1 ト1 2 ) また , 「 天」 の恵み深い微笑みは 「 大地」 に光 をふ りそそ ぎ, 春の草 を美 しく緑 にそめ るばか りか,大地 の下で眠 る死者に さえ恵みをたれ るのであ る 。( No.1 5 8 ) さらに , 「自然」が 「 天」の輝 きを装 う時,不思議 な境地‑ と詩人を さそ うこともあ る 。No.1 5 3 の詩 では幻 の よ うな姿 , 「 黒 い髪」 を した 「 彼」 と,光 の髪を した 「 彼女」 を見た ことが うたわれてい る。
また No.1 7 0 の詩 では , 「 大地」が 「 天」の栄光 に包 まれ る時,神秘 な る世 界が ヴェールを脱 ぎ去 るさまが描かれている。木々が揺 れ,小鳥 は喜 びの う たを うた う夏 の午後 , 「 私」は ヒースの土手 に休み夢想 にふ けってい るOす
ると大気 のなかで 「 幾千万 の火」がち らつ くのがみ え , 「 幾千万の銀の堅琴」
があち こちに鳴 り響 くのを耳にす る。その続 きを引用 してみ よう。
Me t hou g htt heve r ybr e a t h I br e a t he d wa sf ul lo fs pa r ksdi vi ne ,
Anda l lmyhe a t he r ‑ C o uc hwa swr e a t he d Byt ha tc e l e s t i a ls hi ne .
Andwh i l et h ewi deEa r t he c ho i n gr a n g Tot he i rs t r a ngemi n s t r e l s y ,
Thel i t t l egl i t t e r i ngs pi r i t ss a ng s
Ors e e me dt os i n g,t ome: ( No.1 7 0 , l l .4 5 ‑ 5 2 )
ヒースの寝床 が 「 天上」の光輝で飾 られているよ うであ るとか,小 さな 「 精
霊たち」の不思議 な歌 にあわせて広大 なる 「 大地」が こだます る とい うよ う
に神秘 的光景 が描かれてい るが, この詩 の中で うたわれているよ うな , 「 大
地」が 「 天」の光 に よ って輝 く瞬 間 は非 常 に まれ で あ る こ とは, ̀ Shal l
Ea r t hnomo r ei s pi r et he e? I( No. 1 4 7 , 1 .1 ) とい う詩句 に代表 されるよ うな
嘆 きの うたが執粉 に うたわれていることか らも推量で きよ う。「 大地」が霊
感 を与 える力を失 って しまったのか とい う問いかけの背後 には , 「 天」の栄
光,祝福 は も うよみが えることはないのか とい う訴 えがあ る。 なぜ な ら,
Ea r t hr e s e Ⅳe snobl e s s i n g/Fo rt heu nbl e s s e dofHe a ve n!( No. 1 8 6 , l l . 3 5
‑ 3 6 ) とい う詩 句 が示唆 して い る よ うに , 「 大 地」が輝 き,夢 を誘 うのは
「 天」の祝福,愛があふれ地 に注がれ るか らであ り, しか もその 「 天」の愛 は,̀ . . . Ⅰ fhe a ve nl yl o v ebebo r n/I nt hepur el i ghtofc hi l d hoo d s ' mo r n‑'
( No. 1 4 3 , l l . 6 7 ‑ 6 8 ) とあ るよ うに , 「 子供時代の朝の清 らかな光」の中にこ そ生 まれ るのであるか ら。
以上見 て きた よ うに,詩人の中で 「 大地」‑の失望 と烈 しい愛着が交錯 し てい るが , 「 天」 につ いて も相反す る感情 と vi s i o n s があ るこ とを指摘 で き る。それは憧れ る世界である,光輝 く 「 天」 と,そ こでは ̀ a l i e n'( No.1 5 0 , 1 . 2 7 ) 「 除者」 として疎外 される見知 らぬ異国で しかない 「 天」 とい う二つの vi s i o ns である。「 天」に対す る憧憶 についてはすでに述べた とお りであ るが,
『 嵐 が 丘』 ( 1 8 4 8 ) に お い て Ca t he r i ne が死 の床 で 口 にす る ̀ t ha t g l o r i o us wo r l d' の中にもそれは現 れている
5。一方 , 「 天」は 自分の来 るべ きところで はないのではないか とい う作家の不安 もまた ,Ca t he r i n e の見た 「 天国」の 夢の中に投影 してい る。天国で ,Ca t he r i ne は ヒースの原‑帰 してほ しい と だだを こね天使達 を怒 らせて しま うのだが,詩 においては逆 の ケースが うた われている。
" Me t hou ghtt h ehe a ve n,wh e nc et ho uha s tc o me , wa sl i n ge r i ngt he r ea whi l e;
An dEar t hs e e me ds uc hana l i e nho me The ydi dno td ar et os mi l e .
Andpu r ea sno w mya n ge l ' ss o u l
〟∽ Jgot oHe a ve na ga l n. " ( No.1 5 0 , l l .2 5 ‑ 2 8 , l l .4 7 ‑ 4 8 ) これは ,1 8 4 1 年 8 月 1 7 日の日付 のあ る詩 であるが ,Ge r a l di ne の腕 に抱かれ て眠 る我 が子 は,実は 「 天」か らや って きた こと , 「 私 の天使 の魂」 は再び
̀ He a v e n' に帰 らねばならない こと, また 「 大地」 は ̀ a nal i e nho me ' に思 えた
4 2
ことな どが語 られている 。Ca t he r i ne の見た夢 と同様 ,Emi l y の帰 るべ き家, 故郷への特別な想いが映 し出されていると思 う。 この詩 は 「 天」の子供 に と
って帰 るべ き家 とい う設定になっているが,同時期に書かれた詩 ( No. 1 4 9 ) では,逆に 「 大地」の子 としての自覚が強 く打出 されている。「 天」か ら光 の子等が降 りてきて 「 大地」の子等の悲 しみを慰めるとい う内容は幾度か詩 に うたわれ,そこにも 「 天」への熱い想いが こめ られていたわけであ るが, この詩 においては ,Ea r t hwo ul dwi s hnoo t he rs p he r e/Tot a s t ehe rc up ofs u f fe r i ngsd r e a r;/Ahmo t he r ,wha ts ha l lc o mf o r tt he e/I na llt hi s bo u n dl e s smi s e r y?( l l .2 5 ‑ 2 6 ,l l .2 9 ‑ 3 0 ) とい う詩句が示す とお り , 「 天」へ の憧慣 どころかこの母 なる 「 大地」の深 き苦悩を慰め ることは 「 天」 にもで きはしない と , 「 天」の介入を毅然 として拒絶する内容 となっている。「 大地 は天界から冷やかに眼を背け」 ( 1 .2 7 ) ,一人無限の悲惨 にたえつつ もわが子 に温かな笑みをみせる。 このよ うな母 なる 「 大地」への子等の愛を 「 光 くる め く天上界」( 1 .3 5 ) です らも忘れ させ ることはで きない。 また 「 浄 らかに 祝福 された天す らも私の魂に安息をもた らす ことはできな い 」( l l . 1 3 ‑ 1 4 ) と い う。それは,母なる 「 大地」への愛のためだけではな く , 「 大地」の苦悩, 悲哀を忘れ去 ることがで きないか らで もある。そ して Emi l y は この詩 を次 のように結んでいる。
Wewo u l dno tl e a veo u rna t i veho me Fo ra n ywo r l dbe yo n dt heTo mb.
Nor a t he ro nt hyki n dl yb r e as t Le tusbel a i di nl a s t i n gr e s t;
Orwa ke nb u tt os ha r ewi t ht he e
Amu t ua li mmo r t al i t y. ( l l .4 1 ‑ 4 6 )
この 「 基の向 こうにどんな世界があろ うともわた した ち (「 大地」の子等)
は生 まれた家を決 して去 って行 きは しない。 」 とい う詩句か ら 「 天」への憧
れを読み とることはで きない。「 大地」‑の想いの深 さ,烈 しさは どこまで
も 「 天」への憧憶の念を越え,ついには憧れの芽を摘み取 って しまったので あろ うか。 この情念 は , 「 大地」‑の愛着ゆえにほ とば しるだけでな く , 「 地 上で見聞 きした悲傷 」( l l . l l ‑1 2 ) すなわち 「 大地」の苦悩 によ り深 く関わっ ていると思われ る。「 時」 と 「 死」 と 「 生」の苦悩が癒 しえぬ傷痕 を残 した と言われているが, この苦悩 の地を捨て , 「 天」‑お もむいた として,はた してそ こで本 当に安息が えられ るか とい う疑問が Emi l y の中であ ったので はないか と思 う。 ̀ Ho wc l e a rs hes hi n e s ! ' ( No. 1 5 7 ) ・ と題す る詩には悲惨 き あまる世界 の描写がみ られるが , 「 天上」にはそのよ うな世界 は一つ もない と思お う. ,「 輝やか しい天体の中の 「 天」が終 りな き年歳,終 りな き祝福 の 中を光の軌跡を動いていると思お う 」( l l . 2 2‑ 2 4 ) とい う詩句には , 「 天上」
にもそのよ うな悲 しみがない といえようかとい う懐疑 の心が こめ られている ように思えるのである。未知であるか らこそ憧れ, と同時に不安を もつわけ であ るが , 「 大地」の悲惨 なる現実を直視すればす る程 , 「 天」の vi s i o n は その暗い影を振 り払 って光輝 くことがで きなかったのではないか と思 う。 こ の詩の約 2 年前に書かれた ̀ Sha l lEa r t hnomo r e. i s p i r eThe e , ' で始 まる詩
( No.1 4 7 ) の中の,次の詩句 ‑ 「 大地に似た天を これ程気違い じみて恋 い慕 った ものはあなたの他に誰 もいない」‑ が示唆 しているよ うに,見 知 らぬ 「 天」の Vi s i o n は,輝 きを見せ る 「 大地」の イメージを永遠 とい う エ ッセンスを加 えて脹 らませたものであろ う。 しか し 「 大地」への失望を味 わい尽 した者には輝 く 「 大地」は玄コでしかな く, .苦悩 に深 くしずむ 「 大地」
こそ現実の姿であるとい う認識がめはえた とした ら,光輝 く 「 天」への懐疑
も生 じることになるであろ う。従 って,見知 らぬ世界であ る 「 天」の不確か
な祝福か ら Emi l y は目を再び 「 大地」へ と向け,そ こで , 「 不滅の生」を求
めることになったのではないかと思 う。後に,詩 ( No .1 9 0 ) の中で , 「 大地
の希望はそれ程死 にたえてはいず 」 「 天 の家 」( ̀ He a ve n' sho me ' ) はそれ程
いとお しくはなか った 。 」( 1 .1 1 1 ) と述 べるが, この 「 大地」の希望は,大
地の母の胸 を永久に流れる 「 生命の逸 りの潮 」( No.1 8 3 , 1 .1 2 ) とい う概念
の中に見 出す ことがで きる。「 大地」 とともに 「 不滅 の生 にめ ざめ よ う」
( N o. 1 4 9 , 1 .4 6 ) とうた った時,すでに , 「 大地」の隠れたる本質は半透明の ヴェールの下からおぼろげに見 え始めたのであろ う.「 天」への期待が挫折 し,再び 「 大地」への希望にすが らざるを えな くなった時 こそ , 「 大地」の 真の姿は見 え始める。「 大地」の輝 きが与 える喜びを失 った Emi l y は,やが て喜びの支 えはな くとも , 「 生命の本質」 ̀ e xi s t e n c e ' ( No. 1 8 2 . , 1 . 2 3 ) が慈み を うけ強 くは く ・くまれることを うた うようになる。そ こか ら外的自然 と自己 とは ,̀ e xi s t e n c e ' によって接点を もちはじめ る。
かつて, 目に映 る 「 大地」の美 しさ,その 「 大地」の装いの奥に何か神秘 なるものを直観 した詩人は,それを 「 天」の栄光,祝福 として うた った。 し かし,その 「 天」の栄光が顕現 しな くなった時,つま り , 「 大地」の輝 きが 消え去 り,輝 く 「 大地」 と詩人を とりまいていた夢が消 えた時,失われた も のを Emi l y は何によって取 り戻そ うとしたか。 自然の与 える歓 びのはかな さを知 った Emi l y が安 らぎをえ られ るのは,夜 の静寂 さの中であ り,そ こ で現実の重圧から解放 された夢想は自由に空間を飛びまわ るのである。 また こうした夜の孤独の隈想の時は ,Emi l y の内的世界への扉を開放 し,灰暗い 領域へ,そ してさらに奥の闇黒の世界‑ と誘いこんでいった と思われ る。そ の誘惑者は 「 風」であった。
Emi l y に とって 「 風」が単なる自然現象にす ぎないものでなかった ことは 明 らかである。それ どころか , 「 風」は自然 とその現象の奥深 きところに隠 れている自然の本質 とを結ぶ位置を占めている。「 風」によって空想 が刺激 され,あるいは霊感が満ちて くることは再三詩に うたわれているとお りであ る。特に夜の風は静寂 さをいや増 し, 日常的感覚,現実意識を剥 ぎとり,夢 見 る人を院想の淵へ沈め る,そ してさらにそ こか ら自然のみえざるところへ と誘 う力を もつ 。Emi l y がひたす ら待 ち望む 「 訪問者」,あるいは 「 使者」
が訪れるの もこのような晩,西風に乗 ってである。 この訪問者 との出会いを,
超 自然 との霊交であるとみることもで きよ うが,一方 ,No.1 9 0 の詩の中の,
「 眼 にみ えざるもの 」 「 隠れた るもの 」( 1 .8 1 ) が実の相を顕す とい う詩句の 意味を,眼 に映 る自然の奥に潜む本質が明 らかになる瞬間 と読む ことがで き るよ うに, 自然の神秘 との触れあいであ ると考 えることもで きよ う。頬 に触 れ,耳 に ささや き,鼻 を くす ぐり季節 を運 ぶ 「 風」,木々を揺 るが し,雲を けち らし, うな り声をあげる 「 風」 , しか しその姿 は見 えない。あ まね くゆ きわた り,生命 を吹 きこむ 「 風」。その ̀ l i f egi vi n gwi n d' は, と同時 に ̀ De a t h c o me so ne ve r ywi n d, '( No. 7 5 , 1 . 3 2 ) とい う詩句が暗示す るように生命を奪
うものであ る 。Emi l y はそのよ うな 「 風」 の仕業に自然の見 えざる姿を想い 描 き, その 「 風」. に隔けこむ ことによって 自然 の神秘を垣間見 よ うとしたの であろ う 。Emi l y は 1 8 4 1 年 7 月 6 日の日付 のある詩 において,その神秘 を ̀ A p r i nc i pl eofl i f e ' 「 生命 の原理 」( No.1 4 8 , I .1 9 ) とい うことばで表現 してい る。その詩の一部を引用 してみ よ う。
Ye s ,Ic o ul ds we a rt ha tgl o r i o u swi n d Ha ss we ptt hewo r l da s i de ,
Ha sda s he di t sme mo r yf r o m t hymi nd Li kef oa m‑ be l l sf r o m t het i de‑
Andt ho ua r tno w as pi r i tpo u r i n g Thyp r e s e n c ei nt oa l l‑
Thee s s e nc eoft heTe mpe s t ' sr o a r l n g Andoft heTe mp e s t ' sf a l l ‑
Au ni ve r s a li nf lu e nc e
Fr o m Thi neo wni nf lu e nc ef r e e;
・ ・A Pr i nc i pl eofl i f e ,i nt e ns e ,
Lo s tt omo r t al i t y . ( l l .9 ‑ 2 0 )
嵐 は, まどろむ人 を揺 り動か し神秘の世界‑ と誘 うのである。その 「 栄光あ
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る風 」( 1 .9 ) は世界を吹 きとは し,その記憶をも消 し去 って しま う。世界 が 消え,す なわ ち , 「 大地」 も 「 天」 も 「月」 も 「 星々」 もあ らゆ るものが消 えた とき,初めて現象 とい う装いの下に隠 されていた真実がみえて くる。そ れが 「 嵐の怒号の,嵐の襲来の精髄 」′ ( l l .1 5 ‑ 1 6 ) であ り , 「 あ らゆるものに 存在 をそそぎこむ精霊 」( 1 .1 3)であ り 「 生命 の原理」である。限 ざめた人 は突然おこりくる嵐 と溶けあい,それ らを感受 しようとす る。嵐が叫び狂 い, 木々を押 し倒 してゆ く。そ うした激 しい動 き,変化の奥底 に静かに じっと動 かず,永遠に変 らないものがあることを Emi l y は知 ったのである。「 不滅 の 不動 なる岩」の如 く決 して破壊 されず に在 り続 けるもの,それが後 に 「 実 在 」 , 「 息吹」 とい うことばで表わ され る i de a へ と発展 した原理ではなかろ
うか。
Emi l y は自然 と一体感で結ばれていた子供時代 に, 自然の中に 「 天」の栄 光が輝 くのを見た。 また 自然が輝 く時 , 「 幻」が現われることも詩 に うたわ れている。 この 「 文才 」あ るいは 「 精霊」は現象 としての 自然の背後 に潜 む
「 実在」を意味するのではないか と思 う 。Emi l y はその 「あ らゆるものに存 在を注ぎこむ精霊 」( l l . 1 3 ‑ 1 4 ) が どこか ら訪れ るのかを突 き止めよ うとして, 光輝 く 「 天」やその光 を まと う 「 大地」や 「 大空 」 ,そ して 「 地獄」 に至 る まであらゆるところを探 し求めるが,その果てしない探求はすべて水泡 に帰 す。その時,初 めて Emi l y は翻 って 自己の 「内なる世界」へ と目を向け る
ことになったのだと思われる 。Emi l y は ̀ Soho pe l e s si st hewo r l dwi t ho ut ,/
Th ewo r l dwi t hi nIdo u bl ypr i z e;( No.1 7 4 ,l l .7 ‑ 8 ) と述べている。
このよ うに 「 外的世界」に絶望 した Emi l y は 「内な る世界」に望みをつ なぐわけであるが,そ こでは, ̀ Weho l dabr i ghtu ns ul l i e ds ky ,/ Wa r m wi t ht e nt ho u s a n dmi n gl e dr a ys/O fs umst ha tkno wnowi nt e rda ys?( No.
1 7 4 , l l .1 6 ‑ 1 8 ) とうたわれているよ うに,冬 の日を知 ることのない太陽の光
が満ちあふれ,生命は春の輝 きを取 り戻すのである。 このよ うに外的世界 に
希望を見失 った後 も , 「 内なる世界」で求め ようとした ものは永遠 な る自然
であ ったわ けであるが, この永遠 の Vi s i on は理性 の声 に障 げ られなが らも Emi l y の心の内の世界の探求 と共に深 まっていった と思われ る。外的世界か ら 「内なる世界」へ と目を転 じた時, これ まで見 ることので きなかった もの が見 え始め る。「内なる世界」へ と降下す ることによって 「 外的感覚 」( No.
1 9 0 , 1 .8 2 ) の拘束か ら解放 され, 自由になった時 ,Emi l y は異なる視点を獲 得す ることになった と思われる。すなわち ̀ myi nwa r de s s e nc e '( No.1 9 0 ,1 . 8 2 ) によって世界 を見 ることがで きた とき , 「 眼にみえざるもの」が姿を顕
し, これまでみ ることができなかった もの,永遠‑ と通 じる自然の本質が見 え始 めた と言 え よ う。 これが 「 生命 の本 質」で あ り, この永遠 の生命 の vi s i o n は,外的世界において,死 と滅亡の現象に捕われている者 によって青 くまれ るものではな く , 「内なる世界」で こそ発展す る vi s i on であったわけ である。
「内なる世界」について うたった後の詩 において ,Emi l y は,時 と死が支 配す る墓のよ うな世界で歓 びも地中に葬 られて しまって も,そ こには ̀ e xi s t ‑ e nc e' が慈みを うけること ( No.1 8 2 ) や,母なる 「 大地」が永遠 に尽 きるこ
とのない 「 生命 の泉」を養 うこと ( No.1 8 3 ) な どを うた うようになる。 こ のことか らも ,Emi l y が,あらゆる現象の奥にか くれている真理,永遠の生 命の原理に目覚め,探求 しつつあることがわかる 。Emi l y は ,No.1 8 8 の詩 において 「 未知の永遠の深 きところに 」( 1 .3 4 ) ̀ wh a ti st ob e ' 「あるべ きも の 」( 1 .3 6 ) を心に求めさせよ うとうたっているが, これが ̀ Be i ng'( No.1 91 , 1 .2 7 ) あるいは 「 我が内なる神」‑ と発展 してい く概念であろ う。 この詩の 中で 「あなたには今だに何 と大地 は美 しいのだろ う 」( 1 .1 ) 「 春があなたに まだ栄光をもた らし,夏は 1 2 月の陰 うつな時を忘れさせ る 」( l l . 5 ‑ 6) とうた われているが ,Emi l y は,一方で, この世の喜びは常に包槌せるとも言 う。
たとえ春の輝 きが栄光 をもた らそ うと,それは自然の美 しい姿の奥 により輝
やかしい 「 実在」を求めようとす る者に とって歓びとはならない。それが真
の光の輝 きの単 なる美 しい装 い,あるいは影 にす ぎない ことを,すでに,
「 生命の本質 」( No.1 8 2 ) に日ざめ始め,生 と死の円環の中に永遠の Vi s i o n を見た ( N o . 1 8 3 )Emi l y は知 っていたか らである。
自然界の複雑で微妙な諸々の現象に惑わ されず,あるいは心掻 き乱 され る ことな く,真実を見 ることがで きるのは ,Emi l y 自身の 「内なる世界」にお いてであった。そして自己の 「内なる世界」の深部へ と限 りな く近づ くこと によって滅 びやすい肉体 とい う外的 自然 に通 じるものではな く,永遠 なる自 然へ と通 じる 「 生命」を感 じることがで きたわけである。従 って内側 か ら自 然の限界を超 えた とい うより,内側から,限定 された自然の ヴェールの下 に 隠 されていた自然の 丁実在」 ,永遠なる 「 生命 の原理」を掘 りお こした と言 える。 この 「 実在」の中には,あ らゆる存在 , 「 大空」や 「 大地」や 「月」
や 「 太陽」が存在す るとい う。あらゆる存在を含む 「 実在」が 「 わた し」の 中にあ り , 「 わた し」 はそ の 「 実在」の 中にい る とい う , 「 わた し」 と 「 実 在」 との絶対矛盾の関係は,究極的には 「内」 と 「 外」 とが同一であ ること を示唆 している 。Emi l y は, 自己の内奥 に秘め られていた 「 生命 の原理」を 発見す ることによって,内なる自然 と外的 自然 との間にあった障壁が消え,
自然が 「 生命」において一つになることを認識 した と思われ る。
以上見て きたように, 自然の神秘は, 自己 とい う自然の内奥の世界 に光 を あてることによって解明 されることになったわ けであ る。 しか し , 「内な る 世界」で発見 した ものは, 自然の本質で もあ り, また自己の本質で もあった と思 う。なぜ な ら, ̀ Be i ng' 「 実在」あ るいは 「 我が胸 の内 なる神」 とは 自 己の存在 の核であ り精髄であるか らであ る。「 わが胸の内なる神」を うた っ た詩 ( No.1 9 1 ) 紘, 自己の内なる未知の存在, 自己の内に在 って 自己を越 えた存在を発見することによってあらゆる存在, 自然のすべてを知 ることが で きるとい うことも示唆 している。「自己の内なる精髄」が感 じる時初めて
「 眼にみえざるもの」が真実の相を顕す と No.1 9 0 の詩に うたわれているよ
うに, 自己の存在が明 らかになるにつれ, 自然はしだいにその実体をあらわ
す 。Emi l y にとって自然は自分を映 し出す鏡のようである。たえず変化 して
やまない自然は, 自己の存在の最 も奥深いところで全体性を獲得 し, ここに 至 って初めて真に自己 と世界,あるいは宇宙 は一つに隔けあ うことがで きる
とい う Emi l y の認識を 「 我が胸の内なる神」の詩は物語 っている0
注