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関 東 取 締 出 役 との情 報 交 換 の 実 態 と特 質

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Academic year: 2021

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(1)

天保 期 にお け る寄場 組 合 村 大 惣 代 と関 東 取 締 出 役 との情 報 交 換 の 実 態 と特 質

天 保 期 に お け る 寄 場 組 合 村 大 惣 代 と

関 東 取 締 出 役 と の 情 報 交 換 の 実 態 と 特 質

一はじめに

武 州 足 立 郡 新 染 谷 村 守 富 家 文 書 か ら

田 み ゆ き

寄場墾口村および関東取締出役についての罷・性格については︑既に多あ研究藪祝・しかしながら・関東取締出役と村とのかかわりの中で︑特に組ムロ村惣代とどのような関係にあったのか︑組合村惣袋どのように出役の業務に対応したのかなど︑いまだに詳細が不明な点が多い︒本稿では︑従来の研究ではその実撃+分には明らかにされていない︑関東取締出役と寄場組合の惣代との情報交換の実態と特質について検討するものである・

論で検討する史料は︑大門宿寄場組△・の大惣代守蘂姪された︑昊保三年六月御取締向内密御用状控帳Lである..︑の史料は︑天保三震九月から天保八年酉七月までの関東取締出役と組合村大惣代書家との間で極秘に

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(2)

交わされた御用状の内容を記録したものであり︑出役から惣代に宛て窒日状と︑惣代から出役に宛てた童日状の両方が

記録されている・この史料を﹁情報﹂という視点から検討することによって︑組ムロ村大惣代とい,つ立場における村落

上層民の位置や籍を︑関東取締出役との関係性にお婁明らかにする.﹂とができる.しかもそれぞれの活動の実態

と特質を村方の側から具体的に知ることができるのである︒

以上の視点に基づき・二では両者の間で︑どのような内容の情報のやりとりがあったのかとい.つ.﹂とについてその

実態を明らかにしたい・三では・情報交換の実態を差出人と宛名の関係に注目し︑関東取締出役と大惣代との関係性

についてその特徴を検討してみたい.四では︑出役・惣代それぞれについて情報収集.交換の特質について明らかに

し・なぜ守富家が惣代に港れたのかとい・つ問題も含めて︑惣代である村董層民の性格について考えてみたい.

二 ﹁御 取 締 向 内 密 御 用 状 控 帳 ﹂ の 内 容 に つ い て

この詞取締向内密御用状控帳Lには︑天保三年から八年の約五年間に︑関東取締出役と大門宿組ム.村大惣代竃畠

家とのあいだで交わされた六三通の御用状の記禁ある.このうち関東取締出役から惣代に宛てたものが三九通︑大

惣代から出役に宛てたものが西通︑惣代から他組合の惣代に宛てたものが一通︑そのほか宛名.琵人が不明また

は記録として残されているのが九通である.また︑書状からわかる翻内で︑.﹂の五年間に出役叢り扱った問題は︑

=件であり・その内容はギ)改革筋取締強化に関する通達︑(2)加持祈濤.狐遣いの取締︑(3)芝居興行に

関する取締(4)無宿・悪党の取調︑(5)押し込み強盗の取調︑(6)親不孝者の取調︑(7)欠け落ち者の取調︑

(8)金讐借に関する取調(9)酒造関係の取締︑(m)鯉餌刺不法の探索︑(u)用水並.請の不正取調︑に大き

(3)

天保 期 にお け る醐 組 合 村 大 惣 代 と関 東 取 締 出 役 との情 ,換 の 実 態 と特 質

と.︑ろで︑関東取締出役の取締の内容については︑文政+年に︑幕府は関東取締出役を通じて四︒力条を組合村々に通達しているが︑それについては大口勇次郎氏によって①悪党・無宿人の播︑②村落内の風紀取締と倹約奨励・具体的には芝居.相撲などの興行の暴︑祭礼の肇化︑③村方商人の把握・統制・嵩余業の調査④職人手間賃.旅籠代抑制などの経済統制の四つにその活動内容が要約されている.また天保四年には・褒防止や米価抑制などの毅対策にも関東取締出役藻幽わっていたこと︑さらに天保七年には既に物価・囲米・酒造制限・幕府河川並.請の監察︑鉄砲改めなどが新たに関東取締出役の霧に加えられていたこと藷されて転説・本稿の史料によると・

文政+年の仰せ渡しに該当するものは︑次にみる内容の(‑)(3)(4)(5)(6)(7)(n)であり・(9)についても天保期には取締の対象となっている.﹂とが知られている.だが︑(2)の加持祈薦・狐遣いの取締・(8)の貸金に関する取調については新たに確認される内容であろう︒もっとも(8)については後述のごとく出役自身は自らの業務ではないと断ってはいるが︑村の方から出役に対して調査依頼があったことが確認されるのである・以下︑表‑を参照しながら(・)から(U)まで︑それぞれについて内容を検討してみたい・

(1)改革筋取締強化に関する通達.︑れは︑天保三年六月二+七日付で関叢締出役吉田左五郎から大門宿組合大惣代新染谷村勇左衛門●同鐙野村義七.岩槻墾.大惣代小深作村儀兵衛の三人に宛てて出された書状である.これによると近年村役人のもので﹁改革筋﹂を守らないものが増加し︑﹁其筋﹂からそのような村役人たちを取り締まるようにとの命令があったこと・このよ,つな命令が出るとい.つ.﹂とは︑荷方6欲申立候向有之L︑自分たちは羽生領あたりのものではないかと見込んで・内々に調べてみると特に問題はないよ・つである.もし︑﹁近村村々役人共6内々たり共申立候哉之風聞も有之候哉得与内々相探﹂り︑宥無急継早々被申越候様Lと依頼したのである.また︑この調査は・﹁呉々も馨探与被相心得﹂る

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(4)

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(5)

天 保 期 に お け る寄場 組 合 村 大 惣 代 と関 東 取 締 出役 との情 報 交換 の 実 態 と特 質

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151

(6)

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締向内密御用状控帳Lが︑この天保三年六月の蓬から記録が開始されていることは︑この取締強化をきっかけにし

て記録が開始された可能性があることを示している︒

(2)加持祈薦・狐遣いの取締

狐遣い・加持祈疇など民衆の心を惑わすものとして︑取締の対象となったものについては非常に多く︑西通七件

の記撃ある・これらは当時の富士講・御嶽山講などの庶民信仰の流行を北目景とするものであるが︑その信仰そのも

の叢締の対象になったのではなく︑講中と称して狐を遣い村人をだますものの存在が取締の対象になっている点は

注意を要する︒いくつかの特徴的な事例をあげて検討してみたい︒

まず天保三辰年豊郡下赤塚村御嶽山講中狐遣いの探索に関する一件についてみてみたい.天保三年±月に寺社

奉行土井大炊頭の下知により関東取締出役から惣代に対して次のような通達が出されている.すなわち︑武州豊島郡︑

足立郡あたりにおいて信州御嶽山講中と・万して加持篇をしている修験あるいは俗人が数人いて︑特に豊島郡下赤塚

村真言宗泉福寺・同郡土畜村本山修墾薩・下赤塚村新平坊・同村源之助方.両居医師文房等の四名は︑尾崎狐

を遣い人心を惑わしているという風聞がある.従って︑密かに探索し︑﹁狐ヲ遣候もの難相違御吟味御手掛り可相

成 程 之 儀 有 之 も の ハ 勿 論 仮 令 狐 ヲ 遣 候 由 ハ 不 取 撰  候 共 御 嶽 山 先 達 与 ︒舞 講 中 杯 取 立 簸 祈 嚢 し 候 も の 其 外 俗

人二而修験同様加持致候段無相違相聞候ものハ召捕相成候﹂というものである︒

また・同じく閏+百二+吾付の出役から勇左衛門宛ての御用状によると︑風聞の探索については︑豊島郡下赤

塚村.川︒巌あたりは板橋宿問屋市右衛門がおフ﹂なうので︑足立郡岩槻.中山道筋については勇左衛門方で探索す

るように・また召取は惣代のほうでやるよ・つにといってきている︒このよう繰索の範囲が出役によって設定されて

(7)

隔るのであるが︑惣代たちの担当藷は自分たちの組合内部に収まらず︑かなりの広範囲にわたっていたことがうか

カ︒える.閏±月二+育には,︑の出役からの依頼に基づき︑岩槻宿御用先にい薪染谷村名主勇左衛門から吉田左五郎に宛てて︑探索を承知する内容の書状が出されている︒

纈 ま た ︑ 天 保 七 申 年 九 月 武 州 足 立 郡 立 野 村 氷 川 明 神 前 本 山 修 験 光 明 院 襲 狐 付 に 関 す る 件 は ・ 寺 社 奉 行 間 部 下 総 守 か 膿 雛 鰹 謙 鍵 離 繕繕 辮 嚢 繋

切祈薦をおワ﹂ない︑憂は治ったのであるが︑また零なったので再び襲に祈攣頼んだところ・多美が襲に狐を

欝 欝 麟 難 鱗 雛蕪 難    蕪 磁 繍 難 鷺 羅灘 懸 講

驚 馨 墜 麟 舞 縣 筋縫 鰭 懸 諜 縫 御肋 灘 馳  轍 酔

,﹂の士口祥院も狐を遣︒つと?つ風票ある.従って︑早々に吉祥院の行状を探索し申し出よ・とい︾つものである・この

(8)

翻 雛 塑 鶴 綴 鷲 肋懸 縫 轡 誕 評酔 悔激 賑 諒

索 を 開 始 し 三 + 四 日 に は 小 池 三 助 に 宛 て て ︑ 村 継 ぎ 片 柳 夫 亭 与 緊 引 ¥ 清 ぞ 府 中 の 経 路 で 次 の よ .つ な 墾 口

をおこなっている・この勇左衛門の報告によると︑吉祥院は︑行状はよろしくないが狐遣いの風聞は全くないとして

いる・また大蔵院御糺中であるため・取りあ・手急いで墾・をしたともいっている.この墾口に対して出役士口田左五

郎から勇左衛門に宛てて三日後の二+七日に礼状を出しているが︑.﹂れをみると︑後述の競﹂とく︑出役は︑満帽

組合だけでなく・鳩ヶ谷組合の方にも同様の探索命令を出し︑両者の情報を照△口した,つ.えで判断していたことカわカ

る︒

(3)芝居興行に関する取締

一通のみの記藝ある・まず辰八月+吾に︑上州新田郡木崎宿御用先の士.田左五郎から大惣代

勇左衛門義七.城兵衛の三名に宛てて︑﹁吉五郎摺りもの﹂に関する問いムロわせの御用状が出されている.問いム.

わせの内容は・岩槻において吉五郎の浄瑠璃興行の摺りものを内々に受け取ったところ︑士口五郎の興行がお.︑なわれ

るのが土岐豊前守知行所とのみ記藝あり︑どこの村かが不明である.そこで﹁其筋﹂に問いムロわせたと.﹂ろ︑土岐

豊前守知行所は上高野村であり︑吉五郎が実際に興行をおこなっている村は王.同野村であるとい,つことであった.昆

の件についていまだはっきりしないので︑摺りものに記警れているよ・つに士口五郎の興行が豊剛守知行所で間違いカ

ないかどうか・それとも実は下高野村であり︑道々下高野村.前島太郎左衛盟目沼又兵衛知行二相聞右知行内々士口五

郎二候哉呉々も突舅頼入候Lとして﹁内糺﹂をして墾口をしてほしいと依頼している.

この依頼に対して・四日後の八月+九日︑新染谷村勇左衛門・小深作村城兵衛から上州新田郡木崎宿辺御用先士︑田

左五郎に宛てて報告書が提出されている.勇左衛門らの調査によると︑士口五郎とい・つ名のものは見あたらず︑出晶士口と

154

団臣咽

… 曲脳榊  

(9)

い.つ浄瑠璃語りの名があげられている.また土岐豊前守知行所上高野村は特に関わり△・いは見あたらず・吉五郎の件と富士口との件は別件の可能性があるので︑もしそうであるならばまた沙汰をまって調査をするといってきている・報

質出口に対して出役士口田左五郎より九月百に勇左衛門・城兵衛に返事が来ている.すなわち・最初の吉五郎摺りも2

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骸(4)無宿者や悪党に関する調査

鵬.︑れは︑当初から関東取締出役の取締霧であったもので・本史料でも最も記載の数が多く・三二通の御用状が記

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鰍かった.﹂とがよくわかる..﹂れらの・つち?つかの特徴的な事件について検討してみたい・

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(10)

てくれたことへのお礼・西村両人を見付け次第逮捕する件などを伝えている.翌二+吉に士口田奎郎からの返童爵が

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いつも容疑者を見張っており・逐喬報を伝・えていたことを予測させる..﹂の墾口に対して即日︑上尾にいた士口田か

ら岩槻出張先の勇左衛門長事が出されている.これによると吉田左五郎は︑大宮にいてコ両旱逗留内調箸

之Lと多忙であり・この件について当分手がつけられないようであるならば︑後日直接とりかかるが︑四︑吾中に

解決しそうであるならばまた知らせるようにといってきている︒

ついで辰+二月三日・上尾から大宮に回った吉田から勇左衛門へ書状が届いた.それによると︑大宮での調べもの

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此上御取計頼入候﹂と頼んでいる・また︑﹁同勢衆へよろし≦とあるよ・つに︑勇左衛門の仲間に対する配慮も忘れ

ていない・このように出役たちも多忙でなかなか逮捕の段取りがつけられない状況であった.その後巳八月二+二日

の勇左衛門からの書状によると・まだはっきりとはしていないが松五郎は既に当夏中八縛名主七左衛門方に逮捕さ

れているとの情報が入り・その件について勇左衛門から吉田の方に確認を求めている.﹂と︑またほかの二人もその.つ

ち捕まるだろうとしているが︑この時点ではまだ解決していないよ・つである︒

また・犯人逮捕の状況をよく知ることのできるものに桶川宿市切博変御手入れ一件がある.この一件については既

に播の段取りができており・辰+二月八日から+百までの記録で逮捕までの様子を・つかが.つことができる.すな

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(11)

わ ち ︑ + 二 月 合 上 藩 御 用 先 士 . 田 左 五 郎 か ら 勇 左 衛 門 に 宛 て 三 兼 々 含 之 蘂 L す な わ ち 桶 川 宿 の 市 切 墓 手 入 れ

の件について童日状があり︑勇左衛門.義七・小深作埣をはじめ岩槻の金蔵・利八両名を連れて明日頃出てこられるか

覧 騒 難 韓 鰐 鶴 鮨 し て は 記 録 に は な い が ︑ 即 日 ︑ 勇 左 衛 門 か ら 返 事 が 出 さ れ た よ ‑ で あ る . 翌

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鵬.︑れによると大惣代三名と晶かしと思われる譲・利八らのほかに﹁気点きき候もの村内二而見立﹂て連れてく

鍛るさつにとあり︑捕り物に村民が動口貝される.﹂とがあったことがわかる︒またその行動は極秘中の極秘であったこと

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大門.岩槻組ム.内悪党博打打ち.新規居酒屋営叢調内探一件は︑関東取締出役堀江与四郎が鳩ヶ谷宿旅宿におい

1S7

(12)

て・組合内で博変に携わるものま薪規に居薩を始めるものの名前︑悪事の次第を内密に調査して帳面にして差し

出すように組合惣代に申し触れた件について︑勇左衛門・城兵衛から出役に提出された承董臼︑および墾口童目である.

まず・巳八月二+六日付で勇左衛門・城丘ハ禦馨宿辺の関東取締出役堀江与四郎宛に﹁私共与A.生之内博変二携候

もの薪規居酒相始候もの共名前井悪事次第別帳之通内霜糺﹂報告している.と.﹂ろで︑九月百の勇左衛門.城

兵衛から輩宿辺御廻先河野啓助に宛てた童田状による三去月+合堀江与四郎様鳩ケ谷宿御旅宿6御呼出二付大門

宿書槻東西与合大惣代高罷出籐︑兼而御沙汰禦図被成下候通与ム︒悪もの井新規居酒屋等釜則悪事之次籍糺

可申上旨被仰濃間高内探仕候虞岩槻与ム・東西惣代之内二茂心底区々之もの有之右東組ム.二.御改革筋相背候もの

壱人も無之旨申之二付右組合悪ものハ相省±同連印二而相認メ︑碧墾口悪もの共私共与△口迫も立入難儀二付尚又別

段内糺之霜認別帳二而奉差上候二付此段合帳写ヲ以奉申上候︑且別紙悪もの共之矯召捕毒御座候ハ︑遠方二而

御 手 配 被 成 下 置 候 様 此 度 弥 御 用 弁 之 上 ハ 何 卒 岩 槻 宿 二 而 御 調 之 上 禦 立 相 成 糠 奉 願 上 候 ︑ 尤 其 節 見 知 り 人 等 之 儀 . 御

差図次第取計可申候:三とあり︑組合惣代の中にも取締に協力するものとしないものとがあり︑特に岩槻宿東組

合は・ひとりも組合内に悪者がいないように報告しているが︑実際には岩饗組ムロの悪者蔭村まで立ち入っている

事実があることを告げている・もしこれらの亜暑を逮捕する場合には︑遠方で手配をするよ・つに︑またいよいよ逮捕

の場合には岩槻宿にて調査したうえで実行してもらいたいこと︑また人見知りの場ムロには指図次第に取り計うつ.﹂と

などを申し出ている・また同じく九月百に︑本庄宿御廻先の吉田左五郎にも次のよ・つ茎日状を出している.すなわ

ち・堀江与四郎に呼び出されて悪者・新規居酒屋取締および内密探索について下知があったこと︑また河野からも内

探するように御用状がきたので・帳面に認め︑惣代七人連印をして河野を通して堀江へ写しをもっていってさしあげ

たこと・また惣代のうちには改叢締に協力的でない組合があることなどを同様に報止口している.

大宮宿組合土呂村竹割平次些件については︑六通の記録がある.天保四年巳+二月六日中山道馨宿御用先太田

(13)

天保期 における糊 組合村大惣代 と関勅 締出役 との情轍 換の実態 と特質

平助.河野啓助.士口田左五郎らから勇左衛門に宛てて大宮宿組合土呂村竹割平次郎に関する探索依頼がきている・それによると﹁.⁝:然︑大宮宿組△口土呂村異名竹割平次郎ハ百姓之身分二而当八九月中6字天王店甫所二而昼夜博変・尤村役人之内二茂両三人加り右店之儀.文政七午年中松浦伊奪殿6御呼出御吟味茂有之候由・其上当±月吉警居酒相始当月吉夜二︑大博変磐之候趣此節禦行所江捨訴致候段﹂との噂があるが・これが﹁前芝灘{相違候哉又ハ遺恨等有之もの之申触二も可有之驚与事実﹂を探り︑わかり次第報告してほしいこと・また﹁尚以店ハ何与申もの借受居住ませ候哉且地頭査付御役中︑決而御手入杯致儀護など大平ヲ申置居由・是等之当りも探り窄然遺恨等之儀も得与精々探索入念頼入候﹂と風聞の真偽の確認を依頼している.+二月九量左衛門方から探索の結果を記した御用状を出したよ・つだがその内容の記載はみられない.その返書であると思われる御用状が±日に・熊谷旅宿の出役三人から届いている..﹂れによると﹁⁝何二いたせ遺恨等・ も敢而相聞不申其元内糺之璽ハ離宜ハ元上二︑調違︑有之間敷候得共若内糺二遣ひ候もの之人物品二寄泥ミも候哉与被存候間︑ムヱ応念入手碁得与相糺委翻申馨之候様存候.⁝﹂とあり︑先の惣代の報告書と出役の探索に離がみられることから・勇左衛門が内探に使った人物に問題がないかど・つか︑ムフ夏違・つ角度で詳し森索するようにといってきている・これに対して・+二月二+三日惣代から新たな墾口と自分の聞き込みとは異なっていた件を謝罪する書状が出されている・このように・出役の方も多方面から情報を収集し︑それぞれについて厳密に吟味し︑照合し判断材料としていたことがわかる・出役と惣代との情報交換はそのためにも不可欠であったのである.その後数カ月の間この件については通信はなかったが・翌年四月二+二日︑蕨宿御用先の士口田左五郎から勇左衛門・城兵衛に宛てて片柳蒲和‑奉板橋宿継ぎで書状が伝達され︑土呂村扉の状況について問いムロわせがあり︑四月二+四日にその返事を出しているご﹂の事件は結局この時 では  していない 

ま た ︑ 以 上 の ほ か に 特 徴 的 な ⁝ と し て ︑ 事 件 を 担 当 す る 出 役 が 途 中 で 交 替 す る 事 例 が 大 芦 村 辰 垂 件 や 武 州 ㌦

(14)

玉郡慈恩寺郷百姓伊助召聖件でみられた.励

(5)

押し込み・殺人事件については︑①天保六年大間木村清次郎方押し込み夜姿件︑②天保七年大山村油屋惣右衛門

方へ押し込み一件・③同年中野村金右衛門盤・葎の三件の記藝ある.,︑れらについては︑それぞれ蓬ずつ御用

状の記録があるのみで・事件の詳程不明である.特徴的な占{をあげると︑②③については︑必ず熊士口.粕壁金蔵ら

も探索に関わりをもっている点である.確認はとれていないが︑おそを彼らは目明かしではないだろ.つか.

(6)親不孝者の取締に関するもの

これは・武州足立郡大宮宿はたこや勝蔵親不童件である.申+二月付小池三助から勇左衛門に宛てて出され茎日

状によると・鷺は・桜という飯売り女を年季があけたにもかかわらず蟹せず︑纏を加︑凡て殺してしまった.﹂と︑

奉公人に満足養事を与えていないこと︑嚢八も悪人であること︑召使いの女をいじめている.﹂となど︑七+余に

なる母がいるにもかかわらず辱ない噂があるので︑その風聞の真偽を探索するよ・つに出役から依頼があったのであ

(7)調

圓福寺役僧本端は・圓福寺後住入札の件で不届きがあ皇ハ月二日に欠け落ち逃走したため︑寺社奉行井上河内守正

春より酉六月二+九日召し讐えの下知が下りその人相書が配付された.探索の結果︑百問村西光院に隠れ住んでい

るとの情報があり・金撃突き止めたら早々に召し捕らえ通達するようにと︑同日小池三助から差衛門.山石槻宿九

郎左衛門に伝えている・また・この御用状は﹁右御用状六月廿九日申上刻磯辺出杏.小野路坂浜布田内

藤新宿板橋岩淵夫6大宮新染谷迄七月朔日丑上刻ノ相達﹂とある︒

(15)

         の  .︑れは︑金銭貸借にからむ調査の依頼である.天保四年巳八月小池三助のもとに百間中村組頭弥丘ハ璽り次のよう

質な問いム.わせがあった.﹁然︑岩摺本陣平次郎姪之由いと鍵作村名主七兵衛方藷留罷在・前条弥兵衛子細不相分塒過分之金子借用致度不法之儀申棲由ヲ以弥兵薯いと相糺呉候旙出﹂た︑すなわちいとが弥兵衛に過分の金子借

 難 灘 繕 鰯 鵬辮 講 麟 磯 醗

切の八月朔日に小池三助から小深作城兵衛・新染谷勇左衛門・本宿惣右衛門に始末を依頼したのである・

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(16)

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が本来それらを取り締まるべき立場にある組合村の大惣代であることから︑風票立った.︑とじたい放置でき噂い澗

題であったようであり・﹁篁右様風聞相⊥立候而.御取締筋御威光二も拘り何.二も難打捨次第﹂であるとしてしる

次兵衛宅も何も申し立てないので妻を突き止めることができないため︑冤角蔵之親司同士ならて.墾留閻ッ此

所弥法ヲ以内密積探事実印封御申馨之候蟻度何分御申合頼入候﹂として古二日鳩ケ谷御用先士.田左五郎から同

じ造り酒屋仲間である平岡対馬守殿智所埼玉郡樋・村名主弥市にその探索を籍している.

黙 灘 誕 雛 翫  働 難 籔 難 籍 報 糠 畷撫 擁 繋

合が取りかかることがあり・これについては吉田から勇左衛門の方に連絡がなされているのである.

結 鷹 繍 縫 馨 る 餌 刺 ど も の 職 権 乱 用 に 関 す る 取 締 で あ る ・ ま ず 西 二 月 小 池 三 助 ・ 直 原 喜 作 か ら 勇 左

天領につい衛門に出された御用状によると︑御鷹方が出先において使用する人足の扶持米の受け渡し方法について︑︑私領ではどうしているのては御鷹方から人足を出す村々に手形を渡しそれを支配役所に提出して受け取っているが

かその方法について探索すること・また御鷹方より村々獲した手形を野廻りのものが借用し扶持米を受け取って︑

その村へ扶持米を渡さないでいるものがあるとの票あり︑これらについて﹁其最寄仕来極秘相覆申聞候様致度

候 糀 寵 賜 ダ 谷 遠 江 守 か ら ﹁御 鷹 餌 差 共 関 東 内 泊 歩 行 右 御 用 之 権 威 二 而 及 不 法 且 村 方 之 あ 巷 不 法 無 之

もの二而も肇最計候事之由右風聞相糺早々可申聞事﹂との下知が下り︑それについて七月六日に︑関東取締出

(17)

役内藤篁郎から+丈村兵右衛門.元郷村三右衛門・染谷村林右衛門・企・人村吉蔵・伊興村林蔵●苗塚村作右衛門.大門宿平七.新染谷村勇左衛門.小深作村城兵衛・本宿村惣右衛門・騎西町善兵衛・窪村次兵衛.羽生町彦兵衛.

質川俣村鞍之助.袈村惣七.八甫村渡辺七左衛門.青柳村裏郎らの足立郡・埼玉郡・葛難にわたる各村々の惣代塒に宛てて御用状が内密に通達された..﹂れによると︑御鷹場の餌刺らの中に︑鑑札覆につき四・五人高行し・鷹

難場村々にて止宿飲食をお.﹂ない馨を乱用しているものがいるとの風聞があり・従って組合のもので・餌刺どもがお

騰 讃 蕪 難 灘 羅 恥灘 糠 贈 耀 覇 ㎏緊 報此︑す

黙 羅 霧 鯉嚢 碗鐵 欝 禦 鰹 翻灘 欝

鵬 難 韓 静 舷 繕 藷 濱 編 縮 鐸 鋸 轟 幣 さ れ た 御 用 状 の内 容 に ・ いて

協篁に︑表‑をみても明らかなように︑三でみられた内容は・いずれも・天保期という時期的な特徴あるいは関

難 羅 雛 籍 繕 灘 陥環 舗 講 難 報 鯖 鼻 効難 認 鴛

の取締に関するもの︑杉戸組△・大惣代の酒造に関する歪問題など同じ組合村惣代の不正の探索など・各鞍代や村

163

(18)

役 麓 難 騒 雛 譲 瓢 紅 枇 び 驚 々 に 御 触 れ ー て ー い た の で あ る が 二 方 で 天 廟

保期に入って・明文化されたものには直接的には該当しないような問題にも出役や惣代たちが関わるよ︒つになってい

たことがわかる・それは・例えば(8)でみたような︑借金に関する村方からの身上調査の依頼がある.これについ

ては結局出役は霧外として大惣代にその処置を委託しているが︑フ﹂のよ・つなデ言常的な問題に至るまで村人から

の調査籍が直接出役になされているのである.また︑狐遣いや加持祈濤など人︑心を惑わし︑金銭をだましとるよ.つ

な事件の取り扱いが多いことからすると︑この時期においては︑関東取繕役が村人にとって︑村民に迷惑をかける

ものの取績村の秩羅持など・不正を糺すために奔走する身近な存在としてとら・えられていた.﹂とがわかる.

第二に・出役から惣代に向けて出された御用状の内容は大ミ分けると︑風聞の真偽の探索依頼︑犯人探索依頼︑

逮捕の際の手筈および惣代の出張・人足の差しだし命令︑逮捕命令および﹁謹状﹂の送付︑探索範囲の指示︑取締強

化の蓬および調査命令・担当者の交替・行動などに関する通達などである.しかしながら︑こ.﹂で最も注目したい

のは・噂嵐聞の真相の究明・犯人逮捕の証拠となる正確な情報の提供が濡は最も出役たちが惣代たちに期待して

いたことであったという点である.これも︑惣代に任命されるのが豪購であり︑その経済.文化.政治的︑不ットワ

ーク︑人間関係・情報網に探索網としての期待をかけていたからであろう︒

第三に・惣代から出役に出された御用状については点数は出役から惣代に出されたものより少ないのであるが︑風

聞や犯人逮捕の探索報告などその報告内容は詳細であり︑出役から依頼された情報の収集のために手を尽くして奔走

している姿が御用状からよくわかる・惣代から惣代に出されたものについては事件の発生した地域が他組△口内である

場合にその組合のもの繰索を依頼したものであり︑惣代同士の横の︑不ットワークを・つかがわせるものである.この

ように籍された調査については詳細な情報を提供しているが︑自分自身や自分の村に関する情報についてはほとん ⁝

(19)

天保 期 にお け る寄 棚 合 村 大 惣 代 と関 東 取 締 出役 との情..,換 の実態 と特質

ど触れていない点は注意を要する.そ.﹂には後述のごと葱代自身による一定の情灘作の存在を考えなければなら

第四に︑表‑には︑それぞれの事住﹂とにそれぞれに関わった八人の関東取締出役の氏名をあげておいたが・この表からもわかるよ,つに︑士口田左五郎︑小池三助らの名が全般にわたって頻出することがわかる・また・特に広繁取締対象となる無宿悪党の取調︑押し込み強盗の繋などの事件では︑多あ出役がそれに関わっていたことがわかる

三 関 東 取 締 出 役 と 組 合 村 大 惣 代 と の 関 係 性

人 嚢 鰍 纏 纏 講 雛 瑚 犠 緯 購 幣 つ い て 検 討 し た . .︑ ア︑ で は 御 用 状 の 差 出

表2︑表3は︑本史料をもとにその関係性をあらわしたものである︒表2によると・出役から惣代に向けて出された御用状は全部で三九通であり︑その・つち吉田左五郎からのものが量通で最も多いことが特徴的である・吉田左五郎についで御用状のやりとりが多いのは小些一莇であり︑七通の記撃みられる・その他単独で御用状を出しているものは河野啓助.畔柳良四郎.内藤賢郎であるが︑いずれもそれぞれ薫のみである・太田平助・直原喜作は連名で出しているもののみで︑占薮も}ないし二点にとどまる.出役は︑竜域姦人が担当し・取締にあたっていた7﹂とが知られているが︑.︑の時期.︑の大門宿組合・岩槻宿組合・深作村組ム・・粕壁宿難などのこの地域の取締にあたっていた出役が八名であり︑その・つち特に大門宿組合大惣代守裏との関わりが深かったのが吉田左五郎であったことがわかる.また士口田左五郎と小池三助は︑行動を共にしたり︑担当事件を交替したりするなど親しい関係にあった

165

(20)

新染谷村勇左衛門 ほか2名 新染谷村 勇左衛 門ほか7名 新 染谷村 勇左衛門 ほカX16名 その 他 総 数(通)

4 1 2 22

1 1 7

1 1

1

1 1

2

1

1

2

1 1

6 2 1 3 39

らしく︑従って︑守富家との書状のやりとりも他の出役に

比べると多くなっている︒

一方宛名の方に注目すると︑いずれも大門宿組合新染谷

村勇左衛門に宛てられたものであるが︑その中には勇左衛

門個人に宛てたものと他組合の惣代とともに連名で宛てら

れたものとの両方がある︒そのうち勇左衛門個人に宛てた

ものが一九通で圧倒的に多く︑これらのうち一〇通は吉田

左五郎からのものであり︑このことからしても︑吉田左五

郎と勇左衛門とは密接な関係にあり︑情報交換を頻繁にお

こなっていたことがわかる︒宛名が連名になっている御用

状についてみてみると︑勇左衛門のほかには岩槻組合小深

作村城兵衛や大門宿風渡野村義七︑岩槻宿九郎左衛門それ

ぞれと二名の連名の宛名になっているものが八通︑小深作

村城兵衛・風渡野村義七︑あるいは本宿村惣右衛門︑岩槻

宿九郎左衛門︑粕壁宿次郎兵衛らとともに三名の連名にな

っているものが六通︑岩槻組合・大門宿組合.鳩ヶ谷組合

大小惣代七名の連名になっているものが 通︑大門宿組

合.粕壁組合・岩槻組合大小惣代九名に宛てたものが一通︑

新染谷村勇左衛門のほか一七力村の鷹場組合に向けて出さ

(21)

天 保 期 に お け る寄 場 組 合 村 大 惣代 と関東 取締 出 役 との 情 報 交 換 の実 態 と特 質 表2出 役 → 惣 代

宛 名

差出 新染谷村勇左衛門 新染 谷村 勇左衛 門ほか1名

吉 田 左 五 郎(山 田 茂 左 衛 門 手 付) 10

5

小 池三助 4

1

河野啓助(山 本大膳手代)

畔柳良四郎 1

内 藤 賢 一 郎 太田平助

小池三助 2

吉 田左 五 郎

内 藤 賢 一 郎 1

小池三助

直原 喜作

太 田平助 河野啓助 吉田左五郎

2

不 明

合計 19

8

れたものが↓通︑他村に宛てたものが一通(ただし︑これ

は勇左衛門の覚えとしての記録である)︑﹁其所役人中﹂と

なっているものが二通である︒これらのうち小深作村城兵

衛.風渡野村義七と連名になっているものが多く︑勇左衛

門と探索業務について行動を共にしていた場合が多いこと

を物語っている︒宛先の多いもののうち七名の記載があっ

たものは︑河野啓助からのもので︑岩槻・大門・鳩ヶ谷三

組の村々遊民.無頼・無宿者の取締に関し︑その悪者の名

前と地頭の名前を﹁密密取調﹂廻村の節に密かに差し出す

ようにという命令であった︒これは特定の事件に対する探

索ではなく︑風紀一般に関する取締であり︑従ってその通

達範囲も広かったのであろう︒また九名の宛名の記載があ

ったのは︑吉田左五郎から大門宿・粕壁宿・岩槻宿の三組

合を対象に出されたもので︑御改革が弛み農業をいやがり

居酒屋渡世をしたり遊民・無頼となり博変諸勝負するなど

風紀が乱れていること︑酒造株を拝借しながら酒造せず居

酒屋渡世をしているものがいること︑また岩槻新町龍泉院

ら狐遣いの風聞があることについて︑風聞の真偽・詳細を

組合ごとに書き取って情報を提供することという内容であ

167

(22)

った︒これも特定の事件の探索を含んではいるが︑一般的

な風紀の取調命令の通達の内にはいるであろう︒また一七

名の記載のあったものは︑内藤賢一郎からのもので︑御鷹

場餌刺どもの行状調査に関するものであった︒従って御鷹

場組合が探索の対象とされたため︑かなりの広範囲になっ

たものと思われる︒﹁其所役人中﹂とあるのは︑いずれも

逮捕状である﹁謹状﹂の宛名の記載方法である︒組合村惣

代ではなく役人中とのみあるのは︑惣代のみでなく村役人

一般に徹底するためであろう︒

ところで︑これらの事例をみてもわかるように︑個人か

ら個人に宛てたものと︑個人から複数の人間に宛てたもの

役といったような宛名の範囲の違いは︑御用状の内容の違い

咄にも反映されていることが予測される︒個人から複数人に

燃宛てたものは・当然その宛名の人々に回覧されることがユ剛

都提であり︑守富家の御用状の控帳に記載されているもので

も・守裏に覆届いたものでは奮︑他の惣代から回覧されてきた御用状を写し取ったものかもしれないのである.

また複数人に宛てたものでも・常に行動を共にしていた小深作村城兵衛嵐渡野村義七薮名と連名のものと︑六人

から+数人の連名宛てのものとは当然性格糞なるであろう︒上記のごとく︑大勢に宛てた御用状の内容は︑取締一

般に関するものが多く︑それも事務的な通達であったのである︒

宛名 差出

新染谷村 勇左衛 門5 新染 谷村勇左衛門2 小深作村城兵衛 新染谷村勇左衛門 風渡野村義七 新染谷村 勇左衛 門

小深作村 城兵衛 本 宿村惣右衛門

不明 合計7

1

1

2 堀 江 与 四 郎

1

1 河 野 啓 助

1

1

1

1

2

2 1

1

2 2

(通)

7 4

3

i

2 17

(23)

天 保 期 にお け る寄 場 組 合 村 大 惣 代 と関東 取 締 出 役 との情 報 交 換 の実 態 と特 質

そソ﹂で︑その点の違いをみるために︑特に守富家とのやりとりの多かった吉田左五郎から出された御用状に限定してその内容を検討してみる.︑とにした︒まず吉田左五郎から守裏個人に宛てたものについて実例をあげて検討してみたい︒既述のとおり︑士口田個人から守裏個人に宛てて出された御用状は︑辰+月二+八日・閏±月二+吉・八月百︑±早三日︑閏±月二+吾︑閏±月晦日︑+二月三日︑+二月八日・+二月九貝申九月二+七日のδ通であるが︑例えば︑辰八月朔日付御用状をみると︑菰遣ひ内糺被申越候書面曾我様江差出明暑無御沙汰有之候筈薯売薬井金銭遣人等糺二至り尻付可申儀与心得候︑其通候哉昨日小深作へ幸攣寸其儀申也退候・且岩槻領釣蔓死人内糺始盃嬰田小池・.高之事故高二致度間其心得ヲ以御申籍入候・四日迄ニハ上州新四郎へ急御用向中五道ヲ登り廻村之︑心得二候Lとある.,﹂の御用状からいえることは︑吉田が当驚件について自分の予想が正しいかど,つかの確認を勇左衛門にしている点︑その件について小深作村城兵衛へも御用状を出したことを勇左衛門に連絡している.﹂と︑本件については小池三助とともに扱っているので︑そのように心得て連絡をするようにといっている点︑また自分の行動の連絡を逐天れている点が注目できる︒内容も狐遣い一件のほかに岩槻宿釣上変死人の事件の風聞についても記している︒また︑辰閏±月二+吾付御用状によると﹁⁝然ハ別紙内密糺書取遣候間御華

有 而 御 承 知 豊 島 郡 下 赤 塚 村 土 支 他 村 井 同 郡 中 其 余 川 ・ 蕨 辺 之 儀 ハ 右 村 々 専 之 趣 意 二 付 糺 方 板 橋 宿 問 屋 市 右 衛 門 方 江 申 遣 候 間 足 立 郡 岩 槻 井 中 山 道 筋 左 有 お ゐ て 先 達 井 俗 人 之 分 都 而 叢 之 趣 幕 々 不 闇 様 御 含 糺 方 有 之 度 : ・三 先 日 髭 乍

延引御盟.申入候︑西村両人之もの此程其手二而手当御用弁相成候様いたし度如何可有之哉及御内談候拙者も昨日迫+百輩宿小池堪ラ長々悪党共四人取調昼時差立同氏ハ一ト先引取直出立⁝宮下村酒塁条先日小池江も直二其元ξ被申聞候碧者七月中承伏差止メ又候相始候手続書面二叢差出有之候得蓋ハ上勘弁取計度問右書面小池氏江差出被置候様同氏昨禺話も有之間此段申入置候右之段早々得御意度如此候以上﹂とあるように・複数の用件を同時に書き記して智せている点︑事件に関するさまざまな情報を与えている点があげられる・複数の用件について

169

(24)

記したものにはこのほか・辰±月三日御用状では忍領大蕪宿辰五郎一件にとりかかった.﹂とと慧寺郷伊塑件

について担当を小池に任せたことなどを知らせている.また申九月二+吉御用状では︑士口祥院狐遣い一件や身沼井

筋普請目論見不正調査の取調の依頼をおこなっている.このほか︑閏±月晦日付御用状に﹁貴様嶺江引戻様子逐

一注進状之嚢承知﹂とあるように︑逐運絡をとっている点︑辰+二月三日付御用状に﹁尚々同勢衆へよろしく﹂

と勇左衛門の仲間内への挨拶も忘れない点などが特徴としてあげられる.また︑辰+二月桶川宿市切墓の手入れの

時には・細かい手筈まで指示を与える御用状を勇左衛門に出しているが︑士口田左五郎はまず勇左衛門に連絡をとり︑

勇左衛門から他の組合村惣代撞絡をとり行動に出たのである..あよ・つに同じ組△口村惣代でも士口田左五郎について

みるかぎりでは・実質的に勇左衛門が中心となっていた︑すなわち勇左衛門に情報が集まるよ・つになっていた.﹂とが

わかる︒

以上からその特徴をまとめてみると︑①複数の用件を記す.②自分たちの行動について詳細な情報を提供する.③

当該事件についてほかのものに依頼した場合の連絡を怠らない︒④惣代同士.出役同士の情報交換をこまめに記して

いる・⑤勇左衛門の仲間への挨拶を欠かさない︒⑥ことば遣いが丁寧であり︑強圧的でない.むしろ目上の人に対し

て出す書状のようである・⑦播についての段取りなど極秘の相談がなされる.また播時には︑まず勇左衛門に連

絡をとる・⑧情報を受け取るだけでなく事件に関する情報を惣代にも与︑尺るとい・つ︑対等の情報交換の立場にあると

いうことなどがあげられ・これらのヲ﹂とからしても︑吉田左五郎と大門宿組ムロ大惣代新染谷村勇左衛門とは特別密接

な関係をもっていたことが予測できるのである︒

これに対して吉田から複数の宛名に宛てた御用状をみてみると︑全部で=通あるが︑これらの,つち士口田から小深

作村城兵衛.風渡野村義七ら蓮名になっている御用状については︑例.凡ば︑辰九月百付士口田左五郎から城兵衛.

勇左衛門に宛てた御用状では・下高野村浄覆摺りものの探索について用件のみであり︑辰六月二+七日付の新染谷

170

(25)

天 保 期 に お け る寄場 組 合 村大 惣 代 と関 東 取締 出 役 との情 報 交 換 の 実 態 と特 質

村勇左衛門.小深作村城兵衛.風渡野村義七宛の御用状でも改革筋不取締の村役人の風聞の探索依頼についてであっ

たのであり︑ほかの七件についても例外なく︑;の用件のみの記載であった︒また既述のとおり・吉田左五郎から・勇左衛門をはじめとする九名の大門宿墾︑・粕壁組合・岩槻組合の各惣代に宛てた御用状は︑改革筋取締強化の命令

であり︑また﹁其所役人中﹂宛のものは︑逮捕状であったのである︒

第二に︑一方表3は︑逆に勇左衛門個人から吉田左五郎個人に向けて出された御用状について表にしたものである︒ソ︑れによると︑勇左衛門個人で出したものが七通︑勇左衛門ほか一名連名で出したものが七通・勇左衛門ほか一茗連

名で出したものが一通であり︑大勢でまとめて出したものはみられない︒これは︑この帳面が勇左衛門個人の控帳で

ある.﹂ととも関係するのであうつが︑惣代からの報告は︑基本的には各自で単独で︑あるいは近隣の組合二・三名で

おこなわれており︑この場合探索の内容を数組合で共同で︑村側で調整して報告することはなかったことを示してい

る︒それは︑.﹂の探索が御用としての性格をもちながらも︑村内外のものに対しても極秘におこなわれる場合があることとも関係する︒出役は︑それぞれの惣代が別々に提出してきた情報を突き合わせてその真偽の判断をしていたのである︒また宛先では士口田左五郎宛のものがやはり多い︒勇左衛門個人から吉田に宛てた御用状五点の内容をみてみると︑①辰閏十一月二十六日付御用状では︑西村悪党の逮捕状を受け取ったお礼︑御嶽山講中先達らによる狐遣い一件の墾口︑宮下村八+兵衛酒売り蘂の調査の件を承知したア﹂と︑②辰閏±月晦日付御用状では・西村悪党探索の

詳細な経過墾.︑ムツ後の行動の墾︑︑③巳八月二+日付御用状では︑西村悪党探索の詳細な報告・埼玉郡釣上村名主

立.次郎埣助四郎売女一件の動向︑岩槻宿本陣平次郎姪いと借金関係取調始末についての報告︑④巳+二月二+三日付

御用状では︑土呂村竹割平次郎ほか博変打ち探索報告がなされている︒また⑤巳九月百付御用状では・堀江与四郎

瀧 劾撒 罐 雛 翻 締 矯 潔 嫁 粋 勧鞭 編 題 醐 謹 結 殆 顯 籠 雛 総惣 鑑 齢 瞥 儲舗 m

(26)

してある点などについて述べている︒これらをみてもわかるように︑やはり吉田個人から勇左衛門個人に宛てた場合

m

と同様な特徴をもつことがわかるのである︒すなわち︑同時に進行している複数の事件について詳細な墾口をおこな

っていると同時に・取締に協力しない組合の存在など︑在方の事情・風聞を事細かに墾口している.﹂とがわかるので

ある・以上にみたことからも︑勇左衛門と吉田左五郎とは個人的な極秘の情報のやりとりがなされたのである︒

第三に・出役と惣代との関係性をみる・つえでもうひとつ特徴的な.﹂とがある.御用状の内容をみるかぎりでは︑

丙々探索有無急継早々被申越候様致度頼入候⁝L﹁⁝内糺いたし刻付被申越候様頼入候.・‑﹂とある場ムロが多く︑

出役と惣代との関係は・探索そのものについては命令系統上にあるのではなく︑探索の依頼.協力とい,つ関係である

可能性が高い・探索に関しては出役の強制力は弱いといわねばならない︒それは︑探索がすべて村に対しても領主側

に対しても極秘に丙糺Lというかたちでおこなわれるものであ登﹂ととも関係する︒出役が情報を得られるかど︒つ

かは多分に惣代たちの情報収集能力と協力が得られるかどうかにかかっていたのであり︑しかもそ.﹂には出役と惣代

との親密な個人的なつながり︑信頼関係によるところが大きかったのではないかと推測される︒

ところで・探索が終了し嫌疑がかたまり︑護状﹂といわれる逮捕状が発行される時には︑例︑濠西村悪党一件の

松五郎.伊之助の逮捕の場ム三右之もの義今般内撃人正依下知召捕候筈二候条若人足等入用之節.改有之秦丈夫

之もの差出御用弁専=想得諸事差支鉦州之様可取計候⁝Lとあるように︑勘定奉行の命であるフ﹂とを明記し︑人

足の差出しそのほ叢り計らい方については命令とい・つかたちで関東取締出役から﹁其所役人中﹂に向けて発令され

るのであり・この場合においてのみかなりの強制力をもつのである.この違いは︑風聞の探索がすべて極秘であり︑

﹁内糺﹂というかたちでおこなわれるのに対して︑難がかたまり公に逮捕が通達できるよ・つになった場ムロには︑幕

府からの命令として執行できるためであろう︒

ところで以上のような関係の特性は︑惣代と出役が情報交換というかたちで個人的なつながりを強くしている.と︑

(27)

出役にしてみれば︑そ・つしないと職務が遂行できないという状況があり︑芳惣代においては・自分たちの地域支配あるいは地域の秩序を維持するために出役に協力することによって有利に行動できるという・相互依存の関係がうかがえる︒

天 保 期 に お け る寄場 組 合村 大 惣代 と関 東 取締 出 役 との情 報 交 換 の実 態 と特 質

四 関 東 取 締 出 役 と 組 合 村 惣 代 の 情 報 交 換 の 特 色

ここでは︑関東取締出役.組合村惣代それぞれについて情報収集・交換の特質についてまとめておきたい︒

(1)関東取締出役の情報収集・交換の特色

①命令系統

本稿では︑関東取締出役と組△口村惣代との関係に焦点を当ててぢ︑幕府と関東取締出役との関係については検討

外であるが︑本史料から確認できる命令系統について記しておきたい︒

関東取締出役が︑勘定奉行直属の配下で︑その命令に基づいて行動していることは既に多くの研究によって周知の.︑とであり︑本稿においても︑天保三年の西村悪掌件は勘定奉行内肇人正の下知によって探索が開始されている事実が確認される︒そのほか︑辰閏±月の武州埼玉郡慧寺領百姓伊助召し捕らえ一件の時には﹁(寺社奉行)脇

坂霧太纏達(勘定奉行)内肇人正下知﹂︑辰閏±月信州御嶽山講中修験加持祈塵件では﹁(寺社奉行)土井

大炊頭殿御申越之御下知﹂︑天保七年申年九月武州足立郡立野村氷川明神前本山修験詣院襲狐付一件では尋社御奉行間部下総守より内肇人正殿江掛ム・御下知Lとあるなど︑寺社奉行からの依頼で勘定奉行から下知雫る事件の事例がみられる︒また酉六月の圓福寺役僧本端欠け落ち事件では寺社奉行である井上河内守が直接下知を下してい

173

(28)

る・また・身沼井筋普請目論見歪の探索については藤手方よりの御沙汰につきLとある︒フ︑れらの事実は︑関東4

取締出役が組合村惣代に収集させた村方の情報が︑関東取締出役を通じて幕府へと伝達されていた.とを予測させる.‑

② 関 東 取 締 出 役 の 情 報 収 集 能 力

関東取締出役がその職務を遂行するためには︑必然的に組合村の惣代の力に依拠せざるを.巻かった︒その場ム.ど

のように惣代の能力を利用するかが問題となってくる︒罪が肇し︑逮捕状が出た場ムロには︑公に人足の動員をかけ

られるのであるが・そこに至るまでの調査が最も重要な問題となってくる.出役の調査は︑まず颪聞Lの真偽の探

索から開始されるが・まずその颪聞Lの有無・真偽の探索が︑村方で最も情報を多く握っている村落上層民である

組合村惣代たちに期待されるのである.この颪聞Lの探索は既にみたよ・つに︑あくまでも﹁内密﹂あるいは﹁極

密﹂に依頼というかたちで惣代たち繰されるのであり︑出役にとっては︑情報提供に協力してくれる惣代の存在が︑

職務を遂行するうえで最も霧となってくる.従ってその関係は︑必然的箪なる命令系統にのった霧的な関係に

終わらないのである・関東取締出役から惣代勇左衛門に宛てた書状を検討したことからもわかるよ,つに︑惣代と出役

はこまめに情報のやりとりをし︑情報を収集するだけでなく︑惣代に情報を提供することもしていたのである.惣代

にとっては・出役を通して事件に関する正しい情報を得︑村々の秩序維持に利用す登︑とができたのである︒

また・出役たちは調査にあたってさまざまな配慮をしていることがわかる.例えば︑杉戸組ムロの大惣代が酒造に関

する不正をおこなっているという風聞の調査をする場合に︑同じ酒造仲間のものに探索を依頼している.また問題の

人物と距離的に近い組合揉索を依頼する︒また探索範囲を適当に割り当てて効率のよい探索を考.えるなど︑その真

相をさぐるための確実な方法を考えている.また探索には︑岩槻の金蔵.利八︑上尾宿拝木屋太郎士口︑板壇五郎︑

島原熊吉といった人物を惣代たちにつけて動かしている︒これらの人物は︑特に無宿人や押し込み強盗事件などの時

によく動員されていたようである︒

(29)

天保期における寄欄 舗 惚 代 と関東取締出役 との情x換 の燕 と鞭

            カ

関東取締出役たちは︑情報とい・つものに特別敏感であることは︑颪聞Lの発生源を大変気にしていることからも.つかが︑えるのであるが︑その判断能力も極めて由︑同かったとい三とがいえる.それは例えば・天保七年の武州多摩郡上講村本山修験大蔵院.士口祥院狐遣い一件にみられたように﹁過日者こんこん一件御骨折辱鳩ヶ谷6も申越照寝馨口薇蔭二而能相分り大慶存候﹂とある.︑とからもわかるように︑出役竺つの纂で判断することはなく鑑の情報を収集し︑比較検討し︑その真偽を判断し三たことを知ることができるのである・また・天保三年豊島郡下赤

塚 村 御 嶽 山 華 狐 遣 い 葎 で も み ら れ た よ う に ︑ 颪 聞 之 次 第 茂 不 取 留 事 故 御 嶽 山 華 江 遺 恨 有 之 も の 無 跡 形 儀 ヲ 申 触 候 哉 茂 難 計 間 ︑ 左 候 二 而 内 探 索 之 上 華 有 之 儀 . 無 相 違 候 共 書 銘 々 信 仰 致 候 迫 二 而 先 達 杯 与 号 加 持 祈 藤 た し 儀 縫 則囎 饗 繕 麺 蒲 照 摂緬 彫雛 難 繕 鱒 綴 犠 岬罐 鑓 ︑

晃しそ,つであるならば︑講中そのものの存在は銘々の信仰の畠であるので問題はないのであって・恨みをもつもの力流した風聞であるならばその薪を探索し報告するよ・つにとしているなど・出役たちが風聞が恨みから出たものであるかど,つかといった公正な立場か颪聞を判断していることが知られるのである・また・大宮宿組皇呂村竹割平次郎奪みられたよ︒つに︑出役の調査と惣代が提出した報告書との内容が一致しない︾﹂とを指摘し・暑内糺二遣ひ候もの之人物.㎜二寄泥︑︑︑も候哉与被存候間︑ムヱ応念入手碁得与相糺委翻申馨之候様存候Lとあり・勇左衛門が馨に使った人物に問題がないかどうか︑今憂違う角度で詳し森索するよ・つにといってきている・これらの.﹂とからもわかるよ・つに︑出役は非常に高い情報判断力をもつ情報操作のプ︒であるといえる・

     

表4は史料でわかるかぎ諾出役の動きを表にしたものである・出役の中では吉田左五郎の動きが最も詳細にわ防

参照

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