『 新 青 年 』 時代 の 周作 人 と 日本
「 貞操 論 」 を中心 に
劉 軍
第 一 節 『新 青 年 』 と婦 人 問 題 1.『新 青 年 』 の 「女 子 問 題 啓 事 」
一 九 一 八 年 五 月 十 五 日
,周 作 人(1)の翻 訳 した
「貞 操 論 」(『新 青 年 』 第 四 巻 第 五 号)が 発 表 され た 。 「貞 操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 と い う原 題 で,与 謝 野 晶 子 の 第 三 評 論 集 『人 及 び 女 と して 』 に収 め られ た 一 篇 で あ る。 こ こで 先 ず 注 意 す べ き こ と は周 作 人 の 題 名 の 意 訳 で あ る 。 『新 青 年J時 代 以 前 か ら,ず っ と直 訳 理 論 を貫 い て きた 彼 が, わ ざ と こ の題 名 を意 訳 した とい うの は,決 して無 意 味 な こ とで は な い,と 筆 者 に は 思 わ れ る 。 周 作 人 が 意 識 的 に与 謝 野 晶 子 の 原 文 中 に あ る 「道 徳 」
とい う言 葉 を脱 落 した とい う こ と に は,彼 の 何 ら か の意 図 が 含 まれ て い た 。 原 文 を読 ん で 分 か る通
り,晶 子 の強 調 した い こ と は,あ く まで も道 徳 で は な く,貞 操 な の で あ る。 そ して,晶 子 が 幾 つ か の 質問 を設 け,彼 女 の 貞 操 論 を進 め て い っ た形 は, 正 に周 作 人 の 「論 」 とい う訳 名 に相 応 しい の で あ る。 この 訳 名 か ら周 作 人 が 原 文 に対 して 如 何 に正 確 に理 解 して い た か が窺 え る 。無 論,晶 子 の や や 長 い原 題 と比 較 した ら,周 作 人 の訳 名 は 直接 に 問 題 の急 所 を突 き,そ して,そ の 簡 潔 さゆ え に,い っぺ ん に読 者 の 注 意 を 引 い た の で あ る。 これ は単 に翻 訳 上 の 枝 葉 問 題 で あ る か も しれ な い が,肝 心 な の は 周 作 人 が 何 故 晶子 の 「貞操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 とい う文 章 を翻 訳 した の か とい うこ と で あ る 。
「貞 操 論 ・訳 記 」 を読 ん で,明 らか に 分 か る よ う に,周 作 人 は 『新 青 年 』 の 「女 子 問 題 啓 事 」 に 応 え,「 貞 操 論 」 を翻 訳 した の で あ る 。 こ れ は 彼 が 「貞操 論 」 を 翻 訳 した 直 接 の動 機 だ と先 ず 考 え
られ る だ ろ う。
「女 子 問 題 」 は,陳 独 秀 を初 め と した初 期r新 青 年Jの 同 人達 の 重 要 な 関心 事 の 一 つ で あ っ た 。 先 ず 『新 青 年 』 にお け る 「特 別 啓 事 」 を見 る こ と
に し よ う。 「女 子 は 民 国 の 半 数 を 占 め て い る。 尤 も家 庭 の 中 で 無 上 の 責 任 を 負 っ て い る。 国家 社 会 の 改 進 を謀 ろ う と欲 す る に は 女 子 問題 が 固 よ り等 閑 視 され て は な らぬ 。 而 して,家 族 制 度 が 不 良 の た め,社 会 に不 寧 の 現 象 を もた ら した とい う こ と は 今 日の重 大 な問 題 で は な い だ ろ うか 。 これ ら問 題 の 解 決 は 女 子 と関 係 の な い もの は一 つ もな い 。
(中略)敢 え て 女 同胞 諸 君 に 『女 子 教 育 』 『女 子 職 業 』 『結 婚 』 『離 婚 』 『再 婚 』 『姑 嫁 同 居 』 『独 身 生 活 』 『避 妊 』 『女 子 参 政 』 『法 律 上 女 子 権 利 』 等 の 女 子 に関 す る 重 大 な 問題 に つ い て,自 由 にそ の 中 か ら一 つ を選 び,そ れ ぞ れ 所 見 を本 誌 に発 表 して い た だ きた い...」。(『新 青 年J第 二 巻 第 一 号, 一 九 一 六 年 九 月)
これ は 「新 青 年 記 者 啓 事 」 とい う名 で 書 か れ た 一 文 で あ り,ま た 『新 青 年 』 に お け る 「啓 事 」 の 最 初 で あ っ た 。 そ の 後,八 回 に もわ た っ て,当 該 啓 事 が 掲 載 され た 。 前 後 併 せ て 九 回 で 同一 問 題 に つ い て の 記 者 啓 事 が 掲 載 さ れ た の は 『新 青 年 』 に
お け る 破 天 荒 の こ とだ と も言 え る。
女 子 問 題 は 家 庭 制 度 ない し国 家 社 会 の改 進 と も 関連 の あ る,非 常 に重 大 な問 題 で あ る。 『新 青 年 』 記 者 に よ っ て提 出 され た 幾 つ か の欄 名 だ け を見 て
も,そ の 時 代 の 超 越 性 が 看 取 で き る 。 『新 青 年 』 同 人 の こ の 発想 の 裏 面 に は彼 ら,と りわ け,主 筆 陳 独 秀 の ど ん な 意 図 が 潜 め られ て い た の だ ろ う
か。
婦 人 問 題 は 初 期 『新 青 年 』 の 最 も大 きな 関 心 事 の 一 つ で あ る 。 こ こ で指 摘 した い の は,周 作 人 が 日本 の 婦 人 問 題 を先 行 例 に して,中 国 の 女 子 問題
に 一 助 を期 して い た の に対 して,陳 独 秀 は先 ず 近 代 ヨ ー ロ ッパ の 婦 人 問 題 を参 照 に して,そ の 解 決 策 を 模 索 し よ う と し た こ と で あ る 。 『青 年 雑 誌 』 の 創 刊 号 に 陳 独 秀 の 翻 訳 し た 「婦 人 観 」 (ThoughtsonWomenByMaxo'Rell)が 掲 載 され た 。 「婦 人 は命 令 す る た め に 生 ま れ た の で は な い が,彼 女 らは世 の 中 を命 令 し,支 配 す る男 達 を統 御 す る の に 生 ま れ つ き の 才 能 を十 分 に持 っ て い る。最 も幸 せ な家 庭 で は婦 人 が 最 大 な 権利 を持 ち, 意 見 も十 分 に尊 敬 さ れ て い るの で あ る」 とい う訳 文 を見 て 分 か る が,こ れ は 決 して平 等 な婦 人 観 と は 言 え ない 。 男 性 は 女 性 を 支 配 しな けれ ば,女 性
は男 性 を統 御 す るの だ とい う両 分 法 は,決 して 男 女 を平 等 視 して い な か っ た の で あ る 。 しか し,積 極 的 に女 子 の生 れ つ きの 権 利 と才 能 を主 張 した と
い う こ とは,や は り評 価 す べ きで あ る。
儒 教 道 徳 や 家 族 制 度 批 判 は,初 期 『新 青 年 』 に お け る最 大 の論 点 で あ り,か つ 課 題 で あ っ た 。 と りわ け,「 宗 法 社 会 」 的 家 庭 制 度 批 判 は 『新 青 年 』 同 人 の 闘 争 にお け る最 も厳 しい 局 面 を構 成 し た。
新 文 化 運 動 に お い て,陳 独 秀 は真 っ 先 に 「孔 家 店 を打 倒 せ よ」 と提 唱 し,尊 孔 派 と面 と向 か っ て 戦 い,大 き な役 割 を果 た した 。
『新 青 年 』 の 記 者 は 「女 子 問 題 啓 事 」 に 『女 子 教 育 』 『女 子 職 業 』 『結 婚 』 『離 婚 』 「再 婚 』 『姑 嫁 同 居 』 『独 身 生 活 』 『避 妊 』 『女 子 参 政 』 「法律 上 女 子 権 利 』 等 の 項 目 を一 括 して並 べ,女 性 同 胞 の 参 与 を呼 び か け た。 これ は 『新 青 年 』 の 同 人 達 が こ の 問題 に対 す る切 実 な心 境 を表 して い る 。しか し, 後 に な っ て,読 者 が この 呼 び か け に 示 した 冷 淡 な 反 応 を見 て 分 るが,こ の 発 案 は 決 して成 功 した と は 言 え な か っ た 。 に もか か わ らず,彼 らが 中 国 で 初 め て 本 格 的 に婦 人 問題 を取 り上 げ,ま た そ れ を 解 決 しよ う と期 した こ と は,そ の 啓 蒙 的 意 義 が 評 価 され るべ き だ と筆 者 に は 思 わ れ る。
第 一 回 の 「女 子 問 題 啓 事 」 が発 表 され て か ら五 ヶ月 間 後,漸 く女 性 の手 に よ る反 響 の投 書 が 現 れ た。(詳 細 は以 下 の 表 に並 べ る こ と にす る)
作者 作品名 巻次 主要内容
李張紹 南 『青 年 を哀 しむ』 第二巻第六号 「女子纏足」
「多妻主義」
陳銭愛探 『賢母氏 と中国前 途の関係』
第二巻第六号 「女子教育」
「賢母養成」
梁華蘭 『女子教育」 第三巻第一号 「女子教育」
「賢母良妻」
高素素 『女子問題の大解 決』
第三巻第三号 「男尊女卑」
「男女厳別」
「蓄妾の弊剛
「節孝名教」
「教育問題」
「結婚問題」
「職業問題」
陳華珍 『中国女子の婚姻 と育児 を論ず る』
第三巻第三号 「自由結婚」
「科学的育 児法」
呉曾蘭 『女権評議』 第三巻第四号 男女権利均
等 孫鳴瑛 『家庭 と国家 との
改 良 は密接 な関 係 がある』
第三巻第四号 「男女の相 互理解 」「夫 婦 の責任分 担」「男女早 婚 の因習除 去」
これ らの投 書 を見 て,婦 人 自 ら に よる 女 子 解 放 論 が 未 だ 旧 時 代 の 枠 を脱 して い な か っ た こ とが 分 か る 。 陶 履 恭 が 指 摘 した よ うに,彼 女 らは 賢 母 良 妻 論 を唱 え,或 い は 「伝 来 の 旧 観 念 を 暗 論 し,西 洋 の 平 凡 な る 著 者 の 浅 説 を踏 襲 し た 」(陶 履 恭
「女 子 問 題 」 『新 青 年 』 第 四 巻 第 一 号)と い うこ と か ら見 て,そ れ な りの 限界 が 見 られ る 。(L)しか し, 諸 論 文 中,高 素 素 の 『女 子 問題 の 大 解 決 』 が,際 立 っ て 特 異 な 色 彩 を帯 びて い る 。 彼 女 は 女 子 問 題 を解 決 す る には,名 教 や 習 俗 を破 り,そ れ か ら女 子 の 人格 を確 立 し,家 族 主 義 の 栓 桔 か ら解 脱 して, 女 子 職 業 の範 囲 を拡 充 し,社 会 上 公 認 され た女 子 の位 置 を守 らせ るべ きで あ る と,全 面 的 に女 子 問 題 を 論 じた 。 第 三 巻 第 四 号 以 降,女 性 か らの 投 書 は一 篇 も見 え な くな り,半 年 に わ た っ た 女 子 問 題 啓 事 は や む を得 ず そ の姿 を消 して しま っ た。
『新 青 年 』 初 期 に 陳 独 秀 を初 め と した 同 人 た ち に よ っ て提 出 され た,こ れ らの婦 人 問 題 は 究 極 の と こ ろ,婦 人 の 人格 独 立,人 身 自主,人 権 平 等 な
どの 問題 で あ る 。 つ ま り 「人 の 発 見 」 を婦 人 の 身 に推 し広 め,婦 人 を して 「自分 も人 間で あ る」 こ と を悟 らせ よ う と した の で あ る 。 しか し,こ の 女 子 問 題 に対 して,女 性 達 の,驚 くべ き沈 黙 は,周 作 人 が 「貞 操 論 ・訳 記 」 に書 い た 「女 性 自身 が 覚 醒 しな け れ ば,と て も解 決 で きそ う もな い 」 こ と の 証 左 で あ る。 女 性 自 身 の 自覚 は 女 性 問 題 を解 決 す る の に最 も肝 心 な こ とで あ る 。 しか し,上 述 し
た よ う に女 性 問題 の 先 覚 者 で さ え,未 だ 良 妻 賢 母 とい う古 い道 徳 因 習 か ら抜 け 出 して い な か っ た こ と や,更 に甚 だ し き こ とに,『 新 青 年 」 の 主 筆 と して の 陳 独 秀 で さ え,必 ず し も正確 な婦 人 観 を有 しな か っ た こ とか ら見 て 「男 子 問題 で さえ,未 だ 解 決 され な い で い る」 中 国 で は,女 性 問 題 の 提 出
は時 期 尚 早 で あ っ た の だ ろ うか 。
2.周 作 人 と女 性 間題
周 作 人 が 貞 操 論 を翻 訳 した 第 二 の動 機 と して, 彼 自 身 の 生 活 経 歴 と 日本 留 学 か らの 影 響 が 挙 げ ら れ る。 阿 莉 塔 は 「周 作 人 が 女 性 の性 の 解 放 を普 遍 的 もの と して強 調 し抽 象 的 で あ る の に対 して,与 謝 野 晶子 は彼 女 の 実 体 験 よ り出発 した極 め て 具 体 的 な意 見 が 多 い」(「周 作 人 と与 謝 野 晶 子 」 九 州 大 学 『日本 文 学 』二 〇 〇 二 年 八 月)と 言 っ て い る が, 必 ず しもそ う と は限 らな い 。 与 謝 野 晶 子 は 「貞 操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る 」 とい う文 章 の 末 尾 に
「私 は 貞操 を 尊 重 す る こ と を何 人 に も譲 ら な い た め に敢 え て此 の 一 文 を書 き ま した」 と言 っ て い る が,こ の 「貞操 を尊 重 して い る」 気 持 ち は,決 し て 道 徳 に 強 要 され た の で は な く,「 芸 術 の 美 を愛
し学 問 の 真 を愛 す る よ う に道 徳 以 上 の 高 く美 しい あ る もの 」 に基 づ い た の で あ る。 十 二 歳 か ら歴 史 と文 学 書 を読 み 耽 り,「 源 氏 物 語 』 な どの 古 典 か ら,恋 愛 の 気 持 ち を想 像 した 晶 子 は,自 分 の 貞 操 と い う事 につ い て 意 識 しな か っ た 。彼 女 は唯 一 度 一 人 の 男 と恋 を して
,そ の 男 と結 婚 して 現 に共 棲 して い る こ とを 当 然 の事 だ と見 て い た。 彼 女 は貞 操 を 日常 茶 飯 事 の よ うに思 っ て,従 って 彼 女 の 実 体 験 に は,性 や 貞操 に つ い て 不 安 も葛 藤 も懐 疑 も 挟 ん だ事 が ほ とん どな か っ た の で あ る。 こ れ は 彼 女 が 自分 の 貞 操 を一 種 の趣 味 や 潔 癖 だ と した こ と か ら も分 か る 。
古 来 の 中 国 で は,女 性 の 身 に は一 種 の 強 制 的 な 性 道 徳 が 加 え ら れ て い た。 儒 教 の 「三従 四 徳 」 が 女 性 を束 縛 す る最 も典 型 的 な封 建 道 徳 で あ る。 普 通 の 女 性 は,と もか く と して,騙 され た り,強 姦 され た り,貞 操 を失 っ た女 性 は,い っ そ う惨 め な 境 地 に陥 っ た の で あ る。 「貞 操 論 」 を翻 訳 した と き,周 作 人 の 念 頭 には,幼 年 時代 か らの 祖 母 へ の 痛 切 な 記 憶 もあ っ た の だ ろ う。周 作 人 は子 供 の 頃, 義 理 の 祖 母 に 世 話 を して も ら った こ とが あ る。 後 に な っ て,彼 は そ の惨 め な お祖 母 さん の 一 生 を こ の よ う に語 っ て い る 。 「私 は こ の 目で 彼 女 の 最 後 の 十 年 間 を見 て い た 。 彼 女 の そ の 細 長 く,敬 慶 な 顔 に は苦 痛 な痕 跡 が しわ し わ と刻 み 込 まれ て い た 。祖 父 の罵 署 雑 言 の 言 葉 か ら,私 は思 わ ず 彼 女 の不 幸 な前 半 生 を思 い 出 した。 私 の 心 中 に映 じた 女 の 一 生 の運 命 は私 の そ の 祖 母 の 悲 痛 的 且 つ 普 通 な イ メー ジで あ る」(『談 虎 集 下 巻 ・抱 絞 谷 通 信 』)
と。幼 少 時 代 に彼 の 心 に残 っ た祖 母 の そ の 嫉 だ ら け の顔 つ きは,歳 月 の 流 れ と共 に消 え去 らず,か え っ て,も っ と鮮 や か な もの に な っ て きた の で あ る。 周 作 人 は 晩 年 に書 い た 「知 堂 回 想 録Jに 再 び 祖 母 の 痛 ま しい経 歴 に触 れ,こ の よ うに書 い て い る 。 「祖 母 に 向 か っ て,祖 父 は 少 し も遠 慮 せ ず に 罵 署 を浴 びせ た 。 あ る時,彼 は 『長 毛 艘 艘 』(太 平 軍 の 兵 士 に 強 姦 され た女 の こ とか)の 話 まで も 言 い 出 し,ま た,f房 帷 隠 語 』(性 交 につ い て の 娩 曲 的 な話)を 濁 して 言 った 。 そ れ を 聞 く と,祖 母 が 泣 き出 した 。 『あ な た は ど う して そ ん な話 も 口 か ら出 せ た もの か 』 と言 っ て,寝 室 に入 っ て い っ た。 私 は 当初 あ ま り分 か ら な か っ た が,後 に な っ てr蒋 老 太 太(祖 母)の 家 が 嘗 て 太 平 軍 に 占拠 さ れ た こ とが あ る の を 聞 い た 。 祖 父 が 言 っ た の は そ れ を指 してい る の で あ った 。 そ の 後,そ ん な話 ま で も口 に した祖 父 に対 して,私 は 威 信 な ん て す っ か り感 じな くな っ た」。(『知 堂 回 想 録 』 「二 五 ・風 暴 的 余 波 」 河 北 教 育 出版 社,二 〇 〇 二 年)
女 性 が,乱 暴 な男 性 に襲 わ れ,父 兄 や 夫 の 力 で は救 う こ と もで きず,近 所 の もの も手 を 貸 して く れ な か っ た た め に,死 ぬ か,死 なず に生 き なが ら え る か とい う二 つ の 選 択 しか な か っ た。死 ん だ ら,
「節 烈 」 の 女 性 だ と表 彰 され る 。 最 も惨 め な の は 死 な ず に 生 き残 っ た女 性 で あ る。 「時 が経 つ と父
兄 や 夫 や 近 所 の 人 々,そ れ に文 人 学 者 か ら道 徳 家 ま で が 次 第 に集 ま り,自 分 の 怯 儒 無 能 を は ず か し い と も思 わず,ま た 暴 徒 の 懲 罰 問 題 な どは取 り上 げ ず に,た だ,(中 略)死 ぬ こ と は い か に よ く, 生 きて い る こ と はい か に よ くな い こ とで あ る か を 口 々 に や か ま し く議 論 しあ う」。(魯 迅 「私 の 節 烈 観 」 『新 青 年』 第 五 巻 第 二 号,一 九 一 八 年 八 月)
道 徳 家 は と もか く と して,父 兄 や 夫 な ど とい う 身 内 の 人 々 か らの 懐 疑 や 侮 辱 は女 性 に と って は最
も耐 え が た い もの と言 え る だ ろ う。魯 迅 の この 激 憤 は周 作 人 の翻 訳 した 「貞 操 論 」 に共 鳴 した の み な らず,そ の根 底 に は,た ぶ ん弟 と同 じ回憶 が 潜 在 して い た の だ ろ う。 これ で 分 か る よ う に,女 性 の性 道 徳 を 禁鋼 した もの は,儒 教 道 徳 ば か りで な く,男 性 中心 の 家 族 制 度 も,そ の 共 謀 者 で あ っ た の で あ る。 女 性 は家 庭 と社 会 か ら二 重 の 圧 迫 を受 け な け れ ば な ら な い 。場 合 に よっ て は,家 庭 か ら の 被 害 は よ り一 層 深 刻 で あ った 。
幼 年 時 代,祖 母 の 実体 験 か ら得 た 中 国 の 女 性 に 対 す る そ の 暗 黒 な 回憶 と裏 腹 に,日 本 留 学 時代, 感 得 した 日本 女 性 へ の 印 象 は,全 く異 な った 様 相 を呈 して い た 。 一 九 〇 六 年 九 月,周 作 人 は魯 迅 と 一緒 に 日本 へ 渡 っ た。 日本到着後 の夜,彼 は魯迅
と本 郷 湯 島 二 丁 目の 伏 見 館 の 下 宿 に泊 ま った 。 周 作 人 は 初 め て異 国 の 地 を踏 ん だ そ の 感 想 に つ い て,こ の よ う に書 い て い る。 「こ の 最 初 の 印 象 は 極 普 通 な もの だ が,し か し,一 方 とて も深 い もの で あ っ た 。 と い う の は,私 が そ の 後 五 十 年 以 来, 何 の 変 更 も或 い は修 正 もな か っ た の で あ る。 一 言 で言 う と,生 活 の 面 に お い て,彼 らの 天 然 を好 み, 簡 素 を尊 ぶ 性 情 で あ る 。 私 が 伏 見 館 で 初 め て 出会 っ た 人 は館 主 人 の 妹 で 同 時 に 下 女 を兼 ね た 乾 栄 子 とい う,十 五 六 歳 頃 の 少 女 で あ っ た 。(中 略)最 も特 別 な こ と に思 え た の は,彼 女 が 素 足 で 室 内 を 行 っ た り来 た り して い た こ とで あ る。」(『知 堂 回 想 録 』 六 六 「最 初 の 印象 」)。周 作 人 は 日本 の 生 活 に愛 着 を感 じたの が 個 人 の 性 分 と習 慣 に よ る と言 っ た が,日 本 の 簡 素 な生 活 と故 郷 の 寒 苦 の 生 活 の 間 に は 相 似 た と こ ろ が あ る の も否 め な い だ ろ う。
日本 で 初 め て 見 た乾 栄 子 とい う少 女 は,幼 年 時 代 の,「 醜 い 小 さ い ア ヒル 」 と 自称 した 周 作 人 を し て,故 郷 の 娯 園 で 見 た 麗陀 い う名 前 の い と こ姉 の
容 貌 を彷 彿 と させ た の で あ ろ う。 こ の 日本 へ の 最 初 の 印 象 が五 十 年 もた っ て,変 わ らず と い う こ と
に は,乾 栄 子 に対 す る鮮 明 な 印 象 も含 ま れ て い る だ ろ う。
周 作 人 が 何 十 年 間 後,三 度 も栄 子 を夢 に み た とい う こ と は,当 初 の 日本 女 性 へ の 第 一 印 象 が 如 何 ほ ど彼 に深 い 影 響 を与 え た か の 証 左 で あ る 。 {:3)「周 作 人 の この 種 の 性 的 表 出 は 一 般 に確 乎 と し
て啓 蒙 的 で あ るが,そ うい う彼 の 一 貫 した関 心 を 支 え る固 有 の動 機 に触 れ よ う とす る と き,た だ微 笑 ま しい だ け の 粋 狂 と も見 え る もの が,意 外 に痛 切 な 意 味 を帯 びて きそ う に さえ 思 え る」。(木 山英 雄 『乾 栄 子 と羽 太 信 子 』)娯 園 のFAと い う名 前 の い と こ姉,杭 州 花 牌 楼 の 「阿 三 」,伏 見 館 の 乾 栄 子 とい う三 人 の 女 子 は,若 い周 作 人 の性 意 識 に ど
う位 置 付 け ら れ る の か 。 乾 栄 子 との経 緯 は,彼 自 身 の 婚 姻 生 活 に どん な影 響 を与 え た か,こ れ また 一 つ の 興 味 あ る 内 的話 題 で あ ろ う。
周 作 人 は 日本 の 生 活 中 の 習俗,例 え ば 清 潔 な こ と,礼 儀 正 しい こ と,洒 脱 な こ とが 好 き だ と言 っ た が,そ の根 底 に は 中 国 の道 学 者 の 偽 善 的 な こ と へ の 強 烈 な 嫌 悪 感 を 引 きあ い に言 っ た の で あ る 。 彼 は 日本 女 性 の 素 足 の 天 然 美 を讃 美 し,同 時 に 中
国女 性 の 病 態 的 な纏 足 に対 して,厳 し く批 判 した 。
「貞 操 論 」 を翻 訳 す る の に,幼 年 時 代 或 い は 留 学 時 代 に得 た 女 性 体 験 を 見 逃 す わ け に は い か ない 。
周 作 人 自身 も言 っ た 通 り,彼 は 日本 の小 説 に対 す る 興 味 は そ れ ほ ど濃 厚 で は な か っ た の で,最 も 多 く読 ん だ の は,や は り随 筆 や 写 生 文 或 い は 評論
で あ っ た。 周 作 人 を最 も共 鳴 させ た永 井 荷 風,谷 崎 潤 一郎 等 の 作 品 に対 して も,例 外 で は な か った 。 彼 の 愛 読 した の は,永 井 荷 風,谷 崎 潤 一 郎 の 小 説
で は な く,随 筆,時 事 評 論 とい う類 の もの で あ っ た 。 こ れ は,小 説 家 の 素 質 を備 え な い 周 作 人 の個 人 的 性 分 に も起 因 した か も しれ な い。 評 論 家 の 晶 子 に心 が 引 か れ た の は,『 新 青 年 』 時 代,翻 訳 家 或 い は社 会 評 論 家 と して 活 躍 して い た 周 作 人 の 関 心 事 と軌 を一 に した の だ ろ う。 もっ と遠 因 を探 っ て み る と,こ れ は,日 本 留 学 前 の 周 作 人 の 女 性 問 題 へ の 注 目 と も無 関係 で は なか ろ う。
晶 子 の 短 歌 集 『み だ れ 髪 』 が 出 版 され て一 ヶ月 後 の 一 九 〇 一 年 九 月,周 作 人 は,江 南 水 師 学 堂 に
入 学 し,彼 の 南 京 修 学 時代 を始 め た 。 そ こで 彼 が 手 に した 初 め て の 「新 しい 書 物 」 が,イ ン ド人 の た め の 英 語 の リー ダ ー で あ る 「イ ン ド読 本 』 で あ っ た。 周 作 人 が 「門 を 叩 く碑 」 と して英 語 を 身 に つ け た こ とは,後 年 の彼 に強 い 影 響 を与 え る よ う に な っ た 。 一 九 〇 四 年,周 作 人 は,魯 迅 か ら送 ら れ て きた絵 入 りの 『ア ラ ビ ア ン ・ナ イ ト』 を も と に 「ア リバ バ と四 十 人 の盗 賊 」 を訳 出 し,薄 雲 女 士 とい う署 名 で,上 海 の婦 人雑 誌 「女 子 世界 』 に 投 稿 した 。 こ れ は 彼 の翻 訳 した外 国 文 学 作 品 の最 初 の もの で あ っ た 。 翌 一 九 〇 五 年 に,『 侠 女 奴 』 と 改 題 し て,単 行 本 と し て 出 版 さ れ た 。 彼 は
「『侠 女 奴 』 説 明」 にお い て,中 国 の 紅 線 女 侠 を引 き合 い に,女 奴 の 「英 勇 の 気 」 を 讃 え た 。 薄 雲 女 士 とい う署 名 に は,一 九 歳 の 男 子 の 女 子 に 対 す る 初 心 な 心持 が 内 包 され て い た。 彼 は,晩 年 に,女 性 の 名 前 を偽 って,雑 誌 に投 稿 した心 境 につ い て, あ る種 の 初 恋 の 形 式 に過 ぎ な い と言 っ た 。 この 捧 雲 女 士 とい う仮 託 に は,娯 園 の 麟 と い う名 前 の い と こ姉 の 面 影 が 暗 に含 まれ た の だ ろ う。 後 に な っ て,「 子 栄jと い うペ ン ネ ー ム に乾 栄 子 へ の 思 い を託 そ う と した そ の 微 妙 な心 境 に も相 通 じた とこ ろが あ る の で は な い か。こ の 一九 〇 四 とい う年 は, 与 謝 野 晶 子 が 出 征 中 の旅 順 攻 撃 軍 に い る 弟 の こ と を思 っ て,詩 「君 死 に た まふ こ と勿 れ」 を書 い た 年 で もあ る。 日露 戦 争 の 最 中,晶 子 の こ の 反 戦 詩 は,国 粋 主 義 者 の 攻 撃 の タ ー ゲ ッ トと され,激 し
く非 難 を 浴 び せ ら れ た 。 こ の 日露 戦 争 に 対 して, 同 じ く苦 しい体 験 を嘗 め た 日本 仙 台 留 学 中 の 魯 迅 と異 な り,こ の 頃,周 作 人 は南 京 で 比 較 的 に穏 や か な修 学 生 活 を過 ご して い た 。
周 作 人 は一 九 〇 五 年 に書 い た 『造 人 術 』 蹟 語 で 女 子 を 「造 化 の神 」 だ と喩 え,ま た 『女 禍 伝 』 に 聖 書 中 の イブ や 中 国史 上 の梁 紅 玉,花 木 蘭 を挙 げ,
「女 子 が 禍 の 元 」 だ とい う中 国伝 来 の 儒 教 封 建 思 想 の 謬 見 に対 して,強 く反 発 した 。 日本 留 学 時 代, 彼 は 独 応 の ペ ンネ ー ム で 『婦 女 選 挙 権 問 題 』(一 九 〇 七 年 十 一 月 『天 義 報 』)と い う一 文 に,英 国 の 雑 誌 か ら婦 女 選 挙 権 に関 す る論 説 を訳 出 し,婦 人 選 挙 権 の 正 当 性 を 述 べ た 。 ま た 『坊 淫 奇 策 』
(一九 〇 七 年 十 一 月 『天 義 報 』)に 中 国 の 旧 小 説 及 び村 芝 居 が 採 り上 げ る の は 「淫 ・盗 ・殺 」 の 三 つ
を出 つ る もの は な く,並 び に これ が 「食 ・色 」 を 無 理 に制 限 した結 果 で あ る か らだ と書 い た。 当 該 文 中 彼 は 「淫 盗 が 悪 名 とな った 故 は 人 々 が 女 子 並 び に そ の 財 産 を私 有 に しよ う と した か ら で あ る 。 女 子 を己 の 私 有 物 と見 な し,故 に他 人 の淫 を 禁 じ, 淫 を犯 した もの を 罪悪 だ と思 う。あ に はか らん や, 女 子 を私 有 物 と見 な す こ と こそ,そ もそ も天 下 の 首 悪 を犯 した の で あ る。(中 略)今 日の 婚 姻 は み な感 情 上 の婚 姻 で は な く,ま た 自 由恋 愛 に よ っ た もの で は な い の で,男 女 の 大 欲(基 本 的 な欲 望) が遂 げ られ ず,そ こ に淫 悪 が生 ま れ る の が こ れ も 理 の 当 然 で あ る 」。 彼 は こ こ で 男 女 の 正 当 な 欲 望
を制 限 す る封 建 道 徳 に反 対 し,色 と欲 は 人 間 の本 性 だ と大 胆 に 肯 定 した 。 父 権 を中 心 と した昔 の 中 国 の 家 族 制 度 の 下 で は,女 性 は 男 性 よ り下 位 な運 命 を甘 受 しな け れ ば な らな か った 。 男 性 は女 性 を 私 有 物 と見 な し,女 性 に厳 しい 貞 操 道 徳 を強 要 し て い た が,一 方 自 ら思 うま ま に 「淫 を犯 した 」 の で あ る 。 彼 は 自由 恋愛 こ そ,古 い 道 徳 に よ っ て, 生 じた 様 々不 貞 操 の行 為(淫 悪)を 無 くす 有 効 な 手 段 と考 え て い る。 この 見 方 は 与 謝 野 晶 子 が 「貞 操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 の なか で 述 べ て い る
「精 神 的 に も 肉体 に も唯 一 を 守 る結 婚 とい う もの は 恋 愛 結 婚 以外 に は遂 げ られ な い 」 と言 った 主 張 と一 致 して い る。 しか し,人 間 の 基 本 的 な欲 望 を 肯 定 す る こ と を 中心 と した彼 の この よ う な性 道 徳 観 は,初 期 段 階 で は ま だ理 論 的 な要 素 に 乏 しい も
の に過 ぎな か っ た と言 わ な け れ ば な ら な い 。 『新 青 年 』時 代 に 「人 間 の 発 見 」 に尽 力 した周 作 人 は, 初 め て 女 性 問題 とい う突 破 口 を見 付 け,本 格 的 に
「女 性 の 発 見」 に取 り掛 か っ たの で あ る 。
3.周 作 人 と 「貞 操 論 」
周 作 人 は 「貞 操 論 ・訳 記 」 で 「『新 青 年Jは, こ の 半 年 以 来,ず っ と広 告 を 出 し,「 女 子 問 題 』 につ い て の投 書 を募 っ て きた 。 当 初 何 篇 か の 応 募 が あ っ た が,こ の 数 ケ 月 来,ま た 静 ま っ て きた 。 だ い た い 人 間 の 自覚 は内 心 か ら 自然 に発 生 した も の で な け れ ば な らな い 。 も し,本 人 に痛 切 に実 感 し なか っ た ら,ど う し よ う も ない 」 と言 っ た。 こ こで 周 作 人 の 最 も主 張 した か っ た の は,女 性 問 題 よ り人 間 自身 の 自覚 と い う こ とで あ る。 個 人 主 義
を 中 心 と した 人 道 主 義 者 の 周 作 人 に とっ て は,女 性 問 題 は あ くま で も人 間 そ の もの の 問 題 で あ る 。 女 性 は 女 性 と して 自覚 す る ま で に は先 ず 一 人 の 独 立 した 人 間 に な らな け れ ば な ら ない 。 こ れ は,社 会 評 論 家 と して の晶 子 の 力 説 して き た女 性 の 人 格 独 立 の 主 張 とは,全 く軌 を 一 に し た もの で あ る 。 言 い換 えれ ば,与 謝 野 晶子 の個 人 主 義 に 共鳴 して, そ れ か ら,与 謝 野 晶子 の 「貞操 は道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 とい う文 章 を翻 訳 した と言 え る 。
与 謝 野 晶 子 の 「貞操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る 」 は 当 初,散 文 集 と して 大 正 五 年 四 月 に東 京 天 弦 堂 に よ っ て 出 版 され た 「人 及 び 女 と して 』 の 中 に 収 め られ て い る。 周 作 人 は訳 文 の 中 に わ ざ わ ざ 日本 語 で 「人 及 び女 トシ テ中 之 一 篇 」 とい う原 題 を書 き込 ん で い る か ら,こ の 散 文 集 を底 本 に した こ と は,ほ ぼ 間 違 い な い 。 「貞 操 論 」(『新 青 年 』 第 四 巻 第 五 号(一 九 一八 年 五 月)の 翻 訳 は,三 月 末 に 始 ま っ た の で あ る 。 「三 月 三 十 一 日,晩,『 人及 び 女 と し て 』 中 の 文 を 十 二 時 ま で 訳 す 」 と あ る 。
(『周 作 人 日記 』 影 印 本,大 象 出版 社,一 九 九 六 年)
「一 九 一 八 年 三 月 購 読 書 目」 を 見 て 分 か る 通 り, 周 作 人 は 遅 く と も当 該 文 章 を 訳 す ニ ケ 月 ま で に は,「 人 及 び女 と して」 とい う文 集 を手 に 入 れ た。
ま た 一 九 一 八 年 と一 九 一 九 年 の購 読 書 目に は 一 九 一 五 年 か ら一 九 一 九 年 まで の 与 謝 野 晶 子 評 論 集 が
ほ とん ど収 録 さ れて い る。(4)
彼 は 「貞操 論 ・訳 記 」 に与 謝 野 晶 子 の こ と を次 の よ う に紹 介 して い る 。 「与 謝 野 晶子 は 日本 の 有 名 な 詩 人 与 謝 野 寛 の 夫 人 で あ る。 以 前 専 ら和 歌 を 作 り,第 一 女 流 詩 人 と称 せ られ,ま た古 文学 者 で もあ っ た 。 現 代 語 で 『源 氏 物 語 』 『栄 華 物 語 』 等 の 書 を訳 し,高 い 声 望 を博 した 。 後,評 論 を書 く
こ と に転 じ,そ の 見 識,議 論 は 悉 く正 大 で あ る 。 我 々 が 思 うに彼 女 は今 日本 の 女 流 評 論 家 の 第 一 人 者 だ と言 え る 。 彼 女 は また 極 め て 進 歩 的 で,自 由 で,真 実 な,そ して しか も極 め て 平 正 な 大婦 人 で あ る。 な か な か 女 界 中 の 頑 固 老 輩 及 び 浮躁 後 生 の 連 中 らの企 及 し得 る もの で は ない 。 そ れ らの 滑 稽 学 者 の 見識 よ り も幾 倍 か 勝 っ て い る。 短 歌 は訳 せ な い が,今 ひ と まず この 一 篇 の 論 文 を訳 す こ とに
した」。
こ れ は,晶 子 に対 す る全 面 的 且 つ 公正 な評 価 だ
と言 え る。 日本 留 学 時代,周 作 人 は,既 に歌 人 と して 活 躍 して い た 与 謝 野 晶子 に注 目 を した。 彼 は 一 九 三 五 年 に書 い た 『与 謝 野 先 生 記 念 』 に 「明 治 四 四 年 頃,東 京 留 学 中,た だ 与 謝 野 夫 婦 二 人 の 書 だ け は読 ん だ が,お 目 にか か っ た こ とが なか っ た」
と残 念 な心 境 を述 べ た 。 周 作 人 は,一 九 〇六 年 か ら一 九 一 一 年 まで 日本 に六 年 間留 学 して い た が, この 期 間 は,晶 子 が 歌 人 か ら評 論 家 へ 変 身 した 転 換 期 と重 な り合 っ て い た 。 日本 留 学 中,与 謝 野 晶 子 の 短 歌 及 び彼 女 の 第 一 評 論 集 『一 隅 よ り』 を読 ん だ と考 え られ る 。 前 に も言 っ た よ う に 『一 隅 よ り』 が,晶 子 の評 論 家 と して 登 場 した 標 識 的 な文 集 で,彼 女 は,こ こ にお い て,本 格 的 に女 性問 題 を論 じる こ と に取 り掛 か っ て い た 。
一 九 一 一 年,周 作 人 は,若 妻 を連 れ,故 郷 へ 戻 って きた 。 帰 国後 の 周 作 人 は,日 本 の 雑 誌 を何 種 類 か 注 文 し,絶 え ず 日本 文 壇 の 動 向 に注 目 して い た。 『婦 人 世 界 』 は そ の 中 の 一 つ で あ る。 『婦 人 世 界 』 は,明 治 三九 年 に創 刊 され た婦 人総 合 雑 誌 で あ る 。発 行 者 は,周 作 人 と密 接 な関 係 の あ っ た実 業 之 日本 社 で あ っ た 。創 刊 号 の 「発 刊 の 辞」 に よ れ ば,本 誌 は 日露 戦 争 直 後 の 「激 烈 な る 世 界 の 競 争 場 に 上 が れ る 帝 国 の 進 運 に鑑 み て,そ の 家 庭, 国家,社 会 に 対 す る責 任 を 自覚 し,男 子 と協 力 し て先 ず 家 庭 の 改 良 を企 図 と し,併 せ て 国 家 社 会 の 福 利 を増 進 す る」 「良妻 賢 母 た ら ん こ と」 を望 み, そ の 役 割 を 十 分 尽 く し得 る 「独 立 的 精 神 」 と社 会 的活 動 の 能 力 を培 う 「実 際 的婦 人 」 を 求 め よ う と し た と い う。 『婦 人 雑 誌 』 の 内 容 は,家 政 ・料 理 ・育 児 ・衛 生 等 実 用 記 事 を 幅 広 く扱 っ て い る 。 中 の 文 芸 欄 は 内 容 が 充 実 して い て,与 謝 野 晶 子 等 の活 躍 した 重 要 な舞 台 で あ っ た 。 彼 女 は,自 身 の 実 体 験 に基 づ き,数 多 くの 雑 感 や 随 筆 を書 い た 。
周 作 人 は 日本 留 学 時代 か ら晶 子 の 短 歌 や 評 論 集 に接 し,彼 女 の 「旧 道 徳 者 の心 胆 を寒 か ら しめ た 」 歌 集 『み だ れ 髪 」 か ら体 得 した と こ ろ が 少 な か ら ず あ っ た の だ ろ う。 これ も生 涯 道 学 者 を攻 撃 した 周 作 人 が 晶 子 の 人 間 讃 美 及 び 人 間 の 本 能 肯 定 の
「極 進 歩,極 自 由,極 真 実 」 の 新 精 神 に 共 鳴 し
「貞 操 論 」 を翻 訳 した 遠 因 だ と も言 え な い こ と は な か ろ う。 しか し,既 述 した よ う に周 作 人 が 注 目 した の は歌 人 の 晶 子 で は な く,社 会 評 論 家 と して
の 晶 子 で あ る。 これ は周 作 人 が 中 国 の 社 会 現 状 に 立 脚 しな が ら,日 本 文 芸 を有 効 に 中 国 に取 り入 れ よ う とす る,彼 の独 特 な視 角 で もあ ろ う。 短 歌 よ り,む しろ そ れ ら,女 性 に 対 して ご く身 近 な る恋 愛 問 題,貞 操 問 題,結 婚 問題 な どに つ い て の 晶 子 の 論 議 の 方 が,中 国 の 「病 状 」 を治 す 良 薬 に多 く 資 し得 る と周 作 人 は 考 え た の だ ろ う。
『一 隅 よ り』 は与 謝 野 晶 子 の 第 一 評 論 集 で 一 九 一 一 年 七 月 に東 京 金 淵 堂 に よ っ て 出 版 され た。 中 に は,後 の 文 集 名 に も な っ た 「雑 記 帳 」 とい う一 篇 が 収 録 され た。 一 九 一 五 年 五 月 の周 作 人 の 書 目 に 「雑 記 帳」 が 記 入 した こ とか ら,彼 は こ れ を読 ん だ と考 え られ る 。 『一 隅 よ り』 に収 録 され た 第 一 篇 の 「婦 人 と思 想 」 で 晶 子 は 「男 子 側 か ら如 何 に多 くの婦 人 問 題 を 出 され て も,婦 人 自 身 が 目 を 覚 さね ば この 問 題 の 正 しい 解 決 は著 か な い で あ ら
う」(『与 謝野 晶 子 全 集 』 第 九 巻,文 泉 堂 書 店,昭 和 四 十 七 年,十 頁)と 女 性 自身 の 自覚 の 緊迫 性 及 び 必 要 性 を強 調 した 。 周 作 人 は,晶 子 の 主 張 と同 じ よ うな こ と を書 い た 。 「だ い た い 人 間 の 覚 醒 は 内 心 か ら 自然 に 発 生 し た もの で な け れ ば な ら な い 。 も し,本 人 に痛 切 な 実 感 が な け れ ば,ど う し よ う も な い 」(「貞 操 論 ・訳 記 」)と い う主 張 は, これ は 晶 子 の 「婦 人 と思 想 」 に書 い た 「婦 人 自身 が 目 を覚 さ ね ば この 問 題 の 正 しい解 決 は著 か ない で あ ら う」 を髪 髭 と させ る。
しか し,周 作 人 が 貞 操 論 を翻 訳 す る に は,も っ と深 層 的 な理 由 が あ る よ う に思 わ れ る。 「貞 操 論 訳 記 」 に 書 い た よ う に,「 女 子 問 題 の 重 要 性 に も か か わ らず,そ れ に つ い て の 議 論,意 義 が な お 蓼 々 た る状 態 の 中 で,一 石 を投 じ よ う と した」 の は 周 作 人 の 「貞操 論 」 を翻 訳 した 主 な理 由 の 一 つ で あ る が,問 題 は大 正 初 頭,日 本 で は貞 操 問 題 につ い て 彩 しい文 章 が 書 か れ て い る 中で,周 作 人 は なぜ 与 謝 野 晶 子 の 「貞操 は道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 とい う文 章 だ け を訳 した の だ ろ うか とい う こ とで あ る。
周 作 人 は 「貞操 論 ・訳 記 」 に社 会 評 論 家 と して の 晶 子 を高 く評 価 し,ま た 晶 子 の見 識 に共 鳴 す る と こ ろ が 多 い と言 っ た。 『新 青 年 』 の 「女 子 問 題 」 に関 心 を寄 せ て い た 当時 の 周 作 人 は,女 子 問 題 に つ い て す で に周 到 な見 解 を抱 い て い た晶 子 の 文 章
に何 か 啓 発 され た の も極 自然 の こ とで あ る。 中 で もむ しろ晶 子 の 貞操 論 よ り,彼 女 の 女 子 問題 論 な い し人 間 その もの に対 す る論 述 な ど は,最 も周 作 人 を引 きつ け た もの で あ る。 晶 子 の,女 子 問 題 が 究 極 にお い て 人 間 自 身 の 問 題 で あ る とい う論 議 は,当 時 女 性 問題 を 「人」 の 問 題 の 重 要 な 一 環 と 見 な して い た周 作 人 の 認識 とは全 く一 致 して い る と言 っ て も過 言 で は な い 。 言 わ ば,晶 子 の,女 性 を 「人 間」 の一 分子 と して 発 した 数 多 くの 議 論 は, 周 作 人 の 「人 間学 」,特 に女 性 学 の 重 要 な思 想 源 の 一 つ で あ ろ う と も言 え る。
第二節 与謝野晶子 と女性問題 1.晶 子 の女 性 観
一 九 〇 八 年 十 一 月 『明 星 』 は 第 一 〇 〇 号 を も っ て廃 刊 に な っ た 。 晶 子 は 三 十 歳 で,す で に 四 人 の 子 の 母 親 で あ っ た 。 基 本 的 な発 表 場 所 を失 っ た 晶 子 は依 頼 され る ま ま,或 い は積 極 的 に他 紙 誌 に随 筆 ・評 論 ・短 篇 小 説 を 発 表 して い く よ う に な っ た。 一 九 一 一 年 七 月,晶 子 の 第 一 評 論 集1隅 よ り』 が 出 版 され た 。 こ れ は 前 に も言 った よ う に社 会 評 論 家 と して の 晶 子 が 歩 み 出 した 第 一 歩 の標 識 的 な文 集 で あ る 。 自 己 の 実 体 験 に 基 づ き,綴 っ た 歌 集 『み だれ 髪 』 にお い て,大 胆 に女 性 美 或 い は 女 性 の 官 能 美 を 晶 子 は肯 定 した。 そ の 一 世 を風 靡 した 晶子 の 歌 人 時代 の輝 か しい 一 面 に比 べ て,評 論 家 と して は 一般 に な じみ が うす い と思 われ る。
第一 評 論 集 『一 隅 よ り』 に収 め られ た 「産 屋 物 語 」 は 晶 子 の 最 初 の 女 性 問題 論 で あ る。 「そ れ ら の 土 壌 に は,女 と して,母 と して の 実 感 か ら生 ま れ た もの が 多 い 。 しか し,単 な る 母 親 で な い と こ ろ は,出 産 を 経 験 して 得 た 女 の 強 さ を,「 人 」 と して の 平 等 観 へ と昇 華,理 論 化 して い る と こ ろ に あ ら わ れ て い る」。(鹿 野 政 直 ・香 内 信 子 編,『 与 謝 野 晶 子 評 論 集 』岩 波 書 店,一 九 八 五 年,三 十 頁) 当該 文 中,晶 子 は 文 学 者 が 女 を弱 者 と し,こ れ を 弄 ぶ もの に し,対 等 の 「人 」 た る 価 値 を 認 め な い こ と に対 して,強 く批 判 して い た 。 彼 女 は男 子 に しろ,女 子 に しろ,同 じ く人 で あ る とい う こ と を 前 提 に した上,男 女 問 題 を考 え な け れ ば な ら ない と強 調 して い た 。 「婦 人 と思 想 」 の 中 に 晶 子 は 一
連 の 設 問 を 設 け,女 子 が 独 立 し た 「人 」 で あ る べ き こ と の意 義 を語 っ て い る。 独 立 した 「人 」 に な る 前,先 ず 女 子 自 ら の 覚 醒 が 不 可 欠 な もの で あ る 。
「良 妻 賢 母 を作 る前 に立 派 な娘 を作 れ,立 派 な 娘 を作 る前 に立 派 な 人 を作 れ」 とは女 子 教 育 の 最 も緊 要 な こ と だ と晶 子 は い つ も強 調 して い る 。 先 ず 人 間 とな れ,女 子 も人 間 で あ る と教 え る の が 教 育 の 根 本 で あ る。 女 子 教 育 は 何 よ り婦 人 を 人 間 と して,教 育 し,婦 人 自 ら人 間 の 趣 味 を解 し得 る よ う,真 に生 命 あ る 人 格 教 育,第 一 義 教 育 を施 さね ば な ら ない 。
晶 子 は 「先 ず 個 人 的 に 目覚 め よ」(一 九 一 八 年 六 月 『心 頭 雑 草 』 所 収)に 「個 人 と して の 権 威 の 尊 貴 と,個 人 の 力 量 の 無 限 に豊 富 な こ と」r「男 女 平 等 の 思 想 」 「国 家 が 個 人 の 延 長 で あ っ て,国 家 が 個 人 を支 配 す る もの で な く,個 人 と国 家 が 一 体 の もの で あ る」 「女 子 の 職 業 的 独 立 」 「自主 的 恋 愛 と結 婚 」 等 が 女 子 の 反 省 すべ き事 だ と主 張 して い た。 彼 女 は経 済 的 或 い は 職 業 的 独 立 が 女 子 人 格 独 立 に お け る物 質上 の 前 提 で あ り,女 子 教 育 或 い は 読 書 が 一 人 前 の女 性 に な れ る精 神 上 の 保 証 で あ る
と力 説 して い る。
晶 子 は 更 に一 歩 進 み,男 子 と し て も独 立 し た
「人 」 で あ る べ きだ と主 張 して い る 。 彼 女 は 「男 子 も先 ず 「人 」 と な れ 」(一 九 一 八 年 六 月 に 読 売 新 聞 記 者 の 問 に答 え て 『与 謝 野 晶 子 全 集 』 第 十 巻,文 泉 堂 書 店,昭 和 四 十 七 年,三 五 〇 頁)で 男 子 教 育 の 主 旨 につ い て 「先 ず 物 質 的 に も精 神 的 に も独 自 の 確 立 性 を 備 え た 健 全 な 一 人 の 人 間 に な れ,立 派 な一 人 の 男 子 に な れ とい う こ と を主 と し て教 育 す べ きだ 」 と提 唱 して い た 。 この 二 つ の 独 立 を絶 えず 完 成 して い こ う と心 掛 け て い る男 子 は 健 全 な人 間 で あ る。 要 す る に男 女 と も人 間 の 一 員 で あ り,物 質 的 に も精 神 的 に も先 ず 真 の 「人 」 に 成 長 しな け れ ば な らな い と い うの が 晶 子 の 唱 え た 人 間 主 義 の 主 旨で あ る。
2,晶 子 の 貞操 論 及 び その 周 辺
与 謝 野 晶 子 の 文 集 を 読 ん で 分 か る こ と だ が,
「貞 操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 は,晶 子 の 貞 操 問 題 に つ い て 書 い た 最 初 の 論 文 で は な か っ た 。
『人 及 び女 と し て』 よ り五 年 間 前 に 『女 子 文 壇 」 (一 九 一 一 年 十 月)に 掲 載 さ れ た 「私 の 貞 操 観 」 とい う論 文 に お い て,晶 子 は 既 に 「貞 操 の 起 源 」
「自分 自 身の 貞操 観 」 「男 子 の貞 操 」 な ど につ い て, 詳 し く論 じた 。 「貞 操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る 」
とい う文 章 で,彼 女 の力 説 した 「貞操 潔癖 説 」 は, この 一 篇 か ら看 取 で きた の で あ る 。 しか し,周 作 人 と与 謝 野 晶 子 の 貞 操 論 に つ い て の 先 行 研 究 は, 晶 子 の 貞 操 論 に関 した この 重 要 な論 文 に は,ほ と ん ど触 れ な か った 。
晶 子 は 貞 操 の 意 味 を こ う解 釈 した 。 「貞 操 に は 処 女 と して の 貞操 と,妻 と して の 貞 操 と二 つ の 区 別 が あ る よ う に思 わ れ る 。 昔 は他 の 男 を見 て 心 を 動 か す もの は既 に姦 淫 した の と同 じだ とい う考 え 方 もあ っ たが,自 分 は一 概 に そ うは 思 わ ない 。 あ る時 期 に達 した 処 女 が 異 性 を見 て好 悪 の情 を動 か し,進 ん で は 恋 愛 の 感 情 に まで込 み 入 る の は,食 事 や 睡 眠 の 欲 望 と共 に 自然 の 要 求 で あ って,欲 望 が そ れ にの み 偏 しな い 限 りそ れ を不 正 だ とい っ て 押 さ え つ け る 理 由 は一 つ も な い 。 恋 愛 は全 く自 由 で あ る 。 そ うい う好 悪 の情 け や 恋愛 が 自生 す る の で,そ れ に催 され て処 女 が 一 生 の協 同 生 活 の 伴 侶 で あ る良 人 を 選択 す る鋭 敏 な また慎 重 な心 の 眼 も 開 い て行 く。 但 し如 何 に恋 愛 関係 が 成 熟 して い て も,終 生 の 協 同 を 目 的 とす る結 婚 関 係 に由 らず し て 自 己 の 肉体 を男 子 に 許 す こ と を しな い の が 処 女 の 貞操 で あ る 。 処 女 の 貞 操 が専 ら 肉体 的 で あ る の とち が っ て,結 婚 後 の婦 人即 ち 妻 と して の 貞 操 は 良 人 以 外 に精 神 的 に も肉 体 的 に も他 の 男 子 と相 愛 の 関係 を生 じない こ と を意 味 す るの で あ る」。(鹿 野 政 直 ・香 内 信 子 編 『与 謝 野 晶 子 評 論 集 』,岩 波 書 店,一 九 八 五 年,八 十 一 頁)
自分 の 貞 操 の こ と を晶 子 が 「純 潔 」 とい う言 葉 で表 現 し,こ れ は 「貞操 は 道徳 以 上 に尊 貴 で あ る」
で主 張 した 「私 の 貞操 は趣 味 で あ る,信 仰 で あ る, 潔 癖 で あ る」 の とは ほ とん ど同 じで あ る。 彼 女 に は 「純 潔 」 を尊 ぶ 性 情 が あ る。 言 い換 えれ ば 一種 の 潔癖 で,正 しい 事 を好 む心 で あ る。 彼 女 は こ の 性 情 が 自分 の 貞 操 を正 し く持 す る こ との 最 も大 き な 理 由 だ と考 え た 。 唯 貞操 の 上 ば か りで は な く, 彼 女 の 一 切 は この 性 情 が 中心 に な っ て常 に支 配 し
て い る よ う に考 え られ る 。
晶 子 は 「私 の 貞操 観 」 にお い て,自 分 だ け の 経 験 か ら出発 した特 殊 の 貞操 観 を述 べ,こ れ を一 般 の 婦 人達 に及 ぼ しが た い もの で あ る こ と を よ く知 って い る 。 彼 女 は ま た女 子 の 再 婚 者 や 未 亡 人 の 貞 操 に も言 及 した が,そ の 主 張 は 明 らか に時 代 の 限 界 を帯 び て い る 。例 え ば 「未 亡 人 とい う もの は故 人 某 の妻 で あ る 。 そ れ が再 嫁 をす る と い う こ とは 法 律 上 に姦 通 で は な い に して も,本 人の 心 持 は疾 し くな い もの で あ ろ うか 。 未 亡 人 の 貞 操 観 と い う もの も赤 裸 々 に語 る人 が あ っ て ほ しい」 と疑 問 に 思 っ た 。 男 子 の 貞 操 観 に つ い て,彼 女 は 「男 子 は 生 理 的 に女 子 と よ ほ ど違 っ た と こ ろ が あ る」 と認 め,「 男 子 の 貞 操 は よほ ど趣 を異 に せ ね ば な らぬ はず で あ る。 男 子 は 貞操 を守 る に堪 え な い と もい わ れ よ う」 と男 子 の 貞 操 観 を ル ー ズ に 見 て い た 。 彼 女 は 「自分 の 貞 操 は男 子 良 人 の 貞 操 の 如 何
に よ っ て 動 揺 す る もの で は な い 。 自分 の 肉体 を清 らか に保 つ の は 自分 の心 の 象 徴 だ と して,何 よ り も先 ず 自分 の た め に尊 重 す る の で あ る。 そ う して こ れ は 誇 るべ き事 で もな い 何 で も な い,自 分 に取 っ て 当 然 の 事 だ と思 っ て い るjと 自分 の 貞 操 観 を 締 め くく っ た。 「自分 の 貞操 は 男 子一一 良 人 の 貞操 の 如 何 に よ っ て動 揺 す る もの で は な い」 との 貞操 観 は,い か に も周 作 人 の 「大 婦 人 」 とい う誉 め言 葉 に相 応 しい もの で あ る 。 更 に これ も晶子 自 身 の 体 験 か ら発 した 慨 嘆 で あ った か も しれ な い 。〔5)
『人 及 び女 と し て」 は 晶 子 の 第 三 評 論 集 で 一 九 一 六 年 四 月 に出 版 され た もの で,一 九 一 一 年 か ら 一 九 一 六 年 まで に書 い た 六 十 五 篇 の評 論 を収 め て い る 。 『太 陽 』 誌 上 に発 表 し た もの が 大 部 分 を 占 め て い る。 彼 女 は評 論 集 「自序 」 に 「時 は 明 治 か ら大 正 へ と移 っ て い る 。 日本 の 女 も また 男 の よ う に あ らゆ る 虚 偽 と妥 協 と か ら脱 して,真 実 に 発言 し,真 実 に行 為 す る こ とを 許 さ るべ き時 機 に達 し て い る と信 じます 。 私 は こ こに 最 近 の感 想 を 集 め て 『人 及 び 女 と して 』 と題 し ま した 。 この 標 語 は 私 の こ の書 が 何 を語 って い る か の 説 明 ばか りで な く,私 自 身 が 現 に意 識 しつ つ 営 んで い る実 生 活 の 態 度 の 率 直 な表 現 で あ る の で す 。 か つ て ギ リ シ ア の 大 哲 が 四 徳 の 一 つ に数 え た 「節 制 」 を私 は永 久 に 人 間 生 活 に必 要 な一 条 件 だ と考 え て お り ます 。 私 の 思 想 に も実 行 に も私 の 生 の 自尊 か ら出発 した
反省 と慎 重 とが 相 応 に あ り ます 。 … …私 は真 の 自 由 を求 め て,虚 偽 の 自 由で あ る と こ ろ の 放 縦 無 規 律 を排 斥 し ます 。 例 え ば 因 習 の 束 縛 か ら脱 した聡 明 な 女 は在 来 の 女 と違 っ て 自律 的 合 理 的 に一 層 よ
くそ の 貞 操 を徹 底 す べ き もの だ と思 い ます 。 私 は ま た 個 人 の独 立 を求 め て,利 己 的 廃 頽 的 な孤 立 に 反対 します 」 と書 い て い る。
正 に与 謝 野 晶子 が 『人及 び 女 と して 』 の 「自序 」 に 言 っ て い る よ う に 日本 は既 に 「明 治 か ら大 正 へ
と移 っ て い る」 の で あ っ た。 晶 子 は この 新 しい 時 代 に直 面 した 「日本 の 女 も また 男 の よ う に あ らゆ る 虚 偽 と妥協 とか ら脱 して,真 実 に発 言 し,真 実 に 行 為 す る こ と を 許 さる べ き時 機 に達 して い る」
と確 信 して い る。 一 九 一一一 年 に与 謝 野 晶 子 が 『人 及 び女 と して 』 の執 筆 を始 め た 頃,日 本 で は大 正 デ モ ク ラ シ イー 運 動 が 起 こ っ て い た 。一・九 一 六 年 に な る と,民 衆 運 動 は 次 第 に高 揚 し,政 党 内 閣 の 樹 立,普 遍選 挙 の 実 施 と と も に,婦 人参 政 権 や男 女 平 等 な どの 問 題 も多 くの 人 々の 関心 を呼 び,盛i ん に論 じ られ る よ う に な っ た 。 晶 子 は この 運 動 に 対 して賛 成 の 態 度 を とっ て い た。 特 にデ モ ク ラ シ ー の 一 環 と して の婦 人 問題 につ い て 晶 子 は強 い 関 心 を示 し,女 子 参 政 権 や男 女 の 共 学 な ど を強 く主 張 して い る。 一 方 明 治 四 十 四 年 に女 流 文 芸 誌 『青 鞘 』 が創 刊 され,与 謝 野 晶 子 は平 塚 ら い て う㈹の 願 い を受 け 入 れ,こ の 雑 誌 の 賛 助 員 と な っ た 。 こ の 『青Jを 有 名 に して きた の は,何 と言 っ て も 創 刊 号 を飾 っ た 晶 子 の 「そ ぞ ろ ご と」 十 二 編 と平 塚 ら い て う の 「創 刊 の 辞 」 で あ っ た と言 え よ う。
「元 始 女 性 は 実 に 太 陽 で あ っ た」 に始 ま る らい て う の 文 章,「 山 の 動 く 日来 る」 と書 き出 され た 晶 子 の 詩 は,い ず れ もこ の 時代 に あ って,大 胆 この う え も な い 「女 性 解 放 宣 言 」 だ と言 え る の だ ろ う。
『青 鞘 』 は,近 代 日本 に お け る 「女 性 解 放 運 動 」 の 先 駆 け と位 置 付 け られ て き た の で あ る。 つ ま り 一 般 的 に は 最 初 「女 流 文 芸 誌 」 と し て 出発 し た
『青 鞘 』 が,「 新 しい 女 」 とい うこ とで 世 間 の 思 い が け ない 非 難 を浴 び,そ れ が きっ か け で む しろ社 会 問 題 と して の 「女 性 問題jに 関 心 を持 つ よ う に な っ て い っ た と説 明 され る」。(米 田 佐 代 子 ・池 田 恵 美 子 編 『「青 鞘 」 を 学 ぶ 人 の た め に』 世 界 思 想
社,一 九 九 九 年)
「山 の 動 く 日来 る か く云 へ ど も人 わ れ を信 ぜ じ 山 は しば ら く眠 り しの み そ の昔 に於 て 山 は 皆 火 に燃 え て動 き し もの を され ど 人 よ あ あ 唯 こ れ を信 ぜ よ す べ て 眠 り し女(を む ご) 今 ぞ 目覚 め て 動 くな る」 「一 人 称 に て の み 物 書 か ば や わ れ は 女 ぞ 一 人 称 に て の み 物 書 か ば や わ れ は わ れ は」。
こ れ は 晶 子 が 『青 鞘 』 創 刊 号 に書 い た 「そ ぞ ろ ご と」 十 二 編 最 初 の 二 首 で あ る 。 「山」 とい う イ メー ジ は,ら い て うの 「太 陽」 と 同 じ く,女 性 を 喩 えて 言 っ て い る こ とが 明 らか で あ る 。今 ま で 覚 醒 して い な い 女 性 が あ た か も眠 っ た 山 の よ うに無 闇 に世 人 に無 視 され て い る。 但 し,山 は そ の 蓄 積 した 力 が い つ か 爆 発 しな け れ ば な らな い 。 女 性 も 同 じよ う に堂 々 と 「わ れ は女 ぞ 」 と言 い な が ら 自 分本 当 の 姿 を世 人 に見 せ る機 運 が や って き た。
『青 鞘 』 に投 稿 し た女 性 達 が あ る い は 文 学 作 品 の か た ち を と り,あ るい は エ ッセ イや 評 論 の か た ち を とっ て 表 現 し よ う と した もの は あ く まで も女 性 自 身 の こ とで あ る 。 彼 女 ら は女 性 で あ る 自分 自 身 を 「性 と して の 自己 」 と して 認 識 し,そ の 「自 己 と は何 か 」 とい う問 い か け に対 して,自 身 の 体 験 で 回答 を求 め よ う と して い る。 こ れ は 女 性 が 自 分 の 性 に 関 心 を持 つ こ と 自体 タ ブ ー と さ れ て い た 時代 へ の挑 戦 で あ る 。 発 刊 後 問 もな い 『青 轄 』 に 掲 載 され た 「作 品」 群 の 中 に は,こ う した 「性 と して の 自己 」 へ の 関 心 を書 き込 ん だ もの が 少 な く ない 。 こ う した試 み は,や が て らい て うや 伊 藤 野 枝 ら 中心 メ ンバ ー の 恋 愛,結 婚,出 産 体 験 な ど を 通 して 「貞 操 」 「堕 胎 」 「廃 娼 」 な ど と呼 ば れ る 三 大 論 争 へ と発 展 して い くの で あ る 。特 に雑 誌 「反 響 』 に掲 載 され た 「貞 操 論 争」 の 引 き金 とな っ た 生 田 花 世 の 痛 切 な体 験 告 白 「食 べ る こ と と貞 操 」 を は じめ,文 字 通 り 「パ ン ドラ箱 」 を ひ っ く りか え した よ うな 「セ ク シ ュ ア リ テ ィ」 に関 わ る 論 争 が 繰 り広 げ られ て い た。
花 世 の 告 白 は,職 もな い 財 産 もな い 女 が 一 人 で 食 べ て い こ う とす れ ば雇 い 主 か ら理 不 尽 な 目 に遭 っ て も抗 議 で き な い 矛 盾 を 告 発 した もの で あ る 。
「こ の 今 の 日本 の 家 族 制 度 及 び社 会 制 度 が 女 を こ の よ う に困 らせ るの で あ る。 女 に 財 産 を所 有 させ
ぬ 法 律 が あ る 限 り及 び女 に職 業 の ない 限 りは 女 は 永 久 に 「食 べ る こ と と貞操 」 と の戦 い に恐 ら く 日 に 何 百 人 と云 ふ 女 は貞 操 よ り も食 べ る事 の 要 求 を 先 とす る の で あ る 。 私 た ち女 に財 産 と職 業 とが な い事 は本 当 に忘 れ る こ との 出 来 ぬ 災 害 で あ る と思 っ た り した 」(『反響 』 一 九 一 四 年 九 月 号)と 貞 操 が 奪 わ れ た 女 主 人 公 が 不 平 等 な経 済 制 度 に対 す る 憤 慨 の 声 を あ げ た 。
花 世 の体 験 告 白 に対 す る第 一 の 反応 は 安 田 皐 月 か ら で あ っ た。 困 窮 の 末 な ら,性(処 女)を パ ン に か え る こ とは不 道 徳 で は な い と花 世 が 言 っ て い る が こ れ に 対 して,皐 月 は,性 をパ ン にか え る こ と は 「売 春 」 で あ り,貞 操 一 性 は,「 人 間の 女 の 全 般 で あ るべ き筈 の 懸 換 へ の な い 尊 い 宝 」(「生 き る 事 と貞 操 と」 『青 」 四 一11)で あ るか ら,た
と え貧 窮 の 極 み の 時 で あ れ,性 は売 っ て は な ら な い と い う。 つ ま り売 春 は 不 道 徳 な行 為 な の で,し て は な らな い こ と だ と花 世 を激 し く批 判 した 。 皐 月 の 激 しい 調 子 の 反 撃 に驚 い た 花 世 は,「 周 囲 を 愛 す る こ と と童 貞 の 価 値 と」(『反響 』 一 九 一 五 年 一 月 号)で 皐 月 に反 論 した 。花世 の言 った貞操 は 妻 の 貞 操 で は な く,「 処 女 を棄 て る と い うこ と は 汚 辱 で は あ り ませ ん」 と,論 点 を未 婚 女 性 の 純 潔 問 題 に移 し,「 娘 が 処 女 を 大 切 にす る の は,結 婚 に際 し有 利 に そ の 身 を処 す る」 とそ の 功 利 性 と強 要 性 を指 摘,自 分 はそ う した功 利 性 を持 た な い と 言 っ て い る 。
こ れ に反 応 した の が 伊 藤 野 枝(7)と平塚 らい て う で あ っ た 。 野 枝 は,何 処 に処 女 とい う もの が そ ん な に尊 い の だ と問 わ れ れ ば そ の 理 由 を答 え る こ と が で き な い と,「 習 俗 打 破 」(「貞 操 に就 い て の 雑 感 」 『青 鞘 』 五 一2)を 言 い,ら い て うは,「 処 女 は 大 切 で あ る か,な い か 」 で は な く,「 何 時 まで 処 女 を保 つ とい う こ とが,彼 女 自身 の た め に大 切 か 」が 問 題 で あ る と,選 択 の 問 題 と して と らえ た 。 第 二 の論 点 は,未 婚 の 女 性 に強 要 され る処 女 を め
ぐる 問題 で,従 来 は こ れ が 貞 操 論 争 と呼 ば れ て き た 。 こ の 未 婚 の 処 女 性 の 問 題 で は,安 田 も 「氏
(生 田)に して,一 瞬 の 恋 愛 の 閃 き に尊 い 宝 を万 人 の 異 性 に 許 した と して も私 は氏 で な い 以 上,氏
に対 して 何 も言 う事 を持 た な い」 と言 い,未 婚 の 処 女 性 を問 題 とす るの で は な く,た だ 性 をパ ンに
変 え る こ とを批 判 す る わ け で,こ の 四 人 の 女 性 と も未 婚 の 女 性 の純 潔 に つ い て は,女 性 の選 択 の 自 由 の 問 題 と して い る。 花 世 は,再 び安 田 に 対 して 書 き,自 分 は 道 徳 上 の 悪 い こ とを した とは 思 っ て い な い と き っ ぱ り言 っ た 上 で,「 私 の 身体 は,二 十 四 歳 で 燗 熟 して い た 。(中 略)そ して,私 の 身 体 が 異 性 を求 め て い た。 彼 女 が 苦 しげ に あ え い で 暮 らす 疲 労 の 中 心 は全 く性 の 圧 迫 で あ る」(「再 び 童 貞 の価 値 に つ い て 」 『反響 』 一九 一 五 年 二 月 号) と女 性 の 身 体 に も生 殖 に繋 が らな い 性 欲 が あ る こ と を主 張 す る 。
生 田 花 世 の 「食 べ る こ と と 貞操 と」 を皮 切 りに
『青 鞘 』 の 伊 藤 野 枝,安 田 皐 月 な ど に よ り,か な り激 しい 論 争 の 火 花 が 闘 わ さ れ た。 「そ れ が 又 寂 真 な る 論 壇 の 一 角 を破 っ て 相 応 に 世 間 の 注 目 を惹 き 反響 もあ っ た」 と 『新 公 論1の 記 者 が そ の 「新 貞 操 論 」 コ ラ ム の 巻 頭 に書 い て い る。 続 い て 「こ の 問 題 は婦 人 の 自覚 に伴 い 早 晩 起 り来 た らね ば な らぬ 当 面 の 由 々 しい 問 題 で あ っ た 。 男 子 が無 条 件 的 に婦 人 の 貞操 を要 求 し,婦 人 が 又 没 批 判 的 に 貞 操 を讃 美 して きた よ う な因 習 的 時代 は既 に去 っ た の で あ る。 我 等 は今 日 まで 閑却 され て い た この 真 剣 な る問 題 の前 に徹 底 し た明 白 な る解 決 を行 うべ き機 会 へ 将 に逢 着 した と信 じる」(「新 公 論 』 三 十 巻,大 正 四年 四 月)と 呼 び か け た 。 こ の コ ラ ム の 巻 頭 文 は大 杉 栄 の 「処 女 と貞操 と差 恥 と」で あ る 。 大 杉 は伊 藤 野 枝 へ の手 紙 とい う形 で,『 反 響 』 の 生 田花 世 と 『青 鞘 』 同 人 達 との 間 に繰 り広 上 げ ら れ た 貞 操 論 争 につ い て,詳 し く コ メ ン トした 。 著 名 な作 家 徳 田 秋 声 は 「私 の 貞操 観 」 に 「貞 操 とい う もの は 各 自が 自 身 の 為 に持 っ て い るべ き はず の もの だ 。 しか し,人 間 と い う もの は必 ず し もそ の 本 来 か ら して 一 概 に律 す る こ と はで きな い 。 貞 操 問題 も相 対 的 に な っ て くる場 合 もあ る 。 け れ ど も 根 本 的 に言 えば 無 論 自分 が 各 々 に持 って い る もの だ」 と主 張 した 。 彼 は ま た どん な人 間 で も絶 対 に 貞操 な ど とい う もの を守 り得 る こ とは 出 来 な い か ら,理 想 に過 ぎ な い と言 っ て い た 。 安 部 能 成 は
「貞 操 に つ い て 」 に 「貞操 は 真 実 な る 愛 の 要 求 で あ る,ま た 保 証 で あ る,男 女 の 愛 に お い て は,心 の 結 合 に 止 ま らず,肉 の 結 合 に 及 ぶ 」 と述 べ た 。
『青 鞘 』 の 執 筆 者 の 一 人 で あ る岩 野 清 は 「絶 対 の
貞 操 は な し,ま た 絶 対 の 無 貞操 も な し」 と語 っ て い た 。 ま た こ の 『新 公 論 』 に は 晶 子 の 「貞操 の 解 釈 」 が 載 せ られ た 。 内容 はす で に前 に引 用 した が
「貞 操 倫 理 は 個 人 の 体 質 と天 分 と,教 育 と,境 遇 と,霊 性 と,性 欲 と好 悪 と年 齢 と に関 係 す る もの で あ る」 と晶子 は 主 張 して い る 。 これ は半 年 後 の
「貞 操 は 道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 との 論 議 に 受 け 継 が れ た の で あ っ た。
大 正 四 年 八 月 十 九 日か ら三 十 日 まで の 『朝 日新 聞 』 に も 「男 女 貞 操 問題 」 の コ ラム を設 け,主 に あ る 文 士 の 三婚 をめ ぐ って,色 々 な意 見 が 集 め ら れ て い た 。 宮 崎 光 子 は そ の 第一 篇 の 「男 女 の 貞 操 に就 い て 」 に 「この 人倫 の 根 本 た る貞 操 を躁 躍 す る風 潮 は,浴 々 と してあ らゆ る社 会 を犯 しま して, 貴 賎 上 下,到 る と こ ろ この 病 毒 に侵 され て お り ま す,殊 に青 年 の 階 級 に於 い て最 も無 視 せ らる る傾 向 が 著 しい もの で あ ります 」 と言 っ て い る 。 彼 は 劣 等 文 学 の 勃 興,特 に劣 等 文 士 な る もの の 素 行 が 貞 操 を乱 す 直 接 的 原 因 だ と言 っ て い た。 更 に八 月 二 十 六 日の 当 該 新 聞 に 「貞 操 の 根 底 」 を 書 き,
「貞 操 は 即 ち 善,優,美,高,大,上 な どの 根 本 生 命 を現 す もの で,不 貞操 は即 ち悪,劣,醜,低, 小,下 な どの 根 本 生 命 に反 す る もの で あ りま す 。 約 して こ れ を 申 します な ら ば,貞 操 は 自覚 した る
自己,徹 底 した る 自我 の行 動 で あ りま して,不 貞 操 は,無 自覚,不 徹 底 の行 動 で あ ります 。(中 略) 貞操 は 愛 の 根 源 で あ り ます,道 徳 論 理 の 基 礎 で あ り ます 」 と専 ら道 徳 を基 準 に して,某 文 士 の行 為 を批 判 した 。
以 上 の 見 方 と 反 対 に 井 上 哲 次 郎 が 最 後 の 一 篇
「精 神 的 努 力 」(八 月 三 十 日)に 道 徳 一 点 張 りで 理 非 曲 直 を 問 わ ず,文 士 の 不 徳 を批 判 す る の は妥 当 で は な い と主 張 した 。 彼 は ゲ ー テや バ イ ロ ンな ど を例 に挙 げ て,こ う語 っ て い る 。 彼 らは 「普 通 道 徳 を以 っ て論 ず る に は一 寸 困 る よ うな こ とが 多 か った 」 が 「しか しな が ら,そ の 作 品 には 因 習 道 徳 を超 越 した偉 大 な思 想 感 情 が 人 を教 化 して い く と こ ろが あ る」 と讃 え た 。 か とい っ て,彼 は こ れ ら の 極 端 な例 を言 前 と して普 通 人 の 守 るべ き 貞操 問 題 を曖 昧 に して は な ら な い と も注 意 した 。 井 上 は
「貞 操 問 題 は実 に人 間 の 霊 的 方 面 を発 揮 す べ き大 精 神 の上 に根 底 を置 く。 精 神 上 の 制 御 な く,本 能
の 儘 に行 動 す る の は,即 ち 獣 格 で あ る 。(中 略) 人 間 の 理 想 は 獣 的 の 部 分 を常 に霊 的 の 部 分 に よ っ て 打 ち 克 た せ て ゆ く所 に あ る 」 と 言 っ て い る 。 r朝 日新 聞 』 の 誌 面 を賑 わ せ た この 貞 操 問 題 論 争 に 出 た 人 々 に は以 上 にあ げ た有 名 人 の顔 ぶ れ の ほ か,ま た 「貞 操 の社 会 に及 ぶ 影 響 」,「貞操 に 関 す る 疑 問 」 「生 物 上 か ら見 る貞 操 」 「一 夫 一妻 制 」 な ど とい っ た,他 方 面 にお い て,こ の 論 争 の 陣 営 に 参 与 した 人 もい た の で あ っ た。 ㈹
3.「 貞 操 は道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」
以 上 列 挙 した新 聞 雑 誌 で の 諸 々 の 貞操 論 に呼 応 して い た か の よ う に与 謝 野 晶 子 が 「貞 操 は道 徳 以 上 に尊 貴 で あ る」 とい う文 章 の 初 め に 「今 年 は 貞 操 とい う こ とが 問題 に な っ て,女 子 の 貞 操 ば か り で な く,男 子 の 貞操 と い う よ うな こ と ま でが 論 ぜ
られ る よ うに な りま した」 と感 慨 を述 べ た。 晶 子 の 論 文 は,貞 操 と道 徳 と の 矛 盾 性 を前 面 に 出 し, 古 い 道 徳 に い う貞操 に疑 問 を呈 す る形 で 貞操 観 を 論 じた 。 貞 操 を 単 に道 徳 とい う物 差 しで,は か ろ う とす るの は,妥 当 な こ とで は な い 。無 法 な 道 徳 を排 斥 し,必 要 な道 徳 を新 し く制 定 しな け れ ば な らな い 。 道 徳 は 人 間 の生 活 の た め に 制 定 され るの で,も し,そ れ が 必 要 で は な くな り,ま た は 人 間 の 生 活 を 阻害 す る な ら,取 り消 す べ きで あ る 。 逆 に若 し道 徳 の た め に 人 間 が 生 存 して い る の で あ る な ら,人 間 は永 遠 に道 徳 の 奴 隷 とな るの で る。 人 間 が 旧 思 想 や 旧 道 徳 か ら,自 己 を解 放 して い くこ とは,有 意 義 の 生 活 を し よ う とす る 重 大 な条 件 で あ る 。 貞 操 は女 の み に で は な く,男 に も必 要 な道 徳 で あ る。 若 し女 に は守 らせ るが,男 に は寛 容 す る とい う よ うな 矛 盾 の あ る もの な ら,そ れ は 人 間 生 活 を破 綻 失 調 させ る 旧 式 道 徳 で あ って,信 頼 す る こ との 出 来 な い もの で あ る。 ま た 何 人 に も遍 く 強 要 す る こ とが 出 来 ず,そ の 人 の 境 遇,体 質 等 に よ っ て 寛 厳 の 差 が あ り,そ れ を一 律 に何 人 に も強 要 して は 却 っ て 大 多 数 の 人 間 が 虚 偽 と,圧 制 と, 不 幸 に 陥 っ て し ま う。 そ して,貞 操 を道 徳 とす る な らば,貞 操 とは精 神 的 もの な の か,肉 体 的 な も の か が 明 らか で ない 。 精 神 的 に守 ら な け れ ば な ら な い道 徳 だ とす れ ば,恋 人 や 配 偶 者 以 外 の異 性 を 見 て情 け を動 か した ら,既 に姦 淫 を 犯 した こ と に
なる 。 従 っ て,世 の 中 に 貞操 を守 れ る人 は い な い こ と に な る。 貞操 は 肉体 的 の もの な ら,男 も女 も 絶 対 に再 婚 して は な らな い こ とに な る。 の み な ら ず,婚 前 の 男 女 の 貞 操 は,破 壊 され た ら,一 生 結 婚 で き な い こ とに な る。更 に余 儀 ない事 情 の ため, 娼 婦 の境 遇 に あ っ た 女 な ど は,永 久 に背 徳 者 と し
て 蔑 視 され る こ と に な る 。 ま た 肉体 さ え 一 人 の 異 性 を守 っ て い れ ば,愛 情 は 他 の 異 性 に 向 か っ て い て も差 し支 え な い とい う よ う な矛 盾 した こ と に も な る。 配 偶 者 との 性 交 さえ 続 け て い れ ば,愛 情 が な くて も,あ る い は ほ か の 異 性 を 内心 で愛 して い て も貞 操 だ とい う こ とに な る。
更 に女 に は 貞操 を求 め る の に,男 に対 して,婚 前,婚 後 を問 わず,貞 操 とい う問 題 を問 わ な い の
も貞 操 を道 徳 の基 準 にす る こ との で きな い大 き な 理 由 の 一 つ で あ る 。 こ う して,貞 操 を実 践 しよ う とす れ ば,多 くの 矛 盾 が 生 じる。 だ か ら,貞 操 を 道 徳 と して 人 間 を律 す る こ とは で き ない 。従 っ て, 貞 操 は道 徳 で は な く,「趣 味 で あ り,信 仰 で あ り, 潔癖 で あ る」 に過 ぎな い 。 晶 子 は 「私 が 私 の 貞 操 を絶 対 に愛 重 して い る の は 芸 術 の 美 を愛 し学 問 の 真 を 愛 す る よ う に道 徳 以 上 の 高 く美 しい 或 物一 仮 に趣 味 と も信 仰 と も名 つ くべ き もの だ と思 っ て い ます 」 と締 め く くっ た。
与 謝野 晶 子 は この 文 章 にお い て,貞 操 を尊 重 す る こ と を前 提 に,次 々 に疑 問 を挙 げ る こ と を通 し てそ れ まで い わ ゆ る 貞操 と され た 美 徳 が 実 は 貞 操 で は な い こ とを証 明 した 。 貞 操 は 道 徳 で 一律 に強 要 す る もの で は ない 。 貞操 は精 神 的 の もの の み で もな け れ ば,肉 体 的 の もの の み で は ない 。 む しろ, 両 者 を混 合 した 「霊 肉一 致 」 こ そ,貞 操 の神 髄 を つ い た もの で あ る。 しか し,こ の種 の 道 徳 が 現 在 の 社 会制 度 の ま まで 実 現 で きる もの で は な い 。 精 神 的 に も 肉体 的 に も唯 一 を 守 る 結 婚 とい う もの は,恋 愛 結 婚 以 外 に は 遂 げ ら れ な い わ け で あ る。
しか し,恋 愛 の 自由 さえ 許 され て い な い社 会 に霊 肉一 致 の 貞 操 を道 徳 と して 期 待 す る こ とは で き な い 。 現 代 の 結 婚 の も とで は,女 の 一 方 が 衣 食 の 保 証 を得 る た め に 一 種 の 奴 隷 とな り,売 淫 を男 に向 か っ て行 っ て い るの で あ る 。 こ うい う結 婚 か ら成 り立 っ た 夫 婦 に 向 か っ て 霊 肉一 致 の 貞 操 を期 待 す るの は,夫 婦 の何 れ に 向 か っ て も苦 痛 を与 え,虚