ドイツ相続法における遺留分の現代的意義 : 子の 遺留分権は時代に適合しているか
著者 フランク ライナー, 神谷 遊, 且井 佑佳
雑誌名 同志社法學
巻 65
号 1
ページ 269‑280
発行年 2013‑05‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014547
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義同志社法学 六五巻一号二六九( )
ド イ ツ 相 続 法 に お け る 遺 留 分 の 現 代 的 意 義
― ―
子の遺留分権は時代に適合しているか― ―
ラ イ ナ ー ・ フ ラ ン ク ( 訳 ) 神 谷 遊 且 井 佑 佳
次 < 目
>
Ⅰ 連邦憲法裁判所二〇〇五年四月一九日決定Ⅱ 遺留分権の憲法上の保障Ⅲ 必要性に応じた遺留分権Ⅳ 遺留分の剥奪Ⅴ 被相続人の生前贈与Ⅵ 結びに Ⅰ 連邦憲法裁判所二〇〇五年四月一九日決定
ドイツ基本法(憲法)第一四条第一項第一文は、﹁相続権 *﹂を保護するとしている。これは一体何を意味するのだろうか。以前から、連邦憲法裁判所は、この条文によって﹁遺言の自由﹂が憲法上保障されていると判示してきた。しかし、遺言の自由は、近親者に認められる遺留分権(ドイツ民法第二三〇三条以下)により制限されているため、遺言の自由と遺留分権がどのような関係に立つかが問題となる。長らく連邦憲法裁判所は、遺留分権は歴史的に生成されてきた遺言の自由に内在する制約であって、基本法第一四条が保護する﹁相続権﹂を侵害するものではないとしてきたが、それ以上の説明はしてこなかった。
二六九
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義( )同志社法学 六五巻一号二七〇 二〇〇五年四月一九日の連邦憲法裁判所の決定(BVerfGE112, 332)は、初めて遺留分権の憲法上の問題性を詳細に扱った決定であり、極めて重要な判断であるとともに多くの議論を生むものであった。その主要な判示事項は次の三つである。
1.まず連邦憲法裁判所は、憲法が遺言の自由だけではなく、遺留分権をも保障しているという。そうなると、仮に議会が賛成したとしても、子の遺留分を廃止するような法改正をしてはならないことになる。他方、遺留分の割合についてはどうか。この点、連邦憲法裁判所は、﹁適切な﹂ものであるべきことを示唆するにとどまっていた。日本や韓国と同様に、ドイツでも、子には法律上法定相続分の半分の遺留分請求権が帰属する。したがって、法定相続分の五〇%は、被相続人の意思に反してでもすべての子に保障されることになる。五〇%を超える遺留分を認めるような立法をすることが許されるか、これについては連邦憲法裁判所も答えていない。2.二つ目の判示事項は、極めて問題である。連邦憲法裁判所は、子の遺留分請求権が子の具体的な必要性によって左右されてはならないとする。したがって、子が裕福であるか困窮しているかは、意味をなさないことになる。一〇歳の弟の遺留分は、医師や企業経営者として高額の収入を得ている三〇歳の兄と同じように算定されることになる。3.三つ目に、連邦憲法裁判所は、被相続人が例外的な場合に は子から遺留分を剥奪することができるかという問題を扱っている。連邦憲法裁判所は、﹁子に被相続人に対する特に重大な非行(Fehlverhalten)﹂がある場合、例えば被相続人を殺そうとしたり、重大な身体的虐待があった場合には、それでも子が遺産の一部を取得することを認めるように被相続人に求めることはできないとする。しかし他方で、連邦憲法裁判所は、子が親子関係を破綻させたというだけでは、遺留分の剥奪を正当化することはできないともしている。そうなると、具体的には、子が三〇年にわたって父母を訪問することもなく、いかなる関係も拒絶してきたような場合、子はおそらくは父母を憎み、父母が高齢となっても世話もしていない可能性すらあるが、それでもその子は、何らの制約を受けることもなく遺留分請求権を有することになる。連邦憲法裁判所は、そのような取扱いは基本法が命じるものであると解するが、こうした見解の問題性は、民法の遺留分規定を改正する余地がなくなってしまうという点にある。 以下においては、連邦憲法裁判所が判示した三つの主要な事項について、比較法的見地から考察したい。
*(訳者注):基本法第一四条第一項第一文が保障する﹁相続権﹂には、被相続人の相続させる権利(遺言の自由)も含まれると解されている。 二七〇
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義同志社法学 六五巻一号二七一( ) Ⅱ 遺留分権の憲法上の保障 第一点は、ドイツにおいて、遺留分権が憲法上保障されているといえるかどうかという問題である。前述のように、連邦憲法裁判所の見解によると、遺留分権は憲法上保障されている。そうすると、立法者が意図したとしても、立法上、子の遺留分権に疑問を差し挟むことはできないことになる。連邦憲法裁判所は、遺留分権が憲法上保障されているという命題の理由づけとして、ドイツ民法の起草段階、すなわち一九世紀の終わり頃には﹁遺言の自由は、遺留分権(Pflichtteils- und Noterbrecht)によって制限されるという思想がほぼすべての時代およびすべての国民(国)に存在していた﹂という点を挙げている。したがって、連邦憲法裁判所の主張は、簡単にいうと、﹁子に遺留分請求権を認めることは、ドイツにおいては一八七一年のドイツ帝国の誕生前後において自明のことだったのであり、基本法第一四条はこのことを相続権の保障とともに暗黙のうちに憲法に取り込んだ﹂ということになる。確かに、ドイツでは子の遺留分権が常に意識されてきたという点は正しいが、子に遺留分権を認めることがほぼすべての国民(国)にとって自明のことであるというのは、誤りである。 例えば、アメリカ合衆国では、子に遺留分請求権はない。アメリカ法には、今日でも一九世紀の移住者たちのパイオニア精神が反映されており、したがって、成年の子は自己責任を負う のである。成年の子は、親に対する扶養請求権も持たず、遺留分請求権も持たない。アメリカでは、有能で勤勉な息子の親に、大学の学費を支弁する義務を負わせるような裁判所の判断は見られない。相続権についても同様であり、子に何の落ち度もないような場合でも、被相続人は、子の相続権を完全に剥奪することができる。アメリカで保護されるのは、死亡した者の配偶者に限られる。配偶者は、死亡した者とともにその生活を築いてきたからである。 中国の相続法においても、子は遺留分請求権を持たない。一九八五年の中国相続法は、遺言の自由を僅かに制限する規定を一つ置くのみである(同法第一九条)。その条文は、﹁遺言は、生存の基盤を持たない労働能力のない相続人に、遺産の必要な部分を留保するものでなければならない。﹂と定めている。したがって、子は、二つの要件を満たすときに保護されることになる。一つは、子が生存の基盤を持っていないこと、すなわち、極めて困窮していることであり、もう一つは、労働能力がないということである。中国では、十分に機能する社会保障システムがあれば、この規定は即座に要らなくなるだろうとの指摘もある。 その他のアジア諸国に関しては、韓国も一九七七年まで子に遺留分請求権を認めていなかった。 ヨーロッパでは、すべての国で、少なくとも子が扶養を要する状態にあるときには、遺留分請求権を認めている。しかし、
二七一
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義( )同志社法学 六五巻一号二七二
次第に個人主義が強まっていくと、被相続人は生前に自由に財産を処分できるとの発想に結びつくことになり、それは、多くの国では、子の遺留分権は制限してはならないのか、あるいは廃止すべきかといった議論に繋がった。ドイツ法についていうならば、子の遺留分権を廃止しようとの真摯な試みは、現在のところ見あたらない。もっとも、連邦憲法裁判所としては、遺留分権は憲法上保障された遺言の自由を侵害するものではないとさえいえば、それで十分であったはずである。それ以上に、遺留分請求権が憲法上保障されているとまで判示する必要はなかった。いずれにせよ、ドイツの立法者は、連邦憲法裁判所の説示によって、手足を縛られることになってしまった。
Ⅲ 必要性に応じた遺留分権
連邦憲法裁判所の二つ目の判示内容は、遺留分権が﹁必要性とは無関係に(bedarfsunabhängig)﹂基本法により保障されているというものである。この点については、厳しい批判がある。確かにドイツでは、歴史的にどの時代でも、被相続人の子が裕福か貧しいか、あるいは自活できるかどうかによって、遺留分権を認めるということはなかった。しかし、この問題は、ドイツ民法典の施行以前には議論されていたのである。プロイセン一般ラント法(ALR)に関する一八八一年のライヒ裁判所の判決(RGZ6, 247, 248)では、﹁プロイセン一般ラント法の編 纂者が影響を受けていた自然法論者ですら、遺留分権が正当化されるのは、未成熟の子の養育や扶養のために、親がその死後も必要な資産を残す義務がある場合に限られる。﹂と説示していた。一九一九年から二〇年にかけて発行されたエンデマン(Endemann)の相続法の教科書(S. 1204)では、﹁遺留分権を強行的に法定することが実質的に正当化されるのは、直系尊属・卑属および配偶者間に存する扶養義務が家族の財産を引当てにしており、死亡後はそれが財産を遺す義務に転化するという発想による。﹂とされている。また、ゲルンフーバー(Gernhuber)は、簡潔かつ適切に、遺留分権は被相続人の生前の扶養義務と﹁機能的には相関関係にあるもの(funktionelles Korrelat)﹂としている(FamRZ1960, 326, 329)。さらに、一九七二年に開催された第四九回ドイツ法曹大会は、﹁法定相続権および遺留分権は規定を新たにすべきか﹂とのテーマを扱っているが、そこでは繰り返し遺留分の扶助としての性格が指摘され、必要性に応じて遺留分権を認めることには憲法上の疑義があるといった発言はなされなかった。同様のことは、二〇世紀の終わり頃に、必要性に応じた遺留分権をめぐって活発に展開されるようになった議論についても当てはまる。こうした状況に照らすと、連邦憲法裁判所が基本法の施行後五〇年を経て、基本法は必要性に応じた遺留分権をおおよそ許すものではないといった説示をもって議論を終結させるとすれば、それは納得のいくものではない。 二七二
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義同志社法学 六五巻一号二七三( ) 外国法と比較しても、必要性に応じた遺留分権が憲法違反とは言い難いことは明らかである。すでに言及したように、英米法においても、中国法においても、親の死後に子に遺留分請求権が帰属することはない。イギリスにおいては、一九七五年相続法(家族および被扶養者に対する供与)(Inheritance(Provisions for Family and Dependants))が、裁判所は申立てに基づき被相続人の意思に反してでも近親者の扶養を保障するように命じることができるとしている。しかし、必要性とは無関係の遺留分請求権というのは、もともとイギリス法には未知のものなのである。相続開始時に通常は成年に達しているであろう子について家族供与(Family Provision)が認められることは稀である。﹁家族供与﹂は、実務においては一般的に、未成年でなお教育を受けている子や障害を持った子についてのみ認められる。また、イギリス相続法にいう﹁子﹂は、実子あるいは養子には限られておらず、被相続人によって完全にまたは部分的に扶養されている﹁家族の子(children of the family)﹂すべてを指すため、場合によっては連れ子や里子も含まれる。裁判所は、自由な裁量によって、どのような方法で﹁家族供与﹂が与えられるべきか(定期的な給付によるか、一回払いとするか、特定の財産を与えるものとするか等)を判断することができる。なお、イギリスを母法国として影響を受けているオーストラリア法やカナダ法もイギリス法に類似したものとなっている。 イギリス法が裁判官に、困窮している子に﹁家族供与﹂を与えるべきかどうかについて比較的広範な裁量の余地を認めているのに対して、例えばメキシコ法やイスラエル法のように、生前の被相続人に対して扶養請求権を有していた子について、被相続人の死亡後は、遺産に対する継続的な扶養請求権を認める法も存在する。そうなると、裁判官の裁量判断は必要ではない。そのような場合、相続人は、扶養請求権の負担がついた遺産を得るということになり、場合によっては扶養請求権によって遺産が完全に尽きてしまうこともある。遺産に対する扶養請求権を有することになる近親者については、法律に厳格に列挙されている。また、具体的に要件とされる要扶養状態について規定されているだけではなく、後の生活環境の変化が分割された遺産または未分割の遺産にどのように影響するかについても規定されている。 ここで、もう一度ヨーロッパ大陸法に目を向けてみると、西ヨーロッパでは、原則として必要性とは無関係に親の遺産についての最低限の持ち分が子に認められる。しかしながら、例外もある。例えばデンマーク相続法第二七条第一項第一文は、﹁被相続人の子で困窮している者(bedurftiges Kind)は、二一歳になるまで適切な扶養及び適切な教育に対する請求権を有する。﹂と定めている。この請求権は、法律上﹁先取分(Voraus)﹂と規定されており、遺言によって制限することはできず(同法同条第二項第一文)、他の相続法上の請求権に優先する。この
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ドイツ相続法における遺留分の現代的意義( )同志社法学 六五巻一号二七四 請求権は、遺産が十分ではない場合に限って、困窮者自身の遺留分から満足を受けることになる(同法同条同項第二文)。類似の規定は、ノルウェー相続法(第三六条)やフィンランド相続法(第一条以下)にも見られるところであり、オランダ法(オランダ民法第三五条)もほぼ同じ文言を用いている。扶養料や教育費だけで遺産がなくなる可能性があることから、ここで挙げた諸国では、平等を目指した必要性とは無関係な遺留分権を子に認めることは困難である。多くの西ヨーロッパ諸国の法は、ドイツ法のように、伝統的に必要性とは無関係に子に遺留分権を認めているが、それらの諸国法について、特別な状況下で具体的な必要性が一定の役割を演ずることがないのかを調べることは、価値ある課題といえる。この点について、ドイツ法に近いオーストリア相続法は、一般民法(ABGB)第七九五条で次のように規定している。すなわち、﹁遺留分を適法に剥奪された遺留分権者(Noterbe)には、常に必要な扶養料が算定されなければならない。﹂ 東ヨーロッパのかつての社会主義国についていうならば、特に子が困窮している場合に限って、子に遺留分請求権を認めるものとしていた。このことは、統一前の、かつてのドイツ民主共和国についてもいえることであり、そこでは子の遺留分権も親の遺留分権もその扶養請求権の有無によって左右された(民法(ZGB)第三九六条第一項第二号)。かつてのドイツ民主共和国を度外視すると、こうした基本形態は、多くの改正を経 ても変更されることはなかった。今日でもなお、遺留分請求権の存否が典型的には権利者の﹁労働能力の欠如(Arbeitsunfähigkeit)﹂にかからしめられていることがある。例えば、エストニアの相続法第一〇四条は、遺留分権を﹁労働能力のない子﹂に限定して認めている。よく見られるのは、未成年の子と成年の子に違いを設け、成年の子の遺留分請求権のみはその労働能力の欠如にかからしめるというものである。例えば、ロシア民法第一一四九条第一項、ウクライナ民法第一二四一条第一項、ポーランド民法第九九一条、カザフスタン民法第一〇六九条、キルギス民法第一一四九条が挙げられる。チェコ民法第四七九条は、成年の直系卑属には﹁少なくとも法定相続分の半分﹂は帰属するものとする一方、未成年の子は、﹁少なくともその法定相続分﹂を得なければならないとしている。なお、社会主義諸国の相続法は、決して﹁均制化﹂されてはいない。例えばルーマニア相続法は、共産主義の支配下にあってもフランス法をモデルとしており、ハンガリー法は、ドイツ=オーストリア法をモデルとしている。したがって、両国の法にとっては、必要性に応じた遺留分権というのは馴染みのないものであり、現在でもそうである。このことから、改めて次のことを確認することができる。すなわち、遺留分権を必要性に応じたものにするかどうかは、東ヨーロッパでは、﹁体制によって決まる(systembedingt)﹂ものではなかったのである。 多くの諸国が必要性に応じた遺留分権のみを認めていること 二七四
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義同志社法学 六五巻一号二七五( ) を考えたとき、さらに、ドイツにおいて基本法の施行後も遺留分権の内容についての問題が繰り返し議論されてきたことを考慮するとき、連邦憲法裁判所が、﹁相続権﹂を保護している基本法第一四条から、必要性とは無関係な遺留分権が保障されているとの結論を導き出し、立法者も疑問を差し挟めないことになったとすると、それは納得できるものではない。
Ⅳ 遺留分の剥奪
息子あるいは娘が遺留分欠格であることが明らかな場合がある。例えば、被相続人に重大な虐待をしたり、故意に殺害したり、殺害しようとした場合である。この種の事例はもちろん実際に生じているが、稀なケースではある。それよりもありうるのは、大人になった子が親から離れ、何年も何十年も訪問することもなく、高齢になっても世話をすることもなく、拒否的な態度をとり続けているような場合である。連邦憲法裁判所は、憲法は特に重大な非行がある場合に限って遺留分の剥奪を許していると判示した。この非行は、被相続人が遺言で相続から除外しようとする場合に通常あるような家族関係を妨げる行為を明らかに超えるレベルのものでなければならないのである。したがって、被相続人と疎遠になったり、仲たがいをする原因となった非行は、必ずしも遺留分剥奪の理由にはならない。親子関係の完全な破壊も、それだけでは遺留分の剥奪をするには十 分ではないことになる。このことを連邦憲法裁判所は次のように表現している。すなわち、﹁一般的な絶縁条項や疎遠条項(allgemeine Zerrüttungs- oder Entfremdungsklausel)﹂は許されるものではなく、遺留分権の憲法上の保障を侵害するものになるという。根本的な問題は、大人になった子とその親との関係について、家族法は、ひとまず扶養義務を除外すると、道徳的な義務しか承知していないということである。例えば、深刻な生活状態に陥った場合の援助の義務や、特別なきっかけがある場合の訪問の義務、ごく一般的に親の運命を気遣う義務といったものが挙げられる。道徳的な義務に違反しても、連邦憲法裁判所の見解によれば、遺留分剥奪の根拠にはならない。 ドイツ法は、二〇〇九年の法改正に至るまでは、﹁不名誉で不道徳な生活行状を理由とする(wegen ehrlosen und unsittlichen Lebenswandels)﹂遺留分の剥奪を認めていた(ドイツ民法第二三三三条旧第五号)。この一般条項は、息子あるいは娘が親に対する道徳的な義務に違反していなくとも、社会的な行為規範に反した場合に、親に遺留分の剥奪を許すものであった。すなわち、子が父や母に﹁恥をかかせる(Schande bereitete)﹂ようなことをした場合、別の言い方をすれば、家族の名誉を害した場合に、父や母は我慢をする必要はなかった。 その一例として、ライヒ裁判所が一九二三年に判断を下した事例を挙げることができる(Leipziger Zeitschrift für DeutschesRecht1923, 396)。その事例は次のようなものである。
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ドイツ相続法における遺留分の現代的意義( )同志社法学 六五巻一号二七六 被相続人の未成年の娘が離婚経験のある男性と同居生活を送っていた。二人は結婚することを望んでいたが、娘が二一歳になるまでは、親の意思に反して結婚することはできなかった。その後、娘は、二一歳となり成年に達して四日が過ぎた時にその男性と婚姻を締結した。それにもかかわらず、父は娘の遺留分を剥奪し、その後もその決断を変えることはなかった。 ライヒ裁判所は次のようにいう。﹁生活行状の反道徳性は、原告(娘)が婚姻の締結に向けた努力をしていたとしても払拭されることはない。・・・原告は、成年に達して婚姻が締結できるようになるまで待つことなく、婚約者間であっても性交渉は許されないという道徳的要請を無視し、婚姻への同意が拒否されていることに無頓着に、婚姻の恩典を先取りすることは許されなかった。﹂。 何が不名誉で不道徳であったかは、当時の社会によって決定される。社会秩序への違反があった場合、被相続人は、遺留分の剥奪という制裁を加えることができたのである。当時不名誉で不道徳であるとされたのは、現在のドイツの若者たちには普通のことではあるが、夫婦でないものが同居生活を送ることである。同性愛を公に告白することも同様である。また、浪費癖のある生活態度(verschwenderische Lebensführung)、飲酒癖(Trunksucht)、職業賭博(gewerbsmäßiges Glücksspiel)、売春(gewerbsmäßige Unzucht)、売春斡旋(Zuhälterei)、姦通(Ehebruch)、さらに浮浪(Landstreicherei)も、遺留分の 剥奪を可能とするものであった。しかし、近年、不名誉で不道徳な生活行状というのは、遺留分の剥奪事由としては完全にその意味を失っている。ここ二十年間、子の遺留分が不名誉で不道徳な生活行状を理由に剥奪された裁判例は見あたらない。あえていうならば、今日のドイツでは、不名誉で不道徳な生活行状というのはもはや存在しない。かつて不名誉で不道徳であるとされていたことは、現在では個人のプライベートな事柄と考えられており、刑法上の行為規範に反する場合に限って、社会的秩序にかかわってくるにすぎない。不名誉で不道徳な生活行状に関する条項が実際的な意味を失っていたことから、この条項は、二〇〇九年に削除されたのである。立法者は、時代に適った一般条項を新たに規定することはしなかった。それはおそらく、新たな条項を作ることは、連邦憲法裁判所の厳しい要請にはそぐわないのではないかという不安があったためであると思われる。その結果、遺留分の剥奪は、現在、極めて稀な例外的な場合でなければ認められない。改正されたドイツ民法第二三三三条は、被相続人またはその近親者に対する重大な犯罪行為があった場合に限って遺留分の剥奪を許すこととしている。当然のことながら、ドイツの学説は、この規定を批判している。もし連邦憲法裁判所が遺留分剥奪事由を詳細に規定することを立法者に許していたならば、より望ましい状況になっていたであろう。現在のドイツ法は、フランス法に類似したものになっている。フランス法は、伝統的にいわゆる欠格(
“indignite”) 二七六
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義同志社法学 六五巻一号二七七( ) を極めて特別な例外的場合に限って認めている。フランス法は韓国法に強い影響を及ぼしていた。韓国法の相続欠格事由は、フランス民法の条文と文言上極めて類似している(そこでは、殺人、殺人未遂、傷害致死、被相続人の殺害について告発しなかったこと、遺言書の偽造、詐欺または強迫によって被相続人の遺言意思に影響を与えたことが挙げられている。韓国民法第一〇〇四条参照)。日本における廃除事由は、韓国よりも広く規定されている。被相続人に対する単なる虐待や重大な侮辱、その他の著しい非行がある場合、家庭裁判所は、申立てに基づき相続人を相続から廃除することができる(日本民法第八九二条)。 ドイツとは異なり、オーストリアは、一九八九年以降遺留分の縮減を認めており、そこでは、遺留分権者の有責性は問題とはされていない。オーストリア一般民法第七七三条aは、﹁被相続人と遺留分権者との間に、家族においてそのような血族間で通常存在するような親密な関係が常に存在しなかったときは、被相続人は遺留分を半分にすることができる。﹂と規定している。例えば、被相続人に息子がおり、その息子が法定相続では唯一の相続人であるという場合、その遺留分は、遺産の五〇%となるが、父子関係が完全に破綻している場合には、息子は遺産の二五%を取得するにとどまることになる。オーストリア法の系統にあるかつてのユーゴスラビアを構成していた諸国(クロアチア相続法第八六条、セルビア相続法第六一条、スロ ベニア相続法第四二条)も同様に、法的義務の有責的な違反がなくとも遺留分の剥奪を可能としている。それらの諸国の条文によるならば、道徳的な義務に違反があることで十分であるとされる。ポーランド民法第一〇〇八条も、﹁社会生活上の諸原則への違反(Verstoß gegen die Grundsätze gesellshaftlichen Lebens)﹂があれば、遺留分剥奪には十分であるとしている。 遺留分の剥奪事由については、スイス法が参考になると思われる。スイス民法第四七七条第二号は、﹁重大な家族法上の義務違反﹂がある場合には、遺留分を剥奪することができるとしている。家族法上の義務として、法律上明確に規定されているのは、﹁親子間における援助、配慮および尊重の義務﹂である。ドイツ法は、一九七九年にスイス法をモデルとして一つの規定を新設した。ドイツ民法第一六一八条aがそれであるが、この規定は、﹁親と子は、互いに援助し配慮する責任を負う。﹂としている。これが道徳上の義務なのか、法律上の義務なのかについて、ドイツでは争いがあるが、﹁重大な家族法上の義務違反﹂は、遺留分剥奪の十分な理由となるべきと考られる。家族法上の義務という場合、その限界は、判例によって具体的に明らかにされる必要があるであろうが、それはチェコ相続法第四六九条aと似たような内容になると思われる。同法は、被相続人の直系卑属が、被相続人が﹁病気のとき、高齢であるとき、若しくはその他の緊急状態にあるときに何らの援助もせず、又は直系卑属として払うべき関心を継続的に払わなかったとき﹂に遺
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ドイツ相続法における遺留分の現代的意義( )同志社法学 六五巻一号二七八
留分の剥奪を認めるものとしている。 具体的な親子関係を視野に入れた一般条項がなければ、立法者にもどうすることもできない。残念なことに、連邦憲法裁判所はこの点についての限界を狭く設定してしまった。その結果、ドイツでは、遺留分剥奪を容易にできるようにして欲しいという一般的な要望は、憲法改正がなければできないことになってしまい、これは現実離れしている。
Ⅴ 被相続人の生前贈与
ドイツやフランス、日本や韓国のように、被相続人がその子に遺留分として財産の半分を遺さなければならないという場合、当然に問題となるのは、被相続人が生前贈与によって子の遺留分権を無きものとすることができるかどうかである。被相続人には、生前に財産を消費したり、投機したり、豪華な旅行をしたりする自由もあるからである。そこで被相続人は、その死亡の直前に財産を贈与し、遺留分を有する子には何も遺さない、あるいは僅かしか遺さないということができるのだろうか。子に必要性とは無関係な遺留分権を認めている国のすべては、遺留分請求権の侵害を目的とした被相続人の贈与に対して子を保護している。もっとも、被相続人の侵害の意図を立証することは困難であるため、一般的には、具体的な被相続人の動機を問題にすることなく、遺留分請求権は贈与によって侵害されて はならないという原則が立てられている。ここで問題となるのは、この原則がすべての贈与にあてはめられるのか、すなわち、被相続人が死亡するよりはるか以前にした贈与にもあてはめられるのかである。 ドイツでは、二〇〇九年の法改正まで、遺留分権者は被相続人の死亡から一〇年以内の間に行われた贈与に対して保護されるとの原則があった(ドイツ民法旧第二三二五条)。そのため、被相続人が一〇年の期間内に財産を贈与した場合は、この財産は、あたかも贈与がなされなかったかのように、遺産に加算されることになっていたのである。したがって、遺留分請求権は、贈与の分を加算した被相続人の財産に基づいて算定されていた。被相続人が全財産または大部分の財産を贈与していた場合、子の遺留分請求権を満足させるのに、現にある遺産では足りないこともしばしばであった。このような場合、受贈者は、贈与を受けてから何年も経って、贈与された財産の一部を遺留分権を有する子に返還しなければならないようなこともあったのである(ドイツ民法旧第二三二九条)。 この点について、二〇〇九年の改正以降(ドイツ民法第二三二五条新第三項)、次のように変更されている。すなわち、被相続人の死亡前一年以内になされた贈与は、その全額が算入され、二年以内の贈与については九〇%、三年以内の贈与については八〇%の価額が算入される等々となっている。相続開始時に贈与から一〇年以上が経過していた場合には、贈与は考慮さ 二七八
ドイツ相続法における遺留分の現代的意義同志社法学 六五巻一号二七九( ) れないことになる。二〇〇九年の改正によって、被相続人は、贈与により以前にもまして子の遺留分請求権を減額することができるようになったのであるから、遺留分権者たる子の地位は弱められたことになる。贈与が過去のものであればあるほど、遺留分権者たる子の保護も薄いものになっていくのである。 興味深いのは、日本法および韓国法との比較である。日本法および韓国法によると、遺留分権者たる子の不利益となる贈与は、それが相続開始前の一年以内に行われた場合に限り、考慮されることになる(日本民法第一〇三〇条、韓国民法第一一一四条)。それより前の贈与は、当事者が遺留分権者に不利益を与えることを知っていた場合に限り、考慮される。ドイツ法では、遺留分権者に不利益を与えることについての当事者の認識が問題とされることはない。もっとも、善意の受贈者は、遺留分権者に対して、遺留分権者からの請求があることを認識しないままに贈与の目的物を消費してしまったため、利得は存しない、との抗弁をすることができる(ドイツ民法第二三二九条第一項第一文、第八一八条第三項)。 フランスにおいては、遺留分権者たる子は、特に強く保護されている。それは、前述のように、伝統的に極めて特別な例外的な場合にのみ遺留分が否定されるという点にも表れているが、さらに、遺留分請求権の算定にあたって、たとえ何十年も前になされたものであっても、被相続人のした贈与のすべてが考慮されるという点にも表れている。これらの贈与は、現存す る遺産が子の遺留分請求権を満足するに足りる場合に限って、被相続人が死亡しても効力を維持することになるのである。
Ⅵ 結びに
子の遺留分権がなお時代に適合しているといえるかどうか、この問題については、明確に肯定することも否定することもできない。しかし、遺留分法に対しては、五〇年あるいは一〇〇年前よりも、はるかに多くの否定的な見解が表明されているのである。 遺留分法に疑問を呈する立場からは、被相続人は生前には完全に自由に自己の財産を処分できるし、子についても何らの配慮もする必要はない、という点が指摘されている。ドイツにおける二〇〇九年の遺留分法の改正が示すように、遺留分権者たる子は、その親がした贈与に対して、以前と比べると明らかに保護されなくなったのである。 現存する財産は家族に保持されるべきといった考え方は、すでにその意義を失っている。生前、親は子に扶養の義務を負っている。多くの事柄が、遺留分権が子の扶助という特別な局面で強化されていることを物語っているように思われる。イギリス法には共感すべきものがあり、﹁家族の子﹂が扶養を必要とする場合に限り、これを保護するものとしている。この点、必要性に応じた遺留分権が基本法の相続権の保障を侵害するとい
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ドイツ相続法における遺留分の現代的意義( )同志社法学 六五巻一号二八〇
うドイツ連邦憲法裁判所の考え方を理解することはできない。 法律上、子の必要性とは無関係に、子に遺留分権を認めるという場合、遺留分の剥奪の可否が問題となる。すべての子が、その出生と同時に父または母の遺産に与かることのできる請求権を取得するという考え方は誤りであるように思う。親子関係が破綻し、子が親に何らの関心も示さないという場合は、現行法とは異なり、遺留分の剥奪が認められるべきであろう。この点、子が親に対する道徳的な義務に重大な違反をし、それによって親子関係が破綻したというのであれば、それで遺留分の剥奪には十分というべきである。その限りで、スイス法が参考になると考えられるが、スイス法は、子の援助、配慮および尊重の義務を拘束力のない道徳的な義務というのではなく、法的な義務とみなしているのである。
︻訳者あとがき︼ 本稿の執筆者であるライナー・フランク(Rainer Frank)教授は、家族法、比較法の権威であり、国際的にも著名な研究者である。一九七七年以降、ドイツのミュンスター大学、アウグスブルク大学教授を歴任された後、一九八五年からフライブルク大学教授を勤められ、現在、同大学名誉教授である。また、一九九四年からの四年間は国際家族法学会の会長も務められた。 フランク教授は、二〇一〇年一〇月に来日され、東京および 京都で講演をされた。本稿は、同年一〇月二一日に同志社法学会の主催で開催された講演会のために用意された原稿を訳出したものであり、原題は、﹁Ist das Pflichtteilsrecht von Kindernnoch zeitgemäß ?﹂である。なお、フランク教授は、本稿をベースにして
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