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自邦主義と系族 : 特にボイスト及びダルヴィクにつ いて

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

自邦主義と系族 : 特にボイスト及びダルヴィクにつ いて

小林, 榮三郎

https://doi.org/10.15017/2340940

出版情報:史淵. 20, pp.74-100, 1939-03-31. Faculty of Law and Letters of the Kyushu Imperial University

バージョン:

権利関係:

(2)

I

エーリッヒ・プランデンブルクはその有名な﹁帝剛刺建史﹂に鈴いて︑ドイツ統一思想の濟現を妨げに

諾要凹を列畢し︑新悲雨敏の對立︑教養ある人士の對阿家無關心ご祉界災主義︑及び将塊一壷主義ぐ﹂並

んで︑そのいづれよりも古く且雌も執捌なりし障碍はドイツ諦邦の自邦主義亀胃罠匡冒の日旨い︶でぁつ

だと云ひ︑﹁藩ドイツ帝閏の小厩分は︑多くの価紀のうちに全く澗立的な剛家的形象にまで發逹してゐ

龍か︑それらは弧化し来る剛氏的意識に對しても自己の猫立を主張し︑もはや自己の上には如何なる有

︵一︶効な権力をも容認しようごし芯かつ坐とご述べてゐる︒更にヨアヒムゼンがその﹁ドイツ民族よりドィ

伊吟毎M小一︶シ閏家へ﹂において記す︒こころによれば︑十九枇紀後半の自邦主義は︑同枇紀前半においてドイツ官11

育成された閏家意識に基くさころの純圃家的のものであつ仁︒曰く.八一五年よりⅧハ年に至るま

自邦主義と系族

ii特にボィスト及びダルヴィクについて11

f邦︑韮義と系族Dla︒Ⅱ11

小 林榮三

−1rL几冒I

(3)

で︑ドイツにおいては何人が統治してゐ化か︒それはドイツ官惟︵国3冒計g冒日︶であつ↑Loこの時代 を稲して官僚の古血︵的・時代雪こなしたのは︑砕川を得てゐる︒この官僚は岬川時莫大な仕事をなし遂げに︒そ れが戦争の被害の迅速なる恢復に︑またドイツにおいて凡そ一八三○年に始まる大規模の經濟的發展

に︑貢献し仁どころは多大であって︑關税同叩皿は主ざして彼等官僚の仕事である︒︵中略︶しかしなが

らこの官僚は國民的發展に對して二つの密辛作ってゐる︒即ち錨一に官僚は︑その木質上︑自邦主義的

胃鼻巳嵐鯛爵︒gであって︑十札紀の啓蒙螺制驚l畷はこの鴬蝿箪であるがlの上に

建て繼いで新たなる純幽家的︵鼠︒m冨胃胃ゴ︶自邦王表を作り川す︒この官僚によってはじめて︑プロ

シャ.︾ハヴァリヤ・・ハノーヴァ・ゞハーープンの流邦は︑それぞれ非術に纒まつ↑卜一個の杢髄ごなったので

あって︑なるほど識部分妙新奮に應じて均等にはゆかないが︑しかし總罐においては驚くばざ述かに新

仁なる幽家意識が發展しに︒聯邦的︵盲目︒mの冨胃胃ご統一に對して久しく拮抗したあの飯交しい稜塗

は︑蜜にこの餅時櫛築きれにものであっに﹂寺﹂︒側に笙一の蒋尋こしてヨアヒムゼンは︑この宵僚が後見

的︵ず①ご・H冒戸目Qの目︶であって︑人災の悟性は制限されたものであるごいふ想定からのみ川發し︑從って

︵二︶

人災から提出される識理念に對してはこれを採川するこ書こを法だしく嫌悪し↑Lこざを恥げてゐる︒

かくてヨアヒムゼンによれば︑十九仙紀の自邦主義が啓蒙専制政治の子たるドイツ宵係によって新仁

に純叫家的なもの︑上なったこ・こが弧調されるのであるが︑しかしこの仙紀の自邦︑韮表ぐ﹂いへざも︑その

本礎において王朝的であるここは否定し得ないであらう︒けだし自邦主義的伽向は︑既に早くドイツ史

自邦主義と系放七韮

(4)

I

自邦主義と系族七六

の初期において︑洲はゆる系族的公将領︵聾幽自己のの雷同︒唄匡目︶の發展に見られたのであるが︑十二・

三仙紀の交に系族的根抵遊失って︑単に王朝的韮礎に立つ地方政椛の勃興をなり︑鼓に十九仙紀にまで

連なるざころの王朝的自邦主義が生れ來つにこさは︑多くの歴史家によってひさしく指示さ鰹Lゐから

である︒ハラーはその﹁ドイツ史の諾時代﹂︵一九三一年刊︶において次のやうに記してゐる︒﹁悲さ地

方剛家︵冒且のいぃ厨呉︶はその發生上︑王朝的であった︒それはその地方及び人民に對する仙襲樅に基く

ざころの︑或る君侯の家の支配樅であつに︒多くの領域が合して一佃の剛家さなるか︑或は一佃の領域

が分れて二個またはそれ以上の部分ごなるかは︑全く或る家の椛利・樅力・意思の左右するざころであ

った︒往盈にして祁互に些かも共通︑こするものなく︑隣接さへしてゐないやうな諸地方が︑繼承によっ

て結合されるのである︒︵中略︶王朝的に結合されに諸厩地問の開聯は︑時莚經るに從って︑それが王

棚よりも生延び得るほざに誰問なものEなった︒或る期冊同一の君侯の家によって統治されに諾地方

は︑たごへその他の軸ではおそらく共通とするものを多く有せずごいへざも︑自ら閏家的単一慨ざして

感ずる︒その例ざして第一に老へられるの峰ハヴァリャであって︑その住比は零ハヴァリャ族・スワビ

ャ族及びフランク族の諸成分から合成されてゐるが︑それにも拘らゃ自ら単一鴨さして感じ︑なほ依

然単一のまlであらうご欲してゐる︒君侯家幽家の特殊性はその人民に刻印されたのであって︑その結

果人災はその特殊性を自己岡有の特性なりゞこ感じ︑これを捨てるここをしないのである﹂さ・更にハラ

ーは云ふ︑﹁こ上に普人はこの剛民の政治的生活における一つの規定的な特色︑即ち二一○○年以後の

11

(5)

時代をそれ以前の時代つと非稚に鋭く原別する︽ところの時色〃確立するこ︑己が肌來る︒自邦主義はこの以

前にも︑またこの以後にも存在しにのであるが︑しかしそれはその性愛を一愛した︒それはドイツ史の

發端に帯てば系族の差に根ざして|堤沌こぬ時に至ってそれは漁失した︒後代鱒自邦主韮ばl今

nもなほ同様であるがlその根抵E韻て王朝的にして阿家的でめる﹂ざ.かくてハラーはこの自邦

主義が如何に抜き難いものごなってゐるかについて︑次のやうにまで御一両する︒﹁このことは一つの不

幸Eも︑或は更に不合理なものざも云ふこ︒己が川来る︒しかしこれは一畢にして除去する能はざるもの

でめる︒諾地力の有する剛家的なる特殊意識及び自己感情は︑単に歴史的に生じたものであり︑何ら不

可抗的自然的原因に基くもので陛峡け紅ざも︑しかもなほ決議lそ腿か如何に犬多数の票決によっ

てなされようどもlによる訓令を以て除去され将ないこざは︑吾人が醜に經聡しにるぐ﹂ころであり︑

︵一二︶●

ま仁燗來も亨てらく祁三維嶮するであらう︑と恩はれる﹂︑ご◎勿論この蚊後の言葉はいナチス政椛の確立

されに今Ⅱでは蒋応の除地があるであらうけれざも︑紗く︑こも我凌はかくの如き十三仙紀以来の自邦主

義の迩影が︑︲大戦後もなぼ久しく驚くべき根弧さを以て繼絨してゐにこ︲っこを知るのである︒

ビスマルクもその﹁Ⅲ想鋒﹂節十三章﹁王棚︑巳系族﹂において︑山來ドイツ人が如何に王朝に對して

忠蛮であるか︑ドイツ謝邦の結束が如何に全く王朝に依存するものであるかを述︑量Lゐる︒即ち﹁ドイ

ツ的愛剛心は︑それが渦動的にして効果的さなるためには︑脈即こして王州的愛治心の媒介を必要︒こす

るものである﹂︑ご云ひ︑史に﹁ドイツ人は︑ドイツ人雪こしてよりもむしろ容易にプロシャ人・ハノーヴ

自邦主軸と系放七七

(6)

白邦主義と系族七八

ァ人・ヴュルテン署へルグ人︒︑ハヴァリャ人・ヘッセン人今こして︑︑己の愛阿心を發揮する﹂さなし︑崇に

﹁ヘッセンの王朝その他が︑その雁此の好意孝雄柵せん︑こして塒に努力し仁雪こは云へない︒しかしそれ

にも拘らずその臣災のドイツ的愛剛心は︑王ど﹂して︑砿比妙脇する王朝への愛蒲心によって制約されてゐ

る︒遠心的な潴要素が本來基いてゐる尋こころのものは︑系族的莱異でばなくして︑王朝的關係である︒

︵固い切言Qロ月毎計の冨貝冒己①望冒篇夙oぽ篇Q①︺の○﹈︺Q①国︺ユ冒畠黒房巳5国⑦昌里﹈戸冒胴①P臼爲Q①目⑦国垈尉国国昇ユ津紀巴①ヨ

国①日①貝①胃切胃冒哩屋目胃昌冒.︶そこに働いて来るものは︑スワビャ族的.下サクゾ一ャ族的︑チュー

リンギヤ族的個性への愛飛ではなくして︑ブラウン︑ンユヴァィク︑ブラ︑ハント︑ヴィッテルスゞハッハの

諾王朝によって剛氏細催へのそれぞれの王朝的考與に分割されたつ己ころの︑或る君侯家の有する支配樅

の一束一束である︒ゞハヴァリヤ王幽い聯繋は︑南部寺ハヴァリヤ及びオーストリヤに存するやうなバュヴ

ァル系旋︵号伺ず昌目畠の︒胃陣画日日︶に基くものではなくして.雀だしく血統を異にせるアウグスブル

クのスワビヤ族も︑プファルッのアレマネン族もマイン・フ|フンク族も︑.にご被等が三枇代以来︑共辿

の王朝によって結合されてゐるの故のみを以て︑︑|︸ユンヘンやランッフートの古令ハヴァリヤ族軍とⅢじく

滿疋して︑自らバヴァリャ人︑こ稲してゐる︒蚊も瓢著な系族的佃性︑即ち下ドイツ的低地ドイツ的サク

ゾ一ヤ的なそれですら︑他の|禰系族よりも史に鋭く且深く王朝的勢力によって減断されてゐる︒ドイツ

的岨國愛は︑その愛蒜心の集中する君侯を必要Eする︒人もしドイツの王朝が悉く除去されに状態を假

定するならば︑おそらくドイツの岡民的感慨は︑賦洲の政漿の摩擦の中において︑全ドイツ人を剛際法

(7)

的に結束する直は萱られfl瞥癸矛都市及び帝剛直隣村落の如曹も?聯合し仁やぅな形

態においてごいへざも阿然である﹂さ︒またビスマルクはかうも云ってゐる︒﹁ドイツにおけるこの自

邦︑王錐的副結の起原が如何なるものであらうども︑その結畢こして佃糞のドイツ人が︑自分には納得の

ゆかぬ紛争のためにも︑王朝の命令一下︑容坊に喜んで︑自分の隣人にしてⅢ系族のドイツ人に對して

火ご剣ご﹂を以て戦ふざいふ事変には︑塗りがないのである﹂さ・

かくの如き観察は︑既に述・ぺだプランデンプルクの﹁帝閏創建史﹂にお堕しも見られるのであるが︑

彼は殊に︑自邦主義が全く王朝的根抵県必つものであって︑系族命冨曽冒︶なろもの尋己は何らの開係争ど

も有しないこさを力碗してゐる︒曰く﹁人は屡糞︑ドイツの脇地が叫家に塁一幕形成され迄﹂ざを︑ドイ

ツ諾系族の有する特に扱き自意識に蹄したが︑︾﹂れは徹頭徹尾不備rのるp自邦主義は祇系族の堆異及

び特殊的感情ざは何の關係もない︒Bの亀思壗三昌一畠の冒昌切言ご凰旦gd邑目の昌一の号弓昌己習且の品島曽の︒

号獄卑舜日目のao胃の園巨目︺・︶北ドイツ人︑こ南ドイツ人︑この間に疑ひもなく存在するざころの微對立︑窪

ドイツ文化地帯の住雌︒こ︑後に至って漸く征服され届住された械災地の住民毒己を分つぐ﹂ころの對立︑否

↓くれざころかアレマ︑不ン族・フランク族・ゞハヴァリヤ族︒下サクゾニヤ族及び上サクゾニヤ族︑こい.ふや

うな佃盈の諾系族のⅧにおいて彼等がすぐ隣り合2L住んで一?○.己ころにも存在するやうな對立︑これ

らの對立は凡そ大なる剛氏?うちにはすべて兇川される︑ごこるのものであって︑そ肌あるが故にかLる

剛災の結束がかくも久しく阻碍される︽こいも︶︑こはなかつにのである︒ブルターニュ人乃王ノルマンデ

間邦︑瞳戟と系族上九

I

(8)

l

らは夙に一切の政治的意義を失ってしまった︒︵目⑦農⑦旨牙目③侭①雷匡①号曙号具の︒胃ご煕弩日昌︒昏己

鳴昌旨︒§ぐ︒埼冨且⑦ロ︑号の爲吻蔚冨富国毎眉黒農︒g冒涜︒胃呼号員巨眉ぐ畠99.︶それらの感附は︑

他の多くの風↑々におけるゞご川じく︑わが閏においても︑政論的結束の一障碍を形成するこつこなくして︑

存縦し得たのである︒永い洲ドイツ主義に對して山だし苔危険ごなった自邦主義は︑それざは起原を異

にするものである︒それはM身分のものを凌認して︑藤帝剛の高椛を徐舞に脱却するここに成功したる

内邦︑乖茨と系族八○

イー人はガスコーニュ人乃系ブロヴァンス人︑︑﹂︑またロンゞハルディヤ人乃至ピエモント人はシシリヤ人

乃至ナポリ人︑こへその肯語風禰において︑その飛硬行状において如何に深く異ってゐるこさか︒イング

ランド人︑こスコットランド人の如く︑本源的に異ったものk集りで祁亙に敵對的でさへある諸民族が︑

短期間或る共通の剛家の基地の上に共存してゐに場合のこさは︑云ふまでもない︒さうした︽ところにお

いて成功したこざが︑何故にドイツでは可能でなかったのだらうか︒しかのみならずドイツの流邦は︑

決して系族的差異の上に生長したも山ではなかった︒古き諦系族の政治的組織即ち系族的公将領は︑む

しろ既に十二祉紀において滅びてしまったのでめ↓亀さうして唯一つの場合においてのみ︑即ちバヴァ

リヤにおいてのみ︑鵬地的な新形成慨が齊言系族的公侭恢の礎津に結びついたのであった︒﹂かくてブ|フ

ンデンプルクは十九枇紀の流邦に言及し︑﹁十九枇紀のドィヅ蒲邦は大部分︑極めて雑多な系族を包含

してゐる﹂ごてその例を梁げに後更に云ふ︑﹁從っていづこにおいても︑諾邦の境界を系族の境界ざ

は︑些かも一致してゐない︒肺かにドイツ諦系族の古き塒殊的感附はなほ存在してゐるが︑しかしそれ

1

(9)

識王朝の人工的庵物である﹂︑迫︒

以上プランデンプルクによれば︑自邦主義は諦系族の莱異及び塒殊的感怖妻こは何らの關係もないので

あって︑ドイツ諸系族の塒殊的感怖は︑夙にコ切の政治的意義を失ってし聖一ろに﹂琶云はれるのであ

るが︑これに反してヴィリ・ヘルパッパは︑その﹁ドイツ此族内の纈系族﹂ご題する小論︵一九二八

年刊︶において︑自邦主義ご系族︒とがなほ關係を有するこ︑こむ認あてゐる︒曰く﹁ドイツの非喋中性

︵ロの園⑦昌尉島昏︶は決して単に︑ドイツの巾・小及び極小の枇襲飛候の岡家政錐的な自立性︵切冒胃号島︲

爵号①国揖①号&号匡︶の中にのみ存したのではなくして︑それざ佃様に︑何らかの中央喋椛のために自

己の個性の或る本慨的なるものを放棄するこさをぱ︑諦系族が本能的に嫌悪する︑こいふこご︵島①旨︲

禺言貢ぎ③シゥョ⑦両肩口函且角の墓旨目扁︶①曾荊儲づ苛め︒ご島︒ゴ畠塾弓国鳴冒画鼻碗宮砲匡固め篇ご辱晒⑦国旦の旨①HN①貝H昌一閏曾○口

自陣侭38︶に存してゐにし︑まに現在も存してゐるのである﹂ご︒史に﹁グルヴィク男Ⅱ記﹂の細蒋

︑ンユスラーもその序文において︑グルヴィクが﹁自邦的脈理﹂の椛化ども云ふくさであったこざを認め

に後︑次のやうに述べてゐる︒﹁その原理は︑ドイツ史の發端以来今Ⅱに至る裳で︑諾王朝︑謝邦︑識

系族に根ざせるもので︑︵・・・・:身ゆめ︒且閏の冨貫胃胃卑旨圃旨︾烏の旨号己ロ百四昌呂︾号回国回国の房冨胃①ロ

〆冒Q号旨醗冒汽冒①画切凰骨国①唱国旨骨H・号員mo胃口○厨︒臣o胃①臣の園巨冒胃昌碕⑦ご自侭⑦量目n匹@それはJ

︵セノなるはぎ抑砿するこ︑とは川來るが︑しかし破朧するこ罰この川來ないものである﹂守﹂︒これによって見れ

ば︑シュスラーも亦自邦主義的伽向さ系族↓この川に本便的開係の杵在を肯定せんざするもの§如くであ

向邦主義と系族八一

︵五︶

(10)

かくて自邦主義ご系族さが果して如何なる蝿係にあるかは︑なほ椎討の餘地を礎してみるやうに恩ば

れるが︑本稲においてかくの如き廠汎なる範剛に亙る問題を究明するこさは筆稀の能くする妻こころでは

ない︒しかしながら今我盈が十九仙紀中葉︑一・八六六年杵塊戦役に至るド・イッ中邦の政治家中︑自邦

主義の代表的人物に数へられるサクゾ一ャのボイスト︑及びヘッセンのグルヴィクについて兄るゞこさに︑

彼等は云ふまでもなく自邦主義新たるご川時にま迄大ドイツ主張稀であつに︒否︑彼等の自邦主義的

方策は︑大ドイツ的にして邦凹聯令的なるドイツ統一案ご机俟ってはじめて︑プロシヤ及び倒災岡盟な

ざの小ドイツ的にして聯邦的なる風災的統一運動に拮抗し得たのであった︒かくて彼等は︑自邦の猫立

性擁謹が決してドイツ的愛凹心ご矛府するものにあらず︑むしろ猟立的諸邦の聯盟による大ドイツの建

設こそ度に國民的︵ご鼠︒己らなる所以である語こさへ︑咽へるこさ加川來にのである︒さうしてそこに我

友は︑プランヂンブルクの明言にも拘らず︑﹁系族﹂なる言葉がこの叩政治家によって︑なほ恰も何ら

かの政治的意義を椎へるかの如くに川ゐられてゐるのを兇川すのである︒

こ山意味において私は︑以下本稲において︑ポイスト及びグルヴィクの殊に一八六○年前後における

言説を中心ごして︑かうしに﹁系族﹂なるものが果して如何なる意味において川ゐられてゐるか︑それ

はこの雨政治家の自邦主義及び大ドイツ主装置如何なる關係に立つものでめるかを老へて兄にいざ忠

ふ︒特にこの年代を選んだのは︑恰も愉峠シラー記念祭あり︑剛殿阿盟の發展あり︑←一︽にドイツ聯盟改 づっ◎

間邦主義と系族

L二.ノー一

I

(11)

革案があって︑ポイスト及びダルヴィクの言説がおのづからかうしに方面に多く燗れて來るからであ

︾〃○○.

ポイスト︵厚尉目3句のa言幽且ぐ︒目印匡胃︶屍Sl岳麗︶はドレースデン生れの生粋のサクゾ一ャ人

であ︽亀父はドレースデンにおいて侍從及び並高裁判所判事を勤めた壷己云はれる︒ボィストはゲッティン

ゲン及びライプチッヒに學ぴ︑業を卒へて外交官を志し︑ゞヘルリン駐剖サクゾ一ャ公使徹害記官を振川し

に︑パリ︑︾二ユンヘンを經て一八川六年ロンドン駐剖代理公使に任ぜられ︑一八川八年フランス二月革

命の除波はサクゾニヤにも及んで三川の騒擾ごなり︑閏王は彼を招墜Lサクゾニヤ外祁に任ぜんざした

が︑ブラウン︵厚四目︶新内閣人輔の都合によって沙汰やみごなり︑︑ヘルリン駐剖公使に柿せられに︒

越えて川九年二卿ブラウン内閣倒れてヘルト︵国⑦匡︶内閣成るや︑愈凌外祁の印綬を側ぴ︑爾来一八六

六年プロシャに敗れて僻職するまで愛に十有七年︑このⅢ雅剛たるサクゾ一ャをして或る時は欧洲のサ

クゾ一ャたるの槻あらしむるほざに敏腕を揮つだのである︒殊に一八六一年彼の提案にか上るドイツ聯

蝿改革案︵團且のの壗氏︒吋日l犀&⑦言︶は︑聯脱竹啼を杵塊叩閏に交友に典へんざするも.ので︑この案そ

のものは採樺されなかったけれざも︑これを機さして一方では︒フロシャの主張する小ドイツ的な聯邦

︵厚目⑦印のg胃︶建設業ざ︑他方ではオーストリヤ及び柵はゆる中邦の咽へる大ドイツ的な邦倒聯合

自邦主義と系放八三

一一

(12)

自邦主義と系族八川

a冨胃g宮︒e案雪﹂の正伽術突を表明するに至ったのである︒

さて︑かくの如き經歴を有し﹁かくの如き地位に立ったボィストが︑典型的なるザクセン的自邦主義

の立場を採つにのは︑容易に了解され得る〃こころである︒彼はその仙想鋒第一巻において︑一・ハ川九年

をⅢ噸し︑幟時フランクフルトの議獅が︒うばシャ王にドイツ皇帝の位を呈する決議をしに際︑風此議稗

の一興にしてサクゾニャ節二院における報告対たりし︑ンヤフラートao冨蹄畠︺︶が行つに淡読について

次のやうに記して一?○︒﹁彼がその波説の野弧に述べに言葉は︑私に深い印象を通したのであった︒

私は後年︑かのオーストリヤにご一って不蓮なイタリヤ戦役の後に岡此M蝿︵z昌○旨Tぐの風目︶がその華

やかな活動を始めにぐ﹂さに︑|﹂のこ︑こを想起し仁ものである︒﹃サクゾニヤの経末﹄弓冒四駛〆○日四①︶︑

これが彼の言葉であった︒凡そ自邦主義︑小邦政策︵固呂︺の冒画自ら︑非ドイツ的意向ごいふやうな言

葉が︑今nもなほさうである辿り︑如何に雛川され化か︑信ずべからざるものがある︒︵巾略︶もし反

動主義新でも自邦主義新でもなく︑その剛蒋の正反對のものであつに人物にして︑あの帝風窓法をぱ︑

巌洲なる弔僻の調子においてサクソ一ャの終末毒と呼んだ雫とすれば︑この阿土P謹巨eの王によって側近

に招致されに人物たるものは︑この荒れ狂ふ時代に舵を操るが仁めには︑頭彩倒まにしてこの埋葬に手

を貸したりするこゞごなく︑むしろ誠蛮なる輔弼の原さして︑豫期さるべきドイツの統一に際して且その

統后も細らず︑彼の悶土l晏ほ從來のドイツ全聯合ごいふ慨躯に富て︑蚊悪山肱罷でばなか2﹄

のであるlの渦立ざ購來︑ごについて︑能〃虚りのものはこれを救濟するこざを以て自己の使命とする

1

(13)

9

︵九︶こざは︑荷くも熱噸する人ならば︑誰しも敢て異さするに足らないであらう﹂さ・

かくてポイストが︑彼自身においては自邦主義なゑ汽葉の濫叩ぜ歎墜Lゐるにも拘らず︑王朝的にし

て保守的なる自邦主義蒜にりしこ↓とは季ふくからざる事蛮である︒しかしながら一・ハ五九年シラー生誕

而年記念祭がドイツ各地に行はれ︑ドレースデンにおいても同様の催しがあつ堤卜際︑ポイストが述べに

式僻には次のやうな言葉がある︒﹁シラー祭は閲此的川典こして告知されに︒吾人も亦それをかくの如さ

ものさして漱迎したのである︒もし吾人にして率哩たらん雫こ欲すれば︑吾人はざうしても自ら認めなけ

ればならないのであるが︑凡そドイツ比族さいふものは︑何か外部から原動力が典へられる場合におい

て︑非常に屡盈激傭に駆られるものであるlそれは︑自分自身の事怖には無關係の︑さぅして自分に

は滅多に利益を噺さないやうな現象なり來件なりに對して感激する場合であれ︑或は外剛が永い間及ぼ

してゐに何らかの砿力に倦んで來る場合であれ︑ひ尋こしくさうである︒しかるに今日の帆典は︑愛に内

部から通を拓いて進み來る︑迫ころい感激に開する.ものであり︑而してまたドイツ的起源に發し︑ドイツ

的性格を推ふさころの飛躍に開するものである︒さて︑その人の名が感激を呼び起すが如き人物︑その

人の事業及び活動が或る佃産の系族まには剛士に︵︒旨の目①ざN①旨①国璽画日日⑦○号儲層a①︶所脇せざる

が如き人物かくの如き人物は︑ドイツ叫民の︑ドイツ︷い名の︑またドイツの言葉の共岡財産である︒

從ってもしこの名のために鯉場詣りさいふやうなこ・こが行はるべきであるごすれば︑蚊も商誉地位の人

から蚊も低さ人に至るまで︑すべての人がこれに列す︑ぺ︐︑︑何人も除外さるべきではなからぅ︒果して

自邦主義と系放八五

141jlll■■■■Ⅱ

(14)

自邦主義と系族八六

然りごすればその際︑蕊を發せんご欲求るどころの佃共人が︑如何なる糀仙・如何なる老への人たるか

は吾人の問ふざころでない︒全慨の新は仁ご︑佃変人が自分塒殊の老へをさしはさんで︑この詩人をぱ

彼が密薩あり叉・めらん︑と欲した︑こ︾﹂ろのもの尋こは異つ仁もの霜こするこ直のないやう︑Hまたドイツ的な

る思惟ざ感蝿さによって輝かしき礁鮎たる・べきその不滅の名が︑ドイツ人扣亙の冊の不和の導火︑己なる

戸一○︶こさのないやう︑配噸すれば足るであらう﹂︑︑﹂・

こkにポイストが︑︑﹀ラーに對する丈藝的僻稗の相違に假沌して︑この詩人の帆典を以て小ドイツ的

統一運動に利別せんごする一派の非を暇にほのめかし︑ドイツの統一はあくまで全ドイツ人を包含する

︑どころの大ドイツ的統一たるべきを云はん︑こしてゐるこ︑こが推察される︒それざ刷時にこLに彼が﹁系

族﹂云言こ語ってゐるこ︒こが注目される︒けれざもそれはなほ自邦主審﹂開聯するが如き政流的意味に

おいて川ゐられてゐるごは云ひ難いであらう︒しかるに一八六三年ライプチッヒにおいて開催されたド

イツ・トゥルンフェスト大森︵号切幽待︒目①旨⑦烏鼻の島の弓貝昆︒胃︶に際しての波読には次のやうに述・ぺ

られてゐる︒﹁この数日間この犬なるドイツ人親睦帆典の舞華こなる・べき団土の名において︑余も亦諸

君に對して︑即ちドイツの諾系族を立派に代表せんが仁めに來られに諸君に對して︵⁝⁝段⑦︺a︒四⑦

鴨ざggg曾且・島①号貝の呂目の夢日目︒烏ヴ凰菖且碕圃巨ぐ︒旨の冨己︶︑この脈において衷心から漱迎の

意を表する︒︵中略︶この國土を統ぺ給ふ高量なる君侯は︑眞正なるドイツ的意向において︑慥かにその

聯蝿同僚の何人にも決して劣られるものでない︒さればこそ又かくも確蛮に國民的なる意義を有する帆

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(15)

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典淵並びに助驚︑安んじて凧ぃ都簡笠芯に毒きれるこご愈龍のであるlその都哩

その活潅なる精祁的生活によって︑.國民的なる︑紺樹立派な椎ひ手の一人己まで成ってゐたのであるが﹂ざ︒更にボイストは一苧︿︑﹁諸君は︑既に多年に亙って麓際的政治生活の深みの中を動いて来た人物︑また經醗によって那物の裏面をも識るに至った人物︑さういふ人物からして︑︲彼が恥に思想の把握のみが生ずる如き新鮮なる感激を以て諸飛に詔るこ↓こむ期待してはならない︒しかしさればこて諸飛は︑その人物か諸飛に向って次の如き事柄を断言する場合︑彼の言葉を疑ってはならない︒そ肌は即ち︑ドイツの諾君侯及びその識政府は︑全寵的ドイツ的意識が益盈漉得し來つに躍進をぱ︑た瞥に認識し理解するのみなら壷更にまに誠童にこれど親しむものである︑︑こいふ事柄である︒しかもそれは諸君侯︑及び諸政府が︑かくの如きドイツ的感情の發展を以て︑彼等自身の志業に對する妓良の支鮎なり︑ご認む

ろに至2Lゐるが故にぼかならない︒ドイツの一邦剛か︑ばらからの風土ドイツから分離したり︑或は

外剛に支持を求めにりしようさ反而Ⅱに老へるこさの川來に時代は︑布難いこ︑こに既に過ぎ去ってゐ

る︒平和の時には自己の利審ご組織電こがドイツの隣邦.ご密接に総ぴつくこさ︑危瞼の時には武器を執っ

てドイツの隣邦ご閲締する︸﹂さ︒こ唾て今川ドイツの邦剛に︑こって︑合理的に老へられ得る唯一の政策

である︒彼等の逆は異る︽こも︑彼等のⅡ襟軸はMじである︒從ってドイツの諸系族が一脈多く且一脈し

っかりざ同朋的意向を以て机愛すれば︵﹄︒目①︸肖巨且﹈⑦すの冨胃昏昏2島︒己@員の︒︸︺①口︑夢日日の旨ず畠1

号筐︒胃門⑦①曾口目的切亘︼①旨自号境目︒︒﹄︑①旨︶︑それだけ益凌ドイツの諾君侯及び諦邦は︑ドイツ民族

自邦︑王義と系族八七

(16)

ダルヴィク角ヨ言己民昌司尉農呂ぐ○画己騨冒漏宗勗呂l扁雪︶も亦︑生粋のヘッセン人である︒通

︐禰ヘッセン・ダルムシュタット︵国︒脇③ロ︲冒嶽目§号︶︑こ呼ばれるヘッセン大公幽︵Q8閉胃簡畠Eg国①閉⑦己

は︑云今までもなくダルムシュタットを竹府︑こするライン及びマ↓イン河に沿った一小國であるが︑ドイツ

で峰ハヴァリヤ︑サクゾニヤなざk並んで巾邦︵昌胃愈言画胃︶ご呼ばれ︑統一問題殊にドイツ聯盟改革案

においては一かぎの役制を波じて一?○︒ダルヴィクは︑後にダルム︑ンユタット市のQo目﹃⑦目の胃でなつに

ラィンハルト・フずン・ダルヴィクを父さして︑その地に生れに︒ゲッティンゲンに躍ぴ︑蚊初は司法官を

志したが︑やがて行政方面に卿じ︑ダルムシュタットにあって地方課の育吏にるこ妻こ約十年︑一八川一年

ウ薪ルムス︵尋︒﹃目︶地方琴束官負鼠の§︶に稗出し︑フランス統流時代の記憶未だ新たなるこのライ

ン左岸難治の地方において能く政淌的才緋密發押し︑だめに認められてこの網はゆろライン・ヘッセン

地方全鰡の知事︵甲︒ぐ冒爵屋壗の胃︒sに任ぜられに︒一一八川八年二川革命の影粋によるマインッの騒擾

こkに至って明かに﹁諸系族﹂は︑諸邦分立の政淌的状態諺との開聯において取扱はれてゐるさ云ひ得

ろであらう︒かくの如き取扱ひ方は︑史にダルヴィクにおいて一脈明瞭に現れて來るのである︒ ︑a閉口⑦届蔚︵■rるで二の麺ら﹄フ︐一 自邦︑韮錐と

ロ⑦具門胃ぐこす︲派

邦 ︑ 王 教 と 矛 舷 八 八

戸①ぐ︒岸︶︑がかくも熱烈に要盤せる目標に辿寸るどころの共側の逆を粗ざもに進むことLな

︵一﹄︶︑ざ﹂○ 糸族

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(17)

には︑オーストリヤ及びプ極シャの兵より成るドイツ聯盟軍ざ人災ざの冊に韮侭彪し︑兵力を以て自曲主 義的革へ叩的分子を弾雌して秩序を恢復するこ︑こに成功し龍︒かくて一・八五○年六月へツセン内相︑次で

八月外和に任ぜられ︑鯛米ドイツ問題に坐廻いては︑保守的なる自邦主義の基礎に立って邦風聯へ耶的大ド

︵十一ごイッ主義を提げて中邦の間に収喜をなしたのである︒フランクフルト大學私識帥シュスラーによって細

纂された彼のⅡ記集は︑一八六○年より七一年に至るⅡ記に川ふろに︑亜要なる畳書及び韮風簡を以て

し︑グルヴィクの熊度をうかがふ上に興味深いものがある︒・

一八六一年十一Ⅱ十・ハⅡ附の亮韮凧亀8目①go鄙旨︶はダルヴィク・こ書へルリン駐剖ヘッセン公使ホ→︲フマ

ン︵国︒向日臼旨︶さの共群になってゐるが︑サクゾ一ヤのポィスト拠案にかⅨろドイツ聯叩畿革案につい

て︑ヘッセン政府のさる・べき方策を述べたものであって︑その中に次のやうな記載がある︒扉川面のうす

ン・ポイスト男改革案に仔細に立入る前に︑わが水公倒政府が問題の識提案蕾こ聯叩碓革に閥する術努力

︑こを批判する場合の川發鮎さすべき一般的見地につき︑若干述べるこご↑ぜ諒︑こせられ︽Lい・ヘッセン大

公阿の如く︑政治的歴史的及び地理的郡怖により︑欧洲剛際關係のうちに澗立的弧剛こして立ち現れ

る︸﹂︒この川來ないドイツ術邦は︑聯叩皿構成貝全部に對して内的及び外的なる安全・渦立及び不可佼性を

確識するドイツ聯盟を以て︑自邦の存立及び繁榮に封する妓良の保雄と兇倣すものである︒聯叩勝崩壊

︵十三︶は︑これら詣邦の生活條件を妓大の危瞼に委ねるこ﹃己kなるであらう﹂︽こ︒か︐︑てグルヴィクも亦︑ド

イッ聯蠅擁謹によって自邦の渦立性ど可及的に保持せんざする自邦主雍村にりし︾﹂害﹂は明かである・更

脚邦猛競と系族八九

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(18)

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S量や遥呈もKや輻塁調急や椙幻 十翻り〃蟹卜や〃ソ︑翠岬損こ狸 号匡知言坤J割入蝿珪心やり妄遥替 隷切母ご卿型凧鶴迩潰迂やⅧ一W信 劇J罰三Je・心釦 窪需当︐侍 署幻型蝿岬岬皇型︲J簿三一や

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霊騒

(19)

かやうにしてダルヴイクは︒一七ハ九年以来の革新的運動の中に存︑する二つの要間について︑その一

つにる民主的要因には断乎っこして反對するものであるが︑しからぱ今一つの脳民的要因に對しては如何

なる態度を季こらんざするものであったか︒彼は云ふ︑﹁これに反して剛災的理念は︑剛家形態ごは何ら

の關係をも有しないものである︒それは︑飛主政寵にお墜Lも共和政慨におけるどひこしく︑勢力を得

るこさの川來るものである︒さうしてまた︑蛍族政慨が閏災的思想の立派な支持新であったやぅな又あ

るやうな剛もかなりに存在して一男卜し︑J↓兵L存在してゐる︒剛此的感慨はその本性上︑肯定的含○切言ぐ︶

内容のものであって︑まにその感慨が仰統ご﹂歴史ご﹂に基く限りにおいて︑それは保守的なものである︒

それは家族︑故郷に對する好尚ご岡一の源泉から發するのである︒正にその故に︑岡民的感慨は︑兼固

なる政府ざ健全なる閏家生活この基礎ごして役立つに悲だ適してゐる︒そ腿か岡家に危除こなるのは︑

に■それが既存の碓式の法ご矛盾する場合のみであって︑むしろ正式の法は︑それがその民族2○房︶

のもつ剛民性︵Z目○.号富国胃胃︶のうちに根ざすこ︑こ深ければ深いだけ︑弧さを増して来るのであ

る︒﹂かくてなほグルヴィクに從へぱ︑從來ドイツの革命的運動においては︑民主的佃向毒こ閏民的伽向

きが術に相携へて進んで来てゐる︒しかるにこの二要因は上述の如く元来全く別仙のものであり︑に噌

閏民的感慨の傷けられてゐる↓己ころには民主的謬説が唯ひ込み易いだ且じあ2L︑前新が祁足さ唾しゐ

るさころには後若⑳ばぴころ除地が紗いのである︒さればドイツ巾邦にして倒民的意識を味方につける

こEに成功するならば︑↓くれは危瞼なる民主的思想からその有力なる武器を奪ふ所以である︒呪んや︒フ

自邦主義と系族九一

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【卜

白邦主義と系族九ニ

ロシャは現在オーストリヤ︑この側にドイツを二分しようご企てLゐるから︑ドイツの中・小邦がドイツ

民族内の凹雌的統一意識に噸へてこの危険を免れなければならぬやうな︑が何時やって来るか判らな

い︒その故にも︑この剛民的感慨の要求を滿足させるこさによってこれを味方︑こするこ﹃とは︑阿家の政

策上︑是非ざも必要なこさである︒﹁しをしながら抑宅閏雌的主韮に對する讓歩は︑民主主義に對す

る罐歩電こ岡様に︑唯乗すべきではないだらうか︒中邦は︑阿比的岡感を味方ごするがために︑自邦の潤

立E︑更にオース︑rリャに對する及び隣接術比族の民族述動に對する從來の一切の政策ざを︑一梁に

放棄しなければならないのではなからうか︒﹂この疑問に對してグルヴィクは次のやうに答へてゐろ︒

.﹁かうしに異論を反駁するこさは困難でなからう︒先づドイツ人の阿民的意識は決して単一幽家︵園コー

胃巖§胃︶を要求してゐない︒その意識は系族的個性の感怖︑特殊性の感情︵号の⑦島屋号獄堅陣目

日①の①侭の昌冒監○嶌鼻﹀烏﹃胃のCaの号のg↓ど排除するものではない︒けだしその意識は蚕.この感怖を岡一

の源泉かち流れ川てゐるものだからである︒一般に人は︑剛雌的統一︵gの国嵐○口堅の国冒胃gの意識︑

即ち系統︒言語・智俗等を等しくするこぐ﹂にょって脚朋髄に厩するごいふ意識をぱ︑政治的統一︵宮l

胃胃胃国目の岸︶の要求雪こ混吋してはならないであらう︒この要求は謝邦の猫立を危からしめ︑Hオー

ストリヤを除外しかねない要求である︒これに反して︑かの剛民的統一の意識lたごへぱ妓近数年の

災冊の諾祁典において殆でいづこにても表明されたやうなその意識は︑悦んで佃友の系族をそのまL把

梶し︵凰計ぐの侭昌鴨ごa⑦の旨圃①旨のロ号昌の︒一︺g留冒日⑦己のの○斤胃①吋註ののg︶ゞそれら系族全慨に一つ

16

(21)

の聯盟的紐帯︵⑥旨験号周昌ぐの国自Q︶を以て絡みつくのである︒從ってそれは︑諾孵殊罷︵国の︒目角︲

言胃ロ︶を溌棄しよう毒こも︑まだオ︲︲ストリヤを除外しよう害﹂も欲しない・シラーの︑射撃の︵の︒冨蔚⑦国I︶

歌手の︵の言moH−︶︑慨操家の︵日日目関I︶︑←また堂一塁肌學君の諦記念祇典にエやいて︑幽雌的感激かその

雄向潮に逵するや︑糊にかのアルント︵ど昌号︶の歌謡が︑即ち佃交のドイツ術部族︵⑦ざ園①﹈ロ①Qの具・胃

ぐ昌廊のHの○ず鳥目︶をすべて根本的に数へ立て迄こころの︑而して全慨さいふものに向ふ傾きをもつ︑ここ

ろの歌謡が︑歌はれるのは間知の通りである﹂︑こ・

かくてグルヴィクに坐やいて﹁系族﹂なるものは︑ドイツ祁邦の潤一皿牡を理巾づける有力なる根振芭老

へられる︒しかもその系族的塒殊感は元来剛氏的意識ご刷一の源泉に綾すろものなるが故に︑この剛若

は調和雨立し得るものであり︑從って術邦の猫立惟も亦剛災的意識ご調和し得るものである︑ご主張きれ

るのである︒勿論かくの如き主張が︑ざい稚度までこの政治家の衷心い確信から出つるものであるかは

明かでない︒グルヴィク↓こいへ・ざも塒川時の惑邦の塊界が︑峨密な意味に坐つける系族のそ岬乙一致しない

こ・こは知ってゐ↑卜であらう︒從って彼のかうし龍主張は全く︑政治的な意川に川づる那蛮歪曲の弧辮で

あったご解されぬこ義こもない︒或はま嘱非仙意的に解繩して︑彼は↑卜ご漠然雲こ系族の差異い存在をドイツ

の剛家的不統一︑乙絲ぴつけて︑かくの如き術理を樅成し︑自らもそ史細理世陛食性を儒じてゐにこも和心

像される︒しかしそのい・つれにもせよ︑紗くごもこlに洲はご系族の那念が存在し︑それがかうしに政

治家の思想圏内に︒︷韻て和柑に飯要なる役割ぜ波じて一?︒こ・こは訓蛮である︒

自邦︑王義と系放九三

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(22)

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(23)

一二

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(24)

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n邦主哉と系族九六

系族のそれ書こ共通にせるものは殆ざ無かったいであるから︑雌密なる意味にお堕し系族の亦在は決して

諦邦のそれを理山づけるものではなかったであらう︒さればこ↓で若きトライチュケは︑恰もポイスト及

びダルヴイクの如上の言碗︑こほ冒時を川じうせる一八六一年六川の﹁南猫迩儒﹂において︑︑ハヴァリヤに

てもかくの如き﹁系族﹂↓と﹁擶邦﹂﹃己を紬ぴつけんごする試みの存するこ・こを述べて︑これを政論的手

品に過ぎないご咽笑してゐる︒彼は云ふ︑﹁もし作り上げた作飼的感怖が素朴であり柵る・とすれば︑ゞハ

ヴァリヤにおいてはなほ或る素朴なる自邦主義が支配してゐる︑こ云つてよからう︒即ち人産は︑自分逹

が語ハヴァリャ人である︒こいふこ壷こより以外には︑全く知らないのである︒ドイツの中邦が以て不和を永

久化せん︑こ努めてゐる客﹂ころの政策︑即ち頁ヴァリヤ剛家﹄︑己いふ反い概念をば素早く頁ヴァリャ系

族﹄︑こいふまやかし概念︑こすトリ換へる︑ところの政論的な手仙師の早業Ggq冒冒︑︒胃弓画︑g9畳の︲

庁勗貫go可︶言昌○︸︺①壗旦曾旨時⑦匙⑦国画①m尉罵由①︾古画望吋房○壷①厩︑冨騨宅尉画aCゴユ⑦ロダニ画函ロウの胴甸諸雨︾昔四﹈H尻o彦①儲︑什日巨冒胃︽︽

戸目①扇︒嵐︒胃︶は︑いづこにおいてもこの地におけるほざ巧妙に稲はれにこ︑こはなかったし︑現在もない

︵十七︺のである﹂さ︒ラップも亦その著一.ドイツ的思池﹂においてドイツ中邦の主張する大ドイツ主義の本

磁を次のやうに槻察してゐる︒ヌノーヴァ・サクソ一ャ・・ハヴァリャ・ヴュルテン︑ヘルグなざ詔はゆる

﹃諦王則﹄の政府は︑彼等がオーストリヤによってプロ・ンヤを制肘せんご欲したるが故に︑大ドイツ

的であった︒彼等はドイツの不和によって生きん︑ご欲しだいである︒叫雌的感慨に對しては︑彼等は次

の標語を以て瀞解する︒曰く︑そは全ドイシたるべし?こ︒なほそのほか︑彼等は渦立的諦邦の維持︑及

(25)

ぴll好んで云はれに言葉を以てすれば11樹立的﹃系族﹄︵臼の犀圖日眉の与切融且輔儲国邑圃の冒画鼻のロ

ロa︾・乱のご葺く︒壗一厨胃鳴︑四喝勇巨乱の︑mの房の夢.&鴨尉︾︶駕目目の︽︽︶︑並びに聯盟的︵段号冨昏︶なる剛家述

︵十八︶談は︑これ即ちドイツ的塒性︵島の号具の号①シ再︶に通合せるものである︑︑こ主張したのである﹂己︒

しかしながらこの時代のドイツ中邦政界において﹁系族﹂なるものが意識せられ︑それがドイツの政

論的分立の状態ご開聯するものこして考へちれたこざは︑何ご云って・も動かすべからざる事蛮であつ

に︒︲ひさりポイスト及びダルヴィクのみならず︑.↑ハヴァリヤにおいても︑まにその他においても岡様の

現象が存在したこざは︑上記トライチュヶの﹁南猫通信﹂によって察知される︒更に後年ドイツ帝國宰

相ざなったホーエンローエも︑愉時琴ハヴァリヤの外交官さしてパリにあり︑むしろプロシヤの主唱する小

ドイツ的解決に心を寄せてゐたが︑一八・六二年三川九日の彼の日記を見るざ︑次のやうな記載がある︒

﹁ドイツ問題はたご単に民衆煽動着たちの頭の中においてのみ渡生したものではない︒︑それは事物の本

性から生じてゐるのであって︑ドイツにおけるあらゆる瀧派の人糞に祁迩︑ずるきころのものである︒け

だし一個の災族全綴illその民族の個々の系統命昌目目の︶は︑共迦の言葉及び文學によって結合され︑

共通の利害によって動かされ︑交通機關の利煙雲﹂相俟ってH一日ご益凌密接な結合に入って行くのであ

る11は︑自民族を外幽の策謀の偲冊ごなし︑諸外悶民の噸笑の的ごなすどころの岡家的分裂の状態を

︵十九︶いつまでも耐へ忍びはしないであらう﹂さ︒こ上においても系族なるものが︑從來は﹁密接なる結合﹂

の壯態に存在してゐなかつにものどしで︑紗くさも或る政治的關聯の中に立ってゐるかのやうに記され

白邦主義と系族九七︑

(26)

自邦主義と系族九八.

てゐるさ云へないであらうか︒歩展醜に見たやうにビスマルクは︑系族の境界が諸邦のそれざ一致しな

いこさを痂烈に指摘したのであるけれざも︑彼自身は岡じくその﹁呵想鋒﹂において︑︒フロシヤに一個

の﹁系族個性﹂︐があるざする矛購に陥ってゐる︒彼は云ふ︑﹁ドイツにおいて歴史的に妓も弧く刻印さ

れに系族的個性峰おそらく︒フロシヤのそれであらう︒︵ロ芦の脆の切○匡呂豊島日昌胃時篇常口里防︑①胃騨嗅︒

こ一十︶

陣画日日⑦の①面①ロ昌日胃罵骨甘口①具切呂旨目色騨笥○匡禽①胃①眉の爵呂①.︶﹂ざ︒しかしながらこのプロシヤが

一個の系族のみから成る國家でないこさは︑既にトライチュヶが一八六一年十一月のその通信﹁南猫か

ら﹂において・プロ︑ンヤ的自邦主義を論じにさきに指摘してゐる︒即ちトライチュヶによれば︑プロシヤ

人が自邦の資力ご輝かしき歴史ざによって自負心を懐くに至るのは徽然である︑﹁ドイツの如何なる系

族︵聾関口目︶もそれによって感情を傷けられる筈はない︒けだしプロシヤは夙に一系族の國家にるこ・と

を賎し︑夙に殆ざあらゆるドイツの系族の諸部分をその王椛の下に結合したからである﹂ざ述べられて

︵廿一︶ゐる︒それにも拘らずビスマルクがか心の如く﹁系族的佃性﹂を云糞してゐるこさは︑彼も亦トラィチ

ュケの詔はゆる政治的手品を減じてゐるもの琶云はなければならない︒更に一八六○年九月に行はれに

団災同盟︵z畠︒量ぐの﹃・且第一Ⅲ細御において定められにその綱領にも︑﹁ドイツ災族︵昏伽号鼻の︒胃

ぐ○︸ごは一八四九年の帝幽憲法を問執す︒本同盟はあらゆる合法的手段を以て︑統一的中央椎及びドイ

ツ議禽の設立ど期す︒本脚鯉は各系族︵ぐ︒崖︿の切冨9日︶がドイツの偉大及び統一逹成のために犠牲を捧げ

︵悩二︶んこさを期待す﹂ざ見えてゐる︒こ型に各系族が﹁犠牲﹂を要撃されてゐるこさは︑その直後に﹁なか

I

(27)

かくの如く老へ來るゞと︑プランデンブルクの如く︑一自邦主義は諾系族の差異及び特殊感怖さは何の

捌係もない一さ云ひ︑或は﹁ドイツ諦系族の古き特殊的感惰は︑夙に一切の政治的意義を失ってしまつ

に﹂琶云ふこざは︑それらの差異または感情そのものについては肯定され得るけれざも︑勘く守﹂もそれ

らのもの上理念ども孵すべきものは︑一八六○年前後のドイツ中邦に開する限り︑なほ自邦主義どの開

︵ご両国3国昌口号国骨昌昌圖︾ロ厨困①厨房噌偉.Q匡︒頃

︵F①ざ凶狩らい巴当切いp

︹二︺勺.﹈○月置日の①ロつくOgQの貝m3国︺ぐ○房闇冒昌号巨︲

計の︒ゴ⑦pm冨鼻︵Fの5N億石い○︺のか評

︹三︺﹈・国皇国︾ロ旨両も○○胃ロ骨魂Q⑦具の︒胃目○⑦1

の○罫﹄○ず牙⑦︵ぬ井匡昇頤卸﹃行胃︒︺﹄︺ぬ.岸巨屍

︹Ⅲ︶国のg胃○ず①⑳旦釣.宍⑦冒冒丘両吋冒目①汽厘ご鯛のロ﹀国.

侭§常一・.︾ロ冑冨黒扁ロニ胃再の融日日①︽︽

︵五︶国昌︻丘①ロウP冑四切紅C亀. 係において注目すべ言役割を波じたもの琶云はなければならない︒ んづくプ回シヤの民︵烏砂胃2m爵呂のぐ○房︶は︑その輝かしき歴史ざ大國仁る地位にも拘らず︑自らドボ.︑シ災族の一部ざして感じ︑かつ中央樅に服從するこごむ示さざるべからず﹂ごあるこごむ併せ老ふれば︑やはり系族と自邦主義的傾向どの間の︑漠然︑こではあるが︑何らかの關係を想定してゐるものL打く恩はれる︒

自邦主義と系放

︵六︶弓豊田国①一5月ごロ荷︑愚日日①.胃巨.Q①昌月胃口

ぐ○壽の日日︵b①二房○三画ロ具冑猪.・ぐ.侭.詞①日日①迅・

鈩巨室・迄国①ユ胃ちい巴﹀いちP・

︵七︶ロ討弓画塘3鐸の写①﹃号印蜀屈房胃目.閃⑦旨.冨己く.

ロ昌弓碕弄圃匡F甘言⑦貝堅②︹陣巨茸租昇忌巳︺い今

︵同一口帛唇寄門口p瞬く.呈昌︒︑︒夛口の匙①H︶

︵八︺︒届.シ昌打の日①旨の己①具の○ケ①国○四も言①︑国①匡農

シ宮の己H堅く胃艮山m胃昏冒烏風①ロG2茸醤再︺

旨巴︺︾園昌凋一八六六年以後のボィストについて

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(28)

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■寺

1○○雪溝,膿穏式j牒雲

、逼剖窒壗+1〈篝置導室揮「苣毫鵯やK二s睾尋替謡

且,、ふい」,熟雲。

(FJ)BeUSt,Bd.I,S.58f.2JZ

(÷〕.、、ibid.,.s.266f.x.

.h(+1)ibid.,S.323f.

〔÷11)DalWigk,TagebUCher(EinfUhrungvon.q、Schiissler),S.4f.Cf.A.D.B.

(+lil)Dalwigk,S.57f

(÷三)ibid,,S.61.f.

(4‑Lg)ibid.,S.62ff.

〔十1<)ibid.,S.90f. .〔+寺】)H.v,Treitschke,HistorischeundPoliti‑

schcAu"tze,Bd,1V(Leipzigl920),、Eine

siiddeutscheKorrespondenz,S.332f.

〔÷<)A.RappjDerdeutscheGedanke(Bonn

1920),S.180.

〔÷具)DenkwijrdigkeitendesFtirstenChl.z.

Hohenlohe‑‑SchillingsfUrst,Bd.I,S・122.

〔11÷)Bismarck、bid.

(=1)Treitschke,ibid.,Aus.Stiddeutschland,S,346.

(=11)B.Gebhardt,HandbuchderDeutschen

Geschichte,Bd.11,S.390.

(式当ン

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