九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
Preparatory Notes to Studies on Kao-Chunghsien (高忠憲) : Discussing the relationship between Confucianism and Lao-Zhuang (老荘) thoughts
松崎, 賜
都城工業高等専門学校
https://doi.org/10.15017/18178
出版情報:中国哲学論集. 25, pp.36-66, 1999-10-30. 九州大学中国哲学研究会 バージョン:
権利関係:
高忠憲研究序説一老荘と儒学
松 崎
.賜一︑
ヘじめに
明代末期の儒学者︑高官竜︵一五六二〜一六二六︶は︑無届の人︑あざなは高書︑景逸と号した︒東林書院の雄と
して︑学徳ともにすぐれた人物であった︒時弊を救おうとしたが果たせず︑かえって逮捕されそうになった時点で︑
元大着たるわたしが捕らえられるのは国を辱あることだと言い︑池中に身をしずめて自殺した︒おくり名は忠憲であ
る︒ 国難に殉じる少し前に︑彼は︑次のような書簡を遺した︒
世界を碁盤とするならば︑あくせく生きる人間は白黒の石のようなもの︑誰が勝つのか負けるのかわかりはしま
せん︒わたしたちは︑その常ならぬことが実はあたりまえなのだと知っています︒だから︑勝ってもうれしいと
は思わないし︑負けても悲しいとは思わない︒勝つのもよかろうし︑負けてもよいのです︒やがて見物人が立ち
去り碁盤もしまいこまれてしまえば︑さきほどの勝ち負けは︑さて一体どこへ行ったのでしょう︒不変なるもの
は︑このように悟ることの中にあって︑勝ち負けの世界にあるのではありません︒誤った人生を送って永遠の罪
人となるよりは︑正しい人生を送ってこの世から罪人とみなされる方がましでしょう︒苦境にあってこそ︑か
えってそれによって心を洗い清あ妄念をすすぎ落とし︑死んで宇宙に帰る準備をしているのだと思うだけです︒ 一36︸
人々へのまっとうな愛を︑心にしっかりと抱きつつ︑願いと言えば︑世におもねらずひけらかさず︑何の飾りも ρ ︵1︶ ない自分のままで︑天下のために力を尽くしたいものです︒︵﹃高子遺書﹄巻八下︑王当処口に答えて︶︵以下︑原
文を末尾に付す︶
およそ論理的などという次元をかけはなれて︑綿々と書き綴られていく文章︒にもかかわらず︑全体としては不思議
に︑しっかりと一つにまとまっている︒本当は︑核心にふれた一言で︑このすぐれた表現について何か明らかにでき
ればよいのだが︒しかし︑そのように問題とするからには思わねばならない︒この書簡には︑忠憲の歩んだ六十年の
人生というものがあることを︒
本稿では以下のように︑老荘︑特に荘子︑と儒学との関わりという視点から︑高忠憲についておおまかにではある
が見わたし︑忠憲その人に近づいていくための一歩としたい︒
二︑荘子との親近性
忠憲は新朱子学者などと言われる︒忠憲の生きた明代は︑思想界も複雑であって︑実は影響を受けていながら儒学
以外は厳しく異端視しがちな朱子学者︑と憶測するだけではもはやすまされないのは当然である︒と言って︑忠憲の
文章の中に荘子の出典を指摘して影響を云々しても︑やはり憶測を免れがたいであろう︒それよりも端的に両者の文
章そのものにふみこんで︑いわば表現の流れに身をまかせてみることによって︑忠憲における荘子的要素の本質性︑
またその意義がわかるのである︒
先の書簡の前半を見よう︒まさに荘子のように︑世界を裏から眺あて諦観している︒のみならず︑おかれた状況に
とらわれない︑確固とした安らかな生き方があるとも言う︒
もっとも︑このような内容だけを見るならば︑何も荘子に限らないとも考えられよう︒だが︑注目したいのは︑そ
の表現が︑人生のつらさやがまんの必要性それ自体の強調ではないことである︒・物事の変化そのものを常なるものと ﹁37一
して生きるという︑通念を逆転させた発想をみせるところなのである︒つらさに耐えなければならないという精神的
な力みがすうっと消えていくかのようだ︒荘子の︑﹁生とは時を得ること︑死とは去るのに順うこと︑いずれをも安
んじて受け入れれば︑哀楽の情に迷わされることもない︒﹂︵養生主翼︑大宗師篇︶など︑あるいは︑荘子の注釈者と
して鋭い切りこみをみせる郭象の︑﹁そもそも哀楽の情は︑何を失ったか手に入れたかと勘定するから生じるのだ︒
−⁝ひたすら宇宙のはたらきのままにまかせて一つになれば︑もはや哀楽にとらわれることもない︒﹂へ前大宗師篇
注︶など︑みな同類であろう︒
このような特徴をそなえた論は︑忠憲の他のものにも︑さまざまに形をかえてあらわれる︒
そもそも物事の本質はいたって単純︑なにもわざわざ騒ぎ立てなくてよいのです︒ちょっとでも死を恐れる気持
ちになって︑あるべき倫理にそむくまねをしてはならないし︑ちょっとでも死に急ぐ気持ちになって︑社会の秩
序を乱すまねをしてはなりません︒あなたが世の不正を見ては︑こらえきれずに悲しみ怒りまくってしまう時︑ ︵2︶ このことをお忘れになっておられるのでしょう︒へ﹃高子遺書﹄巻八下︑劉念台に答えて︶
忠憲の遺した言葉はいつも︑﹁世の中は今︑非常に危うい状況です︒われら仲間が窮地に追いこまれることなど問題
ではありません︒長年︑書経や易経に言う虎の尾を踏むような気持ちでやってきて︑かえって修養のありかがわかっ ︵3︶てきました︒﹂︵同君︑至言漢宗伯に与えて︶とか︑﹁愁え苦しんでいる時にこそ︑それをさっと忘れてしまうことが ︵4︶できるなら︑真の人生を送るためのきっかけがっかめよう︒﹂︵同罪五︑会計︶などの︑深刻な体験から発せられてい
る︒だから実は大変なことを言っていながら︑一度言ったことを瞬時に逆転させることで︑そこにある種の華やかさ
を伴う︒結びつきそうにないもの同志の結びつき︒重なった表裏︒次などは︑いっそう特徴的であろう︒
入の心というものは︑詩経に言うように過失を犯さないかとつつしみぴりぴりする︑その時こそ︑論語に言うよ ︵5︶ うに何のこだわりも消え失せてのびやかなのだ︒なぜか︒心の中にいっさいの余計な思いがないからである︒
︵同巻一︑語︶
こうなると︑対称に整えられた構成ともあいまって︑鮮やかだと言わざるを得ない︒﹁異なる方面から見れば︑わず ﹁38一
かな差も大きな違い︑同じ方面から見れば︑すべては同一︒﹂︵﹃荘子﹄徳充符篇︶︑それが︑ここに見事に表現として
結実している︒﹁ぴりぴりする﹂方は︑必然的にせよたてまえにせよ︑あるべき倫理としてそうしなければならない
はあになるものの︑心の中では実は逃れたいと願いがちである︒﹁のびやかな﹂方は︑心の中ではすばらしい︑そう
なってみたいと志してはみるものの︑実際にはなかなかでぎにくい︒まるで正反対の事柄が︑しかしあのように結び
つく︒ ﹁縦と横︑美女と醜女︑その他いかなるものにでも︑道は通じて一である︒⁝⁝なぜかわからぬままにそうなる︑
それが道というものだ︒﹂︑これは荘子である︵斉物論篇︶︒忠憲と荘子と︑一のところにいたる過程は︑あるいは異
なっていよう︒しかし︑両者の根底は同じである︒すなわち︑異なる二つの物事は︑﹁無理して基準をそろえたり形
をそろえたりして︑同一にされてしまうのではない︒﹂︵同前郭象注︶︒一となるところに体験的に出ていくと︑自然
に一となるのである︒圃荘子で言えば﹁道﹂︑忠憲の論では﹁いたって単純﹂﹁余計な思いがない﹂というところである︒
忠憲も荘子も︑その一なるものを︑異質を際立たせてどちらが勝つかなどと比べて決めるのではない︒異質を組み
あわせてそれらとは違ったものを創造するとか︑その結果として思想的苦みにのぼるとかいうのでもない︒異質と全
く無関係な一つのこと︑法則なり自己の意志なり︑を墨守して不動なのでもない︒一はだだ︑確かな体験にもどるこ
とによる︒そうでないと︑たとえば概念をあれこれ弄んでいるうちに︑﹁もし一と言えば︑一と言とが分かれて二と
なる︒すると︑もとの一とあわせて三だ︒あとはもうきりがなくなってしまう︒﹂︵﹃荘子﹄斉物論篇︶︒日常あらゆる
意味で是非や矛盾にとらわれしがみついていたのだったと覚醒した時︑体験というものは結局一まとまりであること
がわかる︒すなわち︑主観的にはどのように思われようと︑葛藤があろうと︑主体にやってくる働きかけは︑ただ受
けとめるしかないもの︑だから︑むしろすすんで受けとめた方がよい︑それが人としてのあり方だということである︒
この世で有として生きることには︑はじめから否定としての無が潜在し︑相即しているわけである︒そのようにわか
るというのは︑忠憲や荘子の文脈では︑知的に人間が前進したとか後退したとかいうことではなく︑大切なことが心
にしみとおり身に徹するようにわかったという意味である︒それと同時に︑現象的には物事は必ず両局に分かれて認 一39一
識されてしまうという自然なる仕組みも︑頭で考えるまでもなくわかる︒その仕組みがわかることは︑つまり︑両極
に迷わされないでものを見ることである︒そのような体験が今度は︑現象の両極をわがものとした︑意表をつく表現
となってあらわれる ︒
もう少し引用を続けよう︒﹁あれとこれとの対立にとらわれないためには︑いわゆる道︑世界の回転軸のところに
立て︒軸だからこそ︑くるくる回る円運動のまんなかにおれる︒そしてそこならたちむかえよう︑無限なる天地宇宙
へと︒これが無限なら︑あれも無限だ︒大切なのは︑物事の真相を直観することなのである︒﹂︵﹃荘子﹄斉物論篇︶︒
このような表現から︑荘子は自分では何もせずに世を弄んでいるだけの︑所詮は観念家であるにすぎないと評される
ことがある︒また︑わかりにくいことを言うから︑神秘だ︑体験主義だと祭り上げられる場合もある︒しかし︑どの
ように荘子を解釈し位置づけようとも︑必ずその枠からはみ出してしまうものが荘子にはある︒それが︑表現の華や
かさとか︑のり︑といったものである︒大切なことがわかるというところからあふれでる表現の愉楽にこそ︑まず荘
子が感じられるのだ︒
忠憲も同じである︒体験と書きあらわされた表現とは同時にして一のもの︒どちらが欠けても彼らではないのであ
る︒ただしこれは︑私は言いたいことがある︑それがすぐさま私の思想だ︑あるいは︑言いたいことがあればどんな
表現でもかまわないとするようなことではない︒だが彼らはAある考えを広あるために概念的な説明を尽くすことは
しない︒逆に︑﹁道﹂は﹁なぜかわからぬままに﹂などといくらはぐらかすように見えても︑言葉による表現の道を
すべて閉ざしてしまうのではない︒ましてや︑情熱があればもう言葉はいらないと言えばもっともらしいが︑そうで
はなく︑彼らは情熱があって︑表現にもむしろ積極的だとしてよいであろう︒忠憲や荘子の思想などということにと
らわれさえしなければ︑読む者はまず︑常識的にはなし得ないような表現が編みだされている点に魅かれるはずであ
る︒ こうした︑体験と表現との独特な一致の持つ意義については︑後ほどもう一度ふれることにして︑次に︑その一致
が具体的にはどのようなことによって達成されるかを見てみよう︒ 一40一
三︑捨てるということ
一般に︑荘子を含めて︑老荘の特質は︑無ということにあるとされる︒だが︑無とはどのようなことか︒それを問
題とする際に必要なのは︑無を何か物でもあるかのように対象化して考察するのでなく︑まずは実践に即してとらえ
ることである︒そもそも老荘の無は︑実践的な問題と分かちがたく論じられているのであるから︒その面から︑無は︑
ものにとらわれないことであると言えよう︒立場は違え︑忠憲においても同じである︒とらわれない︑と言えば︑な
んだ︑そんなあ・りきたりのことかとも思えよう︒しかし︑ありきたりのことが︑じつは大変おもしろい︒
人が生まれたままに心がおちついている時︑一体何にとらわれることがあろうか︒それなのに︑あくせくと利を
求めたりあれこれと気持ちがかき乱されたりするようになるのは︑すべては知識を持つようになった結果︑だん
だんと余計なものがくっついてくるのであって︑それは心の本来の姿ではない︒くっついたからには︑取りさっ
てゆけばよい︒老荘の論法だが︑へらし︑またへらして︑もはやへらしてもへらしようのないところにまで至れ ︵6︶ ば︑はじあて心は本性のままにあり︑はじあて宇宙本来の歪なるままにある︒︵﹃高子遺書﹄巻落︑為善説︶
真なるものは知識におおわれる︒荘子も執拗なほどにそう説く︒知識が多大に病根となって︑ものをいちいち区別し
ては利にとらわれるという︑人間の習性に対してである︒
われわれが︑論語に言うような物事と一体になって楽しむ域にまで到達できないのには理由がある︒それは︑何
でもものを区別して考えるからだ︒自分の心と外界とを区別する︒すると外界は自分の心と同じでなくなってし
まう︒だから楽しめない︒他人と自分とを区別する︒すると他人は自分の心と同じでなくなってしまう︒だから
楽しめない︒こうして︑聖人と凡人とを区別し︑宇宙と人とを区別し︑あれこれと持ち出してきては高きにあこ
がれてばかりいる︒こんなことでは︑すべてにつけて︑ものが確かにわかったという実感のない︑もやもやとし ︵7︶ た気持ちになってしまい︑どんな時にも楽しめないようになってしまうそ︒︵﹃東林書院志﹄巻言誤︑怨語三︶
ものの両極にとらわれることは︑自分にとらわれることである︒それが﹁区別﹂だ︒だから︑自分を捨てればすべて 一41一
は一貫する︒捨てれば逆に︑求めていたものが身についたという楽しみを味わうことができる︒
こうして︑
静かにしていて︑中庸に言う喜怒哀楽の情が発動していない時の心を観察すると︑安らかにおちついた大いなる
生命のままにある︒これがまさしく宇宙の姿である︒心︑本性︑宇宙︑これらは結局︑同一のものである︒孟子 ︵8︶ も言っているではないか︑心をきわあれば本性がわかり︑本性がわかれば宇宙のすべてがわかる︑と︒︵ ﹃山斎王遺
書﹄巻三︑学者に示して︶
と言うように︑学問的には︑あるいは現象面からはあくまで区別されている事柄も︑その正体は一つのものであると
見えてくる︒因果︑上下︑序列などの価値づけをやめればよいのだ︒そうすれば︑おのずとすべての︑人為的にこし
らえられた領域が突破されてくる︒
一般に︑危機的な時代状況においては︑荘子や郭象︑忠憲らのように︑二﹂とか﹁自然︵おのずから︶﹂などを説
く人々があらわれるようである︒荘子はもはや引くまい︒心象は︑﹁究極的には物事は何の理由もなく自然にそうな
るのだから︑いささかも問い尋ねるのをやあて︑事実のありのままにまかせよ︒﹂︵﹃荘子﹄天運篇注︶などと言う︒
このような論調から︑郭象らは世の中のことはどうなっても知ったところではないと放棄し︑ただ無定見な行動に終
始したのだと決めつけてはなるまい︒確かに多義的に受け取れる表現ではある︒しかし︑無理に一方向に解釈しよう
としなければ︑少なくともここには︑問い尋ねて何らかの知的な体系をつくり出してこと足れり︑とはいかないよう
な状況が浮かび上がってくるであろう︒ものが崩れていく中でしか感じられない真実というものもあるのである︒
ほんとうはわかってもいないのに︑単なる知識やいいかげんな考え︑思いこみによって説明された心や宇宙の像︑ これをいわゆる想像上の似姿と呼んできらうのです︒︵﹃高子遺書﹄巻筆上︑歌庭瀬に答えて︶
高先生が記文に言われた︑﹁何の体得もないのに哲学だ︑思想だと言っても実は全く役には立たず︑必ず自ら努
あ実行してみることで︑はじめてわが身のためになるのであり︑そうでなければ︑やることなすことすべてがま ︵m︶ ちがいだらけになってしまう︑このことを数年来ますますはっきりと自覚するようになった︒﹂︵﹃東林書院志﹄ ﹂42一
巻之五︑会語三﹂
忠憲にも︑知的な営みにとどまれない︑考えても逃れようもない現場があったのだ︒半影の論について言えば︑﹁理
由﹂を﹁問い尋ねるのをやめ﹂ることは︑ただちに﹁まかせ﹂るという実践となる︑その間︑何の説明もないところ
にそのまま覚醒があるのである︒宇宙万物の根源は何かなどと考えることが︑往々にして︑世界を解釈するために︑
現実の世界の営みとは別に自己を解釈者としていわば超越化させてしまうことにつながり︑そのようにして考えられ
た根源なるものも︑組み立てられた論理も︑いわゆる﹁想像上の似姿﹂にすぎなくなってしまう場合がある︑という
面にも目が向けられなければならない︒すなわち︑老荘は深遠な哲学であると︑漠然と前提をこしらえているだけで
はいけないのであって︑むしろそのような固定観念や実体化をこそ老荘は拒否しようとすることを忘れてはならない
のであ.る︒
さてそこで︑荘子に言う︑﹁舟を谷にかくし︑やなを沢にかくし︑大丈夫︑誰にもとられないと安心する︒けれど
も夜中に力持ちが︑みんなかっさらって逃げてしまう︒愚か者にはわからない︑どんなものでも手もとから去ってゆ
くのが︒だが︑もし︑世界をそっくり世界にかくすというのなら︑もはや逃れ去ることはないだろう︒それでこそ宇
宙万物の真相に通じる︒﹂︵大宗師篇︶と︒ある特定の時や物にしがみつこうとはおろかなこと︑主体におとずれ︑受
けとあるべきものは︑受けとめるしかないという意味あいの表現であるのは︑前にも見たとおりであるが︑本当の体
験的ひらめきによるとでも言えようか︑突然にそれまでの場が変容する︑そのとてつもなさがおもしろい︒
忠憲の修養論にも︑同様の趣がみられる︒
高先生が言われた︑﹁いわゆる迷いも︑まぎれもなくわが心であるのに違いない︒いわゆるおろかというのも︑
わが心であるのに違いない︒ただ︑人は覚醒したことがないのだ︒覚醒してしまえば︑迷いもおろかも消えうせ
る︒まるでこの手のようなものだ︒表が本来の心︑裏にひつくり返れば迷いやおろかだ︒いずれにしても︑この ︵11︶ 手であることに違いはない︒﹂︵﹃東林書院志﹄巻之五︑会受壷︶
迷っているのに迷っていると感じていなければ︑このようなことを言われてもぴんとこない︒しかし次第に︑自分は 一43一
実は︑忠憲の言うようには︑何がなくても無条件に﹁楽しむ﹂という域には至っていないのだと気づいてゆくもので
ある︒﹁楽しむ﹂ためには︑自分を変えていくしかないと思うようになる︒その時はじめて︑自分は迷いの状態に置
かれているのを感じる︒ところがそこで︑迷いと本心との関係をいくら論理的に複雑に展開して考えてみても︑ます
ます迷う苦しみにとらわれる︒と言って︑無理に迷いを消そうとしてあせったり︑苦しみのままに何もしないでいる
と︑迷いが一つの世界として実体化し︑その中にひきずりこまれ閉じこめられる︒このように右往左往したあとで︑
改めて迷いを見つめてみてわかる︑ただ気をつけて修養するうちに心を逆転させる覚醒ということ以外には何もない
のだと︒忠憲の言葉は︑かるがると言いはなったかのようで︑いざ修養する際には︑実は着実な方法を示したものな
のである︒
︐こうして︑老荘にしても儒学にしても︑なぜあれほど名利などの欲を捨てよと説くのかがわかろう︒それは単なる
教訓ではない︒学問の初歩的な一歩というようなものですらもはやないのだ︒哲学的な究極がどこかに存在し︑それ
について考えることは高尚だが︑欲を捨てるなどは低次元の修養にすぎないということはない︒欲を捨てることが︑
ただちに究極の世界なのである︒霧が晴れればものが見える︒その目の前のことが︑実は大きい︒ ︵12︶ その日その日の修養︑これこそ人生を大きく変えていく場所なのです︒︵﹃高子遺書﹄巻四︑論語の﹁わたしは仁
を好む人を見たことがない﹂の章についての講義︶
捨てる11逆転する︑という体験とその見事な表現とは︑荘子および忠憲の世界の︑一つの急所である︒ 一44一
四︑荘子的表現の意義
そこで今度は︑ひとたび腰を据えて展開された忠憲の論を見てみることにしよう︒次のように︑変幻自在にして息
の長いものである︒原文とは似ても似つかぬ趣のものになってしまうが︑ともかく訳出しておく︒
人心道心︑非有両心︒一揆転︑便天壌懸絶︒聖人盲撃︑龍駕転換法︒如欲富貴悪貧賎︑人心也︑而転落為不処不
去之仁︒掃立欲達︑人心也︑而転之為立人達人山嶺︒論語中︑両説欲仁︒仁如何欲︑又如何至︒此是即刻可験︒
夫欲者人之心也︑仁者心隔道也適以渇欲道︑却成両箇了︒不知只是認箇心︑逐物港外馳︑便是欲︑反躬而内敏︑
便是仁︒由馳而敏︑却鞍下外而尊者然︒故日︑我欲仁︑斯仁至 ︒此是聖人教人︑謝謝成金︑超凡入津最捷法︒
念頭棲転向裏便是︒或日︑人心内敏︑如何便至仁︒日︑田津⁝⁝︒
︵書き下し文︶人心︑道心は︑両心有るに非ず︒一たび撲転ずれば︑すなわち天壌懸絶す︒聖人はここにおいて︑
常に転換の法を示す︒たとえば富貴を欲し貧賎をにくむは人心なり︑しかしてこれを転じておらず去らざるの仁
となす︒立たんと欲し達せんと欲するは人心なり︑しかしてこれを転じて人を立て人を達せんとするの仁となす︒
論語中に︑仁を欲するを両たび説く︒仁はいかにして欲し︑またいかにして至る︒これ即刻に験すべし︒それ欲
すとは人の心なり︑仁とは心の道なり︒心をもって道を欲すれば︑かえって両箇と成れり︒知らず︑ただこの心︑
物を逐いて外に寄すればすなわち欲︑躬にかえりて内におさまればすなわち仁なるを︒署するによりておさむる
は︑かえって外によりて至るもののごとくしかり︒故にいわく︑我れ仁を欲すれば︑ここに仁至ると︒これ聖人
の︑人に教え︑鉄を点じて金と成し︑凡を超えて聖に入らしむるの最戸法なり︒念頭揆正してうちに向かうこと
すなわちこれなり︒溜るひといわく︑人心︑内におさまれば︑いかんぞすなわち仁となるかと︒いわく︑仁はこ
れ⁝⁝︒
︵訳︶いわゆる人の心と本来の心︑二つのものなどありはしません︒かりに人の心をくるりとひつくり返してみ
ましょう︑たちまちはるかに︑天と地ほどであろうと飛び超え︑あのすばらしい本来の心へもどりもするのです︒
ありがたくも聖人は︑ここのところを見据えておられ︑ことあるたびにわたしたちに︑心の転換術を示しておい
て下さったわけなのです︒たとえば論語にあるように︑富貴をねがい貧賎をにくむのが人の心というもの︑その
心をひつくり返してみると︑正当な理由がなければ富貴にいすわらず貧賎から逃れず︑すぐにも仁に換わってし
まいますね︒また人の心とは︑わが身ばかりがかわいくて︑いっぱしのものになりたくもあり成功してみたくも
なる︒その心をひつくり返してみると︑かたや人のためになろうともするし︑かたや人を成功させようともして︑ 一45一
すぐにも仁に換わってしまうのですよ︒さて︑論語には二度ほど︑仁を願うという言葉が出てまいります︒仁は
どのようなわけで願われ︑またどのようにしてわがものになるのか︒今すぐこの場で明らかにしなければなりま
すまい︒そもそも願うのは人の心︑心がまっとうであればそれが仁です︒人の心をもってきて︑心の中に仁をさ
ぐれば︑二つは分かれて仁にはなりません︒皆さんはお気づきでしょうか︑物にひかれてさまよい出ると︑心は
欲と化してしまい︑わが身にもどって身におさまると︑もとの仁のままにあるのを︒さまよい出た︑だからおさ
める︑心があたかも外からやって来るかのように︒だから孔子はおっしゃったのです︑わたしが仁を願うなら︑
すぐにも仁はやって来ると︒これこそ聖人が人を教え導いて︑鉄を魔法で金に換え︑凡人を聖人の域にまでとど
けて下さるいちばんの近道です︒つまりは︑さまよい出た︑その心をひつくり返してわが身に向けよということ
なのですね︒・ある人が問う︑人の心が身におさまった︑それがどうしてすぐさま仁かと︒それには次のようにお
答えしましよう︒仁というものは︑⁝⁝︒︵同額︑論語の︑﹁わたしが仁を願えばただちに仁がやって来る﹂の章
についての講義︶
人はすぐれた人物や文章を評して︑高い境地などと賛辞を寄せたがる︒しかし︑ここにあるのは境地というようなも
のではない︒精神の深みとか︑含蓄などといった︑表現にまとわりつくおきまりの雰囲気を打ち崩すほどに︑すなわ
ち体得のない思想への誘惑をきっぱりと断ち切って︑修養に関する素材に徹してそれを駆使することで︑逆にあまり
にも表現として現実的に完成されているのである︒
どうして題目には無関係なように︑﹁人の心﹂と﹁本来の心﹂とが出てきて論じ始められるのか︑意表をつかれる︒
これは︑宋明儒学の常識と言うにもあたらない︒実は︑仁と修養とについての確かな体験をもとに︑二つの心という
素材は形を変容させつつ︑題目と必然的に結びつくのである︒それによって︑なるほど題目に内包されていた素材で
あったのだと納得し︑感嘆させられるのだ︒本旨の提出のたあに︑いわばそれから遠い方︑反対の方に位置する素材
をまず取り上げる遠隔操作のようなことが行なわれるのは︑荘子そっくりである︒荘子の文章よりは地味ではあるが︒
しかし︑一見平明に薄く感じられながらも︑話の運びには︑それこそ荘子と︑反復する添わずか一本で対峙している 一46一
かのような︑得体の知れないものがある︒
いわゆる﹁想像上の似姿﹂を使って論理を組み立ててみると︑わけがわからなくてもかえって深遠だなどと思って
安心することがあるものだ︒忠憲の論には︑﹁想像上の似姿﹂や︑それに伴う概念分析はみられない︒ましてここで
は︑素材が自ら動きまわるかのような印象を与えて︑読む者を決して深遠さなどに寄りかからせはしない︒そうして
さらに︑原文でも書き下し文でもよいので︑音読すれば︑たちまち妙なる響きが伝わってくる︒概念のかわりに︑安
定感ある四七を基調に長短織りまぜながら︑しなやかに果てることもないかのように続いていくリズム︒しまいには︑
何を言っているのか内容さえどうでもよいと思えてきて仕方がない︒いや︑まずこのリズムが存在することによって
内容も生み出されてくるのだと言うべきか︒漢字文化圏にあるとはいえ︑あくまで外国であり︑しかも現代の日本で︑
どこまでこのようなことを確信をもって言えるか︑躊躇するものもあるが︑それでも︑どうしてもこの表現の美しさ
は否定できないように思われる︒素材とリズム︒内容が道徳的であるかどうかには関係なく︑荘子の文章の美質に加
えて︑エロスの香りさえうっすらとただようほどの︑これが一体︑いわゆる道学先生の堅苦しい表現なのであろうか︒・
忠憲によれば︑﹁心を養うには︑欲を少なくすることよりよいものはない︒事あるごとに︑よく自ら確かめてみよ︑
すべて大したことではない︒そのたびごとに欲を少なくしてゆき︑少なくしてはまた少なくし︑ついに欲が無くなっ
てしまえば︑この心はさっぱりとひらけて思わぬようなはたらきをし︑人物も自然と高潔になり︑文章を書いても自 ︵13︶然とうまくできるようになる︒﹂︵﹃︷局子遺書﹄巻十︑長原永厚のために扇に書して︶そうであるが︑あれほどまでに
題目の可能性を損なうことなく形にしつくしてゆく﹁講義﹂のような表現は︑表現として一つの極致にあると言わざ
るを得ない︒主観の単なる投影でもなく︑作為からもはるかにはなれて︑﹁ひらけ﹂た心︑いわば無に照らしだされ
る全体性がありありと見とおされ︑その手に握られていなくては︑とうてい成し得るものではない︒職人芸と呼ぶに
ふさわしかろう︒
荘子も︑たとえば内篇と外雑篇と︑どちらが古いかなどと論議されることがある︒少なくとも表現のおもしろさと
しては︑圧倒的に内篇だ︒﹁ものに始あがあったと言うなら︑その始あがまだなかった状態はどうなのだ︑そのまだ 一47一
なかった状態がなかった状態はどうなのだ︑きりはない︒﹂︵斉物論篇︶︒いわゆる無の思想を手玉に取っている︒あ
る事柄を︑まことにそうでしかないと思わせる形でもって言い切った充実感︒知的に理解しやすいかどうかではない︒
体得のない思想にはまることと説明的になることとは︑隣あわせの危険だ︒説明することが必ずしも無価値なのでは
ないが︑おもしろいということ自体を︑もっと切実に喜びとしたい︒一見ふざけているような表現にこそ︑あまりに
もまともな何かが感じとれるからである︒
荘子は︑その内容を解釈しようとすれば︑荘子自ら言うように︑煮ても焼いても食えない﹁渾沌﹂︵斉物論篇︶と
なる︒だが︑内容とは反対の方向に向かうことで︑それにはさまざまな方法があろうが︑かえってどのように料理さ
れようとも美味なものとして生かすことができるのである︒
人間というのは不思議だ︒捨てれば逆にふくらむ︒表現も自在︑多彩になる︒忠憲の論からも荘子からも︑いわゆ
る﹁想像上の似姿﹂に頼らなくても︑いくらでも表現できることがわかる︒
ここで改めてまとめてみよう︒なぜ荘子は︑たとえば︑ものに執着しても無駄だというような意味を︑ただ単に論
理的に表現するのでなく︑﹁世界を世界にかくす﹂と表現しなければならなかったのか︒どのような必然性があるの
か︒それは︑忠憲の言葉で言えば︑﹁覚醒﹂とか︑﹁ひつくり返す﹂体験をそっくりそのまま︑損なうことなく完全に︑
いわばその時の息づかいまで聞こえてくるかのように表現しようとしたからだ︒すぐれた表現が体験に対して持つ意
義は︑ここにある︒主体が生きてかかわり体験する世界のありようは︑説明のために論理化することで︑主体がどの
ように世界を認識するかなどというような部分的な問題に制限されて表現されてしまう︒いわゆる哲学なるものは︑
その表現が体験を完全に保存できないという欠点を︑そもそも出発の時点から抱えこんでしまいやすいわけである︒
荘子のおもしろさは︑表現の素材となる心︑外界︑すなわちこの現実世界はもともと豊饒なものだということを︑逆
に暗示しているように思われる︒大切なのは︑世界の豊饒さとその体験に対し︑表現がどのようにわたりあうかとい
うことであって︑それこそ荘子が成しとげんとしたことではなかったか︒思想などという時︑現実世界からの働きか
けを生かした表現によってはじあて︑それは考え行動するための糧となるのではないだろうか︒ 一48一
忠憲らの文章を通して︑老荘の底力が見えてくる︒
五︑敬
体得のない思想を排するというあり方を︑修養の問題としてとらえて︑もう少し続けて論ずることにする︒
李延平の三口葉︑静坐して心を澄まし︑宇宙に満ちみちている理を体認するとは︑静坐している時︑心が澄みきっ
ておちつき︑何にもとらわれていなければ︑すぐさまいわゆる宇宙の理のままにあるから︑この時に心の本体を
じっくりと体認せよということなのだ︒静坐して心を澄まし︑それとはまた別に体認すべき宇宙の理があるとい ︵14︶ うことではない︒︵﹃高子遺書﹄巻一︑語︶
中興が言った︑﹁学問は︑心を追求することこそ肝腎ですね︒﹂高先生が言われた︑﹁孟子は︑たださまよい出た
心をとりもどせと説くだけで︑心そのものを追求せよとは説かなかった︒心はどんなところにも広がりゆきわ
たっている︒さまよい出たとは︑どこか一ところにしばられてしまったということなのだ︒さまよい出たことを
知り︑もとにもどせば静かにおちつく︒とにかく︑この心のほかに求めるべき別の心を勝手につくり出し︑言っ
てみればもうろばに乗っているのに︑さて︑ろばはどこにいるかな︑とさがしまわすようなまねをしていてはだ ︵5︶ めなんだ︒﹂︵同巻五︑会語︶ ︵16︶ 心に何のとらわれもないこと︑これを敬という︒︵同巻一︑語︶
外物にひかれたり︑﹁想像上の華車﹂に迷ったりすること︑これらはいずれも心の本来のあり方からはずれている︒
いわば心の外に出もせず内に引っこみもせず︑あれこれ思い考える内容を捨てて︑ただつつしみとしてある︑それが
敬だ︒ 具体的な修養としては︑
朱子は︑敬の修養として三つの方法を並列した︒程伊川の言う︑身をひきしめておごそかにしていること︑謝上 一49一
察の言う︑いつも心を目覚めさせておくこと︑サ和靖の言う︑心を内にひきしめて何物も入りこませないこと︑
である︒敬と言えば︑結局はこの三つのことに帰着する︒しかし︑心を目覚めさせる︑心を内にひきしめる︑の
二つについては︑無理してそうしようとする意識がちょっとでもあるとだめになる︒心は霊妙であって︑あれこ
れ手を加えることはむずかしい︒だからつまりは︑身をひきしめおごそかにしているということだけに︑えも言
われぬ効能があるわけである︒身をひきしあると︑心は目覚あないことはないし︑ひきしまらないこともない︒
心の内にも外にもとらわれず立派におちつくが︑さりとて決して意図的に手を加えてそうなるのではないのだ︒ ︵17︶ ︵同巻一︑語︶
むしろ心の内容からはなれて︑心からすると形であるところの身をひきしめることから入る︒ところがそこに︑すべ
ては一の真実が効いていて︑身が実は心となる︒余計なことを考えずに身をひきしあることで︑かえって心は広がる
のだ︒﹁心というものは︑胸中にただぽつんとあるのではない︑この身全体が心なのだ︒こう思いいたった時︑にわ ︵18︶ ・かに気持ちがすっきりしてここちよくなった︒﹂︵同巻三︑困学記︶と言うのとちょうど表裏である︒こうして修養が
進んでゆく︒自己と考える自己︑理想と現実など︑しつこくつきまとうこれらの分裂にわずらわされなくなるのであ
る︒ さて︑ここで振りかえってみると︑物事の両極という観点が︑やはり重要であることがわかる︒両極についての問
題は︑昔からよくきわめられてきている︒荘子においては言わずもがな︑郭象はたとえば︑﹁世界の本質として︑万
物には本来それぞれにふさわしい分限というものがあって︑そこから一歩も外に出る必要はないと言えば︑世は矛盾
対立だらけになってしまうではないかと心配するむきもあろう︒しかし︑両極はいわば唇と歯︑唇がなくなれば歯は
寒いであろう︒すなわち︑相反するものは互いに︑知らぬ間に助け合っているのであって︑相手が自分と反対だから
なくなってしまえばよいというようなものではない︒﹂︵﹃荘子﹄秋水篇注︶︑このように論じた︒人を含あて万物は︑
限定された個である︒必然的に︑現象面ではあつれきが起こる︒しかし実際には︑あつれきを起こすためにものは存
在しているのではない︒社会論として見ても︑人間社会の一面がきっちりととらえられているように思われる︒程明 一50﹁
道はさらに︑修養する立場から︑﹁宇宙万物には︑ものが単独で存在するという道理はない︒必ず対になっている︒
すべて自然にそうなるのであって︑意図してそうなるわけではない︒いつも夜中になって︑このことに静かに思いを
致す時︑孟子に言うように︑手の舞い足の踏むを知らないほどにうれしさがこみあげてくる︒﹂︵﹃二程全書﹄巻十
二︶と言った︒もちろん︑何をどのように論じようと︑現実の諸問題が一挙に解決するわけではない︒ただ︑どうし
て﹁手の舞い足の踏むのを知らないほどに﹂なるのか︒両極が全面開花した忠憲の文章によって︑実例として目のあ
たりにすることができよう︒両極は思想的にどのように超克されるか︑などとむやみにはしってゆかずに︑まずは︑
なぜ両極でなければならないのかに﹁思いを致す﹂方がよいのである︒
儒学者の説く敬は︑いかにも道徳的な︑滋味のない修養だとみなされがちである︒だが︑やせて感じられる敬が︑
その本来の姿を見せる時︑道徳的ということ自体︑印象を変えてゆくのである︒郭象が言う︑﹁外界も心もすべて忘
れるほどにものにとらわれなくなると︑それによってすべてを得ることになる︒﹂︵﹃荘子﹄斉物論篇注︶︒忠憲もまた
言う︑﹁心の中にも外の世界にも︑どちらにもとらわれることがなくなれば︑易経に言うように︑宇宙の扉がここに ︵19︶開かれる︒﹂︵﹃高子遺書﹄巻三︑乾坤説︶︒忠憲の敬は︑究極のところもきちんと射程に入れているわけである︒ 一51一
六︑道義をめぐって
ここまでは︑いわば序論であった︒ ︵20︶ わたしは昔︑仏教や老荘にもいろいろと手を染めてみてわかった︒結局は敬の一字に及ぶものはない︑と︒︵同
三二︑割記︶
忠憲はなぜ︑仏教や老荘によりかからないのか︒そこで︑冒頭の書簡にもあった︑人々へのまっとうな愛︑すなわち
道義という問題を取り上げなければならない︒
人間の営みは︑宇宙から見れば︑愚かである︒忠憲の時代にも︑﹁この世の中は︑要するに大きな劇場みたいなも
︵21︶の︑悲しみ喜び︑別れと出会いが次々と演じられて︑後世の見物人とともにそれを眺めるほかはないのです︒﹂︵半巻
八下︑曹允大に与えて︶というありさまであった︒しかし忠憲は︑思想的に現実を超越したとか︑あいまいな態度で
立場をぼかすなどの︑現実から退いたような地点には立たず︑あくまでも儒学を堅持しようとした︒忠憲によれば︑ ︵22︶ 道義というものは︑この天地宇宙の意志なのです︒︵同巻四︑孟子の﹁不動心﹂の章についての講義︶ ︵23︶ 人の心が静かに落ち着いて︑何物にもとらわれていない時には︑それがとりもなおさず仁義礼智である︒︵半巻
三︑為善説︶
ということであって︑これからは道義の超越化であると同時に内面化でもある︒仁義慧智は制度上の名目や規範なの
ではなく︑本能なのだと言うに同じである︒どうしてそのように言えるのであろうか︒また︑一方で天地宇宙︑一方
で人間的な道義︑どのようにしてこれらが結びつくのであろうか︒
老荘はよく︑仁義の不自然さを批判する︒しかしそれは︑制度の維持のために使われた名目上の仁義に対してのみ
妥当するであろう︒もし仁義が本能だというなら︑話は別なのだ︒けれども︑いざ本能だと証明するとなると︑孟子
に始まってこのかた︑なかなか釈然としない︒老荘にとってハ﹁道﹂とは何かを説明せよと迫られても︑彼ら自ら不
可能だというのと同じように︒儒学にとっても老荘にとっても互いに︑自己の本質を語ることほどむずかしいことは
ないのである︒だから︑ひとまず忠憲や荘子の論法に従って︑道義の対極に︑自己とか個人というものを立ててみよ
う︒両極はあい容れないままに応酬しあうかのように見える︒では︑その本当の仕組みとは何なのか︒当然のことな
がら︑自分もいて︑人もいるということではなかろうか︒たとえば︑自分は人から抑圧されたくないというのは正当
である︒しかし︑そのたあには人に︑不当なことをするなと要求する︒自分自身はそれをお留守にしがちではあるが︒
すなわち︑好もうと好むまいと︑事実として人間は道義なるものを求あていることになる︒道義が歴史的にどのよう
な意味を持っていたかなどという問題でもない︑生きた事実である︒
そこで今は︑天地宇宙とか道義それ自体を抽象的に論ずるのでなく︑次のように考えてみたい︒どのような状況に
おいて︑道義は規範あいたものでなく︑われ自身のものとして感じられるか︑というふうに︒ ﹁52一
おもうに︑顔回という人は︑孔子との差はただほんのわずかのところにいました︒だからひたすら孔子を学んだ
のです︒けれども頭のよさや︑ちょっとした才能で孔子に迫ろうとしたところで︑そんなものは何の役にも立ち
はしない︒幸いにも孔子が自ら︑次第次第に上手に教え導いて︑学問によって見識をひろあ︑それらが礼という
人としての道にかなうようにと︑学んだことを実践させました︒そこではじめて顔回にはわかったのです︒孔子
は︑いくらすばらしいとはいっても︑わたしを教え導いて下さったとおりに自らも学ばれ自ら実践されたから︑
あれほどまでになられたのだ︑と︒ひろく学んで礼として実践する︑これこそまさに孔子への階段︑孔子への門︑
さらには孔子その人自身でもあります︒学んで実践し︑少しでもわがものになったなら︑孔子のことが少しはわ
かります︒学んで実践し︑それが完全なほどになるならば︑孔子のことも完全なほどにわかります︒こうして︑
自らのすべての力を出し切った素心に︑その時︑孔子のほんとうの姿︑ほんとうの心が︑あらいざらい出現し︑
一人置人間としての孔子が︑目の前にすっくとそびえ立ったのでした︒ところが︑よく見て孔子がわかればわか
るほど︑そのすばらしさはたとえようもなく︑ついていこうにもどうにもならない︒論語にはそのように書かれ ︵24︶ てあるのです︒︵同巻四︑論語の﹁顔回が孔子に感嘆して﹂の章についての講義︶
いかに天地宇宙であろうが普遍の真理であろうが︑ここに説かれたような具体的な体験や存在を飛び越してそれを言
うのは﹁想像上の似姿﹂だ︒忠憲はだから︑﹁おもうに︑顔回が孔子をたたえ︑ふうっとため息をついては感嘆し︑
いよいよ高く︑いよいよ堅固だと言ったというのは︑孔子その人に感動しての言葉であって︑なにも︑聖人という形 ︵25︶をとってあらわれた宇宙の真理は偉大だなどという意味で言ったわけではありません︒﹂︵同前︶と注意したのである︒
右回は︑孔子その人とともにあろうとし︑孔子その人と触れあい︑それは感動の体験となった︒だから︑ため息を
ついて感嘆したのである︒相手を手の届かない存在として自分と﹁区別﹂するのではない︒﹁区別﹂するのであれば︑
はじめから自己に安住して修養の必要も認めず︑相手がわが心からのものとなることもない︒それは礼の精神に背く
のである︒自己を偽り相手の権威にひれ伏したふりをするのでもない︒感動とは︑そういうことではない︒自己を偽
ることは︑自己の何らかの願望を相手に寄せて頼ってしまうこと︒生身の存在として生きている自他の異質性へのお 一53一
それ慎みもなく︑異質にもかかわらず︑あるいはそれゆえにと言うべきか︑相手を求めるという人間の思い︑その自
然なる仕組みを知らないことなのだ︒これは礼に見せかけて礼ではない︒
顔回は修養しつつ全力を出しきり︑それはこれまでの忠憲の論からわかるとおり︑裏面から言えば自己を捨てるこ
と︑つつしむことなのであるが︑孔子を徹底して感じた︒その時︑身にしっかりと受けとめた時には︑この体験はよ
く考えてみると幻妄ではなかろうかとか︑分析を加えて解釈︑整理してみょうなどの︑国議をさしはさむ余地はない
のである︒修養をとおして︑この我が身によって相手と触れあうことの中に信がある︑と言ってもよい︒
道義は︑このような場と密に関わって感じられてくるものであろう︒
七︑老荘と儒学︑および敬の修養についての展望
さらに忠憲によれば︑道義は︑現に生きている人間同士の関係にとどまらない︒
程伊川先生が︑易経の︑死ぬと魂は形を変容させてゆくという語句を説明して︑次のように言っている︒変容し
たと言うからには︑かつては存在していたものも滅び︑しっかりしていたものもくずれ︑ついには何も残らなく
なってしまうのだ︑と︒この説明は︑おそらくまちがっているであろう︒ただ物質的な面から説明したにすぎな
いからである︒死んでも魂はどうして滅びることがあろうか︒滅びるのではなくて︑これこれこのように変容す
ると勝手に推測したり特定したりはできないということなのである︒程子の遺書にもあるとおり︑聖人は天地宇
宙そのものである︒存在するとか滅びるとかの二元的な説明では言いあらわせない︒また昔から︑立派な忠臣︑
義士たちは︑どうして滅びさったというようなことがあったろうか︒自分が儒学によるからといって︑仏教の三
世応報の説を否定せんがために無理やり︑聖人も愚か者も︑善人も悪人も︑すべて結局は滅んでしまうなどと言
うようでは︑とても聖人の道を教え広あることになりはしない︒ましてや︑現世だけでなく冥界のことも︑あり
ありと耳に聞こえ目にも見えて︑どうしてもおおいかくすことができない時があるからにはなおさらではないか︒ 一54﹇
張横渠も言っている︑易経には︑あるとかないとかの概念的な議論はない︑あるとかないとかの議論は︑いわゆ ︵26︶ る哲学者連中がうるさくやりたがることだ︑と︒︵同巻一︑語︶ ︵27︶ 聖人の道は︑冥界と現世とを貫いております︒︵同巻八上︑管東漠に与えて︵二︶︶
﹁耳目にありありと﹂︑これが︑道義が身体的人間という限定された存在を抜けでて感じられる瞬間だ︒荘子にも︑
ものが変化するという論は︑いたるところに見られる︒ただ︑ここでは︑道義そのままに︑あるなしの対立を超えた
ものと触れあい︑それを実見実感できるのだとすることが重要なのである︒
われわれは︑言入は天地︑一体どういうことか︑ここに何か哲学があるのではないか︑とか︑単なる思いこみにす
ぎないのではないか︑などと批評する︒そのような考え方は︑実はどちらも︑忠憲の言うようなことは非論理的であ
るとみなす知的な前提に立つものである︒しかし︑忠憲は︑人間としての思いをきわあていくと︑そうとしか言えな
いと表現するのであっ間て︑だから知的でないわけでもない︒このような論によって︑たとえば人間の情というような
ものをぬきにして︑彼らが現象の本体とか理などを措定するのではないことが︑逆にはっきりわかるのである︒情は
知に比べて価値が低いのではない︒むしろ︑知的な前提なるものが︑そもそも根底的に成り立つのかを疑ってみた方
がよい︒今ここで言えるのは︑人間の生死︑人生の意義という問題については︑本来ならば儒学は︑・正面からこのよ
うに論じなければならないはずだということである︒その意味で︑まさに期待どおりの絶対論を︑忠憲は開陳してく
れているのである︒
ところで︑荘子的な︑人と物との触れあいについては︑忠憲はどのようなことを述べているであろうか︒
高先生が麗沢堂に坐って︑明るく照り映える月を見ておられたが︑あたりはまるで昼間のようであった︒そこで
希顔と古文とに向かって言われた︑﹁今︑この月とわれわれとは︑へだてなく通じあっているか︒月と自分と一
つであるか︑それとも二つのままであるか︒﹂希顔がまず答えた︑﹁私はどうも心がくらんで乱れていて︑気持ち
をすっきりと平静にすることができません︒だから一つになれないのです︒﹂今度は彦文が答える︑﹁私は︑心が
くらんでいるかどうかと言えば︑くらんではおりません︒ただ︑気持ちにうきしずみがあるのは事実で︑心が一 一55一
回せず︑それに自分があざむかれないようにつねつね意識しないわけにはまいりません︒﹂先生が言われた︑﹁と
にかくひたすら心をすっきりと平静にすることだ︒すっきりしてわだかまりがなくなれば︑心と外物とが一つに
なる︒人が月の光の中にいるのは︑まるで魚が水の中にいるようなもの︒魚のからだの中の水と︑からだの外の
水とは︑どちらも同じ一つの水であり︑人のからだの外の月と︑からだの中の月とは︑どちらも同じ一つの月で
ある︒人はいつでも宇宙と通じあって︑心にわだかまりのないようにしておかねばならない︒もしわだかまりが
あれば︑何か考えて心に得るものがあったとしても︑さしずめ︑死んでいるのにまだもの思い︑といったところ ︵28︶ かな︒ここのところで徹底して修養できたなら︑はじめて月が明るく空にかかるぞ︒﹂︵﹃東林書院志﹄巻之六︑
会語四︶
これなどはまさに︑﹁ゆうゆうと游ぎまわっている︑あれが魚の楽しみだ︒﹂︵﹃荘子﹄秋水篇︶と直観するのと同類の
ところがあろう︒人間が自我に自縛されて苦しむことのない︑いわゆる万物一体を地でいくものである︒
さて︑そこで問いたい︒忠憲は︑ある時には道義︑ある時には物と一体︑すっきり︑などとへだて﹁区別﹂するの
であろうか︒そうではあるまい︒冒頭の書簡をも振りかえりたい︒へだてがあったであろうか︒・もしへだてがあった
り﹁区別﹂したりするならば︑あのような︑すべてが渾然として一つの︑自然な趣が︑どのようにして醸しだされる
というのか︒しかもまた︑﹁人は仁であれば楽しあ︑仁でなければ楽しめない︒すべてにつけて楽しあないのは︑心 ︵29︶が仁でないからである︒仁であれば︑それまで区別されていたものがすべて一貫する﹂︵﹃東林書院志﹄巻之五︑会語
手︶とも説いている︒だからここに︑現代人のいわゆるオカルト的なものにもきちんとかかわりつつ︑道義という平
常の立場によって万物一体︑すなわち我々の日﹈からはへだてられているかに見える老荘と儒学とがかみ合った︑全体
的な世界観なり何なりを︑まとまった形で提示できる可能性があると言えるのである︒それは︑宇宙とか冥界とかに
気を奪われるあまり︑現実の人間および世の中のことを無意義とするのではない︒と言って︑宇宙や世界を知的に分
析︑認識して説明することで何か役にたつだろうと漠然と考えるのでもない︒逆に︑現実に気を奪われるあまり︑も
のを常に功利的に対象化してとらえ︑そのことが自らの世界をせばめているのを知らないのでもない︒また︑人を何 一56一
も納得させずに︑やみくもにああせよ︑こうせよと行動にかりたてるものでもない︒つまり︑ここで言う世界観なる
ものは︑それを知ることで知的に前進したのか後退したのかなどと問題にするのでなく︑認識と実践とを兼ねた合理
的な︑確かなものだと︑精神的な力みもなく言わしあるような性質をそなえている︒だから︑いつの時代︑どこの場
所においても︑ある視点を世界に投げかけつつ存在し続け得ると思われる︒
では︑人も︑魂も︑物も︑絶対的に触れあえる場があるのだとすると︑そのような絶対性を表現できる適切な言葉
はないのか︒
高先生が言われた︑﹁論語には孔子のことをいろいろと描写してある︒おだやかで善良︑うやうやしくつづまや
かで謙虚というのは︑人に応接されている所を見て描いたのであり︑孔子はおだやかでありながらはげしさを感
じさせたというのは︑動作や表情を描いたのであり︑くつろいで︑というのは︑一人でおられた用事のない時の
姿を見て描いたのである︒今でもこうして心に思いうかべてみると︑まことに孔子その人が︑実際に目の前にお
られるかのようだ︒﹂郷荊瑛が質問して言った︑﹁なごやかで愉快そうに天天としておられたというところはいか
がでしょう︒﹂答えられた︑﹁それこそほら︑詩経に︑﹃ああ︑天天とわかわかしい桃︑かぐわしき花よ︒よき娘
よ︑お前は嫁にふさわしい︒﹄とうたつているだろう︒天天というのは︑生きいきしたいのちのはたらきが感じ ︵30︶ られることに他ならない︒﹂︵﹃高子遺書﹄巻五︑会語︶
この﹁生きいきしたいのちのはたらき﹂とは︑詩経の時代にも︑人や物のへだてなく感じられたものであった︒孔子
と周囲の人々とにおいても︒そしてまた︑それについて語っている忠憲と周囲の人々とにおいても︒さらに︑その記
録をこうして読むことのできるわれわれとのつながりにおいても感じられるのであり︑これからもそうあり続けるで
あろう︒﹁生きいきしたいのち﹂は︑時空を超えて貫流しつづける︒超えるということが︑実際にあるのだとうなつ
かせるような忠憲の言葉なのである︒古人が﹁実際に目の前におられるかのよう﹂に感じるというのも︑単なる想像
というにとどまらず︑人間にとっては実に意義深い体験なのだと思わせる︒さきほどの︑﹁一人の人間としての孔子
が︑目の前にすっくとそびえ立った﹂︑あるいは︑﹁存在するとか滅びるとかの二元的な説明では言いあらわせない﹂ 一57﹇
などの言葉とだぶって見えてくる︒
ずっと昔から今に至るまで︑天いっぱいに︑地いっぱいに︑ただひとつの︑ものを生みだすはたらきがめぐり続 ︵31︶ けているだけだ︒これが易経に書かれてあることそのものなのである︒︵同巻一︑語︶
絶対的に善なるあのとは︑ものを生みだすはたらきという︑易経のあらわす本質的なカのことです︒善なるもの
があってはじめて︑本性というものもあります︒学問する者は︑善なるものをはっきりと感じないから︑本性も
どのようなものかがわからないのです︒そもそも善なるものは︑論語に言うように︑こんなにもうるわしく力強
く︑目の前に満ちあふれているではありませんか︒それがはっきりとわからなければ︑何を聞き何を見.ても︑何
を感じ何を思っても︑一つとして真実のところに行きあたらずに苦しみ︑やっている学問も︑いつわりのものに ︵32︶ なってしまいます︒︵同巻八三︑少嘘に答えて︵三︶︶ 亀
﹁ものを生みだすはたらき﹂とか﹁善﹂などの言葉によって︑忠憲は︑宇宙も生きてはたらいている︑人間も修養す
る︑つまりはすべてのものが実践しつつかかわりあっているととらえてこそものがわかる︑と身をもって示そうとし
ているのである︒宇宙も人間も︑観念的に一つの状態として静的にとらえようというのではない︒これまでの忠憲の
論からもわかるように︑静の観念ではなく静の修養によって感じられるものがあるということなのだ︒
そうすると︑次のように︑
ほんとうに修養し︑ほんとうに身についたかどうか確かあていくような人でなければ︑聖人孔子が︑なんでわか
らないのかできないのかと発憤しては学び︑学ぶ中で楽しみを見いだしてはつらいことも忘れ︑楽しんでいるう ︵33︶ ちに今にも老いがやって来そうなことさえ忘れてしまうと言われた︑そのお気持ちはわからないのである︒︵同
巻三︑好学説︶
学問には何ら特別な方法があるわけではない︒ただ昔の聖賢が実践なさった方法に従って修養し︑それがきっち ︵34︶ りと身についたならば︑たとえ聖賢の遺された言行であっても︑自分自身の言行と同じことになる︒︵同巻五︑
会語︶ 一58﹁
すなわち体認ということの意義も明らかになろう︒体認とは︑懐古趣味の産物ではなく︑体験主義などと枠づけして
すませられるものでもない︒人や物とかかわっていくための具体的な方法なのである︒たとえば︑ある文章表現なら
表現の流れをとらえて︑それを現在︑自らのおかれた状況の中で同じように考え実践しては︑その表現との一体感︑
違和感をともに味わいつつ︑表現の感触とともに試行錯誤することである︒敬のところで︑心そのものを解釈しよう
とせず身に徹する︑いわば近づくたあに逆に遠ざかる方法があるのを見た︒ここでも︑表現に近づくために︑逆行し
てまずわが身にあてはめてみる︒すると︑その表現にこあられた体験の意義も︑次第に明らかになってくる︒対象を
解釈︑批評しようとするよりは︑まず対象と触れ合い︑︑対象のつむぎだすリズムに自分も乗ってみる︑共感しようと
するわけである︒この体認ということを繰りかえすほど︑優れた表現というものは︑それに触れる人を無化させると
言ってよいほどの︑人間にとっては自然物に劣らない質感を持っているのだと認めざるを得ないであろう︒
そして表現がねが身に徹し︑わがものとなってはじめて︑身についたものはわが身を超えていくことが︑なるほど
とわかりかけてくるのである︒わがものになったかどうかは︑まずわが心に問えばわかる︒わがものになっていなけ
れば︑心のどこかに釈然としない気持ちが残る︒李延平も言うような︑﹁胸中がさっぱりとしてわだかまりがない﹂
︵﹃ ?ス答問﹄︶ようにはならないのである︒もし普遍ということを問題にするなら︑このような方法により︑それは
現実味を帯びてくるであろう︒世界を解釈することで普遍が得られたとするような︑理念的なものではない︒しかし︑
普遍ということはあり得る︑それは人や物が互いに触れあう中で現実化されてゆくものである︒
すると次のような疑問が起こるであろう︒それならば学問的正しさとか︑物事の妥当な理解ということを︑誰が︑
また何が保証するのか︑と︒しかし︑そのような発想こそが︑学ぶという行為を︑あらかじめ与えられていると何と
なく信じこまれている正しさなるものに︑自らを適合させて安堵しようとする知にすりかえてしまうのではないか︒
そのような前提がもし崩れたらどうするつもりか︒ただし︑普遍を求めなくてよいというのではない︒やはり李延平
が朱子に対して言う︑﹁君を得たことで︑年老いてもこうして再びはげしく学問を語りあい求めあえるようになっ
た︒﹂︵同︶と︒知というよりは身の力によって︑互いに普遍を導きだそうとすることに意義があるのである︒延平の ﹁59一