論 文
日本 YA 文学と「青春」のかかわり
――日本 YA 文学のルーツを考える――
蕭 伊芬
はじめに
YA文学はどこから来たのか。
日本においてことばとして使われはじめた経緯を辿るのは、ある程度まで可能で ある。
「私がヤングアダルト・サービスの研究を始めたのはいまから15年前(筆者注、
1978年頃)である。当時の図書館界には青少年サービスという用語はあったが、
実情は、その必要性は唱えられながら、現場では暗中模索の状態だった。」これは 半田雄二の『ヤングアダルトサービス入門』の冒頭であり、半田こそ、日本の図書 館にYA文学を導入したパイオニアの一人である(注1)。
ティーンエイジになると図書館から遠のいてしまう読者をどう引き止めるかが 1970年代の図書館が抱える悩みの一つであった。生活様式と趣味の多様化および 高学歴化に伴い、社会教育機関として図書館を利用していた勤労青少年の減少もま た利用者離れの大きな一因である。司書であった半田は、「「自分はもはや子どもで はない」と思い出した中学生たちが児童室ばなれを起こすのは自然なこと」だと考 えていたが、英文の資料を探るうちに、「青少年を表すYoung Adults(YA)という 未知の言葉」と出会い、大変な衝撃を受けたと書き記している。未だ子ども読者と 大人読者をどのように結び付ければよいのかに悩まされる日本の図書館界に対し て、アメリカではすでに、「青少年サービスが成人サービスと児童サービスと並ん で三本柱のひとつ」になっていたためである(注2)。半田はのちに司書としての使命 感に駆られて、ヤングアダルトサービスが日本においても定着できるように積極的 に活動していくが、本論で注目したいのは、半田が読者としてのYAおよびYA文 学に向けるまなざしと位置付けの仕方である。半田が日本におけるYA文学の発展 に深くかかわった者の一人であったからこそ、その考え方は今日の日本YA文学の あり方に大きな影響を与えていると考えられるためである。
半田の見方は要約すると、三つの要点からなる。なお、半田の初期の論考には青 年と青少年が混用される傾向が見られたが、「公共図書館における青年サービスと 資料」という論文で研究対象を「主眼は12、13歳から17、8歳までの年代にあり、
いわゆる青年期前半Early Adolescenceにほぼ相当する」者に限定すると明言した
(注3)。その理由として、半田は「ヤングアダルトサービスの概要」で、青少年とい う語彙には「児童と成人の中間に位置する世代を指す場合と、児童を含んだ未成年 者全体を指す場合」があることを指摘し、二つの意味が混同されることを恐れたと 説明している(注4)。そのため、特に言及しない限り、半田の論述におけるYAは青 年として解釈されることを付け加えたい。以上の青少年/青年という訳語に対する スタンスからも分かるように、半田が考えるYA、すなわち青年とは以下のように 定義できる。
①青年(中学生以上、青年期前半のティーンエイジャー)は子どもでもなけれ ば、大人でもない存在である。
②青年は子どもよりも大人に近い読書嗜好を持っており、それは13歳前後に貸 し出す「児童書と一般書との比率が逆転」する実例からも分かるとおり、「青 年の関心の領域は、成人のそれに匹敵する」(注5)。
③YA文学の主たる目的は「人生の応援歌」になることである(注6)。
半田のスタンスは、アメリカの図書館が実施したヤングアダルトサービスと、
当時YA文学の最先端といわれたアメリカの作品をベースにしているため、①と② の観点においては、今日、おそらく日本国内で最も読まれているYA文学理論書の 一つであるロバータ・シーリンガー・トライツ(Trites, Roberta Seelinger)の『宇 宙をかきみだす:思春期文学を読みとく』との類似性を見付けやすい(注7)。しかし ながら、③については、半田とトライツとで、日米におけるYA文学のとらえ方の 違いが見られる。たとえば、1990年代中頃から2000年代初頭の癒しの文学ブーム に、森絵都や梨木香歩などの作家による一部のYA作品も巻き込まれていたことを 思い出せばよい(注8)。作者の意図は別として、(10代の若者読者よりもむしろ20・
30代の大人読者により支持されていた)癒しの文学として読み解かれる可能性が ある、という特性を日本のYA作品は持っていたということである。また、アメリ カ式のYA文学としてよりも、日本の癒しの文学として受け入れられやすい素地が 日本の文学環境にはあったという証拠であろう。
もし半田とトライツとにおいて、YA文学の読者層を想定する①、②の条件にブ レがなかったとすれば、何故肝心の③作品への見方に違いが出てくるのか。さらに 読者について見ても、日本のYA文学は10代の若者よりも、場合によっては、む しろ20代もしくは30代の大人読者に支持されることがある。この現象は今まで、
モラトリアム人間との負の関係として見られがちだったが、果たしてそうなのか。
トライツの一連の論の展開を眺めていくと分かるように、一般にアメリカ発の YA文学はその歴史的背景、また分析のされ方からも、教育(とその背後に見え隠
れする国家権力をはじめとした、社会的なパワーバランス)と絡めてのポストモダ ニズム的な見方をされることが多い。対して日本のYA文学については、社会性の 欠如が長くいわれてきた。というのも、日本における「YA文学」の定義はその曖 昧性ゆえに、アメリカのそれよりも遥かに許容範囲が広がり、さらに拡大していた からである。たとえば、文学的評価の高かった今江祥智の『優しさごっこ』(理論
社, 1977年)や岩瀬成子の『あたしをさがして』(理論社, 1987年)は社会問題と
されていたテーマに取り組む意欲作であったが、肝心の若者読者からあまり見向き されなかった。実際に若者読者から支持されていたのは氷室冴子の『なんて素敵に ジャパネスク』(全8巻,集英社, 1984~1991年)や水野良の『ロードス島戦記』
(全7巻 , 角川書店, 1988~1993年)であり、いずれも今日のライトノベルの前 身にあたるティーンズ文庫に収録されていた。1990年代初頭の文学批評シーンで、
これらティーンズ文庫作品はエンターテインメント性が強いため、恋愛や性などア メリカのYA文学に共通するテーマが主題になることはあっても、問題意識と表現 のレベルが表層的だと非難されることが多かった(注9)。
日本におけるYA文学の曖昧性と許容性の高さは何に起因しているのか。一つ は、「YA」というアメリカ発のことばに対する感覚のズレが挙げられる。斎藤正一 のいうように、「(日米の間で「YA」ということばに対する感覚と、「YA文学」に 対するイメージのズレが生じる)その背景には、社会や文化、特に児童観・人間観 の違いがある」ように考えられる(注10、括弧内は筆者注)。すなわち、アメリカでは一般的 に「YA」は「若い大人」として認識されるため、麻薬・セックス・妊娠など、児 童文学の世界では大人だけの問題としてタブー視されていたテーマに取り組むこと が多かった。一方、日本における「YA」は子どもでもなければ、大人でもない、
この過渡性に焦点が当てられることが多いため、「YA文学」の作品のテーマ選択や 表現の仕方、さらには受容する読者層の幅は知らず知らずのうちに、広がっていっ たのかもしれない。
そもそも日本において、「YA文学」はことばとして未だに業界用語の域に止まり がちで、一般読者にとっては、むしろ「青春文学」、「青春小説」の方が耳に馴染み が深い。プロブレム小説やジュニア小説など、リアルなYA文学事情に詳しかった はずの半田でさえも、これらの作品を論じる際には「青春小説は人生の応援歌なの だ」としていたほどである。
もしアメリカ発の「YA」ではなく、「青春」の方が未だに日本の一般読者にとっ て、思春期にある登場人物と繋がりやすいキーワードとして生きているのだとすれ ば、それはいったいどのようなイメージで作用しているのか。
トライツに代表されるような、アメリカの思春期文学の見方だけで日本のYA文
学を分析するのには限界があるように思われる。その主な理由の一つとして、良 し悪しは別として、日本のYA文学には未だに「青春文学・小説」の影響が根強く 残っているからなのではないか、と考えることができる。よって、日本の「青春文 学・小説」の文学史における立ち位置を再確認すると共に、現代のYA文学に引き 継がれたと思われる要素を抽出することを本論の第一目的とする。三浦雅士の『青 春の終焉』(講談社, 2001年)と古屋健三の『青春という亡霊:近代文学の中の青 年』(日本放送出版協会, 2001年)は出版するタイミングもさることながら、両者 とも「青春」の終わりを告げる題名を冠しているように見えるが、その書き方も内 容もかなり異なっていた(注11)。本論では古屋が代表する従来の見方に触れながら も、三浦の考えを中心に、日本における「青春」と「青春文学・小説」の意味を改 めて考えたい。「青春」ということばのルーツと及ぼす作用を探ることによって、
日本YA文学の成立を考察する。さらに従来の「青春文学・小説」との違いを明ら かにすることができれば、日本YA文学のオリジナリティのかけらを拾い集め、そ の実像を浮き彫りにすることができよう。
1.「YA」と「Adolescent」、「Adolescence」
「YA文学」ということばは周知の通り、アメリカ発のものである。
頭につく「YA=Young Adult」は「若い大人」という意味合いである。つま り、大人でもなければ、子どもでもない存在の一群を指してのことばであり、しい て日本語に訳すれば、「若者」であるだろう。もしくは半田の説明に見られるよう に、「青年/青少年」と訳されることが多い。ただし、半田の危惧するように、「青 少年」は「児童を含んだ未成年者全体」と誤解される恐れがあるため、ここでは使 用することをさし控える(注12)。また、のちの項目と関連して詳しく論じたいが、
身体的な違いのみならず、「青年」も男性に限定される傾向があるため、本論では 使用しない。
英語ではYAという語が使われる前にも、若者たちを指すことばはなかった訳 ではない。それが「Adolescent」である。「青年、若者」と訳されることの多いこ のことばは一見すると「YA」とほぼ同義のように見えるが、だとすれば、なぜ、
わざわざ新しく「YA」ということばが生まれる必要があったのか。この謎の答え は、「Adolescent」のもう一つの面に隠されていた。
「Adolescent」は名詞として使用されるのみではなく、形容詞として使われる場 合、「青年期の、青春の」もしくは「未熟な」という意味を持っていた。さらに いえば、類似語の「Adolescence」はすなわち、「青年期(13歳から16歳くらい
までのティーンエイジ)」を指し、「思春期、年ごろ、青春」とも訳されるのであ る(注13)。これはどういうことか。「思春期」という訳語から分かるように、英語に おいて、このことばは主に発達段階を裁断するために用いられた心理学の用語で あった。思春期ということばの起源はさらに遥か昔まで遡ることができる。トライ ツの指摘によると、産業革命の発展によって農業の価値が下がり、共同体からはみ 出し者にされてしまった(労働力としての役割を失ってしまった)若者たちの出現 が、このことばを流行らせた原因である。もう子どもではないが、大人のグループ からも遠ざけられた彼/彼女らは、それまでになかった存在として、注目を集め た。このことに最初に正面から取り組んだのが、心理学者のグランヴィル・スタン リー・ホール(Hall, Granville Stanley)の『思春期の研究』(1905年)であり、や がてアメリカ人の社会通念として強く印象付けられたのだと、トライツは述べてい る(注14)。
アリエス(Ariès, Philippe)の『<子供>の誕生:アンシァン・レジーム期の子 供と家族生活』(みすず書房, 1980年)にもあるように、社会構造の変化によって 新たなグループは成立させられるように見えてくる。社会はこの新しいグループか ら刺激を得る一方で、それを自らの中に取り込み、より安定した活力源の一つにし ようとする。対象が「子ども」であっても、「青年」であっても、この仕組み自体 に大きな違いはなかった。ホールの研究を基に、大きく動いたのはアメリカの教育 界であった。それに後追いする形で、新たな商機を見逃さなかったのが出版界であ る。「そのような思春期の考え方がアメリカで制度となったのが、二十世紀にはいっ てからのことである。だから、とくにこの年齢層向けの本が二十世紀の産物として 市場に出たのは、当然のように思われる」ともトライツは述べている(注15)。
特に第二次世界大戦以後のアメリカは世界的に絶大な経済力を誇る一方で、内部 では人種や宗教などの違いに起因した公民権運動が起こり、豊かさと混乱の時期を 迎えていた。このような社会的な不安を露出し、代表するものの一つとして、時代 の空気に敏感な若者を対象としたYA文学は開花した。そのため、YA文学は「成 熟しておとなになる若者を描く」、「成熟をあつかう小説であり、ときには『修業小 説』」とも呼ばれた「教養小説」に歴史的なルーツを持つが、20世紀以降、それも 第二次世界大戦後の混乱の時代にあっては、従来の教養小説的な描き方や視点、
テーマの選択規準では、説得力のある作品になりにくいのは明らかである。そこ で、成熟には至らずとも、「思春期の登場人物の成長を描く」、「成長、あるいは発 達の小説」といわれた「発達小説」の流れを汲む作品も出現するようになったので ある(注16)。
上記のような見方は極めて単純明快なものである。YA文学は成熟の過程を描き、
成熟の最終的な目標は大人になることである。前述したように、これは半田の考え
るYA、すなわち青年とYA文学に対する考え方とほぼ一致している。子ども→青
年(思春期の登場人物・読者・若者)→大人、という図式にトライツはほぼ疑問を 感じなかったように見えるためである。しかしながら、この従来型の説明には限界 があった。トライツ自身がただし書きとして付け加え、さらにその論を進める上で 絶えず自問自答したことからも分かるように、従来の成長モデルの最終的な目標と されてきた大人像にほころびが生じ、物語の終わりに主人公が大人になっていない 作品が増えてきたとすれば、この事態にはどのような意味が読みとれるのか。
トライツはYA文学の新しい傾向に敏感に反応しながらも、ついに明白な答えを 出さなかった。社会と時代の流れと共に変化しつづける文学を完全に定義付けるの は難しいことであり、その可能性を限定してしまう危険にも繋がりかねないためで ある。さらに、思春期とその前後に位置する幼年期、成人期など、人生のプロセス を心理学的な段階で区切る見方はアメリカ社会に根強く浸透していた。そのため、
トライツもまた図式の正当性に疑問を感じながらも、それを抜本的に見直すのが難 しかったのかもしれない。だからこそ、常に異なる時代もしくは文化的背景から眺 め直すことは、文学の相対的な意味と価値を知り、確かめる重要な機会でもある。
では、トライツの考察から10年あまり経過して、またその前からアメリカとは違 う社会構造を持つ日本においてのYA文学と思春期はどのような関係にあるのか。
次章では日本における思春期の同義語とされることの多かった青春と、そのイメー ジから生まれた青春小説、そしてYA文学との繋がりを詳しく見ながら検討する。
2.「教養小説」の二つの顔と日本における「青春」
――「女々しさの勁さ」の底流
近代以前の日本の村社会には、若衆組、娘組という組織があった。その名の通 り、身体的に子どもではなくなりつつある年ごろの若者だけを集めて作られた集団 である。彼、もしくは彼女たちはそこで何かしらの課題を与えられ、それを乗り越 えることによって、肉体が成熟するのみならず、精神的にも大人の仲間入りを果た したとされる。日本だけではなく、子どもを正式に大人の社会へと迎え入れるため のこのプロセスは世界各地で見られ、通過儀礼と呼ばれる。このように、若者たち の存在は確かに認められていたが、あくまでも子どもから大人へと変身するための 中間地点としてしか認識されていなかったことが分かる。さらに通過儀礼をクリア できなかった場合、その者は共同体から無視され、もしくは終生をアウトサイダー として生きることを強いられることもある。これは通過儀礼の間において、若者は
死者に近しい存在、もしくは死者そのものとして認識されるからである(注17)。 社会的な死亡を宣告されうる若者たちに、新たな価値が見い出されるようになっ たのはいつからか。トライツは、産業革命によって、アメリカでは若者が農園や牧 場の労働力として見向きもされなくなったため、彼、もしくは彼女たちに対する新 しい位置付けがされるようになったと述べている。その一方で、これら新たな読者 層を対象とする文学は、実は教養小説にその起源があるとも、トライツは付け加え ている。教養小説は中世の封建社会が終わり、少なくとも表面上は個人的自我を重 んじる近代社会のはじまりと共に発達した文学ジャンルであるため、時代のズレこ そあるが、確かに思春期文学、さらにYA文学と深い関係にある。そのために、教 養小説が書かれ、読まれる理由について、今一度確認する必要があるのである。
池田浩士は『教養小説の崩壊』(インパクト出版会, 2008年)の中で、教養小説 の定義付けは実は極めて曖昧なものであり、定義付けること自体も作品の享受や理 解にとってそれほど本質的な影響を及ぼさないと明言しながらも、多くの作家もし くは研究者たちがその呪縛から逃れられなかったと認めている。これはなぜなの か。ロマン派の勃興と共に、個人の成長と自立は声高に謳われるようになったが、
近代的自我にとっては、解放された自己と帰属先であった共同体の共存と対立に代 表される、長い苦悩のはじまりでもあった。作家は、そして読者は主人公と共に、
「「いかに生きるべきか?」というもっとも月次な、だがいまなお未解決の問いに たいする答え」を考え続けられるから、教養小説は実践性の高い小説として長く読 まれてきたのだと池田は説明している(注18)。
池田の分析から、教養小説の二つの側面を見ることができる。一つは、自己形成 を通しての成長を肯定し、その実現を求める欲求である。もう一つは、そのような 成長を理想として欲するがゆえに、外的世界と化してしまった社会との現実的な対 立をどのように解消すればよいのか、という問いである。池田のいうように、素朴 な上昇志向だけが教養小説の特徴ではない。むしろ理想と現実の間に挟まれた自意 識のやるせなさや、その距離感を埋められないもどかしさこそ、教養小説から思春 期文学へと形を変えても、このようなテーマを題材とした作品が今日もなお書き続 けられ、また読まれ続けている理由である。
トライツが考えるアメリカの思春期文学ももちろん、この二つの側面を同時に有 しているが、作品としての力点は特に後者に置かれているように見える。その大き な理由の一つとして、移民社会というアメリカの特色が考えられる。単純なように 思われるかもしれないが、一目で分かるほどの多人種、多文化構成は、そこに生活 する人々に確然たる外的世界と、内的自己の距離を日常的に明確に意識させてきた はずである。そのため、トライツの、文学理論に沿うようにして作品を裁断する分
析の手腕は鮮やかであり、方法としても有効である。では、アメリカほど異文化を 強く意識することのない日本になると、教養小説の二つの側面はどのようなバラン スで読者に求められ、どのような形で作品に現れているのか。
東西の近代文学を俯瞰した古屋は共通する焦点を青年像に絞り、二つの側面から その実体を捉えようとした。一つは「熱い自己主張を展開」するロマン主義者に代 表される情熱的な「実践家」である。もう一つは、「社会とのずれの自覚のなかに あくまで踏みとどまる」のみならず、「自分と自分との間にも距離を」おき、ひた すら耐え忍ぶ「観測家」である(注19)。たとえば、ランボオ(Rimbaud, Arthur)の 同じ詩句を訳しているのに、小林秀雄訳と中原中也訳とではまるで別物のように見 えることを、古屋は例に挙げている(注20)。そして、古屋は青春に対する感覚と描 き方に複数の可能性を認めながらも、その根本であり共通点でもあるのは青年なら ではの鋭い感性だとしている。この瑞々しい感性が芸術と結び付いた時にこそ、作 家もしくは作中人物の青年の目を通して、読者もまた世界との接点を見付け出せる のだと古屋は主張している。そのために、古屋は青春小説を読む(書く)ことは、
「裸の感性をとり戻」す一種の「回春」効果をもたらしているのだと感嘆している
(注21)。
一方、三浦雅士は『青春の終焉』の中で、既定の時代イメージがまつわる年号を あえて排して、西暦に統一することによって東西の歴史を共時的に眺めなおし、「青 春」と若者たちが日本でどのような意味付けをされてきたのかを考察した。西洋か ら紹介され、19世紀以降の日本文学に測りしれない影響を及ぼした輸入物のイメー ジが強い「青春」の違う見方を示したかったためである。
18世紀末の江戸で発表され、19世紀で大衆から圧倒的に支持され、また多くの 文豪にとっては愛憎混じりの愛読書であった滝沢馬琴の読本こそ、日本における代 表的な「青春の書」であると、三浦は主張する(注21)。代表作の『南総里見八犬伝』
に見られるように、主要な人物たちの年齢設定が青年であるからだけではない。青 年というのは、本来ならば、少年と壮年との間にある過渡期が引き伸ばされて明視 されるようになった「不思議な空隙」であり、馬琴はこの新たな隙間にいち早く着 目したのである。「子供(原文のまま)でもなければ大人でもないこの遊戯的な時空
(※()内筆者)」を敏感に意識していたにもかかわらず、馬琴はその中身であるは ずの「遊戯的な精神」を把握できなかった。いや、把握できなかったのではなく、
むしろ時代の要請に応じて、ますます「真面目」なものに仕上げていったのだと、
三浦は指摘した(注22)。ここで背景となる時代の要請は何か。
中野三敏によると、江戸時代の主軸は、度重なる財政改革によって道徳から経済 へとシフトしていき、寛政の改革が行われた18世紀末は、まさに経済と道徳が危
ういバランスになり、個人が戯れることが許される奇跡の瞬間であった(注23)。産 業資本主義に邁進する江戸時代では、消費よりも生産の文化が重んじられ、そこで 求められるのは、真面目に仕事をこなす生産力であった。このように、歴史は直線 的なものではなく、常に新しい座標の出現と共に、その様相を変えてきたのであ る。そこで、三浦は中野の考察をふまえた上で、「遊戯を真面目に転換した」馬琴 は、だからこそ19世紀において広く受け入れられ、「少年から壮年へいたる過渡期 の遊戯的時間に、青年の名、青春の名を与えなければならなかった」と逆説を立て た(注24)。
戦後における小林秀雄の絶大な影響の下で、日本における青春は長い間、西洋の 教養小説のそれと同じテーマに挑みつづけていたように見られることが多かった。
確かに作品で描かれているのは、理想と現実の狭間でもがく個人の苦悶と努力する さまに違いない。しかしながら、三浦の分析から分かるように、日本においても、
青春はいきなり西洋から導入されてきたものではなかった。受け入れるための素地 がすでに整えられていたからこそ、青春は日本においても熱病のように蔓延したの である。すなわち、社会の変化と共に、遊戯的な時間であった過渡期の精神は偏っ た「青年」と「青春」の枠を嵌められ、真面目なものへと変貌したのである。逆説 のように見える形式生成の理由のために、教養小説の中身と書き方にも二つの側面 が生まれたが、この特徴は、日本の近代文学を見るとさらに明らかである。一つは 従来の青春小説に分類されることの多い、志賀直哉や武者小路実篤ら白樺派の作品 である。もう一つは、太宰治や坂口安吾ら無頼派の作品である。
白樺派と無頼派では一般的に対極のように思われがちだが、一方は青春の表層を 描き、もう片方は青春の核心を看破していたようにも見える。そしてこれまで説明 してきたように、青春の本質こそ、近代以降の人間が抱えてきた根源的な葛藤で あったことを考えると、太宰の文学は生前から全集を編まれるほど異例の人気を博 していたが、今日でもなお多くの若者から切実感を持って読まれていることが、そ の何よりの証拠となる。
戦後の高度経済成長に伴う大学生の急増は、同時に、青春という病の範囲を一気 に拡散させた。文学における思想の血肉化、主体性の確立が叫ばれたが、肩肘の 張った思想が結果的に自己に向かうばかりでは、自家中毒を起こしかねない。大仰 な武装に身動きが取れなくなってしまい、時代に依拠するあまりに時代に飲み込ま れてしまうのである。一方、人間の業の深さへの鋭いまなざしを持ちながらも、常 に一歩引いた自己と社会批判の慎ましさと、これら全てを笑いに転じてしまう大胆 さと優しさを併せ持った作品に、読者が救われることもあるのではないか。厳しい 試練を駆け抜けるために雄々しく謳いあげられる応援歌としての青春小説がある。
ならば、人間が陥る苦悩の連続を見つめなおし、許容してしまえる解毒剤としての 青春小説もまた、しなやかな強さを秘めているといえる(注25)。
応援歌青春小説と解毒剤青春小説は、異なる視座からではあるが、いずれも青春 という時代の病と、そして人生の根源的な矛盾と向き合うための方法を模索しよう として書かれたものである。にもかかわらず、読者に異なる感覚をもたらすのはな ぜか。作家自身の言語能力と文学的嗜好の話だけをしているのではない。文体や話 の展開、結末の付け方など、作品を成立させる上で重要なこれらの要素に、作家の 個人的な素質がかかわっているのは当然のことである。しかしながら、これらの要 素を統合してそれぞれの作風にまとめ上げ、洗練させることができたのはおそら く、作家一人ひとりの文学に対するスタンスの違いが大きな理由としてあげられよ う。
時代の病に侵される青年たちと文学の悲哀を見つめる鋭さと距離感、そしてその 悲哀を滑稽に昇華する優しさとを、太宰は持っていた。近代文学の真面目さと読者 に肉迫しようとする直截性(ゆえに逆に突き放してしまうこともある)に対して、
太宰のそれは、むしろ前近代の口承文芸に近いところがあった。読者を楽しませつ つも、場の空気を絶えず機敏に調節している節さえ見られる。含羞の人といわれる 太宰からは程遠いイメージのように思われるかもしれないが、笑いこそ、含羞の人 が雄々しく押し寄せる時代の高波を無に返してしまえる、弱々しくも最も有効な方 法であった。三浦はこの点に触れながら、太宰文学の特質を「女々しさの勁さ」と 評したのである(注26)。
「女々しさの勁さ」と三浦が評した太宰文学の特質はどこから生まれたのか。一 つは従来の日本社会において、空気を読めることが非常に重要視されてきたことが あげられよう。身も蓋もないいい方だと思われるかもしれないが、律法よりも身分 階級が重んじられ、また実質的な拘束力を持っていた時代において、共同体の運営 を円滑するためには、これは極めて合理的なやり方であった。また、一見一つの文 化に覆われていながら、実は身分によって区別された全く違う世界に住む者同士だ からこそ、表面上の平和を保つために、互いの距離を常に測りあいながら付き合う ことは大切な生活スキルになる。これらの理由を背景に、さらに東北のブルジョワ ジーという出自を考えると、社会に蔓延する上昇志向の成長神話の限界を、太宰が 身を持って痛感していたと推測できよう。むしろ、真面目さを尊いものとし、物事 を直線的に捉えがちな青春の風潮が強まれば強まるほど、太宰はその一面的なもの の見方に違和感を覚えていたとも考えられ、ついにはあのような独特な青春小説を 書くに至ったものと考えられる。太宰のようなスタンスは多くの読者に受け入れ られて一つの底流となり、今も日本の文学を支えている。そしてYA文学において
も、日本特有の花を咲かせているのであった。
3. 日本 YA 文学の二つのパターン、一つの見方 ――「雄」と「雌」と「流動体」
太宰文学の特徴である「女々しさの勁さ」が源となり、それが今日の日本YA文 学の豊かさを支える重要な底流の一つになっているとすれば、それでは具体的には どのような形で現れているのか。この疑問に答えるためには、日本YA文学の形式 について見ておく必要がある。
一般に日本YA文学の代表作としてあげられることが多いのは、2000年代前後に 刊行されたシリーズ作のように思われる。あさのあつこの『バッテリー』(全6巻, 教育画劇, 1996~2005年)、森絵都の『DIVE!!』(全4巻, 講談社, 2000~2002 年)、さらに誉田哲也の『武士道シックスティーン』シリーズ(文芸春秋, 2007~ 2009年)などは、一定の読者と存在感を獲得してきた。これらの作品にはいくつ かの共通点がある。たとえば、少年少女たちがスポーツに青春を打ち込むスポーツ 物であること。そしてスポーツ物であるのに、競技そのものよりも、むしろ日頃の 鍛錬もしくは仲間やライバルとの交流や反発の方に照明が当てられていること。こ れはどういうことなのか。
確かに作中において、試合は一つの大きな試練となっている。しかしながら、最 終的な勝ち負けよりも、それを通過することによって、主人公がそれまでに積み重 ねてきた経験がようやく認められ、もしくはせき止められてきた感情の奔流が解放 されることの方に、作家は多くの頁を費やしている。試合は物語を前進させる一つ の事件であるのみならず、主人公にとっての通過儀礼としても機能していたのであ る。スポーツが有する不可逆性とドラマ性は、子どもから大人への段階を登ると一 般には思われがちな思春期にある主人公の、ビフォー/アフターの違いを印象的に 描いてみせる手法として取り入れられていた。コミックスもしくは映画化など、メ ディアミックスなどの功も少なからずあるかもしれないが、いずれにしても、読者 に広く受け入れられている事実を見れば、この手法は成功しているように見える。
そしてテーマの設定として、野球にダイビング、剣道、陸上競技など種類は数多く あるにせよ、読者にもたらしているのが一種の爽やかな達成感だとすれば、その効 果が従来の成長物語と高い親和性を持っていることに気付くであろう。しかしなが ら、このような疑似体験だけを求めているのならば、読者は一昔前の青春小説を読 めば済む。では、なぜ新しくYA文学が生まれる必要があったのか。
ここでもう一度、スポーツ物でシリーズ作となっているこれら作品群の共通点に
ついて考えたい。確かに試合は重要なモティーフであり、作中におけるクライマッ クスシーンの一つとなっているが、それよりも作者が神経を使い、読者が熱心に読 みこんだのは、人物たちの日常的なやりとりの方であった。だからこそ、なかなか 球を投げない野球、主人公が必ずしも優勝しないダイビング、さらに剣道一筋に生 きてきたからといって、主人公が微妙な武者言葉までしゃべるようになってしまう 剣道は現れたのである。スポーツは人物たちを交差させるための契機であり、読者 をその輪の中へと誘い入れるための入り口でもあったが、試合の勝負そのものが作 品の中心になることは、むしろまれである。
往年のスポーツ根性物ならば、試合は確かに心身の成長を測る最も重要なパラ メーターであった。出だしで人物たちは反発しあうが、最終的にはチームの勝利の ために一丸となるので、多少の衝突も予定調和の友情物語を盛り上げるための演出 であることが多かった。一直線の成長パターンをなぞり、複製するのには、そのよ うなやり方が効率的でよかったのだ。しかしながら、YA作品で競技技術を競いあ わせ、数字としての成果を出すことが主眼に置かれることはむしろまれである。異 なる価値観は相変わらずぶつかりあうが、その結果として、必ずしも互いに溶け込 みあい、一つになるとは限らない。一つの型にお互いを押し込めあうことに、読者 も、そして作家もリアリティを感じなくなったからである。
YA文学においても、勝利はやはり主人公たちの重要な目標ではあるが、唯一の 目的ではなくなった。スポーツに人生をかける者、楽しさを優先する者、なんとな くやっている者など、登場人物たちにはそれぞれのスポーツとの向き合い方があり えた。それ以外にも、主人公の若者たちのようにはスポーツに直接かかわっていな いが、病弱だが気丈な弟や溌剌とした母親など、家族や知り合いとして主役である 若者たちの周りに配置されながら、きちんと存在感を放てる者の存在も見られる。
スポーツを介して出会った人物たちは、それ以外のことでも思い悩み、笑い、そし て一度は交差しながらも、それぞれの道を歩んでいく。接近して歩み寄ることは あっても、自らの輪郭を維持できずに、主人公の単なる追随者として一体化した り、背景化したりすることはない。だからこそ、主人公である若者もまた自立的に 行動できていながら、常に他者のことを意識できるのである。全ての者が一つの規 範に従って行動することは窮屈である一方で、効率よく物事を進められ、また人間 関係が安定しやすいので、妙な安心感を人に与えられる。しかしながら、多様化が 進む今日の社会ではそうともいっていられない。一人の人生だけでも絶えず激変し うるのに、複数の人間が登場する作品世界においては、お互いに影響されながら も、それぞれの違いを尊重するために、いかに間にある距離を測りつつ接するかが 常に重要なテーマの一つとなる。描く重心におけるこのような変化はむしろ、生ま
れるべくして生まれたリアリティの新基準ともいえよう。
共同体に溶け込みながら、個人としての輪郭を維持することがどれほどの気力を 必要とするかは、青春小説の成り立ちと、辿ってきた歪んだ(もしくは、真直ぐに 進みすぎ、ゆえに失速した)道すじを振りかえることで、すでに確認してきた。そ の前提を考えると、スポーツ根性物の上昇志向の呪いに縛られることなく、むしろ 異なる価値観が共存しあう時空を提供できる媒介として、スポーツがYA文学の作 品構成において重要視されてきた理由も分かる。そしてスポーツに限らず、様々な 部活物に派生していくゆえんもまた見えてくる。そのあり方はいわば、主人公たち をゆるやかな絆でつなげる奇蹟の線であり、そして読者を幸福へと導く約束の要で もあったためである。
三浦雅士が『たけくらべ』(『一葉全集』所収,博文館, 1897年)を例に指摘した ように、近代以前は社会的地位が生まれながらにして確定されていたため、男も 女も来るべき時が来れば、場面に応じて変容するのみであった(注27)。娘から女郎 へ、鳶の子から鳶の若衆へと、あらかじめ決められていた変容は制限のように見え るが、それを受け入れるしたたかな柔軟性の表れとも捉えられる。同じく『たけく らべ』を取りあげる村瀬学もまた、「「娘」と「女郎」の「二股」を生き」る美登利 の生き様は当時において決して異例ではなかったと説明している(注28)。しかしな がら、このような生き方は近代社会以降、成長神話の浸透と共に暫く忘れ去られて いた。教育による上昇志向の普遍化と直線的に連続し、発展しつづける人生の幻影 が、人々に過去のしなやかさを忘れ去らせてしまったのである。青春という気分
(もしくは「病」)の蔓延と青春小説が広く読まれたのは、そのような背景におい てであった。
青春小説の窮屈さと理不尽さに弱々しくも果敢に対抗し、暴露するものとして太 宰の文学は読まれてきたが、双極的であればあるほど、拮抗する両者を繋ぐ中心点 が「青春」であることを証明してしまう。しかしながら、戦後の高度経済成長に よって大学生のデフレーションが起こり、大学教育は生活向上を保障するものでは なくなり、大学生の社会的地位も大きく変化した。若者たちは「青春」の真最中に いるはずなのに、その中身が謳われてきたものとかけ離れていることを思い知らさ れてしまった。さらにその後、経済成長の停滞と新自由主義の進行で、人々は「大 きな物語」(元々はフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタール(Lyotard, Jean-François)が提唱したことばである。従来、哲学は科学の正当性を保証するた めの「大きな物語」とされてきたが、それに対する不信感が広まっていることをリ オタールは『ポスト・モダンの条件:知・社会・言語ゲーム』(水声社, 1986年)
において指摘した)の終焉を認めざるをえなかった。社会の抑制力が弱まることで
高まる多様性自体は、人々を、社会から押し付けられた既定の枠組みから解放し、
人生のあり方と選択の幅を広げてくれた。一方、土井隆義が『キャラ化する/され る子どもたち:排除型社会における新たな人間像』(岩波書店, 2009年)で述べる ように、「今日の問題は、多様性の賞揚に由来する新たな困難が、身近な人間関係 の拘束力というかたちで表われている点」であり、「生きづらさの性質が、社会の 拘束力の強さにもとづくものから、人間関係の拘束力の強さにもとづくものへと、
時代とともに変化している点」である(注29)。
今日の日本YA文学を牽引する作家たちがデビューしたのはほぼ、1990年代前後 であり、さらに本格的に作品を定期的に発表しはじめることができたのは、1990 年代後半からである。土井の分析と照らし合わせると、彼女たちが書かずにいら れなかった理由も見えてくる。たとえば、森絵都の『宇宙のみなしご』(講談社, 1994年)や『つきのふね』(講談社, 1998年)、『カラフル』(理論社, 1998年)で はまさに、当てにはならないが、だからといって対抗の対象にもならない大人と
(学校と)、互いにゆるく繋がりあう若者たちの姿が描かれている。スポーツ以外 のものを媒介にして出会うこれらの作品の登場人物たちは、スポーツという辛うじ て維持された外的基準がなくなった世界で、より流動的な人間関係に翻弄されるこ とが多い。あまりの鬱屈さに、読者までもが「植物」となり、面倒な人間なんてや めてしまいたいと思いかねない(注30)。だからこそ、それでも狭い世界に閉じこも ることなく、最終的には何とか他者と、違う世界と繋がろうとする人物たちの姿 に、多くの読者は深く心を打たれて共感したのではないか。
森絵都の作品において友達同士の緊張感のあるやりとりは、共犯者の関係に似て いた。互いの自意識の壁に囲まれた内向的な世界に身を置くことは親密感が増す一 方、息苦しさに悩まされることも多い。そのような世界から抜け出るための方法を 探そうともがく若者たちを描く筆は、森絵都の手から桜庭一樹へとバトンタッチし ていた、といえば、突飛すぎるだろうか。確かに両者のタッチとトーンには大きな 違いがある。森絵都は心地のよいリズムでことばを編みだすことを得意としてい る。『つきのふね』のように、物語の展開が後半で失速するような作品であっても、
選びぬかれたことばで編まれた網はそれをやさしく包み込むため、切ない余韻が網 目から漂いつつも、読者に残るのはほのかな温かさと安心感であった。
一方の桜庭はライトノベル出身ということも手伝ってか、特徴的なキャラクター 作りと語り口が印象的である。しかしながら、その作品からは常に傷付き、また傷 付けられる若者の姿が見られる。一見残酷な事件も、平面的な登場人物たちによっ て舞台装置のような空間で演じられているため、読者はかえって現実を見つめなお す冷静さと余裕をもたらされる。だからこそ、桜庭の作品は、主要人物の死を匂わ
せるような結末でも、読者が深い哀しみに陥ることが少ない。皮肉ないい方になる が、登場人物たちの象徴的な死によって、生きようとし、外と繋がろうとした意志 の方が刹那的であっけないために、はるかに輝いて見えるからである。
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない:a lollypop or a bullet』(富士見書房, 2004年)
や『少女には向かない職業』(東京創元社, 2005年)などの初期作によく見られる が、桜庭の作品において二人で一ペアの少女の組み合わせは、多くの場合一人が死 に、一人が変わらない世界に残される。そして死亡するのが周りから浮いてしまう 道化=嘘つき少女であるのに対して、生き残るのはたいてい真面目で適度に人付き 合いもできる少女であった。彼女たちを青春小説にたとえるならば、解毒剤の消失 と応援歌の残存に見立てられないこともない。しかしながら、たとえ平面的なキャ ラクターであっても、彼女たちの人生は確かに交差し、相手の中に短くも鋭いかき 痕を残していた。片割れの死は、互いの対立による結果ではなく、融合を試みた末 の必然的な形という風には考えられないだろうか。
中村光夫が志賀直哉を「雄の文学」と称したことに対して、三浦雅士は太宰治の 文学を「雌の文学」と置き換えた(注31)。男尊女卑的な青春の教義を賛美した中村 への意趣返しに違いないが、同時に、三浦は当時の知識人たちに忌避された太宰文 学の特質を強調したかったのである。まさしくこの特質のゆえに、太宰の作品はリ アリティを持って現在でも読者に読まれていた。あえて三浦のいい方を踏襲する と、日本のYA文学は表面上の形式において、スポーツ物を代表とした明るい作品 は雄に、人間関係のしがらみと陰鬱さを掘り下げた作品は雌に区分けされているよ うに思われるかもしれない。しかしながら、生きものである文学をそのように裁断 してしまうのに限界があることは、すでに確認してきた。
男性主導が伝統とされてきたスポーツの世界を舞台にしながらも、男性の基準に従 うことなく、女性作家は己の理想をそこで実現した(注32)。「ほの暗く、抒情的な」な で肩といわれた世界を、実験的な演劇のように解体し、再構成する者もいる(注33)。 テーマの選択だけではなく、書き方そのものがハイブリッドして咲き乱れているの である。このように多様化が進む中で、何らかの形で流動的な現代社会を生きる術 を読者と共に考えようとしているのが、今の日本YA作品の共通点だといえよう。
この願いを持ちつづける限り、日本のYA文学自身もまた絶えず形を変えつづける 流動体として活力を得られるのだろう。
おわりに
一昔前のアメリカYA文学のように、主流に対する異議申し立てや激しい反抗
を、日本YA文学の登場人物たちはしない。主流なくただひたすら流行が移ろい 変わる1980年代以降、そのようにする必要がなくなったためである。その代わり に、心の拠り所や断片的なものの寄せ集めである「キャラ」としての所属先を自ら 積極的に探さなくてはならない若者たちは、だからこそ「自分探し」の旅によく出 かけ、また空気を読むことに疲れて「癒し」をよく求めたりした(注34)。森絵都た ちの初期作品がよく当時ブームだった「癒しの文学」に分類される一因は、作家に その意図はなくとも、読者の方がそのように読み解いてしまう可能性が1990年代 には濃厚にあったことを示している。
2000年以降、森絵都は徐々に一般文学の方へと転向したが、あさのあつこはSF の『NO.6』シリーズ(講談社, 2003~2011年)で『バッテリー』に続いて、多く の読者を引き付けていた。また『NO.6』と同じく講談社のYA!ENTERTAINMENT レーベルから出された香月日輪の『妖怪アパートの幽雅な日常』シリーズ(講談
社, 2003~2009年)もまたロングセラーとして人気を誇った。日常を攪乱するこ
とによって、此岸と彼岸、または現実と非現実のあわいに立つ者である主人公に柔 軟性と奥行きを持たせ、読者に新たな価値観を提示する作品の増加が見られたので ある。一方、梨屋アリエや笹生陽子のように、なんでもない日常を、その一瞬一瞬 の変化を相対化しつつも、爽やかな感動として大切に書きしるす作家も着実にファ ンを獲得している。
ここまで、青春小説からYA文学へと、時代の気分がどのように変化したのかを 辿ってきた。2000年代初頭に出版各社からYAレーベルが打ち出され、一時は異 様な熱気に包まれていたものの、その活況も2010年以降は沈静化したように見え た。YA文学に活気が失われたという見方もあるが、落ち着いた今だからこそ、そ の真価と本質が問われるともいえる。現実では未だに作品を書きつづける作家と、
作品を求めつづける読者がいるならば、その背後にあるメカニズムを読みとく必要 はむしろ高まっているように思える。なにより、ここまで時代の様子をつぶさに反 映し、時代の空気に敏感な文学も少ないのである。そして、文学もまた、人の欲望 を牽引し作っていたのである。
トライツのいうように、アメリカYA小説のより所となっているのは、「社会的 存在としての個人の自己認識」であり、「ポストモダニズム的な自己認識がなけれ ば、個人とYA小説を典型とする制度とのあいだにある緊張は、描出できない」の である(注35)。その定義から考えると、日本のYA文学はひどく緊張感に乏しいよう に見えてしまうかもしれない。しかしながら、作家が書きたい、読者が読みたいの はそのような――少なくとも、表面上すぐに分かるような――緊迫した関係ではな いと、わたしたちはこれまで確認してきた。明白な社会的帰属とそれに伴う思想の
対立・葛藤の代わりに、最終的には個人対個人のぶつかり合いと繋がりにいきつく ことが多いのが、日本のYA文学であった。そのために、日本のYA文学は、子ど もが大人になるのに従い、個人の内面性を抑える代わりに公の社会性を獲得すると いうアメリカYA文学式の既定概念に比較的に縛られることがない。そして、村瀬 のいうように、大人を越えてほかの「なにか」になることを目指すことができた。
村瀬は社会安定のために、人を思いやれる「君子」をその目標とした(注36)。しか しながら、更なる精神の解放を目指すならば、過渡期の不安定性ゆえの活力としな やかさに着目し、遊戯的な時間とその価値を今一度見つめ直すこともまた必要であ る。成長が権力と拮抗し、もしくは権力に屈服するのに対して、遊戯的精神は権力 そのものを無化してしまえる可能性を持っているからである。
トライツが『宇宙をかきみだす』で提案したのは、非常に強力な理論であった。
作品分析においては極めて有効な視点であるだけに、その原理から逸するものと出 会った時の戸惑いも大きい。そして日本のYA文学では、そのような場合が多かっ たのである。この戸惑いの理由を探るために、日本YA文学とより近縁性を持つと 思われる青春小説まで遡り、現代の作品に伝わるものとそうでないものを分別しな がら、日本YA文学のオリジナリティについて考えてきた。その結果、個人と社会 の関係がより多層的でゆるやかな日本においては、作品にも独特な美学が生きてい ることが分かった。日本YA文学のこれからを考えるためにも、今後はより時代の 流れに寄り添いながら、作品に近寄った考察を深めていきたい。
注
はじめに
注1 半田雄二著、半田雄二論文集編集委員会編、『ヤングアダルトサービス入門』
教育史料出版会、1999年。
注2 このとき、半田が目にしたのはアメリカ図書館協会公共図書館部会基準委員 会のガイドライン草案などのサービス指針である。アメリカにおけるYA文 学の発展はこのように、公共図書館との強い繋がりが背後にあった。半田、
前掲書、16~17頁。
注3 「青少年」ということばの曖昧性を回避するために、半田は「青少年という 漠然とした用語を避けて、青年期という心理学上の概念を用いることとした」
と述べている。半田、前掲書、30~31頁。
注4 「青少年」のイメージの両義性についての説明である。半田、前掲書、105頁。
注5 図書館離れが進むといわれる若い利用者層について、確かに児童書の貸出は 激減するが、それは彼らの関心と趣味がより一般書に接近し、移行したから である、と半田は説明する。半田、前掲書、23、36~38頁。
注6 「青春小説は人生の応援歌なのだ」とは、半田のYA文学観を代表する一句で ある。半田、前掲書、87頁。
注7 R・S・トライツ著、吉田純子監訳、『宇宙をかきみだす:思春期文学を読みとく』
人文書院、2007年。
注8 本文で使う「癒しの文学」とは、友情や大事な人を失うなど、登場人物が何 かしら損なわれた状態から、元の状態に戻る過程を描く作品群を指す。この ような構造を持つ作品は昔から多くあるが、1990年代から2000年代初頭の ヒーリング・ミュージックの流行と共に、読者を癒してくれるものとして見 られる傾向が特に強かった。たとえば、森絵都の『つきのふね』や梨木香歩 の『西の魔女が死んだ』などはその筆頭としてあげられよう。
注9 斎藤正一著、「氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』論」『信大国語教育』
第五巻、信州大学国語教育学会、1996年。
斎藤は児童文学における文学性とエンターテイメント性の論争を説明しなが ら、さらに年長の「ティーン読者」が主な対象となるYA文学においても、
この価値の高低と属性(文学もしくはエンターテインメント)の判断基準は 作品の評価に大きな影響を与えているとした。同書、22、25頁。
注10 斎藤、前掲書、23頁。
注11 三浦雅士の『青春の終焉』講談社学術文庫版は2012年に出版されたが、元 は「群像」に連載された長編評論であり(2000年1月号~2001年4月号)、
2001年に単行本として出版されていた。一方、古屋健三の『青春という亡霊:
近代文学の中の青年』が刊行されたのもまさに2001年であった。ちなみに トライツの『宇宙をかきみだす』も原書は2000年が初版である。全くの偶 然であったが、世紀の変わり目に、一つの時代を規定していた基準を見つめ 直し、清算するための作業が東西を問わずに行われていたようにも見える。
1.「YA」と「Adolescent」、「Adolescence」
注12 半田、前掲書、105頁。
注13 竹林滋、東信行、市川泰男、諏訪部仁編、『新英和中辞典』研究社、2003年(第 7版)。
注14 「思春期」ということばが普及しはじめたのは、南北戦争後のアメリカであっ