密 教 文 化
金 剛乗 とイ ン ド仏 教史
静
春
樹
要 約 本 稿 は、金 剛乗 が イ ン ド密 教 史 にパ ラ ダ イ ム シ フ トを も た ら した問 題 を 論 じ る。 イ ン ド密 教 全 体 と金 剛 乗 の 関係 は重 層 的 に交 錯 して い る。 筆 者 は これ ま で に築 か れ た 先 学 の 研 究 に準拠 して イ ン ド密 教 史 を 寸 写 し、 イ ン ド 仏 教 に お い て金 剛乗 の 範 疇 を 別立 す る理 由 を論 じ る。次 に、 金 剛 乗 を 信 解 す る阿 闇梨 た ち が行 った 教 判 に触 れ、 イ ン ド密 教 史 に お け る時 代 区分 に関 す る分 析 概 念 を提 起 す る。 この論 述 の過 程 で、 我 々 に と って、 厳 密 な 定 義 は困 難 で あ る と して もそ の イ メ ー ジ は共 有 され て い る と考 えて よい 「密教 」 に相 当 す る用 語 を イ ン ドの文 献 に探 る。最 後 に、 金 剛 乗 と仏 教 タ ン ト リズ ム の概 念 上 で の 同異 を 明 らか に す る。 1問 題 の 所 在 三 世 紀 か ら五 世 紀 中葉 に か けて成 立 した と され る イ ン ド初 期 密 教 は、 そ の実 践 的 内容 と して、 そ れ まで の経 典 読 講 や 陀羅 尼(dharani)の 受 持、 仏 像 の制 作 と観 仏 ・作 仏 以 外 に、 結 界 法、 印 契、 降 伏 法(abhicara)な い し呪 誼 法 な ど本 来 的 に仏 教 に は存 在 しな い儀 礼 を もつ。 そ れ らは儀 礼 構 成 ユ ニ ッ トと して 出 現 した。 この リス トに は、曼茶 羅作 成 ・灌頂 ・善 住 式 ・ 護 摩 ・バ リと い った 重 要 な儀 礼 を付 け加 え る ことが 出 来 る。 こ う した宗 教 実 践 は撰 災 招 福 が 主 な 目的 で あ った とさ れ るが、 全 体 と して雑 多 な所 作 に 終 始 して い る と い って も過 言 で は な し)。従 来 の研 究 者 の意 見 で は、 イ ン ドの密 教 が こ う した 現 世 利 益 中 心 の、 い わ ゆ る 「雑 密 」 と い わ れ る段 階 か ら抜 け 出 して、 成 仏 を 目指 す 「純 密 」 と して の体 裁 を整 え た の は、 七 世 紀 に成 立 を見 た 『毘 盧 遮那 現 等 覚 』(1)(『大 日経 』)を 待 って の こ とで あ る と され て い る。 『毘 鷹 遮 那 現 等 覚』 に少 し遅 れ て 『真 実摂 経 』(『初 会 金 剛 頂 経 』)が 成 立 す る。 筆 者 の見 解 で は、 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』 を含 め そ の成 立 に至 る ま で の 密 教 が 「初 期 密 教 」 で あ り、 『真 実 摂 経 』 の 成 立 を端 緒 と して、 そ の体 系 が切 り開 い た 地 平 を さ ら に 押 し進 め て、 八 世 紀 中葉 以 降 に成 立 を み た の が 仏 教 タ ン トリズ ム(タ ン トラ 仏 教)(2)で あ る。 我 が 国 で 展 開 した密 教、 と くに真 言 教 学 の 中 の 研 究 者 は、 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 」 と 『真 実 摂 経 』 を胎 蔵 界 と金 剛 界 の 「両 部 の 大 経 」 と して 「金 胎 不 二 」 の 体 系 を 立 て、 そ れ を 「純 密 」(純 粋 密 教)と 称 し、 そ れ 以 前 の 現 世 利 益 の た め の雑 多 な修 法 を主 にす る初 期 密 教 を 「雑 密 」 と呼 ぶ。 そ して 「雑 密 」 を初 期 密 教 と し、 「純 密 」 で あ る 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』 と 『真実 摂緻 の成 立 した 時代 を 中 期 密 教 とす る。 これ は時代 区 分 が同 時 に価値 判 断 とな っ て い る分 析 概 念 で あ って、 この 中 期 密教 を 「純 密 」 と し、 イ ン ド密 教 の完 成 とす る考 え方 か らす れ ば、 「後 期 密 教 」 つ ま り イ ン ドに お け る密 教 の そ の 後 の展 開 は、 「狸 雑 な」 行 法 を主 とす る道 徳 的 に堕 落 した 「左 道 密 教 」 と蔑 視 され る の は 当然 の成 り行 きで あ る。 これ まで 真 言 宗 関 係 の学 者 の書 い た論 文 に は、 無 意 識 的 で あ れ、 イ ン ド 密 教 史 に即 した場 合 に は単 に相 対 的 な時 代 区分 を表 す に過 ぎな い 「初 期 」 「中 期 」 「後 期」 と い う概 念 に、 日本 密 教 の 「純 密」(お よ び 「雑 密 」)と い う価 値 判 断 に基 づ く概 念 を裏 か ら差 し込 み(3)、あ た か も 「中 期 密 教 」 と い う思 想 運 動 体 が イ ン ドの 地 に存 在 したか の よ うな感 じに させ る もの も見 ら れ る。 事 情 に疎 い 者 は仏 教 誕 生 の 地 にお い て一 時期 で あ れ 我 が 国 の 「真 言 密 教 」 が存 在 した か、 あ るい はそ の 時 代 は イ ン ド密 教 が 真 言 密 教 で あ った か の よ うな錯 覚 に 陥 るの で あ る。 この よ う な錯 誤 の原 因 は言 うまで もな く、 イ ン ド密 教 史 の 中 に実 体 の な い の 「中 期 密 教 」 とい う範 疇 を 立 て る こ とに 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 あ る(4)。イ ン ド密 教 に あ って は、『毘 鷹 遮 那 現 等 覚』 と 『真 実 摂 経 』 を統 一 的 に把 握 す る思 想 は見 られ な い し、 そ う い う傾 向 を 担 っ た密 教 者 グル ー プ の 存 在 も知 られ て いな い(5)。ま た 「初 期 密 教 」 の集 大 成 と見 られ る 『毘 盧 遮 那 現 等 覚』 と仏 教 タ ン トリズ ムへ の 道 を 準 備 した 『真 実 摂 経 』 と の 間 に は連 続 よ り もむ しろ断 絶 の 側 面(6)が強 く見 られ る。 お そ ら く歴 史 的 事 実 は、 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』 を成 立 させ た が、 そ の後 大 き な 展 開 を 見 る こ と もな く消 滅 した 密教 思 想 の グル ー プ と イ ン ド密 教 の主 流 と して 後 期 密 教 展 開 の基 礎 を 準 備 した 『金 剛 頂経 』 の 信 解者 が相 互 に ほ とん ど関 係 す る こ と な く一 時 期 に イ ン ドの 地 に存 在 した に 過 ぎな い の で あ ろ う(7)。従 って イ ン ド密 教 を研 究対 象 とす る筆 者 は、 何 らか の 内 実 を も った教 理 ・修 法 体 系 と い う仮 象 を与 え か ね な い 「中 期 密教 」 の範 疇 はイ ン ドに お いて は立 て な い。 再 説 す る と、 除災 を 内 容 とす る諸 々 の 陀羅 尼 経 典 や初 期 密 教 経 典 群 が 主 に現 世 利 益 を 目的 とす るの に対 し、成 仏 を修 法 目的 と して 現 れ たの が 七 世 紀 に成 立 した 『毘 盧 遮 那 現 等 覚』 とそ れ に続 く 『真 実 摂 経 」 で あ る。 この 除 災 か ら成 仏 へ と修 法 目的 の 変 化 が 見 られ る点 に注 目 して、 前 者 を 「初 期 密 教 」(「雑 密 」)、後 者 を 「中 期 密教 」(「純 密 」)と す るの が これ ま で の 定 説 と な って い る。 この 「定説 」 の妥 当性 を この箇 所 で検 討 して み る。 確 か に除 災 か ら成 仏 へ の修 法 目的 の変 化 は 注 目 に値 す る もの で あ り、 こ の点 か らす れ ば 「中期 密 教 」 の概 念 は存 在 理 由 を もつ よ うに 見 え る。 しか しそ の場 合 に は、 修 法 目 的 の 変化 を メ ル クマ ー ル(分 類 指 標)と す れ ば イ ン ド密 教 史 は 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 」 と 『真 実 摂 経 』 に到 る ま で の 前 期 とそ れ 以 後 の二 分 法 と な る の で あ って、 「中 期 密 教 」 を殊 更 に 立 て る理 由 は無 く な る。 さ らに、 そ うだ とす れ ば、 定 説 とな って い る 「初 期 密 教 」 「中 期 密 教 」 に続 き 「後 期 密 教 」 を別 立 す る三 分 法 で は、 修 法 目的 の変 化 と は別 の メル ク マ ー ル を 出 して い る こ とに な り、分 類 法 と して の論 理 的 整合 性 を 欠 くこ と に な る。 ま た歴 史 的 事 実 と して、 徐 災 招 福 を 目的 とす る修 法 は 「初 期 密 教」 にお い て行 わ れ た だ け で は な く、 イ ン ド密 教 史 全 体 を通 して 見 ら れ る もの で あ って、 十 三 世 紀 初 頭 の滅 亡 ま で根 強 く存 続 した こ とは膨 大 な
文 献 資 料 か ら も確 実 で あ る。 それ で は、 陀 羅 尼 経 典 群 や 『蘇 婆 呼童 子 経 』 『蘇 悉 地 経 』 な ど の 初 期 密 教 経 典 群 を 成 立 させ、 受 持 した密 教 徒 た ち に と つて、 陀羅 尼 読 諦 や 彼 等 が 案 出 した 他 の 諸 々 の修 法 と成 仏 論 との関 連 は ど うな つて いた ので あ ろ うか。 これ まで の 多 くの研 究 に は、「初 期 密 教 」 は現 世 利 益 の 修 法 の み で、 ま る で 成 仏 論 は もち 合 わ せ て い なか っ たか の よ うな記 述 が ほ とん どで あ る。 これ は イ ン ド仏 教 と密 教 の 相 互 関 係 にお け る独 特 な 「捻 れ」 の構 造 を 軽 視 す る こ とか ら来 る謬 論 で あ る。 修 法 目的 に独 自 の成 仏 論 を もち合 わ せ て は い な い と して も、「初 期 密教 」に は小 乗(部 派 仏 教)や 大 乗 の 諸 経 典 が 展 開 し た 成 仏 論 が い わ ば裏 張 り され て い る(8)。この段 階 の イ ン ド密 教 は思 想 的 に 大 乗 の成 仏 論 ・修 法 論 に対 して 未 分 化 で、 自立 を 果 た す に至 って は い な い だ けで あ る。 独 自 の教 相 ・事 相 を具 え た イ ン ド密 教 の 自立 は金 剛 乗 の 信 解 者 が大 乗 の展 開 した成 仏 論 ・修 法論 を対 象化 し、「波 羅蜜 乗 」(Paramitayana) と して 措 定 す る に至 って初 め て成 し遂 げ られ た と言 え る ので あ る。 2金 剛 乗 の 出 現 と イ ン ド仏 教 の パ ラ ダ イ ム シ フ ト そ こで本 題 に 入 って、 検 討 す べ き問 題 は 『真 実 摂 経 』 で あ る。 イ ン ド密 教 史 に お い て、 思 想 的 に 『華 厳 経 』 世 界 と同 質 構 造 を有 し、六 波 羅 蜜 の成 仏 論 の枠 内 に あ る 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 」 と、成仏 論 に 「金 剛喩 伽 」 を正面 切 っ て 打 ち 出す 『真 実 摂 経 』 の 問 に稜線(9)を 画 し、両 者 の 世 界 を 「二 者択 一 ・ 両 立 不 可 能 」 と喝 破 した の は津 田真 一 博士 で あ る。 これ ま で の 研 究 で は、 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』 に は、 『上 禅 定 品』 『底 哩 三 昧 耶 経 』 『蘇 婆 呼 童 子 経 」 『蘇 悉 地 経 』 『菱 咽 耶 経 』 な ど の先 駆 経 典 の存 在 が 明 らか で あ るの に対 して、 『真 実 摂 経 」 に は そ う した 直 接 的 な先 駆 経 典 の存 在 は見 つ か って い な い。 この事 実 も 『真 実 摂 経 』 が イ ン ド密 教 史 に対 して もつ 革 命 的 な意 味 を示 す もの で あ る と言 え る。 この 『真 実 摂 経 」 は そ の具 名 で は 「大 乗 経 典 」(mahayanasutra)で あ 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 るが、 正 篇 に続 く 「教 理 分 」(10)で「タ ン トラ」(11)の名 称 を 出 し、 初 期 密 教 と は根 本 的 に異 な っ た精 神 的 志 向 性 に基 づ く修 法 ・行 儀 を 打 ち 出 す 点 で 仏 教 タ ン トリズ ム の礎 石 とな り、 そ の開 花 へ 到 る門 とな る典 籍 で あ る。 こ こ か らす る と、 成 立 時 点 の金 剛 乗 と開 花 した仏 教 タ ン ト リズ ムの 両 者 に は幾 ば くか の 時 間 的 隔 た り と内 容 的 相 違 が 存 在 して 当 然 で あ る。 そ れ は大 方 の イ メ ー ジで は 『真 実 摂 経 』 〈金 剛 界 品 〉 に お け る釈 尊 の 成 道 物 語 を 再 構 成 した 一 切 義成 就 菩 薩(釈 迦 菩 薩)成 仏 の 説 示 と 『秘 密 集 会 』 冒頭 の 「鹿 語 雑 染 相 応 語 」 に よ る世 尊 の 説 法 との 相 違 ・乖離 と して もた れ て い る もの で あ ろ う。 しか しこの イ メ ー ジ は 『真 実摂 経 」 の正 篇 とさ れ る 四大 品 の み の重 視 か ら、 「五 相 現 等 覚 次 第 」 に定 式 化 され る喩 伽 観 法 の 体 系 が ク ロ ー ズ ァ ッ プ さ れ た 結 果 作 り 出 さ れ た 固 定 観 念 で あ る と言 え る も の で あ る。 Budhaguhyaな どの註 釈 書 か ら既 に八 世 紀 後 半 に は完 成 して い た こ と が 明 らか な 同経 の続 篇 で あ る 「教 理 分 」、す なわ ち タ ン トラ の 検 討 を 我 々 が 始 め るな らば、 そ こに は北村 太 道 氏 の地 道 な和 訳 研 究 を別 に す れ ば、 こ れ ま で ほ とん ど顧 み られ る こ との な か った 『真 実 摂 経 』 の別 な顔 が 現 れ て く るの が わ か る。 この 「教 理 分 」 こそ 『真実 摂 経 』 の グ ル ー プ が構 成 した、 集 団 的修 法 現 場 で の金 剛 乗実 践 の説 示 とな る もの で あ り、 『金 剛 頂 経 』 系 経 典 群 を経 て 『秘 密 集 会 』 に ま で到 る金 剛 乗 の深 化 ・展 開 の最 初 の 一 歩 な の で あ る。 そ れ ま で の修 法論 で の蓄 積 は そ の ま ま有 効 であ り存続 す る一 方、 こ こで は あ る種 の断 絶 と飛 躍 が生 じた の で あ り、『真実 摂 経 』 の 出 現 に よ りイ ン ド密 教 は上 位 の段 階 と視 座 を獲 得 した。 換 言 す る とパ ラ ダイ ム シ フ トが生 じた と言 え る の で あ る(12)。 こ こで は、 『真実 摂 経 』 「教 理 分 」 お よ び、 そ の延 長 線 上 に あ る と考 え ら れ る諸 タ ン トラを も取 り上 げ て、 金 剛 乗 の信 解 者 た ちの 精 神 性 お よ び そ れ に基 づ く宗 教 実 践 を次 の三 つ の側 面 か ら眺 め てみ た い。 1.「 貧 欲 行 」(ragacarya)の 宣 揚 曼 茶 羅 構 成 原 理 と な る配 偶 尊 の存 在、 お よ び男 尊 と女 尊 の理 念 上 で の 相
互 供 養 に よ る曼 茶 羅 世 界 の創 出 は もち ろん 『真 実 摂 経』 の正 篇 で あ る 「四 大 品」 の 主 要 テ ー マ の ひ とつ で あ る。 しか し理 念 的 な 存在 で あ る尊 格 自体 で はな く、生 身 の喩 伽 行 者 に対 して正 面 切 って 貧 欲 行 の説 示 が為 され る の は 「教 理分 」 にお いて で あ る。[津 田1986:69]は 「『金 剛頂 経 』 の 徒 の 儀 礼 に女 性 が 導 入 され た の は テ キ ス ト成 立 後 の比 較 的早 い 時期 で あ った と想 像 さ れ る。 そ の 行 法 は正 篇 四 大 品 に対 す る一 種 の 「補 遺 」 で あ る 「教 理 分」 に於 い て、 テ キ ス トの 表 面 近 くに浮 上 す る」 と述 べ る。津 田氏 の言 う 「補 遺 」 とさ れ て い る この 「教 理 分 」 こそ楡 伽 部 密 教 が無 上 喩 伽 部 密 教 へ と展 開 す る契 機 とな った 「秘 密 成 就 法 」(guhyasiddhi)の 語 に 纏 め られ る 修 法 論 が 説 か れ る 「タ ン トラ」 で あ る。 「教 理 分 」 が 説 く数 多 い 貧 欲 行 の 説 示 箇 所 の内 か ら三 箇 所 を 引 用 す る。 この 如 来 の三 昧 耶 悉 地 秘 密 タ ン トラ と は次 の如 くで あ る。 「汝 は三 昧 耶 な り」 と告 げ て、 す べ て の 女 性 を愛 欲 す べ し。 「有 情 利 益 を 厭 うこ と なか れ」 と言 って、 修 法 者 は仏 を愛 欲 す べ し。 と世 尊 大 毘 盧 遮 那 が語 られ た(13)。 この如 来 部 の 三 昧 耶 悉 地 秘 密 タ ン トラ と は次 の 如 くで あ る。 貧 欲 を決 して 軽 蔑 す べ き で は な い。 す べ て の 女 性 を 愛 欲 す べ し。 この 持 金 剛 者 の秘 密 三 昧 耶 を守 護 す る な らば、 成 就 す るで あ ろ う。 と世 尊 毘 盧 遮 那 が 語 られ た(14)。 そ こで金 剛 手 大 菩 薩 は一 切 如 来 曼 茶 羅 清 浄 悉地 秘 密 タン トラを説 い た。 こ の 〔(一切 〕 如 来 輪 清 浄 悉 地 秘 密 タ ン トラ と は次 の 如 くで あ る。 法 輪 と等 しい構 成 を もつ 秘 密 曼 茶 羅 を作 る べ し。 そ こに 印 契 で あ る妻 た ち に取 り囲 ま れ た仏 を入 れ るべ し。 〔そ の 仏 が 〕 そ の 秘 密 に 入 っ た な らば、 そ の刹 那 に仏 に申 し上 げ るべ し。「遍 主 よ、 汝 の こ れ らの 妻 た ち我 に賜 らん こ とを、 一 切 施 者 よ」。この よ う に 申 し上 げ る な らば、 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 一 切部 族 の 印 契 の 理 趣 にお いて、 諸仏 の比 類無 き光 輝 で あ る秘 密 の悉 地 を獲 得 す るで あ ろ う(15)。 こ う した貧 欲 行 の 説 示 場 所 とな る 「秘 密 曼茶 羅 」 こそ が 金 剛 乗 の集 団 的 修 法 に お け る真 実 在 が顕 現 す る トポ ス と して の 〈聚 会 曼 茶 羅 〉(16)に他 な ら な い。 秘 密 曼 茶 羅 の場 で、 真 実在 の シ ンボ ル と され た そ の構 成 員 で あ る生 身 の女 性、 す な わ ち 印 契 女 と行 ず る性 喩 伽 の実 践 とは、 ま さ し く金 剛 乗 以 前 の イ ン ド仏 教 が 貧 ・瞑 ・癬 の三 毒 の一 つ と して指 弾 して や ま な い貧 欲 を 行 ず る こ と、つ ま り積 極 的 な貧 欲 行 の宣 揚 に他 な らな い。 無 上 喩 伽 階 梯 の 根 本 タ ン トラに位 置 づ け られ て い るGuhyasamaja-tantra(以 下 『秘 密 集 会 」)は、 これ ま で の 研 究 で は不 空 〔三 蔵〕(Aomghavajra705-774)訳 『金 剛頂 喩 伽 十 八 會 指 蹄 』 中 の 第 十五 会 に配 当 され る金 剛 乗 の 経 典 で あ る。 そ の第 七 品(17)は以 下 の よ うに説 いて い る。 厳 しい苦 行 や 制 戒(niyama)に 頼 って い て は、 成 就 を 得 る こ と が で き な い。 その 逆 に、 一 切 の欲 の享 受 に身 を委 ね る な らば、 速 や か に成 就 を 得 る こ とが で き る。(3) 貧 欲 に耽 りな が ら 〔五 〕智 を望 む 者 は、常 に五 妙 楽(Pancakamaguna) に身 を委 ね るべ し。(7) 堅 固 な 心 を もつ、 〔大 印 と作 す〕 十 二歳 の 乙 女 を手 に入 れ て、 そ れ ぞ れ の 部 族 別 の喩 伽 に よ って、 自 らの精 液 で も って供 養 す べ し。(お) こ こに は、金 剛乗 を信 解 す る仏 教 徒 の為 す べ き す べ て の 行 法 ・行 儀 は 「非 勤 苦 性 」 で あ り、 さ らに貧 欲 行 で あ ると い う主 張 が 貫 か れ て い る。 こ の こ との 実 践 的理 由 を聖 者 流 の代 表 的 な論 師 の 一 人 で あ る. Aryadevaは、 そ の 著Caryamelapakaprdipa第 九 章 の 中 で、 初 期 大 乗 経 典 『宝 積 経 』 を も援 用 して以 下 の よ うに説 いて い る。
金 剛弟 子 が 請 問 して、 「貧 と瞑 と凝 とい う これ ら は世 間 の三 毒 で あ る」 と言 わ れ て い て、 同 様 に、 「色 な ど の諸 対 象 は煩 悩 を 生 じ る 因 で あ る か ら諸 罪 過 の 因 で あ る」 と世 尊 に よ って 説 か れ て い る の に、 一 体 また ど う して、 そ れ らを依 処 と しな が ら無 上 の 位 が 成 就 す るので し ょうか。 〔そ れ は〕 矛 盾 で は な いで し ょ うか。 〔阿 闊 梨 は答 え て〕、貧 欲 な どの 諸 煩 悩 は所 縁 を 〔執 着 して〕 見 る よ う な声 聞 た ち に と って は罪 過 の因 とな るの で あ り、 〔そ れ は声 聞 た ち が 〕 煩 悩 の本 質 を全 く知 らな い か らで あ る。 しか し 〔煩悩 の〕 本質 を 普 く知 れ ば菩 提 の因 と な る と世 尊 に よ っ て 経 の 中 で 説 か れ て い る。 『吉 祥 最 勝 本 初 』 と名 づ け る大 喩 伽 タ ン トラ の中 で もま た、 「貧 ・瞑 ・ 瘍 の 三 つ は毒 に属 す る。 不 適 切 に用 い られ る と毒 に な る。他 方、 甘 露 と して 用 い られ れ ば、 甘 露 と して も役 立 つ 」 と説 か れ て い る。 『宝 積 経 」 の 中 で も、 「迦 葉 よ、 以 下 の如 くで あ って、 例 え ば 大 都 城 の 糞 便 は甘 庶 畑 や穀 物 畑 や 葡 萄 畑 に は有 益 と な る。 迦 葉 よ、 同様 に般 若 と方 便 を等 し く具 え た菩 薩 に と って は、 諸 煩 悩 もま た饒 益 とな る。迦 葉 よ、 以 下 の如 くで あ って、 例 え ば マ ン トラ と薬 草 に よ って完 全 に制 さ れ た 毒 が 害 を為 す こ とは で きな い。 迦 葉 よ、 同 様 に般 若 と方 便 を等 し く具 足 した菩 薩 は煩 悩 に よ って堕 落 させ られ な い(18)。 タ ン トリズ ム を特 徴 づ け る極 端 な主 意 主 義 を 帯 び た. Aryadevaの 教 説 か ら、貧 欲 行 と はす な わ ち五 妙 楽 の享 受 で あ る。 こ の貧 欲 行 の宣 揚 こそ 『真 実 摂 経 」 「教 理 分 」 が新 た に 打 ち 出 した 方 向 性 で あ り、 声 聞 乗 はお ろか、 金 剛 乗 以 前 の 大 乗 が 忌 避 した思 想 内容 で あ る。 この 貧 欲 行 の有 無 に よ っ て 金 剛 乗 とそ れ 以 前 の 仏 教 徒 を分 け る とい う金 剛乗 の 論 師 た ち の位 置 づ け は ま さ に イ ン ド仏 教 史 を 画 す る もの と言 え よ う。 2. 外 教 徒 に対 す る挑 戦 的 な姿 勢 ・降伏(marana) 『真 実 摂 経 」 の成 立 を も って始 ま る金 剛 乗 の典 籍 で は、 「難 調 な る輩 」 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 の殺 害 に関 す る態 度 は疑 問 を挟 む余 地 無 く明 瞭 で あ る。 先 ず、 根 本 典 籍 で あ る 『真 実 摂 経 」 「教 理 分 」 中 に お い て は、 降 伏 (abhicara)の 教 勅 が繰 り返 し現 れ る(19)。以 下 で は そ の 内 の 二 つ を、 前 者 はBuddhagugya作Tantravataraで の 註 釈、 後 者 は. Anandagarbhaの Tattvalokaで の 註 釈 とペ ア に して 引 用 す る。 この金 剛 部 の法 悉 地 タ ン トラ とは次 の如 くで あ る。 仏 の 教 勅 を守 護 す る こと と、同 じ く有 情 を救 護 す る た め に葱 怒 を も っ て 普 く難 調 な る輩 を殺 害 した と して も悉 地 が 獲 得 され よ う(20)。 仏 の 教 勅 な ど と有 情 調 伏 の行 為 を為 す な らば、 そ れが 過 失 を伴 う もの と はな らな い こと は薬 な ど と同 様 に、 悲 の力 に よ って 趣 入 す るか らで あ る と思 念 す る ので あ る(21)。 この 金 剛 部 自在 悉 地 タ ン トラ は次 の 如 くで あ る。 仏 の 教 勅 の 故 に、 有 情 を 清 浄 〔に作 す 〕 ため と、 有 身 者 に無 畏 〔を与 え る〕 た め、 仏 の 教 法 を 守 護 す るた め に 〔難 調 な る輩 を〕 降 伏 して服 従 させ るべ し(22)。 「仏 の教 勅 に よ って有 情 を清 浄 と作 す 」 と い うの は釈 し終 わ って い る。 「仏 法 を守 護 す る た め に」 と い うの は、 諸 仏 が説 示 さ れ た そ の 教 勅 を 有 情 が誰 で あ れ殊 更 に破 壊 し、「学 ぶ べ きで な い」 と言 っ て 殿 損 し、 順 世 外 道(Lokayata)な どの論 典 に う ま く誘 導 し、 また僧 院 や比丘 ・ 比 丘 尼 と正 法 な ど を滅 亡 させ る、 そ の よ うな難 調 に して 凶 悪 な る者 た ち を殺 害 す る こ とが仏 法 を守 護 す る こ とで あ る(23)。 三 宝 に仇 為 す 難 調 者 殺 害 の激 しい教 唆 は、 経 典 ・註 釈 書 の双 方 にお いて 明 瞭 で あ る。 これ は、 セ ム系 一 神 教 に固 有 の メ ン タ リテ ィ と は異 な って、
静 誼 に して 温 和 な精 神 性 が釈 尊 の説 い た仏 教 で あ り、調 和 を 重 ん じる精 神 性 が 密 教 の 特 長 で あ る とす る洋 の東 西 を問 わ ず 固定 観 念 と もな って い る イ メ ー ジが、 金 剛 乗 に は全 く当 て は ま らな い こ とを示 して い る。 金 剛 乗 の 説 示 はむ しろ イ ン ド仏 教 を滅 亡 させ た ム ス リム の精 神 性 と 「聖 戦」(jhad の教 義 に近 い と言 え よ う。 『真 実 摂 経 』 の 〈降 三 世 品 〉 お よ び 〈遍 調 伏 品 〉 へ の 釈 タ ン ト ラ、 Sarvadrrgatiparisodhanatantra(『 悪 趣 清 浄 タ ン トラ』)の 以 下 の説 示 か ら、金 剛 乗 が併 せ もつ伝 統 的 な戒 律 遵 守 の 態 度 と仏 法 に仇 為 す輩 に対 す る 調 伏 を 激 し く教 唆 す る説 示 の両 立 を見 る こ とが 出 来 る。 これ は ま た伝 統 的 な 不 殺 生 戒 な どに対 す る金 剛 乗 に 特 有 な違 逆 方 便(Viruddha-rpaya)と して の 殺 生 ・不 与 奪 ・妄 語 ・邪 淫 か ら成 る 「四律 儀 」 の 義 が 明 確 に説 か れ た箇 所 で あ る。 三 宝 と菩 提 心 と良 き グ ル を放 棄 して は い け な い。 生 け る者 を殺 害 して は い け な い。 与 え られ な い もの を 取 っ て は な らな い。 虚 偽 を語 っ て は い け な い し、他 人 の 妻 に近 づ い て はな らな い(24)。 仏 陀 の教 説 を破 し、三 宝 な どを殿 損 し、 グ ル を侮 蔑 す る輩 を 聡 明 な る 者 は鋭 意、 殺 害 す べ し。悲 か らマ ン トラ行 者 は マ ン トラ に よ って 三 昧 耶 を 憎 む 者 た ち、 非 法 な る者 た ち、 罪 に耽 る者 た ち、 常 に有 情 に危 害 を 加 え る者 た ち を殺 害 す べ し。悪 意 あ る者 た ち の財 を奪 つて惨 め な 有 情 た ち に与 え るべ し。 グ ル供 養 の た め、 同 様 に 三 昧 耶 を成 就 す る た め、 曼 茶 羅 に使 用 す る た め、 三 昧 耶 に属 す る者 の利 益 の た め と諸 仏 の 息 子 を礼 拝 す る た め に適 切 と考 え る な らば、 悪 意 あ る者 た ち の財 を取 る べ し。 有 情 利 益 を歓 ぶ 者 は三 昧 耶 と グル の所 有 と有 情 の命 を守 護 す る た め な らば 虚 偽 を 語 る こ と も許 され る。 マ ン トラ を知 る者 は成 就 法 の た め、 諸 仏 を 歓 ば せ 三 昧 耶 を 守 護 す る た め他 人 の 婦 女 に依 止 して も よ い(25)。 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 い さ さか 過 激 な手 段 に依 って で は あ る が、 こ こで 『悪 趣 清 浄 タ ン トラ』 が 社 会 的 弱 者 救 済 の発 想 を披 露 して い る の は金 剛 乗 が 培 っ た社 会 思 想 の一 端 を示 す もの と して 記 憶 され るべ き で あ る。 この傾 向 の中 で、 さ らに仏 教 タ ン トリズ ムが カ ー ス トヒ ン ドゥー の枠 か ら外 され た社 会 層(不 可 触 民 ・ 種 族 民)へ 接 近 して い くの で あ る。 こ の よ う に有 情 殺 害 の悉 地(maranasiddhi)と そ の 結 果 とな る人 肉 食 に よ る成 就 の方 便 は喩 伽 タ ン トラ 階 梯 で 既 に現 れ る こ と で あ り、 以 下 に vajrasekharamahaguhyayogatantra(『 金 剛頂 タ ン トラ』)か ら二 箇 所 を 引用 す る。 一 切 の生 類 す べ て を殺 す こ とが ど う して 福 徳 とな るの か。 お よ そ輪 廻 に縛 され て い る限 り有 が 尽 き る こ と に はな らな い。 こ の輪 廻 の牢 獄 に あ って は、有 情 が す べ て 抑 圧 され る(26)。 も し最 高 悉 地 の成 就 を欲 す るな らば 有 情 を 殺 害 し同 じ く喰 ら うべ し。 有 情 は貧 染 と言 わ れ、 言 説 や形 象 にす べ て執 着 す る。 〔こ う した 有 情 を〕 招 い て、 〔殺 し〕 喰 って しま え ば大 福 徳 が 獲 得 され よ う(27)。 次 に、『秘 密 集 会 』第 十 四 品 は、「阿 闇 梨 を誹 った り、あ るい は最 勝 の 大 乗 (金 剛 乗)を 嘲 った りす る者 た ち は努 め て殺 され て しか るべ きで あ る」(28)と 度 脱(tib. grol ba)を 宣 言 す る。 こ の 点 に 関 してHevajratantra(以 下
『二 儀 軌 』)の 註 釈書yogaratnamalaで は、 「難 調 な る輩(dusta)で あ る Kaulaた ち な ど」 と シ ャー ク タ(29)の一 派 が 名 指 しさ れ て い る如 く、 明 ら か に ヒ ン ドゥー タ ン ト リス トを筆 頭 に した 「難 調 な る輩 」 た ち が度 脱 の 対 象 と な って い る。 仏 教 タ ン トリス トのKaulaぬ の徒 に対 す る扱 い方 は、 『真 実 摂 経 」 の作 者 が 〈降 三 世 品 〉 に お い て、 金 剛手 菩 薩 に よ る難 調 な る大 自 在 天(Mahesvaraす な わ ちSiva)と 烏 摩 妃(Umaすな わ ちDurga)を 度 脱 す る説 話 の 思 想 的 延 長 線 上 に あ る と見 て よ い だ ろ う。 『真 実 摂 経 」 へ の 信 解 を もつ 『二 儀 軌 」 の作 者 な らば、 自分 た ち は 『真 実 摂 経 」 で行 わ れ
た シ ヴ ァと ドゥル ガ ー に対 す る 「天 上 の殺 獄 劇 」 を地 上 で実 演 す べ く説 い て い る に過 ぎ な い と語 るで あ ろ う(30)。この箇 所 で 我 々 は仏 教 タ ン ト リス ト と ヒ ン ド ゥー タ ン トリス トの問 の競 合 と近 親 憎悪 を 見 る こ と が 出 来 る(31)。 しか し、我 々 に 「善 悪 の 彼 岸 」 を垣 間 見 せ る金 剛 乗 の 「反 倫 理 」 的 教 説 の 紹 介 は この辺 で止 め て お く。 3. 肉食 と カ ー ス ト制 の 問題 こ こで、 仏 教 徒 の 肉食 に対 す る考 え方 の 大 きな 流 れ を簡 単 に振 り返 って お く。初 期 仏 教 は基 本 的 に は肉食 で あ った。 律 蔵 か らは、 行 乞 の比 丘 た ち は布 施 され た動 物 の 肉 を何 で あ れ 口 に して い た こ とが 明 らか に な る。 外 部 社 会 か らす る肉 食 へ の非 難 に対 応 を迫 られ た結 果、 彼 らは布 施 さ れ た 肉 が 「見 聞 疑 」 に抵 触 しな い 「三 種 浄 肉 」 で あ る限 りで 口 に して も よ い とす る 便 法 を 制 定 した。 この初 期 仏 教 以 来 の 肉食 の慣 習 につ いて は、 浮 ・不 浄 の 観 念 を 挺 子 に して 進 む 社 会 の ヒ ン ドゥー化 の 中 で、 部 派 が 肉 食 の禁 止 を打 ち 出 し、 いわ ゆ る大 乗 経 典 の多 くが厳 格 な 「肉食 の禁 止 」 を説 く方 向 に転 回 す る。 そ の 厳 格 な 肉 食 全 面 禁 止 は、 「この 経 典 に お い て は、 一 切 〔の 肉 食 〕 が あ らゆ る場 合 に、 いか な る便 法 も認 めず に す べ て 禁 止 さ れ る 」(32)と 説 く中期 大 乗 経 典 『入 榜 伽 経 』 〈遮 肉食 品〉 に集 約 的 表 現 を 見 る と お りで あ る。 マハ ー マ テ ィ(Mahamati)よ、 徳 行 あ る菩 薩 は過 失 か らで あ って さ え も、一 切 の 肉 を 食 す べ きで はな い。 マハ ー マ テ ィよ、 犬 と騙 馬 と螺 馬 と馬 と牛 と人 間 の 肉 等 は、 世 間 の 人 に と って 食 す べ きで は な い。 し か し、 マハ ー マ テ ィよ、 露 店 で、 屠 羊 者 た ち は利 得 の為 に 「それ ら は 食 うべ き もの で あ る」 と言 って販 売 す る。 故 に、 マ ハ ー マ テ ィよ、 菩 薩 は肉 を食 す べ き で は な い。 マ ハ ー マ テ ィ よ、 精 液 と血 か ら生 じる が 故 に、 清 浄 を願 う菩 薩 は 肉 を食 す べ きで はな い(33)。 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 マ ハ ー マ テ ィ よ、 ま た、 屍 林 に住 し、阿 蘭 若 処 や 非 人 の 住 処 や辺 境 の 地 や 庵 に ひ たす ら住 して 慈 心 を喜 ぶ 修 習 者 や喩 伽行 者 たち に と って は、 持 明 者(vidyadhara)た ち や 明呪 の成 就 を欲 す る者 た ち に と って は、 〔肉 食 は〕 明呪 の成 就 と解 脱 へ の障 擬 で あ るか ら、 ま た 大 乗 へ 趣 入 す う善 男 子 ・善 女 人 た ち に と って は、 一 切 の喩 伽 成 就 の 障 擬 で あ る と も 考 え られ るか ら、 マ ハ ーマ テ ィ よ、 自他 の利 益 を願 う菩 薩 は一 切 の 肉 を食 す べ きで はな い(34)。 この 引用 か ら は、 そ こ に出 る大 乗 楡 伽 行 者 の行 儀 と[大 塚 」2001]が 論 じる初 期 密 教 経 典 群 に現 れ る修 法者 の そ れ との類 似 が認 め られ る。 ま さ し く、[生 井1993]が 引 用 す る如 き大 乗 経 典 の 全 面 的 肉 食禁 止 の 説 示 と金 剛 乗 の阿 闇 梨 た ち が宣 説 す る肉食 の三 昧 耶 とは全 くの乖 離 を見 せ る(訪)。こ の 肉食 の三 昧 耶 は、 『真 実 摂 経 」 「教 理 分 」 に は ま だ見 られ な い。 金 剛 乗 の展 開 過 程 で 「秘 密 成 就 法 」 を模 索 して い た仏 教 徒 た ちが 採 用 した 実 践 で あ る' と考 え られ る。 タ ン トラ文 献 に お い て は、 人 体 か らの排 泄 物 と人 肉 を 組 に した 「五 甘 露 」 と並 ん で人 肉 を含 め た五 種 類 の動 物 の 肉が 「五 灯 明」 の名 で現 れ る(36)。『秘 密 集 会』 第 十 二 品 に は、 「大 肉 ・象 肉 ・馬 肉(37)・犬 肉 ・牛 肉 」 が セ ッ トで挙 げ られ て い る(ぉ)。『二 儀 軌」 〈飲 食 品 〉 を註 釈 した 『二 儀 軌. Bhavabhadra註 」 は以 下 の よ うに述 べ る。 〔聚 会 に お け る〕 食 物 が説 か れ て 「三 昧 耶 」 云 々 な ど で あ って、 三 昧 耶 は五 つ で あ り、 〔そ れ らは〕 牛 ・犬 ・象 ・馬 ・人 間 で あ る。「王 の米」 と は、 人 〔肉 〕 の三 昧 耶 で あ り、「王 の米 」 と 「骨 生 」 と い うの は 同 義 語 で あ る(39)。 金 剛乗 に特 有 な 「三 昧 耶 」 の用 法 が これ で あ る。 牛 ・犬 ・象 ・馬 ・人 間 (go-ku-da-ha-na)の 五 種 類 の 肉、 彼 らの符 牒 で 「五 灯 明 」 は、 仏 教 タ ン ト リス トが 摂取 しな けれ ば な らな い 「五 種 三 昧耶 」 で あ る。 他 方 で、 バ ラ
モ ン教 の下 で の社 会通 念 で は、 「犬 は動 物 の 中 で も最 不 浄 の類 」(『 マ ハ ー バ ー ラ タ』)Xii139)と され る。 従 って、 金 剛 乗 の展 開、 つ ま り仏 教 タ ン トリズ ムの 開 花 以 前 に は、 成 就 の手 段 と して 位 置 づ け られ た人 肉 を含 め た 肉食 の三 昧耶 の 説 示 は仏 教 史 の ど こ に も見 当 た らな い と断 言 で き る。 これ は ま さに 肉食 を巡 って 起 こ った イ ン ド仏 教 史 にお け る ヴ ェ ク トル変 化 を意 味 す る。 さ らに[下 田1997: 53 8註(39)]の 「ヒ ン ドゥー社 会 に 肉食 の忌 避 が 流 布 した の ち で も、 チ ャ ン ダ ー ラの み は いつ の 時 代 も肉 食 を して い る」 と の言 明 を考 慮 に入 れ る と、 中 世 イ ン ド社 会 の ダイ ナ ミズ ムの 中 で 金 剛 乗 が そ こに 「真理 の領 域 を限 定」 した(せ ざ る を得 な か った)社 会 階 層 が 想 定 さ れ る の で あ る(40)。 以 下 に 肉食 の禁 止 と関連 させ て、 チ ャ ンダ ー ラ な ど の卑 賎 種 の文 言 が 出 る箇 所 を 『入 樗 伽 経 」 か ら引用 す る。 マ ハ ー マ テ ィよ、 有 情 の驚 怖 を生 ず るが 故 に慈 心 を欲 求 す る修 行 者 な る菩 薩 は肉 を食 べ な い。 マハ ー マ テ ィ よ、 例 え ば 猟 師(domba)・ 栴 陀羅(caadala)・ 漁 者(kaivarta)等 の 漁 食 者 の 人 々 を、 遠 方 か ら で さえ認 め て 狗 は、 恐 怖 を も って 「彼 ら は、死 は至 れ り、 彼 ら我 らを 殺 す べ し」 と恐 怖 す る如 く、 マハ ー マ テ ィよ、 是 の如 く他 の空 中、 地 上、 水 中 に住 す る微細 な る生 類 は 肉食 者 の近 づ くの を 見 て は、 遠 方 よ り鋭 敏 な る鼻 を以 て羅 刹 の 如 き香 を嗅 ぎ この人 々 を走 遁 す る。 彼 等 は 死 の使 い で あ る(41)。 修 行 者 は肉 を食 うべ か らず。 我 お よ び諸 仏 に よ り禁 じ ら れ る。 有 情 は相 互 に 啖 食 し、 肉 食 族 に 生 ず。 悪 臭 が あ っ て 賎 し む べ き 頓 狂 者 (unmatta)と して生 まれ る。 栴 陀 羅 ・プ ッ カ サ(Pukkasa)族、 あ るい は ドー ンバ に繰 り返 し 〔生 ま れ る〕(42)。 喩 伽 行 者 は教 法 を 説 くべ し。 これ はま さ に諸 仏 の橦 幡 で あ る。 ま た布 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 で漉 した水 を飲 み、 腰 帯 を結 び、 規 定 の時 に、 賎 種 の 家(nica)を 離 れて 乞 食 す べ し(43)。 肉 食 者 は羅 刹 の 如 く想 念 さ れ る不 可 触 民 と して 繰 り返 し生 ま れ る と警 告 され て い る。 また 肉 食 者 と さ れ る賎 種 は い わ ゆ る大 乗 教 徒 が 行 乞 の際 に避 け るべ き対象 で あ る。 以 上、 中 期大 乗 経 典 『入 樗 伽 経 』 を検 討 して きた が、 そ れ と同 じ精 神 性 を 示 す次 の 『蘇 婆 呼 童 子 経 』 の文 言 は、 初 期 密 教 経 典 に出 る密 教 徒 た ち の 社会 制度 観 と して の 強 固 な 「内 な る カ ー ス ト」 の 枠組 を示 す もの で あ る。 も し五 辛 酒 肉 の家 が あ れ ば、 真言 を修 行 す る者 は、例 え一 劫 に飢 餓 の 苦 を受 け る と して も、決 して こ こで食 して はな らな い。 何 故 か と言 え ば、 栴 陀 羅 と共 住 す るの と異 な らな い か らで あ る。 ま た 門首 を 往 来 し て も、 そ ゐ者 と話 して はい け な い。 食 べ る こ とな ど もって の外 で あ る。' も し食 を 口 にす れ ば、 そ の者 と行 動 を共 にす るの と何 ら異 な る と ころ は な い。 〔そ れ を〕 浮 行 と は呼 ば な い し、 また 栴 陀 羅 と同 じで あ る(44)。 (漢訳 『蘇 婆 呼童 子 経 」) 外 教 徒 と 〔一 緒 に〕 住 す る こと、 ま た 〔彼 らと諸 々 の〕 論 争 も して は い け な い。 栴 陀 羅 な ど の悪 い種 姓 の者(不 可 触 民)と マ ン トラ念 謂 者 は 〔共 に〕 話 して は な らな い(45)。(『蘇 悉 地 経 』 〈持 戒 品第 七 〉). 引 用 箇 所 か ら、 『蘇 婆 呼 童 子 経 』 の密 教 徒 た ち は、 不 可 触 民(五 番 目 の ヴ ァル ナ)と して の施 陀 羅 を 無 条 件 的 な 差 別 ・排 除 の 対 象 と して 捉 えて い る こ とが わ か る。[小 谷1999: 78]に よ れ ば、 チ ャ ンダ ー ラ と は、 正 統 派 バ ラモ ンか ら見 て、 「実 体 視 され た繊 れ」 が代 々 に わ た っ て 身 につ い て 決 して取 り除 く こ とが 出来 な い 社 会 的 身 分 と して の 存在 で あ る。 この 「実 体 視さ れ た稼 れ」 を体 現 した チ ャ ン ダ ー ラ と の 接 触 は稼 れ の 伝 染(46)を意 味
し、社 会 的 接 触 の 罪(Samsargadosa)を 招 来 す る こ と とな る。 故 に、 『蘇 婆 呼 童 子 経 』 の密 教 徒 た ち は布 教 目 的 で あ って さ え不 可 触 民 と の 接 触 を避iけた の で あ ろ う。 バ ラモ ン教 に お いて は、 シ ュー ドラ は上 位 三 ヴ ァル ナ の よ うな再 生 族 で はな くて も、 ヴ ァル ナ制 度 内 の存 在 と して認 め られ て い るの で あ り、シ ュー ドラ まで が 人 間 と して の許 容 範 囲 だ と考 え て い る 『蘇 婆 呼 童 子 経 』 の仏 教 徒 た ち は、 カ ー ス トヒ ン ドゥー が堅 持 した基 本 的 な社 会 構 造 の 枠 組 に忠 実 で あ つ た こ とが わ か る(47)。この よ うに初 期 密 教 経 典 群 の 全 体 を通 じて、 密 教 行 者 た ち は常 に 「五 辛 酒 肉 」(48)「婦 女 」 か ら遠 ざ か る律 儀 を 執 持 して、 「當 に須 く殺 盗 ・邪 淫 ・妄 語 ・綺 語 ・悪 口 ・両 舌 を遠 離 」(49)する声 聞 乗 的 な意 味 で の求 道 者 的 な仏 教 徒 で あ る。 こ こで そ れ と対 照 させ て、 カ ー ス ト(varna-jati)思 想 につ い て の 仏 教 タ ン ト リス トの原 則 的立 場 を 示 す た め に、 『二 儀 軌 」 〈行 品〉 の偶 頗 お よ び そ れ に対 す る註 釈 書ylogaratnamalaを 引 用 す る。 ヘ ー ル カ楡 伽 を行 ず る行 者 に と って の経 巡 る こ と とは、 五 つ の種 姓 に 対 して で あ る。 しか しな が ら、そ れ も、 五 種 姓(第 五 の種 姓)を 併 せ もつ ひ とつ の種 姓 に す ぎな い と考 え られ る。 多 様 な別 の種 とか 同 じ種 で あ る とか の 区別 は特 徴 づ け られ な いか らで あ る(50)。 「経 巡 る こ と」 とは、 乞 食 な どの遊 行 で あ る。 「五 種 姓」 と は、 〔と く に〕 最 も卑 賎 な者 た ち で あ るか、 あ るい は五 つ の種 姓 〔の全 体 〕 で あ る。 次 の よ うな真 実 を悟 る か らで あ る。 愚 鈍 さ な ど の悪 い性 質 と結 び つ い て い る と い う点 で そ うな の で あ つて、 本 質 と して は ま さ し く同 じ 種 な の で あ るか ら。 なぜ な ら 「多 様 な別 の 種 とか 同 じ種 で あ る とか の 区 別 は特 徴 づ け られ な いか らで あ る」。異 な った 種 類 の生 き物 た ち は 各 別 の外 観 〔を 具 え て い る〕 ので あ る。 そ れ は象 や 馬 や 鳥 が そ うで あ る如 くで あ る。 同 じ種 類 〔に属 す る もの〕 た ち は ま さ に同 じ外 観 〔を 具 え て い る〕。ち ょ う ど牛 は牛 た ち、象 は象 た ち の如 くで あ っ て、 そ の 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 故 に諸 々 の種 姓 は無 差 別 な る もの で あ り、相 互 に別 の種 類(vijatiya) で は な い。 外 観 が等 しい か らで あ る。実 に世 間 的 な言 語 習 慣 と して さ え、 諸 々 の種 姓 とは ひ とつ の種 姓 で あ る こ とが成 立 して い るの で あれ ば、 喩 伽 行 者 の世 俗 の見 に つ い て は言 わ ず もが な で あ る。 無 始 の輪 廻 に お いて は、 す べ て の もの はす べ て の種 姓 〔と して存 在 〕 す るか らで あ る(51)。 『チ ャク ラ サ ンヴ ァ ラ」 系 の 『Abhidhana最 上 タ ン ト ラ』 か ら は、 上 位 カ ー ス トの 出 自 を も つた仏 教 タ ン トリス トた ちが 意 識 的 に不 可 触 民 に近 づ く姿 勢 が 窺 わ れ る。 大 喩 伽 を 執 持 す る勇 者(Vira)た ち は い ず この地 域 に で も止 住 す る の で あ り、 チ ャ ンダ ー ラや 種 族 民 に 満 ち て い る と して もそ の 地 域 を選 ぶ べ し。我 は有 情 を摂 受 す る と い う理 由 で か の 地 を 常 に願 う の で あ る(52)。 以 上Y三 つ の面 か ら、『真 実 摂 経 』 出現 の延 長 線 上 に、 そ れ ま で の 伝 統 的 な仏 教 思 想 の枠 組 につ いて、 そ の 解 釈 上 に根 本 的変 化(パ ラ ダイ ム シ フ ト)が 生 じた こ とを早 足 で 見 て きた。 中 期 大乗 経 典 や初 期 密 教 経 典 が説 く 律 儀 と金 剛 乗 の三 昧 耶 の 全 き乖 離 は、両 者 の思 想 性 の ヴ ェ ク トルが 正 反 対 と な って い る事 態 を疑 問 の余 地 な く示 す。 つ ま り、筆 者 が 提起 した問 題 は、 それ が 修 法 論 に お け る象 徴 主 義 的 な傾 向(「 真 言 理 趣 」)、つ ま りイ ン ド密 教 内 部 に お け る変 化 に留 ま る もの で は な い こ とは 明 らか で あ って、 金 剛 乗 の出 現 と展 開 は釈 尊 以 来 の イ ン ド仏 教 史 に お け る大 激 変 を意 味 す る の で あ る。 同 じ く沙 門 の 宗 教 と して 出発 した温 和 な二 頭 の 「沈 黙 の 羊 た ち」、仏 教 と ジ ャイ ナ教 が、 一 方 は反 ム ス リム軍 事 戦 略 を夢想 す る 「戦 闘 的」な 『カー ラチ ャ ク ラ』 に まで 観 念 の世 界 で 爆 発 的 多 様 化(佐 々木 閑)を 遂 げ て イ ン
ド亜 大 陸 か ら消 滅 し、他 方 は思 想 の根 底 部 分 で お よそ 変 化 す る こ と な く、 現 代 も イ ン ドで命 脈 を保 って い る と い う事 実 が あ る。 『カ ー ラ チ ャ ク ラ」 の サ ー ク ル に特 徴 的 な軍 事 戦 略 的 夢 想 に思 い を馳 せ る と き、 幾 世 紀 に も亘 り大 き く発 展 し、世 俗 的 国 家 権 力 を も膝 下 に納 め た 「世 界 宗 教 」 の名 を冠 さ れ る複 数 の 宗 教 も、 そ の当 初 は特 定 個 人 の脳 裏 に結 ば れ た 「夢 想 」 に過 ぎな か った と も言 い得 る ことで あ る。 この 問題 を視 野 に入 れ た金 剛 乗 の宗 教 思 想 史 的 検 討 は今 後 の課 題 で あ る。 3金 剛 乗 の 阿 閣 梨 に よ る イ ン ド仏 教 の 教 判 『真 実 摂 経 』 は四 大 品 の 各 品 末、 教 理 分 各 品 末、 お よ び 終 末 な ど(53)で、 「善 説 され た この経 典 は無 上 な る金 剛 乗 で あ り、 一 切 如 来 の 秘 密 で あ り、 大 乗 を集 約 した もの で あ る」(54)と宣 説 して、 自 らの 思 想 内 容 と実 践 体 系 を 「金 剛 乗 」(Vajrayana)の 語 で締 め括 って い る。 自 らが 打 ち 出 した新 た な 思 想 内容 と実 践 体 系 が イ ン ド仏 教 史 に もつ 位 置 の 自覚 に 立 つた 『真 実摂 経」 の大 胆 な 自 己規 定 は、 同 経 を註 釈 す る阿 闇 梨 た ち に し っか り と把握 され た。 例 え ばAnandagarbhaはTattvalokaの 中 でtirthika(外 教 徒 ・外 道)(55) を 釈 して以 下 の よ う に まで言 い切 って い る。 「外 教 徒 」 と は、 声 聞 や 独 覚 や 仏 乗 を喜 ぶ 経 量 部 で あ り、 般 若 波 羅 蜜 乗 の み に住 す る者 は 〔そ れ と は〕 別 な外 教 徒 で あ って、 金 剛 乗 の辺 際 に依 止 しな い が故 で あ る(56)。 Anandagarbhaに も っ と も先 鋭 な 表 現 を 見 る こ の傾 向 に属 す る註 釈 家 た ち は、 自分 た ち の信 解 こそ が大 乗 の 内 で も最 勝 な る金 剛 の 如 き大 乗 で あ る とす る だ け に留 ま らな い。 彼 ら は 『真 実 摂 経 』 の宣 言 が 含 意 す る もの を 明 瞭 に して 教 判 を行 い、 大 乗 を 自 らの 信 解 で あ る金 剛乗 とそれ以 前(以 外) の波 羅 蜜 乗 とに二 分 す る。 この論 法 に 依 れ ば、 金 剛乗 はた だ 最 優 位 な の で 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 は な い。 唯 一 絶 対 な の で あ る。 金 剛乗 の み が大 乗 の名 に値 す る教 説 とな り、 そ れ以 外 の教 説 と実 践 体 系 の 自立 性 は財 め られ る。 これ が 教相 判 釈 の論 理 で あ る。 ま さ し く この 『真 実 摂 経 」 の解 釈 学 派 が抱 い た研 ぎ澄 ま され た 峻 別 の論 理 に お い て金 剛 乗 が乗 と して成 立 し、受 け継 が れ て行 った と言 え る の で あ る。 金 剛 乗 の そ の後 の展 開 で は、 阿 閣 梨 た ち が 自 らの思 想 と そ の実 践 体系 を 「真 言 乗 」(Mantrayana, tib. sngags kyi theg pa)「 金 剛 大 乗 」 「真 言 大 乗 」 な ど の名 の下 に別 立 して、 自分 た ち の信 解 や実 践 と は異 な るそ れ以 前 の体 系 を 「波 羅 蜜 乗 」 の名 で 措 定 し、 そ れ を 「通 大 乗 」 と して疑 め て い る 箇 所 は文 献 にお いて 数 多 く見 られ る。 Bhavyakirti はPradipokdyotanabhisamdhiprakasika-nama-vcyakhyatika (『灯 作 明 複註 』)の 冒頭 で以 下 の よ うに説 い て い る。 す な わ ち真 言 乗 の 行 を 具 足 す る者 は難 行 や 禁 戒 に依 止 しな い の で あ っ て、 その 者 た ち は五 妙 楽 に よ る行 で真 実 を獲 得 す るか らで あ る。(略) 即 ち大 乗 者 たち は利 根 で は な くて、 そ の者 た ち の浄 信 な ど の徳 は 〔真 言乗 の 行 を 具 足 す る者 よ り も〕 劣 って い るか らで あ る。 つ ま り、世 俗 の身 体 が不 浄 で あ る限 り、 俗 で は な い金 剛 身 を 標 幟 とす る仏 位 は得 ら れ な いの で あ る。 そ れ は また 大 乗 に も無 いの で あ って、 尊 格 の修 習 が 無 い か らで あ る。 本尊 を 修 習 しな い の は 利 根 で は な い か ら で あ る。 (略)そ の 故 に真 言 乗 に対 す る器 とな って い る喩 伽 行 者 た ち は利 根 で あ る。大 乗 者 た ち もま た こ こ に摂 受 す べ きで あ って、 〔誰 で あ れ 〕 真 言 大 乗 の器 と して相 応 しい の で あ って、 果 につ いて は差 別 は無 い か ら で あ る。(略)須 くこ の大 乗(真 言 乗)に 入 る な らば 〔声 聞 ・縁 覚 ・ 菩 薩 な ど の〕 三 者 もま た真 言 大 乗 の 器 に相 応 し くな るで あ ろ う。(57)。 Anandagarbhaが 峻 別 の 論 法 を 前 面 に 打 ち 出 して い る の に 対 して、
Bhavyakirtiは 包 摂 の論 法 を 出 して い るか の よ うで あ る。 伝 統 的理 解 に よ れ ば、 す べ て の 種 姓(gotra)の 者 が 同 じ く大 乗 に趣 入 す る こ と を 指 して 「一 乗 」 と言 うの で あ るか ら、 こ こで は 「大 乗」 の 位 置 を金 剛 乗 が 襲 っ て い る こ と は明 らか で あ る。 4 真 言 乗 に つ い て 本 稿 で は これ まで 「密 教 」 な る用 語 を定 義 す る こ とな く使 用 して き た。 と ころ で、 イ ン ド仏 教 に は、 密 教(esoteric Buddhism)に 相 当 す る厳 密 な定 義 を もつ サ ン ス ク リ ッ ト術 語 は存 在 しな い(58)。しか し、近 い概 念 と し て は[松 長1980: 24]が 詳 説 して い る如 く、六 波 羅 蜜 を修 法論 の 骨 格 と す る従 来 の宗 教 実 践 に対 して、 新 た に興 った 象 徴 主 義 の傾 向 を もつ 思 想 ・修 法 体 系 は、 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』 の 中 でmantranaya(tib. gsang sbgaga pa'it shhul「 真 言 理 趣 」)の 名 で 呼 ば れ て い た こ と が わ か る。 そ の 後 Buddhaguhyaを 嗜矢 とす る多 くの 論 師 に よ って、 大 乗 を 有 情 の 機 根 に基 づ いて 「波 羅 蜜 門 よ り入 る行 」 と 「真 言 門 よ り入 る行 」 の二 つ に分 け る分 類 法 が 提 唱 さ れ て い る。 これ らは主 に修 法 論 にお け る二 分 法 で あ り、 マ ン トラ読 調 や観 想 に代 表 され る象徴 主 義 的 傾 向 の修 行 法 が 出現 した初 期 密 教 に対 して は もち ろ ん、 金 剛 乗 の 全 史 に も当 て は め られ得 る分 類 法 で あ る(59)。 次 に、 既 に 出 た 「真 言 乗 」 の 用語 は、 無 上 喩 伽 階 梯 も後 期 に入 って十 一 世 紀 以 降、 タ ン トラや論 師 た ち の教 判 を述 べ た論 書 に多 く現 れ る もの で あ る(60)。しか し、 これ は金 剛乗 が確 立 され た 時 代 か ら過 去 を振 り返 って す る 要 約 で あ り、 金 剛 乗 に 裏 打 ち され た 概 念 で あ る こ と は 以 下 に 引 用 す る Sradhakaravarman作yoganuttaratantrarthavatarasamgraha(『 無 上 喩 伽 タ ン トラ義 入 集 』)(61)から も明 らか で あ る。 そ の(出 世 間 の三 乗 で あ る声 聞乗 ・独 覚 乗 ・菩 薩 乗 の)内、 菩 薩 乗 に つ いて も二 種 で あ り、地 や波 羅 蜜 乗 と秘 密 真 言 で あ る果 の 金 剛 乗 で あ 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 る(62)。 一 方、 秘 密 真 言 で あ る果 の 金 剛 乗 は真 実性 に お い て語 り、 利 根 者 の た め に説 か れ て い るが 故 に地 や 波 羅 蜜 乗 よ り特 に優 れて い るの で あ って、 真 実 義 が 不転 倒 で 困 難 無 く して 速 疾 に成 就 され る故 で あ る(63)。 そ れ(秘 密 真 言 で あ る果 の 金 剛 乗)は 真言 乗 と も名 づ け られ て お り、 マ ン トラ と印 契 に よ って 諸 悉 地 を成 就 す る故 と、 そ れ に よ り意 を救 護 し輪 廻 の苦 か ら難 な く速 疾 に解 脱 す る故 と、声 聞 な ど の劣 慧 の 者 た ち を 驚 愕 させ るが 故 と、 諸 仏 諸 菩 薩 に讃 嘆 され供 奉 され讃 仰 され る故 と、 真 実 義 を不 転 倒 に説 示 す るな どの 故 に 真言 〔乗 〕 で あ る㈹。 次 に秘 密 真言 乗 の 〔三 〕 蔵(tripitaka)は 三 乗 に は属 さ な い と 主 張 され て、 そ れ は持 明 蔵 と い う名 で 知 られ て お り、菩 薩 の 〔三〕 蔵 と は 別 な むの で あ る(65) ま さ し く こ こで述 べ られ て い る如 く真言 乗 の 内実 は金 剛乗 以 外 の 何 もの で も な い。 当 然 な が ら、Sraddhakaravarmanは 真 言 乗 を 初 期 大 乗 経 典 『法 華 経 』 以 来 の伝 統 的 な三 乗(声 聞 ・縁 覚 ・菩 薩 乗)の 枠 組 内 の 菩 薩 乗 に押 し込 め る。 この 論 法 は. AdvatavahraやRatnakarasanti(66)が と っ た もの と同一 で あ る。後 期仏 教 綱要 書 に 見 られ るイ ン ド仏 教 の系 統 的 理 解 の 試 み を[生 井2000: 163]は 以 下 の よ うに纏 め る。 Advayavajraは、Tattvaratnavaliに お い て、 一 乗 を 三 乗 に 分 け て 説 き、 大 乗(Mahayana)を 波 羅 蜜理 趣(Paramitanaya)と 真 言 理 趣(Mantranaya)の 二 種 に分 類 す る。 そ の各 々 に 中観 と唯 識 と い う 二 つ の思 想 的立 場(sthiti)を 相 当 させ る。 そ の分 類 は、 大 乗 の 細 分 化 とい うよ り は、分 類 の 基 準 が異 な る別 構 造 の枠 組 み と捉 え られ る べ
きで あ ろ う。 〈乗 〉 と い う初 期 唯識 以 来 の分 類 と、真 言 と波 羅 蜜 と い う行 の形 態 の分 類 と、思 想 的 完 成 を 見 た四 つ の 学 派 的 立 場 と い う、 そ れ ぞ れ の局 面 が統 合 化 して系 統 化 す る際 に、 そ の よ うな 組 織 化 が な さ れ た。 後 期 仏 教 綱 要 書 で は、 イ ン ド仏 教 の総 体 が三 種 の異 な った分 類 の 枠 組 に よ つて体 系 化 され て い る と述 べ る生 井 博 士 の見 解 は卓 見 で あ る。 「乗 」 に 関 して[生 井2000: 164-165]は、 波 羅 蜜 乗 に対 す る 「『金 剛 乗 」 と い う 用 例 で 〈乗 〉 の語 が使 用 され る の は、 本 来 の一 乗/三 乗 と い う 問 題 意 識 と は別 個 の脈 絡 に あ る」 と指 摘 し、「乗 」 が 「HaribhadraゃKamalasilaに と つて も」 『法 華 経 」 の一 乗 思 想 の解 釈 学 的 問題 で あ る と述 べ る。 従 って、 後 期 仏 教 の論 書 は 〈一 乗 ・三 乗 〉 の 脈 絡 にお け る菩 薩 乗 の 内 に、 顕 密 差 別 の文 脈 を 取 り込 ん だ もの と言 え る(67)。Advayavajraを 始 め とす る後 期 仏 教 綱 要 書 を 著 した論 師 た ち が行 った よ う に、 伝 統 的 な三 乗 の枠 組 に準 拠 し て行 の形 態 と学 派 的 立 場 を統 合 して構 成 した 体 系 は、 た しか に イ ン ド仏 教 自 らが行 った ひ とつ の総 括 とな る もの で あ る。 しか し我 々 が 思 想 運 動 体 と して の イ ン ド仏 教 を トー タ ル に把 握 した い場 合 に は、 これ で は あ ま りに も ス テ レオ タイ プ で あ る。 例 え ば 「乗 」 の 問題 に 関 して は、Sraddhakarav armanが い み じ く も述 べ て い る よ うに、 真 言 乗 の三 蔵 が三 乗 に は 属 さ ず、 菩 薩 乗 の そ れ と も別 とす れ ば、 経 ・律 ・論 を具 え持 つ真 言 乗 が 乗 と して 自 立 して い る こ とは 明 らか で あ る。 声 聞 乗 が 三 蔵 を も つて 自立 して い る とい う意 味 で 独 覚 乗 な る もの の 存 在 を 筆 者 は知 らな い。 この三 蔵 を 具 え て い る 点 か ら して も、声 聞 乗 と菩 薩 乗(波 羅 蜜 乗)に 対 して真 言 乗 で あ る金 剛 乗 は実 体 の な い独 覚 乗 に代 わ り三 乗 の 内 の立 派 な乗 と言 え る もの で あ る(68)。 さ ら に、 先 に述 べ た如 き三 つ の 観 点 か ら、金 剛 乗 と して括 られ る思 想 傾 向 とそ の 実践 に よ っ て表 現 され る イ ン ド仏 教 史 上 の ヴ ェ ク トル変 化 を念 頭 に置 くと、後 期 仏 教 綱 要 書 に見 られ る 「三 乗 建 立 」論(triyanavyavasthana) は、 人 間存 在 を突 き動 か す 生 きて働 く 「思 想 」 を 傍 らに放 置 して、 教 義 的 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密 教 文 化 学 派 的 立 場 の 相 違(69)につ い て の 論 議 に終 始 す る狭 い ス コ ラ 的 ・静 態 的 (static)体 系 化 に思 わ れ る。 仏 教 学 を 教 理 研 究 の み に 限 定 す る な らい ざ 知 らず、 この 体 系 化 で は、 古 代 か ら中 世 へ と優 に千 年 を越 え る タイ ム スパ ンで、 「出世 問」 を標 榜 しな が ら も、社 会 経 済 構 成 の 激 変 に 翻 弄 さ れ た バ ウ ダの世 界 の 精 神 的 志 向 性 と い う思 想 の土 台 は全 く捉 え るこ とが出来 な い。 以 上 を 要 約 す る と、 後 期 密 教 の時 代 か らす る教 判 で は、 三 乗 内 の 菩 薩 乗 の下 位 概 念 に 位 置 づ け られ た 「真 言 乗 」 が、 内 実 は 金 剛 乗 で あ る こ とが Sraddhakaravarmanの 論 書 か ら も明 らか で あ る。従 って、 最 大 公 約 数 的 に イ ン ド密 教 の全 体 を 指 す 場 合 に は、 「真 言 理 趣 」 が 妥 当 で は あ ろ う が、 筆 者 に は、 初 期 密教 に お いて 修 法 論 に基 づ い て 出 され た 用 語 で あ る 「真 言 理 趣 」 「真 言 道 」 で は、 そ の 枠 が 余 り に も狭 小 だ と思 わ れ る。 と も あ れ 「真 言 理 趣 」 以 外 に は、 イ ン ド密 教 の全 体 を指 す サ ン ス ク リ ッ トに跡 づ け られ る用 語 は存 在 しな い。 イ ン ド密教(「 真 言 理 趣 」)自 体 が 金 剛 乗 の以 前 と以 後 で は 当為 と して社 会 的 に依 って立 つ基 盤 や思 想 内容 ・精 神 性 を大 き く異 にす る か らで あ る。 ま と め と展 望 これ まで、 「金 剛乗 」 の語 を 初 あ て 出 し革新 的 な 内容 を もつ 『真 実 摂 経 』 の 出 現 を も って、 イ ン ド密 教 の み な らず、 そ れが リ ンクす る イ ン ド仏 教 史 を も画 す る筆 者 の 見 解 を 述 べ て き た。Anandagarhbaな ど の 註 釈 家 は 『真 実 摂 経 」 が宣 説 す る 「最 勝 の大 乗 」 で あ る との 自 己規 定 を 祖 述 した に 止 ま らず、 さ らに踏 み 込 ん で、 「大 乗 」 を金 剛 乗 と波 羅 蜜 乗 の 二 種 に 教 判 した の で あ る。 思 想 史 的 に言 え ば金 剛 乗 の誕 生 で あ る。後 期 仏教 綱要 書 は、 この パ ラ ダイ ム シ フ トが 既 に生 じた後 の時 代 にお け る仏 教 教 理 の体 系 化 で あ る。 従 っで 我 々 に要 請 され る こ と は、 イ ン ド仏 教 と い う思 想 運 動 体 が も った大 枠 と して の三 乗、 つ ま り声 聞 乗(部 派 仏 教)・ い わ ゆ る 「大 乗 」
と して の 波 羅 蜜 乗(初 期 密 教 を含 む)・ 金 剛 乗 の 問 題 と、 い わ ゆ る 顕 教 (波羅 蜜 理 趣)と 密 教(真 言 理 趣)の 対 弁 あ るい は統 合 の論 理(70)が指 し示 す 教 理 面 で の顕 密 の 問題 とを 階 層 ・論 理 空 間 別 に 「腋 分 け」 して、 厳 密 に 論 議 を進 め る こ とで あ ろ う。 それ と関連 して、 こ こで 「金 剛乗 」 と 「仏 教 タ ン トリズ ム」 につ い て、 筆 者 が もつ 『真 実 摂 経 」 を 回転 軸 に した両 者 の概 念 上 の区 別 を明 確 に して お き た い。 先 に引 用 した如 く、各 章 品 の末 で、 自 らの 思 想 傾 向 を 「金 剛 乗 」 と名 乗 る 『真 実 摂 経 」 が名 実 と もに金 剛乗 の 出発 点 に位 置 す る こ と は明 らか で あ る。 ま さ し く 『金 剛 頂 楡 伽 十 八 會 指 帰 」 が 明 示 す る とお り に、 『真 実 摂 経 』 が 『金 剛 頂 経 」 初 会 に位 置 す る。 そ の点 か らす れ ば 金 剛 乗 は一 般 に為 され る タ ン トラ分 類 法 で は、 楡 伽 部 と無 上 喩 伽 部 の両 階 梯 に跨 る こ と に な る。 イ ン ド密 教 の 中 で 金 剛 乗 の歴 史 を別 立 す れ ば、 『真 実 摂 経 」 が 根 本 典 籍 の 位 置 を 占 め、 そ こか ら 「大 喩 伽 タ ン トラ」 「楡 伽 女 タ ン トラ」 へ と続 く。 この よ う に して 『カ ー ラチ ャク ラ ・タ ン トラ』 に到 る まで の す べ て の タ ン トラ文 献 が 『真 実 摂 経 」 の続 タ ン トラに位 置 づ け られ る こ と とな る。 ま と め る と、 金 剛 乗 は 『真 実 摂 経 」 を も つて始 ま るが、 『秘 密 集 会 」 の 成 立 を もっ て 開 花 す る仏 教 タ ン トリズ ム に と って は、 『真 実 摂 経 』 は そ の 形 成 の 開 始 と して位 置 づ け られ る。 さ ら に こ こ で、 『真 実 摂 経 』 の 註 釈 書 を 著 し て い るBuddhaguhya Sakyamitra,Ababdagargbaが 同経 は言 う に及 ば ず、 そ れ 以 前 に 成 立 し た 初 期 密 教 経 典 群 を もお しな べ て 「タ ン トラ」 の名 称 で 呼 ん で い る事 実 を 重 視 しな け れ ば な らな い。 彼等 は 『真 実 摂 経 」 以 前 か ら存 在 した、 六 波 羅 蜜 に基 づ く修 法 論 とは別 な象 徴 主 義 的 傾 向 が 生 み 出 した聖 典 に も 『真 実 摂 経 」 の 信 解 者 が採 用 した 「タ ン トラ」 の 用 語 を押 しつ け た の で あ る。 従 っ て イ ン ド密 教 全 体 の カ ヴ ァー を 意 図 した 「タ ン トラ分 類 法 」 を論 ず る限 り、 そ れ は金 剛 乗 の枠 内 に包 摂 さ れ る こ とを 意 味 す る こ とを忘 れて はな らな い。 我 々 は意 識 す る こと な く金 剛 乗 が造 成 した 土 俵 に上 が って い るの で あ る。 金 剛 乗 と イ ン ド 仏 教 史
密
教
文
化
後 期 密 教 時代 の イ ン ド僧 や、 教 判 にお け る彼 らの根 本 的 な 前 提 を 受 け継 い だ プ トゥ ン(Buston Rin chen grub1290-1364)な ど の チ ベ ッ ト人 学 匠 が、 イ ン ド密 教 聖 典 を す べ て タ ン トラ と して分 類 した こ とか ら、 現 在 で も欧 米 の仏 教 学 研 究 者 はイ ン ド密 教 と仏 教 タ ン ト リズ ム を 同 義 とす るの が 一 般 的 で あ る。 しか し、先 に提 出 した三 つ の メル クマ ー ル(分 類 指 標)か ら も明 らか な よ うに、 金 剛 乗 成 立 以 前 と以 後 で は、 イ ン ド密 教 史 さ らに は イ ン ド仏 教 史 は思 想 の質 を異 にす る。 つ ま り、金 剛 乗 成 立 は イ ン ド仏教 に お け る新 た な 「地 溝 帯 」 の 出現 を意 味 す る。 確 か に初 期 密 教 経 典 群 に属 す る 『菱 咽 耶 経 」 『蘇 婆 呼童 子 経 』 『蘇 悉 地 掲 羅 経 』 は タ ン トラの名 称 を もつ。 ま た如 来 蔵 を説 く論 典 『究 寛一 乗宝 性論 』 も同 じで あ る。 しか し本 稿 で論 じた観 点 か ら、仏 教 タ ン ト リズ ム が言 え る の は 『真 実 摂 経 』 か らにす ぎ な い ことが 導 き 出 さ れ る。 こ の思 想 史 的事 実 を無 視 す れ ば、 イ ン ド中 世 社 会 に生 じた社 会 的 ・思 想 的 地 殻 変 動 とそ れ を 受 けて 成 立 した で あ ろ う 『真 実 摂 経 』 に始 ま る 「戦 闘 的 」 な金 剛 乗 が、 初 期 密 教 に対 して 新 た な 段 階 を画 した こ と、 他 方 で、 初 期 密 教 徒 た ち の根 底 にあ る思 想 性 は 「波羅 蜜 乗 」 の そ れ と同 質 で あ る こ と、 同 時 に、 金 剛 乗 が 初期 密教 を 「下 の タ ン トラ」 に位 置 づ けて 取 り込 ん だ こ と に よ って、 初 期 密教 の全 体 を も金 剛乗 の 歴 史 の 構 成 部 分 に した こ と と言 っ た思 想 史 的 脈 絡 は隠 蔽 され て しま う。 この よ うな 一 部 学 者 た ち の平 板 な観 点 で は、 金 剛 乗 の成 立 に よ って、 象 徴 主 義 的 な 修 法 傾 向 と して 出 発 した イ ン ド密 教 が いわ ゆ る小 乗 と大 乗 に対 して 自立 を 果 た した こ と、 さ ら に現 在 知 られ て い る 「タ ン トラ分 類 」 は実 は金 剛 乗 の行 っ た教 判 で あ る こ とが 正 し く把 握 で き な い で あ ろ う。 『真 実 摂 経 』 が開 い た新 た な地 平 を突 き進 ん だ 阿 闇梨 た ち が、 いわ ゆ る 「大 乗 」 を 金 剛 乗 と波 羅 蜜 乗 と に教 判 し、 そ の こと で も っ て 金 剛 乗 を 声 聞 乗 ・波 羅 蜜 乗 と並 び立 つ乗 と して 自立 させ た とい うの が イ ン ド仏 教 史 の思 想 的 枠 組(framework)で は な い だ ろ うか。 一 般 に 「大 乗 か ら密 教 へ の 展 開 」 が論 じ られ る。 しか し、本 稿 で述 べ た よ うな社 会 的 ・思 想 的 文脈 に
お い て は、 思 想 的 に 同 じ階 層(stratum)に あ る 大 乗(波 羅 蜜 乗)か ら 初 期 密 教 経 典 の 展 開 は 論 じ る こ と は 出 来 て も、 階 層 や ヴ ェ ク トル の 異 な っ た 金 剛 乗 を 射 程 に 収 め る こ と は 出 来 な い。 つ ま り、 イ ン ド仏 教 史 は、 精 神 的 志 向 性 と し て 思 想 的 に、 声 聞 乗 ・波 羅 蜜 乗(初 期 密 教 を 含 む)・ 金 剛 乗 の 三 つ の 範 疇 を も っ た と言 え る の で あ る。 略号
二 儀 軌S本: Snellgrove, D.L. The Hevajra Tantra A Critica study London Oriental Series6, 1976(1959).
堀 内梵 本: 堀 内 寛 仁 「梵 蔵 漢 対 照: 初 会 金 剛 頂 経 の研 究 梵 本 校 訂 篇 』 密 教 文 化 研 究 所1974, 1983.
松 長 梵 本 松 長 有 慶 「秘 密 集 会 タ ン トラ校 訂 梵 本』東 方 出版, 1978. RBTS Rare Buddhist Text Series, CIHTS.
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