• 検索結果がありません。

県人教 NEWS No.405 (16) じめさまざまな人権問題に対する認識が深められ 差別を許さない人間連帯や行動力が培われていくのです 反差別や共生をめざす人々の生き方に学ぶ人権学習を通して 子どもたちが自分のくらしの中から生まれる悩みや痛みを本音で語り合え ともに考えあい ともに解決していく学

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "県人教 NEWS No.405 (16) じめさまざまな人権問題に対する認識が深められ 差別を許さない人間連帯や行動力が培われていくのです 反差別や共生をめざす人々の生き方に学ぶ人権学習を通して 子どもたちが自分のくらしの中から生まれる悩みや痛みを本音で語り合え ともに考えあい ともに解決していく学"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

れ、 差別を許さない人間連帯や行動力が培われていくの です。反差別や共生をめざす人々の生き方に学ぶ人 権学習を通して、子どもたちが自分のくらしの中か ら生まれる悩みや痛みを本音で語り合え、ともに考 えあい、ともに解決していく学級集団づくり、なか まづくりを行っていきましょう。それは、進路公開 の取り組みにもつながっていくものです。 5 ) 教職員自ら、 自分のくらしを豊かにとらえ 直し語る 人権学習は、部落差別をはじめさまざまな差別を なくすための取り組みです。社会には、まだ多くの 差別的な意識があり、それを空気のように吸い込み ながら生きています。私たち教職員も、例外ではあ りません。 子どもたちと人権学習をともに創ってきた教職員 は、差別を自分の問題ととらえ、自分自身や家族を 見つめる営みを通して、自分や自分のくらしを豊か にとらえ直してきました。子どもたちと授業を創っ ていくときに、教育内容と自らのくらしを重ねなが ら、今一度とらえ直してみましょう。そして、人権 て、 り、 子どもたちとともに差別に向き合い、差別をなくす 一員として確かなつながりを創っていきましょう。 このような、今まで熊本県人教が長い間大事にし てきた人権教育の授業づくりの展開に加え、さまざ まな人権問題がある中、今後、これらの人権問題に ついて、様々な場面をとらえて学んでいくことが求 められています。 子ども、女性、 「障害」児(者) 、在日外国人、ア イヌ民族、沖縄の人々や奄美をはじめとする とうしょ の人々、高齢者、ハンセン病回復者、セクシャルマ イノリティ、 H I V 陽性者、原発事故以降の福島の 人々に対する差別問題などを課題とした授業づくり も子どもたちの現状に合わせて積極的に行っていき ましょう。 、子 これらさまざまな学習を展開しながら、学習した 内容を、子どもたちを学習の主体者として生き生き と参加させていくことのできる「綴る」 「描く」 「劇化 する」などの多様で豊かな表現活動に発展させてい きましょう。 は、 す。 は、 らゆる差別をなくしていく意欲や実践力を育ててい く教育であり、その教育内容は、部落問題学習とし て位置づけられてきました。部落問題学習で最も大 事なことは、 「人ごととして」 捉えるのではなく、 「自 分の生き方にかかわる問題として」とらえることで す。そのためには、自分をみつめ自らの生き方を問 う学習が欠かせません。 自分の中にある弱さや差別意識と向き合い、立ち 位置を問い続けることは、教師自身の家族との出会 い直しへとつながっていきます。部落問題学習に出 会うまでは知ることのなかった、 親の労働や生き方、 家族への思いや願いに触れることで、教師自身が自 らの命の尊さに気づき、目の前の子どもたちへと重 ねていくことが、極めて重要だと言えます。 家族の命を支えるため全国各地で日雇い労働をさ れ、その行き先々で部落差別の現実に出会われた一 人のお父さんがいます。そのお父さんはその後、生 まれ育った地元に帰り 40年以上にわたり解放運動を 続けてこられました。そのお父さんは「解放運動を 続けてこられて、 一番うれしかったことは何ですか」 という解放子ども会に通う子どもたちの問いに、 「そ れは自分の家族や生まれたところ、自分の生い立ち を語れるようになったこと、それに、みんなが元気 に学習会に通ってきてくれることだよ」と答えられ ました。その場に出あった教師は、子どもたちとと もに部落の親への聞き取りに取り組み、自分たちの くらしと重ねた学習に取り組んでいきました。解放 子ども会の子どもたちが、その出あいと学びに励ま され、自分の思いや願いを語っていきました。そん な子どもたちの姿が、部落問題学習の中核を担って きました。その営みは、今も各地域や学校で受け継 がれ、県同教発足以来、県人教が大切にしてきた教 育内容です。 部落問題学習が何より担わなければならない課題 は、差別や抑圧によって固く閉ざされている子ども たちの心や身体を解き放つことです。すべての子ど もたちが、差別を自分の抱える生活の現実やおかれ た立場と結びつけること、差別に対する怒りや解放 への願いを持ち、なかまとともに自らの課題を克服

1

部落問題学習とは

(2)

していくような学習の深まりが求められています。 とりわけ、部落の人のくらしの中にある思いや願 いを、差別をなくすことができるなかまづくりとし て構築していく過程では、子どもや部落の人の前に 立つ教職員の認識が絶えず問われます。今日部落問 す。教職員自身が、日々研究深化が進んでいる部落 史学習を含んだ学びを絶えず深め、自らのありよう を検証し、部落問題を「自分の生き方に関わる問題 として」認識を深める取り組みが必要です。 ら、 」「 ら、 落差別をなくすには、部落をなくせばよい」 「差別す る者が一人もいない町よりも、差別される者が一人 もいない町をつくれ」と、議会の一般質問で町議が 繰り返した差別発言に象徴されるように、差別は差 別される側の問題であるという誤った認識が今も根 強くあります。 これまでの教育や啓発も「部落がなぜ差別される のか」と、部落が差別される理由をひたすら教え続 か。 事をしていたから差別された」とか「部落は貧しい から差別を受けた」とか、差別の理由を差別される 側に求めてきたのではないでしょうか。 教科書もほとんど 「差別される側」 を主体 (主語) にして記述されてきました。そのため、当然述語は 受身(~される)表現になります。その結果、部落 は「差別される」存在だということを、繰り返し教 え込むことになっています。さらに、インターネッ ト上の掲示板や、SNS(ソーシャルネットワーキ ングサービス)等で、子どもたちだけではなく、教 職員自身も間違った認識を深めているのではないか と思われる、極めて危機的状況にあると言わざるを 得ません。 いうまでもなく、差別の問題は、どこまでいって も、 「差別する側の問題」です。 「障害」者がいるか ら「障害」者差別があるのではありません。ハンセ ン病問題や水俣病問題等についても同じことが言え ます。差別する者がいるから、差別があるのです。 し、 は、 の問題か」をはっきりとらえさせきれてこなかった か。 そ、 く、 は、 という視点から部落問題学習を組み立て直す必要が あります。 (1)部落史学習の現状 「 先 生 が 小 学 生 四 年 以 上 を 集 め、 江 戸 時 代 の 身 分 制 度 の こ と を 話 し だ し た。 『 士 ・ 農 ・ 工 ・ 商、 こ れ が 江 戸 時 代 の 身 分 制 度 だ。 そ し て こ の 下 に、 え た、 ひにんという位があった』と話され、次に『お前た ちはこのえた・ひにんの子孫だ』とこのようなこと を話されたと思う。それから学習会のことを聞かれ るのがいやになった。そして自分の出身地をいうの が悪いことのように思えてきた。 」 これは今から 30余年前の高校一年生の作文の一節 です。誤った部落史の前に心や体を固く閉ざしてい く部落の子どもの姿が綴られています。 近年、部落史研究は飛躍的に進み、これまで通説 であった近世政治起源説は破綻し、教科書の記述も 大きく変わりました。一番変わったのは江戸時代の す。 れ、 子どもたちに教えてきた「士・農・工・商・えた・ ひにん」というピラミッド型の身分制度はなかった す。 」「 」「 」「 は、 ではなく、 職業名でした。 ですから、 「最底辺」 といっ たとらえ方は、根本的に間違っています。 ちなみに、熊本県の中学生たちが使用しているK 社の「 2012 年度版」と「 1990 年度版」の社 会科の教科書を比較してみます。 1 】改訂   中学社会   歴史 1990 年度版 〈きびしい身分差別〉 士農工商の下には、えた、ひにんなどのいちだん と低い身分がおかれ、農民や町民との間に、居住地 や結婚、服装、交際にいたるまで、きびしく差別さ れ、 職業も制限されて、 いやしい身分とみなされた。 えたは少しの土地を耕し、農民のように年貢を納め る者や小作料を支払う者もいたが、おもに死んだ牛 馬の処理、皮革の加工やいろいろな細工しごとを行 い、一生その身分からぬけだせなかった。また、え たやひにんは、刑の執行や、幕府や藩の役人の手先 とされて犯罪のとりしまりにも使われた。 2 】中学社会   歴史   未来をひらく 2012 年度用 〈身分による差別〉 にん

3

子どもたちをめぐる現状

2

部落問題学習をめぐる情勢

部落問題学習

(3)

や履 らの ざま けま 記述が大きく変化しています。 今、 は、 40年 40年の中で、実に 20 教科書は一貫して、 「士 30代~ 50代のほとんどの 20年以上が経ちました。そ は、 や、 に、 する人間の生き方のすばらしさにふれさせ、人々の いのちとくらしを支え、すべての人が幸せにくらせ る社会をつくりあげていく展望を持たせる実践も模 索してきました。しかしながら、被差別民衆が果た してきた役割や、すべての人が幸せにくらす運動が 広がってきた事実が、まだ子どもたちに十分定着し きれていない現状は、教職員の学びの不十分さが原 因であると言わざるを得ません。教職員の部落問題 は、 メージをもたらします。 ただ、 教科書の記述が変わっ たからといって、教科書で学んできた人たちの見方 や認識が変わったことにはなりません。どんなに教 科書の記述が変わっても、教職員の部落問題認識が 変わらなければ、問題は解決しないし、差別が再生 産され、拡散していくことにつながります。 ( 2 )教職員の部落問題認識の現状 す。 2 0 0 0 調 に、 が、同和地区と呼ばれる地域の人であるとわかった 場合、あなたならどうしますか」という問いに「家 族の者や親戚の反対があれば、 結婚を認めない」 「絶 対に認めない」 1 8 %。 「親として反対するが、子 10・ 6 %の教職員が部落差別を容認する回答でした。部 落差別を解消し、人権確立を実現していく上で、教 職員が教育という重い責務を担う立場にあることを 考えるとき、大きな問題です。人の命を奪いかねな い差別が職員室にあったのです。 この結果を受けた後の 15年あまりの間、子どもた ちに確かな部落問題認識を育てるために、どれだけ の教職員が危機感をもち、自分自身や教職員集団の 部落問題認識を深め広める学びを積み重ねてきたの でしょうか。 2015 年、熊本県教育委員会が実施した「人権 調 は、 に、 と「 事象の発生の防止及び調査の規制に関する条例」の 調 た。 は、 93・ 3 が、 の教職員になると、 80%台に落ち込んでいます。条 例にいたっては、きちんと理解している人が 50%台 にとどまっています。こうした状況の中、部落問題 が次第に学校の中で語られなくなっていることがと ても気になります。校区に被差別部落を有しない学 校はあっても、部落問題が存在しない学校はありま せん。 て、 工・商」の「ピラミッド型」に象徴されるような部 落問題認識は、広く社会に行き渡っています。教職 す。 か、そのための部落史学習の内容をどう創造してい くのか、部落問題学習が直面している最も深刻で緊 急な課題といえます。部落史の見直しと同時に、教 職員の部落問題認識を高める研修の充実が求められ ます。 (1)地域とつながる学習内容をつくる 差別をなくす学習は、くらしをていねいにとらえ る取り組みの中からうまれます。生活や労働にかか

4

子どもたちの確かな部落問題認識を

育むために

(4)

わる差別の歴史と現実、解放への願いや闘いなどが ん。 は、 教師と子ども、あるいは学校の教職員と親たち、地 す。そして、地域の歴史の掘り起こしやお年寄りや 親たちの生きざまの聞き取り、フィールドワーク等 に積極的に取り組むことが必要です。 ( 2 )子どもの生活課題と結びついた学習を 組織する 今日の社会のありようは、特に部落の子どもたち や親たちが差別や抑圧を受けるような状況をつくっ ており、それは時に生活破壊といった形で表出して きます。部落の子どもをはじめとして、全ての子ど もたちが、差別を自分の抱える生活の現実やおかれ た立場と結びつけてとらえ、差別への怒りや解放へ の願いと重ね、なかまとともに自らの課題を克服し ていくような学習の深まりが求められています。 ( 3 )部落問題学習では、 自分の立ち位置を明らかにする 部落問題学習は、部落差別をはじめさまざまな差 す。 も、 そして子どもたちも、気づかないうちに社会の中に ある差別意識を空気のように吸い込んで生きてきて います。部落問題学習を通じて、まずは私たち教職 員自身の差別性を明らかにする必要があります。 は、 親、 族、 働、 そして、自分自身のことをどのように見てきたので しょうか。そこにある差別に気づかないまま、自分 の思いを封じ込めていたり、自分の差別意識を受け 入れきれずに、何人もの人を傷つけてはこなかった でしょうか。だからこそ、部落問題学習の中では自 分の立ち位置を明らかにする必要があります。 差別の現実は、 「私」自身の中にひそんでいます。 自分のくらしにある差別の現実に気づき、それに向 き合うことが部落問題を自分のこととしてとらえる ことにつながります。そして、差別の現実の中で封 じ込められていた自分の思いに気づいたときに、自 分や自分のくらしを豊かにとらえ直し始めることが できます。それは、差別が切り離してしまっていた 人と人とのつながりを回復することです。部落問題 き、 の大切さがここにあります。 また、教職員が自分のくらしを語ることは、子ど もたちの学習への促しとなります。部落問題学習を 通じて、子どもたちとともに、教職員も差別に向き 合い、差別をなくす一員としての「私」を語ってい きましょう。 ( 4 )子どもを励ます学習内容を組み立てる は、 ず、 ず、 差別と闘い、たくましく生きぬいていく力を獲得し ていくものとならなければなりません。そのために は、部落の子どもたちをはじめあらゆる被差別状況 の子どもたちを中心にすえ、子どもたちを励ますも のとして学習内容が組み立てられていくことが大切 です。このような学習は、子どもたちに立場の自覚 と人間としての誇りを培い、差別からの解放への立 ち上がりを促していきます。 は、 に責任のないことで厳しい状況に置かれた子どもた ちから教育の課題を見いだし、その中にある差別を た。 そしてそれは、被差別状況の子どもへと広がりを持 たせてきました。差別のなかで展望を見失い不安を 募らせている子どもをなんとか元気づけたいと願い 動き始めていくこと、それが、子どもたちが差し出 す教育課題に応えるということです。 以前、部落問題に取り組めば取り組むほど、部落 の子どもの顔がさがるということがありました。そ れは、差別の問題が、部落の側の問題として学習さ れていたからに他なりません。特に、部落の環境に 言及した学習では、部落の子どもの自尊感情を奪う ような学習になっていなかったでしょうか。差別は あくまで「差別をする側」の問題であるならば、差 別をする側の理不尽さや、そうしてしまう人として の弱さを浮き彫りにする必要があります。子どもを 励ます学習内容にしていくには、 差別者としての 「自 分」を克服し、反差別の立ち位置へと高めあう学習 を積み重ねていくことが大切です。 (5)犠牲者を出さない学習の構築を 2016 12月 16日「部落差別の解消の推進に関 する法律」が施行されました。法律を制定する理由 を次のように説明しています。 理   由 現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化 の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じ ていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享 有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差 別は許されないものであるとの認識の下にこれを解 消することが重要な課題であることに鑑み、部落差 別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実 現するため、部落差別の解消に関し、基本理念を定 め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにす るとともに、相談体制の充実等について定める必要 がある。 これが、 この法律案を提出する理由である。 部落問題学習

(5)

現在、子どもたちはインターネットを通して、無 防備に部落差別の犠牲になる環境にいます。 部落問題学習が届けられる前にも、届けられた後 にも「部落差別の犠牲」があるということを前提に て提起されたのです。私たちに「価値観の転換」を 促し、広い視野の中で子どもたちや社会を見直すこ とを求めたのです。だからこそ「共生の教育」の視 野には「障害」児・者だけでなく、外国にルーツを ち、 ハンセン病回復者の方たちなど、多くの「私たちが すりこまれた価値観や常識の中で差別・排除してき た」 子どもたちや人々が入るのです。 このような 「価 値観の転換」はこれからも私たち自身に突きつけら れた課題として見つめていかなくてはなりません。 在「 」「 生」 「生と性の平等」という 3 つの研究部を設けてい ます。 それぞれの研究分野で 「共に生き、 共に育つ」 教育の意義を実践の中から明らかにし、進めていく ための具体的な提言や条件整備に努めていくことが 「共生の教育」なのです。 服に た教 造し 」「 しく 別に苦し に対 の問 、「 近年「支援」をキーワードにした実践報告が増え が、 は、 をなくす」 という課題や方向が明確にされておらず、 論議が深まらずに終わってしまうということがしば す。 ひとりが明確に持つことができているか。今、改め てそのことが問われています。いま一度「差別をな くす」という課題を明確にする必要があります。そ のためには、被差別状況におかれている当事者と直 接的に出会い、くらしを知り、そこにある思いや願 い、切なさを感じ取り、展望を見出す。すなわち熊 本県同教(県人教)が大切にしてきた「差別の現実 に深く学ぶ」ことからの教育実践を再確認しなけれ ばなりません。 持て 現の は反 のあ 1 9 9 8 に「 「『 4 ○子ども観を見直し、子どもと対等な人格として向 き合おう ○性差別を見抜き、慣習や意識を変えていこう よう ○渡日・在日の子どもたちが誇りが持てる多文化共 生社会をめざそう 県同教ニュース   1998 熊本県同教では、私たちが当たり前と思っていた は「 り、 認( してきた、ということを会の発足以来「障害」児教 育の実践で明らかにしてきました。その教育運動の 中から [「みんながちがっていてあたりまえ」 「ちがっ ているってすばらしい」という認識を育むこと、す ち「 を『 え、 さ( ー) 表現できる教育内容の創造]が「共生の教育」とし した部落問題学習の構築が急がれます。 今後ますます容易にインターネットを通して、部 す。 焦眉の急の取り組みが求められています。

1

共生の教育とは

2

「共生の教育」

をめぐる現状と課題

3

子どもたちをめぐる現状

参照

関連したドキュメント

○本時のねらい これまでの学習を基に、ユニットテーマについて話し合い、自分の考えをまとめる 学習活動 時間 主な発問、予想される生徒の姿

幕末維新期に北区を訪れ、さまざまな記録を残した欧米人は、管見でも 20 人以上を数える。いっ

されていない「裏マンガ」なるものがやり玉にあげられました。それ以来、同人誌などへ

「社会人基礎力」とは、 「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な 力」として、経済産業省が 2006

はありますが、これまでの 40 人から 35

   がんを体験した人が、京都で共に息し、意 気を持ち、粋(庶民の生活から生まれた美

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

大阪府では、これまで大切にしてきた、子ども一人ひとりが違いを認め合いそれぞれの力