英国の航空作戦指導―マレー及びビルマ―
マ イ ケ ル ・ ド ク リ ル 1943 年 8 月末、南太平洋戦域の連合軍司令官であったダグラス・マッカーサー米陸 軍 大 将 は 、 東 南 ア ジ ア 連 合 軍 総 司 令 官 に ル イ ス ・ マ ウ ン ト バ ッ テ ン 英 海 軍 大 将 が 任 命 さ れ た こ と を 耳 に し た と き 、A・V・ゴダード英空軍少将に対して、東南アジア戦域では「 よ り 多 く の 航 空 戦 力 が 必 要 に な る こ と を マ ウ ン ト バ ッ テ ン に 話 し 、 私 も そ う 言 っ て い た こ と を 伝 え て 欲 し い 」と 話 し た 。 そ し て 、 マ ッ カ ー サ ー は 机 を バ ン と 叩 き 、 叫 ば ん ば か り に、2 度も 3 度も航空戦力増強の必要性を力説した 1。 1941 年から 1942 年にかけての、マレー、ビルマおよびその他極東地域での敗北によ っ て 英 国 は 、 マ ッ カ ー サ ー の 忠 告 を 身 を も っ て 体 験 し て い た 。1941 年当時、極東軍総司 令官であったロバート・ブルック・ポッパム英空軍中将は、日本の航空部隊の強さは質、 性 能 、 錬 度 、 す べ て の 面 に お い て 完 璧 な 奇 襲 で あ っ た こ と を 認 め た 2。 英 空 軍 の 敗 北 の 要 因 は 、 単 に 指 揮 官 の 質 の 問 題 や 高 級 指 揮 官 の 不 足 だ け で は な か っ た 。 高 齢 で あ っ た ポ ッ パ ム も 、1941 年 4 月 20 日以降極東の英空軍を指揮したプルフォード空軍少将も共に 経 験 豊 か な エ ア ・ マ ン で あ っ た 。 彼 ら は 厳 し い 情 勢 の 中 で マ レ ー の 防 衛 態 勢 を 改 善 し 、 隷 下 航 空 部 隊 の 旧 式 航 空 機 を 最 新 型 に 更 新 す る た め に 最 善 を 尽 し た が 、 そ の 努 力 は 報 わ れ な か っ た 。 搭 乗 員 の 訓 練 は 不 十 分 で レ ー ダ ー も 不 足 し 、 ポ ッ パ ム の 陸 海 空 軍 に 対 す る 権 限 も 制 限 さ れ て い た 。 し か も 、 日 本 の 脅 威 に 対 す る 警 戒 感 が 極 め て 希 薄 で あ っ た 3。 ポッパムは、1941 年 12 月までにシンガポールとマレーの防衛のために米国製のブリュ スター・バッファロー67 機を確保した。しかし、バッファローは日本の零戦に比べて馬 力 も 上 昇 速 度 も 遥 か に 劣 っ て い た 。 と は い え 、 そ の 67 機が確保されていなかったら、 ポ ッ パ ム は か な り 旧 式 の ビ ル ド ビ ー ス ト 雷 撃 機 部 隊 と わ ず か の オ ー ス ト ラ リ ア 空 軍 の ハ ド ソ ン 飛 行 隊 、そ れ に ブ レ ニ ム 中 爆 撃 機4 個飛行隊でやり繰りしなければならなかった。 ま た 、 写 真 に よ る 偵 察 も 行 わ れ て お ら ず 、 陸 軍 の 協 力 も 輸 送 機 の 支 援 も 得 る こ と が で き な か っ た 。 日 本 軍 は 12 月 8 日にマレーに侵攻し、飛行場で英国の航空機を破壊し、間 も な く 完 全 な 制 空 権 を 獲 得 し た 。1942 年 1 月 13 日には 66 機のハリケーンがシ ン ガ ポ ー ル に 到 着 し た が 、 す で に 手 遅 れ で あ っ た 。 日 本 の 航 空 部 隊 は 昼 夜 を 問 わ ず 、 シ ン ガ ポ ー ル の 主 要 な 飛 行 場 へ の 爆 撃 を 繰 り 返 し た 。 そ の 結 果 、 連 合 軍 が 利 用 可 能 な 航 空 機 は 11 Philip Zeigler, Mountbatten (Glasgow: Fontane/Collins, 1986), p. 225.
2 Henry Probert, The Forgotten Air Force: The Royal Air Force in the War against Japan,
1941-1945 (London: Brasseyis, 1995), p 252.
月初旬には 127 機あったものが、中旬には 71 機に減少した4。 12 月 27 日、ポッパムの後任にヘンリー・パウナル大将が就き、P・C ・モルトビー空 軍 少 将 が 参 謀 長 に な っ た 。1942 年 1 月 15 日には米、英、蘭、豪による極東地域の連合 軍統合司令部(ABDACOM)が設立され、アーチボールド・ウェーベル大将が総司令官 に任命 され 、パ ウ ナ ル が 参 謀 長 に 就 い た 。そして、連合軍の航空部隊を指揮するために、 リチャード・ピアース空軍大将が英国から到着した。また、1 月 12 日には極度の過剰労 働 の 状 態 に あ っ た プ ル フ ォ ー ド に 代 わ っ て 、 モ ル ト ビ ー が 指 揮 官 代 理 に 就 い て い た 。 残 余 の ビ ル ド ビ ー ス ト 飛 行 隊 が シ ン ガ ポ ー ル の 付 近 に 侵 攻 し た 敵 の 部 隊 を 爆 撃 し よ う と 試 み た が 、 こ の 飛 行 隊 が 撃 墜 さ れ る と 英 空 軍 は 残 り の 航 空 機 を ス マ ト ラ に 退 避 さ せ た 。 日 本 軍 は シ ン ガ ポ ー ル が 陥 落 す る と 次 の 攻 略 目 標 を ビ ル マ に 向 け た5。 ウィリアム・スリム大将は、「 ビ ル マ も 、 航 空 機 の 増 強 に 関 し て 他 と 同 様 に 優 先 順 位 が 最下位であり 、1941 年 12 月時点でのビルマの空軍力はほとんど取るに足らない存在で あった 」と 述 べ て い る 6。1942 年 1 月にラングーンに到着した新指揮官の D・F・スチ ー ブ ン ソ ン 空 軍 少 将 は 、 指 揮 下 に は P-40 トマホーク戦闘機 21 機とバッファロー16 機 が あ る に す ぎ な い こ と を 知 っ た 。 ス チ ー ブ ン ソ ン の 再 三 に わ た る 強 い 要 望 の 結 果 、 最 終 的にバッファロー67 個飛行隊とハリケーン 3 個飛行隊(多くは旧式であったが)、そし て ク レ ア ・ シ ェ ン ノ ー ト 少 佐 ( 後 に 大 将 ) 率 い る ト マ ホ ー ク の 米 国 義 勇 飛 行 隊 が 与 え ら れ た 。 こ れ ら の 航 空 部 隊 は 必 要 な 部 品 、 適 切 な修 理 施 設 、 そ し て 有 効 な 対 空 火 器 が 不 足 し、日本の航空部隊に較べわずかな戦力であった。しかし、ラングーンが陥落する1942 年3 月 6 日までにビルマから撤退する英陸軍を精力的に支援し、日本の航空部隊に重大 な 損 害 を 与 え た 。 ス チ ー ブ ン ソ ン の 活 躍 に よ っ て 英 軍 は 日 本 の 航 空 部 隊 か ら 大 き な 妨 害 を 受 け る こ と な く 、 ラ ン グ ー ン か ら 撤 退 す る こ と が で き た 。 そ の 後 、 日 本 の 航 空 部 隊 は 戦 力 を 回 復 し 、 マ グ エ 航 空 基 地 の 英 空 軍 航 空 機 の 大 半 を 破 壊 し た 。 攻 撃 を 免 れ た 航 空 機 は イ ン ド に 逃 れ た 。 そ し て 、1942 年 5 月、ビルマは日本軍の手に落ちた 7。 英軍は 、1944 年の初めにアラカンまでの悲惨な出撃を行ったことを除けば、ア ッ サ ン で 守 勢 に 専 念 し て い た 。そ の 間 、米 英 は こ の 戦 域 で の 今 後 の 戦 略 に つ い て 議 論 を 重 ね た 。 チ ャ ー チ ル 英 首 相 と 英 国 参 謀 本 部 は 、 本 格 反 攻 の 前 段 階 と し て ビ ル マ を 完 全 に 迂 回 し 、 ス マ ト ラ 地 域 の 諸 島 を 水 陸 両 用 部 隊 で 占 領 し 、 シ ン ガ ポ ー ル の 奪 回 を 目 指 す 長 期 的 な 作 戦 計 画 を 練 り 上 げ て い た 。 し か し 、 そ の 計 画 は 非 現 実 的 で あ ま り に も 野 心 的 で あ り 、 北 ア フ リ カ 上 陸 作 戦 や 続 く ノ ル マ ン デ ィ ー 上 陸 作 戦 か ら 上 陸 用 舟 艇 を 回 す こ と が 不 可 能 で 4 Ibid., pp. 28ff. 5 Ibid., pp. 55 -63. 6 Ibid., p. 84. 7 Ibid., pp. 84 -92.
あ る こ と が 明 ら か と な っ て 、 最 終 的 に 放 棄 さ れ た 8。 し か も 、 米 国 の 統 合 参 謀 本 部 は 、 蒋 介 石 と ス チ ル ウ ェ ル の 中 国 連 合 軍 と 協 同 し て 大 規 模 な 攻 勢 を か け 、 ビ ル マ 北 部 か ら 日 本 軍 を 一 掃 し 、ビルマと中国を結ぶビルマ・ル ー ト を 再 開 す る よ う 英 国 に 要 求 し て き た 。 こ の 戦 域 で の 作 戦 の 成 功 に 必 要 な 航 空 機 と 物 資 の 補 給 を 米 国 が 握 っ て い た こ と も あ り 、 英 国 は そ の 要 求 を 呑 ま ざ る を 得 な か っ た 。 チ ャ ー チ ル は 、1943 年 8 月のケベック会議 に お い て 、 イ ン ド 軍 総 司 令 部 か ら 独 立 し た 新 し い 東 南 ア ジ ア 軍 総 司 令 部 創 設 に 同 意 す る よ う 米 国 を 説 得 し た 。 チ ャ ー チ ル は 、 こ れ ま で ABDACOM 総司令官であったウェーベ ル の 軍事 的 能 力 に 疑 問 を 持 ち 、特 に 、1943 年の初期にアラカン海岸のアキャブ飛行場を 奪 還 す る 試 み に 失 敗 し 、多 く の 犠 牲 者 を 出 し て か ら は 、ま っ た く 信 用 し な く な っ て い た 。 実際、この年の初めにウェーベル自身も戦域の分割を提案していた。特に、1943 年には イ ン ド で の 内 乱 や 、 ベ ン ガ ル で の 深 刻 な 飢 饉 が 発 生 し て お り 、 過 労 で 疲 れ た 人 間 が 一 人 で 対 処 す る に は 、こ れ ま で の 戦 域 で は あ ま り に も 広 す ぎ る と い う の が そ の 理 由 で あ っ た 。 そ の 内 乱 と 飢 饉 は 、 す で に 消 耗 し て い た ウ ェ ー ベ ル 指 揮 下 の 空 軍 と 地 上 軍 に さ ら な る 負 担 を 強 い る こ と に な っ た 。 新 し い 戦 域 軍 の指 揮 官 候 補 と し て オ ー ド ・ ウ ィ ン ゲ ー ト 大 佐 を 始 め と す る 様 々 な 名 前 が 挙 げ ら れ た が 、 チ ャ ー チ ル は 比 較 的 若 く 、 精 力 的 な マ ウ ン ト バッテン(当時、43 歳)を東南アジア連合軍総司令官に任命した。チャーチルは、英国 で の 連 合 軍 に よ る 協 同 作 戦 の 責 任 者 で あ っ た マ ウ ン ト バ ッ テ ン の 能 力 を 高 く 評 価 し て い た 。 実 際 に は 、 こ の 協 同 作 戦 が 実 施 さ れ る こ と は ほ と ん ど な く 、 ま た 、 デ ィ エ ッ プ へ の 攻 撃 も 大 失 敗 に 終 わ っ て い た9。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は1943 年 11 月にニューデリーでそ の 新 た な 任 務 に 就 い た 。 彼 が 到 着 す る 前 の 英 軍 は 敗 北 に 次 ぐ 敗 北 を 経 験 し て い た 。 こ の よ う な 状 況 の 中 で 、 少 な く と も 英 国 の 士 気 を 高 め る の に 役 立 っ た 唯 一 の 成 功 は 、1943 年の2 月から 5 月にかけて実施された「ロングクロス」と呼ばれた作戦であった。この 作 戦 は 、 ウ イ ン ゲ ー ト 大 佐 に 率 い ら れ た 英 国 の 長 距 離 挺 進 突 撃 旅 団 ( チ ン デ ッ ト ) が 、 日 本 の 通 信 連 絡 網 を 破 壊 す る 目 的 で ビ ル マ 深 く 進 攻 し た も の で あ っ た 。 鉄 道 と 道 路 が 数 ヶ 所 日 本 軍 に よ っ て 切 断 さ れ て い た の で 、 ウ イ ン ゲ ー ト は こ の 作 戦 で 初 め て 航 空 戦 力 を 使 用 し た 。 そ れ ま で の ビ ル マ の 英 軍 は 、 日 本 軍 に よ っ て 容 易 に 寸 断 や 待 伏 せ さ れ る 道 路 の 他 に は 輸 送 手 段 を 持 た な か っ た 。ウインゲ ー ト は 航 空 機 を 使 用 し て 補 給 品(食糧、水 、 郵 便 、 ラ バ 、 ジ ー プ 、 銃 な ど ) を 事 前 に 準 備 し た 着 陸 場 ま で 運 ん だ り 、 パ ラ シ ュ ー ト で 投 下 し た り し た 。 ま た 、 敵 に さ ら な る 打 撃 を 与 え る た め に 、 戦 闘 爆 撃 機 が 日 本 軍 の 陣 地 を 空 襲 し た 。 ロ バ ー ト ・ ト ン プ ソ ン 空 軍 大 佐 が 率 い る 無 線 分 隊 が ウ イ ン ゲ ー ト の 中 隊 に 配 属 さ れ 、 適 切 な 投 下 ゾ ー ン を 報 せ る 信 号 を 送 っ た10。 パ ウ ナ ル は ウ イ ン ゲ ー ト を 「 天
8 Raymond Callahan, Burma 1942-1945 , (London: Davis -Poynter), pp. 68 -106. 9 Zeigler, Mountbatten, pp. 186 -196, 216 -226.
才 だ が 、 か な り の 変 人 だ 。 そ れ に 、 ま っ た く 嫌 な 奴 で も あ る が 」 と 述 べ た11。 ま た 、 ル イ ス ・ ア レ ン は 、 ウ イ ン ゲ ー ト の こ と を 「 ジ ャ ン グ ル 戦 の 性 格 を 見 事 に 変 え た 男 」 と 評 した12。 ウ イ ン ゲ ー ト の 功 績 は か な ら ず し も 大 き い と は い え な い が 、 彼 の 支 持 者 た ち の 大 半 は 、 彼 の 大 胆 な 作 戦 が 敗 北 続 き だ っ た 英 軍 の 士 気 を 大 い に 高 め た と 評 価 し た 。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン と ほ と ん ど す べ て の 指 揮 官 た ち は 、 こ の 戦 域 の 英 軍 の 航 空 戦 力 ( 戦 闘 機 、 戦 闘 爆 撃 機 、 偵 察 機 、 と り わ け 空 中 補 給 能 力 と 輸 送 機 ) の 量 と 質 を 大 幅 に 増 や す こ と が ビ ル マ 奪 回 の カ ギ で あ る こ と を 、 か な り 以 前 か ら 認 識 し て い た 。 チ ャ ー チ ル は 、 2 人の将軍(オーキンレックとウェーベル)に批判的だった。チャーチルはフロード・ オーキンレック大将を「常により大規模な部隊を 要 求 す る が 、そ の 作 戦 は い つ も 長 引 く 」 と評し13、1943 年 6 月 20 日にオーキンレックの後任としてインド軍の総司令官に着任 し た ウ ェ ー ベ ル に 対 し て は 、 そ の 軍 事 的 才 能 に 懐 疑 的 で あ っ た 。 オ ー キ ン レ ッ ク は ア ッ サ ム に 複 数 の 全 天 候 型 の 飛 行 場 を 建 設 す る こ と を 命 じ た 。 そ し て 、 こ れ ら の 飛 行 場 が 後 に 英 国 に 勝 利 を も た ら す 戦 力 発 揮 の 基 盤 と な っ た 14。マウントバッテンとスリム(1943 年12 月から第 14 軍の総司令官)が使用できた連合軍の空軍部隊の編成は複雑であった。 イ ン ド ・ セ イ ロ ン に お け る 連 合 軍 空 軍 部 隊 と オ ラ ン ダ の 1 個飛行隊は、1942 年 3 月 以 降、ピアースの指揮下にあった。ピアースは、1941 年までは爆撃機部隊指揮官であった 15。アーチボールド・シンクレア空軍大臣は、1941 年 12 月 10 日にチャーチルに「ピア ー ス は 最 近 、 指 揮 官 と し て の 経 験 を 積 ん だ ば か り で な く 、 戦 争 に 関 す る 広 範 な 知 識 と 、 参 謀 と し て の 豊 富 な 経 歴 を 持 っ て い る 。 ま た 、 忠 実 、 有 能 、 勤 勉 で イ ン ド 軍 の 総 司 令 官 に と っ て 心 強 い 補 佐 役 と な る だ ろ う 」 と 書 き 送 っ た 16。1943 年 11 月 16 日、ピアース は東南アジア空軍(ACSEA)の総司令官に就いた。マウントバッテンの参謀長であるパ ウ ナ ル は ピア ー ス を 「 正 真 正 銘 の 馬 鹿 者 」17 と 考 え て い た が 、 ピ ア ー ス を 信 頼 し て い た マウン トバ ッ テ ン は 、1944 年 4 月に彼の任期を 6 ヶ月間延長した。マウントバッテン は英国空軍参謀長のチャールズ・ポータル中将への手紙に、「 ピ ア ー ス と は 仲 良 く や っ て い る 。 彼 は 常 に 偏 見 の な い 、 そ し て 大 胆 な ア ド バ イ ス を し て く れ る 」 と 書 い た 。1944 年 9 月、ピアースの有能な部下指揮官である米軍の G・E ・ストラトメーヤ大将は、ピ (London: Her Majesty's Stationery Office,1961), pp. 64-67. ウ ィ ン ゲ ー ト の 最 初 の 遠 征 の 詳 細 に つ い て は 、Louis Allen, Burma: The Longest War, 1941-45 (London: Phoenix, 1988), pp. 116-149 を 参 照 。
11 Brian Bond, Chief of Staff: The Diaries of Lieutenant -General Sir Henry Pownall , Vol. 2
(London: Leo Cooper, 1974), pp. 112-142.
12 Allen, Burma, p. 148.
13 Callahan, Burma 1942-1945 .
14 Ronald Lewin, Slim: The Standard Bearer: A Biography of Field -Marshal The Viscount Slim
(London: Leo Cooper, 1976), p. 111.
15 Probert, The Forgotten Air Force, pp. 106-107. 16 Ibid., p. 106.
ア ー ス の 任 期 の 再 延 長 を 要 求 し 、「彼は一緒に働くのが楽しく、素晴らしい男だ」と述べ た18。 だ が 、 ピ ア ー ス と オ ー キ ン レ ッ ク 夫 人 (ク ロ ー ド の 妻 で 、 ピ ア ー ス は 最 終 的 に 彼 女 と 結 婚 し た ) と の 情 事 が 知 れ わ た り 、 ピ ア ー ス は 自 分 の 任 務 を 全 う で き な く な っ た 。 こ の た め 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 彼 の 任 期 を さ ら に 延 長 す る こ と を 拒 否 し た 。1944 年 11 月 28 日、ピアースとオーキンレック夫人は英国に戻された 19。 ピ ア ー ス の 後 任 に ノ ル マ ン デ ィ ー 作 戦 の 空 軍 総 司 令 官 で あ っ た ト ラ フ ォ ー ド ・ リ ー ・ マ ロ リ ー 空 軍 大 将 が 就 く ことに なっ た が 、 彼 は 司令部 に 向かう 途 中の 11 月 14 日に航空機事故で死亡した。この た め 、1945 年 2 月 24 日にキース・パーク空軍大将が後任となった。パークは部下を 勇 気 付 け る タ イ プ の 指 揮 官 で 、マ ウ ン ト バ ッ テ ン や 米 軍 人 た ち と も 良 好 な 関 係 を 築 い た 20。 ヘ ン リ ー ・ プ ロ バ ー ト 空 軍 准 将 は ピ ア ー ス に つ い て 、 彼 は 何 と な く よ そ よ そ し く 、 冷 淡 な 性 格 で あ っ た が 、 極 東 で の 戦 争 に 必 要 な 物 資 を 勝 ち 取 る た め に 、 本 国 と の 果 て し な い 戦 い を 繰 り 広 げ 、 様 々 な 作 戦 で 部 隊 を 指 揮 し 、 東 南 ア ジ ア で の よ り 高 い 作 戦 指 導 に 大 きく貢 献し た と 評 し た 21。1942 年、ピアースは部隊の再編を巡って空軍省と精力的な戦 い を 繰 り 広 げ た 。 当 初 、 空 軍 省 は そ の 再 編 を 拒 否 し て い た が 、 最 終 的 に は こ の 再 編 を 認 めた22。 ピ ア ー ス は 着 任 当 初 、 イ ン ド 軍 の 散 々 た る 状 況 に 直 面 し た 。1942 年 5 月にピアース は ポ ー タ ル に 次 の よ う に 報 告 し た 。「インドではすべてが信じられないほど原始的だ。参 謀 は 極 め て 不 十 分 だ し 、 必 要 な 物 資 も 完 全 に 不 足 し て い て 危 機 的 な 状 態 だ 。 多 く の 兵 士 た ち は 改 善 の 見 込 み が な い 。 そ し て 、 イ ン ド 政 府 は 不 思 議 の 国 の ア リ ス の よ う な 組 織 を し て い る 。」23イ ン ド の 空 軍 は 旧 式 の 航 空 機 で 、 兵 士 た ち も 相 次 ぐ 敗 北 で 士 気 が 低 下 し て い た 。 イ ン ド の 産 業 基 盤 は 貧 弱 だ っ た の で 、 新 型 の 航 空 機 、 搭 乗 員 、 燃 料 、 原 材 料 な ど は ケ ー プ ・ ル ー ト に よ っ て 英 国 や 米 国 か ら 運 ば な け れ ば な ら な か っ た が 、 イ ン ド に 到 着 するまでに 4 ヶ月を要した。しかし、このような輸送上の問題と、インドでの熟練技師 の不足にもかかわらず、1943 年 11 月になるとインド北東部に 275 本の滑走路が建設さ れ た 。保 守 整 備 施 設 も 大 幅 に 拡 張 さ れ 、1943 年 3 月には航空機の可働率は 40%から 80% に 向 上 し 、 通 信 施 設 、 偵 察 、 防 空 機 能 も 改 善 さ れ た 。 ハ リ ケ ー ン は 依 然 と し て 主 要 な 防 空戦力であったが、1943 年 10 月になると高性能のスピットファイヤー・マークⅧが配 備 さ れ 、 夜 間 防 空 の た め に Al ビューファイターが中東から送り込まれるまで防空能力 の 向 上 に 大 き く 寄 与 し た 。 ま た 、 ア ラ カ ン 攻 撃 の 際 に は 、 ベ ン ジ ャ ン ス 急 降 下 爆 撃 機 も
18 Probert, The Forgotten Air Force, pp. 222, 223. 19 Ibid., p. 222 .
20 Ibid.,p. 224 . 21 Ibid.,p. 223 . 22 Ibid.,p. 122 -123. 23 Ibid.,p. 107 .
使用された 24。1943 年 12 月 12 日と翌年の 1 月 21 日に新たな航空機が到着し、ピアー ス は 連 合 軍 と し て の 空 軍 に よ る 任 務 を 実 施 す る こ と が 可 能 と な っ た 。 そ の 任 務 は 、 ス チ ル ウ ェ ル の 米 中 国 連 合 軍 が 建 設 し て い る レ ド か ら ミ ッ チ ー ナ に 至 る 新 し い 道 路 を 守 る こ と 、 ア ッ サ ム か ら 中 国 に 至 る 飛 行 ル ー ト を 確 保 す る こ と 、 そ し て 、 日 本 の 航 空 部 隊 を ア ラ カ ン か ら 一 掃 す る こ と で あ っ た 。 第 3 戦術空軍には、来襲する敵航空機の迎撃と、敵 飛 行 場 と そ の 施 設 の 破 壊 の 任 務 が 与 え ら れ 、 地 上 作 戦 が 開 始 さ れ た 後 は 、 前 線 の 敵 目 標 を 攻 撃 す る こ と に な っ て い た 。 戦 略 空 軍 は 、 日 本 の 船 舶 、 工 場 、 鉄 道 、 橋 梁 を 破 壊 す る 任務が 割り 当 て ら れ た 25。 し か し 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン と ス リ ム が 将 来 の 勝 利 の た め に 重 要 な 戦 力 と な る と 確 信 し て い た ダ コ タ 輸 送 機 は 、 機 数 が 限 ら れ 、 そ の 供 給 を 米 国 に 依 存 し て い た 。 ウ ェ ー ベ ル は 1942 年 11 月の時点で、より多くの輸送機を送るようインド軍総司令官のアーウィン大 将 に 要 請 し て い た 。 し か し 、 ア ー ウ ィ ン は 「 そ う し た い の は 山 々 だ が ・ ・ ・ 本 土 で は も う 製 造 し て い な い よ う だ 。 我 々 は 輸 送 機 を 完 全 に 米国 に 依 存 し て い る が 、 米 国 も 不 足 し て い る そ う だ 」 と 答 え た26。1943 年 11 月、パウナルは 1 人の海軍大将と 2 人の陸軍大 将 が テ ー ブ ル を 囲 ん で 、「 急 を 要 す る 作 戦 の た め に 何 と か し て 3 機のダコタをどこから か 調 達 で き な い も の か 」と 協 議 し て い る 姿 を 目 撃 し 、「 輸 送 機 の 問 題 は 正 に 悪 夢 そ の も の だ」と嘆いた 27。 さ ら に 悪 い こ と に 、 ビ ル マ に あ る 輸 送 機 の 大 半 を 保 有 し て い た 第 10 米 陸 軍 航 空 隊 は 、マ ウ ン ト バ ッ テ ン の 指 揮 下 に は な く 、1943 年以降は米陸軍航空隊のス ト ラ ト メ ー ヤ が 指 揮 し て い た 。そ し て 、ス ト ラ ト メ ー ヤ は ス チ ル ウ ェ ル の 部 下 で あ った 。 ス チ ル ウ ェ ル は マ ウ ン ト バ ッ テ ン の 副 司 令 官 に 任 命 さ れ て い た が 、 蒋 介 石 の 参 謀 長 ( 司 令 部 は 重 慶 ) で も あ っ た 。 第 10 米航空飛行隊の輸送機の大半は、インドから「ヒマラ ヤ山脈」を 越 え て 重 慶 に 補 給 品 を 空 輸 す る た め に 使 わ れ て い た 。米 国 の 統 合 参 謀 本 部 は 、 輸 送 機 は ビ ル マ で は な く 中 国 戦 域 の 支 援 を 目 的 に 、 東 南 ア ジ ア 連 合 軍 が す べ て の 米 国 機 を 管 理 す べ き で あ る と 主 張 し て い た 。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 、 こ の 輸 送 機 を イ ン ド − 重 慶 間 の 空 輸 以 外 に 使 い た い 場 合 に は 、「不機嫌なジョー」の異名を持つスチルウェルを通し て 統 合 参 謀 本 部 に 依 頼 し な け れ ば な ら な か っ た 。 し か し 、 ス チ ル ウ ェ ル は 非 協 力 的 で 短 気 で 、 そ れ に 英 国 人 嫌 い で あ っ た 。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン が 今 後 の ビ ル マ 作 戦 に 使 用 で き る の は 、 米 陸 軍 航 空 隊 のW・F・オールズ大将の 6 個輸送飛行隊のみであり、その飛行隊 で イ ン ド と ビ ル マ の 双 方 の 要 求 を 満 た さ な く て は な ら な か っ た 。 総 司 令 官 と し て の マ ウ ン ト バ ッ テ ン の 第 一 の 業 績 は 、1943 年 12 月にカイロで開かれた 6 者会議において、2 24 Ibid., pp. 107-120.
25 Kirby, The War Against Japan, Vol.3 , p. 386. 26 Probert, The Forgotten Air Force, p. 120. 27 Bond, Chief of Staff, Vol. 3 , p. 119.
つ の 空 軍 を ピ ア ー ス の 指 揮 下 に 統 合 し 、 ス ト ラ ト メ ー ヤ を 副 指 揮 官 に す る こ と に つ い て 米 陸 軍 参 謀 総 長 の ジ ョ ー ジ ・ マ ー シ ャ ル 大 将 と 米 陸 軍 航 空 長 官 の ヘ ン リ ー ・ ア ー ノ ル ド 大 将 に 納 得 さ せ た こ と で あ る 。 ス チ ル ウ ェ ル と ス ト ラ ト メ ー ヤ の 強 い 反 対 が あ っ た に も かかわらず、空軍の統合は12 月 12 日に行われた。統一された空軍は、735 機の戦闘機 (英国機 464、米国機 271)、爆撃機、偵察機を有する東部空軍となり、ストラトメーヤ が 指 揮 を 執 る こ と に な っ た 。 東 部 空 軍 の 保 有 機 数 は 日 本 軍 の 約3 倍となった28。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 、 こ の こ と に 関 し て 「 何 が 何 で も 統 合 し な け れ ば な ら な か っ た 。 二 つ の 空 軍 は 相 互 に 隔 絶 し た 作 戦 区 域 を 持 ち な が ら 、 時 折 、 大 き な 摩 擦 を 起 こ し て い た 」 と 述 べ ていた29。 新 た に 配 備 さ れ た ス ピ ッ ト フ ァ イ ヤ ー は 、 ま も な く 日 本 の 零 戦 を 凌 駕 す る 性 能 で あ る こ と を 証 明 し 、1943 年 12 月 31 日のチタゴン上空、1944 年 1 月 15 日のアラカン沿岸 上 空 で の 交 戦 で は 、日 本 の 多 数 の 戦 闘 機 を 撃 墜 し た 30。1944 年の初めには航続距離の長 い戦闘機の米国製 P-51(ムスタング)と P-38(ライトニング)がビルマに到着し、連 合 軍 の 絶 対 的 航 空 優 勢 が 事 実 上 確 実 と な っ た 。 そ の 結 果 、 ス リ ム は ビ ル マ 奪 回 計 画 を 実 施 す る こ と が 可 能 と な っ た 。 そ の 計 画 と は 、 ビ ル マ へ の 攻 勢 を 開 始 し て そ こ に 堅 固 な 防 衛 拠 点 を 築 き 、 日 本 軍 の 攻 撃 を 受 け て も そ の 拠 点 に 止 ま り 、 日 本 軍 を 撃 退 し て ビ ル マ で の 優 勢 を 挽 回 す る と い う も の で あ っ た 。 そ れ ま で は 、 日 本 軍 の 包 囲 ・ 突 破 戦 術 に よ り 、 英 軍 は し ば し ば 屈 辱 的 な 退 却 を 余 儀 な く さ れ て い た 。 ビ ル マ の 新 た な 防 衛 拠 点 へ の 補 給 は空輸で行うことになり、スリムは管理主任参謀の A・H・J・スネリング少将に対して ア ガ ル タ ラ と コ ミ ラ の 空 輸 部 隊 を 増 強 し 、 搭 乗 員 の 訓 練 を 強 化 す る と 共 に 、 攻 勢 の 最 前 線 に 立 つ こ と に な っ て い た フ ィ リ ッ プ ・ ク リ ス テ ィ ソ ン 大 将 の 第 15 軍団への空輸物資 を 昼 夜 兼 行 で 梱 包 す る よ う 命 じ た 。 ス ネ リ ン グ は 、 そ の 目 的 を 達 成 す る た め に オ ー ル ズ 大将 と そ の 空 輸 部 隊 と 密 接 な 連 携 を 取 っ た31。ク リ ス テ ィ ソ ン は す で に 1943 年 11 月に 南 下 を 開 始 し て い た が 、 日 本 軍 は 翌 年 の2 月 4 日、アラカンの英軍の陣地を攻撃、包囲 し 、 破 壊 す る た め の 「 ハ 」 号 作 戦 ( 第 二 次 ア キ ャ ブ 作 戦 ) を 開 始 し た 。 し か し 、 日 本 軍 の 予 想 と は 異 な り 、 そ の と き の 英 軍 は 退 却 を 行 う こ と な く 、 そ の 拠 点 を 堅 守 し た 。 と は い え 、1944 年 2 月初旬にアラカンのケナドークで行われた最初の戦闘は決して確実な ものではなかった。日本軍は 34 機の戦闘機と 10 機の爆撃機をもって戦場への航空攻撃 を 行 っ て き た が 、 ス ピ ッ ト フ ァ イ ヤ ー に よる 最 初 の 迎 撃 は あ ま り 成 果 を 上 げ な か っ た 。
28 Kirby,The War Against Japan, Vol. 3 ; Probert, The Forgotten Air Force, pp. 149 -150; Zeigler,
(ed), Personal Diary of Admiral the Lord Louis Mountbatten: Supreme Allied Commander,South
East Asia,1943-1946 (London: Collins,1988),
29 Probert, p. 150.
30 Kirby, The War Against Japan, Vol. 3 ; Probert, p. 162.
31 Kirby, The War Against Japan, Vol. 3 ; Lewin, Slim , p. 151, 15; Probert, The F orgotten Air Force,
しかも、包囲された F・W・メサービー大将の第 7 師団(「円筒陣地」の戦闘)に対する 英空軍第 31 飛行隊による物資空輸の試みは、16 機の輸送機のうちの 7 機が敵の戦闘機 に 撃 墜 さ れ 、 物 資 投 下 の た め の200 フィートの低空ゾーンが、日本軍の対空火器や小火 器 の 標 的 と な っ た た め に 2 月 10 日に断念された。当面、夜間投下に切換えざるを得な か っ た が 、 日 本 の 航 空 部 隊 に よ る 妨 害 行 動 が 2 月 14 日以降低下し、昼間投下が再開さ れ た 。 空 輸 に よ っ て 包 囲 さ れ た 守 備 隊 は 持 ち こ た え 、 ス リ ム に 率 い ら れ た 増 援 部 隊 が 2 月24 日に日本軍を打ち破った 32。そして、3 月初旬、クリスティソンはアキャブを目指 す 攻 勢 を 開 始 す る こ と が 可 能 と な っ た 。 1944 年 3 月 8 日、日本軍はチタゴンに進攻するための前哨戦として、インパールと コヒマの英軍基地を目指した別の大規模な作戦を開始した(「ウ」号作戦:インパール作 戦)。マウントバッテンは、数多くの情報と空中偵察により、日本軍がインパールを目指 し て い る こ と を 事 前 に 察 知 し て い た 。 こ の た め 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 、 第 11 混 成 軍 総 司 令 官 の ジ ョ ー ジ ・ ク リ フ ァ ー ド 大 将 や ス リ ム が 、 イ ン パ ー ル の 第 14 軍を早急 に 増 強 す る 必 要 性 を 認 識 し て い な い こ と に 大 き な 不 安 を 感 じ た 。 公 刊 戦 史 で は ス リ ム が こ の 時 すでに空輸の緊急性を訴えていたとなっているが、第 5 インド師団をアラカンからイン パ ー ル に 空 輸 す る こ と を 主 張 し た の は マ ウ ン ト バ ッ テ ン で あ っ た 。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 指 揮 下 の 空 輸 部 隊 が す で に 輸 送 網 を 最 大 限 に 展 開 し て い て 余 裕 が な か っ た た め 、 ス テ ィ ウ ェ ル を 無 視 し て 、「 ヒ マ ラ ヤ 山 脈 」 越 え 空 輸 任 務 の 米 空 輸 部 隊 所 属 の C-46 コマンド輸 送 機 と ダ コ タ 輸 送 機 30 機を転用することを参謀本部に通告した。これらの輸送機は、 ア ラ カ ン へ の 空 輸 を 実 施 す る た め に 、 反 対 す る 統 合 参 謀 本 部 を 説 得 し て 一 時 借 り 受 け て い た も の で あ っ た が 、 こ の 時 に は す で に 戻 さ れ て し ま っ て い た 。 こ の た め 、 チ ャ ー チ ル の 要 請 を 受 け た 米 軍 参 謀 本 部 は 、2 月 17 日に再び輸送機の使用に同意したが、マウント バッテンは 15 日には輸送機を確保していた 33。 ロナルド・リューインは、「 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 大 き な 、 そ し て 正 し い 決 断 を し た と み なすことができる。彼のおかげで、ス リ ム は 戦 闘 に 集 中 す る こ と が で き た 」と 評 し た34。 インパールでの戦いの間、第 5 インド師団はアラカンからインパールに展開したが、そ の 際 、3 月 19 日から 29 日かけて、銃火器、ジープ、ラバなどすべての装備を英空軍の 第 194 輸送飛行隊のダコタで空輸している。この師団の空輸は、「スリムの参謀の確信 を 持 っ た 柔 軟 な 部 隊 運 用 と 輸 送 機 乗 組 員 の 勇 気 が 再 び 示 さ れ 、 見 事 に 成 功 し た 臨 機 応 変
32イ ン パ ー ル お よ び コ ヒ マ の 作 戦 の 詳 細 に つ い て は 、Kirby, The War Against Japan vol.3 , また連合
軍 の 航 空 活 動 に つ い て は 、Probert, The Forgotten Air Force, p. 181ff を参照。
33 Probert, The Forgotten Air Force, p. 184; Kirby, The War Against Japan vol.3 ; Lewin, Slim , pp.
174-175; Bond, Chief of Staff, Vol. 2, pp. 141-142.
の作戦 」と 描 写 さ れ た 35。 ジ ョ ン ・ ボ ー ル ド ウ ィ ン 空 軍 中 将 の 第 3 戦術空軍は、第 14 軍の前線で行われるすべ て の 航 空 作 戦 を 担 当 し た 。 彼 は 陸 軍 の 作 戦 と の 連 絡 を 密 に す る た め に 、 陸 上 部 隊 の 各 司 令 部 に 航 空 参 謀 を 配 置 し て 近 接 航 空 支 援 を 効 果 的 に 割 り 当 て た 。5 月 1 日には、輸送部 隊 も ボ ー ル ド ウ ィ ン の 指 揮 下 と な っ た が 、 こ の 時 す で に イ ン パ ー ル へ の 空 輸 は 停 滞 し て い た 。 ボ ー ル ド ウ ィ ン は 、 一 種 類 の 物 資 だ け を 航 空 機 に 最 大 限 に 搭 載 す る た め 、 い く つ か の 飛 行 場 を 単 一 物 資 の 集 積 基 地 に 変 更 し た 。 こ の 措 置 に よ り 、 輸 送 部 隊 は 厳 し い 飛 行 条 件 の 中 で 一 層 の 負 担 が か か る こ と に な り 、 乗 組 員 の 忍 耐 は 限 界 ま で 達 し た が 、6 月 に は イ ン パ ー ル へ の 物 資 の 輸 送 量 が 劇 的 に 増 加 し た 。 ま た 、 イ ン パ ー ル に お け る 地 上 か ら の 管 制 は 、 こ う し た 状 況 の 中 で 可 能 な 限 り 円 滑 な 空 輸 を 実 施 す る 上 で 、 極 め て 重 要 な 役 割を果たした 36。空輸が停滞していたインパールでの戦闘の間、第 4 軍団長の G・A・P・ ス ク ー ン ズ 大 将 は 、 イ ン パ ー ル の 第 221 飛行団長の S・F・ヴィンセント少将に、部隊 を 峡 谷 か ら 後 方 の よ り 安 全 な 場 所 に 移 し 、 そ こ か ら 作 戦 を 行 っ た ら ど う か と 提 案 し た 。 し か し 、 ヴ ィ ン セ ン ト は そ の 提 案 を 断 り 、 日 本 軍 の 攻 撃 に よ る 後 退 は 何 度 も 繰 り 返 し て お り 、 自 分 た ち は 空 輸 作 戦 に と っ て 必 要 不 可 欠 な 存 在 で あ る の で イ ン パ ー ル に 自 分 も 兵 士 た ち も 留 ま る と 答 え た37。 コ ヒ マ も 、 も う 一 つ の 重 要 な 戦 略 拠 点 で あ っ た 。 そ れ は イ ン ド 北 東 部 と ビ ル マ と を 結 ぶ 峠 の 頂 上 に 位 置 し て い る か ら で あ る 。4 月に日本軍が、コヒマの連合軍守備隊を包囲 した た め 、 英 空 軍 は 近 接 航 空 支 援 と 物 資 投 下 に 多 大 な 困 難 を き た す こ と に な っ た 。 英 空 軍 は 、 エ ア ポ ケ ッ ト や 突 然 の 霧 に 直 面 し 、 あ る い は 日 本 軍 の 対 空 火 器 の 攻 撃 を 受 け 、 守 備 隊 の 近 く に 撃 墜 さ れ る と い う リ ス ク を 負 う こ と に な っ た 。 コ ヒ マ へ の 攻 勢 作 戦 と そ の 空 輸 に よ っ て 輸 送 機 が 負 う 多 大 な 負 担 と ウ イ ン ゲ ー ト の 第 二 次 チ ン デ ッ ト 作 戦 (「 木 曜 日 作 戦 」) の 補 給 支 援 、 さ ら に は イ ン パ ー ル の 戦 力 増 強 の た めに F・W・メサービー大将の第 7 インド師団の一部をアラカンから空輸する決定とい っ た 、 こ れ ら 様 々 な 空 輸 作 戦 を 行 う た め に は よ り 多 く の 輸 送 機 が 必 要 で あ る こ と は 明 白 であった。そこで、3 月 25 日にマウントバッテンは、さらに 70 機のダコタを送るよう、 ま た 、「 ヒ マ ラ ヤ 山 脈 」 ル ー ト 空 輸 任 務 か ら 抽 出 し て い る 輸 送 部 隊 へ の 指 揮 権 を 与 え る よ う 統 合 参 謀 本 部 に 要 請 し た 。3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ 64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、 「 ヒ マ ラ ヤ 山 脈 」 ル ー ト 輸 送 機 の 指 揮 権 も 与 え た 。 し か し 、4 月 28 日、米軍は中東から 回 し た 輸 送 機 を5 月中旬まで戻すよう要求した。米軍輸送機の支援が得られなくなると、 35 Ibid., p.175 .
36 Kirby, The War Against Japan.
ビ ル マ で の 作 戦 に 多大 な 影 響 が 出 る こ と に な り 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 、 輸 送 機 の 確 保 に 関 し て 極 め て 困 難 な 状 況 に 直 面 し た 。 ワ シ ン ト ン は そ の 代 わ り に 米 本 土 か ら ダ コ タ を 送 る こ と を 申 し 出 た が 、 そ れ ら の ダ コ タ の 操 縦 士 た ち は 戦 闘 の 経 験 が な く 、 モ ン ス ー ン や 山 岳 気 象 の 中 で の 飛 行 に 必 要 な 航 法 訓 練 も 受 け て い な い た め 、 役 に 立 た な い こ と を マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 十 分 に 承 知 し て い た 。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 輸 送 機 を 中 東 に 戻 す こ と を 拒 否し、結局、ワシントンが譲歩して当初は 5 月 31 日まで、最終的には 6 月 16 日までマ ウ ン ト バ ッ テ ン が 中 東 の 輸 送 機 を 指 揮 す る こ と を 認 め た 。 そ れ で も 、 プ ロ バ ー ト が 指 摘 し た よ う に イ ン パ ー ル へ の 空 輸 は ぎ り ぎ り の 状 態 で 継 続 さ れ た 38。 イ ン パ ー ル と コ ヒ マ の 戦 い は 、 英 陸 軍 が 地 上 の 連 絡 線 を 回 復 し 、 こ の 地 域 の 日 本 陸 軍 を 打 ち 破 っ て 6 月 22 日 に 終 了 し た 。 ビ ル マ 北 部 へ の 集 中 的 な 連 合 軍 の 航 空 作 戦 と 、 リ ベ レ ー タ ー (B-24) と ミ ッ チ ェ ル (B-25)を装備した米陸軍航空隊の H・C・デイビッドソン大将率いる戦略空軍による ビ ル マ 南 部 の 日 本 軍 の 飛 行 場 へ の 攻 撃 に よ り 、3 月末には航空優勢を獲得した。4 月 に なると、日 本 の 戦 闘 機 と 爆 撃 機 は イ ン パ ー ル へ の 昼 間 攻 撃 を 再 開 す る ま で に 回 復 し た が 、 英 空 軍 は 、 ス ピ ッ ト フ ァ イ ヤ ー に よ る 空 中 哨 戒 を 導 入 し 迎 撃 態 勢 を 整 え 、 そ の 後 の 3 ヶ 月 間 で 敵 の 活 動 は 着 実 に 低 下 し て い っ た 。 こ の 結 果 、 東 部 空 軍 に よ る イ ン パ ー ル 、 コ ヒ マ 、 お よ び 、 そ の 他 の 地 域 へ の 補 給 物 資 の 空 輸 は 日 本 の 攻 撃 を 受 け る こ と な く 継 続 さ れ た39。 作 戦 中 に 極 め て 重 要 で あ っ た の は 、 非 戦 闘 員 、 病 人 、 負 傷 者 を イ ン パ ー ル と コ ヒ マ か ら 輸 送 機 で 運 ぶ こ と が で き た こ と で あ っ た 。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン も ス リ ム も 、 守 備 隊 に 病 気 が 蔓 延 す る の を 防 止 す る た め に 、空 輸 が 必 要 不 可 欠 で あ る と 主 張 し た 。ス リ ム は 、 「 空 輸 が 行 わ れ た こ と は 、 長 い 目 で 見 れ ば負 傷 者 と 病 人 全 て に と っ て 、 将 来 大 き な 違 い を も た ら す こ と に な る だ ろ う 」 と 書 き 残 し て い た 40。 一 方 、ウ イ ン ゲ ー ト の 特 殊 部 隊 は ビ ル マ に 奥 深 く 潜 入 し 、占 領 地 に 防 衛 拠 点 を 確 保 し 、 日本軍 の通 信 連 絡 手 段 、特にマンダレー・ミッチーナ間の鉄道に打撃を与えた。し か し 、 拠 点 を 設 け た こ と に よ っ て 、 第 一 次 チ ン デ ッ ト 作 戦 で の 重 要 な 成 果 で あ っ た 機 動 性 が 、 特 殊 部 隊 か ら 失 わ れ る 可 能 性 が あ っ た 。 大 規 模 な 突 撃 隊 を 空 輸 し 、 そ の 部 隊 へ 補 給 を 継 続 す る 作 戦 は 、 東 南 ア ジ ア 連 合 軍 の 輸 送 部 隊 に 多 大 の 負 担 を 強 い る こ と に な っ た 。 ウ イ ン ゲ ー ト は 、 自 ら の 作 戦 支 援の た め に よ り 多 く の ダ コ タ を 要 求 し た が 、 ス リ ム は そ の 要 求 を 拒 否 し た 。 航 空 機 に 余 裕 が な か っ た た め で あ っ た 。 ウ イ ン ゲ ー ト は 、1944 年 3 月 24 日の航空機事故で死亡した。戦史研究者や元兵士たちは、ウインゲートの業績につい て 現 在 で も 議 論 を 続 け て い る 。 ス リ ム は 後 に 次 の よ う に 書 き 残 し て い る 。「私は、ウイン 38 Ibid., p. 186 .
39 Kirby, The War Against Japan, vol. 3. 40 Probert , The Forgotten Air Force, p. 171 .
ゲ ー ト の 部 隊 の 貢 献 度 が つ ぎ 込 ん だ 資 材 に 比 し て 、 そ の 成 果 が 釣 り 合 っ て い た と は 思 え ない41。だ が 、ウ イ ン ゲ ー ト が 兵 士 た ち を 勇 気 付 け る 指 導 者 で あ っ た こ と は 間 違 い な い 。 彼 の 部 下 た ち の 大 半 が 自 分 の 運 命 を 彼 に 預 け て い た 」42。 彼 の 死 後 も チ ン デ ッ ト 作 戦 は 継 続 さ れ た 。 ま た 、1944 年 5 月 7 日にミイトキーナの飛行場を奪うことに成功したス チ ル ウ ェ ル に よ る 米 中 国 連 合 軍 の 攻 勢 も 、 空 輸 支 援 に よ っ て 作 戦 が 継 続 さ れ た43。 モ ン タ ギ ュ ー ・ ス ト ッ プ フ ォ ー ド 大 将 の 第 33 軍団は、台風の中、チンドウィン川を 目 指 し て 進 ん で い た 。 ス リ ム は 、 次 の 乾 季 に マ ン ダ レ ー と ラ ン グ ー ン ま で 進 む た め の 拠 点 と し て チ ン ド ウ ィ ン を 使 用 す る つ も り で あ っ た 。 だ が 、1944 年 10 月にスチルウェル の 後 任 と し て 重 慶 か ら 移 っ て き たA・C・ウェデマイヤー大将は、シェンノートの第 14 空軍の飛行場を日 本 軍 の 攻 撃 か ら 守 る た め に 、 中 国 連 合 軍 の 師 団 を 中 国 に 空 輸 す る 際 、 ダコタの 3 個飛行隊(75 機)の転用を 12 月に突然命じた。これに対するマウントバッ テ ン の 抗 議 は 当 初 、 統 合 参 謀 本 部 に よ っ て 抑 え 込 ま れ た が 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン か ら の 再 三 の 要 求 を 受 け た ウ ェ デ マ イ ヤ ー は 、 結 局 、1945 年 2 月 1 日 に 3 個飛行隊のうちの 2 個 を 戻 し た 。 一 方 、 英 国 は 他 の 戦 域 か ら 輸 送 機 を ビ ル マ に 送 っ た 。 結 局 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 統 合 参 謀 本 部 を 説 得 し て 、6 月 1 日、あるいはラングーン陥落のいずれか早い時 期まで、2 個飛行隊を指揮下に入れておくことを認めさせた。 飛行隊の確保が極めて重 要だったのは、マンダレー(3 月 9 日にスリムの部隊によって陥落した)、更にラングー ン へ と 攻 勢 を か け る ス リ ム の 軍 が 、 空 輸 に 全 面 的 に 依 存 し て い た た め で あ っ た44。 ヴ ィ ン セ ン ト は 、1945 年 2 月 23 日、彼の飛行隊による近接航空支援は、険しい地形のため に 坂 を 上 る こ と が で き な い 地 上 軍 の 火 力 不 足 を 補 う た め に 実 施 し た と マ ウ ン ト バ ッ テ ン に報告した。ヴィンセントは続けて、「 ほ と ん ど の 航 空 機 が 、 空 軍 省 が 定 め た 運 航 上 限 を 6 ヶ月間連続して超えた。搭乗員も、地上整備員も、そして驚くべき短時間で補給を行 ったインドの 航 空 補 給 処 も 素 晴 ら し い 働 き を し た 。」と述べた。航空機からは、食糧、弾 薬 、 飼 料 、 水 だ け で な く 、 郵 便 、 薬 、 ブ ー ツ 、 東 南 ア ジ ア 連 合 軍 司 令 部 の 新 聞 、 タ イ プ ラ イ タ ー の リ ボ ン 、 靴 下 、 歯 ブ ラ シ 、 剃 刀 、 眼 鏡 、 そ し て ラ ム 酒 ま で も 投 下 さ れ た 45。 日 本 軍 が 撤 退 し た ラ ン グ ー ン は 、1945 年 5 月 2 日に連合軍側の手に落ちた。掃討作戦 を 別 に す れ ば 、多 く の 作 戦 に は 猛 烈 な 空 陸 戦 闘 を 伴 っ た が 、そ れ も 終 了 の 時 期 を 迎 え た 。 日本軍は 1945 年 9 月 12 日にシンガポールの英軍に降伏した(日本は 9 月 2 日にすでに 正 式 に マ ッ カ ー サ ー に 降 伏 を し て い た )。日 本 の降伏のニュースは、マウントバッテンに 41 Lewin, Slim, p.143. 42 Ibid., p. 144 .
43 Callahan, Burma 1942-1945 , p. 138-139; Bond, Chief of Staff, p. 157 .
44 Probert, The Forgotten Air Force, pp. 246-249. 地上作戦については、Kirby, The War Against
Japan, Vol. 5 , The Surrender of Japan, Part 1 (London: Her Majesty's Stationery Office, 1969)を
参 照 。
と っ て 幸 運 な 時 期 に 飛 び 込 ん で き た と い え よ う 。 と い う の も 空 軍 省 は マ ウ ン ト バ ッ テ ン の マ レ ー 奪 回 へ の 道 を 開 く た め に 最 新 の 爆 撃 機 を 提 供 す る よ り も 、 米 国 の 対 日 空 爆 作 戦 に 英 空 軍 を 参 加 さ せ る こ と を 考 慮 し だ し た か ら で あ る 。 ロ ナ ル ド ・ リ ュ ー イ ン は 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン も 「 間 違 い を 犯 さ な か っ た 訳 で は な い 」 と述べたが 46、 ビ ル マ 作 戦 間 の マ ウ ン ト バ ッ テ ン の 指 導 者 と し て の 資 質 、 特 に 空 軍 の 運 用 全 般 に 対 す る 責 任 者 と し て の 資 質 に つ い て は 疑 問 を 差 し 挟 む 余 地 は な い 。パ ウ ナ ル は 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン が と き お り 見 せ る 衝 動 的 性 癖 や 、 参 謀 の 意 見 を 参 考 に す る こ と な く 決 心 し て し ま う 欠 点 に は 批 判 的 だ っ た が 、「43 歳のマウントバッテンは、確かに、この戦 争 を 遂 行 す る た め に 必 要 な 意 欲 と 独 創 力 を 備 え て い る 」と1943 年 9 月 14 日の時点で評 価していた 47。 ま た 、 パ ウ ナ ル も 「 マ ウ ン ト バ ッ テ ン の エ ネ ル ギ ー と 意 欲 は 最 も 賞 賛 す べき特質である」48 こ と を 見 出 し て い た 。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン は 、 確 か に 無 気 力 な イ ン ド 軍 の 組 織 を 活 性 化 し た が 、 勝 利 に 対 す る 彼 の 最 大 の 貢 献 は 、 ビ ル マ 作 戦 の 間 に 最 も 必 要 と し た 輸 送 機 を 米 国 の 抵 抗 を 受 な が ら も 確 保 し た こ と で あ る 。 ビ ル マ作 戦 で マ ウ ン ト バ ッ テ ン を 忠 実 に 支 え た ス ト ラ ト メ ー ヤ は 、 マ ウ ン ト バ ッ テ ン と い う 人 物 を 「 連 合 軍 の 空 軍司令官はどのように身を処するべきかを見事に示した」と評した。また、1944 年から 翌 年 に か け て 東 南 ア ジ ア で 軍 務 に 就 い て い た 英 外 務 省 の ア ン ド リ ュ ー ・ ギ ル ク リ ス ト は 「 マ ウ ン ト バ ッ テ ン の 労 苦 ( 約 束 さ れ て い た 人 員 補 充 や 輸 送 が 度 々 停 滞 し た こ と と 、 米 国 の 対 中 国 政 策 に よ る 予 想 以 上 の 政 治 的 な 対 立 ) を 考 え る と 、 彼 が 数 多 く の 業 績 を 上 げ た こ と に 驚 か さ れ る 」 と 書 い て い る 49。 最 後 に 、 こ の 東 南 ア ジ ア 戦 域 で 活 躍 し た そ の 他 の 空 軍 指 揮 官 に つ い ても 言 及 す る 。 ピ アースの副司令官で 2 月下旬にパークが到着するまで暫定的に指揮を執ったガイ・ギャ ロッドは、1945 年初めに連合軍がビルマで勝利を収めた際に、極めて大きな貢献をした。 ス ト ラ ト メ ー ヤ は 、 ギ ャ ロ ッ ド を 「 指 揮 官 や 指 導 者 に な る た め に 生 ま れ て き た よ う な 偉 大 な 男 だ 」 と 評 し た50。 こ の 賛 辞 は 、 イ ン パ ー ル で 第 221 飛行連隊を率いて顕著な業績 を上げた S・F・ヴィンセント少将にも贈られるべきである。また、1944 年 7 月に第 224 飛 行 連 隊 を 引 き 継 い だ ア ー ル ・ ブ ラ ン ド ン 准 将 は 、 正 統 で は な い や り 方 で 先 任 将 校 た ち を狼狽させる こ と が 多 か っ た が 、 部 下 や 他 の 管 理 部 隊 の 司 令 官 た ち か ら 大 い に 尊 敬 さ れ た 。 マ ン ダ レ ー で の 戦 い の と き 、 ブ ラ ン ド ン は 階 級 を 示 す バ ッ ジ を 外 し 、 一 介 の 空 軍 将 校として第 273 飛行隊と共に出撃した 51。 マ ウ ン ト バ ッ テ ン も 、 米 陸 軍 の レ イ モ ン ド ・ 46 Ibid., p. 175.
47 Bond, Chief of Staff , p.108. 48 Ibid.,p.118.
49 Probert, The Forgotten Air Force, pp. 302-303 50 Ibid., p. 225.
ホ イ ー ラ ー 大 将 の 全 面 的 な 支 援 を 受 け て い た 。 ホ イ ー ラ ー は マ ウ ン ト バ ッ テ ン の 先 任 管 理 参 謀 で あ り 、 兵 站 の 専 門 家 で あ っ た 。 ま た 、1943 年 1 月にスチーブンソンの後任と し て ベ ン ガ ル の 空 軍 司 令 官 と な っ た T・M・ウィリアムズ空軍少将にも言及しなければ ならないであろう。スリムは、ウ ィ リ ア ム ズ を「兵士たち を 勇 気 付 け る 司 令 官 で あ っ た 。 そ し て 、 後 に 我 々 が 獲 得 し た 絶 対 的 航 空 優 勢 の 基 礎 を 築 い た 男 で あ っ た 」 と 評 し た 52。 も う 一 人 の 勇 敢 な 指 導 者 は 、 自 ら 出 撃 の 先 頭 に 立 つ こ と が 多 か っ た 米 陸 軍 航 空 隊 の 輸 送 部 隊 司 令 官 の オ ー ル ズ 大 将 で あ る53。 1944 年 4 月、パウナルは、戦略空軍はより重要な飛行場や船舶ではなく、日本の通 信 連 絡 手 段 を 攻 撃 し て お り 、「空軍は『別個の戦争』をするという古いゲームを行ってい る」と 不平 を 漏 ら し た 54。 し か し 、 記 録 に よ る と ほ と ん ど の 場 合 、 空 軍 と 地 上 軍 の 司 令 官 は 、 米 陸 軍 航 空 隊 と 英 空 軍 の 部 隊 が そ う で あ っ たよ う に 密 接 な 連 携 を 保 っ て い た 。 こ の よ う な 関 係 は 、 主 に ス リ ム と ボ ー ル ド ウ ィ ン の 指 導 者 と し て の 質 の 高 さ に よ っ て も た ら さ れ た も の で あ っ た 。両 者 は 、作 戦 の 早 い 段 階 か ら コ ミ ラ で 緊 密 に 連 携 し 合 っ て い た 。 ま た 、 作 戦 を 通 し て 不 屈 の 精 神 と 勇 気 を 示 し た 輸 送 機 搭 乗 員 た ち も 忘 れ て は な ら な い 。 彼 ら は 、 し ば し ば 体 力 の 限 界 ま で 飛 行 を 続 け て 地 上 の 作 戦 を 支 え た 。 ジ ョ ー ジ ・ ジ フ ァ ードは、6 月 28 日にスリムに宛てた手紙の中で彼らを次のように讃えた。 私は、陸軍が空軍から受けた大きな恩義を忘れることはない。東部空軍司令部の偉大 な 支 援 が な か っ た ら、陸軍は決して勝利を収めることはできなかったと言っても過言 で は な い 。 彼 ら の 働 き を 見 た も の で あ れ ば 誰 で も 、 最 悪 の 天 候 の 中 、 ま た 、 敵 の 攻 撃 に 晒 さ れ た 危 険 な 戦 域 の 上 空 を 飛 行 し て 、 陸 軍 の 目 の 前 の 敵 を 攻 撃 し 、 あ る い は 敵 の 後 方 通 信 連 絡 網 を 爆 弾 や 機 関 銃 で 破 壊 し 、 更 に 、 ア ラ カ ン 、 イ ン パ ー ル 、 お よ び ビ ル マ 中 央 部 で 孤 立 し た 部 隊 に 増 援 部 隊 や 補 給 品 、 弾 薬 な ど を 空 輸 し た 乗 組 員 の 勇 気 、 決 断 、 そ し て こ れ ら を 遂 行 し た 技 量 を 決 し て 忘 れ な い で あ ろ う55。 52 Ibid., p. 131. 53 Ibid., p. 168.
54 Bond, Chief of Staff, p. 160. 55 Kirby, The War Against Japan.