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押山美知子 少女マンガジェンダー表象論
- ( 男 装 の 少 女 ) の 造 形 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ―
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位
請
求
論
文
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Ⅰ 論 文 要 旨 押 山 美 知 子 本論は、(男装の少女)というヒロイン像を切り口に、 日本の少女マンガにおけるジェンダー表象がどのような形 で構築され、どのような形に変容していったのかを探るこ とを主要な目的とするものである。 (男装の少女)というヒロイン像は、日本における少女 向 け ス ト ー リ ー ・ マ ン ガ の 第 一 号 で あ る 、 一 九 五 三 年 「 少 女クラブ」一月号に掲載された手塚治虫 『リボンの騎士』 のヒロイン・サファイヤに付与された設定であったが、読 者の少女たちから強い支持を受け'以後、日本の少女マン ガというメディアの中で'今日に至るまで繰り返し描かれ る定番のヒロイン像となっている。(男装の少女) のみな らず、日本の少女マンガでは(男装の少女)と対になる(女 装の少年) や、両性具有キャラクター'性が設定されない 中性的キャラクターなど、異性装キャラクターのバリエー ションは多彩であり、日本の少女マンガは (性別越境)を 一つのキーワードに発展してきたと言っても過言ではない。 これは言い換えれば日本の少女マンガがジェンダーを表象 す る メ デ ィ ア と し て 機 能 し て き た と い う こ と で あ る 。 主 に 十代の少女たちに向けて日本の少女マンガは7体どのよう な形でジェンダーを表象し始め、時代とともにどのような 形に変化させていったのか。特に'本論では現時点で専攻 研究の数がまだ限られている絵画表現の分析、具体的には (男装の少女)というヒロインの容姿造形を構成するジェ ンダー・コードとなる表象記号に着目Lt どのような表象 記号の組み合わせによってヒロイン像が描き出されていっ たのかという点に重点を置いた論考を試みていく。 また本論は'(男装の少女)をヒロインとする個々の作80 品論を中心に構成されたものであるが、使用するテクスー はコミックス (単行本) に収録された版を用いつつ、なる べく雑誌掲載時の表現と照らし合わせることで'よ-実証 的な考察が可能となるよう心掛けたものとなっている。 本論の構成は、以下の通りである。 第一章「(男装の少女) キャラクターの出発点-手塚治 虫 『リボンの騎士』」 では'(男装の少女)というヒロイン 像の原初形態である手塚治虫 『リボンの騎士』 のヒロイ ン・サファイヤによって示される (性別越境)及び性差を' 「少女クラブ」版、続編、リメイク版の三作品全てを取り 上 げ て 、 そ の 構 造 と 変 化 に つ い て 考 察 し た 。 「 少 女 ク ラ ブ」版についての考察では、サファイヤの造形に影響を与 え た と さ れ る 宝 塚 歌 劇 の 「 男 役 」 と サ フ ァ イ ヤ の ジ ェ ン ダー表象比較を試みた。 第二章「『傍流』としての(男装の少女)-水野英子『銀 の花びら』 では'六〇年代に描かれた (男装の少女)もの 数点を対象に、それらの作品に見られるジェンダー表象の 傾向を明らかにしていく。とりわけ、戦後少女小説との影 響関係、及び五〇年代半ばに全国各地で巻き起こった「悪 書追放運動」との関連に焦点を当てて論じた。本章の後半 で は 、 ( 男 装 の 少 女 ) と い う モ チ ー フ を ア ク セ ン ト 的 に 作 中に取り入れている水野英子『銀の花びら』 におけるジェ ンダー表象について'中心的に論じている。 第三章「(男装の少女) の成長-池田理代子『ベルサイ ユのばら』 は'七〇年代に描かれた (男装の少女)ものに 関する論考であるが、『リボンの騎士』 のサファイヤと並 び立つ (男装の少女)キャラクターの代名詞的存在である、 池田理代子『ベルサイユのばら』 のヒロイン・オスカルに よって提示された (性別越境)とそのジェンダー表象に特 に焦点を当て'分析した。論の後半部ではt Fベルサイユ のばら』 を連載していた当時の 「週刊マーガレット」 に掲 載された他作品を取り上げ、それらの作品におけるジェン ダー表象についても言及している。 そして、「(男装の少女) の反復と再構築 その過程に潜 むもの」では、オスカル以降の(男装の少女)キャラクター の変遷とジェンダー表象の変化について'ここ数年の傾向 を踏まえた上で論じている。
81 博士論文 少女マンガジェンダー表象論
板権柘
坂 田 植 則 甫 光子治彦
Ⅱ 審 査 報 告 審査委員 (主査) 専修大学文学部教授 専修大学文学部教授 専修大学文学部教授 本論文は、日本の少女マンガにおけるジェンダー表象が' どのように構築され'どのように発展して現在に至ってい る か を 、 「 男 装 の 少 女 」 と い う ヒ ロ イ ン の イ メ ー ジ を 切 り 口として、三章に分けて論じたものである。 全体の構成は、目次・はじめに (序章)・本論 (全三 辛)・終章'という体裁を取っている。全体の分量は、四 〇〇字詰め原稿用紙に換算すると'約六五〇枚に当たる。 ま た ' こ の 他 に 別 冊 の か た ち で 、 A 4 版 一 四 〇 ペ ー ジ に の ぼる 「図版・表・参考資料」 が各章に分けて付されている。 まず序章では'日本の少女マンガが、ジェンダーを表象 する上で大きな役割を占めてきたことに触れ、符にその様 相が顕著に表現される 「男装の少女」というキャラクター を分析することの意義について述べている。 本論では、第一章「『男装の少女』 キャラクターの出発 点-手塚治虫『リボンの騎士』」で、そのヒロイン「サファ イヤ」のジェンダー越境について分析し、第二章「『傍流山 としての 『男装の少女』-水野英子『銀の花びら』」で、 少女小説との比較や、『男装の少女』ものの空白期におけ る水野英子ほか五人の作家の作品を分析し、第三章「『男 装の少女』 の成長-池田理代子『ベルサイユのばら』」 で、 そのヒロイン 「オスカル」 の造形やアイデンティティ獲得 などについて論じている。終章では、それらをまとめると ともに、現在のジェンダー表象の状況について述べている。 別冊の 「図版・表・参考資料」は、本論中に引用された 少女マンガのキャラクターや場面の画像のコピーをほぼす べてにわたって収録したものである。特に論中で色彩が問 題にされている画像は、カラーコピーで収録されている。 注記が詳細で厳密であることも本論文の特色で、引用し た作品の実際の掲載誌すべてに当たっており、また同時代 評を網羅するなど、先行文献の少ないこの領域での努力が 推察される。 ところで、現代文学と現代メディアは'きわめて密接な 関係にある。そしてマンガ、特に少女マンガは、現代の文 学環境においても、もっとも文学作品に近い分野であり、 文学との相互影響関係もきわめて大きい。したがって、こ の論は、文学環境論としても評価することができる。日本 文学文化の領域における論考として価値を有すると判断す82 る 。 なおこの論者は、本研究科の修士論文においても、少女 マンガ論を提出し,高い評価を得て合格している。少女マ ンガを扱った博士論文は、全国でもまだ数少ないと思われ る が , 本 論 文 は 多 -の 点 に お い て 優 れ て お り 、 注 目 性 を 有 すると考える。 以下に本論各章の内容と評価について述べる。 第l章「覇装の少女』キャラクターの出発点-手塚治 虫『リボンの騎士』」では、まず第l節「『男装の少女』の 誕生」で、日本最初の少女向け長編ストーリーマンガとし て一九五三年にスタートした『リボンの騎士』が'手塚治 虫が幼少の頃から親しんだ宝塚歌劇の影響下に生まれたも のであることを、手塚の談話や文章から立証している。 第 二 節 「 サ フ ァ イ ヤ の 造 形 」 で は 、 『 リ ボ ン の 騎 蓋 の ヒ ロ イ ン で あ る サ フ ァ イ ヤ の 造 形 に つ い て 分 析 す る 。 サ ファイヤは王女でありながら、政敵を打倒するためには男 装し,騎士として剣をもって戦う。しかしその容姿は'限' 局,鼻、口、顔の輪郭'肌の色など'明瞭に女性的であり' 男性を装う時には、服装や持物や髪形を変えるにすぎない。 つまりサファイヤは、女性性の表象記号が優位に立つキャ ラクターであるということを、具体的な画像の引用によっ て論じている。 第三節「サファイヤの『性別越境』」では、この作品で の ジ ェ ン ダ ー ・ ト ラ ン ス レ ー シ ョ ン が ' 天 使 と 悪 魔 に よ る 「 女 の 心 」 と 「 男 の 心 」 の 争 奪 戦 と い う 、 サ フ ァ イ ヤ の 与 り 知 ら ぬ と こ ろ で 引 き 起 こ さ れ て い る の で あ り 、 し た が っ て基本的には身体的性差であるよりも精神的な性差が問題 と さ れ て い る と い う こ と を 述 べ て い る 。 ま た ' こ の 性 別 越 境の身体的・心理的変化を分析・分類し'それらを「ジエ ン ダ l ・ コ ー ド 」 と し て ま と め て い る 。 第四節「『性別越境』の果て」では'サファイヤの眼の 画像が,内面的な男性性を表象しえていないことに注目し、 サファイヤにはつねに'抑圧された内面的な女性性を解放 することが求められていると分析する。そしてここから' 手塚治虫は既存のジェンダーを描き出すことに力を注ぎ、 ジェンダー・カテゴリーの構造的な問題には目を向けてい な か っ た 、 と い う 判 断 を 行 な っ て い る 。 第五節「『少女クラブ』版サファイヤと宝塚歌劇の『男 役』-『性別越境』に見る接点」では'これまで論じてき た手塚の最初の『リボンの騎士』(『少女クラブ』版)につ いてまとめ、これが堅剛・戦後の「宝塚少女歌劇団」にお い て 強 制 さ れ た 、 ジ ェ ン ダ ー や セ ク シ ャ リ テ ィ に つ い て 考 え た り , 男 性 と 交 際 し た り す る こ と を 許 さ な い と い う ' 家 父長制社会の中の女性の倫理につながっている、と分析す る 。 す な わ ち 手 塚 の 描 -女 性 の ジ ェ ン ダ ー ・ コ ー ド は 、 身
83 博士論文 少女マンガジェンダー表象論 体を隠蔽され、内面的変容も許されない、つまり男性的価 値観を脅かさないようなジェンダー秩序に組み入れられた 表象だった'とするのである。 第六節「『リボンの騎士』 の新たなる展開-続編とリメ イク版」 では、二年後の続編と十年後のリメイク版につい て論じている。掲載誌がいずれも 『少女クラブ』 よりも低 年齢の読者層をもつ 『なかよし』 であったことと、雑誌の 版型がB5版からA4版へと大きくなったことの影響で、 サファイヤの眼のハイライトが大きく書き込まれ、その結 果、男性性を表す「知性」 の表現がさらに困難とな-、女 性性が強調されたこと、また服装における男女差が拡大さ れたことなど、『少女クラブ』 版のジェンダー・コードが さ ら に 顕 在 化 し た こ と を 、 多 く の 画 像 の 引 用 と と も に 指 摘 している。 以上の第一章においては'日本の少女向け長編ストー リーマンガの最初の作品である 『リボンの騎士』 が、「男 装の少女」という性別越境を措きながらも、そこにはつね に女性性の強調が行なわれており'時代的な'また宝塚的 なジェンダー秩序から抜け出していないということを'多 くの画像や先行文献を具体的に引用しながら論じている。 こうした立論の鮮やかさと、論旨の明確さ'表現の的確さ は、評価に値すると判断する。 第二章「『傍流』としての『男装の少女』-水野英子『銀 の花びら』」 では、一九五〇年代前半に始まる 『リボンの 騎士』 と一九七〇年代前半に始まる Fベルサイユのばら』 との中間の時期における 「男装の少女」ものの一種の停滞 状況とその原因について述べ、その中で注目される作品で ある水野英子『銀の花びら』 のキャラクター造形を分析し ている。 第一節「『男装の少女』 ものの空白期-黍明期少女マン ガと戦後少女小説」 では、l九五〇年代後半から六〇年代 にかけて'男性作家の描いた初期少女マンガの多-が、 「少女体験」をもたない男性作家が戦後の少女小説を踏 襲・模倣して創作したものであった、ということを指摘し て い る 。 そ こ で は 、 優 し -心 清 ら か な 美 少 女 ' と い う ヒ ロ インの造形のもとで、彼女が貧しさや虐待や不幸と戦って い -、 と い う ス ー -リ ー が 中 心 に な っ て い た と す る 。 第二節「『悪書追放運動』 と 『自主規制』」 では、この時 期に、マンガの流行に圧迫された児童文学の関係者などに よって、マンガ追放運動が「悪書追放」というかたちで展 開され、その結果、良書イコール児童文学や少女小説、悪 書イコールマンガ'というような分類法が流布したこと、 そ れ に 伴 っ て 出 版 レ ベ ル で の ジ ェ ン ダ ー や セ ク シ ャ リ テ ィ にかかわるマンガ表現の自主規制が行なわれたことを述べ ている。
84 第三節「空白期の 『男装の少女』 ものに見るジェンダー 表象」 では、この時期にはサファイヤのように男女両方の ジェンダーをもって活動するようなヒロインは登場せず、 男の子のように「活発」な 『じゃじゃ馬キティ山 や、時と して男のふりをして仕事をする Fまぼろしチャオ』 のよう な少女たちが描かれたことを指摘する。作家は男性たちで あり、ジェンダー・コードを逸脱しないかたちで表現され ていることが'多くの画像の引用によって説明されている。 第四節「少女小説的世界からの飛躍-水野英子『銀の花 びら』」 では'この時期に登場した唯一の 「男装の少女」 ものである 『銀の花びら』を分析している。画像やストー リーの類似や作者自身のエッセイなどから、これが手塚の 『リボンの騎士山 に強-影響されていることを指摘しなが ら 、 そ れ と の 差 異 に つ い て 述 べ て い る 。 ヒ ロ イ ン の 「 リ リー」は'男装して敵に立ち向かうが、すぐに女であるこ とを見破られるという'身体的な性別越境の困難な少女だ が、知性を身につけることで精神的な性別越境を試みよう とする。その際には眼のハイライトが十字形になる。こう したヒロイン造形は'少なくとも「しとやかさ」 や「純粋 無垢」が強調される少女小説的世界からの飛躍を志向して いたとする。 以上の第二章においては、これまで論じられることの少 なかった少女マンガの受難の時代あるいは低迷期について、 多くの文献や資料に基づいて検討し、そこから説得力のあ る論を構築していると見ることができる。また、第一章か ら第三章への展開を論理的に説明しているといえる。 第三章「『男装の少女』 の成長-池田理代子 Fベルサイ ユのばらと では'まず時代的な流れのなかで萩尾望都の 作品を取り上げ、そして 『リボンの騎士山 のサファイヤと 並ぶ有名な「男装の少女」キャラクターである池田理代子 『ベルサイユのばら』 のオスカルについて詳細に分析して、 その 『性別越境』 の様相を、形態や内容などさまざまな領 域 か ら 明 ら か に し よ う と し て い る 。 第一節「週刊誌時代と新人マンガ家たち-萩尾望都『雪 の子』」 では'一九六〇年代以降の週刊少女マンガ雑誌の 隆盛に伴って、新人の女性マンガ家たちが続々と現れ、新 しい方向性をもたらしたことについて述べている。そして 特に注目を浴びたいわゆる「二十四年組」 の一人である萩 尾望都の 『雪の子』 の主人公の 「少年」エミールについて 分析する。少年として育ったエミールは、自分の体が成長 しておとなの (女の) 体になっていくことに絶望して'十 二歳の雪の日に自殺を企てるのだが'このエミールの両性 具有的な身体性について'画像や内容からの検証が行なわ れる。そして、少女の性の分化に対する不安を、少年の姿 を借-て表現している点にも'この作品の意義を兄いだし
少女マンガジェンダー表象論 て い る 。 第二節﹁﹃ベルサイユのばら﹄と﹃男装の少女﹄オスカ ル﹂は、長い節であり、①から⑦までの小見出しが付けら れ て い る 。 ①﹁作者・池田理代子と﹃ベルサイユのばら﹄連載開始 までの経緯﹂では、池田理代子の作家的背景と、一九七
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年代という時代にあって彼女が歴史物の長編を書こうとし、 その中で、高校時代に読んで感動したツヴァイクの﹃マ リ1
・ァントワネット﹄の翻案を思い立ったことなどが述 べ ら れ る 。 ②﹁キャラクターの容姿造形の変化﹂では、マンガの描 写を熟知していた池田が、連載途中で美術大学の学生につ いて本格的に絵の勉強をし、そこからキャラクターたちの 造形が歴史物らしい風格をそなえていく方向に変化して いったことなどが指摘される。 ③﹁オスカルの造形﹂では、作品の三人の主人公である、 アントワネット、フエルゼン、オスカルの容姿の造形を比 較して、アントワネットでは女性性が強調され、フエルゼ ンでは男性性が強調されるのに対して、オスカルは原則的 に両者の中間型である﹁中性﹂であるが、男性キャラク ターと向かい合う時には女性的特徴が、女性キャラクター と向かい合う時には男性的特徴が顕著になるということを、 画像の引用によって指摘している。 博士論文 85 ④﹁オスカルの﹁性別越境﹄の過程﹂では、オスカルの 性別越境のプロセスを、八つの段階に分けて詳細に論じて いる。いずれも画像によって例証されている。まとめてい えば、男性性の強調と女性性の強調を交互に描く方法から、 両者を同時にそなえた﹁中性性﹂に移行するという過程が 述べられているのである。 ⑤﹁オスカルの自己確立│主体性の獲得﹂では、オスカ ルが剣の腕をみがくとともに、ルソーやヴォルテl
ルを読 んで知性教養を身につけ、男性とわたりあえる文武両道に 長けた人物になっていく点を、身体性・精神性の両面で手 塚の時代のジエンダ1
・コードを越えた、主体性の獲得で あると見ている。 ⑥﹁神話的存在としてのオスカル﹂では、オスカルの死 によって神話化されたものは何かを考察している。いくつ かの先行する論を批判しながら、論者はオスカルの死に よって永遠のものとなったのは、女性の主体性の獲得の過 程と結果であると分析している。 ⑦﹁掲載誌﹁週刊マーガレット﹂にみるジェンダ1
表象 │投書と他作品における傾向﹂では、同誌に紹介された少 女読者からの投書が、ジエンダl
にかかわる内容を中心と しており、オスカルに注目するファンが多かったこと、ま た同誌に掲載される女性作家たちのマンガに、旧来のジエ ン ダl
・ コl
ドにとらわれないものが多く出現したことを、86 具体的な例をあげて述べている。 以上の第三章においては、『リボンの騎士』 連載開始か ら二〇年をへた一九七〇年代の 『ベルサイユのばら』 が' 時代的な背景の中で'女性作家による女性性の検討や性別 越境の試みを行なった作品であるということを述べ、特に オスカルという「男装の少女」を、画像的・物語的に詳細 に分析している。サファイヤとオスカルの比較検討は周到 に行なわれ、ジェンダーの越境という点での両者の差異が、 明確に指摘されている。 終章の 「『男装の少女』 の反復と再構築 その過程に潜 むもの」 では、オスカル以後の一九八〇・九〇年代の 「男 装の少女」ものについて概観し、特に八〇年代の木原敏江 『とりかえばや異聞』 や、九〇年代のさいとうちは 『少女 革命ウテナ』 に注目している。 『とりかえばや異聞』 では、男装して男性的に振る舞う 遊女「紫子」 の身体的女性性と内面的男性性の両面がジェ ンダー・コードを超越するかたちで描かれ'『少女革命ウ テナ』 では'男装を好む女子中学生の内面的女性性と性別 越境への強い志向が表現されているとして、オスカル以後 のキャラクターの発展を見ている。 しかし現在では 「男装の少女」 は記号化された消費のた めの装置となり'かつて少女マンガが新しいメディアとし て提起された時のようなインバクーをもちえなくなってい るのではないか、と論者は指摘して、まとめとしている。 本論を全体として見ると、論者の意図は、これまで論じ られることの少なかった少女マンガにおける異性装の問題 に 照 明 を 当 て る こ と に よ っ て ' ジ ェ ン ダ ー ・ コ ー ド や 性 別 越境という現代のテーマを抽出し、さらに 「女性」という 表現主体・表現客体の意味を究明しようとするものであっ た と 考 え る こ と が で き る 。 こうした論者の意図は、本論文において、徹底した文献 調査による論証の赦密さや、画像の引用の的確さや'文章 表現の明確さなどによって、あざやかに実現されていると 見 る こ と が で き よ う 。 結論として、本論文は、学位論文として適正かつ優秀な ものと判断される。 以上が'審査報告である。