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自身の経験から視覚障害の基礎心理学でのテーマを考えて

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Academic year: 2021

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DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.39.9

自身の経験から視覚障害の基礎心理学でのテーマを考えて

吉 本 浩 二

富士通株式会社

A consideration for studies of the psychonomic science on blindness and

visual impairment from my personal experience

Koji Yoshimoto

FUJITSU LIMITED

Having joined a panel discussion about visual disability and the psychonomic science, I considered how I could contribute from a standpoint that I myself am visually impaired. I have serious low vision. My vision is less than counting finger. My eyes are retinitis pigmentosa, which is a progressive disease. I’ve been losing my eyesight since primary school. In this article, I discuss how the psychonomic science research may relate to visual disability issues from my personal experience of progressive eye disease to the blind.

Keywords: retinitis pigmentosa, progressive disease, low vision, blind, visually impaired, visual disability

1. は じ め に 日本基礎心理学会での「視覚障害と基礎心理学」のシ ンポジウムに当たり,自分自身が視覚障害の当事者であ ることからどのような事柄を伝えられるかを考えた。筆 者は網膜色素変性(以下RP)という眼疾患で重度のロー ビジョン(弱視)である。RPは進行性の疾患で,徐々 に視力が低下する。筆者の現在の視力は指数弁程度の状 態で,初等教育時から視力低下を自覚するようになっ た。本稿ではこの視力低下の過程を紹介し,基礎心理学 の研究の関連を見出していただけたらと思う。一つは, 自分の視力低下の経過の中で,視覚障害者の日常作業行 動の制限の現在の測定の限界について,二つ目は,進行 性の障害と先天性の障害の差について,三つ目は,障害 がある中,日本で生きる状況についてである。前半は視 覚障害の一般と筆者の眼疾患の症例の紹介が中心となる が,その中に認知心理のテーマを探ってみたい。後半は 障害の理解や評価を基礎心理分野の社会心理における パーソナリティの課題として考えたいと思う。 2. 見えづらさ 筆者の視覚障害の原因であるRPは,網膜が光を感ず る能力自体が低下するため,屈折異常とは違う原因で視 力に十分な数値が出ない。筆者のロービジョンの見えづ らさは視野,色覚,光刺激の反応度など複数の要素から の複合的な結果であるが,見えづらさを説明しようとす る場合,個々の数値データではなく,生活の場面も交え て伝えるようにしている。周囲の人がこの個々の数値か ら見え方を想像し,その結果日常で何を経験しているか 想像するのは困難と思われるからである。 筆者は現在指数弁程度であるが,比較的まだ残存視力 が残っていた頃は,周囲の人に例えば, (1)遠くの物が見えない (2)小さい物が見えない (3)大きい物の全体像がわからない (4)よく似た物の区別ができない (5)動いている物を追えない (6)暗い場所で見えない (7)色がはっきりしていないと見えない などのように伝えるようにしていた。 (1)(2)は一般に知られた屈折異常でも起きるが, ロービジョンは焦点が合っていても見えづらさを示す。 (3)から(5)は視野欠損で生じる。筆者のRPでは, Copyright 2020. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: Marketing Communications

Divi-sion, Global Marketing Unit, FUJITSU LIMITED, 1–5–2 Higashi Shimbashi, Minato-ku, Tokyo 105–7108, Japan. E-mail: yoshimoto.koji@fujitsu.com

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網膜の機能が部分的に低下していくため,視野欠損は一 様ではなく,大きく類別すると,周囲が見えなくなる求 心性視野狭窄と,文字などを判読する最も視力が高い黄 斑部である網膜の中心が見えなくなる中心暗点があり, またその双方を併発するケースもある。筆者はこの双方 のケースにある。求心性では大きな物の全体像を捉える のが難しく,足元の障害物に気づかずつまずく危険性が 高まる。他方,中心視力ははっきりしている段階では新 聞などの小さな文字も読め,白杖を携行しているのにス マートフォンの画面を目で見る様子に訝しく思われてし まうことなどを経験する。中心暗点は文字を読むことに 困難があるが,歩行時に足元や周辺の障害物認知には問 題ない症状となり,機敏に歩く様子から文字の読み書き にどれだけの不自由があるかを察してもらえないという 悩みを抱えることになる。次節では視野と認知との関連 について触れる。 (5)は視野の制限から生じ,スポーツでの飛球や駅の 電光掲示のスクロールを読むことに支障があり,度合い は(1)(2)にあるような文字通りの見る力が低下して いることも関連していると思われる。 (6)(7)もRPに頻繁に見られる症状となる。網膜の 中で弱い光を受け持つ桿体の機能低下で夜盲症となり, 錐体も機能低下において3種類のバランスが崩れるため 色覚異常が現れる。(6)の夜盲は映画館などの照明の弱 い場所でほぼ完全に見えなくなる症状である。またある 程度の明るさのある屋内でも,太陽の眩しい晴天の野外 から入った後しばらく見えなくなる暗順応低下の症状も 現れる。これらは(1)から(5)までの視機能が比較的 残存していても現れ,見えているはずの自分が,昼と 夜,明るい部屋と暗い部屋というごくありふれた場面の 変化によって全く見えない自分へと変貌させられる。こ の場面変化の平凡さは,周囲の人の当人が抱える闇によ る全く見えない不便の切実さへの注意を散漫にしてしま う要因に感じられる。 夜盲も影響し,特に(7)の色覚で重要となるのは文 字などのコントラストで,背景に写真が重なっているな どコントラストが低いとその箇所だけ読めなくなる。色 覚の重要性はロービジョンの関係者にも十分に意識され ておらず,5節で触れることにする。 通常「目が悪い」という文脈で想像されるのは(1)(2) までで,眼科医でも,ロービジョンを専門としていなけ れば(5)程度までが注意の範囲となり,ちょうどこれ は障害者等級を判定する視力・視野の検査に相当する部 分となるが,この測定値が生活での困難を説明し尽くせ ないことは6節で触れる。 ロービジョン当事者同士でも,例えば先に述べた夜盲 のように照明の違いや一日の時間帯で全く見えなくなる といったことは,その症状のない違う眼疾患の人からの 配慮点から外れることがある。一般の人はもとより,眼 科医といった視覚障害に関係する人,そして当事者同士 であるロービジョンの人からもRP患者の見えづらさは 想像が難しく,生活の場面での誤解を招く。このパーソ ナリティへの影響は7節で見る。また同じく7節で,障 害の発症時期の影響を述べる。RPは基本的に後天的に 発症するが,人生のどの時点で発症するか,そのとき置 かれている環境で受容に差が生まれ,その後の障害への 適用にも差が生ずる。 以上のように,RPは大変多様な眼疾患である。発症 時期,進行速度,安定期間の視力状態は人それぞれとな る。求心性視野狭窄と中心暗点は特性が全く異なり,ま た夜盲症や色覚異常の程度も様々である。見えづらさは これらの組み合わせで,困難となる生活の場面(場所・ 時間帯)が変わってくる。 3. 視覚障害と記憶 視野狭窄で一度に見える視界の範囲が制限されている というのはどういうことだろうか。全体を見るとき,部 分を見ながら,視線を移動させ繋いでいくことになる。 例えば,ワークショップで用いられるマインドマップな どを見る際も,部分を見ながら全体の配置を把握するこ とになる。この作業の中で,ゲシュタルトは発生するだ ろうか。全体を俯瞰しない様を「視野が狭い」と表現す る。これは視野狭窄にある人はゲシュタルトの思考が困 難と仮定しているのだろうか。もしそれが正しいとする と,基礎学問からの提案として,どのようにすれば視野 狭窄の状態でもゲシュタルトの思考が可能となるのだろ う。またその方法が視覚障害リハビリテーションの現場 に紹介されているだろうか。 ロービジョンの人が部分を繋いで全体を視認する過程 には記憶を使っている。全盲の人も,説明によってマイ ンドマップの様子を把握しようとするなら,記憶を駆使 することになる。視覚障害の人は,思考を巡らせる際, あるいは作業を進める際に,一時的な記憶をより活用す ることになる。簡単な作業で例えば旧来のプッシュボタ ン式の電話機で電話をかける場面を考えてみる。中途で 全盲になった人が,メモはICレコーダーに録音すると していたら,電話番号の録音を聞いてプッシュ操作を行 う。ここで8桁以上の数字列を記憶する。8個の数字は 一度に記憶できる限界に近いが,記憶を保持できる時間 内にプッシュボタン操作を手探りで完了できるだろう

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か。晴眼者が記されたメモの番号を見ながらプッシュ操 作する方法と比べると負荷のあるワークロードとなる。 さらにID番号など,覚えなければならない桁数が10程 度を超えてくると,作業を別の仕方に変える必要に迫ら れる。桁数が7未満だったとしても,機器操作遂行が一 時記憶の保持時間を超える場合,同じく一度のプロセス では作業を完了できないので,作業能率が格段に下がる ことになる。電話番号の録音を4桁ずつ一時停止,再生 再開して聞き,忘れた場合は早戻し操作で聞き直すなど になるだろうか。プッシュ操作を的確に行えるだけでな く,ICレコーダーなどそれぞれの機器の操作の技量が 必要になり,これは視覚障害のリハビリテーションの現 場における OT (作業療法)に相当する部分となるが, 先の電話は一つの例として,一般に視覚障害者は作業行 動で情報を逐一確認しながら作業を遂行できないことに 対処するために記憶を駆使せねばならず,一時記憶量が 限界を超える場合はそれに対処する仕方を習得せねばな らない。視覚障害リハビリテーションのOTは,視覚の 制限状態という知覚の範囲に留まらず,記憶を含めた認 知の範囲で設計された対応法を教示することが望まれ る。 4. 文章の読み ICレコーダーに録音した電話番号は数字が一つずつ 聞こえ,マインドマップは部分から全体を把握する。共 通するのは,情報が時間軸に沿って順序だって知覚され ていく点である。古くから研究されているテーマとして 文章の読み速度がある。英文であれば,晴眼者が読む 際,数単語を一度に見て読み進めているだろう。単語は 綴りではなく,一塊の形状として知覚され,その塊の数 個を同時に捉えて左右に,場合によっては行を跨いで面 的に視認して読み進めている。 他方ロービジョンの人で,非常に大きなフォントサイ ズを必要とする視力の場合,単語をチャンクとすること はできず,アルファベットを 1文字ずつ追うことにな る。1文字1文字を時間軸に沿って知覚し記憶に蓄え, 綴りをすべて判読した時点でようやく単語として意味の ある塊を認知する。これは単語をチャンクの一つとして 知覚するのと大きな差で,フォントサイズを拡大し同時 視認可能な範囲が狭まる,あるいは視野狭窄で視界が狭 まることは,英文の読みに関して,ロービジョンのある 段階で困難に質的な変化が現れることを意味している。 これと同じ状況が,点字の読みにおいても指摘でき る。成人以降に視覚障害となった人は点字をゆっくりと しか読むことができず,1マスずつ,何の文字か,どの ように点が配置しているか解読するかのように読んでい る。他方,幼少期から点字を使用する人は,非常に速く 指を動かし,英単語や日本語の分かち書きされた文節 を,あたかも一つの形状として知覚し,その数個を後か ら何と書かれていたか認知しているかのように読み進め ている。目で見る場合も,指で触れる場合も,読み速度 には,ある段階で相転移ともいえる質的不連続性を指摘 できるだろう。 読み速度,さらに,先に述べた作業の能率はどのよう に客観的に評価できるだろうか。公正な評価に厳格性が 問われる,例えば大学入学共通テストにおいては,試験 時間の延長において,点字受験者は1.5倍,拡大印刷を 含め弱視の受験者は1.3倍,申し出による審査で1.5倍と されているが,1.51倍でもなく1.49倍でもなく,1.500… というこの数値の根拠はどこに求めることができるだろ うか。基礎心理の研究からの提言に期待を寄せたいと思 う。 5. 色 覚 ここまで視野狭窄を考え,視覚障害等級は視力と視野 の数値で判定されることに触れた。しかし,多くの視覚 障害支援の関係者(眼科医・視能訓練士,特別支援教育 関係者や歩行訓練士など)は,この2つの数値では説明 できない見えづらさの事例に接している。例えばコント ラストが重要であることが知られており,文字表記であ れば,前景色と背景色のコントラストの確保が考慮され る。これは端的に色の問題であるが,文字を離れ生活全 般においては,一貫したコントラストの確保はできない ため色はそこかしこに影響の現れる因子となる。 筆者の場合,RPは視力低下とともに色覚異常になる が,生活の場面で例えば,街中で郵便ポストを見つけら れなくなった。あれほど大きな物体にもかかわらず,と いうのがそのときの自分の見えづらさに対する率直な感 想である。自分より(検査での)視力の数値が低いロー ビジョンの人がいとも簡単にポストを見つける様子に接 し,現行の検査での視力の指標に対する疑問がさらに深 まることとなった。そのロービジョンの人は電車に乗る と空席を見つけることができ,また街を歩いていて チェーン店の建物などを見つけることができる。自分は 空席も店舗も見つけることができない。そのロービジョ ンの人に色覚の差異はない。看板の文字,建物や人影な どがはっきりと見えなくとも,色が見えることで対象を 認識できている。これは,視力の数値と生活上の視力, そ の視 力 に よ っ て 成 り 立 っ て い る 生 活 の 質 の 程 度 (QOL)が逆転していることを示している。つまり,こ

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れらはいくつかの場面ではあるものの,障害者等級は生 活の困難さを反映できていないことを意味する。 また,視覚障害の関係者にも色覚の重要性が忘れられ ているケースがある(吉本,2020)。QOLの逆転は,生 活の実質的な不便だけでなく社会心理面での難しさにも 現れるということである。視覚障害の関係者も含め周囲 の人との日々の一つ一つのコミュニケーションに,見え づらさの理解のずれから齟齬が生じている。ロービジョ ンが細かな形状や文字などが見えない重度の程度になる につれ,目に映る像の認識で色の依存度が高まっていく が,現状この実態を共有する説明法がない。現在の視力 検査の項目,方法は,重度のロービジョン者の目に映る 対象物を視認する力の測定にはなっていないということ である。このような,対象を見分けられるかといった生 活面での視力を数値データとして示しうる新たな視力検 査の方法を,基礎心理分野の色の知覚と対象の認知に関 する研究から提案していっていただきたいと思う。 6. 生 活 視 力 前節で色覚を述べたが,視機能の低下による他の日常 生活への影響の例を以下に示す。おおむね視力が低下す るにつれ困難になる順に並べている。 (1) 書籍・黒板・案内サイン・容器のラベル・商品の 陳列・取扱説明書・機器の表示 (2)人の顔が見分けられない (3)建物の区別がつかない・歩行者信号が見えない (4)トイレのサイン・男女の区別 (5)人影と物の区別が付かない・空席が見つからない (6)助けをお願いする時に人が見つからない (1)は主に文字で表記されている情報でその文字が見 えるかが直接の因子になる。書籍や黒板は学業での座学 で,容器のラベルや機器の操作は家事などで日々支障を きたす。これら含め視機能低下によるパーソナリティへ の影響は次節で述べる。 (3)以降はおよその形状とその色が見えれば認識でき るケースもある。しかし色が判別できないといわゆる はっきり見える意味での「視力」が必要で,色の弁別が 困難だと(1)の文字情報が見えない段階で(3)以降は 視認困難になる。言い換えると,色が判別できれば(1) の視認ができなくても(3)以降が大きな不便とならな い場合もあり,2節で述べたように生活での「見えづら さ」は複合的なことがわかる。 (2)の人の顔の見分けは,筆者の場合,まだ比較的視 力が残存している段階でも難しさを感じるようになっ た。これは視野欠損により,顔の見分けで必要となる精 密なパターン認識ができなくなったことによるのではな いかと考えている。ここにも,単なる視力の数値では説 明できない生活面での難しさが指摘できる。視力がある にもかかわらず顔が見分けられないというのは,相貌失 認の状態といえ,日常において例えば,顔見知りの人に 初対面の様な応対をしてしまうなど,周囲の人との対話 で自分の人柄に疑問を持たれるような誤解を生む場面に 遭遇することになる。これは,例えば全盲の状態のよう に周囲に視力が「無い」症状の人だと認識されているよ りも状況は複雑で,この段階の視機能にあるロービジョ ン者のパーソナリティに大きな影響を与える。 (5)は人影を見分けられるかであるが,この視力の段 階になると作業達成に,しばしば「人の目を借りる」と 表現されるような,周囲への「援助依頼」が不可欠と なってくる。近年公的な場面においては合理的配慮とい う概念が語られるようになりつつあるものの,普段の生 活では,支援を依頼したときに戸惑われたり,怪訝な反 応を受けることがある。これは,支援を依頼される人 は,何を依頼されているか把握できないことでの戸惑い で,それは,なぜその支援が必要となるか事情の組み立 てが想定にない帰結であり,その場でそのイマジネー ションが働かなければ訝りに通じる。その対応策として 支援を必要とする人は支援を必要とする状況にあること を説明するが,細分化により高度に等質な生活空間に身 を置く日本人は,異なる立場にある事情の説明を聞くこ とに慣れておらず,理由の添えられた伺いに対して無意 識に理不尽な要求への警戒の感覚が発動する。障害によ る実情に不案内であることで,セルフアドボカシーが妥 当(合理的)であることをその対話の中で同時に区別す ることが難しくなっている。この当惑や警戒を回避する ため,支援を必要とする人は,人に依頼をする自分では なく,人から自然と手助けしてもらえる存在,日本人論 の「甘えの構造」の指摘にあるような「他者から相手に されない自分であってはならない」という自己概念を抱 えることになる。ここにパーソナリティ構築の一現象を 見いだせるといえるだろう。 また(6)にあるように,周囲の人影が見えず,仮に 人の存在に気づけたとしても,距離を測って適切なタイ ミングで声掛けすることが難しい視力の段階にある視覚 障害者は,他者の能動的な申し出に依拠する傾向が強ま る。一方支援する側も,控えめで慎み深さに特に美徳を 置く日本人の国民性に,支援を求めてくれればやぶさか ではなく手助けできるといった同じく甘えの構造の図式 が現れ,同調圧力の強い日本社会において,多くの人の 中で自分が手助けを申し出てよいのかという躊躇が,集

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団傍観者効果をいっそう強めている。健常者の生活の場 面でも,外国駐在の人が帰国の途で空港から市街地に戻 る間に,大きなスーツケースを抱えて歩いていても,誰 一人として手助けの声掛けをしてこないことに,日本に 帰国した実感を持つとの話を聞く。このようないくつも の要因で視覚障害者は受動的な方向に寄せられ,周囲の 支援したいと思っている人も受動的となり,日本に在住 する視覚障害者は,社会が生み出す文化依存症候群,例 えば他律的な恐怖心を原因とする対人恐怖症が見られる ような,日本の雰囲気と視覚の障害の特性が組み合わさ れて引き起こされる,独特のハンディキャップを非恣意 的に経験しているといえるだろう。今この現在におい て,一人の視覚障害者として,世界のどの国・地域が視 覚障害者にとって最も生きやすい場所であるか比較文化 の考察を聞いてみたいと思う。 7. パーソナリティ 前節で視力低下とその段階での困難な事柄のいくつか を見た。視覚障害の経過で代替知覚として聴覚が鋭敏に なると信じられている。これは果たして正しいだろう か。筆者が学生時代,視力を失う過渡期だった頃,人の 発言が聞き取れなくなる時期があった。数ヵ月経過する とそのような状態は落ち着き,以前と同じように対話で の聞き取りに問題を感ずることはなくなった。自分だけ でなく,当時筆者と同時期に視力障害となった同級生が 同じように人の話す言葉が聞き取れないと訴えたが,し ばらくするとそのような症状はなくなった。また,近日 別の場面で,視覚や聴覚に障害のない人たちと地下鉄に 乗車して会話していたときに気づいたことがある。発話 が走行音にかき消されてうまく聞き取れないと感じてい たとき,他の人たち同士は会話ができているということ があった。これらの事実から実感できたことは,人は相 手の発言を聞き取ろうとするとき,相手の口の動きを見 て,声の聞き取りを補っているということである。聴覚 障害の人が読唇により発言を把握しているように,基礎 心理分野ではよく知られている視聴覚統合を視力低下の 中で体感として知ることとなった。 全く読唇に頼らなくとも発話を聞き取れるようになっ たのは,聴覚が日々の生活の中で鍛錬され鋭敏になった ともいえるだろう。しかしこれは聴力検査の数値が向上 したわけではなく,知覚の意識を聴覚に集中するスタイ ルが確立していったというべきものである。他方で,同 じ全盲の状態にある人でも,先天的に全盲の人として発 育した人であるなら,会話の聞き取りは聴覚のみを使用 してきたことになり,神経心理系の動きに自ずから異な る様子が観察される可能性がある。先天的に視覚障害と 共にあった人と,後天的に障害となった人との「立場」 の違いを見ることができる。英語など外国語の第二言語 話者で考えるなら,配偶者の海外赴任に同行する人,学 齢期に現地校通学の経験がある帰国子女の人,母親が英 語第一言語話者の人などでは,置かれてきた環境が全く 違っていることに例えられる。 中途で視覚障害となった人が一時的にせよ,人の発話 の聞き取りに困難となるのは2次的障害といえる。日常 行動は,視聴覚統合や3節で見たような一時的な記憶な ど複数のモダリティが組み合わされて成立している。そ のため一つの器官が失われたとき,日常行動には,その 単なる一つの機能損失以上の影響が及び,2次的な不便 が引き起こされる。この点を把握しないまま,視覚障害 者への教育やリハビリテーション現場で,能力を発揮で きずに苦悩する当事者に寄り添おうとしても,道徳から の同情の先にある核心に寄った共感に至ることは容易で はないだろう。最も避けたい状況は,支援者から視覚障 害当事者へのゴーレム効果といえる。中途の視覚障害者 は障害を負う以前の自らのポテンシャルを知っている。 しかし現実には様々な作業遂行ができず日々翻弄される 自分自身がある。周囲の支援者に対しては,単なる視覚 の障害以上に制限されてしまっている自分の能力をその メカニクスを理解していないまま評価してくるのではな いかという不安を感じている。その下で設定された指導 目標に当人は専心していけるだろうか。実質的な好転に 繋げる意見表明やその討議は難しい。このような場面に おける当事者の心理状態は,老年発達における老いの受 容に困難を感じる人たちの,どうせわかってもらえない という頑固さや意固地な態度の理解に通じるといえる。 障害の受容は,その人の単独の行動で終始する事柄の 範囲なら相対的にはシンプルだが,他者への支援の依 存,他者からの当人への評価など,周囲の人の存在が関 わると拗れた複雑さを帯びる。視覚障害者でも自然体の 人もいれば,障害に抗ってもがいている人もいるといっ たような個性が見えるのは,このような環境要因の大き さを意識したい。 障害受容は一般に, (1) ショック期: まだ何が起きているのか把握できな い。夢見心地 (2) 否認期: 障害の状態を理解したが受け入れられな い (3) 混乱期: 障害により作業遂行,社会参加ができ ず,憤る。他者への攻撃的態度 (4) 努力期: 訓練,学習等により障害のある生活を成

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立させようと建設的に取り組む (5) 受容期 の経過を辿ると言われているが,その人の人間関係と いった環境の変化により,たとえ受容期を迎えても混乱 期を行き来することになる。また,筆者のRPのように 進行性の疾病による障害の場合,環境の変化がなくと も,地道な積み重ねをしている努力期に受容の兆しが感 じられてはまた視力が低下し,否認期・混乱期までを繰 り返す境遇となる。 環境要因をライフサイクルでの社会的役割で見ると, (1)幼少期: 遊ぶ・学ぶ (2)少年期・青年期: 進学・就職 (3)壮年期・中年期: 働き盛り・結婚・子育て (4)老年期・晩年期: 余暇・趣味 の中で,先天的に全盲の人や症状が固定されているロー ビジョンの人でも,(2)の進学受験を控える少年期や, (3)の壮年期で子育てや家計を支える立場になると障害 による困難の切実さが変わり,パーソナリティに影響を 及ぼす。 後天性で突然視力を失う人や,進行性で障害の受容過 程の渦中にある人が,ライフサイクルのどのステージで 障害となるか,その影響はよりいっそう深刻で,先に掲 げた(2)や(3)の社会的役割の下では人生をゆるがす 一大事となる。しかし,その中で家族を支える役割は, 希死念慮に至る自己否定を自己発達へと転化させる側面 があることも付記したい。 逆に(4)の老年期以降で特に大きな役割を背負わな い立場では,プレッシャーに圧しつぶされることがなく なる一方で,障害は基本的に症状が改善されていかない ため,気分が晴れない日々が続く抑うつ状態,障害によ り興味のあった事柄に興ずることができなくなるといっ た興味喪失となり,気分障害の併発がむしろ顕在化する ともいえる。 以上のように視覚障害者の状況は多次元的に複雑であ る。先天的,後天的,その発症時期,進行性そしてその 進行速度,見えづらさのタイプなど,これらがその人の パーソナリティの一面を規定している。心理実験で一人 の視覚障害者の協力を仰ぐとき,その人がどのような状 況にあるかを見極めることは大変重要といえるだろう。 8. 考 案 筆者の個人的な関心は,視覚障害者とはどのような存 在なのか,社会的動物としてのヒトが視覚機能に支障を 有する場合,その一生涯にどのような影響が及ぶのか, といった問いである。視覚の制限,欠損による環境認知 の(他の多数派の人々に対しての)異質性が存在するこ とで社交にどのような影響をもたらすのか,その環境因 子の帰結として,視覚障害者のパーソナリティにいくつ かの傾向を見出すことができるのか。それは,視覚障害 を自分が受容する際に,自分の人格はこのような因果の 自然な結果であると納得できることが必要と感じられる からかと思う。 2節で触れたようにロービジョン,特にRPの見えづ らさは複雑でその理解は大変困難である。見えるようで 見えず,それは5節で述べたように色覚と視力及び視野 の複合的な結果であり,現在の視力と視野の検査データ の数値では生活面での視機能の指標とはならない。その ような指標が様々な心理実験の知見を応用して確立され ていくことが望まれる。 検査データの数値と生活視力の逆転現象は障害者等級 の逆転を第一として,一般の人との意識のずれはもとよ り,ロービジョンの関係者にも十分な理解を得られてい ない点に指摘できる。RPは網膜の疾病であり,眼球に は異常がないため,他者はその人の外見から眼疾患に気 づくことはできず,見えづらさの認識のずれはすでにこ の時点で始まっている。これは視覚障害者に専門家とし て携わる如何を問わずである。他の眼疾患では,全盲で 瞼を閉じたままにしているケースがあるが,その人と接 するとき,人は反射とも言うべき無意識のレベルで目が 見えないという認識をする。観察者は自分が見るために 使っている瞳をその人に見ない。また,その人の視線の 動きを追いかけることを観察者はしようがないためであ る。外見から視覚障害とわかることは,6節で見たよう な一般的な場面の支援する支援される関係で,受動性が 弊害となる場合に解決の糸口を与える。 同じく6節で相貌失認の状態の対人関係の困難さの, 全盲とロービジョンの立場の比較を述べたが,全盲の人 の見えないという症状の明確性に対して,ロービジョン の人の見えるようで見えないというあいまいさは周囲の 人からのいわゆる身の上を察する意味での「理解」を得 る際の妨げとなる。周囲の人との間での見えづらさの認 識のずれは,周囲からの支援の得やすさ,暮らしやす さ,つまり生きやすさの阻害へと繋がる。これら,実質 的な不便さと人間関係の不調の両面がパーソナリティに 影響を及ぼし,これは社会的生きづらさといえるもの で,障害の医学モデルの限界といえる。医学モデルの一 つの器官の障害に着目する考え方は,作業面では4節で みたような視覚を補うための記憶の活用,QOLでは7節 で見たような会話での視聴覚統合なども説明することが できない。

(7)

QOLを下支えするのが視覚障害リハビリテーション におけるADL (日常生活動作)訓練である。健康生成論 が述べる,心的に健やかに過ごしている状態のSOC (首 尾一貫感覚)の要素として処理可能(Manageability)が 挙げられるなら,その状態は視覚障害の受容であり,そ の要素はADLによるリ・ハビリテーション実現となる だろう。 視覚障害のADL訓練は,OT的な内容(個々の作業達 成)が多くを占めているが,同じ聴力ながら発話の聞き 取りが改善していくように,視覚の機能自体は回復しな いとしても,身体運動のPT訓練に準ずるような残存視 力や代替知覚といった知覚活用の体系的なカリキュラム が望まれる。また,OTの作業の仕方についても,視覚 で情報を確認できないことの代替として一時記憶を活用 する点など人間工学に基づいた設計が求められる。しか し現行の視覚障害リハビリテーションは経験則による訓 練内容で実施されているように感じられる。 以上のように,ロービジョンの測定指標の開発や視覚 障害リハビリテーションのカリキュラムの検討で適用さ れうる基礎心理学の知見の存在は大きい。他方で,一般 に目を向けると,例えば視聴覚統合はどれだけ広く知ら れているだろうか。外国語のリスニングの学習を考える と,それは音教材に絞るのではなく,発話者の唇の動き が視認できるような,テレビ講座やアナウンサーが原稿 読みするニュースを視聴することが効果的な学習となる が,このような学習法が広く奨められているとは思われ ない。基礎分野の研究の成果が社会の数多くの方面に盛 んに紹介されていくことを期待する。 最後に,筆者の眼疾患のRPが後天性であり進行性で ある点をまとめる。後天的に視覚障害となり,身体的発 達が完了した成人以降の人生の半ばになって,7節の外 国語の習得の例のように,指で点字を読むことや聴力へ の集中,記憶の活用など,心身能力を新たに体得するの は幼少期と比較するなら容易ならぬことである。進行性 は8節でみたように,荒涼とした混乱期を経て疾病と共 にある人生を成立させようと努力している只中に視力が さらに低下し否認期まで引き戻されて,受容の暁は地平 に浮かんでは消える蜃気楼のように思える。人生の中途 で障害を負う人,人生を通じて障害受容の過程を繰り返 さざるを得ない人を,基礎心理学が視覚障害リハビリ テーションの進展を理論面から牽引することで,より確 かに支えていくことを願っている。 以上,RPは後天性で,進行性であり,ロービジョン の見えづらさの検査データとの乖離,見えづらさの想像 しがたさと外見からの気づきにくさからの周囲の認識の ずれ,その結果として支援の得にくさ,生きづらさを抱 えている。これらの要因がどのようにパーソナリティの 変容に影響を与えるか,知覚心理,認知心理,社会心理 など各基礎心理学の分野を総合して明らかにしていって いただきたいと思う。 9. お わ り に 本稿では,自分が当事者であることで体感すること, その瞬間での心の動きや,同じ視覚障害の状況にある人 たちとの集いの雑談での何気ない一言のエピソードを紹 介した。エスノグラフィーに見られるような,実験室で の行動やインタビューで開陳される意見よりも自然な形 での事実が感じられることになればと願っている。 しかしながら,各先行研究を渉猟するまでには至るこ とができず,筆者個人の思いに終始していることは否め ない。医療では,基礎的な医学研究があり,臨床現場が あり,そして患者会がある。いかなる疾病でも患者は臨 床へ訴えたい思いがあり,臨床は基礎研究に基づく。医 療に限らず,基礎研究の分野に携わる方々には時折この 思いに接することで,ご自身の研究テーマと視覚障害者 の「現場」の意外な関連性を発見し,研究の方向性を改 めて探っていただけたらと思う。 本稿執筆に当たり,視覚障害のため,困難となる原稿 の最終校正を,職場の周囲の方々や学会の編集事務局の 方々にサポートをいただきました。通常想定されない作 業を快くご対応くださった皆様に厚く御礼申し上げま す。また結びで述べた通り,自分の思いのみの講演論文 となりましたが,基礎心理学への期待としてご高覧いた だけたら幸いです。ありがとうございました。 引 用 文 献 吉本浩二(2020).ロービジョン者の生活での視覚活用 の度合いの測定法の必要性,シンポジウム「盲・弱視 教育の現状と課題」日本ロービジョン学会誌,20 (印 刷中)

参照

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