1文学の科学の対象領域 前 回 の 最 後 の 部 分 で、 「 熊 谷 理 論 は、 戸 坂 理 論 を ど う 受 け継ぎ、 発展させたか」 については、 「戸坂潤と熊谷孝 〈下〉 」 に回すことにすると書きました。その時は、今回で完結す るつもりだったのです。しかし、その後、熊谷さんの著作 を改めて読み直してみると、理解していたつもりで実は理 解していなかったということが分ったり、私なりの新しい 発見があったりして、今回で完結というわけにはいかない と思うようになりました。それで、今回は〈下〉ではなく て〈 2〉ということにして、今後は、何回になるかはまだ わ か り ま せ ん が、 〈 連 載 〉 と い う か た ち で 書 き 続 け て い く ことにします。 最初に、熊谷さんが志向していた文学の科学とはどのよ うなものであったかについて見ておくことにします。 『芸術とことば』 (牧書店/一九六三年刊) の 「あとがき」 で、熊谷さんは次のように書いています。 「仕事に関して、 僕に三つのねがいがあります。一つは、故戸坂潤先生が認 識論の面で開拓された仕事を、文学理論ないし芸術理論の 基礎的な側面において受けつぐことであります。さらにま た、近藤忠義先生が戦前、文学史家として果たされたパイ オニアとしての仕事を、西鶴論や太宰治論の面で僕なりに うけつぐこと―これが、二つめのねがいです。三つ目のね がいは、僕自身の文学教育の仕事に理論的な体系を与える ことです。この本は、僕にとっては、そういう願望達成へ の瀬ぶみのような意味をもつものであります。 」 この三つの願いは、同時に、熊谷さんが志向する文学の 科学の三側面―文学理論・文学史研究・文学教育研究を示
戸坂潤と熊谷孝(
2)
井
筒
満
しています。 そして、こうした文学の科学の三側面―その過程的な構 造 に つ い て、 熊 谷 さ ん が 詳 し く 説 明 し て い る の が、 「 文 学 の科学の対象領域」 (『文学と教育』一四六号/一九八八年 刊)という論文です。その部分の内容を、熊谷さんの他の 著作・論文における指摘を少し補足しながら要約すると次 のようになります。 第一の側面領域は文芸認識論(文学理論)だ。文芸認識 論とは、文学の機能を、芸術の機能一般との関連において 把握しようとするものである。文芸認識論は、文学史を帰 納し概括することによって、そしてさらに理論史・学説史 の否定的媒介において生まれる。歴史に前提されない理論 はあり得ない。そして、そのような概括によって明らかに されたことは、文学はアピアランスとしての社会現象であ り、その現象をアピアさせる反映とは、すぐれて〈媒体に よる反映〉なのであり、その場合の〈媒体〉 ・〈媒介者〉が 読者=鑑賞者だ、ということである。こうした読者=鑑賞 者の役割・機能を理解することが文芸認識論の中心的課題 である。 第二の側面領域は文学史研究である。歴史に前提されな い理論はあり得ないが、理論に指向されない歴史は、また 真の文学史ではあり得ない。文学の科学が目指す文学史と は、いわゆる意味の文学史と、いわゆる意味の文芸時評と を現代史の要求に応えるものとして統一することを企図し たものだ。現代の実人生を私たちがポジティヴに生きつら ぬいていく上の、日常的で実践的な生活的必要からの、文 学作品を媒介とした過去の読者、現在の読者との対話が目 的なのである。作品相互の関連は、そこでは、同世代ある いは次の世代の他の人間主体との精神の関連という、人間 精 神 の 系 譜 の 問 題 と し て 把 握 さ れ る。 〈 現 代 史 と し て の 文 学史〉は、このようにして、 〈読者中心の文学史〉であり、 〈文学系譜論〉である。 第三の側面領域は文学教育研究である。これは、文学の 科学の日常性にかかわる最も実践的な側面領域である。こ の側面が第一・第二の側面に支えられる必要があるのは言 うまでもないが、同時にこの側面を通して第一・第二の側 面 が 問 い 直 さ れ、 変 革 さ れ て い く の で あ る。 文 学 教 育 は、 私 た ち の 内 部 に 真 の 文 学 の 眼 を 培 っ て い く 人 間 教 育 で あ り、また、それは、文学の土台としての優れた読者を育て ていくことにもつながっている。そうした活動を対象化す る文学教育研究が第一・第二の側面を深化させるうえで重 要な意味をもつのは当然である。 2〈私〉の形成―〈私たち〉という媒体による反映
も ち ろ ん、 こ の 要 約 だ け で は わ か り に く い と 思 う の で、 これから、この三側面について、熊谷さんの、いろいろな 著作・論文に即して説明していくことにします。 まず、 第一の側面領域についてです。 熊谷さんは、 ここで、 文学現象とは、読者という媒体・媒介者による反映によっ て創造されるアピアランスとしての社会現象なのだと規定 しています。アピアランスとしての文学現象という規定に ついては後で話題にするとして、ここで最初に確認してお き た い こ と は、 熊 谷 さ ん は、 「 認 識 活 動 も、 や は り、 人 間 のいとなむさまざまな社会的反映活動の一種にほかならな い」 という立場から、 「芸術の認識機能の性質を問題にして」 い っ た( 前 掲、 『 芸 術 と こ と ば 』 p一 四 ) ― 一 貫 し て 探 究 しつづけたということ、また、そのことを通して反映論の 深化・発展を目指したということです。 私 は、 「 戸 坂 潤 と 熊 谷 孝( 上 )」 で、 戸 坂 潤 の 認 識 論 は、 実践的・創造的な反映論だと書きました。結論を先に言え ば、熊谷さんは、人間が社会的存在であるとはどういうこ となのか、また、社会的存在としての人間の認識活動―反 映活動は、どのような〈媒体〉によって行われるのか、と いう点を解明していくことによって、言い換えれば、人間 の認識活動―反映活動をコミュニケーションの過程と一体 のものとして解明することによって、戸坂の認識論を発展 させたのだと思います。したがって、熊谷さんが志向した 〈 文 学 の 科 学 〉 を 理 解 し て い く た め に は、 熊 谷 さ ん が ど の ようの人間観を前提として〈文学の科学〉を探究している のかを確認しておく必要があるわけです。 この点について、 熊谷さんは、 「文学の科学の対象領域」 (前掲)の中で次の よ う に 述 べ て い ま す。 ( 特 に 重 要 だ と 思 う 部 分 に 傍 線 を 引 いておきます。 ) 「〈 私が見ているのではない、私たちが見ているのだ〉と いうのは私に与えられている課題に対する私自身の視点を 示 す 言 葉 な の で す。 た と え ば、 〈 文 学 の 科 学 〉 は ど う あ る べきかという問いについて思索するばあいの前提になる人 間観 に触れたものなわけであります。といいますのは、思 索するのは人間一般ではなくて特定の人間にほかなりませ ん。特定の人間の或る特定の思索のしかたがそこでの前提 になるわけなのです。そこで、私という特定の人間が抱い ている思索のしかたがどのようなものなのか・・・それが そ の〈 私 が 見 て い る の で は な い、 私 た ち が 見 て い る の だ 〉 と い う 人 間 観 を 前 提 に し た も の だ、 と い う と な の で し て、 〈 私 〉 と は〈 私 た ち 〉 の こ と 以 外 で は な い と い う こ と、 言 い換えますと、人間は単数にして複数、複数にして単数の 存在だということなわけです。 」 「実はこの言葉は、若い日のマルクスの言葉であります。
若い日のマルクスがつかんだ、人間とは何か、 人間存在の 根本規定へ向けての自己解明の言葉 なのであります。 〈私が見ているのではない、 私たちが〉という場合の〈見 る〉というのは〈思索する〉ということなのでして、 思索 の 主 体 は〈 私 〉 で あ る と 同 時 に 必 然 的 に、 〈 私 た ち 〉 だ と いうことを言っているわけなのでしょう。それぞれの特定 の人間の思索のありようは、 それぞれ異なっておりますが、 そのそれぞれの〈私〉の思索のありようはそれぞれに別個 の〈私たち〉の思索のありようを反映している 、というこ と に な る わ け で あ り ま し ょ う。 そ こ で ま た、 〈 ひ と は み な 同じものではない〉ということにもなるわけなのでありま しょう。 」 「〈 人 は み な 同 じ も の で は な い 〉 と い う こ と は、 ・・・ そ れぞれの〈私たち〉が別個の思索と行為・行動に生きてい るということの反映にほかなりません 。少し飛躍した言い かたをしますと、 意識的 ・ 無意識的にそれぞれの〈私たち〉 がそれぞれに別個の階級意識、階級感情において生きてい る、ということになるのであります。したがってまた、特 定の或る階級 ・ 階級意識 ・ 階級感情に組み込まれているし、 当然また個々人が組み込まれてい る、ということにほかな りません。 」 「〈私たち〉の反映としての〈私〉の意識・感情のありよ う、行動選択のしかた・・・その〈私〉というのは〈 内化 された私たち 〉である」 。 「 人 間 と は 何 か を 問 う こ と は 人 間 と 社 会 と の 一 体 性 を 究 明することになるはずです。 」 ここで、熊谷さんは、人間が社会的存在であるとはどう い う こ と な の か を 問 題 に し て い ま す。 〈 私 〉 と い う 個 人 の 内面―それぞれの特定の〈私〉の思索のあり様は、それぞ れ に 別 個 の〈 私 た ち 〉 の 思 索 の あ り よ う を 反 映 し て い る。 そ う い う〈 私 た ち 〉 に 媒 介 さ れ て〈 私 〉 は 存 在 し て い る。 だ か ら、 〈 私 〉 の 外 側 に 社 会 が あ る だ け で は な く、 一 人 一 人の 〈私〉 の内面が、 さまざまな 〈私たち〉 を反映した 〈内 化された私たち〉に媒介されて存在するという社会的な構 造を持っている。このようなかたちで、人間と社会との一 体性を把握してこそ、社会的存在としての人間ということ の本当の意味が明らかになるということです。 こ う し た 人 間 観 に 対 立 す る の が、 「 孤 独 個 体 観 」 と い う 人間観です。この人間観についてアンリ・ワロンは、次の ようにこの特徴を説明しています。 「 意 識 は ど の ひ と に も あ る は ず だ け れ ど も、 そ れ ぞ れ の 人の意識は互いに通じ合うことはない、それらは最初から 決定的に別個のもので、のちになってやっと、お互いのあ
い だ に 橋 が か け ら れ る。 そ れ も た だ、 た が い に 似 て い る は ず だ と い う 思 い 込 み に も と づ く も の で し か な い。 」( 『 身 体・ 自 我・ 社 会 』 / 浜 田 寿 美 男 訳 編 / ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 / 一九八三年刊) 人間の意識は最初から決定的に別個のものであり、そう いう閉じられた内面をもった個々人がまず存在して、その 個々人が関係を結んで(お互いのあいだに橋をかけて)社 会 を つ く る。 こ れ が、 「 孤 独 個 体 観 」 に も と づ く 個 人 と 社 会の把握の仕方です。 「 私 た ち と い う 媒 体 に よ る 反 映 」 と い う 観 点 が こ の 人 間 観にはないのです。だから、こういう人間観に縛られてい たのでは、一人の個性( 「人はみな同じものではない」 )が どのように形成されるのか、また、一人一人の自己変革が どうして可能になるのかということが理解できなくなって しまう。 私 が 文 教 研 の 例 会 に 参 加 す る よ う に な っ た の は、 一 九 七 〇 年 前 後( 高 校 生 に な っ た こ ろ ) だ っ た の で す が、 それまでの私の人間観は、 いま、 思い出してみると、 この 「孤 独個体観」みたいなものだったと思います。個人と個人は バラバラな存在なのだが、それでは生活できないので社会 を作っている―そういうイメージで社会と個人との関係を 見 て い た。 当 時 の テ レ ビ・ ド ラ マ な ど で も、 「 人 間 っ て 結 局独りなのよ」 という言葉が決め台詞によく使われていて、 その影響もあったように思います。だが、こういう人間観 に何かしっくりこないものも感じていました。 それまでの体験を振り返ってみたとき、いろいろな出会 いが、今の自分をつくっているという実感があったからで す。私は、小学校一年のときは、父の仕事の関係で奈良県 にいて、 T学園に入学しました。そして、担任の M先生と 出会いました。 この出会いがなかったら、 今の自分はなかっ ただろうと、 高校生のときも思っていたし、 六十五歳になっ た現在、その思いはますます強くなっています。 奈良での生活の中で一番印象に残っているのは、それま で 見 た こ と も な か っ た 多 種 多 様 な 昆 虫 に 出 会 っ た こ と で す。その形・動作・美しい輝き―それを見て、また手でつ かんで、心の底からの、ぞくぞくするような感動を何回も 体験しました。そして、 M先生は、そういう私の感情・感 受性を本当に大切にしてくれたのです。奈良にいたのは一 年 生 ま で で す。 東 京 に 戻 る 前、 M先 生 は 母 に、 「 東 京 に 私 立 M学園という学校がある。この子に一番合っている学校 だと思う」と助言してくれたそうですが、母はそれには従 わなかった。その結果、三年生までの期間に、八回も転校 するということになった。何回か引っ越しをしたことも原 因の一つですが、根本的な原因は、入学した学校に私がな
じめなかったことです。奈良で、 M先生が培ってくれた感 情や感受性が、学校生活の中で踏みにじられていく毎日。 当時はそういう言葉では整理できなかったけれど、そん な気持ちでした。母は、そういう私を見てこのままでは駄 目だと思った。それで、奈良の M先生に電話で相談するん で す。 そ の 結 果、 私 は、 M学 園 に 入 学 す る こ と が で き た。 M学園に入学したからといって、全てがバラ色になったと いうわけはでないが、私は、ここで、人間として面白味の ある魅力的な先生たちと出会うことができ、その授業を通 して、文学の面白さ・素晴らしさを知ることもできた。ま た、そうした先生たちがいたから、私は文教研と出会うこ ともできた。 だから、 まだ、 「孤独個体観」 に縛られてはいたが、 M先生 ・ 母・ M学園の先生たちぬきに今の自分はないという実感も あったわけです。 そういう時期に、私は、文教研の例会に参加するように なりました。そして、例会での熊谷さんの発言やその著書 によって、また、熊谷さんの生涯の学友であった乾孝さん の 著 書『 私 の 中 の 私 た ち 認 識 と 行 動 の 弁 証 法 』( い か だ 社/一九七〇年刊)を読むことによって私のそれまでの人 間観が大きく揺さぶられた。同時に、この、一人一人の人 間 の 意 識 が、 い ろ い ろ な 仲 間 に 媒 介 さ れ て 誕 生 し、 成 長 し、変革されるものだという人間観に出会い、自分が生き ていく上での豊かな展望が目の前に広がったという気持ち になったのです。 私は、自分史をふまえ、自分の生き方・実践のあり方を 真 剣 に 探 究 し よ う と す る な ら、 「 私 た ち と い う 媒 体 に よ る 反映」という反映論―人間観にたどりつかざるをえないの でないかと思っています。字句の詮索や観念的な論議では なく、人間にとって反映とは何かという問題について、自 分自身の日常性に即して実践的に思索するということが必 要なのではないでしょうか。 上記 「文学の科学の対象領域」 のなかで、 熊谷さんは、 「私 たちという媒介による反映」という反映論を獲得していく 過程を、自分史と関連づけて書いています。この部分を読 むことで、反映論について実践的に思索するとはどういう ことがさらに明らかになると思うので、少し長くなります が紹介します。 熊 谷 さ ん の 二 人 の お 兄 さ ん は 熱 心 な キ リ ス ト 教 徒 だ っ た。その影響をうけて、熊谷さん自身も、中学時代には毎 日曜日教会の礼拝に、ごく自然なかたちで参加するように な り、 中 三 か 中 四 の 頃 に は 伝 道 会 の チ ラ シ を 街 頭 で 配 る、 というようなことにもなっていった。 ある時、 チラシを配っ
ていた熊谷さんに向かって、通りがかりの若い工場労働者 が「 お い、 き み 」 と 話 し か け て き た。 「 き み、 そ ん な こ と していいのか。 僕たちは今食えないんだよ。 困ってんだよ。 自分が食えないというより、 自分たちが食えない。そして、 食うだけの労働もしなければ物も考えないブルジョワのお 坊ちゃんたちよ、 お嬢さんたちよ、 ぬくぬくした人たちよ。 自分は小学校も中退だ。 尋常五年でやめるほかなかったし、 なかば人身売買みたいにして町工場へ売られてきた。こう いう人間がいることをいっぺんでもきみたち中学生は考え たことあるかね」こう詰め寄られて中学生だった熊谷さん は、うちのめされてしまった。 「 い ま 思 い 返 し て み ま し て も こ れ が 私 の 人 生 の ひ と つ の 転 機 で あ り ま し た。 神 と は 何 か を 問 い 直 す こ と の な か で、 人間とは何かについて新しい思索の一つのきっかけが与え ら れ た わ け で す。 〈 私 が 見 て い る の で は な い、 私 た ち が 〉 しかじかという言葉に接したのは、ずっとずっと後のこと ですけれども、この言葉の意味するもの、意味することの 一端にふれたのは、この若い労働者との出会いの場におい てであったかと思います。このような経験が先在していた からこそ、後にマルクスのこの言葉に接したとき、これだ なと思えたのだという気がいたします。 」 この若い労働者と中学生であった熊谷孝―両者のものの 考 え 方、 感 じ 方、 行 動 選 択 の 違 い。 そ れ は、 両 者 の〈 私 〉 が別個の〈私たち〉を反映していたこと、 それぞれの〈私〉 が所属するそれぞれの〈私たち〉のあり様の違いに起因す るものだった。 と同時に、熊谷さんの〈私たち〉の中に、この労働者と のこのような出会いを可能にするような契機が含まれてい た。その点について、 熊谷さんは次のように書いています。 「 私 の 二 人 の 兄 で す が き わ め て 行 動 的 な ク リ ス チ ャ ン で ありました。行動的だと申しますのは、二人が二人とも教 会というもののあり方に満足し得ない人たちであり、上の 兄は教会組織を離れて内村鑑三の無教会主義に走り、下の 兄は、先ごろ朝日の文化欄に大江健三郎さんが『賀川豊彦 を見直せ』と書いておられた賀川さんの、キリスト教社会 主義、スラム街の人びとの解放運動―その実践に半生を捧 げた行動様式を自己の物として運動に飛び込んだ人であり ました。中学時代の私が共感していたのは、キリスト教そ のものであるよりはこの二人の兄の行動様式への共感共鳴 でありました。 」 「私が接した教会というものの現実のあり様は、 (上の兄 の言葉を借りて言えば) 『腐敗した寺院、僧侶、信徒の姿』 以外のものではなかった。また、下の兄の言葉を借りて言 え ば、 『 そ の 社 会 的 無 関 心 さ か ら く る キ リ ス ト 教 徒 の 姿 は
エゴイズムそのものだ』 というのが私の実感でありました。 あの若い労働者の言葉が私の胸をえぐったのは、そういう 兄たちに培われた素地が私自身にあったからだ、と思いま す。 」 二人の兄たちとの交流・対話によって、二人の兄たちが 〈内化された私たち〉 となり、 そうした 〈内化された私たち〉 との自己内対話が続けられており、それによって培われた 素 地 が あ っ た か ら こ そ、 「 若 い 労 働 者 の 言 葉 が 私 の 胸 を え ぐった」ということです。そして、この「若い労働者」も ま た、 〈 内 化 さ れ た 私 た ち 〉 の 一 人 に な っ て い く。 だ か ら こ そ、 「 後 に マ ル ク ス の こ の 言 葉 に 接 し た と き、 こ れ だ な と思えたのだ」ということにもなったわけです。 以上のような体験を紹介したあとで、 熊谷さんは、 再度、 「人間存在の根本規定」について次のように書いています。 「(私自身の場合がそうであったように) 誰かを媒体にし、 誰 か に 媒 介 さ れ て 人 間 の 成 長、 変 革 が 行 わ れ る・・・ 〈 私 た ち 〉 に 媒 介 さ れ て〈 私 〉 が 存 在 す る、 と い う こ と・・・ こ う し た 関 係 を。 わ た し は、 『 人 間 は 考 え る ラ ッ キ ョ ウ で ある』 というマジメにしてフマジメな言いかたで言ってい るわけなのですが、これはじつはマジなんです。マジな私 の人間観なのです。 人間は、したがってこの私は、いろん な皮をつけた、いろんな仲間に媒介された、そのような存 在 な の だ、 と し ん そ こ か ら そ う 考 え て い る わ け な の で す 。 品の悪い、私のこの言い方を品よく言い直すと、それがそ の〈私が見ているのではない、私たちが見ているのだ〉と いう言いかたになりますし、それをさらにきちんと概念的 に整理し直すと〈存在が意識を決定する〉ということにな るわけなのでありましょう。 」 「存在が意識を決定する(規定する) 」というのは、意識 の側から言えば、 「意識が存在を反映する」 ということです。 だが、その反映は、いろんなラッキョウの皮―いろんな 仲間たち、仲間体験に媒介された反映なのです。仲間体験 に媒介されるとは、その仲間たちとの対話を通して、世界 に 対 し て 思 索 す る と い う こ と で す。 そ し て、 だ か ら こ そ、 自己変革も可能になるし、自分が置かれている歴史社会的 な 条 件 の 中 で、 そ こ に あ る 可 能 性 ― 変 革 の 契 機 を 探 究 し、 世 界 を 変 革 す る た め に 実 践 す る こ と も 可 能 に な る わ け で す。 し た が っ て、 人 間 的 な 反 映 と い う の は、 「 ま わ り の 世 界 に働き返すということと一体になっていて、切り離せない のが本来のかたち」 (前掲・乾孝『私の中の私たち』 )であ るということになるはずです。 「反映」という考え方では、 人間主体の創造性が無視されてしまう、というようなこと を言う人もいますが、 そういう「反映観」は、 その裏側に、
前に触れた「孤独個体観」という人間観がべったり張り付 いているのではないでしょうか。 ( 3)〈自我〉 ・〈階級〉 ・〈思想〉 ( 2) で 書 い て き た よ う に、 熊 谷 さ ん は、 「 存 在 は 意 識 を決定する」という命題は「私とは私たちだ」という人間 観 と 統 一 的 に 把 握 さ れ る べ き だ と 指 摘 し て い る わ け で す が、 その点について、 『芸術の論理』 (三省堂/一九七三年刊) で は 次 の よ う に 説 明 し て い ま す。 ( 以 下 の 引 用 は p一 二 四 ~一二五から) 。 「・・・ い ろ い ろ な 皮 を 身 に つ け た ラ ッ キ ョ ウ で あ り、 その皮を剥ぎ取ってしまったら何も残らない存在であると いうことが『人間は考えるラッキョウだ』ということの中 身である 。身につけたその皮、皮、皮は、その人間が生ま れてこのかた、その与えられた条件のもとで母なり父なり に始まって、 種々さまざまな人間との受動・能動の多様な 交渉の中で、反映像という形で身につけてきた皮、皮、皮 であるということ 。さらに言えば、後で身についた皮との ジン ・ テーゼ (総合 ・ 統一 ) という形のものであること、 等々 である。 」 「『存在が意識を決定する』 という命題 ・・ ・『存在が意識を』 云 々 と い う こ と を 言 う 先 に、 〈 わ た し 〉 の 意 識 の あ り よ う を制約しているものは 〈わたしの中のわたしたち〉 である、 という認知の出発点 にかえって、そこからこの命題をつか み直すことをやったらいいと、わたしなどは考えている。 」 「 つ ま り、 人 間 自 我 の 原 点 4 4 4 4 4 4 4 に か え っ て、 そ こ か ら 存 在 と 意識の問題を考える、考え直す、つかみ直すということな の で あ る 。・・・ 人 間 を 階 級 的 視 点 に お い て 考 え る と い う こ と は、 〈 わ た し た ち の 中 の わ た し 〉 と し て〈 わ た し 〉 を つ か む と 同 時 に、 そ の〈 わ た し 〉 を、 〈 わ た し の 中 の わ た したち〉 の動的なトータル― 〈過程的構造における統一体〉 としてつかむことではないのか 、という意味なのである。 」 「 ま た、 人 間 が 無 限 の 可 能 性 と 可 変 性 を 持 っ た 存 在 だ と いうのは、そういう 〈わたしの中のわたしたち〉が固定的 なものではなくて、カサカサに干からびたラッキョウの皮 や、腐った皮は自分でむしり取っていくし、そのむしり取 られた跡にはまた新しい皮が根づいてくる 、という、そう いう存在、そういう生きものだということではないのか。 」 「 存 在 は 意 識 を 決 定 す る 」 と い う こ と は、 人 間 は 階 級 的 存 在 だ と い う こ と で も あ る わ け で す が、 「 人 間 の 自 我 の 原 点」という観点を忘れると、同じ階級だからみんな同じ意 識になると思い込んだり、階級宿命論みたいなものに陥っ てしまったりするということになる。 「人間自我の原点」 をふまえてこそ、 歴史社会的な諸条件 ・
階 級 的 諸 条 件 に 規 定 さ れ て い る 人 間 を、 「 人 は み な 同 じ も のではない」という存在として、また、可能性と可変性を もった存在としてつかむことができるわけです。 前 回、 私 が 引 用 し た 文 章 の 中 で、 戸 坂 潤 は、 「 思 想 」 に ついて次のように書いていました。 「 思 想 と い う と、 一 方 で は 形 の な い た だ の 観 念 や 観 念 傾 向やを世間では考えたがるかも知れないし、また他方では 一定の出来上がった(社会思想というように)理論的な輪 郭を世間では考えたがるのだが、もっと率直に考えてみれ ば判るように、 一定の傾向をもった観念が、凡ゆる経験を 吞吐しながら、それ自身の傾向を伸ばしまた矯めして、み ずからを補強発育すること、そのことを意味している 。進 歩 す る 動 向 を 必 然 的 に 持 っ て い な い よ う な、 た だ の 持 ち 合 わ せ の 観 念 は、 決 し て 思 想 と 呼 ば れ る も の で は な い。 」 (「ジャーナリズムと哲学の交渉」/『思想としての文学所 収/一九三六年二月刊/全集② p一四七) 戸坂はここで、思想が内具しているメカニズムを、傍線 部にあるように、あらゆる経験を吞吐しながら自己を発展 させていく動的なメカニズムであると規定しています。こ の 指 摘 を、 「 人 間 自 我 の 原 点 」 と い う 視 点 と 関 連 づ け て 考 えてみるとどうなるか。 〈 わ た し 〉 の 意 識 の あ り 方 を 制 約 し て い る〈 わ た し の 中 のわたしたち〉 はけっして固定的なものではない。人間は、 自分の実人生を人間らしく生きていこうとするならば、 〈わ たしの中のわたしたち〉を組み替えていくこと―自己変革 が 必 要 に な る。 そ れ は、 「 カ サ カ サ に 干 か ら び た ラ ッ キ ョ ウの皮や、腐った皮は自分でむしり取っていくし、そのむ しり取られた跡にはまた新しい皮が根づいてくる」という 過程ですが、 それが、 同時に、 「(思想が)一定の傾向をもっ た観念が、凡ゆる経験を吞吐しながら、それ自身の傾向を 伸ばしまた矯めして、みずからを補強発育する」過程でも ある。こう考えると、自己を発展させていく動的なメカニ ズムを思想が持つ理由もより明確になってくるのではない でしょうか。 今 回 は、 「 私 た ち と い う 媒 体 に よ る 反 映 論 」 に 焦 点 を あ てて 「戸坂潤と熊谷孝」 について論じてきました。次回は、 〈 わ た し 〉 と〈 わ た し た ち 〉 と の 対 話 過 程 に つ い て、 も っ と 詳 し く 取 り 上 げ て い き た い と 思 い ま す。 ま た、 〈 わ た し の中のわたしたち〉の中の〈わたし〉 、つまり、 〈自分・自 己〉 ― 〈自己凝視〉 を熊谷さんはどう位置づけていたのか。 また、戸坂潤の提起した「自己一身上の問題」とそれはど ういう関係にあるか等々についても話題にしていきたいと 思っています。 (明治大学)