浄 土 教 と 山 嶽 信 仰 ( 沼) 一 四 六
淫
土
教
と
山
嶽
信
仰
沼
賢
亮
李 安 時 代、 塞 也、 源 信 以 降 さ か ん に 行 わ れ る よ う に な つ た 浮 土 教 信 仰 は、 鎌 倉 時 代 に 到 つ て 全 盛 時 代 を み、 澤 土 教 諸 宗 の 成 立 を み る に 到 つ て い る。 こ う し た 佛 教 界 の 動 き に 相 鷹 し て、 我 が 國 固 有 信 仰、 印 ち 璽 魂 観 念 と 他 界 観 念 に よ る 山 嶽 信 仰、 こ れ と 習 合 融 合 し た 山 嶽 佛 教 も そ の 信 仰 の 内 容 を、 古 い も の を 残 し 乍 ら も 浮 土 教 信 仰 へ と 攣 質 し て い つ た と 考 え ら れ る。 季 安 時 代、 民 間 浄 土 教 の 先 騙 者 と も 云 う べ き 室 也 は、 ﹁室 也 諌 ﹂ に よ れ ば 同 國 の 山 林 修 行 者 で あ り、 腕 上 焼 香 や 不 動 不 眠 の 行 を す る 古 代 的 な 聖 で あ つ た が、 卒 安 時 代 末 期 以 降、 浮 土 教 化 し た 山 嶽 信 仰 や 山 嶽 佛 教 と、 鎌 倉 時 代 に 成 立 を み た 浮 土 教 諸 宗 の 佛 教 者 と の 間 に も 密 接 な 關 係 が 認 め ら れ る。 ﹁ 博 多 光 明 山 善 導 寺 略 縁 起 ﹂ に よ れ ば、 浄 土 宗 二 租 聖 光 は 九 州 随 一 の 修 験 の 山 で あ る 彦 山 に 念 佛 を 宣 布 し、 同 地 に お い て 善 導 大 師 來 朝 の 霊 夢 を 感 得 し た と 云 う し、 地 方 的 山 嶽 ( 1) 塞 場 高 良 山 々 麓 で 如 法 念 佛 を 修 し た と 云 う。 慶 安 版 ﹁ 念 阿 上 人 傳 ﹂ に よ れ ば、 浄 土 宗 三 租 良 忠 は 出 雲 國 の 山 嶽 寺 院 鰐 淵 寺 の 佳 僧 信 逞 に 教 え を 乞 う た と 云 う。 ま た、 ﹁ 西 山 上 人 縁 起 ﹂ に よ れ ば、 浮 土 宗 西 山 派 租 誰 室 は、 山 嶽 寺 院 温 泉 寺 の あ る 有 馬 に お い て 璽 夢 を 感 得 し、 四 天 王 寺 聖 塞 院 に 不 断 念 佛 道 場 を 開 い た と 云 う。 更 に、 關 東 以 北 に 勢 力 を も つ 浮 土 宗 名 越 派 に お い て も、 派 祀 奪 観 の 直 弟 子 鏡 智 が 熊 野 ( 2) 詣 を 行 な つ て い る。 熊 野 信 仰 と 浄 土 教 に つ い て は、 時 衆 に お い て 最 も 密 接 な 關 係 を 見 出 す 事 が で き る。 二 遍 聖 糟 ﹂ に よ れ ば、 文 永 八 年、 善 光 寺 参 籠 を 逐 げ た 一 遍 は、 同 十 年 に は 伊 豫 國 浮 穴 郡 の 菅 生 の 岩 屋 に 参 籠 し て い る。 菅 生 の 岩 屋 寺 は 弘 法 大 師 の 開 基 と 傳 え る が、 古 代 的 な 山 嶽 宗 教 者 の 一 類 型 で あ る 狩 人 の 開 創 に か か る 山 嶽 塞 場 で あ る。 こ の 後 一 遍 は、 當 時 既 に 山 中 浄 土 と さ れ、 納 骨 信 仰 の 山 と な つ て い た 高 野 山 に 参 詣 し、 熊 野 に 到 つ て い る。 こ の 間 一 遍 は、 一 僧 侶 に よ つ て 賦 算 札 の 配 札 に つ い て の 信 仰 上 の 疑 問 を 喚 起 せ し め ら れ て い る。 一 遍 が こ の 疑 問 に 封 す る 解 答 を 得 た の は、 熊 野 信 仰 の 中 心 地 で あ る 本 宮 誰 誠 殿 で の 夢 告 に よ つ て で あ り、 そ の 夢 告 は 熊 野 灌 現 の 本 地 佛 阿 彌 陀 如 來 が 化 現 し た 山 伏 か ら の も の で あ つ た と 云 う。 一 遍 の 賦 算 念 佛 勧 進 の よ り ど こ ろ と な つ た の は 熊 野 権 現 に 封 す る 彼 の 信 仰 で あ り、 彼 の 成 道 は 山 嶽 霊 場 熊 野 の 中 心 地 に お い て な さ れ た の で あ る。 こ の 後 一 遍 は、 弘 安 十 年 に は 極 樂 往 生 所 願 の 山 と さ れ た 書 爲 山 に も 参 詣 し て い る。 ま た、 ﹁ 一 遍 上 人 年 譜 略 ﹂ に よ れ ば 建 治 二 年 に は 豊 後 國 の 露 山 鶴 見 嶽 山 麓 の 地 獄 に も 行 き、 こ こ の 温 泉 を 熊 野 椹 現 方 便 の 湯 と し、 更 に 弘 安 二 年 に は 再 度 熊 野 に 詣 で た と も 云 う。 我 が 國 山 嶽 信 仰 の 随 一 の 璽 場 で あ る 熊 野 信 仰 と 時 衆 と の 間 に は 看 過 し 得 な い 關 係 が あ る と 思 わ れ る。 眞 宗 に お い て も 山 嶽 信 仰 と 無 關 係 で は な か つ た。 親 攣 の 縮 像 安 城 の 御 影 に は 錫 杖 の 租 型 と も 云 う べ き 二 俣 杖 が 描 か れ て お り、 ﹁ 存 畳 上 人 袖 日 記 ﹂ に、 親 黛 が 鹿 杖 や 毛 皮 を 帯 し て い た と 記 録 さ れ て い る の は、 形 態 上 の 親 攣 が 修 験 者 の そ れ に 近 い も の で あ つ た 事 を 示 し て い る。 ま た ﹁ 親 鷺 傳 絶 ﹂ に ﹃ 箱 根 講 告 ﹄ や、 ﹃ 熊 野 霊 告 ﹄ の 段 が と り 容 れ ら れ な け れ ば な ら な か つ た の も、 眞 宗 と 山 嶽 信 仰 が 全 く 無 縁 で は な か つ た か ら で あ ろ う。-591-か く の 如 く、 浮 土 教 諸 宗 と 山 嶽 信 仰 と の 間 に は 種 々 の 接 貼 が 見 出 せ る の で あ る が、 そ う し た 山 嶽 璽 場 の 二、 三 の 例 を あ げ て み れ ば、 ま ず、 秋 田、 山 形 爾 縣 に 跨 が る 鳥 海 山 信 仰 で は、 そ の 本 地 佛 を 藥 師 如 來 と し て、 山 中 で は 祀 霊 祭 祀 や 死 者 供 養 が 行 わ れ た。 鳥 海 山 へ の 登 葬 に 際 し て は、 ﹁ お 山 繁 盛 ﹂ ﹁ 道 者 も 繁 盛 ﹂ ﹁ 六 根 清 浮 ﹂ と 共 に、 ﹁ ナ ム ア ミ ダ ブ ツ ﹂ が か け 聲 と し て 行 わ れ た。 璽 山 へ の 登 拝 に 際 し て の か け 聲 に 念 佛 が 用 い ら れ た の は 鳥 海 山 の み で は な い。 四 國 随 一 の 山 嶽 霞 場 で あ る 石 槌 山 へ は、 現 在 で も ﹁ ナ ム マ イ ダ ン ボ ﹂ の か け 聲 で 登 拝 す る し、 古 い 時 代 の 紀 州 高 野 山、 吉 野 の 大 峰 山、 越 後 の 妙 高 山、 出 羽 三 山 の 登 拝 に も こ れ が 行 わ れ た。 東 北 地 方 随 一 の 修 験 の 塞 場、 出 羽 三 山 の 中 心 羽 黒 山 頂 は、 棘 佛 分 離 以 後 出 羽 棘 杜 と な つ て 出 羽 三 山 の 神 を 祀 つ て い る が、 そ の 境 内 で は 現 在 で も 神 官 に よ つ て 納 骨 受 付 が 行 わ れ て い る。 そ し て こ の 納 骨 受 付 所 の 周 邊 に は、 同 山 中 か ら 集 め ら れ た と 云 う 五 輪 塔 な ど が 敷 多 く あ る が、 七 月 の 盆 に は (こ れ に 封 し て 塔 婆 立 て な ど の 死 者 供 養 が 盛 ん に 行 わ れ て い る。 神 佛 分 離 以 前 の 羽 黒 山 頂 で は、 本 地 観 音 を 祀 つ て 後 生 極 樂 往 生 の 行 を 修 す る 本 尊 と し て い る。 羽 黒 山 の 奥 の 院 と も 云 う べ き 月 山 頂 上 で は 阿 彌 陀 如 來 を 本 尊 と し、 そ の 地 は 彌 陀 の 極 樂 浄 土 と さ れ て、 散 銭 そ の 他 の 死 者 供 養 や 納 骨 が 盛 ん に 行 わ れ た と こ ろ で あ り、 現 在 で も 塔 婆 供 養 が 行 わ れ て い る。 中 部 地 方、 奥 三 河 の 鳳 來 寺 山 も、 卒 安 時 代 末 期 以 降、 中 世 全 般 に ( 3) わ た つ て 念 佛 と 納 骨 の 行 わ れ た 山 嶽 塞 場 で あ る が、 北 陸 地 方 一 帯 の 信 仰 を よ く 集 め た 修 験 の 山、 白 山 に お い て も 念 佛 が 盛 ん に 行 わ れ た。 白 山 へ の 登 拝 の 根 檬 地 の 一 で あ る 加 賀 馬 場 に お け る 白 山 の 宗 教 者 に は 講 衆 と 堂 僧 の 別 が あ り、 講 衆 が ﹁ 荘 嚴 講 ﹂ と 稻 し て 法 華 経 や 無 量 義 経 等 の 講 経 讃 諦 を す る の に 封 し て、 堂 檜 は 常 行 堂 に お い て 念 佛 を 行 う も の で あ つ た。 白 山 三 山 の 本 地 佛 に つ い て も、 十 一 面 観 音 を 中 心 と し、 聖 観 音、 彌 陀 を 配 し て い る が、 ﹁ 本 朝 績 文 粋 ﹂ 所 牧 の ﹃ 白 山 上 人 縁 記 ﹄ で は 本 地 佛 を 彌 陀 と し、 説 い て い る と こ ろ は 彌 陀 信 仰 の み で、 彌 陀 信 仰 の 盛 ん で あ つ た 事 を 示 し て い る。 こ の 白 山 の 東 に、 越 中 卒 野 を へ だ て て 兀 立 す る 立 山 も、 中 世 以 降 に お い て は 浮 ( 4) 土 教 と 山 嶽 信 仰 と が よ く 習 合 し た 山 嶽 露 場 で あ る。 か く の 如 き 我 が 國 に お け る 山 嶽 塞 場 は、 我 が 國 固 有 信 仰、 印 ち 恐 怖 的 な 死 塞 は 人 間 肚 會 か ら 撰 却 す べ き も の で あ る と 云 う 霊 魂 観 念 と、 擁 却 さ れ た 死 盤 は 山 の 中 に 留 ま る と 云 う 山 中 他 界 観 念 に よ つ て 成 立 し て い る の で あ る が、 擁 却、 封 鎖 さ る べ き 死 霊 に 封 す る 鎭 魂 と 穰 却 の 兄 術 と し て、 ま た そ れ ら が 慈 悲 を 読 く 佛 教 の 影 響 に よ つ て 攣 質 し た 追 善 に 念 佛 が 用 い ら れ た 事 は 既 に 知 ら れ て い る と こ ろ で あ る。 山 嶽 信 仰 に お け る 彌 陀 信 仰 は、 我 が 國 に お け る 阿 彌 陀 如 來 に 封 す る 信 仰 が、 人 の 死 後 の 世 界 で の 救 濟 者 と し て 行 わ れ、 後 生 善 所 を 願 う べ き 佛 と さ れ た か ら、 死 璽 の 往 き 住 む と さ れ た 山 中 に 阿 彌 陀 如 來 が 祀 ら れ た の で あ る。 山 嶽 霞 場 の 本 地 佛 を 彌 陀 と し、 山 中 を 彌 陀 の 浮 土 と す る 事 に よ つ て 納 骨 が 頻 繁 に 行 わ れ る の で あ る。 鎌 倉 時 代 に 成 立 し た 浄 土 教 諸 宗 を 支 え た 庶 民 の 浄 土 教 思 想 の 一 面 に は、 以 上 に 指 摘 し た が 如 き も の が あ つ た と 考 え ら れ る。 1 民 経 卿 記 紙 背 文 書 貞 永 元 年 十 月 十 八 日 2 大 澤 圓 通 寺 文 書 明 慮 七 年 書 爲 の 正 中 二 年 十 二 月 十 三 日 付 文 書 3 鳳 來 町 誌 文 化 財 編 4 拙 稿 ﹁ 立 山 信 仰 と 立 山 曼 茶 羅 ﹂ ( ﹃ 佛 教 藝 術 ﹄ 六 十 八 號) 浄 土 敢 と 山 嶽 信 仰 ( 沼) 一 四 七