266 論文の内容の要旨 本論文は、唯識思想の心・意・識説において阿頼耶 識と末那識との関係を考察することである。それは諸 識の所依関係を分析することによって阿頼耶識と末那 識との位置づけを明らかにすることである。 所依とは拠り所の意味で、諸々の心・心所が生起し 存在する場合には、必ず所依が必要であるとされる。 まず、因縁依は自らの種子のことで、現行識との関 係について議論が行われる。それは阿頼耶識の縁起を 現わす種子生現行・現行熏種子・種子生種子という言 葉についての議論で、護法の説では「種子生種子」は 因果異時であるが、「種子生現行・現行熏種子」は同 時因果として理解する。 次に、等無間緣依は前滅の意のことで、開導依とも 言われるが、前滅の識は自類なのか他類なのかの議論 が行われる。護法の説では、八識すべてが前念の自類 を以って開導依とするという。なぜなら、時間の前後 があることによって異類を開導依とすることは理に合 わないからである。即ち、異類の識をもってその開導 依とするならば、異類の識の俱起する義がなくなる。 また次に、俱有依は心・心所法と同時に存在するも のである。即ち、前五識が働く時には、五根(同境根) と第六識(分別依)と第七識(染浄依)と第八識(根 本依)との四つが必ず俱に存在し、第六識が働く時に は、第七識と第八識との二つが必ず俱に存在し、第七 識が働く時には、第八識が必ず俱に存在し、第八識が 働く時には、第七識が必ず俱に存在するということが 護法の正義である。 しかし、淨月などは種子識も俱有依として俱に働く のではないかと言うが、護法は「依」と「所依」との 差を明らかに区別するのである。即ち、現行八識の種 子は現前に自らの境を取ること(取自所縁)ができな いので、種子は現行八識に対して「依」になるが「所 依」にはならと言う。 また、俱有依について聖教に五識はただ五根に依る と、或は、第六識はただ第七識に依ると説かれている ことについて護法は、不共依と共依との区別を以て説 明するのである。即ち、五識において五根は他の識と 共通しない不共依であり、第六識において第七識は第 六識と同じく転識の一種であり、近(所依)であり、 相順するからであるということが護法の説である。 ここで、心(第八)・意(第七)・識(第六)の俱有 所依の相互関係を分析して見ると、第七識と第八識は 第六識の背後に存在しながら、因果同時としてお互い の「所依」関係になっていることが明らかになる。 それによって、心(阿頼耶識)と意(末那識)とは、 意識の背後に存在する依他起なるものであり、若しく は一つの概念が二分化(仮説)されているとも言えよう。 (大学院仏教学研究科博士後期課程仏教学専攻)
大正大学大学院研究論集36号 032金範松「心・意・識説に関する研究-阿頼耶識と末那識との関係を中心に-_所依の問題」
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