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2017 年度 つづきナビ倶楽部 散策ガイド
2017 年 6 月 4 日作成
⑥ 相模原台地の相模原公園を訪ねる
催行日:2017.6.14(水) 集 合:地下鉄中山駅改札口(コンビニ前)
コース:JR 横浜線古淵駅 女子美術大学行(2番乗り場)9:20 → 女子美術大学下車 →
相模原公園内散策(フランス庭園~木漏れ日の径~ショウブ園など)→ (スポーツ広場)
大正坂(段丘崖を下る)→ 道保川→ 下溝八幡宮-清水寺 → 鳩川と合流 → 東峰八幡宮 →
相模川展望広場 →下溝駅解散(JR 相模線)→ 橋本経由中山駅へ向かう
C 班はショウブ園を見学後サカタのタネの熱帯植物園を鑑賞して女子美大前のバス停より
古淵へ戻ります。 注:帰りのバスの時刻をチェックしておくこと!
行き方:中川駅 8:29~8:32 センター北 8:35~8:43 中山駅 8:53~9:12 古淵駅 9:20 (バス)
女子美術大学(終点) 9:49 着
本日の散策は相模原台地に広がる県立相模原公園・市立相模原麻溝公園を訪ねます。
花一杯のフランス庭園やショウブ園も見頃を迎えていることでしょう。古淵駅前のバスか
らは30分ほどで終点の女子美術大学前に到着します。相模原麻溝公園の花時計を横切
り、まずは眼前にそびえたつ展望台へ上ります。
(バス停)
女子美術大学
相模原ギオンスタジアム
県立相模原公園
↨展望塔
市立相模原麻溝公園
↓下溝駅へ
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女子美術大学前バス停 大学入り口
展望台に向かう道 展望台(グリーンタワー相模原)
38mの展望室からの360度の見晴らしは晴れていれば目の前に横たわる丹沢山塊と大山(富士山
はその陰ですので見えません)、目を転じればスカイツリーも遠望できます。また公園の外に広大な
相模原沈殿池が望まれます。エレベーターを降りて出た先にトイレもあります。その先の公園管理事
務所で資料などをゲットしたらアーチのある広場へ入り右手の橋を渡ります。
展望台からの大パノラマ
ゆっくりと階段を下って、眼前のサカタのタネ グリーンハウスの 2 階の見晴らし場へ上ると目の前
に美しいフランス庭園が広がっています。奥行350mほどのシンメトリックに作られた庭園は花で
埋まっています。このグリーンハウスにある熱帯植物園(100円)はお薦めですが今回はパス、
C 班は帰りに見学します。そしてこの庭園の右手の奥にある「木漏れ日の径」に入ります。新緑に包
まれての森林浴を堪能しましょう。
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サカタのタネ グリーンハウス(熱帯植物園) 2 階 展望室からのフランス庭園全景
突き当たって左に出ればフランス庭園の終点、噴水のある大パーゴラに出ます。ここでしばらく休憩
しながら左右に広がるメタセコイヤと庭園を楽しみます。
木漏れ日の径 大噴水
また奥の散策路の入ります。その少し奥には県道相模原町田線が走っています。直ぐに紅葉の丘の先
にある日本庭園(周遊の庭)を見て見本庭園に入りましょう。右に行けば「ユリノキゲート」があ
り、ちょっとした軽食を頂けます。トイレ休憩も結構でしょう。そして左手に広大な芝生広場を見て
「きらめきの流れ」に沿って進み、水無月橋でバス通りを超えると「しょうぶ園」に到着です。
日本庭園 しょうぶ園
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C 班はグリーンハウスに戻り、熱帯植物園を鑑賞し
て朝方のバス停から古淵の駅に向かいます。
AB 班はすぐ近くのバス通りに出て右に進みます。
右手にスポーツ公園を見て直進、すぐに県道相模原
町田線に出て右折、右手のスポーツ公園を過ぎると
三段丘の下りに入ります。この大正坂はカーブのき
つい樹林の生い茂った坂道です。下りきったところ
で道府川にぶつかります。川に沿って下ります。川
沿いの遊歩道には可愛い花々が咲き競っています。
しばらくくすると川を跨ぐ橋があります。
近橋を渡った正面に階段があり、その先に下溝八幡
宮、その先に清水寺があります。
麻溝公園競技場(相模原ギオンスタジアム)の案内板
大正坂の急カーブを下ります
下溝八幡宮
さらに下っていくと鳩川と合流します。
その先に JR 相模線の線路が見えて来ます。
道府川の遊歩道
線路を渡って広い道路の先が急な崖となっていて、その向こうが相模川の河川敷となっています。
広い河川敷の中を滔々と流れる相模川、その向こうに目る丹沢山塊を眺めていると、これまでの疲れ
が吹き飛んだように感じられます。時間があれば少し先の階段を下りて三段の滝を見てみるのも良い
でしょう。さあ1時間に 2 本の相模線に乗り遅れないように急いでください。下溝駅からは橋本駅
まで行って横浜線に乗り換え 中山駅へ向かいます。 お疲れさまでした。
帰路 JR 相模線・下溝 12:44~12:58 橋本(JR 横浜線)13:01~13:21 中山 13:29~13:36 センター南
JR 相模線・下溝 13:04~13:18 橋本(JR 横浜線)13:21~13:41 中山 13:47~13:54 センター南
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単線の JR 相模線 下溝駅ホーム 相模川の河川敷の眺望 (大凧の会場らしいです)
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相 模 原 公 園 散 策 資 料
2 0 1 7 . 0 5 . 2 2 作 成
① 軍 都 相 模 原 か ら 緑 豊 か な 緑 蔭 都 市 へ
相 模 原 は 、 戦 前 軍 都 相 模 原 と 言 わ れ 、 陸 軍 の 施 設 が 集 中 し て い た 地 域 で し た 。 戦 後
は 一 転 し て 相 模 原 市 は 他 の 都 市 が う ら や む ほ ど の 平 坦 広 大 な 用 地 を 継 承 し て 、 緑 豊
か な 緑 園 都 市 に 変 貌 さ せ ま し た 。
地 理 的 に は相 模 原 公 園 と そ の周 辺 は、相 模 原 台 地 と呼 ばれ る 西 を流 れ る 相 模 川 に よ
る 扇 状 地 が隆 起 して で き た台 地 で 、江 戸 時 代 以 来 、 養 蚕 を主 産 業 と し てき ま した 。
こ の寒 村 が 俄 かに 軍 都 と して脚 光 を浴 び る き っか け は 、昭 和 初 期 の 19 3 0 年 代 以 降 の
陸 軍 士 官 学 校 は じめ と す る 陸 軍 の中 枢 施 設 の移 転 で す 。 なお 陸 軍 士 官 学 校 跡 は座 間
キ ャ ン プ(ア メ リ カ陸 軍 司 令 部 、 2 3 0 h a : 相 模 原 1 7 0 h a + 座 間 60 h a) に な って いま す 。
( な お 、相 模 原 公 園 26 h a 、麻 溝 公 園 4 5 h a )
現 在 、 メ タ セ コ イ ア の 並 木 に 囲 ま れ 、 花 壇 と 噴 水 の 配 置 に よ り 、 息 を 飲 む ほ ど 美 し い 欧
風 庭 園 と 大 温 室 の あ る 一 帯 は 、 そ の 昔 、 軍 の 射 撃 場 の 跡 地 で 、 機 関 銃 や 歩 兵 銃 の 射
撃 訓 練 に 使 われ てい た場 所 で あ りま す。
こ の よ う に 厳 め し い 軍 都 か ら 緑 豊 か な 緑 蔭 都 市 へ 変 貌 し た 模 様 は 、 平 成 4 年 に 開 催 さ
れ た 「 第 9 回 全 国 都 市 緑 化 大 会 」 で 全 国 に 生 中 継 さ れ 知 れ 渡 り ま し た 。 こ の 公 園 の 見
所 は 、 ( 隣 接 す る 「 麻 溝 台 公 園 」 も 含 め て ) 第 1 に 高 さ 3 8 m の 展 望 塔 か ら の 眺 望 、 第 2
に フ ラ ン ス 式 庭 園 と 大 温 室 の 熱 帯 植 物 園 で す 。 第 3 に 6 月 中 旬 に 見 頃 を 迎 え る 花 菖
蒲 園 の花 シ ョウ ブ で す 。
② 「 相 模 原 沈 殿 池 」 と 「 横 浜 水 道 」 事 始 め
台 所 の蛇 口 を捻 れ ば 安 心 安 全 な水 が ほ と ば し り ま す。
横 浜 の 水 は赤 道 を 超 え て も 腐 ら ず 、 う ま さ を 保 つ 水 と し て 外 国 船 の 間 で人 気 が あ る と
言 われ て いま す 。
相 模 原 公 園 の 西 隣 の 小 高 い 丘 に 登 る と 、 遠 く 丹 沢 山 塊 の 下 に 広 大 な 池 が 見 ら れ ま す 。
横 浜 貯 水 池 とあ り ま す が何 故 横 浜 な の? と一 瞬 不 思 議 に 思 う 。
そ の 答 え は 公 園 か ら の 帰 途 、 女 子 美 術 大 の バ ス 停 に 向 か う 小 道 に 掲 示 さ れ て い る 横
浜 水 道 の歴 史 を語 る 解 説 に 書 か れ て いま す 。 こ こ 相 模 原 は近 代 横 浜 水 道 の通 過 点 で 、
先 刻 眺 め た池 は その重 要 施 設 だ っ た ので す
( 以 下 解 説 板 か ら )
「 こ の 水 道 み ち は 、 津 久 井 郡 三 井 村 か ら 横 浜 村 の 野 毛 山 浄 水 場 ま で 4 4 ㎞ を 結 ぶ 我 が
国 最 初 の水 道 と して 1 8 8 7 年 ( 明 治 20 )敷 設 さ れ た 。
鉄 管 や 資 材 運 搬 用 に レ ー ル を敷 き トロ ッコ を使 用 して導 水 管 を敷 設 し た 」
横 浜 市 の 水 道 は 、 日 本 初 の 近 代 水 道 と し て 、 明 治 2 0 年 ( 1 8 8 7 ) 1 0 月 に 給 水 開 始 さ れ
た 。 開 港 時 わ ず か 1 0 0 戸 程 度 の 村 だ っ た 横 浜 の 人 口 は 日 に 日 に 増 加 し 市 街 は 急 速 に
発 展 し ま し た 。 当 時 の 人 々 は 水 を 求 め て 井 戸 を 掘 っ た が 、 海 を 埋 め 立 て て 拡 張 し て き
た 土 地 の た め 塩 分 が 多 く 飲 み 水 に は 不 適 で し た 。 お い し い 水 は 行 商 の 水 売 り に 依 存 し
て い ま し た 。
そ こ で 神 奈 川 県 知 事 は英 国 人 技 師 ヘ ン リ ー ・ ス ペ ン サ ー ・ パ ー マ ー を 顧 問 に 迎 え 、明 治
1 8 年 に 相 模 川 上 流 に 水 源 を 求 め 近 代 水 道 建 設 に 着 手 し 、 明 治 2 0 年 1 0 月 に 給 水 を 開
始 し ま し た。
小松崎