印度學佛敎學硏究第66巻第2号 平成30年3月 (19) ― 956 ―
『ムンダカ・ウパニシャッド』の
テキストについて
間 口 美 代 子
はじめに
伝承されてきた『ムンダカ・ウパニシャッド』
(Muṇḍaka-Upaniṣad, 以下MuṇḍU)に
は韻律上の例外が多数見られる.
Hertel (1924)は韻律規則をテキスト校訂の主要
な根拠として
Muṇ
ḍU原典の再現を試みている.彼は韻律に乱れのないテキスト
を作成したが,その際に写本の対校を行っていない.
Salomon (1981)と
Cohen (2008)は
Hertelの研究に批判的であり,流布本に基づいた研究を行っている.他
方
Rau (1965)と
Slaje (2009)は
Hertelの テ キ ス ト を 逐 語 的 に 翻 訳 し て い る.
Olivelle (1998)
の翻訳は主として流布本に基づき,時として
Hertelの判読にも
従っている.このように,
Muṇ
ḍUの研究に用いられるテキストは未だ定まって
いない.
著者は写本と主要刊本の調査を行い,その言語,韻律及び思想的特徴を検討し
て
Muṇ
ḍUのテキスト作成を試みた
1).その調査の結果,
Muṇ
ḍUは必ずしも
Hertelの指摘する韻律規則に則って作成されていたわけではなく,韻律の乱れを
含むテキストであったという可能性が示された.
本稿では,他の文献からの引用が韻律の乱れを引き起こしたと考えられる
Muṇ
ḍUの用例を紹介したい.
1.
Mu
ṇ
ḍU 1.2.2
における韻律の問題
Muṇ
ḍU 1.2.2の第
3 Pādaの後半には ⏑ という珍しい韻律の形が現れ
2),第
3と第
4 Pādaの間には句またがり
(Enjambement)が見られる.
MuṇḍU 1.2.2: yadā lelāyate hy arciḥ samiddhe havyavāhane / tadājyabhāgāv antareṇāhutīḥ
pratipādayet // 燃 え 立 た っ た 祭 火 の も と で 炎 が 揺 ら め く 時 に3), そ の 時 に 彼 は2つ の
(20) 『ムンダカ・ウパニシャッド』のテキストについて(間 口)
― 955 ―
Mu
ṇ
ḍU 1.2.2に述べられる祭式規定は,
Āpastamba-Śrautasūtra (以下ĀpŚS)の新
月・満月祭に関する記述を下敷きにしている.
ĀpŚSは中心となる献供を投入す
べき場所と時について「
2つの
Ājyabhāga献供
4)の間に彼は別の献供を捧げる」
(ĀpŚS 2,18.8: ājyabhāgāv antareṇetarā āhutīr juhoti)
,「
Āghāra献供
5)の合流点に彼は献供
を捧げる」
(ĀpŚS 2,19.8: āghārasaṃbhedenāhutīḥ pratipādayati),「炎の消えた〔燠〕火が
あたかも震えているかのごとくにある時に,その時に彼は献供を捧げる」
(ĀpŚS2,19.11: yadā vītārcir lelāyatīvāgnir athāhutīr juhoti)
と述べる.
Mu
ṇ
ḍUは
ĀpŚS 2,18.8の
ājyabhāgāv antareṇ
a-という言葉を文字通り引用し,そ
の結果として
Muṇ
ḍU 1.2.2の第
3 Pādaの後半に ⏑ という韻律を,第
3と第
4Pāda
の間に句またがりを生じさせたと考えられる.
2.
Mu
ṇ
ḍU 2.2.1
における韻律の問題
Mu
ṇ
ḍU 2.2.1は
4つの
anuṣṭubh-と
2つの
triṣṭubh-Pādaにより構成され,第
4 Pādaは
9音節からなる.
MuṇḍU 2.2.1: āviḥ san nihitaṃ guhā caran nāma mahat padam / atraitat sarvam arpitam ejat prāṇan nimiṣac ca yad / etaj jānatha sad asad vareṇyaṃ paraṃ vijñānād yad variṣṭhaṃ prajānām //
〔それは〕明らかであり,〔しかし〕隠されて置かれており,「動いている」という名前の広 大な場所である.ここにこの一切はつながれている―動いているもの,息をしているもの, そして瞬きをしているものは.これが実在であり,非実在であり,望ましいものであり,認 識より高いものであり,生きものたちにとって最も優れたものであるとお前たちは知れ6).
Hertel
は
Muṇ
ḍU 2.2.1を大幅に改訂し,韻律問題の解消を試みる.
Hertel (1924, 57)は
Muṇ
ḍU 2.2.1を
anuṣṭubh詩節
(II,2.1a)と
triṣṭubh詩節
(II,2.1b)に分け,
II,2.1aを
Śaunaka派
Atharvaveda-Saṃhitā (以下AVŚ)の
Skambha讃歌からの引用とみな
し,
AVŚ 10,8.6の伝承通りに書き換える
(II,2.1a= AVŚ 10,8.6: āviḥ san, nihitaṃ guhā, jarannāma, mahat padam, tatredaṃ sarvam ārpitam ejat, prāṇat, pratiṣṭhitam)
.彼は
II,2,1bに関して詩
節の前半に
2 Pāda分の欠落を想定し,底本に用いた
Röer (1850)のテキストにあ
る
yad etaj jānatha sad asadという言葉を削除する
(II,2.1b: . . . ejat, prāṇan, nimiṣac ca,vareṇyaṃ, paraṃ vijñānād, yad variṣṭhaṃ prajānām)
.
しかし,
Hertelの想定とは異なり,
Muṇ
ḍU 2.2.1の
4つの
anuṣṭubh-Pādaは,
AVŚよりも
Paippalāda派
Atharvaveda-Saṃhitā(以下AVP)の当該箇所によく似ている.
AVŚ 10,8.6: āvíḥ sán níhitaṃ gúhā járan nma mahát padám / tátredáṃ sárvam rpitam éjat prāṇát(21) 『ムンダカ・ウパニシャッド』のテキストについて(間 口) ― 954 ― prátiṣṭhitam // 〔それは〕明らかであり,〔しかし〕隠されて置かれており,「老いつつある」 という名前の広大な場所である.そこにこの一切はつながれている.そこに動いているも の,息をしているものは立脚している.
AVP 16,101.9: āviḥ san nihitaṃ guhā caran7) nāma mahat padam / tatredaṃ sarvam ārpitam ejat
prāṇan nimiṣac ca yat // 〔それは〕明らかであり,〔しかし〕隠されて置かれており,「動いて いる」という名前の広大な場所である.そこにこの一切はつながれている―動いているも の,息をしているもの,瞬きをしているものは.
AVŚ 10,8.6
と
AVP 16,101.9の相違は第
2と第
4 Pādaに見られる.この相違点に関
して
Muṇ
ḍUは
AVPの伝承に一致する.
Muṇ
ḍU 2.2.1の第
4 Pādaが
9音節からなる
韻律の乱れは,
AVPからの引用により生じた可能性がある.
写本と刊本の読みは,
Muṇ
ḍU 2.2.1の第
4 Pādaが
9音節からなり,第
5 Pādaが
逸脱のない
triṣṭubhであることを示す.よって
Hertelが
Röerのテキストの第
4か
ら第
5 Pādaにある「これが実在であり,非実在であるとお前たちは知れ」
(yad etaj jānatha sad asad)という逆説的記述を削除したことは,不必要な処置であったと
言える.この記述も,おそらく
Skambha讃歌の思想を下敷きにしたものである.
AVP 17,8.1c (=AVŚ 10,7.10c)
で
Skambhaは「その中に実在と非実在がある」
(asac ca yatra sac cāntaḥ)と言われる.
Rau (1965, 222),
Olivelle (1998, 445),
Slaje (2009, 359–360)は
Hertelのテキストに基づいて翻訳を行ったため,ここに
Skambha讃歌からの
影響があったことを見落としている.
まとめ
以上,
Muṇ
ḍUにおける韻律の乱れが他文献からの引用により生じたと考えら
れる用例を紹介した.
Hertelは,主として韻律規則に基づいて
Muṇ
ḍUのテキス
トを作成したため,その思想を誤って解釈し,さらに彼のテキストに依拠した後
の研究に多大な影響を及ぼすこととなった.
Muṇ
ḍUのテキストの成立と発展に
関しては,韻律のみならず,写本の読みや他文献から受けた影響についても吟味
したうえで,検討していくべきである.
1) Maguchi forthcomingを参照. 2) Hertel (1924, 23)は第3 Pāda後半の韻律が古典サ ンスクリットの韻律規則から逸脱していると指摘する. 3) lelyaの意味については
Narten (1981)を参照. 4) 2つのĀjyabhāga献供についてはĀpŚS 2,18.4–5を参照.
5) Āghāra献供についてはĀpŚS 2,12.7とĀpŚS 2,14.1を参照. 6) jānathaについては
Bhattacha-(22) 『ムンダカ・ウパニシャッド』のテキストについて(間 口)
― 953 ―
rya 2008, 1051は異読jaranを挙げる),Kashmir伝承はjaranと読む(Barret 1936, 103参照). 〈略号・刊本〉
ĀpŚS Āpastamba-Śrautasūtra. The Śrauta Sútra of Ápastamba Belonging to the Taittiríya Saṃhitá
with the Commentary of Rudradatta. Ed. Richard Garbe. Vol. 1. Bibliotheca Indica 92. Calcutta:
Asiat-ic Society, 1882. AVP Atharvaveda-Saṃhitā (Paippalāda). The Paippalāda-Saṃhitā of the
Atharvaveda: Vol. Two Consisting of the Sixteenth Kāṇḍa. Ed. Dipak Bhattacharya. Calcutta: The
Asi-atic Society, 2008. AVŚ Atharvaveda-Saṃhitā (Śaunaka). Atharva Veda Sanhita. Ed. Rudolf Roth and William Dwight Whitney. Berlin: F. Dümmler, 1924. MuṇḍU Muṇḍaka-Upaniṣad. Die Muṇḍaka-Upaniṣad. Herausgegeben nach indischen Handschriften mit Anmerkungen, einer deutschen Übersetzung und einer Studie zu ihren philosophischen Vorstellungen. Ed. Miyoko Magu-chi. Diss., Georg-August-Universität Göttingen, forthcoming.
〈二次文献〉
Barret, Leroy Carr. 1936. The Kashmirian Atharva Veda: Books Sixteen and Seventeen. American
Oriental Series, vol. 9. New Haven: American Oriental Society. Cohen, Signe. 2008. Text and Authority in the Older Upaniṣads. Leiden: Brill. Hertel, Johannes. 1924. Muṇḍaka-Upaniṣad: Kritische Ausgabe mit Rodarneudruck der Erstausgabe (Text und Kommentare) und Einleitung.
Indo-Iranische Quellen und Forschungen, Heft III. Leipzig: H. Haessel Verlag. Narten, Johanna. 1981. Vedisch lelya zittert . Die Sprache 27: 1–21. Olivelle, Patrick. 1998. The Early Upaniṣads: Annotated Text and Translation. New York; Oxford: Oxford University Press. Rau, Wilhelm. 1965. Versuch einer deutschen Übersetzung der Muṇḍaka-Upaniṣad. Asiatische Studien 18: 216–226. Röer, Edward. 1850. The Īśá, Kéna, Kaṭha, Praśna, Muṇḍa, Mánḍukya, Upani-shads with the Commentary of Sankara Àchárya, and the Gloss of Ànanda Giri. Bibliotheca Indica 7.
Calcutta: Baptist Mission Press. Salomon, Richard. 1981. A Linguistic Analysis of the
Muṇḍaka Upaniṣad. Wiener Zeitschrift für die Kunde Südasiens 25: 91–105. Slaje, Walter. 2009. Upanischaden: Arkanum des Veda. Frankfurt am Main und Leipzig: Verlag der Weltreligionen
im Insel Verlag.
〈キーワード〉『ムンダカ・ウパニシャッド』,テキスト校訂,写本,韻律