飛驒産業におけるインハウスデザイナーの役割
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(2) デザイン学研究特集号 Vol.27-1 No.101. 2.転機としての内需拡大戦略 ─ 穂高と乗鞍 穂高が開発された1968年の日本は,国民総生産で旧西ドイツを抜いて世界 第2位となり「昭和元禄」と呼ばれていたが,木材価格の高騰は,未曽有な もので,輸出では採算が取れなくなっていた。そこで,同年3月,当時の社 長の日下部禮一は,売り上げシェアの80%を超える OEM 製品の対米輸出を 捨て,国内販売へのシフトを決断する。 そのころ,アメリカは好景気で,大口注文が殺到していたことから,社長 以外の取締役は戸惑いと割り切れぬ想いを感じながらも,それまでの方針を 一転し,内需拡大策を模索することになった[注5]。 このような状況下において,飛驒産業では,関西地区の総代理店・株式会 社大弥商店の当時の社長である野口弥一郎の斡旋で,高島屋の設計部長(当 時)である森岡正に,国内市場向けの家具のデザインを依頼する。 その内容は,飛驒産業が,対米輸出で培ったカントリーテイスト[注6] を有する日本市場向けリビング家具の創作で,これが後の「穂高」である。 同年5月には,森岡が,そのアイデアを持参し飛驒産業を訪問する。そし て,それまでは,主に対米輸出用 OEM 製品の生産設計を担当した和田宣生 が,インハウスデザイナーとして,外部デザイナーである森岡正を支え,穂 高プロジェクトを開始した。 また,野口のアイデアにより,穂高とは別に,これまで飛驒産業がアメリ カに輸出してきた OEM 製品を,日本人の体格に合う寸法に見直すなどのア レンジを加える商品開発も推進した。これが「乗鞍」である(図2)。2つ の商品のうち,穂高はデザイン性を優先したことから生産性が低く,販売価 格も乗鞍より高い。一方乗鞍は,生産性を重視し,販売しやすい価格に設定 された。 これらの製品は, 「男性的な穂高と女性的な乗鞍」という謳い文句で販売を 開始した。ところが,図3に示すとおり,乗鞍は生産性が高い反面,模倣さ れやすいことから,愛知県の K 社をはじめ競合他社の追随を許し,やがて廃 番に至った。一方,穂高は,今なおロングセラーとして生産され続けている。 仮に,当時の経営者が生産性のみを優先し,乗鞍に特化する商品政策を講 じていたとしたら,今日の飛驒産業の発展はなかったと捉えられよう。そこ で,当時のインハウスデザイナーが,如何にしてデザイン性を優先し,生産 性の低い穂高の商品化に舵を切ったのか足取りを追う。. 図2 乗鞍リビングセット 5)加藤眞美編:飛驒産業株式会社70年史,飛驒産業株式 会社,150∼153,1991を要約した。 6)田舎暮らしをモチーフとした家具のテイスト。イギリ スの地方で生まれたウインザーチェアなど。コロニア ル様式と呼ばれるアメリカ家具様式の源流である。. 図3 穂高と乗鞍の開発とその後の進展(イメージ図). 63.
(3) 64. 特集:家具のデザインと技術. 3.試作完成までの流れ 森岡正から,図面が届くと,飛驒産業では,穂高のプロジェクトを開始し た。試作が完成するまでの一連の取り組みは,以下のとおりである。. 3.1. 原寸図と木部加工 森岡正からは,穂高リビングチェアに関する10分の1の三面図が提案され た。その図面が,創作者から提出された唯一の意匠情報である。とはいえ, それだけでは,構造・強度・機能・意匠に関する不明点が多く,工場に具体 的な製作指示が出せない。そこで,創作者の意図を十分に理解し,その内容 を正確に製作者に伝えるための原寸図が必要となる。このように,創作者と 製作者をつなぐ原寸図の作図は,インハウスデザイナーに求められる重要な 役割である。 穂高の原寸図においては,流面形状を有する肘木の作図が最も難しい課題 であった。具体的には,側面・正面・平面・断面,いずれも直線部分が存在 しない任意の曲線で構成され,難易度が高い形状を有していた。 当時は,メーカーに所属するインハウスデザイナーは,生産性を十分考慮 し試作を差配するという認識があった。よって,このような場合,外部デザ イナーに図面を差し戻し,生産可能な形状へのアレンジや変更を要求する ケースが多い。ところが,和田宣生は,「肘木を簡略化したら,その良さが 失われる」と考え,生産性を優先するのではなく,デザイン性を重視して原 寸図を描いた。 あえて,手間のかかる方法を選択した和田は,製作上の問題を解決するう えで「技術部の優れた技能者からのアドバイスが効果的だった。 (中略)結 局,あの肘木は,ルーターで多工程かけて削った後に,それでもうまく行か ない部分を,南京鉋で切削する工程を設けた」と述べており[注7] ,手仕 事を厭わないモデラーの存在が,デザインの高度化を支えていたことがうか がえる。 穂高の担当モデラーは,美濃太田の技能専門学校に助手として勤務後,技 術研鑽のため飛驒産業に転職した中村守夫と,その上司で手仕事を得意とす る元仏壇職人の蔵満春造である。また,穂高の主材には,森岡の希望により ナラ材(ミズナラ)を採用した。その背景として,ヨーロッパのカントリー 調家具の多くが,オーク材(ナラ材)を使用し,百貨店でも,それらの輸入 家具が売れていたことがあげられる。. 3.2. クッションカバーと上張り布 穂高はクッションカバーにも,新しい表現を採用した。その内容は,クッ ションカバーの縫い目に小襞のついた飾縁や,座のクッションに襞付きス カートを縫い付けるという表現である。このような森岡のアイデアも,イン ハウスデザイナーは,具現化を推進した。 そこで,クッションの試作を担当した上張り技能者の広田晃は,襞ひとつ ひとつにアイロンをかけ,最初のプロトタイプを製作した。当時を振り返り 和田は,「広田さんは,めんどくさがったりしないでやってくれたよ」と述 7)和田宣生氏にお聞きした。同氏は岐阜県立斐太実業高. べている[注8]。広田晃は1913年高山生まれで,大阪の椅子張り工場で丁. 等学校木材工藝科(高山市)を卒業後,飛驒産業に入. 稚奉公後,高山に戻り,同社で上張りを担当してきた。機械化が進む以前か. 社した。入社3年目で穂高を担当することになった。. ら,この仕事に携わってきた広田にとって,手仕事はお手の物であった。. (調査日2011年6月3日) 8)同上. このように,穂高の張り部の試作もまた,木部同様に手仕事により製作さ.
(4) デザイン学研究特集号 Vol.27-1 No.101. れた。上張り布は,森岡正の意向で,イギリス・サンダーソン社[注9]に よる高級布を採用した。. 3.3. 木部加工の工業化研究 インハウスデザイナーは,手仕事を採り入れ,独創的なデザインを追求す る一方,生産性の問題を解決するため,先端の切削機械の調査・研究も手掛 けている。きっかけは,全国の家具産地に先がけ,岐阜県工芸試験場が1962 年に実施した,コッピングマシン[注10]の導入である。 そのころ,岐阜県工芸試験場で技師を務めた田中重盛は, 「コッピングマ シンについては,飛驒産業の葭原基さん(和田宣生の上司)の関心が高く, よくこちらで実験をされていた」と述べている[注11] 。このように,インハ ウスデザイナーは,高度なデザインの実現に向けて,日頃から,技術情報の 収集や,加工方法の研究にも努めていた。おそらく葭原基は,コッピングマ シンの導入を視野に入れ,森岡と和田の取り組みを見守っていたのであろう。. 3.4. 新色開発 塗装技術者の松尾吉一は,塗装技術に関する専門的な知識を学ぶため, 1965年の6月から1年間に亘り,関西ペイント尼崎工場に出向することに なった。1966年に入ると,飛驒産業の営業担当から「三越製作所が製作し 図4 ガイガー社125型コッピングマシン. た,アンティーク調塗装で仕上げたロッキングチェアのイメージで,濃淡の ある新色を開発するように」と指示を受け,新色開発に着手した。 このプロジェクトでは,関西ペイントによる技術指導のもと,サンプルの ような高級感を醸しだしながらも,生産性が高く独創性にすぐれた塗色を目 指すことになった。具体的には,三越製作所の製品はやや赤みのある色合い であったが,飛驒産業ではやや黄色い色味とし差別化を図った。 これに関し松尾は, 「黄色い方がナラに合っていると思えたし,田舎風で 良いと思えた」と述べている。一方で,濃淡を付ける方法については,三越 製作所では,研ぎ出しを行っていたが,飛驒産業では生産性を考慮しスプ レーで吹きつけることになった[注12]。その結果,全7工程におよぶアン ティーク調茶色(K 色)が誕生した。 その2年後に,穂高の企画が持ち上がると,飛驒産業では,これまで研究. 図5 完成した穂高の試作. を重ねてきた K 色を穂高に採用することになった[注13]。. 9)1860年に創業したイギリスの高級インテリアテキスタ イルのメーカーである。優雅な花柄のデザインが特徴 とされ,英国王室御用達としても知られている。 10)自動倣い旋盤のこと。型に合わせて木取り材を曲面形. 4.デザインレビュー 穂高の試作が完成すると(図5),森岡正を高山に迎えてデザインレビュー. 状に切削する機械。岐阜県工芸試験場ではイタリア・. を実施した。その結果,森岡は,試作品に満足し修正はほとんどなかった。. バッジ社のコッピングマシンを導入した。これより先. さらに,代理店や飛驒産業の営業関係者による評価も高く,初回の試作レ. に工業技術院産業工芸試験所では1956年にドイツ・ガ イガー社125型コッピングマシンを導入した(図4)。 (出典 工業技術院産業工芸試験所編:産業工芸試験 所三十年史,産業工芸試験所30周年記念事業協賛会, 136,1960) 11)田中重盛氏にお聞きした。 (調査日2011年10月26日) 12)アンティーク塗装の濃淡着色方法は,全体的に濃く着. ビューが最終レビューとなり,商品化が確定し生産準備に移行した。 その理由について和田宣生は, 「原寸図を進める上で,創作者は一体何を 表現したいのかを考えた。イメージを膨らませて,図面を描くことで,暗黙 のうちに創作者とのコミュニケーションが起こるが,それが良かった。 (中. 色した後に,薄くしたい部分のみを磨き落とす「研ぎ. 略)東京や大阪に出向き,商品を見たり人のことばを聞いたが,それがとて. 出し」と,濃くしたい部分のみにスプレーなどで着色. も重要だったと思う」と述べている[注14]。. を施す方法があるが,後者は前者より生産性が高い。 13)松尾吉一氏にお聞きした。 (調査日2011年8月29日) 14)前掲7 15)シャンブル・シャルマント展は1953年から,高島屋が 主催したモダンインテリアや家具の展示会である。. 加えて,当時の飛驒産業では,高島屋が推進する「シャンブル・シャルマ ント展」[注15]という企画展に向けた共同開発の実績があり,その経験を 通して,双方の意志疎通が図りやすい状況であったことは事実である。. 65.
(5) 66. 特集:家具のデザインと技術. ほかにも,岐阜県工芸試験場による木工デザインの学習の機会[注16] も,飛驒産業をはじめ飛驒地域における,インハウスデザイナーの成長を支 えたと考えられる。. 5.生産導入とコストダウン 穂高の商品化が確定し,生産部門の手に渡ると,生産性が低く,利益が出 ないことが問題となった。そこで,同社ではコストダウンに関する改善活動 が活発に推進された。具体的には,以下のとおりである。. 5.1. デザイン変更 木材部門からは, 「肘受け」と称される肘木を支える部材の材料費削減を 目的としたデザイン変更をせまられた。和田によると,森岡の図面には, 「肘受け」の轆轤の一部に,意匠的アクセントとして,70㎜の轆轤による球 形の飾りがあった。しかし,木材部門からは,その球の縮小を打診され,和 田は,熟慮の上45㎜に変更した(図6)。国産のナラ材は,ブナ材に比較し 量も少なく,集材が困難であることを弁えての判断である[注17]。このよ うに,実情を受け入れ,最善の妥協案を示すことも,インハウスデザイナー の役割であるといえよう。これ以外にも,材料費や工数削減につながるデザ イン変更を実施した。. 図6 「肘受け」変更前(左)と変更後(右). 5.2. 工程改善 生産導入後の組立職場では,後脚と肘木の接合部に生ずる隙間の発生が問 題になっていた(図7) 。原因は,後脚部材の研磨加工精度のばらつきで あった。とはいえ,磨き過ぎによる隙間の発生を防ぐため,研磨を弱める と,組立がかたくなり割れが発生した。 16)『岐阜県工芸試験場業務報告』によると,昭和39年度. この問題を改善した中村守夫によると,同社技術部では,試行錯誤の結. は,木工デザインに関する研修や改善指導会だけで4. 果,専用の硬質パットを開発し研磨を行った。さらに,ホゾ孔加工後の研磨. 回開催され延べ173名が受講(剣持勇によるデザイン. 工程を,ホゾ孔加工の前に設けた。その上で,専用の孔明け用ゲージを用意. 講演会等) 。昭和40年度は,同ケースで2回開催され 延べ59名が受講(岐阜県工芸試験場技師による研修. することで,精度は一段と向上した。同社では,この改善に3ヵ月を費やし. 等),昭和41年度は6回開催され延べ185名が受講(高. た[注18]。. 島屋設計部長によるインテリアデザイン講演会等) , 昭和42年度は3回開催され延べ133名が受講(千葉大 教授小原二郎による人間工学講習会等)するなど公共 機関も産地のデザイン力向上に努めていた。 17)本来,意匠を変更する場合,外部デザイナーの承諾が 必要であるが,穂高の場合,意匠や構造に関する詳細 は,飛驒産業に委ねられていた。 18)中村守夫氏にお聞きした。 (調査日2011年7月23日).
(6) デザイン学研究特集号 Vol.27-1 No.101. 図7 肘木×後脚の接合部(左は組立前). 5.3. 機械導入 穂高の生産量が順調に増えると,1971年には,コッピングマシンを導入し た(図8)。当時,岐阜県工芸試験場に導入されていたイタリア・バッジ社 のコッピングマシンは,木の繊維方向に切削する仕様であったが,この場 合,逆目が発生した。そこで,飛驒産業では,木材繊維方向に直交して切削 することで逆目を防止できるドイツ・ガイガー社のコッピングマシンを導入 した。予てよりインハウスデザイナーが,推進してきたコッピングマシンの 調査・研究がようやく実を結んだ。. 図9 スカート襞加工機械 図8 ガイガー社 NKA/100型コッピングマシン. 5.4. 機械開発 同社鉄工部門では,肘木研磨専用機などの木工工作機械をはじめ,穂高の クッションや,クッションカバーのスカート襞を加工する機械(図9,図 10)など,数々の専用機の開発や設備改善に取り組んだ。その結果,生産性 は格段に向上した。このように,地方の木工家具メーカーが,幾多におよぶ 図10 小襞加工機械 19)飛驒産業の来歴は,以下のとおりである。 1920年中央木工株式会社として創業。1923年飛驒木工 株式会社と改組。1944年高山航空工業株式会社に改組 して木製戦闘機の製作研究に従事。1945年終戦と同時 に飛驒産業株式会社に改組・社名変更。 20)前掲5)飛驒産業株式会社70年史,42∼44および同社 技術記録によると,飛驒木工では,米国人バイヤーの 要望に対応するため1930年には,偏平曲木機械を製作 した。翌年11月には,飛驒木工の技術者である横田米 蔵が,アメリカに派遣され木工機械を視察した。横田. 機械開発や設備改善の推進に至る背景として,同社の前身である飛驒木工株 式会社では[注19],1935年から開始した対米輸出を契機として,木工機械 の開発を実践していたことがあげられる[注20]。 さらに,戦争中は軍需工場となり,1944年には社名を高山航空工業株式会 社に改称し,木製戦闘機の部品を生産するため,地域の優秀な機械設計者や 鉄工技能者が同社で働いていた。その中には,戦後も,飛驒産業で働く鉄工 技能者が存在した。 同社 OB で機械設計を担当した上野清によれば,1948年にアメリカとの貿. は,アメリカからルーターマシン等のカタログを持ち. 易を再開すると,アメリカから届いた機械カタログを参考に,彼らが主体と. 帰り,それを参考に帰国後自社で同機械を製作した。. なって,轆轤製作機械やサンダーなどの機械を社内で製作した[注21]。こ. そのうち特殊部品やボディは外注に依頼した。 21)上野清氏にお聞きした。 (調査日2011年8月3日). のように,飛驒産業には,機械開発のノウハウが潜在していたことで,穂高. 67.
(7) 68. 特集:家具のデザインと技術. の生産に必要となる専用機械の開発が進展した。. 5.5. 塗装における情緒的品質の作り込みと工程改善 塗装に関しては,K 色・アンティーク調塗色を実際に工場で塗装すると, 椅子の脚は,白い包帯を巻いたようになってしまい,自然な感じの濃淡が表 現できなかった。そこで,和田宣生自身が,塗色開発担当者にアンティーク 調の塗装に関する表現方法を指導した。このように,情緒的品質を高めるた め,技能者をサポートすることも,インハウスデザイナーの重要な役割で あった。一方で,塗装時間を短縮するため,7工程を要する穂高の塗装工程 は,5工程に見直された。. 6.資材調達における競争優位性 工場でのコストダウン対策が実施される一方で,購買部門においても,コ ストダウンに関する取り組みが推進された。具体的には,以下のとおりである。. 6.1. 木材 穂高の場合,それまで飛驒産業の主材であったブナ材ではなく,ナラ材を 主材としたが,飛驒地域では,ブナ材に比較しナラ材が少なかった。また, 図11に示すとおり,全国的にみても同様の傾向があり[注22],岩手や福島 をはじめとする東北のナラ材を集材した。地元材は全体の20%程度であった。 また,当時,木材購入を担当した杉下荘一は,少しでも安く集材する手段 として「大手製紙会社が集材した木材から,ナラのみを購入するケースも あった」と述べている[注23]。さらに,当時の飛驒産業は輸出への貢献度 が高く,外貨を獲得する優良企業として国有林を安く購入できたことから [注24],同社ではこの制度を活用した。集材量は秋田営林局青森支所管内が 最も多かった。 以後,穂高の人気が高まり,集材が益々困難になると,材料確保のため北 海道にも足を伸ばした。ところが,北海道のナラ材は,高級家具用材として 22)ナラ材やブナ材の生産量低下の主因は,これらの木材 資源の枯渇である。また,1993年に白神産地が世界遺 産に登録されると,広葉樹保護に関する世論が高まっ た。その後,2004年に国有林改革が完結したことで, 広葉樹の伐採事業は概ね終わった。その後も「森林 法」が幾多改正され,平成以後は,森林の有する公益. 欧州に輸出されるほど高価であり,結局,東北材と一部地元材の使用に止 まった。 地元材については,おもに御母衣ダム(岐阜県大野郡白川村1957年着工 1961年竣工)を建設したころ,周辺から,良質のナラ材を大量に入手した。. 的機能(水源涵養,土砂崩れ防止,地球温暖化防止 等)の維持増進を図るための整備に,国の林野事業の 重点が置かれた。 23)杉下荘一氏にお聞きした。 (調査日2011年8月29日) 24)このように,飛驒産業が国有林材を安く購入すること ができた理由として 国有林野事業特別会計法施行令 (昭和23(1948)年4月7日政令第78号)第27条の4 第2号をあげることができる。「この会計において, 次に掲げる場合には,随意契約によることができる。 国有林野の所在する地方において素材生産又は製材若 しくは木工を主たる業務とする地元の事業場または工 場で,当該国有林野の経営と相互に密接な関係を有す るものを保護する必要がある場合において,当該国有 林野の立木を,素材生産用,製材用又は木工用として 直接に,その素材生産,製材または木工を営む者に売 り払うとき」と記されるが,飛驒産業では,このよう な制度を活用した。 25)「2011 総務省 統計局,木材需給報告書,3-1主要樹種 別素材生産量累年統計,需要部門別─全国」に記載さ れている1960(昭和35)年から2003(平成15)年の間. 図11 ナラ材とブナ材の生産量推移[注25]. のブナ材とナラ材の生産量をグラフ化した。. 出所:「主要樹種別素材生産量累年統計(各年版)」(農林水産省).
(8) デザイン学研究特集号 Vol.27-1 No.101. 中には,直径が5尺を超える材料もあったが,やがて底をついた。 その後,福島県にある日本楽器の木取り工場において,ピアノ脚部の品質 基準に及ばない材料や,サントリー山崎工場において,樽の品質基準を満た さない材料の活用を検討したが,実用化には至らなかった。 さらに,1959年の伊勢湾台風による被害は,ナラ材の枯渇に拍車をかけ た。その後はナラ材の量の確保は,困難を極め丸太価格も上昇した。 一方で,円高が進行すると,飛驒産業では,1984年頃から,ホワイトオー クと称されるアメリカのナラ材に関する試験研究を開始した。その結果は良 好で,段階を経て主材をホワイトオークに切り替えることになった。 このように,輸入木材による家具づくりは,同社をはじめ飛驒地域にとっ て大きな転機となったが,アメリカの製材業者に対し,柾目挽きや含水率の 指導など,独自の品質管理や教育を実施したほか,地域をあげて,デザイン 力や技術力といった,新しい地域資源の創造に向けた取り組みを推進したこ とで,以後も同地域の家具は,産地ブランドとして支持されている[注26]。. 6.2. プリント布とバイタフラム開発 新作発表会では,評価の高い穂高であったが,実際に家具売り場に展示す ると,消費者から,価格が高いと指摘された。その理由として,サンダーソ ン社による舶来布の価格が大きく影響していた。 そこで同社では,同テイスト布の国産化の方針を打ち出した。具体的に は,価格をサンダーソン社の3分の1以下に押さえることや,オリジナルの デザインに抵触しないことを前提に,プリント布の生産をシキボウ株式会社 に委ねた。以後1年を要して基布やマス見本の検討を重ね,京都の黒川染工 所で捺染を実施した。 また,穂高の開発当初は,座クッションの下地に,ウェビングテープ[注 27]を使用したが,へたりやすいことから,ブリジストンと共同で,バイタ フラムとよばれる,穂高専用の脱着式ゴム製ベース材を開発した(図12) 。 この製品は,劣化した場合,部品交換できる利点があった[注28]。 以上に示すとおり,オリジナルプリント布やバイタフラムの開発には,型 代などの初期経費や,大量オーダーのリスクが必要となり,中小企業である 飛驒産業にとっては,大きな負担であった。ところが,穂高の人気が高く, 販売量が見込めたことで,これらの資材開発を推進する運びになった。. 26)協同組合飛驒木工連合会創立50周年記念誌:飛驒から 世界へ,74∼75,2002によると,飛驒地域では1983年 に,川上元美を招聘し,デザイン開発の高度化に努め るなど,地域をあげてデザイン開発推進事業に取り組 んだ他,新技術の研究事業などを継続的に実施した。 27)椅子の下張り材の一つ。特殊撚糸にゴムを浸透させた 巾5センチほどの弾力性を有するテープで,前後・左 右の木枠にステープルで固定する。 28)同社技術記録によると,バイタフラムは,当初天然ゴ ムで生産されたが,劣化しやすいことから,1977年に は,合成ゴムに改良された。その後も,ゴムが切れる などの問題が発生する度,劣化しやすい部位を分厚く するなど品質改良を重ねた。. バイタフラム取り付け事例. ウェビングテープ取り付け事例. 図12 バイタフラム(左)とウェビングテープ(右). 69.
(9) 70. 特集:家具のデザインと技術. その後も同社では,新布開発はもちろんのこと,①クッションの硬さを選 べる仕組みの対応,②ゴム製バイタフラムより耐久性に優れるダイメトロー ル[注29]への変更,③カバーリングクッションの対応など,継続的な製品 改良を推進している。. 7.穂高の開発プロセスにおける因果の連鎖 当時は,大量生産という価値観の下において,メーカーに所属するインハ ウスデザイナーは,生産性を優先し意匠を差配するという認識があった。と ころが,穂高のデザイン開発においては,インハウスデザイナーが,外部デ ザイナーからのアイデアを魅力的なかたちで具現化するため,生産性ではな く,デザイン性を追求する方向に舵をきった。 それにより,高度な木工技能を駆使した木部,手仕事の温もりが伝わる クッションカバー,穂高の企画が開始する以前から研究開発を進めてきた新 色の採用など,生産性には課題を残すが,魅力的なプロトタイプが完成し た。プロトタイプは,前評判も上々で,製品化が急がれる運びとなった。 製品化に向けた準備がはじまると,生産性が低く,利益がでないという課 題が浮き彫りになった。そこで工場では,生産性の低さを補うため,治具・ 工程改善,独自の機械開発や最新の機械導入,競争優位性の高い資材調達な ど,各種の改善活動を推進し,穂高の生産性は飛躍的に向上した。同時に, 他メーカーに模倣されにくいデザイン開発に成功し,その結果,穂高は飛驒 産業を代表するロングセラー商品に成長した。. 8.穂高の開発プロセスから得られるインプリケーション ─ 50周年記念モデルにみられる穂高らしさ ─ 飛驒産業では2018年9月に,穂高50周年を記念して,新布「ナベダイラ」 を発表した(図13)。テキスタイルデザインは,陶芸家であり芸術家の鹿児 島睦である。飛驒産業が,鹿児島にテキスタイルデザインを依頼した背景に は,穂高が今なお同社の主力商品であるとはいえ,コアユーザーの高齢化 と,若年ユーザーの穂高離れがあげられる。 そこで,同社のインハウスデザイナーは,穂高のテキスタイルデザイン を,幅広い年齢層のユーザーに支持を集める鹿児島に委ねた。鹿児島は,飛 驒産業の想いを真摯に受け止め,同プロジェクトを開始した。 その結果,ねらい通りの魅力的な図案が提示された。さらに鹿児島から, その図案をゴブラン織りで表現したいとの要望が出され,試行錯誤の末,尾 州の織物技術を応用し新布「ナベダイラ」が完成した[注30]。 同社では,50年前に穂高を生み出す際も,生産性ではなくデザイン性を優 先したことで,新技術の開発や導入が惹起されたように,デザイン性を優先 し,魅力の高いテキスタイルの開発を推進することが,日本における椅子張 り素地の加工技術の向上や研鑽の機会になると考えている。. 9.おわりに 29)ダイメトロールは,デュポン社が開発した特殊糸を用 いて開発された布バネの商品名である。耐久性にすぐ れている。加えて,バイタフラムより堅く,着座や起 立時の腰部への負担を軽減できる。 30)鹿児島睦デザインの穂高50周年モデル「ナベダイラ」 は,木部塗装をこれまでのK色のほかに,木地色を追 加し,若い世代のニーズに対応した。(図13). 本研究では,飛驒産業のロングセラー商品である穂高を事例に,家具のデ ザイン開発プロセスにおけるインハウスデザイナーの役割を考察した。 その結果,①インハウスデザイナーが生産性ではなくデザイン性を優先し たことで,生産性のみを追求していたのでは,決して成し得なかった水準で 技術導入が推進されたこと,②インハウスデザイナーは,単に意匠性の追求.
(10) デザイン学研究特集号 Vol.27-1 No.101. 図13 鹿児島睦デザイン「ナベダイラ」クッションの穂高50周年モデル. に留まらず,技術進化を促すという意味においても重要な役割を果たしたこ と,③インハウスデザイナーは,コストを重視する生産現場において,生産 性ではなく,デザイン性を重視できる希少な存在であったことが明らかに なった。 このような研究成果を踏まえ,今後も,飛驒産業や飛驒地域の木工家具 メーカーが,デザイン性を優先するものづくりを実践することで,その結果 として「飛驒の匠」の郷ならではの,技術的な魅力が深化すると考えられる。 そのためにも,インハウスデザイナーは,地域におけるロングセラー商品 を対象に,時間展開をともなう因果の連鎖を解明し,そのメカニズムを次の デザイン開発プロセスへ意図的に取り込むデザインの思考法を活用すべきで ある。 【謝辞】 本研究に関し,飛驒産業株式会社代表取締役社長岡田贊三氏から,資料提 供などご協力を頂きました。ここに深く謝意を表します。 【参考文献】 新井竜治:戦後日本の木製家具,家具新聞社,2014 石村眞一:日本の曲木家具 その誕生から発展の系譜,鹿島出版会,2012 沼上幹:行為の経営学 ─ 経営学における意図せざる結果の探究,東京白桃書房神田,2000 沼上幹:液晶ディスプレイの技術革新史 ─ 行為連鎖システムとしての技術,東京白桃書房神田, 1999 藤巻吾朗 宮川成門 中川輝彦 坂井雄大 宮本敬:腰痛者の腰の負担を軽減する家庭用椅子の開発, 平成25年度岐阜県生活技術研究所報告,2014 中川輝彦 麓和善:飛驒産業株式会社における曲木折り畳み椅子の変遷 ─ 昭和3年より昭和末ま で ─ ,技術と文明21巻2号,日本産業技術史学会,2017. 71.
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