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【最終講義】未成年者保護法研究が問いかけたもの 利用統計を見る

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【最終講義】未成年者保護法研究が問いかけたもの

著者

森田 明

著者別名

Akira MORITA

雑誌名

東洋法学

57

3

ページ

443-465

発行年

2014-03-31

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00006499/

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  皆さん、今晩は。こういう晴れがましいことになるとは、夢にも思っていませんでした。今日の主催は、事実上 学部ゼミ一期生の旧姓関谷さん、大学院教務課の現姓阿部朋子さんがどこかで思いつかれた事で、彼女の力仕事の おかげで、こういう滅多にない機会に恵まれたことを、非常に嬉しく有難く思っております。わざわざこの土曜日 の午後にお出かけ下さった皆さまにお礼を申し上げる次第であります。   最 終 講 義 と い う こ と で す が、 だ い た い こ の 名 称 自 体 が 阿 部 さ ん の 命 名 で あ り ま し て、 最 終 講 義 と い う の は 本 来 は、例えば私が本郷に在籍していた時期でしょうか、刑法の団藤重光教授が「法における主体性」という厳かな最 終講義をなさって、そういうかたちで、主として旧帝国大学で継承されてきたものに違いないと思います。それに 類 す る 厳 か な 話 を 私 が す る こ と は 出 来 な い の で す が、 チ ラ シ に あ り ま す よ う に、 「未 成 年 者 保 護 法 研 究 が 問 い か け たもの」という題名を一応付けさせてもらいました。   私は、本学では未成年者保護法と日本近代憲法史という二つの講義を担当しておりました。これには理由があり まして、いきさつについてはお話いたしますが、二足の草鞋を自分では履いてきた訳であります。 【最終講義】

未成年者保護法研究が問いかけたもの

 

    

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  今いきさつというお話をしましたが、私はそもそものスタートライン辺りでだいぶドタバタした人間でありまし て、本郷の助手だった当時、小中学生の勉強とキャンプ活動に相当入れあげておりました。そこでのリーダーをや りながら、本気で一体人間が教育される、あるいは成長するというのはどういうことなのだろうと大真面目に考え 始めて本を読み始めていた訳です。学問の傍ら、ということです。ところが、夢中になっている最中に、子ども達 を連れてスキー合宿に行って、スキー場で自分から転んで、非常にそそっかしい話でありますが、眼を怪我して片 眼になった訳です。   こ う い う そ そ っ か し い と い う こ と が 世 の 中 に あ る の だ と い う こ と を 初 め に お 話 を し て お く べ き だ ろ う と 思 い ま す。この眼の怪我を機縁にして、自分の専門分野がだんだん二つに分かれてきて、三年後にお茶の水女子大学の家 政学部児童学科のポストが与えられたところで、一般教養の「法学」と、専門の、この時は「児童法」といったの ですが、これらの科目担当を始めた訳であります。これが二足の草鞋を最後までずっと履いた原因でありまして、 両方混ぜ合わせますと、それなりにまた自分で考えることが出てくるのですが、今日はもっぱら、児童学科の専門 コースのところで始めて今日に至っている未成年者保護法のお話をさせていただきます。   スタートラインはこのようにドタバタしたものでありました。   ある時期までは、私は学校教育のことに当然関心を持つべきだろうと思って、裁判例を中心とした極めて実定法 的なことを勉強しておりました。 〈法と人間関係〉   一番最初に気付いたのは、法と教育というのは一体どういうふうに接触するのだろうか、あるいは接触する場面

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があるのだけど、それはどういう関係になっているのだろうかという事でした。この問題がなかなか解けないので すね。法学者達は熱心に教育行政のことを論じて、それこそ警世的な発言をたくさんしていたのですが、どうも法 というものと教育というものは水と油ではないか、そのように思い始めた時がありまして、いくつか頼まれた論文 にもちょっとそのことを匂わすくらいのことを書きました。今から考えてみますと、要するに未成年者保護法とい う の は、 基 本 的 に は 学 校 教 育 法、 児 童 福 祉 法、 少 年 法、 家 族 法 と い っ た い く つ か の 領 域 に ま た が っ て い る 訳 で す が、それを通して、人間が成長していく過程をどのように見るのだろうということが問題となる。そうすると、法 と教育という一般的な接点が出てきます。そこが自分ではモヤモヤしていて、何とか解決しなくてはならないとい う課題に直面していた時期がありました。   今 日 こ こ に 持 っ て 来 た ひ と つ の 素 材 で す が、 Beyond the Best Interests of the Child と い う ア メ リ カ の 図 書 が あ ります。これは、 Joseph Goldstein という米国の児童福祉法研究の大家が、 Albert J. Solnit というこれは社会学者 だ っ た と 思 い ま す が、 そ れ に も う ひ と り こ の 本 に 助 力 し た Anna Freud の ―― Sigmund Freud の 娘 さ ん で す ね ――協力を得て、非常に学際的な、アメリカでは広く読まれて実務家をリードした本です。   これに私はたまたま触れて、読んだ時に、非常に印象深いところがあるので紹介させて下さい。今私が言った法 と教育関係の問題について、彼は法と人間関係という言葉を使うのですが、この本の四九頁から五〇頁になります が 書 い て い ま す。 結 局 Goldstein が 直 面 し て い た こ こ で の 素 材 は、 監 護 権 の 決 定 の 問 題 で す。 親 が 離 婚 し た あ と、 子どもを一体どちらが持っていくのか、子どもをどこかの施設へ送致しなくてはならない、こういう時に、普通、 法 学 者 と い う の は ―― Goldstein の 言 葉 を 使 う と ―― ち ょ っ と し た マ ジ ッ ク を や る よ う な つ も り で、 あ る 将 来 を 見 越して色々な判断をする。法学者というより具体的には裁判所ですね。法は、そういうマジック的な言葉を使いな

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が ら、 人 間 関 係 を 料 理 し よ う と す る の だ け れ ど、 実 は そ れ は 出 来 な い の だ、 と 彼 は 主 張 し ま す。 「法 は 人 間 関 係 を 破 壊 す る こ と は 出 来 る。 し か し、 人 間 関 係 を 強 制 的 に 形 成 す る よ う な 力 を 持 っ て は い な い」 。 彼 は こ の 点 を 非 常 に 強調する訳です。法は人間関係を破壊は出来るが形成は出来ない、と。非常に否定的な言い方ですが、彼は、こう いうことをこのチャプターで一生懸命に言っております。   こ れ を 早 い 時 期 に 私 は 読 み ま し て、 そ も そ も こ こ で 言 っ て い る「関 係」 と い う の は 何 な の だ ろ う か と、 興 味 を 持 っ た の で す ね。 Goldstein が 言 う human relationship 、 ship が 付 い て ま す が relation で も 良 い と 思 い ま す が、 そ のように言っている部分の本体は何なのだろう、法と接触する場面でこれが現れてくるというところが私にとって は一番重要だった訳です。ちょうど自分がその時に抱えていた課題との関係でです。   と い う こ と で、 Goldstein の 言 葉 を 借 り ま す と、 right relation と human relation は あ る 意 味 で 水 と 油 だ け れ ど も、 例 え ば 監 護 権 の 決 定 で あ る と か 学 校 教 育 の 法 的 過 程 で あ る と か、 あ る い は 少 年 非 行 の 場 合 の 決 裁 で あ る と か 色 々 な 場 面 で 共 通 し て 現 れ て く る。 こ う い う 問 題 と し て Beyond the Best Interests of the Child の 提 出 し て い る 枠 組みは、その後の私の未成年者保護法や教育の問題、家族の問題を考える上で、絶えず考察の鍵になったものであ り ま す。 Goldstein の 言 っ て い る こ と は、 法 が 出 来 る こ と は わ ず か に 関 係 を 認 知 し た り、 成 長 の 機 会 を 用 意 す る こ と く ら い し か な い の だ。 で は、 形 成 す る も の は ど う な る の だ と。 こ れ は 私 が あ ち こ ち で 問 題 と し た も の で あ り ま す。 こ れ を 問 い 詰 め て い く と、 未 成 年 者 保 護 法 と 呼 ぶ 他 な い よ う な 分 野 の 中 核 問 題 が 出 て く る だ ろ う と 思 い ま し た。結局は、自分がやれるかやれないか時間の問題もありますし、眼が不自由になったというところからスタート して非常に手間を食った訳です。そしていつの頃からか少年法の比較法的な研究と言いますか、日本の少年法とア メリカの少年法を対にして考えるというのが、一番身近な仕事となりました。少年法における保護・教育と刑事責

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任という対をなすテーマが一番問題に接近しやすそうに思えたからです。 〈少年法における保護と刑事責任〉   お茶大を始め、その後いくつかの大学での講義やゼミに出て来られた学生の諸君で、家裁の調査官や矯正の実務 家として活躍している皆さんが今日はおられますけれども、いつでも根っこにあるのは法と人間関係の接触・葛藤 の問題である事は、皆さんの共通したテーマだろうと思います。一九三〇年代の終わり頃から私は、臨床的な実務 を知っていなければちゃんとしたものを考えることは出来ないだろうと思い着任したのが――紹介されるところが あってですが――法務省保護局の保護観察という仕事、俗に言う保護司の仕事です。ですから、もう三〇年以上に なります。   理 論 的 な 勉 強 の 方 で す が、 ま ず 始 め に、 歴 史 を 知 る 必 要 が あ る だ ろ う と い う こ と で、 現 在 の 少 年 法 よ り も、 旧 法、 い わ ゆ る 大 正 一 一 年 少 年 法 の 成 立 過 程 と い う と こ ろ を 一 番 基 礎 か ら 勉 強 し よ う と 作 業 を 始 め ま し た。 と こ ろ が、あまり一次史料がない。わずかにあったのが、法務省法務図書館というところで、そこに行くと、ある程度の 整理はなされていました。端からそれを見せてもらっていくうちに、だんだんと「そうか、少年保護の立法とはこ のように動いていったのだな」とか、少年刑務所の実務とはどうなっていたのかということに触れることが出来る ようになりました。そうこうするうちに、大正一一年、西暦の一九二二年ですが、成立した少年法に、ある意味で 憑りつかれるという事態が生じて来ました。これは面白かった。   一次史料に触れながら、ものが自然に浮かび上がってくる姿を知って、その姿に驚かされた。上手く表現するこ と が 出 来 な い の で す が、 ま ず 美 し い と 思 っ た の で す ね。 美 し い と い う の は、 法 が 出 来 て い く 過 程 の ド ラ マ が で す

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ね。法の対象は非行少年です。少年法というのは犯罪少年だけではなくて、広い意味での虞犯少年とか触法少年と かを含みますから、アメリカほど児童福祉法的ではありませんけれども、その実務の基礎となるのは、保護処分と いう法的でかつ人間関係的な法現象です。   明治三〇年代以降の日本にはアメリカ法の影響というのがいつでも影を落しておりました。例えば、アメリカの い わ ゆ る Warren Court が 人 権 の 行 進 な る も の を 始 め た の が 一 九 六 〇 年 代 で、 六 七 年 に は J・ F・ ゴ ー ル ト 事 件 と いうものが出されて、アメリカの少年法がみんなひっくり返ってしまうということが起きますが、こうした動きは は現在の日本法にも大きなインパクトを与えます。   つまり学問用語を使うと比較法ということになるのですが、少年法における日本とアメリカ、という主題が日本 法の実務の勉強の他にここでの私のもう一つのテーマになって来ました。結局その後、何冊かの単行本の形で世の 中に公にしたものは、この二つくらいしかなかったかも知れません。雑誌に頼まれてしたことはありましたけど、 そんなにたくさん仕事が出来た訳ではないと思います。   そこで今日は、その時に集めた一次史料を使って、少年法の現場というか、実務の断面を紹介してみようと思い ます。今の「少年」という場合、広い意味での児童福祉の対象であり、主として犯罪を犯した少年ですね、これか ら読みますのは、戦前の少年法が成立した時には、すでに不動文字になっておりましたけれども、明治三〇年頃に はその原型が形作られていたと思われる「誓約書」です。誰にこれを差し出すかというと、この時は検察官に出す のです。検察官に出す誓約書でありますが、要するに警察で取り調べて、まず裁判所検事局に来る訳です。現行法 では検察官を通していきなり裁判所へ行ってしまいますが、旧法では検察官が非常に大きな役割を果たしていまし た。警察の捜査資料は全て検察官のところへ来ますけれども、そこでどうなるかというと、現在のようにそれを検

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察官がすぐに裁判所へ送るということをしない。起訴するか保護処分へまわすかを検察官が裁量判断する。これが 「起訴便宜主義」と呼ばれた手続です。 「検察官が『コラ!』と怒りながら、そこで少年を改心させるという大正少 年法の二面性が自分は大好きです」という学生の答案がありましたが、本当に「コラ!」と怒ってくれたかは分か りませんが、ともかくその時の誓約書を読んでみます。刑罰のために起訴されるのかどうか、保護処分のために審 判所へ送られるのかどうか、送られるとなると、まずは訓戒から始まって、最後は病院へ送られるという九項目の 保護処分があります。大正少年法は非常に教育に熱心でした。法の第四条にこれは出てきます。ところが、さらに それの手前のところで、検察官がインフォーマルに「誓約書処分」というものをする時がある。これがなかなか面 白い。理論的には注目に値するものです。検事局全係属事件の二〇数パーセントでした。    「     誓約書 私事     此度悪い事を致し申訳ありませぬ。御情により一時御許し下されまことに有難う存じます。     此後は必ず心を入れかへ御教へを守って決して悪い事は致しませぬ。     今茲に固くおちかいを致し後の為め此の書面を差出します。 年   月   日        引受書     右本人御引渡し下さいましたに付此後私が充分監督致し再び間違ひ無き様に致します。

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年   月   日   右保護者     名古屋区裁判所検事   殿」   この引受人は雇い主が多かった。やはり日本の非行少年たちは圧倒的に出稼ぎ少年です。ですから雇い主が非常 に重要視される。もちろん親がいれば親が引受人になります。   さて、この「誓約書」をちょっと分解して考えてみたいと思います。この書面の文脈自体は、皆さんはそんなに 抵抗をお感じにならないと思うし、今日の日本の文化の常識的なやり取りとしてもあり得るだろうと。お巡りさん に叱られる場面です。しかしこの時に叱っていたのは、検察官なのです。   と こ ろ で、 こ の「誓 約 書」 を 見 て も 分 か り ま す が、 「御 情 に よ り 一 時 御 許 し 下 さ れ ま こ と に 有 難 う 存 じ ま す」 と いう部分です。例えば留岡幸助という有名な少年法・児童福祉法の草分けが、この司法手続のところではびっくり するような事態が起こるのだと言っている。検事さんのところで、少年は微罪だということで今回はこれ以上叱ら な い で 一 筆 書 か せ て 帰 し て や る 場 面 で す。 こ れ を 留 岡 は「出 格 の 取 扱」 と 言 い ま し た。 「出 格 の 取 扱」 を す る と、 留岡に言わせれば、少年たちは感謝の気持ちでいっぱいになる。この感情は非常に重要だと彼は言います。もとも と少年は悪いことをしている訳ですから、社会の敵ですよね。その敵がいつの間にか、検察官の前で締めくくりの 場面まで来ると、時には喜びでいっぱいになっているという。実はこれは今日でも、少年事件の手続の本質にある 特質ではないかと思います。   この検察官の地位が後々日本の少年法にとって大問題を提起いたします。というのは、検察官とは誰なのだとい う事ですが、昭和二〇年に日本が第二次大戦に敗れて、進駐軍がGHQというかたちで入ってきた時には、検察官

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というのはやはり訴追官として映りました。裁判所で罪を追及するのが検察官の本務なのだ、と。ところが、占領 期 の あ る 文 書 に よ れ ば、 司 法 省 は、 「い や、 検 察 官 は 訴 追 官 と し て だ け が そ の 仕 事 で は な い」 と 反 論 す る。 つ ま り 日 本 側 か ら す れ ば、 「御 情 に よ り 一 時 御 許 し 下 さ」 っ て、 少 年 を 喜 ば せ て い る。 こ れ が 少 年 の 更 正 を 可 能 に す る、 喜 ば せ る と い う の は、 ま さ か 許 し て も ら え る と は 思 わ な か っ た と い う 意 味 で 喜 ば せ る の で す ね。 「此 後 は 必 ず 心 を 入れかへ御教へを守って」と、ここでは訴追官というよりは何かお寺の坊さんのような検事の役目が出て来ている 訳です。しかし、これがある意味で、日本の、日本近代と言ってもいい、あるいは幕藩体制下から定着していたか も知れない、日本のこの種の仕事を果たす役人のパターンだったようです。   どういうことかと申しますと、検事は何よりもまず訴追官です。重大犯罪が出てきた場合には、必ず捜査資料を 点 検 し た 上 で 起 訴 す る 訳 で す ね。 こ れ は ア メ リ カ で も ド イ ツ で も、 ど こ で も 同 じ よ う な 検 察 官 の 役 割 で す。 で す が、 そ う で な い 場 合、 あ る 程 度 ま で の 犯 罪 の 時、 「悔 悛 の 見 込 が あ る 場 合」 と の 条 件 が あ り ま す が、 訴 追 官 で は な く て 保 護 官 と し て、 「御 情」 に よ っ て 誓 約 書 処 分 に す る の で す。 こ こ で の「御 情」 と い う の は、 今 で は「御 情」 と 言うと何だか恥ずかしいような感覚ですが、そうではなくて、検事と少年の間の「人間関係」がそこにあるという 意 味 で す ね。 「御 教 へ を 守 っ て」 と い う の は、 つ ま り、 教 師 で あ り、 お 寺 の 坊 さ ん で あ っ た り、 親 で あ っ た り、 そ う い う 人 間 が「御 教 へ」 を 垂 れ る。 検 事 の 役 割 は こ う い う、 《保 護》 と《刑 罰》 の 二 つ の、 論 理 的 に は 矛 盾 す る 役 割を切り替えるところにあるのであって、つまり一人二役なのです。二役というのは同時に両足を踏んでいるので は な く て、 ど う す る か と い う 切 り 違 え を や る 訳 で す。 そ の 時 の 構 造 を 見 て い く と、 さ っ き 申 し ま し た Goldstein が 言った、法は人間関係を形成することは出来ない、しかしセッティングは出来るでは形成する本体とは何なのだろ う、という問題への答えが少しずつ見えてくるように思います。

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  日本の少年法の特徴というのは、あるいは少年法だけではありません、実は日常生活、日本人の社会生活全体に 含まれている特徴というのは、こうやって論理的には確実に矛盾するはずの一人二役を一人の人間にやらせる。こ こでの検察官は起訴官であると同時に、保護官である訳です。それが、少年の側の感謝を呼び起こす。その感謝を 引き出せるかどうかが制度の要になる。今私はミクロに説明いたしましたが、この構造というものが、先程お話し たように、日本の少年法をやっていると、構造全体の問題として見えて来ます。日本の保護主義というものは、古 くからある親心の感受性と言ってもいいですが、大変深いところにあるものです。   この構造は、宮城長五郎という大正少年法の施行責任者が、大正一一年から昭和の初めにかけてですが、司法省 の 保 護 課 長 と し て、 書 い て い る 実 務 上 の 資 料 に 色 々 と 出 て 参 り ま す。 例 え ば、 「今 の 検 事 は 鬼 で は 務 ま ら な い の で ある」 、「刑事政策が義の一元に非ずして仁の他の一元をこれに加味するに至った以上、検事の職務は菩薩の心でい か な け れ ば 務 ま ら な い の で あ る」 、 と。 こ う い う 書 き 方 を し て い る の で す ね。 私 は 一 人 二 役 と 言 い ま し た が、 な か なかこの鬼と菩薩の切り替えの判断は難しい。つまり、日本の一般社会でこの二元性がどういうふうに行われてい るかということとタイアップしていなければならない。今日の検察官というのは、ちょっと変な人もいっぱい出て いますし、なかなかこういう切り替え装置で訓練された人は、そんなに多くはないと思います。何よりも、占領下 に組み変えられた昭和二三年の現行少年法には、この検察官の起訴便宜主義はありません。当時はやはり、検察官 というのは日本の司法行政の中枢にいましたから、よく訓練され、日本の社会常識を取り入れていた存在でした。 宮城長五郎の言う「鬼では務まらない、菩薩の心でいかなければならない」というのをもじって、禅の言葉にある のですが、鬼の顔をしながらも仏の心を持って弟子を指導するという《鬼面仏心》という言葉、つまり相矛盾する 構 造 が ワ ン セ ッ ト で ひ と つ の 人 格 の 中 に 現 れ る と い う、 こ れ が 特 質 の よ う で す。 こ の《鬼 面 仏 心》 と い う の は、

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我々が教育上ものを論理的に考える時に重要ですね。つまり、一方で本人の自己決定と責任とを追及する、少年法 の場合、これが刑事責任あるいは懲戒責任ですね。同時に、対象者の心の中に、検察官や保護者との人間関係の中 で「悔悛」が起きた場合には、むしろそっちをサポートして、彼に保護を加える。彼らは多くの場合改心して、再 犯をしなくなる、成長する。これが宮城長五郎の少年法論でした。これを日本的という言い方で言っていいかどう か。必ず他の世界でも同じパターンがあると思います。つまり、矛盾原理が統合されている、と。   こ の 話 を 昨 年 あ る 大 学 で し て み ま し た ら、 「先 生 が お 話 に な っ て い た の は、 絶 対 矛 盾 の 自 己 同 一 と い う 西 田 幾 多 郎の哲学ですか?」と尋ねられました。そういって良い面もあると思います。しかし、絶対矛盾ではない。責任と 保護は、西洋法的な枠組みで言えばお互いに相排斥し合う。しかしそこにある感情とか人間関係とかが入ってくる と、これが一体のものとして機能するという特質があるという事です。   この《鬼面仏心》構造というのは、つまり刑事責任が背後にある。ですから、いざとなったら刑務所に送られる という威嚇・心理強制がかかっていながら、そのもとである喜びを感じることができるという構造ですが、実務家 に聞いてみますと、これが戦後の実務の中にはない訳ではないということでした。先の「誓約書」の類似のような ものもたまには書かれるという話です。しかし、それらが大正少年法のように一般化しているということはない。   今日の日本法の構造の中にも、日本社会の伝統的なものが入り込んでいるというのは皆さんもお分かりだと思い ます。我々の日常と法実務は非常に密接に絡み合っています。 〈少年法における日本とアメリカ〉   さて、私が取り組んだもうひとつのテーマは日本とアメリカというもので、先に申したように、日本の少年法は

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アメリカとの比較の上で考えていく必要がある。先に申したように、アメリカと日本の少年法は具体的な接触点が 大変多いのです。しかし、ロングで見てみるとアメリカの少年法はいかにもアメリカらしい、しかし独特な展開を 経てきております。   だいたい今から百年前、一九世紀の末から二〇世紀いっぱいにかけてですね、アメリカには以下のような二つの 大 き な エ ポ ッ ク が あ り ま し た。 ひ と つ は、 一 九 世 紀 末 頃、 ア メ リ カ の 例 え ば Richard Sennett と い う 社 会 学 者 が 分 析していたところなのですが、いきなり欧米社会・アメリカ社会が言われるような自由と平等の社会になった訳で はない。むしろ自由と平等というのは近代の産業社会の中で、アメリカでいうと一九世紀後期の産業革命の中で、 アメリカ社会というのが国家と個人に分極化し、いわゆる市民社会・市民的法治国家というものが作られて来た訳 で す が、 そ の 時 に、 Sennett の 言 葉 を 使 い ま す と、 単 に 伝 統 的 な も の が 新 し い も の に ど ん ど ん 身 を 譲 っ た の で は な くて、伝統が何らかのかたちで残る。例えば産業革命の中で伝統的な共同体が崩れてくる。すると、一番問題なの は 家 庭 の 分 解 で す。 こ れ を 何 と か 食 い 止 め よ う と す る 動 力 が 当 然 働 く。 あ る 意 味 で、 伝 統 の 中 に あ っ た「底 力」 に、 何 と か 家 族 的 な ス ピ リ ッ ト を 入 れ て、 組 み 立 て 直 す。 そ う い う 仕 事 が ア メ リ カ の 社 会 の 中 で 行 わ れ る。 つ ま り、擬制的な親子関係を作り直す訳です。アメリカの少年裁判所や学校は、アメリカの「革新主義」が新たに作り 出 し た も の だ と い う の は 間 違 い で、 ア メ リ カ の 伝 統 の 中 に あ っ た も の を 組 み 立 て 直 し た と い う こ と で す。 こ れ は 一九世紀か二〇世紀辺りのイリノイ州での文献にたくさん出てきますが、パターナリズムと呼ばれます。   最近のアメリカ人は非常にこれを嫌う。これに感染して日本の学者も「あいつはパターナリズムでものをしゃべ る」 、 遅 れ た や つ だ と 言 う。 遅 れ た や つ と い う の は、 専 制 君 主 的 だ と い う こ と で す。 し か し こ れ は 非 常 に 表 層 的 な 批判だと私は思います。

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  どうしてパターナリズムというものが出来てきたかと言えば、典型的には学校と少年裁判所ですが、例を挙げま す と、 一 八 九 九 年 に イ リ ノ イ 州 で 成 立 す る 有 名 な イ リ ノ イ 少 年 裁 判 所 法 の 二 一 条 に は こ う い う 規 定 が あ り ま す。 「本 法 に よ っ て 子 ど も に 与 え ら れ る 世 話、 監 護 及 び し つ け は、 実 の 親 に よ っ て 与 え ら れ る は ず で あ っ た と こ ろ の も の に 最 大 限 近 付 か な け れ ば な ら な い」 。 つ ま り 子 ど も の 現 状 が 実 の 親 か ら あ ま り に も 隔 た っ て し ま っ た こ れ を 何 と かしなければならない。原因は何かというと、産業革命です。産業革命による家族の分解で、実際には子どものあ がりで食べていた病気の親もたくさんいた訳ですが、で、裁判所というのはこの「親代わり」になるのだ、と。こ れをパターナリズムと呼ぶ訳です。つまり、父親的な保護主義、あるいは温情主義と翻訳されますけれども、こう い う 制 度 を、 今 は 少 年 裁 判 所 法 を 例 に と り ま し た が、 広 く 児 童 福 祉 や 学 校 教 育 の 場 面 で 作 っ て い く。 学 校 の 教 師 は、 そ も そ も 子 ど も に ど う し て 懲 戒 処 分 を 加 え る こ と が で き る か、 ど う し て 体 罰 を 加 え る こ と が で き る か と い う と、――今でこそ人権侵害という話が出ますけれども――当時は先生が怒ってくれなかったらやっていけないのだ からどうぞ親代りで頼みますという親がいっぱいいた訳です。とりわけアメリカの場合を見てみると、学校の教師 が懲戒を許されるためには、あるジャスティフィケィションが必要になる。どういうジャスティフィケィションか と い う と、 先 生 は「親 代 わ り」 な の だ、 と。 こ れ は パ レ ン ス・ パ ト リ エ 又 は イ ン・ ロ コ・ パ レ ン テ ィ ス と 言 い ま す。 少 年 裁 判 所 の 判 事 や 学 校 の 先 生 が や っ て い る こ と は、 イ ン・ ロ コ・ パ レ ン テ ィ ス、 in place of parents で す。 先生が親に代わってやる。だから、判事や先生は懲戒をしていい、げんこつを食らわせてやってもいいという訳で す。ジャスティフィケィションは結局親子関係から来ている。親子というのは、それくらいにいつでも重要な役目 を洋の東西を問わず果たしてきている。そこへ社会が色々なことを付け加えて最後には立ち戻らせるという制度が 出来上がる訳です。

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  こういうことでアメリカは伝統社会の中にあったものを現代的に再構築し直すということでパターナリズムとい うものを組み立ててきました。今私は、ある意味で、近代化・現代化に抵抗するものとしてパターナリズムという ものが出てくると申しました。だから現代人はすごくこれを嫌います、上下関係をいつでもつける、親と子、先生 と生徒、いばる人間といばられる人間を権威主義的関係として嫌悪します。しかし親と子は、いばる―いばられる だけでは捉えられませんよね。私が今ここに持って来たのは、当時のお茶大の大学院生が日本女子大学の児童学科 の図書室で見付けたというものです。これは、今私がものを考える時の鍵になってくれているもので、パレンス・ パトリエ運動のリーダーの一人で A. J. Mckelway という人物の手になる文章です。 「アメリカの児童の依存宣言」 ( Declaration of dependence of American child ) と い う も の で、 特 に 工 場 で あ る と か、 貧 し い 子 ど も 達 が work place に い る 場 合、 大 事 な こ と は 彼 ら の dependence (依 存) と い う こ と な の で す ね。 今 ち ょ っ と 日 本 語 に 訳 し た 部 分 を 読 ん で み ま す。 「我 々 ア メ リ カ の 子 ど も た ち は、 自 由 か つ 平 等 に 生 ま れ た と 宣 言 さ れ て い る。 に も か か ら わ ず 我 々 は こ の 自 由 の 国 で、 」 ―― こ の 場 合 の「我 々」 と い う の は 子 ど も の こ と で、 子 ど も が 宣 言 し て い る と い う こ と で す ――「隷属の状態におかれており、健康、安全、労働時間、賃金に関する労働条件の何らのコントロールもなく、 労 働 の 対 価 に 対 す る 何 の 権 利 も な し に 終 日 終 夜 の 労 働 を 強 い ら れ て い る」 。 こ う い う 文 章 で 始 ま る の で す。 そ し て 最 後 の 方 が、 「我 々 は 自 分 た ち が 寄 る 辺 な く dependent (依 存 的) な も の だ と 宣 言 す る」 、 そ こ か ら、 「我 々 は dependent な も の で あ っ て、 権 利 に お い て depend す べ き 存 在 だ」 、 と。 こ れ は ア メ リ カ の 国 体 と も 言 う べ き「独 立 宣 言」 ( Declaration of Independence ) を 強 烈 に 皮 肉 っ た 一 節 で す。 あ る 意 味 で、 非 常 に チ ャ レ ン ジ ン グ な 発 言 な のです。もちろん、アメリカを含めた西洋社会の自由の理念が近代を切り開いたと言われておりますが、その時の 基 本 命 題 は、 人 間 は 自 立 (自 律) し て い る と い う も の で し た。 例 え ば 基 本 的 人 権 と い う も の が そ う で し ょ う。 人 間

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は 自 由 な 存 在 で あ る と い う、 こ れ が 人 間 生 活 の 最 後 の ゴ ー ル と な っ て い る。 で は 何 が 起 き た か。 ち ょ う ど こ の パ タ ー ナ リ ズ ム が 作 ら れ て い く 過 程 で、 少 年 裁 判 所 が 作 ら れ て い く 過 程 で、 Mckelway の 子 ど も の 依 存 論 も 出 て 来 る 訳です。同じ自由と平等の主体だとすれば、子どもも大人も区別はないのだから、子どもは一個の契約の主体だと いうことで、買い叩かれる。彼らは皆炭坑の底の方に行かなくてはならない。非常な過酷な労働条件下で働かなく て は な ら な く な る。 つ ま り、 「自 由 と 平 等 と い う の は 一 つ の イ デ オ ロ ギ ー な の だ」 と い う こ と を、 こ の Mckelway と い う リ ー ダ ー は は っ き り と 言 っ て い ま す 。 今 何 が 我 々 ア メ リ カ の 児 童 に と っ て 大 事 か と 言 え ば 、 我 々 は dependent な 存 在 な の だ、 independent で は な い の だ、 そ こ が ポ イ ン ト な の だ、 と。 こ れ が パ タ ー ナ リ ズ ム と 私 が 先 程 か ら お 話 し て い る と こ ろ の も の で、 つ ま り 親 子 関 係 と い う も の を 社 会 的 に 構 成 し 直 し て、 子 ど も は independent で は な く て dependent な、 つ ま り 親 や 大 人 の 保 護 に 頼 っ て、 保 護 さ れ る と い う 存 在 で な く て は な ら な い。 こ れ は 近 代 社 会 の哲学に対する大きな皮肉ですよね。ですが、こういうカウンター・イデオロギーが一九世紀の末から二〇世紀の 初めに出てくる訳ですね。この話を面白くする為には、彼が最後のところで言っているところももう一回読みます が、 「我 々 は 自 分 た ち が 寄 る 辺 な く dependent な も の だ と 宣 言 す る。 我 々 は 依 存 し た も の で あ る と と も に、 権 利 に おいて依存すべき存在である。我々の寄る辺なさについての訴えを表明するとともに、子ども期の権利を享受でき るような保護が我々に与えられるよう訴える」結局、子どもの法的地位というのが、権利という言葉でまぶして表 現されているのですが、 しかしこの権利は、 古典的な権利が持っている主観的な independence (自立) を意味して い な い。 む し ろ dependence (依 存) そ の も の を 法 的 に 保 護 さ れ る 客 観 的 利 益 と い う か た ち で 説 明 し て い る に 過 ぎ ない。   ところが二〇世紀の後半になると、アメリカの少年法にとって第二の波が訪れてきます。第一の波は今言った、

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親代わりのパターナリズムです。第二の波は、だいたい一九六〇年代の末からアメリカの裁判所が大きな判決を出 す と い う こ と も あ っ て、 今 日 に ま で 至 る よ う な、 ほ と ん ど right to dependence な ど と い う こ と を 考 え る 余 地 が 全 くなくなってしまう法命題と裁判制度ですね。簡単に言えば、まず福祉的な分野の少年は裁判所の管轄から排除さ れます。そして、犯罪に関する子どもたちは哲学的には大人と同じものとなる、少なくとも手続上は。少年裁判所 は少年刑事裁判所になってくる訳です。これが第二の波、言わばパターナリズムの破綻です。破綻の背後にあるも のは、 right to dependence という子ども観の破綻です。   結局、アメリカというのは、一九世紀の末から始まったパターナリズムの構築、二〇世紀の一九七〇年代からの パターナリズムの破綻という、ふたつの大きな嵐をくぐり抜けて、くぐり抜けられたのかは分かりませんが、今日 に至っている。このように、アメリカはふたつの大きな波をかぶって、学校教育の場合も同じですが、パターナリ ズムが没落して行く。ですから、七〇年代から今日に至りますと、アメリカの社会というのは、実は日本人からす ればギョッとするようなことがたくさん起きてくる。少年凶悪犯罪や児童虐待の激増などがその一例でしょう。   実 は さ き ほ ど の Mckelway の 時 代 の 二 〇 世 紀 初 頭 に は、 日 本 の 少 年 法 は ア メ リ カ の 影 響 を す ご く 受 け ま す。 留 学生や調査をする人々がアメリカへ行っています。ある意味で影響を受け過ぎてちょっと破綻するような人も出て く る の で す が。 そ れ が 今 日 ど う な っ て い る か と い う こ と で す が、 ア メ リ カ が 七 〇 年 代 か ら ど ん ど ん パ タ ー ナ リ ス テ ィ ッ ク な 少 年 の 取 扱 の 分 野 か ら 手 を 引 く こ と に な る。 ど う し て か と 言 え ば、 先 に 述 べ た よ う に、 子 ど も は depend す る も の だ と い う 子 ど も 観 が 消 え て、 子 ど も も 大 人 と 同 じ 自 立 (自 律) し た 人 権 の 主 体 な の だ と い う 古 典 的 な 人 間 観 が 前 面 に 出 て 来 る か ら で す。 子 ど も も independent だ、 一 個 の 責 任 的 存 在 な の だ、 と。 こ れ を 正 面 か ら 出 し て い く と ど う な る か と 言 う と、 法 の あ り 方 と し て は、 子 ど も の dependency に 保 護 を 加 え る と い う よ り も、

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independency に 対 し て あ る ペ ナ ル テ ィ を 加 え る と い う の が、 当 然 の 構 造 に な っ て く る。 こ れ は こ れ で、 少 年 手 続 の 中 の 話 で す け れ ど も、 な ぜ こ の 現 象 が 起 き て く る か と 言 い ま す と、 実 は 背 後 で 大 き な 変 動 が 起 こ っ て い る。 一九六〇年代の初め頃からです。具体的に、一番分かりやすいのは、家族と地域共同体の解体です。ですから、家 族的なものを何とかもちこたえようとしたのが、第一期のパターナリズムの制度化だったとすれば、二〇世紀後期 に は こ の パ タ ー ナ リ ズ ム が 破 綻 す る 訳 で す ね。 何 が 起 き て い る か と 言 い ま す と、 ま ず 離 婚 件 数 が 急 上 昇 し 始 め ま す。それまでアメリカでは裁判所がOKしなければ離婚出来なかったのです。ところが、裁判離婚制度がどんどん 法改正される訳です。日本風に言えば協議離婚ができるようになった。協議離婚というのは、無論、日本と同じで はないですよ、やっぱり裁判所のサインは必要ですから。しかし結局何が起きたかというと、家族が個々人にバラ バラに分解されていく。一九世紀の末のパターナリズムが食い止めようとした社会の分解が本当に全部起こってい く。 こ れ が 一 九 六 〇 年 代 か ら 七 〇 年 代 八 〇 年 代 九 〇 年 代 の ア メ リ カ 社 会 で す。 「家 族 の 崩 壊」 と い う の が よ く マ ス コミでは標語に上りますけれども、婚姻制度が分解していった結果何が多くなるかと言うと、同棲です。男女が婚 姻制度という社会的な義務をいちいち負って子どもを育てるというのは馬鹿らしいと。お互いに気の合った人間な ら一緒に暮らせばいいし、嫌になったらやめればいい。今アメリカではだいたい四一パーセントの子どもが非嫡出 子、一八歳未満の子どもですけれども、婚外子です。圧倒的にシングルマザーということになります。これはやは り ギ ョ ッ と す る 話 で、 シ ン グ ル マ ザ ー に な る と 非 常 に 貧 し い 生 活 を し な く て は な ら な い。 社 会 は そ ん な に 甘 く な い。社会福祉はあるけれども、どうしても女性の方が社会ではつらい。想像してみて下さい、百名のクラスが仮に あ っ た と し て、 四 一 人 は 父 が い な い の で す。 だ か ら ア メ リ カ で は 最 近、 Fatherless America と い う 本 が た く さ ん 出 版されていて、これは危機だ、何とかしなくてはならないという声も上がっている。

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  この背景にあるのは何かと言うと、やはりアメリカで、先程十分に説明できなかった部分もありますが、個人の independence と 自 己 決 定 と い う も の が 最 後 の 家 庭 と い う 有 機 的 な 結 び つ き の と こ ろ ま で 降 り て き て し ま っ た と、 こ う い う 比 喩 で 恐 ら く 間 違 い は な い と 思 い ま す。 我 々 は 結 局 ど こ か に depend し な く て は な ら な い 存 在 で す ね。 dependency というものを人間が失うと、実は悲惨な出来事が起こる。   大井玄という東京大学の老人医療をやっていらっしゃる名誉教授の方がおられます。熱心な認知症研究を日米比 較でなさっておられる。大井先生によれば、アメリカ人で認知症ということでいわゆる介護施設に入ると、比較的 早く死んでしまう。ところが日本の介護施設では、非常に長く生き延びる。四年から五年は入所者が生き延びる。 ど う し て か と 言 う と、 人 間 が つ な が っ て い る、 と。 簡 単 に は 死 な せ て く れ な い。 簡 単 に は 尊 厳 死 を 許 し て く れ な い。 し か し ア メ リ カ の 場 合 は 自 立 (自 律) の 喪 失 に 絶 望 し て 死 ん で し ま う の で す。 人 間 は 自 立 (自 律) し て い な け れ ば な ら な い か ら。 こ れ は そ れ こ そ 自 由 の 国 ア メ リ カ の 国 是 で、 人 間 は 自 立 (自 律) を 失 え ば 人 間 で は な く な っ て しまう。これは私は大変面白い比較のデータだと思っておりますし、大井先生は他にも大きなモノグラフィーを書 いていらっしゃいますから、皆さんにお勧めしたいと思います。   あまり多くを話せませんから、残りは用意してきたもののポイントだけをお話して終わりにしたいと思います。 〈「甘え」の概念〉   今 の Mckelway が dependence と い う こ と を 言 い 出 し た と い う こ と を ヒ ン ト に し て も う 少 し 考 え て み る と、 こ れ は日本の少年法では非常にポピュラーに観察されるのですが、検討すべきは日本語でいう「甘え」という概念の問 題です。

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  こ の「甘 え」 と い う 言 葉 は、 う っ か り 使 う と 間 違 っ て 使 わ れ て し ま っ て、 つ ま り ネ ガ テ ィ ブ に 一 般 的 に 使 わ れ る。しかし「甘え」というのは、発達心理学的に言えば、お母さんの分娩が終わって、お母さんの胸の中にいて、 だ い た い 九 ヵ 月 く ら い ま で の 子 ど も が 人 見 知 り を 始 め た 時 に、 「あ あ、 こ の 子 は も う 甘 え る」 と 言 わ れ る と こ ろ で 始 ま る 概 念 で す。 こ う い う 場 面 で、 純 粋 に、 ニ ュ ー ト ラ ル に 使 わ れ る 言 葉 で す ね。 「甘 え」 が 始 動 す る と、 誰 か 知 らない人が来ると人見知りをして母親に飛びつく訳ですけど、この時にはお母さんと心理的に一体化する。そこで 大きな安心を味わう。だから、その時の母というのは、子どもが甘える最初の経験、そして恐らく我々が死ぬまで の 間 人 間 の 心 に 宿 り 原 型 と な っ て 生 き 続 け る 経 験 で す。 こ れ を 言 い 出 し た の が 土 居 健 郎 教 授 で す し、 Identity と い うことを問題とした E. Erikson というアメリカの精神分析医です。   「甘 え」 の 問 題 は、 少 年 法 の 実 務 の 問 題 と し て、 ク リ ニ カ ル に は こ う い う 場 面 で 出 て き ま す。 先 程 お 話 し ま し た ように、私は少年の保護観察をもう三〇年以上しており、月に一回は少年のレポートを書いて保護観察所に提出す る訳です。一人の少年につき、平均二年以下で面倒を見ます。何を見るかというと、刑務所のように少年を叱るの ではなくて、ちょうどマラソンの伴走者みたいなことをやる訳ですね。この時に、観察所から来た資料でまず見る のは、やはり〇歳から三歳までの生育史です。〇歳から三歳までに、母親との関係がどうだったのかというのを、 まず頭に入れなくてはならない。保護観察になる少年は、少年院に入れる訳にはいかないが放っておく訳にもいか ない、裁判所でそのまま試験観察で済ませるというのはやめておこうといった、そういう中間層の少年とでも言え ます。そして圧倒的に〇歳から三歳までの少年の母子関係の問題というのが、表面に浮かんでくる。両親の離婚が 多いですね。今三件の問題を扱っていますけれども、非行少年の非行は全部母親のせいにする訳にはいきませんけ れど、一般的にはどこかで親にしっかり甘えを受け止められたという経験がやはり彼らには乏しい。

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  一 口 に 言 う と こ う い う こ と に な り ま す。 土 居 教 授 が 有 名 な『 「甘 え」 の 構 造』 の 中 で 述 べ て い る 事 で す が、 我 々 が一番気付くべきなのは人間というのは甘えられたことを通して自立できる、その意味で「甘え」と自立は相互補 完的なものだという点です。これは精神分裂病の患者の説明で出てくるところですが。どこかで何かに所属して、 どこかに頼った、甘えたという経験がないと、人間は自分を持つ事ができない。自立できない。先程の一人二役の 話に戻りますが、人間の心の本体の部分と動きは、 《「甘え」なくして自立なし》なのです。少年法の問題というは どんな場合でもこれが絡んでくる。少年院の教官をずっと務めてこられた方は、必ずこの問題に直面なさっている と思います。少年院に収容された非行少年の矯正教育の場面で何が決定的かと言えば、少年のかつて挫折した「甘 え」をどうやって修復できるかという一点であると言っても誤りではないでしょう。私は少年院に面接委員として あるいは保護司として出向きますが、今のような「甘え」の問題がまずポイントになる。アメリカではどうなった か と い う と、 ま ず は パ タ ー ナ リ ズ ム の 下 で の dependence の 発 見 を す る 訳 で す。 し か し 百 年 経 つ と、 dependence を切り落として、自由と自立が前面に立つ時代がやって来る。だから刑事責任を問うしかない。   《「甘え」なくして自立なし》の証拠のような話を今日はたくさん持ってきたのですが、ここでは二、三点に絞り ましょう。   結局のところ我々は、保護関係のスタートラインを詰めていくと、母子関係に辿り着くのです。いい母親がいる ということは、しかし、傍らにいい父親がいる、母親を支える父親がいるということですよね。これを江戸時代の 家族論では厳父慈母と言った。厳父が駄目になると慈母は愚母になってしまうという文脈で、子どもの非行性の問 題 も 考 え て い た。 こ れ を 一 番 最 初 に デ モ ン ス ト ラ テ ィ ブ に 言 っ た の は 小 山 温 と い う 明 治 末 年 の 司 法 省 監 獄 局 長 で す。

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  小山温は大正一一年少年法の立法者の一人として活躍した人物ですが、ここでは小山が明治四一年六月に行った 訓示の一節――アメリカ型のパターナリズム、パレンス・パトリエの影響をもろに受けた実務家に対する批判の一 節を読んでおこうと思います。    「少 シ ク 申 シ テ 見 タ イ ノ ハ、 監 獄 法 第 二 条 ノ 監 獄 即 チ 幼 年 監 獄 デ ア ル。 …… 本 官 ヲ シ テ 言 ハ シ ム レ ハ 犬 ヤ 猫 ヲ 可愛カルヤウナ風ニ可愛カツテハイカヌノテアル。心アル人間トシテ取扱ハネハナラヌノテアル。人類トシテ 哀憐ノ情カナケレハナラヌ。監獄官吏ハ同情ノ念カナケレハナラヌ。ソレハ勿論ノ話テアル。併シナカラ其哀 憐同情トイフコトハ譬ヘテ申サハ厳父カ其児ニ対スルモノテナクテハナラヌ。愚母カ其寵児ニ対スルモノテア ツテハナラヌノテアル。老牛舐犢ノ愛トイフ愛テアツテハナラヌノテアル。……徒ラニ規律ヲ弛メテ犬猫ヲ愛 スルカ如キニ愛シタレハトテ、唯驕ラセルノミテアツテ、之ヲ善心ニ立返ヘラシムル即チ紀律ニ従フノ人民タ ラシムルコトハ出ナイコトト信スルノテアル」 。    「紀 律 カ 厳 正 ナ レ ハ ソ レ 等 ノ 非 望 ハ 起 サ レ ナ イ。 卑 俗 ニ 之 ヲ 申 シ マ ス レ ハ ア マ ヤ カ ス ト ア マ ヘ ル ノ テ ア ル 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 泣 ケバ飴ヲ与エル、益々泣クノテアル」 。 (傍点原文のまま)   小山のこのアメリカ型パターナリズム批判は、今日の現行少年法を考える上でもなお大きな意味を失っていませ ん。特に「アマヤカストアマヘルノテアル」の一節は少年法を考える場合の一つのポイントです。例えば先に述べ た、 「起 訴 便 宜 主 義」 の 二 面 性 (旧 刑 訴 法 二 七 九 条) な ど も、 刑 事 手 続 の 場 面 で「甘 え」 を 制 度 化 し た も の に 他 な り ません。

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  「甘 え」 は、 こ の 言 葉 が 日 本 語 に し か な い 事 も あ っ て、 時 に 日 本 文 化 に 特 有 の 問 題 の よ う に 考 え ら れ る 事 も あ り ますが、それは誤りだと思います。少なくとも心理概念としての「甘え」は人間に普遍的なもので、私は、この点 を よ く 理 解 し た B. Hafen と い う ア メ リ カ の 家 族 法 学 者 の 議 論 を 論 文 の 形 で 公 け に し た 事 が あ り ま す の で、 興 味 の あ る 方 は 参 照 し て 下 さ い (「 『甘 え』 と Belonging 」『東 洋 法 学』 五 五 巻 三 号) 。「甘 え」 は 心 理 的 に は 人 間 の「依 存」 を 中軸に含んだ概念ではありますが、 「甘え」イコール「依存」ではないし、 「自立」の反対物でもありません。   始めに法と人間関係のところで申した「人間関係」というものの本体は、結局この「甘え」という話で理解され る何ものかに収斂していくように私には思われます。   昨日採点を終えたばかりの今学期の未成年者保護法の答案の中に、ちょっと面白い一文がありました。御参考ま でに引用しておきます。    「実 際 私 は こ れ ま で『自 立 (自 律) 』 こ そ が 重 要 で あ る と 考 え て い た。 憲 法 な ど の 授 業 で も、 抑 圧 か ら の 自 立 や 他の人によって侵されない確立した個人が重要だと説かれることが多いため、甘え・依存という言葉にずっと 悪いイメージを抱いていた。     しかし、この講義を受講し、 『甘え』と『甘ったれ』は異なるということを知り、 『甘え』のポジティブな面 を学習できたことは喜ばしいことであった。     自 分 の 経 験 を 振 り 返 っ て み る と、 私 は『自 立 (自 律) 』 が 大 好 き で あ っ た た め、 『甘 え』 を 前 提 と し た 健 全 な 人 間 関 係 を う ま く 作 れ て い な か っ た こ と を 痛 感 す る。 私 は、 人 と 交 流 す る 際 に 何 ら か の 不 安 を 感 じ る こ と が あったが、 『甘え』の概念を知ってから、心が軽くなったように感じる。

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    こ れ か ら は『甘 え』 と そ れ を 前 提 と し た『自 立 (自 律) 』 の バ ラ ン ス を 上 手 く と り、 豊 か な 人 間 関 係 を 構 築 していきたい。 」   さて、ここまで話を並べて来ると、未成年者保護法研究が問いかけたものとしては、最大の問題である「家族の 崩壊」とは何か、どう考えるべきかというテーマが浮上して来ます。残念ながら今日は阿部さんからのタイムアッ プの合図もありましたので、話はここでひと区切りとして、後は別の機会に譲ろうと思います。 ※   私の、四〇年間の教壇生活はこれで終わります。   旧約聖書の中に「荒野の四〇年」という話があります。これは、イスラエル民族の流浪生活は四〇年間の様々な 試練を受けて成就するというドラマの話です。   私 の 四 〇 年 間 も、 い く つ か の 試 練 に は 出 会 い ま し た。 し か し ふ り か え っ て み る と、 こ れ は 明 ら か に 荒 野 な ら ぬ 「沃 野 の 四 〇 年」 で あ り ま し た。 多 く の 場 面 で 私 を 支 え て 下 さ り、 こ う し て お 集 ま り 下 さ っ た 皆 様 に、 改 め て 厚 く 御礼を申し上げて今日の話を終りにしたいと思います。 ―もりた   あきら・法学部教授―

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