イギリスにおける自殺幇助をめぐる最近の動き
Purdy事件貴族院判決とその後
著者名(日)
今井 雅子
雑誌名
東洋法学
巻
54
号
3
ページ
217-245
発行年
2011-03-29
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000807/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止一 はじめに 二〇〇九年七月三〇日の木曜日午後、貴族院 ( the Appellate Committee of the House of Lords ) において、一二名 の 裁 判 官 全 員 が 出 席 し、 最 後 の 判 決 言 渡 し が 行 わ れ た。 そ の 後 一 〇 月 に、 貴 族 院 は、 二 〇 〇 五 年 憲 法 改 革 法 ( the Constitutional Reform Act 2005 ) により新たに開設された最高裁判所 ( the Supreme Court ) へと引き継がれている。 七件の判決言渡しの最後を締めくくったのが、本稿で取りあげる自殺幇助を扱う Purdy 事件判 ( 1) 決である。 二 〇 〇 一 年 の Pretty 事 ( 2) 件 は、 末 期 患 者 の 自 殺 幇 助 の 事 例 が 貴 族 院 で 初 め て 争 わ れ た も の と し て 広 く 知 ら れ て い る。貴族院からさらに欧州人権裁判所へと提訴されたが、二〇〇二年の人権裁判所判 ( 3) 決でも彼女の主張は認められ な か っ た。 Pretty 事 件 後、 末 期 患 者 に つ い て 医 師 に よ る 自 殺 幇 助 を 認 め る 法 案 が 貴 族 院 の Joffe 議 員 か ら 数 回 に わ たり提出されている。また末期患者など一定の場合の自殺幇助を肯定的にとらえる世論も形成されつつある。実際 《 研究ノート 》
イギリスにおける自殺幇助をめぐる最近の動き
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Purdy
事件貴族院判決とその後
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イ ギ リ ス か ら 自 殺 幇 助 を 合 法 と す る ス イ ス へ 出 か け Dignita ( 4) s の 援 助 を 受 け 自 殺 を す る 者 が 増 え て き て い る が、 幇 助者が訴追された事例はまだない。このような背景のもとで、 Purdy 事件貴族院判決は下された。 本 稿 で は、 Purdy 事 件 貴 族 院 判 決 に つ い て、 Pretty 事 件 で も 審 理 に 加 わ っ て い た Hope 裁 判 官 お よ び Hale 裁 判 官 (当 時 は 控 訴 院 裁 判 官 で 第 一 審 合 議 法 廷 の メ ン バ ー) が 述 べ た 欧 州 人 権 条 約 第 八 条 に 関 す る 意 見 を 中 心 に 取 り あ げ る こ と に す る。 さ ら に 貴 族 院 判 決 後 に 公 訴 局 長 官 ( Director of Public Prosecutions, 以 下「 DPP 」) か ら 公 表 さ れ た 自 殺幇助に関する訴追方 ( 5) 針の概要を紹介する。 二 問題の所在 1 延命措置の中止 本 稿 で 扱 う Purdy 事 件 は 自 殺 幇 助 の 事 例 で あ る が、 延 命 措 置 の 中 止 に 関 す る イ ギ リ ス 法 の 状 況 を 簡 潔 に 記 し て お き た い。 と い う の は、 Bland 事 件 貴 族 院 判 ( 6) 決 な ど の 判 例 法 に 加 え て、 新 た な 成 年 後 見 制 度 の 枠 組 み を 定 め た 「二 〇 〇 五 年 精 神 能 力 法」 ( the Mental Capacity Act 2005 ) が 二 〇 〇 七 年 一 〇 月 よ り 施 行 さ れ て お り、 同 法 に は、 次 のような規定がおかれているからである。 ⑴ 治療を拒否する事前の決定 (
advance decisions to refuse treatment
) アメリカ諸州におけるいわゆる自然死法やリヴィング・ウィル法のように、イギリスでも医療に関する事前の指 示について法制化をし、一定の場合には、判断能力のあるうちになされた本人の意思決定にしたがって、能力喪失 後 の 医 療 上 の 決 定 を す る 方 策 を 講 じ よ う と し た。 と こ ろ が、 事 前 の 決 定 の な か に 延 命 措 置 の 中 止 を 含 め る か ど う
か、 「尊厳死」の許容をめぐって激しい意見の対立がみられた。 二〇〇五年精神能力法のもとでは、一八歳以上の成年であっ ( 7) て判断能力のある者が、特定の治療に関して拒否す る決定をしていた場合、当該治療の開始もしくは継続が問題となった時点で同意を与えもしくは拒否する能力を喪 失 し て い て も、 か か る 事 前 の 決 定 が 有 効 か つ 適 用 可 能 で あ れ ば、 治 療 は 開 始 も し く は 継 続 さ れ な い (第 二 四 条 第 一 項) 。 医 師 は、 有 効 で 適 用 可 能 な 事 前 の 決 定 が あ る と 合 理 的 に 信 じ た の で あ れ ば、 治 療 の 不 開 始 も し く は 中 止 に つ いて責任を負わない。事前の決定の存在、有効性もしくは治療への適用可能性に関して疑義があれば、裁判所によ る判断が求められる。なお判断能力のある間は、いつでも事前の治療拒否の決定を撤回することができる。 こうした治療拒否の意思表示は必ずしも書面でなされる必要はない。しかし、延命措置の拒否に関しては、書面 であることが要件となっている。すなわち、結果が生命を危険にさらすこととなっても治療拒否の決定が適用され るとする、証人の面前で作成され署名された書面がなければならない (同第五項・第六項) 。 ⑵ 持続的代理権 (
lasting powers of attorney
) 一九八五年代理権授与法 ( the Enduring Powers of Attorney Act 1985 ) のもとでは財産行為に限定されていた持続 的 代 理 権 の 授 与 が ヘ ル ス・ ケ ア を 含 む 身 上 に つ い て も 拡 大 さ れ (第 一 六 条・ 第 一 七 条) 、 判 断 能 力 の あ る う ち に、 能 力喪失時に自分に代わって医療に関する決定をする者を選任しておくことが可能となった。さらに代理権授与書面 に明示することにより、代理人の権限に延命措置の拒否を含めることができる (第一一条第七項(c)号・第八項) 。 以 上 の 決 定 も 含 め て、 二 〇 〇 五 年 精 神 能 力 法 の も と で、 能 力 を 喪 失 し た 者 の た め に な さ れ る 行 為 も し く は 決 定 は、本人の「最善の利益」にかなうものでなければならないとされている。この「最善の利益」は、能力のある間 に 作 成 さ れ た 文 書 な ど 本 人 の 過 去・ 現 在 の 希 望 や 感 情、 お よ び 能 力 が あ れ ば 決 定 に 影 響 を 与 え そ う な 価 値 観 な ど
も、確かめうる限り検討される (第四条) 。 2 医師による自殺幇助の法制化に向けた動き Pretty 事 件 の 後、 貴 族 院 の Joffe 議 員 は 二 〇 〇 三 年 か ら 三 会 期 に わ た り 医 師 に よ る 自 殺 幇 助 を 認 め る 法 案 を 提 出 し て い る。 二 〇 〇 五 年 に は「末 期 患 者 の 自 殺 幇 助 法 案 に 関 す る 特 別 委 員 会」 ( the Select Committee on the Assisted Dying for the Terminally Ill Bill ) が 設 置 さ れ、 四 月 に 公 表 さ れ た 報 告 ( 8) 書 に は、 ① 安 楽 死 と 医 師 に よ る 自 殺 幇 助 と の 明 確 な 線 引 き、 ② 自 殺 幇 助 も し く は 自 発 的 安 楽 死 に お い て 医 師 が 行 え る ま た は 行 え な い 行 動 の 記 述、 ③ (末 期 で あ る こ と を 条 件 と す る 場 合 に は) 「末 期」 の 明 確 な 定 義、 ④ 判 断 能 力 の 定 義 な ど の 九 要 件 が 示 さ れ た。 こ れ を 受 け て 提 出された Joffe 議員の二〇〇五年法 ( 9) 案は、次のような内容であった。 ① 一八歳以上の成年でイングランド・ウェールズに一二か月以上居住し、末期である (余命六か月で患者に耐えが たい苦痛があることを二名の医師が確認) ② 判断能力がある (二名の医師が診断、疑問があれば精神療法士に付託) ③ 幇助の自発的な要請をする文書による宣言 (二名の独立した証人、いつでも撤回可能) ④ 他の選択肢の可能性 (緩和ケア、カウンセリング、ペインコントロール) ⑤ 最初の書面による要請から一四日間の熟慮期間 ⑥ 医師による間接的幇助 (患者自身が服用) もしくは直接的幇助 同法案は、二〇〇六年五月、貴族院において一四八対一〇〇で否決され ( 10) た。
3 Pretty 事件および Purdy 事件 いずれも四〇歳代の女性に関わる両事件の概要は、次のように整理することができよう。 ⑴ Mrs Pretty は運動ニューロン疾患、 Ms Purdy は進行性多発硬化症と診断され、自分が選んだときに死を迎え たいと望んだ。彼女らの意思決定を行う能力は損なわれていなかったが、身体的能力の欠如により自らそれを実 行 に 移 す こ と が で き ず ( Pretty ) 、 も し く は そ う な る か も し れ な か っ た ( Purdy ) 。 そ こ で、 夫 の 助 力 を 得 て 実 行 し た い と 考 え た が、 一 九 六 一 年 自 殺 に 関 す る 法 律 ( the Suicide Act 196 1 )(以 下「一 九 六 一 年 法」 ) 第 二 条 第 一 項 の も と で、 夫 が 自 殺 を 幇 助 す れ ば 最 高 一 四 年 の 拘 禁 刑 に 処 せ ら れ る 可 能 性 が あ っ た。 な お、 Pretty が ど の よ う に 夫 の 助 力 を 受 け た い と 考 え て い た の か 裁 判 で は 具 体 的 に 明 ら か に は さ れ な か っ た。 一 方、 Purdy が 夫 に 求 め た の は、自殺を合法とするスイスへ出かけることになった場合の援助である。 ⑵ 自 殺 幇 助 に 対 す る 刑 事 訴 追 に は DPP の 同 意 が 必 要 と さ れ る (一 九 六 一 年 法 第 二 条 第 四 項) 。 そ こ で、 Pretty は 事 前 に DPP に 対 し 夫 が 自 殺 を 幇 助 し て も 訴 追 し な い 旨 の 保 証 を 求 め た。 一 方 Purdy 事 件 で は、 訴 追 免 除 の 保 証 で は な く、 ど の よ う な 場 合 に 自 殺 を 幇 助 し た 者 の 訴 追 を 相 当 と し て DPP が 同 意 を す る の か、 そ の 明 確 な 方 針 を 提示することが求められた。 しかし、いずれの場合も DPP が拒否しため、この DPP の決定について争う司法審査 ( judicial review ) の申立 て か ら 裁 判 は 始 ま っ た。 な お、 Pretty は 人 権 擁 護 団 体 Liberty お よ び 自 発 的 安 楽 死 の 法 制 化 運 動 を 進 め る the Voluntary Euthanasia Society ( VES ) 、 ま た Purdy は Dignity in Dying ( VES か ら 二 〇 〇 六 年 に 名 称 変 更) の 支 援 を 得 て、 提 訴 を 行 っ て い る。 さ ら に、 Pretty 事 件 で は 内 務 大 臣、 Purdy 事 件 で は Society for the Protection of Unborn Children が訴訟参加している。
⑶ 裁 判 で は、 か か る 状 況 が 欧 州 人 権 条 約 に 違 反 す る と い う 論 点 を 中 心 に 展 開 さ れ た。 Pretty 事 件 で は、 「生 命 に 対する権利」の保護を規定する人権条約第二条は、個人が生きるか死ぬかを選択する権利を認め、生死の問題に 関 す る 自 己 決 定 権 を 保 護 す る も の で あ る と 主 張 さ れ た。 条 約 の 第 三 条 (非 人 道 的 お よ び 品 位 を 傷 つ け る 取 り 扱 い の 禁 止) 、 第 八 条 (私 的 お よ び 家 族 生 活 を 尊 重 す る 権 利) 、 第 九 条 (思 想、 良 心 お よ び 信 教 の 自 由) 、 さ ら に 第 一 四 条 (差 別 の 禁 止) の 違 反 が 申 し 立 て ら れ た。 審 理 を つ う じ て、 Pretty 側 は 安 楽 死 と 自 殺 幇 助 と を 区 別 し、 自 殺 幇 助 の 包 括的禁止から、彼女のような例外的な場合を除外するよう求めていることを強調した。 これに対して、貴族院は、末期患者その他の者に自殺幇助が認められるか、認められるとすればどのような場 合に、いかなる条件の下であるかという問題は、社会的・倫理的・宗教的にきわめて重要であり、かつ幅広く多 様な見解が存在する問題であることを強調するとともに、貴族院にはこれらの見解を道徳的・倫理的に評価し判 断する権限も資格もなく、その役割は今ある法を明らかにし適用することであると述べた。もし一九六一年法の 改正や尊厳死法 ( Death with Dignity Act ) の制定が必要であるならば、それは民主的な議論のもと立法府により 決定される問題であるともされた。貴族院判決 (二〇〇一年一一月二九日) のあと、異例のスピード審理となった 欧 州 人 権 裁 判 所 の 判 決 (二 〇 〇 二 年 四 月 二 九 日) に お い て も、 人 権 条 約 違 反 の 主 張 は 認 め ら れ な か っ た (第 八 条 に 関する部分は後述) 。 一方、 Purdy 事件で争われたのは、人権条約第八条のみである。その根拠は、同条第一項が保障する「私生活 の 尊 重」 に 生 死 の 決 定 を も 含 ま れ る か に つ い て、 貴 族 院 と 人 権 裁 判 所 と の 間 に 見 解 の 相 違 が あ る と い う も の で あった。
4 関連条文 ( 1 ) 一九六一年自殺に関する法律 一 九 六 一 年 法 (イ ン グ ラ ン ド お よ び ウ ェ ー ル ズ に 適 用 さ れ る) の 制 定 に よ り、 コ モ ン・ ロ ー 上 重 罪 と さ れ て い た 自 殺は犯罪でなくなった。しかし、同法は自殺の幇助もしくは未遂を犯罪とし、最高一四年の拘禁刑に処せられると する (第二条第一項) 。また第二条第四項のもとで、訴追には DPP の同意が必要とされる。 Purdy 事 件 で は、 Pretty 事 件 の よ う な 訴 追 免 除 の 保 証 で は な く、 ど の よ う な 場 合 に 自 殺 を 幇 助 し た 者 の 訴 追 を 相 当 と し て DPP が 訴 追 に 同 意 を す る の か、 そ の 明 確 な 方 針 を 提 示 す る こ と が 求 め ら れ た。 そ の 背 景 と し て、 貴 族 院 判 決 で も 触 れ ら れ て い る よ う ( 11) に、 利 己 的 な 動 機 に 基 づ か な い 自 殺 幇 助 を 合 法 と す る ス イ ス で Dignitas の 援 助 を 受 け 一 一 五 名 が 自 殺 を し た が、 訴 追 事 例 は こ れ ま で な く、 DPP に 幇 助 者 が 訴 追 さ れ る べ き か 決 定 が 付 託 さ れ た の は八件にすぎず、証拠はあるが公益の観点から訴追しない決定がされたのはそのうち二件という事情がある。 ( 2 ) ヨーロッパ人権条約第八条 人 権 裁 判 所 は、 Pretty 事 件 に お い て、 第 八 条 の「私 生 活」 の 概 念 は 網 羅 的 な 定 義 が 不 可 能 な 広 義 の 文 言 で あ る と し、 身 体 的・ 精 神 的 な 高 潔 ( 12) 性、 個 人 の 身 体 的・ 社 会 的 ア イ デ ン テ ィ テ ( 13) ィ、 私 的 領 域 (ジ ェ ン ダ ー の 同 一 性、 氏 名 お よ び 性 的 指 向・ 性 的 生 活 な ( 14) ど) 、 他 の 人 間 お よ び 外 界 と の 関 係 の 構 築・ 発 ( 15) 展 な ど 多 く の 概 念 を 包 摂 す ( 16) る と し た う え で、 「自 己 決 定 権 ( right to self-determination ) が 第 八 条 に 含 ま れ る も の と 確 立 し た 先 例 は な い が、 当 裁 判 所 は、 個 人 の 自 律 ( personal autonomy ) の 概 念 が 第 八 条 の 保 障 の 解 釈 の 基 礎 を な す 重 要 な 原 理 で あ る」 と 判 示 し た (§ 61) 。 そ し て、 Pretty が 望 ん だ 夫 の 助 け を 得 て 生 命 を 終 え る と い う 選 択 を 尊 重 さ れ る よ う 求 め る 権 利 を 有 し て い る こ と を認めた (§ 64 )(なお第八条第一項に関する意見は、後述の貴族院判決における引用部分を参照) 。
し か し、 第 八 条 第 一 項 の 私 生 活 を 尊 重 さ れ る 権 利 は、 同 第 二 項 の 制 約 に 服 す る。 人 権 裁 判 所 は、 「一 九 六 一 年 法 第二項は、弱者、およびとりわけ、生を終えるかもしくはそれを援助するよう意図された行為に対して、十分に情 報 を 得 て 納 得 し た う え で 決 定 す る 情 況 に な い 者 を 保 護 す る こ と で、 生 命 の 保 護 を 図 っ て」 お り (§ 74 ) 、 自 殺 幇 助 の 包括的禁止が比例性を欠いているとはいえないとして (§ 76 ) 、第八条の違反を認定しなかった。 5 Purdy 事件に関連する自殺幇助をめぐる動き ( 1 ) Daniel James の自殺幇助に関する DPP の決定 二 〇 〇 八 年 四 月 一 〇 日 に Purdy に よ る 司 法 審 査 が 申 し 立 て ら れ た 後、 九 月 一 二 日 に D P P は Daniel James の 両 親 と 友 人 を 訴 追 し な い 旨 の 決 定 を 公 表 し た。 Daniel は 二 〇 〇 七 年 三 月 ラ グ ビ ー の ト レ ー ニ ン グ 中 の 事 故 で 脊 髄 を 損傷したため四肢が麻痺し、治療方法がないとの診断が下された。三度の自殺未遂から一週間後の二〇〇八年二月 二 〇 日、 彼 は ス イ ス の Dignitas と 連 絡 を と り 自 殺 の 幇 助 を 求 め た。 五 月 九 日 Dignitas か ら 文 書 で 地 元 医 師 が バ ル ビ ツ レ ー ト を 処 方 す る 旨 が 伝 え ら れ、 彼 は 三 日 間 の う ち 二 回 医 師 と 会 う 方 法 を 選 択 し た。 七 月 二 五 日 Daniel が 署 名する授権書が作成され、実施日が確定した。その間彼の両親や保健専門家を含む多くの者が翻意させようと懸命 に試みた。しかし、最後には彼の願いを受けいれ、両親はスイスへの同行に同意し、飛行機の手配などを家族の友 人 と 協 力 し て 行 っ た。 ス イ ス で 両 親 を 交 え て 二 度 の 診 察 が 行 わ れ、 彼 の 気 持 ち が 変 わ ら な い と 確 認 さ れ た。 九 月 一二日両親立会いのもとクリニックで Daniel は二三歳の生涯を終えた。 DPP に よ る 決 定 は 以 下 で あ る。 す な わ ち、 両 親 に よ る ① Dignitas へ 宣 言 書 を 送 付 す る 手 伝 い、 ② Dignitas へ の 費 用 支 払 い、 ③ Daniel の ス イ ス へ の 旅 の 手 配、 ④ 飛 行 機 で 同 行、 と い う 行 為 は 自 殺 幇 助 の 証 拠 要 件 を 満 た し て い
る と 考 え る が、 訴 追 は 公 益 に か な う と は い え な い。 と い う の は、 公 益 の 観 点 か ら 訴 追 す る か ど う か 決 定 す る に 際 し、 自 殺 幇 助 が 重 大 な 犯 罪 で あ る こ と は 訴 追 に 肯 定 的 な 要 因 で あ る が、 そ の 一 方 で、 ① 両 親 と 友 人 は、 Daniel の 自 殺 に 影 響 を 及 ぼ し て い な い。 そ れ ど こ ろ か、 自 殺 し な い よ う 執 拗 に 説 得 を 試 み た。 Daniel は 自 身 の 医 療 に つ い て決定する完全な能力を有する成熟し知性ある自立した青年である。三度の自殺を試み、機会があれば再び試みる であろうという明確な証拠が存在する。②証拠基準は満たしているが、第二条第一項はさまざまな程度の有責性あ る 広 範 な 行 為 を 扱 っ て お り、 両 親 た ち の 行 為 は 些 細 な も の で は な い が、 非 難 可 能 性 は 少 な い。 ③ 両 親 た ち は、 Daniel の 死 に よ り、 経 済 的 で あ れ そ の 他 で あ れ 何 ら 利 益 を 得 る 立 場 に な い。 反 対 に 彼 の 死 は 彼 ら に 深 い 悲 し み を もたらした。以上の事実は訴追に否定的な要因といえ、明らかに訴追に肯定的な要因に優るとして、訴追を行わな い決定が下された。 ( 2 ) Falconer 議員による自殺幇助罪の修正提案 二〇〇九年三月に庶民院を通過し、貴族院で審議が進んでいた検視制度および刑事司法制度のさまざまな改正を めざした法案 ( the Coroners and Justice Bill ) は、一一月に成立した。同法には自殺幇助罪の文言の平易化が含まれ ており、現行の一九六一年法第二条第一項において自殺幇助行為を定義する “aids, abets, counsels or procures the suicide ” という文言は
“an act capable of encouraging or assisting the suicide
” に修正されることになっ ( 17) た。 Purdy 事 件 の 貴 族 院 で の 審 理 (六 月 二 日・ 三 日) 後 の 七 月 七 日、 大 法 官 職 (二 〇 〇 三 年 ~ 二 〇 〇 七 年) に あ っ た Falconer 議 員 が、 こ の 条 文 に 関 連 し て、 自 殺 幇 助 が 合 法 で あ る 国 に 出 か け る こ と を 可 能 に し も し く は 援 助 す る 行 為については、以下の要件のもとで自殺幇助罪の対象外とすることを提案した。求められる要件とは、①それぞれ 独立した二名の登録医により、援助を受け自殺しようとする者は、終末期であり、かつ宣言を作成する能力を有し
ていることが立証されており、②かかる者は、医師の証明書の内容を理解し、かつ自殺の援助を受ける目的で自殺 幇助が合法である国に出かけることを決定した旨を記載する文書による宣言を作成していなければならないという ものである。宣言書は、本人が署名し、本人により選ばれた証人が証明をする。ただし、本人の死亡により何らか の利益を得る可能性のある者、本人の近親者、友人もしくはケアに関わる者は、証人になることができない。 この修正提案は、貴族院で三時間にわたり議論が交わされた後、一九四対一四一で否決されてい ( 18) る。 三 Purdy 事件貴族院判決 1 事実関係 Ms Purdy は 一 九 九 五 年 に 進 行 性 多 発 硬 化 症 と 診 断 さ れ、 二 〇 〇 一 年 ま で に は 自 走 式 の 車 椅 子 を 恒 常 的 に 使 用 し ていた。その後症状は悪化し、現在では電動車椅子が必要となり、自身で基本的なことの多くを行う能力を失って い る。 嚥 下 に 困 難 が あ り、 飲 む と き に む せ て 発 作 を お こ し た り し て お り、 症 状 が さ ら に 悪 化 す る の は 避 け ら れ な い。彼女は存在し続けることが耐えがたいものとなる時が来ると予期し、そのような時には、まだ身体的に可能な うちに生命を終えたいと望んだ。しかし、その段階までに援助なしにそうすることはできなくなるかもしれない。 そ こ で、 自 殺 が 合 法 な 国、 お そ ら く ス イ ス に 出 か け よ う と し た。 彼 女 の 夫 Mr. Omar Puente は 彼 女 が 旅 を す る 手 配 に 助 力 す る こ と に 同 意 し て い る。 そ の 場 合 に 夫 が 自 殺 幇 助 で 訴 追 さ れ る か ど う か を 知 り た い と 考 え、 DPP に 対 し訴追決定に際しての方針を明確にするよう求め、その拒否を司法審査で争ったのである。 第一審の高等法院女王座部合議法廷 ( Scott Baker LJ and Aikens J ) は、人権裁判所の「回りくどい文言」は第八
条の範囲について異なる見解があることを示しているが、合議法廷は貴族院の判決に従うべきであり、本件は適用 を除外する例外的な状況ともいえない。またたとえ第八条第一項の違反があったとしても、同第二項にいう「法に 基 づ い て」 い る と 判 示 し、 司 法 審 査 の 申 立 は 棄 却 さ れ た (二 〇 〇 八 年 一 〇 月 二 九 日 判 ( 19) 決) 。 こ れ を 不 服 と し て Purdy は上訴した。 控訴院 (
Lord Judge CJ, Ward and Lloyd LJJ
) の判断は、以下のようである。 ⑴ Pretty 事 件 に お い て、 彼 女 の 条 約 第 八 条 第 一 項 の 権 利 が 関 わ っ て い る か、 貴 族 院 と 人 権 裁 判 所 の 見 解 は 明 ら かに一致しない。しかし、きわめて例外的な場合にのみ、控訴院は先例と思われる貴族院判決を覆す非常に制限 された自由しか与えられていな ( 20) い。人権裁判所の判決がそうであろうという理由で、貴族院判決を回避したり他 の 選 択 肢 を 探 す の は、 相 当 の 不 確 実 性 を 生 む。 そ れ ゆ え、 も し 制 限 が 厳 格 す ぎ る の で あ れ ば、 適 切 と 考 え る 場 合、貴族院裁判官が緩和すべきである。本件は先例から離れるのに必要とされる例外的な程度の範囲内にない。 ⑵ 上 訴 人 は Pretty 事 件 の 人 権 裁 判 所 判 決 で 確 立 さ れ た 自 律 の 原 理 は、 そ の 後 の 貴 族 院 判 ( 21) 決 で 認 め ら れ て い る と 主張するが、下級裁判所が Pretty 事件貴族院判決にもはや拘束されないと自ら判断するに十分とはいえない。 ⑶ 自殺幇助に特定された訴追方針の欠如は、一九六一年法第二条第一項の執行および効果を違法とはしないし、 人 権 条 約 第 八 条 第 二 項 の 目 的 の た め に 法 に 基 づ い て い な い と も い え な い。 DPP は 一 九 六 一 年 法 第 二 条 第 一 項 の 執行を免除したり、停止したりすることはできないし、また議会が立法しないと選択した犯罪の例外的抗弁を実 質的に認めるような種類の文言をかかる方針において公表することはできない。 控訴院により上訴は棄却された (二〇〇九年二月一九日判 ( 22) 決) 。 Purdy はさらに貴族院へ上訴した。
2 争点 ⑴ 一九六一年法第二条第一項における自殺幇助の禁止は、欧州人権条約第八条第一項に基づく私生活を尊重され る権利の介入になるか。 ⑵ 一 九 六 一 年 法 第 二 条 第 四 項 に 基 づ き 訴 追 す る 公 益 が 存 在 す る か 決 定 す る 際 に 考 慮 さ れ る 諸 要 因 を 示 す DPP に よ る 自 殺 幇 助 に 特 定 し た 方 針 が な い 場 合、 こ の 介 入 は 人 権 条 約 第 八 条 第 二 項 が 求 る「法 に 基 づ い て」 は い な い か。 3 貴族院判決 (二〇〇九年七月三〇日) 五名の裁判官 ( Lord Phillips of Worth Matravers, Lord Hope of Craighead, Baroness Hale of Richmond, Lord Brown of
Eaton-under-Heywood and Lord Neuberger of Abbotsbury
) は、全員一致で上訴を認容した。 【 Hope 裁判官の意見】 (判決文の para. は貴族院判決、§ は Pretty 事件人権裁判所判決) ( 1 ) 訴追の危険 自殺幇助が合法である法域で行われた自殺について、これを幇助するイングランド・ウェールズにおける行為は 犯 罪 で は な い と い う 指 摘 が あ ( 23) る ( para. 19) が、 Purdy が ス イ ス に 出 か け る の を 夫 に 助 け て も ら お う と 望 ん で い る 行 為 が こ の 国 で 自 殺 幇 助 と し て 訴 追 さ れ る 相 当 な 危 険 が あ る こ と は 明 白 で あ る。 Phillips 裁 判 官 が 指 摘 し た よ う に、 一九六一年法第二条第一項が適用されない場合には殺人罪となるかもしれない。しかし、私は、コモン・ロー上の 犯 罪 は 一 九 六 一 年 法 で 創 設 さ れ た 犯 罪 に 取 っ て 代 わ ら れ た も の と し て 本 件 を 扱 う。 い う ま で も な く、 「こ の 問 題 に ついて判断することは可能ではないし、必要でもない。 」 ( para.25 )
( 2 ) 裁判所の役割 自殺幇助を非犯罪化するために法を変更することは我々の役割でない。もし変更がなされるべきであるならば、 そ れ は 議 会 の 問 題 で な け れ ば な ら な い。 貴 族 院 に お け る Falconer 議 員 の 修 正 に 関 す る 議 論 を 聞 き も し く は 議 事 録 を読んだ者は、双方の感情の強さもしくは法の変更がもたらすかもしれない困難に疑問を抱かない者はいないであ ろ う。 我 々 は そ の よ う な 領 域 に 敢 え て 踏 み 入 れ な い し、 そ う す る こ と が 正 し い と も 思 わ な い。 「裁 判 官 と し て の 我々の役割は、何が法であるかを述べ、それが不確実である場合には、それを明確にするためにできることをする ことである。 」 ( para.26 ) ( 3 ) 訴追決定に関する情報 「 Purdy は 訴 追 免 除 の 保 証 を 求 め て は い な い。 そ の 種 の 除 外 事 由 は 議 会 が 判 断 す る 問 題 で あ る。 彼 女 が 求 め た の は情報、すなわち、自身の私生活に影響を与える決定を下し得るのに必要な情報である。すでに多くの者が自殺幇 助を合法とする国へ出かけ、彼らを幇助した者は訴追されていない。 」 ( para.30 ) Purdy の 情 報 へ の 要 求 は こ の よ う な 背 景 に 照 ら し て み ら れ な け れ ば な ら な い。 DPP が 訴 追 決 定 の 際 に 考 慮 す べ き要因の提示を拒否したことは、彼女にジレンマをもたらしている。訴追の危険が十分に低ければ、旅に出る前の 最後の瞬間まで待つことができる。危険が高すぎる場合には、そうでなければ望んでいたであろうより早く援助な しに人生を終える旅に出かけなければならない。さらにこのような苦境にあるのは彼女だけではなく、また自殺幇 助の考えをあきらめ、悲惨な尊厳を欠くとされる死を迎えた者もいる ( para.3 1 )。 ( 4 ) 欧州人権条約第八条第一項「私生活の尊重」 貴族院は、もちろん自由に従前の判決から離れ、人権裁判所の判決に従うことができる。貴族院が人権裁判所の
後の判決に一致しないことが明らかになった条約上の権利の意味もしくは効力に関する従前の判決に拘束されるも のと考えるのであれば、人権法の利益は十分に役にたたないであろうことは明白である。そうでなければ、貴族院 は条約上の権利と適合しない判決を是認する危険を冒すであろう。 ( para.34 ) Pretty 事 件 へ の 条 約 第 八 条 第 一 項 の 適 用 に 関 し、 貴 族 院 と 人 権 裁 判 所 と の 間 の 違 い は、 限 ら れ て い る が 非 常 に 重 要 な 点 に あ る。 貴 族 院 の Steyn 裁 判 官 は、 多 数 意 見 を 最 も 明 確 に 示 し、 条 約 第 八 条 に 基 づ く 保 障 は、 個 人 の 人 生の送り方への介入を禁止していて、個人が願う死に方にかかわるものではないと述べた ( para.35 ) 。 私は明確に反対しなかったが、この点に関する私の見解は全く反対である。 「『第八条の第一項の ・・・ 個人の「私生活」の尊重は、個人の生き方に関係している。彼女が選択したその人生の 最後の迎え方は生きる行為の一部であり、彼女はこのことも尊重されなければならないと求める権利を有する。そ の 点 で Pretty は 自 己 決 定 権 を 有 す る。 そ の 意 味 で、 終 末 期 に 臨 ん で 彼 女 が 生 で は な く 死 を 選 択 し た 時 で さ え、 Pretty の私生活は関係している。 』 ( Pretty 事件貴族院判決 para. 100 ) 人権裁判所は肯定的に私の意見のこの一節を引用し、続いて述べられた理由づけは一致している。 『条 約 の ま さ に 真 髄 は、 人 間 の 尊 厳 お よ び 人 間 の 自 由 の 尊 重 に あ る。 条 約 に 基 づ い て 保 護 さ れ る 生 命 の 尊 厳 の 原 理 を何らかの方法で否定することなく、裁判所は、生命の質の概念が重要性をもつのは第八条に基づいてであると考 える。より長くなった平均余命にあいまって医療の精巧さが進展する時代において、多くの人々が、強く抱いてい る自己および個人のアイデンティティの概念と衝突する、高齢または身体的もしくは精神的な衰えが進んだ状態の ままでい続けることを強いられるべきではないと関心をもっている。 』 (§ 65 )」 ( para.36 ) 訴訟参加人の the Society for the Protection of Unborn Children 側は、 Pretty が人生の尊厳のない悲惨な最後と
考えることを避ける選択をするのを法により阻まれている事実は、彼女の私生活を尊重する権利の介入となるとい う こ と を 退 け る 用 意 が な い ( para.87 ) と 述 べ た 部 分 を も っ て、 人 権 裁 判 所 が こ の 問 題 に つ き 判 断 す る こ と を 避 け た のであると主張するが、全体としてみれば、第八条第一項に基づく権利が関わっていると認定している。法は障害 のために自身の生命を奪うことができない者を差別しているという第一四条の訴えに関する部分で用いられた文言 で、 曖 昧 さ へ の 疑 問 は 解 消 し て い る。 ま た も は や 自 身 で 何 も で き な い Pretty に は、 自 殺 幇 助 の た め に 海 外 へ 出 か けることも予定されていなかったのであり、訴追方針に関する情報の欠如により、夫の援助なしにまだそうするこ とができる間に、そうでなければ望んでいたよりも早く人生を終える選択をするかどうかという問題はなかった。 「そ れ ゆ え、 Pretty 事 件 貴 族 院 判 決 か ら 離 れ、 第 八 条 第 一 項 の 私 生 活 を 尊 重 す る 権 利 は 本 件 に 関 わ っ て い る と 判 示する。 」 ( para.39 ) ( 5 ) 欧州人権条約第八条第二項「法に基づいて」 条約の合法性の原理は、裁判所に三つの別個の問題を扱うように求める。すなわち、①国内法において制約のた めの合法な根拠が存在するかどうか、②問題となっている法もしくは規則は、制約により影響を受ける個人にとり 十分にアクセスしやすく、かつ法に違反することなしに行動を規律し得るよう、制限の範囲を理解し自身の行為の 結 果 を 予 見 す る こ と が で き る ほ ど 十 分 に 正 確 で あ る か、 ③ 上 記 二 要 件 (ア ク セ ス 可 能 性 お よ び 予 見 可 能 性) を 満 た し ているとしても、たとえば、悪意でもしくは比例的でない方法で用いられたために、恣意的な方法で適用されてい るという批判を免れないか、である。 ( para.40 ) この文脈における「法」は、形式的ではなく、実体的な意味で理解されなければならない。この目的の法は、法 律より下位の制定法および不文法を含む。さらにアクセス可能性および予見可能性を含む質的な要件を含意する。
アクセス可能性とは、個人はどのような行為もしくは不行為に刑事責任を負うとされるか、関連規定の文言から、 また必要があればその文言の裁判所による解釈に助けられ、知らなければならない。予見可能性の要件は、当該個 人が、適切な助言を得て、所与の行為が必然として伴う結果を予見することができれば、満たされる。裁量を与え る法それ自体は、裁量の範囲およびその行使の方法が、恣意的な介入からの保護を個人に与えるのに十分に明確に 示されていれば、この要件を満たしている。 「一 九 六 一 年 法 第 二 条 第 一 項 は、 (ア ク セ ス 可 能 性 お よ び 予 見 可 能 性 と い う) こ れ ら す べ て の 要 件 を 満 た し て い る。 そ の 文 言 か ら 他 の 者 の 自 殺 を 幇 助 す る 者 が 犯 罪 行 為 で 有 罪 と さ れ る こ と は 明 白 で あ る。 」 ( para.4 1 )「し か し、 Purdy 側の提起する問題は、一九六一年法第二条第一項ではなく、第二条第四項、および彼女の幇助の場合に夫を 訴 追 す る か ど う か DPP が 同 項 に よ り 与 え ら れ る 裁 量 を ど の よ う な 方 法 で 行 使 す る と 予 期 さ れ る か に 向 け ら れ て い る。 」 ( para.42 ) 「本 件 に お い て 焦 点 が 当 て ら れ て い る の は、 個 人 が 行 動 を 規 律 す る こ と を 可 能 に す る の に 十 分 な ほ ど明確に、法は定立されるべきという要求である。 」 ( para.43 ) ( 6 ) 一九六一年法第二条第四項に基づく DPP の裁量 犯 罪 が 行 わ れ た と 信 じ ら れ る 時 は い つ で も 自 動 的 に 訴 追 が な さ れ る の で は な い と 長 い 間 認 め ら れ て き た ( pa ra .44 )。 一九六一年法第二条第四項の目的は、この背景に照らして理解されなければならない。制定法に訴追制限が含まれ ている基本的な理由は、そうでなければ不適切な状況で訴追される危険があるからである ( para.45 ) 。 第二条第一項が禁止する犯罪を行ったと疑われる者が訴追されるべきかどうか検討される場合に影響を与える要 因は、①手続の一貫性の確保、②いやがらせによる私人訴追など濫訴の防止、③責任軽減要因の考慮、④とりわけ センシティヴで議論のある領域への刑法適用の規制である。
一貫性をもたらす手段として、一九八五年犯罪訴追法 ( Prosecution of Offences 1985 ) 第一〇条に基づき、犯罪へ の 手 続 開 始 決 定 に 際 し 適 用 さ れ る 一 般 原 則 に 関 す る 指 針 を 示 し た「公 訴 官 規 程」 ( Code for Crown Prosecutors ) が あ り、 一 般 に 公 表 さ れ て い る。 「私 の 意 見 で は、 規 程 は、 条 約 第 八 条 第 二 項 の 目 的 の た め に、 私 生 活 の 尊 重 の 権 利 への介入を正当化する法の一部とみなされ得る。問題は、 Purdy の状況がもたらすかもしれない例外的な場合に、 幇助者への第二条第一項に基づく手続を開始することが公益にかなうかどうかが問われるときに、規程がアクセス 可能性および予見可能性の要件を満たしているかである。 」 ( para.47 ) 二 〇 〇 四 年 一 一 月 に 現 行 の 規 程 が 公 布 さ れ て か ら、 事 態 は 推 移 し て い る。 DPP は セ ン シ テ ィ ヴ で 困 難 な 訴 追 を 監 督 す る 少 人 数 の 特 別 に 訓 練 さ れ た チ ー ム を 編 成 し た。 さ ら に Daniel James に 関 す る DPP の 決 定 が あ る。 DPP 側は、今では決定過程に関する十分な指針はあり、さらに指針を提示することは望ましくないと主張する。という のは、非常に重要な倫理的問題がかかわり、とりわけ重大な障害をもち充実感ある人生を送っている多くの者の存 在がある。規程が十分でないという認定はDPPの広範な裁量を阻む意味をもつ ( para.52 ) 。 「自 殺 幇 助 が 合 法 で あ る 国 に 出 か け る の に 援 助 を 必 要 と す る か も し れ な い 重 度 で 治 癒 不 可 能 な 障 害 が あ る 者 の 場 合に考慮に入れられるかもしれない要因を明確にしようとする者すべてにとり、条約のアクセス可能性と予見可能 性 と い う 基 準 を 満 た す の に 必 要 と さ れ る も の に つ い て、 こ れ ら の 発 展 は 不 十 分 で あ る。 DPP 自 身 の 分 析 が 示 し た のは、この種のおおいに普通でなく非常にセンシティヴな事例には、規程はほとんど何らの指針ももたらさないこ とである。訴追が公益にかなうかどうかという問題は、そこに言及されていない諸要因を考慮することにより答え が出たにすぎない。 」 ( para.53 )
( 7 ) 結論 規程は通常、所与の事件において訴追が公益にかなっているかどうかはどのように決定されるべきかもしくはさ れる可能性があるかについて、公訴官および公衆への十分な指針を提供する。規程は、公訴官に事件の背景全体を 考慮することを可能にするから、弱者にとって貴重なセーフガードである。ほとんどの事件において、規程の適用 は、決定過程の予測可能性および一貫性を確実にし、人々は自身の立つ位置を知ることになる。しかし、企図され る犯罪が自殺幇助であり、対象者が末期もしくは重度で治癒不可能な障害があり、自殺を合法とする国へ旅するの を助けてもらおうと望み、それが決定をする能力を有し自由にかつ結果を完全に理解したうえであった場合には、 そうとはいえない。一九六一年法第二条第一項の規定と、この種の同情による事件で同項が実際に適用される仕方 との間には、すでに明らかな隔たりが存在する。 「上 訴 を 認 容 し、 一 九 六 一 年 法 の も と で 訴 追 に 同 意 す る か ど う か 決 定 す る に 際 し 考 慮 す る で あ ろ う 諸 事 実 お よ び 情 況を明確にする、当該犯罪に固有の方針を公表するよう要請する。 」 ( para.56 ) 【 Hale 裁判官】 「 Pretty 事件において、人権裁判所は、 『個人の自律の概念は』条約第八条により保障される私的および家族生活、 住居ならびに通信を尊重する権利の 『解釈の基礎をなす重要な原理である』 とみなし ( § 61) 、 次のように指摘した。 『自 身 の 選 択 す る や り 方 で 人 生 を 送 る 能 力 は、 当 該 個 人 に と っ て 身 体 的 も し く は 道 徳 的 に 有 害 も し く は 危 険 な 性 質であると理解する行動を遂行する機会をも含み得る。 』 ( § 62 ) 死が通常そのような行動の意図された結果ではないという事実は決定的なものとはなり得ない。同意なしに医的措 置を実施することは『第八条第一項のもとで保護される権利の関与を可能にする仕方で人の身体的不可侵性に介入
す る』 ( § 63 ) で あ ろ う。 イ ギ リ ス 法 は 延 命 措 置 へ の 同 意 拒 否 に よ り 死 ぬ 選 択 を 行 う こ と を 認 め て い る。 Pretty も 生 命を終わらせる選択を行おうと望んでいた。 『 Hope 裁 判 官 が 述 べ た よ う に、 彼 女 が 選 択 し た そ の 人 生 の 最 後 の 迎 え 方 は 生 き る 行 為 の 一 部 で あ り、 彼 女 は こ のことも尊重されなければならないと求める権利を有する。 』 ( § 64 ) 」 ( para.60 ) 私生活を尊重する権利の介入が第八条第二項に基づいて正当化されるかどうかについて、自殺幇助の制限が「法 に 基 づ い て」 、 ま た 生 命 を 保 護 し そ れ に よ り 他 の 者 の 権 利 を 保 護 す る 正 当 な 目 的 を 遂 行 し て い る 点 は 一 致 を み て お り、 唯 一 の 争 点 は 制 限 が「民 主 的 社 会 に お い て 必 要」 か ど う か で あ っ た ( § 69 ) 。 申 立 人 は、 法 の 保 護 を 必 要 と し て い る 者 お よ び 必 要 と し て い な い 者 の い ず れ に も 適 用 さ れ る「包 括 的 禁 止」 は 比 例 性 を 欠 く と 主 張 し た が、 「関 連 す る害の重大さおよび濫用の明白な危険の観点から、人権裁判所は禁止の包括的な性質が比例性を欠くとはみなさな かった。 ( § 76 ) 」 ( para.62 ) しかし、人権裁判所は続けて、公訴局長官が訴追に同意するという要件および許される刑の広範さによりもたら さ れ る 法 の 柔 軟 性 に つ い て、 「自 殺 幇 助 の 禁 止 に よ り 生 命 に 対 す る 権 利 の 重 要 性 を 想 起 さ せ、 そ の 一 方 で そ れ ぞ れ 特定の事件で、応報と抑止という公正で妥当な要件とともに、訴追を行う公益に対する適正な配慮を認める執行お よ び 判 決 の 制 度 を 提 供 す る こ と に お い て、 法 は 恣 意 的 で あ る と は 思 わ な い ( § 76 ) 」 と 述 べ て お り、 DPP に と っ て は、柔軟性ある執行を伴った包括的禁止が正当化され、 Purdy にとっては、訴追の抑止的効果により、生命を終え たいという願う者の自律が比例性を欠く程度に侵害されるであろう個別の事例の存在が認められている。さらに、 「も し 包 括 的 禁 止 の 正 当 化 が そ の 執 行 の 柔 軟 性 に 依 拠 す る な ら ば、 DPP と そ の 部 下 が 決 定 を す る 際 に 考 慮 す る 諸 要 因がより明瞭でないならば、 『法に基づいて』いるとはいえない。 」 ( para.63 )
「本件は、援助なしに自身の生を終えることができないもしくはそれを望まない人々を扱っている。彼らを助け るかもしれない者の訴追を律するより明確なガイドラインの必要性は、第八条により保護された彼らの私生活を尊 重する権利に由来する。 」 ( para.67 ) 四 小 括 医師による自殺幇助に関する法案に議会が向き合う姿勢に変化の兆しは見られるものの、立法化への道はなお遠 い。 Dignitas の 援 助 を 得 た イ ギ リ ス 人 の 数 は、 二 〇 〇 三 年 以 降 毎 年 一 〇 名 か ら 二 七 名 の 間 を 推 移 し、 「死 の ツ ー リ ズム」が人々の耳目を集めるようになっている。二〇〇四年には、夫による妻のスイスへの出国に対して、地方当 局が差止命令を申し立てた事 ( 24) 例において、高等法院家事部は、本人に判断能力があり、また不当威圧もないことを 確 認 し た う え で、 訴 え を 認 め な か っ た。 貴 族 院 に お け る Falconer 議 員 の 修 正 案 は、 か か る 情 況 を 勘 案 し た も の で あ っ た と い え よ う。 判 決 の 冒 頭 で 審 理 と 同 時 進 行 で あ っ た 修 正 案 が 否 決 さ れ た 経 緯 に ふ れ た Hale 裁 判 官 は、 立 法 部の関心が、愛する者への同情からの幇助と私利私欲による幇助との区別の困難さとともに、自殺幇助禁止の緩和 が弱者にもたらす圧迫への懸念にあったことを指摘している ( para.65 ) 。 Purdy 事件において、貴族院は、欧州人権条約第八条第一項には生の終わりに関する決定が包摂され得ると判示 し、 ス ト ラ ス ブ ー ル の 判 例 法 に 依 拠 し て、 同 条 の 解 釈 に つ き 先 例 で あ る Pretty 事 件 か ら 離 れ た。 し か し、 本 判 決 は、必ずしも「自殺する権利」を認めたのではなく、第八条第二項のもとで、弱者を保護するという正当化事由が あれば、自殺幇助を違法として介入する必要がある場合の存在を認めている。
それでは、どのような範囲であれば権利の制限が許容されるか、条約第八条の適用範囲を本判決は明確にしてい な い。 Falconer 議 員 の 自 殺 幇 助 罪 の 修 正 案 は 末 期 患 者 の み を 対 象 と し て い た が、 本 判 決 で、 Hope 裁 判 官 は、 Purdy を 念 頭 に お い て「重 度 で 治 癒 不 可 能 な 障 害 の あ る 者」 を も 想 定 し て い る。 一 方 で Hale 裁 判 官 は、 苦 痛 や 耐 えがたい不治の病をもつ末期患者については自殺幇助が許されるという世論調 ( 25) 査を引用しながらも、自殺を考える そ の 理 由 に 言 及 し、 「自 律 の 保 護 を 真 剣 に 考 え る な ら ば、 自 律 す る 個 人 は、 何 が そ の 生 を 生 き る に 値 す る と し て い る か に つ い て 種 々 の 見 解 を 抱 い て い る こ と を 認 め な け れ ば な ら」 ず ( para.66 ) 、 そ れ が「何 で あ る か 語 る の は 社 会 の役割ではない。しかし、人々に、たとえ彼らがそうではなくても、我々が彼らの生を価値あるものと考えること を 社 会 が 強 調 す る の は 正 当 と さ れ 得 る」 と 述 べ て ( para.68 ) 、 訴 追 決 定 に 際 し 考 慮 さ れ る 要 因 に お い て、 生 命 を 終 える手助けを望む理由に留意する必要性があると示唆している。 いずれにしても、本判決は、自殺幇助が「センシティブで議論のある」問題であることにかんがみ、第八条第二 項のもとで「法に基づいて」介入が認められるためには、訴追決定に関する明確な指針が必要であると判示した。 ま た 訴 追 決 定 に 際 し ど の よ う な 要 因 が 考 慮 さ れ る か は、 「自 身 の 生 が 他 者 に と り 価 値 の な い 負 担 で あ る と 思 う あ ら ゆ る 種 類 の 圧 力 に 脆 弱 な 者」 と 同 時 に、 「真 に 自 律 的 な 選 択 を 行 使 す る 権 利」 を も 保 護 す る も の で な け れ ば な ら な い と さ れ た ( paras.65 ―66 ) 。 人 権 裁 判 所 判 決 に 依 拠 し つ つ、 人 権 条 約 第 八 条 に 生 の 終 わ り に 関 す る 決 定 が 含 ま れ る と 判 示 し た 本 判 決 に お い て、 ま さ に 人 権 条 約 に よ り、 DPP に 対 し よ り 明 確 な 方 針 を 要 求 さ れ る の で あ れ ば、 問 題 は、 「ど の よ う な 情 況 に お い て、 真 に 自 律 的 な 選 択 へ の 法 の 介 入 が 正 当 化 さ れ る か」 で あ る と 述 べ ら れ て い る ( para.68 ) ことを強調しておきたい。 なお、自殺幇助が合法である国に出かけるのを援助するというイングランドおよびウェールズにおける幇助行為
が、はたして訴追の対象となるかどうかをめぐり裁判官の意見は分かれたが、この点に関して貴族院は判断を下す ことはしなかった。 五 DPP による自殺幇助に関する訴追方針 二 〇 一 〇 年 二 月 二 五 日、 DPP ( Keir Starmer, QC ) は 貴 族 院 判 決 に よ り 求 め ら れ た 自 殺 幇 助 の 訴 追 に 関 す る 方 針 を 公 表 し た。 DPP に よ れ ば、 こ の 方 針 は 訴 追 決 定 に 際 し 考 慮 さ れ る 要 因 を 明 示 し た の で あ っ て、 現 行 の 法 を 変 更 するものではなく、訴追免除の保証を与えるものでもない。二〇〇九年六月の貴族院判決後、九月に暫定案が公表 さ れ、 一 二 月 ま で に 寄 せ ら れ た 五、 〇 〇 〇 件 近 く の 意 見 を 集 約 し 修 正 を 加 え て ま と め ら れ た 方 針 は、 二 月 二 五 日 に 発効し、イングランドおよびウェールズで行われる自殺幇助に適用される。同方針は、 Purdy が考えていたような 自殺を合法とする国に出かける場合だけでなく、イングランドおよびウェールズにおける自殺もしくは自殺未遂に 対する幇助もその対象とする。 方針では、訴追を正当化する十分な証拠がある場合に、さらに公益の観点から訴追の必要性を検討する際に、肯 定的な要因として以下の点を列挙している。 ① 被害者は未成年である。 ② 被 害 者 は、 十 分 に 情 報 を 得 て 納 得 し た う え で ( informed ) 自 殺 を す る 決 定 に 達 す る 能 力 (二 〇 〇 五 年 精 神 能 力 法により定義されてい ( 26) る) を有していない。 ③ 被害者の自殺をする決定は、自発的で明確かつ確固とし、十分に情報を得て納得したものではなかった。
④ 被害者は、被疑者に対し自殺の決定を明白に示していない。 ⑤ 被害者は、個人的もしくは自発的に被疑者に助長もしくは援助を求めていない。 ⑥ 被疑者はもっぱら同情に動機づけられていたとはいえない。たとえば、被疑者自身もしくは緊密な関係のあ る者が被害者の死亡により何らかの方法で利益を得る見込みに動機づけられていた。 ⑦ 被疑者は被害者に自殺するよう圧力をかけた。 ⑧ 被疑者は、他の者が被害者に自殺するよう圧力をかけないよう確保する相当な手段を講じなかった。 ⑨ 被疑者は、被害者に対し暴力もしくは虐待を行ったことがある。 ⑩ 被害者は、自ら幇助に該当する行為を身体的に行うことができる。 ⑪ 被害者は、被疑者と面識がなく、たとえばウェブサイトや出版物による特定の情報提供をつうじて自殺を助 長もしくは援助された。 ⑫ 被疑者は、互いに面識のない複数の被害者を助長もしくは援助した。 ⑬ 被疑者は、被害者もしくは近しい者から助長もしくは援助に対する報酬を受け取った。 ⑭ 被疑者は、報酬の有無にかかわりなく、医師、看護師その他ヘルスケア専門家として、もしくは監獄職員な どの権限ある者として行為しており、被害者はそのケア下にあった。 ⑮ 被疑者は、公衆が存在すると考えるのが相当とされる公的な場所で、被害者が自殺を図ろうと企図している ことを知っていた。 ⑯ 被 疑 者 は、 (報 酬 の 有 無 に 関 わ り な く) 他 者 が 自 殺 す る の を 許 容 す る 物 理 的 環 境 を 提 供 す る こ と を 目 的 と す る 団体もしくはグループ運営する者もしくは使用者 (報酬の有無に関わりなく) として行為していた。
一方で訴追に否定的な要因として列挙されたのは、以下である。 ① 被害者の自殺をする決定は、自発的で明確かつ確固とし、十分に情報を得て納得したものであった。 ② 被疑者は、もっぱら同情に動機づけられていた。 ③ 被疑者の行為は、犯罪の定義の範囲内に入れるに十分であるが、些細な助長もしくは援助にすぎなかった。 ④ 被疑者は、被害者が自殺に至った行動をとることを思いとどまらせようとした。 ⑤ 被 疑 者 の 行 為 は、 被 害 者 の 断 固 と し た 自 殺 の 願 い に 直 面 し て の 不 本 意 な 助 長 も し く は 援 助 と 特 徴 づ け ら れ る。 ⑥ 被疑者は、被害者の自殺を警察に報告し、自殺もしくは自殺未遂の状況またはその助長もしくは援助に関す る調査に完全に協力した。 以上が、方針に示された訴追に肯定的もしくは否定的とされる要因である。暫定案に寄せられた意 ( 27) 見を考慮し修 正が加えられた次の二点に言及する。 第一に、暫定案には「被害者は、回復の見込みのない末期の病、重大で治癒不可能な身体的障害、もしくは重大 な病理的退行状況にあった」ことが訴追に否定的な要因に含まれていた。しかし、末期患者や障害者への影響を及 ぼすという反対意見が多く削除され、暫定案と比較すると、被害者の状態や事情よりもむしろ被疑者の行動や動機 (「同情」 ) を重視する内容となっている。 第二に、同様に訴追に否定的な要因の「被疑者は、長期にわたり支援関係にある被害者の配偶者、パートナー、 近親者もしくは個人的な友人であった」も、反対意見が多かったため削除されている。その一方で、訴追に肯定的 な要因⑭にヘルスケア専門家であることが加えられたのは注目される。
そ の 他、 DPP に は 法 の 変 更 を 行 う 権 限 は な く 議 会 に 任 せ る べ き で あ る、 ま た 自 殺 幇 助 は 犯 罪 で あ る か ら、 方 針 には訴追しない明確でやむにやまれぬ理由がない限り自殺幇助者は訴追されるものとする推定をおくべきである、 などさまざまな意見が寄せられた。 六 むすびにかえて Purdy 事件貴族院判決にしたがい、自殺幇助により訴追するか否かを決定する際に考慮される要因を示す方針が DPP に よ り ま と め ら れ た こ と は、 大 き な 変 化 で あ る。 同 方 針 は、 そ の 冒 頭 で、 法 に 関 す る 変 更 を も た ら す も の で はなく、自殺幇助は依然として犯罪であることが強調されている。しかし、素人が同情に動機づけられて幇助した 場合は、従前のように訴追されない可能性がある。一方で、ヘルスケア専門家については自殺幇助の責任を問われ るおそれがあり、対応に明確な違いが生じることとなった。このような状況のもとで、二〇一〇年一一月三〇日に Lord Falconer により自殺幇助に関する委員会 ( the Commission on Assisted Dying ) の設置が発表され ( 28) た。同委員会 は、 Lord Falconer を 長 と し、 ヘ ル ス ケ ア 専 門 家、 議 員 や 聖 職 者 な ど 一 二 名 の 委 員 か ら 構 成 さ れ、 自 殺 幇 助 の 問 題 へのアプローチに関して、現状のままが良いのか、それとも変更が必要なのか検討することを目的とする。検討さ れるべき課題は多岐にわたる。合法的に死ぬことを援助される権利は認められるのか。どのような者に認められる のか。末期患者に限定されるのか。重大で永続的な障害をもつ者も含まれるのか。一時的なうつの場合はどうか。 自殺幇助を認めることにより、愛する者への重荷になるのではと精神的な圧迫を与える危険はないのか。濫用もし くは圧迫を防止するセーフガードはどのようなものか。明確かつ強迫なしに死を望んでいるかを確かめるために、
医師の診察その他の手段を導入するのか。あるいは合法的な幇助を認める責務をはたす審判所を設置するのか。こ れらの問題を検討するにあたり、現在人々はどのように死を迎え、また死に関する決定を行っているかに関する実 態、 人 々 の 意 見、 海 外 の 動 向 (自 殺 幇 助 も し く は 自 発 的 安 楽 死 を 認 め て い る オ ラ ン ダ、 ベ ル ギ ー、 ル ク セ ン ブ ル ク、 ス イ ス、 ア メ リ カ の オ レ ゴ ン 州、 ワ シ ン ト ン 州、 モ ン タ ナ 州 な ど) 、 ま た 法 の 現 状 維 持 お よ び 変 更 の 影 響 な ど 精 査 し、 広 く 意見を聴取する作業が一二月から始まっている。委員会にはすでに六〇を超える意見が寄せられ、委員会サイトで の閲覧が可能である。公開でのヒアリングには、貴族院判決後に手記 “It ’s Not Because I Want To Die ”を出版し た Purdy や DPP も 参 加 し て い る。 DPP は、 方 針 に お い て ヘ ル ス ケ ア 専 門 家 が 訴 追 さ れ る お そ れ が 高 ま っ た 点 に 関して、法が改正されないままで自殺幇助が犯罪であるのであれば、同情からの一回限りの行為と、日常的に専門 家として関わる場合との間で明確な区別をすることを重要視したと回答している。委員会は、今後一年を目処に、 現 状 を 維 持 す る、 方 針 前 の 状 況 に 戻 す、 医 師 に よ る 自 殺 幇 助 を 認 め る、 審 判 所 を 設 置 す る、 (ス イ ス の よ う に) 一 定 の場合の自殺を許容するが法に特別の規定をおかない、といった選択肢を視野にいれながら独立した立場で検討を 重ね、報告書をまとめる予定とされている。 Purdy 事件貴族院判決について、その意義を過度に評価することは控えなければならないが、議会による法の変 更が手詰まりのなか、判例法による重要な漸進はあったといえよ ( 29) う。同判決により、議会が法を変更しないまま、 DPP の 方 針 の も と で 自 殺 幇 助 に 対 応 し て い る 現 状 を 問 う 論 ( 30) 稿 も あ り、 そ れ ら は い ず れ も 欧 州 人 権 条 約 と こ れ を 国 内法化した一九九八年人権法との関係、さらに裁判所と議会との関係にかかわる重要な論点を提示する。折りしも 最高裁判所創設にともないその長い歴史を閉じた貴族院の最後の判決によりもたらされたことを想起するならば、 感慨深いものがある。委員会で進められている検討の推移を含め、今後の展開が注目される。
(注) ( 1 ) R( Purdy
) v. Director of Public Prosecutions
[ 2009 ] UKHL45. ( 2 ) R( Pretty
) v. Director of Public Prosecutions
[ 200 1 ] UKHL 6 1; [ 2002 ] 1 AC 800. ( 3 ) Pretty v. the United Kingdom, Reports 2002 ― Ⅲ . 人権裁判所判決については、甲斐克則「自殺幇助と患者の『死ぬ権利』―プ リティ判決―」戸波江二他編『ヨーロッパ人権裁判所の判例』一九九― 二〇三頁(信山社二〇〇八年) 。 ( 4 ) 一 九 九 八 年 ス イ ス の 法 律 家 Ludwig Minelli に よ っ て 設 立 さ れ た NPO で、 イ ギ リ ス 人 の メ ン バ ー は 七 二 四 名、 二 〇 一 〇 年 ま で に自殺幇助を受けた者一、 一三八名のうち、イギリス人は一六〇名となっている。 ( 5 )
Crown Prosecution Service, The Policy for Prosecutors in Respec
t of Cases of Encouraging or Assisting Suicide
( 20 10). ( 6 ) Airedale National Health Service Trust v. Bland [ 1993 ] AC 789. 同判決については、三木妙子「イギリスの植物状態患者ト ニー・ブランド事件判決」ジュリスト一〇五一号五〇 ―六〇頁(二〇〇二年)参照。 ( 7 ) 精神能力法は一六歳以上の者に適用される(第二条第五項) 。 ( 8 ) HL Paper 86 ( Session 2004 ―2005 ). ( 9 ) HL Bill 17. ( 10) Hansard ( HL ), vol. 68 1, col. 1295. ( 11) [ 2005 ] UKHL 45, para.30. ( 12)
X and Y v. the Netherlands, judgment of 26 March
1985. ( 13) Mikulic ́ v. Croatia, ECHR 2002-Ⅰ . ( 14) B v. France, judgment of 25 March 1992; Burghartz v. Switzerland, judgment of 22 February 1994; Dudgeon v. the United
Kingdom, judgment of 22 October
198
1; Laskey, Jaggard and Brown v. the United Kingdom, judgment of
19 February
( 15)
Friedl v. Austria, judgement of 3
1 January 1995. ( 16) Pretty 事 件 判 決 後、 生 殖 補 助 医 療 を 用 い て 親 に な る 権 利 も 含 ま れ た( Evans v. the United Kingdom, judgment of 7 March 2006 )。 ( 17)
The Coroners and Justice Act 2009, s.59.
( 18) Hansard ( HL ),vol. 7 12, col. 633. ( 19) R( Purdy
) v. Director of Public Prosecutions
[ 2008 ] EWHC 2565. ( 20)
Kay v. Lambeth London Borough Council
[ 2006 ] A.C.465. ( 21) R( Razar ) v. Secretary of State for the Home Department [ 2004 ] 2 A.C.368; Ghaidan v. Godin Mendoza [ 2004 ] 2 A.C.557; R( Countryside Alliance ) v. Attorney General [ 2008 ] 1 A.C.7 19. ( 22) R( Purdy
) v. Director of Public Prosecutions
[ 2009 ] EWCA Civ 92. ( 23) Hirst,M.,
“Suicide in Swizerland ; Complicity in England?
”,[ 2009 ] Crim.L.R.335. ( 24) Z (
Local Authority : Duty
), In re [ 2004 ] EWHC 28 17( Fam ). ( 25)
National Centre for Social Research, British Social Attitudes,
The 23rd Report, 2007, chapter 2. ( 26) 「決 定 を す る 能 力 を 欠 く」 と は「精 神 も し く は 脳 の 損 傷 ま た は 機 能 不 全 の た め に、 当 該 事 項 に 関 し て 自 身 で 決 定 す る こ と が で き な い」 (第 二 条 第 一 項) 、 ま た「決 定 す る こ と が で き な い」 と は「決 定 に 関 す る 情 報 を 理 解 す る こ と、 当 該 情 報 を 保 持 す る こ と、 決 定 を 行 な う 過 程 の 一 部 と し て 当 該 情 報 を 用 い も し く は 衡 量 す る こ と、 ま た は そ の 決 定 を 伝 え る こ と が で き な い」 こ と を い う(第 三条第一項) 。 ( 27) C ro w n Pr os ec ut ion S er vic e, Su m m ar y R es po ns es : P ub lic C on su lta tio n E xe rc ise o n th e In te rim P oli cy fo r Pr os ec ut or s in
respect of Cases of Assisted Suicide
( 20 10). ( 28) 委 員 会 の サ イ ト htt p:/ /c om m iss ion on as sis te dd yin g.c o.u k. ( as sis te d d yin g は 自 殺 幇 助 お よ び 自 発 的 安 楽 死 を 含 む も の と さ れ る 。) ( 29) Grubb, A., Laing, J. and McHale, J, Principles of Medical Law ( 3d ed., OUP 20 10 ), paras.2 1.49-2 1,58 ; Mason, J.K. and Laurie,
G.T., Law and Medical Ethics ( 8th ed., OUP 20 11 ), para. 18. 10 1. ( 30) Sp en ce r, J.R ., “ A ss ist ed S uic id e an d th e D isc re tio n to P ro se cu te ”, 68 C am b.L .J.4 93( 20 09 ); N ob le s, R .an d Sc hif f, D ., “Disobedience to Law ― Debbie Purdy ’s Case ”, 73 M.L.R282 ( 20 10 ); Buxton,R.,
“Complicity in Suicide Abroad
”, 126 L.Q.R. 1 ( 20 10 ); Heywood, R., “Clarification on Assisted Suicide ”, 126 L.Q.R.5 ( 20 10). な お、 自 殺 幇 助 の 問 題 を 扱 う 特 集 と し て、“ Special Issue:
Legal Challenges and New Horizons for Medicalised Death and Dyi
ng ”, 18 Med.L.Rev. 437-577 ( 20 10 ). ―いまい まさこ・法学部教授―