公共領域と非政府主体(2) 65
公共領域と非政府主体
――住宅政策,都市計画とコミュニティ開発法人
(2)
宗
野
隆
俊
はじめに 第1章 自己責任の社会と1960年代以前の住宅政策(361号) 第2章 コミュニティ開発法人の来歴 2.1 経済機会法とコミュニティ活動事業 2.2 コミュニティ活動事業への逆風 2.3 コミュニティ開発法人の原型(以上,本号) 第3章 サンフランシスコの住宅問題と都市政策 第4章 コミュニティ開発法人の住宅政策へのコミットメント 第5章 都市計画策定プロセスのなかのコミュニティ開発法人 第6章 非政府主体の公共領域へのコミットメントを促すもの 第2章 コミュニティ開発法人の来歴 前章では,戦後復興期までの住宅政策が,個人の自律,政府不介入と市場枠 組内での問題解決を志向するものであることが確認された。数次の直接的住宅 供給も,あくまで住宅産業への機会賦与という企図に由来するものであり,つ いに住宅政策の趨勢とはならなかった。 これに対して,本章では,1960年代のいわゆる「貧困との戦い」以降の住宅 政策が1つの論点となる。やがてニューディール連合の強化と公民権運動の高 揚に後押しされて「偉大な社会」を目指すこととなる時代の潮流は,住宅政策 とどのように結びあったのか。特に,この時代の住宅政策が低所得層向けの住 宅政策として,どのような内容を備えていたのかを考える。 「貧困との戦い」は,連邦補助事業としてのコミュニティ活動事業を,その 対貧困政策の要とした。「貧困との戦い」は,ケネディ政権とジョンソン政権66 彦根論叢 第362号 平成18(2006)年9月 の下に集ったリベラル・エリートの主導で,貧困問題に対する連邦政府の大々 的な介入を目指すものであった。しかし,これが色褪せ始める60年代後半には, 「近隣住区やコミュニティに基盤を置く内在的なコミュニティ開発法人をコ ミュニティの経済開発の基礎に据える」という考え方が一大思潮を形成してい く。こうした,やがて来るコミュニティ開発法人の叢生と隆盛の先触れとなる 思潮にも影響を受けつつ,住宅政策とりわけ低所得層向け住宅政策が描いた軌 跡を概観しよう。なお,これは,本章後半の課題である。 これに対して,前半の論点は,コミュニティ開発法人の機能の多様性の源泉 と,その登場の背景を探ることである。今日,中低所得層を対象とする住宅政 策において,コミュニティ開発法人は必要不可欠の存在である。いまや,その 機能はアフォーダブル住宅の供給に限定されず,アドボカシーや近隣保全をも 含む広範なものとなっている。さらには,「はじめに」で述べたように,都市 計画に関わる公共的意思形成とその政治過程への反映を企図するコミュニティ 開発法人さえも存在する。前半部では,かかる多様性と能動性の源泉を考える ための1つの手がかりとして,今!日!の!コ!ミ!ュ!ニ!テ!ィ!開!発!法!人!に!つ!な!が!る!主!体!が 担ってきた機能の包括性と多様性を考えてみたい。 少し敷衍しよう。コミュニティ開発法人の源流の1つは,上に述べたコミュ ニティ活動事業への住民や団体の参加にあった。ただし,コミュニティ開発法 人の登場を促したのは,コミュニティ活動事業のみではない。この事業には問 題点も多く,各地で様々な混乱や紛争を惹起した。そうした混乱状況に臨んで, 「貧困地域はいかにしてその窮境を脱するか」が真剣に模索されたが,こうし た議論のなかからも,今日のコミュニティ開発法人のあり方に少なからず影響 を及ぼすものが出てきた。こうした議論においては,コミュニティ,あるいは 近隣住区(neighborhood)を単位とする政策過程参加が盛んに説かれた。そこ には,後に「近隣住区政府論」でラディカルに統治機構の再編成を問うたコト ラー(Milton Kotler)なども含まれる。本章では,コトラーが自ら設立に深く 関わった ECCO(East Central Citizens Organization)を例にとり,近隣住区を基 礎にコミュニティの経済開発や近隣保全などを志向した思潮を検討したい。
公共領域と非政府主体(2) 67 このように,本章が明らかにしたいことは,大きく2つ――コミュニティ開 発法人の形成やその能動性の醸成に寄与してきた政策,思潮の解明と,60年代 の「偉大な社会」の時代を経た後の住宅政策におけるコミュニティ開発法人の 関与――である。一連の作業を通じて,今日のコミュニティ開発法人の骨格を 形成してきたいくつかの潮流の姿を浮かび上がらせよう。 2.1 経済機会法とコミュニティ活動事業 ! 「貧困との戦い」と1964年経済機会法 1960年代は,ほとんど中断なき経済成長が達成される一方で,「豊かさのな かの貧困」が発見された時代でもあった。すなわち,未曾有の豊かさが出現す る一方で,その恩恵に与ることのない人々が層として存在する「もう1つのア メリカ」が認識されるに至ったのである。 この時代は,激しい公民権闘争の時代でもあった。南部で農業の機械化が進 展し,北部の製造部門が発展・拡大したことに伴って,南部の農業地帯から北 部の都市圏へと大量の農民(その大部分は黒人である)が移住したが,投票権 を獲得した彼らは,政党が無視しえぬ政治勢力を形成していく。公民権運動の 主眼は,これ以降,南部の人種差別闘争から北部都市における貧困の克服と雇 用の確保に移っていくのである。 1961年に誕生したケネディ政権にとっては,貧困に対する連邦事業の創設は, 北部における黒人票の取り込みと党勢の拡大を図るうえでも,格好の機会で あった。そうした事情も背景として,「貧困との戦い」と呼ばれる一括法案の 検討が,63年11月に開始された。ケネディ暗殺後大統領に就任したジョンソン も「貧困との戦い」を積極的に引き継ぎ,65年の年頭教書で打ち出した「偉大 な社会」のスローガンの下で,これを発展させたのである。この時期に立法化 されたものには,公民権法(Civil Rights Act of1964),196
4年経済機会法(Eco-nomic Opportunity Act of1964,以下,64年経済機会法),196
5年投票権法(Vot-ing Rights Act of1965),モデル都市事業法(Demonstration Cities and Metropolitan
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た人種集団をより大きな社会へと統合することであり,貧困層を貧困のサイク
ルから脱却させ,アメリカ社会の本流へと上昇させること」1)を目的とする立
法であった。換言すれば,連邦政府による富の再分配を強力に進めることを目
指すものであった2)。
64年経済機会法は,「就業訓練部隊(Job Corps)」,「職業訓練事業(Work
Train-ing Programs)」,「コミュニティ活動事業(Community Action Programs)などの 連邦補助事業を規定した。これらは,名称からも判明するように,貧困地域の 抱える問題に,連邦政府が積極的に関わる姿勢を打ち出したものである。つま り,連邦補助金の投下を通じて,貧困層を受益者とする所得再分配を進めるこ とが宣明されている。このうちコミュニティ活動事業は,今日においても,64 年経済機会法のシンボルとして位置づけられ,関心を惹いている。 ! 経済機会法における「最大限可能な参加」条項 しかしながら,実のところ,同事業の目的,性格,手続きは,立法過程と実 施過程を通じて不透明なものであった3)。事業の採用の基準も動揺し,予測可 能性の点でも問題があったのである4)。そうした事業の何たるかを知るために は,無数に行われた各地の事例を個別に分析し,それらを総合的に考察してい かねばならないが,こうした作業を経た研究は,管見によれば決して多くはな い。それにも拘わらずこの事業が注目されてきた所以は,事業採択条件として,
「最大限可能な参加(maximum feasible participation)」が規定されたからであ
る。公民権運動の高揚に大きく影響された法律において,参加条項を含む事業 が注目を浴びるのは,蓋し当然なのである。
1)W. A. Schambra, Progressive liberalism and American “community”, The Public Interest, Sum-mer1985,p.36 2)公民権運動の高揚とこれへの民主党の接近,およびその結果としての「貧困との戦い」 立法の関連につき,T・B・エドソール,M・D・エドソール(飛田茂雄訳)『争うアメリカ』 (みすず書房,1995年),Ⅱ章を参照されたい。 3)西尾勝『権力と参加』(東京大学出版会,1975年)30頁 4)大森弥「現代行政における「住民参加」の展開――一九六○年代アメリカにおける「コ ミュニティ活動事業」の導入と変容」,渓内謙・阿利莫二・井出嘉憲・西尾勝編『現代行 政と官僚制 上』(東京大学出版会,1974年)所収,300頁
公共領域と非政府主体(2) 69 その参加条項202条(a)は,以下のように規定された。 1964年経済機会法202条(a) “コミュニティ活動事業”とは,以下の事業を指す。 ! 都市部もしくは非都市部の,あるいは両者を含む地理的範域――州, 大都市圏,カウンティ,市,タウン,広域市連合,ないし広域カウンティ 連合を含む――の公私の資源を動員し,活用して貧困と戦う事業, " 雇用機会の改善を通じ,能力,モチベーション及び生産性の向上を通 じ,そして人々が暮らし,学び,働く環境の向上を通じ,貧困とその原 因の根絶に向けて前進するに十分なサービス,支援及びその他の活動を 提供する事業, # 事業対象地域の住民,及び事業対象団体の構成員の最大限可能な参加 を得て計画,実施,管理される事業, $ 公的ないし私的な,もしくはその双方からなる非営利機関によって実 施,管理,ないし調整される事業。 コミュニティ活動事業の監督官庁は,経済機会法を根拠法として連邦政府に 設立された経済機会局(Office of Economic Opportunity)であり,これが各地 のコミュニティ活動事業に対する補助の可否を判断する任を負うことになる。
連邦政府からの補助は,1965年2月に公にされた補助申請要綱(Community
Ac-tion Program Guide: InstrucAc-tions for Applicants)に基づいて行われた5)。注目すべ きは,各地からの補助申請を受けて採択事業の決定手続きにあたったスタッフ の構成である。連邦補助対象事業の決定に際して,経済機会局は全米を7地区 に分け,各々の地区に地域担当官(Field Representatives)を配置し,彼らに審 査を委ねた。地域担当官は公募を経て採用され,約15,000人の応募があったと 5)補助申請要綱の内容と問題点については,大森前掲4),295頁以下が詳細に述べる。本 稿は,補助申請要綱とそれによって惹起された問題に関する記述の多くを大森論文に負っ ている。
70 彦根論叢 第362号 平成18(2006)年9月 いう。採用された担当官の履歴は,高校教師,弁護士,公民権活動家,ソーシャ ルワーカー,地方政府公務員,既存政府事業の実務経験者,実業家など多種多 様であった。また,マイノリティが多数派を占めていた人種構成も,特筆すべ き点である(64年では黒人,プエルトリカン,メキシコ系アメリカ人が25パー セント,65年には同じく35パーセントを占めていた)。こうした審査体制の下, 65年末までに全米で600を超えるコミュニティ活動機関が設立され,約900件の 連邦補助が交付された。69年4月時点では,事業件数は963を数え,1968年会 計年度における当該事業への連邦政府と地方政府の支出総額は,11億2,000万 ドルの巨額に達している6)。これらの数値を一瞥すれば,コミュニティ活動事 業がいかに巨大な試みであったかが理解されよう。 ! 「貧困層の参加」 ところで,64年経済機会法202条(a)では,コミュニティ活動事業の計画策定 や遂行に参加するアクターとして,各事業対象地域の住民や民間団体が予定さ れた。補助対象となるコミュニティ活動事業の最前線は,各地に設けられるコ ミュニティ活動機関(Community Action Agency)であり,事業計画を策定す るのは,コミュニティ活動機関のなかに置かれるコミュニティ活動政策委員会 (Community Action Policy Board,以下,政策委員会) である。いわば,コミュ ニティ活動事業計画策定の本部ということになる(これらの名称は,設置され る地域により異なる)。先の補助申請要綱は,政策委員会を「幅広くコミュニ ティを代表する」ものとし,①地方政府,学校教育,福祉行政機関などの公共 機関,②事業対象地域の指導的団体(労働,実業,宗教,人種的マイノリティ グループ),③対象地域の住民代表,から構成されるべき旨を示した。いわゆ る「三脚方式(three-legged stool)」の採用である7)。 しかしながら,補助申請要綱の内容は具体性に欠けるところもあり,政策委 員会の員数や構成比率などについての精細な指針は示されなかった。64年経済
6)F. F. Piven and R. A. Cloward, Regulating the Poor; The Function of Public Welfare,2nd Edition, Vintage Books,1993,pp.304―305
公共領域と非政府主体(2) 71 機会法それ自体はきわめて包括的な条項から構成されているため,補助申請要 綱による具体的な規準を欠いては,コミュニティ活動事業の実務遂行は覚束無 いのだが,政策委員会のあり方に関しては,要綱レベルでも包括的な内容が維 持された。他方で,補助申請要綱は,住民代表の選出方法として,コミュニティ 内の組織や集団の話し合い,代表指名大会,投票などを指定し,これらを十全 に行うためには草の根の委員会や街区クラブの結成,そこでの選挙・請願・住 民投票,近隣住区リーダーないし潜在的なリーダーに対する広報送付,一般住 民に対する適切な情報提供などが必要であるとした。さらには,補助申請要綱 は,住民(個人であれ団体であれ)に対して,コミュニティ活動事業の計画策 定から実施に至るまでの手法に対して抗議し,追加提案を行い,ないしは修正 を加える機会が保障されるべき旨を強調した8)。 いわばアドボカシーの立場から,法にいう住民参加を実質的なものにせんと する意図がみられよう。しかし,そこには既に,公職者と住民の衝突を予感さ せるものがある。実際,両者間のコンフリクトから,「三脚方式」の瓦解へと 至るコミュニティ活動事業も出てくる。だが,そうした帰結を招いた事情は, 「三脚方式」の本来の趣旨から外れたものとは,必ずしもいえないものであっ た。どういうことか。 ケネディ大統領が組織した「貧困との戦い」関連政策立案のタスクフォース に参加し,後に経済機会局コミュニティ活動事業部門の要職に就いたワッ フォード(John G. Wofford)によれば,本来「三脚方式」の含意は,以下のよ うなものであった。すなわち,――コミュニティ活動機関は,①事業対象地域 の公職者の参加,②経済機会局の創設以前から貧困と戦ってきた民間の機関の 参加,そして③貧困者の代表の参加という3つの極を,コミュニティ活動事業 への支援の源にしなければならない。①に関していえば,コミュニティ活動事 業は,‘市の官僚機構’のものであってはならない。しかし官僚機構の効果的 な支援がなければ,当該事業は破綻するであろう。②に関していえば,コミュ ニティ活動事業は,単に保健福祉委員会や赤十字,セツルメントハウスの機能 8)大森前掲4),296頁
72 彦根論叢 第362号 平成18(2006)年9月 拡張であってはならない。しかし,これらの団体の適切な支援がなければ,コ ミュニティのなかで大きな領域を占め影響力を持つアクターが疎外されること になり,それらが蓄積してきた価値ある経験が無駄になろう。③に関していえ ば,コミュニティ活動事業は,貧困層によって支配されてはならない。しかし, 貧困層に重要な役割が与えられないならば,事業がまさに支援せんとしている 貧困層自身が,事業を見限るであろう。コミュニティ活動事業は,連邦政府の ものでもなく,州のものでもなく,市政府のものでもない。それは,保健福祉 委員会のものでもなく,産業界や労働界のものでもなく,貧困層のものでもな い。コミュニティ活動事業は,これらの単独のアクターが個々に担うものでは なく,これら諸アクターが結集して共同で担うものである。それこそが,コミュ ニティ活動事業なのである――というものである9)。 当事者の証言から,64年経済機会法の参加条項(「事業対象地域の住民,及 び事業対象団体の構成員の最大限可能な参加」)の本来の意図が,「貧困層の参 加」であったことが判明する。そして,この「貧困層の参加」は,経済機会局 の運営実務においては,補助申請受理・審査の条件として認識されていた。つ まり,実務のレベルでは,「最大限可能な参加」は,立法趣旨に忠実に「貧困 層の参加」に読み替えられていたのである。しかしながら,まさにこの「貧困 層の参加」こそが,各地のコミュニティ活動事業で問題を惹起することとなり, 66年と67年の修正における争点となっていく。 2.2 コミュニティ活動事業への逆風 それでは,雨後の筍よろしく大量に出現したコミュニティ活動機関は,どの ような事業を展開したのだろうか10)。今日に伝えられている事例には断片的
9)J. G. Wofford, The Politics of Local Responsibility: Administration of the Community Action Program―1964―1966, in James L. Sundquist ed., On Fighting Poverty, Basic Books,1969, p.77 10)ハルパーンは,コミュニティ活動機関が実施した事業を,地方主導の事業と連邦主導の
事業に大別する。ハルパーンのあげる前者の代表例は,近隣住区サービス,教育,保健福 祉,人的資源,住宅供給,社会福祉事業,及び経済開発に関わるものであり,これらで交 付補助金の40パーセントを占めたという。他方,交付補助金の50パーセントを占めたとさ れる後者については,ヘッドスタート事業(Head Start)の運営,地域医療センターの運営,!
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な記録が多く,一般化には注意を要するが,コミュニティ活動事業が貧困層の 動員と組織化を図り,福祉官僚制を中心とする市政府機構との敵対的状況に 陥ったケースが少なくないように思われる。たとえば,シカゴのケンウッド, オークランド両地区を活動拠点とする KOCO(Chicago’s Kenwood-Oakland
Com-munity Organization)は,貧困地域担当の福祉事業担当官やケースワーカーに よる給付基準に関する恣意的な判断(ここには,いわゆる「ストリートレベル の官僚制」の問題と「福祉植民地主義」の問題がある)に抗議して,貧困層や 福祉受給者層を組織化し,福祉当局と対立するに至る11)。この組織は,もと もと聖職者やソーシャルワーカーによって1966年に設立されたものであり,き わめて自覚的に市当局との対決姿勢を築いていったことが推しはかられるので ある。 ただし,こうした組織を厳密な意味でコミュニティ活動機関と呼んでよいの か,やや疑わしい。というのも,この組織が補助申請要綱にいう「地方政府, 学校教育,福祉行政機関などの公共機関」からの参加を得ているか不明瞭だか らである。そして,こうした組織も経済機会局による認定を受けて補助金を交 付されているところに,コミュニティ活動事業の運用における融通性の功罪が 現れる。 コミュニティ活動機関と市当局との対立が全国各地で散見され,また全国の 大都市で暴動が頻発したこともあり(これらの暴動とコミュニティ活動事業は 必ずしも同じ文脈から出てくるものではないのだが),65年6月には,全国市 長会議が,補助金交付のあり方につき経済機会局に対する非難決議を連邦議会 に上程した。非難決議の内容は,連邦政府からの補助金が地方政府に対抗する べく組織化された貧困層に流れ込んでいると指摘し,貧困層の「最大限可能な 参加」の強調こそが「階級闘争を助長している」と断じるものであった。とり わけ大都市の市長たちは,都市暴動の背景に,コミュニティ活動家によって統
家族計画事業,法律扶助などがあげられている。R. Halpern, Rebuilding the Inner City, Colum-bia University Press.1995,p.108
11)Piven and Cloward, op. cit., pp.296―300 !
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制・組織化された貧困層と,彼らによって支配されたコミュニティ活動機関の 存在を感得したものと思われる。
こうした動向を受けて,経済機会法は1966年と67年に修正される(Economic
Opportunity Act1966, Economic Opportunity Act of1967)。2次にわたる修正の詳
細については別稿にゆずり12),最低限の記述をしておく。 まず66年修正法では,コミュニティ活動事業の対象地域の定義に,「行政区 域や政治的区分にとらわれず」「近隣住区や,貧困との戦いに適した同質の地 域」が,新たに含まれた。旧法202条(a)では,コミュニティ活動事業の事業対 象地域の範域として,「州,大都市圏,カウンティ,市,タウン,広域市連合, ないし広域カウンティ連合」が規定されていたのだが,これに近隣住区(neigh-borhood)が加えられたのである(201条)。後に見るように,60年代後半から コミュニティコントロールの概念に基づく経済開発の単位として近隣住区が頻 繁に言及されるようになったのだが,このことと併せて考えると,66年修正法 における近隣住区の規定は興味深い。また,66年修正法では,事業対象地域外 からやって来た「コミュニティ活動家」によって政策委員会を掌握されたコミュ ニティ活動事業を新たに認可しないこと,かかる事業への既存の連邦補助を更 新しないことなどが規定された(203条)。 次に67年修正法では,コミュニティ活動機関の公式化が求められた。すなわ ち,コミュニティ活動機関に対して,州ないしは州の下部機関,もしくは双方 の結合したものであることが求められた。この定義に該当しない公私の非営利 組織に対しては,州や州の下部機関によって任じられ,コミュニティ活動事業 を計画し遂行する権力と権限を獲得することが求められた(210条(a))。州に よる指定という,いわば正統性の証明が,補助金獲得の要件となったのである。 さらに,上に見た KOCO のような民間非営利組織がコミュニティ活動機関 の一端を構成する場合は,新たにコミュニティ活動機関内部に,51名以下で構
成されるコミュニティ活動監理委員会(Community Action Governing Board)が 12)拙稿「アメリカ都市行政におけるコミュニティ自治に関する予備的考察」早稲田大学大
公共領域と非政府主体(2) 75 設置されることとなった。その構成比率は,①構成員の3分の1を公職者(首 長もしくはその代理人を含む),②構成員の少なくとも3分の1を民主的選出 手続きによって選ばれた貧困層代表,③残りを公職者,もしくは産業団体,労 働団体,宗教団体,社会福祉団体,教育団体ないしは事業対象地域内の主要な 団体,利益団体の代表とする,というものであった(211条(b))。 これらの修正を,どのように評価することができるだろうか。 第1に,2つの修正法の共通の目標が,コミュニティ活動機関を公職者,す なわち州政府ないし地方政府による監視と統御の下に置くことであったことは いうまでもなかろう。つまり,市政府当局との対決状況に陥ったコミュニティ 活動機関の急進的な勢力を制御することによって,機関のガバナンスと秩序の 維持回復を図ろうとしたのである。 次に指摘できることは,修正法において,近隣住区を単位とするコミュニティ 活動事業が正式に規定されたことである。近隣住区がコミュニティ活動事業の 対象範域として規定された背景には,事業対象地域の細分化により,コミュニ ティ活動家の関与する余地を狭めていこうとする政治的企図があったことは間 違いない。しかし,この規定は,そうした政治的思惑をはるかに超える意味を 持っていた。すなわち,コミュニティ活動事業の限界が明らかになりつつあっ た時期に,近隣住区が新たに事業の展開するエリアとして追加されたことは, やがてコミュニティ活動事業にとって代わる次代のコミュニティ開発が,近隣 住区を舞台として展開されるものであることを予告していたのではないか。あ るいは,既に胎動を始めていた,近隣住区を中心とするコミュニティ開発への 志向が,修正法における新規条項へと具体化したとも考えられる。いずれにし ても,近隣住区の前面化の時代が,目前に迫っていた。 2.3 コミュニティ開発法人の原型 ! 「コミュニティの経済開発」というミッション 今日,一連の経済機会法とコミュニティ活動事業に対する評価には,消極的 なものが多い。それは,立法者が暗黙のうちに目的としていた「貧困層自身の
76 彦根論叢 第362号 平成18(2006)年9月 参加による,貧困問題の緩和と解消」という課題が,十分に達成されなかった という認識に基づくものである。急進的な側面が前面化し,市当局との対立に 至った初期のコミュニティ活動機関に対しても幻滅があろうし,またその反動 としての修正法に対する困惑もあろう。 しかし,ペリー(Stewart E. Perry)によれば,コミュニティ活動機関に対す
る幻滅は,これに代わるべき新しい組織形態たるコミュニティ開発法人(Com-munity Development Corporation)と,それが体現する3つの原則を産み出した のであり,決して消極的な面ばかりではない。3つの原則とは,①活動組織は, 近隣住区(neighborhood)によって,かつ専ら近隣住区のみによって支配され るものでなくてはならない,②近隣住区の政治権力は,既存の経済機構の把持 と新しい経済機構の創出に具現される経済権力を必要とする,③近隣住区の政 治的,社会的,経済的地位の向上には,近隣住区の全ての能動的な主体が政治, 社会,経済の分野で協働し,連携することが必要である,というものである13)。 ペリーのいう3原則は,そもそもコミュニティ開発法人という新しい組織形 態を前提とする点,近隣住区という範域をその組織の基盤としている点で,ま ことに示唆に富む。というのも,彼の所論から,1970年代初頭には,「コミュ ニティの経済開発」の主体として,経済機会法下のコミュニティ活動機関に代 わる新しいアクターの登場が意識されていたことが判明するからだ。つまり, 「コミュニティの経済開発」の枠組の構想をめぐって,決して小さくない思潮 の変化が起こっていたことをうかがわせるのである。 ところで,「コミュニティの経済開発」なる概念を無前提に用いたが,これ は何を意味するのであろうか。同じくペリーによれば,「コミュニティの経済 開発とは,自らが立地し又は大きな影響を及ぼすであろう地域の住民によって 支配ないし所有される経済組織(より技術的に表現するならば経済機構)を創 出,あるいは強化することである。地域によって所有もしくは支配される経済 機構とは,共同出資会社(business firms),産業開発団地,住宅開発法人,信
13)S. E. Perry, National Policy and the Community Development Corporation, Law and
公共領域と非政府主体(2) 77 用組合,協同組合,そして最も広範に組織された指導的機関としてのコミュニ ティ開発法人を含むものである。」14)とされる。 ここでは,「コミュニティの経済開発」が,連邦政府の巨大な官僚機構に主 導されるものではなく,近隣住区を基礎とするいわゆるコミュニティコント ロールとほぼ同義のものとして認識されている。そして,何よりも興味深いの は,経済開発の組織的根拠が,コミュニティ開発法人をはじめとする民間企業 (private corporation)に求められていることである。民間企業とはいっても, 純粋な利潤追求主体としてのそれが構想されているのではない。ペリーにおい てあげられている組織の諸形態は,いずれもその活動の協同性と公共的側面を 指摘できるものばかりである。また,これらの組織は,いずれも経営資源の拠 出元として,連邦政府や州政府よりも,民間・市場に親和性を持つものである ことも重要である。 実のところ,「コミュニティの経済開発」の思想は,コミュニティ活動事業 の裡にもあった。むしろ,コミュニティ活動事業は,この思想を前面に打ち出 そうとするものであったと評価できるし,この思想こそが,貧困地域の経済的 自立のための基盤整備を目的とする連邦政府の介入根拠となったのである。経 済機会法には,事業対象地域が自らを経済的に開発するという課題が含まれて いたのであり,形式的には,そうした課題を遂行する力能を有すると認定され た主体が,事業に参加する機会を与えられたのである。しかし,こうした主体 のうちの少なくない部分は,その主張に含まれる急進性の故もあって,既存の 地方政府や支配的政治勢力との抜き差しならない対立状況に陥っていく。 その一方で,こうした混乱を生き抜き,次第に有力な組織へと成長していく ものもあった。これらの組織のなかからは,経済機会法が廃止され,コミュニ ティ活動事業の枠組がなくなった後も存続するものが出てきた。そしてこれこ そが,今日我々がコミュニティ開発法人と呼ぶものの原型である。すなわち, コミュニティ開発法人なるものは,経済機会法以前に無前提的に存在していた 14)S. E. Perry, Federal Support for CDCs: Some of the History and Issues of Community Control ,
78 彦根論叢 第362号 平成18(2006)年9月
のではなく,「機会を待ちつつ胚胎していた何ものか」が,コミュニティ活動
事業への関与を経て,60年代後半以降本格的に「コミュニティ開発法人なるも
のへと成長していった」ものではないか。ハルパーンは,コミュニティ開発事
業関連施策を主管する経済機会局が,「1960年代後期のコミュニティ開発法人
のムーブメントに深く関わった(became involved in the CDC movement in the late
1960s)」15)と説くが,これは上の認識に近いものと思われる。 では,「機会を待ちつつ胚胎していた何ものか」とは,一体何であろうか。 このことを考える上で示唆を与えてくれる組織がある。それは,経済機会法の 時代に,まさにこの法の登場を待っていたかのように顕在化してくる,コミュ ニティに存立基盤を置く組織である。ペリーはその形態を信用組合,協同組合 などに見出そうとしたが,これらはいずれもあまり広範囲ではない地理的範域 を存立の基盤とするものであろう。 また,「機会を待ちつつ胚胎していた何ものか」を,さらに広い射程で考え ることも可能である。それは,たとえば宗教的組織の形態をとることもあろう し,校区や選挙区を範囲とする住民組織の形態をとることもあろう。本章では, こうした組織の基礎となる「何ものか」を考察する具体的な手掛かりとして,
ECCO(the East Central Citizens Organization)を俎上にのせ,コミュニティの経 済開発の実例を考えてみる。
! コミュニティの経済開発:ECCO の事例
ECCOとは,後に「近隣住区政府論」(neighborhood government)を提起して,
地方政府論に一石を投じることになるコトラーがその主要メンバーとして創設 に関わった組織である。後のコミュニティ開発法人理論に少なからぬ影響を与 えた点でも,特筆すべき組織である。
長くなるが,コトラー自らの叙述にしたがって,1960年代後半当時の ECCO
の来歴と活動の履歴をみておこう。
公共領域と非政府主体(2) 79 ① ECCO の由来について ECCOは,約1平方マイルの面積と6,500人の住民を有する,オハイオ州 コロンバスの中心市街地に近い近隣住区(neighborhood)を範域とする。こ の近隣住区の住民は,アパラチア地方出身の少数の白人住民を除き大部分が 黒人であり,失業率も極めて高い。ECCO 創設前のそれは,実に25パーセン トに達していた(市全体の失業率の水準は2パーセントである)。現在も, 住民の25パーセントが社会福祉給付の対象であると推定されている。あらゆ る統計基準から見て,いわゆる貧困地域である。 ECCOが創設されたのは,1965年である。地域のルター派教会の信者の大 部分が郊外に移住したのに伴い,当時教会が運営していたセツルメントハウ スが近隣住区の運営下に置かれたのが,その発端であった。セツルメントハ ウスは,教会傘下の時代には,遅育児のための保育園,デイケア,個人学習 指導,ダンス教室,心療カウンセリング,親睦クラブ活動,緊急福祉サービ ス等々のサービスを行う地域奉仕部門を抱えていた。地域コミュニティの近 隣保全にとり,不可欠の部門であったといってよい。当時は,地域奉仕部門 が教会から年間2万5千ドル程度の後援資金を受けて,これらのサービスを 切り盛りしていた。教会時代から自発的にセツルメントの活動に参加してき た,あるいはそこで雇用されていた近隣住区民たちは,セツルメントの移管 を機に,近隣住区の住民を構成員とする法人を設立することで合意した。こ の法人こそが,ECCO である。ECCO は,教会傘下で諸々のサービスを住民 に提供してきた地域奉仕部門を傘下に置き,運営資金を自ら調達し,そして サービス提供を管理することとなった。 さて,地域の指導者層は住民に対して ECCO への勧誘を続け,ECCO の 憲章及び定款(charter and bylaws)を作成のうえ,経済機会局に対してコミュ ニティ活動事業補助金の交付を申請した。さらに ECCO は,経済機会局以 外の政府機関,及び民間の財源から資金供給を受けるための様々なプログラ ムを開発せねばならなかった。幸いにも ECCO はコミュニティ活動事業補
80 彦根論叢 第362号 平成18(2006)年9月 地域奉仕部門は,66年1月に非課税法人となる。以後,近隣住区民と旧教会 委員会の間で3ヶ月間にわたる暫定委員会が設けられた。同年4月には近隣 住区内で総会が開催され,21名からなる最高評議会の議員と議長の選出が行 われたのである。これをもって,セツルメントの有する権能は教会から完全 に分離され,ECCO に授権された。 ②評議会及び総会について 近年改定された定款によって,法人の領域すなわち近隣住区内に(within
the boundaries of the corporate territory)居住する16歳以上の者は,誰でも ECCO の会員となることができる。最高評議会の議員及び議長の選出,規約策定, 事業計画,予算案策定などに関する権限は,会員総会に属する。会員総会の 定足数は,会員の10パーセントであり,過去3年の間に9回ほど召集されて いる。最高評議会の構成員は,現在30名であり,会員総会での選出と4つの 近隣住区クラブ(これは近隣住区を4つに区分したものである)からの選出 を経て構成される。 ③事業の内容について ECCOの最新の単年度予算は,約203,000ドルであり,その大部分が経済 機会局からの補助金である。最新年度の主要事業には,青少年センターでの 非行防止プログラム,教育プログラム,レクリエーション事業,職業斡旋, 職業訓練等がある。これらは,保健教育福祉省の青少年非行防止局(Office of Juvenile Delinquency)からの補助金を受けて行われてきた事業である。 ECCOの提供するその他の事業には,遅育児保育,デイケア,成人教育といっ たセツルメントハウス時代以来の地域サービスがあるが,ECCO はさらに近 隣住区内の公立学校への,地域による管理・運営を強く志向している。 住宅分野においては,住宅を買収し,これを改築し市の住宅公社に貸付を 行っている。医療分野においては,市の公衆衛生局との共同プログラムを展 開し,終日保健クリニックや夜間医療サービスを開発した。経済開発の領域 においては,信用組合を立ち上げ,スーパーマーケット開店計画を練ってき た。さらに,中小企業庁と緊密に連携し,地域内の零細企業に対する融資を
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行っている16)。
なお,コトラー自身は紹介していないのだが,ECCO はベンチャーへの投資 と育成を行う投資会社(ECCO Enterprises, Inc.)を立ち上げ,政府補助金以外
の資金源の確保を試みている17)。 ! 近隣住区の強調,役割の包括性,意思決定の正統性への指向 さて,ECCO の事例から,我々はどのような含意を汲み取ることができるで あろうか。ここで主に用いた資料は,当該法人の創設に当事者として関わった 人物の手によるものだけに,客観性に欠けるきらいもあるかもしれない。しか し,当事者が自ら創設の作業に加わった制度をどう評価しているかは,それ自 体有用な証言ともいえよう。こうしたことを前提にして,さしあたり以下のよ うに述べることができよう。 先ず確認できることは,ECCO が近隣住区を範域とし,その住民を構成員と する法人として,自らの存立を主張していることである。コトラーが自らの「近 隣住区政府論」の根拠づけのために ECCO の事例を援用したことも考えられ るが,同じ時代に経済機会法修正をめぐる動向のなかで,近隣住区という範域 がクローズアップされたことは偶然ではない。実際,60年代後半以降出現して くるコミュニティ開発法人は,狭域における活動を強調するようになるからだ。 その意味で,ECCO は確かに60年代後半からの趨勢を予告するものであった。 対象地域としての近隣住区の強調が,コミュニティ開発法人の趨勢にいかなる 影響を及ぼしていくのかが,これ以降のコミュニティ開発法人のあり方を考え る上で,忘れてはならない論点の1つとなるだろう。たとえば,都市計画策定 過程になんらかの影響力を行使しようとするコミュニティ開発法人にとり,自 らが拠って立つ地理的範域のあり方は,決定的に重要なはずである。 次は,ECCO が展開する事業の多様さと機能の包括性である。ECCO の事業 16)M. Kotler, Neighborhood Government: The Local Foundations of Political Life, Lexington
Books,2005,pp.44―48
17)N. J. Ackerman and L. H. Sharf, NOTES: Community Development Corporations: Operations and Financing, Harvard Law Review, Vol.81,pp.1574―1575
82 彦根論叢 第362号 平成18(2006)年9月 は,教育や福祉,医療等々に関連の深い社会開発的な項目が多く,当該分野に 関して網羅的な広がりを有しているといってもよい。これらは,人が自らの生 活を築いていく上で必須のものである一方,市場での調達・購入が必ずしも適 切ではない分野である。したがって,本来は,いずれかのレベルの政府が担っ て然るべき政策領域なのである。それがかなわない場合に,非政府主体がこれ らの事業の遂行を担うことには,きわめて公共的な意義がある。ECCO がかよ うに多様な機能を担うのは,その傘下にあるセツルメントハウスが,地域奉仕 部門を通じてコミュニティに深く関わってきたからに他ならない。セツルメン トのコミュニティに対する奉仕は,市場経済原理によって駆動される社会で, 市場でのサービス購入も政府による救援も期待できない人々が生き抜くために 不可欠の社会協同的支援を提供してきたと思われる。ECCO は,近隣住区の住 民を会員とし,多彩な社会協同的支援の提供を制度化しようと試みたのである。 さらに,他の典型的なコミュニティ活動機関と比較して ECCO を特徴づけ ているのは,前者がしばしば没却されがちな貧困層の権利保障を訴えて地方政 府や福祉当局と衝突するのに対して,後者は,政府機構との協力関係を積極的 に築こうとしている点である。66年と67年の修正の要因が,コミュニティ活動 事業の運営における市政府と貧困層及びそのアドボケートのコンフリクトに発 していたことに鑑みると,ECCO の画期的な意義が了解されよう。ECCO にお いては,市政府や福祉当局との対抗関係に立つのではなく,自らを近隣住区を 代表する政府として位置づけ,市政府と対等の関係に立とうとする志向さえも 見て取れるのである18)。ただし,この点は,新しい「コミュニティの経済開 18)この点は,コトラーの「近隣住区政府論」と深く関わる。コトラー「近隣住区政府論」 は,近隣住区を領域とする「近隣住区政府」を措定し,これを市政府と対等の地方政府と して位置づけ,市政府が現有する権限のうちの一定の部分をこれに移譲するべきとする議 論である。移譲されるべき権限には,課税権も含まれる。コトラーにとり,ECCO をはじ めとする「近隣住区法人(neighborhood corporation)」は,「近隣住区政府」を構想し,そ れを実現するための経路を描くキャンバスとしての意味を持っていた。「近隣住区政府論」 の背景には,かつて大都市が誕生する以前は,今日言うところの近隣住区が最小の統治機 構であり,人々にとって最も基本的な政府であったという認識がある。この歴史認識は, われわれ外国人にとっても,トクヴィルの伝えるタウンミーティングのイメージによって 補完され,受け容れやすいものであろう。
公共領域と非政府主体(2) 83 発」の特徴というよりは,ECCO の,否,コトラーの主張の際立った側面とい うべきであるが。 また,ECCO は,政治参加手続きの充実という点で際立った特色を持つ。近 隣住区という地理的範囲の内に居住する16歳以上の者は誰でも会員となること ができ,また法人としての決定手続きへの参加についても,簡潔でわかりやす い筋道が用意されている。意思形成手続きを整え,近隣住区を代表する正統な 意思を形成しようとする志向は明瞭である19)。 19)会員となる資格を持つ住民が8,000人から10,000人程度おり,実際に会員となっている ものが1,200人程度である。これに対して,総会での議事や選挙手続きに参加している者 は,200人から450人ほどである。したがって,総会への出席率は,お世辞にも高いとはい えない。Ackerman and Sharf, op. cit., p.1575