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20世紀末の移行経済 : 経済体制論的考察

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20世紀末 の移行経済

一経済体制論的考察一

I `よ じ め に 本稿 の 目的は今世紀末 の移行経済 ( t r a n s 止l o n e c o n o m y ) を経済体制論 の角度 か ら考察することにある。移行経済はある経済体制か ら他の経済体制への移行 過程 に登場す る経済であ り, 過 渡期の経済である。 世紀末の今か ら振 り返 ると,20世 紀 は経済体制移行の時代であったことが分 かる。20世紀前半は資本主義か ら社会主義への移行の時代であ り,1990年代 は 社会主義か ら資本主義へ の移行 の時代 である。移行経済が三度あったことにな る。20世紀前半の移行経済の存続期 間は比較的短い ものであった。 ソ運が管理 社会主義の建設 を完了 したのは1930年代半 ばである。 ロシア革命か らお よそ20 年が経過 しているが, こ の期 間に移行経済が登場 し, 戦 時共産主義 とネ ップの 実験が行 われた。東欧諸 国は1 9 4 0 年代後半か ら1 9 5 0 年代前半 にかけて移行経済 を経験 した。移行経済の存続期間は どの国で もきわめて短かった。 どの国 もソ 連 の管理社会主義 を手本 に し, そ れ を模倣 したか らである。た とえばチェコス ロヴァキアでは共産主義革命が起 こり,国 有化が布告 されてか ら5年 後の1953 年 にはすで に管理社会主義の フレームワークが制度化 されている。他の国で も 事情 はほぼ同 じであつた。 世紀末の移行経済は東欧革命 とともに始 まった。以来 8年 が経過 したが,現 時点で見 る と,そ の状況 は国ごとに違 っている。 ドイツの東部地域 (旧東 ドイ ツ)と チェコ共和 国はすでに移行経済の段階を通過 して資本主義の圏内に入 つ た と言 えるだろう。 これに次 ぐのはハ ンガリー,ポ ーラン ド,ス ロヴァキア共 浩 敏 田 福

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和 国お よびス ロ ヴ手ニ アであ る。 これ らの国の移行経済 は最終局面 にあ る。残 りの東欧諸 国や ロシアは当分 の間移行経 済 に留 まるであろ う。 以下では,世 紀末の移行経済はどのような個性をもっているか, という問い に筆者なりの答えを出す作業を行ってみたい。 Ⅱ 世紀末移行経済 移行経済はある経済体制か ら他の異質の経済体制への移行の時期 に,つ ま り 体制間移行 の時期 に現れる。移行経済は先行の経済体制の下向運動 と新興の経 済体制の上向運動が クロスす る時期 の経済である。 このような経済は経済体制 論 の立場 か らは どの ように捉 えられるだろうか。筆者の結論 を先取 りすると, 移行経済は意味的にも機能的にも内に対立 を含む不安定な経済 とい うことにな る。筆者の考 えを敷行 してみ よう。 1.体 制内移行 と体制間移行 筆者の経済体制論 は 「所有,相 互 ・上下調整の三元論」であると経済体制は 基 本 的 に所 有 方 式 , 需 給 の 相 互 調 整 方 式 お よ び需 給 の 上 下 調 整 方 式 (国家の経済への干渉方式)か ら構成 されるとする説である。 これ ら三つの構成 要素の うち筆者が もっとも重視 して きたのは所有方式である。所有方式 は経済 体制の上台 を成す。所有方式は私有 と公有 に大別 される。筆者は私有 を土台 と する経済体制 を資本主義,公 有 を土台 とする経済体制 を社会主義 と捉 えて きた。 資本主義は1930年代 に質的に変化 した。それは上下調整方式の変化の形 をとっ た。世界大恐慌 を直接 の きっかけ としてそれまでの 自由放任が誘導へ と転換 し た。それに伴 い私有,市 場経済,自 由放任か ら成 る自由資本主義 は私有,市 場 経済,誘 導か ら成 る誘導資本主義 に移行 した (体制内移行)。 1930年代半 ばにソ連で完成 した管理社会主義は国有,中 央管理経済お よび指 令 の組み合わせか ら成 り立 っていた。1950年代初頭 にはユーゴスラヴイアが, 1960年代末 にはハ ンガリーが管理社会主義か ら市場社会主義への移行 を開始 し た (体制内移行)。 ユーゴス ラヴイアの市場社会主義 は社会有,市 場経済お よ 1)福 田 〔5〕 第6章 を参照されたい。

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2 0 世紀末の移行経済 3 び誘導 か ら,ハ ンガ リーの市場社 会主義 は国有 ,市 場経済お よび誘導 か ら構成 され てい た。 1 9 8 0 年代 末 までの東西諸 国 には管理社 会主義 ,市 場社会主義 お よび誘導資本 主義 が存在 していた。 この ような体 制構 図 は東 欧革命 に よって一変 した。 それ を契機 に管理社 会主義 の国 も市場社 会主義 の国 も一斉 に誘導資本主義の制度化 の に乗 り出 した (体制 問移行 )。 厳密 に考 える と,移 行経済は体制内移行の さいにも出現する。資本主義 につ いて言 うと,イ ギ リスやアメリカで 自由資本主義が誘導資本主義 に転換するま で にお よそ60年かかっている。1870年代か ら1930年代 に至る期間であるが,こ 働 れ は通常干渉主義 (Interventionismus)と呼 ばれてい る。経済 に対 しては不干 渉 を原則 に していた政府 も,1870年 代 になる と,景 気変動 に対処するために自 国経済への干渉 を余儀 な くされた。当時の干渉方式 は事後的 ・局所的であった。 この干渉主義の時代 は移行経済 と言えるが,そ れは上下調整方式の レベルに限 定 された ものであった とい うことに注意 しておかねばならない。干渉主義は自 由放任 か ら事前 的 ・総合的国家干渉 を内容 とす る誘導方式への過渡期 に出現 し た上下調整方式であった。 ユ ー ゴスラヴイアお よびハ ンガリーにおける管理社会主義か ら市場社会主義 への移行 にさい しても移行経済が登場 したが,そ の存続期間はきわめて短か く, 瞬間的 と言 って よいほ どであった。両国 とも管理社会主義の柱 を成 した中央管 理経済 と指令方式 を短時間の うちにスクラップ し,間 をお くことな しに市場経 済 と誘導の制度化 に着手 したか らである。 経済体制論的 に見 て重要 なのは,社 会主義か ら資本主義への移行の ような体 制 間移行 にさい して登場する移行経済の方である。以下ではこの ような移行経 済 に限定 して考察 を進めることに したい。 2 ) 詳 しくは福田 〔7〕第3章 を参照されたい。 3 ) 干 渉主義については次の箇所を参照されたい。E u c k e n 〔4 〕S . 2 7 - 2 8 , 邦訳p.41,Kung 〔1 3 〕,野尻 〔1 4 〕p.21.

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2 . ゾ ンバ ル ト説 体制間移行のさいに出現する移行経済についてユニークな説を打ち出したの 4 ) は, ドイツ経済学の泰斗 ゾンバル ト (Werner sOmba止,1863-1941)であうた。 ゾ ンバ ル トによれば歴史 に登場 した経済体制 はどれ も初期 (Frdhepoche), 高度期 (Hochepoche),後期 (Spatepoche)を通過 して きた。 どの経済体制 も 先行 の経済体制の中で発生 し,成 長する。 この時期が初期である。それを経て その経済体制が もっとも純粋 な形 をとるのが高度期である。つ ま り,そ の経済 体制 を構成す る諸要素が意味 的 に矛盾 な く結合 した様式純粋期 (stilreine Zeit) である。高度期 を通過すると後期 を迎 える。つ まり衰退期 に入 る。 この時期 に は次の新 しい経済体制が登場する。 この意味で後期 は次の経済体制の初期 にあ たる。 初期 と後期 は新 旧の経済体制が重 な り合 う移行経済の時期 とい うことになる 5 ) が ,ゾ ンバ ル トはそれ を様 式 混合期 (stilgettischte Zeit)と呼 んだ。意 味 的 に 矛 盾 対 立 す る諸 要 素 が 交 じ り合 っ て い る時期 で あ る。 この こ とか ら して一 ゾンバ ル トが明言 しているわけではないが一 移行経 済 は不安定 にな らざる をえな くな る。 ゾンバル トは歴史に登場 した経済体制を発生順に自給経済 (Eigenwirtscha■),手 工 業 (Handwerk),資本主義 (Kapitalismus)の三つに類型化 した。資本主義に至るまで 移行経済が三度登場 したことになる。手工業から資本主義への移行 を例にとって移行期 の意味的不調和 について筆者なりの解釈 を示 しておこう(ゾンバル トは何 も述べていな い)。 ゾ ンバル トが経済体制の構成要素の うち もっとも重視 したのは精神 (Geist)で ある。 ゾ ンバ ル トはその精神 を三つ に分 けた。 リッチュル (H.Ritschl)の 解釈 に従 えば1経 済の精神 ,技 術の精神,社 会の精神である。手工業 と資本主義 について三つの精神 を示 す と次表の ようになるも ゾンバル ト説の細 目については福田 〔5〕 第 3章 および福田 〔8〕 を参照されたい。 Sottbart[17]S,30. Ritschi〔16〕S.152-158.

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20世紀末の移行経済 経済の精神 技術 の精神 社会の精神 手 工 業 欲 求 充 当 原 則 伝 統 主 義 連 帯 主 義 資 本 主 義 無 限 獲 得 原 則 合 理 主 義 個 人 主 義 手工業と資本主義は三つの精神のレベルで対立している。つまり,欲 求充当原則対無 限獲得原則,伝 統主義対合理主義,連 帯主義対個人主義という形をとっている。手工業 から資本主義への移行過程で登場する移行経済では,こ れら三対のものが混在すること になる。 経 済の精神のレベルでも,技 術の精神のレベルでも,社 会の精神のレベルで も意味的な不調和が現れる。意味的に対立する要素をうちに含む移行経済は不安定にな らざるをえない。 ゾ ンバ ル トの論理か らすれば体制的安定性 は意味適合性 (Sinnadaquanz)の 要件 を満 たさなければならない。 この要件 を満た しうるのは高度期である。意 味的 に統一の とれた様式純粋期 だか らである。 高度期 の安定 ・移行期 の不安定 とい うのが ゾンバル トの論理か ら演繹 される 結論 である。高度期 の経済体制の構成諸要素の結 びつ き― たとえば上表の資本 主義 (つまり高度資本主義)の無限獲得原則,合 理主義;個 人主義の組み合わせ― は, 意味的に親和性の高い 「強い結合」である。それゆえ安定的である。これに対 し,移 行経済の構成諸要素は意味的に親和性の きわめて低い 「弱い結ざ告であ る。それゆえ不安定である。 意味の調和 ・意味の不調和 とい うゾンバル ト流の視点は,移 行経済の研究に とつてばか りでな く,経 済体制変動論 にとって も貴重である。 この視点か ら歴 史 に登場 した経済体制 を動的に認識するパ ラダイムが用意 されたか らである。 7)Weippert〔18〕S.52,54,57.

8)弱 い結合 (weak linkage)および強い結合 (strOng linkage)の言葉その ものはコルナイ か ら借用 した。ついでに言ってお くとコルナイがこれらのタームにどのような意味を込め ているか判然 としないが,筆者の解釈では「意味連関」を意識 しているように思われる。 K o r n a i 〔1 1 〕p.45.

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ゾ ンバ ル ト説 には限界 もあ る。効率 を基準 に した機 能運 関の視 点が ないので あ る。経済体 制 の認識 , と りわけその変動 の認識 に とつてはぜ ひ とも経 済体制 の構成諸要素 の組 み合 わせ を機 能の面 か ら捉 える ことが必 要であ る。 3 . 意 味連 関 と機 能連 関 この世紀 末 の移行経 済 を認識す るには,ま ず,ソ 連 。東欧社会主義 の崩壊 の 原 因 を突 き止 め てお かね ば な らない。筆者 はかねて よ りその根本 の原 因は管理 9 ) 社会主義お よび市場社会主義の基本構造 にあると考 えて きた。 管理社会主義は国有,中 央管理経済,指 令の組み合わせか ら成 り立っていた。 意味連関の面か ら見 ると,こ の組み合 わせは親和性の高い 「強い結合」であっ た。国有 も中央管理経済 も指令 も国家主義のイデオロギーに貫かれていたか ら である。生産手段の国有制は国家中心の経済運営 を可能にする土台であった し, 中央管理経済は国家官僚 による需給の調整方式であった し,指 令 は国家の経済 計画 を実現す る手段であった。 これ ら三つの構成要素は国家主義で強固に結 び つけ られていた。 管理社会主義 は,機 能連関の面か ら見 る と,「弱い結合」であった。それぞ れが機能的に重大 な欠陥 を含んでいた三つの構成要素が組み合わされたか らで ある。国有 は国有企業の予算制約 をソフ トに し,中 央管理経済は需要把握の精 度が低か ったために需給のアンバ ランスを招 き,指 令 は国有企業 にレン トシー キ ングの行動 をとらせ,量 至上主義の行動 を強要 して低品質 とイノベーシ ョン の停滞 をもた らした。 この ような三つの要素がセ ッ トになったことでマイナス の相乗効果が働 き,管 理社会主義 は低効率 トラップに落ちたのである。 「意味的に強い結合,機 能的に弱い結合」が管理社会主義の体制的個性であっ た。 ソ連,東 ドイツ,ル ーマニア,ブ ルガリアなどの国で40年以上 も管理社会 主義が存続 しえたのは,そ れが意味的に強い結合であったか らである。 しか し, 意味的に強い結合 も,時 間が経つにつれて,機 能的に弱い結合か らくる経済の 停滞によって徐 々にブ レークされ,つ いには管理社会主義が倒壊するに至 った。 ハ ンガ リーの市場社会主義 は国有,市 場経済,誘 導か ら成 り立 っていたが, 9)詳 しくは福田[7]第 6章 および福田 〔8〕 を参照されたい。

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2 0 世紀末の移行経済 7 この組 み合 わせ は意味連 関の面 で も機 能連 関の面 で も弱 い結合であった。意味 的 に見 る と,国 有 は国家主義 の世界 であ り,市 場経 済お よび誘導 は個 人主義 の 世界 で あ る。 国家主義 と個 人主義 は意味 的 に対 立す る。機 能的 に見 る と,国 有 は市場経 済 を阻害 した。筆者 は これ を 「国有 の ブ レーキ効果」 と呼 んで きたと 国有 を温存 したばか りに国有企業 の ソフ トな予算制約 の問題 が解決 され なか っ た こ と,官 僚 が市場へ の参入 と退 出 を規制 したため に企 業 間 に競争が ほ とん ど な く 「悪貨 を駆逐する」 とい う市場の選別機能が阻害 され,イ ノベーシ ョンも 停滞 した ことな どが ブ レーキ効果の実例である。「意味的にも機能的にも弱い 結合」であったがゆえにハ ンガリーの市場社会主義は体制的安定性 を欠 き,崩 壊 したのである。ユ ーゴス ラヴイアの市場社会主義 も同様であつた。 4.世 紀末移行経済の個性 1990年代 になると,管 理社会主義の国 も市場社会主義の国 も誘導資本主義ヘ の移行 に乗 り出 した。管理社会主義か ら誘導資本主義への移行 は ドラステイッ クであった。管理社会主義の基本構造の全面的組み替 えがめざされたか らであ る。つ まり国有,中 央管理経済,指 令のセ ッ トから私有,市 場経済,誘 導のセッ トヘ の組み替 えである。 これによって意味連関 も機能連関 も全面的に刷新 され ることになった。意味的には国家主義か ら個人主義への転換であ り,機 能的に は低効率セ ッ トか ら高効率セ ッ トヘの転換である。 市場社会主義か ら誘導資本主義への移行 は管理社会主義か ら誘導資本主義ヘ の移行 ほど ドラステイックではなかった。ハ ンガ リーでは所有方式だけを転換 すればよかった。誘導資本主義の柱 を成す市場経済 と誘導のフレームワークは ,1968年 か ら1989年までの市場社会主義の時代 に制度化 されていたか らである。 「1990年の政治的解放の時点で市場経済の発展 にとって多 くの事柄が半分用意 1 1 ) されていた」 ( コルナイ) の である。残 されていたのは国有か ら私有への転換 であったが, こ れも市場社会主義の時代にすでに着手されていた。1980年代前 半には従業員3 0 人以下の私企業が登場 していた し, 1 9 8 0 年代末には従業員5 0 0 1 0 ) 福田 〔6 〕p p . 8 7 , 9 0 . 11)Kornai〔12〕p.150.

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人以下の私企業が公認 された り,国 有企業の 自発的私有化が実施 された りして いた。加 えて,1980年代後半 には先進資本主義諸国の私企業の子会社の誘致や 合弁企業の設立が積極的に推進 された。ハ ンガ リー政府 は,体 制移行 にあたっ て,現 存国有企業の私有化 に精力 を集 中するだけで よかつたのである。 この ように見て くると,ハ ンガリーにおける市場社会主義の時代 は管理社会 主義か ら誘導資本主義への移行期であったことが分かる。つ ま り市場社会主義 は移行経済であったことになる。1990年以降,私 有化の本格化で社会主義か ら の離脱が図 られ,現 象的には体制間移行が開始 されたことになるが,厳 密 に考 えると,そ れはすでに市場社会主義の時代 に始 まっていたのである。 この ような筆者の見方が正 しい とすれば,移 行経済の体制的個性 はあ らかた ハ ンガ リーの市場社会主義 に表れていたことになる。再度述べておけば「意味 的 にも機能的にも弱い結合」であ り,そ れゆえ不安定 な経済である。 管理社会主義か ら誘導資本主義への過渡期 に登場す る移行経済では,論 理的 かつ抽象的に考 えると,所 有方式 については国有 と私有,相 互調整方式 につい ては中央管理経済 と市場経済,上 下調整方式 については指令 と誘導が混在する。 三つの レベルでの組み合わせはそれぞれ意味的にも機能的にも矛盾対立する。 この ような移行経済は不安定 どころかカオスに陥 らざるをえないであろう。 この ような事態 はさいわい現実 には生 じなかった。た とえば東 ドイツの政府 に して もチ ェコス ロヴァキアの政府 に して も体制移行の開始 とともに中央管理 経済 と指令 をただちにス クラ ップ し,EU(と くに西 ドイツ)を 手本 に して市 場経済 と誘導のフレームワークを比較的短期 間に制度化 したか らである。問題 は所有方式の転換であつた。東 ドイツには約8500,チ ェコスロヴァキアには約 6000の国有企業があった。 これ らを一夜 に して私有化するのは不可能であつ た が,両 国政府 は可及的速やかに私有化 を完了する戦略 を採 った。東 ドイツでは 信託庁が主 として私人への直売の方法で,チ ェコスロヴァキアでは共和 国国家 資産管理 ・私有化省が主 としてバ ウチ ャー方式で国有企業の所有権移転 を実施 した。その結果,予 定 していた私有化 は,東 ドイツでは1994年末 に,1993年 に 独立 したチ ェコ共和 国では1996年半 ばに完了 した。両国は形式的には移行経済

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2 0 世紀末 の移行 経 済 9 1 2 ) の段階 を通過 し,誘 導資本主義への移行 を完了 したことになる。ポーラン ドす ハ ンガリー,ス ロヴァキア共和国は現在,私 有化の最終局面にある。そのほか の旧管理社会主義諸国での私有化 は全般 に後れてお り,こ れ らの国は当面は移 行経済 に留 まらざるをえないであろう。 旧管理社会主義諸国における移行経済は,国 ごとに存続期間に違いがあるも のの,国 有 と私有の混合,市 場経済,誘 導の組み合わせである。 ロシアやバル カ ン諸国では,市 場経済 と誘導は中欧諸国 (東ドイツ,ポ ーランド,チ ェコ,ス ロヴァキア,ハ ンガリー,ス ロヴェエア)ほ どはっきりした輪郭 をもっていると は言 えないが,少 な くとも中央管理経済 と指令がスクラップされたのは事実で ある。国有 と私有の混合 は,時 間の経過 とともに,国 有優位か ら私有優位 に動 いて きた。国有優位 の段階つ ま り移行経済のファース ト・ステージには市場社 会主義が出現する。それはハ ンガリー型 に分類で きるが,ハ ンガリーに実際に 存在 した市場社会主義 ほどはっきりした輪郭 をもつ ものではない。国有方式が 固定 しているのではな く,減 少運動 に晒 されるために,ま た市場経済 も誘導 も まだ揺釜期 にあるためにシステム全体が揺 らいでいるか らである。 この段階が もっ とも不安定である。私有化が進行 し,私 有が優勢 になるにつれて不安定度 は減少 し,移 行経済はセカン ド ・ステージを迎 える。 この段階では私有,市 場 経済お よび誘導の結合が実現 し,誘 導資本主義が成立する。ただ し,そ れはま だ形式的であって内実 を備 えていない。体制的不安定は しばらく続 くであろう。 現在,移 行経済のセカン ド・ステージにあるのは東 ドイツとチェコ共和国である。 田 世紀末体制移行の特質 1 9 9 0 年代 の体制移行 は過去の体制移行 に比べて どの ような個性 をもっている 1 3 ) だろうか。政治面をも視野に入れて整理 してみよう。 1.東 欧革命 20世紀は体制間移行 を三度経験 した。世紀前半の資本主義から社会主義への 1 2 ) 福田 〔9〕 をも参照されたい。 1 3 ) 福田 〔1 0 〕をも参照されたい。

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移行 と世紀末の社会主義か ら資本主義への移行である。 三度の体制移行 に共通するのは移行 に先立 って異常事態が発生 していること である。戦争 と革命である。 ソ連 における社会主義への移行 には第 1次 大戦 と ロシア革命が先行 し,東 欧・中国・北朝鮮 ・北ベ トナムの場合 には第 2 次 大戦 と 共産主義革命が先 にあつた。世紀末の体制移行 には東欧革命が先行 したと共産 主義革命 は軍事的・暴力的性質 を帯 びていたが,東 欧革命 は,ル ーマエアで流 血事件があつた とはいえ,総 じて非軍事的り卜暴力的性質を帯びている。 東欧革命は伝統的な革命のカテゴリーに分類できないような個性をもってい る。支配層であるノメンクラ トウーラを打倒 しようとする反体制派の革命集団 や前衛は存在 しなかったし,革 命イデオロギーや理想社会に関するブループリ ントもなかったからである。東欧革命 を担つたのは主 として共産党の改革派エ 1 4 ) リー トやテクノクラー トであつた。共産党の トップエ リー トが体制移行のイエ シアチブをとったケース さえある。ハ ンガリーでは社会主義労働者党のエエル シュ ( R . N すe r s ) 党首の指導の もとに一党独裁の放葉が決定 され, ソ 連では共 産党の ゴルバチ ョフ ( M . G o r b a c h e v ) 書記長 によって一党独裁 に終止符が打 た れ, 複 数政党制が導入 されたのである。専門家の中にはこの ような事実 をもと に して , 東 欧 革 命 は 政 治 革 命 ( p d 北たれ r e v O l u d O n ) では な く体 制 革 命 1 5 ) (systemたrevdudon)で ある, と規定する者 もいる。 東欧革命 は政治体制や経済体制の転換 ばか りでな く,領 上の再編 をももた ら した。 ソ連は15の国に,ユ ーゴスラヴイアは五つの国に分裂 した。チェコスロ ヴァキア も1993年 1月 1日 に 「ビロー ド離婚」(velvet divorce)によってチェコ 共和 国 とスロヴアキア共和国に分かれた。 このような分裂運動が支配的な中に あってひとり東 ドイツのみは統合の道 を選択 し,1990年 10月 3日 に西 ドイツと 合併 した (より正確には西 ドイツに吸収合併 された)。 2.上 か らの体制移行 今世紀の体制移行 を指導 したのは革命 によって成立 した新政権であつた。社 14)ポーランドでは自主管理労働組合 「連帯」に結集した労働者も大きな役割を演じた。 1 5 ) E l s t e r , e t a l . 〔3 〕p . 4 9 . 1 6 ) E l s t e r , e t a l . [ 3 ] p . 8 .

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2 0 世紀末の移行経済 11 会主義への移行 を担 ったのは共産党政権であ り,資 本主義への移行 を指導 して きたのは非共産党政権である。 経済体制の移行 は政治体制の転換 を待 って行 われた。社会主義への移行 には 共産党独裁 とい うオー トクラシーの成立が先行 した。 この意味でH a u t o c r a c y n ― r s t , s o c i a l i s m l a t e r Ⅲであった。現在進行 中の資本主義へ の移行 には西欧型議会 制民主主義 とい うデモクラシーの成立が先行 した。‖d e m O c r a c y n r s t , c a p i t a l i s m 1 7 ) lateゴと言 える。 オー トクラシーの もとで実施 された社会主義への移行戦略はラデイカリズム であった。共産党独裁国家の強圧的な権力によって資本主義 を暴力的にスクラッ プ し,社 会主義のフレームワークを人工的に制度化するとい う戦略である。 ソ 連 の場合 には手本 とすべ き社会主義のモデルが現存 していなかったために試行 錯誤 を余儀 な くされ,管 理社会主義の制度化完了 までにほ↓影0年が費やされた。 この間,戦 時共産主義 とネップの実験が行われた。後発の東欧諸国の場合 には, ソ連の管理社会主義がモデル として与 えられたために,社 会主義 は比較的短期 間に制度化 された。 た とえば,前 述の ように,チ ェコスロヴァキアでは共産党 の政権奪取か ら5年 後の1953年には早 くも管理社会主義のフレームワークが制 度化 されていた。 デモクラシーの もとで現在進行 しつつある体制移行戦略はラデ イカリズム と グラデユアリズムに分けられる。前者 を選択 したのは東 ドイツ,チ ェコスロヴァ キア,ポ ーラン ド,ロ シアなどである。ハ ンガ リータルーマニア,ブ ルガ リア はグラデュアリズムを選択 した。 ラデ イカリズム とグラデュアリズム とを問わ ず どの国で も資本主義への移行 は政府の主導で行 われて きた。前述 したように, ラデ イカ リズム を選択 した東 ドイツ とチェコ共和 国は,い ずれ もEUの 誘導資 本主義 をめ ざ してラデ イカルな私有化政策 を実施 したために,そ れぞれ1994年 末 と1996年の年央 に管理社会主義のスクラップを完了 した。両国は過去 に もラ デ ィカルな体制移行 を実施 した経験 をもつ。つ ま り,1940年 代後半か ら1950年 代初頭 にかけてソ連 を手本 に し,ラ デイカルな国有化 を実施 して管理社会主義 17)BalcerOwicz〔1〕p。146.

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を制度化 した。両 国の二度 にわたる体制移行 は,め ざすべ き経済体制 のモデル が与 え られた中で ラデ イカル な所有転換 を一気 に行 うと,比 較 的短期 間 に,か つ比較 的順調 に経済体 制が転換 す る,と い うことを教 えている。 3.理 想 な しの体制移行 世紀末の体制移行 を世紀前半の体制移行 に対比 させると,一 つの重要な違い が浮かび上が って くる。今世紀前半の社会主義への体制移行 には出発の時点で 共産主義社会の実現 とい う理想があった。社会主義 は理想実現の第一歩 と位置 づ け られた。 この意味で世紀前半の体制移行 は前向 きの能動的な性質をもって いた。 これに対 し,世 紀末の体制移行 には共産主義 に匹敵するような理想は存 在 しなかった。現在 の体制移行 は低効率 に追い立て られて余儀 な くされた もの であ り,こ の意味で受動的な性質 を帯びている。管理社会主義 も市場社会主義 も低効率 トラップか ら抜 け出せず に挫折 した。 ソ連 ・東欧諸 国に残 されていた 経済回復 のための選択肢 は効率上比較優位 にあった資本主義 しかなかった。資 本主義への移行 は,世 紀前半の体制移行 と同様 に,政 治主導ではあるが,理 想 社会の実現 とい う使命感 に燃 えた革命集団によって指導 されてはいない。 資本主義への移行 を担 って きたのは自由主義 に親近感 をもつテクノクラー ト であった。体制移行の出発の時点でかれ らの間に理想的経済体制 に関する議論 があったわけで もなければ,資 本主義 に代 わる第 3の 経済体制 を設計 しようと す る動 きがあったわけで もなかった。テクノクラー トが手本 に したのは現存の 誘導資本主義であった。 中で も中欧諸国のテクノクラー トは,「ヨーロ ッパ に 1 8 )

帰る」 (Back to Europe)を合言葉 にして,EU諸 国の誘導資本主義 (その中で もとくに西 ドイツの社会的市場経済)を 手本にした。かれらは,欧 米の自由主義 エコノミス トやIMFや 世界銀行やEUの 支援を受けながら,誘 導資本主義の諸 制度を模倣 しつつ国情に応 じてそれらに改良を加えるという模倣的改良の戦略 を採用 した。テクノクラー トのスタンスはこのように現実的 ・実際的ではあっ たが,理 想性やイデオロギー性 を欠いていた。「理想なしの体制移行」 と言え よう。 18)Berend〔 2〕p。131.

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2 0 世紀末の移行経済 13 4.人 工性 ・革命性 ・非連続性 20世紀 における体制移行 は自然発生的ではな く,国 家 によって意識的に発動 された ものである。資本主義か ら社会主義への移行 は非連続的であった。 ソ連 お よび東欧 において国家 によって人工的に制度化 された管理社会主義は,資 本 主義 とは根本的に異 なる要素か ら構成 された。同様 に世紀末の管理社会主義か ら誘導資本主義への移行 も非連続的である。国有 ・中央管理経済 ・才旨令のセ ッ ト か ら私有 ・市場経済 ・誘導のセ ッ トヘ の転換がめ ざされた。両者の間に共通す る 要素 は何 もない。 これに対 し,市 場社会主義か ら誘導資本主義への移行 には運 続面がある。つ ま り相互調整方式 と上下調整方式の レベルで連続性がある。両 体制 とも市場経済 と誘導 を構成要素 としているか らである。断絶があるのは所 有方式の レベルである。国有 または社会有か ら私有への転換がめざされた。 もっ とも,所 有方式 を経済体制の上台 と見 る筆者の立場か らすれば所有方式の転換 は体制問移行 を意味す る。 ゾ ンバル ト説では体制移行 はどの ように理解 されていただろうか。筆者の解 釈 ではゾ ンバル トは体制移行 を自然生成的 と見 ている。少 な くとも国家 によっ て意図的に発動 されるケースは想定 されていない ように思われる。先行の経済 体制の中で 自然発生 した異質の諸要素は,徐 々に先行の経済体制の構成諸要素 を駆逐 し,や がて新 しい一貫 した意味連関を形成する,つ まり新 しい経済体制 を完成するに至 る, とい う風 にイメージされている。 20世紀の体制移行 はゾンバル トの想定 した世界 を超 えるものであった。20世 紀の体制移行 に特有の人工性 ・革命性 り卜連続性 といった属性 はゾンバル トの体 制移行 にはない。 IVお わ りに 19) 20) 国際学界では最近,「移行学」 (transttdogy)や彫ヒ較移行研究」 (comparat市e t r a n s f o r m a t i o n s t u d i e s ) などの新 しい タームが登場 している。 これ らの用語 は 体制移行 の学際的研究 を意味 している。その中核 を成すのは体制移行の政治学 的,法 学的お よび経済学的研究である。ポス ト社会主義諸国における体制移行

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プロセス を多角的かつ総合的に把握 しようとする動 きである。ポス ト社会主義 諸国で体制移行がス ター トして 8年 が経過 したが,こ こにきて体制移行の総合 的研究が本格化 して きた とい う印象 を受 ける。 筆者 は数年来,経 済体制論の立場か ら世紀末の体制移行お よび移行経済の個 性 を描 き出す作業 に従事 して きた。本稿 もそ うした作業の産物である。本稿の 問題意識 は,筆 者の経済体制論でこの世紀末の移行経済の個性 をどこまで把握 で きるか,と い うところにあった。その出来ばえについては専門家の判定 に委 ね ざるをえないが,筆 者 としてはまだ意 に満たない ものを感 じている。肝心の 社会主義か ら資本主義への移行の原動力 を把握 しえていないか らである。社会 主義の崩壊 はその構成諸要素の組み合わせ に起因するとい うのが筆者年来の考 えであ り,本 稿で も述べた とお りであるが,社 会主義 をして資本主義へ向かわ しめた ものは何 か となると筆者 には答 えられないのである。 筆者がゾンバル ト説 にこだわった理 由の一つが この ような問題意識であった。 筆者が ゾンバル ト説の検討 か ら獲得 したキ イワー ドは意味の不調和である。経 済体制の構成諸要素が意味的 に対立 し,「強い」意味運関が成立 しないとその 経済体制 は不安定 にな り,よ り安定的な経済体制 に移行せ ざるをえな くなる, と言 えないだろうか。同様 に構成諸要素が機能的に対立 し,「強い」機能運関 が成立 しない とその経済体制 は不安定 にな り,よ り安定的,か つ より効率的な 経済体制 に移行せ ざるをえな くなる, と言 えないだろうか。意味の不調和 ・機 能の不調和 とい うコンセプ トを媒介 に して世紀末体制移行の原動力 を認識で き ないだろ うか。筆者 に課せ られた次の研究課題である。 Elster,et al.〔3〕 p.35. Pickel,Wiesenthal〔15〕p.127.

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一r

2 0 世紀 末 の移行 経 済 1 5

引 用 文 献

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1 9 9 5 .

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参照

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