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名誉革命体制とD. ヒュ-ムの『政治経済論集』

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名誉革命体制とD、ヒュ

『政治経済論集」

−ムの

、土 〕星 目次. はじめに 党派論

トーリーとウイッグの政治原理批判

ジャコバイ i、批判

薪侈と文明社会

文明社会の危機と一般原理 結び 1 2 ○ J 4 5 6 ヴ I −51− 1

(2)

東北学院大学論與経済学第124号 1 . はじめに 本稿の目的は, ヒューム(DavidHume l711 1776)の『政治経済論集』 (PoliticalDiscourses l752) ' 'に里拓ける政治論文と経済論文との関連性 に注目することによ=>て,政治論文の理解の根底には彼の歴史認識に基づ く文明化論が存在することを明らかにL,政治と経済をぬぐるヒュームの 見解を名誉革命体制とのかかわりにおいて考察しよ‘うとするものである。 2.党派論 ヒュームの『政論経済論集』が形成された時代は, 1688年の名誉革命の 後の1707年のイングランドとスユッ トラント¥との合邦を経て, 1714年のジ 劃一ジー世の即位とともにハノーウァー家による王位継承が成正し, ウイ ,γグ支配(1714・ -1760)が確立した時期であった。 しかし, この時期まで には, イ :/ク・ランドの平和と安定を脅かす要因となった党派間における一 l ) ヒュームの『政治経済論築』初版(1752年)は, 次の12の捕文力、ら構成さ れている。

(1)OfCommerce (2)OfLuxury(176()年にOfRefinement in theArtsと

改題) (3)OfMoney (4)Of lnterest (5)Of theBalanceofTrade

(6)Of-theBalanceofPower (7)OfTaxes (8)OfPublicCredit (9)Ofsome

RemarkableCustomsO(IOf lhePopulousnessofAncientNations (1 l)

Of theProtestantSuccession (131deaofaPerfectCommOnwealth l738年には, 次の4編が付加さオLて16編となった。

( 1 )Of theJealousyofTrade (2)Of theOriginalContract (3)Of

PassiveObedienCe (4)Of theCOalitiOnofPartieS

この力、んの経緯についてば,田中敏弘「解題ヒュームに:おけ為「人間の科学」 と『政治経済論集」」田中敏弘訳『ヒェーム政治経済論集』御茶の水苔房, 1983, 所収, 34650頁と竹本洋「D. ヒュームの『政治論集』にかんする試論(1)」 『大阪経大論集』第196号, 1990, 44--57頁を参照のこと。なお、本稿におい て, 『政治経済論築』と『道徳・政治論集』 (Essays,Moral andPoliticaL 2vols.174142)のテキストには次のものを用いた。

Hume,D, Essays,Moral! Political, andLiterary, ed-

byEugeneF-Miller,LibertyClassics.1985,revisededition,1987. (以下E. と略記 する。)邦訳は『道徳・政治論樂』につi 、ては,小松茂夫訳『市民の国につ L ,て」 ( I弓・下)岩波文庫, 1982, を『政治経済論集」については, 田中敏 弘訳『ヒューエ、政治経済論集』御茶の水苔房. 1983.を用L 、それぞれ'1松訳. 田中訳と’て頁数を記す。 リ︺ 52−

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名誉革命体制とD.ヒュームの『政治経済論集』

世紀にわたる抗争の罐史2jがあり, また, ステュアーI、王家の復位を夢

見るジ.1,コパイ I、 (Jacobites)の反乱が1715年と1745年に起きている。

このような政治的状況の下で, ヒュームは現実の政治問題に強い関心を示

し,すでに彼は, 『道徳・政治諭集』 (Essays,Moral andPolitical# 2 voIs. 1741-1742)のなかの「党派論」 (OfParties inGeneral), 「ク.レー ト ・ブリテンの党派について」 (Of thePartiesofGreatBritain)におL, て, イギリスにおける党派の起源と変遷を跡づけ,党派の分析を行ってい る;'も さて, ヒュームによると, イギリスの国制ば混合政体であり, 国王と議 会(貴族院,庶民院) との間の不安定な勢力均衡のもとに維持されてきた という。す駁わち, その政治構造(‘ま,君主制の要素と共和制の要素が混合 しており,それらの間にI維持さるべき正しいバランスはそれ自体,実際 極度に微妙で極度に不安定」 (E. 64,小松訳,下182)であった。君主制 が亜視す為権威(authority)と共和制が重視する自由(liberty)とをめぐ って内部闘争がく l)ひろげられてきたのである。君主制にヨリ好意的な意 見をいだく人々は,王権に対してヨリ多くの権力を信託し,王権による自 由の侵害に対してはそれほど用心しない。 しかし, 自由を熱烈に鍵し,隷 属と隷従を雌大の悪と考える人殉は,圧制と専制権力との燈も遠い将来に 拓ける到来に対してさえ恐怖を覚えるのである。 ヒュームは, このような イギリスの政治構造のなかに党派発生の根拠を求めるのであった。 「わが 国には,われわれの政治組織の本質そのものに内包される原理にもとづく 2) ヒュームは次のように表現している。 「過去一世紀以上にもわたってイン グランドの政党間につづいた憎悪は, まさにこうした性質のものであった。 そしてこの悩悪はときに爆発して内乱にまでなったり,蕊ノJによる雌命をひ き起したり, また絶えずその国民の平和と平穏をおびやかしたのであった。」 (E・ &193・-4, 田中訳, 271) 3) ヒュームによると,党派には人的要因に基づくもの(personal faCtiOns) と実際的要因に基づくもの(real faCtions)に分類されるが, さらに俊者は, 利害(interest)に基づくもの,原理(princlple)に基づくもの,愛蕃(affec・ tion)に基づくものの三つに分類されるという。 しかし,近代におL,てば, 宗教上の党派ば,最も激烈な抗争になるとL、う。 −53− 3

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東北学院大学論築経済学第124号 党派が存在します。そして,十分適切な名称で呼ぶとすれば, それらは CourtとCountryということになりましょう。」(E. 65,小松訳,下183) コートは,君主制に好意を示し,王権の権威を尊重する人々であり, カン トリーは, 自由を信奉し共和制的見解を重視する人左である。 ヒュームは, コートとカントリーを以上のように規定したうえで,具体 的には, ピューリタン革命期の議会派の円頭党(Round-Head)と国王派 の騎士党(Cavalier)について次のようにいう。 「円頭党と騎士党とは,全 くの原理にもとづく党派でした。両派のいずれも,君主制も否認しなけれ ば自由も否認しませんでした。ただ,前者はわが国の政治組織における共 和制的要素に大いに傾倒したのにひきかえ,後者は君主制的要素に大いに 傾倒したのでした。」 (E. 68-9,小松訳,下187) したがって, ヒューム によると,円頭党はカントリーであり,騎士党はコートということになる。 しかし,実際には円頭党と騎士党には,政治原理のほかに宗教的原理が加 わり,国教派の聖職者が非国教派の人々を迫害すべ<国王側に,非国教派 は当然議会側に走り,両党派の抗争は激烈になった。 チャールズ二世治世下に生まれたトーリー(To'y) とウイッグ(Whig) については, ヒュームによると, この両党派の本質を見極めることは最も 困難な問題の一つであるが,結論からL、えば, l、一リーがコートであり, ウイッグがカントリーということになる。「コートとカント リーとがトー リーとウイッグの真の生翠の親です」 4) (E. 613,小松訳,下194) と。 だが, 1,−リーには騎士党になかった「絶対的服従」と国王が有する「剥 奪不可能な権利」の二つの原理が党是としてあり,その最終的帰結は, 「一 切の自由の完全な否認と絶対君主制の無条件的な承認とを意味した」 (E. 70,小松訳,下189)のである。しかし, ヒュームは,名誉革命以来のトー 4) ヒュームの時代にば, コートとカントリーの概念憾多義的に用いられて論 り,必ずしもヒュームのいうようにコートとトーリー, カント リーとウイッ グが同一視されていたわけではなかった。浜林正夫『イギリス名誉革命史』 下巻未来社, 1983, 259-66頁,隅田忠義「D. ヒューム党派論序説」『亜 細亜法学』20巻1 . 2号合併号, 1986,参照。 4 −54−

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名誉革命体制と[) . ヒュームの『政治経済論集』 リーの変化に注目する。第一は, 「トーリー派ばブリテンの政体から予想 されるようなコー│、以外のなにものでもなかったことを,すなわち, 自由 を愛するとはいえ, より以上に君主制を鍵す為徒であること。」 (E. 71 , 小松訳,下19())第二に, 1、一リーは,君主制を愛するとともにステュアー │、家に礎着をもっているということである。他方, ウイッグについては, 「君主制を放棄することばないとはいえ, 自由に愛着し, しかも, プロテ スタントの系統による王位継承を支持する徒, と定義できましょう」 (E. 71 ,小松訳,下191) と。 このように, 名誉革命以来, トーリーとウイッグ両党ともイギリスの国 制を維持してL,<という点でば同意したのであるが, それぞれの基本原理 の重点は大きく異なっていたのであった。 このことが両党をして抗争にい たらしめる原因となり,国制そのものの不安定を引き起す要因となったの である。すなわち, ヒニゞ一ムによると. トーリーは,依然として名誉革命に よって廃位させられたステュアート家の再興の夢を捨てておらず, したが って現ハノーヴァー家の王位継承を主張するウイ 、ソグとは根本的に対立し た。二回のジャコバイトの反乱のうち, $TheFortyfive'と呼ばれる 1745年の反乱は, オースト リア継承戦争のさなかに, スコットランドの高 地地方の氏族の支援5)をえたチャールズ=エドワード(CharlesEdward, TheYoungPretender,1720-1788)が, ロン' ドンの北西200キロのダー ビーにまで攻め入り, イングラント、人を罷確させた。この反乱はまもなく 鎮圧されたが, ヒューム34歳の時の事件であった。 このような時期に執筆 された6 )のが, 「原始契約につし、て」 (OftheOriginalContract), 「絶対 的服従について」 (OfPassiveObedience), 「新教徒による王位継承につ 5) ヒュームによると, スコッ トラント.では, トーリー党の存在はなく, ウイ ッグとジャコバイトにわかれ-〔いたという。 「スコャ トランドにぱいかなる トーリー党員も存在しなか=’たとし、うこと, そして, スコッ トランドにおけ る党派への分裂ば,実際には, ウイッグ派とジェームズニ世派(Jacobites) とへの分裂であった。」 (E. 615, ′」、松訳,下197-8)

6) Cf,Mossner, E.C. , TheLifeofDavidHume, 2nded. 、 Oxford, 1980, pp、 1798(1 .

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東北学院大学論集経済学第124号 いて」(Of theProtestantSuccession)の各論文であり,後に『政治経済諭 喋』にまとぬられ, また「党派の歩象よりについて」 (Of theCoalition ofPartieS)が付加されたのであった。次に, これらの諸論文に内在する ことによって当時の政治問題に対するヒュームの見解を明らかにしよう。 3, トーリーとウイッグの政治原理批判 ヒュームは, 1,−リーとウイック両党の基本的な政治原理を抽出して批 判的に検討する。 |、一リーの政治原理は,政府の神聖不可侵と臣民の絶対 的服従にあるとして次のようにいう。 「事実,一方の政党( トーリー党) は, 『政府』の起源を求めて神にまでさかのぼり,それによって,政府を きわめて神聖不可侵なものにしようと努め, その結果,政府がいかに圧制 的になろうとも, それにぼんのわずかでも手出しをしたり, それを侵害す るようなことは,聖物冒溜の罪も同然とされるに違いない。」 (E、 466, m中訳, 239) このような1,−リーの政治原理に対して, ヒュームば次の 点において論駁する。第一に,政府という制度は,恵スメ探い神によって企 てられたものと考えられる。 しかし,神は, この制度を奇蹟的な介入によ っ-〔ではなく,人間の目には見えないかれの普遍的な力によってつくりだ したのである。 したがって,主権者の権力が神に由来し,その行使は神の 委託によるものであるということはできるが, それ以上のものではない。 神の代理者と呼ぶような特別の意味はないのである。 「あらゆる国家にお いて君主の権力を生鬼出した当の原因が, 同様にその国内の一切のより下 級の権限やあらゆる制限された権力をもつくり出したのである。 したがっ て,一介の警官といえども, 国王に劣らず,神の委託に基づいて権力を行 使し, また不可侵の権利をもっていることになる。」(E, 467,m中訳, 241) 第二に,歴史_'二におけ為ネ厩やフィ リップニ世のような暴君に対しては, その反抗する人々をわれわれは支持するであろうということである。すで に『人間本性論』 (ATreatiseofHumanNature,3vols.1739-40)に おし、ても, ヒューム朧次のように述べている。 「わが国の自由な統治組 6 56−

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名誉革命体制と[) ‘ヒュームの『政治経済論集』 織を尊敬するように見えながら反抗の権利を否定しようとする者.そ‘)し た者は, 筍も常識ある者と称することを争<放棄してしまった者であり, 真面間に答える値打ちのなL,者である」 7I (T、 564,邦訳, (4)17()) と。 次に, ‘』ノイ 、,グについては次のようにい‘ラ。 ウイッグ党ば, I政府は全 く人民の同意に基づくものだとして,一種の原始契約(original cont-ract)が存在すると想定する。そし-<この契約によって, 臣民は,かれら が一定の目的のために自発的に君主に委託したあの権力によって虐げられ たと感じた場合にはいつでも,君主に対する反抗権を暗黙のうちに保留し てL 、ることになz》」 (E. 466, 山中訳, 239) と。 このウイ ソグの原始契 約説と反抗権につL,てイ, , ヒュームは,すでに『人間本性論』において自 分の見解を明らかにしている淵 ]・すな'│>ち彼は, コンウェンション (con-ventioll)に基づく社会の成立を主張して,原始契約説を, 「哲学的虚購」 (philosophical fictiOn)にすぎないものとしてしりぞけたのである。第一 に#原始契約ば委託した子孫までに及ばないこと。第二に,約定(pro-mises)が全くないところでも統治は行われているとL ,う事実。 このよう なことからして. ヒュームば服従の原理として原始契約説をし{)ぞけ,利 己心に基づく自然的責務(natural Obligation)を強調した。服従Lたほ#> が利益があるゆえに, そうするのであった。 したがって, この利益のなL , ところでは人々の統治組織に服従する義務もなくなる。 ヒュームば,統治 者の暴虐と残忍さと野心とが人々を圧迫し耐え難い状態にいたらしめたと きの患, |我々は優越権力の甚だしく狂暴な結果に反抗してよく , それに よ=)ていかなる罪ないし不正義も犯すことはない, と我々をして結論させ る」 (T. 552,邦訳, (4)153) と述べ.抵抗権そのものを擁護しているが, 「この-一般原理はあらゆる時代の常識と実際とによって公認さ・れるとはい

7 ) Hume, D. , ATreatiseoiHumanNature, ed. byL,A.

SelbyBigge, Oxford 1955, (以下, これからの引用は, T. と略記し邦訳 の頁数も記す)大槻春彦訳『人生論』 (岩波文庫) (.1)170頁。 8) 拙稿「ヒューム「人間本性論』における市民社会の形成と政府」『東北学 院大学論集』経済学第101号, 1986, 参雌。 ﹃I 一ー W

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東北学院大学論集経済学第124号 え,およそ法が,いや哲学すら,反抗の合法的である時を知らせ為ことの できる個左の規則を確立して, この主題に就いて起り得る一切の論争を裁 断することは,絶対確実に不可能である」 (T. 563,邦訳, (4)168-9) と 述べている。 ヒュームは,以上の見解を『政治経済論集』では, さらに歴史的事実に おいて明確にする。第一に,歴史上のあるいは現存の政府の成立について は,人民の公正な同意や自発的な服従に基づくものではなく, 緑とんどす べてが纂奪か征服によって成立したものであるということ。第二に,名誉 革命でさえ, ウイッグのいう原始契約説に基づくものではない。なぜなら 「そのとき変革されたのは,王位継承だけであり,それも,政体のうち, ただ王位に関係した部分だけであった。しかも,一千万に近い国民に対し てこの変革を決定したのは,大多数といってもわずか700人にすぎなかっ た」 (E. 472, IH中訳, 246)のである。第三に,歴史や経験によると, 国家的事件に拓いて,人民の同意がもっとも尊重されなかった時期こそ, 新しい政府が樹立されたときであろうということ。要するに,革命,征服, 大動乱のような激動する時代には,軍事力や政治的策謀が論争を決定する というのである。 このように, ヒュームは, ウイッグの原始契約説を全面 的に批判して,それを「あらゆる国民とあらゆる時代の慣行および世論に も反した奇論」 (E. 486, 田中訳, 262) と断定し,政府に対するわれわ れの服従(=忠誠)義務の根拠を,「人間社会の明白な利益と必要」(E.481, 田中訳, 256)に求めた。つまり,われわれは,そうしなければ,社会が 存続できないから服従するというのである。社会の利益と必要こそが,政 治的服従の根拠であった。 ところで,以上のi、一リー, ウイッグの政治原理に対するヒュームの見 解は,彼自ら述べているように「一つの政党が他の政党に対して根拠のな い軽蔑や勝ち誇った優越感をもたないようにし, 中膳をえた意見 (moderateopinion)を奨励し, どんな論争の場合にも適切な中胴をえた 立場を見つけ出し,反対派もときには正しいこともありうるということを, 8 −58−

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名誉革命体制とD・ヒュームの『政治経済論集』 おの猫のの党に納得させ, また, どちらの党に寄せられるにせよ,称賛と 非難が均衡を失わないようにすることが一番である」(E 494,田中訳,271 −2) という目的のために示されたのである。 というのは, トーリーとウイ ッグの双方の政治原理についての上述の議論は, 「両党いずれの側も, 自 らを美化しようとつとめているものの,理性的に考えた場合には,それぼ ど十分な支持をけっして得られない」 (E. 494, 田中訳, 272)からであ jる。それゆえ, ヒュームは,両者に中席の意見をもつことを奨励し,党派 の歩巍寄りを期待したのであった。両党派が歩魏寄って現体制(名誉革命 体制)を安定的なものにし,社会存続の利益を享受することが彼の意図で あった。 「中踊城あらゆる既存の体制にとって有利なものである。」 (E. 500, 田中訳, 279) と。 4. ジャコバイト批判 ヒュームば, メテュアート王朝の復位を意図するジャコバイトにたいし ては否定的であった。彼は, 『人間本性論』において次のように述べてい る。 「王が不正を行い或いは圧制的専制的権力を得ようと企てて, 自己の 法的性格を正当に喪失したとすれば,かような王を退位させることは道徳 的に合法的となり,政治的社会の本性に適するものとなるばかりでない。 それ以上に,我之はともすれば考えがちであるが,基本的国家組織に拓け る他の成員たちは,かような王に次ぐ継承者をも排除し且つ継承者を好む ままに選ぶ権利を鞭得するのである。」 (T. 565,邦訳, (4)171)そして, ウィ リアムの即位以後に三人の王が王位を継承してきたという事実が,名 誉革命当時のウィ リアムの即位についての批判的議論にもかかわらず,権 威を確立してきたというのである。にユームにあっては, 「時間と習慣と は,統治組織の一切の形式および君主の一切の継承に権威を与え為」 (T 566,邦訳, (4)173) ものであった。 このように, ヒュームは,名誉革命の正当性を主張し, ハノーヴァー家 による王位継承を擁護し現体制の維持を願ったのである9)。それでもな輻, −59− 9 ‐

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東北学院大学諭築経済学第124号 彼は, エッセイ 「新教徒による王位継承について」に齢いてⅢ王位継承者 として. ステュアート家と/、ノーヴゾー家のどちらが適しているかを,落 着以前を想定して.改めて両家の長所と短所の比較を行っている。 ヒュー ムの立場は,哲学者として中庸を貫くことである。 ステ共アート家の復位 の利益としては,第一に, 血統による資格があげられる。 これは,一般大 衆にとって最もわかりやすい資格である。 「われわれは誰でもやばり生れ や家系に好意をもつこうした偏見をもち続けており, また, まじめな仕事 をしているときも,非常に気楽な娯楽を楽しんでいるときも, この偏見か らすっかり免れることはわれわれにばとうていできない。」 (E. 504, 田 中訳. 282)第二は,政治的安定が得られることである。 「社会の安寧がそ のような偏見( lill統による王位継承一引用者)と密接に結合している」(E. 504, 田中訳, 283)からである。次に. /、ノーヴァー家の王位継承につい ては, 「その継承が相続権を侵害し,生オlからみて王位につく資格をもた ない一人の公爵を王座につけるとL,うまさにこの事情から生じるのであ る」 (E. 5()5, 田中訳, 283)が, その利点として,第一に,有事の際に, 陰謀や土位要求によって政体を攪乱するような臣民の野心を断ち切ったこ と。第二に,王位継承をこの君主の家系に定いたことによって選挙による 王制がもつ不都合を回避できたこと。第三に, 名誉革命によって確立した 政体を一貫して維持できること。かくして, ヒュームは, 「この新しい政 治的決着により, 人間の技術と知恵の及びうる限りの一切の利艦が手に入 れられている」 (E, 506, 田中訳, 285) と述べている。 このように, ヒ ニ‘一ムは, ステェアート家またはハノーヴァー家に王位継承があったばあ いのそれぞオ'の利益を抽出したのであるが, 不利益につし、ても公平に考察 9 } ヒ ェ一J、は, エ.ソセイ 「原始契約について」におL,-〔次のように述べてL , る。 |退位させられた王家の寛持者たちをわれわれが非難するのは,たんに かれらが久Lきにわたって空想的な忠誠を保持しているからという理由から だけではい、。かれらが非難されるのば, その追放か正当であ・’たとわれわ れが確認L, したがって新政府が樹立された瞬間から.椎威にたぃする一切 の資格を喪失してしまった王家に執着Lているからである」 (E. 479, 田中 訳, 254) l(} 60

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名誉革命体制とD.ヒュームの『政治経済論集』 している。 /、ノーヴァー家による王位継承の不利益としては,その君主が 所有する国外の領土のために,大陸での陰謀や戦争にまきこまれる危険性 があること。 しかし, このことについては, 同盟者であるオーースト リア家 との関係を密にしこそすれ,何らかの損害を受けたと論証することはむず かしいとヒュームはいう。次に, ステュアート家の不利益としては,王家 の宗教, カト リックにあぉ。 「それは,わが国の国教よりも社会にとって 有害であり,社会に反するものであり,他のどんな宗教団体にも,およそ 寛容とか平和とか安全を許可したりなどもうとうし巌いからである。」(E. 506, 田中訳, 286-7) と。 以上のようにヒュームは, ステュアート家とハノーウァー家の王位継承 をめぐっての両家の長短を比較検討してL,るが, この聞題は, −般大 衆'0)によってではなく,哲学者によって論ずるべきであるという。 「これ らすべての事情を天秤にかけ, その猫のおのにそれにふさわしい釣合いと 力を割当てることは, どちらの党派にも属さない哲学者だけのものであ る。」 (E. 507, 田中訳, 287)そのうえで,哲学者ヒュームは, 名誉革命 体制の下での自由と平和の享受,農・工・商の発展,学問の進歩は,他の ヨーロッパ諸国には見ることができないと称賛しつつも,なおこの時期に おいても数えきれないほどの陰謀と二度の反乱があったことを重視し,慎 重に結論を留保している。 「こうした競近の経験からすれば,現在の制度 のほうが有利だとはっきり決定されるようにみえるけれども,現在の制度 にならなかった反対の場合を重く典てよい事情が多少存在している。」(E. 508, 田中訳, 289) しかし, ヒュームは,両家による王位継承の長短の比 較考堂から, ヨリ短所が少ないという意味でハノーヴァー家を選択したこ とは賢明であったと結論する。すなわち,彼によると, ステュアート家が 1()) ヒューム砿,政治問題を論じるについて,一般大衆をあまり信用してL、な いようである。 「大衆ば, きわぬて微妙な問題においてさえ,つオコに騒々し くて独断的であり, こうした微妙な問題については,おそらく理解力を欠い てL、るというよりはむしろ,それに適した気質をもってL,ないために,全く 不適当な審判者なのである。」 (E. 507, 田中訳, 287) −61 − 11

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東北学院大学論集経済学第124g ローマ・カト リックを信奉していることは, 「ハノーヴァー家の不都合よ りもはるかにもっと重大な性質の不都合」 (E. 510, 田中訳, 292)であ ったのである。つまりローマ・カト リック教は,次のような欠点をもって いたのである。①わが国の宗教よりもいっそう経費がかかる。②ヨリ寛容 でなL,。③僧職任命権を王の権限から分離する。①国民大衆の利害とは異 なる。⑤外国人僧職の任命。⑥わが国の人民の宗教とは相反する。かくし て, ヒュームはいう。 「ローマ・カトリック教徒を王座につけることによ る短所のほうが,外国の君主を王位にすえる他の決着のもつそれよりも大 きい」 (E. 510, 田中訳, 293) と。 このように論じて, ヒュームは, /、 ノーヴァー家による王位継承が有効になった今日それを覆そうとしたジャ コバイトを批判したのであった。また, このことは同時に, 今後も起るか もしれない反乱や動乱に対する警鐘でもあった。王位の落着は,現実に起 ってしまったことであり,一種の王位継承の資格がハノーヴァー家にすで に生じているのである。時間と習慣が, ハノーヴァー家による王位継承の 資格に権威をもたらしたのである。 「自由達成の方法はすでに落着してお り,そのすばらしい結果は経験によって証明ずスヘである。長い時間の経過 によって,それには安定性が与えられてきてお'), この方策をくつがえし, 過去の政体や退位した王家を復活させようと企てるような連中は誰でも, 他のもっと刑法上の非難は別にしても,党争と革新という非難に今度は自 分たちがさらされる番になるであろう。」 (E501, 出中訳, 279-80) こ れは,ジャコバイト主義に対するヒュームの明確な意見でもあった。彼は, 名誉革命体制を擁護することこそが文明社会の一層の発展を促進する源で あると確信してL、たのである。 「人民の自由は, 国民の平和と秩序とあい まって,ぼとんどさまたげられずに栄えている。商業,製造業,および農業 が発展している。 もろもろの技術や科学,それに哲学も進歩している。宗 派でさえ,相互の間の宿怨を捨てざるをえないようになって↓:る。そして わが国民の名声はヨーロッパ中にくまなくひろがっているが、 これも,ひ としく ,平和的な諸技術の進歩と戦争に拓ける武勇と成功とに由来するも 12 62−

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名醤革命体制とD.ヒュームの『政治経済論築』 のである。かくも長期間にわたる,かくも光栄ある時期を, 自慢すること ができる国民はまずないであろう。 これほど多数にのぼる人びとが, こん なに長い期間にわたり, こんなに自由で, こんなに理知的で, こんなに人 間本性の品位にふさわい、方法で,一致団結したような例は, 人類の全歴 史に拓いてけっして三つとないであろう」 (E、 508, 田中訳, 288-9) と。 このように, ヒュームは,名誉革命後のイギリスの社会を称賛するので あ為が, この根底には「人民がもっている昔からの自由theancient liber-tiesof thepeopleの回復」 (E. 496, 田中訳, 274) という旧国家制度 (theanCientconstitution)をめぐる議論' 1 )を虚構にすぎないものとして 否定し,経済社会の発展にともなって徐々に文明が進歩してきたことを強 調する彼の歴史に対する認識があった。すなわち, ウイック.史観によると, アングロ・サクソンによって持ち込まれ, マグナ・カルタによって確認さ れた自由の回復こそが, イギリス革命を正当化する根拠であるが, ヒニヒー ムによると, このような旧国家制度における自由は存在しなかったのであ る。 「もしも,昔の野蛮で封建的な憲法機構にもと.らなければならないと すれば,現在主権者に対してきわめて傲慢に振舞っているジェントルマン たちに, まずそのお手本を見せてもらうことにしよう。すなわち,近くの 封建領主のもとにおうかがいし, ご機嫌をとって家来として認めてもらう ようにしてもらおう。つ藍り,彼の足下に奴隷のように服従することによ って, 自らへのなにがしかの保護を手に入れ, また,同時に, 自分よりも 目下の奴隷や農奴に対して強奪や暴虐を行う権力を手に入れるようなこと を, ジェントルマンたちにやらせて象ることにしよう。これこそが遠い昔, 平民たちの祖先が拓かれていた状態だったのである。」 (E. 497-8, 田中 訳. 276) このようにヒュームは, 旧国家制度の自由に対しては皮肉をこ めてその虚構性を批判するのであった。彼にとっての自由の確立,文明化

1 1) Cf. ForbeS, DUncan. , Hume'sPhilosophiCalPOlitiCs, CambridghU

P. 1975.

大野精三郎『歴史家上:エームとその社会哲学』岩波苫店 1977, 船橋喜恵『ヒュームと人間の科学』勁草書房 1985,参照。

(14)

東北学院大学論集経済学第124号 とは,商工業の発展に基づいて人間と社会がしだいに洗練化されてきたこ とを意味していたのである。すなわち, 「イギリスの自由は,技術 の改善以来,衰退するどころか,当の期間中ほど敏栄したことはこれまで 一度もなかった」 (E. 2767, 田中訳, 27)のである。 「商業について」 (OfCommerce)と「著侈につし、て」 (OfLuxury)[1760年に, 「技術にお ける洗練について」 (OfRefinement intheArts)と改題〕の二つのエッ セイは, ヒュームの文明化論の核心部分を形成している。 5.箸侈と文明社会 ヒュームは,文明社会の出発点を農業と工業との分業関係のひろがりに よる国内市場の発達に求める。彼によると,人間は未開状態を離れると農 民(husbandmen)と製造業者(manufacturers)の二つの階級に分れると いう。そして,若干の農業技術の改善にともなう剰余生産物の増大は,農 業者や製造業者以上の多くの人口を養うことを可能にする。彼は, これら の余剰人口の使用方法に応じて,古代社会と文明社会とを区別する。古代 社会の場合には,主権者の命令によって,彼らを軍人として雇うことに蹴 る。歴史と経験によると, スパルタ共和国やローマ共和国のような古代社 会においては, 「商業と著侈」とがなL,ので, 「ごく少数の職人だけが腱業 者の労働によって維持されていたにすぎず, したがって, より多くの兵士 が農業者の労働に依存して生活しえたのである。」 (E. 258, 田中訳, 8) しかし, これらの社会でば農業の剰余生産物と交換できる著侈品や工業生 産物がないのであるから,それ以上に農業従事者の熟練や勤労を増大させ る誘因がない。安逸の風習がひろまり,土地の大部分は未耕のまま放置さ れることになる。 したがって, ヒュームによれば, このような古代社会に おいてば剰余生産物ば限られているから.個人を貧しくすることによ・〕て 強大な軍事力を維持しようとするその政策は, 「乱基であり,事物のヨリ 自然で通常ななりゆきに反していた」 (E. 259, 田中訳, 8)のである。 これに対して,文明社会では, 「産業活動と技術と商業とが,臣民の幸福 14 64

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名誉革命体制と[).ヒュームの『政治経済論集』 だけでなく,主権者の力をも増大させる」 (E、 260, 田中訳, 10) という 事物自然のなりゆきそのものであった。そこでは,余剰人口が著侈産業 (artsof luxury)にふりむけられるから,農業と工業との相互依存関係が 拡大し,農工双方において生産力が向上することになる。 「ある国民が製 造業や機械的技術に富むときには,農民だけでなく土地の所有者も,農業 を一つの科学として研究し,かれらの勤労と入念さとを倍加する。かれら の労働から生ずる剰余生産物は失われることがなく,製造品と交換されて, いまや人びとの著侈がかれらに渇望させるもろもろの財貨を得させる。 こ のようにして,土地はその耕作者の必要を満たすよりもはるかに多量の生 活必需品を供給する。平和で平穏な時代には, この剰余生産物は,製造業 者や学芸(liberal arts)の改善者を維持することに向けられる。」(E. 261, 田中訳, 1 1) このように,著侈産業の発展は,農業を科学的に研究させ, 農工双方の発展を促進するだけでなく,学問(学芸)をも進歩させるとL、 うのであ為。 さて,それでは,著侈産業はどのようにしてもたらされるのであろうか。 ヒュームによると,それは歴史上,外国貿易によってであるという12' 。「外 12) ヒュームは,歴史上に妬L、て, 国内製造業の発達に最初に影響を及ぼした のは外国貿易であ ったことを認識している。 「歴史に散してゑれば, たいて いの国民の場合,外国貿易が国内製造業のいかなる洗練にも先行L,それが 国内産の商品による著侈(domestic luxury)を発生させてきたことがオフかる であろう。」 (E. 263, 田中訳, 14)周知のように『国富論』におL,ても, 外国貿易が国内に著侈を導入し, これが外国貿易の子孫としての製造業の起 源にな=,たこと力認識されている。 「こういうふうに,外国商業は, いっそ う精巧で改善された製造品に対する好x忠を, まだこのようなものの製作を全 然おこ衣ったこともない国七へ導入した。 ところが, こうL,う好盈がかなり の需巽をひきおこすほど一般的なものにな-〕たとき,商人たちは,運送費を 節約するために, 当然にも自分たちの国に同種の若干の製造業を確立しよう と努〃した。 これが, ローマ帝国の没落以後, ヨーロッパの西部諸地方に妬 L ,て確立されたように思われるところの、遠踊地への販売のたぬの最初の製

造業の起源なのである。」Smith, A. , An lnquiry intO theNatUreand

Ca'」sEsof theWealthofNations, ClarendonPress, 1976, (以下, 本稿

ではW.N. と略記し邦訳の頁数も記す)Vol . ] p、407.

大内兵衛・松川七郎訳『諸国民の富」 (2)岩波文庫468頁。

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東北学院大学論集経済学第124号 国貿易ば人びとを安逸から立ちあがらせ,国民のなかの華美で富裕な階層 に属する人びとに,かれらが以前には夢想もしなかった著侈品を提供して, 祖先が亨有したよりもすばらしい生活状態を持とうという欲望をかれらに 猫こさせるのである。しかもこれと同時に, この輸出入の秘密を握ってい る少数の貿易商人は大きな利潤を得, こうして昔からの貴族と富を競うよ うになるが,それが他の冒険者を誘って商業上の競争相手とならせる。や がて模倣がこれらの技術のすべてをひろめる。そのかんに,国内製造業が 外国人と改良を競い,あらゆる国産商品をそれが許す最も完全な程度にま で加工するようになる」 (E. 264, 田中訳, 14) と。 このように,外国貿 易によって箸侈が導入されると,人々は安逸から目覚め,富裕階級と貿易 商人の双方に活気があふれ,貿易も一層拡大することになる。また,模倣 によって向上した製造業の技術によって国産商品の質を高めることになる というのである。つまり,洗練された技術が国内に普及し,機械的技術と 製造業が発展するのである。かくして, ヒュームは「著侈」をめく。る当時 の見解,すなわち,道徳的に無害な著侈を堕落,騒乱,および紛争の源と 非難する「厳格な道徳家」と道徳的に有害な著侈にも社会的有用性を与え て称賛するマンデヴィル(BernardMandeville l670-1733)の双方の見 解を批判して, 自らの立場を明らかにしようとする。貧しく質朴で美徳と 公共心をそなえたローマを滅ぼしたのは, アジアの著侈ではなかったし, 著侈を有益な悪徳と論ずるのば, IJ、かなる道徳体系においても用語上の矛 盾以外のなにものでもなかったのである。彼によると,第一に, 「洗練さ れた時代は最も幸福であるとともに最も有徳な時代でもあること。」 (E. 269, 田中訳, 20)第二に,度をこす著侈は害悪の源泉になること。第三 に,道徳的に有害な著侈も,不精や怠惰よりはましであること。このよう にヒュームは,著侈に対して自らの立場を明らかにし,第一の論点を重視 して「洗練が私生活と公生活の双方に与える影響」について考察するので ある。ところで,彼は,著侈を「五官の満足における高度の洗練」(E. 268, 田中訳, 19) と定義している。 したがって, この洗練ば,機械的技術上の 16 66−

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名誉革命体制とD・ ヒュームの『政治経済論築』 洗練と,洗練された消費財,すなわち, 「生活愉楽品と便益品」の豊富さ を意味しているということになる。それゆえ, 「著侈的な時代」とL、うの は,産業活動と諸技術が高度に発展した時代にほかならない13)D さて, ヒュームの歴史認識によると,産業活動と諸技術の繁栄によって, 次のような利益が生じたというのである。第一に,産業活動と諸技術とが 繁栄せる時代には, 人びとは絶えず仕事に従事し,仕事じたL、をもその報 酬として享受するようになり, 人間精神が向上する。第二に,無知が駆遂 され,人々は思索を求めるようになって学問(学芸)が洗練される。第三 に,学問(学芸) と産業活動との相互依存によって双方が発展する。 「天 文学を知らなかったり倫理学をおろそかにするような国民においては,一 反の毛織物さえ完全に仕上げられようとは, ものの道理からいって期待す ることができない。時代の精神はすべての技術に影響を及ぼす。そして, ・ ・ ・ ・ ・ ・あらゆる技術と学問とに改善をもたらすであろう。」 (E. 270-71, 田 中訳, 21-2)第四に,人びとばますます社交的となって知識や教養を相互 に享受する。 クラブや協会がいたるところに結成され,男女も気楽に社交 的な仕方で会合し,気質も洗練される。かくして, ヒュームは次のように いう。 「産業活動(industry)と知識(knowledge)と人間性(humanity)と は,解き離し難い鎖でつなぎ合されているのであって,それらがいっそう 磨きあげられた, そして通常いっそう著侈的な時代と呼ばれている時代に 特有なものであることは,理性によってだけでなく経験によってもわかる のである。」 (E. 271, 田中訳, 22)第五に,文明社会における産業活動 の発達は,個人を幸福にし繁栄させるだけでなく,政府をも偉大にし栄え させるという。なぜなら,産業活動と諸技術の進歩は,個々人に精巧品や 著侈品の増大をもたらすばかりでなく, それらの多量の労働の貯え(the stockof labour)が, 国家危急の際には公役に振り向けることができるか らである。第六に,人びとの気質が和らぎ,法・秩序は安定し,人間性に 適した政治が支配的になるという。 「法律,秩序,治安,規律, これらの 13) 田中敏弘『社会科学者としてのヒューム』未来社 1971, 46頁,参照。 −67− 17

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東北学院大学論集経済学第124号 ものは,人間の理性が,働かされたりせめても商工業とL,うもっと通俗的 な技術に用いられたりすることによって洗練されないうちは, いかなる程 度の完成に達することもないであろう。」 (E. 273, 田中訳, 24)第七に, 中産階級に権威と尊敬とをもたらしたという。 「著侈が商業と工業とを育 成するところでは,農民は土地の適切な耕作で富裕になって独立する。一 方,商工業者(tradesmenandmerchants)は財産の分け前を獲得し,社 会の自由の最もすぐれた最も強固な基礎である, あの中産階級(that middlmgrankofmen)に権威と尊敬とをもたらす。」 (E、 277, 田中訳, 28) ヒュームは, これらの中産階級が法の支配を重視する下院の政治勢力 であるとして期待をしている'4)。 「かれらは, 自分たちの財産を保障し貴 族政治の圧制だけでなく王制の圧制からも自分たちを守ることのできる, 平等な法律を渇望するのである」 (E. 278, 田中訳, 28) と。第八に, 中 下層階級(thelowerandmiddleranksofmen)に節倹(frugality)の徳 を普及させる。これらの階層が,農・工・商の担い手として文明社会の経 済活動の原動力となる。 以上のように, ヒュームにおいて文明化とは,人間と社会のもろもろの 領域における洗練を意味しているのであったが,それを実現する手段が諸 技術(arts)に他ならない喝)も彼においては,商工業の発展に基づく諸技 術の洗練が,個人の自由と優れた統治と法をもたらしてきたということが 強調されている。スミスが『国富論』で, ヒュームの名をもちあげて指摘 しているのは, 「商業と製造業とが, それ以前には隣人に対するぼとんど 間断なき戦争状態と上層の者に対するほとんど間断なき奴隷的従属状態と のもとに生活してきたいなかの住民のあいだに,しだいに秩序と善政とを, 14) ヒューエ、は,下院を信頼して次のようにいう。 「下院ばわれわれ人民の政 治の擁護者であって,下院の主要な影響力と重要性とが,財産のこのよう左 剰余を庶民の手にもたらした商業の増大の所産だったことば,全世界の認め るところである。」 (E. 278, 田中訳, 28) 15) 竹本洋「D. ヒュームの『政治論集』にかんする試論(1)」『大阪経大論 集』第196号, 1990, 71頁,参照。 68− 18

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名誉革命体制とD・ ヒューームの『政治経済論集』 またそれにともなって個人の自由と安全とを導入した。 ・ ・従来このことに 注目を払ったのはヒューム氏だけである。」 (W.NVo1. 1, 412,邦訳(2), 476) という箇所である。 このように, ヒュームにおいては,著侈の普及 が個人と社会に対して有益な結果をもたらしたのであって,決して堕落と 腐敗をまれくことはなかったのである。 「生活の愉楽品と便益品とにおけ る洗練には,金銭ずくの行動や背徳を生む自然的な傾向は存在しない」(E. 276, 田中訳, 26) と断言するのであった。かくして,彼にとっては,名 誉革命以後のイギリスの社会は, 「もっとも完全な自由の体系(the mostentiresystemofliberty)」 161 として, もっとも幸福でもっとも有 徳な時代であったのである。 このことば, ヒュームが歴史から学んだ最大 の教訓であった。しかし, ヒュームは, 名誉革命体制の下での当時の政府 の政策(重商主義政策) 17'をそのまま容認したわけではない。 自由と法 の支配が確立し,経済的に繁栄していることを積極的に称賛しつつも,嫉 妬による偏狭で悪意ある対フランス敵視政策に対してば懸念を表明して厳 しく批判したのである。なぜなら当時の政府は,政治家の注目すべき「事 物の一般的ななりゆき」 (thegeneral courseof things)を認識しておら ず,嫉妬によって戦争を激化させ,文明の危機をまねいているからである。 「現代の政策によれば,戦争はあらゆる破滅的な事態をともなう。すなわ ち人員の損失,諸税の増加,商業の衰退.貨幣の費消,海陸からのじゅう りんがそれである。」 (E、 351, 田中訳, 111)われわれは, スペイン継承 16) Hume, D. , TheHistoryofEngland,NewYork,Harper& Brothers, Vol.6, p,363-ヒュームの「完全な自由の体系」は, 「適当に制限された種々の政治形態の 幸福な混和があり, 自由と財産にたいする完全な保障がある」とする, l, ,わ ゆるスミスの「自由の合理的体系」 (rational systemof liberty)を街佛さ

せるものである。

Cf. Smith,A、 , LecturesonJurisprudence, Reportdated l766, ClarendonPress,1978pp.421-・2. 高島善哉・水田洋訳『グラスゴウ大

学識義』日本評論社, 1989 (復刻版) 13]-52頁。

17) 小林昇『小林昇経済学史著作集Ⅳ イギリス重商主義研究(2)』未来社, 1977, (付論Ⅱ)重商主義の政策体系,参照。

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東北学院大学論集経済学第124号 戦争(1702-1713)やオーストリア継承戦争(1740-1748)など対フランス との戦いが多かったことを想起すれば, いかに当時の政府の政策が有害で あるかが理解できる。 「わが国のフランスとの戦争の半ば以上とわが国の 公債のすべてとは,隣接諸国民の野望よりも,われわれ自信の軽率な熱狂 に原因がある」 (E. 339, 田中訳, 96-97) とヒュームは断定している。 彼の『政治経済論集』における経済論文は,当時の経済政策に対する捕烈 な批判を表明している。 ヒュームは,商業,貨幣,貿易,利子,租税,国 債という18世紀中葉の文明社会の言葉を通じて, 「政治家の目的であり, また目的であるべき社会の利益」 (E. 254, 田中訳, 4)のたあの「一般 原理」を追究したのである'8も 6.文明社会の危機と一般原理 ヒュームは, 「事物の一般的ななりゆき」に貫徹している「一般原理」 に逆らって,嫉妬によって戦争を激化させ,文明社会をそこなう方向に向 わしめている諸政策を批判する。われわれは,それを彼の貨幣・貿易論と 公信用批判に典型的に見ることができる。 さて. ヒュームの機械的数量説とその系論としての「正貨の自動調整メ カニズム」 (price-specie-nowmechanism)は,富は貨幣(金銀)であり, 貿易差額によるプラスを通じてのみ,それらを蓄積することができるとす る重商主義思想に対する強烈な批判的理論を形成している'9も ヒュームに 18) ヒュームは,理論的な政治家(speculativepoliticians)に役立ちうるよう な「一般原理」を示そうとしたのである。 (Cf. E、 285, 632, 田中訳, 36) 「しかしどのようにこみいってみえるとしても,一般原理は,それが正しく て確実である限り,特殊な場合にば妥当しないことがあろうとも,事物の一 般的ななりゆきにあってはつねに貫徹しているに違いなく, この一般的なな りゆきに注目することは,学者の主要な仕事なのである。なおまた, それば 政治家の主要な仕事でもあると言えよう。ことにこれは国家の国内政治に拓 いてはそうである」 (E、 254, 田中訳, 4) 田中敏弘『社会科学者としてのヒューム』未来社, 1971, 24∼28頁,参照。 19) 拙稿「D. ヒュームの貨幣理論とA@ スミス」『東北学院大学論集』経済 学第107号, 1988,参照。 2() −70

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名醤革命体制とD.ヒュームの『政治経済論集』 拓いては,貨幣は一国の富ではなく,単なる流通手段,価値尺度にすぎな かったのである。貨幣量の増減は物価の騰落のみ影響を与えるのであった。 そして,一国の貨幣の流通必要量は, 「正貸の自動調整メカニズム」を通 して,結果的に,一国における技術と産業活動の水準lこ落ち着くというも のであった。 ヒュームの例によると,貨幣壁がもし一夜のうちに5分の4 に減少したとすれば, これに応じて国内の物価水準は下落する。すると, 外国貿易上において,財貨の価格は他の諸国よりも相対的に安くなるから 有利になる。輸出は増加して輸入は減少するから, まもなく,貨幣(正貨) は流入し,国内の物価が以前の水準にまで上昇して貨幣(正貨)の流入は ストップすることになる。貨幣量が突然に5倍に増加した場合には逆の ケースが生じることになる。このプロセスは,国内の貨幣量に応じた物価 水準を逓じて自動的に貨幣(正貨)の国際均衡が達成されることを示して いる。 このようなヒュームの所説の背景には,一国の貨幣量を「各国民の 技術と産業活動とにほぼ比例するように保持させるに違いない」(E. 312, 田中訳, 67) という国内経済の活動水準に応じて必要な貨幣量が決まると いう考え方があった。それゆえ,彼は, 「国民と産業活動との優位を細心 に維持しよう。そうすれば,少しも貨幣の喪失を懸念するに及ばない」(E 309 10, 田中訳, 64) というのである。国民の技術と産業活動に留意さえ すれば,貨幣の絶対量はどうでもよかったのである。したがって,一国の 貨幣量の多寡については,懸念や嫉妬をもつ必要は全くなかったのである。 ところで,以上のヒュームの自由貿易論の所説は, 「富国貧国」論 争20)にみられるように,富国の優位が,労働の高価格と貨幣の豊富によ って消滅し,貧国も低賃金を武器として,外国貿易による経済の発展が可 能であることを論証するものであるが,富国ば,貧国のために自国製品の

20) Cf.Hont,I., &Therichcountry-poorcountrydebate inScottish classical political economy' inlstvanHDntandMichael lgnatieff,

(eds. ) , "WealthandVirtue:TheShapingofPoliticalEconomyin theScottishEnlightenment"CambridgeU.P. 1983.水田洋,杉山忠平

監訳『富と徳スコッ トラン'ド啓蒙における経済学の形成一』未来社, 1990。

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東北学院大学論集経済学第124号 需要の喪失を心配するには及ばないという。富国の製造業者は,他の産業 部門へと転換しなければならないかもしれないが,仕事の不足に陥る危険 はないのである。すなわち,勤労の精神が保持されてさえいれば,一つの 産業部門から他の産業部門へと容易に転換することができるのである。し かも他国との競争心が,勤労精神の活性化を促進するのであって,他国が 無知と怠惰で野蛮な状態にあるときに, 自国の商工業が繁栄することは決 してありえないのである。かくして, ヒュームは, 自国も近隣の諸国もと もに繁栄することを確信する。 「わたくしは,人類のひとりとしては無論 のこと, イギリス臣民のひとりとしても, 下イツ, スペイン, イタリー, それにフランスさえの,商業の繁栄を願っているのだ。少なくとも,わた くしの確信するところでは, グレート ・プリテソとこれらのすべての諸国 民の主権者や大臣が,おたがいにこのような寛大で博愛的な考えを採り入 れるならば, これらのすべての国民はもっと繁栄するはずである」 (E. 331, 田中訳, 87) と。 このように, ヒュームにおいては,近隣諸国との 貿易の拡大によって,各国は相互にヨリー層繁栄することが可能となるの である。近隣の諸国民を犠牲にすることなしに自国の繁栄はありえないと いう 「偏狭で悪意のある見解」は, こうして否定されたのである。 次に,名誉革命後に制度化された公債制度21)は,戦觜調達のためのも のであったが, ヒュームにとって,それは, 「全く議論の余地のないほど 破滅的であることが明らかな慣行」 (E. 350,田中訳, 110)であり,そ の濫用ば「貧困と無気力と外国勢力への服従とをもたらす」 (E、 351, 田 中訳, 111) ものであった。放蕩息子にロンドン中のあらゆる銀行の信用 を与えてやるのが無謀であるのと同様に,公債は決して分別あることでは なかったのであjる・しかし, ヒュームも公債のもたらす利益を次の点にお いて認めている。第一に,一種の貨幣であるからその分,現金を必要とし 21) 公償制慶成立史については浜林正夫,前掲雷,下巻336-44頁,参照。 Cf.Hargreaves,E.L.,TheNationalDebt,London,1930. 一ノ瀬鱒,斎藤忠雄,西野宗雄訳『イギリス国債史』新評輪, 1987,参照。 22 −72−

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名誉革命体制とD,ヒュームの『政治経済論集』 ないこと。第二に,公債所有者に収入をもたらすから,半ば公債所有者で ある貿易商人にヨリ低い利潤率で貿易することを可能にし, したがって, このことが「財貨をいっそう廉価にし, ヨリ大きい消賢を呼び起こし,庶 民の労働を促進し,技術と産業活動とを全社会のす象ずぶにまでひろげる のに役立つ」 (E. 353, 田中訳, 113) ことにな為。しかし,公債のもた らす害悪ば利益とは比較にならないぼど重大なものであるという。第一に, 人口および富がロンドンに集中し,地方が犠牲になる22) 。第二に,公債は, 一種の紙券信用であるから,インフレーションをまねき,金銀を駆遂する。 第三に,利子支払いのための課税は,労働の価格を騰貴させるか,それと も貧民階層への圧迫となるかのいずれかになる。第四に, 「外国人が,所 有するわが国償の持分が大きいときには,かれらはある意味でわが国をか れらの属国にし,間もなくわが国民とわが国の産業活動との移転をひき起 すかもしれない。」 (E. 355, 田中訳, 116)第五に,公債は,役にたたな い非活動的な生活(怠惰)を助長する。 以上のように, ヒュームは,公債の国内経済に与える害悪を指摘してし.、 るが, さらに, 「戦争や外交折衝において他国と種々の交渉をもつ政治体」 に及ぼす影響について述べている。この場合には, 「その害悪は純粋で混 じり物を含まず,害悪を相殺する有利な事情は全く存在しない」(E. 356, 田中訳, 116)のである。彼によると,国民の税負担が最大限にまで達し ていて,かつ財源のすべてが永続的に抵当に入れられ, もはや新しい税源 をみつけられない場合の不自然な社会状態においては, 自己の産業活動の 直接的結果以上に収入をえるのは公俄所有者だけであるという。 ヒューム は,その必然的結果を次のように表現している。 「こうした人びと (公債 所有者一引用者)は,国家となんの結合をももたず,かれらが住まうのiこ 選ぶ地球上の任意のところで収入を亨有でき,生まれながらにして首府や 22) 公俄の峨入者は, ロンドン藍中心とした商人,金融業者,高級官職保有者, いわゆるmoniedinterestと呼ばれた人走である。地租を負担する地主と 消賢税を負担する一般大衆の犠牲において, これらの公債購入者が篇んだの である。浜林正夫,前掲譜,下巻341 , 343頁.参照。 −73− 23

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東北学院大学論集経済学第124号 大都市に身をうずめ,気概も野望も楽し象もなく,愚かで勝手きままな著 侈による無気力状態におちいることになるような人びとである。 〈かれら にあっては>高貴の生れや血統や家柄という観念はすべてなくなってしま う。公債はまたたく間に移転することが可能だが. このような変動する状 態にあるため,それは父から息子へと三代にわたって伝えられることはま ずないであろう。 また, もしも公債が一家族のなかに非常に長いあいだ留 まった場合には,それは相続による権威や信用をその所有者に譲渡しない であろう。そしてこのようにして, 自然の手で任命される,国内の一種の 独立した行政官を成す幾つかの階層の人びとが,全くいなくなってしまう。 そして権威あjる人は難な, もっぱら主権者から職権の委任を受けることに よって勢力をえることとなる。 こうして,傭兵以外には反乱を防止したり 鎮圧したりする方策は残されない。圧制に反抗する手段も全く残されない。 選挙はもっぱら賄賂と買収によって左右される。また国王と人民との間の 中間勢力(themiddlepOwer)がすっかり排除されるため,圧制的な独裁 君主制が必ず支配す)る。土地所有者は貧しさのゆえにさげすまれ,圧制の ゆえに嫌われて,独裁君主制に全く反対することができない。」(E.357-8, 田中訳, 118-9) 以上の引用文において, ヒュームは, 公債制度が名誉革命体制における 政治の担い手である土地所有者階級の没落をひきおこすことに対して強い 懸念を表明しているのである。すなわち,公債制度によって土地所有者階 級が没落し,公使を所有する怠惰な金融業者が社会を支配する帰結は,金 権体質と腐敗,堕落をもたらし,圧制的な独裁君主制を出現させて社会全 体が無気力の状態に妬ちいることになるというのである。 ヒュームのよう な中膳を重視する哲学者が,以上のような激しい公債批判を展開した背景 には,公債制度によって文明社会そのものが根底から破壊されるかもしれ ないという彼の強い危倶があったのである。そして,公債の累積が限界点 に達すれば, その「事物の自然ななりゆき」ば, 「国民が公信用を破滅さ せるか,それとも公信用が国民を減ぼすかのいずれかである」(E 360-61, 24 −74

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名誉革命体制とD.ヒュームの『政治経済論集』 田中訳, 122) として, ヒュームは,公債の三つの死滅形態を示した。第 一は,医者による死([death]ofthedoctor),公債累積が悪化し, それ が,夢想的な公債償還計画を生んで,弱体化していた公信用を死滅させる ことである。第二に, 自然死(naturaldeath), これは,緊急事態のため に発行された公債が引き受けられず,計画された貨幣が調達不能となり, また,外国からの侵略や内乱が生じた場合に,利払いのために引き当てら れてL、た減債基金が流用され,償還も利子の支払いも不可能な段階に至っ て,公信用の全機構が一挙に瓦解することである。動物の肉体が自然に死 滅に向うのと同様であるというのである。 ヒュームによると,以上の二つ の結果は「不幸なことではあるが, しかし最大の不幸というわけではない。 それによって何千とL,う人びとが何百万人かの安全のために犠牲にされ る」 (E、 364, 田中訳, 126)にすぎないという。 しかし,彼は第三の暴 力死(violentdeath),すなわち「数百万人が数千人の一時的な安全のた めに永久に犠牲にされるという危険」 (E. 364, 田中訳, 126)をもつ最 大の不幸におちいることを示唆する。 というのはイギリスのような民主政 治においては,人為的破産政策を実施するのは困難であるから,公信用へ の固執が財政的に破綻し,同盟国への援助もできなくなり, ヨーロッパの 勢力均衡が崩れて同盟国の象ならず大ブリテンも外国の征服を受け,国家 の滅亡とともに公信用も死滅することになるからである。 ヒュームば, こ のような国家滅亡も遠い将来のことではないとして,公信用が文明社会を 破壊するの詮ならず,国家そのものをも破壊する害悪であることをうった えたのであった。 7.結び ヒュームば, 当時のイギリスの国制,すなわち名誉革命体制を現実的に ば,文明社会の発展にふさわしい国家制度であると認識していた23もその 23) ヒュームは,名誉革命後のイギリスの政体を完全ではないが,現実的には, すぐ・れた国家制度と鋸蔵していた。 しかし, それでも次の三つの不都合は 〆 73− 25

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東北学院大学論集経済学第124号 ために, 当時の政治勢力であるトーリーとウイッグの両党に相互の歩象寄 りを期待し, またハノーヴァー家による王位継承の正当性を確認して, ジ ャコバイト主義をしりぞけたのであった。この背後には, 旧国家制度をめ ぐる議論を虚構にすぎないものとして否定し,経済社会の発展にともなっ て文明の進歩が徐々にもたらされてきたとする彼の歴史に対する認識があ った。農工分業に基づく文明社会の発展を促進してきたのは,外霞貿易に よる著侈の導入である。 ヒュームは,著侈をめ<・る「厳格な道徳家」とマ ンデヴィルの双方の見解を批判し,洗練された時代はもっとも幸福でもっ とも有徳な時代であることを論証した。 しかし彼は,名誉革命体制を称賛 しながら, 当時の経済政策が,根拠のない嫉妬に基づく 「偏狭で悪意ある 政策」であることを批判した。それらが対フランス戦争を激化させ,文明 の危機をまねL、ているのである。 これをただすために, ヒュームは,政治 家の考慮すべき仕事は, 「事物の .般的ななりゆき」に貫徹している「一 般原理」を究明することであるとして,哲学者としてそれを「政治経済論 集』における経済論文において明らかにしたのである。いわば立法者の科 学としての処方菱を世に示したのである。 (脱稿1993年9月15日) 漣さけらオLないという。第一に,党派争いⅢ第二に, 国王の個人的性格が政体 に大き験影響力をもつこと,第三に,常備軍がもたらす危険などである。 (Cf. E- 527, 田中訳, 311)それゆえ,彼は, ユートピア的政体をエッセ イ 「完全な共和国につL、ての設計案」 (IdeaofaPerfectCommonwealth) のなかに描く。 しかし, これはあくまでも理想としての理論的な問題(sub-jectofspeculation)であった。 26 −76

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名誉革命体制とD・ヒュームの『政治経済論典』 参考文献 田中敏弘『社会科学者としてのヒューム』未来社, 1971。 『イギリス経済思想史研究−−マンデヴィル・ヒューム.スミスとイギリス 璽商主義一』御茶の水盤房, 1984。 大野精三郎『歴史家ヒュームとその社会哲学』岩波書店, 1977。 小林昇『小林昇経済学史著作集I 国富論研究(1)』未来社, 1976。 『小林昇経済学史著作集Ⅳ イギリス重商主義研究(2)』未来社, 1977。 浜林正夫『イギリス名誉革命史』 (上・下)未来社, 1981, 1983。 舟橋喜恵『ヒュームと人間の科学』勁草書房, 1985。 田中正司『アダム・スミスの自然法学』御茶の水書房, 1988。 田中秀夫『スコットランド啓叢思想史研究一文明社会と国制一』名古屋大学出版会, 1991・ 青山吉信・今井宏編『概説イギリス史』 (新版)有斐閣, 1992。 田中秀夫「ヒューム経済理論の特質と意義」『経済論譜』第122巻第3 . 4号, 1978。 「ヒュームの学問・技芸論一ヒュームの文明社会史論の祖型一」『経済論 盤』第123巻第1 . 2号, 1979。 Iポーコック思想史学とスコットランド啓蒙(上・下)」『甲南経済学論集』 第25巻第2号, 1984,第26巻第4号, 1986。 『イギリスの国制と朧史認識一ヒューム政体論の前提一」『甲南経済学論 集』第30巻第3号, 1989。 大久保桂子「名誉革命体制とジャコバイト問題」『史学雑誌』第94"12号, 1985。 田添京二「合邦とスコットランド・ナショナリズムj『商学論集』第54巻第4号, 1986。 隅田忠義「D.ヒューム党派論序説」『亜細亜法学』20巻1 . 2号合併号, 1986。 「イギリスの党派の考察」斎藤繁雄・田中鐘弘・杖下隆英縄『デイウィッ ド・ヒューム研究』御茶の水謀房, 1987,所収。 「デイヴボッド・ヒュームの政治社会論一政治的義務と政治社会認識を中 心にして−」山下鯉一網著『近代イギリス政治思想史』木鰯社, 1988,所 収。 佐均木毅「ヒュームと公共精神の問題」『思想』NOb760, 1987。 渡辺恵一「『国富論』にける政治と経済」久保芳和・真実一男・入江奨編著『スミ ス, リカードウ, マルサス』創元社, 1989,所収。 「メコットランド啓叢研究の新潮流」 (上・下) 『京都学園大学論集』第14 巻第2号,第15巻第1号, 1985-6・ 坂本達哉『ヒュームにおける勤労・貨幣・文明社会」大森郁夫編『市場と貨幣の経 済思想』昭和堂, 1989,所収。 −77− 27

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東北学院大学論集経済学第124号 「名誉革命体制評価をめ<・るヒュームとウォーレス(I)∼(Ⅳ)」『三田学会雑 誌』81巻1号, 2号, 82巻3号, 83巻1号, 1988-90。 竹本洋「商業社会と統治-A. フレッチャ-, D-ヒューム, J, ステュアート」 田中正司縄著『スコッ トランド啓蒙思想研究』北樹出版, 1988,所収。 「D.ヒュームの『政治論集』にかん する試論(1), (2)」『大阪経大論築』第196 号,第197号, 1990。 田中敏弘「政治思想におけるヒュームとスミス-D.プォーブス氏のヒューム研究 によせて 」『経済学論究』第30巻第2号, 1976。 (田中敏弘『イギリス経 済思想史研究一マンデヴィル・ヒューム・スミスとイギリス重商主義一』 御茶の水苗房, 1984, に所収) 「ヒュームとコート対カントリ論争」『経済学論究』第40巻第3号, 1986。 (田中敏弘編著『スコットラント啓蒙と経済学の形成』日本経済評論社, 1989,に所収) 「ヒュームとジャコバイト ・イデオロギー」『騒済学論究』第40巻第1号, 1986。 (斎藤繁雄・田中敏弘・杖下隆英網『デイヴィ ド・ヒューム研究』 御茶の水蕃房, 1987,に所収) 「デイヴィ ッ ト・ ・ヒュームとスコットラント啓殻」『経済学論究』第41巻 第2号, 1987。 Taylor,W.L.,FrancisHutchesonandDavidHumeasPredecessorsof AdamSmith,DukeUP1965.

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参照

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