シェーンベルクと月の光
―《浄夜》《グレの歌》《ピエロ》―
相 澤 正 己
はじめに
シェーンベルク(1874-1951)と月の光、という言葉の組み合わせから直ちに想い起こ されるのは、彼の作品《ピエロ・リュネール》ではないだろうか。フランス語原詩のドイ ツ語訳に作曲されたこの作品は、タイトルはフランス語のままとされた。素直な日本語訳 としては《月のピエロ》になるこのタイトルは、《月に憑かれたピエロ》と訳されて、そ れが定着した。日本の文化には「月に憑かれた」側面があり、それがこの日本語訳の定着 とも関係しているだろう。シェーンベルク自身はヨーロッパやアメリカに関心を集中さ せ、東方への関心はパレスチナやイスラエルまでで、日本を含む東アジアに真剣な関心を 向けたとは思えない。したがってアジア的なものの影響は語れないのだが、彼には「月に 憑かれた作曲家」という面があったように思われる。《ピエロ》に限らず、初期と中期の いくつかの作品に関して、「月に憑かれた」という傾向が指摘できるのである(後期に入 ると、歌詞に月に関わる中国詩からの翻案を用いた作品27の合唱曲のような例もある が)。こういう観点から、彼の初期を代表する弦楽六重奏曲《浄夜》(1899)、初期から中 期にかけて完成された壮大な作品《グレの歌》(1900-1911)、そして中期を代表する《ピ エロ・リュネール》(1912)について考える。その際に、それぞれの楽曲のすぐれた演奏 記録にも言及したい。
《浄夜》
弦楽六重奏曲《浄夜》作品4は、1899年に完成された。この作品が室内楽による標題音 楽であることは、比較的よく知られているだろう。標題音楽というのは、音楽外的な物語 や情景や心象風景のような「標題」がまずあって、それを音楽で表現する。多彩な音響効 果が求められる場合が多いため、フランツ・リスト(1811-1886)の作品にしても、リヒャ ルト・シュトラウス(1864-1949)の作品にしても管弦楽による交響詩として書かれるの が一般的である。室内楽によるものは、スメタナ(1824-1884)のピアノ三重奏曲(1855)
を嚆矢とするようだが、ヴァイオリンとヴィオラとチェロそれぞれ2本ずつによるシェー ンベルクの作品も、その稀なひとつといえる。
「標題」とされたのは、リヒャルト・デーメル(1863-1920)の詩、「浄夜(浄められた
夜)」である。デーメルは19世紀末の時代にはドイツを代表する詩人のひとりと見なされ ていて、その作品は広く読まれていた。「浄夜」は、彼が1896年に発表した詩集『女と世 界』に収められていた。その後、彼はそこから思考を発展させ、詩形式による小説『二 人』と題する作品を1903年に刊行した。「浄夜」のテクストは2つの作品のいずれにも収 められているが、若干の異同がある。シェーンベルク《浄夜》のスコア(総譜)には、冒 頭にこの詩が掲げられているのだが、私が見た2つの版はいずれも『二人』に基づいたテ クストが印刷されている。シェーンベルクが作曲する際に用いたのは『女と世界』のほう なのだから、当然こちらのテクストが印刷されるべきである。日本語に翻訳するとその異 同はほとんどなくなってしまうが、『女と世界』版「浄夜」1)の訳を以下に示す。
浄夜
二人が 葉のない 冷たい森のなかを歩いている 月がともに進み 二人が眺めやる。
高々とした樫の木々の上を月は進む
小さな雲ひとつなく 天空の光は曇りようもない その光のなかへ 幾つもの黒い梢がとどく。
ひとりの女の声が語る
私は身籠っている でも 貴方の子ではない 罪にまみれて 私は貴方の傍らを歩いている。
私は 自分自身に凌辱を加えた もう 幸福など信じていなかったが 生き甲斐と 母親の幸福
義務を求めて 強い望みを懐いた そして酷いことをしてしまった 私は 慄きながら わが身を 見知らぬ男に任せ
そのことで自分を祝福もした。
今になって 人生による報いが訪れた 私は貴方に 貴方に出会ったのだから。
彼女はぎこちない足どりで歩く
上を見上げると 月がともに進んでいる 彼女の暗い眼差しが光に溺れる。
1) Aus: http://de.wikisource.org/wiki/Verklärte_Nacht
ひとりの男の声が語る
君の受胎した子が
君の心の負担になってはならない
ご覧 何と曇りなく全世界が煌めいているか!
すべてのものに輝きがある
君は僕とともに冷たい海を漂っているが ある独特なあたたかさが 君から僕へ 僕から君へ 煌めき流れ
それが その見知らぬ子を浄めるだろう
君はその子を僕のために 僕の子として産むだろう 君は僕に輝きをもたらし
僕自身を子どもにしてしまったのだ。
彼は彼女のしっかりとした腰を抱く 二人の息が 大気のなかで混じり合う
二人は 高々とした明るい夜のなかを歩いている。
異同は3点ある。第2連5行目、「生き甲斐」と訳した語が、Lebensfruchtから
Lebens- inhaltになっている。より一般的な表現にしたと考えられるが、意味の上で変わりはあま
りないから訳を変える必要はないだろう。次に「貴方」や「君」と訳したdir やdu、dich の頭文字が大文字になるが、これも訳は変えようがない。もっとも大きな異同は、最終連 2行目の「混じり合う」で、mischt sichがküßt sichになっている。「口づけを交わす」に なるかと思われるが、私は「混じり合う」のほうがよいと思う2)。この詩の「物語」の主人公は、「女」と「男」の「二人」であるが、もうひとり人物は いて、それは「見知らぬ男」である。
三角関係という言葉は、あまり品の良い言葉ではないが、事態を直截に表す言葉ではあ るだろう。シェーンベルクの初期から中期の創作活動において、三角関係は、非常に重要 な問題である。つまり、男女の三角関係に伴う緊張と苦悩と陶酔は、30代の終わりくら いまでの若いシェーンベルクにとって非常に心惹かれるテーマであったと考えられるの だ。《浄夜》と、その次の管弦楽による標題音楽といえる交響詩《ペレアスとメリザンド》
2) Richard Dehmel: Zwei Menschen. Roman in Romanzen. Berlin 1903, S.10f. ここでは、第2連1 行目と12行目の3つのdirのみ頭文字が大文字になっている。第4連の「男」の科白では、
duなどはすべて小文字のままである。これ自体「男性優位」を示すといえるかも知れず、
私の翻訳の「貴方」と「君」も問題になりうるだろうが、「男」は「女」より年長とはいえ る。『二人』のテクストに基づく次の2つのスコアでは、duなどの頭文字はすべて大文字に されている。Arnold Schönberg: Verklärte Nacht. Verlag Dreililien./Arnold Schoenberg:
Verklärte Nacht and Pierrot Lunaire. Dover Publications, Inc.
作品5(1902/1903)の場合は男‐女‐男、作品番号のない超大作《グレの歌》とモノド ラマ《期待》作品17(1909)の場合は女‐男‐女、音楽劇《幸福な手》作品18(1908- 1913)と《ピエロ・リュネール》作品21では、また男‐女‐男という具合である。そし て、皮肉なことに三角関係はシェーンベルクの現実の生活においても生じてしまう。彼と 最初の妻マティルデ(1877-1923)と画家リヒャルト・ゲルストル(1883-1908)の関係で ある。シェーンベルク夫妻は、1906年頃にこの若い画家と知り合い、二人ともにその弟 子となる。シェーンベルクは、一時期画家としても精力的に仕事をしたが、この若い画家 と妻が親密な関係になってしまったのである。すでに二人の子どもがいたにもかかわら ず、夫を棄てる行動に出たマティルデは、シェーンベルクの弟子ウェーベルン(1883- 1945)などの説得で結局夫の許に戻る。その直後、非常に才能のあった画家は、1908年 に25歳の若さで自殺をする。シェーンベルクにとっては緊張と苦悩ばかりで、陶酔はあ まり関係なかったと思われるこの事件は、当の妻に献呈された弦楽四重奏曲第二番作品 10(1907/1908)や、音楽劇《幸福な手》などにその痕跡を残している。
「浄夜」では、この3人の登場人物と並んで、「月」が重要な役割を担っている。その意 味で、「月に憑かれた作曲家」シェーンベルクの最初期の代表作に相応しい。
詩の第2連で恐ろしい告白をした「女」は、第3連で絶望の淵にあり「ぎこちない足ど りで歩」きながら月を見上げる。「彼女の暗い眼差しが光に溺れる」ときの月の光は、ほ とんど死の世界からの光であって、ここでの月は否定的な意味づけがなされている。しか し、それ以外は、この詩において月は極めて肯定的に描かれている。「小さな雲ひとつな」
い冬の空に、煌々と照る恐らく満月の光によって「煌め」く世界だからこそ、第4連の
「男」の科白は可能となったのであり、その言葉によって絶望の淵にあった「女」は救済 される。月の光の神秘的な効果、肯定的な意味での魔術的な作用が認められるだろう。
この「物語」を標題とする《浄夜》は、物語を忠実に辿って展開する。「浄夜」の5つ の連に対応して、《浄夜》も5つの部分に分けられる。5つの部分は区切られずに続けて演 奏されるが、全418小節から成る《浄夜》のうち、最初の28小節が第1部、次の172小節 が第2部、その次の28小節が第3部、続く141小節が第4部で最後の49小節が第5部と考 えられる3)。「浄夜」の5つの連は、行数でいうと6-12-4-11-3である。この「浄夜」の連と 比較すると、《浄夜》では第2、第4、第5部が著しく拡張されている。つまり「女」の告 白と自責の部分と、「男」の慰撫と受容の部分、そして最後の融和と愛の部分である。こ ういう差異はあるにしても、全体の構成は全く同一である。
この物語を、大きな支障を乗り越えて成就する愛の物語として、感動とともに受容する 人々もいるかとは思うが、私には最初そうは思えなかった。健気ではあるけれども軽薄と 言わざるを得ない「女」を、「男」が大きく寛容な愛で赦し、包む物語と読めるのであり、
相も変らぬ昔ながらの男性優位神話を感じたからである。しかし、この作品の背後にある 3) 5部の区切り方は別の説もある。Gerold W. Gruber (Hrsg.): Arnold Schönberg. Interpretationen
seiner Werke. Laaber 2001. Bd.1, S.25.などを参照。
詩人デーメルをめぐる現実の物語を知って、その感想は変わった。「女」と「見知らぬ男」
はユダヤ人であり、「男」はドイツ人であった。「樫の木々」の森はドイツを象徴する。こ の作品は、ドイツにおけるドイツ人とユダヤ人の融和と愛の物語なのであり、三角関係の ような問題ばかりでなく、19世紀末ヨーロッパにおけるユダヤ人問題という極めてアク チュアルな政治・社会問題にも関わる作品だったのである。彼の時代におけるドイツ音楽 の旗手たらんとしていたユダヤ系作曲家、若きシェーンベルクは、男女のドラマばかりで なく、この面にも感応したのではなかったか。そして、その融和と愛を成就させたのは月 の光だったのであるから、そこにシェーンベルクが「月に憑かれた作曲家」になった根源 があるのではないか、と思う4)。
《浄夜》は、シェーンベルクのもっともポピュラーな作品といってよいだろう。いわゆ る無調の段階に進む以前の作品で、完全に調性の音楽である。したがって受け容れやす く、よく演奏されるし、録音も多い。すぐれた演奏も多いわけだが、ここで紹介したいの は、日本の巖本真理弦楽四重奏団を中心にした1972年の録音である。
巖本真理弦楽四重奏団(巖本真理+友田啓明+菅沼準二+黒沼俊夫)に第2ヴィオラと して江戸純子、第2チェロとして藤田隆雄が加わっている。曲の冒頭はニ短調、4分の4 拍子、「非常にゆっくりと」という指示に加えて、「常に静かに」と書かれている。第2 ヴィオラと第2チェロが、ppで低いニ音を2分音符で弾き始める。そこから第1ヴィオラ と第1チェロが「歩行のモティーフ」を奏ではじめる。「女」と「男」が月の光に照らさ れた冬枯れの樫の森を歩く情景が描写される。そこにさらに2つのヴァイオリンが3度差 で同じモティーフを奏しはじめ、弦楽の六重奏が開始される。
この日本の音楽家たちによる演奏は、それ以前と以後の世界のあらゆる演奏によっても 凌駕され得ない域に達している。すべてが完璧といってよいように思う。第1ヴァイオリ ンが「女」、第1チェロが「男」を主に表現する。第1部から第2部に入り、「女」の告白 と自責がはじまる。大きな後悔と不安の入り混じった心象が、「自分を祝福もした」とい う気持ちも含めて音楽によって描かれていく。第3部の絶望も、第1部冒頭と似たモ ティーフが繰り返されながら、強弱記号が
ffになることや、pp
に転じた部分に突然sffが 出現する仕掛けによって描かれる。そして、第4部である。ニ長調への転調がなされ、第 1チェロがまことに単純だが美しい旋律で慰撫と受容の言葉を語りはじめる。絶望の淵か ら救い出された「女」の安堵と歓びが、第1ヴァイオリンによって奏されていく。そのな かでもとりわけ、279小節アウフタクトからの第1ヴァイオリン・ソロは、「女」の官能的 な陶酔を描き、巖本真理(1926-1979)の演奏は並ぶものがない。370小節からはじまる第 5部の融和と愛も、第1ヴァイオリンと第1チェロのデュエットによってまことに美しく 歌われ、それをほかの4つの楽器が美しく伴奏する。4) ユダヤ人問題については、次の拙稿が詳しく扱っている。Literarische Hintergründe von
Arnold Schönbergs Streichsextett „Verklärte Nacht“. In: inter. Festschrift für Eberhard Scheiffele zum Siebzigsten. München 2012, S.316-325.
月の光については、たとえば第4部に入ったあとの249小節目から、弱音器をつけた2 つのヴィオラがフラジョレット奏法で高い倍音を出し、やはり弱音器をつけた2つのヴァ イオリンが7連音符2つで上昇する音形を奏で、次に2つのチェロと2つのヴィオラでそれ が繰り返される辺りからは、明らかに月の光の煌めきを表現していると考えられる。しか し、この日本の音楽家たちの演奏は、これに限らず、ほぼすべてが月の光に浸されてい る。それは、冒頭の第2ヴィオラと第2チェロのニ音の引き延ばしからして、すでにそう 感じられる。最初に、日本の文化には「月に憑かれた」側面がある、と述べた。この日本 の音楽家たちは、日本人でありながら西洋音楽に生涯を捧げた人々であって、日本の古典 芸能や伝統芸術にとくに造詣深くはなかったかも知れないのだが、それでも文化の影響は あるのだろう。ヨーロッパやアメリカの音楽家による《浄夜》の非常にすぐれた演奏も数 多いが、この点は、この日本人音楽家たちの独自の点ではないだろうか。
《グレの歌》
すでに触れたように、《グレの歌》には作品番号はつけられていない。成立に10年以上 の長い年月がかかったのが、ひとつの理由であっただろう5)。とにかくシェーンベルク最 大の作品であり、《浄夜》と同じく調性の枠内にとどまった作品である。
ヨーロッパのクラシック系音楽において、ドイツ・オーストリア音楽は中心的な、最高 の地位を占めている。それは、調性音楽の偉大な時代が、バッハ(1685-1750)からマー ラー(1860-1911)にいたるまで、およそ200年にわたってドイツ・オーストリアを中心に 展開したからである。この調性音楽の次の段階においてもドイツ・オーストリア音楽の偉 大さを維持、発展させようというのが、ユダヤ系作曲家シェーンベルクの抱負であった。
「無調音楽」という表現を彼は一貫して嫌ったようだが、それはともかく調性機能を「宙 吊り」にして、それとは異なった音の体系を開発すべく模索・苦闘し、1920年代にいたっ て12音技法という新しい体系を発展させた彼の努力は、すべてその抱負によるもので あった6)。
今、バッハからマーラーまで、と述べた。偉大な調性音楽最後の成果はマーラーの作品 群であると、長らく私は考えていた。しかし、どうやらそこにマーラーと同時代の後輩、
シェーンベルクの初期作品を加える必要がありそうだ。《浄夜》、《ペレアスとメリザン ド》、《グレの歌》は、ドイツ・オーストリアにおける偉大な調性音楽時代最後の最後を飾 る作品群であって、まことに立派な、堂々たる楽曲である。
交響詩《ペレアスとメリザンド》がすでに非常に大規模な管弦楽作品であるが、《グレ
5) 室内交響曲第2番などは、1906年に開始されて完成したのは1939年であったにもかかわらず
作品38という番号がつけられているから、長い年月だけが理由ではなかっただろうが。
6) この「宙吊り」という表現は、ルネ・レーボヴィッツから借用したとしてピエール・ブーレー
ズが用いている。(笠羽映子訳)『ブーレーズ作曲家論選』筑摩書房2010年、54頁。
の歌》はそれよりもさらに大規模である。5人の独唱者、1人の語り手、大規模な男声合 唱と混声合唱、非常に大きなオーケストラに1人の指揮者が要求される。この作品のオー ケストレーションのために、シェーンベルクが48段もある五線紙を注文したのは、よく 知られた話である。3部から成る全曲の演奏には、2時間前後かかる。歌詞は、デンマー クの詩人イェンス・ペーター・ヤコブセン(1847-1885)の作品の、ローベルト・フランツ・
アルノルト(1872-1938)によるドイツ語訳が用いられた。
デンマークにあるグレ城での、ヴァルデマルという王とトーヴェという娘の出会いと愛 の物語が第1部で描かれる。第1部の最後は、王妃の嫉妬と怒りによってトーヴェが無残 にも殺されてしまう次第が、目撃した森鳩によって歌われる。この〈森鳩の歌〉は単独で も歌われ、この作品でもっとも有名な部分である。
第2部は、愛する恋人を失ったヴァルデマル王の、冒瀆的ともいえる神への怒りと呪い の歌である。彼は、トーヴェを殺させた妻の王妃ではなく、神を恨む。
第3部では、荒れ狂うヴァルデマル王が、夜ごとに死んだ家臣たちを墓から蘇らせ、
〈荒々しい狩〉をしながら国中を徘徊する。その中でも、ヴァルデマルはトーヴェへの愛 と憧れを歌う。ヴァルデマルはテノール、トーヴェはソプラノ、森鳩はメゾ・ソプラノか アルトで、独唱者としては、さらにヴァルデマルたちの亡霊集団を怖れる農夫の歌がバリ トンかバスで歌われ、道化のクラウスをテノールの独唱者が歌う。家臣たちは男声合唱に よって歌われる。そして、最終的に死者たちが墓に戻ったあと、〈夏風の荒々しい狩〉と いう部分になり、嵐によってすべてを浄化する自然の営みを1人の語り手が語り、朝の訪 れを告げる。最後は、混声合唱が昇る太陽への讃歌を歌って終わりとなる。
この語り手は、その後《ピエロ》などで発展させられるシュプレヒゲザングという技法 の、最初期の例である7)。
かなり長大な作品なので、歌詞をすべて引用するわけにはいかない。最初のヴァルデマ ルとトーヴェの独唱部分だけを訳出する。オーケストラによる前奏は、夕暮れが迫る情景 を描く。ヴァルデマルが夕暮れの気分を歌い、トーヴェが月の光を歌う8)。
7) Sprechgesang、Sprechstimmeともいう。語りと歌の中間に位置づけられる声楽の技法。指
定された音程とリズムを重んじながら、歌うのではなく語るように発声される。19世紀末に フンパーディングによって始められたといわれるが、発展させたのはシェーンベルクであ る。通常の5線譜に記譜され、《グレの歌》では音符の符頭に×印、《ピエロ》や《幸福な 手》では符尾に×印がつけられている。その後、《ナポレオンへの頌歌》作品41(1942)や
《ワルシャワの生き残り》作品46(1947)では、5線譜ではなく1本の線の上に音符で記譜さ れている。いかにも「前衛音楽」という印象を与える技法だが、曖昧であるというブーレー ズの批判などもある。Sprechstimmeは、普通に発音すれば「シュプレヒシュティメ」だろ うが、日本では「シュプレッヒシュティンメ」という大時代な役者の台詞回しのような表記 が定着してしまった。《ピエロ》のスコアなどにはSprechstimmeと書かれているのだが、こ の表記は使いたくないので、私はすべて「シュプレヒゲザング」に統一する。
8) Arnold Schönberg: Gurre-Lieder. Text von Jens Peter Jacobsen (deutsch von Robert Franz Arnold). Studienpartitur, Universal Edition UE 33 394.
ヴァルデマル
今や夕暮れが 陸や海の なべての音を和らげ 飛びゆく雲は 空の端に 心地よげに横たわった。
音なき平和が 杜の 風の門を閉ざし 海の澄んだ波は
揺れて自ずから静まった。
西の空では太陽が 深紅の衣を自ら投げすて 潮の褥のなかで
次の日の豪奢を夢みる。
今や森の壮麗な家のなかでは 最小の葉むらすら動かず
今や最小の音すら響くこともない 安らげ わが心よ 安らげ。
なべての権力は 己自身の 夢のふところに沈みこみ 私は 私自身へと追い返される 静かで平和に 悩みもなく。
トーヴェ
おお 月の光が穏やかに滑りゆき 平和と安らぎが森羅万象に拡がるとき そのとき私には海の領域は水と思えず あの森は繁みや木と思えない。
空を飾るものは雲ではなく 谷や丘は大地の背ではなく 形や色の戯れは空しい泡にすぎず すべては神の夢の反照でしかない。
この静かな月の光のなかでこそ、二人の愛は育まれるのである。《浄夜》に見られた月 の光の神秘性や魔術的作用に加えて、万物を融和、融合させる月の光の不分明さ、曖昧さ という特性が指摘できるだろう。
《グレの歌》の演奏記録は、このように大規模な作品であるにもかかわらず、現代では
かなりの数にのぼる。しかし、演奏には数々の困難があるようで、すぐれた録音は多いと はいえない。その中にひとつ、群を抜いた演奏記録がある。1990年に消滅した旧東ドイ ツの音楽家たちによる演奏で、消滅の4年前、1986年の録音である。
指揮者はヘルベルト・ケーゲル(1920-1990)、何度か来日したこともある東独を代表す る指揮者のひとりであった。オーケストラは、ドレスデン・フィルハーモニーにライプ ツィヒ放送管弦楽団の団員が加わっている。合唱は、ベルリンとライプツィヒの放送合唱 団と、プラハの男声合唱団が参加した。最後に独唱者たちは以下のようである。トー ヴェ:エーファ・マリーア・ブントシュー(ソプラノ)、森鳩:ローゼマリー・ラング(ア ルト)、ヴァルデマル:マンフレート・ユング(テノール)、道化のクラウス:ヴォルフ・
アッペル(テノール)、農夫:ウルリク・コルト(バス)、語り手:ゲルト・ヴェストファー ル。
このような作品においては、多数の演奏者たちを統轄する指揮者の力量がまず重要であ る。そして、その次に演奏の成否を決定するのは、独唱者ではないだろうか。全3部にわ たって中心的役割を担うヴァルデマルのテノールや、有名な〈森鳩の歌〉を歌うアルトは 勿論重要であるけれども、いくつかの録音を比較して聴いた私の感想としては、トーヴェ を歌うソプラノが決定的であると思う。
ブントシュー(1941- )という東独のソプラノ歌手の強くのびやかな声は、本当に素晴 らしい。いま訳出した月の光の歌曲を含めて、トーヴェは全部で4曲を歌う。3番目の曲 で彼女は王への愛の告白を行う。ドイツ語のich liebe dichが、このように美しく歌われ るのを、私は初めて聴いたように思う。第4曲の最後では、彼女は自らに迫る死を予感し たかのように死を超えての愛の成就を歌い、「私たちは墓に赴く/微笑むようにして死に 向かいながら/至福の口づけのなかで」と絶唱する。この最後の「口づけ」は、2点ロ音 という高音で歌われる。かなり難しいらしく、多くの歌手は声を張り上げても完璧にはい かないのだが、ブントシューの歌唱にはただただ驚くばかりである。
独唱者全員がすぐれた歌唱を行い、語り手のパフォーマンスも素晴らしく、合唱団、
オーケストラのひとりひとりが最高の技量を発揮し、それらを名指揮者ケーゲルが統轄す る。《浄夜》のところでも述べた、それ以前と以後の世界のあらゆる演奏によっても凌駕 され得ない演奏が達成されている。これに匹敵する演奏はありうるとしても、これを超え る演奏はあり得ない。録音の状態も素晴らしい。
ドイツの地に初めて成立した社会主義国家であった旧東独は、社会主義の理想を掲げつ つも、現実には恐るべき相互監視・密告社会としてしか維持され得なかった。そのことは、
事実として認めざるを得ないだろう。しかし、その国には、このような演奏を達成する音 楽家たちがいたのである。サイモン・ラトルの指揮するベルリン・フィルは、世界最高の 演奏をするといわれていた。2001年に録音されたその「世界最高の《グレの歌》」の演奏 があるけれども、あの1986年のケーゲルたちの演奏には及ばない。旧東独にこういう側 面もあったことは、忘れてはならないだろう。
1990年秋、ドイツの多くの人々が「再統一」の歓びに沸いていた一方で、消滅した東
独に殉ずるかのように自ら命を絶った音楽家がいた。ヘルベルト・ケーゲルである。この ことも忘れてはならないと思う。
《ピエロ》
《浄夜》において月の光が果たす役割は、かなり大きい。壮大な作品《グレの歌》にお いては相対的に小さくなるけれども、それでも重要な要素であることに変わりはない。こ の頃の作品としては、これ以外にもモノドラマ《期待》が月の光と深い関係をもっている し、1911年12月に完成されたハイ・ソプラノとチェレスタ、ハルモニウム、ハープのた めという少し特異な作品《心の繁み》作品20でも、メーテルランク(1862-1949)による 歌詞に、百合の花びらの「白い月の光」という言葉が出てくる。シェーンベルクの「月に 憑かれた」という傾向は、これだけでもはっきりと認められるのだが、何といっても 1912年に完成され、同じ年に初演もされた《ピエロ・リュネール》は、タイトルも中身 も月ばかりという作品である。これまでの神秘性や魔術的作用、不分明な万物合一的世 界、あるいは静寂の世界といった特性に加えて、月の光の否定的な側面、つまり病的で神 経症的な側面も、この作品にはたっぷりと盛り込まれている。
1912年初頭、ベルリンの音楽事務所を通じてこの曲の作曲を依頼してきたのは、アル ベルティーネ・ツェーメ(1857-1946)という女優兼歌手であった。ベルギーの詩人アル ベール・ジロー(1860-1929)のフランス語による詩集『ピエロ・リュネール』(1884)は、
ドイツの詩人オットー・エーリヒ・ハルトレーベン(1864-1905)によって、タイトルは フランス語のまま、かなり自由な形でドイツ語に翻案され出版されていた(1892)。
ツェーメは、この翻訳詩集にオットー・フリースランダー(1880-1950)という作曲家が 曲をつけたもの(1904)を、それまでも歌っていた。しかし、それに満足できず、シェー ンベルクに依頼してきたのである9)。
メーテルランクの『ペレアスとメリザンド』(1892)の音楽化が4種あることは、比較 的よく知られているだろう。フォーレ、ドビュッシー、シベリウス、シェーンベルクとい うすぐれた作曲家たちの作品だからである。これに対し、音楽化された《ピエロ・リュ ネール》がシェーンベルクの作品以外に存在することはあまり知られていない。フリース ランダー、ザーゴンなどであるが、現在ではほとんど忘れられてしまった10)。
アルベール・ジローの原詩がかなり凡庸なものであるという評価は、何人かの人々に共 通している。それに較べるとハルトレーベンによるドイツ語翻訳は、むしろすぐれたもの になったと言われている11)。フランス語の詩を評価する術は私にはないが、このドイツ語
9) H. H. Stuckenschmidt: Schönberg. Leben-Umwelt-Werk. Zürich und Freiburg i. Br. 1974, S.179f. / Hartmut Krones: Arnold Schönberg. Werk und Leben. Wien 2005, S.85.
10) ピエール・ブーレーズ、アンドレ・シェフネール(笠羽映子訳)『ブーレーズ シェフネー
ル書簡集』音楽之友社 2005年、202、203頁。ここに収められたシェフネールの「シェーン ベルク変奏曲」という論考は、非常に興味深い。
の翻訳はたしかに悪くないと思う。
依頼を受けてこの翻訳詩を読んだシェーンベルクは夢中になった。ツェーメは裕福な弁 護士夫人でもあって、高額の報酬を提案していたのだが、報酬なしでもやりたいと思うだ ろう、と彼は日記に書いている12)。「月に憑かれた作曲家」として当然の反応であっただ ろう。ハルトレーベンの翻訳詩から21篇を選んだシェーンベルクは、1912年の3月から7 月にかけて全曲を完成させた。
《心の繁み》に続いて、この作品は作品21になるはずであった。21篇を選んだのは、数 の神秘に拘るシェーンベルクらしい13)。さらに、それを7篇ずつ3部に分けた。配列は シェーンベルクの判断によるもので、元の詩集のものではない。1912年10月16日のベル リンにおける初演では、ツェーメがソリストとしてシュプレヒゲザングを担当し、伴奏す る室内オーケストラは5人の奏者に指揮者としてシェーンベルク自身が加わり、全部で7 人となった。5人の奏者は、フルート(ピッコロ持ち替え)、クラリネット(バス・クラ リネット持ち替え)、ヴァイオリン(ヴィオラ持ち替え)、チェロ、ピアノである。
フランス語原詩は、ロンデルという形式で書かれていた。1篇の詩が4+4+5の13行 から成り、1行目と2行目が7、8行で繰り返され、さらに最終13行目で最初の1行目が繰 り返される。ドイツ語翻訳詩もこの形式を踏襲しているが、稀に少し変形している場合も ある。全訳するとかなりの量になるけれども、巷間流布している翻訳には少なからず問題 があるようなので、非力を省みず訳出する14)。
《ピエロ・リュネール》
アルベール・ジロ―による3かける7の詩
オットー・エーリヒ・ハルトレーベンによるドイツ語訳歌詞の和訳
1. 月に酔いしれて 2. コロンビーナ
目で飲むワインを 月光の青ざめた花
夜ごとに月が波と降り注ぎ 奇跡の白薔薇たちが 大きな潮うしおとなって溢れる 文月の夜々に花開く―
静寂の地平線に。 おお 一輪なりとも手折れれば!
11) この評価は、アドルノ、ブーレーズ、シェフネール、レーボヴィッツといった人々に共通し
ている。Theodor W. Adorno/ Pierre Boulez: Gespräch über den Pierrot lunaire. In: Musik- Konzepte 112/113 Schönberg und der Sprechgesang. München 2001, S.73-94, hier S.83f. や、
註(10)の『書簡集』184頁以下、ルネ・レーボヴィッツ(入野義朗訳)『シェーンベルクとそ の楽派』音楽之友社 1965年、110頁などを参照。シェフネールも述べているように、『聖母 なる月のまねび』(1886)を書いたジュール・ラフォルグ(1860-1887)が「月とピエロの詩人」
として知られているが、ジローは彼の域には達しなかったようである。
12) Arnold Schönberg: Berliner Tagebuch, hrsg. von Josef Rufer. Frankfurt/Main 1974, S.13.
13) たとえば作品15の《シュテファン・ゲオルゲの『架空庭園の書』より15の歌曲》でも、15
という数合わせが行われている。
14) Schönberg: Pierrot lunaire. Partitur, Universal Edition UE 33 384.
情欲が 恐ろしくもまた甘美に 不安な悩みを鎮めようと 潮を数知れず泳ぎわたる! 暗い流れに私は努める 目で飲むワインを 月光の青ざめた花 夜ごとに月が波と降り注ぎ。 奇跡の白薔薇たち。
敬虔な想いに駆られる詩人は 憧れはみな和らげられるだろう 聖なる飲みものに酔い 私がお伽噺のようにひそやかに 天の方へと首こうべを うっとりと 至福で微かに―君の栗色の髪に めぐらせ よろめきながら吸い啜る 花びらを散らせるならば 目で飲むワインを。 月光の青ざめた花!
3. 伊達男 4. 青白い洗濯女
夢幻的な光線で 青白い洗濯女が
月が水晶の香水瓶を照らす 夜 青ざめた布を洗う ベルガモ出の寡黙な伊達男の 銀白色の裸の腕を
漆黒の聖なる化粧台の上。 下方の潮の中へと伸ばす。
鳴り響く青銅の鉢の中で 空いた土地を忍び歩く風が 噴水が明るく笑う 金属の響き。 微かに流れを動かす。
夢幻的な光線で 青白い洗濯女が
月が水晶の香水瓶を照らす。 夜 青ざめた布を洗う。
蠟のような顔をしたピエロは そして天のやさしい乙女が 思案気に佇み今日の化粧の仕方を考える。 枝々に柔らかくおもねられ 紅やオリエントの緑を押しやって 暗い草地の上に
荘重なスタイルで顔を彩る 光で織られたリネンを広げる―
夢幻的な月の光線で。 青白い洗濯女。
5. ショパンのワルツ 6. マドンナ(聖母)
血の青白い一滴が おお ありとあらゆる痛みの母よ 病んだ女の唇を染めるように 私の詩の祭壇にのぼれ!
それ故この色合いに憩う あなたの痩せた胸から 破壊癖のある魅惑。 剣の怒りが血を流したのだ。
荒々しい欲望の和音が妨げる 永久に癒えないあなたの傷は 絶望の氷のような夢 赤く開いて 眼に似ている。
血の青白い一滴が おお ありとあらゆる痛みの母よ 病んだ女の唇を染めるように。 私の詩の祭壇にのぼれ!
熱く歓声をあげ 甘く切なく 痩せ細った手で
憂鬱に陰気なワルツよ あなたは息子の遺骸を支え おまえは私の感覚を去らず 彼を全人類に示す―
私の思考にこびりつく しかし人々の眼差しはあなたを避ける 血の青白い一滴のように! おお ありとあらゆる痛みの母よ!
7. 病める月
夜 死の病に取りつかれた月よ そこで天の黒い褥に横たわって おまえの眼差しが熱っぽく大きすぎて 異国の旋律のように私を呪縛する。
癒されざる恋の苦しみで
憧れに深く息を奪われ おまえは死ぬ 夜 死の病に取りつかれた月よ そこで天の黒い褥に横たわって。
官能の陶酔の中 考えもなく 恋する女の許に赴く 恋する男を おまえの光線の戯れが愉しませる おまえの青ざめた 苦しみ産まれた血 夜 死の病に取りつかれた月よ!
8. 夜 9. ピエロへの祈り
暗くて黒い巨大な蝶たちが ピエロよ! 私は 太陽の輝きを殺した。 笑いを忘れてしまった!
閉じられた魔法の書 輝きの像が
地平線は安らぐ―黙したままで。 融けて 流れ去った!
失われた深みの靄の中から 私の旗は 今では
ひとつの香りが立ちのぼる 記憶を消しながら! マストから黒く翻る。
暗くて黒い巨大な蝶たちが ピエロよ! 私は 太陽の輝きを殺した。 笑いを忘れてしまった!
そして天から地上へと おお ふたたび与えよ 重々しく揺れながら 魂の荒療治士
目には見えず 怪物たちが 詩の雪だるま 人間の心の上へと降りてくる… 月の殿下たる
暗くて黒い巨大な蝶たちが。 ピエロよ―私に笑いを!
10. 盗み 11. 赤ミサ
深紅の王侯のようなルビー 身の毛のよだつ聖餐 昔の誉れの血のしずく 黄金の眩い輝きのもと その下の地下納骨堂の 蝋燭の揺れる光のもとで 柩の中でまどろんでいる。 祭壇に近づく―ピエロが!
夜 飲み仲間たちと 神に聖別された手が 盗みのためにピエロが下りていく 僧服を引き裂く 深紅の王侯のようなルビー 身の毛のよだつ聖餐 昔の誉れの血のしずく。 黄金の眩い輝きのもと。
しかし そのとき髪の毛が逆立つ 祝福を与える仕草で 青ざめた恐れが彼らをその場に縛りつける 彼は不安な魂をもつ人々に 暗闇を通して 目のように!― 赤い血の滴る聖餅を示す 柩の中からじっと見詰める 血塗られた指で彼の心臓を 深紅の王侯のようなルビー。 身の毛のよだつ聖餐。
12. 絞首台の唄 13. 斬首
長い首をした 月は煌めくトルコ人の剣
痩せこけた娼婦が 黒絹の布団の上に置かれ
彼の最後の 不気味に大きく―今にも振り下ろされる 恋人だろう。 苦痛に満ちた暗い夜を通して。
彼の脳髄に ピエロは休みなく彷徨い
釘のように突き刺さる 死の不安に駆られてじっと見上げる
長い首をした 黒絹の布団の上に置かれた 痩せこけた娼婦が。 煌めくトルコ人の剣 月を。
南欧の松のように細く 彼の膝は激しく震え
首にはお下げ髪 失神して急に倒れる
道化者の首に 処罰の剣が自分の罪深い首へと 淫らに抱きつくだろう うなりをあげると思いこむ 痩せこけた娼婦が! 月は煌めくトルコ人の剣。
14. 十字架
聖なる十字架は そのために詩人たちが 黙って血を流して死ぬ 詩
禿鷹たちの羽ばたく幽霊の群れに 打たれて目を潰され。
いくつもの肉体に剣は耽溺した 血の真っ赤な色で光り輝きながら!
聖なる十字架は そのために詩人たちが 黙って血を流して死ぬ 詩。
死んだ首 硬直する巻き毛―
かなたでは賤民たちの喧騒が鎮まる。
ゆっくりと太陽が沈む 赤い王冠が。
聖なる十字架は 詩。
15. 郷愁 16. あさましい行為!
愛らしく嘆息しつつ―水晶のため息が カッサンドロの光る頭部
イタリアの古いパントマイムの中から 彼の悲鳴が空気を切り裂くその頭部に 聞こえて来る ピエロがこれ程にぎこちなく 偽善者の表情でピエロが穴を穿つ 今様に感傷的になってしまうとは。 やさしく―頭蓋骨に穴を穿つ。
彼の心の荒野を通して響き そこに親指で詰めるのは あらゆる感覚を通して弱められてまた響き 自分の本物のトルコ煙草 愛らしく嘆息しつつ―水晶のため息が カッサンドロの光る頭部
イタリアの古いパントマイムの中から。 彼の悲鳴が空気を切り裂くその頭部に。
その時ピエロは悲しげな表情を忘れるのだ! それからマハレブ材の管を
月の青ざめた照り返しを通して 後ろのつるりとした禿頭の中へとねじり 光の海の潮を通して憧れがさすらい 気持ちよくプカプカとふかす
大胆にも向こうの故郷の空の方へ 自分の本物のトルコ煙草 愛らしく嘆息しつつ水晶のため息が。 カッサンドロの光る頭部から!
17. パロディー 18. 月の染み
煌めく編み針を 明るい月の白い染みを
灰色の髪にさして 黒い上着の背中につけて 行儀指南の女が呟きながら ピエロが生温かい夕べに 赤いスカートを纏って坐っている。 幸運と冒険を求めて彷徨う。
彼女はあずまやで待っている 不意に服の様子が気にかかり 痛みとともにピエロを愛しているのだ。 周りを見廻して正しく気がつく―
煌めく編み針を 明るい月の白い染みを
灰色の髪にさして。 黒い上着の背中につけて。
その時不意に―ほら―囁き声が! 待てよ! と彼は考える 漆喰の染みのようだ!
そよ風が微かに笑い声を立てる 何度も拭くが落とせない!
意地悪な月が 毒々しく膨らんで彼はつづける
その光で真似をする 擦りに擦る 明け方まで キラキラの編み針。 明るい月の白い染みを。
19. セレナード 20. 帰郷
グロテスクな巨大な弓で 月の光線は櫂
ピエロは自分のヴィオラを擦る。 睡蓮が小舟の役をして
一本脚のコウノトリのように それに乗ってピエロは南に向かう 憂鬱にピチカートを弾く。 よい旅の風を受けて。
不意にカッサンドロが近づく 流れは低い音階で唄い 夜のヴィルトゥオーゾのために怒りに燃えて。 軽い小舟を揺らす。
グロテスクな巨大な弓で 月の光線は櫂
ピエロは自分のヴィオラを擦る。 睡蓮が小舟の役をして。
今では自分からヴィオラを投げ棄て ベルガモへ 故郷へ
繊細な左手で ピエロは今や戻っていく
禿げ頭の襟をつかむ― 微かにもう東の空が白んでいる 夢みるように禿頭で奏でる 緑の地平線。
グロテスクな巨大な弓で。 月の光線は櫂。
21. おお 昔の香りよ
おお お伽噺の時代の昔の香りよ おまえが私の感覚をふたたび酔わせる!
一群の馬鹿げたことどもが
軽やかな大気を通って音を立てる。
幸せな望みが私を喜ばせる 久しく軽蔑してきた喜びへと。
おお お伽噺の時代の昔の香りよ おまえが私をふたたび酔わせる。
不満はすべて投げ去り 太陽に縁取られた窓から 私は自由に愛する世界を眺める そして至福の彼方を夢みる…
おお お伽噺の時代の昔の香りよ!
本稿の初めのほうで、この作品にも三角関係との関わりがあると述べた。それは、ピエ ロとコロンビーナとカッサンドロについて、その可能性があると考えられるからである。
ピエロは3.で「ベルガモ出の」「伊達男」とされている。この北イタリアの町はコメディ ア・デラルテの伝統と深い関係がある。ピエロはコメディア・デラルテ本来の登場人物で はないが、コロンビーナとカッサンドロはそこに属している。2.で、ピエロはコロンビー ナへの憧れを歌う。接続法が使われているから、これは飽くまでも願望であり憧れであ る。このピエロの恋に対して、カッサンドロが恋敵と明示されているわけではないけれど も、そう考えれば、16.や19.の「行為」が理解しやすくなるだろう。カッサンドロは、禿 頭の老人と表象されるようだが、老人が恋をするのはコメディア・デラルテでは通例であ るらしいし15)、そういう愛憎関係がないとすれば、ピエロの行為は単なるサディスティッ
15) コンスタン・ミック(梁木靖弘訳)『コメディア・デラルテ』未来社、1987年、30、33頁。
クな老人虐待になってしまう。なお、ハルトレーベンの翻訳詩集の表紙には、19.の一本 脚で立って巨大な弓でヴィオラを擦るピエロの姿が、新月を背景にして描かれていた16)。 歌詞にはヴィオラとあり、伴奏にヴィオラがいるにもかかわらず、この曲はチェロとピア ノで伴奏される。この伴奏は、それだけでチェロとピアノのための魅力的な小品になって いる。チェロを懸命に弾いている若いシェーンベルクを中心にした、少し奇妙な五重奏団 を写した19世紀末の写真が残されている17)。彼の左後ろに立ってヴァイオリンを弾いて いるのは、フリッツ・クライスラー(1875-1962)である。クライスラーが奏でている
(spielen)のに対し、シェーンベルクはどうみても擦って(kratzen)いる。しかし、チェ ロは彼にとって特別に愛着のある自分の楽器であった。
これらの詩の主体「私」は、まことに変幻自在である。ピエロであるとも、詩人である とも、作者であるとも考えられる。コロンビーナは、2.ではピエロの憧れの対象になるだ けで実際に登場はしないが、4.の「青白い洗濯女」や「天のやさしい乙女」として彼女が 登場しているとも考えられる(一般的には、それらは月の化身と考えられるだろうが)。
7.の恋煩いしている月の「苦しみ」は、ピエロの苦しみでもあるかも知れないし、そのあ との「恋する女」と「恋する男」がコロンビーナとカッサンドロである可能性もないとは いえない。伴奏する室内オーケストラの楽器編成は、曲によってさまざまに変えられてい る。7.などは、フルート1本だけで伴奏される。
第1部(1.〜7.)で月と同じように「青白い」「青ざめた」と形容された「血」が、第2 部(8.〜14.)ではルビーのように「深紅」となり、「赤い血」となり、「真っ赤」になる
(6.のマドンナの傷は「赤」と書かれているが)。第3部(15.〜21.)には「血」は出てこ ない(16.などは出て然るべきだろうが)。第1部は、神経症的ではあるにしても、まだし も穏やかな世界であり、6.も、一見冒瀆的に見えても、そこにあるのは、むしろ1.にある ような「敬虔な想い」といえる。《浄夜》や《グレの歌》に通じる月の光の神秘性、魔術 的作用、不分明さ、静寂は、この第1部に共通して感じることができる。これに対して、
不気味な夜を描く8.から始まる第2部は、格段に残酷で血腥い、倒錯した世界である。そ れが頂点に達するのが、全21篇の中心に位置する11.の「赤ミサ」である。これはほとん ど黒ミサ的な、倒錯した神聖冒瀆の世界である。続く12.と13.は、ピエロの処刑死への不 安を描く。12.の「長い首をした/痩せこけた娼婦」は「絞首台」の比喩であり、「お下げ 髪」は処刑用の綱のことで、「淫らに抱き」つかれるとは、絞首されることだ。しかし、
「だろう(wird)」という助動詞が2回繰り返され、それがピエロの不安な想像にすぎない ことが明らかとなる。13.も同じで、ピエロがそう「思いこむ」だけのことだが、この悪 夢の残酷さと血腥さは否定しようもない。14.も、「十字架」に対する「敬虔な想い」とい うよりは、冒瀆的な倒錯性が強く感じられる。
第3部は、一転して「郷愁」と「帰郷」の世界である。ヨーロッパの北部にいたと思わ 16) Nuria Nono-Schoenberg (Hrsg.): Arnold Schönberg 1874-1951. Lebensgeschichte in Begegnungen.
Klagenfurt-Wien 1998, S.108.
17) Ebenda, S.30.
れるピエロは、故郷であるイタリアのベルガモに戻っていく。月の光の夜の世界から、太 陽の輝く昼の世界への帰還である。15, 20. 21.は、その帰還を直接描いている。それだけ に、16.と19.の「行為」は謎となるし、17.の「行儀指南の女」も謎である。18.は、ピエ ロの月の光からの離反、月への嫌悪を表していると解釈できるかも知れない。とすれば、
それは太陽の輝く世界への帰還のひとつの準備となるだろう。先ほど述べたような三角関 係を前提とすれば、16.と19.はある程度理解できる。しかし、「ピエロを愛している」と いう年輩の「女」の登場は何なのだろうか。「意地悪な月」というのは面白いけれども。
「月」という語が、どのように出現するかも興味深い。第1部は4篇(1.2.3.7.)、第2部 は2篇(9.13,)、第3部が4篇(15.17.18.20.)である。全21篇の半分に満たないが、「太陽」
は3篇(8.14.21)だけだから、これはやはり圧倒的に月の世界である。全体にキリスト教 的なイメージの拘束力の強さが感じられ、異教的な世界の代表としてのトルコの扱い方は 否定的なものと言わざるを得ないだろう。
音楽そのものについて、ピエール・ブーレーズ(1925-2016)は次のように書いている。
「《ピエロ・リュネール》におけるシェーンベルクの努力はすべて、絶えず半音階を用い ることで調性を破裂させることにあった。またシェーンベルクは半音を合理的に使用する 道を開こうと努めたが、それは後年、十二音のセリーの使用に統合される。」18)
シェーンベルク自身に表現主義の音楽を書こうという自覚的な意図があったとは思われ ないが、《ピエロ・リュネール》は表現主義音楽を代表する作品と見なされる場合が多い。
たしかに、19世紀末的デカダンの幻想を20世紀初頭の表現主義的語法で語ったという括 り方も可能だろうが、そこに決して収まり切らない作品である。とにかく、それまではあ り得なかったような全く新しい音の世界がここで生まれている。「月に憑かれた作曲家」
と月とピエロをめぐるこれらの詩の出会いによって生じた、ひとつの奇跡といえるのでは ないだろうか。
《ピエロ・リュネール》は、シェーンベルク的な作品として《浄夜》に次いでよく知ら れているといえ、よく演奏もされる。その中で演奏例としては、いま引用したブーレーズ が指揮をした録音を挙げたい。先進的な作曲家としてのブーレーズは、シェーンベルクに ついて相当手厳しく否定的な判断を述べた(1952年の「シェーンベルクは死んだ」な ど)。しかし、指揮者としての彼は、シェーンベルク作品について極めて信頼のできる演 奏解釈を示したといえるだろう。ブーレーズの《ピエロ》は20世紀末の録音などもある が、1961年の演奏がすぐれている。この録音のあと、1940年にシェーンベルク自身が指 揮をした録音と比較しながらの、アドルノとブーレーズによるラジオ対談が行われた19)。 演奏は1961年にパリで行われている。シュプレヒゲザングを担当したのは、ヘルガ・
ピラルツィク(1925-2011)というドイツのソプラノ歌手である。オーケストラは、フ
18) 註(10)の『書簡集』155頁。
19) 註(11)参照。この対談は1965年11月26日に行われ、1966年1月6日と7日に、ハンブルクの
北ドイツ放送から「シェーンベルク週間」の一部としてラジオ放送されたようである。
ルートとピッコロはひとりの奏者が担当しているが、クラリネットとバス・クラリネット やヴァイオリンとヴィオラは別々の奏者が担当しているので、5人ではなく7人になって いる。
アドルノ(1903-1969)は哲学者・社会学者であると同時に、ベルク(1885-1935)やピ アニストのシュトイアマン(1892-1964)に師事した経歴があり、その意味でシェーンベ ルク楽派に属する音楽家のひとりでもあった。したがって彼らの対談はかなり専門的なレ ヴェルのもので、私にはすべてを理解することは残念ながらできない。ただ、2つの演奏 を比較して、シェーンベルクの弟子ヤロヴェッツ(1882-1946)の用語を使って言えば、
シェーンベルクの演奏はより対位法的であり、ブーレーズの演奏はよりポリフォニー的だ とアドルノは述べている。シェーンベルクの演奏を高く評価するアドルノは、ブーレーズ の新しい解釈も大いに評価している。私はシェーンベルクの演奏は聴いていないのだが、
ブーレーズの演奏は確かにバランスのよい、すぐれたものと感じる。アドルノとの対談 で、彼は原作者に許される自由は解釈者にはない、と述べている。楽譜に、より忠実な、
より精確な演奏はブーレーズのほうであるとアドルノも認めている。確かに総譜を見なが ら聴いていると、これは本当に厳格な演奏であり、それでいながら生命に溢れている。
《グレの歌》のソプラノ以上に、シュプレヒゲザングの担当者の力量が、やはり決定的で ある。《ピエロ》のソリストとしてシェーンベルク自身とも何度も共演したマリア・フロ イント(1876-1966)やエリカ・ワーグナー(1892-1974)について相当辛辣な批評を行っ たブーレーズが、ピラルツィクについては、「彼女は本当に見事だった」と言い切ってい る20)。本当に見事と私も感じるし、彼女の美しく明瞭なドイツ語の発声は、ドイツ語の発 音練習の教材にしてもよいと思うほどである。伴奏のオーケストラも素晴らしいし、録音 の状態も非常によい。
おわりに
1912年5月、シェーンベルクがベルリンで《ピエロ》の作曲に集中していた頃、ミュン ヒェンで「青騎士」という芸術年刊誌が創刊された。第一次大戦の勃発のために創刊号だ けで終わってしまったこの雑誌の編集者は、カンディンスキー(1866-1944)とマルク
(1880-1916)という、ロシアとドイツ出身の画家たちであった。1911年の初めにミュン ヒェンでシェーンベルク作品のコンサートがあり、このミュンヒェンの画家たちは大きな 感銘を受ける。カンディンスキーがシェーンベルクに手紙を書き、そこから同志的な友情 が発展していた。そういう次第でシェーンベルクも「青騎士」に参加し、論考を寄稿し、
自作の絵画の写真2点と、自身とベルクとウェーベルンの歌曲の楽譜を付録として掲載す る展開となった。
20) 同上のドイツ書86頁。フロイントやE. ワーグナーについてのブーレーズの否定的コメント
は、註(10)の『書簡集』の28、30、31、68頁に見られる。
その論考のタイトルは、「歌詞との関係」という21)。もっと一般的に「テクストとの関 係」とも訳せる。この論考は、2つの宣言を含むものとして捉えられると、私は考えてい る。ひとつは「表現主義宣言」であり、もうひとつは「純粋音楽・絶対音楽宣言」である。
「表現主義」という言葉は、この論考の中で一度も使われていない。しかし、論考の最 後のところに「印象主義者たち」という言葉が出てくる。問題は、肖像画の芸術的効果は 何によるのか、であり、「印象主義者たち」なら「現実の人間、つまり描かれたと思われ る人間がわれわれに語りかけるから」と考えるかも知れないが、そうではなく、「そこで 自己表現を行った芸術家が語りかけるからであり、より高次の現実性を帯びて、その芸術 家にこそ肖像画は似ていなければならない」と主張される。この、肖像画の対象であるモ デルではなく、肖像画を描いた芸術家の「自己表現」こそが重要だという主張は、ひとつ の「表現主義宣言」と捉えられるのであり、その意味でこの時期のシェーンベルクを表現 主義者と規定することは可能だと、私は考える。この、シェーンベルクの「過激」な発言 は、当時カンディンスキーの同志であり、伴侶でもあったガブリエーレ・ミュンター
(1877-1962)によって、やんわりと批判されている22)。カンディンスキーの肖像画を描い ていた彼女としては、その肖像画の芸術的効果にモデルが関係しないという主張は受け容 れ難かったであろう。
この論考の冒頭は、「音楽が言い表わさなければならないものを、純粋に音楽的に理解 できる人間は、比較的少ない」と書き出されている。これがすでに「純粋音楽・絶対音楽 宣言」である。シェーンベルクは、この「比較的少ない」人間こそが正しいのであり、音 楽は「純粋に音楽的に理解」しなければならないと主張するのである。以下、ショーペン ハウアーの発言や、ワーグナーの事例や、シューベルトの歌曲についての自分の理解は歌 詞を知らない場合のほうが深かったという体験や、ゲオルゲの詩に作曲した際に、詩の内 容に拘泥するよりも直観的に事を進めて成功した、などと語られる。要するに、歌詞など の音楽外的要素は二義的な重要性しかもたず、大切なのは音楽そのもの、純粋に音楽的な ものなのだ、と主張される。第2次ウィーン楽派、すなわちシェーンベルク楽派が「純粋 音楽」「絶対音楽」的な集団であると思われている、そのひとつの根拠は、このシェーン ベルクの論考にあるのではないかと私は思う。しかし、これはシェーンベルクの自己韜晦 と捉えるべきではないか、とも私は思う。
何故このような自己韜晦を行う必要があったのかはわからないが、本稿で見て来たよう に、少なくとも初期から中期にかけてのシェーンベルクの創作活動にとって、音楽外的な
21) カンディンスキー/フランツ・マルク編(岡田素之・相澤正己訳)『青騎士』白水社2007年、
49-60頁。
22) Jelena Hahl-Koch (Hrsg.): Arnold Schönberg, Wassily Kandinsky: Briefe, Bilder und Dokumente einer außergewöhnlichen Begegnung. München 1983, S.59. このシェーンベルクとカンディンス キーの書簡集には、シェーンベルクに宛てたミュンターの書簡も含まれている。「歌詞との 関係」の終わりのほうで、シェーンベルクが新しい可能性を持つ画家として、「ココシュカ、
カンディンスキー」という順に名前を挙げていたのを、カンディンスキーを先に書かせると いうような「内助の功」も彼女は発揮している。同書65、215頁。
要素は非常に重要である。音楽の内的必然性、すなわち音楽の内的な論理や感性のみに よって音楽を創作することは可能であろうが、その作品はそれ程すぐれたものにはなり得 ないのではないだろうか。ブーレーズに「『純粋音楽』という幻想」という言葉がある23)。 芸術は本来複合的なものであって、さまざまな要素の絡まり合いによってこそ高められる のではないか。シェーンベルクの創作活動自体が、そのような複合的なものであったので あり、たとえば「月に憑かれた」という要素は、初期から中期にかけての彼の創作に決定 的といってよい影響を与えたと思う。
最後に、敢えて少し逸脱した、乱暴とも思われることを述べておきたい。すでに述べた ように、ドイツ・オーストリア音楽における偉大な調性音楽の時代は、バッハから初期 シェーンベルクまで続いたわけだが、この音楽は、トニカ=主音や主和音という太陽のよ うな中心を持つ音楽であるという言い方ができるのではないか。とすれば、中期以降の シェーンベルクの模索と苦闘は、この太陽を持たない音楽世界の探究であったともいえる のではないだろうか。彼が「月に憑かれた作曲家」になったもうひとつの根源は、ここに あったのかも知れない。アドルノは、12音技法は調性に取って代わるものとはならない、
と書いた24)。月は太陽に代わるものとはなり得ない。しかし、月の光によって、音楽世界 はより豊かになったのである25)。
23) 註(6)の『ブーレーズ作曲家論選』49頁。
24) Th. W. アドルノ(龍村あや子訳)『新音楽の哲学』平凡社2007年、134頁。Theodor W.
Adorno: Philosophie der neuen Musik. Frankfurt/Main 1975, S.91.
25) この「太陽の追放」という文脈で読めば、《ピエロ》第2部の最初と最後の歌詞の一部、す
なわち8.の「太陽の輝きを殺した」や14.の「ゆっくりと太陽が沈む/赤い王冠が」などが 意味深く思えてくるだろうが、勿論結果からそう思えるだけの話である。《グレの歌》の最 後が太陽への讃歌となるように、《ピエロ》も最後の21.では「太陽に縁取られた窓」が讃美 されるのであり、この21.で初めてオーケストラの8つの楽器がすべて使われ、音楽も調性 という「昔の香り」を漂わせる。シェーンベルクは、アメリカに亡命したのちの最後期にい たるまで調性音楽も書き続けた。ローマに通じない唯一の道は中庸の道だ(《混声合唱のた めの3つの諷刺》作品28)、というような過激な発言もあるシェーンベルクだが、彼は実は
「あれかこれか」の人ではなく、「あれにこれも」という人だったのではないか。つまり、太 陽が中心で輝く世界に、月の光もということであり、音楽世界の豊饒化こそが作曲家として の彼の使命であって、これに彼はかなりの程度において成功したのだと、私は思う。